2017-09-02

満洲里旅行一日目

2017年8月11日、朝5時に起きて、世界陸上サニブラウンの200m決勝を見たあと、急いでホテルをチェックアウトした。
昨日は昔ながらの昭和居酒屋でそこそこ飲んで、それでも二日酔いも寝不足感もなく、こんな快調な旅のスタートはいったいいつ振りだろう。もしかしたら初めてかもしれない。
空港近くで前泊するときにはどんな時でも居酒屋を探すが、最近お気に入りができた。
釣り好きの親父さんが釣った魚がおいしい炉端焼きのお店だ。
「今日は140匹釣ったけど前はもっと釣ったんだ」
私が食べるアジを指さして自慢げにそう話した。
今日は一日飛行機での移動。
空港に着いたらさっそく一杯やろう。


一か月ぶりの中国へふたたび。
行先は、初めての内モンゴル自治区。
中国の北部、モンゴルの南側に横たわる巨大な内モンゴル自治区。
その東北の先っぽに位置する、満洲里が今回の旅の基点だ。

本当のことを言うと、中国の様々な場所を旅したい私にとっても、内モンゴルは実はそんなに強い興味をひかれる場所ではなかった。
中原からシルクロードにかけてのラインに興味が集中していたということもあるし、モンゴル遊牧民族の歴史に疎いということもあるし、それに地名なんかも少し慣れなくて、ようは食わず嫌いだったわけだ。嫌いではないけど。
少なくともこの先2~3年は訪れることはないだろうと思ってたが、意外にも早くその時はやってきた。

ではなぜ今回の旅先にその内モンゴルを選んだのか。
それは、ひとりの友達の存在だった。
新疆ウイグルの旅行を通して出会った彼女は、ふるさとが内モンゴル・満洲里だと言った。
彼女は、中国の東北の端にある満洲里に生まれ、幼いころ中国南端の島・海南に移りそこで育ち、そして中国ど真ん中の河南の旦那さんと出会い、そして今は中国西の果ての新疆ウイグルに暮らしている。
私は彼女のふるさとに行ってみたくなった。

「毎年8月には帰郷するから一緒に行こうよ」
そんなふうに話していたのは半分冗談だったかもしれない。
けれど私はこの夏季休暇を、満洲里に行くために空けていた。
5月にウルムチで彼女と再会したとき、今年は事情があって帰郷できなくなった、と彼女は話した。
であれば、私がそこに行く理由はないようにも感じられた。
「フェイフェイと行ってこその満洲里だから、行かないかもしれない」
彼女は、一人でも行くなら代わりに実家がもてなすよと言ってくれたけれど、この夏休みどこに行くかぽっかりしたまま、7月を迎えた。
「本当は故郷の村は満洲里からちょっと離れた場所にあるんだ、特に観光するところもないし」
だから、機会を改めてやっぱり一緒に行けるときに行こう、そうも話してくれた。
けれど、最終的に私は一人で行くことを決めたのだった。
彼女のふるさとの村には、彼女と一緒に。
だから今回はそこには行かず、初めての内モンゴル東北部に遊ぶことにした。
彼女が結んでくれた縁だと思った。


満洲里は、北にロシア、西にモンゴルを迎える位置にある、中国の北の端である。
市街地からそう離れていない場所にはロシアとの国境ゲートがあり、国境に並々ならぬ興味を持つ私は、それを今回の旅行の一番の目的にした。
夏休みは六日。飛行機を使えば丸一日で現地にたどり着ける。
とすれば観光に使えるのは真ん中の四日間ということになる。
満洲里は小さな街なので、これでは時間がだいぶ余ってしまう。
そこで、四日のうち三日を使って、周辺の大草原を回ってみることにした。

一日目を満洲里、ロシアとの国境ゲートの観光に。
二日目、三日目、四日目、この三日間ぐるりと草原を一回りし、四日目にふたたび満洲里に戻る。
そしてその翌日、帰国。
そんな行程を用意した。
予定は完璧、心配なのは天気だけだった。

天気予報はことごとく旅行中の悪天候を予想していた。
雷雨、雷雨、雷雨。
この天気予報はきっとはずれ、当たるのを探そうとくだらない考えに探したものは、
にわか雨、にわか雨、にわか雨。
それでも諦めきれず探したものは、
曇り、曇り、曇り。
ようは、少なくとも期待した青天は望めそうもないという悲しいはなし。
大草原で悪天候だったら、なんのために行くのかわからない。
それでも、わずかな期待をいだきながらの出発。

少し酔いがまわりながら北京首都空港に到着したのは、お昼すぎ。
わずかな雨が降っていたが、そんなに大したものではない。
満洲里に向かうフライトは19時発のものだった。
乗り継ぎに時間があるので、先月飛行機の遅延により果たせなかった用事をこの時間に済ませようと思っていた。
そんなことを考えながら到着した第3ターミナルに降りてみると、なんだか様子がおかしい。

なんと、表示された案内板は、ことごとくのフライトキャンセルを示していた。
自分の目を疑う、というのはこういうことだったんだと、実感したくもないのに実感した瞬間。
キャンセル、キャンセル、キャンセル…。
午前便のごく一部が遅延表示になっていたが、事実上の壊滅状態だ。
どういうこと?

1708111.jpg

ターミナル中央の大きな液晶には、通常は見られない画像を映し出していた。
よくわからないが、悪天候を示すもので、それが原因で北京発のフライトがことごとくキャンセルになったということだけは想像できた。
外を見れば、先ほど振っていた小雨はすでにやみ、陽の明るさまで。どうやら風もそうなさそうだ。
これのどこが、なにが、今日一日のつまり深夜までの膨大な数のフライトをほぼ全便欠航させたのだ?

しかしここは第3ターミナル。
北京首都空港は巨大だ。
第1~第3ターミナルがある。
満洲里に向かうフライトは第1ターミナル出発のものだったから、何はともあれそこに向かい状況を確認してみることにした。
第1、第2と第3のターミナルは、かなり離れていて、バスか地下鉄で向かわなければならない。
時間もかかる。
そわそわしながら第1ターミナルに到着し駆け込んでみると。

1708112.jpg

なんてことだ。
やはりここも全便キャンセル。
悲しい予感はあたり、満洲里行き海南航空 HU7115便はすでに欠航を決めていた。
無情な「取消」の赤い文字。
いつかはそういうこともあるだろうとは思っていたけれど、とうとう今回の旅行でこういう目にあってしまった。
溜息もでない。
だめだとわかっていたがカウンターで再度確認してみるも、やはり「その便はキャンセルされました」という回答。
なんてことだ。
問題は、満洲里行きのフライトは非常に少ないということだった。
今日行けないと予定はすべて狂うけども、そもそも便そのものが少ないから明日向かうこともできるかわからない。
なぜなら、今日の乗客を振り替えるだけの座席があるはずもないからだ。

けれど向かいたいならとにかく振り替えの手続きしかない。
第3ターミナルのチケット手続きのカウンターはすでに人でいっぱいだった。
さらに一人ひとりに時間がやたらかかる。
みんな混乱していて、空港も乗客もみな正常な状態ではなかった。
順番を待っているあいだ、携帯で明日のフライトを調べてみた。
さいわいなことに、朝6時発ー8時25分に満洲里に到着するフライトがあった。
価格は1580元(約2万6000円)。
これに振り替えてもらえれば、行程は最低限のロスで済む。
その直後、私の番がまわってきた。

「満洲里?明日の夜でいい?」
窓口の係員は冷めた口調でそう言った。
「夜じゃ間に合わない。朝6時のがあるでしょ、これに替えて!」
「ないよ」
「あるでしょ、これ!」
私は携帯の画面を見せた。
「それはもうなくなった、夜のしかない」
数分前の画像である。
画面を更新してみると、たしかに1580元のはなくなり、ビジネスクラスの3150元に情報は更新されていた。
しかもそれも残りわずかになっている。
「これ、この3150元の!あるでしょ」
価格は痛すぎるが、仕方ない。
「え?新たに買うの?」
「追加料金払うから」
「だめ、買うならここじゃない、第3ターミナルに行って」
私が予定していたフライトは第1ターミナルだったため、そのチケットカウンターに来ていたが、チケットを振り替えたい6時発のフライトは第3ターミナル発のものだった。
それぞれのターミナルはそれぞれの業務しかできないのだ。
同クラスの振り替えならできたようだが、新たに買うことはここではできないというわけ。
似たような状況だった、一昨年のコルラ旅行を思い出した。
あの時も、イスラム最大の祭日にあたり航空券が軒並み完売し帰国できなくなった。

今、第3ターミナルから来たばかりなのに!
遠いのに!
普通に向かったら間に合わない。
航空券を購入したサイトは北京の旅行会社だったが、何度電話をかけても回線が混雑してつながらない。
荷物を転がし走りながら、私は微信ですぐに連絡がつきそうな友人にメッセージを送った。
汗が流れ落ち、呼吸が乱れる。
「いる?」
秒速で返事が来たのが、例のフェイフェイだった。
「航空券がみななくなってる、明日朝6時のこのフライト、代わりにネットで押さえて!」
返事が来る前に、パスポートの名義と番号をおくる。
「ハイラル行きのじゃなくて?」
ハイラルは満洲里隣りの空港だ。
「違う、満洲里、朝6時の3000元の!」
画面をスクリーンショットして送った。
「でも確かに明日、満洲里行きのはないよ」
「明日ので見てる?」
「日にち違った!でも明日の6時の高いよ、4000元」
チケットが分刻みで価格上昇している。
「4000元、OK、買って!」
もう正常な思考ではない。
「実家によると最近向こうはずっと雨が降ってる、予定変えてみたら?」
フェイフェイはそう提案してくれたし、それもありかも知れなかった。
「でも、向こうで人が待ってるからやっぱり行かないといけない」
満洲里行きを決めて、現地の車を手配してあった。
それであればキャンセルすればいいだけのことかもしれないけれど、微信を通して先方の親切な対応に、人間的なやり取りがあった。
旅程に関してもいろいろと相談に乗ってくれていたので、やはり極力「ごめんなさい、やっぱり行きません」はやりたくなかった。
「わかった、でも今見たら高すぎる」
先ほど4000元を示した満洲里行き6時発は、4720元にまで価格上昇していた。
これはさすがに無理だ。
4720元、現在のレートで7万8000円ほど、さすがに無理だ。片道でこの料金である。
そこでふと目に留まった。
「その15時に着くのは?」
12時30分に北京南苑空港を出発し、15時に満洲里に到着するフライトがあった。
価格は1570元、悪くない。
フェイフェイとしっかり確認し合ったのち、無事この航空券を購入することができた。
彼女には感謝だ。
無事済んだときになって、空港連絡バスはチケット再購入のために向かっていた第3ターミナルに到着した。
すでに用のない場所だ。

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チケットカウンターはすでに先ほどの倍以上の人で埋まっていた。
それほどの列に見えないかもしれないが、この一人ひとりにおそろしく時間がかかるため、これでは1時間では済まなかっただろう。2時間はかかったかも。
やっぱり並んでたら無理だった。
サービスカウンターに訊ねてみると、キャンセルされたフライトの払い戻しも出発ターミナル、つまり今回の場合第1ターミナルでしかできないということだったが、また戻るのはうんざりだった。
戻ってもまたそこから長蛇の列だ。

今夜の北京泊は決定したので、宿も探さないといけない。
地下鉄に乗る気力もなく、私は迷わずタクシーに乗り込んだ。
行先は用事があった、「西単」へ。

すでに、満洲里にて車の手配をしてくれるリュウ・ウェイさんには今夜着けない旨事情は伝えてあった。
明日着くなら、明後日からの草原周遊に影響はない。
ただ、明日の満洲里観光がつぶれてしまった。
あとは、何か忘れていないか?
タクシーの中で思い出した。
今夜のホテルにキャンセルを伝えないと。
今夜と明日の夜は、少し張り切って珍しく高級ホテルを選んでいた。
二泊で1980元(約3万3000円)、高層の満洲里大飯店だ。
そんなホテルを選ぶほど、今回の旅行は浮かれていたのだ。
予約したのは日本語版C-tripだったため、電話は日本語が通じる回線を選択した。
「今夜は行けませんが、明日午後にはチェックインできますので」
そう伝えると、
「明日12時までにチェックインできなければお部屋は再予約となり、宿泊料金も返金できません」
なんと。
つまり、二泊分はキャンセルとなり泊まりたければもう一泊分の宿泊料金を払わなければならないという。
今夜のは当日なのでわかるけど、なんで?
「ホテルはそう言っています。そういう予約でした」
どこかには書いてあったんだろうけど、ホテルがお金だけ受け取るのが悔しかった。
でも今夜だってチェックインは深夜で予約している。
明日12時までというのが釈然としないが、そういう約束だと言われればどうしようもない。
1980元、悔しすぎる金額で考えたくもない。

