2018-02-02

旅のあしあと~時系列編~

当ブログは、2009年以降に足を運んだ、中国を基本とした旅の記録です。

你好もまともに言えず飛行機に乗るだけで不安だったあの時から、初めての一人旅、中国語を学び始めて、中国人の友達ができて、そして国際結婚へ。
旅を通して少しずつ変わっていく自分、いつまでも変わらない部分、そんなすべてが記されています。

蟻のような一歩一歩ですが、この旅のリレーはこれからもずっと続きます。

中国地図★
◇中国旅のあしあと 2018年1月更新◇

今まで中国を地方ごとに分類し「旅のあしあと」をまとめてきましたが、こちらのページでは時系列に並べてみました。


哈爾濱旅行 2018年1月 〈東北地方〉黒竜江省
❖観光地❖ ハルビン工業大学建築館、旧東清鉄道本社、東清鉄路博物館、旧東清鉄道商務学校、旧東清鉄道職員住宅、旧ニューハルビンホテルーハルビン氷雪大世界(氷祭)、旧ハルビンヤマトホテル、中央大街、スターリン公園、防洪紀念塔、松花江、兆麟公園(氷祭)、聖ソフィア大聖堂
❖訪問❖ 【天津】  開発区(TEDA)、于家堡環球購商業街、海河、塘沽南站

開封旅行 2017年11月 〈華中地方〉河南省
❖観光地❖ 繁塔、禹王台、龍亭、清明上河園、大相国寺、鉄塔
❖郊外観光地❖ [朱仙鎮] 岳飛廟、年画伝承館

満洲里旅行 2017年8月 〈東北地方〉内モンゴル自治区
❖観光地❖ 国門景区、中ロ互市貿易区、ロシア国境、套娃広場、中ロ商貿歩行街
❖郊外観光❖ 〈フルンボイル大草原〉 [ハイラル] チンギスハン広場、一塔両寺、金帳汗蒙古部落、莫日格勒河、[アルグン] アルグン河、アルグン根河湿地、弘吉喇布蒙古大営、[黒山頭] 辺防公路、186彩帯河、ロシア国境、フルン湖、ジャライノール博物館、マンモス公園
❖他都市❖ [北京] ー

重慶旅行 2017年7月 〈西南地方〉重慶市
❖観光地❖ 磁器口古鎮、歌楽山景区 [白公館監獄遺址、渣滓洞監獄遺址]、朝天門広場、紅岩村景区 [紅岩革命紀念館、中共中央南方局八路軍办事处]、周公館、人民大礼堂、三峡博物館、洪崖洞

喀什旅行 2017年5月 〈西北地方〉新疆ウイグル自治区
❖観光地❖ エイティガール・モスク、老街、高台民居、国際大バザール、アパク・ホージャ・マザール、ユスフ・ハズ・ジャジェブ・マザール、アリ・アスランハーン・マザール、カラコルムハイウェイ(途中)
❖近郊都市❖ [阿图什] スリタン・サトゥク・ポグラハン・マザール、モール仏塔
❖他都市❖ [烏魯木斉] 回族小吃名街

鳳凰旅行 2017年2月 〈華中地方〉湖南省
❖観光地❖ 鳳凰古城、南方長城、篝火晩会、苗寨(苗人谷)
❖他都市❖ [広州] 越秀古書院群、葉剣英商議討逆旧址

黄山旅行 2017年1月 〈華東地方〉安徽省
❖観光地❖ 屯渓老街、黎陽老街
❖郊外観光地❖ 黄山(慈光閣→雲谷寺ルート)、安徽古村 [呈砍、霊山、唐模、宏村、南屏、西逓]、霊山棚田、徽商大宅院、徽州古城、棠樾牌楼群
❖他都市❖ [上海] 多倫路文化名人街、虹口旧日本人街、内山書店旧址、魯迅旧宅、魯迅墓

銀川旅行 2016年9月 〈西北地方〉寧夏回族自治区
❖観光地❖ 鼓楼、玉皇閣、南門、南関清真大寺、新華清真寺、承天寺塔、海宝塔寺
❖郊外観光地❖ 三関口明長城、西夏王陵、賀蘭山岩画、拝寺口双塔、滨河黄河大橋、黄河軍事文化博覧園
❖他都市❖ [北京] 地壇公園、鐘楼、鼓楼

庫車旅行 2016年8月 〈西北地方〉新疆ウイグル自治区
❖観光地❖ 清代城壁、庫車王府、克黑墩烽火台、庫車大寺、清真寺(熱斯坦清真寺、庫車回民大寺、薩克薩克清真寺)、老街
❖郊外観光地❖ キジル千仏洞、五彩山、塩水渓谷、ヤルダン地形風景区(クチャのピラミッド)、大小龍池、天山神秘大峡谷、スバシ故城
❖他都市❖ [庫尓勒] 孔雀河、尉犂大峡谷、雅丹仏窟

秦皇島旅行 2016年7月 〈華北地方〉河北省
❖観光地❖ 秦皇求仙入海処
❖郊外観光地❖ [山海関] 天下第一関、老龍頭、孟姜女廟、角山長城

伊寧旅行 2016年5月 〈西北地方〉新疆ウイグル自治区
❖観光地❖ 喀賛其民俗旅遊区、イリ河、漢人街、六星街
❖近郊都市❖ 
[霍城] サイリム湖
[新源] 那拉提風景区、肖爾布拉克酒業(西域酒文化博物館)
[霍爾果斯] コルガス口岸、カザフスタン国境 
※霍爾果斯は厳密には霍城県に属するが別枠とした
❖他都市❖ [烏魯木斉] ー

北京旅行 2016年2月 〈華北地方〉北京市
❖観光地❖ 元大都遺址、醇王府(宋美齢故居)、東民交巷、天安門広場、故宮博物院、瑠璃厰、陶然亭公園、頤和園
❖郊外観光地❖ 清東陵

江門旅行 2016年1月 〈華南地方〉広東省
❖観光地❖ 中山紀念堂、茶庵寺、茶坑村、小鳥天堂、長堤風貌街
❖郊外観光地❖ [開平碉楼] 自力村碉楼群、錦江村碉楼群、赤坎古鎮、馬降龍古村落、南楼
❖他都市❖ [広州] 西関大屋

大同旅行 2015年11月 〈華北地方〉山西省
❖観光地❖ 清真寺、九龍壁、華厳寺、鼓楼
❖郊外観光地❖ 雲崗石窟、懸空寺、恒山、木塔
❖他都市❖ [北京] 万里の長城、円明園

庫尓勒旅行 2015年9月 〈西北地方〉新疆ウイグル自治区
❖観光地❖ 老街
❖郊外観光地❖ 罗布人村寨、ボステン湖、鉄関門
❖他都市❖ [烏魯木斉]

平遥旅行 2015年8月 〈華北地方〉山西省
❖観光地❖ [平遥古城] 古衙署、市楼、城壁、鏢局、日昇昌、古民居、清虚観
❖郊外観光地❖ 喬家大院、王家大院、静昇文廟

南京旅行 2015年7月 〈華東地方〉南京市
❖観光地❖ 玄武湖、中華門、夫子廟、明孝陵、中山陵、雨花台風景区

済南旅行 2015年5月 〈華東地方〉山東省
❖観光地❖ 大明湖、千佛山、泉城広場、趵突泉
❖近郊都市❖ 
[泰安] 泰山、岱廟
[曲阜] 孔廟、孔府、孔林、顔廟

麗江旅行 2015年2月 〈西南地方〉雲南省
❖観光地❖ 麗江古城、束河古鎮、白沙

上海旅行 2014年12月 〈華東地方〉上海市
❖観光地❖ 外灘カウントダウン、豫園、盧浦大橋

烏魯木斉旅行 2014年10月 〈西北地方〉新疆ウイグル自治区
❖観光地❖ 新疆ウイグル自治区博物館、国際大バザール、清真寺
❖近郊都市❖ [昌吉] 胡楊風景区

サハリン旅行 2014年8月 〈ロシア〉
❖観光地❖ [ユジノサハリンスク(旧豊原)] 栄光広場、ロシア正教会、サハリン州立郷土博物館(旧樺太庁博物館)、旧北海道拓殖銀行豊原支店、鉄道歴史博物館、ガガーリン記念文化公園(旧豊原公園)、旧王子製紙豊原工場、日本人共同墓地、山の空気展望台
❖近隣観光地❖
[スタロドゥヴスコエ(旧栄浜)] 白鳥湖、旧栄浜駅跡地、宮沢賢治散策の海岸、
[ドリンスク(旧落合)] 旧王子製紙落合工場、ロシア教会

瀋陽旅行 2014年7月 〈東北地方〉遼寧省
❖観光地❖ 瀋陽故宮、張作霖爆殺事件跡地、福陵、張氏帥府
❖近郊都市❖ [丹東] 北朝鮮国境、虎山長城

洛陽旅行 2014年5月 〈華中地方〉河南省
❖観光地❖ 龍門石窟、白園、関林廟、旧市街、古墓博物館
❖近郊都市❖ [登封] 少林寺

蘇州旅行 2014年2月 〈華東地方〉江蘇省
❖観光地❖ 拙政園、留園、虎丘、山塘街

クアラルンプール旅行 2014年1月 〈東南アジア〉
❖観光地❖ ペトロナス・ツインタワー、スリアKLCC噴水公園、ブギッ・ビンタン、バトゥ洞窟、チャイナタウン、マスジット・ジャメ、ムルデカ・スクエア、スルタン・アブドゥル・サマド・ビル

成都旅行 2013年10月 〈西南地方〉四川省
❖観光地❖ 青羊宮、錦里、寛巷子、武候祠
❖郊外観光地❖ 青城山、黄龍渓、都江堰

敦煌旅行 2013年5月 〈西北地方〉甘粛省
❖観光地❖ 鳴沙山、莫高窟、敦煌古城、沙州古城
❖郊外観光地❖ 西千仏洞、玉門関、河倉城、漢長城、陽関、白馬寺

台湾旅行 2013年2月 
❖観光地❖ 城隍廟、士林夜市、龍山寺、中正紀念堂、迪化街、故宮博物院
❖郊外観光地❖ 九份

澳門旅行 2013年1月 〈華南地方〉特別行政区
❖観光地❖ セナド広場、聖ポール天主堂、モンテの砦、カテドラル、聖フランシスコ・ザビエル教会、聖ラザロ教会、ギア要塞

武漢旅行 2012年11月 〈華中地方〉湖北省
❖観光地❖ 長江大橋、黄鶴楼、毛沢東旧居、帰元禅寺
❖近郊都市❖ [赤壁] 赤壁古戦場跡

香港旅行 2012年9月 〈華南地方〉特別行政区
❖観光地❖ 男人街、金魚街、天后廟、ヴィクトリアピーク、女人街

北京旅行 2012年8月 〈華北地方〉北京市
❖観光地❖ 南鑼鼓巷、鐘楼・鼓楼、天安門、故宮博物院、景山公園、天壇

桂林旅行 2012年5月 〈華南地方〉広西チワン族自治区
❖観光地❖ 両江四湖、蘆笛岩、独秀峰、畳彩山、七星公園、象鼻山、伏波山
❖近郊都市❖ [陽朔] 漓江川下り

厦門旅行 2012年2月 〈華南地方〉福建省
❖観光地❖ コロンス島、南普陀寺、白鷺洲公園

シンガポール旅行 2012年1月 〈東南アジア〉
❖観光地❖ クンセン・ロード、チャイナタウン、セントーサ島、マーライオンタワー、マーライオンパーク、マリーナ・ベイ・サンズ、ラッフルズホテル

大連旅行 2011年9月 〈東北地方〉遼寧省
❖観光地❖ 中山広場、労働公園、星海広場、大連港、旧ロシア人街

天津旅行 2011年5月 〈華北地方〉天津市
❖観光地❖ 天塔、鼓楼文化街、天津動物園、南市食品街、天后宮

杭州旅行 2011年1月 〈華東地方〉浙江省
❖観光地❖ 西湖、雷峰塔、河坊街、虎砲泉、三潭印月

広州旅行 2010年10月 〈華南地方〉広東省
❖観光地❖ 越秀公園、中山紀念堂、鎮海楼、六榕寺、陳氏書院、珠海

西安旅行 2009年9月 〈西北地方〉陝西省
❖観光地❖ 鐘楼、華清池、兵馬俑、秦始皇帝陵、碑林博物館、城壁、西安博物館、大雁塔、清真大寺、青竜寺
❖郊外観光地❖ 乾陵、永泰公主墓

上海旅行 2009年7月 〈華東地方〉上海市
❖観光地❖ 豫園、外灘、上海動物園、泰康路


北京旅行 2005年2月 〈華北地方〉北京市



《中国旅のあしあと》 ☆地域別の一覧はこちら☆


クリックしていただけると励みになります☆
↓↓↓
にほんブログ村 旅行ブログ 中国旅行(チャイナ)へ
にほんブログ村
スポンサーサイト
2018-01-21

哈爾濱旅行一日目

2017年12月30日早朝6時、羽田空港に到着した時ちょうど日が昇り、そうなると夜が明けるのはあっという間で、ほんの10分前の静けさがまるで嘘みたいに辺りは眩しくなった。
昨日は仕事納めで午後から、そして前泊するホテル近くの居酒屋でお酒を楽しみ、毎度のことながら若干のだるさを抱えたまま空港へ。

最近気に入って中国行きの度に足を向けている小さな昔ながらの居酒屋は、魚がおいしい。
私の暮らす場所は魚介がとても美味しい場所で、皆とりわけお刺身には舌が肥えている。
最初は期待しないで入ったお店で、まさか東京でこうしたお気に入りのお店ができるとは思わなかった。
こじんまりした店内は夕方にも関わらず常連客でにぎわっていて、私はカウンターに空いた一席に座った。
頼んだのは、アジのタタキ、天ぷら、日本風カルパッチョの三点セット。
珍しくもなんともない魚だけど、店主の親父さんが自ら釣ったアジはとても美味しい。
黒板を見ると、今日はミンククジラのお刺身があるみたい。
「次はいつあるかわかりません」の文字に思わず注文し、その美味しさに感動していると、「これでもう終わり」と奥で言うのが聞こえてきた。
「あんた、前も来たね」
アジのお皿を手に、親父さんがそう声をかけてきた。
前回は11月の開封旅行の時だった。
この居酒屋に立ち寄りたいがために羽田を選びたくもなるが、残念ながら次回中国は羽田を利用しないことがすでに決まっている。


今回の旅先は、タイトルの通り「哈爾濱(ハルビン)」である。

ハルビンは中国最北に位置する黒竜江省の省都で、歴史のうえでも日本とかかわりが深く、その地名とおおよその位置をほとんどの日本人が知っているだろうと思う。
私はずいぶん前からこの都市を“今年の行先候補”にリストアップしてきたが、結局最終的に行先として選択されることはなかった。
冬のハルビンは極寒だし天候不良によるフライトの遅延が心配。
歴史的な理解がまだ浅く、踏み込む心の準備ができていない。
有名な都市なだけにかえって足が向かない。
思い浮かぶ理由はいくつかあったけれど、これらの理由は依然として状況に変わりない。
それでも今回どうしても行きたい旅先に決定したのは、やっぱり旅にはタイミングというものがあるからなのだと思う。

