2017-11-18

開封旅行一日目

2017年11月3日、かねてからの憧れ、開封旅行が始まった。

今年が始まるときに、この一年に行こうと決めた場所が二つあった。
ひとつは、新疆ウイグル自治区、中国最西端の街、カシュガル。
もうひとつは、中国を代表する古都、河南省の開封。
カシュガルは5月にその旅行を実現し、さぁでは開封はいつ行こう、と考えたとき、どうしてか晩秋がふさわしいような気がして11月初めを選んだ。

中国の古都と言えば、まず中国を代表する北京。
それから日本とも関係が深い西安、西安と並んで歴史にたびたび登場する洛陽。
開封はそれらに比べて、日本人にとっては少しイメージが乏しい場所かも知れない。
だからという訳ではないけれど、今まで憧れて行きたいと思いつつもなかなか行先に選んでこなかった。
そろそろ行ってみようか、そんな風に思った。
時機が来た、そんな感覚だったと言ってもいい。

経由は北京。
北京首都空港に降り立ったのは、いつもの通りお昼だった。
何度も何度も利用してきたこの北京首都空港、すっかり慣れて特に目新しいものもないはずだった。
歩き慣れた通路を急ぐ。
そこで、ふと立ち止まったのは。

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脇に飾られた「清明上河図」である。
普段けっして立ちどまることのないこの場所で、私は他の外国人観光客と並んで写真を撮った。
今までいったい何十回、この通路を通っただろう。
この絵はその間、ずっと変わることなくここにあったはずだし、私は当然それを知っていたが、今の今まで気にも留めたこともなかった。
慣れとはこういうものか。

この数メートルにもわたる巨大な絵画を、「清明上河図」という。
中国を代表する絵画である。
そのため、中国を旅行していれば、様々な場所でこの絵をモチーフにしたものに出合う機会がある。
国際線が降り立つこのゲートで旅行客をまず最初に出迎えるのが、この清明上河図だ。
この中国の顔のような存在である有名な絵画に今まで目もくれなかったのに、なぜ今更、さも発見したかのような気分で足を止めたのかと言うと、これから向かう旅の目的地、開封は、この清明上河図のルーツだからだ。
私の開封旅行はもうすでに始まっている。
そんな実感が高まった。


到着した第3ターミナルから第2ターミナルにある中国移動という通信会社の営業窓口へ向かい、まず最初の用事を済ませた。
以前に北京の知り合いから譲り受けたスマホが壊れてしまい新調したが、使っていたSIMカードが適合しなかったのでサイズを変えてもらうためだった。
購入したのは小米という中国メーカーのもので、物が新しくなれば気分も新しくなり、無事にSIMカードを取り付け、ようやくひと心地着いたような気がした。

大量の荷物を抱えて地下鉄の乗り換えを繰り返すのは、考えただけで億劫だったので、迷わずタクシーを選んだ。
これから向かうのは、西単にある光大銀行北京支店。
ここで銀行口座を開設したかったが、前回8月の満洲里旅行の際には、書類の不備でそれが叶わなかった。
今回は、リベンジである。

流れる外の風景を眺めながら、8月の旅行を思い出した。
あの時は散々だったのだ。
今回と同じように北京首都空港に降り立ち、光大銀行で口座を開設し、夜の便で内モンゴルの満洲里に向かうはずだった。
しかし天候不良のためにほぼ全てのフライトはキャンセルされ、北京で足止めを食らうことになった。
翌日もトラブル続きだった。
あの時も、疲れ切った気持ちでタクシーに乗り、同じ道を走り同じように西単に向かったのだった。

道はたいへん混んでいて、相当の時間がかかると思われた。
なんともなしに、タクシーのおじさんとの会話が始まった。

北京の空は青かった。
今さら語るまでもないが中国の大気汚染は深刻で、北京はその筆頭である。
しかし窓の外の青空は、嬉しくもその予想を裏切る爽やかなものだった。
「北京は毎日、こんなに空気がいいの?」
そう訊ねる私に、
「良くない良くない、昨日風が吹いたからね、今日は比較的いいんだ」
運転手のおじさんはそう答えた。
風が吹いた翌日には空気は良くなる。
風が吹かなければその翌日は悪くなる。
そんな話を聞きながら、以前に北京旅行で知り合ったモンさんもまたそんな話をしていたことを思い出した。
青い空に安心しながらも、時折通過する高速道路の電光標識には、
「4日ー7日 重度の大気汚染予報」 の恐ろしい文字。
開封はこれに該当しないことを祈る。

私の拙い中国語で、私たちはそれでも色んな話をした。
中国を走る車種の話、北京の地価の話、運転手さんが好きな日本の映画の話(83年のもので、さらに中国語でなんの映画かわからなかった)、中国語の儿が難しい話。

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どれだけ時間が経ったか、ようやく北京中心部に。
天安門の前を通り過ぎて、また8月の時と同じように写真を撮る。
何度も見たことがあるのに、ここに来るとこうやってまるで初めてこれを見た人みたいに、カメラを向けてしまう。

「故宮には行ったことがある?」
運転手さんがそう訊いてきた。
故宮は、この天安門の向こうに広がる宮城。
明清代に、そして現代にあってもなお、この国の中心である場所。
「3回、行ったことがあるよ」
「3回も?」
「一度目は友達と、二度目はひとりで、三度目は母を連れて」
一方、運転手さんは北京人なのに、たった一度した入ったことがないんだという。
そのたった一度も、なんと30年前になるんだとか。
「なんで?」
「ここに暮らしているといつでも行けるから、却って行きたいと思わないんだ」
「でも、中国を代表する場所でしょ?」
そう言うと、運転手さんは言った。
「我愛北京天安門」
なにかのフレーズみたい。
「中国人が中国語を学び始めるとき、この言葉から勉強するんだ」
やっぱりここは中国の中心だ。

天安門を過ぎてさらに車を走らせ、やがて目的地の西単にある光大銀行北京支店に到着した。
最後まで親切な運転手さんだった。

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私はすでに、中国工商銀行の口座を持っている。
しかしいくつかの理由から、もうひとつ口座を開設したくなった。
中国の銀行カード(厳密にいうと銀聯カード)は、日本のコンビニATMで日本円での出金が可能だ。レートも良い。
しかしその際の手数料が銀行によって違う。
光大銀行は条件下なら、その手数料が無料なのだ。
そこでここで口座を開設しようと訪れたのは、8月のこと。
銀行のスタッフはみなとても親切だったが、銀行側が手続きの際に要求する「納税者番号」なるものを記入することができなかったので、お預けとなった。
納税者番号とはなんだと思ったが、マイナンバーではないかという結論が出て、今回はそれを控えてリベンジというわけだ。

入り口で、外国人であることと口座を開設したい旨を伝え、前回も記入した用紙を埋めていく。
中国の住所、日本の住所、その英文、などなど。
そして今回は、無事に控えてきたマイナンバーを記入。

そして次は窓口で。
パスポートを提出し、旅行であること、日本在住であること、職業など、質問に答えていく。
やがてえらい雰囲気の上司がやってきて、パスポートと私をじっくり見比べ、チェック。少し緊張する。
銀行員はカードを手元に置き、パソコンに入力をしていく。
あと少しだ。
引き続いて、磁気カードにしてほしい旨と(でないと日本で使えないため)、それからインターネット銀行を開設してもらうことを依頼。
微信銭包(中国版電子マネーのひとつ)と口座をリンクさせるためだ。
そして、私の中国の携帯電話番号に銀行からショートメールが入り、そして銀行員がその場で電話をかけ、電話番号の本人確認。
カードの暗証番号も登録し、「簡単すぎる暗証番号だからもっと複雑なのにしなさい」とアドバイスされたりもしながら。
「暗証番号は他人に教えてはダメだよ」
先ほど緊張した少し怖い顔の上司は、まるで子供に教えるように、ガラス面の向こうからゆっくりとした中国語で私に警告した。
気づけば私の窓口には4~5人の銀行員が集まり対応にあたってくれていた。
前回も感じたが、この銀行どのスタッフもとても親切親身なのだ。

もう間もなく処理が完了するかと思ったとき。
「この電話番号、他の人も使っているのですか?」
窓口の銀行員がパソコンで作業をしながら訊いてきた。
「いいえ、私だけしか使っていません」
「…」
しばらくして口にしたことには、
「手続きしてみましたら、この番号はすでに他の人間に使われています」
なんて?
さっき空港でこの携帯で電話をかけたばかりだ。
先ほどもショートメールと電話で本人確認したばかりだ。
ということはこの電話番号は私が所有しているのに間違いないのでは?
私は動揺して勘違いしていた。
すっかり、電話番号を他人に乗っ取られたと思い込んでしまったが、そうではなかった。
どうやら、この電話番号はずっと以前に別の誰かが所有したことがあり、さらに銀行の登録に使用されたことがある、ということのようだった。
その電話番号は長い間使われず放棄され、その結果私の手元にやってきたというわけ。
しかし銀行員によると、登録上この電話番号が残る以上、私の口座番号とともに登録することができないそう。
まずは、登録が残っている電話番号の以前の持ち主の口座番号を調べ、その口座と電話番号の登録を取り消し切り離さなければならない。
しかし、銀行がその口座番号を調べ、登録抹消可不可の連絡が私の携帯に入るのが、7営業日後。
7営業日後に認証番号の通知が来て、その認証番号を用いて、ホームページ上から、あるいは直接窓口でようやく、旧登録の抹消と私のインターネット銀行の登録ができる。
こういう話のようだった。
7営業日後では間に合わない。
私は四日後には日本に帰国してしまうし、国際ローミング登録していないので日本でその連絡を受け取ることもできない。
この後確認したところによると、一度、旧登録口座の調査が済んでいれば、登録抹消の申請とその結果の連絡は、次回7営業日も待つことはなくすぐにできるそう。
ということで、インターネット銀行については次回へ持ち越し、となった。
今回は口座開設まで。
毎度毎度、事はそううまくは運ばない。

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窓口を離れたとき、すでに17時の営業時間は過ぎ、別の出入り口から出るように指示された。
外に出てみると、真冬の寒さ。
日本はそれほど寒くはなかったから、ニットのカーディガンしか持ってきてはいなかった。
これは厳しい、コートを買っていこうか。
他にも忘れたものがあったため、普段はこうした買い物をわざわざ中国ですることはないが、近くのデパートに行ってみることに。
開封行きの夜行列車は北京西站から22時35分発。
まだまだ時間はある。
都会の風景の向こうには大きな月が昇っていた。

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ユニクロ、ZARA、ここに来てまでそんなお店を物色してしまう。
日本人にとっては無難だから。
結局北京まできて、無印良品で買い物をした。
コートは荷物にもなるし、買うのをやめて我慢することに。

そうして地下鉄に乗り、開封に向かう北京西站へ到着したのは19時半。

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四年前に洛陽を訪れたときにも、この北京西站を利用したんだった。
懐かしい記憶がよみがえる。
洛陽は開封のすぐ近くの古都だ。

購入したチケットを窓口で換券し、駅構内に入場。
入り口のセキュリティチェックには、「液体検査します」の文字。
私のボストンの中には、羽田空港で購入した白ワインの小ボトルが潜んでいる。
X線検査機を無事通過したと思いきや、
「お酒、あるのか?」
係員のおじさんが問い詰めてきた。
「ジゥ?何それ?」
「いい、いい、行きなさい」
外国人は面倒だと思ったのか、案外簡単に通してくれた。
今回はラッキーだったけど、空港も駅もどんどん厳しくなっていて困る。

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夕食は駅のお店で。
トマト牛肉麺。大好きな中国麺は、旅行の中で一度は口にしたい。
それが街中の食堂だろうと、老舗だろうと、そして公共の場のチェーン店だろうとも。


毎度のことながら、ひどい寝不足状態だった。
まだ時間は十分あったため、改札待合室で仮眠をとろうかと考えていたけれど、ごった返す人にそんなスペースなどわずかもない。
私は何も言わずに立っていただけだけど、近くのおばちゃんが、
「ほら、そこ空いた、早く座りな!」
なんて背中を押してくれる。
けれども他の人に座られ、また、「ほら、そこ!」 と勧めるおばちゃん。
私はとっくに座るのを諦めていたので、歯を磨いたり売店で買い物をしたりして時間を潰した。


実は今回の旅行は、一人旅ではなかった。
旅をともにするのは、8月の満洲里旅行の際に北京南苑空港で知り合った天津人のインさん。

満洲里に飛び立つはずだったあの日、北京は悪天候によりほぼすべてのフライトはキャンセルを決めていた。
空港は多くの人でごった返し、フライトの振り替えや払い戻しをする人で業務は混乱を極めていた。
首都空港発の翌日のフライトに振り替えたかったがそれも不可能で、結局その日は北京に一泊し、翌日別の空港である南苑空港から満洲里に発つことになった。
けれどもその南苑空港もまた、キャンセル・遅延で大混乱。
そんなとき列の前に並んでいたのが、インさんだった。
日本に暮らしたことがあり日本語が堪能なインさんは、自分も日本で助けられたからと私を手伝ってくれた。
私は大幅な遅延の末に出発することができたが、彼の便は当初から欠航を決めていて、私に付き合ってくれた後に天津に戻った。
わずかな時間だったけれど、その後連絡は続き、今回一緒に旅行することになった。
不思議な縁だなと思う。

インさんは天津で仕事を終えたあと北京に向かい、21時21分に北京南站に到着しそのあと地下鉄を乗り継いで西站までやってくると言っていた。
22時が過ぎた。まだ来ない。
出発は22時35分で、もうすでに改札は開いていた。