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怒涛の数時間が過ぎその反動のようにぼーっとしていると、タクシーは北京中心部に入り、やがてあの天安門の前を通過した。
多くの人でごった返している。
そんなのもどこか違う世界のよう。

西単に行先を選んだのは、ここで銀行の手続きをしたかったからだ。
私はすでに中国工商銀行の口座を持っていたが、別の銀行口座が欲しかった。
が、中国において銀行口座開設はここのところハードルが上がっており、様々な理由から銀行とまたその手続きをする支店をどこにするか選択する必要があった。
中国銀行は中国を代表する銀行のひとつだが、北京では就労ビザの提出を求められたりするようで、私も二度門前払いを食らっているので選択肢になかった。
そこで選んだのが、北京光大銀行。
この銀行、日本から出金するのに手数料が無料なのだ。

タクシーにはこの銀行の近くで降ろしてもらった。
時刻は17時、銀行には間に合わず、手続きは明朝にまわすことに。
大都会のど真ん中である。
こんな場所でホテルを見つけようとするのも無謀かと思われたが、道を一歩入ってみたところにほどよいビジネスホテルを見つけたので入ってみた。
窓なし部屋で530元ほど。
痛い出費だが、場所を考えれば仕方ない。
チェックインし、友人に送る荷物をもうここで手放してしまおうと、宅急便を呼んでもらった。

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無事荷物を手放すと、せっかくなので北京見物に出かけてみることにした。
ホテルを出ると、そこには先ほどの宅急便のおじさんが荷物を整理していた。
こんなふうな電動車でやってきてくれる。

西単は今どきの若者の街、最先端の街だ。
私はあまりそういうのに興味を持たないので、このエリアを目的に訪れたことはない。
これを機に散策してみようと思った。

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歩道橋の上からは、詰まる車の列。
北京の渋滞は深刻な問題だ。

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最先端のファッションビルが並ぶなか、古びた屋根が見えた。
異質な存在だ。
なんの建物かはわからないが、年代物の瓦屋根の並びである。
こんな大都会の中にもこんなものがまだ残るんだと意外に思った。

そうこうしていると、突然の土砂降り。
大粒の雨が降ってきて、慌ててデパートに駆け込んだ。
ありそうで中々手に入らない傘。
屋根の下で雨宿りする大勢の人たち。
あっというまにそこらじゅうに水が溜まり始めて歩く場所もない。
雨が小降りになった隙をみて、地下鉄に乗り場所を変えてみた。
足元はすぐにぐしゃぐしゃになってしまった。

行ってみたのは西単に対して北側にある雍和宮のあたり。
北京の地図もなにも持っていなかったから、適当歩きだ。

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でもここでまた土砂降り。
仕方なく、歩道脇に立ち並ぶお店一軒一軒を雨宿りはしごしながら進むも、自分が何を目指しているのかもはやわからない。
空は細かく点滅していた。
私はてっきり、向こうにレーザー光線を空に放つような建物があるのだと思っていた。
それぐらい、毎秒毎秒空を真昼のように照らしていたからだ。
それが雷であることに気づいたのは、だいぶ後になってからだった。
雷の音もしなかったし、稲妻も見えなかった。
点滅する夜空は、明るかった。

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音がしない雷はそれは不気味で、何度かカメラを向けたが、スナップ写真に稲妻が写るわけはない。
しかし遺憾ながらもフライト欠航は、ただしい判断であったわけだ。
この雷雨は、来るべくしてやって来たのだ。

雨宿りも兼ねて、火鍋のお店に入ってみた。
雍和宮大街を南下し、いつのまにか火鍋初め様々な飲食店が並ぶ東直門大街に出ていた。

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至福の瞬間だ。
牛肉、羊肉、シイタケ、それに先月重慶でおいしかったアヒルの腸。それをニンニクたっぷりの香油につけて。
本来はもうすでに満洲里に到着し、高級ホテルから夜景を楽しんでいるはずだった。
それが今こうして北京で火鍋を食べている。
不思議なものだ。
食べ終わったあと雨は小降りになっていたが、タクシーは全然捕まらず最終間際の地下鉄で西単に。
北京のタクシー不足も深刻だ。

17081111.jpg

ところで、明日はこの雷雨止むんだよね?
止まない雨はないが、かといってそれがいつ止むかはそのとき誰にもわからない。


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2017-09-02

満洲里旅行二日目~その一~

2017年8月12日、9時前にホテルをチェックアウトした。
ホテルすぐ近くの北京光大銀行は9時に開くからだ。

外はみごとなまでの土砂降りだった。
少し先の文字もかすむくらいの激しい雨で、傘を持たない私は途方にくれた。
昨日も結局傘を売る商店に出合うことができなかったのだ。
荷物を減らすために現地調達しようと考えたのが間違いだった。
困っていると、こんな小さなホテルにも、フロントの横にサービスデスクがあった。
「空港送迎車、航空券、列車券、手配します」
そこに折り畳み傘が並んでいる。これは助かった。
さっそく一つ買ってみる、そのついでに訊いてみた。
「北京南苑空港までの車はある?」

ほとんどの国内外の旅行客が利用するのは、北京首都国際空港。
私がいつも利用するのはこれだ。
しかし北京にはもうひとつ空港がある。
それが今日利用する、北京南苑空港だ。
首都空港だと思っていてこの南苑空港だったりなんかしたら、大変だ。
この二つの空港の関係は、成田ー羽田、または上海浦東ー虹橋、といった関係とも違い、だいたいほとんどの場合が首都空港を利用することになる。
だからホテルにある空港送迎というのもだいたい首都空港までのものを指す。

案の定、「うーん、ちょっと見てみるよ」と、サービスデスクの女性。
「滴滴出行でもいい?雨だからむずかしいよ…」
北京のタクシー不足は旅行客にとって本当に難儀だが、雨が降るとさらに難しい。
さらに私が今いるホテル付近は、タクシーを停めることはほぼ不可能に思われた。
フライトは12時30分発、今から銀行に行き30分で手続きし、9時半には出発したい。
時間はかなりきつきつで、一つ間違えれば乗り遅れてしまう。
女性は厳しいな~といった様子だったが、
「いいよ、戻ってくるまでに探しとくから」 と言ってくれた。
タクシーを呼ぶのが難しいので、ネットの配車サービスを使って来れる人を呼んでくれるのだ。

安心してホテルを出たが、20秒でスカートも靴もぐしゃぐしゃに濡れた。
向かったのは、西単の大きな交差点角にある、北京光大銀行。
ここで今回、口座を開設したい。

中国の銀行は日本とは違い、銀行ごと、さらにその支店ごとに手続き上のルールが違う。
またそれも時とともに変わるから、この銀行はこうだよというのは難しい。
だから私のような外国人旅行客がふらりと訪れて手続きするには、極力ルールが緩いところを選びたいものだが、それも最後は行ってみないとわからないところがある。
それでも最低限必要なのは、パスポート、中国の携帯電話番号(と携帯)、現地住所だ。
住所に関しては宿泊するホテルなんかでいいかと思うが、それでも満洲里のホテルはうまくない。
今回は、中国語のQ先生の友達の住所を借りることにしていた。
ビザ等、滞在証明書を求められるところでは、私は口座を開設することはできない。

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大雨のなか銀行にたどり着くと、銀行のサービスマンが声をかけてくれた。
「私は外国人で、口座を開設したいんですが」
そう伝えると、「じゃあまずここで」と、入り口のテーブルで書類の記入を促した。
サービスマンの質問を受けて、中国在住ではなく日本在住であり、仕事ではなく旅行で訪れることを伝えた。
そうして、自分の名前、パスポート番号、中国の携帯番号、日本の住所と、北京の住所などを記入。
指示に従って進んでいくと。
「納税者番号は?」
「何それ?」
「税を納めるでしょう、その番号。これがないと口座は開設できません」
「日本にはありません、聞いたことありません」
「あります、ないと口座は開設できません」
私は一般常識が欠如しているので、とりあえず日本にいる親に電話をしてみた。
「はぁ?そんなの知らないよ、何それ」
という、返事。
困ったなぁ、と今度は中国語のQ先生に電話をして助けを求めた。
「日本にはないといえば、大丈夫なはずです」
結果、その書面には納税者番号を持たない理由について示す項目があった。
「私が居住する国には納税者番号の交付がありません」
そんなような欄が確かにあり、そこにレ点をいれた。
これで準備は整い、いざ窓口へ。

窓口では、中国を訪れる目的、口座開設の目的などを訊かれ、断られやしないかひやひやしたが、窓口の男性は快く対応してくれた。
ところがやはり。
「日本には納税者番号があるはずです。これがないと手続きできません」
日本にはないと説明しても、「ある」という。
またまた困ってQ先生に電話をする。
「もしかして、マイナンバーのことではないですか?」
おそらく、それだった。
触れる機会がないのでその存在すら忘れていたが、中国人の先生にそれを教えてもらうなんて情けない自分。
マイナンバーは手元にないし、自宅にも今だれもいない。
時刻はすでにホテルに戻ると約束した9時半ととっくに過ぎていて、気持ちも焦る。
電話を代わってもらい、Q先生と窓口の男性とで話してもらい、納税者番号を保留にして次回再登録するかたちで手続き進められないか交渉してもらった。
男性は時間をかけていろいろと方法を試してくれたが、結果それはどうしても不可能ということになった。
窓口の男性はとても親切な人で、「申し訳ありません」とすまなそうに言ってくれた。
決定権を持つ上司がOKを出せば、番号がなくても手続きを進めることができたかもしれないが、あいにく今日は土曜日で上司は不在だということだった。
「次北京に来たときは、またここに来ます」
そう約束して銀行を出たとき時刻はもうすぐ10時という時で、車の確保と所要時間を考えるとかなり厳しい。
大慌てで走ってホテルへ。

ホテルの小さなサービスデスクに、あの女性はすでにいなかった。
慌てて呼んでもらい車のことをたずねると、やはり私の帰りが遅かったので新たに車を探さなければいけないようだった。
大雨のなか車を捕まえるのはかなり難しそうで、女性は苛立ち始めた。
ホテルは少し奥まったところにあり、どうやら場所がわからずここまで来れないらしい。
「そこを曲がって入ったところだって!」
ようやく捉まえた車を逃すまいと、その女性は私の荷物を抱え自ら土砂降りのなかに飛び込んでくれた。

「間に合わないかも、急いで!」
そう運転手さんにお願いするも、考えないようにしていた考えが頭をよぎる。
相変わらずの悪天候で、果たして今日のフライトは無事発つのか?
昨日の二の舞なんてことは…。

微信で、チケットを確保してくれたフェイフェイに連絡を取ると、
「調べてみたけど、一部のフライトはキャンセルになってる。でも満洲里のは遅延になってるから、出発するよ」
遅延するけどきっと出発できるよ、キャンセルになってないんだから、と励ましてくれた。
さらに、「着いたら満洲里のホテルでこれ使えるか訊いてみて」
そういって送ってくれた画面は、ホテルのネット割引券だった。
航空券を買う確認をしている数分の間に、価格はまた100元ほど値上がりしてしまった、だからその分使ってと言う。
毎度毎度、本当にいろんな人に助けられる。
申し訳なくもあり、そしてやはりありがたい。

車は次第に都会風景を抜け、小さな空港に着いた。
北京の空港とは思えない小ささ。
北京南苑空港、清代末期に軍用に建設された空港であり、現在は軍民共用人民解放軍管理のちょっと色合いが違う空港だ。

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駐車場の正面は到着ロビー。
「到着ロビーから入り、左に進んでいくと出発ロビーだ」
運転手さんはそう教えてくれた。
溢れかえる人、空港に足を踏み入れる前にすでに嫌な予感。

1708123.jpg

急いで案内板を確認するが、そのどこにも満洲里のフライトは表示されていない。
朝7時台のものから夜10時台のものまで約20便ほどのフライトが表示されているものの、手続き中とかそんな表示がみな空白になっている。
私のフライトは手続き中なのか受付停止したのか、それともキャンセルなのか遅延なのか、一切お知らせがないのだ。
というか、朝7時台のフライトがまだ搭乗手続きされていない?
別の大画面を見ると、そこにはキャンセルが決定した数便が表示されていた。
そこには満洲里の名はない、ということはセーフ?