しかしながら、旅先であるハルビンは今回の中国行きの“目的”ではなかった。
おかしな表現になるけれども、ハルビンはついでに立ち寄ることになった、というのが正しいところだ。


実は私事ながら、結婚することが決まった。
相手は天津人、つまり中国人だ。

8月の満洲里旅行の際に、どたばたの北京南苑空港でたまたま前に並んでいたインさん。
あの時私は、お盆休みを利用して内モンゴルの満洲里からフルンボイル大草原を一回りする旅行を計画していた。
ところが到着した北京首都空港は、天候不良によりほぼすべてのフライトの欠航を決めており、混乱を極めていた。
一日奔走した結果、その日は北京にとどまり、翌日に南苑空港の方から満洲里に向かうことにした。
ところがその南苑空港も、またほとんどのフライトが欠航や大幅な遅延に遭っていて、空港中が大混乱していた。
その混乱の中で、列の前に並んでいたのが、彼である。
インさんも内モンゴルの別の場所に向かう予定だったが、フライト欠航により払い戻しの手続きをするために列に並んでおり、一方私の方は搭乗手続きをするつもりが間違ってその列に並んでいた。

インさんは日本に留学・生活した経験があり、日本語が堪能だった。
「日本人の方ですか?」
振り向いて日本語でそう声をかけてきたのは彼の方だった。
フライト状況が不明瞭な中でイライラしていた私は不機嫌な顔をしていたに違いないが、日本に生活したことがある彼は、私の顔や服装で日本人だとわかり声をかけてきたのだそう。
一方で私はインさんのことを中国人だと思ったので、
「你是不是中国人?」 (あなたは中国人?)と訊ねてみると、
「はい、そうです」 と日本語で返事が返ってきた。
その後、私は無事に内モンゴルへ。
彼は天津へ戻った。

8月の南苑空港でわずか話をしただけで、11月にはふたりで開封旅行に行き、そして11月の下旬にインさんが来日し婚約をしたので割と早い展開ではある。
もともと私には結婚願望がなく、このまま一人の人生を満喫するつもりでいたものだ。
このことは今までの旅行記にも書いてきた。
自分には結婚は向かないと思っていたし、頭のどこかで数十年後さみしくて後悔するのではないかというわずかな想像はあったものの、今したくないと思うことをするわけにもいかず、この年齢(35歳)まで独身できたしこれからもそんな雰囲気だった。
今回婚約したことは我ながら驚きの出来事だ。
さらにその相手が中国人だなんて。
中国が好きだから中国人と結婚しそう、私のことをそんな風に言う人もいたけれど本当のところ逆だった。
中国人と結婚することは絶対ないと思っていた。
人生って予想外だらけでおもしろい。

そういう訳で今回の中国行きの目的は、天津だった。
一度向こうの家を訪問し挨拶しなければならない。
しかし、私にとって旅は不可欠。
六日間の連休の中で旅行を挟みたい、そうお願いし、そしてその行先がハルビンになったとそういうわけだった。
予定としては本日30日から新年2日までハルビンで三泊し、2日から天津に二泊し4日に北京経由で帰国する。


いつものJAL便で北京首都空港に到着したのはお昼。
到着ロビーでインさんと合流し、到着したターミナル3からハルビンへ出発するターミナル2に移動し、しゃべったりお菓子を食べたりして時間を潰した。

ふとしたことで、漢方薬の話になった。
「大芸は友達がよく送ってくれて飲むけど、とても効果のある漢方だよ」
そんな話を私がすると、インさんは知らないという。
大芸は通称で、正確には肉従容という。
血行を良くし、滋養強壮はじめ体質改善に効果が高い。日本にも流通しているが高価で、知名度が低いのか以前に漢方薬局に持ち込んだところ調剤師も知らないと言った。

「この漢方はね、中国西域の砂漠で採れるんだけど、以前にある番組を見てから考えが変わったんだ」
この大芸、友達が送ってくれたものがたくさんあるので、いつも惜しみなく軽い気持ちで飲んでいた。
ところがある番組で、これを収穫しながらもほとんどまともな収入にならないある貧しいウイグル族の男性を目にした。
その男性は砂漠の中の小さな村で、一日ひたすら砂を掘り、そうして収穫した大芸は小銭にもならない金額で漢族に売却された。貧しいながらも、娘さんはたいへん優秀で、奨学金でウルムチ大学に入学することができた。
この国では、少数民族であっても中国語を勉強しなければ生きていくことは難しい。
「娘には自分のような苦労をさせたくない」
男性はそう口にし、
「家族に豊かな生活を与えたいから、勉強したい」
娘さんはそう話した。
あるとき男性は、ウルムチに向かう知人に精いっぱいの100元札二枚を手渡した。
娘さんへの仕送りである。
「必ず渡してくれ」
そう声をあげて、砂漠を駆けるぼろぼろ車を見送った。
一日小銭ばかりの収入しか得られないその人が、どのようにしてそのお金を用意したのか想像できない。
けれども、そんな200元という金額は、私にとって、そして多くの豊かな中国人にとっても、使った意識もおぼろげに軽くとんでいく金額だ。
非常に安い金額で売却された大芸は、辺境から中国内地へ、そしてまたあるものは海外へ売られる。
そうして最終的に販売されるそれが、もともとどのような人にどのように収穫されてどのような価格で買い取られたものなのか、想像できないものになって消費者のもとに届く。
人間はきっと平等ではない。
私はそう思う。
それがたとえ、豊かさや幸せが何かを、一方的に自分の基準ではかったものなのだとしても。
そのウイグル男性を知って以降、大芸を飲むたびに同じことを考えるようになった。

私は体質改善の話から飛躍して、大芸という漢方についてこのような話をインさんにした。
「その人は販売ルートについての知識がないのかも知れないね」
インさんが返した内容は想定外で、私は言葉に詰まった。
「販売ルートについて勉強して、高く売れる方法を考えればいいんじゃない?」
インさんはそう言った。
勉強したくても勉強できない状況がある。
何か行動を起こしたくても起こす選択肢を与えられていない人がいる。
そしてその選択肢を選ぶどころか、そもそもそうしたものがあることを知ることすらできない人がいる。
「中国では権利は平等ではないこと、インさんは知らないの?」
生まれたときから、どのようにして生きていくのか決められていてそこから抜け出すことができない。
以前に出会ったある中国人がそのようなことを言っていたのを思い出した。
中国では教育や報道などに於いては国がコントロールし、規制し、与えられた情報はとても限られていて不正確な一面を持っている。
インさんはたとえばひとつウイグル問題についても理解がないのではないのかと不安になったが、国内とりわけ内地ではそんなものかも知れないとも思った。
「世界の人は知っているのに、中国に住む中国人が自分の国のことについて知らない、そんなふうに思うことがある」
ある部分に関しては。
私がそう言うと、「まゆちゃん、もしかして怒ってる?」 インさんは返した。
インさんに否はないけれど、私は個人的な感情で少し怒っていたかもしれない。
後ほど、「さっき、まゆちゃん少し偉そうな感じだったよね」
インさんは冗談ふうにそう言った。
ちょっと変な空気でスタートしてしまった、旅行。


ハルビン行きのフライトは17時55分発、到着は二時間後の20時になる。
出発まで結構時間があくが、かと言って北京で観光する時間もなかったので、こんなふうにしておしゃべりしながら出発時間を迎えることになった。

ハルビンまで行く方法にはいくつか選択肢があった。
日本からはハルビンへの直行便がたしかあったし、また今回は天津が目的だったので天津に立ち寄ってから天津空港からハルビンに行くのもありだった。
しかし私は諸事情からすでに羽田ー北京のフライトを購入していたので、北京からの出発となった。
また飛行機ではなく、高速動車を利用して行くこともできた。
北京南站から七時間ちょっとでハルビンに行く高鉄があったが、出発が15時でこちらの方は間に合うか際どい。
そういう訳で、少し出費になるけれども飛行機で向かうことになった。

1712301.jpg

さあ、いよいよハルビンへ向かう中国南方航空 CZ6218便へ搭乗。
搭乗案内を見て、覚悟を決める。
「夜間 小雪 -17度」 の表示。

中国東北地方は極寒地帯である。
冬季は気温が零下20度以下になることもあり、ここ数日のハルビンの気温を見てみても、最高気温ですら零下10度を下回る毎日。
一方で私が暮らす場所は5度を下回れば寒い寒いと大騒ぎする温暖な地方。
雪が降ることは非常にまれで、もし仮にわずかでも積雪があれば、翌日には新聞の一面記事となってしまう。
インさんの暮らす天津は東北地方までとはいかずとも、零下が珍しくないやはり寒さの厳しい場所。
冬の北海道を旅行したときにも、「大した寒さではない」と感じたそう。
そんなインさんは、私の認識の甘さを指摘していた。
東北地方に親戚が多い中国語のQ先生も、しっかり準備を怠らないように私に注意していた。
また、同じく零下20度の冬を過ごす新疆の友人にも相談してみたが、やはり私の準備は足りないということだった。
そうしてかえって不安いっぱいになり、某スポーツ用品店に行き、頭から足の先までプロのアドバイスを受けて準備してきた。
新疆の友人は毛皮のコートを貸してくれると言ってくれた。
今回はインさんと二人旅で、毛皮のコートでおしゃれに行きたかったけれど、
「まゆちゃんの分も手袋買ったからね」
そう言ってインさんが見せてくれた写真に写るのは、ウインタースポーツ用の手袋。
それを見て、毛皮のコートを諦めた。
いつか、零下50度のフルンボイルと、40度の灼熱トルファンを経験するのが私の夢。
今回用意したあれこれは、きっとまた出番がやってくるはず。

1712302.jpg

空路二時間で、飛行機は北京からハルビンに到着した。
飛行機はそのまま空港建物に連結するのではなく、いったん降りてバスに乗り移動することになった。
「寒い!!」
零下を経験したことがない私は、この寒さだけで楽しい。

1712304.jpg

息は真っ白だった。
いよいよ心待ちにしていた旅行がスタートする。
それを教えてくれる真っ白な吐息。

空港内部に入ると、すぐそこには並ぶ更衣室。
飛行機から降りて寒さに備えるために、ここで着替えることができる。
極寒地方ならではだ。

空港を出て、外にはエアポートバスがあった。
1号線がハルビン站に向かうようで、私たちはそれに乗り込んだ。20元。
予約したホテルはハルビン站すぐ前だったので、これに乗ればすぐにホテルで便利だ。

ハルビン太平空港は市内からけっこう離れている。
だいたい一時間かかるとのことだった。
空港を出ると、すぐにまっくらな道のあちらこちらに、まぶしく鮮やかに輝く氷のオブジェが登場し歓迎してくれた。
今夜は到着するだけだと思いきや、一日目から楽しませてくれるのは嬉しい。

1712303.jpg

バスはようやくハルビン市内へ。
ハルビン站はバスの終着でないため、気を付けないといけない。
「まゆちゃん、もう着いたよ」
インさんにそう声をかけられて慌てて降りる準備をする。
「運転手さん言った?」
「あれ見て~!ってまゆちゃんが言ってる時に言ってたよ」

1712305.jpg

駅前の広場は大規模な工事をしていて、駅前なのに駅が見えず、いったいどこにいるのかわからない具合だった。
北京からそのままの服装だったために、早くホテルに到着しないと凍え死んでしまう。
指先は瞬く間にかじかんで感覚がなくなった。
人に訊きながらようやくたどり着いたのは、「崑崙大酒店」。
私たちはルートの都合上ホテルの裏口から入ってしまい、けれども裏口にいたおじさんがとても親切でいろいろと教えてくれた。

「ハルビン站はどれ?日本の有名な人が暗殺された場所だから明日行ってみたい」
私はそうリクエストした。
1909年10月26日、ハルビン站で伊藤博文が朝鮮民族運動家である安重根に暗殺された。
伊藤博文はその前に韓国総監を務めていた。

おじさんによると、ハルビン站は現在工事中で新しい駅舎が向こう側にできたばかりなのだという。
「昔のハルビン站はそれじゃない?」
「そう、昔のはその工事中のだ」
「何を作っているの?」
「新しい駅ができる」
「じゃあ、向こうの駅はどうなるの?」
「新しい駅ができれば、向こうからもここからも入っていくことができる。繋がるからね」
どうやら駅舎が二つできて同じように利用できるよう。
「じゃあ、当時の駅はもうないんだね」
そう言ってみたが、この工事の前にすでに暗殺当時の駅舎は建て替えられていたようで、おそらく当時の面影はなかったかと思う。
インさんはすぐさまスマホで検索し、「安重根紀念館というのがあるみたいだよ、興味があれば行ってもいいよ」 と言ってくれた。
しかし実のところ、私はこの事件に関して強い興味を持っていたわけではなかったので、実際にそこに足を運ぶことはなかった。

チェックインには少し時間がかかった。
インさんはあらかじめ部屋にリクエストをしてくれていたが、宿泊客が多く希望通りの部屋がすでに残ってはいなかった。
「今日も三回電話が来たよ」 そう話していた。
本当に宿泊するのか確認するためにだ。
極寒のハルビンだったが、実はこの冬季がもっとも観光客が多いのだそう。
年末前から有名な氷祭もスタートし、私がホテルを探した時には、すでに空室のあるホテルは限られているような状況だった。
帰国してからQ先生と話したところによると、ハルビンでは最近ホテル側が勝手に宿泊をキャンセルし他の客を入れたり、また一方的に宿泊料金を値上げし、支払いに応じないと宿泊を断るような事例が発生していたのだそう。
私は以前に別の場所で、一方的にキャンセルされたり、予約受けてませんと言われたことがある。
私であれば対応も難しく、予約したのに泊まれないなんてことにもなりかねない。
今回は電話対応してくれたインさんのおかげで、希望通りの部屋でなくても無事チェックインできただけでもありがたい。
この寒さの中で宿泊場所がなければ、本当に困ってしまう。

部屋は16階だった。
ベッドは小さかったけれど部屋はかなり広く、価格を考えれば十分だった。
荷物を整理していると、インさんが天津のお土産をくれた。
天津ではないけれど、プーアール茶と烏龍茶。なんだかちょっと高級そうな雰囲気。
それから、天津の伝統的お菓子。

1712306.jpg

お茶に合うからと渡してくれた。
「本当は天津に帰ったときに渡せばいいんだけど、早く渡したくて持ってきちゃった」

荷物を整理して、私たちは近くの商店に買い物に行くことにした。
駅付近の割に辺りはそう賑やかな感じもなく、でもそれも寒さのせいにそう感じるのかも知れなかった。
道路はところどころ凍り付いていて、滑りかけてはインさんが私を掴んだ。