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間に合わないのではないのかと不安になりながらも改札室入り口に移動し待っていると、
「日本人の方ですか?」
その声に振り向くとインさんだった。
8月のあの日、北京南苑空港の長い列で、私は同じセリフで話しかけられたのだった。
てっきりパスポートを見てわかったのかと思っていたが、後から聞いたところによると、顔や身なりで日本人だとわかったのだという。
私を外見だけで日本人だと見破った中国人は今まで一人もいなかった。
日本に暮らして、そういう違いがわかるようになったのだと話していた。
そういう訳での、ふたたびの「日本人の方ですか?」だったというわけだ。

二カ月半ぶりの対面だった。
私たちはすでに開いていた改札を抜けて、ホームへ降りていく。

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私は軟卧、価格が高い方の寝台車両でベッドは二段。
インさんは硬卧、三段ベッドで私たちは車両が違う。
それでも私の荷物を手伝って、先に私の車両まで来てくれた。

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今回も嬉しいことに、下のベッド。
インターネットで切符を購入すると上下段が選べないが、その差は大きい。

向かいのベッドは若い夫婦だった。
旦那さんの方が下の段で、インさんはその彼に断ってベッドに座った。
私の中国語はとても拙く、日本語で会話した方がスムーズなため、二人の会話はほとんど日本語でのコミュニケーションになっていた。
その様子を見て、ベッドの主人である彼は何か簡単な日本語を話した。
「日本語話せるの?」
「簡単なものだけ、大学の第一外国語選択が日本語だったけど勉強しなかったから全然だめ」
彼は中国語でそう言って笑った。
そして私の中国語を褒めてくれた。
褒めてくれたが、私の中国語もダメダメだ。
この席では、中国語と日本語と英語がぺらぺらのインさんが一番頼もしい感じだ。
バランスよく日本語と中国語を話し三人の会話を成立させていたインさんを見て、ベッドの彼は、
「中国語話せるんだね」 と言った。
「うん、話せる」
私はおかしくて笑ってしまった。
彼はインさんを中国語が堪能な日本人なのだと勘違いしたようだが、これではそれを認めたみたいじゃない。
「あなた中国人だよ」
私は横槍を入れて訂正し、インさんもそれを認め、おかしな誤解は解けた。

このご夫婦、河南省のどこかの友人の結婚式に向かう途中なのだという。
がたんごとん、の普通列車の旅にはこうした出会いがあるから楽しい。
高速動車にはこのような温かみはない。
硬いベッドも、私には心地よい。
眠っている間にも中国の大地を移動しながら、ふと目覚めてみればどこかの知らない街に停車している。
そうしてしばらくして、遠くから出発を告げる笛の音が聞こえ、列車はまた静かに動き始める。

「高速動車や飛行機よりも、列車の旅が好きなんだ」
前にインさんにそう話したとき、
彼が答えたのは、「なんで?」だった。
てっきり同調してくれると思っていたから、説明に困った。
「僕は高校生の時に乗った以来だよ、こういう夜行列車」
移動するとしたら飛行機か高鉄、こういう普通列車はお金がない場合だよ、とも言った。
うーん、私はあえてこれなんだけどな。
「それにシャワー浴びれないのは無理」
「私は旅行で三日間お風呂入れないとかもあるけど」
そう返すと、「え~絶対無理」
インさんは都会人だ。
また、外国人旅行客である私とも感覚は違うかと思う。
私との旅行がなければ、今後も夜行列車に乗ることはなかっただろう。
自分の車両に戻り、狭いベッドで窮屈そうに横になるインさんを想像しておかしくなった。

寝不足で疲労が溜まった私は、いつの間にか眠りについていたけれど、2時半頃にまた目が覚めてしまった。
どこかの知らない駅だった。
冷え込む車内を抜けてデッキに出て、煙草を一本吸った。
ガラス窓は曇っていて、外は全然見えない。
ひっそりと静まり返った車両。
細い笛の合図とともに走り出す。
乗客はみな眠りについている。
目的地に着いて降りていく人もいれば、乗り込んでくる人もいるけれど、すべては眠りの中で行われる。
そんな中、なんだか独りぼっちのような、そうじゃないような、いつもそんな不思議な感覚がして、私はどうしてかそれが好きなのだ。



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2017-11-18

開封旅行二日目~その一~

2017年11月4日、到着一時間前に設定した目覚ましを聞くこともなく、7時少し前に目が覚めた。
連日いろいろあって寝不足の限界を迎えていた私だったが、それなのになんてことだ。
睡眠時間をわずか30分でも稼ぎたくて再び目を閉じてみたが、どうにも眠れない。

冷え込んだ車内、温まったベッドから起き上がるとその冷気で心も体も引き締まるよう。
窓の外はちょうど、夜の終わりと一日の始まりのその一瞬を迎えていた。
ちょうど、商丘を通過する時だった。

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不吉な予感を感じさせる、という表現をしたくなるようなあやしく色濃い太陽が、ちょうど地平線から昇った瞬間だった。
旅の感傷は、目に映るさまざまなものを神秘だったり郷愁だったり、あるいはストーリーだったり、そういうものに変化させる。
もしかしたら、その感傷がもたらしたものを見たいがために、感じたいがために、旅をしたいのかもしれない、そんなふうにも思う。
不吉な太陽はゆっくりとゆっくりと地平線から離れ、やがて色を失い肉眼で見ることができなくなった。
輝きとともにその不吉さもどこかに消え、不吉さから一転、輝くような前途を予感させる。
さてこれからの旅路、いったいどちらの予感があたるだろうか。

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起きてみると、隣の上下ベッドの若い夫婦はもうすでにいなかった。
日が昇る前にどこかの駅で降りたのだろう。
この夜行列車、北京西発、鄭州行きの1303次。
終点鄭州のひとつ手前の駅、開封で私たちは下車する。
10時間にもわたる列車の旅も、まもなく終わりだ。

夜行列車に乗るとき、私はいつも化粧を落とさない。
駅や列車の洗面所は、洗顔したりするのに不便だからだ。
列車内で一から化粧をするのもまた不便なので、歯磨きだけ駅でしておき、あとは化粧したまま着た服のまま眠り、翌日起きて化粧直しをする。
これが毎度のことだった。

化粧を直し、あとは到着を待つだけになった頃、隣の隣の車両からインさんがやってきた。
置く場所がなくてデッキに放置していたキャリーバックを持ってきてくれた。

私の荷物は、長期泊用の大型キャリーバックにボストン。
これでもいつもより少ない方だが、それでもこのキャリーバック、かなり重い。
中身は衣服やタオルではないから。
見た目の想像と実際の重さにかなりのギャップがあるため、中国で手助けしてくれるそのほとんどの人が、それを持った瞬間驚き焦る(と私は見ている)。
中国ではバリアフリーに逆行しているような道行を行かなければならないため、一人でこの荷物は、そうとうに苦労する。
本当に苦労する。
今回はインさんに助けてもらおう、とは思っていたけれど、実際ほんとうにどこを行くにも荷物を助けてくれて、申し訳ない気持ちになりつつも、ありがたかった。
日本ではなかなかないことだと思う。

8時33分、列車は開封に到着した。

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中国の列車には、みなこのように始発と終着駅が書き込まれている。(実際は書き込まれたシールが貼られている)
昨夜出発の時これを撮り忘れて、到着の後になってしまった。
開封次の駅である終着鄭州は、ここ河南省の省都だ。

この深い緑がレトロな車両。
私はやっぱりこれが好き。
そんなことを言うと、
「緑皮車っていうんだよ、こういう列車」 とインさん。

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駅のホームも小さくてレトロ。
昔懐かしい雰囲気が残っている、そんなのも私にとって中国旅行の魅力のひとつだ。
「まゆちゃんは古いものが好きなんだね」
インさんは納得するようにそう言った。
「そうそう、昭和の雰囲気が好き」
インさんに“昭和の雰囲気”は通じるわけないと思ったけれど。
たとえレトロでも、中国に“昭和”はないけれど。
インさんに伝えたかったというよりもこれは独り言に近かったかもしれない。

開封站を抜けてみれば、目の前には雑踏があった。

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「わぁ、なんだか20年くらい前の雰囲気だね」
インさんは驚くように呟いた。
「こういうところ、中国にはまだいっぱいあるよ」
なぜか日本人である私がそう教える。

客待ちタクシーに負けず数を張っているのは、私が大好きな電動車、ではなくて人力自転車。なんというのか、日本語では輪タクと言うのかな。
思い出してみれば、インさんの暮らす天津、天津旅行に行った時に、私はこの自転車タクシーに乗ったのだった。
なんともレトロだけど、それ以降の数え切れない中国旅の中で、電動車に出合うことは多くてもこの自転車に出合うことはそう多くなかった。
嬉しくて、そして意外な再会だった。
こういうところ中国にはまだいっぱいあるよ、そんな風に偉そうに言った私だったけれど、そういう私も実はこの昔懐かしさ残る雰囲気に圧倒されていた。

今回の開封旅行、観光先はすべて私の好きなように計画させてもらった。
開封站に到着した朝、城内のホテルにチェックインする前に立ち寄りたい場所があった。
城外にあり、この開封站からほど近い場所にある史跡、「繁塔」だ。
開封には二つの仏塔があり、その二つを観光しようと考えていた。
まずはそのうちの一つ、繁塔へ。

「まゆちゃんはどうやって行きたい?」
タクシーで、バスで、歩いて、それともネット配車サービスを使って車を呼ぶか。
「私、こういうのに乗って風を浴びながら行くのが好きで」
そう言って自転車タクシーを指さした。
「よし、これで行こう」
そういうことになった。

二人がぎりぎり乗れる座席に、足元になんとか頑張って荷物を載せる。
体の大きなインさんは窮屈そうに座った。
冷たい風が心地いい。
街の匂いをかぎ、空気を吸い込む。
雑踏に耳を澄ます。
通り過ぎていく街並みは緩やかなスピードで、この街にやってきたのだという実感とこれから始まる旅への期待が膨らむ。
だから、こうした移動が好きなのだ。

でも、それにしても進むのが遅いことに気づいた。
歩いているのとそう変わらないのではないか。
「いつになったら到着するのか心配になってきたよ…」
そうだ、これは電動車ではなく自転車なのだということを忘れていた。
前で自転車を漕ぐおじいさんは一生懸命で、うしろに座る私まで力が入ってしまう。
二人分の荷物もあり、おじいさん一人で運ぶには重すぎるだろう。
もうすぐ繁塔というところで、道は坂道に差し掛かった。
おじいさんはさらに力を入れて進もうとしたが、インさんがそれを制して、
「いいよいいよ、ここで」 と言いい、私たちは降りた。

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街のはずれのような雰囲気だ。
何もない、という表現は決してただしくないといつも思うが、それでも何もないという表現をしたくなる、そんな感じ。
こんな場所をふと横に見ると、向こうに目的の繁塔への入り口が見えた。

入り口でチケットを購入、30元。
入場を待つことなく、もう向こうにその塔は見えていた。

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「繁塔」、なんとも奇妙な印象を持つ仏塔である。
時刻は9時を少し過ぎたところ、まだ朝の時間帯に他の観光客は姿を見せず、ひっそりとしていた。

この「繁塔」、開封旧城の東南に位置する北宋974年建造の仏塔だ。
六角形をしている。
本来の名称を、興慈塔といい、開封に残るものの中でもっとも古い建造物となるのだそう。

まず目を引くのはこの奇妙な外観。
仏塔といい頭に浮かべるのは、何層も重なる細長いものだ。
塔とは本来、そういうものだからだ。
ところがこの繁塔、仏塔というにはどうも背が低い。
たしかに、このような背の低い仏塔は世界にごろごろしているだろう。
けれどもこの石造りの外観は、高くそびえることを前提として建設されているような、そんな印象を持つ。

その印象は正解だ。
この繁塔、もともとは九層で、高さにして80m以上あったのだという。
往時には当時開封でもっとも高い塔だった。
80mといえば相当な高さである。
今までいろんな仏塔を目にしてきた。
銀川の承天寺塔は64.5m、西安の大雁塔も64mだった。
ちょっと思い出せないくらいだけれど、40mとか50m、だいたいどれもそのくらいの高さではなかったかと思う。
80m以上というのは想像を絶するが、今目の前に現存するのは30m少しである。
元代に落雷により上部二層が破壊し、九層から七層に。
明代には三層になってしまった。
実に50mもの部分が失われてしまったことになる。
落雷、地震、黄河の氾濫、数々の災害に見舞われながらも、失われたのはすべてではなくこの三層は残っていること、そのこともまた驚きに値する。

80m以上の恐るべき高さの仏塔はもう、ない。
しかし空白がもたらす想像の領域は無限だ。
空白、あるいは欠落こそが永遠の美、たりえるのだと、そういう考え方もある。
ミロのヴィーナスのように。
この奇妙な印象の仏塔は、それが失われたものであることを知るものにとっては、完成したままを維持するそれよりも、実は究極の完成形なのかも知れない。矛盾した言葉ではあるけれど。

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一言に仏塔と言っても、ほんとうに様々だなと思う。
こんな風貌の仏塔に出合ったのは初めてだ。
この仏塔、その側面一面に仏像が彫りこまれている。
それは細かに。

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そして驚くべきは、決して一様なのではなく、その一つひとつが違う仏さまであるということだ。
釈迦、観音、羅漢。
実に7000余もの仏さまが彫られているのだという。
80m以上もの高さを誇っていた当時も、その今は失われた部分一面にこうして仏さまが彫られていたのだろうか。
きっとそうに違いない。

この繁塔、当時官僚が民間から寄付を募り建設を進めたため、完成に20年以上もの歳月がかかったのだそう。
これら気の遠くなるような数々の仏像は、この塔の建設を願った一人ひとりの思いでもある。