出発ロビーはとても多くの人でごった返しており、並ぶカウンターもどれがなんなのかもうわからない。
軍人専用、緊急用、そんな窓口は形だけ、という場合があるからもうとりあえず目の前の列に並んでみたが、長蛇の列でいつになったら自分の番が回ってくるのかわからない。
長い時間をかけ前の方に列を進んでみると、どうやらそれはチェックインカウンターではなかったよう。

心配になっていると、前に並んでいた男性が声をかけてきた。
「日本人の方ですか?」
上手な日本語だった。
男性はインさんといって、日本に留学し日本の大手メーカーで働いたことがあり、現在も天津で日系の企業に働いているのだそう。
首都空港の方ならともかく、こんな場所で日本語を話す人に出会うとは驚いた。
インさんも実は内モンゴルに向かうためにここに来たが、残念ながら彼のフライトはすでに欠航を決めていた。
内モンゴルに暮らす日本人の友達に会いに行く予定だったのだという。
「せっかくのお盆休みだったのに…」
とても残念な様子でそれは私も他人ごとではない話だった。
内モンゴルに行けなくなったので、これから天津に帰ることにしたのだと言う。

「ここは違いますね、訊いてあげます」
チェックインの場所を尋ねると、そういって係員に訊きに行ってくれた。
戻ってきて教えてくれたのは、
「満洲里の便はまだ欠航にはなっていません、でも搭乗手続きは受け付けていない状態でいつになるのかはわかりません」
だから、案内板に満洲里の名前がないんだ。
「いつどこで搭乗手続きするのか、どうやってわかるんですか?」
「案内はないです、人が言っているのを聞くしかないです」

空港の機能は麻痺して正常にうごいてはいなかった。
案内板はすでにフリーズしたも同然で、視覚的に現状を把握することはできないみたいだった。
また、人が言っているのを聞くと言っても、人だかりの向こうにいる係員の声を拾うのは容易ではない。
放送が入るかといえば、この空港にはそういう設備がないのではないのか思うほど、それがなかった。
かといって積極的に問い合わせてはどうかといえば、人だかり長蛇の列で、それを掻き分ける要領の良さを私は持ち合わせていない。
これはもう、ヒアリング能力以前の問題だ。

インさんは私にずっと付き合ってくれていたが、彼のフライトはすでにキャンセルしこの空港に用はない。
天津に早く帰りたいだろうに、すみませんと言う私に対し、
「僕も日本で色んな人に助けられましたから」 と言ってくれた。
外国人はいろいろと困ります、僕もそれはよくわかりますから、と。
では私はというと、日本で外国人に声をかけられた時、見かけたとき、親切な対応をすることができていただろうか、そんな風に思い出してみると自信がない。

二時間だろうが三時間だろうが、見通しが立っているのなら気持ちの準備もできる。
けれど、受付すらも停止しどうなるかわからない状況はなかなかきつい。
「行先を変えて天津に来てはどうですか?」
そういうインさん。
実は、この悪天候に今回は無理かなと思ったその時、ならどうしよう、北京もなんだから行くとしたら天津に遊んでみようかななんて考えた偶然があった。
天津は数年前に訪れたことがあり、5月の天津はとても美しくて自分を惹きつける何かがあった。
必ず再訪したい街のひとつだ。

「満洲里、あそこには日本人を好きではない人がいますが大丈夫ですか?」
インさんはそう言った。
満洲里には戦争の歴史がありますから、心配です。
僕がもし行かない方がいいよと言う場所をあげるとすると、南京と満洲里です。行かない方がいいです。
「大丈夫です、南京も行ったことありますし、でもみんな親切にしてくれました、私は大丈夫です」
日本は好きではない、でもあなたを嫌いなわけじゃない、そんなふうに言ってくれます。
そんなふうに私は繰り返したが、インさんはやっぱり「でも」といった様子。
「大丈夫ならいいんですけどね、でもお互いたいへんです、特に年配の人は」
その言葉を聞いて、はっとした。
それは、中国人、日本人どちらからも、今まで幾度も反日感情について心配の言葉をもらってきたが、そのすべてを「私が大丈夫かどうか」でしか考えたことがなかったからだった。
嫌なことされないか、傷つけれらないか、日本に敵意を持つ中国人から。
心配の声はすべて私を案じたものだと端から思っていたから。
でも、なぜそうなったかという一番最初のはじまりは、戦争という負の歴史にある。
たくさんの人が殺され傷ついたから、憎しみや悲しみがうまれた。
教育だとか外交だとか政治だとか、そういう現代ある別の側面は置いておく。
でも私は、確かに存在する、そして存在した、そうした傷ついた人たちのことを考えていなかった。
反日=中国が日本に対して理不尽なかたちを持って抱く負の感情、行動。
そんな言葉の変換に慣れて、考えていなかった。
南京に行くとき、みんなが心配してくれた。
「大丈夫だったよ、困らなかったよ」 そう答える。
けれど、誰かを嫌な気持ちにさせる可能性があることなんて、そちらの方は考えていなかった。
別にあなたが人を殺したわけじゃない、そういう人もいるだろうしその通りだろう。
けれども、悲しい記憶がある人にとっては、それがわかっていても日本人を見ただけで思い起こしてしまう感情や記憶があるかもしれない。
「お互いたいへんです」
インさんがさらりと口にした言葉に、私ははっとする思いがした。
重ねた中国旅行の過程で、私はとても簡単なことをどこかに落としてしまったみたいだ。


そんなことを話していると、
「満洲里の飛行機、受付始まりました!」
インさんが、係員が言ったと思われる案内をキャッチした。
私の耳はそんな案内があったことにすら気づいていなかった。
そんなだから、一人だったらきっと相当難儀したことだろう。
「横入り、というのがありますが、やりますか?」
「やります」
私は答えた。
インさんが長蛇の列の一番前に行って一言声をかけると、そこに並んだ人は何のためらいもなく快く私を先に並ばせてくれた。
そしてすんなりと搭乗手続きを。

保安検査の入り口でお別れ。
「搭乗口は変わることがありますが、案内板は動いていないので、声の案内をしっかり聞いてください」
搭乗手続きは開始されたが、しかしいつ搭乗が開始されるのかは依然不明、見通しがたっていなかった。
私たちは連絡先を交換してここで別れた。
ありがとうございました。

搭乗フロアは、空港の小ささに対して意外なことにけっこう色んな飲食店があり、かなり長い時間と見込まれる待機時間の救いになりそうだった。
とりあえず、現段階での搭乗口1番に行くと、すでに待機する人で溢れている。
搭乗口の液晶画面も機能停止しているようで、7時50分搭乗開始の伊春便の表示から8時台の数便までの表示でこれもまたフリーズしている。
おそらくこの後にもいくつもの便が詰まっているに違いないことは容易に想像できた。
私の満洲里便はもともとの予定で12時半発のものだったが、もうとうにその時刻は過ぎている。
では伊春行きは出発したのかというと、そこらで係員に質問している様子を聞いてみると、まずその便ですら「時間未定」のよう。
これでは本当にいつになるのやら。

「日本も中国行きのフライトたくさん欠航になっています」
Q先生が教えてくれた。
この前もね、そんなふうに搭乗時刻未定で搭乗口で7時間とか10時間とか待たされたあげく、搭乗手続きしたのに結果キャンセルというのがありましたよ。
天気が良くなっても、空に飛び立っていい飛行機の数に制限があります。
順番を待ったり、いろんな原因があっての遅延やキャンセルだから、本当にいつになるかわかりませんよ。
予定を変えることも考えてみたら?
先生はそう言った。
私はすっかり忘れていて、Q先生に促されて、いったいいつになったら満洲里に到着できるかわからない旨を現地で待つリュウ・ウェイさんに連絡を入れた。
「大丈夫」
そんな、快い返事。

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ガラス越しに見下ろすと、先ほどの出発ロビーには依然多くの人。
この先の見通しはいまだ立っていないが、それでも搭乗フロアまで進んでこれたのは大きい。

しかしここもやはり予想していた通り、係員の声掛けしか、情報を得る手段がなかった。
案内板はフリーズしているし、放送も皆無だった。
かといって搭乗口に座る係員の案内は小型マイクで、ガラガラして音声が悪くヒアリング能力以前に音を正しく伝えていない。
これは大変だ…。

とりあえず少なくともしばらくは動きはないだろうと、麺のお店に入り牛肉麺食べ瓶ビールを一気飲みした。
お酒がなければやってられない。
ワインなどと贅沢は言わない、ビールがあるだけでもありがたい。
すると隣りのテーブルに座った女性のところに麺セットが運ばれてきた。
テーブルに置かれたその瞬間、向こうでガラガラ音声が何かを言い始めた。
音も小さく、何言ってるか全然わからない。
その女性はせっかく運ばれてきた手つかずのラーメンを置いて、状況確認のためにダッシュで飛び出していった。
さながら戦いのようだ。
情報を逃せば、命はない。
では私はというと、情報は逃したくないがビールも逃したくなく、ビールを持ったままその女性の後を追う。
結果、私のフライトには関係なかったのだけど、それは別のフライトの欠航を知らせるものだった。
搭乗口で何時間も待たされたあげく、容赦ない無情の通告。
外の天気はというと、すでに天候は回復しかかっていて雨も雷もない。
かわいそうだなと思うけど、次は私の便がそうなるかもしれない。

結果、いつどうなるかわからないので、搭乗口のテーブル横に張り付くことにした。
そこにはすでに同じように張り込みを決めた人が大勢いたから、時間をかけて係員の斜め後ろというベストポジションを確保した。
いろんな人が、「**行きのはいつなんだ?」と尋ねる。
「時間未定」
機械のように無感情に短く答える係員。
私もわかっていても、時間をおいて尋ねてみる。
「時間未定」
「満洲里は?」
そんな声も数度。同じ行先の人がいることが心強い。

ある時、二つの便が同時にキャンセルを通告した。
衡陽とどこかの便だった。
なぜなのかと詰め寄る人、何度も確認する人、失望のまま立ち去る人。
やっぱ、だめかな…そんな絶望の予感をしていると。
「ハイラル行き****便、搭乗を開始します」
奇跡のような案内。
ハイラルは私が向かう満洲里のとなりの空港で、大草原周遊の途中に立ち寄る予定のある場所だ。
このキャンセルと搭乗開始、明暗を分けたのがなんだったのかはわからない。
搭乗手続きをしたものの、まだ搭乗口を通過していない人がいるようで、係員は声を張り上げる。
けれど、例えばトイレに行っていたりちょっと向こうに行っていたら、気づかないということもあるだろうなと怖くなり、もうこのベストポジションを絶対離れないぞ、と心に決めた。

しばらくして、一人の女性が搭乗口を抜けようとして係員に制止された。
どうやら、先ほど搭乗開始した便の乗客のようだったが、搭乗口はすでに閉められていた。
「もう行けません」
そう言う係員に対し、必死に頼む女性。
「まだ飛行機そこにいるじゃない、お願いだからなんとかしてよ!」
「もう行けません、だめです」
「まだ行ってないじゃない、なんとかしてよ!」
女性は無理やり搭乗口を突破し走っていこうとして、また係員に取り押さえられた。
女性は体を震わせて泣き始め、最後に喉が張り裂けんばかりに絶叫した。
周囲の人はそれを黙ってみるしかなかったが、みんな気持ちはわかったはず。
なぜなら、空港の機能は正常であるとは言えず、彼女の姿はこのあとの自分かも知れなかったからだ。

もうここを絶対動かないぞ。
そう心に再度誓い張り込みを続けていると、気づけば隣りの張り込み仲間はおじいさんだった。
耳毛がやけに長い、ワイルドなおじいさんだ。
おじいさんと私は長いことそこに張り込んでいたので、ちょっとした事情通になっていた。
「***行きの飛行機は?」
そんな風に尋ねにくる人がいれば、
「時間未定」
係員より早く答えるおじいさん。
「あんたはどこに行く飛行機なんだ」
「満洲里だよ」 私はそう答えた。

いったいどれくらいの時間待っただろう。
もうすぐ3時という時になって、
「満洲里行き2935便、6番搭乗口で搭乗開始します」
とうとう、ガラガラマイクはそう告げた。
「6番に変更だ、急げ!」
耳毛のおじいさんは、背中を押すように私に言った。

逃すまいと急いで6番搭乗口まで走った。
何時に搭乗開始、なのではなく、今搭乗開始なので、ぐずぐずしていると先ほどの女性の二の舞だ。

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6番搭乗口から乗り込むのは、中国聯合航空。
この航空会社ももともとは軍のもので首都空港などには就航していないので、少し特殊な感覚。

