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2019-11-13

西寧旅行一日目〈出発〉

2019年9月30日、明日から始まる国慶節大連休に、青海省の西寧への旅行を決めた。
8月27日に成都より中国へ入国し、新しい仕事新しい生活が始まり、およそ一カ月。平穏だった一日はなかったかもしれない。
生活上のトラブル、大学のずさんさ、いろいろあるけれどもとにかく仕事が忙しかった。9月のスケジュールを見てみるとぎっしり、まともに休んだのは半ばの中秋節くらいだろうか。夜中の3時4時まで持ち帰り仕事し、翌日朝から授業がある日には6時に起きる。授業が夜まで詰まっている日には、帰宅は9時、10時になる。睡眠不足が積み重なっていく。
教師に休みなんてない、当然じゃないか。
そんな言葉をよく日本で聞く。
本当にそうか?と思うとともに、中国での自分の仕事もそんなふうになるとは思ってもみなかった。

すでに、仕事とプライベートの境はなくなり、日々の生活=仕事になっていた。
それでも気になっていた、国慶節の連休。
いつからいつまで連休になるのかはっきりせず、それでもこんな時しか旅行に行くチャンスはないから、逃したくはなかった。
「いつからいつまでなの?」
訊いても誰からも明確な答えは得られない。大学のホームページに掲載されているカレンダーは、あれは‟嘘“だから信じてはいけないらしい。
こうして時間は過ぎていくが、大連休は列車のチケットなど瞬殺で売り切れてしまう。
「もうチケットないかも…」私は我慢できず、休みが確定しないうちに、多分一週間くらいはあるだろうと予想をつけて、列車券の購入を決めた。

行先は青海省の西寧にした。
理由は明確に三つだった。
一つは、忙しくて行先を考えたり下調べしたりする時間がないので、それならいっそ、行ったことがなく知識もない真っ白な地域に行ってみようと思った。
もう一つは、やっぱり都市部ではなく内陸の自然地帯に行きたかった。
そして最後の一つは、どこも激混みの国慶節だから、少しは混雑がゆるそうな場所を選ぼうと思った。
こうして行先は決まったが、いざ列車チケットを買おうとすると、案の定もうすでに完売の文字が並んでいた。
成都から西寧まで夜行列車でおよそ15時間半。いつものように寝台でいきたいところである。しかし寝台どころか一番安い硬座のチケットまで軒並み完売している。
その中で完売せずに残っていた18時40分成都発の硬座。
15時間激混みの硬座はきついな、そう思ったけれど。多分、通路も人で埋め尽くされるだろう。
しかし私に選択肢はない。
数年前の黄山旅行では12時間無座という強行をした。あれができたんだから硬座もきっと大丈夫。そう言い聞かせて、チケットを購入した。
残る問題は国慶節連休期間に無事、仕事が入らずに休めるかどうかだった。
私の大学は土日も授業があるのでなんとも不安だった。
けれども結局は無事に休めることになり、あとは旅行を楽しみにするだけだった。

しかし大学と給料支払いの件で少しもめており、そのほか大学関係の支払いが自己負担で積み重なっており、私はイライラしていた。
「お金目当てじゃないとはいえボランティアじゃないんだ!」
こころの中の呟きとはいえ、荒い呟きが増えてきたそんなある日。
もう日付も変わろうという時間、主任先生から電話がかかってきた。これは珍しいことだった。
「よし、給料の件だな」朗報を期待して電話に出てみると。
「S先生が入院することになったので、S先生の授業をあなたにやってもらいたいのですが」
日本語科には十数名の教師がいるではないか。なんで私のとこにくる。
さらに続けて言うには、「明日の1、2時限からやってください」
もう0時を過ぎようという時間帯である。
どのみち朝一から夜まで授業が詰まっていた私は、明日の授業は断った。しかし結果として、国慶節明けから授業が4コマ増えることになったのだった。
入院することになったS先生はかわいそうだった。自転車が趣味で、それで事故し色々骨折してしまったのだそう。
でももうこれでは、どこにも遊びに行けない。成都に行くのですら厳しいだろう。
そしてちょっと耳にした話によると、ある先生が作文授業をやりたくないので私に、という話も出そうだという。「断った方がいいよ」とある先生がこっそり教えてくれた。
給料は無事に支払ってもらえますように。
そうしてまた荒い言葉をこころの中で吐いて、西寧旅行は楽しんでやる、と誓った。

旅行の出発は9月30日、国慶節の前日を予定していた。
もう一週間くらい前から、あちらこちらに中国国旗が掲げられ始め、またビルの電飾も国家成立70周年を記念する派手なものに変わっていた。
もう国をあげての一大イベントである。
昨日までは三日間重慶に出張に行っていたが、洪崖洞から眺める夜景は何事かと思う程の規模だった。
高層ビルはみな連携し真っ赤な国旗を映し、また端の低いビルは、敬礼する解放軍などの姿を映し出していた。
「我爱你中国」
どこもかしこもこの文字を、くるくると流し映す。
深夜になってもごった返すような人混み。
10月1日を待たずして、もうすでに国慶節は始まっていた。

そしていよいよ旅の出発となる9月30日。
昨晩はマンションに戻り、急いで西寧旅行の支度をした。
忙しくて、行き帰りのチケットとホテル予約しかしていない。
どこに行くかなんてまったく調べてもおらず、ボストンバックの中に地球の歩き方を放り込んだ。
それから授業の支度も。
今日は午前中に授業してからその足でバスに乗り、郊外の高鉄駅へ向かう。
高鉄で成都東まで行き、そこから成都北站へ移動し、夜行列車に乗り青海省西寧へ。
授業は3年生の2クラスだった。
このクラスは反応も良くかわいいクラスで、私は明るい気分で授業を終えた。
「ではみなさん、よい国慶節を!」
笑顔で手を振ると、「はい!」大きな声が返ってきた。

わくわくな気分で高鉄駅行きのバスに乗ると、いつもはがらがらのバスが激混み。
さらに市内は渋滞もひどく、大混乱を極めていた。
もう間に合わないかと不安にもなったけれど、無事到着。
外国人は自動発券機が利用できないので窓口に行くと、ここでもまたえらく時間がかかる。
本日のチケットはみごとなまでに完売しているというのに、何とかしてほしいと一人一人なんやかやと揉めているのだ。
並んでいる人もイライラしている。
「この状態で二時間も待ってるんだぞ!」
就労許可証が発行され私は今つぎに居留証の手続き中で、パスポートが手元にない。持っているのは公安が発行したペラペラの紙。去年成都でビザ申請した時も同様だったけれど、あの時はあの紙は四川省以外では無効だった。
今回はきちんと確認して全省でパスポート代わりとして有効だということだけれど、案の定たいていの場所ではそういうものに慣れていないため、窓口ではちょっと時間を食う。ようやく無事にチケット発券できたとき、すでに改札は開いていた。

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四川省南部の宜賓から成都まで二時間。高鉄の中でも採点作業をする。
いつもであれば、いよいよの旅のはじまりにわくわくが収まらず、車窓を眺めながら思いにふけったり、食べたり飲んだりしている時間である。
しかし採点作業を終えて顔を上げてみると、もう成都東站だった。

成都東は近代的な巨大な駅である。宜賓からの高鉄はすべてこの駅に到着する。
しかし私がよく利用するのはそこからまた離れた成都站。正確には成都北站というが、通称成都站で通っている。というのもこの成都站は一番古く、高速鉄道ではなく普通列車を主にした駅である。だから普通列車を利用したい私はいつもこの駅を利用することになる。
古いために取り壊しの話はずっと前から出ているのだという。しかし、もう少し頑張ってほしいな、と願っている。
成都までは高鉄、成都からどこかへは夜行列車で、ともくろんでいる私は、今後この成都東站―成都站の移動がかならず付きまとうことになるだろう。
実際には両駅間に地下鉄7号線(環状)が通っているため、まだ移動はしやすい。

成都站へ到着するとやはり激混みの駅周辺だった。しかしここはいつも混んでいるから、国慶節でという特別は変化は感じられない。
懐かしさと苦さを感じる駅前広場だった。
宜賓市内でおかしいくらいに時間を食ってしまったおかげで、成都站でのんびり待つような時間がなくなってしまった。
大急ぎで構内の売店に行き、カップラーメンなどの今晩の買い出しをし、そうして改札に向かえばもう時間ぎりぎりだった。

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18時40分成都発、翌10時21分西寧着のK2632次。
寝台席であればどれほど楽しい時間だろうか。
けれどもこの時の私の胸にあったのは、わくわくよりも覚悟だった。
15時間41分の硬座。
中国の普通列車には通常四種の座席があり、価格が異なる。
二段ベッドが向かい合った個室である、軟臥。
三段ベッドが向かい合った半個室(ドアなし)の、硬臥。
ゆったりとし座席がきちんと区別された、軟座。
隣の乗客と肩がぶつかる感じになる、硬座。
価格はもちろん見ての通りに差がある。
これにほぼ無限に発行される、席なしの無座。最悪無座も覚悟したが、それは免れることができた。
しかし硬座、座れるならいいじゃないかという人もいそうだが、中国の大型連休は激混みになる。
通路もデッキも人でぎゅうぎゅうになり、トイレに行くのもカップラーメンにお湯を入れにいくのも、ままならない。頑張って人を押しのけて出かけまた戻ってきたら無座の人に座られていたり、なんてこともある。

案の定、座席につきしばらくもしないうちに通路は人でいっぱいになり、身動きとれなくなった。
そういうわけで、買っておいたカップラーメンはそうそうに諦めることになった。

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激混みで大変な思いをしているみなさんにカメラを向ける訳にはいかない。
だからこちらは乗車してすぐの車内のようす。
普通列車硬座といえば、汚いきつい、かつてはそんな車両であったはずだ。
しかしこのように今では車両自体が新しくきれいになりつつある。
数年前までは、通路に痰を吐いたりゴミを散らかしたり、そんな混沌と恐怖の車両だったが、今ではそんなことをする人はほとんどいない。
向かい合わせの座席には窓際に小さなテーブルがついていて、その上にはステンレスのトレーが乗っている。ゴミはみなそこに乗せておき、そうすると時々乗務員が回収に来てくれる。
人に迷惑をかけるどころか、他人の荷物を上の棚に乗せてあげたり、通路に立つ人のキャリーバックを座席側に入れてあげたり、みな親切である。
一番安い硬座とはいえ、今では十分快適な車両だといえるだろう。潔癖症でなければ。
しかし今夜の問題は、国慶節前夜の大混雑だということだった。
この列車は、成都発の西寧終着。
私はこの列車の始発から最終まで乗ることになる。途中で下車する人がいれば多少は空くだろう、そんな淡い期待を持った。

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どうせ身動きとれないので、トイレに行きたくならないように、お酒は諦めたし水でさえも控えた。
長時間の乗車、しかもわくわくの往路。お酒を飲まないなんてもう信じられないことだったけれど。
そこで始めたのは、また仕事。小さなテーブルにテキストを乗っけて、長文の読み込みと書き込みをする。私いつからこんなに仕事人間になったんだ?
何時間たった頃だろう、通路には相変わらず人が残っていたけれど、行き来ができるほどには空いてきた。
そこで私は持ってきていたカップラーメンにお湯を入れに行き、デッキで立ったまま食べた。見るとデッキにはそこで横になり寝ている人もいる。私であれば体育座りで寝るのはありかもしれないが、デッキに直接ごろんはできない。なかなかの強者だなと感心する。

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一度は諦めたカップラーメンもお菓子も完食し、しかし夜は長かった。
夜中の1時2時と時間は回り、日々蓄積された睡眠不足もあり何度もうとうとした。けれども腰が痛くなり微妙に姿勢を変えまた変え。
夢か現か、隣の席の人と親しくなった。しかしそれは結局「夢」の方だったと後から気づいた。わからないほどそれだけ夢と現実を細かく行ったり来たりしていたのである。
明け方になりもうつらくて仕方なくなった。
寒いのだ。
話に聞くと、日本は夏のように暑いのだという。
宜賓も天気の良しあしで気温はおどろくほど変わった。9月にもかかわらずもう冬へ突入かと思うほど寒い日が続いたかと思えば、日焼け止めが必要なほど暑い日もあった。いつもはこんなではないのだという。
しかし出発前はかなり暑かったので、私はつい簡単に考え、夏服に羽織ものや厚手のストールなどを用意するぐらいで来てしまった。
以前は空調がなくつらかったという中国の列車。
しかし今ではその(おそらく)すべてに空調がついている。
それなのに、寒い。
この車両はまさか、空調なしか?チケットを確認すると、「新空调硬座」つまり最新空調だと記載されている。絶対うそだ。
しかし問題は空調それだけではなく、現地の気温だった。
明け方とはいえこんなに寒いんだ。
どうやら私は服装を失敗してしまったようだ。
長い長い夜も、ようやく終わりを迎えた。

〈記 10月6日 宜賓にて〉

参考:
宜賓 → 成都 高速鉄道 110元
成都 → 西寧 夜行列車 136元

⇒ 西寧旅行二日目〈市内観光〉~前編~ へ続く

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2019-11-13

西寧旅行二日目〈市内観光〉~前編~

2019年10月1日、いよいよ中国全土盛り上がりの国慶節その日となった。今年が特に大盛り上がりなのは、中華人民共和国の成立を毛沢東があの天安門の上で宣言してから、ちょうど70周年目にあたるからである。
国家や政治うんぬんを抜きにしても、盛り上がるそのこと自体は国としての結束は強まるし経済効果もあり、また単に楽しい嬉しいというその感情は良いことだと思う。