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裏側にまわってみると、内部に入ることができた。
その左右には、碑文と色彩を持った仏像の彫刻がガラス面で保護されている。

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微妙に違う色彩を用い繊細な表情の仏さま。
それは当時の仏教の繁栄と豊かさを表しているかのよう。
繁塔の外観の印象から、内部にこんな色彩があるとは予想していなかった。

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通路の奥には塔の中心部の空洞があった。
塔のかたちそのまま、内壁も一層天井も六角形をしている。そしてその一面一面にも外側と同じように仏像の彫刻。

ところで繁塔には南と北に入り口があるが、それらは貫通していない。
南側の入り口には線香の煙漂う香炉があり、中には仏さまが祀られているようで私たちは中に入らなかった。
入ってみたのはこの北側のみ。
この北側の入り口を入ると、奥は六角形の内部で行き止まりになっている。

繁塔を観察していると、気づけば数人の観光客がいた。
私たちは再び門を抜けて外に出た。
そこには繁塔に関する説明書きが。

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もともとこの塔は皇家寺院である天清寺の中に建っていた。
今では寂しく塔だけが残るのみだけれど、当時はこのような配置だったよう。

さらに説明を読んでいくと、
「地下があるみたいだよ」
インさんが言った。
確かにそのような記述があったが、先ほど覗いた内部にはそんな地下に繋がるような入り口は見当たらなかった。
「なかったよね~?」 二人で頷く。
「開放されていなくて入り口が隠されていたのかもね」
さらに読んでいくと、
「上に登れるみたいだよ」
またインさんが言った。
でもこれもまた、上に繋がる階段なんて見当たらなかった。
「階段なんてなかったよね~?」
そこでインさんが入り口の人に訊いてくれた。
それによると、現在上には登ることができないのだそう。非公開だ。
残念だけど、その階段さえ目にしなかったのは不思議だ。
あとから百度で調べてみたところ、南側の入り口には梯子が、北側の入り口には階段に繋がる入り口があり、そこからそれぞれ三層までは登ることができると書かれていたからだ。
そんなの、なかったと思う。

不思議だね、なかったよね、とそんな話をしながら、繁塔をあとにした。
隠された地下への入り口、どこかに存在した上層に繋がる階段。
勝手な想像とはいえ、ミステリアスなストーリーが頭の中を巡る。

繁塔のすぐ近くには、古い民家が数棟点々としていた。

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「中国にもまだこういうのがあるんだね~」
インさんが少し驚くように言う。中国人なのに。
「私が行くようなところにはたくさんあるよ、私見慣れてるくらいなのに」
そう、見慣れるくらいどこにでもあって、ぜんぜん珍しくないのに。
「暖房なんかもないんだと思うよ」
インさんはそう言った。
私が満洲里で伝統的モンゴルゲルに泊まる機会を逃したとき、「伝統的モンゴルゲルは水なし電気なしトイレなし」と話したら、
「僕は絶対無理だ~」 とそっこうで返事した彼である。
都会に暮らしていると、やっぱり田舎の風景は見慣れないものなのかもしれない。
もしかしたら、旅行であちこち行っている私の方がそうした風景を目にする機会は多いのかもしれない。
インさんは天津に暮らす都会人なのだ。


次に向かいたかったのは、すぐ隣りにある「禹王台公園」。

繁塔の門を出てそのまま真っ直ぐに進めば、すぐそこに禹王台公園の入り口があった。
そこを抜けようとすると、女性が顔を覗かせ、
「チケットは?」
料金を訊くと、なんと30元だという。
「高いなぁ」
先ほど繁塔で30元を支払ったばかり。
ただの公園に30元を払うのは嫌だった。
「どうする?まゆちゃんが行きたいなら構わないよ」
インさんはそう言ってくれたが、迷うところだった。
けっきょく、せっかくの機会だからと30元を支払い私たちはチケットを購入した。
ところが公園に入場しようとすると、
「これってさっきのチケットと同じじゃない?」
インさんが言い、チケットの女性に訊ねた。
結果、繁塔のチケットでそのままここに入れる、ということがわかった。
チケットを見てみると、確かに「禹王台公園・繁塔風景区・一票両園」の文字。
やっぱりきちんと確認しないと。30元無駄に支払うところだった。
二か所で30元なら、まあまあだ。

入場してみると、ごくごく普通の公園。
朝の散歩のような気分で歩いていくと、なにか史跡のような雰囲気の古いレンガ造りの洞窟が見えた。
日本ではこういう場合はたとえば古墳だったり、そんな雰囲気。

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気になって覗いてみると、この先には鉄柵で塞がれた真っ暗な入り口があった。
その馬蹄形の上部にはおなじみの星のマーク。
この先には何があるんだろう。
「戦争の攻撃から逃げる、あれなんて言う?あれかも知れないね」
インさんが言った。
「ああ、防空壕だね、そうかも知れない」
私は確認しなかったけれど、先ほど見学した繁塔の内部には日本軍による銃弾の跡が残るのだそう。
この一帯も日本軍の攻撃を受けた歴史があるのだった。
それであれば、やっぱりこれは防空壕かもしれない。


「禹王台公園」
この神々しいような名称、禹王台。
またの名を古吹台という。
これはもともとこの地が吹台と呼ばれていたためだ。
春秋時代晋国の楽師・師昿がここで楽器を吹いていたためその名がついた。
一方、公園の名称に採用されている禹王はというと、周知のとおり紀元前1900年夏王朝を開いた帝である。
夏王朝は考古学的根拠がなく、実在したかどうかはっきりしていない中国最古の王朝だ。
近年発掘調査により、その実在性を証明する可能性のある遺跡も見つかっているようだが、それでも未だ伝説の域をでない。
ましてや始祖ともなれば、実在した帝というよりも神。
禹王は太古の神なのだ。
治水の神であり、遥かいにしえに黄河を治めたとされている。
ここ開封一帯は、古くから黄河の氾濫に悩まされてきた。
そのため、黄河を治めた太古の神の名をこの小丘に名付け、水害が起こらないことを祈り、また災害のない日々に感謝した。
だから師昿と禹王、時代も特性もまったく違う人物が関わるこの地名であるが、そのルーツはまったくかけ離れたものである。

防空壕を通り過ぎて、そのすぐ先の左手に目的の場所はあった。

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「古吹臺」(古吹台)
この門の手前には、楽器を演奏する人物像が鮮やかな花に囲まれている。
地名の由来になった楽師・師昿だ。

この門の先にはなかなか急な階段が続いていたが、ここもまたインさんが私の重くて大きな荷物を抱えて登ってくれた。
階段を登ると、なんとも中国的な音色が賑やかに合奏していた。

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中国の昔懐かしい、あれだ。
中国を旅行していて、都会では目にしないけれど公園だとかそういうところでこれに出合うことがある。
私はこれが好きなのだ。
「THE・中国って感じがして」
私の幼い記憶の中に、これら楽器の音色もこうした風景もないはずなのに、どうして懐かしいのだろう。
国を越えて人に共通する感覚があるということなのか。
それとも、失われゆくものに対する感覚を自らのノスタルジーにすり替えているだけなのか。
「こういうのも、どんどんなくなっていってしまうんだろうね」
私がそう言うと、
「できる人がいなくなっていくだろうしね」
インさんもうなずいた。
「昔懐かしい」という表現は、それがすでに失われ過去になったものであること表す言葉だ。
だから私がその表現するのは間違いではないけれど、この昔懐かしい演奏会は、現状いま行われている以上それ自体は懐かしいものではない。いわば現役だ。
不思議かな、と思う。
その現役たちを前にして、彼らよりもずっと若い私が「昔懐かしい」なんて表現をするのだから。
かつてここで楽器を演奏した楽師がいたことから、そう呼ばれるようになった古吹台。
その場所で、現代になっても音色を変えて、また音楽が奏でられている。

階段の先にあったのは、お堂だった。
祀られていたのは禹王だっただろうか。
お参りをしてまたふたたび階段を降り、私たちは来たのと逆の方向を進んでみることにした。

人に道を訊きながら出た出口は、どうやらこの禹王台公園の正門だったよう。
砂埃舞う目の前の通りはトラックやらで大渋滞を起こしていた。
ネット配車サービスを使って車を呼ぼうとしていたインさんだったけれど、これもなかなかうまくいかない。
選んだ運転手は、渋滞してそこにいけないとか時間がかかるとかそんなやり取りでキャンセル。
でも実際ひどい渋滞によりなかなか車は捉まりそうもない。
インさんが操作するスマホを覗くと、地図に依頼した車のルートが示されていて、今その車がどの場所にいてどういうルートを通ってここまで来て、どれくらい時間がかかるのか、そんなことが一目でわかるようになっていた。
車が少しずつこちらに向かっているのがわかる。
情報を入力すると、要求に応じた運転手候補があがり、それを選択することができる。
電話や音声メッセージ機能を利用して、運転手と交渉することもできる。
随分便利になったなぁと思う一方で、アナログな私にはついていけない。
現代の便利さはみな複雑さを伴っているとも思う。
今回はインさんがやってくれているので、私はただ待つのみ。

「まゆちゃんはいつも旅行でこういう時どうしているの?」
車を待っている間にインさんが訊ねてきた。
「そうだね、バス停を見つけてとりあえず、例えば開封站に一度行ってそこからまた移動するとか」
「あ~なるほど」
要領はよくないけど、一人だったら結果良ければすべてよし、だから。

ようやく捉まった車に乗って、城内のホテルに向かった。
インさんは運転手さんに、開封にはどんな料理があるのか訊いた。
「今僕たちが話してたこと聞き取れたでしょ?」
インさんが助手席から振り向いて訊いてきたが、ヒアリング以前に寝不足によるふらふらで私はほとんど聞いていなかった。
「うーん、なんとか包子しかわからなかった」 そう答えると、
「灌湯包子、上海の小籠包みたいに中にスープが入ってる」
おすすめのお店なんかも訊いている。

城壁をくぐろうとして、そのあと私は意識を失った。
目を開けるとそこはもうホテルだった。
宿泊を決めたのは、城内の中心部である鼓楼すぐ近くの銀祥酒店。

開封のホテルを探すにあたって、日本から予約できるホテルが少なくて困った。
あるのはどれも旧城区から離れたもの。
この銀祥酒店は立地が良かったけれど、「内賓(国内客のみ可、不渉外)」の文字があった。
インさんが電話で問い合わせてくれて、それで宿泊可ということでようやく予約がとれた。
中国を旅行するにあたって、この不渉外ホテルの多さは泣かせる。
立地も価格も品質も要求通りなのに、外国人不可、というのに何度も出合っていてそれでもどこか泊まれる場所があればいいが、探せど探せど不渉外だと疲れる。
結果、理想ではない場所にありそれなのにすごく高いホテルに泊まらなければいけなかったり。

今回選んだこのホテルは、そういう意味で宿泊できてよかった。
賑やかな鼓楼のすぐすこだ。
立地もいいし、フロントの対応が良かった。

価格は一泊259元。
日本の感覚でいったらかなり安いけれど、部屋は広くて眺望もよくてコストパフォーマンスは高い。
一面ガラス張りの窓からは開封の西側一帯が見渡せ、北側の通常規格の窓からは、鼓楼の賑わいをすぐそこに感じられた。

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私は中国で宿泊する時に、眺望を一番大事にする。
夜、お酒を飲みながら中国の夜をいつまでも眺める。
できれば窓が開いて、そこから入り込む風と街の匂いと、それから聞こえてくる街の息遣いが感じられればなお良い。
低層は望まないが、かといって高層過ぎるのもよくない。5階から10階くらいが望ましい。
あまり高いと街の人々の生活感が感じられなくなるからだ。
要求が細かいな、と自分でも思う。結局運次第なのだけど。
そんな私にとって今回の部屋は理想的で、今まで宿泊したホテルのベスト8に入るかなと思う。

しばらく休んで、再び出発したのは14時半。
もうすでにお昼ご飯の時間ではなかったが、先ほどの運転手さんのおすすめを参考にお店に行ってみることに。
インさんがスマホのナビで先を進む。

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繁華街である鼓楼街には、中国工商銀行があった。
実は工商銀行の支店に用事があったが、あいにくの休業日。
中国を代表する古都にある銀行は、こんなふうにまた古風だった。
一瞬銀行だとは気づかなかったくらい。

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すぐそこには街の中心、鼓楼。
それを取り囲むようにお店や屋台が並び、人々が行き交う。
鼓楼の真ん中を車やバスが突っ切っていく。

インさんはその手前を右折した。

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「本当にこっちであってる?」
そんな風に疑いたくなる小道である。
数メートル背後の賑やかさとは打って変わって、こちらは人一人通らない。
とりあえずナビの通りに進んでいくと、イスラム教徒の暮らす住居や、その先にグリーンのモスクが現れた。
先ほどホテルの部屋の窓から見えたモスクだった。

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いちいち足を止めて覗いてみようか迷っていると、インさんはかまわずすたすた行ってしまう。
慌てて追いかけこのイスラムの小道を通り過ぎてまた左折すると、ようやく人気のする裏道に出て、お店はそこにあった。

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お店の名は黄家老店。
運転手さんが勧めてくれた二つのお店のうちのひとつだ。

