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2017-05-31

喀什旅行一日目

2017年5月1日、お昼に退社し急いで成田空港に。
品川へ向かう新幹線が途中で停電停車し、座席指定していた成田エクスプレスに乗り遅れてしまった。
代わりに乗り込んだ次発の車両は人で溢れ、仕方なくデッキに場所をとる。
デッキもまた人でいっぱい、その多くが外国人だった。
退社した開放感と、これからの旅路への期待。
そんなので、空港までに缶ビールやら缶ハイボールやら。
デッキには簡易椅子があり、そこに座り、周りを欧米人に囲まれながら。通り過ぎるなんでもない風景がいつもより特別なものに見える。
はしたないという意見もあるかも知れないが、これが私の楽しみなのだ。


今回の旅の目的地は、中国新疆ウイグル自治区・喀什(カシュガル)。

いってみれば、中国最西端。
今回の旅行は、広大な中国大陸を横断し、一番西の端まで行ってみるものだ。
残念なことに、空路でひとっ跳び、いやふたっ跳びだけれど。時間がないのだから、仕方ない。
昨年の同じくこのゴールデンウィークに、「中国の一番むこうに行ってみたい」そんな思いから、新疆ウイグル自治区北西部のイーニン方面へ行ってみた。
カシュガル地区も頭にはあったが危険地域であるため、とりあえず保留としてそのイーニン地区を選んだ。
カシュガルは経度でいえば、そのイーニンよりも西。
いわば、イーニンは北西部の西端、カシュガルは南西部の西端。
イーニン旅行を終え、やはりカシュガルへの未練があり、というよりもますます行きたくなり、カシュガル行きを決めた。

カシュガルという地名を知ったのがいつのことだったのか、記憶にない。
少なくとも、15年前の大学生の時にシルクロード紀行のカシュガル編を手にし、その遥かな場所に思いを馳せたのは覚えている。
私はシルクロードや中国地理に詳しくはなかったから、もしかしたらこの時がその地名との出合いだったかもしれない。
その時、「ここはもはや中国ではない」 そんな感想をもった。

中国語が通じない(少なくとも当時は)。
漢族は少なく、西域ふうの民族が砂舞う路地を行き交う。
民族衣装に身を包み、ストールをかぶり頭髪を隠す女性たち。
長いひげをのばし、ウイグル帽を頭にのせるおじいさんたち。
瞳の色も様々、髪の色も様々、皮膚の色も様々。そして彫りの深い顔立ち。
建物はまるで中東のようで、中華文明のかけらすら転がってはいないようだった。

中国の一都市・西安は西域への入り口だ。
シルクロードの中国側のスタート地点といえるその西安から西へ都市や街を進むと、風景も街並みも人の様子も、みな徐々に西域色を帯びていきそれは強まっていく。
しかしこの歴史と文化と民族のグラデーションを体感することは、実はそう簡単ではない。
何しろ、西安からシルクロード中国最西まで、距離も遥かならば、そこから先いっきに移動が困難になるからだ。
西安を境にインフラ整備は急激にさがり、自然地帯がほとんどになる。
交通、自然、そして民族文化的差異によって、西に行けば行くほど、旅行者に要求されるものは増す。
また、時間もかかれば費用もかかる。
さらにいえばもうひとつ、西域の行動を難しくしている要因として、治安問題がある。
とにかく、この一番手前の西安ですら、当時の私には夢の場所だった。
そのあと西安の地を踏み、夢の彼方だった敦煌の地を踏み、その時まだ新疆ウイグル自治区自体、行くはずもない場所だった。
初めてウルムチを訪れた時ですら、カシュガルは彼方だった。
こうやって私は長い時間をかけて西へ西へと足を踏み入れてきたが、思い返してみると、旅先の候補としてカシュガルを思うようになったのはここ2~3年のことである。
学生の頃、シルクロード紀行を手にしカシュガルに思いを馳せたあの時、その地は旅してみたい場所ではなく、本の中でテレビの中でしか接することがないはずの場所だった。
私個人の感覚からいっても、中国西域は遠い場所ーそれはもちろん単なる距離の問題だけではなくーであり、そのもっとも遠くの地を踏むことができるというのは、感無量だ。
15年前の自分が、「ここはもはや中国ではない」と戸惑ったのも、当然のことだと思う。

そういう意味で、今回の旅行には特別な思いがあり、とても楽しみにしていた。
珍しくひとかけらの不安もない旅のスタート。
第一日目の旅程は、北京まで。
北京で一泊し、翌早朝に出発し空路で新疆ウイグル自治区首府・ウルムチへ向かう。

北京に到着したのは夜。
乗り継ぎに立ち寄るだけなので、タクシーに乗って空港近くのホテルまで。
あまりに近いホテルで断られるのが予想できたため、わずらわしさを避けるため、「メーター倒さなくてもいい?」という運転手の要求を聞いた。
1㎞ほどの距離に提示された金額は、なんと100元。これはさすがに飲めない。
「近いのわかってるでしょ?」
最終的に40元を支払うことになったが、無駄金承知で乗り込んだタクシーだったので仕方ない。

ホテルは質素な造りで、フロントでチェックインをするとそのすぐ奥に部屋が続いていた。
すぐ近くの部屋だったが、手前に段差があり、従業員の男性がひょいと荷物を持ち上げそのまますぐその先の部屋に運んでくれた。
私は中国でチップを払う習慣がない。
今まで荷物を手伝ってくれた従業員たちはもしかしたらそれを期待していたかもしれないが、私にはそういう習慣がないため、そのままシエシエと返すだけだった。
こんな格安ホテルにも「サービス料」という名目の加算がされていたし、こんな数メートルの距離で、今までチップを手渡してこなかった私にはそういう発想すらなかった。
「小費、ちょうだい」
男性は言った。
小費、とはチップのことである。
チップの発想がなかった私は訊き返した。
「小費?何?」
「小費、お金」
男性は若干遠慮気味にそう返した。
今まで数々の中国旅行の中で、チップを要求されたのは二度、これが三度目だ。
一度目は西安のホテルで、携帯片手にろくに仕事をしなかったダメマッサージ師。
二度目は年を越した黄山山頂のホテルのマッサージ師。
いずれも、断り渡さなかった。しつこかったけど。
今回の人は遠慮気味だったが、疲れていて面倒もいやだと5元を渡した。
「5元じゃ足りないよ」
なんと。
もういいや、と10元を渡すと男性は諦めて受け取り帰っていった。
楽しみな旅行の初日は、つまらないお金のことで少しうんざりした気分になってしまった。
これだから北京はめんどうだ。
そう北京のせいにして、終わりにした。

日付は間もなく5月2日に変わろうとしていた。
フロントで明日のフライトに間に合う送迎車を予約した、その出発時刻は朝5時。
めちゃくちゃ早くてもう寝る時間もないのに、私にはまだまだやることがあった。
急いでシャワーを浴び、持ってきた大量の荷物を再整理。
旅行初日にすでに疲労困ぱい、いつもの通りだ。

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2017-05-31

喀什旅行二日目~その一~

2017年5月2日、目いっぱいの寝不足を抱えて、目が覚めた。
まだ暗い北京だ。

北京首都空港からウルムチへ。
ここでふたつ、ちょっとしたトラブルが発生した。

その一つは、チェックインの時だった。
北京空港はそれはたいへんに混雑しており、順番を待つだけで時間を消耗した。
搭乗時間は間近に迫っており、焦ったところに。
「荷物の重量がオーバーしています」
たしかに、荷物の量は尋常ではなかった。
なにしろ、今回は空港で友人が出迎えてくれるため、より多くの荷物を持って行けると頑張ったのだ。
けれど、今までもこれと大差ないものだったし、なんだかんだで二つは預けることができ重量オーバーを宣告されることがなかったので、今の今まで一度もそれを恐れたことがなかった。
「預けられる荷物は、20㎏まで」
カウンターに示されたデジタル数字は、無残にも38㎏を示している。
18㎏分なんとか手荷物に回せないかとやってみたが、もともと手荷物でしか運べない物、預け荷物でしか運べない物、を仕分けていたので不可能だった。
手荷物のボストンもぱんぱんだ。
となると私の荷物は総量でいったい何㎏になるんだ?
そのほとんどが友人のために持ってきたものだ。すごいことだ。
仕方なく、支払カウンターに行き、超過18㎏分の料金を払う。
約400元。
余分な出費だったけれど、思ったほどではなくて安心。

と安心していると、二つ目のトラブル。
それは保安検査を通過する時だった。
「これは持ち込めない」
保安検査官にそう示されたのは、レンタル移動WiFi。

周知のように、現在全世界的に飛行機に乗る際に持ち込むリチウム電池・リチウムイオン電池に制限がかかっている。
例として、携帯電話、デジカメ電池、モバイルバッテリーなどがあげられるが、器機内蔵電池はいくつまで、予備電池はいくつまで、と決まりが設けられるようになった。
各国で差はあるのかもしれないが、中国もどうやら同様の基準のよう。
リチウムイオン電池類は、預け荷物はいずれも不可で、手荷物として持ち込むことができる。
手荷物としては、パソコンなど器機内蔵電池は160Wh以下であれば数量制限なし。
モバイルバッテリーなど予備電池は、100Wh以下であれば数量制限なし、100を超え160Wh以下は二個まで可、160Whを超えるものは一切不可。
しかし現実的に、これを超えるような状況はまずありえないため、ほとんどの乗客は神経質になる必要はない。
私は毎回、予備電池としてモバイルバッテリーを二つ携帯している。一つでは足りないからだ。
しかし、二つあわせても30Whにも満たない。数量制限なしの部類だ。
今回不可とされたレンタル移動WiFiは器機内蔵電池にあたるのではないか。表示は忘れたが、規定の数値をオーバーすることはあり得ない。これもまた、数量制限なしのはず。

保安検査官は、対応カウンターにて別の係り員にこれを引き継いだ。
「今まで持ち込めた、問題ない」
そう言うも、断固受け入れない。
搭乗時間が迫っていることを伝えても不可。
隣りの看板に書かれた、「160Wh」を指差し、超えているからダメだと言う。なんてことだ。
レンタルWi-Fiの器機は手元にある。
そのアンペアなどが表示された箇所を係員は示し「超えている」というが、計算どうなっているんだ?
証拠は手元にあれど、相手は認めない。
「これがないと、困る!」
現地で連絡がとれないのは致命的だから、海外パケットし放題を使うしかない。となると現地Wi-Fiを利用しても一週間で3万ほどにもなり、バッテリーの消耗も激しくなる。
また、レンタル会社から器機弁償させられるのでは?
「捨てるか、宅急便で送るか、どちらかだ」
そう言い放つ係員。
しかし搭乗時間は目前で、日本に送り返すあれこれなんてやっている余裕はなく、ダメなら放棄するしかない。
搭乗時間まであと5分となり焦った私は、「先にトイレ行ってくるから待って」とトイレに行った。
戻ってくると、驚くべきことに係員は「持って行きなさい」と器機を返してきた。
中国において、こうした対応もまた珍しいことだ。

今回の旅程、片道三回、往復六回、飛行機に乗る。
東京ー北京、北京ーウルムチ、ウルムチーカシュガル。
辺境ほど空港は厳しくなるから不安でいっぱいになった。
結論からいうと、残りのフライトでこうした事態は起きなかったが、今後が心配だ。

そういうわけで焦りに焦った搭乗となった。

北京首都空港から7時20分発、海南航空 HU7245便で四時間。
新疆ウイグル自治区首府・烏魯木斉(ウルムチ)へ到着したのは11時半。

ウルムチには友人が複数おり、今回出迎えてくれることになっていた。
その中の一人、ロンさんは私の面倒見役で、今回の旅行の相談あれこれをして協力を仰いでいた。
到着した一階から二階の出発ロビーにあがり待っていると、彼らはやってきた。
久しぶりの対面だ。

ウルムチ在住のロンさんに、その奥さんチャン・イー。彼女はわざわざコルラからやってきてくれた。列車で六時間の距離だ。
運転してきてくれたのは、去年のイーニン旅行で一部旅程を共にして友達になったチャンさんの弟で、彼は昨年のクチャ旅行の際には空港の送り迎えをしてくれた。
チャン兄弟は河南出身で、チャン兄の奥さんフェイフェイ、かれら三人はここ数カ月ウルムチを離れ河南に帰郷していた。
車を運転して三日をかけウルムチに戻ったのは、つい昨日のことだった。
会えることができてうれしかったが、出迎えにフェイフェイ夫妻の姿はなく、チャン弟のみ。
今夜私はウルムチに一泊するので、夜会えるのを楽しみに待つことにした。

チャン弟が運転をし、その隣にロンさん。
後ろにはチャン・イーと私。
トランクに大量の荷物を載せ、高速道路を走る。
外はかすかに雨が降り出していて、天気はあまりよくない。
ウイグルとイスラムの情緒たっぷりのウルムチ市内へ向かうと思いきや、外の風景はそれとはどんどん離れていくよう。
「どこへ行くの?」 と訊いてみると、
「昌吉へ行くよ」 とチャン・イー。

昌吉はウルムチ隣りに位置する、回族の街だ。
三年前初めてウルムチを訪れた時、つまりこの友達たちと初めて出会った時に、晩秋の胡楊を一緒に見に行った街だった。
街から郊外に抜けて、夕日に輝く黄金色の胡楊を見た。
風景区に着いて小さな土丘を登り見渡すと、目の前には雄大な大地が広がっていた。
大地、という言葉を初めて実感した瞬間だった。
一面の綿花畑に、眩しい胡楊。
あっという間もないくらいに、大地の向こうに色濃い太陽が落ちていった。
あの風景、感覚を今でも忘れることはないし、あの黄金色の風景は私のひとつの原点になった。

あの時、私の中国語は今よりもっともっとダメだった。
つまり、会話もろくに成立しない私に対し、話が合うとか考えに共感したとかそんなことはありえないわけで、それなのにこうしてあれ以来今でも仲良く交流を続けてくれていることは、ありがたいというか不思議なことだ。
あれから色んな中国人と交流し、友達になったことも少なくない。
しかし、そのすべてが良い結末だったわけでもない。

