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2017-02-27

鳳凰旅行一日目

2017年2月10日、湖南省の古鎮・鳳凰へ。今回は母を連れて。
鳳凰、その地名を耳にしただけでどんなところかと思ってしまう。
こんなめでたい名前をもつ場所が、本当にあるのだ。

湖南省は中国南部に位置する。
この辺りは山間部で、大都市を除いて交通の便が悪いので、どうやって鳳凰古鎮まで行こうかと考えた。
問題は私の日程で、職場を休んで用意できるのはこの時期土日をふくめて四日間。
この少ない時間でこのエリアを観光するのは難しい。
周辺の比較的大きな都市まで動き、長距離バスに乗るか。
鉄道を利用するか。
どれも私の日程にはうまくない。
結局、まず大都市・広州に入り、そこから空路で貴州省と湖南省の境目にある、銅仁鳳凰空港まで行き、そこから車に変えて鳳凰入りすることにした。
銅仁空港のフライトは少なく、広州との便は月・水・金・日の周四便。
そこで、金曜と月曜に有休をとり、三泊四日の日程としたのだった。

広州白雲空港へ到着したのは、午後1時。
銅仁へ向かうフライトは夜なので、ほんの僅かだけれど時間がある。
せっかくなので市内観光を取り入れてみた。

地下鉄3号線、2号線を乗り継いで、「公園前」まで。人民公園南に位置する地下鉄駅だ。
広州は立ち寄ったことが数度あるが、いまいち詳しくない。
初めて中国一人旅をしたのが広州で、あの時はガイドブックに載る主要な観光地を一巡りしたが、母を連れてどこに行こうと考えた時、どれもぱっとしなかった。
そこで地球の歩き方を参考にし、「古い街並み巡り」のテーマから、この人民公園付近に残るという古書院群を散策しに行くことにしたのだ。

地下鉄駅から地上に登ってみると、暑くも寒くもない気候。
日本で見慣れた冬枯れの景色はそこにはなく、街路樹は緑でいっぱいだった。

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ここは大通りが交差する都市部ど真ん中だ。
多くの人が行き交っている。
地図を頼りに、この大通りから一歩路地に入りこんでみる。

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「流水井」、そう呼ばれる細道を入っていく。
一歩足を踏み入れれば、繁華街の喧騒が嘘のよう。

このそう広くない一帯には、書院跡が残る。
書院とは学問を学ぶところの意であり、現在でいう学校の前身にあたる。
かつて広州城内には数百もの書院があり、清代に全盛を迎えたとき、その規模は中国全土で先頭をきっていたという。

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こんなふうに文字が彫られているので、ぶらぶら歩きでもひと目でそれとわかる。

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覗いてみれば、古い井戸。
汚れた白い猫が、こちらを警戒するように立ち止まり、素早く中に走り去っていった。

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建物は古いが、周囲はすっかり現代の風景だった。
大通りからの入り口は新しく整備され、輩出された偉人を紹介する看板や標識が点々とする。
書院群を目玉にして、観光客を呼びたいようだ。
しかしそうした意図とは裏腹に、路地裏は現代の生活風景となんら変わりないよう。
ぽつりぽつりと残る書院跡は、かつての名を示すその文字を除けば、どんな観光地要素も見出すことはできない。
横手には大々的な取り壊しが行われ、景観を損なっていた。
また見上げれば、現代の高層マンションが空高く伸び、防犯用の鉄柵が迫りくるよう。
あちらこちらには洗濯物が干され。
ここを観光地と呼ぶのにはかなり無理がある。
私のように、ただ中国の街並みを歩いているだけで楽しいという少数派を除いて、ここに足を運んで良かったという人は少ないかもしれない。
ガイドブックは参考にはなるが、実際とは異なるイメージを生みがちなので要注意だ。

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こちらは、何家祠道。またの名を、廬江書院という。
“何”とは“what”の意ではない、“何”という名の姓。つまり、何氏一族を祀る祠である。
ここにはこうした**姓の書院、**姓の建物、というのが点々と残る。
これこそがここの特性だ。

かつてこの一帯には、科挙を目指す者が集まった。
科挙とは、隋に始まり中国王朝歴史の幕が閉じた清朝末まで、1300年にもわたって採用されつづけた官吏登用制度である。
中国全土から幾度もの試験を重ねて選りすぐられて、エリートが選び抜かれる。
科挙に合格すれば天国、落ちれば地獄。
科挙の道は幼い頃からスタートし、年老いても未だ受験者というものも少なくなかったという。
その道を目指すものにとって、科挙とは人生のすべてであり、またその一族にとってもすべてだった。
科挙の合格者を出すということは、その一族の繁栄を意味し、運命そのものだった。
その重圧と難易度に、精神を壊すものもいたのだという。

ここには、科挙を目指すものやその同族が、勉強したり宿泊したりする建物が建ち並んでいた。
つまり、書院といっても単なる学習の場なのではなく、それぞれの一族にまつわる建築群だった。
よって、これらを「姓氏書院」と呼ぶ。
書院は各地に存在するが、ここに建ち並んでいた書院はそれらとは色合いが違う。
院長がいるわけでも授業があるわけでもない。
学校的要素というよりも、私的なものである。
しかし、学習にまつわることに変わりはないから、一般の書院と区別して「姓氏書院」というわけだ。

ちなみに、ここからそう遠くない場所には、有名な“陳氏書院”がある。
これもまたその一例であり、陳姓の一族が出資して建築した豪勢な書院だ。
数年前に訪れたが、一面怖くなるほどの精巧な細工に、落ち着かない思いがした。
今から思えば、あれは一族の迫るような期待ではなかったか。
一族の期待とは、応援ではない。まるで脅迫だ。
科挙によって人生を苦しみで終えたかつての人々。
栄光を手にできた人は、ほんのひとつまみ。
これら書院群は、その過酷さを伝えるかのようだ。
現代の中国もその歴史を受け継いでいるようだけれど。

いくつもの書院が残ると聞いていたが、周り方が悪いのかいくつも見つけることができなかった。
けれどもただのなんの変哲もない街並みそのものが好きな私にとっては、それでも構わない。
家々の軒先に小さく佇む祠、縁起札、そんなものが中国南部をあらわしている。

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これは郵便受け?チラシ受け?かどうかはわからないけど、生活味がある。

そういえば、年末年始の黄山旅行では安徽の古村から中国の友人数人に絵葉書を送ってみたんだった。
数日たっても「届いたよ」と連絡がないので、聞いてみた。
すると、「郵便局から電話きてないよ」と。
ハガキに電話番号が必要とは知らず、私は記載していなかった。
「現在は手紙は直接届かないんだよ、宅急便とは違って」 友人はそう教えてくれた。
局から連絡が入り、やっと受け取りにいくことができるのだという。
それだったら、善意で送った手紙もただ面倒させてしまうだけなのでは。

そんな中、ハガキを送ったことを知らせていない、ある友人から連絡が入った。
偶然に郵便物を引き取りに行く機会があり、たまたま受け取ったものだろうか。
絵葉書をとても喜んでくれて、私にも送ってくれるという。
この鳳凰旅行から帰国した翌日の2月14日、帰宅してみると二通の絵葉書が届いていた。
消印は1月22日だった。
きれいな絵葉書の裏には、ていねいできれいな筆跡でうつくしい中国語がまるで詩のように並んでいた。
うれしくて胸がいっぱいになった。
現代はパソコンに携帯電話に、インターネット、SNSと便利にコミュニケーションがとれる時代になった。
その恩恵を受けているけれども、代わりに失ったものもある。
自らの手で書いた文字には気持ちがこもる。
選んでつづった言葉には思いがある。
書き損じないようにと気を付けて書き並べるあいだには、相手への思いやりがある。
そうして、相手のことを思いながらかけた時間だ。
届くまでには時間も手間もかかる。
けれど、それこそが人と人の絆ではないだろうか。

散策しながら何度も目にした、今はどのように使われているのかわからない郵便受けを見ながらそんなことを考えた。
配達しないシステムも、もしかしたら地域によるものなのだろうか。

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順路を決めかね路地をうろうろして、何度も同じところを通った。
そんな風にしていると、“対聯”を今まさにかけようとしている人たちがいた。
二対になった紙札や木札で、縁起の良い言葉が並べられたものだ。
明日は元宵節、そんなことも関係していただろうか。
外国人旅行者にはなかなかお目にかかる機会はない瞬間だ。
なかなか手間取っているようで、うろうろして再びここを通りがかった時にも、まだ同じことをしていた。

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辺りの住宅街の風景の中に、他と変わらず住宅そのもののような建物がある。
近寄ってみると、史跡を示す標識が。
「葉剣英商議討逆旧址」
なんの変哲もないごく普通の建物だが、ここは1922年に、のちの中国全人代常務委員長、中国共産党の要職を務める葉剣英が孫文に対立することになった陳炯明を討つ密談を重ねた場所なのだそう。
知っていてここを通りがかったわけではないけれど、中国南部にはこうした革命の痕跡が多々残る。

現代日本の基礎となった大きな転換期というのは、一つは明治維新、もう一つは第二次大戦敗戦だといえるだろう。
前者は、異なる志を持った者たちが各々の真理のために命をかけた。
革命的ではあるけれどすでに150年も前の話であり、すでに生きた証人も存在しない。すっかり、昔の話である。
一方後者は、近代の話でまだおじいさん、おばあさんの時代の話だけれど、外的要因によって転換を迎えたというところから、革命的とはいえない。
日本人にとって、革命というのは感覚として身近ではなく、別の国のお話のようだ。あるいは歴史の本の中で読むものだ。

中国は革命の大国である。
各地を旅行していれば、ところどころで「革命」というワードを目にし耳にする。
清朝崩壊、辛亥革命、国共合作、国共内戦、文化大革命、天安門事件…。
激動の歴史の中、常にそれらは自発的、時には激流に流されながらも少なくとも自らの手足で、行われてきた改革の歴史である。
それらは未だ色褪せることなく、各地に史跡として、資料として、また現代の生活の中にさえも残っている。
私は時々、それらは単に近年の話だからなのではなく、現代もまた革命の時代だからなのではないかと感じることがある。
事実上の中国共産党独裁の中、様々な国内問題を抱える中国。
革命の火種自体はそこら中にくすぶっている。
現代中国を生み出したのは偉大なる革命ーそう宣伝する国家。
しかし一方で、国家にとって脅威となっているのもまた革命のちからだ。
国家の正当性を示す概念として。
国民の切望の象徴として。
中国はいまだ革命の大国であり、各地で出合うその言葉、史跡は、まるでそのことを伝えているかのようだ。

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こんな地図もあった。
城壁に囲まれたこの広州城内に集まる黒い点々が書院だ。
真ん中に一本横にまっすぐ通るのが、地下鉄駅を降りた大通り。
そこを境目にして上下に書院が集合しているのがわかる。
私たちが今散策してきたのが、下の集まり。
その中にひときわ大きく「粤秀書院」と書かれている場所がある。
姓氏書院が集まるこの場所にも、かつて朝廷の許可のもと公的に造られた書院もあったらしい。
この粤秀書院がそれだ。
先ほど覗いてみた何家祠道のすぐ近くだけれど、見つけることができなかった。
実はあまり時間がなくて急いでいたというのもある。

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再び大通りに出て。
街路樹には赤い提灯が、実がなるようにしてたくさん吊り下がっている。
普段はこのようではないと思うので、やはり明日の元宵節のためなのだと思う。

元宵節は、旧暦1月15日に迎えられる。
提灯を灯したり、獅子舞したり、賑やかで重要な祭日だそう。
けれども、私は今までそれを体験したことがない。
明日2月11日は、今年の元宵節だ。

再び地下鉄に乗って、約1時間をかけて空港へ。

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広州白雲空港は近代的だ。
初めて広州を訪れた時はこんな空港だった記憶がいっさいない。
まるでディズニーランドのトゥモローランドのようだ。

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近代空港の姿の一方、こんな自販機も。
中にオレンジが入っていて、お金を入れると生ジュースが搾りたてで出てくる。
さすが中国の発想だ。

19時半発、南方航空 CZ3921にて銅仁鳳凰空港へ。
空路1時間半で、到着したのは21時。

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銅仁空港はとても小さな空港で、飛行機から滑走路に降りてみると、周囲は真っ暗で建物ひとつ視界に入ってこない。

実は日本にいる段階で、この空港から鳳凰までどうやって車を確保しようか悩んでいた。
中国を旅行する上で注意したいのが、列車駅や空港によっては、そこから先の足が確保できないような状況があり得ること。
小さな駅や空港にはバスもタクシーもないような場合もある。
小さな空港であることはわかっていたので、事前に中国人の口コミなどを覗いてみると、やっぱり交通の便は悪そうだ。
バスもタクシーもないから、車を手配するべき、だと。
そこで、友人から事前に紹介してもらっていた鳳凰で民宿を開いている現地人に相談してみた。
「夜は車ないよ、車を手配しなければならないけど、銅仁の運転手は鳳凰に詳しくないから…」
そう言うので、鳳凰から車を手配してもらえないか、頼んでみた。
さあいよいよ鳳凰に、という今日になっても状況が不確かだったので確認してみると、車が手配できなかったので、彼女の旦那さんが来てくれることになった。
銅仁空港から鳳凰古鎮までは、約40㎞。
近いように感じるが、数字が示す距離のわりに、交通は便利ではない。

預け荷物を受け取り出口をうろうろしていると、広州空港の搭乗口で話しかけられた男性二人がいた。
実は飛行機に乗り込む時、「日本人ですか?」と突然話しかけてくる男性がいた。
こんなところで日本語を理解する人がいるとは思っておらず、驚いた。
男性の話す日本語は上手だったが日本人のものではなかった。
もう一人の男性がミャオ族の村を頻繁に訪れる日本人のようで、通訳のようだ。
彼らもこれから鳳凰へ向かうようで、おそらく私たちを案じて待っていてくれたのだと思う。
「これからどうやって鳳凰へ行きますか」
「友人が迎えに来てくれます、ここはバスもタクシーもないですよね」 私がそう答えると、
「タクシーはありますよ、いつもは車を手配しますが、今回はタクシーに乗ります」
通訳(らしき)男性はそういって、私たちは別れた。
仕事かプライベートかはわからないが、こちらの少数民族であるミャオ族は、日本人にとっても有名で人気ある民族だ。