ふと目の前には、「天津灌汤包」の電飾。
灌湯包は前回の旅行、開封で食べたあそこの名物だった。
中からスープが出てくる小籠包みたいなあれだ。
「インさんの天津だね」 私がそう言うと、
「天津には灌湯包はないよ」
インさんはあきれたように言った。
「天津ってつければかっこいいみたいな感じで適当につけてる?」
「そうそう、適当」
このあと別の場所では南京灌湯包の看板も見つけた。
「私みたいな知らない観光客が見たら、“へぇ~天津は灌湯包が有名なんだ~”って思っちゃうよね」
要注意だ。

商店はすぐそこにあって、寒さから逃げるように急いで入店。
そうしてライターだとかビールだとか、夜食のウインナーなんかを購入してホテルに戻った。

1712307.jpg

ビールは白クマデザインのビール。
ロシアビールには白クマデザインが多いかなと感じる。
ここハルビンはロシア文化の街である。
ビール自体は中国製造になっていたが、味は中国ビールではなく濃厚なロシアのものだったし、度数も同じく、パッケージもロシア語だった。
インさんも付き合ってくれて、二本ずつ飲んで少しいい気分になった。
合わせて買ったウインナーは、「俄式烤香肠」。
つまりロシア風ウインナーというわけでパッケージも西洋風だったが中国語表示で、「ロシア式」である以上ロシアではなく中国のものだ。
私は中国の畜肉加工品が口に合わない。
それでもロシア式なら、とおそるおそる一口食べてみたが、やっぱり口に合わなかった。

ハルビン空港に到着するのが20時なら、夜はのんびりゆっくりできる、そんなふうに思っていた。
それなのに気づけば日付は変わり、時刻は遅い。
厳しい寒さに無理は禁物、それを口実にして明日はのんびり眠ることにし、インさんに伝えることなく私はこっそり目覚ましを止めた。


クリックしていただけると励みになります☆
↓↓↓
にほんブログ村 旅行ブログ 中国旅行(チャイナ)へ
にほんブログ村
2018-01-21

哈爾濱旅行二日目~その一~

2017年12月31日、とうとう今年最後の一日だ。
昨年は安徽省黄山に登山し、山頂で新年を迎えたのだった。
あの時の記憶はまだ鮮明で、特にあのわくわくした気持ちは、ついこの間の出来事のようにいまだ胸の中に残っている。

一年が過ぎるのはなんて早いんだ。
この一年でさまざまなことがあっただろう。
その中には変化もあっただろう。

黄山から始まってこの一年で訪れた中国旅行を一つひとつ思い出した。

感動の年越しをした黄山から下山して安徽の村々を巡った。自分の記憶にないはずのものたちに、なぜか強いノスタルジーを感じた。
2月は母を連れて湖南省の鳳凰古城へ。ミャオ族の本来の姿には触れることはできなかったかもしれないけれど、初めての体験だった。村の素朴さと古城内の煌びやかさの対比が激しすぎて、そこに少数民族の現代を見た気がした。
5月はパキスタン国境にチャレンジしたかったけれど封鎖されていて、また手前の街にも入ることができなかった。急遽ウイグルの違う街を訪れたけれど、検問にひっかかって戻れなくなってしまった。ひとの手助けにより自分の旅があることを深く実感した。
7月は火鍋がおいしい重慶へ。蒸し暑さにめげそうになりながら、つい数十年前に起きた陰鬱な出来事についてその史跡をまわりながら考えた。陰鬱な感覚とはうらはらに重慶の街は美しい現代都市でため息がでた。
8月には中国・ロシア・モンゴルの三国国境の街へ。訪れた人を裏切らない絶景の場所がまだあるのだということを知った。一周ぐるりとまわったフルンボイル大草原、おいしい羊、輝くような満洲里の街。この旅行の初めに、インさんと出会った。
11月はインさんと初めての旅行、河南省の開封へ。一人旅するつもりが二人旅になり、新鮮な感覚で楽しんだ古都。二人で誕生日をお祝いした。
どれもいまだ新鮮な感覚が残っていて、大切な大切な思い出。

そして今、極寒のハルビンで2017年を終えようとしている。
2016年最後の日没を見届け、2017年最初の日の出を迎えたあの時、今の私の姿なんて少しも想像できなかった。
きっと一年後の今日もそうなんだろう、と思う。


目覚ましをこっそり止めたにも関わらず、7時半に目が覚めた。
昨夜は夜更かしをしたので、まだ眠い。

1712311.jpg

窓の外を見ると、びっくり。
昨日雪は降ってはいなかったけれど、いつの間に?
眠っている数時間の間に降ったのだろうか。
あとからわかったことだけど、雪が降ったのは一週間前だったのだそう。
その時の雪があちらこちらに残っているのが、昨日は夜だったために見えなかったみたい。

自然に目が覚めたけれど、べつに寒さで目が覚めたわけではなかった。
外が寒いぶん屋内の暖房がしっかりしていて、かといってエアコンではないので火照るというのもなく、とても自然な暖かさで快適だった。
寒い地方に暮らす友人たちはよくこういうことをいうけれど、本当にそうなんだ。
インさんも、天津は寒いけれど床暖房とか壁暖房があるから暖かいと言っている。
もしかしたら、気温がそんなに下がらない私の地方の方が屋内は寒いかもしれない。
そういう訳でホテルの部屋は過ごしやすく、寝不足を感じた私は行動開始せずに二度寝を選択した。
二度寝は危険だ。
ほんの一時間寝るつもりが、結局ホテルを出たのはお昼になってしまった。

1712312.jpg

ホテルの正面は大規模な工事中。
この工事中の正体こそ、目にしてみたかったハルビン站が昔からあった場所だ。
工事が終わればこのあたりの景観はだいぶ変わるだろう。
昨夜チェックインするときに、「景観がいい部屋がいい」とリクエストしたら、「工事中だからどの部屋も景観悪い」と言われてしまった。
この工事中の駅舎の向こうには、すでに完成した新しいもう一つの駅舎がある。
実を言うと、エアポートバスの中からそれが一瞬見えた。
とてもきれいな駅舎だった。
そういうこともあり、駅舎が工事中ってどういうこと?と少し混乱してしまったのだけど、あとからわかったことには、現在目の前で工事中のここにあった当時の駅舎を向こうに再現したものなのだそう。
伊藤博文が暗殺された昔からあった駅の場所に来たければここに。
その当時の駅舎の姿を見たければ、向こうに行けばいい。


ハルビンで観光できるのは今日明日の二日。
本日はハルビン站南側にのびる東大直街を西から東に歩いてみたい。
スタートは「ハルビン鉄路局」。
かつて「東清鉄道本社」だった場所だ。

インさんがスマホでナビしてくれる。
ここから何キロメートル、徒歩で何分、そんなこともわかる。
世の中は便利になったものだけど、私はアナログ人間でそういうものが苦手。
一人であれば、自宅で印刷してきた地図を片手に、道々人に訊ねながら時間をかけていく。
かといって地図を見るのも苦手だから、たいていは道に迷って大幅に時間ロスしてしまうのが毎度のことだった。
インさんと旅行するようになって私はそうした苦労から解放され、考えなくなった。
私が何もしなくても、「ここから20分かかるけど歩く?」、「次の角を右だよ」、そんなふうに情報を与えてくれる。
スマホのナビは、自分たちの歩きに合わせて画面上の地図を更新していく。
この先どう道を進むかも一目瞭然だ。

どちらがいいのかは、わからない。
でも、紙の地図を片手に、というのも悪くないかなと思う。
道を間違えれば、思わぬ出会いがそこにあったりもする。
何度も見返すうちに、紙の地図はぼろぼろになっていく。
破れそうになった折り目に、その土地との思い出が重ねられていく。
目に留まったものを地図に書き入れてみるのもいい。
現地の人に道を尋ね、メモを書き込んでもらうのもいい。
いつの時代も、地図は旅の必需品であり、またその象徴だった。
でも今では、「紙の」と付け加えないと、たいていはインターネットの地図をイメージする時代になった。
紙の地図は失われてはならない。
今後は、スマホ禁止旅行というのを提案してみるのも楽しいかと思う。たまには。
「え~不便だよ」
そんなインさんのセリフが浮かんでくるようだ。

けれども今は零下十数度であり、さらに時間も限られていた。
スマホ禁止旅行は次回にまわすことにして、私は現代の便利さとインさんに頼ることにした。

もう少しでハルビン鉄路局かなというところで、大きなクラシカルな建物に出合った。

1712313.jpg

石造りで細工が細やかで欧風だ。
中国では、外灘を代表にたいていこうしたものは1900年初頭の海外建築だ。
その中には日本建築も含まれている。

1712314.jpg

近づいてみると、「哈爾濱工業大学」の文字。
「これ、大学だったんだ~随分立派で大きい大学だね」
「中国ではこういう大学は珍しいよ、普通はキャンパスだから」

説明によると、この建物、1953年にハルビン工業大学の建築学部の校舎として建造されたもので、(多分)ロシア人が設計した。
1900年初頭ではなかったけれど、古い建物であることに違いない。
入り口には「建築館」の文字があり、その下にはロシア語が並んでいる。
その入り口をくぐってみると、守衛さんという感じではないけれど、男性がいる。
訊ねてみると現在も使用されている大学校舎ということで、見学させてもらうことにした。
その男性に、インさんが身分証を預ける。

1712315.jpg

建物に入ると、内部はロの字型に内側が庭になっていて、私たちはそのロの字をぐるりと回った。
ロの字の奥には学生が生活する寮があるよう。
小さな部屋が並んでいて、覗いてみるとその一つひとつにはパソコンが数台あり、それぞれに学生が真剣な表情で取り組んでいた。
部屋はどれも物で溢れていて煩雑で、きっと研究室なのだと思う。
「現地調査中」の張り紙が貼られて不在の部屋も。

校舎のあらゆるところに、建築模型や建築にまつわる展示物が並べられている。
それらはどれも現代風で、複雑な数学のもとにデザインされているに違いなかった。
「中国ってこういう前衛的なデザインのビルが多いよね、都会では」
私はそう言った。
例えば、うねってねじったようなビル、窓が不規則なかたちに飛び出しているビル。
「まっすぐ四角のビルを作れば簡単だし費用も少なくてすむのにね」
いつも中国に来て思うことだけれど、それはこの校舎で言うべきではなかったかな、と一瞬思った。
「うーん、そうだねぇ…」

ハルビンは歴史上西欧建築の影響を受けてきた場所。
建築を学ぶのには最適な大学かもしれない。
古典の対極にあるような前衛的な建築も、きっと古典的建築があったからこそ現代生み出されるものなのだろう。
現代にあってすべて「昔のもの」になったかつての芸術文化の中にも、古典的、復古主義があり、新しさを意味するアールヌーヴォーも今ではクラシカルな印象を持つ。
「ここで勉強する学生はきっとみんな優秀なんだろうな~」
彼らが設計したビルがいつか、この街や北京や上海なんかに実際に建つ日が来るかもしれない。

壁には建築学部のポスターが貼られていた。
「現在は未来のために」
そんなキャッチフレーズを見て、「いい言葉だね」とインさんはつぶやいた。

門番の男性に訊いてみると、ハルビン鉄路局はすぐそこのよう。
向こうに歩いて2、3分、その先に進めば博物館もあるのだと教えてくれた。

1712316.jpg

ハルビン工業大学建築学部のすぐ向こうにあった、「ハルビン鉄路局」。
かつての「東清鉄道本社」である。
守衛室に中に入れないかお願いしてみるも不可だったので、その位置から撮影。
正面からも撮影できるが、そうなると手前にでんと建つ巨大な毛沢東像にはばまれて建物が見えない。

私は勘違いしていて、最初ここが満鉄社屋だと思っていた。
そのため、「日本の建築じゃないの?」と言ってみたが、守衛さんは「ロシアのだ」と答えた。
東清鉄道はもともとロシアの鉄道会社で、その後日本がこの地に進出し満鉄として営業し始めた。
東清鉄道本社はだからロシアが建てたもので間違いない。
この社屋の向こう側にはやはり東清鉄道関連の建物が続くそうだが、そこも立ち入れないと守衛さんは言った。
数年前に大連を訪れた。随分前のことだ。
大連には旧満鉄本社が今も残り、現在ここと同じように大連鉄路局になっていたように記憶する。
中国東北地方の今と昔を考えるのに、ロシア、日本、鉄道、それから戦争については避けることができないテーマである。

この旧東清鉄道本社の向かいには、先ほど守衛さんが教えてくれた博物館があった。

1712317.jpg

ここはかつての「東清鉄路倶楽部」だそう。
1911年に建設されたこの建物は、おそらく東清鉄道職員の交流や娯楽のために使用したものと思われる。
そのすぐ隣りには、「卡米拉俄式西餐厅」の看板。
東清鉄路局第一代局長の夫人だった卡米拉(カミラ)夫人は、ハルビンに来てのち慈善活動や文化活動を行い、この東清鉄路倶楽部が建設されたあとはこの場所を拠点にそれらの活動を行ったのだそう。

その東清鉄路倶楽部の建物がそのまま博物館になっているようだったが、扉は閉ざされていた。
休館だったのかもしれないが、なんだかもう営業していない雰囲気も感じられる。

1712318.jpg

すぐそばには古い車両が展示されている。
「あ、緑皮車だ」 インさんが言った。
中国の昔ながらの車両である。
手前には「哈爾濱」の駅名がレトロ。その下にはロシア語表記も。

説明書きがあった。
1938年(昭和13年)に満鉄大連工場で制作されたもので、1998年まで実際に使用された。

1712319.jpg

大連と昭和、歴史を考えれば不思議のない組み合わせの言葉だけれど、それでも現代を生きる私にとってはどこか違和感を感じる。

17123110.jpg

「まゆちゃん、来て来て」
インさんが呼ぶ先にはもう一両。

17123110-.jpg

こちらは蒸気機関車。一週間前に降った雪をかぶる。
その名も「解放1型(JF1型)」。
車両番号の「JF522」の“JF”が解放(jie fang)を意味するのだということがわかった。
1936年に日本の川崎重工で制作されたもの。
「中国の新幹線は川崎重工の技術で作られたんだよ」
説明書きを読んで思い出したようにそう言うと、
「ふーん」 インさんは聞いてないふう。
30000Lの水を積載することができ、車両と積載した水合わせると、160t以上にもなったのだという。
50年代にハルビン鉄路局の所有になり、その後、天津重工業の工場で引退した。

17123110--.jpg

すぐそばには、最も古いタイプの列車信号の原寸大模型。
昼間は上部の細長い板の位置で、赤青を。
夜間はその板にライトを当ててその色で、赤青を伝える。

この博物館を出て、そのまま先に進んでみた。

17123111.jpg

バスの路線を示す標識もなんだかレトロ。
中国でこういうタイプの標識に出合ったのは初めてだ。

17123112.jpg

歩いていると、道路の向こう側に古い建物を見つけた。
「あれ絶対歴史的なのだよ」
そう言って向こうに渡ってみた。

17123112-.jpg

予想は当たっていて、ここはかつての「ハルビン法政大学」の建物なのだそう。
もともとハルビン高等経済法律学校が、1922年に中ロ ハルビン法政大学と改名し、1931年の九一八(柳条湖事件)以降は中共法政大学党支部として、抗日活動の拠点として使用された。
そういう訳で、革命遺址の標識がかけられている。