メニューを見ながら、選ぶ。
「これとこれが開封の料理だけど、どうする?」
インさんが教えてくれるので私は頭を悩ませる必要はない。
一つは、先ほども話題に上がった「灌湯包子」。
数は10個なのだそう。
私はいつも旅行で朝と昼を抜くことが多い。スケジュールを優先するからだ。
おなかもそんなに空いていなくて、10個も包子があればそれだけで十分だったけれど、インさんは男性だしもう一品くらいは欲しいかなと思い、もう一つ選んでみた。
選んだのは、「開封五香兔肉」。
「量はどれくらい?」
そう訊ねると、服務員の女性はあのテーブルを見てごらんと指さした。
遠慮なく覗きに行くとそう大きなお皿でもない。
「僕はあと野菜が欲しい」
インさんのリクエストでもう一品、野菜が入った料理を頼んだ。

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こちらが目的の灌湯包子。
想像していたほどスープはなく、
「味はどう?」 と訊かれ、
正直に、「まあまあ、かな」と答えた。
「昔天津に行った時に食べた狗不理包子もこんな感じだった」
そう話すと、天津人であるインさんは笑った。
狗不理包子は天津を代表する包子の名店で、西太后が愛した絶品なのだというが、そういう売り文句の割に実際は美味しくないという話で有名だ。当時は美味しかったのだと思うけれど。
この灌湯包子、開封ではそこら中にその名を見かけるので、出合ったものが美味しいかどうかは運次第だが、とりあえず口にしたい一品だ。

17110424.jpg

こちらは、農家素三鮮と開封五香兔肉。
農家素三鮮は、チンゲン菜とキクラゲと豆腐干の炒め物。間違いない美味しさ。
五香兔肉は、さっぱりしていて大同で食べたロバ肉を思い出した。
脂がなく、さっぱりした感じ。
ウサギを初めて食べたのはウルムチ旅行の時で、あの時は火鍋で食べた。
日本ではなかなか出合うことのない食材だ。



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2017-11-18

開封旅行二日目~その二~

開封、その地名を聞いて反応はそれぞれだ。
ある人は、それどこ?と言い、
ある人は、自分も行きたいんだ、と言い、
ある人は、歴史で名前は聞くけれどではどんな歴史があるのかわからない、と言い。
またある人は、よくそんなところに行くね、と言う。

私が開封に行くつもりだと言うと、
インさんは「まゆちゃんはどうしてそんなところに行きたいの?」 と、もっともでストレートでそして簡潔な質問を投げかけてきた。
私は一瞬、答えに迷った。
「開封は中国でも有数の古都で歴史があるから」
中国の歴史が好きな人の中には、開封に行きたいと思う人も多いのではないかと思う。
そう答えたものの、私は中国の歴史に詳しいわけでも、中国の歴史に特化して興味を持っているわけではない。
旅行したいと思う場所がたまたま歴史的な場所であることが多い。
そういう言い方も正しいような気もする。
中国のいろんな表情が見たくて、その表情のひとつに出合うきっかけになるのが歴史、そんな言い方もできる。
「中国を代表する古都だから」
これは単なる模範解答に過ぎない。

開封、と聞いてどんなことを思い浮かべるだろう。

新法による政治改革を目指した王安石。
小説・敦煌で日本人にはなじみ深い宋と西夏の戦い。
現代未だ多くの人を惹きつける水滸伝。
忠義心を貫き散った、英雄岳飛。

引き出しの少ない私にはせいぜいがこんなところ。
しかしこうして挙げてみると、みな宋の時代である。

開封の歴史は、紀元700年春秋時代にまで遡る。
その後、隋に開かれた運河によって繁栄し、北宋時代にもっとも栄えた。
宋はその王朝史の中で、ふたつの都を持った。
開封に都を置いていた時代を、北宋、
金に攻め入られ南下し、臨安に都を置いていた時代を、南宋と呼ぶ。
開封のハイライトはこの北宋時代である。

金に攻め入られ宋が都を臨安(現在の杭州)に移したあと、開封はそのまま金の領土となった。
しかし金がモンゴル帝国に滅ぼされたのち衰退、歴史の舞台からフェードアウトしていく。
そう見ると、他の古都に比べて開封の輝かしい時代は案外短いかもしれない。

八大古都、という数え方がある。
西安、北京、南京、洛陽、開封、杭州、安陽、鄭州、この八つを数えて中国八大古都とする。
この中でも開封は都であった時代はそう多いわけではないけれども、それでも数えられるということはその時代の歴史的意義の大きさを意味している。
都にした王朝の多さ、その時間なのではなく、その重要性を評価されての殿堂入りだ。

宋に陰りが見えたのは、8代徽宗の時だった。
北方に金が起こり、北宋は金と手を結び遼を滅ぼした。
その後北宋はその金に攻められ南部の臨安に事実上の遷都、いわゆる南宋のはじまりである。
このとき皇帝、皇太子らが人質として拉致されたことにより、運命のいたずらのように趙構(高宗)が皇帝の位に就いた。
金の勢いは増し南宋は劣勢に苦しんだが、しかし反面栄華を極めた。
高宗は打倒・金の主戦派よりも、金との和議を勧める秦檜を重んじ、主戦派の筆頭である将軍・岳飛を疎んじて最後は処刑した。
実のところ岳飛率いる軍事力は充実していたが、こうした内情によりそれらは生かされず、結果宋の滅亡に繋がったとされている。

よって開封にはどうしても、宋の繁栄とともに滅亡というワードがちらつく。
栄華と衰退、これらは決して対極にある言葉ではなく、紙一重に存在するものなのかも知れない。


今回の旅行で行きたいところ、そのすべては私が勝手に決めてしまったが、開封の観光地はとてもコンパクトで短期旅行ならそう選択肢はない。
朝いちばんに繁塔、禹王台を観光し、午後観光したかったのは、「清明上河園」。
ここもまた、開封旅行の定番といえるだろう。
地図を見てもとても広い公園であることがわかったので、午後をまるまるそれに当てようと考えていたが、ゆっくりしていたらもう夕方になってしまった。
もうすぐ16時。
間に合うだろうか。

かなり遅い昼食を終えて、私たちはタクシーに乗り込んだ。
到着してすぐにわかったが、開封はタクシーを停めるのがとても難しい。
数も少ないし、だから通りがかるものもみんなすでにお客を乗せている。
タクシー頼みにしていると痛い目にあうだろうと思う。
タクシーが捉まらないので初めはバスに乗ろうとしたが、そのバスもなかなか来ない。
インさんがネットで車を呼んでくれたりして、それでもそれもなかなかうまくいかなくて、移動にはなかなか難儀した。

私たちは目的の清明上河園ではなく、その手前にある「龍亭公園」で車を降りた。
本来はここも観光先に選んでいたが、時間が足りなさそうだなと一度諦めていた。
けれど車がちょうどそこを通りがかったとき道がたいそう混んでいたので、思いついて入場してみたのだ。

入場時にチケットを購入。
ところが100元、高すぎる。
龍亭公園には史跡がひとつあり、ここはそれを主役にした公園である。
公園に100元は正気の沙汰ではないと思う。
現在のレートでおよそ1700円だ。
「高い、高すぎる!なんでそんなに高いの?」
思わず口にした私に、インさんはネットで割引チケットが買えないか見てくれた。
結果若干安く入場することはできたが、それでも高いことには変わりない。
これは旅行者の弱みだ。
高くとも、せっかく遠路はるばるやってきたのだ。
入場するしかないのだ。

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入場門前には多くの人が集まり、中に入るでもなく外で楽しんでいる人も多い。
正面で一本の凧を揚げている人がいた。
中国の凧は、このように連なっているものが多い。
高い高い空に向かって、連なる鳥だったり蝶だったり、そんな凧が連なって揚がる。

17110427.jpg

門をくぐろうとすると、中国の伝統建築に不釣り合いな文字がでかでかと掲げられている。
あれはなんだ?
「中国・開封第35回菊花文化節主会場」
どうやら菊祭、というのをやっているよう。

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入場すると、まっすぐ向こうに向かって、菊、菊、菊、ひたすら菊。
黄色、白、桃色、大振りなものから、小さな小さな華憐なものまで、多種多様。
通路の中央にはずっと向こうまで菊が配され、菊を用いたアーチをくぐり進む。
写真にそれを納められなかったのは、あまりの人の多さに疲れてしまったから。
「いい時に来たんだか、悪い時に来たんだか、わからないよ」
そう言う私に対して、
「悪い時ってことはないよ」
インさんは菊の撮影に一生懸命。

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途中、こんな小吃も。
「武大郎炊餅」
「食べたい?」
インさんはそう言ってくれたけど、さっき満腹食べたばかりでおなかに余裕がなかった。

「こういうの、日本語でなんていうの?餅(もち)?」
「うーん、餅だと日本人は全然違うものを想像するよ」
中国では、小麦粉を用いて薄く生地にして焼いたり揚げたりしたものを総称して「餅(bing)」という。
そのスタイルは地域や人によってさまざまで、このように厚めで丸いものや、クレープのように焼いて具を包むものや、生地の中に具を入れて揚げたり焼いたりするものや。
日本のものとまず材料からして違うのだから、これを「もち」といってしまうと大きな誤解を与える。
かといって、なんて言っていいかもわからない。
「そうだなぁ、日本語にはこれを表す名前がないんだけど、これだったらゴマ団子みたいな感じ?」
「あぁ、ゴマ団子だね」
インさんは納得したようだったけれど、これが正しかったかどうかはわからない。

17110430.jpg

観光客の目的は、一番奥にある「龍亭」だ。
亭、なんていうとまるで東屋のようだが、ここはかつて宮殿だった場所である。
龍亭の“龍”は皇帝を表す。

唐代に節度使の役所(藩鎮衙署)ができたのち改築され、五代十国時代の梁、晋、漢、周、北宋、そして金代まで皇宮として使われ続けた。
清の康熙帝の時代にかつての建物を取り壊し万寿亭が建てられた。
そこに皇帝の位牌が祀られたことから龍亭と呼ばれるようになり、その後宮殿に建て替えられ万寿宮と改められた。
この亭という名称はその名残である。

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いよいよ万寿宮に登っていこうとすると、ものすごい人の数、よりも気になったのは中央に設置された文字。
「第35回菊花文化節」
もうそこら中にアピールされているから、私たちはそのことを十分知っている。
どうせ文字を掲げるなら、もっと雰囲気を読んだ言葉にしてもらいたいものだ。
しかも、あの風情の欠片もない文字が乗せられているのは、あろうことか龍陛である。

龍陛とは、宮殿に登るための階段の中央に龍などが彫り込まれたあれだ。
皇帝が階段を登ることはない。
輿に乗せられて登るのだ。
皇帝が乗った輿はこの龍陛の上を通過する。
つまり、皇帝の通り道である。
何人もここに足を踏み入れることは許されない。
それなのに、恐れ多くもそんな高貴な部分に龍を覆い隠すようにして「菊花節」とは、さすが中国だ。
歴史的価値や意義や意味を、ある時は大々的に保護し、ある時は大胆に無視する。
しかし今は皇帝なんて存在しないのだから、問題ないといえば問題ないのかもしれないけど。
「なにもあんな場所に文字置かなくても」
そう言う私に、頷くインさん。
ひょっとして、このことに違和感を感じるのは私たちだけ?

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龍亭の中はどうなっているのかというと、金ぴかの玉座があった。
あまりに金ぴかすぎて、ちょっと安っぽくも見える。
おそらくそれは後ろの龍のせいかと思う。
「故宮みたいだね」
そういうインさん。
すごくすごく小さな故宮といった感じかも。
でも故宮にはこんなに金ぴかな玉座はないし、雰囲気を支配しているあの龍の表情もない。

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龍亭からは広がる湖と周囲の街並みが一望できて気持ちがよかった。
龍亭を背にして景色を見渡すと、右手には沈みかけた太陽。
日の出から日没までを見届けることができた一日だった。
日の出は一日の始まりといって違いないが、それでも日没は一日の終わりではなかった。
これからまだまだ楽しみたい場所があり、むしろこれから。

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龍亭を下りて見上げると、故宮と同じ赤い壁からは、黄色が鮮やかな菊の一種(と思われる)が垂れている。
やっぱり今日来てよかったかな、と思った。

ここから向かうのは、龍亭から西隣りにある「清明上河園」。
歩いてそのまま向かうことにした。
その通り道に出合ったのは。

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ありそうで見たことがないものだった。
三つ並んだ年季の入った鉄器具は、その中央が山のように膨らんでいる。
そこに生地を流し込み、その後、鉄の蓋をする。
できあがったものは、見た目はふんわり軽いパンケーキみたいに見える。
「谷翻儿」
そういう名称のよう。
インさんがそれを作っているおじさんに話を訊いてくれた。
「谷(gu)は穀物の穀(gu)ね、これは粟をつかったものみたいだよ」
小麦粉かと思いきや、粟だった。
「これはひっくり返さないでしょ?だから“谷翻儿”なんだって」
鉄製の器具に生地を流し込み、これが鉄板だったらひっくり返すところだけど、これは鉄蓋をして加熱するからひっくり返す必要がない。
だから、谷翻儿。
「でも、翻だとひっくり返すって意味になってしまわない?」
“翻”はひっくり返すという意味を持つ。
「うーん、そうなんだよね、僕もよくわからない」
一枚買って食べてみた。
確かに小麦粉のと全然違う。ねっとりとしていてそしてとても軽い。

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途中で菊の展示を見、とりあえず西へ進む。
菊は日本人にとってもなじみ深い花だからか、どことなく日本ぽく感じる。