では、中国を好きな日本人がいつも一言にいう「中国」、それがその70周年を迎える国家そのことかというとそれはまた別問題である。
中国が好きな、また中国に関心があり興味がある。
そんな風にいうとき、たいていそれは気の遠くなる歴史の中で、まるでアメーバのように分裂と結合、増長を繰り返してきた民族や文化や思想を超えた一定しない範囲、簡単にここからここまでですよ、どれですよ、さらにはいくつですよともいえないものを、便宜的に教科書的に「中国」と表しているに過ぎない。少なくとも、数としてはそうした場合が圧倒的多数だと想像している。
しかし正確な意味としての中国自体はやはり、70年前に生まれたものにちがいない。
だからそれをある人は中国と表さずに「中華圏」と表すこともあるだろう。しかし私はそれもまたしっくりこないのだ。
ベトナムやモンゴル国を中華圏と呼ぶことはできても、中国と呼ぶことはできない。なら歴史を振り返りあのアメーバのようなものたちをただ一言で呼びたいならば、中華圏でいいではないだろうか。でもそうすると、そこには「中華思想」つまりその真ん中にあるものが何かという前提ができてしまう。そうしたらやっぱり完全ではない気がする。
つまりは「中国」とは、それほど巨大で複雑で多様な要素を含んだ二文字、ということだと思う。
だから私は中国に強い関心があるけれども、この巨大で複雑で多様な要素を含んだ概念、というところから言えば、10月1日は単にその複雑さの過程の一出来事に過ぎないし、またその日に成立した現国家も分裂結合増長をしてきたアメーバのひとつの形状に過ぎない、といえる。
ならば、中国人ならともかくも外国人である私が国慶節がどうとか70周年記念だとかを、一緒になって喜ぶのはちょっとおかしい。
私が愛するのはそれ自体ではなく、もっと長くから連綿と続いてきたこの大地に存在し続ける「なにか」だからだ。
毎年いつもそう思うけれども、でも国慶節快楽も悪くない。
どんなときも思い切り喜びや祝福を態度や言葉に表すのは、日本人も見習ったっていい中国のよい性格だと思う。
何かを祝い盛り上がる、そのこと自体はとてもよいことだ。
祝日になんの祝日かもわからないでただ休みであることだけが大事な日本よりも、よほどいい。
そうして私も、せっかく中国に暮らし始めたのだから、一緒に「国慶節快楽」を楽しむことにした、その一日である。

長い夜が明けた。
寒いのと姿勢がきついのとで、眠れたのかもどうかよくわからない。身体は妙に覚醒していた。

中国地図を見れば四川省と青海省は接しており、お隣さんだ。連休といってもあまり遠くには行けないからそう遠くない場所を選んだつもりだったけれど、こうして移動してみるとやっぱりとても遠いことを実感する。
さらに鉄路はまっすぐ青海へ入境するのではなく、北上し一度甘粛省の蘭州を通過して甘粛から青海入りする。これは、ひとつは地形的要因であり、また四川以西が街の少ない自然地帯だということもあるだろう。

こうして見てみると、四川省というのは実に面白い位置にある。
東に重慶と接し、南に接する貴州や雲南へ出れば一気に南方民族色と出会う。
成都は大都市でありながら、四川地図を広げてみると西半分が真っ白に近いことがわかる。山岳地帯であり、また少数民族自治州、県が散らばる。ほとんど近代化を迎えていない地域である。その先はもうチベット。四川西部はもうすでにチベット地域ともいえる。一方で北、北部は甘粛、西安有する陝西省と接する。こちらはもうシルクロードの雰囲気満点なエリアである。
では青海省はというと、四川省の北西部、チベットと甘粛の間で接している。青海省といえばそのほとんどを自然地帯が占める省である。
四川省を拠点にすれば、中国のその実に多彩な表情に手を伸ばすことができるのだ。
それでいて四川自体も多彩で、三国志の蜀が険しい山間部に囲まれ天然の要塞に守られたように、そうした地理ゆえ四川は中原文化から過剰な影響を受けることなく独自の文化を守り現代に至るという。四川内には他の地域では体感できないような独特の雰囲気が散らばっているのはそれゆえだ。
四川省とはどうしてこうも魅力的なのかというと、そういうことなのかも知れない。

こうして私は、今まで訪れる機会を持たなかった青海省へ初めて入境することになった。それは四川省との縁のおかげかもしれない。
どうして今まで訪れる機会を持たなかったかというと、青海省はほとんど拠点にする都市を持たず、観光客が飛びつくような手軽な観光地にも乏しいからだ。
青海省はその土地の広さに反して、人口がとても少ない。人口密度にしてみたらさらに少ない数字が出ることだろう。
その広大な面積のほとんどを占めるのが、人煙のない自然地帯である。
中国国家はこの地を絶対に手放すことはない。それはその自然地帯には豊富な天然資源が埋蔵されているからだ。レアアースに鉱物に天然エネルギー。巨大国家中国を支えているのはなにも発展目覚ましい大都市圏だけではない。それどころか、この豊富な資源を持つ大地がなかったら、中国国家だけでなく世界が影響を受ける、そんなとても重要な地域である。
しかし、「青海省?」そんなふうにピンとこない人も多いだろう。
遠いしあまり名を聞かないし、発展した地域でもないし。外国人がわざわざ訪れるにはたいそう不便な場所である。
けれども、最大とか、最長とか、そういう言葉を目にすれば印象が変わるのが人間というもの。
まず、世界で最も高く最も広い、青蔵高原(チベット高原)である。
この青蔵高原を、南部のチベット自治区と分かっている。
アジア最長、世界第三の長さを持つ長江は、この青蔵高原の青海省に源流を持つ。
また同じく中国を代表するもう一つの大河、黄河。この黄河の源流もまた、青海省にある星宿海である。
中国の南部と北部を代表する二筋の川がともに青海省に源流を持つとは、興味深い。
さらに青海省東部に位置する塩湖もまた、中国最大の湖である。
私が知っているだけでこれだけ出てくるのだから、他にも「最大」だの「最多」だのいろいろありそうだ。
また先ほど、四川から甘粛や陝西へ抜ければシルクロード、と印象を記したけれども、ここ青海もまたシルクロードの一つのルートである。
蘭州から武威、張掖方面へ抜ければ有名な河西回廊だが、蘭州から青海省の西寧へ抜けるルートも存在した。西寧からはまた、ラサへ抜ける道と、河西回廊と敦煌で合流する道とで分かれる。
シルクロードファンの多くは河西回廊の方へ視線が行くかもしれない。少なくとも、私はそうだった。
しかしこの青海省、なんて魅力的な場所なのだろう。そして、どうして今まで一度も足を向けなかったのだろう。
それは私にとって、青海省のイメージは本当にそのまま「真っ白」だったからだ。
その人口密度のように、青海省は私にとって、未知と未踏。頭の中の青海地図は、帰宅した今もいまだ真っ白のまま。
しかし出発前と異なり、その白さは不思議な魅力となって私の胸に残ったのだった。

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10時をしばらく過ぎた頃、列車は静かに西寧站へ停車した。
青海省の省都、そして唯一といっていいか、近代都市である。
列車を下りると、案の定空気は冷たかった。私は慌ててかついだボストンからパーカーを出す。

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すがすがしい青空は澄み渡っていた。
四川ではなかなか得られないこの空を見にここまで来たんだ。そう思った。
駅前には国家成立70周年を記念する飾りがあちらこちらに。

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これはここに限らずもう中国じゅうがそうだけれども、国旗だらけ。
人で賑わうも、せいぜいがこんな感じ。
人がすし詰め状態になる、国慶節。行先をここに選んだもう一つの正解だった。

駅の向こうには乾燥した低い山がどっしりとかまえている。
ずいぶん遠くに来たな、という興奮が私をおそう。
駅から広場を抜け、地下道に下りて大通りを越す。そしてそこからバスに乗り、予約した繁華街のホテルに向かおうと思った。

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しかし驚いたのが、このバス案内。
西寧は省都とはいえ、沿岸部に比べ発展から何歩も遅れたような小さな都市である。それでありながら、こんなふうにバスの近況をリアルタイムで教えてくれる。四川省でも見たことがない。

バスは1元で、大都市でも中級都市でも走るのは大概2元バスであるから、たった1元の違いとはいえ、嬉しい。
無事ホテルに着いて、チェックインをすることに。
しかしここでも、パスポート代わりの紙切れで時間を食う。
「申し訳ないけど処理の仕方がわからないから、待って」
フロントの女性はそう言って誰かに電話でヘルプを呼び、また違う女性は私にミネラルウォーターを差し出してくれた。
そうしているとパッと明かりが落ちた。停電である。
フロントの機能も停止し、エレベーターも動かない。服務員は電話でどこかに掛けようとするも、停電しているから電話もつながらない。
私の街も大学もマンションも、すでに何度か謎の停電を起こしている。田舎ゆえの面倒かもしれない。
停電のせいもありだいぶ待ち、ようやく部屋に向かうことができた。
ところが動き出したエレベーターはどうも様子がおかしい。
開くボタンを押しても階ボタンを押しても、ものすごい勢いでドアが閉まってしまい、どうしても人が挟まれてしまう。けっこうなパワーで挟んでくるので皆悲鳴を上げてなんとか乗り込む。
すると今度は、20数階まである階ボタンのいくつかの特定の階は押しても反応しないということがわかった。その階に該当する宿泊客はイライラしている。それも当然だ。違う階で降りて階段で行くしかない。
このホテルは百貨店の一部であり、細かく各階で止まりたくさんお客を乗せ収拾がつかない。それで今度は、早く閉まってほしいのに閉まるボタンを押しても閉じたい時に閉じないということがわかった。見てみれば、ずいぶん前からこのようで、閉まるボタンが押され過ぎてすり減っている。
大丈夫だろうか。
私のマンションも含め、中国では怪しいエレベーターとの遭遇率が高いが、エレベーター事故にだけは遭いたくない。
結局ホテルを去るまでこんな様子だった。この旅行記を書いているということは、無事だったということだ。
中国では一般に、内陸に入れば入るほど、インフラや生活基準が下がる。
不便なことも多いが、それは仕方のないことでもある。

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選んだホテルはビルが林立する、西寧の中心部で一番都会的な場所にあった。
高級でもなく、かといって安宿でもなく、私にとってちょうどいいレベルだ。
なんといっても眺望がすばらしく、私は満足した。

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今日から五日間、ここに滞在する。
この五日間、ほとんど空白といってもよかった。どこに行くとか、何をするとか、まったくこれっぽっちも考えていない。これは私の旅ではとても珍しいことだった。それは、私にとって旅の醍醐味というのは、計画をし旅を想像している時間それこそだったからだ。
なにも考えずにその時の気分その時の状況で行先を決めていくのもたしかにおもしろいと思う。けれどもやっぱりそれだと、私の大切な楽しい過程がカットされてしまう。だから今回だって、本当はちゃんと計画してくる予定だったのだ。ところがあまりの忙しさに、ボストンに放り込んだ地球の歩き方を一度も開いてすらいない。
時間は限られているし、授業が毎日詰まっている現状では、もう冬休みまで旅行はできないだろう。そう考えると、この五日間を無駄にはできなかった。

地球の歩き方の西域版を開いてみた。2011年版なのでもう役に立たないかもしれないガイドブックだ。
開いてみると、青海省は西寧のみ。そして西寧も数ページ軽く触れられているのみだ。
これしか観光地ないのかな。
日本で最大手の海外ガイドブックが、青海省をそんなに‟売れる”地域ではないと見ているのがわかる。
駅前で配られた旅行会社のチラシと見比べながら、考え込んだ。
必ず行きたいのは、中国最大の湖、青海湖だ。しかしここは自然地帯に向かうことになるため、個人で行くのは要領が悪い。以前であれば車チャーターを考えたが、貧乏の今はそんなことできない。
よし、これは一日ツアーに参加しよう。
けれどもツアーはトラブルも多い。いいとこに当たるか悪いとこに当たるか、それで大きく旅の気分も変わってしまう。外したくなかった。
そこでホテルのフロントに相談してみると、このビルに、提携している旅行会社との窓口があると教えてくれた。
指示された11階のある部屋に行ってみると、そこはオフィスではなく、ホテルの服務員が清掃員に電話で指示を与えたりしているそんな部屋だった。
事情を話すと、服務員は一枚のチラシを見せてくれた。
青海湖一日ツアーで、270元。悪くない。
気になったのは、他の旅行会社のチラシには付近の茶卡湖という塩湖が含まれていたが、これには含まれていなかったことだ。
茶卡湖は、青海湖のようにただ塩分を含む湖水ではなく、ウユニ湖のように本当に真っ白な塩で覆われた湖のようだった。
しばらく迷ったけれども、結局安全と無難を買い、ここで決めることにした。
日程は明後日の3日に決めた。
私の電話番号を伝え、明日の夜までにガイドから電話がくることになった。

青海湖の日程が決まり、今日は市内観光をするつもりだ。
市内の見どころとして紹介されているのは、「東関清真寺」と街はずれにある「北禅寺」。今日はここに行きたい。
青海省といえば、私はずっとチベットのイメージが強かったが、ここはイスラムの地域でもある。漢族、チベット族のほかに回族が多く、やっぱりモスクは訪れたい。

ホテル付近からバスに乗り、運転手さんにどこで降りたらいいか訊ねると、「東稍門」で降りればいいと教えてくれた。
百貨店や大きな銀行のビルが並ぶホテル周辺から離れて、街並みはすぐに庶民的な賑わいに変わった。
バスは清真寺を通り過ぎたところで東稍門に停まり、下車すると。

