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2018-03-01

天津訪問一日目~除夕・前編~

2018年2月15日、今年二度目の天津へ。

一生結婚しそうもなかった私が、人生とは不思議なもので天津人のインさんと婚約の運びになり、どうやら今後は天津に暮らすことになりそうだ。
けれども私の事情により時間がかかるため、日本と中国の行き来をしばらく繰り返すことになる。
中国に渡る回数は増えるだろうが、かといって旅行となるとどれだけの頻度、どれだけの行動範囲でできるかは予想がつかない。
天津を訪れながらも、これからもできれば色んなところにも足を運びたい、そんなふうに思いを巡らせている今。
中国が、旅先としてだけではなくもうひとつの家になる、ということを感じ始めている今でもある。

今回の目的地は、冒頭にあらわした通りその天津だ。

私が初めて天津を訪れたのは、7年前の2011年5月。
まだ慣れない一人旅だった。
二度目は今年のお正月。
インさんとハルビン旅行をした後に天津に立ち寄り、初めてのお宅訪問をした。
今回は私にとって三回目の天津であり、そして二回目のお宅訪問でもある。

またこの2月中旬、中国は旧正月「春節」を迎える。
中国国内みな大連休で大盛り上がり。
インさんも二週間まるまるお休みになる。
私の職場では一年のうち最大でも5日ほどの連休しかないので想像もできないが、要は中国においてそれだけ春節の重要度が高いということだ。

2月は比較的お休みを申請しやすい時期でもあり、私は「春節の第一週か第二週に、天津に行きたい」 とインさんに提案した。
すると、
「一週目に来てよ」 と即答。
「今年は15日に除夕(大晦日)で16日が初一(元旦)だから、その時に家に来てよ」
そういうことになった。
今回の旅程は四日間。
大晦日にあたる15日から、初一、初二、初三、とお正月三日間を過ごして18日に帰国する。

最近は中国旅行に東京を利用することがほとんどになり、しばらく名古屋の中部国際空港を利用していなかったが、実は名古屋には天津と繋がるJALの直行便がある。
7年前の天津行きにもこれを利用したのだった。
今回はこれを利用し、天津へ。

初めてカプセルホテルというものを体験し、予想外の快適さに楽しみながら前夜を過ごして出発した。
2月15日は木曜日。
日本は春節の習慣がないから、それがいつなのかということを知らないまま終わる人も多いだろう。
そんな日本ではごく普通の出勤日。
一方、春節連休を利用して海外に出る中国人は少なくないだろうが、私とは入れ違いだ。
天津行きの飛行機はがらがらで、久々の三席シート独り占め。

天津濱海空港に到着したのは、13時半。

イミグレーションでは念入りな指紋登録に時間がかかり、到着ロビーで待っていてくれるインさんをかなり待たせることになった。
左手四本、右手四本、その後親指二本。これが何回も登録失敗する。
しまいにはセンサーと手とをアルコールできれいにし、再挑戦。
「指紋登録なんて初めてだよ、天津は厳しいの?」
再会し最初にしたのは、こんな花のない会話だった。
「日本も指紋とるだよ」
私は日本のイミグレーションでそんなことをしたことがないから、もしかしたら外国人にはそんな対応をしているのかな。

1802151.jpg

7年前にも同じこの空港に降り立ったはずだったが、どうにも記憶が呼び起こされない。
よくある普通の空港だ。
以前に、「天津の空港は北京首都空港みたいな規模だ」なんて自慢気に話していたインさん。
「これのどこが北京と同じ規模なの?」 そんなふうに言ってみると、
「国際線のは古いんだよ、国内線の方は北京みたいに色々あるんだ、ほんとだよ」
むきになって説明する。

荷物を転がし駐車場に向かい、インさんの車に荷物を詰め込んだ。
トランクのドアを閉めてふと窓ガラス越しに後部座席に目をやると、なにやら大きな花束がある。
「なにかあるよ?」
そう言うと、「ばれちゃったよ、見つけちゃった?」
そう言うインさんはどこか満足気だ。
こんなにどうどうと置いてあったら気づかない方が難しい。