途中で道に迷い、インさんがスマホナビを使って誘導してくれたけれど、それでも行き止まりにあたってしまった。
すぐ近くには、湖が広がっていた。
あの向こうが目的の清明上河園だ。
すぐ向こうに見えているのに、広い湖が阻み、どうしたらあそこに最短でたどり着けるのかわからない。
困っていると、すぐそこの岸に舟が泊まり船頭のおじさんがいるのが見えた。
「ちょっと訊いてみるよ」
そういってインさんが訊きに行く。
すると戻ってきて言うには、
「舟に乗って向こうまで行けるって」
なんと、道を訊いたのが思わぬ収穫だ。
湖をまわっていくのは気が遠くなりそうだったけれど、ここを舟で突っ切って向こうまで行ってもらえる。
ほんとうに最短距離だ。
料金は10元だったかと思う。
どうやらおじさんはもう仕事をあがるところで、最後に私たちを乗せて向こうまで行ってくれるよう。
ありがとう~。

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湖面が近い。
時刻は17時半を過ぎ、開封は黄昏時を迎えようとしていた。
舟に乗り込んだ時にはほとんど灯っていなかった明かりも、暮れていく空に合わせるように、徐々に灯りだす。

舟が到着し、目の前の道路を渡ると、すぐそこは清明上河園の入り口だ。
清明上河園とは、その名の通り、「清明上河図」をテーマにした公園。
開封は清明上河図のメッカである。

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入り口はなんだか日本みたいな雰囲気。
赤い照明のせいかもしれない。
ここでチケットを購入。
すると、またもや入場料が120元とめちゃくちゃ高い。
「高い、高すぎる!なんでこんなに高いの?」
またまた思わず口にする私に、インさんはネットで安いチケットがないか調べてくれた。
ここでは夜間に水上エンターテイメントを行うようで、それと合わせると2百数十元ともっと高く、私たちはそれをやめて入場だけすることにした。
中で舟に乗れるようで、その料金も含まれている。
高いけれどせっかく来たのだから、仕方ない。
「故宮はこれよりもっと安いのに、ここはただの公園でこんなに高い」
中国って、これだけあって数元、そんなものもありながらも、たったこれだけで100元200元、そういうのもあるからよくわからないよ。
そう言うと、「僕もそう思うよ~さっきの龍亭はタダでもいいと思う」とインさん。

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入場してまず目に入るのは、これ。
清明上河図は、北宋末の画家、張択端の作品だ。
であれば、この人物像はきっと張択端に違いない。

その先には、ここの主役「清明上河図」を題材にした壁画。

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「清明上河図」、中国を代表する絵画である。
実物は全長5m以上の絵巻物で、北宋の都だったここ開封の繁栄を描いたものだとされている。
されている、というのはどうやら実在の開封そのものではないということから、推測の域を出ないからだ。
郊外農村から都の中心部までを描いたもので、有名な橋の部分はこの作品の一部分にしかすぎない。
オリジナルである張択端の作品は現在故宮に保管されているそうだが、これをモチーフにして、後世に明版、清版など類似画が多数生み出された。

「清明節の賑わいを描いたものだとされているけれど、実は清明節の翌日を描いたものではないかという仮説を読んだことがあるよ」
清明節を表す部分が少なすぎるって。
そう言うと、「うん、そうそう」とインさん。
実際はどうか私にはよくわからない。

そんな話をしていると、向こうから団体が絵に沿ってこちらに進んできた。
ガイドが時々立ち止まって早口で説明している。
「聞き取れた?」
「うーん、“这个人、这个人”しかわからなかったよ」
そう答えると、インさんが説明してくれた。

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「ほら、舟があるね、この舟から“何を載せているの~?”、こっちの舟も“何々だよ、そっちは何を載せているの~?」
なるほど、そんな会話をしているシーンということだ。
最初から、つまり清明上河図の向こうからガイドの解説を聞けたらおもしろかったかもしれない。

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これは、もっとも有名な部分。
この絵画の特徴として、定規を引いたように精密に建築や風俗の様子が描かれている。
これは現物ではなく壁画に過ぎないけれど、それでもかなり精密にできている。
当時どのような生活をしていたのか、そういったことを知るための資料としての価値が高いのはその精密さゆえだ。

去年か一昨年か、中国ドラマ・岳飛伝を見た。
そのワンシーンが印象的で、記憶に残っている。

徽宗らが金に人質にとられ連れ去られたとき、徽宗の皇后が金の将軍かだれかと話すシーンだ。
金のだれかは、清明上河図を見ながら、「宋にはこのような美しい絵画があるのか」と感嘆した。
しかしそれを受けて、徽宗の皇后は語り始めた。
この清明上河図は美しいが、皇帝たるものこの中のどこかに、煙は立ちのぼっていないか、不穏な気配はないか、それを見つけ出す目がなければならない。悲しいことに徽宗にはそれがなく、この絵をただの美しい絵にしか見ることができなかったのだと。
それゆえに、宋はこのような状態になったのだと。

ここ清明上河園は、この清明上河図をテーマにしたテーマパークだ。
私は普段そうしたテーマパークに特に強い興味は持たないが、ここは清明上河図の生まれた場所であるからやはり行ってみなければと思った。
本来は昼間に訪れるはずだったが、意図せずに夜になってしまった。
ところがこれが、すごかったのだ。

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そこら中がすごいライトアップ。
どこを見ても色鮮やかな夜景。しかもそれが次々と色を変えていく。
虹橋の向こうにはスカイツリーみたいな電波塔がまたきれい。

夜景だけでなく、あちらこちらに宋代をイメージしたお店が立ち並び目移りする。

17110444.jpg

「まゆちゃん、これ何かわかる?」
(うーん、なんだか胡椒とかでてきそうだな~)
「遊ぶものだよ」
「あぁ、独楽!」
こうやってやるんでしょ?と私が手ぶりで示すと、
「うーん、少し違う」
そんな会話をしていると、お店のおじさんが実演してくれた。
これに紐を巻き付けて飛ばすと、コマは勢いよく回った。
日本ではここで終わりだけれど、これはここで終わらないみたい。
ムチのようなものでコマをたたくと、コマはさらに回転した。
「やってごらん」とおじさんはムチを渡してくれたけど、意外と難しくてコマに当たらない。

歩いていくとあちらこちらに夜景ポイントがある。

17110445.jpg

こちらは、葉を使って作られた“額”の向こうにある舟。
舟が何かはよくわからなかったけれど、とりあえず求められたように写真を撮ってみる。

17110446.jpg

こちらはランタンを売る人。
幻想的な雰囲気に、ついつい欲しくなってしまう。

17110447.jpg

一歩足を踏み入れれば、千年前の世界へ。
「なんだか、なばなの里みたいだね~」
インさんは名古屋に暮らしたことがあるのだ。
本来は清明上河図の世界を体感したいと思ってここに来たかったけれど、もはやぜんぜん何が清明上河図なのかわからない。
単にこれ以上ないというくらい派手なライトアップを見て回る散策となっている。
しかしこれが意外に楽しくて、すっかり満喫していた。
120元もまぁいいかなと思う。
間に合わなくてやむを得ず夜になってしまったが、それでよかった。
ここは夜に訪れるのがいいと思う。

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ところどころに宋の街並みを再現した箇所がある。
あちこち散策しているとお酒のお店なんかもあって、店内まで当時の酒屋を再現している。
「まゆちゃん、お酒飲みたい?」
私がお酒好きなことを知っているのでそう訊いてきたインさんだったが、私は冗談だと思って、
「うん、飲みたい」と答えた。
するとどこにいたか店員さんがいて、インさんが訊いてみると四十数度なのだという。
まさか売り物とは思わず、展示物だと思っていた。
「いいよ、まだご飯食べてないし」
焦って伝える。

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お箸や櫛を売るお店も。
時間があれば、これら一つひとつのお店を覗いてみるのも楽しそうだった。

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中国にはこういったライトアップが多い。
イルミネーションという言葉は合わないかな、と思う。
とにかく、日本のそれとは雰囲気が全く違って、日本みたいのは中国では比較的少ないし逆に中国みたいのに日本で出合うことはほぼない。
日本人にとっては、この色のぶつかり合いは好みがわかれるところと思う。
控え目という考えがない。
色のバランスという考えがない。
素材がどうとか関係ない。
木なんか、もともとの色を無視してどぎつい緑で“着色”されている。
でも私はこれが、好きなのだ。

「ほんと、中国って感じだよね、この主張した感じ」
私が言うと、インさんは笑った。
「これから10年もすれば、海外に出て行った中国人が海外のセンスを学んで、こういうのもなくなっていくかも知れないね」
それを聞きながら、ああ、きっとそうだろうなぁ、と考えた。
中国人は海外のものを吸収するのが得意だから。
でも独自のものを貫くのも得意だから、まぁわからないかなとも思う。
たかがライトアップなのだけど、私はこういうライトアップや、ド派手はビルや電光ネオンなんかに、とてもとても中国の“らしさ”が表れていると思っている。
だから、なくなったら寂しいなと思う。

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歩きながら、インさんが言った。
「あ、KFCだ!」
もう、こんなところにまであるんだ、ファーストフード。
どこにでもある、ファーストフード。例えばマクドナルドなんて、中国全土を侵略しようとしているのではないかなんて思ったりする。
それでもここのはまだ“まし”で、古風な雰囲気にまとめられている。
「まゆちゃん、あれなんていうか知ってる?」
「え、ケンタッキーじゃないの?」
「開封菜(開封料理)、だよ」
「え、ケンタッキーじゃないの?」
「kai feng cai、開封菜、中国人にこれ言えばみんなわかるよ」
中国語ギャグである。
開(kai)封(feng)菜(cai)で、KFC、なるほど。

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ある場所では衣装を着た美女二人が、一人は楽器を弾き、一人が舞い、多くの観光客に囲まれていた。
ライトアップの背景になんとも妖しい雰囲気。

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次々と色を変えていく。
蓮の向こうには噴水があがり、そこにも光があたる。
人工的な煌びやかさには風情はないかも知れない。
でも向こうに煌々と輝く月が。
月があるだけで、そこがどこであろうとどんなであろうと、なんだか風情を感じるから不思議だ。
やっぱりライトアップは月にはかなわない。

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清明上河園に大満足して、鼓楼付近にまで戻ることにした。
せっかくなので、またこの自転車タクシーで。

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夜の鼓楼はたいそう賑やかだった。
周囲には埋め尽くされたような屋台。
開封料理とは限らない、中国各地の屋台が立ち並ぶ。
テーブルと椅子が並べられていて、屋台で買ったものをそこで食べることができる。
この雰囲気が好き。

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城壁、鼓楼、鐘楼、そういうものが残り人々の営みの中心となって生き続ける。
中国の素晴らしいところだと思う。
一方ではで古いものを容赦なく壊して現代のものを建ててしまう。
そういう一面も持っているけれど、こういうものはこれからも守り続けてほしいなと、心から願う。

清明上河園でゆっくりし、時刻はもうすでに21時になろうとしていた。
インさんが夕ご飯の場所をネットで検索し探してくれたけれど、どれも21時22時までだったりしてうまくない。
そこで、適当に歩いて探してみることに。

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鼓楼から(多分)西側に向かってみると、そこは先ほどとは少し色合いが違う。
「なんだか広州の方の建築みたいだね」
私はそう言った。
西洋とアジアが融合したようなデザインは、福建省、広東省でよく見る建築様式で、ここのはなんだかそれに似ていた。
とはいっても、もともとこうした建築がここに建ち並んでいたわけではない。
一目見てわかるが、つい最近できたショッピングストリートだ。
「なんでここにこういうのを作るのかな~全然この場所と雰囲気が合ってないよ」
そう言うと、インさんも頷いた。
若者のお店が並び飲食店が全くないので、結局もとの鼓楼まで戻ってきた。

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そうして賑やかな屋台を横目に、すぐ近くにあるフードコートのある建物に入ってみた。
フードコートにはたくさんのお店が並び、その中でインさんが足を止めた。
「紅薯泥」
そう名がついた小瓶がある。
開封の名物のようだ。
インさんがお店のおじさんに訊ねてくれたところによると、これを炒めて食べるのだという。
おじさんが炒めてくれるというので、お願いした。

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出てきてびっくり、カラースプレーがかけられた外観は予想外。
「食べてみな、おいしくなかったらお金はいらないよ~」
そんなおじさんの言葉を受けておそるおそる口にしてみると、まあまあだ。
いわゆる、サツマイモペーストみたいな感じで、芋の自然な甘さがある。

結局、このおじさんのところで私は麺を頼むことにした。
インさんは別のところに買い出しに行った。

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麺は金湯烩面、おじさんのお店で頼んだもの。
右手は炒涼粉、奥のは驢肉火焼、インさんが別のお店で買ってきたもの。
涼粉を炒めたものがあるのは知らなかった。
食べた感じは煮凝りを思い出した。ほろほろ崩れていく感じ。
驢肉火焼は、ロバ肉の中国風ホットサンド。
ロバ肉を初めて食べたのは、大同だった。
「天上には龍の肉があり、地上にはロバ肉がある」
中国にはこういう言葉があり、それくらいロバ肉はおいしいということだ。
集中して食べていると、おじさんは飲み物をサービスしてくれた。
バラの香りのするジュースだった。

実はインさんが買い出しに出ている間、私はおじさんのところにいて、ここのお会計を先にしてしまおうとした。
ところが、「いくら?」と訊ねると、
「現金は使えない」とのこと。
現代中国が加速度的に電子マネー化していることは日本でも度々報道されているけれども、使えないとは驚いた。
「大丈夫、大丈夫」
おじさんはそう言って、私の現金を預かってどこかに行き、どこかからお釣りを持って戻ってきた。
時代は変わったものだ。
一年二年、どころの話ではない。数カ月で大きく変貌していく。

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大好きな中国の夜の賑わい。
22時を過ぎて、それも少し落ち着いていた。
冷え込む開封の夜に、並べられたテーブルは閑散としている。