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こちらは空港の出口。
空港を出ると、とても整備されているとは言えない状況だ。
列車駅の方がよほど整備されているのでは?
それでも、小さなリムジンバスが2、3台。
銅仁市内行きのものが見えた。
あとから現地人が教えてくれたが、鳳凰のバスターミナルから銅仁空港行きのバスがあるのだという。
よく確かめていないが、もしかしたらこの中の1台は鳳凰行きだったかもしれない。

微信を使って、現地人の旦那さんと落ち合った。
「車で中まで入ってくることができないから、向こうに停めてあるんだ」
そういって、ずっと向こうまで整備が及んでいない悪路を歩いて進む。
そんなふうにして進んでいくと、確かに先ほどの通訳さんが教えてくれたようにタクシーはいた。
しかし数台程度で、運転手も不在だった。
うまくいけば捕まるし、しかし下手したら逃すだろう。
やはり、心配なら事前に車を手配するべきだと思う。

車は真っ暗で辺鄙な道を進む。
距離のわりに時間はかかり、到着したときはすっかり深夜だった。
真っ暗な道からふと坂道に飲食店が建ち並ぶ明るい場所に出た。
鳳凰を象った街灯が明るく、賑やか。
もうここは鳳凰なのだと、彼は教えてくれた。
「ホテルはあっちだけど、明日行きやすいように車で古城までまわってあげるよ」
と回り道してくれた。
賑やかな道から大きな橋に周り込み、橋の左右を見てみれば、そこは宝石のような夜景。
鳳凰古鎮は煌びやかに演出されたライトアップが有名だ。
こんな遅い時間でありながら、眩しいほど。
名残惜しいけれど、ホテルへ。

今回私たちが宿泊するのは、古城エリアのすぐ外に位置する鳳凰凰天大酒店。
古城内には雰囲気あり景観を楽しめる客桟(民宿)が数多いが、母の「離れてても普通のホテルがいい」という強い希望により、このホテルを予約した。
以前に蘇州の民宿で快適ではない思いをしたことがトラウマになっているようだ。
このことにより、大変だった。
中国の友人は、「今後はホテルを予約する前に必ず教えるように。君が手配するホテルはよくない」
一度ならず何度もそう繰り返した。
ホテルまで送ってくれた旦那さんも、「古城から離れているしよくないよ」と。
しかし事情を説明すると、「凰天大酒店は、古城外のホテルでは一番近いしいいホテルだよ」と言った。

旦那さんに車代150元を支払い、別れた。
遅い時間だったが、周辺をうろうろしてみると、そこには混沌があった。

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ホテル前の大通りから左折しまっすぐに進めば、この先は古城エリアだ。
しかし周囲はまるで工事中のような雰囲気で、しかし実は工事中ではなくそのまま放置されたものなのだが、悪路だった。
都市部ではない小さな街にすぎない鳳凰だが、それでもこの辺りはその中心部にあたる。
中国では有名な観光地ということもあり、もっと整備されていてもおかしくない。
けれどそんな気さらさらないというふうに、めちゃくちゃだった。
ゴミは大量に散乱し、道路は舗装されてないも同然。
明日はこの道を通って古城へ向かうけれど、本当にこの先に「中国一美しい古城」があるんだろうか。
先ほど橋の上から眺めた夜景が嘘のように感じられた。


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2017-02-27

鳳凰旅行二日目~その一~

2017年2月11日、昨夜遅くにここ鳳凰古鎮に辿り着いた。
まだ空も明けきらない時間に、けたたましくあちらこちらで鳴くニワトリの鳴き声で目が覚めた。
目覚まし時計と違って止めることができないので、起きるしかない。
起きて、母はホテルの朝食を食べたいと言った。
ホテルの朝食はおいしくない、外でおいしいものを食べようと言っても聞かない。
しかし、体験してみてわかったようだ。
冷めたマントウやお粥を選んで食べた。
どうやら、北京や上海にある高級中級ホテルのような朝食を想像していたようで、だとしたらたいへんなカルチャーショックだ。

朝食を食べたあと、宅急便の手配などの用事を済ませ、ホテルを出たのは10時。
ホテルのすぐ近くには携帯ショップがあったので、先に立ち寄った。

私は中国の携帯を一台持っている。
現地では電話番号がないと困ることがあり、またできない手続きもある。
去年やっと手に入れた電話番号だったが、やっぱり一度手にしてみるともう手放せない。
SIMカードは北京空港で手続きしたものであり、スマホ自体は北京の人に譲ってもらったものだ。
今回、広州に到着して電源を入れてみると、ショートメールが入ってきた。
「残金が不足しています。チャージしてください」
今回は電話がないとちょっと困る雰囲気だったので、すぐにチャージしたかった。
しかし広州白雲空港のセブンイレブンでは
「北京で処理したものは広東ではチャージできません」 との店員さんの返事。
うそだ~と思い友人に訊いてみれば、「そんなはずない、どこでもできるよ」とのこと。
コンビニだったのがいけなかったのかな、と改めて鳳凰現地の携帯ショップへ行くことにしたのだ。

ところが、中国移動の店員さん。
「北京で処理した携帯は、ここではチャージできません」
北京空港の中国移動の店員さんは、チャージはどこでもできると話していた。
ただ、店員さんが自分の携帯を使って私の電話番号に入金することはできるそう。
そこで、ここで現金を彼女に手渡し、彼女の微信銭包で私の携帯番号に入金し、画面で確認もさせてもらった。
微信銭包とは、中国SNSを利用したスマホマネーだ。
これを使えばスマホを利用して色んな支払いや友達とのお金のやり取りも簡単にできる。
つまり携帯のチャージも、これがあれば簡単にできる。
私の微信銭包はお金の受け取りと支払いはできる状態だったし少額のお金も入っていたが、いまだ中国の銀行口座との連結を手続きしていなかったため不便で、現状使用していなかった。
銭包と銀行口座を連結するのにも中国の電話番号が必要で、まだそれをやっていなかった。
入金してもらったのは200元。
これでしばらくは安心だ。

ホテルすぐ横の角を曲がり、昨夜見た混沌とした道路を歩く。
未舗装の道路の左右には乱雑に停められた車がいっぱいで、道は機能していないに等しかった。
道路というより、車と車の隙間を進み、道が交差するところでふと左手を見ると、向こうには大きな古めかしい門があった。

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ここが鳳凰古城への入り口、「阜城門」だ。

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門をくぐる時、城壁の外側に流れる小さな川があった。
古城の向こうに流れる“沱江”に、いずれ合流するのだろう。

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鳳凰古城はこんな全体図をしている。
私たちが今いるのが、一番下の阜城門を越した文化広場。
その先に広がる城内はどこを進んでもよい。
歩いて行けば、いずれその先に横たわる沱江にぶつかる。
沱江沿いには左手(西側)から、南華門城楼、北門城楼、東門城楼と城門が三つ。
昨夜橋の上から見た夜景は、この沱江を挟んで両側に広がるものだった。

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門を越した広場には巨大な鳳凰のモニュメント。
とりあえず地名を象徴したものだし、ここで写真撮っておくか、そんな気分にさせるものではある。
しかしそれを狙ってか多くの客引きがおり、民族衣装を着て写真撮れるよとしつこく声をかけてくるおばちゃんがいっぱい。


ここ鳳凰を代表する民族、苗(ミャオ)族。
鳳凰は、湖南省湘西土家族苗族自治県に位置する。
土家(トゥチャ)族と苗(ミャオ)族が古くから暮らしてきた場所である。

中国には、ほとんどの人口を占める漢族と55の少数民族がいる、とされている。
されている、というのは、これは中華人民共和国成立後に政府が行った民族識別によるもので、あくまで行政的な意味合いがあるからだ。
少数民族の中でもっとも人口が多いのは、壮(チワン)族で、その人口1600万人にも上る。
もはや少数ではないが、漢族以外は少数なのである。
トゥチャ族は800万人、ミャオ族は900万人ほどが、現在中国に暮らしているといわれている。
鳳凰にはこの二つの民族が多く暮らしているが、とりわけミャオ族は衣装の美しさなどから、日本にも研究者やファンが多い。
こう言い表していいのかわからないが、ミャオ族はここの観光の目玉なのだ。

そういう訳で、ミャオ族の衣装や装飾(の偽物)を見せながら、商売をする人が多いというわけだが、これがしつこい。
きりがないので、振り切るようにして逃げていく。

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古い建物が並び、それらはみな店舗と化していた。
他で見るような決まり切ったような観光地化だ。
一昨年に訪れた雲南・麗江を思い出す。
秘境と謳われていたはずなのに、あそこもまたすっかり観光地だった。
しかし共通しているのは、その店舗化のおかげで器はみごとに残されているという点だ。
そのおかげで、輪郭はきれいに保存され、街並み自体はやはり美しい。
観光地化されなければ、失われていくだけだ。

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こんなふうに、ここではあちらこちらに漬物が売られていた。
彩りも鮮やか。

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沢ガニまるごと素揚げ。
鳳凰は川に寄り添った街、きっと沱江で獲れたカニなんだろう。
日本でもこんなふうに食べたりするけれど、なかなか立派なカニで、飲みこむ時に喉が痛そう。

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こんなカゴ専門店も。
今朝ホテルを出発してからも、もうそこらでこの籠は大活躍の様子だった。
頭にターバンを巻いたミャオ族のおばあちゃんは、みんなこの籠を背負って中に野菜やら何やらを入れて運んでいた。
ミャオ族だけではない、しつこい客引きもまた、みな商売道具はこの籠に。
さらによそから訪れたと思われる観光客のなかにも、この籠を背負って毛布などの荷物を入れている人もいた。

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こちらは田興恕の旧宅。
私はこの人を知らないが、どうやら著名な人のよう。

近代作家・沈従文。
中華民国初代総理・熊希齢。
近代画家・黄永玉。
かれらもまた、鳳凰が生みだした著名人だ。
沈従文と熊希齢の故居は、チケットも購入すれば内部を見学できる。
沈従文の故居においては今歩いている場所のすぐそばだったが、とうとう立ち寄ることはなかった。

「辺城」、沈従文が故郷・鳳凰の情景を描き、無名のひっそりとした集落を一躍全国的に有名にした小説だ。
鳳凰を訪れるにあたって必読だと思い、昨年末にわざわざ北京から本を取り寄せた。
黄永玉の絵も収録してあるものだ。
ところが、数ページで眠くなってしまった。
無理やり読むものでもないし、そんなふうに思ったところまではいいが、私は読書でもっともやってはいけないことをやってしまった。
最後の数ページを覗いてしまったのだ。
丁寧にすべて読まなくても、胸が痛くなった。なんとも哀しい気持ちになった。
最初と最後しか覗いていないわけで、そこからのイメージは正しいものではないだろう。
けれど、感傷的な気分は今回の旅行にはふさわしくないよな、と私は読書を放棄した。

そんないきさつがあったから、せっかくだから沈従文の故居には寄ってみようとは考えていた。
けれども、所詮は読書を放棄したのだ。
年始に立ち寄った魯迅故居もそうだったが、やはり最低限の理解と思い入れがないと、こういう場所を訪れる意義は少ない。
ちなみに、鳳凰古城を散策していると、時々「翠翠が~」なんて文面を目にする。
この翠翠とは、小説・辺城に登場する女の子の名だ。

城内に入りすぐに地図を購入していたが、大きくて不便なので見ないで適当に歩いていた。
すると程なくして一つの城門が見えてきた。
鳳凰はそう広くはない。

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「東門城楼」だ。

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内部は見学できるようだが、それにはチケットが必要だった。
有料の場所を見学しないのであれば、チケットを買う必要はない。タダでまわることができる。
一方、チケットを購入すれば複数の観光スポットに入場できる。
近くのおばちゃんに売り場まで案内してもらった。

チケットは148元。
今日は2月11日、有効期限は14日と書かれているので四日間有効ということだ。
入場できるのは、以下の九か所。
熊希齢故居
沈従文故居
古城博物館
東門城楼
楊家祠堂
崇徳堂
万寿宮
虹橋(一階は無料で通行でき、チケットで二階の休憩所に登ることができる)
沱江泛舟(舟に乗り沱江を下ることができる)

東門城楼に登りたくて購入したチケットだったが、とうとう内部に入ることはなかった。
東門から左手には長い城壁が向こうに続いていて、上に登って歩いて行くことができる。

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この城壁の向こうには、鳳凰のシンボルでもある沱江が流れている。
ここを歩きながら向こうに行こうと思っていたけれど、チケット売り場を案内してもらったおばちゃんは下ルートを速足で進んでいく為、その風景を見ることなく隣りの北門城楼に出てしまった。
そういうわけで戻るのも面倒で、東門城楼の内部には入場しなかった。

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こちらは、沱江側から見上げた北門城楼。
明代の1556年に、もともと土城だったのをレンガ造りに改築し、清代の1715年にレンガから石造りに改築したもの。
銃眼が各層に四つずつ。
楽し気な古城散策に忘れてしまうそうだが、城とはもともとそれ自体が防衛である。
この沱江に沿って伸びる城壁に城門、ここは城内を守る砦だ。
軍事防衛としての意味合いはもちろん、ここには川の氾濫による災害から城内を守る役割もあったのだそう。
ここから川の向こう側は、もう外部だ。

17021115.jpg

沱江の両岸には古い建築物が建ち並び、壮観だ。
川の至る所には、大きくて立派な橋から、小さな渡しまで架かっている。
木製のものと、飛び石のように点々としたもの。
そのどちらもが狭くて危ういものだけれど、観光客は競うようにして次々と渡っている。
この木製の渡しは、かつては城から外部にでる唯一の道だったのだという。

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昔は、内側から外側へ出るために。
今は、ふたつの観光エリアを行き来するために。

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こんなに危ういのに、川はなかなか深くて水流もある。
よく平気で渡るものだ。
跳岩、その字の通り、みな軽く飛び越すようにして渡っていく。