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一枚の搭乗券が重い。
その重さとは裏腹に心と体は軽い。

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飛行機の写真を撮る人が多数。
私のように、昨日フライトを逃して今日にという人もいるかもしれない。
みんな、やっと乗れるのだという安心と喜びなんだろうなぁと思った。
こんなにいう割に、空港に着いてから実はたった数時間しか経っていないのだけど、時間未定状況不確定の中だったのでとても長く感じられた数時間だったのだ。
「やっと搭乗開始」と満洲里のリュウ・ウェイさんにメッセージを送った。
「空港まで迎えにいくよ、何時に着く?」
現在3時過ぎ、二時間半後の5時半以降に着く、と答えた。
その後席につき爆睡し、目を覚ますとちょうど飛行機が滑走路に加速しようとしているところだった。
時計を見ると席についてからもう一時間が経過している。
「しまった、連絡してから一時間経ってまだ出発していなかったんだ」
リュウ・ウェイさんに到着の遅れを伝えたくとも、飛行機はすでに地上から離れた瞬間だった。


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2017-09-02

満洲里旅行二日目~その二~

予定よりだいぶ到着は遅れたが、それでも満洲里に辿り着ける。
定刻に出発できれば、夕方到着して少し観光しようと思っていたが、遅延によりそれも難しくなった。
観光予定の日をまる一日無駄にしてしまったが、草原周遊三日目に満洲里に戻るのを急いで、残った時間をそれにあてよう、そんなことを考えながら窓の外を見下ろす。

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窓の下には、「空」があった。
その空は、北京を出発してしばらくもしないうちに、次々と様相を変えはじめた。
午前中に土砂降りだった北京は、搭乗口で待機している間に陽の光が指すまでに天候は回復した。
雲が全体にかかった北京。
雲は引き、飛行機の窓から見下ろす地上の様子は、街の集まりからやがて自然地帯へ。
「今日こっちも雨降ってる、中国は全国的に雨だよ」
そんなふうに言っていたフェイフェイ。
私がずっとチェックしていた現地の天気予報も、軒並み悪天候を予想していたから、上空から「空」を観察する。
しばらく大地が見渡せたが、やがてぽつぽつと小さなかたまりの雲が現れ、そのうち激しい形状をした積乱雲を通り過ぎた。
雲は自然が生み出したエネルギーだ。
様々な雲の様子を目にしながら、私は地球のエネルギーを感じていた。

雲がない場所は、地上からは青空が見えているはず。
そう考えると、天候もそう悪くないような気がした。
飛行機で移動しているんだから、こんなの全然まだ現地の上空ではないのだけど。
青空のかけらも見られない曇天、雨、それよりもできれば、雲があったっていいから晴れがいい。
晴れてる晴れてる、そんな自分への励ましを裏切るように、雲がぷかぷか浮いていた空は、そのうち真っ白い大海のようになっていった。

時計を見て、そろそろ満洲里に向けて下降する旨の案内が入るはずなんだけど、とそわそわし始めた。
出発が思ったより遅れ、空港でリュウ・ウェイさんが送り出してくれた運転手さんが待ちくたびれているだろう。
ところがその時、客室乗務員によるアナウンスがはいった。
「先ほど入った情報により、満洲里は現在雷雨で安全に着陸することができないことがわかりました」
なんと。
「そこで当機は、フルンボイル・ハイラルへ向かうことを決めました」
なんてことだ。
違うところに降ろされてしまう。
海拉爾(ハイラル)は、満洲里の東隣りの街で、そこにも空港がある。
「どのくらい離れているんだ?」
乗客から質問が飛び、客室乗務員は、
「300㎞です、でも私も行ったことがないんです」
なんて答えている。
しかし実際は、満洲里との距離は200㎞。

私の草原周遊計画では、満洲里から東北方面、ロシア国境沿いにスタートし、そのまま東側にぐるりと弧を描き、最終日にハイラルを通過し西に向かいふたたび満洲里に戻ってくる予定だった。
つまり、最後に通過する街に最初に降り立ってしまうことになる。
円を描いたルートなので、ハイラルからぐるりと一周するのもありだろう。
けれども、今夜と帰国前夜のホテルに帰りの飛行機もみな満洲里で押さえてある。
計画がくるう。
それよりも、満洲里に迎えに来てくれている人がいる。
三日間の車を確保していてくれる。
どうしたらいいのだろう?
やっぱり時間ロスだが、今夜のうちにハイラルから満洲里に向かい、今日のことはなかったことにして当初の計画通りのルートをとるか。
幸いなことに満洲里とハイラルはそう遠くないので、頑張れば今日のうちに到着することができる。
どのみち今この上空にいて、私にできることは何もない。

白くかすんだ大海は、やがて浅瀬にのるように、うっすらと大地の表情を見せ始めた。
時刻は6時。
広がる大地の真ん中に、うねるように細かく蛇行する光の筋が見える。
うすぼんやりとした広がりのなかに、その光の筋だけは浮き上がるように際立ってみえた。
西に傾いた太陽の光を受けて、その光の筋はまるで虹のように様々な色彩を含んでいた。
トラブル続きなのも忘れ、しばらくうっとりとした瞬間だった。

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機体は下降を続け、やがてハイラルの街が近づいてきた。
広がる草原の中にのびる道や、その道を繋ぐようにして建つ建物は、まるで何かの回路図のよう。
突然その中にはっきりとそれとわかるものを見つけた。
白い塔と寺院。
あれは最終日にハイラルから立ち寄ろうとしていた仏塔だ。

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7時前というとき、ようやく飛行機は着陸した。
予定していた満洲里ではなくて、ハイラルに、だけど。
着陸してアナウンスが入る前に携帯の電源を入れて、いそいで満洲里のリュウ・ウェイさんに事情を説明した。
そうしたら3分後。
「同僚をその空港に向かわせたから、出口で待ってる」
手際の良さにびっくりだ。
上空から確認したハイラルの街を見て、いったいまずどこに向かえばいいんだろう、なんて途方に暮れていたから、まさか空港に迎えに来てくれる人がいるなんて思ってもいなかった。
いつものことだけど、着陸したからといってすぐに飛行機を降りれるわけではない。
時間がかかる。
まだ飛行機の座席という時に、リュウ・ウェイさんから再びメッセージが。
「どこにいる?空港の出口で待っているけど会えないって言ってるよ」
早すぎる~!

やっとこさ飛行機を降りてみると、そこは預け荷物受取場所ではなく、搭乗フロアだった。
…なんで?
状況がよくわからないでいると、係員が説明した。
「今日は満洲里へは行けません。飛行機で改めて満洲里に行きたい人はこちらに。自分で向かう人は係員に申し出て荷物を受け取ってください」
よくわからないで確認すると、ここで解散したい人は、クレームタグ(の付いた搭乗券)を係員に渡し、搭乗口から一階に降りて自分の荷物を飛行機から降ろしてもらうよう申告するように、とういうことだった。
一階に降りてみると、数名の乗客が自分で行動することを選択したようで荷物を待っていた。
しかしこれがいつまで経っても荷物が出てこない。
どうやら係員同士で話が伝わってなかったのか、
「なに?荷物を出してほしいのか?」 なんて言っている。
度重なるトラブルで満洲里のフライトの乗客同士でもチームワークができ始め、私も何度か話しかけられた。
えらいこと時間がかかり、荷物と本人を照らし合わせる作業をし、ようやく空港をでることができたとき、外はすでに真っ暗になっていた。

辛抱強く待っていてくれたのは、リュウ・チャオさん。
体格のいい男性だ。
車まで行き、この後のことを相談した。
そして、今夜はハイラルに泊まり、彼が運転手として明日から三日間草原をぐるりと回ってくれることに。
私は用意してきた地図を見せながら、通過したいポイントを伝えた。
その結果、本来のルートを逆走し満洲里へむかうことに。
三日目の明々後日ではなく、二日目の明後日の夜には満洲里に戻る。
そして三日目は、今日できなかった満洲里市内観光と、円の欠けた部分である満洲里ーハイラル間にある観光ポイントまで出掛けてみることに。
これらはリュウ・チャオさんの提案をもとに決めた。
提案はしてくれたがあくまで提案で、要望があれば聞く、そんなスタンスを感じ、これから三日の旅程に対する不安は消えた。

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空港前には、暗闇にかがやく人物像が立っていた。
「成吉汗ってわかるか?」
リュウ・チャオさんは突然そう言って、一瞬わからなかった。
「あぁ、チンギスハンだね」
今回まわる草原は、チンギスハン縁の場所である。
「あの二人の女性はね、チンギスハンのお母さんと奥さん、彼にとってもっとも大事だった女性だ」
その人物像を指してそう説明した。
奥さんは何人もいただろうから、その誰だったかはわからない。
名前を教えてくれたが、私は歴史に疎くわからなかった。
けれども、チンギスハン本人ではなく母親と妻の像を建てたことが興味深い。

空港周辺は真っ暗だったが、しばらくもしないうちに向こうにそれは煌びやかな街並みが姿を現した。

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残念ながら車の中からその感動を写真に残すことはできず、これがかろうじての一枚。
私は思わずため息をし、
「こんなに奇麗だなんて思ってもいなかったよ…」 とつぶやいた。
「そうだ、夜はとても奇麗なんだ。満洲里はもっと奇麗だよ」
二日時間をロスしたことや様々な疲れも一気に吹っ飛び、
「やっぱり、来てよかった」 と心から思った。
暗闇から、黄金に輝く街に向かって徐々に徐々に近づいていくあの興奮と感動は、今でも忘れることができない。

街に入ると、左右に眩い金色の建物が立ち並び、目の休まる暇がない。
途中で左手に大きな広場を見て、
「あれはチンギスハン広場だよ」と教えてくれた。
みんなここでダンスするんだ、というリュウ・チャオさんの言葉の通り、そして中国各地と同じように、そこには多くの人が集まり「公園ダンス」をしていた。
「やるのは年齢が大きい人ばかりだけどね」
中国はとても大きな国で、各地にそれぞれ様々な文化や歴史、風俗がある。
言葉も違えば、食文化も違えば、民族も違う。
それなのにこんな端っこのこんな小さな街も、公園ダンスは共通なんだ。
そんなことを考えておかしくなった。
金色に輝く欧風の建物は中国においても異国情緒満点だったが、その中でこのダンスをするおばちゃんたちを見て、ここが間違いなく中国であることを知る。
金色の建物の向こうに、発光した点々がふわふわ夜空に漂っていた。
「あれは凧だ、日本にもあるだろう?」
あるけどやる人は少なくなったし、こんなふうに街中ではやらない。
やっぱり、ここは中国だ。

ホテルはリュウ・チャオさんにお任せして選んでもらった。
ランクなどを訊かれ、三星くらいでとお願いしたけれど、今はオンシーズンでホテルをとるのが難しいみたい。
携帯で色々探してくれたけどなかなか捉まらず、
「部屋を見てみてダメなら替えてもいいから」
と、とりあえず一軒のホテルに行ってみることに。

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行ってみたのは、商店や飲食店が立ち並ぶエリアの裏道に入ったところにあるホテル。
部屋を見せてもらって、十分眠れるので決めた。
リュウ・チャオさんは、エレベーターのないホテルの階段を重い荷物を運んでくれた。
「明日は8時半に下で」
そう約束して、戻っていった。
と思ったら、しばらくしてノックの音。
ドアを開けてみると、リュウ・チャオさんが煙草とライターを差し出した。
私のためにわざわざ買って、また階段を登ってここまで来てくれたのだ。
仕事というより人としての優しさと気配りを感じた。

「早く休んで」
そう言ってくれたのに対し「わかった」と答えた私だったが、私には悪癖があった。
夜の散歩だ。
早く寝るんだよとか、危ないから出ちゃダメだよ、と言ってもらっても、わかったふりをして抜け出してしまう。
時刻はまだ21時で、遅いうちにははいらない。

大通りに出て、先ほど空港からやってきた道に向かうと、大きな橋を越えた。

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金色の街並みに対して、銀色に輝く橋。
ヨーロッパの時計台を彷彿とさせるようなデザイン。

この長い橋を越えれば、そこは先ほどの繁華街とは違い落ち着いた雰囲気。
橋が架かるのは、伊敏河という名前の川だった。

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黄金に輝くも、そのどれもがすでに眠りについているかのようで建物に人の気配はしない。
途中で道案内の標識があり見てみると、この一本の道は勝利大道という通りだった。

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その先には先ほどのチンギスカン広場があるようで、まだまだ歩くようだったが、そこまでを目指して行ってみることにした。

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チンギスカン広場には、大きな記念碑と騎馬民族を表した石像があった。
記念碑のてっぺんは駆ける馬に乗った人。
チンギスカンかな。