帰りに商店に寄って、ワインを買った。
「ここで開けてもらおう」
すかさず、私が提案する。
おそらくホテルにオープナーはないからだ。
「いつもこうして開けてもらったワインを抱えてホテルに戻るんだ」
武勇伝のような感覚で話したつもりだが、本当のところどんな風に伝わったかどうかはわからない。

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11階の部屋からは、先ほどの鼓楼が見下ろせた。
鼓楼を貫いて縦にのびる通りは、明るく輝いて賑やかなようすをこちらに伝えている。
そのずっとずっと向こうには、高層のビルが数棟。
開封にワインなど合わないかも、なんて思ったけれど、不思議なことにどんなお酒よりもこの赤ワインがふさわしいような気がした。

訪れた街を眺めながら、風をあびながら、お酒を飲む。
ほろ酔いがいつの間にか、気怠い気分に変わる。
街が眠り、私ひとり残されてしまうこともある。
いつまでも人の気配が消えることはなく、私が先に身を引くこともある。

開封の街を眺めながら、今日はそのどちらだろう、と考える。
鼓楼の輝きはいつまでもそこにあった。
ところが深夜2時を迎えたとき、ようやく気づいた。
賑わいだと思っていたあの輝きの周囲にもうすでに人影はなく、周辺の建物もみないつの間にか明かりを落としていることを。
鼓楼の存在感は、まるでこの街の雰囲気を支配しているかのようだ。
そして私は、開封の街を見ているつもりでどうやらそれしか見ていなかったらしい。
眠らない街のようで、実のところとっくに眠りについているということに、ようやく気付いた。
私たちはいつのまにか取り残されていたのだ。



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2017-11-18

開封旅行三日目~その一~

2017年11月5日、目覚めたのは9時過ぎだった。
連日の寝不足に昨日も遅かったので、これでも寝たりないくらいだ。
中国に来て22時に寝るなんてことができるわけないのだから、寝不足寝不足と飽きるくらいに書き続ける私の旅行記はこれからもこうなんだろう、と思う。

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お日様の下の開封はもうすでに活気づいていて、どこからかリズムいい音楽が流れ聞こえてくる。
昨夜いつまでも明かりを落とすことなく絢爛としていた鼓楼。
まるで別物のようだ。

のんびり支度をして、普段だったら朝ごはんなしで急いで出発するところだったが、インさんがデリバリーを頼んでくれたのでそれを食べることにした。
情報としては知っていたけれど、中国は日本以上にデリバリーが身近なようだ。
スマホで検索すればお店が次々とでてきて、少額でも簡単に宅配が頼める。
私が選んだのは、中国粥。
スマホで注文すると、30分後に部屋まで届けてくれるという。
値段も少額なのに、宅配までして儲けがあるのかな。
遅れることなく届いたお粥と包子は十分温かく、そしてとても美味しかった。
お粥は、不本意ながら実をいうと、今回の旅行で一番美味しかったものだった。

ホテルを出て、本日まず向かうは「大相国寺」。
大相国寺は鼓楼から近いので、私たちは歩いて行くことにした。

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大相国寺は街の喧噪の中に混じるようにしてあった。
ここにも菊が飾られている。
どうやら、この二日間は開封全体が菊祭りのようだ。

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鉢植えをぎっしり敷き詰めて、その配置も考えられている。
でも、賑やかすぎる気も。
よく見ると、菊の花もどこか疲れているみたい。

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一言に菊といってもさまざま。
私がイメージするのは、黄色と白で大振りなもの。
あと、崑崙山脈で採取される雪菊茶の小さな小さなあの花も、菊の一種なんだろうな、なんてことを考えた。

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「大相国寺」、創建は555年で、清代に改修を受けている。
戦国時代、紀元200年頃に、魏の公子である信陵君の邸宅だったものが廟になり、後世仏教寺院となったのだそう。
もともとは建国寺といい、唐代に唐睿宗が相王に封じられた際に相国寺に改名。
最盛期だった北宋には、僧の数は数千人にものぼり、仏教の中心地としてだけでなく商業の中心としてさまざまな物資がここに集まったのだという。

入場して、まず天王殿。
外から建物を写していたら、中の仏像は写さないように注意されてしまった。
インさんも、「仏像は写真ダメだよ」
日本ではあまりこういう場所で写真禁止になることはないが、中国ではたいがい写真不可だ。
そもそも禁止でなくとも撮ってはダメ、という意識があるように感じる。
日本と中国とでは信仰に対する姿勢とか、また何かを信仰する人の数も違うなと思う。

天王殿の中にあったのは、弥勒佛像。
大黒様みたいな風貌で、ふっくらしていて、よく言えばチャーミング。
古いものではないようで、金ぴかで現代中国でよく見かける雰囲気だ。
説明書きを見ると、「またの名を“歓喜佛”」。
これを見て、納得だ。
信仰とか礼儀マナーに少し厳しいインさんの横で、この仏さまや中国のあらゆる寺院で抱くことがある“感想”を、口にする勇気がなかった。
しかし、多くの日本人がおそらく私と同じ感想を持つのではないかと思うのだ。
例えば、仁王像なんかで。

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すぐ付近には、大きな鐘があった。
口径1.8m、重さにして5トンにもなるのだという。

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そしてその先に続く門の手前には、日中の友好を記念する石碑。
京都にも相国寺を名乗るお寺があるのだそうで、その名称もこの開封の大相国寺を受けて命名したものなのだそう。
そういう縁でこのふたつのお寺は結びつき、仏教を越えて日中友好の架け橋となった。
興味深そうにするインさん。
「これってなんて読むの?」
「うーん、たぶん“しょうこくじ”だよ」
私もぜんぜん詳しくない。
ちなみに、この大相国寺にはあの空海も訪れたのだという。
西安の青龍寺を思い出した。
青龍寺は空海が仏教を学んだ寺院で、でも訪れてみるとなんだか商業的要素を感じて少し残念な感想を持った。
信仰の場としても、商業的な意味でも、様々な意味で空海は現代にあって日中友好に大きな役割を果たしてるんだな、そんなことを考えたことを、思い出した。

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天王殿の横を抜けて、裏に進む。
天王殿の先にあるのは、大雄宝殿。
その手前には、緑あり菊の花あり、で気持ちも和む。

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このように石の仏塔も。

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中央にあるのは、大雄宝殿。
先ほど注意されたので、慎重に中の仏さまが写らないように写真を撮る。
このお堂自体も素晴らしくて、屋根には緑の瑠璃瓦に黄色の瑠璃瓦が模様をつくる。

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額もかなりの歴史を感じる。
名のある寺院というのは本当なんだな、とたいへん失礼ながら無知な私はこんなところでそれを実感した。
中原一を誇るお堂なのだそう。

大雄宝殿の中にはそれは素晴らしい仏像があった。
「奈良の東大寺みたいだよ」
インさんがそう言ったとき、初めは「全然違うのにどこのことをそう言ったんだろう」なんて考えたけれど、仏像を見てなんとなく彼のイメージがわかった。
仏さまの種類も大きさもぜんぜん違うけれど、堂内にでんとした迫力は圧倒された。
かなり古いものであることは一目でわかる。
中央に釈迦牟尼像、左右に阿弥陀仏と薬師像。
大雄宝殿の左右の壁際には、金ぴかの表情も豊かな十八羅漢がずらりと並んでいる。これは新しいものかなと思う。
仏さまの横を抜けて裏にまわると、仏さまの背後もまた、見事な木彫りだった。
色鮮やかで、迫りくるような迫力だ。
海島観音という観音さまの一種で、海から現れた場面を表しているそう。
観音さまの背後にはこれまた53の善財童子なるものがびっしり。
表の仏像ですでに驚いていたので、まさかその裏がこのようになっているとは思いもよらず、さらに初めて目にしたものだったので感動もひとしおだ。

この大雄宝殿の先には、私の目的があった。

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奇石の向こうに見える風変わりな建物は、羅漢殿、通称・八角瑠璃殿。
この建物の興味深いことは、八角をした建物の内側にもう一つお堂が収まっていることだ。

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仏さまを写真に写すことができないので、内部で写すことができたかろうじての一枚。
外側の六角形の建物と、内側に建つお堂のすきま。

この内側のお堂の中には、それは素晴らしい千手観音が祀られている。

相国寺千手観音
(百度より拝借)

この千手観音、乾隆時代に無名の職人が一本の銀杏の木から58年かけて作ったのだという。
千手の手のひらには目が描かれており、その目の数にして1048個。
一本の木から58年も、1048個の目も、自分の理解を超えていまいちピンとこないくらい。

「これって日本語でなんていうの?」
インさんが訊く。
「せんじゅかんのん、だよ」
そう答えると、「あぁじゃあ中国語と一緒だね」 そう言って携帯にメモしている。
インさんは勉強熱心だ。
本当であれば、私の方がこういうことをしなければならないのに。

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羅漢殿の裏、一番奥にあったのは、蔵経堂。
その背後には、日本のお城を彷彿とさせるような建物が見える。
これは資聖閣、またの名を排雲閣というそう。

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これは完成予想図。
この資聖閣、現在建設中だ。
中国古典建築の典型的楼閣で、往時は大相国寺でもっとも有名な建築物だったのだそう。
高さ88mで、純木造建築。
現在それを再現したものを建築中とのこと。
100元寄付すれば、瓦に自分の名前と願い事を刻み、それをあの資聖閣に使ってくれるのだと書かれている。
日本と同じく中国でもこういうことするんだ~。


大相国寺を出て、次に行きたいところがあった。
開封旧城から西南に22㎞ほど離れたところにある、「朱仙鎮」だ。

旧城内にはまだ回っていない観光地があったが、それを諦めてもそこに行きたかった。
朱仙鎮には、岳飛廟がある。
岳飛は開封を代表する宋代の英雄だ。
ここに来たからには、その岳飛を祀る場所に行きたい。

大相国寺からどうやって行こうと考えた。
長距離バスターミナルから朱仙鎮行きのバスがあるようだったが、できればここからタクシーに乗れたら楽だ。
でも、開封はタクシーがぜんぜん捉まらない。
タクシーを探しながら、インさんはスマホの配車サービスで朱仙鎮に行ける車を探した。
けれどどれも迎えに来れる時間が遅く、なかなかうまくいかない。
そうやってあれこれして、ようやく配車サービスの車の方が先に捉まった。

私は寝不足がたたり、車の中でぐったり。
インさんは運転手さんとおしゃべり。
どこがお勧め、どこに行った、そんな話をしている。
「清明上河園は行った?」
「昨晩に行ったよ、きれいだった」
「そうそう、夜はきれいなんだ」
運転手さんによると、開封を訪れる旅行客で朱仙鎮に足をのばす人は少ないのだという。
そして私たちにひとつの観光地を勧めた。
「啓封故園」
岳飛廟から1㎞ほどのところにあるのだという。
それはなんだろうと思っていると、インさんがスマホで見せてくれた。
そこは近年開発された開封の文化を学べるテーマパークで、エンターテイメント、買い物、食事、文化体験などが楽しめるのだという。
時間があったら立ち寄ってみよう、そんなふうに話していたけれど、結局時間がなくて行くことはなかった。

22㎞はそう遠くないと考えていたけれど、実際には4、50分かかってしまった。
岳飛廟の前で車を下ろしてもらうと、周囲の雰囲気は私のイメージと大違い。

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少し開けた場所に、野菜や日用品がところ狭しと広げられ、売られている。
とても賑やかだ。
携帯ショップの看板を見て、
「古鎮なんていうから村だと思ってたから、こんなふうだと思わなかったよ」
村といえば、年始に巡った安徽の村々、ああいう雰囲気を想像していた。
そう私が言うと、
「中国ではこれは“村”だよ」
インさんがすかさず言う。
たしかに、中国の村も時代とともに変わっていくのも当然だ。

この村のど真ん中に、目的地の岳飛廟はあった。

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チケットは30元。
ここでもインさんはスマホで割引チケットを検索し数元ではあるけれど少し安く入場できた。

入場してみて最初に目に入ったのは。

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跪く罪人たち。
罪人の首には、罪状が書かれた説明書きが鎖でかけられている。
そして観光客がそこに用意されたムチで彼らを好きなだけ痛めつけている。
「これか、話に聞くのは」

罪人のうち、夫婦がいる。
秦檜とその夫人である。
秦檜は金と繋がり、高宗に金との和平を勧めていた。
そして主戦派の岳飛を邪魔にし、最後は策略により処刑させてしまう。
現代、岳飛は中国の大英雄であり、一方で秦檜は大悪人である。
立場は当時からすっかり大逆転してしまった。
杭州を訪れたときにも、あそこには岳飛廟があったが、時間がなくて覗くことができなかった。
杭州の岳飛廟にも、このような秦檜夫妻の銅像があり、痛めつける人が多いのだという。
話に聞く秦檜像をようやく目にすることができた。

「死んだあともずっとずっとこんな風にされるのは嫌だよね」
「うん、僕はいやだ」
秦檜は秦檜なりに自分の身を守るために必死だったのかも知れないが、その代わり、中国があり続ける限り中国人みんなからの罵倒を永遠に受けることになってしまった。
彼自身こんなことは予期していなかっただろう。


岳飛は、約900年前に活躍した、中国歴史上もっとも有名な武将だ。

北宋8代徽宗の時、北方に金がおこった。
開封に宋の都があった時のことである。
やがて金に追い詰められ、宋は逃げるように南下し、臨安に事実上の遷都をする。
これが南宋の始まりだ。
南宋は文化的には繁栄を極めたが、実のところ金に対して苦しんでいた。
岳飛率いる軍事力は充実し、金を打ち開封を奪還することを主張した。
一方、宰相の秦檜は金に対抗することに反対し和議を主張した。
秦檜は一度金に連れ去られており、そのことで金に繋がっていたといわれている。
さらに、岳飛の勢力が制御できない程までに拡大していることに対する恐れと、また反感があったともいわれている。
高宗は結果、主戦派岳飛よりも、金との和議を勧める秦檜を重んじた。
重んじただけでなく、忠義心の厚い英雄岳飛を疎んじて、最後は秦檜の策略ー謀反の罪を着せてーにより処刑してしまう。