昌吉は空港から30㎞ほどなのだという。
ウルムチ市内からだと少し遠いが、空港方面なのでそんなに時間がかからない。
その通り、間もなくして小さな街に辿り着いた。

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車を降りて道を行くと、横断歩道の向こうから学生がうじゃうじゃと渡って来る。
子供はどの国もかわらないけれど、教育環境はぜんぜん違うなと思う。
こうしてみな揃った制服を見てみると日本の子供の方が自由のようにも見えるけれど、表情を見ればそんな考えも消えていく。

この道あの道を、尋ねながら進んで行く。
途中で道端で売られているヒマワリの種を買い、私たちはそれを食べながら歩いた。
慣れないとなかなか食べにくいので、やがてそれに集中し、置いていかれる。

私たちが向かっているのは、お昼ご飯を食べるお店のよう。
ウルムチの友達、リー・リーはそこで待っていてくれているのだそう。

「ずっと前からわからなかったんだけど、北京では12時がお昼、ここは時差が二時間あるけど新疆ではお昼は何時なの?」
私はかねてから曖昧だったことを訊いてみた。
中国は広大な大地にも関わらず、全土が北京の標準時間に統一されている。
そのため、同時刻に北京は夜中、新疆では昼間のように明るい、なんてことになってしまう。
その不都合を解消するため、ここには新疆時間と呼ばれる現地時間が存在する。
新疆時間は北京時間からマイナス二時間だ。
しかしここに暮らす漢族はみな北京時間をそのまま使用しているようだったので、お昼といえばやっぱり時刻を優先して12時なのか、それとも実際の感覚を優先して2時なのか、ずっと疑問に思っていたのだ。
「12時だよ」
まだちょっとはっきりしなかったので、重ねて訊いてみる。
「では、新疆では何時にお昼を食べるの?12時、それとも2時?」
「北京時間2時」
なるほど、そうかぁ。
「じゃあ、北京時間2時に中午好(お昼時間の挨拶)なの?」
「そうだよ~」
新疆では、時間についてやり取りする際、北京時間と新疆時間とそのどちらのことをいっているのか注意しなければならない。間違えれば、いらぬトラブルを引き起こしかねない。
さらにいえば、新疆時間は北京時間マイナス二時間だが、新疆ウイグル自治区自体がそもそも広大であり、その中にも感覚的時差が生じる。
私の新疆ウイグル旅行はこれで五度目になり、その都度旅行記にこのことを書いてきた。
毎回読んでくださっている方には少々くどいが、それでも前提として触れておかなければならない。
ちなみに、いわずもがな日本と新疆の時差は三時間ということになる。


やがて私たちはリー・リーたちが待つお店に着いた。
民族料理のお店ではなく、火鍋のお店だ。
私は火鍋が大好きで、別の友人からも「毎回毎回、火鍋食べて、そんな火鍋好きなのか?」と言われたこともある。
私が選んだわけではなく、歓迎してくれる友人たちのもてなしの結果だったけれど、彼らは私が火鍋を好きなのをわかっていると思う。
お店の人たちとロンさんたちはみな顔馴染なのだという。
お店で待っていたリー・リーと、もう一人ルオさんという女性が加わり、ここで6人のメンバーとなった。

お店の窓からは、街の風景が見渡せた。

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明るい街だ。
あんなにどんよりとし細かい雨まで降っていたのに、昌吉に着いた途端に青空が見え始め、街路樹は陽の光を受けて眩しいほどになった。

この街には、ウルムチや新疆の他の街のように、雑多としたウイグルの雰囲気がない。
整列として明るくて、まるで内地のどこかの都市のよう。
新疆ウイグル自治区には各地それぞれいろんな表情がある。
けれども、こんな民族くささのない街はここでは異質に感じられた。少なくとも私にとっては。

「ここにはウイグル族はいないの?」
訊いてみると、「少ないよ、ここにいるのはほとんど回族」
「ウルムチとは雰囲気が違うね」
「うんうん、そうだよ」
今目の前を道行く人々は、おおざっぱにぱっと見れば、内地に暮らす人々とそう変わらないように見えた。
髭をたくわえたおじいさんも見えなければ、鮮やかでエキゾチックな衣装に身を包み、頭髪をストールで隠す女性も少なかった。
「回族はムスリム(イスラム教徒)なのに、ムスリムいないの?」
「みんな全部、ムスリムだよ」
「ストール巻いていないよ」
「ここにはストールを巻いていないムスリムもいる」
女性が頭髪を隠さないでいいのかな?
「じゃあ、どうやって回族ってわかるの?」
「顔見れば、私たちにはすぐわかるんだよ」
昌吉回族自治州、その名の通り、ここは回族の街。
回族はイスラム教を信仰する民族だ。
わからなくとも、道行く人はだいたい回族でありイスラム教徒だと思って間違いないかもしれない。

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とうとう、待っていた火鍋がやってきた。
火鍋といえば日本人はしゃぶしゃぶを思い起こすが、中国で火鍋という場合、決して必ずしもしゃぶしゃぶタイプというわけではない。
ようは、鍋の料理をすべて火鍋と呼ぶのだ。火にかける鍋、火鍋。
私が好きなのはしゃぶしゃぶタイプの火鍋。
好きなタイプの火鍋で嬉しい。
みんな、食べな食べなと私のタレの器に、具材を放り込んでくれる。

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みんなで同じお鍋に箸をのばす。
私の箸の使い方を見て、誰かが言った。
「日本にもお箸あるの?」
「あるよ~でも形がちょっと違う。中国のお箸は少し長くて使いにくい」
そう言うと、
「ほら、こうするために中国のは長いんだよ」
と、お箸を鍋にのばして具材をすくった。
それを見てみんなが笑う。

「日本ではご飯食べる時、話する?」
私があまりしゃべらないので、そう訊いてきたものか。
実はみんなの会話についていけず、傍観者のようになっていた。
でもマイペースでいられるのが楽なところ。
「もともとは、ご飯食べる時におしゃべりするのはダメ、マナーがない」
そんなふうに言ってみたものの、激しく実際は違うよな~と思いながら。
日本だって、食事は会話を楽しむ時。
「子供の頃は、食事中はしゃべってはダメ、テレビ見てはダメ、なんて教えられる」
と言ってみたものの、それはいつの時代のどこの家庭の話だ。

みんなせっかく私に気を利かせて話題を振ってくれているし、これは日中文化相互理解のよい機会であるはずなのに。
それなのに、いつも真面目に考えた挙句、結局とんちんかんな答えを言ってしまう。

「日本料理はおいしいと思う?」
今度は私が質問してみた。
「おいしいとは思う。でも高いから」
おそらく、彼女たちが食べたことがある日本料理というのは中国にある日本料理。
日本人の感覚でいったら100%日本料理そのものではないだろうし、刺身とか天麩羅とかトンカツとか鉄板焼きとか、そういう定番だと思う。
けど確かに、日本の外食は高い。
居酒屋なんかに行ってもレストランに行っても、小さな一品一品が高い。
10元前後で麺が、数元で小吃(屋台などで売られる手軽な食べ物)が食べられる中国の感覚で言ったら、出費は大きいだろう。
「友達とお酒を飲みに行く時には一人5000円から10000円はかかってしまうよ」
ランチだって1500円とか2000円とか。
お刺身を頼めば、小さなお皿に盛られた数切れでで800円とか。
和牛のなんとか、なんて頼めば2000円とか。それでいて、ちょっとだったり。
隣りのチャン・イーは驚いていたけど、日本の料理は繊細で、材料から料理、盛り付け、器まで細部にこだわる。
だから妥当な金額なのだ。
それに、日本にも安い食べ物はたくさんある。
たらふく食べて飲んで3000円というような昭和居酒屋が私は大好きだし、カレーにおそばに500円というような食堂もある。
私の説明は明らかに足りなくて、やっぱり日本の本当の姿を伝えていない。


今回、リー・リーに会うことができてよかった。
彼女はあさっての4日には、故郷イリ地方へ帰郷する予定だったので、ぎりぎり会うことができた。

彼女はウルムチで和田玉(ホータン玉)の専門店を開いている。
ホータン玉は中国では最高級、最重要とされる宝石だ。
新疆ウイグル自治区西南部・和田(ホータン)が主要な産地とされることからその名がある。
新疆全域、青海、韓国、ロシアなどでも産出されるが、やっぱり新疆が本場だ。
古来シルクロードを渡り交易された産物のひとつでもある。

二度目に新疆を訪れた時、彼女からホータン玉の指輪を購入した。
三度目に訪れた時には、オーダーメイドでピアスを作ってもらった。
今回、オーダーメイドでブレスレットを作ってもらおうと彼女に相談したのは一カ月前。
私のいう通りだとうまくいかないかも、と修正してもらって出来上がりの写真を見せてもらったのは出発数日前だった。
写真を見せてもらい、嬉しくなった。

火鍋を一通り食べ終えたところで、彼女は私にそのホータン玉のブレスレットを手渡してきた。

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国を跨いで複雑なオーダーメイドは難しいので、頼むのは必然的にシンプルなデザインとなる。
手前の六粒の玉の両端は固定されていて、中間の四粒はくるくる動く。
留め金にぶら下がった一粒はリー・リーのアイデアで、私はひと目で好きになった。
玉はすべて、ホータン玉の中でも最高級ランクとされる羊脂玉だ。
ホータン玉の魅力のひとつはそれに彫刻を施すことだが、それには費用も多くかかるだろう。
いつかそういうオーダーメイドも彼女に頼んでみたい。
また、彼女は宝飾品のデザインも始めていて、それは素晴らしいのだ。
だからいつか、彼女のデザインした宝飾品を買うのが私のひそかな夢だ。

ホータン玉はとても高価だ。
「ホータン玉は中国ではダイヤモンドよりも高価」
そんな言葉があるけども、ダイヤは小さくても価値を持つのに対し、玉はそういう使い方をするものではないし、歴史や思想なども織り込まれ、この両者は“高級”であること以外、比較することは不可能だとも思う。
中国では場合により、このホータン玉は金額に換算できない価値を持つ、それだけ特別な存在だということだ。

私は自分の支払える範囲で、手の届く範囲でこの玉をリー・リーから買っている。
今回は小粒のみを使用したこともあり、思ったより安かった。
本来は玉とは、このように少量小粒を使って華奢につくるものではない。
その価格も、もし北京などの内地であれば価格はもっとあがってしまうし、安くそして安心して買えることに感謝だ。
中国ではどこでもこのホータン玉が売られているが、高価なうえにだからこそ、偽物や品質が良くないものも多い。
私が、リー・リーから三度にわたり玉を買ったのは、
ひとつは、彼女が友達だから。
ひとつは、彼女の知識や能力を私が知る機会が少なくとも、それが素晴らしいものだと感じるから。
ひとつは、彼女の玉に対する愛情を強く感じるから。
今後も、私がリー・リー以外の場所でホータン玉を購入することはないと思う。

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こんなふうに、鑑定書もしっかりついている。
鑑定士のサインやデータが記載され、裏には新疆ウイグル自治区の公的機関や中国の認可マーク。
代金は事前に用意してきた。
前回は紅包(中国のお年玉袋)にお金を入れてきたが、今回は日本の祝儀袋に用意してきた。
「これは日本の伝統的なもので、お祝いの時に使うものだよ」
本来自分の名前を書く場所にリー・リーの名前を書いてきた。

火鍋を食べ終えたとき、時刻は16時半、現地時間感覚では14時半ということになるから、やはりそれでも遅い時間まで昼食を食べていたことになる。
私の普段の生活でこの時間にこのおなかの苦しさであれば、「今日は夕飯なしでいいや~」となり、お茶づけかなんかで済ませたくなる感覚だ。
友達のところを訪れると、メインは観光より食事になる。
私は一人行動の時には、食べる時間や機会がなければ食事を抜くことも多い。
しかし友人にもてなしてもらう時には、観光の時間がなくなったとしても食事だけは時間をしっかりとる!これが基本になる。
最初は戸惑ったが、今では少し慣れた。

お店を出たのは、空港で出迎えてくれたメンバーにここで合流したリー・リーとルオさんを含め計6人。
女性組と男性組とに分かれ、私はリー・リーが運転する車に乗り込んだ。
二台の車が向かったのは、そう遠くない「回族小吃名街」。

こんなちょっとした小吃街にも入り口にはしっかりしたセキュリティーチェックがあり、荷物なども検査機に通して通過する。
新疆ではあらゆる場所がこんなふう。
ここは中国で治安維持にもっとも力を入れて入るエリアなのだ。
ちなみに旅行中パスポートはホテルのセキュリティーボックスに、なんてのもダメだ。
新疆ウイグル自治区ではこうしたセキュリティーチェックの度にパスポート(中国人は身分証)が必要になり、なければほとんど行動できない。
検問はもちろんのこと、公安などに尋問されたときにパスポートを携帯していなかったら相当めんどうなことになる。
新疆に限らずとも、中国ではパスポートがないと列車や長距離バスのチケットが購入できないので、ここを訪れる人にそういう人はいないと思うけれど。

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回族小吃名街の正門はこんなにも立派。
中華式門にちりばめられた、青や緑、月にスライム形といったイスラム色は、ここが回族の街であることをそのまま表している。

「ここ、三年前にも来たね」
三年前、昌吉郊外の風景区に出掛け胡楊を見た帰り。
たしか風景区は19時までで、ぎりぎり入場することができたんだった。
風景区に入り目的の場所に到着するともう日が沈む寸前で、そこに滞在したのはほんのわずかな時間だけだった。
でもそれは絶好のタイミングだった。
そんなだったから、再びもと来た道を走り昌吉に戻った時には、もう真っ暗だった。
その時立ち寄ったのが、この回族小吃名街だったのだ。
この美しい回族の門は、記憶も鮮明だった。
「そうだよ、あの時はもう閉まっていたね」
ほとんど閉まっていたけれど、まだ開いていたお店で回族のお菓子を買って帰ったんだった。

私のザックはチャン弟が持って歩いてくれた。
おかげで楽に歩き回ることができた。
また、革ジャンもロンさんが貸してくれた。大きかったけれど。
ウルムチに到着した時、まるで冬の寒さで手が痺れた。
私の服装は軽装だった。
それを見てチャン・イーがロンさんに「貸してあげな」と一言。
ロンさんはこの冬の寒さの中、シャツ一枚になってしまい絶対に寒かったと思うが、終始「問題ない」と言い貸してくれた。