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小さな庶民的なケーキ屋さんがあった。回族のお店だった。
イスラムはスイーツ文化を持つ。
中国のそれも同様で、ウイグル族も回族もスイーツを愛し、そういうお店も多い。やはり漢族のそれとは雰囲気が異なり、ポイントはド派手。そして見るからに甘そう。
着色料を思い切り使ったようなケーキは、昭和レトロを愛する私としては誘惑のかたまりだ。
けれどもどれだけ甘いんだろうという想像が、今まで私の手を止めてきた。
回族の揚げ菓子もまた有名で、私はよく現地の友人から買ってもらい食べたことがあるけれど、こってり。
そんなことを思いながらショーケースを覗くと、回族の奥さんが近寄ってきた。

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これは昭和レトロの色彩だ。今の日本からは失われつつある色味。

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それからこちらはパンダケーキ。
奥を見れば、不機嫌そうな回族の親父さんが、生クリームを塗ったりしている。
このパンダ、あの親父さんが作ったのか?
そう思うと、不思議となぜかパンダが愛らしく思えてきた。

宜賓へ来てから、食傷気味だった。
私がもとめてやまない味覚がいくつもある。その中の一つが「スイーツ」だった。商店にはあまりおいしくないチョコレートやオレオならあったが、日本でコンビニで手軽に手に入った、ケーキだとかシュークリームだとかクレープだとか、そういうものが遠い存在になった。
マンションの近くにあるモールにはなかなかいいケーキ屋さんがあり、時々大学の先生とそこでパンを買った。日本のようにはいかないが、おいしいパンである。そこはケーキ屋さんなのでもちろんケーキもあるが、パンもケーキも私の今の生活レベルからすると少し高価なものなので、未だにケーキには手が出ていない。
甘いものが食べたい、甘いものが食べたい、甘いものが食べたい…。
こうして食欲に負け、回族の奥さんに訊いてみた。
「一個一個でも大丈夫?」
たとえば何百グラムとかそういう単位で買うことはできない。
すると、「一個でも大丈夫」だという。

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悩みに悩んで、パンダケーキは諦めた。
選んだのはこれら。
左が素朴すぎるシュークリームで、上がエッグタルト、右が巨大なチョコパンで、中には着色料たっぷりのメロンクリームが挟んで塗ってある。触るとべたべたになるチョココーティングの上にはカラースプレーが非常に不器用にかかっていた。
巨大なうえにチョコがほんとうにべたべたなので、おしゃれには食べれない。
パンは硬くてぼそぼそで、一口食べればぼろぼろとこぼれる。
これではまるで貶しているようだが、すべて私なりの褒め言葉である。
このチョコパンははまってしまい、今でも食べたくて仕方ない。
「ふわふわ」だの「しっとり」だのが流行している現代。
私が求めるのはこうした昭和時代のぼそぼそしたケーキなのだ。
ミニシュークリームは駄菓子みたいな雰囲気のシュークリームだった。体積のほとんどを空気が占めるようなシュークリームが世の中には多々存在するが、これはほとんどがクリーム。これもおいしかった。
これだけ買っても10元ほど。嬉しいおやつだった。

このお店のすぐ隣りには、ハラルの食堂が並んでいた。
モスクが多い街に行く場合、大きなモスクに行けばその周辺はイスラム関係のお店で賑わっていることが多い。
ここもまた同様で、周辺には宗教関連の商品を売るお店、衣料品を売るお店、飲食店がずらりと並んでいる。
ここに来てハラル料理ときたら、羊肉や牛肉麺である。
豚は当然皆無だが、その代わり羊、牛、鶏は豊富。
ケースを覗きながら烤羊肉串に行こうか迷っていると、親父さんが声をかけてきた。
串は一皿何本なのかというと、10本か20本なのだという。
牛肉麺も食べたいから5本で焼いてくれない?と訊くと快く「いいよ」と答えてくれたので、それで即決。

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牛肉麺は中国各地に存在するが、地方によってタイプが全然異なる。
中国西域でいえばほぼ「蘭州拉麺」であり、ここで四川の牛肉麺や他省のものに出合うことは難しいだろう。
では蘭州拉麺はどんな牛肉麺かと言うと、牛骨ダシのあっさりしたスープ、細い手延べ麺、添えられたやわらかい薄切り肉、パクチーに葱、それから浮かんだ大根に好みで調節してもらえるラー油。これが蘭州拉麺だ。
私はこれが大好きで、しかし好きゆえに食べ過ぎて少し飽きてしまった。
それでもこちらに来たら外すことはできない。

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5本で焼いてもらった羊の串が出てきた。
羊はぜったい、産地で食べるのがおいしい。柔らかさと脂の甘みで新鮮さを知る。
「もう5本焼こうか?」
親父さんが声をかけてきた。
「ううん、もういいよ」そう言うと、
「おいしくなかった?」
けっしてそんなことはない。とてもおいしかった。おなかがいっぱいになっただけだよ、と返した。

おなかが落ち着いて、すぐそばの東関清真寺へ。
中国にはたくさんのムスリムがいるが、その中でもムスリム人口を分っているのが、ウイグル族と回族である。
ウイグル族は新疆ウイグル自治区を中心に中国西域で暮らすトルコ系民族で、そのほとんどがイスラム教徒である。
回族もまた、中国西北部を中心に中国全土に暮らす、アラビア、ペルシャより中国へ渡ってきたイスラム教徒が由来となる民族である。甘粛省と内モンゴル自治区に挟まれた位置には、小さくはあるが寧夏回族自治区がある。
数年前には、この寧夏回族自治区の銀川を旅行した。モスクやアラビアの雰囲気が非常に美しい街だった。
その思い出もあり、東関清真寺付近の様子はなんとなく銀川のそれを彷彿とさせた。

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こちらが東関清真寺の正面。
周囲には政府のプロパガンダが多数あるが、幸いなことに景観を邪魔しないような配置にはなっている。
入り口には注意書きがあり、金曜日の午後3時前は礼拝のために参観が禁止であること。
肌を露出した服装での入場を禁止すること。
これは書くまでもないが、禁酒禁煙であること。
12時から午後1時、また午後6時以降は、女性は清真寺が無料貸し出しするヒジャブを着用し入場すること。
無料のガイドがいること。
などが説明されている。

アラビア式門の中に入ると、この清真寺の由来などが書かれていた。
それを読んでいると、警察の男性とムスリムの女性が私に声をかけてきた。
私は長めのワンピースを着ていたが、丈がひざ下ほどで少し足が露出しているのが問題で、それを隠さないと入場できないとのことだった。
今までいろんなモスクへ入場したが、頭髪を覆うこと以外は、足と腕はある程度覆われていればとあまり深く注意したことがなかった。
困ったなと思っていると、頭髪を覆うために持ってきていたストールを指し、これで足元を巻けばいいと言う。
ちょうど持っていた髪留めがあったので、ストールを足元に巻き、髪留めで仮止めし入場させてもらうことにした。
しかしそうなると、今度は頭部を覆うものがなくなってしまった。
すると、頭髪は露出していてもいいのだという。
私の足元は実はそんなに露出していたものではなかったので、髪よりこちらの方が問題なんだ、と以外にも思った。
警察の男性とムスリムの女性はとても友好的で、親切だった。
「一人で旅行して怖くないの?」そんなふうに言いながら笑顔で見送ってくれた。

この東関清真寺、中国でもっとも礼拝者が多いモスクなのだという。
創建は古く北宋の1038年で、明の1378に大規模な改修があったあと、明から清代にかけて戦乱による破壊を受け数度改修しているのだそう。現在の姿は1946年に重建したもの。
巨大な建築物で、清真寺の外壁となる巨大な建物には、男女それぞれのお清めのための浴槽、教室、厨房、宿舎などの設備が整っている。
平常時の礼拝でも毎回7000人余、グルバン節には12万人以上もの礼拝者が訪れるのだという。
時代を分けて一部一部を改修補修してきたため、中国伝統様式、ヨーロッパ調、アラビア式などの異なる風格が融合した美しいモスクである。
と、このような説明書きがあった。

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これを読んで入場してみると、これがまた驚いた。
緑色のドームを有した典型的な西域式門の向こうには、それだけ見たらモスクとはわからないような中華式門がどうどうとしていたからだ。
中国は広く文化も多様なため、様々な様式のモスクを見る。
西安で有名な大清真寺は随所にイスラミックカリグラフィやイスラムの聖なる色である緑や青を配しているものの、完全な中華式建築である。
内モンゴルの呼和浩特の清真寺もそうだった。
一方で西安を越し西へ進むと、モスクは一気に西域色を増す。
基本的には中華式建築は見られなくなり、ドーム式モスクが増え、特に寧夏回族自治区のモスクはもう完全にアラビア調である。
しかし新疆ウイグルへ入るとそれがまた一転し、ウイグル族の清真寺はアラビア式であるが、回族のモスクには多々中華式のものが見られるようになる。
これは回族が時代を経て漢族と混血し、漢族文化と融合した民族であるからだ。
その新疆ウイグルも西の端カシュガルまで行けば、陶器レンガを散りばめた中央アジア色の濃いモスクを見ることになり、ここまでくればもうほとんど中華式モスクは目にしなくなる。
そういうわけではあるが、このようにアラビア式外観を持ったモスクの内部が中華式であった例を、私は目にした記憶がない。

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しかし一瞬どこかの仏教寺院かと思ったものの、両脇には信者に礼拝を呼びかける二つの塔ミナレットがあり、やはりイスラム建築だ。
そしてその石門の向こうにはまたどこかのお堂を想像させるような中華式建築が覗き見えた。

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こちらが礼拝堂。立派な中華式建築である。
中国にはアラビア式モスクも中華式モスクも多数あるが、アラビア式建築の中にこれほど純粋な中華式建築を見た記憶がない。
また逆に言えば、このような中華建築を取り囲むアラビア式建築をも見た記憶がない。
そういう意味でとても興味深い清真寺だ。

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そしてそれだけでなく、この礼拝堂、非常にうつくしい。
私は日本建築でも中国建築でも、屋根に魅力を感じる。
うつくしい建築というのは、屋根組もうつくしいし手を抜いていない。
また、屋根が質素な建築にも、質素な雰囲気なりの美を感じることもある。
建築様式も、またその建物が背負ってきた歴史も、みな屋根に現れているかのように感じることもある。
この清真寺の屋根はやはりモスクだけあり、緑と青の配色がうつくしい。
そしてよく見てみると一番下の垂木の断面は孔雀の羽を模している。どうやらこの屋根組は孔雀が羽を広げたような壮麗さを、イスラムの聖なる色である緑と青を使って表現しているようだ。

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振り返ってみると、みごとなアラビア式門が向こうに見える。
手前には先ほどくぐってきた中華式門が重なり、不思議にうまく融合しているみたいだ。

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こちらは礼拝堂入り口。
奥では、白い帽子をかぶった回族のムスリムが聖なる方角に頭を下げている。

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晴天が少ない四川省にいて、今日の澄み渡った青空はすがすがしく嬉しい。
中華式礼拝堂のガラス面には、背後のアラビア式門が写りこんでいる。

そうして見入っていると、背後の広場からマイクで人を集める声がした。
「解説するからみんな、集まって!集まって!」
振り返ると白い帽子をかぶったムスリムが人を集め、その声に呼ばれて観光客が吸い寄せられていく。
そのムスリムはこの清真寺のガイドを務めるようで、ムスリムの習慣、一日に五度どのように礼拝を行い、どのような祭礼があり、そしてこのモスクがどのような歴史を持ち、などの説明を始めた。観光客も熱心で、真剣に聞き入っている。興味深かったのは、このガイドさんがただ説明をするだけでなく、観光客がおもしろいようにユニークに話をしていたことだ。
今年の8月四川へ発つ前のこと、日本最大のモスク、東京ジャーミイを見学したときのことを思い出した。あのモスクはイスラム教の普及と理解への積極的な姿勢を持ち、私が見学した時も、たくさんの観光客へ向けて無料解説を行っていた。その解説ぶりはユーモアをもっており、私はついつい夢中になっていた。
私はそれを思い出しながら、この東関清真寺も、きっと同様に積極的な活動をしているんだろう、だからこそたくさんの信者が訪れる青海最大のモスクでありながら、このように非信者を受け入れているのだろう、と思った。
女性が入場どころか近づくことも許さないモスクも少なくない。
非信者を受け入れることができないムスリムもいる。
聖なる場所であるから、写真撮影を拒むところもある。
それなのに、ここはその逆を行く。しかしとても開放的でありながら、イスラムの教えを厳格に実行する。その姿勢を入り口の注意書きに見た気がした。

ガイドさんが説明を終えて、礼拝堂隣りにある建物に誘った。
私もつられて入っていくと、そこは小さな展示室になっていた。
ここはどうやら、回族のイスラム信仰と生活習慣について紹介した建物のようだ。

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入り口にはコーラン。版画印刷が、時代の古さを感じる。

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同じイスラム教徒でも、回族とウイグル族とではだいたい外見で見分けることができる。
ウイグルの男性が深緑や黒い小さな帽子をかぶっているのに対し、回族の男性はそれより少し大きな白い帽子をかぶる。
ウイグルの女性が派手な柄のスカーフを器用に巻き結んでいるのに対し、ここ西寧の回族女性の多くは、頭巾のようにしっかり頭部と肩のあたりまでを覆う主に黒いヒジャブを着用していた。
しかし女性に関しては、新疆ウイグル自治区でも寧夏回族自治区でも、ここで見るようなヒジャブの統一感は見たことがないから、それが地域由来なのか単に私の行動範囲の問題なのかはわからない。

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回族の生活様式が、実物の展示と共に紹介されている。
回族の特性として、アラビア、ペルシャからの移民が漢族と混血を繰り返し漢族文化と融合した、という点がある。
回族が主に漢語を話し、身体的外見も生活様式も漢族とほぼ変わらないのは、このためである。そのため、白い帽子や頭髪を覆うスカーフやヒジャブがなければ、漢族と区別がつかない場合も少なくない。
古い写真も展示されていたが、なるほどその通り、衣装も住居も漢族とそう変わらない。