飛び石は怖いので、木製の渡しを渡ってみた。
それでも人とすれ違うのは怖かった。
渡り切って古城方面を見てみれば、ずらりと民宿が並んでいる。

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これらは古い木造家屋を利用した民宿だ。
ベランダにはまるでブランコのような椅子が並び、そこから眺める景色はさぞ楽しいことだろう。
冬季は寒いけれど、春から秋にかけては最高だと思う。

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水辺には頻繁にこの野鳥を見た。
日本には見ない鳥だ。
黒に近い紺色に、オレンジの尻尾が上下に揺れる。

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こちら側にも、飲食店やお土産屋さんが建ち並ぶ。
狭い傾斜にひしめき合うようだ。
そんななか、道端でものを売る物売りも。
こちらは、乾燥させた豚肉だ。
まるで木材のように見える。

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これは、小エビの揚げ物。
この沱江で獲れるものなんだろう。
エビに魚に、川で獲れるものがたくさん売られている。
エビはまだ生きたものを笊にあげて新鮮な状態で揚げているお店もあった。

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こちらは、田氏宗祠。
先ほど城内で通りかかった田興恕の田氏。
内部は典型的な祭祀的な建物だった。明清代に改修されている。
欽差大臣の文字も。これは田興恕が賜った役職のよう。

ここでいい時間だったので、お昼をとった。
川に面していて、景観のいい小さなお店だ。

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小籠包と、牛肉粉、それから酸辣肉絲粉を頼んだ。それからハルピンビール。

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“粉”は、ライスヌードル。
日本人にとっては“麺”だけれど、中国ではそう呼ばない。
きしめんのような平たい生地で、さっぱりしたスープと合ってとてもおいしい。

このあと再び川を渡り、古城側へ戻った。
北門城楼のすぐそこに渡し船乗り場があるので、ここから乗ってみることに。
チケットに含まれる九ヶ所のひとつだ。

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ゆったりとしたおおらかな流れの沱江。
のんびり進む舟から見上げる両岸の景色は新鮮だった。

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向こうに見えるのは、鳳凰を代表する歴史ある橋、“虹橋”。
もうすぐで虹橋をいうところで、舟は進むのをやめ、水流に任せておかしな動きをして岸に寄った。
なんだろうと思うと、後ろで舵をきっていた船頭さんが大声で電話で話している。
電話しているから今は舟を動かせないという中国ならではの理屈だ。
なかなかの長電話で、電話を終えたところで舟は元のルートに戻り、虹橋を越えた。

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深みを湛えた濃い緑。
その向こうに見える伝統的家屋。
「吊脚楼」と呼ばれる、高床式家屋だ。
この沱江沿いに建ち並ぶ建物はみなこうした吊脚楼。
上の階で居住し、下の階で家畜を買ったり物置とするのだそう。

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虹橋を越えたら、向こうにはまた違った賑わいがあった。
右手に見えるのは「万名塔」

ここで舟を降り、目の前にはチケット観光地の「万寿宮」がある。

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せっかくなので入ってみることに。

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立派な藍染が風に揺れている。
中国南部はこうした藍染の技術が伝統だ。

中には博物館となった建物があり入ってみたが、展示物がたくさんあるわけでもなく、簡易なものだった。

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こちらはミャオ族の首飾り。
シンプルなデザインの中に、細かな模様がうっすらと刻まれている。
ミャオ族の装飾品の特徴はこうした銀細工にある。
古城内には、衣装と装飾を着て写真を撮るように勧めてくる客引きがたいへん多く、もちろんそれらはおもちゃにもならない偽物なんだけれど、ミャオ族について詳しい知識を持たない観光客にもイメージを与えてくれる良さもある。
それらの装飾は非常に細かで派手で、見るものを驚かせる。
だから、こんなシンプルな首飾りは意外だった。
時代が書かれていたかどうかはわからないが、もちろんこれは本物で、銀製だ。

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これは髪飾り。
なんだか、日本の美意識に近しいものを感じる。和服に合いそう。

万寿宮にはこの簡易な博物館しかないみたいだったので、出ることにした。
そこらをうろうろしていると、暖かそうな湯気。

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葉っぱにくるまれているのは、お餅だ。
中国の「餅」ではなく、あの日本のお餅。紫色のと緑色のがある。
2個でたしか5元だった。
お餅の中に入っていたのは、きな粉だった。
日本人の味覚だ。

このお餅の隣りには、おにぎりのようなものも。
具が混ぜられた混ぜご飯のおにぎりだ。
米麺もそうだし、日本人の嗜好に近い感覚がある。
もちろんそういうものばかりではないけれど、中国の他の地域ではあまり出合わない感覚だったので、余計にそう感じてしまう。

中国では北に麺、南に米の文化がある。
稲作は南部に適していたためだ。
中国南部では稲作が盛んに行われ、棚田も数多い。
日本の食の基本は米だから、中国南部は北部西部よりも近しく感じる部分はあるかもしれない。

日本に稲作をもたらしたのは、中国だ。
それは弥生時代。日本に渡来したのは当時長江流域に暮らしていたミャオ族だという説があるのだという。
そして、渡来人となったミャオ族こそが日本に稲作をもたらしたのだと。
以前に、徐福が日本に渡来して稲作を伝えたのだという設定の小説を読んだことがある。
そしてかつて稲作を伝えた徐福の末裔が卑弥呼なのだという、卑弥呼が主軸のストーリーだった。
実際にそういう説はあるよう。
個人的にはミャオ族よりも徐福の方がおもしろいけれど、西北部にある秦の始皇帝の命を受けておそらく東北部沿岸から出向したとされる徐福よりも、ミャオ族の方が信憑性はあるような気もする。
実際のところはわからないけれど、そういう説からも、ミャオ族と日本人との共通点が多いというのは単なる感覚だけではなく、そこに根拠を認めればけっこう現実的な話だともいえる。



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2017-02-27

鳳凰旅行二日目~その二~

鳳凰という地名を最初に耳にしたのはいつのことだろう。
実を言うとそんなに昔のことではなくて、私はずっとこの場所を知らなかった。

いつだったか中国のホテルでテレビをつけていたら、「中国の美景」というテーマで各地の映像が流れていた。
取材したものではなくて、ドローンみたいので撮影して編集加工を加えたような簡単で一瞬の映像だ。
川面に浮かんだように輝くまばゆい夜景が一瞬で通り過ぎていった。
その目が覚めるような輝きには、鳳凰の地名があった。

また、こちらの方面に詳しい方から勧めていただいたことがあった。
私がちょくちょく長城関連に足を運ぶので、この付近にある南方長城を勧める流れで鳳凰をご紹介いただいた。
しかし私にとってどうも中国南部は縁遠く足が遠く、行ってみたいけど実現はしないかな、と思っていた。
それでも訪れることになったのは、やっぱり縁があったということだと思う。

鳳凰は、「中国でもっとも美しい小城」だという。
これは、ニュージーランドの有名な作家、ルイス・アイリーがそう評したことに発している。
チケットやそこらの看板など、あらゆるところにこの謳い文句は使われている。
こういう言葉は、その外で使われてこそだと思う。
また、ここを訪れ目にした人の心の中に湧いてこそだと思う。
美しい場所が自ら「ここは美しいよ」と言っていたら、なんだか少し変だ。
そこら中に誇らしげに書かれているその一文を目にするたびに、そう思った。
そんなこと言わなくても、とっても美しいのに。
それにしても、美しい景観を数知れず持つこの中国で、「もっとも」と自ら断言してしまう大胆さはすごい。

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沈従文が小説・辺城に描いたのは、20年代の鳳凰の姿だった。
立ち寄ることはなかったが、古城内に残る沈従文故居であの小説は書かれた。
取り寄せた本には当時とはいわずとも古い写真が収録されていた。
粗い写真ではあるけれど、素朴な風景がそこには写っていた。
沈従文は、「美しいと誉れ高い鳳凰」を描いたのではない。
彼が知る生まれ育った集落の情緒を文学に表し、それが「美しい」と外界から評価されただけだ。
時々、想像することがある。
美しいといわれる場所に行きその美しさを確認するのではなく、思いもかけず美しい風景に出合いそれを知ることができたら、きっと素晴らしいだろう。
皮肉なことに現代は、美しいと誉れを受ければ、すぐさまそれは失われてしまう。
この鳳凰だって、本来「もっとも美しい」とされたその姿はもうここにはない。
沈従文の描いた情景は、すでにここにはないだろう。
私はたしかにこの場所を訪れてとても美しいと溜め息でる思いだったが、それはすでに「中国でもっとも美しい小城」という冠のもとに用意された美しさなのだ。

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これは、先ほど舟で越した「虹橋」。
鳳凰に架かる橋の中でその代表といえる石橋だ。
明代1374年に創建。
もともとは臥虹橋、またここで雨風をしのいだため風雨橋という呼び名もあるのだそう。

地図を見てみればおもしろい。
沱江には新旧いくつかの橋が架かる。
雨橋、雪橋、虹橋、風橋、霧橋。
そんなおとぎ話のような名の橋が架かる。
その中でも虹橋は特別な存在感。

中国南部の山間部は、晴天が少ない。
湿度が高く、雨くもり霧の日がほとんど。
雨の降ったある日、突然青い空が現れ陽の光が差し込みそこに虹が現れたならば、なんて神々しいことだろう。

チケットにこの虹橋も含まれているので、登ってみようと行ってみた。

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虹橋の入り口からは、すぐ下を貫く路地を見下ろすことができる。
見る角度が違えば同じ場所もまた違った風景になる。

虹橋はそのまま無料で通行することができる。
橋の内部にはお店が並び、お土産ものが売られている。
チケットを提示すればその入り口から二階に登れるよう。

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こちらはその二階から舟を乗った最初の方向を見て。
天候がどんよりしているので、それが少し残念。
晴天であればどれだけ美しいことだろう。
でも数日前までは天気予報で連日雨だったので、それよりかはいいかなと思う。

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こちらは反対側、舟を降りた方向を見て。
博物館で展示物を見た、万寿宮がある。

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瓦屋根に生活のにおいは、なんだか日本を思い出すよう。
でも、日本でも木造に瓦なんて家は減っているから、もう何年もすればこういうのを身近に感じる感覚も失われていくのかも知れない。
屋根瓦が珍しい子供なんてのも出てくるかもしれない。
次世代の子供たちがこういう風景を見たら、どんなふうに感じるんだろうか。

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切り取ればまるで日本のどこかの観光地のよう。
でもそれは切り取っているから。
部分部分で見ればまるで日本を彷彿とさせるようだけれど、やっぱりこの空気感はここにしかないもの。

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沱江とともに生活してきた鳳凰の人々。
ほんとうに寄り添うようにして時間をともにしてきたのがわかる。
向こうからこちらに川は流れる。
途中で段があり、舟は勢いをつけてそこを越えた。
ちょっとひやりとして楽しい瞬間だった。

虹橋の二階にはテーブルと椅子が並び、窓はすべて開放されていた。
寒い。
お茶を注文するところがあり、ここで風景を見下ろしながら休憩することができるが、寒いので早々に退散することに。
今回失敗したのは、予想以上に寒かったことだった。

時刻は14時半、ここからちょっと足を伸ばして、付近の“南方長城”へ行ってみることに。
古城内は一般車両は入れないし、さらに今朝古城に辿り着くまでに歩いた道もまるで道として機能していなかったので、タクシーを停めるにはまたここからけっこう歩かなければならない。

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街路樹と飲食店が並ぶ道を行く。
建ち並ぶお店の外には小さな檻がいくつも積み重ねられている。
中には鶏、雉、ウサギ、そんな動物たち。
もちろん食材だ。
朝けたたましかったあの鶏の鳴き声はこれだったのだと知った。

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途中、こんな標識も。
大連まで2533㎞。
上海まで1534㎞。
長沙まで431㎞。
張家界まで212㎞。
武漢まで780㎞。
それぞれの方角を指す。
その中で「愛」というのがあり、距離が示されていなかった。
すぐそばにあるのかも知れないし、果てしないかもしれない。

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こちらはヒョウタンのお店。
下に並べられた壺はお酒の数々だ。
ヒョウタンと言えば、お酒。
日本でもそうだ。それはもしかしたら中国からもたらされたアイデアかもしれない。

タクシーを停めることができる場所もまた不便だ。
今朝方通ってきた混沌を抜けてホテル付近まで戻りやっとタクシーを見かけるようになる。
それか南華門あたりも停めやすいだろう。
しかしちょこちょこ通りがかるものの、どれも客を乗せていて、空車なんてまったくない。
空車を待っていれば永遠乗れないので、客が乗っていても停めてみる。
行先を告げて方向が合えば、乗車。それしかない。
ちょうど客を降ろす瞬間に出くわしたので、私は急いでそのタクシーを確保した。
「南方長城まで」
向こうで観光が終わるのを待って一緒に帰ってもらうようにお願いし、運転手のおばちゃんが提示したのは150元。
次はいつ停められるかわからないので、値切ることなくOKした。

“南方長城”は、南は銅仁と鳳凰の境界線「亭子関」、北は吉首「喜鵲営」、その間約190㎞にも亘って築かれた長城だ。
そのうち修復し観光客に開放した部分があり、観光客が一般に「南方長城」と呼んで足を運ぶのはその部分。
鳳凰古城より西に15㎞ほど。
銅仁空港はこの南方長城線上にあり、空港から鳳凰へ向かう道にも、この長城を通りがかった。
迎えに来てくれた旦那さんも、「南方長城はさっき通りがかったよ」と話していた。
夜だったからあの時はまったく見えなかったけれど。
そういうわけで、タクシーは空港方面の道を走った。

おばちゃん、訊く。
「どこの人?」
日本人だと答えると、おばちゃんは笑った。
「ここの人たちは日本人が好きじゃないから、日本語を話さない方がいいよ」 そうアドバイスする。
そういえば、先ほどの古城観光でも、「日本人お断り」の看板を数度見かけた。
手書きではなくて、お金をかけて制作したちゃんとした看板だった。
日本人に対するそうした対応というのは、中国ではさして珍しいものではない。
でも、ここで?と思った。
反日感情がなさそうな場所なのに。
年始に安徽古村をまわった時、現地で友達になったチョンさんはこう話していた。
「ここは南京とは違って日本人の攻撃を受けていないから、そういうのはないよ」
では、ここ鳳凰にはそういう歴史があったのだろうか。