建物の歴史としては、もともとは1906年に東清鉄道の男子女子それぞれの商務学校として建設されたアールヌーヴォー建築だそう。つまり最初はロシアの建築物だった。

17123112--.jpg

奥にはもっと建物が続いていて、現在は中学校になっている。
一つの建物が役割を変えまた変え引き継がれていく。

17123113.jpg

道はどんどん車通りが激しくなり、なんだか怪しい雰囲気。
円形に放射状の道路は、大連を思い出した。
この先には実際に円形の立体橋があった。

17123114.jpg

そのすぐそばにはハルビン工業大学のキャンパスがあった。
入り口に氷のオブジェがあり多くの人が記念撮影をしている。
先ほどの建築学部はこの大学の一部で、本キャンパスはここのよう。

ここでようやく気付く。
「道、逆に進んでない?」
旧東清鉄道本社から東大直街を東に進む予定だったが、目的のものが全然現れないどころか、道はどんどん大規模になっていき観光とは無縁な雰囲気。
どうやら、東ではなくて西に進んでいたよう。
インさんのスマホナビから私の紙の地図に移行した途端これだ。

その言い訳のひとつに、太陽の位置があった。
現在時刻は13時半を迎えていたが、太陽は非常に低い位置にあった。
あの太陽の方向がもし西ならば、もう少ししたら日没を迎えてしまう。
いくらなんでもそれはないだろうから、あちらを東だと判断してしまったわけだ。東だとしてもおかしいのだけど。
しかし実際のところ、あとしばらくしたら日没を迎えるのは事実だった。
東だと思い込んでいた方角は西だったのだ。
太陽は南南東から昇り、低い高度をとって南中し、そして南南西に沈む。
日照時間がとても短い。
高緯度の冬季はこういうものかと、このあと私は驚くのだった。

けっこう歩いて来てしまったので、慌てて元来た道を戻る。
博物館を過ぎ、ハルビン鉄路局を左手に見て、ハルビン工業大学建築学部を通り、そのすぐ先には古い建築物が建ち並んでいた。

17123115.jpg

雪をかぶって煙突が突き出たレンガ造りは、ロシアのものだ。
ここは東清鉄道で働いていた職員の集合住宅地だった。

17123115-.jpg

みな1900年初期のロシア建築だ。
保護建築に指定されているが、朽ちるがままに任されているようにも見える。
少なくともこの国では、取り壊しの対象にならないことが一つ保護のかたちである。

17123116.jpg

不思議な街だ。
ロシア文化の街といっても、満洲里のようなロシア色とはまた違う。
満洲里はロシアと国境で向かい合っているのに対し、ここハルビンはそういうわけではなく、ロシアが鉄道事業によって進出してきた結果ロシア人が多く移住した場所である。
満洲里が「ロシアと接している」ことを観光要素にしているのに対し、ここはそうではない。
ロシア人が昔暮らしたその形跡が史跡としてあちらこちらに残るが、それらはすべて過去の出来事である。
ロシア語で埋め尽くされているわけでもないし、ロシア人を多く見る訳でもない。
中国でありながら他の国のよう、なのではない。
ここは間違いなく中国であり、ロシアや日本の影響を受けた名残があるにすぎない。
そしてその影響というのも、好きで受けたわけでもないのだ。

しかしながら、ハルビンがこのような大都市にまで発展したそもそもの発端は、諸外国の進出だった。
もともとこの地はなんにもない場所だったのだそう。

1895年、日清戦争後に交わされた下関条約によって日本に割譲された遼東半島。
その直後すぐに清に返還されることになったのは、三国干渉があったからだ。
1898年、この三国干渉による代償として、帝政ロシアは清から中国東北部に鉄道敷設権を得て東清鉄道の建設を始めた。
この鉄道の建設により、多くのロシア人が中国東北部に移住することになった。
ハルビンは、この東清鉄道の主要駅のひとつとして建設されたものである。
東清鉄道の建設により人口が増え、経済が発展、交易拠点として栄えロシアを通じて欧州諸外国ともつながり国際都市化した。
そして1932年には満洲国が成立し、東清鉄道は満洲国所有の満洲鉄道として日本の支配下に。

東清鉄道地図1

赤い線が東清鉄道路線。

東清鉄道地図2

こちらは拡大図。
ロシアからまず満洲里へ。
満洲里は清に入り一番最初の駅である。
8月にはこの満洲里を訪れた。あそこもまた、何もない草原から鉄道建設により都市化した場所だ。
そこから海拉爾(ハイラル)を通過し、そしてここ哈爾濱(ハルビン)へ。
ハルビンからそのまま東にロシア・ウラジオストクへとのびるのが、東清鉄道の本線。
ハルビンから南下し、長春、奉天、大連、旅順へとのびるのが、支線になる。
こうしてみると、ハルビンが本線・支線の分岐点になり重要な拠点だったことがわかる。
当初はロシアの思惑によって建設された路線だったが、最終的にはこの鉄道は各地をロシア・欧州との交易拠点として発展させた。
ロシアの手から日本の所有になり、経済発展の手助けどころか戦争の道具になった時代もあった。
この鉄道は中国東北部が様々な国の利益や保身のために翻弄されたことを示す遺産でもある。
そしてすごいことには、この路線は現在もそのまま中国の鉄道として生きていることだ。

旧東清鉄道職員住居を越すと、ロータリーのような場所に出た。
紅博広場だ。

17123118-.jpg

この広場をぐるりと建物が取り囲んでいる。
やって来て左手前を見ると、なにか祈念塔のようなもの。

17123117.jpg

ロシア語の塔であり、ロシアのものかと思い近づいてみると、
「中国の自由のために東北部を解放し犠牲になったソ連軍を永久の英雄として称える」
1950年9月の日付がある。
これは中国がソ連軍を祀った塔なのだった。
日本は戦争により多くの犠牲を生み出した側だが、一方で中国東北地方で犠牲になった日本人も数知れない。
終戦後ソ連軍は抵抗できない日本人、女性子供に対してどんなことを行ったか。

17123118.jpg

塔の近くにはまたまた氷の作品。
ハルビンには紹介したらしきれないほど、それはもうあちこちにこうした氷の作品があった。
夜になればこれも光るのかな。
この氷の上にはちょうどよく標識が。
ここは満洲里街という道のよう。
満洲里は8月に訪れたばかり。

この紅博広場には、古いホテルがある。

17123119.jpg

「国際飯店」。
かつて「ニューハルビンホテル」という日本人経営のホテルだったものだ。

ここにきて体調が悪くなってきた。
原因は寒さ。
服装もしっかりしていたし、足元もちゃんとしていた。
手は写真を撮るために手袋を外し、ポケットに高熱型ホッカイロを二つずつ入れてしのいでいた。
ただ帽子はかぶらずバックにしまい、フードもかぶらず耳当てもネックウォーマーもさぼっていた。
そのつけか、寒くてつらいというより、なんだか身体の様子がおかしくなってきた。
「インさん、ちょっと体調が悪い。ホテルに入ってもいい?」
旅行出発前に中国人観光客の口コミで、
「寒くてつらくなったら、あちこちにあるホテルのロビーに入って休めばいい」と書いてあったのを思い出した。

17123120.jpg

入り口はレトロな雰囲気。
小さく出た屋根はステンドグラス。
光に透かされて遠い昔を見たような気がした一瞬。
中国南部にもステンドグラスはよく見かけるけれど、そもそもこのようなステンドグラスを組み合わせてデザインするやり方は見ないなと思う。
西洋のそれとも違うし、やっぱりこれは日本のステンドグラスを再現したものかなと思う。

17123122--.jpg

一歩入れば別世界で安心。親切にも柔らかな椅子があり、そこに座れば身体が解けてほぐれていくようだ。

クリスマスを過ぎているけれどもクリスマス真っただ中な感じは中国ならでは。
ここだけでなく、どこもかしこもこんな風。
2017 Merry Xmas!
2018 新年快乐!
これらが並んでいる姿も珍しくない。
「双“dan”節っていうよ」
インさんがそう教えてくれた。
クリスマスの圣诞节(sheng dan jie)と、元旦(yuan dan)。
誕(dan)と旦(dan)、ふたつの“dan”で双dan節なのだそう。
「でも“dan”の漢字違うよね」
「うん、そうだけど…」

ニューハルビンホテルは1937年に開業した、日本の会社・近藤林業経営のホテルだ。
建物の設計はロシア人だそう。
ここにはその歴史が当時の写真や当時ホテルが所有していたものの展示を通して紹介されている。

17123122.jpg

こちらは50年代の写真。
ニューハルビンホテルは戦後軍の手に渡り、49年には政府管轄のハルビン国際旅行社になった。
こちらの写真はこのハルビン国際旅行社時代のものである。

左手に写るのは、「聖尼古拉(二コラ)聖堂」。
1900年に建設された木造の教会だったが、1966年の文革時に破壊されその時には最後となった神父も殺害されたのだという。
東清鉄道局がこちらに置かれてすぐにロシア正教会を建設することが決まり、ニコラ二世の支持のもと建てられたために、聖ニコラ聖堂と命名された。
歴史的意義が大きく、再建の意見が持ち上がったが賛否あり、結果的に当時のままこの紅博広場に再建するのではなく、ここから離れた成高子鎮・伏爾加庄園に再現されたのだそう。
現在この国際飯店の前に聖二コラ聖堂は存在せず、当時の面影はかけらもない。
この古びた写真から想像することしかできない。

17123122-.jpg

こちらは90年代のもの。
すでにハルビン国際飯店になっている。

17123121.jpg

休憩させてもらったロビーにはここにもステンドグラスがあった。
昔懐かしい暖かな色彩だ。
時代も国も民族も越えた、不思議な色の誘惑である。


クリックしていただけると励みになります☆
↓↓↓
にほんブログ村 旅行ブログ 中国旅行(チャイナ)へ
にほんブログ村
2018-01-21

哈爾濱旅行二日目~その二~

今回現地での食事をとても楽しみにしていて、お昼と夜と違うものを食べたいと考えていた。
ここはロシアの文化が残るのでロシア料理を食べたいし、また中国東北料理ももちろん体験してみたい。
それに寒いから大好きな火鍋は絶対に一度は組み込みたかった。
寒さに疲れて時間がないときには、麺もいい。
行動時間は二日間しかないので、この二日の昼夜の二食をどうするか。
朝は簡単に手軽な小吃がいい。
安いしちょっと食べるのにいい量だし、現地の素朴な味覚を楽しめる。
そんなふうに考えていた。

しかし今朝はスタートが遅かった。
二度寝で遅い起床となった私はそれでものんびりと支度をしていた。
すると、一人でホテルの朝食に出かけていたインさんが戻ってきた。
手には持ち帰ってきた大量の朝ごはん。
パックにして3つ。
「まゆちゃん、朝ごはん持ってきたよ、食べてね」
「私おなか空いてない、そんなに食べれないよ~」
「食べないとダメだよ、食べて」
パックのひとつめを覗いてみると、みっつのゆで卵が見えた。
「ゆで卵はタンパク質だから食べたほうがいいよ」
無理して全部食べなくていいから、少しでも食べて、と。
通常一人旅をするとき、たとえ朝食付きになってしまった場合でも、私はけっして利用しない。
まずいとは言ってはいけないかもしれないけれど、私にとって食欲が湧くものではなかったからだ。
それに、せっかく出かけてみれば好奇心を誘う小吃がそこらにあるのに、ホテルの朝ごはんで胃袋を満たしてしまったらもったいない。
そんな私だったから、インさんの好意に少し戸惑った。
私、朝ごはんはいらないよって言ったのに…。
時刻はもうはやお昼になろうとしている。
けれど口をつけてみたタマゴとキクラゲの炒め物は意外にも冷めてなお美味しくて、ゆでタマゴも完食し、結局3パックのうち半分ほどをいただいたあと、今日のお昼を諦めた。

そういうわけで、おなかいっぱいになった私たちはその後何も口にせず、それどころか飲み物すら一口も飲むことなく、時刻は15時半を迎えていた。
寒さに身体をやられ、国際飯店のロビーで休ませてもらう間、回復してきた体力にふと食欲が湧いてきた。
「何か温かいものが食べたい」
そう提案すると、インさんは私が大好きな火鍋のお店を、例のごとくスマホでさくさくと調べ始めた。
「うーん、ここは遠いし、ここは近いけど評価(口コミ)が良くないな~」
今いる場所から何m離れていて、どんな料理があって、そんなことが一目でわかり、また星で人気度が示されている。
“ホットペッパーみたいなアプリ”だそうだけど、旅先で、そこからどれくらいの距離に食べたいものがあるお店がどれくらいあるのかわかるのは、とても便利だ。
歩きながら、どこに入ろうか、このお店はどんな感じなのか、そんなことを悩みながら勘に問いかけながらお店を選ぶのもまた、旅の楽しみだと思うけど。
「まゆちゃん、ちょっと現地の人に訊いてみるよ」
インさんはホテルのスタッフに訊きに行った。
帰ってきて言うことには、
「このお店はハルビンではとても有名みたい、それとここは東北料理が食べれるみたいだよ」
そうして一軒のお店を選び、ふたたび紅博広場にでてタクシーを停めて向かうことにした。

タクシーの運転手さんは、なかなか親切だった。
留めても留めても、「そこには行かない」と断られていた中、停まってくれたタクシーだ。
インさんの話を聞いて、あれこれお店を提案してくれた。
「運転手さんはここをお勧めしているけど、どうする?」
インさんはそのお店の情報をスマホで見せてくれた。
そうして予定を変えて行ってみたのは、火鍋店 「炭火楼」。

17123123.jpg

鍋の中心の筒が天井までのびている。
筒の周囲のドーナツ型部分にしゃぶしゃぶして食べるタイプだ。

選んだ具材は、まず私が熱望した羊肉。
正直、私が火鍋を食べる理由は牛肉羊肉であり、他の具材にそう興味がないほど。
もちろん今回は一人ではないので、そういうわけにもいかない。

「油麦菜って知ってる?」
「うーん、知らない」
日本語でなんの野菜だろうと隣のテーブルをのぞき込んでみると、見たことない葉っぱ。
「じゃあ、これは?」
メニューには茼蒿の文字。最初わからなかったけれど、実物を見てみると春菊だった。
結局、野菜に関しては盛り合わせを頼んだ。
レタス、キャベツ、油麦菜、春菊、パクチーなどなど。

「まゆちゃん、これ食べたことある?」
そう言って示したのは、「氷豆腐」
「ないよ~」
ということで、氷豆腐ともうひとつ「香汁皮蛋豆花」。
日本ではけっしてやらないけれど、中国では一人旅の時でもずうずうしく他のテーブルを覗きにいき、どんなものか見せてもらうことがある私。
見ないとどんなものか、どれくらいの量かわからないから。
逆に、「それなんて名前の料理だ?美味しいか?」 なんて訊かれることもあるから、まあそんなものだ。
今回も、よそのテーブルを見てみると、この香汁皮蛋豆花を頼んでいるお客は多いようで、なかなかの人気ぶりであることがうかがえる。