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公園ほどの敷地の中に、数十件もの店舗がこのように並んでいる。
お土産屋さんだったり、お菓子屋さんだったり。
それらの建物はみなこんなふうに、石壁に細かい彫刻が施されている。
その細かさには目を見張るものがあり、すべてが手彫り。

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葡萄の彫刻。
砂漠のオアシスは葡萄の楽園。
ここならではの題材だ。

ここにはこうした内地ではなかなか目にしないような題材もあり、しかしやっぱり中華的題材で溢れている。
新疆を旅行していて、中華文明的雰囲気に出合うことは非常にまれだ。
少なくとも私の数少ない旅行経験の中では。
けれども、中華式屋根といいこうした彫刻といい、ここにはそれがある。

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「マーヨーズ、見なさい」
ロンさんが私を呼んだ先には、中華式建築物があった。
「昔のお寺だよ」
再建したものかと思われる。
隣には立派な仏塔があり、同じように中華的色彩で彩られている。
その向こうには黄金色の宝珠の屋根が見えた。あちらは完全なイスラム建築だ。

「イーニンに行った時、ウイグルのモスクと回族のモスクは様子が違ったよ」
「そうだよ」
ウイグルのモスクは純イスラムで、回族のは中華式モスクだった。
その差異は明確で、ひと目でそれとわかるものだった。
「回族は漢族みたいなものだから」
ロンさんがそう言ったのに対し、チャン・イーがすぐさま反論した。
「回族は漢族じゃないでしょ」
回族はもともとアラブ由来の外来民族で、中華圏に移住してきたのち混血等により長い年月の末、漢族とそう大差なくなったものだ。
以前は漠然とイスラムを信仰する少数民族をそう呼ぶ、と間違った認識をしていたが、昨年の銀川旅行の際に教えてもらった。
銀川のある寧夏回族自治区もそのほとんどを回族が占めるエリアだ。
そういう訳で、回族のモスクや建築はみな中華式なのだった。
街の景色も内地のよう、というのもうなずける。

寧夏には街中にアラビア語の標識があった。
私は始めそれを見慣れたウイグル文字だと思ったので、ウイグル語なのかと訊いてみた。
しかし回族はアラブ由来の民族なので、これはアラビア語だよ、との返事だった。
新疆ウイグル自治区で広範囲に使用されているウイグル語は、トゥルク系つまりトルコ系言語でトルコ人とウイグル人は会話が通用する(と思う)。
一方、現代ウイグルで用いられる文字は、アラビア文字を改良したものである。
現代のウイグル語とは、トゥルク系口語に対しアラビア系文字を用いた言語といえる。
そのために、そのような疑問を持ったのだ。
「回族はウイグル語を話すの?それともアラビア語?」
それを思い出して、私は訊いてみた。
新疆ではウイグル語が実質公用語みたいなものだから、回族は回族でもここのはやっぱりウイグル語を理解するのかなと思ったのだ。
「ウイグル語は話さない、中国語を話すよ」
そうなんだ!
中国は広大だ。
この民族あの民族といっても、様々。地域にもよる。
複雑で難しいけど、理解しなくともちょっと体感してみるだけでも旅行の意義は大きく違ってくる。
だからやっぱり現地に行ってみたいのだ。

漢族に近しい民族となったイスラム系民族回族。
中華式建築物を見ながら思った。
「ここには仏教徒はいるの?」
この西域のエリアは、もともとは仏教の地である。
仏教はインドからシルクロードを通過して中国、朝鮮半島、そして日本へと伝わった東漸の歴史である。
新疆ウイグル自治区にはいにしえの仏教遺跡が点在している。
かつての仏教王国を旅していて、遺跡は訪れるも現代の仏教寺院に出合うことはない。
少なくとも自分の旅の範疇では。
この地は、イスラム系王朝の征服によりイスラム化が進み、今ではすっかりイスラム教ばかりになってしまった場所だ。
実際のところ、現代はどうなんだろう?とかねてから疑問に思っていた。
現在の新疆ウイグルは漢族流入が進み、治安悪化により状況は変化したかもしれないが、漢族の比率は以前より格段に増えている。
「とても少ない」
ロンさんは短くそう言った。
「ここはすでに仏教は消え去った場所なんだ」
そう、付け加えて。

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さっきまであんなに天気がどんよりとしていたのに、眩しいくらいの青空。
気づけば向こうでみんなが何かを囲んでいるので、私も行ってみた。

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インコやオウムや、名前も知らない鳥が大きな鳥かごの中に。
不自然なくらい鮮やかでカラフルなインコは、この地に合っているのか合っていないのかよくわからない。
みんなで、「你好!」と声をかけてみるが、インコは無視。
私も「谢谢」とか言ってみるが、やはり無視。
みんなで向こうの鳥かごにも行ってみようと離れかけた時。
「二―ハオ」
背後から流暢な中国語が聞こえてきた。
なんだ、しゃべるじゃん!とまたみんなで話しかけてみるが、戻ってきた途端また反応しなくなった。
「言わないね、行こう」
そう言って立ち去ろうとすると、また背後で「二―ハオ」。

この回族小吃名街に来た目的は、回族のお菓子だ。
見渡せばそのほとんどがお菓子のお店。

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出来合いなのではなく、お店でこんなふうに作っている。
見たところ、どれもみな揚げ菓子のよう。
当然のことながら、すべて清真(ハラル)だ。
回族のお菓子は初めてここを訪れた時に経験済みだったが、どれも甘くて脂っこい。
中東の人たちは昔から甘いものが好きだったようで、そういう文化があるよう。
回族のお菓子もその影響を受けているのだろうか。

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みんな次々と買っていく。
「はい、これ食べな」
次々と分けてくれる。
私が食べたのは揚げアンパンの遠い親戚のようなもの。中身は胡麻餡だった。
餡の量は少なくて、生地は少し平たい感じ。

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お店の入り口にあったのは、こんなもの。
ねじりにねじった縄みたいなのが、とぐろを巻いて巨大なお菓子タワーになっている。
これもまた揚げ菓子だが、こんなのどうやって揚げたのだろう。
有名なもののようで、あちらこちらにあった。
こんなのをどうするのかというと、上部から少しずつ切り取って売るのだ。
壁には、青空の下、軽自動車ほどの大きさのものに台を使って上から切り取る回族のおじいさんの写真が飾られていた。
このねじりタワーのお菓子、馓子というのだそう。

みんな、次々と買ったお菓子をくれる。
「道中、食べていきな」
それはこんなに食べきれないというほど。


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2017-05-31

喀什旅行二日目~その二~

回族小吃名街を出て、再び車に乗り二台で出発した。
大きな交差点を通過した時、突然大通りの遠く向こうにそびえる険しい山々が目に飛び込んできた。
とがった山々は雪をかぶっていて、陽の光に照らされてまるで輝いているみたいだった。
「あれは天山?」
「そうだよ」
天山山脈は新疆ウイグル自治区に2000㎞以上にもわたり跨る巨大な山脈だ。
この山脈は新疆を抜け中央アジアにまで架かっている。
それはまさしく新疆のシンボルだ。
近代的な街並みと道路の先に、こんな雄大な山脈やら砂漠の山なんかが横たわって見えるのは、なんとも言えない。
私にとっては、現実のものではないような、そんな感覚さえする。
「すごくきれい!」 そう言うと、
「私たちは見慣れてしまってるから」 とみんな笑った。
写真を撮ろうと急いでカメラを向けると、
「後で車降りてゆっくり撮れるよ」 そう言うので、そうすることにした。

私はみんなが次にどこに行こうとしているのか知らなかった。
天山が見えた交差点を曲がると、その道路の先にはだだっ広い土地が広がっていた。
そのだだっ広い土地の上に、とびきり立派な現代建築が乗っかっている。
その違和感といったら。

17050216.jpg

「玉ねぎみたい」
実は昌吉に向かう途中にも、高速道路のうえからこの巨大な建築物を目にしていた。
その時にそんなふうに言ったのだ。
「あれはイスラムのだよ」
ロンさんはそう言っていた。
これからこの玉ねぎの中に入っていくよう。

ここに車を停めて降りた。
さっき言っていた天山を写真に撮るチャンスだ。
ところが、誰かが向こうを指さして何か言い、その方角を見てみると。

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向こうからものすごい勢いでやってくる不穏な雰囲気。
「向こうでは雨が降っているよ」

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その反対側先ほどの交差点を振り返ってみると、空は異常に明るく見えて、手前のビルや信号機なんかが逆光でみな墨を塗ったように真っ黒に見えた。
この対比はなんなんだ。
ほんの5分ほど前に目にした、あの美しい天山はもうどこにもない。
道路のあちらこちらで、吹き荒れる風に物が舞い転がっていく。
不穏な雰囲気は私が思った以上にスピードが速く、車を降りて辺りを見回しているうちに、あっという間にこちらにやってきて私たちを飲み込んだ。
大粒の雨が落ちてくる。
私たちはみな、走ってあの黄金色の大玉ねぎの中に駆け込んだ。

駆け込んだのは、チケット売り場のようだった。
ロンさんたちがたった一人いる服務員といろいろ話している。
初めは何を話しているのか聞いていなかったが、どうやら何かの開演時間と現在の時刻が合わないよう。
「マーヨーズ、明日は何時の飛行機でカシュガルに行くんだ?」
「10時45分発のだよ」
「じゃあ、間に合わないな…」
あきらめよう、ということになった。

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ここはどうやら、何やら西域文化のエンターテイメントを鑑賞することができるよう。
一人行動の時に私がこういったものを鑑賞することはまずないので、今となりあらためてどんなものだったのか気になるところ。

大玉ねぎを出ても、まだ大粒の雨は降っていた。
走って車に戻り、再び出発する。
車を走らせて程なくして、
「冰雹!」 運転していたリー・リーがそう言った。
「え、何?」 聞き返す私。
見ると、フロントガラスに跳ね返る、ひょう。
まさか、ひょうまで降るなんて。
ウルムチに到着した時には雨は降っていなかった。
しばらくして細かいかすかな雨が降り出し、昌吉に着いたら青空が広がり日向は暖かになった。
天山がさっきはあんなに陽の光を受けていたかと思えば、数分後、分厚い雲と風が襲い掛かり大粒の雨。
かと思えば、それは、ひょうに。
「変化が激しいね」 そう言うと、
「新疆はね、“一天三変”なんだよ」 と言ったのは、チャン・イー。
新疆の天気は変わりやすく、一日に何度も変わる。
去年、イーニンに向かう道すがら立ち寄ったサイリム湖もそんな感じだったな、と思い出した。
あの時にも、目まぐるしく変化する天候に驚き、最後にはひょうが降ったんだった。
あの時は一日どころか一時間に何度も、だったけれど。

ひょうが車を叩きつける中、私たちは次の目的地に向かった。

空港から昌吉に向かう路上で、ロンさんは助手席から振り返って言ったのだった。
「マーヨーズ、今日はあとで***に行くからな」
***がちょっと長い言葉だったけど、聞き取れなかった、というよりわからなかった。
その中に、er maoと聞こえたので、
「…二毛?二毛ってなに?」 と訊き返してみると、みんな大笑いした。
何かはわからないが、この二毛は正解だったよう。
とにかく、二毛の何かに行くらしい。
「午後に、私たちは、“新疆第二毛紡工場”に行くよ」
第二毛紡工場、略して“二毛”。
いきなり私が略称を言ったからおかしかったのかも知れないが、単にわからなくて聞こえた部分だけを言ってみただけだ。

新疆はその広大な大地と自然を利用して、そこかしこで放牧が行われている。
羊はじめ、色んな毛材が穫れる。
「羊毛の工場?」 私がそう訊くと、
「そうだよ、買えるよ」
私は中国の社会科見学みたいなのが好きなので、工場内部も見学できるのかな、なんてとても期待した。
去年のイーニン旅行では新疆でもっとも古い白酒工場を見学したのを思い出す。

西域エンターテイメントを諦め、私たちは次にこの毛紡工場「二毛」に行くよう。
ところが到着してみると、何やら様子がおかしい。
「もう閉まってるって」
時刻は19時。
あとから追って到着したロンさんたちの車にも伝える。
うまくいかない。
ここでは、日本よりずっと安くウール製品が買えるよ、と話していた。
諦めるしかなかったが、次回はぜひまた、ここを訪れてみたい。

「じゃあ、どうする?」
そういう話になって、私はだまってみんなに成り行きを任せていた。
ところが、烤羊肉がどうとかそんな話をしている。
あのお店、このお店、というような話をしている。
まさか…。
先ほど、火鍋をたらふく食べたばかりだ。
その後に、回族の揚げ菓子を食べたばかりだ。
みんなは、苦しくないのかな!?
私はもう一口も入らないほど苦しかったが、
「これから夜ご飯を食べにいくよ」
みんなはそんなの思いも寄らないふう。

入ったのは清真の小さなお店。
窓際のテーブルに座り、羊の串焼きを次々と注文していく。
外はまだ昼間そのものだ。

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これは羊肉で、これは羊肝、羊心。
そんなふうに部位をいろいろ説明してくれる。
羊の、特に内臓は、日本では食べることが難しい。
だから嬉しいはずなんだけど、心と体がどうしても一致しない。
「マーヨーズ、たくさん食べて!」
どうしよう、みんなの善意はうれしいけれど、もう一本も入らない…。

私には特別に他のものも頼んでくれていた。
大椀のヨーグルトと、烤包子。
新疆ではヨーグルトは定番。それに烤包子は焦げ目がついた生地の中に粗びきの羊肉がごろごろ入っていて、これもまたおいしい。
両方共、私の大好物だった。
好きだけど、おなかいっぱい…。

さらに頼んでくれていたのは、拌面。

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これも、味わってみればとても美味しかった。
私には一椀を頼んでくれ、みんなは他に二椀注文し、二人でひとつといった感じに分けて食べている。
そう、私とみんなは決して同じ量食べているわけではないのだ。
今更その事実に気づき、がくぜんとする。
「マーヨーズ、たくさん食べな」
そう言ってくれる彼女たちに、私はとうとう白旗をあげた。
「食べきれない…」
そうか~いいよいいよ、なんて言いながらも、善意のジャブ。
「でも遠慮しないで、もったいないから」 别浪费!