ではタクシーのおばちゃんはというと、親近感あるふうだった。
道中、楽しく話をしながらドライブした。
途中電話を受ける時にも、「電話に出ていい?」と断ってきて、そのあとにも「今のは現地語だからわからなかったでしょ?」と笑った。
電話に出るのにわざわざことわられたのは初めてだったし、そういう驚きもあった。

南方長城に着いて、1時間後にここで、ということになった。
私は携帯電話の番号を見せ、おばちゃんは私に着信を入れて番号を私に教えた。

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ここはまだ長城ではない。
ここを登り切った先に、長城への登り口があるのだ。
母はここでダウンし、この先の広場で私を待つといった。

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そうして一人で登ってくることに。
こちらから登り、山の上を這う長城を通り、向こうから降りてくる。
山肌にかかった逆U字だ。

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中国で最南の長城を目にすることが目的だったが、いつしか登ることだけしか考えなくなった。
漢族苗族の歴史のことは、今頭から消えている。

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向こうの山肌に続く長城。
どんよりしていた天気だったが、少しずつ青空が現れてきた。
陽の光に照らされて、眩しい。

ようやく登り切ると、そこには「あなたは強者」という標識。
階段716段の文字。
まあまあだ。

てっぺんに登ってしまえば平坦で、向こうまで歩いてみる。
突き当りは分かれ道になっていて、左を進めば降りるルート。
まっすぐ先は観光客は足を伸ばさないとは思うが、その先にも延々と長城は続いていた。

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この長城は、かつて漢族とミャオ族を断絶させた境界だ。
「苗疆長城」、「苗疆辺墙」とも呼ばれる。
つまり、ミャオ族との境界である。
明代1554年に建設が開始され、1622年に完成した。
漢族がミャオ族初め少数民族に対する防衛のために築いたのが始まり。
漢族の征服に対してミャオ族は強く反発し、いく度も反乱を起こしたのだという。
そうした攻防の末、造られることになったこの城壁。
北と南は断絶し、ミャオ族は出ず、漢族は入れず。漢苗間の貿易含む交流は禁止され、両民族は完全に分断された。
この南方長城は、そうした歴史を目で見ることができる史跡だ。
その歴史とは、単に民族の分断というだけでなく、明清王朝の少数民族に対する征服の歴史でもある。

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こちらは振り返って。
私たちがタクシーに乗ってやって来た方角。
長城の歴史云々を抜きにしても、ここからの眺望だけでも訪れてみる価値はある。
なんともすがすがしい気分だった。

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下を見下ろせば。
地上からは、こんな形状をしているとは思わなかった。
登り口の付近には、このように修復されないで古い姿のまま残った史跡があった。

長城と聞いて、疑問に感じる人もいるだろう。
万里の長城って、北京あたりに東西にえんえん伸びるあのことをいうのではないの?
北方民族の侵入を防ぐ為に、内モンゴルの底辺あたりを縫い、嘉峪関の方まで伸びる、あれが長城。
たしかに、一般に言えばそうだ。
実際、この南方長城を万里の長城と並べてそう呼ぶか意見は分かれたのだそう。
しかし実際に訪れてみると、中華文明が辺境を警戒し戦ってきた歴史という意味では、ここにも同じ歴史価値があると感じた。
中国王朝の歴史とは、どことどこ、といった単純な攻防ではなく、あらゆる方面、あらゆる領土に神経をすり減らしてきた歴史である。
北方民族は脅威だったので、万里の長城を築きました。
それだけでは不十分であり、万里の長城をもって歴史を考えるならば、やはり南方長城のことも合わせて話されてもいいなと思う。

長城を下に下りているとき、コートの右ポケットに入れていた中国携帯が鳴った。
出ると、タクシーのおばちゃん、「今どこ?あとどれくらいかかる?」
約束の1時間まではまだあったが、おばちゃん待ちくたびれたのかな?
「あと15分で戻る」 そういって電話を切った。
もうしばらくして、また電話が鳴った。
「あとどれくらい?」
どうやら、戻るのにまだ時間がかかるなら、他のお客を乗せてまたここに戻ってきたいということのようだった。

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急いで戻る道すがら。
今回の旅行では日本にはいないような野鳥に何度も出合った。

下で待っている母を連れ、タクシーに戻った。
おばちゃんは、「ごめんね、時間がかかるようならお客乗せようとしただけなんだよ」と笑った。
おばちゃんの印象が良かったので、もう会うことはないよなと、タクシーを降りるときに持っていた日本の飴を上げた。
笑顔で去っていくおばちゃんに手を振り、私たちはまた賑やかな古城に降りていくことにした。

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タクシーを降りたのは南華門。
そこから沱江に架かるのは鳳凰大橋だ。
夜になると鮮やかに光る鳳凰をモチーフにした街灯が向こうに続く。

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この橋は高いところに架かっているので、そこから見下ろす景観はみごとだった。

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写真撮影スポットのようで、本格的な機材を持った人からスマホまで、いろんな人がここで写真撮影していた。
早朝、昼間、夜景、どんな時間帯にもそうした人たちが尽きることはなかった。

沱江まで下りて、またうろうろした。

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そこらで売られているのは、こうしたミャオ族の刺繍。
小物入れやバックなど、この刺繍を用いたものがたくさん並べ売られている。
ミャオ族の刺繍はこのように鮮やかで大胆な図柄が特徴だ。

でも、日本に帰ってなかなか日常で使う機会はなさそうだった。
そこで、思い出にとそこらで勧誘しているミャオ族の衣装を体験してみることに。
装飾も衣装も偽物で簡単な作りであることは承知している。
ぼったくりみたいなものであり、お客はカモだということも承知している。

衣装は簡単なもので、今来ている服の上から巻いてくれる。
携帯をポケットに入れたままコートと荷物を母に預かってもらい。
立っているだけであっという間に完成してしまった。
着るのは無料だが、おばちゃんが撮影した写真を購入すると、一枚10元。
「高い」と言うと、
「なら自分のカメラでたくさん撮ればいい」
けれど、母はほんとうに下手くそなのだ。
まあせっかくだからと、おばちゃんにもたくさん撮ってもらう。

撮影し終わると、すぐ近くにある建物に入り、パソコンを使い写真選定。
部屋には数台のパソコンが並び、それでも順番待ちをしているほど多くの人がいた。
ここで母からコートを受け取り、着る。
私の番が回りパソコンを覗いてみると、おばちゃんの撮影はお世辞にも上手ではなかった。
残念に思いながらも、PC担当のおじさんは言葉巧みに写真をどんどん「採用」していく。
情けないが結構な金額をとれらることになってしまった。

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これがその写真のうちの一枚。
比較的ましなものだ。
ほかのは、逆光で暗かったり白くなったりしてしまったものばかりだった。

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写真撮影のあと、景観のいいカフェに入った。
こうした観光地化した古城の利点は、コーヒーやケーキ、パスタにピザなど、洋食を扱うお店が多いことだ。
私は必要ないが、母はカフェがないとダメだのだ。
このカフェの店員さんの対応もまた悪くなくて、気持ちよくここで休んだ。
私はここでフランスのビールを。

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ちょうど目の前にはあの飛び石があり、渡っていく人たちの様子が見えた。
もうすごい人である。


今回の旅行、ここで民宿を開く女性を紹介してもらっていた。
当初は二日間とくに具体的な予定も入れずにのんびり城内で過ごすつもりだったが、出発直前になって彼女と連絡をとり、少し気持ちが変わった。
その時点で具体的に予定を決めたかったが、彼女は私の質問には具体的には答えず、「着いたらとりあえずうちへ来て座ってよ。話はそれから」と言っていた。
二日しかない日程の中で、もうすでに一日のほとんどを過ごしてしまっているが、このあととりあえず彼女の民宿に立ち寄ってみることにした。

微信で送ってくれた地図と写真と位置情報から、彼女の民宿は一番奥の南華門を渡った向こうにあることがわかった。
私の行動範囲の中では一番遠い場所になる。
沱江に沿って進み、南華門から架かる現代の大橋、鳳凰大橋の向こうにある駐車場を越すと、そこには飲食店が建ち並ぶ賑やかな坂道があった。
その坂道沿いに、その民宿はあった。

民宿の女性リージュエンは、私にいくつかの提案をしていた。
「鳳凰に来て見るべきものはこの三つ」
古城の夜景
ミャオ族の火祭り
苗寨(ミャオ族の集落)
「でも、人が勧めるものがその人にとっていいとは限らない」
そうも言っていた。
私は今夜このあと火祭りに行き、明日はミャオ族の集落に行こうと思っていた。

「火祭りはどこでやってるの?」 と訊くと、
「ここではない、少し離れたところでやる」 ということ。
そこに行くバスがあり、彼女が手配してくれることに。
19時半にバスは出発し、火祭り自体は1時間半。
一人当たり60元をここで彼女に支払い、彼女はなにやら伝票を書き電話で連絡をいれた。

「明日は苗寨に行きたい」
そう言うと、彼女はパンフレットを見せておすすめの場所を示した。
鳳凰周辺にはとてもたくさんの苗寨があり、選ぶことができる。
滝をクライミングのように登ったり、アウトドアを楽しめるようなところもあるみたいだったが、そういうのは求めるところではないので、純粋に村を観光できるものを選んだ。
時間帯は二つあり、9時から9時半頃に出発し16時に戻ってくるもの。
出発が遅く、その村で火祭りを見学し夜中に戻ってくるもの。
遅い時間の方は、食事などの追加料金はかからず早いのより安い。
早い時間の方は、追加料金がかかってしまうだろうということだった。
私は、「追加料金はかまわない、夕方にはここに戻ってきたい」と伝えた。
私たちは一日ツアーに参加することになった。

だいたいの段取りはとれたので、民宿をあとにして火祭りに向かうことに。
バス出発には時間ちょうどくらいだったので、彼女のところに行くのがもう少し遅かったら間に合わなかった。

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出発は南華門。すでに夜景になりつつあった。
そこには多くの中国人観光客がバスを待っていた。
一人の若い男性がいて、リージュエンは「日本人だから頼むね」とその男性に言った。
男性は愛想のいい人で、笑顔で迎えてくれた。
緑色の旗を持って、みんなを引き連れる。
いろんな観光地で見かける「あれ」に私も参加することになろうとは。
「彼にしっかり付いていってね」
そう念を押して、彼女は民宿に帰っていった。

しばらくしてバスは出発し、山間に入っていく。

17021160.jpg

そこから見た最後の夜景。
まるでジブリの世界のようだ。

真っ暗な山道を走り、バスはやがてその暗闇のなか停まった。
道端には何台もの観光バスが停まっている。
真っ暗で灯りもない。
似たようなバスがたくさんならんで、帰り無事に戻れるだろうか。
一抹の不安がよぎったけれど、例の男性が私たちに気遣い、
「終わったらここに戻って来れば大丈夫だよ、向こうまで一緒に行こう」 と言ってくれた。

そこから斜面を下り、ずっと向こうの広場まで歩いていく。
降りる前に、竹の松明を渡してくれる。
火の玉のように揺れる火を持ちながら道を行く。
見下ろしてみれば火の玉が連なり、私たちに進むべきルートを示していた。
なんとも幻想的だ。
私はてっきり雰囲気を楽しむための松明だと思っていたが、灯りがいっさいないので、これがないと歩けないのだった。

ずっと向こうにはステージが用意されていて、すでに観客で埋め尽くされていた。
リージュエンたちは、早く行って前に座るといいと話していたが、すでに遅かったようだ。
私たちは左の隅に比較的見易い場所を見つけ、位置どった。

火祭りといっても、観光客向けに開催されたイベントだった。
ミャオ族の伝統的儀式を再現したもの、と銘打たれていたが、再現というか演出だ。
ステージには焚火が焚かれ、真っ暗な夜空を照らしているみたい。

焚火の横にはミャオ族の衣装を着た女の子が掛け軸などを広げている。
マイクを持った司会者が早口でまくし立てることには、どうやら前座としてオークションを行っているようだった。
旅行でいい気分になり懐がゆるくなった観客が、次々と落札していく。
遠目からではどんなものかもわからないだろうに、そういうのは関係ないよう。

しばらくして、ようやく始まった。

17021161.jpg

ミャオ族の衣装を来た女の子たち。
竹竿を下に並べ構える男の子たち。
音楽に合わせ動く竹竿のうえを、女の子たちは軽快なリズムでかわしながら移動していく。
どこの国にもこれあるんだな。
これはミャオ族の伝統ダンスなのだそう。

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太鼓を使ったり。
熱した刀を舐めてみたり。
色んな演出。
その半分は、観客参加型だった。

竹竿ダンスも、「やりたい人!」と司会者が声をかければ、みんなステージに押し寄せ収集がつかない。
四人が選ばれ前に出て衣装を着る。
太鼓の舞をしたりして、最終的にみんなで彼らに順位をつける。
一位に選ばれた男性は、ミャオ族の女の子からご褒美のお酒を受け取り乾杯。
ミャオ族の女の子の結婚相手を選ぶというイベントもあった。
大盛り上がりだ。

「好不好~!?」 いいですか~?
司会者がそう声をかけるたびに、即答で
「ハオーッ!!」
みんなで声を張り上げて答える。
また司会者が問う。
「好不好~!?」
「ハオーッ!!!」
…ここは大阪だろうか。このノリの良さ。
この根っからの明るさが、私が好きな中国の国民性だ。
自分にないから、好きなんだと思う。
正直、ミャオ族の何々よりも、観客を見ている方が楽しかったほどだ。
もしこれが日本であれば、司会者がどれだけ楽し気に声をかけたとしても、ぽつりぽつりと申し訳なさげに答える人がいるかいないか。
やりたい人でてきて~と声をかけても、誰か出ていく人がいるかいないかだろう。
こういう場ではだいたい気まずい雰囲気が流れることが多い。
日本は日本でそういう国民性なのだ。