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こちらは青海省の回族のみの習慣かも知れないが、回族の女性はかつてこのような衣装を着て身体を覆った。これを着ないで外出することは非常に恥ずかしいことだったという。
イスラムの女性でこうした衣装を見たのは初めてだった。清代の女性の衣装に似ている。これもまた、イスラム教民族でありながら漢族文化と融合した回族ならではの様式なのだろう。
動きやすく仕事もしやすい衣装で、時代と共に変化してきたものなのだと説明されていた。中央アジアのムスリム女性の衣装は動きやすいとはいえないものだから、それを思い出しながら、この衣装は非常に合理的だなと興味深かった。

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最後にこちらは、八宝茶。
銀川であちらこちらに売っていて私もお土産に買ったものだった。枸杞や棗、桂圓などの八種類の植物由来の材料と角砂糖を合わせたお茶である。私は買ったけれども口に合わずに買った袋も残ってしまった。

イスラムは食にこだわった宗教文化を持つ。
それは、美食と清浄であること。
おいしいものを食べよと教えがある一方で、不浄なものを口にしてはいけないとも厳しく説いている。
だから暴飲暴食を戒め、自然死した動物、血液や豚肉を口にすることを禁忌としている。豚肉が禁忌なのは、コーランが定められた当時中東の砂漠地帯では豚肉は疫病の危険性が高かったからではないか、という話もちらりと耳にしたことがある。
そうした禁忌がある一方、中東イスラム圏でコーヒーが門外不出の美味として人々を虜にしたのに対し、中国で回族という民族になった人たちは、お茶を愛した。そのかたちのひとつが、この八宝茶である。

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四川でもおなじみの蓋と受け皿つきの飲み方だが、大量の材料を浸したお茶は、このように蓋がなければ飲めないだろう。

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展示室を出て、礼拝堂の左手にまわってみた。
回族といえば、このように石彫りの細工がうつくしい。
非常に精巧で、題材は中華建築だったり松だったりおよそイスラム的ではないが、さすが西域に広がる民族だけあって、けっこう葡萄の題材を目にする。

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礼拝堂の最奥部に行き当たると、中にずっと向こうまで続く絨毯が見えた。
この左手には聖なる方角に向けて作られたミフラーブがあるのだろう。
建物の陰に日を避けるようにして男性が三人ほど腰かけて、祈りを唱えていた。
不思議な抑揚を持ち、どうやらそれはアラビア語のようだ。なんだか練習しているかのようで、ときおりつっかえたり間違えたりしては歌い直していた。

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ふたたび、最初にくぐってきた中華式門を抜けてアラビア式門から清真寺をあとにしようとしたところ。
入ってきた時には気づかなかったが、門の一部を改修している人たちに気づいた。
彫刻が施された粘土状に見える石材を載せて、水平を測っては、ああだこうだと言い合ってやり直している。
モスクでも仏教寺院でも、中国では惜しげもなく新しい姿に改修したり神様仏様が真新しい姿をしていたりする。
観光として訪れる私はよくそれを残念に思うけれども、しかしその一方で深く関心し尊敬の念を抱くことも多い。
信仰に大事なのは見た目よりもそれを祈るこころの方である。
建築美も仏像も神像も、それらはあくまで宗教真理の形代に過ぎない。
そのことを彼らは知っているのだ。
だから、ぴかぴかの仏像にこころから跪き頭を下げるのだ。
イスラムはさらにその向こうを行く。
イスラムにとって大切なのは聖なる方角。本来のことをいえば、礼拝堂もミフラーブもなくても構わない。
文化的価値を重視して、保存のために誰も立ち入れなくなった宗教施設。
それよりも、祈ることを優先し、古くなったら直したり換えていく、そうしながら人の祈りの場であり続けるその方が、信仰が生きているとはいえないだろうか。
まれに、寺院でカメラに手をかけていないのに「神様を撮らないでね」と先に注意されることがある。彼らには、ピカピカの神様仏様のその向こうに、ずっとずっと変わらない姿の尊い存在が見えているのだ。
時代を重ねて様々な個所の改修を繰り返してきたために、様々な様式が融合したモスクになった。
アラビア式門をくぐった時に読んだ説明書きを思い出す。
この東関清真寺のうつくしさは、実はその建築美自体ではなく、その背景にある、時を超え祈り続ける人々のこころなのだと知った。

〈記 10月8日 宜賓にて〉

⇒ 西寧旅行〈市内観光〉~後編~ へ続く

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2019-11-13

西寧旅行二日目〈市内観光〉~後編~

東関清真寺を後にして次に向かったのは、街はずれにある北禅寺だった。
西寧市街地はそう広い範囲ではない。
さすがに徒歩では回り切れないけれども、それでも時間さえあればそれも可能かもしれないと思うほどの広さしかない。

ここに来て西域に来たなと実感させるのは、その市街風景である。
大都会ではないけれども、高層ビルが建ち並ぶ都市風景だ。
そのビルや車が行き交う交差点、大きな道路、そのすぐ向こうには乾燥した山々が頭を覗かせている。
乾いた砂や岩を剥き出しにし、かろうじて生きているようなわずかな緑が張りついている。
鋭い日差しに相反して吹く、冷たく澄んだ風。
透き通る青空に、不思議な心地よさを呼ぶ乾燥した空気。
もうただのビルを眺めているだけで、ここが広い広い大地のど真ん中にいるのだということを感覚的に教えてくれる。

このそう広くない西寧の市街地にあって、すぐ北面には低くなだらかな山が見える。
嵐でも吹けば砂が舞いそうな山である。
その山に、北禅寺はある。
うまくこちらから向かえるバスが見つからなかったので、タクシーに乗り向かった。
タクシーはやがて都市風景を抜けていかにも街はずれ、人気はあるけれども不便そうな場所に出た。
帰りのこともあるので道順など注意深く確認しながらいくと、ゆっくり歩いて帰ってくることもできそうだった。

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こうして少し木陰になったところでタクシーを降りると、道は右か左かのようだ。
標識を見てみると北禅寺のルートは左方向のようだが、「只今工事中にて立ち入り禁止、東門から入るように」と張り紙がしてある。
指示の通り右ルートを選び歩いて行くと、すぐのところに東側の山門が現れた。

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この北禅寺、地球の歩き方には西寧最古の道観として北禅寺と紹介されていた。
しかしここに来てみると、この一帯は「北山土楼観」の名称の方が通り名として通っているよう。道路標識もそのようになっていた。
この北山土楼観、道観というよりも山全体に広がる寺院や山肌に穿たれた石窟が有名なようだ。その石窟が、土楼観の名称の由来だろう。

そもそもの始まりは106年に寺院が創建されてから、北魏明帝の時代、紀元3世紀のことだった。ある僧がこの北山の山肌に石窟を掘り、仏像を作り納めたり壁画を描いたりし、徐々に仏教の名刹になっていったのだという。
その後道家や仏家がこの山に集まり暮らすようになり、さらに石窟が穿たれ仏像が納められていった。
孔子廟もどこかにできたのだろう、そうしてここは仏、道、儒教、三教合一の聖なる地となった。
つまりこの場所で最初に宗教活動を始めたのは仏教だ。
しかし地球の歩き方には、通り名として通っている土楼観でもなく、仏教寺院名でもなく、「西寧最古の道観」を紹介しているその訳は、やはり人は最古、その「最」の字に弱いからなのではないだろうか。

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国慶節であることを忘れるなよ、とでも言わんばかりの国旗が、こんなところまで完璧に行き届いている。
山門をくぐったその先のお堂の前には、ちょうどいい場所に国旗を掲揚したポールが気持ちいいくらいにどうどうと景観を邪魔している。

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国家成立70周年を記念する垂れ幕。
最初は遠くから見て、なにかありがたい仏さまの言葉なんかが書かれているのかと思い近づいてみれば。

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北山にはこのように、山肌に沿って寺院道観が横並びになっているよう。
それにしても道が一本に通っているわけではなく、お堂を裏に抜け、登り、そしてまた裏に抜け、なんて進んでいっては次の建物を見つける。
順路というものはないようで、どう進んだら私が期待する山肌の石窟に到達できるのかさっぱりわからない。
見上げれば上には、かなり高い位置に穿たれた石窟が、ぽつりぽつりと穴をあけ並んでいるのが見える。
地球の歩き方には、「急な階段を上るが市街の眺めは抜群だ」と書かれている。
ここを有名にしたかつての名もなき僧の信仰の痕跡を目にしてみたい。
そして、そこから抜群の眺めというのを見てみたい。
急な階段は、来るときにタクシーから一瞬ちらりと見えた。あれはどこにあるのだ。

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建物一つひとつはおもしろくて、壁などに古い絵が描かれているのがどれも趣があった。
絵は非常に精緻で、淡いところと精密なところ、力強い線と繊細な線、色彩をもつところともたないところ、そんなところが見事に描き分けられていた。
山肌に生える松、ぼろをまとった男性、神様が立つ高欄、空駆ける牛に舞う鶴。
人物が手にする花に扇に剣。
そんなもの一つひとつがまったく異なるタッチで描かれているのは素晴らしく、しかもこれは紙に描いたものではなく、壁に描いたものなのだ。
人物の姿も表情もそれぞれ細かく描かれており、おそらく何か基になるストーリーがあるのだろうけども、わからなかった。

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ここには非常にたくさんの寺院や廟が並んでいて、あの道進んではこの道進んで、というふうに入り込んでいった。
どこまで行ったらあの石窟へ繋がる階段へ出るのか。

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しかしとうとう一番奥まで来てしまった。
ここまで来ると観光客の好むようなものはなさそうだった。鳩が飼われており、そこらじゅうに羽が舞っていた。

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こんな注意書きを見たのは初めてだ。
「犬に注意」、日本でいえばかつてはよく見かけた猛犬注意のシールみたいなものか。
中国ではどこでも犬を見かけるし、怖そうな犬が放し飼いにされていることも少なくない。鎖で繋がれている犬も檻に入っている犬もいるけれど、でも犬に注意の看板は初めてだ。

ここに来て、残念な結論が出てしまった。
お寺の関係者と思われる人、数人に「どうやったら上がれるの?」と訊ねたが、皆から「上がれない」という返事をもらってしまった。
これはもう確実なようだ。
中国を旅して頻繁にこういうことはある。
古い建築物、とくに危険な場所にあるものなどは、数年前までは開放されていたとしても、非公開や立ち入り禁止になっているものが非常に多いのだ。
急な階段、乾燥した山の側面に穿たれた高所の石窟。古い寺院の数々。
立ち入り禁止になる要素が揃っている。

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見上げると、屋根の向こうに石窟の並びが遠く見えた。
初めはそれぞれ独立した石窟だと思ったが、よく見るとそれぞれが繋がり、一本の通路が内部に通っているみたいだった。
相当細い通路のようだ。
岩肌の凹凸により、いったんそれが途切れたような箇所があった。しかしよく見てみると、なんとそこには細く小さな欄干が通っているではないか。
中国では、なんでこんなところに、どうやってこんなところに、そんな歴史の足跡がたくさんある。
まるでそれは、困難であればあるほど、危険であればあるほど、尊いかのようだ。
現在立ち入り禁止である以上、私があの場所に足を踏み入れることは永遠にないだろう。あの中にはいったいどんな塑像が納められどんな壁画が残るのだろうか。

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そこから元来た道を戻りながらも、往生際の悪い私は諦めきれず、登るルートがないか探した。
すると二か所、上へ続く石階段を見つけた。しかしいずれもこのように、立ち入り禁止。崩落の危険があるということで、厳重に封鎖されている。
中国では「こんなんでいいのかな」と思うようなルーズなことがたくさんある。でも私がルーズさを求めるような時には必ず、ルーズどころか少しの隙もないのだから。

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急な階段を登っての抜群な眺めは得られなかったが、ここからの景色もなかなか気持ちがよかった。
西寧の市街地を南に見る。

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こちらの建物もなかなか立派で大きかった。一つひとつをゆっくり回れば得るものも多かっただろうが、この時の私はそれらを軽く通り過ぎただけだった。

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最初登ってきた方面、つまり東側には城隍殿があった。1990年に改修されたというこじんまりとしたお堂である。
城隍廟もまた中国各地で見られる道観だ。
城隍神は道教でいう、土地、街を司る神。つまりその土地の人々にとって一番身近な神様のひとつといえる。
遠い仙境や雲の向こうにいるのではなく、すぐそばにいて見守ってくれる神様。

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しかしそんな神様も人々と共に進化するのだろう。
お賽銭は電子マネーでどうぞ。微信も支付宝も銀聯カードも使えます。
お賽銭は「ちゃりん」と音が鳴ってこそ、神様の元に届くのだと思う。
そう思いながらも、ああ現代の中国では硬貨はあまり普及していないんだったと思い出した。

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北山土楼観を後にして、しばらく歩いて振り返ってみた。
ここから望めば、あの真っ直ぐに架かる急な階段を眺めることができた。
ぽつりぽつりとした石窟に未練。
激しい地層を剥き出しにした乾いた山肌の上には、巨大な「緑色発展 幸福西寧」の文字が見えた。
歴史ある石窟の上に、あろうことかあんな巨大な文字を置かなくても。
歴史のロマンも景観も台無しである。
崩落の恐れがあり立ち入り禁止にするような場所に、あんなものを配置していいものなのか。
そしてこんなセンスと行動が、果たして「緑色発展」を目指せるのであろうか。
しかしこれは、非常に中国らしさを表した一コマなのだった。

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ここから数歩もいかないところに、今度はシンプルな教会を見つけた。
御影石、ではないけれどそんなようなピカピカの石材で造られた教会である。
鉄門は閉じられていて、だれもいないのかなと思っていると、小さな子供を抱えた男性がやってきて、門を開けて入っていった。
東関清真寺でイスラム教に触れ、北山土楼観で仏教、道教、儒教の寺院お堂を見、そして今度はカトリックの教会に出合った。
非常に他宗教な一日だった。