17123124.jpg

そうしてそろった火鍋の具材。
羊肉、野菜の盛り合わせ、その隣が「香汁皮蛋豆花」。
タマゴ豆腐みたいにとろりとした豆腐の上に、ネギ、唐辛子、落花生のみじん切りがのっかっている。
皮蛋ということはピータンもかかっていたはずだけれど、ちょっと記憶があいまい。
一口食べて少し口に合わなかったので、そのほとんどをインさんに食べてもらったからだ。
羊肉の隣は、「氷豆腐」。
その名の通り、半分凍った感じの豆腐。食感としては厚揚げみたいな感じだった。
火鍋に放り込めばあっという間に解ける。ただしスープを吸うのでヤケドに注意だ。

17123125.jpg

もうひとつ頼んだのは、こちら、「鮮蝦滑」。
エビの身が細かく餡みたいになっていて、このスプーンの曲がったところを火鍋にかけてスープに漬けて加熱する。
「やり方わかっているんだね、こういうやり方は火鍋の具としては一般的なの?」
「そういう訳じゃないよ、でも見ればわかるでしょ?」 インさんは言った。
そして、火鍋の中心にのびる筒の中程に差し込まれた銅板をスライドして位置を変えた。
「何をやってるの?」
「こうやって酸素の量を調節して火加減しているんだよ」
「慣れてるんだね」
「そういう訳じゃないよ、でも見ればわかるでしょ?」 インさんはまた同じように言った。

食事をしている途中、外を見てみると、まだ夕方にもかかわらず外は夜になりかけていた。
「まだ4時だよね?早くない?」
私がそう言うとインさんも同じように驚いているふう。
先ほど方向を見誤った一つの原因に太陽が西に傾いているということがあった。
けれど、あれは見間違いではなかったようだ。
昼間がとても短い、なんだか少し損したような気分。
すでに暗くなり、時刻はまだ早かったけれど他の場所を観光するのを諦め、夜行こうと予定していた場所にいくことに。


「氷雪節」、または氷灯ともいう、ハルビンのイベントがある。
いわゆる氷(雪)祭で、さっぽろ雪まつり、カナダのケベックウィンターカーニバルに並んで、世界三大雪祭に数えられている。
冬のハルビンに行くならばぜひとも足を運んでみたい。

手元にある古いガイドブックには、兆麟公園、太陽島の氷雪節会場は12月下旬より、もっとも大規模な氷雪大世界は1月5日からだと紹介されていた。
1月5日からでは残念だけど数日早い。
Q先生の親戚がハルビンにいるので、会場のスケジュールを訊いてみた。
そうすると、太陽島に関してはすでに開幕し、兆麟公園は不明、だそう。
そのかわり、「万達(ワンダー)氷灯大世界」という会場が新たにオープンし、すでに開場している模様。
送ってくれた写真を見てみると、けっこう大きな会場のよう。
迷うところだ。
太陽島は雪の作品がメインで、他の会場は氷の作品がメイン。
迷うところだ。
私たち二人は話し合い、ネットで入場料などを確認し相談した結果、これからハルビン氷祭のメイン会場である「氷雪大世界」へ向かってみることに。
1月5日からだという情報もあったこの会場だが、ネット上ではチケット販売しており、年越しするための「夜間チケット」なるものもあったので、会場しているだろうということがわかった。

タクシーを停めて乗り込んで、「氷雪大世界へ」と伝えると、タクシーのおじさんは、
「50元」と片道料金を示した。
「なんで50元なんだ、そんなかからないはずだよ」
さすが中国人でインさんは交渉するが、「ああ行ってこう行って、それに道が混んでるんだ」 とおじさんは譲らなかった。
たくさんの観光客が氷祭会場に押しかけていることを考えると、まあ高くない料金かなとも思う。
それに実際、市街地からはそれなりの距離があった。
「帰りはどうすればいいの?」 そう訊くと、
「帰りは車を捉まえるさ」 とそんな感じ。
人でいっぱいで道も混んでるから、待つことは不可能なよう。

「ちょっと煙草買いに行っていいか?」
おじさんは調子よさげにそう言った。
「道が渋滞するから煙草なしではやってられないよ」
そう言い残して商店に小走りしたおじさんはすぐに戻ってきた。
「いつものやつがなかった…」
あるやつは全部高級ので買えない、まいったよ~おじさんは苦笑してタクシーはようやく氷雪祭の会場へと出発した。

ハルビン市街地の北側には大きな川が東西に流れている。
「松花江」だ。
松花江を渡って北側に、これから向かう氷雪大世界も太陽島も万達大世界も会場をかまえている。
車はやがて松花江に架かる大きな橋、松花江公路大橋を越えた。
「川どこ?」
橋の上から凍り付いた大河を見下ろすのを楽しみにしていたけれど、残念ながら橋の上からは見えないようになっていた。
その代わり、進行方向の遠く向こうに、煌びやかな氷祭の会場が確認できた。
川を越すと、大世界、太陽島の進路を案内する大きな標識があったが、それが示す右折の道路は封鎖されていた。
通常はそこを曲がるようで、ここを右折できないと行き方がわからないよう。
付近に停車している公安の車に訊き、そのまま道路を直進した。
道は“煙草がないとやってられない”ほどは混んでいなかったけれど、それでもにわかに交通量が増えやがて渋滞にはまった。
両側の歩道をたくさんの人が歩いて向こうに向かっている。
「急いでいるなら降りて行ってもいいぞ」
おじさんはそう提案し、寒いということもありしばらくそのまま乗っていた私たちも、やはり途中で下車して徒歩で進むことにした。

タクシーを降りて、カーブを描くゆるやかな坂道を登り切ってみると、広い広い氷祭の会場がそこにあった。
人もすごいが、その規模に驚いた。
自分が思っているよりも、ずっと大きな会場だったからだ。

17123126.jpg

「哈尔滨冰雪大世界」 ハルビン氷雪大世界。
まだ会場入りしていないうちから、そこらじゅうで撮影しあう観光客たち。

17123127.jpg

さまざまな氷の色彩は緩やかに色を変えていく。
入り口でこんななら内部はどんなふうになっているんだろう、と期待に胸ふくらむ。

17123128.jpg

観光客向けに用意された馬車。
馬は私が知っているものと少し違い、足の毛がふさふさ。
こういう種類なのか、それとも寒いから毛がのびてしまったのか。

私たちは自撮り棒であちこち写真を撮るも、まぶしい場所というのは撮影が難しい。
中国人の三種の神器である自撮り棒、私もとうとうデビューだ。

17123129.jpg

入り口までまだまだある段階ですでにたくさんの写真を撮り、時間を使っていた。
ここから会場に入るには、チケットを購入しなければならない。
チケット売り場を示すのも、こんなふうに氷。

奥に進んでいくと大きめの建物があり、内部がチケット売り場になっていた。
インさんが調べてくれたところによると、窓口で購入してもネットで購入しても大差ないようだったので、列に並ぶ面倒を考えてネットで購入してしまうことにした。
チケット購入には中国人の身分証が必要とのこと。
世界的なイベントなのだから、当然パスポートでも入場できるとは思うが、その辺りが不明瞭だった。
中国には、外国人入場不可、中国人身分証のみ許可、なんて場所は多いともいえないが少なくもない。
「大丈夫、ひとつの身分証で三枚まで買えるから、僕の身分証でまゆちゃんも入れる」
そうして購入しようとするが、低気温によりインさんのiPhoneは頻繁に落ちた。
さらに、多くの人が購入しようとして混雑しているのか、購入画面がかたまり全然さきに進めない。
結局、列に並んだ方が遥かにはやく入場できたくらいだったけど、それでも無事チケットを購入。一人330元。
チケットと言っても、換券する必要はない。
隣りにある入場用の建物に入れば、身分証の提示だけで購入記録が確認でき、そのまま入場させてもらえる。

17123131.jpg

いよいよ入場してみると、一面が煌びやかな氷の世界。
どちらに進んでいいのか、どれを先に見たらいいのかわからなくなるほど。
「すごい!すご~い!!」
語彙力のなさは、気持ちが高ぶっている時にこそ露呈してしまう。
私はしばらくの間、「すごい」以外の言葉を発することなく、もはやインさんのことを忘れ氷の世界に夢中になってしまった。

説明する必要もないかもしれないが、これらはすべて、本物の氷で作られているものだ。
足元は一面雪で、踏みしめる感触がここちよく、雪が降らない土地に暮らす私にとっては、なかなか味わえない感触だった。
ここは、氷、氷、氷、雪、雪、そして人。
本当にそれしかない。
まさしく氷の世界だ。

17123130.jpg

どういう仕組みになっているのか、すべての氷は発色している。
ライトアップでもないし、電球が見えるわけでもない。
光源が内蔵されているのか、まるで氷自体が意思をもって発色しているみたいに、幻想的にかがやく。
お城だったり塔だったり教会だったり、そんなものが幻想世界をつくりだす。
それらはしずかにしずかに、色合いを変えた。
あまりに静かだったために、最初は色が変化していることに気づかず、先ほど見たものと同じものであることに気づかなかったくらいだ。

17123132.jpg

赤、青、緑、ピンク、淡い紫、白、水色…。
それからレインボーも。

17123133.jpg

氷の階段になり、登っていけるところもいくつかあった。
登っていくと、また違った風景。
もう本当にすべて氷。足元も氷、壁も氷。
いったい今は零下何度なのだ?十数度?それとも二十数度?
「アナと雪の女王はたいへんだね」
インさんはつぶやいた。
私はその映画を見ていないけれど、氷の城なんて童話の中では幻想的だけど、たまったものではない。
「氷の城なんて絶対に住みたくないね」

17123135.jpg

遠目に見ればあの迫力も、近づいて見れば本当に実物の氷。
向こうの光が透けて見える。

17123136.jpg

氷と光の王宮、のよう。

17123134.jpg

もうどちらに進んでいいかわからなくて思いついた方向に歩いていると、白いキツネを抱っこした子供がいた。
「抱雪狐照相」
キツネを抱っこして写真撮れます。一回、30元。
「まゆちゃん、抱っこしたい?」
したいはしたい。
30元は高いけど、微妙にお財布がゆるむ額でもある。
それになにより、キツネがちょっとかわいそうだった。
用意されたキツネはどれも眠そうに退屈そうにぐったりしていて、抵抗しない様子は諦めて人間の道具になっているかのようだった。
こういうものにお金を支払うことは動物愛護に反することであり、また動物を物のように扱い利益の道具にする行為を助長させることでもある。
お金を支払うべきではない。
けれども、白いキツネに出合ったのは初めてで、またそれに触れることができる機会というのも今後ありそうにはなかった。
純白の毛はすこしの汚れもなく、ふわふわだった。
「触りたい、抱っこしたい」
気が付けば誘惑に負けて、私は30元を握りしめていた。
三匹のキツネは少しずつ表情が違った。
人気があるのは、やっぱり一番かわいい。
ちょっとかわいさに欠けるキツネは、お客さんがいなくてぽつんとしている。
「このキツネにしよう」
そう言っておじさんに「これにする」と言いかけると、
「まゆちゃん、こっちの方がかわいいよ」
インさんは鋭かった。
それでもそのかわいさに欠けるキツネを指さすと、「え~それはあんまりかわいくないだと思うよ」とさらなる指摘。
よく見るとそのかわいさに欠けるキツネは、爪を出していた。
爪が痛そうだなと、そこでようやく、一番人気のかわいいキツネを選ぶことにした。
「キツネ、重かった?どうだった?」
まるで専属カメラマンのようにパシャパシャ連写したあと、インさんは訊いてきた。
「うん、思ったよりすごく軽かった、ふわふわで」
犬と同じような感じかと思い抱っこしてみると、まるでクッションか何かを持ち上げたようにキツネは軽くてかえって戸惑ったほど。
「勝手にしてくれよ、早く餌食べて寝たい~」
そんなうんざりしたキツネの声が聞こえたような気がした。

17123137.jpg

もはやイベントの域を通り越して、テーマパークである。
30日から元旦までは、中国も連休だ。
以前は新年もたんなる祝日に過ぎなかった中国も、近年はカウントダウンを行ったり大きなイベントになりつつある。
日本と同じくただイベントを欲しているともいえ、ハロウィンなんかと同様、内容はともかくみんなで楽しむ口実みたいなものだ。
そんなわけで入場者は相当いたが、会場があまりに広く見どころも一カ所ではなくそこらじゅうが見どころなので、意外と混雑感がない。
「あと数時間で今年も終わりだね」
2018年はすぐそこまで来ている。

17123138.jpg

氷の中に花が閉じ込められている。
濡れたように水晶のように透きとおった氷は、これもまた次々と色を変えた。
この花はまるで永遠のようだと思った。

氷の建造物はどれもみな洋風だった。
教会、お城。
その中で向こうに目を引いたのは、天壇を模したもの。
天壇は中国を代表する世界遺産で、かつて皇帝が天上の神に祈った祭祀遺跡だ。
これがひときわ目を引いて、私たちはそこを目指した。

17123139.jpg

やっぱりここは中国なのだから、中国をイメージしたものがないと。
この天壇のすぐ近くには、サンタのかっこうをしたおじさんが数名と、サンタの衣装を着せられたトナカイ、トナカイに繋がれたソリがあった。
お城の世界から北京に飛んだかと思えば、またサンタの世界に。
クリスマスはもう過ぎたけど?
けれどここはやはり、中国だった。
「こんなに汚れたサンタクロースなんて、いないよね」
私はインさんにそう言った。
サンタの正体は中国人の商売人で、赤と白の衣装も帽子もそしてつけ髭も、みな恐ろしく汚れていた。
その汚れた衣装のサンタ数名は煙草を吸いながら楽しそうにおしゃべりしている。
サンタの世界どころか、思い切り俗世である。
「そうだね」
インさんも笑った。

ここまで来て、寒さが限界にきた。
足先はかじかみ、足の裏から寒さが這い上がってくるようだった。
手もまた感覚を失い、高温型(熱すぎてヤケドに注意の)カイロも左右二個ずつ使用していたがもはや役にたっていなかった。
耳は痛み切れるような刺激を感じ、インさんの耳当てを借りていた。

突如そこにちょうどよく、建物が見えてきた。
ピザハットにケンタッキー。
「ここにも開封菜だね」
インさんは笑った。
開封菜=開封料理、開封は11月に二人で旅行した古都である。
KFCが、開(kai)封(feng)菜(cai)と同じであるという中国語ギャグ。
「インさん、ちょっと中に入ってもいい?」
中はとんでもない大混雑だったが、並んでコーヒーを買い、そして席を勝ち取った。
メニューにはソフトクリームがあり、この極寒の中あろうことかインさんはそれを頼もうとした。
こたつの中でアイスが楽しい感じ?
「ありません」
店員は間髪入れずに答える。

勝ち取った席に座ると、もう動けなくなってしまった。
テーブルは前のお客が残したゴミで埋まり、そのテーブルも相席でぎゅうぎゅう、通路はまた席を探したり寒さから逃れ入店したお客で歩くスペースもない。
それでも身体二人分、私たちの縄張りのように守る。

もう21時半という頃だった。
ネットでチケットを見たところ、21時以降の年越しチケットは100元ちょっとで安く入場できるみたいだった。
ディズニーランドのナイターチケットみたいな感じ。
だからおそらく今日はここで年越しイベントがあるんだろう。
それも思い出になると思ったけど、私は部屋でお酒が飲みたかった。できればワインを。
昨夜覗いたホテル近くの小さな商店にはたしかワインもあったかと思う。

暖かい部屋でカウントダウンをしようと話していた。
「日本時間でやる?それとも中国時間?」
インさんが訊いてきた。
日本の方が中国よりも一時間早く新年を迎える。
「やっぱ郷に入れば、で中国時間でやろうか」
そんな話もしていた。
「日本時間でやってから一時間後にまたやるのもいいね」
二回年越しできて得した気分?