「携帯で灯りをつけて!」
司会者がそう声をかけると、みんなで何かのコンサートのように携帯をライト替わりにして音楽に合わせてゆらした。

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想像していたのは、もっと本来行われていたような儀式的なものだったけれど、こういうのもなかなか経験できるものではないから悪くないな、と思った。
ミャオ族はアミニズムー自然崇拝ーの民族だ。
火もその崇拝対象のひとつである。
熱せられた刃物をなめたり、火を飲みこんだり、火の上を歩いたり。
日本にもある。
なぜ、そんなことをするのか。
それはけっしてサーカスではない。
いにしえより、暗闇は生命の危険を脅かす存在であり、また神秘的存在であり、畏敬の対象だった。
その暗闇をやぶり、また温かさを与えてくれる炎は、神なる存在だった。しかしながら、それもまた命を脅かす存在でもあった。
火を崇め、また火を制することで、人々は神性を取り込もうとしたのではないだろうか。

火祭りイベントはまだまだ続きそうだった、その時。
右ポケットに入れていた中国の携帯がないことに気づいた。
「ない!携帯がない!」
思わず大声を出すが、会場は大盛り上がりなので誰も気づかない。
実は、このイベント会場、めちゃくちゃ寒かった。
零下ではないかと思ったほどだ。
昼間も鳳凰はとても寒くて、手を出しているのはつらくて、ずっとコートのポケットに入れていた。
なのに、どうして気づかなかった?いつからない?
混乱して、私と母は会場から離れて壁際に移動した。
左ポケットには日本の携帯、右ポケットには中国の携帯を入れていた。
ポーチやザックに入れていなかったのは、連絡が来ても気づかないと思ったからだ。

南方長城のときには、あった。
なぜなら、二度着信に対応しているからだ。
携帯を手にタクシーに戻って、「ごめんね」とタクシーのおばちゃんに答えた。

タクシー車内では爆睡した。
その時に座席に落ちたのでは?
今まで、座ってコートのポケットから携帯が落ちたことなんてなかったし、タクシーを降りる時にお菓子を運転手のおばちゃんに渡す時に、透明の包みをポケットに入れた。
右ポケットには中国携帯が入っていて使うから、ゴミは左に入れようと思って左ポケットにそれを入れたのだ。
だから、違う。

その後は川辺で衣装を着た。
その時にコートを脱いだんだった。母はコートを片手に写真を撮ってくれたんだった。
落ちるかもしれない。
でも、あんな石畳にスマホが落ちたら音と衝撃で気づくはずだ。
私は正面にいたのだから。
それに、行き交う多くの観光客はすぐに踏んで反応するだろう。

最後に衣装の私と母とでツーショットを撮ったとき、衣装屋のおばちゃんはコートを預かった。
その時では?
おばちゃんはけっこう適当な人柄だった。
でも、私たちは正面にいたのだ。気づくだろう。

では、その後にコートを着た写真選定の建物では?
私は急いでコートを着たのだ。
人も大勢いたし、落としても気づかないかもしれない。
でも、やっぱり気づくような気もする。

では、そのあとに立ち寄ったカフェでは?
ソファーの上であれば、音もしないし気づかない。
でも、座ってポケットから携帯が抜け落ちてしまうなら、今までそんなことがなかったのが不思議だ。

それならば、リージュエンの民宿では?
あそこで座らせてもらった椅子は単独の椅子で、コートの裾は下に落ちていた。
携帯が抜け落ちることはないし、落としたら彼女が教えてくれる。

それでは、この火祭りにくるために乗り込んだバスでは?
同じく、座っただけで携帯が抜け落ちることは考えにくい。
考えににくいがもうそれしかない。100%なんてないのだ。

では一体、どこにあるの?
ありうる可能性を考えて、落胆と悲しさで火祭りどころではなくなった。
あのスマホは友人のいとこがわざわざ持って来て譲ってくれたものだった。
中には、そう多くないけど友人たち電話番号が登録されていた。
みんなに、私の番号だよ、と教えたとき、嬉しかった。
なんで、ないの。

携帯をなくした落胆と、それとともに耐えがたい寒さだった。
息は真っ白。
会場ではどうやらお化けが出てきたようで、おどろおどろしい音楽と共に観客の悲鳴が響き渡っていた。
でも私はそれどころではなく、早く帰って携帯を探したい。
探すって、どこを。
見つかる可能性はゼロに近いことはわかっていたが、とりあえずバスの座席を確認し、写真撮影した川辺に行き、写真を選定した建物がまだ開いているか、見に行き、そしてカフェに尋ねてみよう。
リージュエンに微信でメッセージを入れてみるが、電波状況が非常に悪い。
この時代に、なんと2Gを示し送信不能。
「私の携帯に連絡いれてみてくれる?」
そんなメッセージも届かない。

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やっとこさ火祭りイベントが終わって、松明を持って歩いてきた道を戻る。
「あんなに楽しんでたのに、みんな帰るのは早いんだね」
母はそんなことを話していたが、私は上の空だった。
来る時には楽しんで受け取った松明だったが、それも受け取らず速足でバスを降りた場所まで戻る。
振り返れば、競って戻る松明の群れはうつくしく道を作っていて、幻想的だった。

17021165.jpg

バス乗り場では、ミャオ族の衣装を着た女の子たちが見送ってくれる。
ミャオ族の衣装を着た、というのは、それがミャオ族なのか私にはわからなかったからだ。
そうしてバスは次々と出発していく。
「どのバス?置いていかれちゃう」
心配そうにする母。
ここで待っていると、ガイドの男性が登って来た。
私たちに気づいて反応してくれる。

バスに乗り込むと、先ほど座った席にはもうすでに別の参加者が座っていた。
降りる時に座席を確認してみたが、やはり携帯はない。

南華門でバスを降りて、急いで衣装写真を撮った川辺に行ったが、ない。
そのあと、写真を選んだ建物に行ってみるもすっかり閉まっている。
あとは、あのカフェ。
昼間の女性の店員さんはすでにいない。男性が二人いたので訊ねてみるも、心当たりはないよう。
昼間に座ったカフェにはお客さんが座っていたが、親切にソファーなどどかして調べてくれた。
やはり、ない。

諦めることにした。
また明日、衣装の建物に行ってみよう。それ以上はできることはない。
古城に戻りネットワークが復活し、リージュエンから返信がきた。
「何度か電話してみたけど、繋がらない。できることは連絡し続けることだけだよ」

もし日本であれば、携帯電話が返ってくる可能性は少なからずあるだろう。
以前に離れたところに暮らす友達の家に行ったとき。帰宅して携帯がないことに気づいて、その時に立ち寄った居酒屋に電話したら、そこだった。なんと親切にも元払いで送り返してくれた。
また、キャッシュカードをなくしたときにも、届があったと銀行から連絡がはいった。
そんな日本の常識は海外ではあり得ない話だ。
もし仮に、私が携帯電話を拾ったとする。
日本であれば、その携帯会社に連絡すればなんらかの手段で持ち主の手元に戻すことは可能だろう。
でも、中国だったら。仮に持ち主の手元に戻してあげたかったとしてもどうしようもない。
SIMカードを抜き取ればスマホが手に入る。
今のカードにも残金があるから使うことができる。
わざわざ苦心して返すことなんてないのだ。
今朝、200元をチャージしたばかりだったのが悔やまれる。

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それでも、目の前に広がる鳳凰の夜景は目を見張るきらびやかさだった。
昨日の夜遅くに到着したときには、鳳凰大橋の上からこれを見下ろしたんだった。

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色紙でつくられた花にロウソクの灯り。
灯篭流しのように、ゆらりゆらりと沱江を流れてゆく。
このロウソクの炎に乗って運ばれていくものはいったいなんだろうか。



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2017-02-27

鳳凰旅行三日目~その一~

2017年2月12日、昨日と同じく、競うように鳴くニワトリの声で目が覚めた。外はまだ明けきらぬ空。
今日は9時か9時半に出発するバスで、ミャオ族の集落に行く。
出発の時間も場所もはっきりしていなかった。
手配をとってくれたリージュエンは、ガイドと連絡とりながら教えるから、微信から目を離さないでね、と何度も念を押していた。

その時間までに行っておきたい場所があった。
昨日はいつどこでかはわからないが、中国の携帯をなくしてしまった。
リージュエンはその電話番号に何度も電話をかけショートメールを送ってくれたが、一向に反応はないみたいだった。
最後の希望で、昨日立ち寄った時にすでに閉まっていた、あの衣装屋に行ってみることにした。
北門城楼の沱江はさんでその斜め向かいにある、木橋のすぐ近くだ。
時刻は9時前だったがすでに扉は開いていて、二人の男性がパソコンに向かっていた。
事情を話すも、やはり心当たりがないよう。
知ってても言わない可能性もあるけれど。
室内を探させてもらってもやはりないので、もういよいよ本当に諦めることにした。
所詮、ものはもの。
また買えばいい。

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鳳凰大橋から見下ろす、古城。
橋の上にはカメラマンがいく人か。

日本の携帯を確認すると、リージュエンから微信にメッセージが入っていた。
連絡を取り合い、彼女と民宿の付近で落ち合った。

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古城の昔ながらの街並みも素晴らしいけれど、私はこうした現代のにぎやかさも好き。
観光地としてお店が並ぶ古城にはない、人々の生活の活気がこういう場所にはある。

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彼女は朝ご飯をごちそうしてくれた。
米麺に上に載せる具を選べる。
温かくてとてもおいしいが、散らばる唐辛子を噛んでしまいたいへんな思いをした。

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通りには馬も行く。
人を乗せるのかなと思ってみていると、みんなこんなふうにブロックを掛けられていく。
ブロックのあたる場所が禿げていて、痛そう。
重そうにゆっくりと進みどこかへ行った。

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朝ご飯のあとは、彼女の民宿に行きどのツアーに参加するか最後の確認をし、ここでツアーの基本料を支払った。
一人180元。
おそらく追加料金が現地でかかるだろうということだった。
夜まで参加するタイプの方が、追加料金がかからないから安いと話していた。

民宿の前までバスは来てくれて、私たちは歩かずにバスに乗り込むことができた。

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このバスに乗り込む。
小型のバスには10数人のツアー参加客が乗り込んでいた。
「わからないことがあったら微信で連絡してね」 とリージュエン。
バスはすでにいっぱいだったが、運転手さんの横が空いていた。
みんな友達や夫婦で参加しているから、この席には座らない。
私には好都合だ。
前の景色見放題の特等席に座る。

行先は、“苗人谷”、鳳凰周辺に点在する苗寨のひとつ。
鳳凰古城から西に23㎞のところに位置する。

ほぼ時間通りに出発して、のどかな山道を進む。
一時間もしない頃、バスはちょっとした集落に停まった。
ツアー客はみな降りて赤い旗を持った元気なガイドさんについていく。
はぐれたら終わりなので、バスのナンバーとフロントに掲げられた運転手の電話番号も控える。
携帯はないんだけど。

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この日が晴れて良かった。
やわらかな青空に、田んぼが広がる。その中に点々とする民家。
歩くのも楽しい。

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やがて辿り着いたのはこんなダムみたいな場所だった。
昔々とした村に突然こんなものが現れるからびっくり。
手前にはトイレがあり、その前には村人たちがお土産を広げて売っていた。
ミャオ族の刺繍なんかはわかるけど、靴とかどこにでも売っていそうなものまで。
きっとここで靴ダメにした人なんかが買うんだろうな。

ここでまた料金を回収。
ガイドさんはノートのメモを見ながら順番に呼んで徴収していく。
先ほどリージュエンに支払ったのはツアー料金で、これは入場料と思われる。
記憶が不確かだけど、一人120元をたしか支払った。
価格が書かれた看板によると、苗人谷68元、舟20元/回、苗族博物館68元。
博物館には行っていないし、舟は計2回乗った。
あと、食事代も含まれている。
だから、ちょっと価格の明細がわからない。
事前にリージュエンは、「苗寨に行くのに客引きにかかってはダメ、高いチケット買わされるから」と話していた。
地元の人は安いチケット買えるからと。
中国ではどこもそれなりにある話だけれど、こうした観光地化した少数民族の地はとくにぼったくりの例が多いようで要注意だ。

ここからいよいよ入場しダムのような設備を越すと、その向こうにはエメラルドグリーンの湖が広がっていた。

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舟に二回乗るからと事前に知らされてはいたけれど、こんなにきれいな風景の中とは知らず、感動する。
「蚩尤湖」というらしい。
周囲は特徴的な岩肌をしていて、説明板があった。

「蝶母崖」 と名がある。
この岩肌は浸食により削られて両岸に分かれたものだが、白い岩肌が両側に分かれた様は蝶が舞い踊るよう。
ミャオ族はかつてここに、“蝴蝶妈妈”の伝説を映し見たのだという。
蝴蝶妈妈の伝説とは?
蝴蝶妈妈は楓の木が生んだ蝶々、この蝶々は12個の卵を産み、その卵は姜央、雷公、龍、虎、蛇、象、牛などの12の兄弟に孵化した。これが、ミャオ族のルーツであると、そういう伝説があるそう。
だから、楓はミャオ族にとって神聖なものであり、蝶々とともに重要な図柄なのだと。
この伝説は歌にもなって語り継がれているのだという。
ミャオ族は文字を持たなかったので、そうした歌で物語を伝えたんだそう。

いかだの上に屋根が設置されているような、そんな舟に乗りこんでゆっくりとゆっくりと湖の上を進んだ。
ガイドさんはとても快活で、そのしゃべりが止まることはない。
いつもの一人旅であれば、しっとりとしたこの静かな風景と緩やかな流れにひたるだろう。
けれど、ガイドさんのかしましさに思考は働かない。
こんなのもたまにはいいなと、不思議とそう悪い気がしなかった。

いかだが寄り付いた先には、巨大な洞窟があった。

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その入り口には牛の骨。
魔除けかな、と思う。みんな約束事みたいにそれに触れて中に進んでいく。