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時間もあるので散歩がてらのんびり歩いて行くと、すぐに一条の川に出た。
これは西寧市街北側に西から東へ流れる湟水という名の川である。
これを越す橋はなんと、「長江路橋」。
まったく別の大河の名前を橋につけるとは、大胆なセンスだ。
長江は私が暮らす街、宜賓を流れるアジア最長の大河。
青海省に源流を持ち、やがて大きな河川に発達した金沙江は、宜賓から名称を長江に変える。
まったく別の川とはいっても、ここ青海省から流れ出る水流なのだから、まったく関係ないともいえないか。
しかしこのあと知るが、私が今歩く道路はこのあと長江路を名乗りだす。
つまり、湟水に関係ない大河の名を橋につけたのではなく、ただ単に通りの名を橋につけただけなのだった。
この長江路のほかに、黄河路も見つけた。
また土楼観があったあの場所は、祁連路だった。祁連山脈は青海省と甘粛省の境界を形成する巨大な山脈で、そこから産出される玉は夜光杯の原料だ。
このように、中国の都市の名は工夫がないといえばないかも知れないが、しかし注目してみるとなかなかおもしろいともいえる。

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えんえん歩き、ホテル周辺まで戻ってきた。
ホテル近くに見つけた祁連酸奶というお店で、手作りヨーグルトを食べた。
ひとつ4元だったかと思う。
中国西域や内モンゴル、チベット方面の草原地帯など、そうした大自然地帯に来たならば、ヨーグルトがおいしい。
かならずこうしたヨーグルトを売る人やお店があり、それらはみな手作りだ。
少数民族が作るヨーグルトの場合、民族により風味も異なりおもしろい。
ここ西寧でももうそこら中に売られている。
青海省で特筆すべきは、ここはチベット領域であり、ヤクが特産であることだ。
青海省ではそのヤクの乳を使ってできたヨーグルトを食べることができる。

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このように黄色い膜が張っている。これがヤクだからなのか、手作りゆえかはわからない。
スプーンですくうと、湯葉のように剥がれた。
このお店では砂糖か氷砂糖かを訊かれた。二種類あるようだ。私はどちらを食べたのだったか…。
甘くてみずみすしくておいしかった。

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こちらが私が宿泊するホテル周辺。
右側にある西百賓館がそれだ。

ホテルから飲食店が賑やかな清真寺方面へ向かってみると、その途中に十大字という場所がある。
北大路、南大路、西大路、東大路が十字に交わる交差点だ。
このすぐ近くから南に曲がったところに、小さな飲食店が賑やかに建ち並ぶエリアを見つけた。
四川へ来て一カ月、そしてこの一年間、四川の麻辣は飽きるほど食べた。
とくに大好きな火鍋。
私は火鍋が大好物だったが、すべてが麻辣火鍋だったため、北京式火鍋が食べたかった。
四川重慶火鍋と北京火鍋の大きな違いはまずスープだが、具も異なる。
北京火鍋が薄切りの羊や牛、野菜を主にしているのに対し、四川火鍋に羊はなく、牛肉のほかに魚、牛の内臓、鴨の腸、鴨の血などの具材がある。具材が異なればタレも違う。麻辣火鍋には香油をたっぷりつけて食すが、北京火鍋は香油のほかにゴマダレがある。ゴマダレは四川火鍋では使用しない。
ここ青海は羊の産地であるから、北京火鍋を食べることができる。
清湯に、羊牛の薄切り、それにゴマダレ。
そんな北京火鍋がめちゃくちゃ食べたい。

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ところが見渡してみると、北京ダックに麻辣烫、中国各地のグルメが集まる。
ここで痛感した。
四川の魅力はなんといっても、四川料理である。
しかし私にとっては、それはまた同時に落とし穴でもあったのだ。
中国人は地元の食に誇りを持ち、それは日本人の理解を超えているかもしれない。そして四川はそれに何倍もの勢いをもって四川料理を愛し慣れ親しんでいるのだ。
どこに行っても各地の美食に手を伸ばすことができるようになった、現代中国。
その中で、私はある時ふと気づいた。
四川にはなんと四川料理の多いことか。
四川火鍋、成都串串香、綿陽米線、宜賓燃麺、自貢冷吃兔、楽山焼烤、各地の地名が付いたお店が建ち並ぶ。
そうして気づいたのが、他の省に比べて他地域のグルメが圧倒的に少ないこと。
もちろん、あるはある。北京ダックだって東北餃子だって過橋米線だって、それに日本料理店だって、あるはあるのだ。ただし、決して多くはない。他の地域に比べ、割合が全然違うのだ。
成都にしてそうなのだから、地方都市ならなおさらだ。
魅力的な四川グルメに囲まれながら、私はこころの中でそれを「四川の魔」と名付けた。
四川以外の味覚、それが四川を脱出した今の私にとって、このうえない魅力だった。

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ぶらぶら歩きながらこんなものを見つけた。
「厕所串串」
厕所はトイレ、というか便所といった方が近いかもしれない。厕はつまり、厠である。
串串は、串に刺した肉や野菜を調理していただく料理。どうして飲食店に便所なんて文字を使うのか。
実は成都には数カ所同様の、「厕所食堂」がある。
もともとはあるお店のことだったようだ。そのお店は人が一人二人なんとか通れるぐらいの小ささ狭さで、それゆえ店名を掲げるスペースもなく名無しだった。しかしそのお店はとてもおいしく評判で、やがて有名になった。有名になったが店名がない。そこで、人々はその食堂の隣にちょうど公衆便所があったことから、「便所の隣の食堂」と呼ぶようになり、やがて通称「便所食堂」になった。その話が有名になり、それに便乗して、成都では便所食堂を名乗るお店が出たのだという。
串串は成都の名物だから、やっぱりこれは成都の便所食堂に乗っかったものだろう。しかしこのお店の隣にもちろん便所などない。

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またこちらはヤク肉を売るお店。
中国では牛だろうと豚だろうと鶏だろうと、冷蔵庫に収めて売られている姿は大型スーパーでしか目にしない。
こうした専門肉屋はみなこんなふうに、生肉を晒した状態で、鉤に吊るしてまたは大胆に肉塊を並べて売られているのが常だ。
今まで牛や羊などの肉屋は見ても、ヤク肉屋を見たのは初めてだった。
ヤク肉を始めて食べたのは、新疆の友達が送ってくれた干し肉だった。
その後、成都のチベット料理屋で食べ、今ではすっかり好きになってしまった。肉は引き締まり旨味は濃厚。こちらに来たらぜひ口にしたい美味だ。

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厕所串串の隣に便所はなかったが、公衆トイレを見つけた。
こちらの看板には中国語とともにチベット文字が書かれている。
西寧にはまた、たくさんのチベット族が暮らす。

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辺りを散々散策して、なかなか清湯ゴマダレ火鍋を見つけることができなかった。
火鍋屋さんはたくさんあったが、そのどれもが麻辣火鍋だった。
重慶、重慶、重慶…。
かと思えば、蜀だと成都だのの文字。
真っ赤な外装に赤ちょうちん、鍋が設置された木製の四角いテーブルに木製の横長の椅子、炎のような装飾を見たならばもうそれは間違いなく麻辣火鍋である。
おそるべし、四川に重慶。
ここ青海省を征服してしまったかのようだ。
諦めきれなかった私は、アプリで「火鍋」と検索した。
すると近場の火鍋屋さんがリストアップされるが、これもまた重慶、重慶、重慶…。なんてことだ。
清湯の火鍋も出てくるが、清真の文字。
清真(ハラル)はすべてとはいわないが、イスラムであるからお酒も煙草も不可である可能性が高い。
それでも見ていくと、北京式火鍋を見つけた。
少し遠かったが、辛抱強く歩いて向かってみた。
しかし到着してみると、「清真だからお酒はありません」。
もうだいぶ街の外れまで歩いてきたというのに。
悲しい思いでしばらく立ち尽くしていると、隣にもう一つ別の火鍋屋さんを見つけた。
回転寿司ならぬ、回転火鍋である。
そこもまたお酒はないようだったが、空腹に負けてとうとう入店した。

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嬉しい嬉しい、清湯火鍋に、ゴマダレ。しかし羊肉はなく、仕方なく牛肉だけを取った。

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お酒がないので、せっかくなので国家成立70周年記念ラベルの炭酸飲料を。

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回転火鍋はなかなかおもしろかった。
回ってくる具材は多彩で、それぞれが串に刺さっているので、少しずつ色んな味を楽しむことができる。おひとり様に最適だ。

9月は仕事が忙しくて、食事を摂る暇もない日もあり、わずかわずか痩せたようだ。しかし一カ月分を取り戻すかのように、くるったように食べてしまった。もう今日一日で体重は戻ったかもしれない。
ニンニクをたっぷり加えたゴマダレ、食欲を呼ぶ牛肉。大満足だった。

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こうして夜の静まり返った東関清真寺を通り過ぎ、裏道へ入り曲がりまた曲がり。
西寧の夜、第一夜。
初めて訪れる街はただそれだけで楽しい。
歩きまわっても飽きることを知らない。

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こうして戻ってきた西百賓館。
近くの商店でいろいろたくさん買い込んできた。

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部屋に戻り電気をつけようとすると、間違えてテレビのスイッチを押してしまった。
テレビが映し出したのは、青海省各地のお天気と映像。チベット文字が、旅気分を盛り上げる。

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こちらが買ってきたもの。
星座に羊の柄がなんともすてきな、青海ビール。
昨年西域を旅した時に気に入った蘭州の煙草。四川ではなかなか手に入らない。
それから、寧夏回族自治区のワイン。お店の人にその場で開けてもらい、運んできた。
これから四晩をこの部屋で過ごす。楽しみな気持ちでいっぱいだ。

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大きなガラス窓の向こうは、西寧の煌びやかな夜景が広がっていた。
いつもいつもホテルからの眺望を重視する私。出会った街を夜いつまでも眺めて痛いから。
それを知っていて神様がこの部屋を決めてくれたのかな。
「辛苦了」
そんな言葉が聞こえた気がした。
赤、青、金、銀…。
くるくる、くるくる、カラフルな灯りがビルを彩り回る。
それを眺めながらワインを飲み、渋い苦みが体に染みわたるのを感じる。
23時、さっといくつかのビルの灯りが落ちた。
またしばらくして、さっといくつかのビルの灯りが落ちた。
残ったわずかな灯り。
黒々とした西寧の街。
見下ろしてみると、大通りをひっきりなしに通るのはタクシーばかり。
「辛苦了」
今度は私がかれらに言葉をかけた。
こころのなかで。

〈記 10月9日 宜賓にて〉

参考:
市内バス 1元
東関清真寺 無料
北禅寺 無料
北禅寺までタクシー 12元
宿泊費 158元
レトロ菓子パン 14元
ヤク乳ヨーグルト 4元
回転火鍋 63元

⇒ 西寧旅行三日目〈タール寺〉~前編~ へ続く

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2019-11-13

西寧旅行三日目〈タール寺〉~前編~

2019年10月2日、少し寝坊して窓の外を見ると、若干雲が見えるものの、今日も青空が広がっている。どんよりとした天気の多い四川にいて、この爽やかな青空を見るためにわざわざここまで来たのだとも思う。
外に出てみればからりとした気持ちよさ。
夏と秋と初冬が混じった気候は、旅気分を高めてくれる。

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今日は西寧郊外にあるタール寺というチベット仏教寺院へ行く。
タール寺は西寧市街から西へ25㎞ほどのところの、湟中という小さな町にある。
ボストンに放り込んできた地球の歩き方を見てみると、ホテルすぐ西の長江路をまっすぐ南下したあたりに、この湟中行きのバスが出ているという。
肌寒い空気の中とりあえずそこを目指し歩いてみるものの、大通りはさらに車通りを増していくだけ。バスが停まるような気配はまったくない。
考えてみれば、持っている地球の歩き方西北編は2011年版。
変化が激しく一年でも大きく変わる中国で、こんなのもうすでに無効だといっていい。
推測するに、もうここにはバスは停まらないのだと思う。

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こうして気分を変えて、市街地西にある新寧バスターミナルへ行ってみた。
ここで湟中行きのバスのチケットを購入してみると、7元。初めからここにくればよかった。

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ちょうどよくバスが出るところで乗り場に出ると、様々な行先の長距離バスが並んでいる。
見てみると、共和、互助など不自然な地名が並ぶ。他の場所では、平安という地名も見つけた。うつくしい地名はかえってどこか不気味だ。
「このバス、湟中に行く?」
運転手さんに確認すると、「早く乗れ」という。
乗り込んでわかったが、乗客は私たった一人だった。
なんだかバスを独占した気分で揺られる。

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真っ青な空に乾燥したなだらかな山々が続く。
強風が吹けば砂嵐でも舞いそうな山々である。
こうした風景を見て、ずいぶん遠くまで来たなと実感する。
日本にもない。四川にもない。
私が西域に惹かれる所以である。
こんなふうに言うと、ただ遠いところに行きたいだけなのかと、そんなふうにも聞こえるけれども、それを否定するつもりもない。
私がもしこの地に暮らしたら、もしかしたら激しく、年中温暖で湿潤な場所を目指すのかもしれない。
通り過ぎていく乾燥の山々に見入りながら、ときおりぽつりぽつりと、山稜に小さな突起を見つけた。
いにしえの烽火台である。
甘粛や新疆などにはもうたくさんの烽火台を見つけるけれど、青海でもそれを見るとは思わなかった。
人煙のない大自然であっても、急を要するときには瞬時にそれを伝えるバトンリレー。
それは辺境の生命線である。
それならばここにそれがあったとしても、なんの不思議もないことなのに。