気温は涼しく寒くなく、ちょうどよく気持ちがよかった。
満洲里は雷雨だということでこの街にやってくることになったが、それはある意味正解だったかもしれない。
こちらの天気はよく、星は見えなかったから曇っていたのだと思うけれど、とても心地よい気候だった。
200㎞の距離でこんなに天気が違うんだ。
当初の予定でもこのハイラルを通過することになっていたが、宿泊はここではなく、街自体は通り抜けるだけの予定だった。
こうして不測の事態が起きたからこそ、このきれいな夜景と心地よい夜の空気に楽しむことができたのだ。
順調なのもそうでないのもすべて旅行。
起こることはすべて起こるべくして起こることだし、それらはすべて旅の縁。
そう思う。

ここから再びホテルの方面へ。

満洲里含む、内モンゴル東北部一帯に広がる大草原地帯を、「呼倫貝爾(フルンボイル)大草原」という。
フルンボイルはこの広大な自然地帯を示す名称だ。
満洲里は、中国、ロシア、モンゴルこの三国が交わる国境付近にある街で、三国文化の交わる場所だ。
これに対し、ここハイラルは満洲里よりもロシアの国境からは若干離れた位置にある。
建物は欧州の雰囲気だったが、街の中に記された文字にロシア語は見つからず、みな中国語と蒙古語だった。
「ロシア語ないね」
先ほどそう言った私に対し、リュウ・チャオさんは、
「ここにはないよ、満洲里に行けばあるよ」といった。
同じフルンボイルであっても、色彩がぜんぜん違うんだなと思った。

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欧風のイメージを抱くような黄金の夜景の中には、それでも中国式の建物もあった。
それに街灯に並ぶ中国結びのデザインは、ここがまさしく中国であることを主張しているみたい。

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橋の向こうには、「呼伦贝尔」(呼倫貝爾)の文字をでかでかと掲げたビル。
ちょっと順序は変わってしまったが、無事にやってくることができたフルンボイル。

その先を進んで、ホテル周辺にまで戻ってきた。
ホテルで別れるとき、リュウ・チャオさんから「おなか空いてない?」と訊かれ、「空いてないから大丈夫」と答えたけれど、今日は北京南苑空港の牛肉麺しか口にしていなかったんだった。
辺りにはさすが内蒙古で、私の大好きな火鍋のお店が並んでいた。
せっかくだから、入ってみよう。

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昨晩に引き続いての、火鍋。
頼んだのは、牛肉、羊肉、それにキノコ。それから草原のラベルが貼られたフルンボイルビール。
内モンゴルは放牧の地だから、こうしたお肉は絶対おいしい。
至福のひとときを堪能し、会計をしてみると、
「割り引いておいたよ」
レシートを見ると、たしかに割り引かれている。
それから店員さんが奥から何やら箱を持ってきて、私にくれるという。
中身は、金属製に柄が施されたそれなりにしっかりしたスプーンとお箸のセットだった。
そういうキャンペーンだったのかわからないけれど、中国でこういう経験をするとは思わず得した気分。
店員さんもみな親切で、もし次機会があったらまたぜひこのお店に来たい。

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ホテルに戻り、近くの商店で買ったハイラルビールを飲んだ。
WiFiに接続しようとパスワードを探すと、そこには。
「果物の皮、焼餅、パンの屑で床を汚さないこと。汚したら罰金です」
汚したら罰金はわかるとして、その具体的な指示につい笑う。
果物の皮や、小吃の屑が散らばる様子が、容易に想像できる。
あぁ、やっぱりここは中国だ。


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2017-09-02

満洲里旅行三日目~その一~

2017年8月13日、朝8時半にホテルのフロントで待ち合わせの約束だったが、20分に部屋のドアが鳴った。
これから三日間一緒にまわってくれるリュウ・チャオさんだ。
もうすぐ降りていくと伝え急いで支度し、出発した。

昨日この街にはいったとき、そこはすでに夜景だった。
陽の光に照らされたハイラルの街は、まるで別の場所のようだった。

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昨日は、ロシア語がなくて中国語と蒙古語ばかりだねという話をしたばかりだけど、明るいこの街並みを見てみるとモンゴルの雰囲気があるようにも感じられない。
商店に乾燥チーズや干し肉など、モンゴル特産が売られているくらいで。

「ここにはモンゴル人は多いの?」
そう訊いてみると、
「モンゴル人は少ない、ほとんど漢族なんだ」
リュウ・チャオさんはそう言った。
「じゃあ、蒙古語を話す人はいるの?」
街中の表示は、どれも漢字のとなりに蒙古語が並記されていた。
「とても少ない」
「あなたはわかるの?」
「わからない、わからない」
「じゃあなんで、蒙古語があるの?」
「少ないけれど、わかる人がいるからね」

新疆を思い出した。
ウイグル語と漢字、それからほかの少数民族の言葉が生きる街。
ウイグル語しかわからない人がいて、中国語は話せるけど書いたり読んだりすることができない人がいて。
それでも中国語は国の言葉だから、それを勉強しないと生活していけない。
人々はなにもなければ、ウイグル語を用いウイグル語を使う。
そこに漢字が、すごく大きな態度で割り込んでいる。
ここは中国だぞ、とでも言うように。
けれどあの場所で一番いきいきしているのはウイグル語であり、またそれぞれの少数民族の言葉だった。
言語が存在するとは、そういうことである。

内モンゴルの隅っこの小さな街にやってきた。
しかも昨晩ようやく到着したばかりだ。
私はこの場所の何も知ったわけではない。
それでも、少なくともここにはもう生きた蒙古語はなく、瀕死の言語は失われかけているのだと思った。
それでも、リュウ・チャオさんが言う「わかるけどとても少ない人」がいる限り、死んではいない。

街を抜けようとするとき、ハイラル駅を目にした。
爽やかなペンキの色がまぶしい、ハイカラな駅だ。
行程に影響がでるほど悪かった天候だったが、ここに来て青空にめぐまれた。
鮮やかさよりも爽やかな色合いのこの街は、青空と太陽の光に映える。
明るいお日様の下この街をもっと散策したい、そう思ったけれど、ものの10分もしないうちに車は街を抜け自然地帯にでた。

まっすぐにのびる公道の向こうに、小さな白い塔が確認できた。
「两塔一寺?」 そう言った私に、
「一塔两寺」 と速攻で訂正。
ハイラル郊外には、二つの寺院と一つの白い菩提塔があり、合わせて一塔两寺と呼ばれている。
昨日のハイラル空港に降り立つ前にも、上空から確認できた。

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入場20元。
リュウ・チャオさんは、「自分は運転手だから」と伝えたが、ただにしてもらうことができず外で待つことになった。

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門をくぐると、大きなお堂が三つ並んでいた。
このお寺、達爾吉林寺。
两寺、つまり二つのお寺のうちのひとつだ。

ここ一塔两寺の二つのお寺は、一つはチベット仏教寺院、もう一つは漢系仏教寺院となっている。
こちらはその、チベット仏教寺院の方だ。
扁額には漢字とともに、蒙古語、そしてチベット語が記されている。
仏教寺院の方は、たぶん少し離れたところにあるかと思う。
ここからどれかわからなかったが、飛行機から見えた。
そちらの方は現代になって建てられたものだそうで、観光目的であれば立ち寄らなくてもいいかなとも思う。

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お堂のまわりを囲んでいたのは、マニ車。
中に経典が収められていて、回せばその数その経典を読んだのと同じ功徳を得られる。
が、私はまわさず先を進んだ。

お堂の中はたいそうりっぱで、大きな仏像が三体中央に安置され、その前には僧侶が7~8人向かい合い並んで座り、お経を唱えている。
お堂内部の仏画や装飾も、鮮やかで華やかで威厳ある感じ。
仏像の目の前の一段高い座布団に座っているのが、どうやら一番格の高いお坊さんのよう。
主旋律をそのお坊さんが唱え、他のお坊さんがそれにかぶせる形で延々お経を唱えていく。
息継ぎをするタイミングもないまま繋げられていくお経の大合唱に、ついお堂を出るタイミングを失った。
天井の高い堂内に、迫りくるような読経は響いて、それはまるで人の声ではないかのよう。
日本のそれに、似ているなと思った。

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お経のお堂の先にはひっそりとしていて、でも堂々とした豪奢な建物があった。
遠目に見たら漢系寺院と似た印象を持ったけれど、近づいてみれば趣が異なる。

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向こうには遠く白い塔が見えた。
ここから写真を撮っている人もいたけれど、そのまま向こうへは通り抜けられないよう。
一度寺院を出てリュウ・チャオさんと合流して、一緒に向かうことに。
達爾吉林寺の左手には長い階段が上に伸びていて、その先にあの真っ白な菩提塔はあった。

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真っ白な塔は青い空によく映える。
「今日は天気がよくない」
リュウ・チャオさんはそう言ったが、雷雨からの青天は私には奇跡のように感じられた。
この菩提塔、高さ88m、内部には10万もの仏像が安置されているのだそう。
しかし入り口は閉じられ、そこにいた人も入れない、と言った。

振り向けばそこからの見晴らしは素晴らしかった。
180度見渡せるその風景は、山はなく、ビルはなく、ずっと遠くまで見渡せる広さだった。
緑のたいらな大地のなか、正面遠くにはあのハイラルの街が見えた。
そこに一本のびる煙突からあがる煙が、まだここが文明の場所だということを示しているかのようだった。
フルンボイル大草原を巡る旅、それはまだ始まってもいないんだよ。
そう言われているような気がした。

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それでも、辺り一面草原の風景になるのにそう時間はかからなかった。
点々とする白いモンゴルゲル、草をはむ馬、群れる羊。
まっすぐにのびる道。

モンゴルゲルは、それぞれかたまりになっていて、車はそのかたまりを次々と越していった。
中には観光客が車を停め、そこで馬に乗る姿も多くみられた。
これらのゲルのかたまりは、ほとんどがこのように観光客に向けたものだ。
中にはけっこう大規模なものもあり、観光客向けにかつての集落を再現したようなものも。
そのたびに、「どうして通り過ぎてしまうんだろう~」と残念に思ったものだけれど、それはそうしたものがきりがないほどあるからなのだということを、このあと知ることになる。
ただこの時は目に映るものがみな珍しくて、子供の好奇心のように身を乗り出してしまった。

そうしていると、向こうにひときわ大きなゲルの集まりが見えた。
だんだんそれは近づいてきて、多くの観光客がそこに車を停めているのが見えた。
「行きたい?」
そう訊かれて、もちろん「行きたい」と答える。

17081309.jpg

ここは「金帳汗蒙古部落」。
金帳汗は黄金のゲルを意味するのだそう。
観光客向けに昔の部落を再現したもので、中にはゲルの形をしたいろいろな“施設”があった。
入場して目の前にはひときわ大きなゲルがあり、それがここの中心部のようだったので入ってみた。
入り口には衣装を着た女性が、入場者に赤いリボンを配っている。
リボンを受け取って内部に入ってみると、そこはモンゴル民族やこのフルンボイルについて紹介した展示になっていた。
ゲルは中心に四本の木の柱が立てられ、いくつもの山羊の頭蓋骨がかけられている。

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展示物のメインのように場所をとっていたのが、この馬車。
当たり前といえばそうだけど、中原で見るものと全然違う。
チンギスハンもこういうものに乗っていたのかな。
このあとにも、蒙古部落のところどころで車輪を飾ったものを見かけた。
車輪の発明は古代においてもっとも大きな発明だったと言われているが、その有効性は当時にしてみたら神がかっていたのかもしれないと思った。

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そのほか、かつての蒙古人が祭祀に使用したものなど、なかなか目にする機会がないものがさらりと展示されていて興味深い。

ここには現代版モンゴルゲルが多数あり、お土産屋さんあり飲食店あり、さらにバーまであった。
観光地化がつまらないという感覚は私も同様だけれど、それでもそう悪くないかなと思った。
というのは、草原があまりにも広すぎるのでこれらはそう景観を損ねるものにはなっていなかったし、それどころか当時の雰囲気を伝えるものになっていたからだ。
よく見ればそれは現代の技術をもって作られたゲル風建物だったりもするけれど。
でも遠目に見れば、それはかつての蒙古部落だ。
ずらりととまった車を見なければ。

ここに来てよかったなと思ったのは、現代版ゲルの集合の向こうに広がる大草原が素晴らしかったから。

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望めば、どこまでもその足で歩いて行くことができる。

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たくさんの馬と少しのラクダが繋がれている。
観光客はこの馬に乗って、ずっと向こうまで行くこともできる。
あとでリュウ・チャオさんに訊いてみた。
「フルンボイルにもラクダはいるの?」
「ラクダは砂漠の動物だよ、ここのはよそから連れてこられたものだ」
たしかに。
この爽やかな草原にラクダは似合わない。
馬はわかる。どうしてここにラクダを連れてこようなんて考えたのか。

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なだらかな低い山が遠くに広がる。
肉眼ではかろうじて確認できるような白い点々があちらこちらに。
あれは羊の群れだろう。