途中途中には看板が立て掛けられ、ミャオ族の言葉を紹介していた。
「我爱你」 私はあなたを愛しています
このミャオ族の言葉を中国語で表すと、「歪彦木」。ワイヤンムー、といったところ?
「我不爱你」 私はあなたを愛していません
これは、「歪介彦木」、ワイジエヤンムーといったところ?
介が否定になっているのかな。
ミャオ族は文字を持たなかったので、書いて表すには中国語を用いるしかない。
いかだの上でもガイドさん、いろいろミャオ語を紹介していた。

銅仁空港から鳳凰までの車中、
「ミャオ族は普通話(中国語の標準語)がわかるの?」 と訊いてみた。
「若い人は出来る人が多いけど、お年寄りの中には出来ない人がいるよ」 そう旦那さんは答えていた。
実際来てみると、古城で観光客を誘う人たちはみんな中国語だった。
現代、普通話ができなければ生きていけないだろう。
こうして少数民族固有の言葉はどんどん失われていく。
例え理解する人が残っていたとしても、使われなくなったらそれは死んでしまったも同じだ。
今回の旅行で、生きたミャオ族の言葉を耳にする機会はなかった。

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洞窟の内部は天井がとても高くて、距離感がわからなくなった。
エメラルドグリーンの水面が差し込む光をとり込んで、神々しい。
ミャオ族はここを神聖視したのだそう。

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左手を見上げれば、このようにさらなる穴のようなものが。
かなりの高さにあるが、こんなふうに段になっているところに当時のミャオ族は潜み、敵を迎え撃ったよう。
天然の要塞だ。
ここにはかつてミャオ族の王が駐屯(?)したので、「王営」とも呼ばれるそう。

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一番奥にはすごい迫力の滝がふたつ。
その高さ、なんと120mにもなる。
水量がそう多いわけではない。
細かな層を刻む岩肌にぶつかりながら、零れ落ちる。

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周辺の岩石はみな細かい層を重ねるかのような形状をしていた。
こうした岩石はおそらく薄い板状に切り出すことができて、そしてそれらは塀だったり壁だったりに利用されていた。
母は、「ミルフィーユみたいだね」と言い表したが。
玄武岩の板状節理、というのが答えのよう。

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来た方を振り返れば。
人間がとっても小さい。
現代の整備された通路を私たちは進み奥に入ってくることができる。
けれど当時にはこんなものはなかったはずだから、どうやったものだろう。
舟を利用して、というのはまだわかるが、先ほど見上げた「潜伏場所」、あそこに登るのは一苦労だ。

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行きはいかだに乗ってやってきたが、帰りは端に通った歩道を歩いて戻る。
けっこうな距離があるように見えたが、すがすがしい風景に時間を感じない。あっという間にもとの場所に戻ってきた。

バスまで歩いて戻る道、古い民家には洗濯物が干されていた。
小さな子供のサイズのミャオ族の衣装。
よく見ると、ファスナーが付いていて現代風。
これはおそらく、観光客向けに子供に着せるためのものだ。

実はあちらこちらにおばあさんと子供がいた。
到着したときにも、「これ買って」、「お金ちょうだい」。
なんとも悲しい気持ちになった。
花を編んでつくった冠。「3元だよ」
きっと、今朝摘んだばかりのお花なんだろう。色鮮やかで、とてもきれいだった。
鳳凰古城内にも南方長城にも今日まわったどのルートにも、この花冠を売るおばあちゃんはいた。
そういえば、四川・黄龍渓に行ってみた時にもこんなお花の冠があって、とってもきれいだったから買ってみたかったけど、一人旅だしとやめたのだった。
あの時にはこんな気持ちにならなかったのに。
私の少数民族に対する勝手な色眼鏡だ。
でも、花売りのおばあちゃんはともかくとして、やっぱり子供の姿は胸が痛んだ。

バスを降りた辺りまで戻ってきたが、そこにバスの姿はない。
ツアー客たちはすでに散り散りになっていて、さてどうしようかと思っていると向こうからやってきて安心。
連絡方法を持たない私たちは、はぐれたら終わりだ。
ガイドさんは、ツアー客に番号をふり、名前ではなく番号で点呼する。
「518!」
「はい、いるよ」
「320!320、どこ?」
10数人しかいないので、どんな基準でこんな番号を割り振っているかは不明だが、終始この番号で呼んでいた。
私たちには、番号はない。ただ「日本人」だ。

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バスが次に向かったのは、付近の村落だった。
途中、別の苗寨を示す標識も。

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この入り口も、先ほどみたいな湖だった。
ふたたびいかだに乗り、向こうへ。このエメラルドグリーンの向こうに待っているのはどんな風景だろう。
いかだの上では、ガイドさんが元気よく歌う。ほんとうに元気。
日本人もだれでも知っている童謡だったけれど、なんの歌だったのかは覚えていない。
もちろん中国語、そのためリズムも中国風。
歌い終わって、ガイドさんはツアー客にも一緒に歌うように促した。
みんなものりよく一緒になってうたう。
私も参加したくなったが、歌詞がわからないのが残念だった。

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いかだが到着したのは、山間にあるいかにもといった村だった。
いかだを降りて石の階段に足をかけると、そこには三人の子供がふさぐようにしている。
村の子供で、日焼けで真っ黒だった。
子供たちは、お客が到着すると一斉に歌いだして私たちを出迎えたが、どうもやらされているふうが否めない。
歌っているのはミャオ族の民謡のようだった。
私は、カメラを向けた。
子供を撮ろうとしたのではなく、行く道行く道を撮影していくのが私の習慣だった。
けれども、図らずも子供は両手で顔をふさいだ。
絶対に写りたくないというふうに。
先にも、歌で出迎える子供がいた。
その子供も、私のカメラを見てとっさに何かの袋を顔に被った。
その姿がなんとも無感情に見えて、胸が痛くなった。
こんな村にこんなに小さな子供がたくさんいることは嬉しいことなのに、複雑な感情の方が勝ってしまう。
旅先の子供にこんなふうな反応をされたのは初めてだった。

階段を登って行くと、木造のぼろぼろ小屋が見えてきた。
「射鶏」
弓矢が用意され、その先に囲われた鶏が数羽。
一回10元だという。
この先のお店で料理できます、なんて文面も。
鶏に逃げ場はない。なんだか、かわいそう。

その射鶏の隣りでガイドさんは待っていた。

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そこに広げられていたのは、この「刺梨」。
それをお茶にする、刺梨果茶。
ビタミンCが豊富で、ビタミンCの王といわれるのだそう。
ここで村の特産を売ろうというわけだ。
一袋500gで50元なので、ちょっと高い。
けれど、せっかくなので一袋を購入した。
試飲もできて、特別おいしくはなかったけれどまずくもなかった。濃い茶色をしたお茶だった。
他の観光客はもっとたくさん購入している。
購入したら袋に番号を書き、預かってくれた。

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木漏れ日がやわらかで、暖かい気候ではなかったけれど、雨でも曇りでもなくてすがすがしい。
やがてちょっとした広場に出た。
前方は斜面になっていて、その斜面には古い家々が建ち並んでどこまでどんなふうに広がっているのかここからは伺えない。

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こんな大きな木造の建築物。
夜にはここで火祭りのイベントが催されるのだろうか。

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中央の石階段を登るとすぐのところにある一軒の家屋。
ツアー客たちはみなその中に入っていくので、私も遅れまいとあとに続く。
無料で見学できます、の文字。

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日本人の感覚としてレトロ。
けれど、私は今まで中国でこういう色合いに出合ったことがないような気がする。
なんだか、開化絵のような色合い。

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ここは古くからあるお宅で、現在も人が暮らしているみたい。
アニメを映す液晶テレビの前にはこたつがあり、写真には写っていないけれど子供がここでテレビを見ていた。
テレビの裏には大きな立派な絵が飾られていて、そこにはまさしく繁栄といった(多分)鳳凰の様子が描かれている。

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左手を見れば、煙でくすんだ美しい図柄の戸棚や台所。散らばる食器。
屋根組が露出した天井からは鉄瓶がさがり、そこには囲炉裏があった。
そこには豚肉が幾本も吊下げられ、まるで墨のように真っ黒なすがたで乾燥している。
天井の梁はどれも木材をそのまま使用していた。
以前に古建築の本で読んだことがあるが、まっすぐに加工したものより、木材本来の形状を利用した方が耐久性があるのだという。

村は全体傾斜しており、斜面に家々が建っていた。
だから進むには傾斜のきつい石階段を登っていかなければならない。

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途中脇を見下ろせば、瓦屋根の下にはミャオ族のお土産ものが並び、何人かのミャオ族のおばあちゃんが並んで座っていた。
眠そうだ。
私たちはツアーでまとまってここを訪れたが、そんなにたくさんの観光客がやってくる様子ではない。
観光客のどれだけがこうしたお土産物を手にするのかと想像すると、おばあちゃんたちも眠くなるだろうな、と思う。

ツアー客はみな目の前の建物に入っていく。
ここでお昼ご飯を食べるよう。
まだ準備ができていないようでうろうろしていると、別のツアー客があっちに「古炮亭」があるよ、と声をかけてくれた。
一緒に登って行ってみると、そこには現代造られたふうの偽物の大砲があり、的が用意され遊べるよう。
10元で6回、安全な球を使っているから安全だよ、と書かれている。
ミャオ族の伝統的な武器だと書かれていたが、なんとも胡散臭い雰囲気の大砲だった。

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大砲の前の古い民家。
玄関先には小さな子供が三人遊んでいた。
日本ではこうした田舎の村にはお年寄りばかり、子供の姿はどんどん減っている。
だから、今回こんなにたくさんの子供を目にし、とても驚いた。
ガイドさんは言った。
「村にはお年寄りと子供しかいません、若い人は出稼ぎに出ているのです」
子供がいる風景はほんらい微笑ましいはずなのに、なんだか商売道具にされている気がして、さらに子供はそれさえ気づくことなく与えられた「仕事」をこなしているみたいだ。
将来、「子供の頃はおばあちゃんにこう歌え、こうお客に接するんだ、なんてやらされたものだな~そんなのも懐かしいよ~」なんてふうであればいいけれど。

お昼ご飯の建物に戻ると、二つの丸テーブルが私たちツアーには用意されており、私は奥のを選んで座った。
気まぐれで参加した現地ツアーだったが、こうして一日行動したのも一緒に食事をするのもひとつの縁だ。

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おかずは色々、火鍋がふたつ。
ひとつは燻製が効いたベーコン、もうひとつは米麺。
ほかにも色々。
ご飯が出てきて、ツアー客のメンバーが取り分けてくれる。
米麺なんかはスープなので、お箸で自分のご飯の上に運ぶのはとても難しい。お箸をつけては、するするとお鍋に戻ってしまう。
それでもみんな遠慮なく自分のお箸をつけてどんどん食べていく。
いろんなおかずもそう。
お箸を遠慮なくおかずにつけていく。
中国の食事はみんなこんなふう。
いいな、と思う。
日本では、お箸は汚いもの。
食事も遠慮するのが根底にあるから、例え親しい間柄であっても相手の箸の進み具合や、どれに箸をつけるかなんてのもけっこう神経をつかう。ばくばく食べたら、呆れられてしまうこともある。
それはそれで素晴らしい文化だなとも思うんだけど、私は疲れるのだ。
そんなのとは真逆の食事風景だ。
おかずはあっという間になくなり、特にベーコンが人気でお鍋もおかずもどんどん追加された。

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ベーコンは日本の手を掛けられたものとは違って、肉そのもの味がした。
おいしかったし、初めての味わいだった。

食事と一緒に出てきたのは、私が大好きなお酒。

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真っ白な米酒だ。
とっても甘い。度数を訊いたら、10度くらいとのこと。
私は甘いお酒があまり好きではないのだけど、お酒自体が好きなので楽しんで飲んだ。

ところでこのお酒、ヒョウタン型に入っている。
このヒョウタン型のお酒、あちこちで見かける。
実は、先ほどの蝴蝶妈妈の伝説には続きがある。
ある時、雷神が捕えられた。
その雷神をある兄妹が水を与え解放してしまう。
すると雷神は兄妹にヒョウタンを与えた。
そのあと雷神が引き起こした洪水により、兄妹以外のすべての人間ー蝴蝶妈妈が生みだしたーは死んでしまった。
しかし兄妹だけは、このヒョウタンに逃れ助かった。
助かった二人は肉塊を産み、それを細かくすると人間になった。
これが、ミャオ族のルーツだというのである。

みんなは食べ終えて、次々と外に出ていった。
ガイドさんは私の隣りに座っていた女の子に私たちを指して、「二人を頼むね」と託した。
私たちにも、「彼女についていきな」と言った。

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私はのんびりと、厨房を覗いたり。
やっぱりカゴが多用されているよう。

私たちはのんびりと周囲の景色を楽しみながら、バスまでの道を進んだ。
この時には名前をまだ知らないが、彼女の名前はシェン・チゥユンといった。
チゥユンは隣りの隣り、雲南省に住んでいるのだという。
一人で旅行をしているらしい。
頭に花冠をかぶり、とてもかわいい。

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途中、こんな衣装が並べられた建物が。
観光客向けの貸し衣装だ。
ミャオ族の衣装だけれど、本物ではないだろう。

一言にミャオ族といっても、言語、服飾などから様々に分類することができそれぞれを違う民族ととらえることもできるそう。
たとえば、赤ミャオ、青ミャオ、黒ミャオ、など。
これは衣装の色を表している。
古城などに散らばっている衣装屋が持つ衣装は赤がメインだったけれど、青や白なども色もあり人気だった。
本物ーつまりミャオ族の女の子がお祭りの時にまとう姿ーを目にすることができなかったのは残念だけど、それも当然の話だ。

ミャオ族にはお祭りがある。
その中でも毎年春に開かれる姉妹飯祭というお祭りでは、若い女の子たちが華やかにこうした民族を身に纏い、家宝ともいえるような素晴らしい細工の銀の装飾をじゃらじゃらと身につけ歌うのだという。
昔、同族の婚姻はタブーだったため、娘たちは村の外で結婚相手を見つけなければならなかった。
しかし、なかなかそんな機会などない。
そこで、お祭りを開き身を飾って、よその村の男性を呼んだ。
帰り際にはお土産におこわを持たせた。
それがきっかけになって男性たちはまた女の子たちに会いにくるようになり、恋愛のきっかけになるというものだ。
つまり、出会いの為のお祭りだ。
きっと華やかなお祭りなんだろうな、と思う。