しばらくそんな風景を眺めながら、やがて小さな街の風景になった。
道端には、チベットの仏像や仏具を作る工房が並んでいる。
火花を上げる器具に、転がる銅板。
安徽の彫刻工房の時もそうだったが、中国では同業が軒を並べて同じようなものを作る、そんな光景を目にすることが多い。
競争にならないのかな、なんて思うけれど、むしろ仲良く楽しんでいるようにも思える。

ここからしばらくし、急に観光地の様相になった。
車が小規模な渋滞を起こし、詰まった一台のためにクラクションの連発で騒がしいことになっている。
今日は10月2日、国慶節連休の二日目である。
それにしても、他の観光地は混雑というレベルを超えてすさまじかったというから、こんなの混んでいるうちに入らない。

運転手さんがここで降りるように言うので、「帰りはどこから乗るの?」と訊くと、「ここから乗ればいい」と言う。
小さな街ではこのようにバスターミナルがなく、道端での乗り降りになることも少なくないが、行きはいいが帰りはなかなか難しい。

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ここにはたくさんの、観光客向けの飲食店やお土産屋さんが並んでいた。
お土産は中国どこでも見るストールに、ここならではの毛皮。
飲食店もやっぱり観光客向けだったので、もう少し歩いてみた。

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するとその先にはサツマイモとジャガイモ。大きな鉄鍋で焼いた状態で並んでいる。
こんなリヤカーがもう何台も。
おなかが空いて思わず大きなジャガイモをひとつ。それで10元だった。
唐辛子パウダーをまぶしてくれて、そんなところは中国風。
日本だったらじゃがバターというところだが、ここにはそんなものはない。
じゃがバター、恋しいな。じゃが唐辛子をほおばりながらそんなことを思った。
バターにチーズ。
私が特に愛するこの味だが、もうながらく縁がない。
中国にだってそれくらいあるよ、という。しかしそれは場所による。
私が暮らすマンション付近一帯では、大きなスーパーに行ってもバターもチーズも売られていない。
中国人の先生にそれを言うと、「バターにチーズって、必要?」
やっぱり需要と供給の問題か。
ついでにいえば、私は自他ともに認めるポテト好きだ。
フライドポテトやポテトチップには、かなりうるさい。
フライドポテトはともかく、ポテトチップなら中国どこにでもある。
カルビーのコンソメも、湖池屋ののり塩もないけれど、中国ではいつも楽事か昆明メーカーの子弟の塩味を好んで食べている。
ところがこの子弟、私のマンション周辺では、なぜか基本の塩味がないのだ。
トマト味だの胡瓜味だの味付きはあるが、どれもパーフェクトではない。
先日ようやく初めて、この子弟の塩味の小袋を、たったひとつだけ発見した。とうぜんそれは購入したけれども、滅多に手に入らないから未だに手を付けられず棚に飾られたままだ。

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大きなじゃがいもを平らげて、タール寺の入場門が見えてきた。
その正面には大きなチケット売り場があって、さっそく購入すると70元。
高いけれど、青海きっての観光地であることを考えれば、このぐらいはするだろう。

ちょうどお昼は過ぎていたが、入場する前にここでお昼ご飯を食べておくことにした。
今回の旅の目的のひとつが、食だった。
いつもであれば、食は後回し。
けれど今回は食は重要な任務のひとつである。
普段さびしく非常に偏った食事をしている分、そして貧乏している分、旅行の時ぐらい思い切りおいしいものを食べたい。
夜もおなかが空いた状態で食べるためには、もう今のうちにお昼を食べておかなければならなかった。

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チケット売り場から階段を下りて進んでいくと、そこにはひっそりと小さな食堂が建ち並んでいた。
日陰にもなって目立たない飲食店の並びは、飲食店街とは言えないような荒廃した雰囲気と寂しさを持っていた。

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ここに並んだ店舗のほとんどが、チベット料理のもので、あとは新疆料理と蒙古料理もあった。

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だからかこちらは、チベット語に蒙古語。

私の目当てはチベット料理。
チベットはなにもチベット自治区だけではない。
昔チベット国があった時代、広大なその地は東西南北地方で呼び分けられていた。
そのうち、甘粛の一部と青海の大部分、それから四川の北部を含めた地域はアムドと呼ばれ、やはりチベットの一部分だった。
だからここもまた、チベットなのだ。
四川西北部もまたチベット文化の地域であり、私は成都にあるチベット街、チベット料理が大好きだ。
そしてまた、ここに来たならばチベット料理を食べなければ。
私の目的はヤク肉の料理だった。

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どのお店も、扱うものは大概同じようだ。
成都のチベット料理店のように種類は多くはなくて、だいたいヤク乳のヨーグルト、バター茶、锅贴(焼き餃子)、阿卡包子、それに水餃子に烩麺など。
新疆ウイグルでも内蒙古でもそうだが、少数民族の料理を中国語で表すとき、どうもシンプル過ぎてまったくなんの特色もない。
新疆ウイグルでは、包子はまだよく、あとは「麺」「スープ」それだけで、いくらなんでも雑な翻訳だと思う。
こちらも同様で、餃子は餃子で東北餃子ではないだろうし、チベットの餃子なのはわかる。锅贴なら锅贴で、写真を見ればまるで抄手をぎっしり並べたみたいで特色がある。しかしそんな名称ではどうも、地方料理感が薄い。

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そんななかで阿卡包子だけはもともとの発音が生かされていそうだ。
アーカー包子。
しかしけっきょく、これも口にしないまま。

私はかなり貪欲になっていた。
貴重な昼食の一食を失敗したくない。そんな強い気持ちが決断を鈍らせ、とうとうお店の並びを一周してしまった。
廃墟の方が多い、寂しげな通りである。

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しかしそこを一歩抜けると突然観光客の多い賑やかな道に出た。
見上げると古い石橋が架かっていて、向こうには住民の生活区があるみたいだった。
この石橋もまた、タール寺やこの周辺の大きな変貌を見守ってきたんだろう。

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その下には飲食店だけでなく、チベット仏教に関わる仏具などを売るお店もあった。
こちらは先ほどバスの中から眺めた仏具。あれら工房でつくられたものだろうか。
一度買えば半永久的に使用するであろう巨大な仏具に仏像。余計なお世話ながら、需要と供給のバランスはとれているだろうかと心配になる。

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これは荒い茶葉のようなものが入った袋で、辺り一帯嗅いだこともない不思議な香りが充満していた。
これはおそらく、蔵香だろう。
松柏、麝香、穿山甲、金粉、銀粉、銅粉、鉄粉、蔵紅花、白檀香など、20種以上の材料を調合した香りということだ。1000年以上もの歴史があるのだという。
日本の仏教の香りとも中国内地のそれとも異なる、形容しがたい不思議な香りだった。

こうしてこの並びの激しい勧誘を抜けて、また先ほどのさびれた廃墟の並びに戻ってきた。
結局ここでひとつの食堂を選び入ってみた。

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廃墟の並びであるが、お店は明るくきれいで、天井付近に仏さまが祀られていた。
メニューを覗き込みながら、「ヤク肉を使ったものが食べたいんだけど」というと、「うちのは餃子も麺も全部ヤク肉だよ」という。

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そこで頼んでみたのは、粉条菜という、澱粉麺とヤク肉を炒めたものにしてみた。
これがなかなか脂っこく、劇的なおいしさはないものの、ご飯が欲しくなるおいしさだった。

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そんなことを思っていると、お店の人がチベットのパンを「サービスだよ」といって差し出してくれた。
「日本では米を必ず食べるんだろう?ここには米がないからパンをあげるよ」

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このお店の人はとても親切で、ヤク乳の奶茶が欲しいというと、10元で巨大ポットになってしまうからこれで試飲してまだ欲しければ頼めばいい、と言って一杯くれた。
そして私はけっきょく、巨大ポットを注文することにした。
動物の乳をいただいているなぁという感触があるので、私は新疆といい内蒙古といいチベットといい、これらの奶茶が大好きだ。
民族によっても異なるし、もちろんどの動物の乳かでも異なる。ずっと気になっているものでラクダの奶茶というのもある。
宜賓にはないけれど、成都にならチベットの奶茶館がある。今度、また行こう。そう思った。

メニューを見ていると、糌粑というものがあった。
粑の発音は‟パ“なので、チベットの有名な主食、ツァンパかと思ったが、糌の発音がわからずスマホで調べるも非表示になってしまう。さらに写真の様子がどうも私が知るものとは違った。以前テレビで見たことがあるのは、パンのような固形のかたまりだったが、メニューの写真はお皿に盛ってある。
ツァンパは、チベット高原で採れる裸麦を炒って作った生地で、これをバター茶などで練っていただく。お客をもてなすときにもこれを出すのだという。
「このピンインを教えて」
お店の人に訊いてみると、「zambia」と入力してくれた。
これは中国語のピンインではないから、チベット語のアルファベット表記だろうか。
お店の人によると、これは私の想像通りツァンパなのだそう。
マンションに戻りパソコンで入力してみると、糌粑のピンインはzanpaと出た。
次回またチベット地域に行くときには、かならずこのツァンパをいただいてみよう。

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こうしていよいよ、目的のタール寺へ入場することにした。
タール寺は、チベット語でクンブムという。
十万の獅子吼仏像の寺、という意味なのだそうだ。
チベット仏教最大の宗派、ゲルク派の開祖ツォンカパの生誕の地に建てられた聖地であり、また同宗派六大寺院のひとつでもある。
地球の歩き方ともう一冊私が持つ本には、創建1560年と書かれているが、入場門の説明書きには、創建1379年とあり大きく食い違う。
ツォンカパの生没年は1357~1419年だというから、説明書きが正しければツォンカパの22歳の時に建設が始まったことになる。そうなるとちょっと怪しい気もするが、本当のところはわからない。

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すっかり観光地で、巨大な中山門には入場ゲートが設置されている。これに購入したチケットのQRコードをかざせば、ゲートが開く。

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入場して振り返れば、立派でそして特色ある門だ。
上部には三つの屋根がついていて、それぞれの屋根を逆三角形を形成した木組みが支えているおもしろい形状だ。この逆三角形が屋根の軒ぞりを際立たせている。

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入場すれば中山門のすぐ右手には八大如来宝塔。
チケットには、善逝八塔と書かれている。
しかし多くの観光客が(自分の)撮影を競っており、とても入っていけない。
こうしたチベットの白い塔は、大きな一つが独立してあることが多い。
少なくともこんなにいくつも並んだものを私は見たことがなかった。

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右手に八塔を見て、左に見える建物が護法殿。
入り口からはその護法殿の背を見るため、建物の隙間の通路を入り表に回る。
そしてその先にずっと寺院が続いていく、それがタール寺の配置だ。

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70元で購入したチケットで、タール塔にある10の建物を参観することができる。
護法殿はその最初。
これらすべての建物は一歩入ればいっさい写真撮影が禁止されている。
入り口にはチケットをチェックする警備員ふうの男性がいて、写真撮影は禁止だと念を入れている。

しかしこの護法殿、うつくしかったし非常に興味深いものだったので、撮影ができないのは残念だった。
「仏様は撮らないから建物だけでもダメ?」
ダメもとで訊いてみれば、やっぱりダメ。

入り口をくぐれば、内部は高く四角く囲まれていて圧迫感があった。
上部には狭い二階のようなものがあり、そこからはなんと、大きな猛禽、牛、鹿などのさまざまな動物の剥製がこちらを見下ろしていた。
その奇怪さに圧倒され、またその下にはチベット特有の巨大な幕が一周下がり、白地に黒く、チベット文字や壺、花、二尾の魚、また祭祀の道具のような模様がマークのように染められている。
そして響く読経。
読経というか歌のようにも聞こえた。
お堂の隅には僧侶が一人座り、膝の上にタンバリンのようなものを横にしてのせている。そうして右手でタンバリンを打ち下ろし、その手にまた細長い棒を持ち目の前の太鼓を打つ。経典はチベットのものに間違いない。
とにかく独特の雰囲気に包まれ、まったくの別世界に入り込んでしまったような感覚を持った。

お堂の中に入ると、真っ暗な中にも細工が見事だった。細かな細工には見上げるどこにもまた違った模様があり、五色に金色と鮮やかだ。
奥にもいろいろ古い仏像などが多数収められているようで、一つひとつは見れなかったけれど、雰囲気でそれが伝わってくる。
お堂入り口側には壁画があり、新しいもので鮮明だったが、驚いたのはその画題だった。
生首のようなものや動物が奇怪で、まるで妖怪画のよう。百鬼夜行図の要約図かと思った。
目が三つある憤怒の神さまに、それを取り囲む神妙とした表情の僧、骸骨の絵。僧は動物や蝙蝠が刺さったような杖を錫杖のようにして手にしている。

この護法殿、1692年創建で、名の通り仏法を護り邪悪を排除する神さまを祀るのだという。
私が驚いた壁画は、仏法を護り衆生を救う様子を描いたものなのだとか。
法を護り悪を排除するその特性から、あんなに独特の雰囲気を持っているんだろう。

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護法殿の入り口すぐ向かいには、大きな白い仏塔が建っていた。
説明もなにもない、仏塔。
チベットの真っ白な塔は、どうしてこうも、真っ青な空に映えるのだろう。
そうして私は、白い塔に青空以外の背景を見たことがない。
きっとそんなわけないはずなのに、思い浮かぶのはみんな、真っ青な空だ。

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こちらは仏塔を越して振り返って。
この白い塔の向こうに先ほど参観した護法殿があり、そして左手に見えるのが次に参観する祈祷殿だ。