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時折、観光客が乗った小型飛行機が空をかすめた。
この飛行機人気なようでここ以外でも見かけたが、「乗りたい?」と訊くリュウ・チャオさんに「乗らない」と答えてしまった。
「危険だからね」 彼はそう言った。
私は高所恐怖症だし、ならなおさら乗るべきではないが、でも上空から風を浴びながら見下ろす風景はまた格別だろうなと思う。
今から考えると、乗ってみればよかったとわずかな後悔がある。

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端の方にはこのように石が積み上げられたもの。
これは、敖包(オボー)。
モンゴル各地にはこのように積み上げられた石、繋げられた布でつくられたオボーが大小多数あるのだという。
今回の旅行でも、このように大がかりなものからささやかなものまで、幾度もそれを目にした。
以前はそれをチベット仏教のそれだと思っていた。
実際、モンゴルにはチベット仏教信者が多く、積み上げた石もカラフルな布もチベット仏教を彷彿とさせるものだが、これはもともと土着の信仰のあとにチベット仏教が結びついたもので、順序は逆になるのだそう。
そもそもは道しるべとして存在したものが、やがてモンゴルのシャーマニズムに結び付き、そして祖先への祈りの場になった。
この周りを左回りに三周するのが通例のようで、観光客がそれに従っている。
覆うように結びつけられた布。
先ほど配られたリボンを好きなところに結ぶことができる。
「ここには山がないから」
リュウ・チャオさんはそう言った。
それとの繋がりはよくわからなかったけど、石を積み上げて山にして、そうして天に近づくという意味なのかな。

金帳汗蒙古部落をあとにして、ふたたび走る。

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道は舗装されたものではなくて、それがよかった。
「雨が降るとこの先の道とおれなくなるから急ぐよ」
雲はあるとはいえ、晴天。
「雨降るの?」 疑いそう訊く私に
「多分、降らないけどね」
そう答えたけれど、自然地帯の天候は変わりやすいからこの天気が続くとは限らないな、と思った。
ならば、天気がいいうちにできるだけまわりたい。
なにしろ、旅行前一週間ずっとチェックしていた天気予報は、そのどれひとつも晴れを予想していなかったのだから。
雷雨、雷雨、雷雨。
にわか雨、にわか雨、にわか雨。

決まっていたかのように、途中で車はとまった。
見晴らしのいい場所だ。

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ところどころで観光客向けに馬が用意され、それを楽しむひとがいる。
かつてはモンゴル人と生活、生命をともにしていた馬だったが、今ではそのほとんどが観光客のために用意されたものなのだという。
草原と馬、それがそろえばいいのかといえばそういうわけでもないと思う。
たしかに美しい風景だし、乗馬体験も楽しい。
けれど、ここはもうかつてあった本来の草原の姿ではない。

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「黒くなっているところがあるだろう?あれが何かわかるか?」
リュウ・チャオさんは言った。
「雲の影だね」
草原や低くなだらかな山には、ところどころ雲が影を落としていた。
同じ場所同じ時でも、風景は刻一刻と表情を変える。
「空が低いだろう」
彼が言ったように、空はとても低く感じられた。
それは草原に影をつくる雲のかたまり、色濃い青空がつくりだした感覚だと思う。
草原と空の距離が近い。
秋にはこの空も高くなるのかな。

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緑の風景の中には、溝を掘ったような一筋の川が蛇行して流れていた。
「莫日格勒河」だ。

フルンボイル大草原の北には、大きな山脈が横たわる。
この一帯すべての自然はこの山脈の恩恵を受けている。
大ヒンガン嶺山脈だ。
莫日格勒河は、この大ヒンガン嶺山脈からフルンボイル大草原を通り、呼和諾爾湖へ流れ、そしてハイラル河へ合流する。
その長さ294㎞にも及び、天下第一曲水の呼び名を持つ。
フルンボイル大草原を巡る旅というのは、すなわちこの大ヒンガン嶺水系を巡る旅だ。

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道はでこぼこして舌をかみそうだ。
けっこうな悪路だが、それが楽しいのだと思う。
それは一本の道ではなく、時に曲がり分かれ、また合流した。
時々馬が道をふさいだ。
車なんておかまいなしだ。
「なんでみんな頭を垂れているかわかるか?」
「わからないよ」
「暑いから、虫がわくんだ」
暑いとはいっても、日本のそれとは比較にならないと思った。
これが、雨が降れば一気に気温が下がるのだという。

ある時、前を行く車を指してリュウ・チャオさんは言った。
「あれは同僚の車だ」
同じく、観光客を乗せたドライバーなのだという。
「どうしてわかったの?」
「車を見ればわかるさ」
その車を抜かすとき、窓を開けて挨拶した。
「そっちは何人?」
「こっちは一人だ」
そんな会話を交わし別れる。
「一人旅をする人は少ないの?」 そう訊いてみると意外なことに、
「少なくないよ」
「では、日本人は?」
「ロシア人なんかは多いけど、日本人は少ないな」
でも自分が乗せたことないっていうだけで、他の車は乗せているかもしれないけど。
自分が見ても、中国人なのか日本人なのかはわからないからね。

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草原の中を自由に駆け回っているような気分が味わえるが、実はちゃんと道がある。
車が通れば、草は傷む。
保護のための鉄条網がなければ実際は好きに車を進めることができるが、それでも理由がなければその道を通る。

次に車がとまったのは、ちょっとした丘だった。
フルンボイルを流れる河を見るのには、上から見下ろすのが一番いい。
先ほど抜かしたドライバー仲間のおじさんともまたここで会った。

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ここからの眺めは最高だった。
これも先ほどと同じ河、莫日格勒河だ。
同じように、溝を掘ったような河が蛇行しながら草原を抜けていく。

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カーブのところどころで、馬や羊が水を飲んでいる。
ここからでは、黒い点や白い点の集まりにしか見えないが、それらは少しずつ移動し動いていた。
それぞれは人間が飼い、放牧しているものなのだという。
こうした放牧は新疆旅行でもたびたび目にしているけれど、その印象は全然違う。
「羊には人間がつくけど、馬にはつかない、ほったらかしだ」
「迷わないの?」
「迷わないよ、羊にはああやってバイクに乗った人がついてるから」
よく見ると、あの白い点々のかたまりの近くには確かに小さなバイクに乗る人がいた。
そのバイクが羊を追い立てて誘導している。
「バイク!新疆では馬に乗る人だよ」
「うん、昔は馬に乗る人だったけど今ではバイクになった」
バイクは羊を追い立てて、白い点々は水辺からあがり草原を移動しはじめた。
しかし数頭どんくさいのがいて、そちらに合流できないでいる。
バイクはそれを誘導しようとするが、追い込めば追い込むほど変な方向に行ってしまう。
「新疆とこことどちらの方が羊多い?」
そう訊かれて、答えがすぐにでなかった。
あちらも羊の文化で、どこに行っても羊だった。
ただあちらは自然環境が過酷で、このように草や水に自由にのびのびとしている感じがしない。
「…同じくらいかな」
「新疆の羊とここのとでは、種類が違うんだ。体の大きさが向こうの方が大きいんだ」
羊といえばみな同じなのだと思っていた。

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まっすぐに一本の川が流れていくのではない。
まるで草原一帯を這いまわるかのように、蛇行しまた蛇行し。
傾斜がない場所を流れるからこのようになるのだと思う。


呼倫貝爾(フルンボイル)大草原。
世界三大草原のひとつ、世界でもっとも美しい草原といわれているのだそう。
大ヒンガン嶺山脈の西に、約10万㎢にもわたり広がっている。
その広大な範囲のなかに、大小3000余の河がうねうねと様々な方向に流れ交わり、500余の湖が点在する。
ちょっと信じられない話だけれど、こうして訪れてみてみるとほんとうのことだなと実感する。
豊かな大地の場所だ。

このフルンボイルには一つの伝説があるそう。
昔々、この草原一帯に風と砂の妖魔がはびこり、美しさ豊かさを瞬く間に奪っていった。
草は育たず家畜は絶え、水は失われ枯渇し、やがてそこは死の場所になった。
ある蒙古部落に勇敢な男女がいた。
歌舞に才ある美しい女性・呼倫(フルン)と、武芸に秀で勇敢な男性・貝爾(ボイル)。
二人は愛の力で草原を救うべく魔を追い払った。
そうして草原には再び生命が戻り、かつての美しい姿を取り戻したのだという。
愛の力でどのように魔を追い払ったか気になるところだが、とにかくこの草原は一度失われ再び取り戻された奇跡の場所であり、そんな想像をしながら眺めてみるとさらに美しい。

今目の前にはひとつの史跡もない。
寺院も、城壁も、烽火台もない。
ただ大自然が広がるのみ。
その中には人家さえも、ない。
そんなこの場所で、不思議と悠久の歴史を感じた。
長い長い時間の経過を感じた。

まだまだずっとここにいたい気分だったけれど、天候も心配だったため出発。
しばらくしてリュウ・チャオさんは、それでも道の体裁をとっていた自然道から方向を変え、大草原のど真ん中に向かい始めた。
向かったのは川辺だった。

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ここには車が数台とまっていて、アウトドア用品が並べられていた。
川の中には西瓜がひとつ、浮いている。
そこにいる人たちがやっていたのは、長縄大会だった。
子供も大人も一緒になって楽しんでいる。
中国人は楽しむことに力を惜しまないなといつも思う。
日本人もアウトドアやるし、ビーチバレーやったりバトミントンやったりもするだろう。
でも、長縄までは持って行かないし、やろうという発想がない。
彼らは、足を引っかけては抱腹絶倒している。
ここにいたのは、先ほどのとは別のリュウ・チャオさんの同僚ドライバーだった。
「そっちには乗るな、こっちに乗ってけ」
そう冗談を言って笑う。

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先ほどまでの道では時折他の車に出合うことがあったが、徐々に車にも人にも出合うことがなくなった。
ここには自分たちだけしかいないみたい。

草むらから時々、小さな動物がひょいっと顔を出した。
プレーリードッグみたいな動物で、立ち上がってはきょろきょろと辺りを見回す。
「あ、動物!」
そう騒ぐ私に、「老鼠(リス)だね」と彼は言った。
リスじゃないと思うんだけど、まぁ大差ないといえば大差ない。
そんなリスがそこらにいた。

すると、次は向こうに一羽の猛禽類を見た。
ここには様々な猛禽類がいるだろうから、その種類はわからない。
その猛禽類は向こうからすいーっとやってきて、車が走るすぐそばまで降りてきた。
こんなに近くで目にすることはないのでこれもまた興奮して見ていると、その猛禽類は草原のすぐ上をぐるぐる旋回し始めた。
その高さ、10mもないと思う。
こんな低空で獲物を探すとは思わず驚いた。
「リスを捕ろうとしているんだ」
リュウ・チャオさんはそう言った。
リスといえば、先ほどのプレーリードッグだ。

途中で車を降りて、草むらの中に入ってみた。
そこには様々な形の葉があって、よく見れば小さな花も咲いていた。
車の窓の外を流れていく草原風景は、近づいてみれば実はこんなに多種多様だったんだ。
その中には、私がまだ知らない動物や生き物もたくさんいるだろう。
先ほどのプレーリードッグ風の動物のように、草むらに隠れていれば私たちはそれに気づかない。


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2017-09-02

満洲里旅行三日目~その二~

ところどころに羊の群れを見る。
青い空、白い雲、緑の大地、それに白い羊の群れ。
そのコントラストがまぶしい。

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この羊の群れの遠く向こうに、また別の群れ。
「いったいどれだけの羊がいると思う?」
リュウ・チャオさんが問いかけ、私は
「500?」 と答えた。
「これで千頭だよ」
そうして、ぼーっとしている私に、
「あまりにも人がいなくて、一体ここには何人の人がいるんだって思うだろう?」
羊はこんなにもたくさんいるのに、見渡す風景に生活の匂いは少しもしない。
人の気配もしない。
あるとすれば、時々すれ違う、私たちのような観光客を乗せた車だけ。

羊の群れを越えて、車は高度を上げていった。
緑の丘陵を登って、その先には車が数台停まっている。

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丘陵から見下ろしたのは額爾古納(アルグン)河。

アルグンは蒙古語で捧げるという意味を持つ。
河が途中で激しく角度を変えうねる様子が、まるで人が物を捧げるようであることから、そう呼ばれるようになったのだという。
大ヒンガン嶺山脈を源流として現れるハイラル河は西に流れ、満洲里にてフルン湖から流れ出る支流と合流し、そしてアルグン河と名を変える。
その後、南から北へ、そして東へと流れを変え、黒竜江省の最北部で黒竜江(アムール河)と名を変える。
つまりこのアルグン河は、あのアムール河の一部なのだ。
アムール河の延々とした流れは、地図を見れば一目瞭然、中ロ国境に忠実に沿ったものになっている。
というよりも、この河を国境としたという方が正しい。
そして国境線の川筋は、黒竜江省の東の先っぽでロシアに飲まれていく。
アルグン河の部分だけでも、長さ708㎞。
源流から含めてアムール河全長で、4368㎞。世界第8位の長さを持つ川だ。
今目の前をS字に蛇行して流れゆくこの穏やかな川の流れは、いずれロシアに流れ着くのだ。
そう考えると気が遠くなる。