私はもともと大食いの部類だ。
その大食いの私でこれだけ苦しいのだから、日本の小食な女性とかだったらどうなってしまうんだ?
きっとそもそもそんなに食べないのかもしれないが、私はといえば、やっぱりみんなが選んでくれた料理には一通り口をつけたいし、味わってみたい。めったに食べる機会のない料理を口にするチャンスを逃したくない。
それに、料理を無駄にしたくない。どれもみんなの奢りなのだ。
だから、やっぱり自分の問題でもあるんだ。
新疆に来れば、私はもう、さながらフードファイターそのものだ。

「中国はね美味しいものがたくさんある」
「うん、私は一生かかっても食べきることはできないよ」
「私たちだってそうだよ」

食事を終えて、私たちはロンさんの家に移動した。
街の外れ、坂道のうえにある高層マンション。
マンションの敷地に入り車を停める時にも、入り口でOKが出ないと入れない。
トランクなんかをチェックされ、入る。

17050221.jpg

15階の部屋からはウルムチの街が一望できる。
ドアを開けて出てきたのは、フェイフェイとチャン兄の夫婦。
会うのを楽しみにしていたので、会えてうれしい。
ここで、私が持ってきた恐るべき量の荷物、お土産なんかを整理する。

17050222.jpg

これは、私が持ってきたお土産の中のひとつ。
ひとつ日本の伝統的なものを入れたいな、と思っていた。
本当は日本の美と季節感が織り込まれた生和菓子を、みんなに経験してもらいたい。
でもそれは難しいので、これにした。
日本風のゼリー菓子。
「若い人はあまり食べないけど、日本の伝統的なのだよ」
写真を撮ったりしてから、みんな食べてみる。
しかし、一部残ってしまっていたから、いまいちだったかも知れない。
それよりも、「シュガーラスクの木」の方が、美味しいと評判だった。

ここにやって来たのには、ひとつの目的があった。
私たちの一部は珈琲愛好家として知り合ったので、ここで珈琲をごちそうしてもらうのだ。
テーブルの上にはサイフォンなどの珈琲器具が散乱し、試験管やアルコールランプなどもならび、まるで実験室のよう。

ロンさんは準備をしながら、私をキッチンへ呼んだ。
「今からヨーグルトの作り方を教えよう」
さっき食事をした時に、私がヨーグルトを作れないという話をしたばかりだった。

17050220.jpg

ボールに水を張り、その上に3㎏の牛乳を入れた鍋を載せる。
沸騰したら同じ大きさのボールをかぶせ蓋をし、15分待つんだ。
そのあと、何度の状態でかき混ぜて、なんて話をしてくれたが、今私はそれを再現できない。
記憶が怪し過ぎるので、口頭ではなくてちゃんと確認して、今度やってみようと思う。

こうして実際に牛乳に火をかけ、15分そのままだからと、私たちは部屋に戻った。

17050223.jpg

次々と、手慣れた手つきで珈琲が出来上がり、回してくれる。
喉を潤す為の珈琲ではなく、味わうための珈琲なので、小さなカップに少しずつ。
様々な品種の珈琲を飲み比べる。
まるで品評会のようだ。
「これどこの豆?」
なんて訊くと、壁に架けられた巨大な世界地図を示して教えてくれる。
「これとさっきのは同じ豆なんだ。さっきのはサイフォンで、今度のはハンドドリップ」
同じ豆でも、淹れ方で全然味が違うだろう?
そう言って、勧めてくれる。
ロンさんはサイフォン派で、チャン・イーはハンドドリップ派なのだ。
さらに言えば、豆の煎り方とか水の種類でも全然違う。
そんな話をするけれど、私は素人なのだ。
「全部、美味しいよ」
そんな、彼らをがっかりさせるような感想しか出てこない。

「お…し…」
隣りに座っていたチャン・イーがそう言ってくる。
なんだ?なんの言葉?
「お、し…だっけ?」
「え、なに?」
「好喝(おいしい)って、こうでしょ?」
彼女は、私がさっき教えた日本語を言おうとしているのだった。
「あぁ、“お・い・し・い”だよ」
「オイシイ」
「そう、日本語では好吃(食べ物に対する美味しい)も、好喝(飲み物に対する美味しい)も、同じ“おいしい”なんだ」
だから、珈琲飲んで「好吃」なんて言ってしまう日本人もいるかも知れないよ、日本語では区別がないから。
「サヨナラ」、「アリガトウ」、そんな言葉が出てきて、あれはこういう意味だよねなんてみんなで言い合う。
そんなのも嬉しい。

「これ、なんの豆?」
最後の一杯だよ、と回ってきた珈琲に対し、訊ねてみた。
「ジャマイカのだよ」
「あぁ、ジャマイカのかぁ~」 なんて反応をしている私のところに、ロンさんが封筒を持ってきた。
それは、ブルーマウンテン№1の証明書だった。
生産農家のサインや内容の証明なんかが英文で書かれたもので、よく見覚えがあるものだった。
「藍山珈琲!」
「そう、藍山珈琲」
それは、以前に私が地元にあるジャマイカコーヒー輸入専門店で購入し、3㎏生豆で持ってきたものだった。
実は今回も、ブルーマウンテン№1の生豆2㎏を持って来ていた。
高級珈琲豆だ。
この高級珈琲には、最近流行しているような味や飛び抜けた特徴があるわけでもないが、そのバランスがいい。
だから、時代の変化にとらわれることがないのだ。
記憶があいまいだけど、以前そんなことを言っていたような気がする。
サイフォンで淹れた藍山珈琲を、口に含む。
「酸味がわかるだろう?珈琲にとって、酸味はもっとも重要な要素なんだ」
たしかに、酸味がほど良かった。
荷物の重さの一因になっていた珈琲豆だったが、ロンさんの淹れるブルーマウンテンをごちそうしてもらえてとても嬉しい。
もしかしたら、今日の為に最後の豆を残しておいてくれたかも知れない。

新疆は中国の中でも珈琲のメッカと言っていい。
珈琲はイスラム教徒が中東から世界に広めたものなのだという。
かつてイスラムの秘薬とされ豆すら持ちだすことを禁じられた歴史があったが、それでも珈琲の魅力が世界に流出していくのを、止めることはできなかった。
ちょっとおしゃれなイスラム料理店に入れば、珈琲器具が美しく並べられているのを見つけることができる。

部屋の壁には、巨大な世界地図と中国地図が並べて貼られていた。

17050224.jpg

左上の茶色く大きなエリアが、新疆ウイグル自治区だ。
明日は空路でその西端まで飛ぶ。

最後に、みんなで集合写真をお願いした。
三脚がない為、交代で撮っていく。
「西瓜、甜不甜~?」 スイカ、甘い~?
「ティエ~~ン!!」 甘~い!!
たくさん撮影したが、この甘~い!の瞬間のみんなの笑顔は最高だった。

いよいよお開きという時になり、私は明日から旅立つ準備をした。
部屋に置いてくもの、持っていくもの。
ものすごい重量だったが、そのほとんどはここに置いていく。あとは軽くて楽ちんだ。なんて思っていたら。
「マーヨーズ、明日持ってく物を説明するぞ」
ロンさんが何やら大きなリュックサックを持ってきた。
パンパンである。
中からは大量の干アンズ、それにカザフスタンのチョコレートに、キャンディーに。
「これは、向こうで塔吉克(タジク)族の家族にあげるんだぞ、これは子供に一人一個ずつあげるんだ」
一つひとつ、そんなふうに説明していく。
現地で行き先にそれぞれ人を用意してくれているロンさんだったが、その人たちに対するお礼だ。
事前に相談して、私も自分のお礼をいくつか用意してきていた。
けど、杏もチョコレートも、めちゃくちゃ重いのだ。
パンパンになったリュックサックを指し、
「空港で預けられるのは20㎏までだ。超過するからこれは手荷物で持ってくんだぞ」
「持ちきれないよ~どうやって持ってく?」 と言った私に、
「前に自分のリュック、後ろにこれを背負うんだ、こうやって。わかるか?」
わかるよ~。

このあと、チャン弟が運転し、ロンさんと二人で私を空港近くのホテルまで送ってくれた。
時刻はすでに、間もなく0時を迎えようとしていた。
ウルムチ市内と空港は、だいたい20㎞ちょっと距離がある。
「家はウルムチの南側にあって空港は北側にあるからね」
ところで、明日以降の具体的な行動を、ロンさんと一切打ち合わせていなかった。
「あとで微信で送るから」
そう言うけど、もう深夜で明日は朝に出発してしまう。
「帰りには烤羊腿を持たせるからな、今度はちゃんと確認して食べるんだぞ!」
ロンさんは助手席から振り返って、険しい顔でそう叱るように言う。
烤羊腿、羊の脚を焼いたものだ。
去年の5月イーニン旅行の帰りにも、ロンさんは「お母さんに食べさせてあげて」と私にこれを持たせてくれたのだが、密封されたアルミ袋には葡萄干のラベルが貼られていたため、気づかず放置してダメにしてしまっていた。
そのリベンジというわけだが、あの時私は繰り返し、「日本の空港は肉類の持ち込みを一切禁止している」と伝え、他の友達はわかってくれているんだけど…。

ホテルに着いて、チェックイン。
「マーヨーズ、だ。マーヨーズ。日本人のだ」
フロントにそう急かす、ロンさん。
ロンさんは私の代わりにホテルの予約をすべてやっておいてくれたが、もしかして私の下の名前だけで予約しているのではないだろうか。
もちろん私のパスポートには姓名が載っている。
少し手間取りながら、チェックインした。
中国のホテルを予約する際には、パスポートの名(英文)なのか、漢字(つまり中国語読み)なのか、もポイントだ。
どっちで予約したのか忘れ、チェックインの際手間取ることがある。
一緒に、明日の空港までのバスも予約する。
出発は9時だ。
ゆっくりな気もするが、もうすでに日付は変わっている。

ロンさんたちと別れ、部屋に荷物を広げた。
明日もまた、気合を入れてこれらを運んでいこう。
急いでシャワーを浴びてでると、家に着いたロンさんから微信が入っていた。

「奥維地図、というアプリをダウンロードしなさいよ」
去年のイーニン旅行でも、彼はグーグル地図を用いて旅の行程を導こうとしたが、私はこうした方面が苦手でほとんど触らなかった。
奥維地図をダウンロードすると、それはグーグル地図を利用した地図アプリのようだった。
私、こういうの大の苦手なんだよ…。
いっぱいいっぱいで、ロンさんの指示通り、地図の設定を衛生地図にかえる。

1705012.jpg

今私がいる地点が、△で示された。
現在地、ウルムチである。
なんとなく旅の実感が湧いてくる。今、ここにいるんだ。

「中国辺境でGPSって問題あるでしょ?これは大丈夫?」
「問題ない」
そこから、彼が私の為に作成してくれたファイルをとり込んだ。
カシュガル空港を降りてから、ここに行って、そのあとここに行って…。
そんなルートが示されていた。
「この地図を開けば自分の現在地もわかるし、どういうルートで行くかわかるだろう?」
たしかに。
しかし、すごく俯瞰的な理解だ。私は地上レベルでそれを把握したい。
とりあえず、明日は空港に着いたらバスに乗って市内に行けばいい。

出発する段階で私にわかっていたのは、何日にどの都市に行くのか。

5月2日、ウルムチで一泊
5月3日、午前に空路カシュガルへ飛び、市内へ。その後車に乗換え、パキスタンとの国境の街・タシュクルガンへ。
5月4日、タシュクルガンから車でクンジュラブへ行き、中パ国境へ。
5月5日、タシュクルガンから車でカシュガルへ戻る。
5月6日、カシュガル観光後、夜ウルムチへ。
5月7日、ウルムチから北京を経由して帰国。

ざっと、これだけのことは決まっていた。
向こうでは、タシュクルガンで二泊し、カシュガルで一泊する予定だった。
この日程になったのは、私が強く国境にこだわっていたからだ。
ロンさんは、聞いていないようで私の言葉を覚えていてくれる。口には出さないけれど。
しかし、先ほどロンさんは私に残念な宣告をした。
「確認したところ、現在クンジュラブへは行くことができない」
「え、行けないの?」
「安全の為にだ。君だけではない、すべての人間が行けないんだ」
「今?」
「そう、今。だから、近くのタシュクルガンに行けるだけだ」
そういうことで、中国パキスタン国境そのものには行けなくなった。
それは、今回の旅程で私がもっとも楽しみにしていたことだった。
残念で仕方ないが、どうしようもない。
けれども後から考えれば、この宣告はまるで今回の旅行をそのまま象徴しているかのようだったのだ。

これらの旅程、それぞれどのように行き、どのように観光し、誰・何人と連絡をとり、会うのか。
具体的ことはその都度現地で彼に確認していくことになる。
せっかちで細かいことが気になる私と、おおらかでマイペースなロンさん。
私は今回はそのせっかちさを捨て、その場その場に任せることにしていた。
どんなふうに行動するのか、自分の臨機応変さも問われるかもしれない。
それはまるで、ミステリーツアーのような魅力を持っていた。


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2017-05-31

喀什旅行三日目~その一~

2017年5月3日、目覚めて外を見るともう明るかった。
今日はいよいよ、今回の旅の拠点・喀什(カシュガル)へ。

ウルムチ空港の上空は晴天だった。
10時45分発、南方航空 CZ6805便で空路カシュガルへと飛び立った。
空港や機内での放送が中国語とウイグル語になると、あぁ、新疆へ来たんだなと実感し旅情を誘う。

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窓の外を覗くと、真下には険しい山々が一面に広がっていた。
こんな光景もこちらならではだ。
平地や集落など、飛行機からは一切確認できない。
山はどれも雪をかぶっていて、山肌は青く見えた。
それを見て、昨日の冬の寒さのウルムチを思い出した。

ウルムチからカシュガルまでは、空路2時間である。
寝台列車や長距離バスを利用すれば、最低でまる一日24時間がかかる。
本当は列車に乗り時間をかけてその移動を体感したい。
それこそが、この広大な大地を経験するということだと思うからだ。
でも、それは時間的にかなわない。
それでも、こんな空からの風景を見れば、これも悪くないかなとも、思う。