17021232.jpg

こちらは、衣装と一緒に並んでいた、銀の冠。
もちろん偽物だけれど、ミャオ族がどれだけ精巧な銀細工を持っていたのかを知ることはできる。
銀はやわらかい。
ぐしゃりとやってしまったら大変だな、とつまらないことに頭がいく。



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2017-02-27

鳳凰旅行三日目~その二~

のどかな農村風景を歩いていく。
三歩歩いては立ち止まり、また三歩歩いては写真を撮る。
ガイドさんに面倒を頼まれたチゥユンはなかなか進めなくて困っているだろうな、そう思って見てみると、彼女もあちらこちらで立ち止まりスマホで写真を撮っている。
外国人である私たちは当然だが、隣りの隣りの省、雲南省に暮らす彼女にとってもこの農村風景は美しいのだな、と思った。
彼女は、私がミャオ族の衣装を写真に撮っているのを見て、近寄ってきて自分も撮った。

17021234.jpg

昔々…、そんなふうに話し出したくなる。
なだらかな山々に囲まれ、田んぼに瓦屋根。
日本人のノスタルジーを掻き立てる。
ノスタルジーがありながらも、私たちが知らないもの持たないものをたくさん持っている。
懐かしくありながら、ここは未知の場所だ。
だから、中国の農村だとかまたは街の路地裏なんかに、惹かれてやまない。
そんな日本人がいては、一度魅せられると抜け出せなくなるのだと思う。

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しかしこうした風景は、旅行者にとっては結局たんなるコレクションのようなものに過ぎないのではないか、そんな風に思うことがある。
私は今まで、いろんな場所に旅行してきた。
それらを思い浮かべては充実した気持ちになり、また次の旅への意欲が湧いてくる。
今度はどこへ行こう。
どうせなら今まで行ったことがない場所に行きたい。
でもあの時行ったあの場所へも、もう一度行ってみたい。
けれども、私はそれらの場所や思い出や、出合ったものたちに対して、ー自分の範囲に於いてはーなんの責任ももたない。持たなくてよい。
だから、旅行者というのは非常に楽だ。
あの風景は失われてしまった。
この風景は残されてほしい。
失われる前に行ってみよう。
あそこにはもう行く価値はない。
好き勝手に感想をもっていい。なぜなら、私たちは単なる訪問者だからだ。

目の前に広げられた収集品は、私のものだ。
どれをどのように集めようが、私の自由である。
また、それら収集品をどのように保管しようが、どのように並べようが、どのように思おうが、私の自由だ。
コレクションとは、そういうものだからだ。
集められたものがある傾向に偏ったものだろうが、あるいはまるで秩序なくバラバラであろうが、それも一向にかまわない。
そして、その収集品ーたとえば、切手であろうと古銭であろうと陶磁器、絵画であろうとー自分のもの以外に責任を負わない。

旅行とはまるでこうした収集品のようだ、と思うことがある。
私は今まで集めた収集品を胸に、さあ次は何を手に入れようかと悩んでいる。
けれども、手に入れたあとのことに対しては、構わないのだ。
もし、そこに責任を負うようになったならば、もうそれは私にとって単なる収集品ではなく、また私自身も単なる収集家ではない。

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道端でミャオ族のおばあちゃんが織物をしていた。
カラフルな糸を数本、古銭の穴に通してそれを器用に絡めていく。
いずれ、道々に売られていたあのお土産品になるのだろうか。
おばあちゃんは私たちの方を一瞥もせず、ただ手元だけを見て模様をつくりあげていく。

17021237.jpg

これがその織りあげられた姿。
鮮やかな模様には少しの乱れもない。

こうして私たちがバスまで戻ったとき、ほとんどのツアー客はすでに集まっていた。
ふたたび運転席隣りの特等席に座り、鳳凰古城へと戻る。

古城外れに戻ってきたのは、もうすぐ15時という時だった。
バスは少し賑やかな広場で停車した。
もう観光は終わったはずなのに、どうやらまだ立ち寄るところがあるようだ。
ガイドさんが促した先にあったのは、「苗族銀飾鍛制技芸伝習所」。
ツアーにはお決まりのあれだ。
つまり、ここは伝統工芸の銀細工を研究しているところで展示もしてるし買えますよ、というところ。

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入り口入ってすぐ、床にはガラスが張られ、その下には銀塊。
金のはよく見るけど、銀のは初めてだ。
1958年から1966年まで、国庫の銀はここ鳳凰とその周辺から採掘された銀をしていたのだそう。
これら銀塊のレプリカは、それを模したもの。
本物はひとつ50㎏あったのだという。

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今まで見たミャオ族の冠はみな偽物だったけれど、これは本物の銀。
現代ここで制作されたこれを、本物というべきかそうでないかはわからないけれど、少なくとも銀製という点では本物だ。
細工の細かさもさることながら、これいったいいくらするんだろう。
情けないけど、すぐにそういう発想になってしまう。

内部は銀製品売り場だった。
イヤリング、首飾り、ブレスレット、そんなアクセサリーから、食器、それからお茶ボトルまで。
銀の価格、1g=35.8元(現在のレートで590円前後)。
そんな表示があるが、やっぱり高い。
この重さで価格が決まるので、銀をたくさん使っているものは当然高くて手が出ない。
手頃に買えるものとして小さなピアスくらい。
どうしようかな~と迷ったが、わざわざ高いところで買う必要はない。おあずけとした。
顔を上げてみれば、買い物姿勢なのは私ひとりで、みな隅に座って携帯の時間になっている。

ここを後にして向かった先には、鳳凰古城のシンボル「虹橋」があった。
すでに見慣れた場所だ。
虹橋は古城の東端にある。私たちはすでに古城まで戻ってきた。

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この虹橋は高みを通っており、横に顔を向ければそこには建ち並ぶ民居の瓦屋根があった。

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道を歩いていてこの高さに屋根を見ることはないから、新鮮な感覚だ。
見下ろせば、路地をゆく人々。
私たちはかれらに気づくが、道を行き交うかれらが私たちに気づくことはない。

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この虹橋から望むことができる、吊脚楼。
昨日は曇りだったけれど、やぱり明るい日差しの下に見るそれは、全然ちがった印象だ。

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さらに万寿宮の方向。
冬枯れの木々が、かえって沱江の翡翠色を際立たせてるようだ。

虹橋を越えて、すでに数度通過したあの道を歩いた。
上海までは***㎞。
愛までは?
各地を示すあの標識があった道だ。
その道沿いにひとつの寺院があった。
私はすでに昨日その存在を知っていたけれど、特に興味を惹かれなくて通り過ぎた場所だ。

石階段にはチベット仏教風のあのカラフルな旗が交差している。
そこを登り切ると、ちょっとした高みに出た。
ツアーのガイドさんは階段下で待っているといい、ここではこの寺院のガイドさんが付いた。
ガイドさんが待機する寺院って、そんな見所なのか?
そんなふうには見えないけれど。

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ガイドさんは早口で途切れることなく解説をしてくれたが、興味がなかったのとどうせ理解できないだろうと、私は最初から放棄していた。
「三王廟」
清代の創建のようで、当時のミャオ族の鎮圧に貢献した楊家三人をもって三王として祀られているようだが、そんなのはどうでもいい話だ。
なぜなら、私はすでに胡散臭い雰囲気を感じていたからだ。
建物はそう歴史的な価値があるものには見えない。
ただ、この高みから望むむこうの景観が素晴らしかったので、それだけを見ていた。

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咲き始めた梅が、きれいだった。

ガイドさんは何度も口にした「あらゆる友達」というのが胡散臭かった。
私たちは堂内に入り、並んで座った。
お坊さんのお説教というわけだが、私には難しいのでどのみち聴く気はなかった。申し訳ないけれど。
眠いな~トイレ行きたいな~疲れたな~いつになったらこのお説教終わるんだろう~
そんなことばかり考えていると、
「そこのお嬢さん、あなたはどう思う?」
あろうことが私に意見を振ってきた。他にもたくさんいるだろうに。
ぜんぜん話を聞いていなかったので、ごまかすこともできず。
シーンとし、気まずい静けさ。
「…聞いていませんでした」
まともに勉強していなかった高校時代を思い出す。
「彼女、外国人です」
神妙な顔をしながら、斜め向かいの男の子がフォローしてくれた。
お坊さんは、何事もなかったかのように説教を続けた。

やがて、私たちに赤いお守り袋のようなものが配られた。
なんだかわからないけど、もらえるなら。
一人ひとり、丁寧に両手で受け取る。
すると、一人二人と、順番にあちらの部屋に連れて行かれる。
なんだ…?
やがて、私たちの順番がやってきた。
親子だというと、二人で部屋に通された。
すると、その部屋にはいくつかの机が用意され、それぞれにお坊さん、その向かいに先に通されたツアー客が座っていた。
「あなたの運はね…」
そんなことを話す雰囲気だが、聞く気はないので最初に「外国人でわかりません」と断った。
すると、なんと。
「200元払いなさい」 と。
お布施というやつか?
でも、私は別にここに来たくてきたわけじゃない。
聞きたくて話を聞いたわけじゃない。
仏教徒でもない。
話の内容も私には届いていない。
つまり、ご加護というのがあったとしても、少なくとも私は受けていない。
「听不懂」 言葉がわからないので聞き取れません。
それを繰り返した。
「200元払いなさい」
お坊さんもあきらめず繰り返す。
最後には、紙に「200元」と書き、隣にある功徳箱に入れるようジェスチャーで示した。
「私たちは外国人、わかりません」
最後にお坊さんは、もうあっち行けとでもいうように、諦めた。
その前に、赤い袋を置いていくように促されて。

外には367歳の神亀がいるという囲いがあり、逃げないように網までかかっている場所があった。
乾隆帝の時代から生き、今に至るのだという。
果物と野菜が好きで温厚な性格、なんてことも書かれているが、どこをどう探しても、この神亀の姿はない。
名前は、貝貝、というらしい。
やっぱり、ここ胡散臭い。そんな印象が強まる。

外で待っていると、次々とツアー客が出てきた。
チゥユンの姿が見えたので、
「お金払えって言われたけど、あれなに?」 と訊いてみた。
「あれはお布施だよ」
その表情から、彼女はきっとお布施したんだろうな、と感じた。
「みんな、払うの?」
「払う人もいれば、払わない人もいるよ」
私の不信感が彼女には伝わらないようだった。

後日、帰国してから中国語のQ先生に尋ねてみた。
すると、「中国人であれば、多分みな払いますよ」 と。
なんと。
なぜなら、例え偽和尚だったとしても胡散臭かったとしても、その後が怖いという意識が働きお布施するのだと。
Q先生は以前、もっと桁違いのお金を求められ支払ったことがあったそう。
「私だけであればいいよ、でも娘のことを言われたから怖いですよ」
先生は、「呪」の文字を書いた。
「これが怖いです」
私も、もし日本でこんなことがあったら、あり得ないとはわかっていてもやはり怖いと思う。

「平安」と何度も繰り返した、お坊さん。
矛盾を感じる。

この三王廟を後にして、もうツアーは解散のよう。
ガイドさんはしきりに私たちを気にしてくれて、何度も「あといくつで観光終わるから、そのあと送ってあげるよ」と話していた。
最初は南華門まで帰ると伝えていたが、今いる虹橋付近は南華門の反対側でありまた宿泊しているホテルに近かったので、
「宿泊している鳳天ホテルはこの近くだからそこまで帰る」と伝えた。
すると気づけば、ガイドさんとチゥユンと私たちの四人になっていた。
四人でホテルまで歩き、途中、混沌の中をかろうじて進む乗合電動車へ乗車してホテルまで戻った。
古城付近、行けるところまで通る電動車なので、ちょっとでも歩く距離を省きたい場合には便利そう。
乗車賃は1元。
道とはいえない道を、なんとか進んでいく。

チゥユンにここで私の連絡先を渡した。
「もし日本に来ることがあったら、必ず教えてね」
彼女もまた、私たちと同様に明日雲南に帰るのだという。
一人旅だということと、落ち着いた雰囲気から、なんとなく共感したのだ。
ミャオ族の村でご飯を食べた後から行動を共にした私たちだったが、実はそんなに色々話したわけではなかった。
私は人見知りなので、あまり話しかけてこない彼女に積極的に話しかけることはしなかったのだ。

ホテルに着くとガイドさんは帰っていったが、チゥユンは一緒にそのままフロントへ。
どうやら、今夜の宿は私たちと同じこのホテルにしたよう。
私たちの部屋の番号を聞き、近い部屋をと要望している。
部屋に着き、ここでチゥユンとも別れた。

昨日は携帯をなくし落ち込んだ気分で、ぜんぜん鳳凰の夜景を楽しめなかった。
明日は早い。
7時には発つつもりなので、今夜が最後。
後悔しないように残りの時間は古城内でゆっくりすることにした。

ホテルで休憩してからふたたび古城に。
やっぱり記念として、ミャオ族の装飾のように繊細な銀細工を買って帰りたかった。
けれどもあまりにもあちらこちらにそうしたお店はあり、決められない。
最後に選んだのは、店先でテーブルを囲みご飯を食べている一家が開いているお店だった。
対応してくれたのは奥さん。
私が選んだのは繊細な花模様のブレスレットと、模様が刻まれたスプーン二つだった。

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こうした繊細な細工は他では出合ったことがなかったが、ここではどこにでも見ることができるものだった。
麗江にも銀細工を売るお店は多かったが、デザインが全然異なる。
だからせっかくここを訪れたならば、ミャオ族の思い出が残るようなものが欲しかった。

価格は交渉制。
定められた価格はなく、銀の単価に重さをかけていく。
銀1g=16元ちょっとだった。
先ほどツアーで立ち寄ったところは、1g=35.8元だった。ここまで差があるもの?
いくら?と訊くと、量りに商品を載せ、電卓をはじく。
そこから値引きの交渉だ。
ブレスレット、スプーン二つ、最初980元だったのを850元にしてもらった。