「日本にも草原あるだろう?」
リュウ・チャオさんはそう言ったけれども、こんな風景は日本にはどこにもない。
「日本はとても小さいから、こういうのはないよ」
そう言ってみたものの、自分の言葉には足りない表現がたくさんあると感じた。
日本人にとって、草原という言葉はどこか異国情緒を含んでいる。
それはモンゴルかもしれないし、ヨーロッパかもしれない。
とにかくどこか遠い国を思い浮かべる。
小さな草原なら日本にもあるだろう。
けれども、なだらかな大地を何千㎞にもわたって流れる川なんてないし、こんな広範囲に形成された自然体系もない。

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川の中に点々と集まる黒いものは、水を飲みに集まった馬だった。
満足したのか、やがてその黒い集まりは川を移動した。
一緒に同じ行動することが決まっているかのよう。

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雲が落とす影は色濃くて、その場所は刻一刻と移動していく。
海や川や湖の色が空の色を映したもののように、この緑の大地もまた空の様子を忠実に表しているみたいだった。
陽の光や雲のかたちで、草原の色合いも表情もぜんぜん違うものになる。
今ある目の前の風景はしばらくすればもうどこにもない。
今日あるこの草原の姿は、明日はもうまったく違うそれになる。
リュウ・チャオさんは、何度も何度も、
「今日は天気が良くないけど、天気が良ければもっときれいなんだ」
そう言ったけれど。
私にとっては今日見たすべての風景が美景だった。
この時この場所にいたからこそ、出合えたもの。
雨が降ると思っていたから、余計にこの青空は嬉しかった。
本音を言えば雲ひとつない快晴を期待していたけれど、でもこうしてここにいると、白い雲がぷかぷかしその形を次々変えていく様子は、まるでフルンボイルの自然の力を目にしているようで、そしてこの大地の豊かさと激しさを目にしているようで、今日でよかったと思えた。
天候の悪状況で予定通りに動けなかった。
ルートのまわり方も変わった。
でもそれは、もしかしたら今日この場所でこの風景を見るためにそうなったのかも知れないとも思った。
旅の途中で起きたことはすべて、縁だ。

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ただの丘陵で特に展望台や案内板などがあるわけではなかったが、ここは定番の観光スポットのようで、多くの人がここで風景を楽しんでいた。
リュウ・チャオさんのドライバー仲間ともここで再会する。
丸くなだらかな丘陵は、その気になればどこまでも歩いていくことができたし、自分の責任で少し下まで降りていくことも可能だった。
木が生えているわけでもないし、斜面はなだらかだったからだ。
けれどもそれなりの高さにあり、私は足がすくんでしまった。
吹きすさぶ風は激しかったが、自然のエネルギーを体中で浴びているような気がして、心地いい。
私はただそこに立って風景を楽しんだ。

横にはドローンを操る人がいた。
そういう時代になったんだな~と思うと同時に、そのドローンはどんな映像を収めたのだろうと気になった。
人間は鳥のようには飛べない。
小型飛行機などに乗ったとしても、目に映るものや感覚はまったく違うものだろうと思う。
鳥になったように。
ドローンはそんな夢のような体験をさせてくれるものなのかもしれない。
でもそれは、たとえその場で自分が操作し撮影したものだったとしても、結局は仮想体験にしかすぎない。
カメラのレンズを通して映したそれは、けっして実体験ではないのだ。
でも、もし自分もそれを持っていたら、私もきっと楽しんでやったと思うけど。

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向こうの丘には車が通った道。
かつて馬に乗った人たちが駆けたこの場所。
今では毎日多くの車がここを駆ける。
車が通る場所は草が生えず、地面がむき出しになっている。
ところどころに保護のための鉄条網はあったけれど、そうでないところも多い。
楽しくて素晴らしくてつい忘れそうになってしまうけど、ただ来るだけでも自然を壊している部分もある。

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草原のドライブは続く。
時刻はもう14時になろうとしていた。
「馬に乗りたい?黒山頭に着く前に乗れるけど、雨が降ったらできない」
乗馬できる場所はもうそこら中にあったけれど、リュウ・チャオさんはもう場所を決めているみたい。
私は馬に乗ったことがない。
中国でも馬に乗るチャンスは今まで何度かあったけれど、前に敦煌でラクダに乗った時かなり怖かったので、馬は乗れないだろうと避けていた。
でも、せっかくここに来たのだから乗ってみようと思い、
「乗りたい」 と答えた。
「雨が降らなければね」
彼はそう言ったが、この青空で雨は想像ができない。

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途中で薄紫のリンドウが咲き乱れる道を行き、そしてやがて自然道の草原を抜けて舗装された公道に出た。
そこに出て突然、簡易な建物が立ち並ぶ小さな小さな村のようなもので出合ったが、それが人が暮らすものなのかそうではないのかはわからない。

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そうして朝ハイラルを出て二度目の街に入った。
額爾古納(アルグン)だ。
街の名称はもちろん、先ほど眺めたアルグン河からきている。
この街は、フルンボイル大草原の北、アルグン河の右岸に位置し、アルグン河の支流である根河、アルグン河、得爾布干河、哈烏爾河が交わる場所にある。
モンゴル民族発祥の地、といえるのだそう。

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街はとても小さくただ車で通り抜けただけだったが、街並みはロシア建築がうつくしかった。
モンゴル民族発祥でも、ここはまるでロシアみたいだ。
これらはみな、ホテルなのだという。
この街を訪れるのも楽しみのひとつだったが、リュウ・チャオさんはそのまま立ち寄ることなく通り過ぎた。
朝ごはんを食べていないのは私自身の意思だったが、今日はお昼も食べていない。
私はそういうのも慣れているけれど、リュウ・チャオさんはけっこう体格の立派な男性だったので、絶対おなかすいていると思う。
すでに昼食の時間帯はとうに通り越していたけれど、ここでどこか立ち寄るのだと思っていた。
ただ、結果的には時間ぎりぎりで宿泊する黒山頭に着くことになったので、彼は時間を見て急いでいたのかもしれない。

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アルグンをあっけなく通り抜けると、また再びの大自然。
私は持ってきた地図を見ながら、
「根河湿地は?」 と訊いた。
伝えていた立ち寄りたいポイントのひとつで、そろそろそこを通過するはずだった。
「根河湿地は広すぎて入れない。道々あっちの方に見れるから」
車を降りて立ち寄るのではなく、車窓から眺めることになった。

根河湿地は、アジア第一湿といわれる規模なのだそうで、自然保護区に指定されている。
404種の野生植物、268種の野生動物が生息し、それは生物の宝庫だ。
そこで野鳥はじめ珍しい動物に遭遇するかも、と期待していたけれど、そううまくはいかなかった。

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やがて向こうに深い緑のラインが姿を現した。
「あれが根河湿地だ」
そう教えてくれたが、いかんせん遠い。
車窓からでは、一続きの森にしか見えない。
けれども、これがほんとうに延々と続くので、「広すぎる」といった彼の言葉はその通りだった。
ここで自然観察をしたいならば、しっかりと許可をとり、何日もここに腰をすえる覚悟がなければだめだ。
そしてそんなことをするのはきっと研究者とかそういう人たちなのだろう。
ふらっとちょっとだけ立ち寄って珍しい動物に遭遇する、そんな話は甘い。
「珍しい鳥を見てきます」
そんな言葉を残して日本を出発した自分はほんとうに軽いなと思う。

「弘吉喇布蒙古大営、行きたい?」
根河湿地に見入っていた私に、そう言った。
今日一番に立ち寄った、モンゴル部落を再現したものと思われる。
「行きたい」と答えた。
「弘吉喇布には、昔美女がたくさんいて、モンゴル人たちはここに来て奥さんを探したんだ」
リュウ・チャオさんはそう説明した。
蒙古人は遊牧民だから移動しながら生活していたと思うけど、ここには定住していた人がいたのかな。
そのあたりはよくわからない。

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弘吉喇布蒙古大営の正面は、根河湿地がどうどうと広がっていた。
車窓で見たのよりも近い。
けれども、鉄条網が張り巡らされているため、みだりに侵入することはできない。

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これが弘吉喇布大営の配置図。
モンゴルゲルがいっぱい。
ここは何があるとかいうよりも、このゲルが主役のよう。

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現代版ゲルが並ぶ。
観光客がキャリーバックを転がして入っていくのが見えた。

旅行出発前、車を取りまとめるリュウ・ウェイさんと行程について話し合った。
三日間草原をまわるにあたって、モンゴルゲルに二泊しようということになった。
代わりに予約しておいてくれる?とお願いし、一泊260元で泊まることになった。
行動がゼロからスタートすることになったのでその予約もなしになったけど、そのゲルはこういうのだったのかな?

「こういうゲル、一泊いくらだと思う?」
リュウ・チャオさんは訊いてきた。
「うーん、500くらい?」
「一千元!」
高い!1000元とは今のレートでだいたい16500円くらい。
260元との差はなに?
こういった部落を再現したような観光客が立ち寄るようなところのゲルは、特に高いのだそう。
「伝統的なゲルは、電気もないし水もないしトイレもない。でもこういうのはそれらがあるし、空調まであるから」
なんてことだ。
そういうのをゲルと呼んでいいのかわからないが、少なくとも見た目の雰囲気はあるから、観光旅行であればそれもいいかもしれない。
一方私が望んでいたのは、伝統的ゲルの方。
不便だけど、一生に一度の旅行だと思えばとてもいい経験になるはず。
「1000元は高いけど、みんなで泊まれば高くない」
私はいつも一人だから高くつくというのもある。

ここの高いゲルに宿泊する人々は、すでに夕方になりつつある時間帯、各々くつろいでいた。
ゲルの前にある椅子に座ったり。
正面には根河湿地が広がっているから、この上ないぜいたくな立地だ。
草原のど真ん中ではないけれど。

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湿地を右手に見ながらまた進んだ。
雲の合間に見えていた真っ青な空は次第にかすみ、真っ黒な雲がどこかから湧いてきた。
それとともに、周囲の風景も明るさを失っていく。

やがて車は湿地から離れ、広い大地の真ん中を通る一本の道をまっすぐ進み、そうして左手に見えてきた乗馬場で停まった。
屋根の下にはたくさんの馬が繋がれ、草原には馬に乗った観光客が散らばっている。
もう乗ることは決まっていたので、リュウ・チャオさんは乗馬場の女性にお願いした。
「馬に乗って湿地まで行くことができる。行って帰ってくるまでに1時間半だ」
けっこう長い時間だ。
湿地は遥か向こうにかろうじて見えた。
あんな遠くまで行けるものだろうか。
まず価格を訊いてみると、女性は
「600元」と答えた。
高すぎる!
リュウ・チャオさんの一日の車代(人件費諸費用含む)が、500元なのだ。
それなのに、馬に乗っただけで600元とは。
でも1時間半馬に乗れば、日本でもそれくらいするだろうなと思い、受けることにした。
「今はオンシーズンだからあらゆるものが値上がりしているよ」
リュウ・チャオさんはそう言った。

革製の膝まである足のガードと、ライフジャケットみたいなの、それからヘルメットを装着。
完全防備になってなんとも居心地が悪い。
初めての経験なのだ。
「馬はなるべく小さいのにしてくれ」
リュウ・チャオさんは女性に頼んだ。
選ばれた馬はこちら。

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これでも乗るのに一苦労だった。
手伝ってもらいながら、やっと馬上の人になった。
私には一人の中学生くらいの男の子がついてくれた。
彼は向こうから馬に乗って戻ってきたばかりで、
「疲れたよー」 と文句のように言うのが子供らしかった。
私の馬の手綱を持って先導してくれる。