飛行機の中で、ザックから油にまみれたビニール袋を取り出した。
昨日みんなが買ってくれた回族のお菓子を、ここで朝ご飯代わりにするためだ。

それから、今日一日に備えるため、睡眠をとった。
誰に起こされるでもなく目を開けると、もう間もなくカシュガルというときだった。

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外を見れば、先ほどの雪山の青い風景が嘘みたいな、一面の砂漠だった。
今まで砂漠地帯は数度経験しているが、飛行機からの光景がこれほどまでだったことはない。
これから降り立つ場所は今までとは違うんだぞ、と言われているみたいだった。


喀什(カシュガル)は、中国最西端の都市である。
西側にキルギス、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタンと国境を接する、まさしく中央アジアとの境に位置する。
中国と中央アジアを結ぶ要所であり、中国側から辿れば、遥かなシルクロードの中国最後のエリアということになる。
いってみれば、カシュガルは中央アジアへの扉だ。

シルクロードは周知の通り、けっして一本の道なわけではない。
途中で枝分かれし、また合流し、こうしていくつかのルートが存在した。
天山南路(西域北道)ータクラマカン砂漠を挟んで北部、クチャを通るルート。
西域南道ータクラマカン砂漠を挟んで南部、ホータンを通るルート。
この二つのシルクロードは、中国から西域に向かう途中、中央アジアに入る直前にカシュガルで合流する。
それだけみても、シルクロード交易において重要な拠点だったことが想像できる。

昨年の8月には、上に挙げた天山南路のクチャへ旅行した。
三蔵法師として有名な玄奘が滞在した仏教遺跡や、大唐西域記に記載がある湖などを観光した。
その玄奘、もちろんカシュガルにも立ち寄っている。
大唐西域記にはカシュガルは佉沙国としてその名があり、仏教が盛んな国だと記されている。
玄奘は天竺からの帰途、ふたたびクチャ方面を目指し佉沙国ーカシュガルーを通過した。
クチャの先にある、高昌国ー現在のトルファンー。
天竺へ向かう往路に、その高昌国にて帰路にも再び立ち寄ることを約束していたからだ。
しかし佉沙国ーカシュガルーで、すでにその高昌国が滅んでいることを知り、玄奘はルートをホータン方面ー西域北道から西域南道にー変えることを決めたのだ。

つまりカシュガルは、中国ー中央アジアの境界地点として。
それから、シルクロードの要所として。
また、仏教東漸の一通過点として。
さまざまな側面から重要な地点だといって間違いない。

しかし、現在カシュガルについて語るとき、一番に話題に上がってくるのはそれらとは言い難い。
ここ近年、カシュガルの名が挙がるのは治安問題についてだ。

「カシュガルに行きたい」
そうロンさんに相談してみたのは、今年に入ってからだっただろうか。
「行かないことを、強く勧める」
彼の返事ははっきりしたものだった。
「何故かはここでは、言わない。ただ、行かない方がいいだろう」
そういう言い回しをしたのは、公共電波を利用してナイーブな話はできないからだと思う。
「じゃあ、ホータンに行きたい」
「それはダメだ、君は行けない。墨玉事件を知らないのか?」
2016年年末、ホータンすぐそばの墨玉(カラカシュ)の県共産党庁舎にて暴徒による起爆襲撃事件があった。
その後も連続して、ホータン周辺で襲撃事件が起きている。
日本ではほとんど報道されないが、南疆エリアは特にこうした事件が頻発している。
中国国内でも厳しい報道規制が行われているので、言ってしまえばほとんどの人間がその詳細を知ることができない。
当然のことながら、私は知らないに等しい。
ただわかるのは、治安状況は決してよくない、ということだけである。

そういうわけで、私は南疆行きをいったん諦めた。
「タクラマカン砂漠から車で敦煌まで走破してみるのもおもしろいぞ」
ロンさんは、そう言った。
「人煙一切なし、植物すらもない、岩がころがってるだけの砂漠、ひたすらひたすら…」
四日もあれば、敦煌まで到達できるだろう、そう言った。
冗談だったかも知れないが、私は本気にしてそれもおもしろいな、と思った。
その話題を忘れた頃。
いろいろ話の流れがあり、やっぱりカシュガルへ行くことになったのである。

そういうわけで、カシュガルについて書くならば、治安状況について触れないわけにはいかない。
それについて考えないならば、現在のカシュガルについて何も考えていないに等しい。そう言ってもいいと思う。
つまり、私がカシュガル旅行を決めたのはそういう場所だと認識してのうえだし、それを踏まえたうえで現在の姿を見てみたいと考えたのだ。

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カシュガル空港に降り立ったのは、12時半。
新疆時間でいえば10時半ということになるが、実際の感覚はどうだろう。
地図を見ればわかるように、新疆ウイグル自治区だけでひとつの国かというほど大きいのだ。
新疆最東のハミと最西のカシュガルとでは、実質三時間ほどの時差があると言われている。
それを踏まえると、新疆時間からマイナス二時間くらいした感じだろうか。
となると、だいたい8時半くらいの感覚?
ただ、公式には12時半であり、現地時間でも新疆統一して10時半である。

空港の周囲は荒涼とした砂漠の山々だった。
島国日本では絶対に味わえない感覚だ。
まず、その熱気にやられた。
昨日のウルムチは気温6度だった。
冬から一気に春を飛び越して夏になってしまったみたいだ。いったい今何度なんだ?

荷物を受け取り空港をでると、多くの人が客待ちをしていた。
そのすべてがウイグル族だ。
正面には小型バスが停まっており、空港線と書かれていた。
ロンさんの指示はこうだった。
「空港から2路のバスに乗り、カシュガル市内へ行く」
これは、2路のバスじゃないよなぁ…。
こういう形の車が2路3路といった路線バスのこともあるけど、空港線って書いてあるし。
そこで、客待ちのウイグル族に訊いてみた。
「2路のバスってどこ?」
「2路のバスは外だよ、向こう」
驚いた。
今までの経験では、こうした場合その多くが「そのバスはない、俺の方に乗れ、行ってやるぞ」なんて感じだからだ。
親切に感謝しながら、ガラガラと荷物を転がしながら空港の外に出た。
空港の前には一本の道路が通っており、左向こうに数台の路線バスが停まっていた。

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「あれ、カシュガル市内に行く?」
心配で数人に訊いてみたが、「そうだよ」との返事。
けれど数台のすべてが無人。
「いつ出発するの?」
なんてその辺にいたウイグルのおじいさんに訊いていると、運転手に訊いて「5分後だよ」と教えてくれた。
うろうろしていると、出発する際に声をかけてくれた。
ちなみに、写真の方角が進行方向。
反対方面はすぐ一面荒涼としていて、文明外だ。

ロンさんの指示はこの通り。
「バスに乗ったらヤオさんに電話をしなさい。それから、橋を越えたらもう一度電話しなさい」
ヤオさんは、カシュガルで私を出迎えてくれるロンさんの友達。
電話番号のみを教えてもらっていた。
1元を支払ってバスに乗り込み、私はヤオさんに電話をしてカシュガルに着きバスに乗ったことを伝えた。
この2路のバスで、農業銀行バス亭で下車する。

バスが発車して間もなくして、停車した。
運転手は私に、「10分停車するから降りなさい、荷物はそのままでいいから」と言った。
見れば、そこは簡易検問所だった。
数名の乗客は降り検問に向かい、数名は降りなかった。この違いはなんだろう。
とりあえず私は指名されたので検問を受ける。

こうしてバスは再び出発し、砂と土の街、カシュガルへ入った。
暑い。いったい何度だ?と思っていると、バスの電光表示に気温らしきものが表示された。
「35℃」
うそ!
おととい日本は全国的に猛暑日だった。
かと思えば、昨日到着したウルムチは冬の6度だった。
かと思えば、今度は35度?
どうかしている。
結論からいえば、おそらくこの35度はなにかの間違いだった。
あとから確認したら、その日のカシュガルの気温は27度だったからだ。

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一面、茶色い家々。
今まで見たことのある新疆の雰囲気とぜんぜん違う。
感じ入っていると、途中のバス停で欧米人の男性が一人乗り込んできて私のすぐそばに座った。
男性は私と同じくらいの年齢だろうか。
麦わら帽子をかぶって、背中には砂まみれの大きなザック。
手には、マジックで簡体字が書かれた段ボールの切れ端を持っていた。
男性が乗車したバス停の名前だった。
ヒッチハイクでもして来たのだろうか。
私はまだ日本人だから簡体字も勉強しやすいが、欧米人にとっては漢字なんて真似して書くのも難しいと思う。
なんとなく同じ一人旅として親近感が湧くが、おそらく彼には私は中国人に見えているだろう。

橋を越えたら電話をしなければ、と思っていたがどうやらとっくに通り過ぎてしまったようだ。
というのも、新疆には水がない川というのがけっこうあるからだ。
雪解けシーズン以外は枯渇した川。
あぁ、多分あれだったかなぁと考えながら、農業銀行バス亭に到着してしまった。
到着してヤオさんに電話をすると、ヤオさんのお店はすぐ近くで迎えにきてくれた。

ヤオさんはカシュガルでお茶のお店を開いている。
お店に着くと、さっそく奥の茶台で次々とお茶をごちそうしてくれた。
ヤオさんは安徽出身なのだそう。
淹れてくれたのは龍井茶だったけど、なるほど、店内には安徽の銘茶がたくさん。
年末年始に訪れた黄山旅行を思い出した。

「昨日、沙塵暴があったんでしょ?」
ヤオさんに訊いてみた。
昨日ウルムチで、みんながカシュガルが今たいへんだと写真を見せてくれたのだ。
その写真は砂嵐で少し先の様子も見えないふうだった。まるで霧のなかみたいに。
じつは、出発数日前にカシュガルの天気予報をネットで見てみた。
沙尘、沙尘、沙尘。
こんな天気予報見たことないから、驚いた。
「景色見えない?」
みんなに訊いてみたら、「こうして話している距離で相手が見えないよ」
どうしよう~なんて思っていたら、今日到着していたらいい天気。暑いのをのぞけば。
「景色見えなかったんでしょ?」 とヤオさんに言ってみると、
「そんなでもないよ~」 と冷静な感じ。

「カシュガルは危険なの?」
今度は大事なことを訊いてみた。
「そんなでもないよ~」 とおんなじ感じ。
やっぱり、現地の人と外部の人とでは、色々感覚の差があるよう。

隣りのお店が便利だからご飯食べておいで、とヤオさんが勧めるので隣りの食堂に入ってみた。
隣りは蘭州拉麺のお店で、私はこれが大好きだった。

1705036.jpg

ウイグルの女の子が店員をやっていて、注文と一緒にお金を払おうとすると、
「先に食べて」 と言う。
外国人は安心されてるのかな~なんて思い、おいしい蘭州拉麺を味わいお金を払おうとすると。
「お金はいらない」 と言う。
なんと。そんなことが、あるのか?
外国人だから、サービス?

ヤオさんのお店に戻り、「おかしいんだ、お金要らないっていうんだ」 と言うと、
「あれは自分のお店だから」
なるほど、ヤオさんの奢りだったんだ。
世の中にそんなおかしな話があるわけないのだった。

しばらくここでゆっくりして、いよいよタシュクルガンへ出発することになった。

塔什庫爾干塔吉克自治県(タシュクルガン・タジク自治県)は、ここカシュガルから300㎞の距離に位置する辺境の街だ。
パミール高原の東南にあり、その標高4000m。
西にはタジキスタン、アフガニスタン、パキスタンが接し、険しい山々が国境を形成している。
まさしく、国境の街だ。
人口の多くが、中国少数民族唯一のイラン系民族・タジク族。
タシュクルガンでは二人の現地人が私を待っていてくれて、私はそこで二泊する。
夜にはタジク族の家にお邪魔してごちそうしてもらいなさい、とロンさんは言っていた。
本来はパキスタンとの国境まで行く予定だったが、それは現状不可能ということで、タシュクルガンでゆっくりすることになった。
中国、特に辺境や情勢が不安定なエリアでは、状況が変化することは十分に考えられることだ。

カシュガルからタシュクルガンまでは、車で向かう。
喀什塔県办事処で車が手配できると聞いていた。
ヤオさんがタクシーを捕まえ、一緒にそこまで行ってくれた。

着いてみれば、なんでもない道路の真ん中。
近くには、晨光伊甸园バス停があった。

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「办事処ってどこ?」 とヤオさんに訊いてみると、
「向こうだよ」 とすぐそこを指差した。
でも、このへんに並んでる車がタシュクルガンに向かってくれるらしい。
運転手はすぐに決まり、乗車した。

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この看板が、白タクなんかではなくちゃんとした車であることを示している。

ヤオさんに手を振り、別れた。
「あさって、戻ってきたら連絡するね」
15時半、出発だ。

運転手はウイグル族、私は助手席に座り、後ろの座席にはウイグル族の夫婦。小さな赤ちゃんを抱いていた。
車が出発して以降、車内はウイグル語オンリーになった。
でも運転手は中国語が話せるようだ。
タシュクルガンまで5~6時間だということだが、運転手も後ろの夫婦も感じがよくて、別に大した会話をしたわけではないが、道中は気楽で楽しかった。
タシュクルガンへ向かう途中には有名なカラクリ湖を通過することがわかっていたので、頼んで立ち寄ってもらうことにもなっていた。

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しばらく車を走らせて、こんなだだっ広くて人っ子ひとりいないような建物に入っていった。
運転手は私からパスポートを預かり中に入っていく。
カシュガル国際バスターミナル、のよう。
中を覗いてみたくて、車を降りて入ってみた。

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たくさんの窓口があるが、中にはたった一人の窓口係員と手続きする運転手さんしかいない。
窓口にはさまざまな行先。
パキスタン、キルギスタン、タジキスタンの街の名。
アフガニスタンと中国との陸路国境は現在封鎖されているため、アフガニスタンの名はない。
パキスタン国境も立ち入れないという話で私は行けなくなったので、このバスも今はないかもしれない。

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運転手さんはここでチケットを買って、うろうろしている私に寄こした。
カシュガルからタシュクルガンまで120元。
もう車に乗って出発しているのに後からチケットを買うなんて仕組みがよくわからない。
こういうのは初めてだ。