そこで私たちは、暖かいとはいえなくても少なくとも寒さからは身を守ることができたケンタッキーから、離れた。
再び凍える氷と雪の世界へ。

日本で防寒具を買う時、アドバイスをしてくれた店員さんが話していた。
「マイナス20度とか30度になると、もう痛いだけでそんなに寒さの違いを感じなくなるんですよ」
10度とかそれぐらいで部屋にいるのが寒いと感じるように寒さにもいろいろあって、10度だろうが5度だろうが、零下よりは気温自体は高くても、それも寒いは寒いでしょ?そんなものなんですよ、と。
「重要なのは風があるかですね、風がなければマイナス20度でも意外と大丈夫ですよ」
雪はかえって暖かくなるから大丈夫。
寒さを左右するのは、風なのだと。
さいわいだったのは、ハルビン滞在中、完全に無風だったことだ。
風があればきつかったかと思うが、見事なまでに無風だった。

17123140.jpg

氷雪大世界は氷彫が主役の会場だが、それでも一周してみると、隅の方には雪の作品があった。
でも作りかけのようで、できている部分は見事なものだと思うけど、誰も近寄らずひっそりとしている。

17123141.jpg

会場の奥にはソリだったり、雪で遊べるエリアがあった。
入場して以降そこらで、ハートのようなかたちのプラスチック製のものを有料で貸し出している人たちがいた。
実はそれは小型のソリだ。
最初はなにか全然わからなかったけど、そのハート形はお尻をのせるのにちょうどよい大きさ。
そこにお尻をのせて坂を滑り降りる。

歩いて行くと、何本ものコースが用意されていて、観光客が列をつくっている。ソリの列だ。
「まゆちゃん、やりたい?」
「無理無理!私高所恐怖症だから」
高所ではなかったけれど、寒さでそんな元気もなかった。
けれどそんな私の言葉が聞こえないかのように、インさんは係員に遊べるか訊ねた。
「残念、ソリ持ってないとダメだって」
ここでは貸してもらえないよう。

このあとぐるりと一周して先ほどの氷の世界に戻ろうかという時。
「残念なことにね、今回ここで友達と食事しようと誘ってみたんだけどダメだった」
インさんが突然言った。
「?なに?友達って」
そんな話は初耳だった。
聞いてみると、天津の友達夫婦がちょうど同じ今ハルビンに遊びに来ているので食事に誘ったが、時間が合わずに諦めたのだという。
「聞いてないよ、なんで誘う前に言ってくれないの?」
「友達と食事することになったら教えようと思ったんだよ」
ハルビンの限られた時間の中で、私はだいたいどこで遊んで何を食べよう、というのを何度もインさんと話していた。
それに今夜はカウントダウン、氷祭のあとは部屋でゆっくり過ごそうと話していたじゃない。
「その友達夫婦、私にとっては知らない人だよ?」
「僕の友達はまゆちゃんの友達でしょ?みんなの方が楽しいだと思って」
そんなことから、会話の雲行きが怪しくなってきた。

中国を旅行してきて、いままで何度もこのようなことはあった。
中国人は比較的こんなふうに、自分が考えている予定を伝えないでその時急に言うとか(ちょっと待って、その話聞いてない~)、あらかじめ相手に断らずに知らない人を急に呼んだりだとか(結局この人たちは誰でどんな関係の人たちだったんだろう?)、初対面の人がいてもできるだけ大勢で楽しもうとするし(この人は誰だろう?何を話せばいいんだろう?)、そんなことが比較的多いかなと思う。
もしかしたら中にはそういうことが不慣れな人がいるかもしれない、ということはあまり考えないかな、と思う。
中国人はコミュニティを重視する。
人数が多い方が楽しいし、一人よりもみんなと協力し合う。一人は寂しい。
そういう文化は素晴らしいし、私も友人や出会った人たちのそういう部分によって、助けられたり新しい経験をしたり、また出会いがあったりで、困ったこともあるけど良かったことも多かったなと思う。
でも、今回は状況が違うし、インさんは友達じゃないし。
楽しみにしてた旅行で私なりの、私たちなりの計画があったはずで。
それに天津の友達夫婦なら、これからいつでも会う機会あるじゃない。
「事前に言ってよ」
雲行きが怪しくなってきた。

17123142.jpg

氷でできたハートがあった。
小さく段になっていて、そこに登って写真を撮る人たち。
「まゆちゃん、撮りたい?」
撮ろうよ、って言ってくれれば撮ったかもしれない。
「うーん、…いいかな、人もたくさんいるし」
たしかに雲行きが怪しくなってきた二人の雰囲気だったけど、別にケンカしていたわけではなかった。
それに、たしかにテンション高いモードはどこかに消えたけど、この返事に実はそう深い意味はなかった。
というのも、もうここに三時間以上いて身体が凍り付いて、つまりは疲れていたのだ。
近づいてみたい、写真たくさん撮りたい、もっとたくさん見たい、そんな気持ちよりも「着替えて暖かい部屋でまったりしたい~」という気持ちの方が強くなりつつあった。
しっかり寒さ対策しているにもかかわらず、足先はもうすでに感覚がない。
「いいかな、人もたくさんいるし」
しかしこの回答は“不正解”だった。
インさんは急に不機嫌そうな声で、
「なんで?撮らないのはおかしいでしょ?」
(だったら“撮ろうよ”って言えばいいじゃん)と心の中で思った時点で、楽しいカウントダウンが遠のいたのがわかった。
インさんはこういうのが好きだ。
ハートの氷があるのだ。
こういうのが好きで撮りたいと思っているのがわかっているのだから、寒かろうがテンション低かろうが雲行きが怪しかろうが、「撮りたい」というべきだった。

17123143.jpg

無言で残りの作品を見ながら、出口方面に向かう。
会場をちょうど一周まわってきた形になる。
雰囲気悪くなっても、きれいなものはきれいなんだな、なんて思いながら、ふと気づくとインさんがいない。
慌てて振り向いて探すと、少し後ろで立ち止まっている。
「なんでだまっていなくなるの?」
少し怒って責めるように言うと、
「疲れたから休んでる」
私も疲れたから、わかる。
でもこの広い氷の会場ではぐれたら、困るなんてもんじゃない。
氷の作品がかがやくので、人はみな逆光のようになり誰が誰だかわからない。
それに防寒服を来ているので余計にわからない。
さらにいえば、インさんのiPhoneは低気温により頻繁に落ち、まともに使えなくなっていた。
つまり電話や微信は当てにならず、はぐれたら再び落ち合うことは難しい。

17123144.jpg

氷の作品の中にはこのようなものも。
雪花ビール。
中国を代表するビールの銘柄だ。
正面のラベルではなく、裏面を撮ってしまったけれど、忠実なことに原料や賞味期限などほんものそっくりに再現されている。

ハルビンは中国ビールを代表する場所である。

中国には主に三つのビール会社がシェアを分けている。
有名なものとして、そのうちのひとつ、山東省の青島ビール。
青島はドイツの租借地だったため、ドイツのビール製造技術が伝わり、一大ビール産地になった。
日本人にとってもっとも有名な中国ビールだといえる。
もう一つはこの氷で表現されている、雪花ビール。
中国でもっともよく目にするビールといえるかもしれない。
緑色のラベルや、この氷の作品のように、絶壁をよじ登るブルーラベルのものが有名。
そして三つ目が、ハルビンビール。
1900年にロシア人が設立したビール会社がもとになっていて、中国でもっとも古い歴史を持つブランドである。
ハルビンに限らず中国全土でこのビールに出合うことができるし、ハルビンは中国トップのビール消費量を誇る。
市街には各所にビアガーデンがあり、毎年ビール祭も開催されるそう。
しかしその様子に出合いたいならば、夏を選ばなければならない。

そういう訳だけど、ハルビンを訪れてみて、そう特にハルビンビールの主張を見ることはなかった。
商店を覗いてみても、むしろハルビンビールよりも他のビールが場所を占領しているようにも感じられた。
この氷の作品は雪花ビールが提供したものだろうか。
ハルビン氷祭は世界に知られるイベントだ。
それならばその地を代表するハルビンビールの作品があってほしいなと思うけれど、ただ単に私が出合わなかっただけでどこかにはあったのかも知れない。

17123145.jpg

これは仏教寺院のよう。
会場を埋め尽くす数々の作品も、毎年そのテーマを変えるのかもしれない。
年を変えてまた訪れてみるのもきっと楽しいだろう。

入場料330元は、けっこう大きな出費だ。
日本円にして5500円くらい。
けれども、これだけの規模の氷彫作品を準備するのはそうとうに大変なことだと思う。
その苦労を考えると、これくらいの出費をしても悪くないかなと思う。
きっと期待を裏切らないはずだ。
その感動に、私は高い出費のことなんてすっかり忘れてしまっていたのだから。

しかしあと少しで出口というところで、また不穏な空気が流れた。
実際のところ実は寒さで思考回路が停止しかかっており、よく覚えていない。
「もういい」
私は一人で歩きだし、しばらくして後ろを振り返るとそこにインさんの姿はなかった。
てっきりついてきていると思っていたから、正直あせった。
困った、どうしよう。
この寒くて広い会場ではぐれてしまったら、困るなんてものではない。
携帯を取り出してみると、「今どこ?」というメッセージと着信履歴。
かけ直してみるも繋がりにくく、ようやく連絡がとれて落ち合うことができた。

「僕もう帰らない」
話は余計にこじれてしまった。
「寒いからもう帰ろうよ~」
寒さに先ほどのローテンションもどこかに飛び、私は大声で言った。
インさんの腕をひっぱってタクシー乗り場に向かおうとするも、頑として動かない。
「まゆちゃん先に帰って」
零下20度は半端ではない。死んでしまう。
「ダメだよ、こんなとこにずっといたら死んじゃうよ!」
私はインさんの腕を掴んで、全力をもって引きずりタクシー乗り場へ向かった。
ずるずると引きずられるようにして、私と引きずられたインさんは無事にタクシーに乗り込んだ。
とりあえず一安心だった。
車内は決して暖房ががんがんにかかっていたわけではなかったが、それでも痛いような先ほどの冷気から一転、ひと心地つくよう。
寒くないというだけで、これだけ安心するとは。

タクシーの中で、インさんはしきりに腕時計を確認していた。
あとから気づいたことだけれど、この時時刻はもう間もなく日付を変えて新年を迎えようとしていたのだった。
ホテルに到着した時、私は「商店に寄りたい」と提案した。
部屋でお酒を飲みながら年越しをしたかったからだ。
しかしインさんは、「何を買いたい?部屋で新年を迎えたいから急ぎたいだよ」と言った。

時刻はもう、11時50分だった。
商店に寄ることを諦めて急いでホテルに戻り、らくちんな服装に着替えたところでインさんは、時計を見ながら、
「明けましておめでとう、まゆちゃん」 と言った。
10、9、8、7、とそういうのをやりたかったけれど、ばたばたの年越しになってしまった。
その3分後くらいに、テレビからは
「新年快楽!!」
という賑やかな声。
中国の年越し番組はそれはもうハイテンションの様子だった。
「あれ、僕の時計すこし早かったみたい。今、年越しだったみたいだね」

日本ではもうとっくにカウントダウンを終え、ひと段落ついて各局特番をやっているはずだ。
そこから一時間遅れの時差である中国は、北京を基準にしたものである。
中国は広大で、内陸に位置する新疆ウイグルにはさらに二時間遅れの現地時間が存在し、ウイグル初めあの地の少数民族が新年をお祝いするのかどうかは知らないが、するのだとしたらそれは現地時間なのだろうか。
その新疆ウイグルもまた広大で、東西で二時間もの実質的時差がある。
どの瞬間が「新年快楽」なのかは、どの民族どの場所に生活するかで決まるのか。
それとも、その瞬間にどこにいるかで決まるのか。
それとも。
そんな私の個人的でつまらない思考にいっさい関係なく、地球は自然の法則で定められた速度を守りながら今この瞬間もまわる。もしかしたら、「その瞬間」は一人ひとりに個別に平等に与えられているのかもしれないが、私たちがそれを知ることはない。
知ることができないから、便宜上の「その一瞬」を用意し、そうだということにしているだけだ。
ならば結局、その便宜上の「一瞬」をどれにしようがその選択に大した差はない。
「明けましておめでとう」であろうと、「新年快楽」だろうと、「ハッピーニューイヤー」だろうと、私たちがその瞬間そうだと思えばそれで充分なのだ。
3、2、1、とは、人間が作り出し自らを束縛する時間という概念にのっかって、喜びを共有し楽しむためのただの口実に過ぎない。けれどたとえ口実だったとしても、悪くない。
私は地球上で次々と迎えられる新年を想像した。


17123146.jpg


クリックしていただけると励みになります☆
↓↓↓
にほんブログ村 旅行ブログ 中国旅行(チャイナ)へ
にほんブログ村
2018-01-21

哈爾濱旅行三日目~その一~

2018年1月1日、新しい一年がスタートして目が覚めたのは遅く、今日はインさんも朝食に行くことはなかった。
ここハルビンに遊ぶのは二日間。
余裕目に計画し、時間があまってどうしよう、くらいに考えていたけれど、昨日は見たかったものをすべてまわることはできなかった。
起きたのが遅かったのと、寒さに疲れてしまったのと、予想以上に昼間が短かった。
あれもこれも、行かなくても構わない。
けれど昨日行ってみることができなかった場所で、一カ所どうしても行きたい場所があった。
今日は本来の予定の前にそこに立ち寄ってみたい。

開封もそうだったけれど、旅行計画はすべて私の希望の通りだった。
「インさんは行きたいところないの?ここには興味ないとかないの?」
そう訊ねても、「まゆちゃんの行きたいところに行きたいからそれでいいんだよ」
インさんは毎回同じ答えだった。
そのため、旅行のスケジュールは一人旅のときと同じ感覚で計画した。
私が行きたいところに、行きたい順番で、行く。
「昨日行けなかったところで行きたいところがある」
そこに立ち寄ってからでいい?
そう訊くと、「いいよいいよ」と即答。