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先ほどは赤い塀をくぐり、今度は緑が美しい門。
ダライ・ラマ7世の長寿を祝って建てられたものなのだそう。誰もが耳にしたことのあるダライ・ラマの名だが、それもまたゲルク派から生まれた系統である。
祈祷殿の内部は思いのほか狭かった。庭園のように気が植えられた庭の向こうにお堂がある。
古い木造で、そこに描かれた絵が美しい。内部の柱などの彫刻は精緻で色彩も鮮やか。
しかし時計回りに順路を指示され「止まらない!進んで!止まるな!」と警備員の怒鳴り声に促され、パンダ初来日の時のように一瞬しか堂内に入ることができなかった。
これではお参りもできない。見学でもなく、ただ殿内を一周ぐるりと歩くために入場したようなものだ。
しかし逆に言えば、そんな一瞬でも素晴らしいと感じたお堂だったということでもある。
内部に入った時、一瞬見上げて二階のようなものを見つけた。
堂内に安置されている仏像は、中央は釈迦牟尼と弟子の二人、伽叶と阿難。それから左右に青獅子に乗った弥勒菩薩、白い象に乗った普賢菩薩、それに十六尊者に四天王、現在を表す中央の釈迦牟尼のほかに過去を表す燃灯佛、未来を表す弥勒菩薩。
しかしパンダ初来日の参観で、そこまで見れるはずがない。
これらはすべて、祈祷殿を抜けて外にある説明書きを読んで、知ったことである。

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タール寺はこのように、一本の道に沿って、片面の斜面に寺院が並んだ配置をしている。
つまりまっすぐ歩いて行けば、順にすべてを参観できるというわけだ。
一つひとつの建物がみな、うつくしい。

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こうして歩いて行きようやく、タール寺でもっとも規模が大きい大経殿の辺りに出た。
ところが見つけた張り紙には、「補修工事につき立ち入り禁止をご理解ください」
私はもうとびきりの雨女だが、それ以上に補修工事女なのではないかと思うこともしばしばだ。
中国ではさんざんそういうタイミングにあたり、それがしかも、二日前からだったり、二日後までだったり、そんなどんぴしゃりだったりすることも多い。
ではどこがそうだったかというと、それがもう説明も面倒くさいほどに多いので、面倒くさい。
最近では12月に楽山大仏を見に行ったら緑の網に全身を覆われていて、ただてっぺんの螺髪だけ拝んできた記憶が新しい。

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とにかくここは閉ざされている。閉ざされた扉もまたうつくしく趣あるものだ、なんて思っていると他の人もそう思うのか、次から次へとこの扉の前にやってきては、写真集でも出版するのかというほどのポーズと表情で自分の写真を撮っていく。
彼らにとってここはもうチベット仏教の聖地ではなく、ただロケ地か撮影地なのかもしれない。

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ここには中華式瓦屋根とともにこのような直線美がすばらしい様式がある。
チベット仏教といって多くの人が頭に思い浮かべるのは拉薩のポタラ宮だが、あれも直線で構成された建築美である。
宗教建築はおもしろく、またそのうつくしさは最奥がない。
どんな宗教だろうが、その信仰の境を飛び越えてしまううつくしさがある。
そしてそうした美はみな、その土地の気候風土とみごとに一致している。
宗教建築と気候風土は密接にかかわり合っていると思う。
チベットの聖地に坐するこうした建築のさまざまは、沿岸部の人口が密集した都市にはなじまない。なじまないし、もともとない。
天に近く、青空と接するようにして山の斜面や丘に建つ。
これであってこそのチベット仏教寺院なのだ。
灼熱の砂漠に点々とするモスクはみな、強い陽の光を受けながらまぶしい。
極寒の地に厳かに建つ厳粛な雰囲気の教会。
険しい斜面に張り付くようにして人の存在を拒む、道観。
はるばる天竺から伝わった仏教はその土地土地で表情を変え、人々の生活の中でも絢爛に存在感を放っている。
こうしたそれぞれはまた、場所が変われば様相も変わる。
それは信仰が信仰として生きている証でもある。

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こうして巨大な大経堂を壁伝いに進んでくと、一つの出入り口に人が集まっているのが見えた。
覗いてみると、中は広場になっていて、その石畳の上では大勢の僧侶がにぎやかに何かをしている。
まず耳に入ってきたのは、ぱちぱちとひっきりなしに手を打つ音。
臙脂の袈裟をまとった僧侶はみな若いように見えた。
彼らは、ある者は地面に腰かけまたある者は立ち、なにかを激しくまくしたてるようにしながら、最後に右腕を大きく上げ背をのけぞらせるようにして、勢いよく左手を激しく打った。
口にしている言葉はもちろん中国標準語ではない。
なんだか口論をしているようにも聞こえた。
身体を大きく振りかぶって左手を打つ動作は、なんだか殴り掛かるかのようにも見えた。
口論のようで殴り掛かるようにも見え、でも表情はみな楽しそうだ。
辯経仏事、というのだそう。
一部の僧侶は頭に大きく手前に突き出した黄色い帽子をかぶっており、不適切な例えかもしれないが、私はオニオオハシの大きな嘴を思い起こした。
この黄色い帽子はゲルク派の特性で、よってゲルク派は黄帽派の名ももつ。
思わず雰囲気に飲まれてしまい、しばらく見入ってしまった。

〈記 10月14日 宜賓にて〉

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2019-11-13

西寧旅行三日目〈タール寺〉~後編~

大経堂の辯経仏事を覗かせてもらい、建物の横に出た。

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こちらは大経堂の建物の一部を横から見て。
この建物はとても大きく、これもある一部分にすぎない。
そのすぐ先にもまた何やら観光客が群がっている場所があるので行ってみると、そこにもまた別の出入り口があった。

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人の流れに誘われるように私も入ってみると、奥に続いている。
その先に見えたのは、また先ほどの辯仏仏事の広場だった。
ぱちぱちと手を打つ音が響き、口論をするような賑やかな声の掛け合いが響く。
どうやらこちらの出入り口からも、わずかなスペースから中の様子が見学できるようだ。
しかし、押し合いへし合いの観光客の多くはスマホや立派なカメラで、撮影をしてしまっている。
「撮影禁止なのではないの?」
仏事が撮影禁止であるかどうか以前に、タール寺内の建築物の内部すべてが撮影禁止だった。とうぜん仏事も不可だろう。
しかし中には長々と録画撮影している人も。
すると背後で女性が、封鎖されている大経堂内を見学したいと、お願いしている声が聞こえた。
振り返ってみると、観光客の女性がお願いをしている相手はこちらの僧侶だった。
仏事を行っているような若い僧侶ではなく、なかなか貫禄のある年配の僧侶である。
僧侶は、「今は仏事を行っているから入れないし、中を見てもどのみち他の建物とそう大差ないから」そう話している。
なかなか立場のありそうな方のようだったので、私も横から入り、「写真撮影はしてもいいの?」と訊ねてみた。
これもダメもとである。
しかし意外なことにその僧侶はとても愛想の良い表情で、「いいよ、撮りなさい撮りなさい」と答えながら、むしろ勧めるような様子を見せた。
今まで「撮影NO!」と睨みをきかせていたのは、みな警備員だった。
それでもこのお寺の主人である僧侶がそうおっしゃってくださったのであれば、いいよね?

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こうして遠慮遠慮しながらも撮らせてもらった、大経堂内の広場の様子。

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こちらが、先ほど最初に覗いた入り口の方。
あちらが正面である。
たくさんの僧侶が一列に並び腰かけ、オニオオハシの嘴のような帽子をかぶっている。

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右腕を大きく上げ、左足を上げてのけぞったかと思うと、右手を打ち下ろし左掌を打つ。
そんな動作を繰り返している僧侶たちはどこか楽し気な表情が伺えて、僧侶といえども若い男の子たちだと、なんだか気持ちがなごんだ。
しかし男の子たちといっても、実際にどうなのかはわからない。みな坊主頭に剃り上げて日に焼けた黒い肌。案外私とそう変わらないのかもしれないけれど。

大経堂を抜けて、その先に進むことにした。時刻はもう間もなく17時になろうとしていた。
帰りのバスはそう遅くまではないはずだった。しかも乗り場が怪しくどのようにバスを拾うのかもやってみないとわからない。18時くらいにはバスを降りたあたりに行っておきたい。

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大経堂の隣にあるのは、酥油花館。
酥油花とはチベット仏教の伝統的な技法で、バター彫刻のことだ。
バター彫刻ってなんだ?と思うが、バターに色素を混ぜたものを練り形を作り、彫刻し、そうして造られた仏さまへのお供え物で、タール寺のお正月行事でもあるのだそう。
この酥油花館自体は1988年に建てられたそう歴史があるものでもないが、中にはそうした酥油花がたくさん展示されているのだという。

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内部に入ってみると壮麗で迫力満点だった。
非常に高さのある天井で、五色で彩色された細かい模様がぎっしり上まで続いている。
まるで宮殿のような豪華さである。
中央には数メートルにも及ぶ大きさの地蔵菩薩像が金ぴかに輝き、それを取り囲むようにガラス張りになったその中には、それぞれ巨大な酥油花が納められていた。
それらを順に見ていくが、とてもバターでつくられたものだとは思えない。
どうしてか日本の商売繁盛の熊手を思い起こした。様々な要素のものが一塊になり、一つの作品になっている。
一言で言うなら、賑やか。
重厚な建物に神さまや人物、精巧に形成された木に鮮やかな花。
花はあざみのようなものから菊のようなものまで、多彩だ。
その色彩の鮮やかさは、色味自体は日本でいうお盆の落雁を思い出させるようなものだった。そして細かな花びらの一本一本に妥協を感じさせない。
もう一言で言うなら、精巧さ。
非常に細かく、色彩も鮮やかで豊かだ。
巨大な作品の合間合間には、年画に絵が飼えるようなまるまる太った童子。
縁起の良い桃などを抱えている。
酥油花の題材は多彩で、経典の内容や民間伝承など多岐に亘る。
しかし題材が頭に入ってこないほど内容が豊富で、どこに注目していいかわからないほど、一つの作品がたくさんの要素を含んでいる。
さらにもう一言で言うなら、ぎっしり。
赤、青、黄、緑、桃、紫、それだけでなく金や銀まで。
それぞれの色は微妙なグラデーションを表したり、複雑な色味を出したりしている。
これはほんとうにバターでできているのか?
これはほんとうにそれを彫刻したものなのか?
ガラスの向こうに展示された巨大な作品を見ながら、わずか剥がれて落ちた欠片を見つけた。
それを見つけてようやくこれが本当にバターでできていることを知る。

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こちらは酥油花館の出口付近に展示されていた写真より。
このバター彫刻は、1612年にここタール寺の法会の際に供えられた時より始まり、400年の歴史を持つ。
展示写真を見ていると、背後でツアーガイドが観光客に解説をしていた。
「…この段階ではバターはバターですから食べることができます。そのあと着色し…」
そんな説明を聞くともなしに聞き、やっぱり本当にバターなのだということを知った。
バター彫刻、まさかこれほどの規模だとは思わず、信じられない。

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最後に覗いたのは、蔵経楼。2003年に香港の李さんが500万元を投資して建設されたのだと書かれている。
建物は非常に豪華絢爛で、五層のチベット式木造建築だ。
殿内には11mの銅製文殊菩薩像、両端には3mの八大菩薩像など、多数の仏像が納められている。
文殊菩薩像は金だけでなく、銀にさらに色彩ももっている。後輪は細やかで、そこに動物などがあしらわれていた。
ここには壁画もあったが、あいかわらずおどろおどろしい。
三つの目をもつ神様
首がもげ、目玉が飛び出た人。
笑うドクロ。
三つ目の神様の口の中には人。人が喰われている最中だ。
この神様はまるで魔王のようで、その魔王の身体からはたくさんの首が飛び出している。
そしてそれぞれの首からは頸動脈なのか食道なのか、ピンク色の太い管が飛び出している。
あまりにも絵で埋め尽くされ、どこからどこまでが何で、何から何までがどれなのか、もうさっぱりわからない。
一言でいえば、混沌。
さながら妖怪画かそうでなければ地獄絵図だ。

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この先にもまだ見学できる建物はあったが、時間が心配になってきたので、もう戻ることにした。
このタール寺、斜面に並んだ寺院の並びである。
まだ明るい一本道には、寺院内だというのにきちんと通り名があった。
この通り名は明らかに漢語ではなくチベット語由来のものだった。
それでも読み上げてみればピンインの発音だから、本来のチベット語がどのような語感を持つものなのか想像もできない。

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先ほど見学した大経堂を通ると、仏事が終わり僧が大勢出てきたところだった。
「中を見学したければ今ならできます。間もなく閉めますので急いで!」
そんなふうに声をあげる警備員がいた。
外から中を覗いてみれば、向こうに大経堂の目玉、大金瓦殿の黄金色の屋根がわずかに確認できた。

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こちらは振り返って。

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歩いて行くとこんな張り紙を見つけた。
「高山病が出たら無料で酸素吸引できます」
チベット語に中国語に蒙古語。
世界でもっとも高い位置にある高原、青蔵高原は標高4000m以上の高さに広がる。
市街地の西寧でも標高2275mで、ここタール寺の標高は不明だが、それよりかは高いと思われる。
2000ちょっとといえばそう高いわけでもないけれど、人によっては高山病の症状が出てもおかしくない。

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最初に見学した祈祷殿まで戻ってきた。
大経殿付近の寺院とは趣のことなる緑色のレンガに瓦。

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最初に大混雑でなかなか写真が撮れなかった入り口の如来八塔。
日が傾いてきたといえ、真っ青な空はいまだ透明で清らかさをもっている。
ここから出口までの石畳を、信者の方々が五体投地をしながら少しずつ少しずつ進んでいく。
その横を歩いて先を進むのに、どうしてか何か申し訳ないような気持ちになりながらも、追い越した。