そとは真っ青な空。
スライム型のイスラム建築が通り過ぎていく。
そうかと思えば、風景はあっという間に人気のないものになっていく。

17050311.jpg

道路標識は、カーブを描いてその先に塔什庫爾干(タシュクルガン)と紅其拉甫(クンジュラブ)を示している。

今回行くことがかなわない国境・クンジュラブ。

そこには“クンジュラブ口岸”がある。
口岸とは出入国検査場のことで、つまりそこは国境がある場所だ。
ところが、クンジュラブ口岸がタシュクルガンからすぐの位置にあるのに対し、中パ国境はそこから130㎞も離れたところにある。
なぜそんなことになっているのか。
それは、国境があまりにも険しく自然環境も厳しいため、現実的にそこに検査場を設けることが難しいからだ。
中パ国境・クンジュラブ峠は標高4700m、陸路で越える国境としては世界でもっとも標高の高い位置にある国境で、気象条件の厳しさから死の谷ともいわれ、かつて多くの死者を出したのだという。
そのため、中国、パキスタン両国とも出入国検査場は国境からかなり離れた位置にある。
パキスタン側の検査場はススト、やはり国境から125㎞離れた位置にある。

この国境は、現代ではその険しさそのものが価値に変化し、多くの観光客を呼んだ。
中国・クンジュラブからパキスタン・スストへ、またはその逆。
国際バスに乗り込めばまる一日かかる行程だが、それ自体を目的に訪れる観光客は多かっただろう。
ビザの取得が比較的安易でないパキスタンの中で、スストでは以前はアライバルビザを取得することもできたのだそう。
つまり、ビザなしで出入国検査場へ弾丸で行き、その場で発行してもらう。そんなのも、旅の魅力だっただろう。
ところがそれもできなくなった。
情勢を考えれば当然のことだ。

私は今回、クンジュラブ口岸を通過し、標高4700mの国境まで行くつもりだった。
この国境、気象条件の厳しさから冬季は閉鎖されている。
5月1日~10月15日の間のみ、そこを訪れることができる…はずだった。
今回私は5月4日にそこを訪れようとしていた。
開放とともに行けるなんて、私やっぱりタイミングいい!なんて思っていたのに。
現在この国境は人を受け付けていないらしい。
 ※私が訪れた時点での話なので、興味がある方はご自身でご確認ください。

写真では見にくいですがこの道路標識、タシュクルガン、クンジュラブ方面のカーブに赤いマークで「G314」と示されている。
国境を訪れることができない残念さは消えないけど、今回この旅行では、このG314を走ること自体にも意義があった。

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私はドライブの中、携帯の地図アプリを開いた。
昨日ロンさんが私に旅程のファイルを送ってくれたものだ。
ピンクの点々が私に予定されている通過点。
一番上がカシュガル。
そこからG314、つまり中国国道314号線を走り、一番下のタシュクルガンに至る。
まだスタート地点から全然動いていないのがわかった。

このG314は、ウルムチからスタートしカシュガルを通過し、そのままクンジュラブ峠まで続く。
しかし、単なる国道ではない。
G314にはカシュガル以降、もうひとつの名前が加わる。
「カラコルム・ハイウェイ」
魅惑の響きである。
カラコルム・ハイウェイとは、中国・カシュガルとパキスタン・ギルギットを結ぶ道路ーそれがどの程度の舗装道路なのかはさておきーであり、カラコルム山脈を横断し両国を跨ぐ。
全長1224㎞のうち、三分の一が中国、三分の二がパキスタンだ。
この中国有する三分の一が、このカシュガルからクンジュラブ峠までのG314なのだ。

このカラコルム・ハイウェイ、なぜ多くの人々をこんなにも魅了するのか。
それは通過する人々を圧倒させる大自然か。
それとも、人を寄せ付けない厳しさ険しさの中に命奪われることありながらも道を切り開いた人智か。
このカラコルム・ハイウェイ、実はシルクロードにほぼ沿った形になっている。
遥かいにしえより、この道を通して西と東、人々の往来や文化・物資の行き来が行われてきた。
そうした背景は、このただでさえ冒険的なドライブを、いっそうロマン掻き立ててくれる。

しかしそうした一方で、このハイウェイは現代にあっても重要な役割を担っている。
中国、パキスタン、ともに軍事国家である。
このハイウェイは軍事的にも物資の往来からも重要なラインであり、また中パだけでなく中国ー中東、アフリカ方面とを繋ぐ。
このかつてのシルクロードは、古代から時は変わり現代となっても形や役割をかえて生きている重要なルートである。
国境へ行くことができないのは、観光客だけだろうか。
そうであればまだいいが、もしこれがアフガニスタンとの国境のように封鎖、ということにでもなるのならば、それが意味するものはあまりいいものではない。

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時折、乾いたような緑がちらほらするも、一面砂漠の風景だった。
遠くには枯れた山々が低くつらなり、しばらくはこうした一様な風景が続いた。

初めて砂漠を経験したのは、敦煌だった。
そこには砂漠のオアシスがあり、オアシスには緑が溢れていた。
それは砂漠の中のうるおいだ。
そこには、気候がまったく違うことを考えなくても感じさせてくれる植物、木々がたくさんあった。
カラコルム・ハイウェイ前半のドライブの中で、通り過ぎていく緑はそれを思い起こすような、似たようなものだった。
砂漠に生きる植物には、きっとなにか共通するものがあるんだろう。
でも、なぜだか私はそれにうるおいを感じないのだ。
時々、背高く伸びる木々の間を通過することもあった。
それははるか遠くにそびえる山々の雪解けの恵みではないだろうか。
それなのに、そのうるおいをかき消してしまうほどの、強い乾きを感じた。
乾いた緑は、どれも共通して薄かった。
薄いというより、白がかって見える、と言った方がその感覚に近いかもしれない。
白がかった緑は、乾いた薄茶色の大地と一緒になって、白がかった風景を作り出していた。
それはまるで、直射日光によって白化した塗料のようだ、と思った。
もしかして、これら大地も緑ももともとは鮮やかなのに、あまりに厳しい日差しによって白化してしまったものなのではないだろうか。そんなふうにも思った。
ときおり、小鳥が舞った。
雀とか鳩とか、日本でもおなじみの何にも珍しくない鳥。
でもなんとなく、色が薄かった。
この白がかった風景に溶け込む為に、薄く変化したんじゃないか、なんて思った。
それとも日光に色素を奪われてしまったか。
ほんとうはどうかわからない。
単に身体が渇いていた私が見た錯覚だったかも知れない。


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2017-05-31

喀什旅行三日目~その二~

カシュガルを出発して一時間ほどして、小さな村を通過した。
烏帕爾(ウパル)という村だ。
道路の両脇にはナンや果物やまた工具なんかを売るお店が軒を連ねている。
車はここで路上駐車し、うしろの夫婦は私に「ご飯食べない?」と訊いてきた。
私は、「食べない」と答えた。
どうやらここで休憩するよう。
5~6時間のドライブのうち、まだ一時間しか経っていない。
まだまだ先は長い。
私を待っているタシュクルガンとは、どんなところだろう。
期待は膨らんだ。

17050313.jpg

こんな写真しか残っていないのにはわけがある。
この数十メートルほどの小さな商店街のすぐ先には、立派な公安が青と赤のランプを光らせながらでん、としていた。
小さなエリアでどうしてもそれが入りこんでしまう為、あまり全体の雰囲気を撮影することができなかった。

数度新疆旅行をしてきてやや書き飽きてきた感があり、もはや触れるのを忘れていたが、カシュガル空港に降り立ってから、公安、公安、公安…この繰り返しだ。
バスに乗り降りるまで、いったいいくつの公安が通り過ぎていったか。
内地の公安のように小さなな街角の派出所、なんてものではない。
かなり立派な公安の建物が、またかまたかというほど続いているのだ。
公安だけでなく装甲車も通過する。
そもそも新疆ウイグル自治区とは、そういうエリアである。
しかし、カシュガルはやっぱり私が今まで旅行してきた場所の比ではなかった。
そんなふうに、到着してそれを実感したところであった。

カシュガル市内を出て周囲の風景が文明的でなくなっても、今度は検問が続く。
検問は大規模なものから簡易なものから頻繁にあるので、もうすでにどこでいくつ経験したのか記憶にはっきりしないほど。
大規模なものは、運転手以外は車を降り施設内で検査を受ける。
簡易なものは、車に乗ったままフロントとトランクをチェックされたり、そのままパスポート、身分証を見せたり、運転手が口頭の質疑に答えたりするだけで怪しくなければ通過できる。
それらの武装警官はその通り武装しているので、慣れたつもりでもひやりとするものだ。

この烏帕爾の前だったか後だったかは忘れたが、比較的規模の大きい検問で初めて身体検査?を経験した。
身体検査というか、あの無人証明写真の機械みたいに、中に入って緑のランプがつけばOKというやつだ。
今までにもそれは見たことがあるが、入れと言われるのは少数民族ばかりで私はそれを経験したことがなかったが、とうとうここで「入れ」と言われた。
緑がつき安心したが、ほんとうに何が起こるのかわからないのが中国なので、怖い。
中国人は身分証で通過するが、私はパスポートのため横の窓口で審査を受ける。
やましいところはないのに、「北京から来たのか?」 なんて訊かれれば、
「一昨日日本から北京に入り、昨日ウルムチ入りしてからそのあと飛行機で今日カシュガルに来た」
なんて、訊かれてもいないことを並べ、「あ、旅行です」なんて付け加える。
饒舌はかえって怪しいぞ、自分で自分に警告し、焦って表情が強ばる。
現地の同行者がいればこうも動揺しないのだが、今は一人行動なのでいくぶん緊張している。

とにかく、中国でもっとも治安維持に力をいれているのが新疆ウイグル自治区であり、その中でももっとも厳しいのが新疆西南部である。
しかし、守られているというより危険な感覚すらするのだから、敵なのか味方なのかわからない。

こんな小さな村にすら、そのウイグルの情緒を完璧に壊してしまうあの立派な公安。
その対比はすさまじい。
おそらく最近できたものだろう。

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すぐそばには、ロバ車が通る。
荷台には布団みたいなものが乗っかり、赤ちゃんがそこに寄りかかっている。
母親かもしれないその女性は、ウイグルの伝統織物アトラスを身に纏い、スマホを使って電話をしていた。
並べられた焼きたてのナンの向こうには、ピカピカの公安がでん。110のマークをみて、「世界共通だ~」なんて思う。
なんて光景だ。
しかし、なかなかこれはこれで現代の新疆の姿を象徴していはいないだろうか。

あまり離れると置いていかれる可能性があったので狭いエリアでうろうろし、すぐに見るものやることはなくなった。
初めは買うつもりはなかったが、並ぶ色とりどりの果物にウイグルのおじさんたちが声をかけてくるので、心が動いた。
ここに来る前、新疆の友達が言っていた。
「そのシーズン果物はあんまりないよ」
ウルムチに着いて友達が言っていた。
「今は果物ないよ、売られてる西瓜は青海のだよ」
けれど、せっかく来たのだから買って食べてみようか。
私は中国を旅行するとき春~秋にかけては、水分補給はペットボトルの水よりも果物で補給することが少なくない。
ミネラルウォーターよりもうまい具合に調整ができるからだ。

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そういうわけで、買ったのはこれだけ。
「これ、なんて名前?」
一つひとつ訊いてみるが、よくわからない。
知らない名称である可能性も高いので、「ちょっとここに書いて」 とお願いして見た。

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そうしたら、ウイグル語。読めない~。
「中国語で書いて」 そう言うと、
「中国語は書けない」 という。
他のおじさんもみな同じ。
そこで運転手さんにお願いしてみたら、運転手さんも話せるだけで書けないという。
やっぱり、会話するのと書くのは違うんだ。
漢字は難しいもんな、と納得した。

あとから友達になったウイグル族の女の子に訊いたら、
上から、桃子、瓜、芒果、と書いてあると教えてくれたが、ざっくりすぎる。
そのまた後から、ウルムチの友達が教えてくれた。
油桃、老漢瓜、芒果、果物の名称としてはこれが正解。
でもウイグル文字がそこまで限定して書いていたかはわからない。

桃の他、色濃い赤のはスモモだった。
桃とスモモとマンゴーは、皮ごとかぶりついてすぐ食べた。
マンゴーはカシュガルでも至る所で売られていたが、台湾とか中国南部とかの生産である可能性もある。
なんとなく砂漠の果物って感じはしない。
でも、とても甘くておいしかった。
これらすべてで28元。
老漢瓜は、さすがに素手では食べれないため持って帰った。
中身はメロンそのものだった。
大満足だ。

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いよいよ再出発。
風景は、今までの砂漠砂漠としたものから、険しい岩山に変わった。
気温もだいぶ下がった。いったい何度だろう。
猛暑の日本から、
冬のウルムチへ、
真夏のカシュガルへ、
そこからのこの寒さ。
カシュガルに着いて、何度か眩暈を起こした。
あの時には暑さにやられたのだと思ったが、もしかしたらこの気温差に身体がついていっていなかったのかもしれない。

17050318.jpg

進行方向の先に遠く、鋭くとがった山々が見えた。
雪をかぶっている。
「今どの辺だろう…」
烏帕爾を出てから、地図がダウンロードできなくなってしまった。
ネットワークが非常に悪い。
この先には、最初の観光目的、卡拉庫里湖(カラクリ湖)が待っている。
もう近いのかな。

カラクリ湖は海抜3600mの高さにある湖。
もう近いならば、けっこう標高を上がってきたことになる。寒いのも納得だ。
湖の南側には、標高7546mで氷山の父と呼ばれる、慕士塔格峰(ムスタグ・アタ山)。
東側には、標高7649mでムスタグの子女と呼ばれる、公格爾山(コングール山)。
それらを見ることができるのだという。
コングール山は崑崙山脈の最高峰だ。
そんな高峰を見る機会も初めてなので、とても楽しみにしていた。

日本の最高峰が3776mの富士山なのに対し、中国には7000m、8000m級の高峰が数多くある。
世界最高峰8848mのエベレスト(チョモランマ)は、中国・チベットとネパールの国境に聳える。
世界第二位高峰8611mのK2は、これから向かうタシュクルガンのすぐ先カラコルム山脈にある。
これだけでも、中国の大地がどれだけの規模を持っているかを示している。
ひょっとしてクンジュラブを訪れた時にこのK2を望めるのではないかと興奮したが、それは叶わなくなった。