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ところが、予想以上の恐怖だった。
まず一歩進んだ段階で私は叫んだ。
「ゆっくり!急がないで!!」
私は高所恐怖症でもあるのだ。
馬の背中はは予想以上に高かった。
手に持つのは、馬に取り付けられた金属製のU字。
これが持ちにくくて、手綱の方がまだ怖くなかったかもしれない。
馬は動きが大きくて、ゆっくり進んでも私は上下にバウンドしてしまい舌を噛みそうになる。
草原は草原で実際に行ってみると思った以上にでこぼこがあり、それを通過するたびに馬は大きく動いて私は叫んだ。
「ダメ!ゆっくり!ちょっと止まって!」
怒鳴る私に、ため息をつくように男の子。
「怖くないって、こんなんじゃいつたどり着けるんだ」
「あなた今日はどれくらい観光客の相手したの?」
「たくさんだよ」
「落ちる人いないの?」
「いないよ」
いるわけないじゃん、と呆れるように返す。
男の子は蒙古族で、お兄さんが日本にいるとか日本語を勉強してるとかそんなことを言った。
が、私は緊張の真っただ中でそのどちらだったかよく覚えていない。
「日本人を相手したのは初めてだよ」
男の子は笑った。
いたずらだったか痺れをきらしたか、男の子は隙があれば馬のスピードを上げようとし、私が油断したときに馬を小走りさせた。
歩いているだけでこれだけ怖いのだから、小走りされたらたまらない。
私は怒鳴って怒った。
「ダメ!ゆっくり行こう!!」
「怖くないよ」
男の子はめんどくさそうに言った。

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写真なんか撮る余裕はなかったが、それでも体験記として残しておきたくて必死で片手を離しシャッターを押した。
そのすべては見事におかしな写真になっていて、これはその中でかろうじて風景を映したもの。

そんなこんなで長い時間をかけてやっと湿地の近くまでやってきた。

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湿地へはちょっとした斜面を下りなければならなくて、それは私には無理だった。
そこであの木に男の子の馬を留め、彼が私のうしろに乗って二人乗りでそこを下りるらしい。
男の子が自分の馬を木に結び私のうしろに乗った瞬間、馬は突然動き出した。
私は大声をあげた。
というのも、顔の前には細かい枝がたくさん突き出た枝が伸びており、それは簡単に折れるような太さではなかったからだ。
避けることも、枝を振り切ることもできずに、枝は私の顔を攻撃した。
男の子は急いで馬を制止にかかり、「吁」と声をかけたが、馬は急に止まれない。

私の馬を木に繋いで降りたとき、口の左半分はじんじんと麻痺し痛さよりも熱さがあった。
「大丈夫?」
男の子は心配してくれたが、正直ぜんぜん大丈夫ではなかった。
感覚が変になっているけど、これは絶対切れている。
確認するのが怖かったが、触ってみるとなんだか腫れているようだ。
カメラの液晶画面に反射させてみてみると、吸血鬼みたいに顎まで血が垂れている。
あとから分かったことだけど、血が垂れているだけではなくて、これは唇から下に少し切れたものだった。
頬っぺたも少しかすり傷ができていて、口の中も切れていた。
私がまず思ったことは、
「これからまだ蒙古料理やロシア料理を食べたいのに、口が切れたら楽しめない!」
ということだった。
男の子の心配の問いに対し、
「大丈夫、じゃない」 と答え、しかしやはりこれは大人げないと思い、
急ぎ「大丈夫」と訂正した。

※後日談
この旅行記を書き終えた9月現在、まだ私の唇左下には数cmの傷跡が残っていて消えない。

こうして馬に乗るのがさらに怖くなり、馬ではなくて歩きで下まで下りてみることにした。

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下には、日本にあるような小さな川が流れていた。
そこでなんと男の子は突然服を脱ぎ、川に飛び込んだ。
なんて自由なんだ。
泳いだりして楽しんでいる。
「手を洗いなよ」
そう言うので手を洗ってみたら川の水は冷たくて、さっきのパニックが少し収まった気がした。

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もう夕方だ。
低い山は影になり、水面も色を失っている。
天気が心配だな、そう思っているとかすかに雨の気配を感じた。
一粒雨が落ちてきた気がする。
「雨が降りそうだから帰ろう」 私は声をかけた。

再び馬の繋がれた木まで戻ってきて、ここからがまた大変だった。
また同じことが起きてはいけないので、男の子は馬を先に木から離し、自分が手綱を持っている状態で私を馬に乗せた。
このあと彼は自分の馬に乗らなければならないので、いったん私にその手綱を預けた。
「動かないで」
手綱をピンと張った状態で動かないように指示する。
縄の動き方で馬は動き出してしまうからだ。
ここで勝手に動き出したら恐怖だ。
そう思ってじっとしていると、男の子が背を向けた瞬間、馬は急に動き出した。
パニックでまた叫ぶ私。
「綱を引いて」
他にもいろいろ指示されたが私にはわからない。
馬は小走りになり、走っていこうとし、私はさらにパニックになり大声を出した。
男の子は急いで走り寄り綱をつかんだ。
セーフだ。
このあとどうしようもなく、男の子は器用にも、私の手綱を手に持ったまま、連れてきた自分の馬に乗った。
本当に迷惑のかかる客だったことだろう。
「怖がるから馬が動くんだ」
男の子はそう言った。

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男の子は行きよりも慎重に私の馬を引いていたが、馬はともすれば自分の意思で小走りを始めた。
「この馬、怒ってるの?」 そう訊くと、
「怒ってるわけじゃない、雨が降りそうだから早く家に帰りたいんだ」
そうすると、また急に馬はいなないた。
乗馬場はまだまだ点に見えるくらい遠かったが、天気は確実に悪くなっていった。
右手には遠く街が見えたが、そこには雲がかかりその暗がりは下に落ちていた。
向こうは雨が降っている。
そう思った瞬間、稲妻が走った。

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強風が吹きだし、怖いとかなんとか言ってられなくなった。
あの雨がこちらに来る前に戻らなければならない。
そうしてやっとこさ乗り場まで戻ってきた私を見て、リュウ・チャオさんも女性も、
「どうしたの?」と驚き、女性は薬を持ってくると言いだした。
私は大丈夫大丈夫と繰り返し、身に着けていたものを返したら体が軽くなった。

車に戻り、今夜の宿泊場所である黒山頭へ向かうかと思ったら、その街はすぐそこだった。
「もうすでに着いていたんだね」

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車に乗り込んだ時、雨は降りだした。
あと少しでも遅かったら雨に濡れていたところだった。

黒山頭はとても小さな街で、街という機能も有していないように見えた。
左右には小さなホテルが並び、そのホテルに併設されたレストランが明かりをつけている。
ホテル以外の食堂や、商店みたいなものも見当たらない。
宿泊施設以外のものがないように見えた。

リュウ・チャオさんはある現代版モンゴルゲルを持つところに行き、チェックインを進めてくれた。
価格を訊くと500元ちょっと。
高いと思い、「リュウ・ウェイさんが言ってたのは260元だったよ」というと、
「それは伝統的ゲルだからだ。でも天気も悪い、伝統的ゲルは電気もないし水もないしトイレもない」
携帯充電できないし、あれは布をかぶせたものだから、雨が降っていれば水が入り込んでくるかもしれない、とも言った。
「伝統的ゲルは近くにあるの?」
そう訊いてみると、「けっこう遠い、でも見に行ってもいいよ、見てから決めてもいい」そう言ってくれた。
迷うところだ。
せっかく来たのに現代版ゲルは、もったいない気がする。
でも、問題は天気だ。
確かに天候は悪かった。

本当は、今回の旅行、ひとつの目論見があった。
草原の大自然の真っただ中で眠ることができる。
人家もない草原にいて、広がる夜空。
おそらく今まで経験したことがある環境のなかで、もっとも素晴らしい星空に出合うことができるだろう。
それなら、それを撮影してみたい。
私は不器用だけれど、日本でほんの少しだけ練習して、三脚やレリーズなどもわざわざ持ってきた。
今回、想定外のことが起こり行程が変わり、草原では一泊しかできなくなった。
それでも天気さえよければ。
雲があったとしても、その隙間から星空は覗けないだろうか。
そんな期待をしていたけれど、それは見事に裏切られてしまった。
この天候では星空は叶わない。
そういうあれこれを考えたあげく、伝統的ゲルをあきらめ、ちょっと高いけれど現代版ゲルを選んだ。
「今はオンシーズンだから、なにもかもが高いよ」
リュウ・チャオさんはそう言った。

時刻は18時を過ぎたところで、こんな天気だけれど外には金色に輝く西日の反射が見えた。
そこで、リュウ・チャオさんに夕日が見える場所まで連れて行ってもらうことに。

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今まで見たことのあるどの街とも印象が異なり、なんだか異国に来ているかのよう。
中国も私にとっては異国には異国なんだけど。

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街はとても小さくて、ものの数分で抜けてしまった。
その先にあったのは小高い丘。
その丘は今日まわってきた丘陵のように、道といえば車が通ってできた自然道だけだった。
その草が剥げた道を登っていくと、丘の上にはすでにたくさんの人が夕日を見に集まっていた。
この小さな街にこれだけの観光客がいたことも驚きだった。

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丘に登ってみると、その向こうには湿原が広がっていた。
ずっと向こうまで人の生活の気配がない。
こういうのって、テレビの中でしか見れないと思っていた。

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夕日はというと、雲がかかり日が落ちる瞬間を目にすることはできなかった。
絵になるような、ポストカードになるような、そんな夕日ではなかったけれど。
ごく普通の夕日だったかもしれないけれど。
それでも私には感動をくれるものだった。

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周りの人たちも、いつまでたってもその場所を離れない。

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帰り道、丘を下る途中、向こうに黒山頭の街並みが見えた。

ゲルに戻り、ようやく部屋の中に入った。
私は一番奥のゲル、というかゲル風建物だった。

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鍵を開けて中に入る。
きちんと網戸がついた窓があり、空調があり、ベッドがあり、テレビがあり、トイレにシャワーもついていた。
伝統的ゲルに泊まれなかったことは残念だけど、これはこれで楽しくないわけではない。
おそらく建てて新しいもので、とてもきれいだった。

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リュウ・チャオさんは、
「鍵はここに置いておくけど、出かけたい時には電話をするように。迎えに来るから」 そう言った。
危ないから、と言った。
それから、ご飯はできたら連絡か来るから、とも。
先ほど食堂で、私が羊肉を食べたいと言ったら、食堂の人は大きいのしかないからダメだと言ったのを、リュウ・チャオさんが交渉してくれたのだった。
渋る料理人に、厨房まで行って、「これがあるじゃないか」とやりあってくれた。
その羊肉が出来上がるのを部屋で待つ。

リュウ・チャオさんが帰ってしばらくして、女の子がゲルまで呼びにきた。

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羊肉の塊と、おそらくそれを煮たときのスープ。
それからハイラルビール。
朝からなにも食べていないのだ、これでは足りない。
「ほかにメニューない?」というと、ゲルの人は驚いた。
メニューを見せてもらい、麺を追加。

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シンプルの極みだけど、温かくておいしい。

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羊肉は骨付きのかたまり。
ナイフを使って肉をそぎ落として食べていく。
今まで新疆で何度も食べてきた羊肉とは雰囲気が全然違い、新鮮な気分。
料理というより、ゆでた羊肉をそのまま食べている感覚だ。

肉に食らいついていると、ゲルの女性が声をかけてきた。
「ここに今晩、あなた以外にも日本人が泊まっているよ」
彼女はそう話した。
ここのゲルは10棟くらいとそう多いわけではない。なんて奇遇だ。
友達と来てる、そういってその男性のパスポートの画像をスマホで見せてきた。
私はその男性の顔写真を名前を見てしまったが、いいのだろうか。
いつもの私であれば、旅先での縁によろこび、話しかけに行ったかもしれない。
人見知りだからやめたかもしれないけど。
でも少なくとのこの時の私は、頭の中が羊肉でいっぱいだったため、女性はつまらなそうにして向こうのテーブルに移動した。

会計の時に、部屋で飲むようにビールと水を購入し、ゲル風の部屋に戻った。
蒙古の白酒があり強く私を誘惑したが、寝るまでの時間に飲みきれなかったし、明日だるくなるのも心配だったので、頑張って諦めた。
出歩く場所もなく、することもなく、時間を持て余すかと思いきや、やっぱりなんだかんだ言って遅い時間になってしまう。

シャワーを浴びたあと、ゲルの外に出てみた。
外は真っ暗で、先ほどまでにぎやかな声が聞こえていた隣のゲルも、明かりを落として静かになっていた。
ここは大草原の真ん中ではなくて街の中だったが、それでも街明かりはほとんどなく、空は真っ暗だった。
ゲルの合間から狭い夜空を見上げた。
星ひとつ姿をみせない。
すでに雨は降ってはいなかったが、空は一面雲に覆われているに違いなかった。
私はもう西に傾いているだろう、夏の星座を想像した。
涼しげな風が一陣、吹いた。
どこかから犬の吠える声が聞こえる。
いつかのどこかの街を、私は思い出したような気がした。


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まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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