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こちらは東門城楼を、北門側から振り返って見たところ。
右手には「楊家祠堂」が映る。
この楊家祠堂も、昨日買ったチケットのうちに含まれるが、もうすでに閉まっている。
結局、チケット対象の観光地九つのうち、その大半は立ち寄ることがなかった。
もったいないけれど、これでよい。
旅先でお金はケチらない。
無理して興味ないところまで回らない。
興味があるところを満喫できればよい。
これが私のモットーだ。

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昨日は登って歩くことがなかった、城壁沿いの歩道。
そこからは横に建ち並ぶ家屋を見下ろすことができる。
器は古い家屋だけれど、中身はお店。

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角度を変えて見てみれば、お店に変わってもこれらが生活感をいまだ持ち続けていることがわかる。
住居なんだな、と納得する。

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こちらは、鳳凰古城で沱江に対して三つ並ぶ城門の真ん中、北門城楼。
銃眼が目を引いたあれだ。

こうしていると、あっという間に日は暮れ、古城は夜景に変わっていく。

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この城壁から沱江の向こうを覗くと、ため息が出るよう。
もうすでに、夜。

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灯りが灯りだすこの時間帯が好き。
けれどもこの黄昏はほんとうに過ぎるのが早くて、まばたく間もない。

この城壁沿いに、「湯円」を売るお店を見つけた。
昨日は元宵節だった。
年越しには水餃子を食べる。
中秋節には月餅を食べる。
では、元宵節には?というと、この湯円を食べるのだという。
実は、一昨日の夜に鳳凰に到着した夜にすでにそれを売るのを目にしていた。
袋に入っていて、家で茹でればできあがり。
でもできれば、できたものをここで食べてみたかった。

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白玉に餡は黒ごま。温かくて素朴でおいしい。
これにあろうことか、ビールを合わせる。
母は今回の旅行で、この湯円が一番気に入ったそう。

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そうこうしていると、外はもうすっかり夜景。
水面はまるで天然の鏡だ。
ここの夜景はすべてこのように対になっている。

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千と千尋の世界みたい、なんて言ったら軽いだろうか。
そう感じさせるのは、この非日常感だ。

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こちらは、何度も足を運んだ鳳凰大橋。
ふたたびこの橋に登り、リージュエンの民宿があるあたりまで行ってみた。
夕食は古城外で、と考えていたからだ。
明日は早朝に発つのでリージュエンに用意していたお土産を今日のうちに渡したかった。
けれど彼女たちは家の用事で出かけていたので、この辺りでご飯を食べながら帰るのを待ってみようと思った。

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選んだのは、叫花鶏はじめ、沱江で獲れたエビに、安心するじゃが芋炒め。
叫花鶏を初めて見かけたのは、南京だった。
あちらこちらで、瓜のような大きさで炭みたいな雰囲気の塊を見かけ、「これ、なに?」と思ったものだった。
あれはつまり、中に鶏を隠して焼いたものだったのだけど。
一人では食べきれない。
今回は一人ではないので、せっかくならば一人旅の時には食べれないものを頼んでみたかった。
この鶏肉、とてもやわらかくて食べやすかった。
さらにお酒はビールではなくて、白酒とかワインを飲んでみたかったけれど、このあとの予定が不確かだったのでビールで我慢する。
食べ終わっても、まだまだリージュエンたちは帰ってこれそうになかったので、民宿の入り口にお土産を置き戻ることにした。

少し名残惜しかったので、昨日立ち寄ったカフェに行ってみることに。
その正面には、城壁が堂々と輝いている。

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沱江を挟んで、向こう側が城内だ。
だから鳳凰古城といっても、ここは厳密には城外になる。
城内には銀細工や民芸品を売るお店が多く、こちら側の城外には酒吧(バー)が多く建ち並んでいた。

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こんな派手なお店が数多く並び、そのどれもが激しい音楽を響かせている。
派手なライトが違和感になっていないことが不思議だ。
私はこの派手な光景を見て、なぜかお盆を連想した。
あろうことか、盆提灯を連想した。
ここはまるでどこか別世界に紛れ込んでしまったかのようだ。

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いつまで見ても見飽きない、鳳凰の夜景。
これはもう完全に、沈従文が辺城に書き表した鳳凰の姿ではない。
鳳凰の美しさはどこに?
沈従文の本の中に。
黄永玉の絵の中に。
宋祖英の歌の中に。
それはすでにどれも違う。
でも私は、今目の前に広がっているこの作られた美しさが好きだった。

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昨日のカフェにまた入ってみた。
すると、昨日の夜に携帯のことを訊ねた男性がいた。
本当はもっと強いお酒が飲みたかったけれど、カクテルを一杯頼む。
「携帯見つかった?」
店員さんは笑顔でそう訊いてきた。
私たちのことを覚えていたんだ。
「見つからなかった」
そういって、カクテルを飲み終えようとするころ、「サービスだよ」とおつまみを出してくれた。
サービスなんて、この中国では初めてだった。

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お店を出て、帰り道。
向こうには鳳凰のシンボル、虹橋。
それはまるで宮殿のように、煌びやか。
でもそんないかにも中国とした輝きのなか、どこまでも大音響で響き渡るのは飲み屋さんの賑わい。
沱江の城外こちら側には、飲み屋さんがずらりとひしめき合っている。
先ほどのカフェも夜には飲み屋さんになり歌手が歌を歌っていたが、騒ぐようなお店ではなかった。
しかし虹橋までの帰路、右も左もそんな大音響のお店ばかり。
店内はカラフルなライトが回転し、目がくらむよう。
歌手が歌を歌い、ダンスする若者でひしめき合っている。
かつて山間にひっそりと存在していた無名の古城の姿は、ここにかけらもないようだ。
一体ここはどこなのだろう。
都会に見るような酒吧であるが、この古い建物が密集し絢爛とした中に窮屈にひしめき合うそれら、そしてそこで楽しむ若者たちの姿はどうしても異質で、都会にあるそれらとは違う雰囲気を作り出している。
まるでどこか違う空間に迷い込んでしまったかのようだ。

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昼間見た吊脚楼の建物も、夜はこのような姿。
灯りひとつないような山々に囲まれたこの場所に、突如現れる夢の場所だ。

昨日はミャオ族の火祭りを見た。
ミャオ族は自然崇拝の民族で、あらゆる自然物を信仰の対象にした。
その中でも火が特に神聖視されたのは、暗闇の存在だと思う。
暗闇を破る火の存在は神そのものだった。
ときは現代になり、この絢爛さはその暗闇を打ち破る火の代替に過ぎないのかもしれないとも思った。
なぜこんなにも光り輝かなければならないのか。
でなければ、迫りくる闇に負けてしまうから。

賑やかな建物の並びに対して、沱江の水面は静謐としていた。
その対極があまりにも極端で。
鏡のような水面に写る夜景は、どちらが現実のものなのかわからなくなるほど。
そしてその対照は、ほんとうに鳳凰が羽を広げているかのようだ。


ホテルに戻ったのはすでに深夜だった。
携帯を見てみると、微信にメッセージが入っていた。今日連絡先を教えた雲南の女の子シェン・チゥユンからだった。
彼女は私たちの部屋からすぐ二つほど先の部屋に宿泊を決めていた。
「お酒飲んだ?」
「少しだけね」
「私もだよ、この後、部屋で一緒に飲まない?」
彼女の誘いに答えると、「今まだ外にいるから買って帰るね」とあとで連絡が入ることになった。
明日は朝7時には出発するため、早い。
旅行中ずっと寝るのが遅かったし現在すでに遅い時間だったので、ちょっと迷ったけれど。
さらに母は寝ないで待っているという。
けれど、もう彼女と会う機会もないかもしれない。
せっかく部屋を近くにとってくれたこともあり、少しだけ行ってみることにした。

連絡が来たのは23時半を過ぎたころだった。
部屋に行ってみると、チゥユンの他に男性が二人。
今日のツアーに参加していた二人で、片方の男の子はお寺での説教の際に助け舟を出してくれた子だった。
「三人は友達なの?」
チゥユンは一人旅だと話していたけれど。
「ここで友達になったんだよ、中国人は友達を作るのが好きだから」
彼女はそう言った。
男性二人は、河南から二人で来たのだそう。
チゥユンと助け船の男の子ソンジアはともに25歳、もう一人のハイタオは32歳。
私が最年長だ。

私は中国の携帯をなくしてしまった話をした。
すると、「昨日火祭りのとき、目の前で写真を撮っていたかと思うと突然こんなふうにして向こうにいってしまったんだ」
ソンジアがあたふたしたような動作を真似しながらそう言った。
「あの時には何があったのかわからなかったけど、そういうことだったんだね」 納得したように言う。
どうやら、彼ら二人も同じ火祭りしかも同じバスで参加し、私たちのすぐ後ろにいたよう。
「中国では携帯なくしたら戻ってくるなんてあり得ないよね…」
私がそういうと、三人もうなずく。

「そういえば、二人とも小さな“袋”をこんなふうに使っているんだ」
ソンジアが手でこんなふうにと見せながら言う。
私たち外国人二人は、少なからず注目を浴びていたよう。
実は私たち母娘は二人とも愛煙家で、旅行の際には携帯灰皿を持っていく。
今まで他の中国人にも指摘されたことがあったが、中国人にはこの携帯灰皿が珍しいようで、「さすが日本人だ」という反応をもらうことがあった。
チゥユンも二人も煙草を吸う。
ハイタオが自分の煙草をみんなに分けた。
中国ではお酒の飲み方からもわかるように、「どうぞ」とみんなで分け合う。一人よりかは一緒に楽しむ。
ただし、日本の煙草は中国人にあまり好かれないことが多いので、私がそれをすることは少ない。
「今日昼間、彼女のお母さんが私に日本の煙草をくれたけれど、軽くて自分には馴染まなかった」
チゥユンがそう二人に話す。
中国の煙草は比較的重いものが多いので、日本のように6ミリとかそんなのは物足りないと感じるひとは少なくないよう。
私が持っていた中南海という中国ではどこでも見かけるスタンダード煙草を見て、ハイタオも「これ軽いから」と言った。

私たちはハルピンビールを何度も乾杯し、私は遠慮しながらそれでも2本、彼らはもっと飲んだ。
この何度も乾杯するのも、私にはまだ慣れない。
「さっきまでウイスキーみたいなのを飲んでいたから、ちょっと酔ってる、混ざってるから」
チゥユンがそう言う。
私は酔っていなかったけど、彼らと酔うくらい飲めたら楽しかっただろうな、と少し残念に思った。
旅先の出会いは素晴らしいけど、この広い中国では、その次がなかなか難しい。
私はけっこうそれでも会いに行ってしまう方だけど、それでもそれはけっして簡単なことではない。
この四人でまた会う日はもう来ないかもしれない。
そう思うと名残惜しかったけれど、時間が気になっていた。
私ひとりであれば寝ないで次の日でもなんとかなるけど、母は寝ないで待っていると言っていた。
帰らなければ。
そうして、二人とも連絡先を交換して一人先に部屋に戻ることに。


部屋に戻った時、時刻はまもなく深夜2時というころだった。
速攻でシャワーを浴びていると、部屋で電話が鳴るのが聞こえた。
出て訊いてみると母が言うことには、
「出てみたらすぐ切れた」という。
言葉が一切できないのに電話に出る母もすごい。
チゥユンかな?
そう思って自分の携帯を見てみると、微信を通して数度着信があった。
民宿のリージュエンだった。
メッセージも。
「いる?もう寝てるんだと思うけど、重要な用事があって連絡した。どうやったら連絡つくの?」 と。
数度立て続けにメッセージが並ぶ。
「実は携帯の持ち主から連絡があった」
なんと。
「何度電話かけても繋がらない、ショートメールにも反応ない。でも、さっき急に返信があったの」
なんと。
リージュエンはショートメールの会話の内容を画面コピーして送っていた。
それを見てみると、彼女がこの携帯が外国人の友人のものでとても大切なものであること。
とても大切だけど、明日早朝には帰国してしまうこと。
返してくれたら報酬を渡すこと。
自分の連絡先と所在地。
そんなことが簡潔に並べられている。
そこに「可以」 いいよ。
「200元くれたら返す」
どうする?リージュエンは私に問う。
「いる!」
でも、どうやって?
今は2時。
明日は7時には空港に向かう。
彼女が持ち主から携帯を取り返し私に手渡すのには、どう考えても間に合わない。
「携帯を受け取って、新疆の友達に送って。あらゆる費用は彼に立て替えてもらうから」
焦って何度も打ち間違えながら、メッセージを彼女に送る。
彼女は待ちきれずに何度も電話をかけてくる。
「そんな面倒なことする必要ない。今から受け取って渡しに行くから!」
10分後。
「携帯受け取った!ホテルの前で待ってて」
彼女から連絡がきた。
私はシャワーを浴びたあとのまんまの格好だったが、そのまま急いで凍える寒さの外に出た。
携帯を渡しにきてくれたのは、旦那さんだった。
200元を渡し、何度もありがとうを言い、旦那さんは帰っていった。
リージュエンから連絡が来てから、つまり携帯の拾い主から連絡が入ってから、20分で私のところまで携帯は返ってきた。
すさまじいスピードだった。

携帯のショートメール画面を開いてみると、「あなた多分、現地人でしょ?すぐ来れるでしょ?」といったリージュエンのメッセージが相手に送られていた。
その返事はなかったが、携帯が届けられた時間を考えると、やはり現地人しかも古城すぐ外かその付近の人間だと推測できた。
こんなことは考えても知っても仕方ないので、私は彼女に拾い主がどんな人間であったかは訊ねなかったが、母はとても気になるようで、ずっとその話をしていた。
どこでなくし、誰に拾われたかは今も謎だが、それが手元に戻ってきたのはかなりの幸運といえる。
この携帯もまた、私と縁があるのに違いない。
そして何より、手助けしてくれた彼女たちの存在だ。
すぐにでも眠らなければならないのに、いつまでもそんなことを考えていた。


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まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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