このK2、世界でもっとも登ることが難しい山として有名だ。
今まで数多くの登山死者を出している。
この奥地の奥地、その地理的要因から、長くその存在を知られてこなかったのだという。
K2という名称はカラコルム山脈につけられた測量番号がそのまま残ったものであり、つまりはもともと名称を持たないほど知られていなかった。
それはそのまま、この地がいかに外界から離れたものであるかを示している。
しかしそれに反比例して、その難関さ困難さは登山者を惹きつけた。

シルクロードに憧れて。
中央アジアの文化に魅せられて。
大自然を体感するために。
引き寄せられるのは旅人だけではなかった。
ここには、山に魅せられた人たちもはるばるやって来る。
そう考えたら、なんてすごい場所なんだ、ここは。

あの尖った高峰がなんの山なのかはわからないが、その山が見えている間中、そんなことを考えていた。

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一方で、左右に展開する山肌はそれはそれで険しさをもっていた。
むき出しの地層と尖った山肌は、クチャ旅行のときの天山ドライブを思い出させた。
あのときもこんな感じだったな~。

17050320.jpg

舗装道路は続けど、人の気配は一切ない。
もちろん人家もない。
ここで立ち往生するということは、死を意味するような気がした。
シルクロードの時代、行き来した人たちがいたことが未だに信じられない。
ただ今と昔が違うのは、この舗装道路と、ここを通過する車があることだ。
それから通信手段も。
もし私がここで置いてけぼりになっても、バッテリーとネットワークが生きる限り助けを求めることができるし、また通りがかる車に停まってもらうこともできるだろう。

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途中で簡易な検問を通過した。
その警官の瞳は薄く、肌はとても白かった。
塔吉克族(タジク族)だ。
私にとって、中国を訪れて目の前にいるのが何族なのかをあてることはなかなか簡単ではない。
しかも、私はおそらく今までタジク族に出会ったことがない。
それなのになぜわかったのかというと、タジク族は中国少数民族のなかで唯一のイラン系民族だからだ。
顔でひと目でそれとわかる。
その遠いまなざしを見て、中国はなんて多彩な国なんだろうと思った。

顔でひと目でそれとわかるが、もうひとつ。
タシュクルガン・タジク自治県ーの名が示すように、タシュクルガンはタジク族の地だ。
中国に暮らすタジク族のほとんどがこのカシュガル地区タシュクルガン・タジク自治県に暮らしている。
そういうわけで、私は彼をタジク族だと確信できたのだ。
新疆の他の地にもタジク族は暮らすそうだが、タジク語を話すのはタシュクルガンに暮らすタジク族のみで、他の地に暮らすタジク族はウイグル語を話す。
だからやっぱり、タジク族に会いたければタシュクルガンに行くしかない。
中国領土にいながらも、遥か遠方の国々の文化を感じることができる。
これが中国の魅力のひとつであり、またそういう点では新疆ウイグル自治区は別格だ。

検問を抜ける間にほんの一瞬みたタジク族の薄い瞳に、シルクロードの永遠のような遠さを感じたような気がした。

17050322.jpg

雪をかぶった鋭い稜線を描く山。
カシュガル市内を抜けてえんえん乾いた砂漠だったのが嘘のように、風景はこの2、3時間でがらりと姿を変えた。
地図はいっさいダウンロードできなくなっていたので現在地ははっきりしないが、険しい山岳にまちがいなく目的地に近づいていることを知る。しかしまだカラクリ湖にも到達していないということは、半分にも達していないということだ。

現在北京時間で18時過ぎ。
カシュガルを出発して3時間が経過したころ、ひとつの検問に車は停車した。
険しい山々に囲まれ、突如としてその建物は姿をみせる。
実は事前にこの検問所を通過することは知っていた。
ロンさんがくれた地図ファイルの通過点の中に、蓋孜検査站、というのがあったからだ。
カラクリ湖の少し手前だった。
あと少しだ、と胸が躍った。

いつものように、運転手さん以外の乗客、つまり私と後ろの夫婦は車を降りて検査所を通過した。
空気は冷たく、澄んでいた。
私は外国人の為、窓口側へ。
ガラス張りの向こうで警官はパスポートを受け取り、長いことページをめくってはまた戻しまためくった。
時間がかかるのには慣れている。
ウイグルの夫婦はとっくに外に抜けて、私を待っている。
「日本人?」
「そうです」
「ビザは?」
「二週間以内の旅行だから必要ない」
その他、ごく一般的な質疑応答。
警官はだまってパスポートを返してきた。
検査所を外に一歩出て、やっと通り抜けた、そう安堵した瞬間。
建物の奥から親父が出てきた。
「外国人か?」
そうだ、と対応した警官が答えた。
「旅行書はどこだ?」 親父は今度は私に訊いた。
私は状況が理解できず、旅行書(旅行証明書)を、旅行箱(旅行かばん)と聞き間違えた。
「旅行箱は車のなか」
「車はどこだ」
「向こうだよ」 検問を抜けて向こうで待つ彼らの方を指差した。
「あの車は自分で手配したのか?」
「そう、カシュガルで手配した」
そうして、親父は宣告した。
「だめだ、通せない」
え!?
耳を疑った。
他数名の警官がいたが、「通せない」という態度をとったのはその親父のみだった。
どうやらこの親父、えらい立場のよう。

「なんで?」
頭がまっしろになりながらできたのは、こう質問を返すことのみだった。
クンジュラブ口岸に行けないのはわかる。
事前に確認してわかったことだ。
しかし、タシュクルガンに行けないなんて話は聞いていないよ!?
今更いわれても。
行程の半分、3時間ドライブした後で言われても。
しかも車で3時間、人の生活の気配がしないこの大自然、山岳ど真ん中で、そう言われても!

「現在、外国人は単独でタシュクルガンに立ち入ることはできない」
今年からだよ、と付け加えた。
明瞭な回答であった。
「タシュクルガンに入るには、旅行社の車に乗り、旅行社が発行する旅行証明書を持たなければならない」
明瞭な回答であった。

去年8月のクチャ旅行を思い出した。
ウイグルのガイドと車を手配したら、めちゃくちゃ高かったうえに仕事がぜんぜんダメで、悲しい思いで帰路についたんだった。
あの時には紹介してくれたロンさんに、さんざん不満を垂れた。
ロンさんはけっして私に同情しなかったが、あの時の私の愚痴を覚えていてくれたんだと思う。
その後の旅行の度に、私が余分なお金をかけないように気を使ってくれている雰囲気があった。
今回も、おそらくクチャのことを配慮して旅行会社やガイドを介さないで、段取りを組んでくれたのだと思う。
あのクチャのガイド、ガイド許可証を胸に掛け、私の旅程等を記しガイド、運転手、私の情報を載せた旅行証明書を持っていた。
あれはやっぱり、必要なものだったんだ。

「現在、外国人は単独では立ち入ることができない」
親父は、はっきりした口調で繰り返した。
「タシュクルガンでは人が待ってる、すごく困る、私は行かなければならないよ」
困った態度を全面に出し、お願いした。
それが、絶対に無意味なことはわかってはいたけれど。
「だめだ」
「じゃあ、私はどうすればいいの!?」
「カシュガルに帰るしかない」
「どうやって帰るの!?」
「どのみち、あなたはタシュクルガンには行けないのだ」
ウイグルの運転手と夫婦は、タシュクルガンに行かなければならない。
私のみ、ここに残されてしまう。
あたり一面えんえん険しい山々しかないこの場所に。
人家どころか生き物の気配さえないこの場所に。
こんなところで独りぼっちになって、どうすればいいんだ?
携帯のネットワークは非常に悪く、地図のダウンロードも微信も使えなくなっていた。
使えるのは中国用の携帯電話のみ。
電話で助けを求めるしかないのか。

こうしたやりとりをずっと繰り返した。
運転手たちは少し離れた場所で、心配そうにこちらを見ている。
待たせて悪いけど…。
諦めない私に、親父たちはとうとうどこかに電話をかけた。
「カシュガルに日本語が話せるガイドがいる。その人と電話で話なさい」 そう言って携帯を寄こした。
「もしもし、カシュガルで旅行社をやっているものです」
思いのほか、しっかりした日本語だった。
こんな僻地で日本語を使うことになろうとは。
「明日で良ければ、私のところで車を手配できますよ、多分400元くらいでいけると思います」
「それはぜひ、お願いしたいです、タシュクルガンに行かなければならないんです」
それよりも先に、問題があった。
「でも、どうやってカシュガルに戻ればいいかわかりません、車はこのままタシュクルガンに向かいますから」
「たぶん、タシュクルガンからカシュガルに向かう車があると思うんです、探してみますよ」
親父の携帯を一度切って、その着信履歴を見てふたたび私の中国携帯でそこに電話をかけた。
私の携帯にその人の番号を残し、彼の携帯にも私の番号を残す為だ。
「大丈夫です、必ずやりますから、信じてください」
そのガイドは断言した。
名前を訊いたら、アクバルさんというそう。
しかし、ここで旅行会社の名前を確認しなかったのは、抜けているにもほどがあった。

ウイグルの運転手たちには、これ以上迷惑をかけることはできなかった。
「私は問題ない、先に行って」
それでも躊躇うような表情をみせ、なかなか向こうに行かなかった運転手と夫婦だったが、
「大丈夫、大丈夫」 と言って、先に行ってもらった。
躊躇うのもわかる。
こんな辺境の山岳地帯に外国人の女性をひとり残すことになるのだから。

検問所でひとり、正しくは検問の親父たちと私ひとり、になった。
目の前には高くそびえる尖った岩山があった。雪をまとっていた。
なんてすがすがしい山の姿だ。
目の前に聳えているので迫力ある写真が撮れそうだったが、検問所でカメラはタブー。
検問所とは反対方向だし、とは思ったが、カメラに触る行為自体も怖かったのでやめた。
やることもなく、ぼーっと立ち尽くす。
隣りの親父たちは建物の中に入っていかない。
私を心配してくれているのか、私を監視しているのか、いや、通過する車がないから検問の仕事がないのだろう。

しばらくぼーっとしていると、タシュクルガン方面から来た一台の車がこの検問所を通過した。
中には漢族の男性一人と、女性が二人。旅行者のよう。
なんとタイミングのいいことに、彼らはこれからカシュガルに向かうという。
そういうわけで、彼らの車に乗せていってもらうことにした。
私はついている。
しかし、3時間かけてきた道をまた3時間かけて戻るのか…。かなしい。

車に乗り、大事なことを思い出した。
まず、タシュクルガンで待っている二人のうち、ワンさんに電話をした。
「今日タシュクルガンに行けなくなったが、明日手配をしてまた行くのでそのとき連絡します」
今夜はタジク族の家におじゃまして、タジクの料理をごちそうしてもらう予定だった。
それから、ウルムチのロンさん、カシュガルのヤオさんにも連絡した。
「たまたま通りがかった漢族の旅行客が乗っけてってくれるよ」
それから、先ほどのアクバルさんにもカシュガルに戻る車は問題ないことを伝えた。
そして、明日の手配についてはカシュガルについてから携帯に連絡を入れることを約束した。

やるべきことを終え携帯を置くと、彼女たちが話しかけてきた。
運転手の男性は、新疆で旅行関係の仕事をやっているのだそう。
色んな場所の話をしたあとで、「楼蘭には興味ないか?」と言ってきた。
「楼蘭って行けるものなの?」
「行けるよ、俺に言えば連れていってあげるよ」
助手席の女性は西安人、私の隣の女性は南京人なのだそう。
三人とも人柄がとてもよくて、常に私を気にして会話をしてくれた。

男性が窓の外を指して言った。
「ほら見て、あれは南疆の火焔山だよ。トルファンの火焔山があるだろう?」

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陽の光に照らされた目が覚めるようなオレンジ色は、先ほどまでの凍るような冬山とは対照的だった。
紅山、と呼ばれているのだそう。
みんなで写真を撮る。

「タシュクルガンで二泊するつもりが、彼らは許可しなくて行けなくなったんだ」
本当は国境にも行ってみたかったけど、行けないんでしょ?
うんうん、と彼らはうなずいた。
「タシュクルガンは天気どうだった?」
そう訊いてみると、「風がすごかったよ、でも私たちはタシュクルガンに行ってきたわけではないから」と言う。
あの道を来たから、そうなのだと思っていた。
「私たちは今日カシュガルに行き、明日にはホータンに行くよ」
「ホータンは危険じゃないの?」
「大丈夫、大丈夫」
「そうだね、公安公安公安…あんなにも公安と検問がたくさんあったら、かえって…」
「安全!」
四人の声がきれいにそろった。

「一日、無駄にしてしまったね」
そう気遣うように言う彼女たち。
「でも、それでこその旅行だから」 
トラブルあってこその旅路。
そういうと、「あなた、すごいね」
でも、あなたたちが私を拾ってくれて親切にしてくれたから、こんなふうに思えるんだよ。

カシュガル市内に到着したのは21時を過ぎていた。
車は彼らが宿泊するホテルに入っていった。
車を降りて、「じゃあ、私はもう行くよ」というと、彼女たちは引き留めた。
ご飯を一緒に食べるとか、それか私の目的地に連れて行ってくれるとか、そこまで考えていてくれたかもしれない。
でも、私は時間が遅いことに焦っていたし、ヤオさんのところに行かなければならなかった。
彼らにガソリン代を渡そうとしたが、受け取らなかった。
そこで持っていたロンさんのお土産ー干アンズとかカザフのチョコレートーをお礼に渡そうとしたが、受け取らなかった。
親切に感謝し、四人で写真を撮り別れた。

一人になり、さてここはどこだろう、と困った。
私はカシュガルの地理をまだまったく把握していないし、地図も持っていなかった。
さらに言えば、どこに行ったらいいかも明確ではなかった。
ヤオさんのお店しかないが、通りの名も住所も付近に何があるのかもわからない。
かといって、ヤオさんに電話して現在地を説明することも難しそうだった。
そこで、最初に降りたバス停をターゲットにすることに。
ところが停めるタクシーはみな、わからないと言う。
「2路の一番最初のバス亭、農業銀行分行」
そういっても、ダメ。運転手はすべてウイグル族だった。言葉の問題もあったかもしれない。
そこで道々ひとに尋ねながら。
上記のようにたずねるも、「この辺は2路のバスはないよ」とのこと。
「でもその農業銀行なら歩いていける」
「一番大きな農業銀行分行ね」
教えられたとおりに行くと確かに農業銀行はあったが、私が言うものとは全く別の支店だった。
バス停の名前って案外、通用しない?