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岳飛廟の中は、いたって普通の廟だった。
明代1470年の創建。
正面に岳飛を祀ったお堂があり、左右の建物の内部は展示室になっている。

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このように石碑も。
内容は見ていないけれど、おそらく岳飛の功績を称えるものだろうと思われる。

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ここは仏さまじゃないから、写真大丈夫かな。
インさんを伺い見てみると、何も言わない。

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ということで、祀られている岳飛を撮ってみた。
少し、私のイメージと違う。
岳飛が処刑されたのは、39歳のとき。

この岳飛像の右隣には、岳飛が背中に母親の手で刺青を彫ってもらうところを表す像。
岳飛は、背中に「尽忠報国」の四字を母親に刺青させ、忠義を誓ったのだ。
想像を絶する。私はというと、忠義心の篤さに感動するよりも、理解できない気持ちの方が大きい。
「お母さん刺青どうやってやったのかな、痛いよね絶対」
そういう私にインさんも、「衛生が心配だね」
お母さんは人に刺青を彫るなんて、初めてだったはずだ。

岳飛像の左隣りには、一人の女性像。
岳飛の娘だ。
岳飛が処刑される際に無実を訴えたが届かず、哀しみの叫びを残して井戸で自殺した。

世の中は理不尽だ。
世の中は不条理だ。
時代やその形は変われども、その本質は変わらない。
だから、私たちは小説に考え、映画に泣き、ドラマに笑うのだ。
だから、自分たちのいる場所とは別の場所で起きた不条理に感情移入し、善を喜び悪を憎むのだ。
しかし実のところ、世の中は善と悪とそのふたつにうまく分かれて成り立っているわけではない。
だからこその理不尽であり不条理であり、矛盾なのだけど。
中国人も日本人も、現代さまざまな抑圧を抱えている。
だから、善と悪が必要なのだと思う。
それがたとえ、幻だったとしても。
けれども気づきたいのは、そうした不条理を悲しむことができる分、私たちはずいぶん平和な場所にいるということだ。

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こちらは一番奥のお堂に祀られていた、岳飛夫妻の像。
こういう銅像が祀られているのは珍しいかなと思う。

岳飛廟を出る前に、ひとつの展示室に入ってみた。
各地の岳飛廟を紹介した展示だった。
この朱仙鎮岳飛廟は、四大岳飛廟のひとつに数えられている。
ほかの三つは、湯陰、武昌、杭州のものだ。
それらの紹介を見て、改めて岳飛の人気を感じる。

この朱仙鎮岳飛廟がそんなふうに重要な位置づけになっているのは、ここが岳飛にとってターニングポイントとなった場所だからだ。
先にも書いた通り、岳飛率いる軍事力は十分な兵力を持つまでになり、金から開封を奪還できるのではないかというところまできた。
1140年の北伐の時だった。
岳飛の軍隊はここ朱仙鎮の戦いで金を破り、あともう一息で開封奪還というところで、秦檜の策により高宗から不当な撤退の命令を受け、都に戻るのである。
その挙げ句、最後は謀反の罪をかぶせられ、息子岳雲とともに処刑されるのだから、たまったものではない。
武勇に優れていたという岳飛。
しかし敵は国内にいたというわけで、これではいくら武勇にすぐれていても、どうしようもない。

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こちらの写真は展示されていたもの。
岳飛の生まれた村なのだという。
かなり古い写真のようだけれど、中国の大英雄が生まれた場所は、現代になりいったいどのようになっているのだろう。

不条理に屈することなく忠義を貫き、母を大事にし、妻を大事にし、大義を全うした悲劇のヒーロー。
人気のポイントを押さえている。
「やっぱり中国でも岳飛は人気なの?」
そう訊くと、
「うん、そうだね、人気だよ」

岳飛廟を出るときに、また最初に見た秦檜たちの像の横を通った。
一人の小さな女の子が、ものすごい勢いでムチを打っていた。
そしてそのムチの先は、見事に秦檜に命中していた。
6歳か7歳かそこらの女の子が。
「こういうの、教育によくないよ」
ほんとうに、これでいいんだろうか?


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2017-11-18

開封旅行三日目~その二~

岳飛廟を出て、もうひとつ期待していたことを相談してみた。
「ここは“年画”で有名なところだって聞いたことがあるけど、見たところないね」
私の想像では、歩いてみればそういうものが簡単に目に入ってくるものだと思っていた。

「年画」とは、中国において、新年を迎える際にそれを祝い願い、屋内や門などに飾る版画のことだ。
知識としては耳にしたことがあっても、今までの中国旅行でそれに出合ったことがなく、私には縁が薄いものだった。
中国でいう新年とは旧暦のもので、つまり春節のことであるから、春節を経験したことがない私がそれに出合ったことがないのは当然のことだった。
ただ、本の中でわずか目にしたことがあるだけだ。
だから、今回を機会として直に触れてみたかった。

「まゆちゃん、見に行きたい?」
そう言って、インさんは岳飛廟のチケット売り場の女性に、近くにそれがあるか訊ねてくれた。
「この道を真っ直ぐ行って、橋を越えたところにあるみたいだよ」
そうして歩いて行ってみることに。

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10分ほど歩いただろうか、まだなのかなと思いもう一度付近の人に訊いてみると、話は変わり「橋の手前を左に曲がったところ」とのこと。
橋はこの写真のとおり。
うっかりするとそのまま渡り通り過ぎてしまう。
でも確かに、この橋を手前に左折したところにあったのは。
「振興徳木版年画伝承館」 の文字。

遠慮なくお邪魔してみると、中は年画の仕事場だった。

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細かな下書きが施された木板に、彫刻が途中まで。
塗料がついた藁の刷毛。
中にはおじいさんがいて、温かく受け入れてくれた。
この人がきっと、振興徳さんに違いない。

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こちらは彫り途中の木版。
数種類の彫刻刀を使い分けているみたい。
老眼鏡が細かな作業を伝えてくる。

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こちらは、乾燥途中の年画。
まだ売り物としてのかたちを持っていない、それが一つひとつ手をかけて完成されたものであることを実感させる。

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年画といってもさまざまである。
題材になるのは、日常的なもの、神様、縁起物、またはだまし絵のようなもの、それから民間伝承を題材にしたもの。
とりわけこの写真のように、子供を題材にしたものは多いそう。
「なんで子供のが多いの?」 そう訊くと、
「子供は賑やかだからね」
確かに、にぎやかなものは新年の気分にぴったりだ。

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これはなんだか閻魔様みたい。紫の肌に目が覚める。

おじいさんは、自由に見学させてくれた。
「上に行けばもっとあるよ」 というので、せっかくの機会なのでお邪魔させてもらうことに。
二階に上がると、たくさんの年画が飾られていた。
仕事場だった一階に反して、二階はちょっとした展示になっていて、きちんと額に入れられたものが壁に見切れないほど飾られている。

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こちらは、ここ朱仙鎮ならではの、岳飛の年画。
岳飛の息子、岳雲を描いたものもあった。

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とりあえず、すごく縁起が良さそうな感じ。
上下に描かれた蝙蝠は福の象徴。

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こちらは孔子さま。
さすがに他の年画と違い、ごちゃごちゃと派手にするのではなく、シンプルで落ち着いたふう。
ふと忘れそうになるが、これはみな版画である。
木を彫刻したものに塗料を塗り紙に移す。
この孔子さまは、まるで細い筆でていねいに描いたかのようで、版画であることが想像できない。
重ねられた色も、この細い線にしっかり収まり、空白ができるでもなく、色がはみ出ることもなく、完璧に合っている。
素晴らしいと思う。

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これはなんとなく、日本人にレトロだと感じさせるものがあるかと思う。
それはなんでだろう。
色の組み合わせかもしれないし、色と色を意図的にかぶせたり、また意図的に輪郭の中に空白を作っているところかな。

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これも繊細な美女図。
「こういうのも年画になるの?」
そう訊いてみると、インさんが訊ねてくれた。
「これは年画の技術を使った作品みたいだよ」
つまり、ここまでくると年画ではないということか。
お正月に喜んで、という本来の目的から離れ、芸術作品に仕上がったものだ。
ここにはこうした、年画ではない年画が多数あった。

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こちらはまた年画。丸い、以外の感想が出てこない。

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こちらは、竈神の年画、「双座喜報三元灶神」。
灶神(竈神)の夫婦を描いたものだ。
年画は竈の神様を題材にすることも多いよう。
日本でも、昔から竈の神様を祀るのにお札を貼ったりする。
竈神は天上の玉皇大帝に人間のいいこと悪いことを伝えてしまうから、悪いことを伝えないでねと、お願いしながら竈神の年画を燃やし送り出すのだそう。
この年画の右上には「上天言好事」、左上には「下方降吉祥」の文字がみえるが、これは、竈神にいいことだけを伝えてもらい吉祥をもたらしてもらう、という意味だ。
日本では庚申信仰(竈神=荒神)として定着していたが、現代にはほぼ失われたかなと思う。

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こちらも題材として使われることの多い、鯉。
魚(yu)と余(yu)の発音が同じために、ゆとりがあるとか福が余りあるとか、そういう意味を持つのだそう。

順に見ていくと枚挙にいとまがない。
おじいさんは、自慢げに巻物を取り出した。
片方をおじいさん、片方をインさんが持ち、広げる。

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「清明上河図」の巻物だ。
ということは、これも版画だということ。なんてことだ。
「これ、どうやって見るの?」
単純に沸き上がった疑問だ。
ちょっとずつ巻物の端を動かしながら少しずつ見ていくとか?
「狭い部屋では見れないね」 私が重ねていうと、インさんも頷いた。
外国人からの需要があるようで、記憶が確かではないが千数百元と言っていたように思う。
確かに、この巻物には英文までもが刷られていた。
「持って帰って自分の国で売れば儲かるよ」
おじいさんはにこにこ顔で言う。

ここで、記念に何か購入していくことにした。
並べられた年画をじっくり選ぶ。
二階にあるものはどれも立派な額に入れられていて持ち帰るのがたいへんそうだったが、訊いてみると額に入ったものは額付きでしか売れないということで、ひとつに絞って持ち帰ることにした。

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最後に選んだのはこれ。
伝統的な年画と、作品化したものと迷った。
「日本で部屋に飾るならこっちの方が似合いそうだね」
インさんのアドアイスを受け、作品化の方を選んでみた。
「インさんは春節に年画飾るの?」
気になってそう訊いてみると、
「飾らないよ~ちょっとダサいからね」
やっぱり現代人、都会人だ。
少し残念な回答ではあるけれど。

おじいさんが階下に降りて行って、インさんは代わりに残った女性と値段の交渉をし始めた。
200元から140元に。
120元まで下げたかったようだけど、私が140元の時点で「買う」と言った。
考えたり躊躇したらもうダメなんだな。
畳みかけるように次々と値切り言葉をかけ、数字を交わす姿を見てそう思った。
私はいつも、「うーん、じゃあこの金額なら?…うーん、どうしよう、…わかった」
こんな感じ。
「値切るのうまいね」
「こういうのは最初から利益を乗せてるから値切って大丈夫なんだよ」
そうだとしても、うまく値切れない。

「私、旅行に来るといつも何か記念になるものを一つ買うと決めているよ」
今回の旅行は、この年画。
「僕も同じ」
インさんが、日本のあちこちを旅行して集めたお土産の数々を写真で見せてくれたのを思い出した。
私は中国人であるインさんよりも中国をあちこち旅行して、インさんは日本人である私よりも日本をあちこち旅行して、そうして集めたコレクションを大事にしている。

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購入した年画の額縁を抱え、下に降りた。

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仕事場は雑多としていて、長年年画に取り組んできたことが伝わってくる。
隅には木材が立てかけられ、またそれを用いて作られた木版が重ねられている。
木版はどれも黒ずんで、どれだけの回数版画が刷られたかわからない。

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おじいさんが刷り始めた、この版画。
二人の子供の黒い輪郭と黄色い部分のみ、すでに刷られている。
紙はレンガに削られたくぼみに固定されている。

それを眺めていた私に、
「やってみなよ」 とおじいさん。

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まず、藁を束ねた刷毛に朱色の塗料をつける。
そして、木版に塗り付ける。
「もういいよ、もういいよ」
おじいさんが適度なところで教えてくれる。

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そこに、レンガに固定された紙を一枚めくり、そっと軽くのせる。
そしてバレンで軽くさする。
「もういいよ、もういいよ」
そして紙を剥がし、めくる。

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これが、朱色をのせる前。

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これが、私が体験でやってみたもの。
「私、年画を習得したよ~」
喜んでそうはしゃぐと、
「まゆちゃん、それは言い過ぎだよ。赤い色をのせただけだよ」
ごもっとも。

私が刷ったものを持ち帰っていいと言ってくれた。
10元ちょうだいということでしっかりしてるなと思ったけれど、まあ安いものだ。
帰国して気づいたが、サービスに別の年画を一緒にくるんでくれていた。

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おじいさんは、また木版の前に座り、細かな下絵に彫刻刀を静かに入れ始めた。