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タール寺を抜けてバスを降りた場所まで急ぐと、西日に照らされた丘の斜面がまるで黄金のように眩しかった。
到着した時は緑々しい草に木。
色彩というのは物質そのものが持ったものなのではなく、光によって生み出された形ないものなのだと再認識する。
だから目に映るすべてのものは、物質そのものではなく、光そのものだ。
私は光を目にし、しかしまるでそれが物質そのものであるかのような感覚をただもっているだけなのだ。

バスを降りたあたりできょろきょろしていると、ちょうどタイミングよく小型バスが向こうからやってきた。
よく見れば、ちゃんと「西寧―湟中」と書かれている。
手を上げてバスを止めると、中はもう満席だった。
しかしちょうどよく助手席が空いており、乗せてもらえた。
その後別の場所で一人の女性がバスを止めたが、彼女は乗ることができなかった。
すでに18時を過ぎ、どうやらこれが最終だったようだ。

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西寧市街地に入り、バスターミナルでバスを降りた。
ここから路線バスに乗りホテルまで戻りたいが、バス停の路線案内を見渡しながら、ふと思い立ってあるバスに乗ってみた。
そのバスの行先の中には「古城台」というバス停があり、きっと古い城壁なんかが残っているはずだ、と期待したのである。
ところがバスに乗りその古城台で降りてみると、そこは都会的風景のど真ん中。付近には今どきの若者が好きそうな現代的なショッピングストリートが賑やかで、とても古城なんてある雰囲気ではない。
もしかしたら離れたところに、と思い探してみるもそんな気配はかけらもない。
思わず百度で調べてみると、出てきた。西寧の古城台。
「政府が資金を投じて開発した繁華街」
バス停名を見て勘で行ってみる、というのはおもしろい。
しかし、こういうこともある。
でもだからこそ、おもしろいのだろう。

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ここからホテル方面に散歩しながら、出会う風景を楽しむことにした。
私にとって、目的地は単にその道を歩くための口実にすぎない。
その過程の中で出会うあれこれこそが本命といってもいいだろう。
古城台は失敗したが、古城台を目指さなければ、今歩く道ともまた出会っていないはずなのだ。
そしてやっぱり出会いがまたあった。
ひたすら一本道を歩き、二つの回転火鍋が並んでいるのを通り過ぎた。
一つは、昨日別の場所で入った回転火鍋で、どうやらチェーン店だったようだ。
もう一つは、同様の回転火鍋だったが、覗いてみるとなんと、お酒が並んでいる。白酒にビールにワイン。この感動は大きかった。
北京式火鍋でゴマダレ、それにお酒が飲める。
この条件を満たす火鍋店を見つけるのに難儀していた。
あるのはみんな、重慶火鍋。
清湯であっても、ハラルでお酒なし禁煙。
なんで、ないんだ!
しかしここでとうとう、私の条件をクリアするお店を見つけてしまった。この大感激をいったい誰が理解してくれようか。
しかも、回転火鍋であれば、好きな具材を少しずつ多種類食べることができ、一人の私には最適だ。
今夜は火鍋でなく別のものを食べようと考えていたから、明日かならず来よう、と誓った。
付近のバス停をチェックすると、麒麟湾とある。なんとうつくしい名前だろう。

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向こうに宿泊している西百賓館方面の賑やかな夜景が見えてきた。
ここで思いついて、バスに乗り東関清真寺方面まで行ってみることに。
あちら方面にある大十字には昨日見つけた小さな飲食店が並ぶ賑やかな通りがあり、そこに行ってご飯を食べることにした。

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こちらはバスに乗り。
見にくいが、乗り口のドアには紫の猿のぬいぐるみがだらんと下がり、またフロントガラスの部分には、ふわふわのぬいぐるみが並んでいる。
西寧に来て、見てみるとこんなバスが多かった。
運転手さんのセンスなのかな?
でも見てみれば、運転手さんは怖そうな親父さん。
別に親父さんがかわいいぬいぐるみのセンスを持っていたってかまわない。
けれどもしかしたらバス会社のセンスか。
バス停に停まり激しい勢いでドアが開くたびに、吊り下がった紫の猿が、ぶらんぶらんとしっぽを揺らす。
それを見れば、疲れてくさくさした気持ちだったとしても和らぐに違いない。
中国も変わったな、こんなところでそんなふうに思う。

バスを降りたのは東稍門。
清真寺に行く前にまず立ち寄ったのは、昨日菓子パンを買った回族のケーキ屋さん、伊蘭西餅。
私をとりこにしたのは、レトロな外観にレトロな味。
明日は青海湖の一日ツアーに参加する。おやつに持っていこう。
お店の中に入ると、今日は奥さんはいなくて親父さんだけ。
昨日大好きになった、べとべとでぱさぱさの、チョコパンを二つ選んだ。
巨大なパンがサンドされ、間には着色料そのもののメロンクリーム。その全体がべとべとのチョコレートでコーティングされ、懐かしのカラースプレーが不器用にかかっている。カラースプレーはパンによりばらつきがあり、まったくかかっていない残念なものもあるが、親父さんはちゃんとたくさんかかったのを選んでくれた。
それから、駄菓子のようなミニシュークリーム。これは四つ選んだ。
そこまで選んだあと迷ったのは、パンダのカップケーキだった。
ショーケースとにらめっこしていると、親父さんは「こっちは出来立てだ」と小さなホールケーキを勧めてくる。
勧めるだけあっておしゃれなケーキで、これは他のレトロさに比べ今風だった。たしかにそれも美味しそうだけど、今から夜ご飯を食べに行くのにこれは持ち歩けない。

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けっきょく、パンダケーキを買った。
チョコパンとシュークリームは持っていくが、パンダケーキは道端で食べていくことに。
パンダ部分はすべて生クリームだ。パンダを崩すのは忍びなくて、がんばってパンダを残しながら下のスポンジケーキに手を付ける。

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しかしこれもまた感動だった。
スポンジが硬く少しぱさぱさしており、断面に軽い焦げ目がある。これこそ、私が好きな昭和ケーキのスポンジだ。
しっとり、ふわふわ、そんなのが美味しいケーキの代名詞みたいに言われる現代にあって、こんな昭和ケーキのスポンジはおばあちゃんがやっているケーキ屋さんくらいでしか出会わなくなった。そんなおばあちゃんのケーキ屋さんもどんどんなくなってきているから、寂しい。
なら中国にならあるんじゃないかと思う人もいるかもしれないが、中国も日本も感覚は大差ない。
現代風のケーキ屋さんで売るケーキはしっとりふわふわが主流で、「空気のケーキ」なんて謎の日本語が印刷されたものもよく見かける。

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パンダケーキ片手に歩いて行くと、すぐそこは夜の東関清真寺。
カラフルなイルミネーションに銀川を思い出した。
緑、青、赤、次々とくるくる色を変える。
こうした派手さは賛否両論だろうが、私は好きだ。
立ち止まりスマホ撮影する人、三脚を立てる人。
きれいだなと思う人がいるから、中国ではこういうイルミネーションをやる。
ムスリムがもし、聖域にあるべからず、なんて感じるのであればすべきではないが、見渡してみればそうでもない。この時間にも白い帽子をかぶり髭をたくわえた親父さんたちが和んで談笑している。

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こんなプロパガンダも映り込むけれど、どうしてかそう違和感がないのは皮肉でもある。
中国の大きな宗教施設にはかならずといっていいほどこのようなプロパガンダがあり、イスラム教はその筆頭である。
しかしあまりにもそれがありすぎて、もう普通の光景となってしまった。
以前広州でたくさんの教会が強制的に取り壊されたという。
ここのところも新疆ウイグルではモスクが取り壊されたり閉鎖された地域もあるという。
しかし一方で、このように政府のアピールに利用できるような観光地化した宗教施設というのは、少なくとも生き残りが保証されているのだ。
「中国では宗教の自由が保証されています」
そんな文言をどう受け取るかは別として、そうした言葉が目の前に掲げられているならば、それはまたー絶対ではないけれどーひとつの武器である。
こうした場所には多くの中国人観光客が来る。
また、私のように外国人観光客も来る。
だからこその堂々とした宣伝である。
しかしもう、毎日礼拝に訪れるムスリムの祈りを邪魔することはできない。
ならば、派手であれば派手であるほどいいだろう。
これからもたくさんの人が、この美しさ、派手さに引き寄せられやってくる。
たくさんであればあるほどいい。国外、国内、たくさんの人々の目にさらされることによって、このプロパガンダはそれを守らざるをえなくなるのだから。
だから私は、観光地化も悪くない、そう思うのだ。

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ここから歩いて行くと、繁華街の大十字に出る。
大十字のすぐそばには曲がったところに賑やかな飲食店街がある。
そこにはヨーグルト屋さん初め、青海の名物を売るお店がずらりと並んでいる。
私の今夜の目当ては、「羊腸麺」だった。
友人を介して青海出身の方に青海グルメを訊き、その中にこの羊腸麺があった。羊腸麺はいたるところに扱いがあり、麵屋であれば必ずそれがあるくらいだった。
今夜はそれを、いただく。
入ったのはこの通りにあるひときわ混雑を見せるフードコート、馬忠食府。
馬忠とはいったい何者かと思う程の規模だった。
内部には羊腸麺はじめ様々な麺、羊などの串焼きは内臓はもちろん肉もさまざまな種類があり、それからもちろんヨーグルト、それもまた種類が豊富。手づかみで食べる骨付き羊肉の抓羊肉、新疆の抓飯、たくさんの果物の切り売り、それからごくごく普通のおかずも一通りあり、もうない物がないほど。
そこが多くの人でごった返しているので、収拾がつかない。
人混みが嫌いな人は絶対に行くべきではないお店である。

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目当ての羊腸麺は、入り口付近にあり、13元だった。
人がごった返し、現金で支払うのは無理だろう。
QRコードをスキャンしてその画面を見せ「払ったよ」と伝えると、お店の人が手慣れた手つきで麺を処理する。
遠慮していたらいつまでたっても自分の番はやってこない。

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羊腸の正体はこれだった。
私は初め、羊腸麺とは羊の腸だけが具になったスープ麺だと想像していた。
しかしその羊腸とは、このような腸詰だった。
実際にこちら青海に来てみるとこうした腸詰がそこかしこにあったのでうすうす想像はできていたが、この腸詰を一口サイズに切ったものをのせた混ぜ麺が羊腸麺の正体だった。

有料で他の内臓をトッピングもできる。
まず麺をゆで、それをお皿に盛る。
そうして一口サイズの羊腸をおたまですくいのせる。
「たった、それだけ?もっとのせてよ」なんてその時は思ったが、実はこの羊腸けっこうこってりで、少しに見えてもう十分な量だった。

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そのあと、唐辛子ベースの辛いたれ、葱などの薬味、それからポイントのおろしにんにくを適量いれて、完成。

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フードコート内はもう座るところがないので、私はお椀を持ったまま外に出て、道端に座り込んでこれを食べた。

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混ぜるとこんな感じ。
意外な風味にしているのは、おろしにんにく。混ぜ麺にこれだけのおろしにんにくを使ったものを、私は中国で食べたことがない。
そして唐辛子が効いていて、見た目以上に辛い。四川並みの辛さだな、と四川人にでもなったかのような知ったかな感想を持つ。
それからなにより、肝心の羊腸。
羊の腸詰めはこれがなかなかこってりだった。
ソーセージ、といえばそうなんだろう。
しかし私はその表現がしっくりこない。私が知るソーセージはこんなにねっとりしてはいないし、こんなに脂でもないし、こんなにこってりではない。
おいしかったけれど、たったこれだけがなかなか完食できない。
こってりと戦っていると、一組の親子が私のお椀を覗き込みながら「これ、なんていう麺?いくら?」なんて訊いてくる。

こってり麺を食べたあとは、さわやかなヨーグルトが食べたくなった。
さいわいここはヨーグルトには事欠かない。もうそこらじゅうにある。

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青海のヤク乳のヨーグルト。表面はどれも黄色い膜がかぶっている。
これらはどれも手作りで、やっぱりスーパーで売られているものとは食感がどこか違う。
四川にもこれがあれば、毎日食べたっていいのに。

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こうして満腹になり、長い散歩をしてホテルまで戻ってきた。
四川に来て一カ月以上が経った。
それなのにまだ、大好きな足マッサージを一度もしていない。
旅だからこそのお財布の緩みだ。私得意の、自分へのごほうび。
頭のマッサージもつけてもらい。
2元の水さえ惜しむ私が、マッサージになんと116元。

明日は青海湖の一日ツアーに参加する予定だ。
ガイドから電話が入り、明日はホテル目の前の王府井百貨店下で集合になった。
集合時刻は朝6時45分。
もう間もなく日付は変わろうとしている。
ホテルに戻ってみれば、にぎやかだった夜景もいつの間にかどこかにいってしまったようだ。
昨日買った寧夏の赤ワインを飲みながら、最後に赤ワインを飲んだのはいったいいつだっただろう、そんなことをぼんやり考えた。
一杯二杯では酔っ払わない。
酔っ払っていたあの日々がとても懐かしく、また遠い遠い過去の記憶みたいだ。

〈記 10月14日 宜賓にて〉

参考:
宿泊費 158元
新寧バスターミナルまでタクシー 11元
西寧⇔湟中 バス 各7元
市内バス 1元
タール寺 70元
チベット料理 30元
レトロ菓子パン+パンダケーキ 15元
羊腸麺 13元
ヤク乳ヨーグルト 6元
足マッサージ 116元

⇒ 西寧旅行四日目〈青海湖〉~前編~ へ続く

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プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国四川省宜賓市にて生活を始めました。
旅行記に絞ったブログ、一つひとつは旅のあしあとです。

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