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がらがら荷物を転がし歩いて行けば、そこらにこのような土壁。
これらはきっと、いにしえの城址だ。
そんなのが街の風景に、当たり前のように混じっている。

そんなふうに楽しんで歩くも、時間はどんどん過ぎていきとうとう日が陰ってきた。
もうすぐ22時になろうとしている。
焦ってとうとう、ヤオさんに電話した。
「今、****の前にいるけど、どうやって行ったらいいかわからない」
目の前にある建物の名前を言ったら、ヤオさんはわかると言った。
「歩いてくるのは無理だから、タクシーに乗りな」
ヤオさんはあるホテル名を指定したが、私には発音だけではどのホテルかわからなかった。
これを、私が間違った発音でタクシーに伝えても辿り着けない。
そこで、捕まえたタクシーに電話で指示してもらい、無事ホテルへ。
本来は明後日の夜に宿泊するはずだったホテル。
急遽、今夜と明後日の二泊、というかたちに変更してくれていた。

ホテルは、人民広場、人民公園すぐ横の天縁酒店。
ウルムチ空港の真ん前にも同じホテルがあるのを思い出した。

部屋は11階で、窓からの景色はとても良かった。

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こちらは人民広場方面。
道路挟んで向かいには市政府があり、巨大な毛沢東像がライトアップされている。

部屋に落ち着きロンさんに連絡をとり、カシュガルのガイドの話を伝えた。
アクバルさんと明日の詳細を話したいのだが電話に出ないため、ショートメールを中国語で送った。
明日は極力早く出発したいけれど、必要な手続きがあるなら教えてください。
「彼の名前と電話番号を教えなさい、私も連絡するから」
ロンさんにそれらを伝え、もう安心だと夜のカシュガルに繰り出すことにした。

ホテルのロビーまで来てくれたのは、今日カシュガルについてごちそうになった蘭州拉麺のお店のウイグルの女の子だった。
ヤオさんが遣わしてくれたよう。
彼女の名前は、グリパイルというそう。

彼女の導くままに進んでいくと、ウイグルの賑わいがあってほっとした。
ホテルの周辺は現代都市といった感じで、その風景自体は好きだったが、新疆旅行としては味気なかった。
クチャ旅行の時にはあたりになんにもない高級ホテルで少しつまらない思いをしたので、ロンさんに、
「今回は賑やかな場所がいい」 とリクエストしていた。
「ダメだ、賑やかな場所は危ない」
そんなふうに言いつつも、このホテルは私にとってベストな結果となった。
まず、ヤオさんのお店に近く、つまり空港へ向かうバスに近い。
人民広場・人民公園の横にあり、場所としてわかりやすい。
斜め向かいには市政府があり、警備が厳しい、よって安全。
それでいてウイグル族の賑わいや観光地、老街にも近い。
何よりも、残りの日程で私は、カシュガルが現状どういう街かをこのホテルで体感することになるのである。

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イスラム建築に施された電飾は昨年の銀川を思い出させた。
カラフルな色彩とイスラム建築は、まるでお伽の国のような非現実的な空間を演出していた。

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そんな煌びやかな大通りを一歩曲がったところには、たくさんのイスラム料理店が建ち並び、屋台が軒を連ねる小吃街があった。
あちこちで羊が焼かれ、もくもくとした煙が、漂うというよりあたり一面に充満している。

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「食べたい?」
グリパイルはもう食事が済んでいるということで、私ひとりが食事した。

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ウイグル語は読めないが、中国語の並記やルビがある。
烤羊肉串、过油肉拌面、抓饭、大盘鸡、烩面…新疆料理の有名どころはけっこうもう経験してきたので新しい発見をしたかったが、頼んだのは烤羊肉串と过油肉拌面。

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外のテーブルをお願いした。
雰囲気が断然違う。
グリパイルに普段眠る時間を訊くと、けっこう早寝なようだった。
本来であればもうすぐ眠る時間。
私のカシュガル到着が夜になり、夜更かしに付き合わせてしまった。

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こちらは頼んだ过油肉拌面。
私はこの呼び名に慣れているが、カシュガルでは过油肉拉面の名称が一般的なようで、「拉麺」といえばこれのようだった。
私はこの料理がとても好きなのだ。
羊肉がごろごろ入っており、食べきれなくて残そうとすると、
「野菜はいいからお肉食べな」 と勧めてくれた。
しかし実を言うと、私はこの料理においては肉よりも野菜がおいしいと思っている。
砂漠の過酷な環境は、野菜をおいしく育てる。
トマトソースのからまったピーマンなんかが、とても美味しいのだ。

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食事を済ませたあとは屋台を一巡りし、ここの名産であるザクロの生ジュースを飲んだ。
100%ザクロは、酸味と渋みでいっぱい。
もちろん常温だ。
中国では道端でもお店でも、果物生搾りジュースを見かけることは多い。
ミキサーを使うわけではない、本当に果物をぐしゃりとした搾り汁でしかも常温なので、日本人には慣れないかも知れない。
けれどこれこそ果物そのものだなと感じる素の味わいだ。
新疆を訪れるたびに私はこのザクロジュースを飲む。
身体に染み渡って、元気が湧いてくるような気がしてくるのだ。
美容と健康にいいこと間違いなし。
その真っ赤な色合いも、まるで宝石のよう。
それでいてなみなみグラスに注がれて一杯5元とかなのだから。

賑やかな屋台街も、そう広いわけではない。
少し奥に行けば、その先には閑散とした空き屋台が向こうまで続き、真っ暗でなんだか物悲しい。
その空き屋台を見て、以前はもしかしたらもっと大規模だったのかも知れないと思った。
もしかしたら、公安の取り締まりに寄って規模が縮小したのかも知れない。
実際のところはわからないけれど。

その空き屋台周辺のお店は客もあまり立ち寄らず、場所が悪いみたいだった。
そんなところに、一台のバイク。

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それには荷台が色々取り付けてあって、その金属製のケースの中には、なにやら鉱物結晶の群生のようなものが入っている。
その結晶は琥珀色をしていて、きらきらと輝いている。
私は石が好きなので、近寄って見てみた。
いったいなんの結晶だろう。
その結晶をビニール袋にいっぱい買っていくお客さん。
それは鉱物ではなく、糖の結晶だった。

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後ろには、その糖を使って作られた飴が懐かしいオレンジ色のセロファンに一つひとつ包まれて売られている。
このセロファン、懐かしい!
今ではこんなのも見かけることはなくなってしまった。
飴はぶかっこうだった。不揃いできれいな形をしていなかった。
それが、なんともいえない魅力に感じられた。
それにやっぱり、飴をそのままこの金属ケースで売ればいいものを、それらがセロファンで包まれているというのが、私の胸を掴んだ。
たくさんは食べきれないから、「少しでもいい?」と訊いてみると、
「いいよいいよ」 とビーニール袋を差し出した。
これに好きな量だけ入れればいい。
私は両手で軽くすくった分だけを袋にいれた。
価格は忘れたが、安かったのは間違いない。
お金を払った後でおじさんは、私がすくったのよりも多い分を両手ですくい、ビニール袋に入れてくれた。
サービスしすぎだ。
あまりきれいな見た目ではない、このセロファンの飴。
味は日本のべっ甲飴で、とても美味しかった。
この甘さは、日本人のノスタルジーを掻き立てる甘さだ。

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屋台の中でもっともたくさんあったのは、果物の屋台だった。
現在は果物のシーズンではないようで、売られているのはどれも同じようなもの。
西瓜、マンゴー、メロン…。
それらはおそらく、新疆のものではない。
新疆は果物の王国だ。
こんなラインナップでは物足りない。
やっぱり夏、秋に行かなくては。
けれど、そんなことを考えるのは私が旅行者だから。
現地の人にはそれがどこ産だろうと構わない。
並べられた西瓜の切り売りは飛ぶように売れて、ウイグルのおじさんたちの喉をうるおす。
ここでは、果物はけっしてぜいたくなデザートではなく、ちょっとした水分補給みたいなものだ。

ホテルへ戻り、グリパイリと別れた。
「明日はね、もう一度タシュクルガンに行ってみる。帰ってきたらまた会おう」 そう言って。

ホテルの警備は厳重だった。
新疆ではホテルやバザールやショッピングモールや、そんなものみんなにセキュリティーチェックが設けられ、時には有人のチェックがある。
でもホテルのなんて形だけみたいなものも多く、これほんとに作動してる?なんて思ったものだ。

ところが、カシュガルはやはり違った。
このホテルも、空港のセキュリティーチェックとほぼ同じレベル。
ポシェットなど含めすべての荷物はX線検査機に通し、自分は金属探知機を通る。
その後で、検査員による身体検査を受け、OK。
ここの検査員も常時2~3人が待機していた。
そういえば、カシュガルに着いてヤオさんのお店の近くの小さな病院でトイレを借りたときも同じ感じだった。
早くトイレに行きたいから、これが煩わしかった記憶がある。
パスポートチェックまであったのだから。
しかしホテルの出入りがこうだと、非常にめんどうだった。
大きな入り口は封鎖され、その横のドアを抜けてセキュリティーチェックを受けてフロントに入るが、入ったあとで売店でビールを買うのを忘れたことに気づいた。
売店はホテル内部からのドアは封鎖されていて、わざわざ外に出て買いに行かなければならなかった。
そんなささいなことの度に、いちいちこのセキュリティーチェックを受けないとホテルに入れない。
売店は売店で、勘定台には分厚い鉄格子がついていて、かなりびっくりした。
物を買うのもお金のやりとりもたいへんだった。
太い鉄格子の隙間に手を通し、やり取りする。
買ったらまたセキュリティーチェックを受けてホテルに入り、部屋へ。

部屋に着くと、それがまるでわかったみたいなタイミングでロンさんから電話がかかってきた。
出ると、
「あのガイド、あれから何度電話しても出ない」 と言う。
タシュクルガンへ向かう検問にて、電話で「明日タシュクルガンへ向かう用意をしてくれる」と言ってくれたアクバルさんだ。
私の数度の着信にもショートメールにも、いまだ返事がないままだった。
ロンさんは続けた。
「私がカシュガルの旅行会社を取り仕切ってる女性に頼んで調べさせたところ、明日カシュガルからタシュクルガンに動かせる旅行会社の車はない。カシュガルにあるすべての旅行会社が、だ」
つまり、マーヨーズ、君は明日タシュクルガンに行くことはできない。
明後日なら車はある。しかし、その翌日早朝に出発しカシュガルに戻り、すぐに飛行機でウルムチに戻ることになるから、時間はとても厳しいだろう。
おそらくあのガイドは車が出せないからこうなったんだろう。
少数民族はある部分ではこういうところがあるんだ。

私は、「信じてください、必ずやりますから」
そう電話で言った、あのアクバルさんの言葉を思い出した。
アクバルさんがそうであるとは思いたくなかったが、結局二日たっても三日たっても、彼からいっさいの応答はなかったのである。

「マーヨーズ、二つ提案しよう」
明日はタシュクルガンに行けない。
だから一日あのウイグルの女の子とカシュガルを遊べばいい。
ひとつは明後日、タシュクルガンに向かい明々後日帰ってきてすぐ飛行機に乗る。しかし時間は厳しいだろう。
もうひとつは明後日、阿图什(アトシュ)に行ってみるのもいい。
アトシュはカシュガルから近い。泊まって明々後日カシュガルに帰ってくればいい。

急な提案で混乱した。
アトシュは知っている地名だったが、この時電話で言われてそれだと思わなかった。
「待って、“アトシュ”って何?」
地名だと気づいたあとにも、旅行に来て何日何曜日であと何日あっていつ帰国するのかよくわからなくなっていた私は、この電話で結論を出すことができなくなっていた。
「待って、今日は何日だっけ、私いつウルムチに帰るんだっけ?あと何日あるんだっけ?」
そもそも、アトシュってどんなおもしろいものがある?
以前にクチャで買った新疆ガイドブックには色々載っていた気がするけれど…。
「アトシュでおいしいものをごちそうしてもらいなさい、あそこには友達がいるから」
うーん、食べ物じゃなくて遺跡や風俗なんかが見たいんだ…。
でも明後日タシュクルガンに行ってその次の日カシュガルに帰ってくるって、飛行機に間に合わなくなる可能性あるよな。
タシュクルガンにはとても未練があるけど、ほとんど時間がないならもったいないかも。
そればらば、機会を改めて挑戦した方がいい。
「待って、考えたいから10分後に返事させて」
「いいよ、ゆっくり考えなさい」
そういって電話を切って、結論が出たのは結局10分後ではなく40分後だった。

こうして私は、計画を改めた。
明日一日カシュガルを観光し、
明後日、アトシュに行く。
そしてアトシュで一泊し、明々後日にカシュガルに戻り空路ウルムチに帰る。

ロンさんに結論を伝え、私はさっそくフロントに行き、
「明日チェックアウトし明後日ふたたび泊まる予定だったが、明日も泊まり明後日チェックアウトして、それで明後日の宿泊をキャンセルしたい」 と伝えた。
ややこしい。
ややこしいが、これはその序章に過ぎなかった。

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部屋に戻り、窓際でビールを飲んだ。
開けた窓から入り込む冷気が心地いい。
感覚としていうならば、日本との時差は5時間くらい。
日本時間では深夜4時、北京時間では深夜3時、新疆時間では深夜1時、それくらいまでビールを飲んでいたが、いつまでも街は眠らないようだった。
どこかで笛の音がメロディーを奏でている。

今はいったい何時なのだ?
地球の自転とともに時間自体はどこも平等に流れていくけれど、北京時間とか、新疆時間とか、それぞれに数字を当てはめ、同じ時を共有しているつもりになる。
けれどそれはそれ自体、もしかしたらまぼろしではないだろうか。
人によって違う時間軸を使うこの場所で、そんなことを思いながら、気づけばいつの間にか笛の音は止み、街の灯りもいくぶん減っていた。


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プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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