1801011.jpg

朝のハルビン、と言いたいところだけれど、実はもうすぐお昼を迎えようとしている。
霞んだ都市風景と慣れない太陽の動きに、時間の感覚がくるう。

「ああやって霞んでいるのは、ここが寒いから?それとも空気が悪いの?」
おととい北京首都空港に降り立った時、私の体はすぐさま反応を起こして喉がガラガラし始めた。
時々起こる現象だ。
「飛行機を降りてすぐ反応が出るよ」
そう言うと、「うそ!」とインさんは疑わし気。
中国人も空気の悪さには苦しんでいるけれど、それでも日本人よりはそれに身体が順応し慣れているということなんだと思う。
何度も旅行を重ねて、いちおうは慣れてきた私。
でも飛行機を降りてすぐに反応が出、しばらくしてそれを忘れる、つまり身体が対応しがらがらしなくなる。
そんなことがしばしばだった。
「うーん、きっと空気が悪いだと思うよ」
インさんは、私の問いにそう答えた。

霞んだ都市風景は、ハルビン站前の広場である。
私たちが宿泊している崑崙大酒店はこのすぐそば。
ホテルを出て駅前広場にでて、右手向こうに見えるホテル「龍門大厦」に向かいたい。
ところが歩行者が渡れない大きな道路が阻んでいる。
すると私よりも早く、インさんがすばやく周囲の人に道を訊いた。
「向こうに地下道があって渡れるみたいだよ」

楽だ。
なんの苦労もない。
道に迷う前に、インさんがスマホでナビしてくれる。
問題があれば人に訊ねてくれる。
知りたいことや興味を持つことがれば、すぐにしらべてくれる。
現地の人に訊ねようとするまえに、インさんがさっと前に出て対応してくれる。
私は悩むことなく、困ることなく、中国語交流による通じない理解できないという状況に出合うことなく、ただ観光したい場所を観光するという目的を達成できる。
もしわからない中国語があれば、簡単に教えてくれる。
楽だ。
私は地下道を下りて道路の向かい側に向かいながら、なぜか悲しさを覚えた。


対面の龍門大厦に向かったのには理由があった。
実はここには、「旧ヤマトホテル」が残る。
かつて日本がこの地を統治していた時代の、記憶の残滓である。
かつてのヤマトホテルの建物がここに残り、現在はこの龍門大厦の経営下にある「龍門大厦貴賓楼」という名で、ホテルとして営業している。
そこでまず、龍門大厦に立ち寄りフロントに訊いてみた。
「貴賓楼はどこにありますか?」
龍門大厦自体は、現代ビルの現代的ホテルだ。
教えてくれることには、このホテルから出て「左手に曲がってその左手にある」とのこと。

1801012.jpg

こちらが目的の「旧ヤマトホテル」、現在の龍門大厦貴賓楼。
本当は昨日訪れたかったところだけれど、宿泊しているホテルに近いために後回しになり、そして予想外だった日没の早さに観光することができなかった。


「ヤマトホテル」、それは南満鉄が経営していたホテルチェーンだ。
南満鉄とは説明するまでもなく、1906年に設立し終戦とともに閉鎖した満洲に営業した鉄道会社である。
満鉄が営業した鉄道は、日清戦争後の三国干渉により得た権利により帝政ロシアが建設した東清鉄道を利用したもので、それは関東軍が中国東北部ー満洲国ーを支配するにあたって非常に有益不可欠なものだった。
満鉄は、この満鉄線を通してロシア、ヨーロッパと繋がるために、西洋人が滞在できるホテルを建設した。
それがヤマトホテルの名で知られる高級ホテルチェーンである。
ヤマトホテルに関する史跡は中国東北部に多数残されており、現代には日本人に人気の観光地となっている。
しかしながら、これらの史跡が伝える記憶の残滓は、ただ単に観光地として扱われるにはあまりにも重い。
けっして失われてはいけないものだし、楽しむよりも学びたい場所である。


私は扉を開けて中に入ってみた。
入り口には鷹を模った飾りがあり、それが当時のものを再現したものである説明がされていた。
1926年に改修された際に取り付けられたものなのだそうで、文革時に銅の確保のために取り去られたが、96年にレプリカで再現された。

1801013.jpg

ホテル内に入ってみると、クラシカルな内装は当時のもの。
往時の姿を残したまま改修を加えたものだと思われる。

中にはまたクラシカルな衣装を着たホテルの服務員。
ここに宿泊するお客の意義は、「かつてのヤマトホテルに宿泊すること」だ。
だから、あらゆるものはお客のニーズに沿ったものになっている。
ここに宿泊して歴史に思いをはせる人も多いだろうと思う。

そのクラシカルな服務員は、私たちのことを宿泊客だと思い近づいてきた。
「ちょっと見させてください、宿泊客ではないんです」
インさんは何度か、話しかけてきた服務員にそう答えた。
おそらくこのホテルでこうしたことはそう珍しいことではないのだと思う。
この旧ヤマトホテルは1類保護建築に指定されていたし、中にはその歴史を紹介する展示がされていた。
私たちのようにふらりと訪れる日本人は少なくないことだろう。

1801014.jpg

ロビーの先には色鮮やかなステンドグラスがまぶしい。
私が愛する日本のノスタルジーだ。
自身が経験していない時代に対し、なぜノスタルジーを感じるのか。
それは、郷愁とは、実体験を懐かしむことよりももっと深い、日本人としてのそして“私”としてのルーツに対するひとつの欲求が現れた感情だからだと思う。
ノスタルジーとは、ただ単に昭和の電化製品だとかお菓子のパッケージに胸ときめくものではない。
現代まで連綿と受け継がれてきたすべての時間に対する愛情である。
とりわけ昭和は激動を迎えた時代で、あの時の苦しみや努力があって現代の日本があるから、その時代に対する感情は特別だ。それにまだ現実感のある“昔”でもある。
過去の恩恵を受けて今があるけれども、それでも存在するある種の喪失感を埋めるために、それをノスタルジー、とりわけ“現実感のある昔”である昭和に求めることが多いのではないかと思う。
ノスタルジー誘うステンドグラスの鈍いまぶしさは、すなわち失われた時間へのいざないである。

このステンドグラスの階段は当時のものがそのまま残ったものなのだそう。
1926年に大理石を利用した階段に改装された。
ロビー両側には廊下が90度のV字にのびており、客室が続いていた。
そこには様々な紹介が当時の写真とともにされていた。

1801015.jpg

往時の姿、館内の様子など。それから見覚えのある写真も。
愛新覚羅溥傑と浩の結婚写真だ。
清朝最後、つまりいにしえから続いてきた中国王朝歴史最後の皇帝となり、また日本の傀儡国である満洲国の皇帝となった、愛新覚羅溥儀。
溥傑はその溥儀の弟である。
一方、浩は日本天皇家と繋がる侯爵家の長女だった。
二人の結婚は関東軍の意向で秘密裏に進められたもので、つまりは軍事的外交的意図を持つ政略結婚だった。
しかし有名な浩の自叙伝である「流転の王妃」を読んで伝わってくるのは、政治的意図の裏にも育まれた愛情と絆だ。
溥傑と浩は、このヤマトホテルに滞在したことがあるそう。

1801019.jpg

ちなみにこの部屋は215号室。当時もっとも豪華な貴賓室だった。
溥傑・浩夫妻や、あの張学良がこの部屋に滞在した。


このハルビンヤマトホテル、もともとはロシアの東清鉄道が経営する東清ホテルだった。
日露戦争時には、野戦病院や軍司令部としても利用された。
満洲南部に営業していた満鉄は、1935年には東清鉄道が経営していた北部路線も取得し、かつての東清鉄道路線すべてが満鉄の経営下になった。
それに伴いこのホテルも買収、1936年には大きな改修を経てハルビンヤマトホテルとして営業が開始されることになった。
戦後は日本の手から離れ役割をさまざまに変えた。
周恩来認可のもと軍事学校になり、ソ連顧問団の滞在場所として利用された。
その後ハルビン軍工招待所となり、96年にはハルビン鉄路局が経営する龍門大厦に統合され現在にいたる。

18010110.jpg

こちらはかつてのヤマトホテルたち。
中央・大連の旧満鉄本社 (現在は大連鉄路局)
右上・大連ヤマトホテル (現在は大連賓館)
右下・長春ヤマトホテル (現在は春誼賓館旧館)
左上・奉天ヤマトホテル (現在は遼寧賓館)
左下・哈爾濱ヤマトホテル (現在は龍門大厦貴賓楼)

貴重なことには、これらは現在もホテルとして経営されており実際に宿泊することが可能だということだ。
それらを宿泊体験してみる旅というのもおもしろいと思う。
残念なことは、私は以前に大連も瀋陽(奉天)も訪れたことがあるが、当時は旅慣れもしていなかったし興味の度合いも違っていたので、これらにまともな接触をしなかった。
大連賓館は広場から遠めに見ただけ。
遼寧賓館については探そうともしなかった。

1801016.jpg

こちらは当時の写真。年代は不明。
現在は周囲の風景も変わり、「龍門大厦貴賓楼酒店」の名も掲げられているけれど、見比べてみると建物自体はほとんど変わらず当時のままであることがわかる。

1801017.jpg

このような模型も展示されている。
手前に写るのが、今はなき聖二コラ聖堂。
一番奥に写るのが、ハルビン站。
隠れて確認しにくいが、このハルビン站のすぐ手前右に“L字型”のヤマトホテルがある。
ハルビン站からまっすぐに南下すると、聖二コラ聖堂のあるこの広場に出、そこには昨日観光したニューハルビンホテル、現在の国際飯店もあるが、。
この広場は十字に大通りが交差する。
ここで東西にのびる大通り、昨日歩いた(西)東大直街とぶつかるという訳だ。

1801018.jpg

赤い絨毯に木製の扉。
客室が左右に並ぶ。

ヤマトホテルは、国内外の賓客、要人を迎える最高級ホテルとして建設された。
そのため設計には贅をこらし、豪奢な作りに当時最先端の技術が用いられている。
私はロビーのみ失礼させてもらったが、写真によれば当時のままの暖炉や木製の冷蔵庫も残るのだというから、宿泊してみればそうしたものを目にする機会もあるかもしれない。
ヤマトホテルが満洲において担っていた役割と背負っていた期待。
そして結果破滅することになった策略と野望。
豪華絢爛な姿を後世に残すこれら記憶の残滓は、また同時に過去の過ちを伝える証人である。
その豪華さに、私はまた空虚さも見るようだった。

18010111.jpg

出入口の回転扉は銅製のもの。

18010112.jpg

入り口にはまたステンドグラス。
ホテルの周囲の風景は、中国のごくごくありふれたものである。
時代とは移り変わっていくものだ。
この建物は、役割をたびたび変えながらもここに変わらず立ち続けた。
100年以上ものあいだ。
最初、ここはまるで野原のような場所だった。
当時の写真をみると、ぽつんとこの建物だけ建っているのは実に奇妙な印象だった。
時代の変移にいちばん驚いているのは、もしかしたらこの建物なのかもしれない。
ここに静かに立ち、さまざまな出来事を見守ってきた。
今も、そしてこれからも。

「これから行きたいのはね、中央大街」
昨日行けなかった旧ヤマトホテルを無事見学し、いよいよもともとの計画通りに観光する。

「中央大街」は、ここから北側、松花江方面に位置する大通りである。
そこにはかつて様々な国がこの地に建設した建築物が数多く残る。
今回のハルビン旅行の楽しみのひとつだった。

私たちは龍門大厦貴賓楼前でタクシーを停めた。
目的は中央大街だったが、大通りは点ではなく線なために“中央大街のどこか”を伝える必要があった。
私は地図を見て、中央大街の南の端にあるホリデイ・インホテルを指定した。

18010113.jpg

ホリデイ・インのすぐ前には、中央大街の入り口が。
すでに多くの観光客でいっぱい。
ここから北の松花江に向けて歩いて行き、道々連なる歴史建造物を観察する。


「中央大街」は、当時キタイスカヤと呼ばれていた。
キタイスカヤとはロシア語で、中国人が住むという意味をもつのだそう。
当時建設のための中国人労働者が多かったということだ。

1898年に始まった東清鉄道の建設により、1900年以降、鉄道付属地として周辺の建設が開始され都市開発が進んだ。
1450mにもわたるこの通りには欧州・日本の商業施設が並んで建設された。
東清鉄道建設による外国人の流入、そしてロシアを通じて結ばれたヨーロッパ諸国とのつながり。
それらはこのエリアに独特な景観を生み出した。
現代になりここ一帯は観光地として整備され、多くの観光客を呼ぶようになった。
欧州の、そして欧州を模した建築が約70棟、うち指定保護建築が13棟。

18010114.jpg

中央大街の入り口をくぐる前にまず一番初めに出合う建物。
番地にして「中央大街1号」。
六桂福珠宝展覧館、かつての「フランス万国貯金会」。
1925年建造、古典主義建築を模したもの。
入り口には日本の石灯篭が二棟あり、てっきり日本関連の建物化と思えば、フランスのものだった。

18010115.jpg

ここから西洋風のアーチをくぐり、松花江へ向けて歩く。
左右に美しい西洋建築が建ち並び、「来てよかった」と思った。
きょろきょろと見渡して忙しいほど。

18010116.jpg

「旧・阿格洛夫(アグロフ)洋行」、1923年建造の折衷様式建築。

どんなお店か中は覗いていないけれど、東北の味、の文字。
東北の味は二階の店舗で、一階はまた別のお店。
このように、かつての西洋建築は現代役目を変えて使用されている。
保護建築を示す標識がかかっているが、なんの躊躇いもないかのように、歴史建造物であることをまるで無視しているかのように、店舗が入り営業している。
その中身は建物がもつ由来とはまったくの無関係である。
中国を旅行していれば、これが全国共通の現象であることがよくわかる。
おもしろいなと思うけれど、建物の保存、歴史の継承という点では問題を抱えているといえるだろう。

18010117.jpg

「旧・満洲中央銀行」、30年代の建造で、折衷様式。
枯れ木に隠れてしまっているけれど、シンプルな石造りだ。


今朝は朝ごはんを食べていなかった。
寒いことだし何か温かいものが食べたいな~そんなふうに思っていると、
「まゆちゃん、“紅腸”食べない?」
インさんが私の心の声をキャッチしたかのように、ベストタイミングで提案した。
ここハルビンは、東清鉄道の建設により多くのロシア人が流入しロシア文化が伝わった場所だ。
ひとつはロシアビール。
そしてひとつは、ロシアウインナー。
ロシアウインナーは真っ赤な色合いにその巨大さが特徴で、これを紅腸という。
そこら中に見かけるもので、ハルビンに来たらぜひ一度は口にしたい。

一軒のお店があった。
小さなお店の外には大勢の観光客が集まっている。
ここはお土産としてではなく、“ちょっとここで一本”ができるお店のよう。
「人がたくさんいるってことは、きっとここのは美味しいだよ」
インさんは自信たっぷりにそう言うが、一理あるようで胡散臭くもある根拠である。
けれど旅行客である私には、かと言ってどこのお店が美味しいかもわからないので、インさんのアンテナに任すことに。