女性に開封までの帰り方を訊くと、先ほどの橋のたもとで待っていれば長距離バスが通りかかるから、呼び止めて停めれば開封に戻れるのだと教えてくれた。
だいたい一時間ほどで帰れるそう。
ただし、停車するポイントではないため、呼び止めないといけない。
インさんと二人、砂埃舞う橋のそばで待っているとバスは通りがかったが、失敗。
なかなか次のバスが来ないため、ネット配車サービスで車を探し待つことにした。

「ここにはいったいどれだけの年画職人がいるんだろうね」
明清代には、ここ朱仙鎮には300以上もの年画工房があったのだそうだけど。
「きっと、遠くない先には失われてしまうんだろうね」
私は先ほどの、年画は飾らないといったインさんの言葉を思い出した。
「でもこれは、無形文化財に指定されて保護されているんだよ」
「今技術を持っている人がいなくなったら、もう失われてしまうでしょ?」
私がそう言うと、
「僕さっきおじいさんに訊いたらね、息子もそのお嫁さんもできるって言っていたよ」
インさん、いつの間にそんなことを訊いていたんだろう。
息子もお嫁さんも年画の技術を受け継いでいるのは、心強いことだ。
外国人からの需要があるという話も思い出した。
たとえ年画の技術が受け継がれたとしても、春節に年画を飾り新年をよろこび、また一年の福を願う、その伝統と習慣が失われたとしたら、それでもなおそれは生きているといえるのだろうか。
私のように、お土産として買い求める客があるのは悪いことではないだろう。
けれども、本当に受け継がれるべきは、本来あった姿ー人々が年画とともに福と平安を願った精神世界ーではないだろうか。
そうは言っても、結局これも、部外者の勝手な理想論にしか過ぎない。
時代とともに変化する人々の生活や価値観にどうこういう資格も、そしてどうこうする手段も、ないのかも知れない。

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年画の工房の先には、この村の素顔を見たような気がした。

捉まった運転手さんも親切な人で、開封に戻り次の目的地で降ろしてもらった。
目的地、「鉄塔」 に到着したのは、17時をちょうどまわった時だった。

不安に思っていた大気汚染もなく、天気も良かった。
目が覚めるような青空とまではいかなかったけれど、気持ちよく観光することができた。
明日は早朝に帰路につく。
かすかに薄暗くなってきた空に、開封旅行も終盤にかかっていることを実感する。

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ここからチケットを購入して入場。
価格は60元で、これも高い。
ここにはひとつの仏塔があるけれども、それ以外はごく普通の公園だ。
なんでこんなに高いんだ。
それでも入るしかない。
「待って、塔に登りたいからこれじゃなくて?」
塔に登るのに+30元の表記があり、私はそれを指さした。
「塔に入れるのは17時までだって」
残念、ただいま数分過ぎただけだ。
でも公園入場60元、塔に30元ってぼったくりだと思う。
私の感覚でいえば、入場10元、塔に10元で十分だ。

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並木道を歩いて行くと、遠くにそれらしきものが見えてきた。

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ここでも菊花文化節。
「牌坊があるね」
なんて言って見てみれば、そこには「極楽世界」の文字。
なんとなく牌坊にはふさわしくないような気がする。

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その先には「接引殿」なるもの。
緑の瑠璃瓦に黄色の瑠璃瓦が模様をつくった屋根はだいぶ古びていて、草が生えていた。
その向こうから高々と姿を覗かせるのが、鉄塔だ。
この鉄塔、こうやって徐々に徐々に姿を見せる。

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観光客もまばらになってきた公園を、まっすぐ鉄塔に向かって進む。

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そして、こちらが「鉄塔」。
鉄塔とはなんて名前だと思うが、けっして鉄でできているわけではない。
実際は褐色の瑠璃瓦でできている仏塔で、その色合いがまるで鉄のようであることから、元代からそのように呼ばれるようになった。

創建は1049年。もともとここには木造の塔があり、この瑠璃瓦の塔は建て替えられたものだ。
開封到着一番に見学した繁塔が民間の寄付により建設されたものであるのに対し、この鉄塔は北宋朝廷が出資したものである。
開封の北に位置する鉄塔。
開封の南に位置する繁塔。
その両者はまるで対のように並べて称されたのだそう。
現在高さ約55m、八角13層の仏塔だ。
今この塔を目の前にして、繁塔が往時80m以上もの高さを誇っていたことを想像すると、それが相当なものであることを実感する。
この鉄塔は「天下第一塔」と名打たれているようだけれど、もし仮に繁塔の上層が雷により崩壊していなかったならば、その名声はそちらに譲っていたかもしれない。

「天下第一とか、中国ってほんとこういう言い方が好きだよね」
私が言うと、インさんは「そうだね~」と笑った。
中国には特色あり歴史ある素晴らしい仏塔が数々あるのに、天下第一と名乗る(私は“称された”のではなく、“名乗っている”のだと考えている)大胆さはなかなかのものだといえよう。

インさんが突然言い出した。
「この塔、右に傾いていない?」
言われてみると、そんな気もする。
「ピサの斜塔みたいに?」
蘇州の虎丘にも、そんな斜塔があるのを思い出した。
「やっぱり、傾いてる」
そうして左にまわってみると、今度は左に傾いているように見える。
さらにまわってみると、今度は右に傾いているように見える?
これではなんだかおかしい。
そうやって、傾いてる傾いてないと言いながら、一周まわってしまった。
実際のところはどうだったんだろう。
まるで七不思議だ。
どちらにしても、瑠璃瓦を積み上げてできている塔である。
傾いていたりなんかしたら、たいへんだ。

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この鉄塔、確かに素晴らしかった。
重厚感があり、これがみな瑠璃瓦かと思うと、その技術にも驚く。
細かに仏さまも配されている。

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色合いも、ただ褐色ひとつなのではなく、よく見ると深い緑だったり、濃淡があったりして深みがある。

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こちらは、17時前であれば入場できた入り口。
ここから塔の上部まで登り、開封の街並みを一望することができる。
わずか間に合わなかったのが残念だ。

入り口には当番のおじさんがいて、「なんだ、登りたいなら特別にいいぞ」なんて言われるのを期待してうろうろ覗いてみたが、
「もう入れない」
の素っ気ない一言で終了してしまった。
「ライトアップは何時から?」
インさんの質問に対しても、「わからない」と素っ気ない一言。
と思ったら、わからない、の瞬間にパッとライトが点灯した。

この仏塔、かつて黄河の氾濫に遭い、その基礎部は埋もれているそう。
900年もの間に、37回の地震、水害などに遭いながらも今に残るものである。
そしてここもまた日本軍により銃撃を受けているそうで、そうしたさまざまなことを乗り越えて今こうして形を残しているのは、素晴らしいことだ。
数々の災害にも倒壊することなく残っているのだから、やっぱり斜塔疑惑は単なる錯覚だったかな。

この塔入り口には、ひとつの説話が紹介されていた。

昔々、開封の東北の一角に、ひとつの泉があった。
その泉は海に通じているといわれていて、人々から“海眼”と呼ばれていたのだという。
その海眼からは絶えず、混濁し塩辛く苦い水が湧き出ていた。
開封の街は低地にあったため、この泉の水はたびたび街に流れ出て人々を困らせた。
そんなある時、開封の上空で、「塔を造れ!塔を造れ!」と声がした。
人々は、「そうだ、塔を造ればあの海眼を鎮めることができるに違いない!」そう言って塔を建てようとしたが、誰もどういう塔を造ったらよいかわからない。
そんなとき突然仙人が現れて、人々に小さな宝塔を残し、そして去って行った。
職人たちはその宝塔の通りに瑠璃瓦の塔を建てた。
すると、そののち、開封の海眼による水害はおさまったのだという。

開封到着最初に立ち寄った禹王台。
あの名称も、黄河の氾濫によって苦しめられたことから付けられたものだった。
ここは水害とともに歩んできた場所なんだと思った。

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鉄塔を一周し出口に向かううちに、あっという間に辺りは暗くなり、夜になった。
18時半というところだったが、もう一カ所立ち寄りたいところがありバスで向かってみた。

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「開封府」だ。
ここは、北宋の開封の様子、行政司法を司る衙署などを再現したものだそう。
夜までやっていそうだったので来てみたけれど、すでに閉まっていた。

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なかなか見るところが多いみたい。
再現は結局再現で遺跡ではないのだけど、当時の様子を想像する手助けで溢れている。
一方、手つかずの遺跡であればあるほど、欠けたパズルを埋めるための空想は自由だし、そこには真実だと信じる自由もある。
それらはどちらがいいという話ではなくて、やっぱりどちらも意義があるのだと思う。

開封府入り口横が少し開いていたところから覗いてみたら、「もう終わった!」と怒られてしまった。
辺りはまっくらでどうしようもなく、再び賑わいの鼓楼に戻ることにした。

昨晩は時間が遅く夕ご飯の選択肢が少なかった。
今日はどこへ行こうと、インさんがスマホで検索し、その中から一つ選び行ってみた。

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テーブルに設置されたお鍋には、麻辣で味付けされた大盛りの海老。
カリフラワーとキュウリも。
日本でこれだけの海老を食べたらかなりの金額になってしまうが、コースで数十元なのだから安い。
海老の量を見て、ゆっくりおしゃべりしながら食べていたのでは閉店までに食べ終わらないと思い、黙々と集中して食べる。
あっという間に手元の海老の殻が山になった。

もう苦しい~という頃、店員さんがスープを持ってきて、海老がなくなったこのお鍋に流し込んだ。
このお鍋の第二幕だ。

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そこにお皿が運ばれる。
野菜や春雨などを投入し、お鍋として食べる。
一つの料理を二段階で食べるやり方は、初めての経験だった。
「中国ではこういう食べ方はここだけ?」
そう訊くと、「他にもあって珍しいものじゃないよ」という。

夕ご飯にはぜひ開封のビールが飲みたかったけれど、インさんが飲む気配がないので本当は遠慮していた。
でも食事で苦しいくらいだったので、ビールはやっぱり入らなかったかなと思う。


実は夕ご飯を食べに行く前に、ケーキ屋さんに立ち寄っていた。
私事ながら、先月に私は35歳の誕生日を迎えたばかりだった。
そしてインさんはと言えば、来月に同じく35歳の誕生日を迎える。
今回の旅行は偶然ながら、二人の誕生日のちょうど真ん中。
ということで、「開封でケーキを買ってお祝いしよう」と提案したのはインさんだ。
「開封は田舎だから、ケーキ屋さんなんてないんじゃない?」 そう言ったのは私。

昨晩さっそく付近にケーキ屋さんはないか尋ねてみて行ってみれば、それはいわゆるデコレーションケーキではなく、焼き菓子のお店だった。
そこで今夜ふたたびリベンジ。
現地の人に教えてもらったのは、鼓楼付近のお店。

「中国を旅行していてね、好きなのは“寿”とか文字が入ってすごく派手な縁起いい感じのケーキ」
今までも旅行中にそういうケーキを見つけては、この旅行記に写真を載せたことがある。
桃だとか縁起のいいものをあしらって、ピンクに緑に、ぜんぜん美味しそうじゃない色彩が主張し合っているケーキ。
多分、バタークリームを用いたものかと思う。
日本の昔のケーキとは違うけれども、それでもどこか昔懐かしい感覚を呼ぶ。
「旅先であれを見つけるのが好きでね、あちこちで見つけたことがあるよ」
「天津にはそういうの、もうないよ」
やっぱり、中国も都会化すれば昔のものは消えていくんだ。
「多分おいしくないとは思うんだけど、いつかあれを食べてみたいんだ」

教えてもらったケーキ屋さんは、今風だった。
真新しいお店に入っていくと、目に入ったのは。

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「あった~これのこと!」
「まゆちゃん、食べてみたい?」
そう言ってくれたのは、私がいつか食べてみたいと口にしたからだ。
でもどのみち、この大きさは食べきれない。

ガラスケースには、昔風ではない現代風のケーキが並んでいた。
けれどどれも大きいホールケーキ。
「もっと小さいのない?」 そう店員さんに訊くと、ちょうどよく最後の一個があった。
手のひらほどの、二人で食べるのにちょうどいいサイズだ。
せっかくだからロウソクも付けてもらった。
数字をかたどったのしかないというので、35歳の“5”をつけてもらう。
35本ロウソクを立てる訳にはいかないから、むしろちょうどいい。

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中国でしかも古都開封でこんなケーキのお祝いをするとは思ってもいなかった。
歳を重ねることは、素晴らしいことだし楽しいことだし、でもまた寂しいことでもある。
35という年齢に特に特別な思いはないけれど、毎年たのしんで歳を重ねていきたいという願いは叶っているかなと思う。
年齢とともに失っていくものばかりが気になりがちだけれど、「あの時に戻りたい」という感覚を持ったことはないから、やっぱり失ったものと引き換えに得たものの方が大事なのだと思う。

横を見てみれば、まだあと少しの34歳を満喫しているインさんはそんなに色々考えているふうではない。
美味しそうにケーキを食べて、「まゆちゃん、僕太ってしまうから残りはまゆちゃんが食べていいよ」
そう言って箱に残った四分の一を指した。
私はすでにおなかいっぱいだったけれど、残りに手をつける。

明日は遅くとも6時には起きないと北京行き高速動車に間に合わない。
北京ー開封の列車、高速動車、ともに本数は一日二本ほどなので、乗り遅れれば後はない。

名残惜しい気持ちで、開封の夜を見下ろした。
風がひやりとして心地いい。
ちょうど、日付が変わった。
鼓楼は、昨晩とまったく変わりなく同じように絢爛としている。
旅行者にとっては特別な夜も、そこでは毎日繰り返されている日常だ。
帰るべき場所にはまた、私たちの日常がある。
名残惜しい気持ちを抱えながら日常に戻っていかなければならないけれど。
それはなんて幸せなことだろう。


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プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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