お店の外には多くの観光客が群がり順番を競っている。
「列に並ぶ」ということが以前に比べ浸透してきた中国ではあるが、食欲の前にそれは通用しないらしい。
おとなしくしていたらいつまで経っても自分の番はやってこない。
ここはインさんに任せ、同じ経営であるらしい隣りのお土産屋さんを物色することにした。

小さな店内はハルビン土産、ロシア土産が所狭しと並んでいる。
壁に並ぶのはロシアのお菓子で、そのほとんどがチョコレート。
ロシア・サハリン、カザフ国境のコルガス、それからロシア国境の満洲里。
ロシアの工芸品もロシアのお菓子も、なんだかもうすっかり見慣れてしまった。
美味しそうだし、ロシアのお菓子はパッケージがどれもとてもかわいい。
でも甘みがなくどこかかすかなクセがあるかなと思い、購入することもなくなった。

18010118.jpg

これらは袋に包まれて実物が見えないけれど、すべてロシアパン。
といっても輸入品ではなくて、ロシアから伝わったそれが今に残るもので、言ってみればハルビン製ロシアパン。
Q先生が言っていた。
「ハルビンはパンが美味しいですよ~」
黒パンは酸味があってとても美味しい、そう話していた。
私はサハリンで食べた黒パンを思い出した。
黒麦大列巴、全麦大列巴。
「大列巴」とはこの種のパンを表す中国語である。
ロシア語が印刷された袋もまた味があり買ってみたかったが、これがけっこう大きい。
賞味期限を見ると、「10日、ただし美味しく食べるなら3日以内」の文字。
黒パンが好きだと言ったQ先生は、黒竜江省出身でこの地方に親戚が多い。
生まれてすぐに北京に出、様々な都市を経験した先生は東北人とは言わないかもしれないが、それでもこちらの地方に思い出は多いと思う。
先生にパンを買って帰りたかったが、帰国とともに賞味期限、パンなのだからそれも当然のことだ。
残念だけどそうして諦めることにした。

18010119.jpg

「俄式熏馬哈魚」、ロシア式スモークサーモン。
ロシア語の表記があるパッケージだけど、ロシアのお土産ではなく中国のもの。
中国特産の文字も。
サケ自体はロシア産なのだと思う。

18010120.jpg

お店の一番奥はウインナーのガラスケース。
数種類のウインナーが山になり、店員さんが次々とパッキングしていく。
ちょっと生々しい色合いは日本の畜肉製品にはない雰囲気で、風味も違うであろうことが見てわかる。

気になってお店の外に出てみると、もうすぐインさんの順番というところだった。

18010121.jpg

これがハルビン紅腸、ここのはそれを揚げていて炸紅腸という。(炸は揚げるの意味)
表面にはたくさんの香辛料。
けれどすべてが唐辛子なのではなく、中国式七味みたいな感じ。
中国らしい味覚の七味だ。七種かどうかはわからないけれど。
味はというと、温かくてとても美味しい。
私は中国の畜肉加工品が苦手だ。
だから、「口に合わないかも」と事前にインさんに伝えたうえでのチャレンジだった。
しかし意外にも美味しい。
中国式七味が効いていてこれもまた美味しい。
空腹と寒さが一番の美味しさの秘訣だったかもしれない。
例えが非常に悪いが、それでもそのまま表現すると、タコさんウインナーの美味しさ。
日本の畜肉加工品のおいしさは、そのジューシーさと旨味だ。
中国にはそれがない。
タコさんウインナーに例えたのはそういうポイントである。
しかしタコさんウインナーにジューシーさも旨味もないが、あれは美味しい。
私は無言で食べることに集中し、あっという間に紅腸はなくなった。

18010122.jpg

ふたたび歩き始めて目に留まったのはユニクロ。
「旧・米尼阿久爾(ミニアチュール)レストラン」、1927年建造の、アールヌーヴォー様式。
曲線的でなめらかなデザインが特徴的だ。
ユダヤ人のレストランだったようで、ユダヤ人活動遺跡群の表示が。

「まゆちゃん、中に入ってみよう」
インさんが提案した。
「え?ただのユニクロだよ?日本にも北京にもどこにでもあるし」
「中の構造が違うだよ」
そうかな?
中国は歴史建造物の外側を残して中をみごとに入れ替えるのが大得意だ。
フルーツの皮をくりぬいて中にケーキを詰めるお菓子、私はいつもあれを想像する。
中の構造が違うと断言したインさんは何か知っていてそう言ったに違いない。
そうして私たちは入店。
しかし、ごく普通のユニクロである。
ウルトラライトダウンジャケットやヒートテックが売られている店内は、ここがアールヌーヴォー建築だということを忘れてしまいそうになるほど、どこにでもあるユニクロの店内だった。
「…普通のユニクロだよ?」
私がそうつぶやくと、
「歴史の建物だから中に柱とか残ってると思ったんだよ」
バツが悪そうに説明するインさん。
私の方がよっぽどわかってるみたいじゃない。
せっかくなので、しばらくここで暖をとり休憩。
寒さはただそれだけで身体を疲弊させる。

けれどインさんの言葉は、私が中国旅行に慣れてすっかり忘れていた感覚を呼んだ。
歴史建造物の中身が現代の店舗になっていることに慣れてもはや何も感じなくなっていたが、もしこれが当時のままに残されていたら、いったいどんなふうだったのだろう。
当時のままとはいわずとも、壁だとか一部の柱だとか照明だとか階段だとか。
それらのうち何かひとつでも残されていたら。
建築とは、外観だけでなく建物を構成するすべての要素がそろってそうだと言えるものだ。
なぜなら、建築の目的・意義とはその内部で人が生活し活動することだからだ。
外観だけが残ったものを、建築物と呼べるだろうか。
それはまるで“はりぼて”のようではないだろうか。
つまりこのユニクロは、かつてアールヌーヴォー建築だったが今ではそうではない。
あくまでその面影を残した現代建築、と言い表してもいいかもしれない。
現実的には難しかったのだろうが、内部の構造を少しでも残したままでそれを店舗として利用したなら、どんなに素晴らしいだろう、と思った。

18010123.jpg

真っ直ぐ北にのびる中央大街には、平行して交わる数筋の通りがある。
南側の西十五道街から始まって、十四、十三、と数字が減っていく。
ユニクロを過ぎてすぐ右手に見えてくるのは西十二道街。
この西十二道街の角にはロシア語が表示されたロシアのお土産屋さん。
アンドリューロシア工芸品商店。
あちらこちらにこうしたロシア品のお店がある。
交差点の左側に写るのは氷の作品で、これもまたあちらこちらに。

18010124.jpg

アンドリューロシア工芸品の隣は宝石店になっている。
「旧・ユダヤ国民銀行」、1923年建造のルネッサンス様式。
宝石店になっているが、この建物には別の店舗も入居しているよう。

この旧ユダヤ国民銀行の先には西十一道街。
そこにはヨーロッパ風の時計台があった。

18010125.jpg

まず、時刻が違う。
今はまだ13時という時刻である。
時計の下には温度計があり、0度を真ん中にして上限は40度、下限は零下40度まで目盛がある。
しかし黄緑色と赤色の境は零下2度あたりの場所。
「零下2度ってことは絶対ないよね」
「時間も違うし、壊れてるよ」
もしこの温度計が壊れていなかったら、「こんなに寒かった」とここで記念撮影できるのに。

極寒である。
中国の他の地域と違うのは、道端で飲み物が売られていないこと。
理由は簡単、外に出して売っていたらあっという間に凍りついてしまうからだ。
そんなこのハルビンで、この中央大街で、道端でそこらに売られているものがあった。
あろうことか、それはアイスキャンデー。
しかも、いろんな味がある。
「まゆちゃん、アイス食べたい?」
「いらないよ」
返事したにもかかわらず、インさんは並べられたアイスを物色している。
昨夜も極寒の氷雪大世界のケンタッキーで、ソフトクリームがあるか店員さんに訊ねていた彼だ。
そして、インさんはラムレーズンを選んで購入した。
「まゆちゃん、食べてみて」
日本のようにおいしいアイスは中国にはないなと思う。
食べてみて感想を訊かれて答えたのは、
「まぁまぁ、かな」
でも悪くない。昔懐かしいシンプルさ。

18010127.jpg

さっそく記念撮影。
現在の気温、零下12度。
「これ、今日の最高気温だよね」
そんなことを言ってはしゃいでいると、道行く人たちがみんなこちらをじろじろ見ていく。
この寒さにアイス。
「おいしいか?」
通りがかったおじさんが声をかけてきた。
「すごく爽やか!」
インさんが答える。
ちなみにインさんのiPhoneが充電中なのは、こうしないと寒さでバッテリーがすぐに落ちてしまうからだ。

18010126.jpg

アイスのほかにこの“サンザシ”もそこら中に売られていた。
サンザシは北京が特に有名かと思うが、なんでここハルビンにこんなに売られているんだろうというほど。
ここにはなぜか羊肉大串の文字。
これは羊肉ではない。

サンザシはもともと植物を指すものだ。
山査子、中国語では山楂という。
中国が主な生産地で、美容や疲労回復、消化促進など、身体にとてもよいスーパーフードとして日本でも近年注目されている。
私も時々原液を薄めて飲んでいるが、果実そのものを口にしたことはなかった。
中国ではこのサンザシに飴をかけて食べる、日本でいうとリンゴ飴みたいな食べ方が伝統的で有名だ。
つまりはみんなが知っている庶民の味。
インさんが暮らす天津にももちろんある。
日本ではこのサンザシ飴をそのまま“サンザシ”と表現するのが一般的。
実際にはサンザシだけでなく他のフルーツや食材を同様にして食べることも多いが、日本ではそれらもまた同じように“サンザシ”と一括りにして呼ぶことが多いかなと思う。
このサンザシ飴、中国では「糖葫蘆」という。
以前にこの話が出たときに、天津ではこの糖葫蘆を「糖堆儿」というのだと教えてもらっていた。
天津の人は“儿”が多いけれど、私はこれが苦手。
発音するのもダメだし、聞き取るのもダメ。

「まゆちゃん、“糖堆儿”だね、食べたい?」
インさんには言わないけれど、糖葫蘆の方が発音しやすいし言い方もかっこいいと思う。さらに言えば文字の見た目も。
「うん、食べたい」
少し先を行くと、別の糖葫蘆を売る人がいた。
「ここは一番おいしいところみたいだよ」
インさんがどこでそう判断したかはわからないが、もしかしたら紅腸の時のようにお客さんの集まりでそう言ったのかもしれない。
ここで一本買ってみた。
一本に10粒ほどのサンザシが刺さっているのでけっこうなボリュームがある。
そのため、インさんが買ったのを少し分けてもらうことに。
「どう?おいしい?」
まず先に私が食べて、インさんが訊く。
「うーん、まぁまぁかな」
コーティングされた飴は日本のそれと同様。
肝心なのは中のサンザシ。
果肉は干し棗のようにサクサクで柔らか。味は甘酸っぱい。
悪くないけど、すごくおいしいとも言えない。
インさんも一粒。
「うーん、天津の方が美味しいだよ、これあまり美味しくない」
顔をしかめて、次の瞬間またしかめた。
「あ、まゆちゃん、これ種とってないよ」
インさんは口から数粒の種を取りだした。
種を思い切り歯で潰してしまったらしい。
「種とってないなんてダメだ」
半分ほど食べたところで、インさんはごめんなさいすることを選択した。
食べ物を粗末にしてしまうけど、
「おいしくないのを無理して食べる必要ないよ」

18010128.jpg

こちらは1917年建造の折衷様式。
もともとはユダヤ人の建物だったが、1936年以降は協和銀行と利用された。

18010129.jpg

旧協和銀行の向こうには、中国でポピュラーなミネラルウォーターの氷彫。
あちらこちらに点々とする作品は広告の役割があるよう。

このミネラルウォーターの両サイドには動物。
「猫だね」
そう言ったのは私。
「え~犬だよ」
「え、猫だよ」
どちらも譲らない。
インさんが猫(犬)の後ろにまわった。
しっぽの形を見て大声を上げる。
「まゆちゃん、ほらやっぱり犬だよ!」
見てみると、しっぽは丸く、くるりんとなっている。
「だって鈴があったから~」
こういう鈴をつけるのは日本では猫と相場が決まっている。
ドラえもんだってそうでしょ?
「え~中国では犬も鈴つけるんだよ」

18010130.jpg

その先にあったのは、「旧・馬迭爾(モデルン)賓館」、1906年に建設が開始され1913年に完成したアールヌーヴォー様式。
1948年9月から11月にかけて、ここで中国共産党代表がここで新政について協議したのだという。

18010131.jpg

その正面には、「旧・馬爾斯(マルス)西餐茶食店」、1925年にロシア人が開いたレストランで、1959年に華梅西餐庁(華梅レストラン)に改名された。
深緑色の女性像が他の西洋建築の中で際立っていて、日本人にもどこか昔懐かしさを感じさせる。
ここは今でもロシア料理レストランとして経営されている。
けれども旅行前に下調べしていると、「経営がロシア人から中国人に変わってから雰囲気変わった」という中国人旅行客の口コミを見つけた。
ハルビンで一度ロシア料理店に入りたいと思っていて、一度はここも候補にあげたけれど、この口コミを見て「やっぱり現地で選ぼう」と考えた。

18010132.jpg

この華梅西餐庁の向かい、モデルン賓館の隣りには小さなお店が併設されている。
「旧・馬迭爾(モデルン)冷飲庁」
その横にも小さなお店があり、パンやウインナーを販売している。
「まゆちゃん、パン食べたい?」
ハルビンはパンが美味しいということで、一度食べる機会が欲しかったけれど、寒いので外で食べるのはきつかった。
「入店して中で食べれないかな?」
そう訊いてみるも、
「あそこ(モデルン冷飲庁)はアイス食べる人しか入れないみたい」
そういうことで諦めた。

モデルン冷飲庁のすぐ隣りは西七道街だった。

18010133.jpg

「まゆちゃん、来て来て」
インさんの言葉に覗いてみると、そこは氷の作業場だった。
「すごーい!こうやって作っているんだ」
ハルビンのそこかしこにある氷の作品、それらはすべて人の手で作り出されたものだ。
作業場には数人の男性が黙々と作業を進めている。
切り取り正方形にした氷を運ぶ男性。
「ほんとうに、大変な作業だね」
氷に囲まれての労働はそれは寒いだろうと思う。
観光客の歓声の裏には地道な準備と苦労があることを、改めて思った。

18010134.jpg

そうこうしていると、西七道街から巨大な氷塊を運ぶ作業車が。
観光客が珍しそうに見守る中、慣れたように右折し、中央大街を松花江方面に消えた。



クリックしていただけると励みになります☆
↓↓↓
にほんブログ村 旅行ブログ 中国旅行(チャイナ)へ
にほんブログ村
プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
最新トラックバック
クリックしていただけると励みになります↲