1802152.jpg

花束を受け取り私がどんな態度をとったかというと、感動し涙ぐんだ、のではなく。
あろうことか大笑い。
自分でもわからないが、なんでだか笑ってしまう。
花束で出迎えなんて、今までそんなシチュエーションに出合ったことはなく、想定外だったからだろうか。
私の身体はこういうときにどういう反応をしていいかわからず、とりあえず笑うことにしたようだ。
「日本ではあんまりこういう習慣がないから」
いくらなんでも失礼だと思い、慌ててそう言い訳する。

「まゆちゃん、11本あるんだよ」
バラと百合を中心にまとめた華やかな花束だった。
「この11本にはね、“まゆちゃんだけを思っている”っていう意味が込められているんだよ」

中国には、花の数に意味があると以前に聞いたことがあった。
1本は、“あなたは私にとって唯一”。
2本は、“世界の中にはあなたと私だけ”。
33本は、“三生三世”、つまり前世も来世も。
51本は、“私の心の中にはあなただけ”。
66本は、“私の愛は永遠に変わらない”。
108本は、“プロポーズ”。
こんな風に1本から順々にそれぞれの数字にいちいち意味がある。
中には意味かぶるんじゃないの?なんてのもあるけど、そんなことはどうでもよくて、つまりは何本の花束をもらっても何かしらの意味を受け取ることができる中国らしい考え方だ。
たった1本の花でさえ、最高の贈り物になる。
ちなみに、
365本は、“毎日愛している”。
999本は、“無限の愛”。
1001本は、“永遠に達する”。
「例えば1001本の花束をもらったとしてどうやってわかるの?」
いちいち数えないとどの意味かわからない。ここまでの数にもなれば、なかなか骨の折れる作業だ。
こんなことを考える私には、おそらく花束を受け取る資格がないだろう。
花の数により意味がある話に私が頷くと、
「なんでまゆちゃん、そんなこと知っているの」
インさんの口調が気持ち鋭くなった。

車に乗り込んでみると、花の中に埋もれた何かがある。
ふたつの封筒だった。
封筒はシールで封がされていて、そのシールには(1)、(2)と、数字が振られている。
「一枚に書ききれなかったんだ」
インさんはそう言った。
封筒は開くとその内側が便箋になっているタイプだった。
そうは言っても(1)と(2)なんて、インさんらしい。
さっそく開いてみると、子供みたいな字で、でも一生懸命な字がぎっしり。
内容はまるでビジネス文書のラブレターだった。
またまたつい、笑ってしまう。
「昨日夜の2時までかかったんだ」
それで朝早くに起きて花を買いに行ったから寝不足なんだ、そう言った。
そんな苦労を台無しにしてしまう反応をしてしまったかと焦ったけれど、そういうわけでもないようで安心する。
「ごめんね、ただこういうの慣れてなくて」

インさんが生活する開発区方面は、この空港を挟んで天津中心地とは反対方向にある。
天津を訪れる観光客のほとんどが足を向けるのは、旧城があり租界時代の名残がある和平区だ。
市の中心部といえ、インさんはそのエリアをいつも「市内」と呼んでいる。
一方開発区は、都市開発が猛スピードで進む経済最先端エリアで、多くの世界企業が集まり、海外に開けた自由貿易の港湾を持つ重要地区だ。
天津といっても広い。
開発区と市内は、それぞれ天津の異なる表情を持つ対照的な地区だ。
天津濱海空港は、その二つの表情のちょうど真ん中に挟まれるように位置する。
「じゃあ、今は市内とは反対方向に進んでいるんだね」
となると、7年前に空港から街中に向かった時、私はこの道を使わなかったことになる。
そういうと、インさんは頷いた。

1802153.jpg

高速道路はまっすぐにのびる。
街灯には真っ赤な中国国旗がえんえん向こうまで続く。
「春節と国慶節の時だけこんなふうになるんだ」
中国にとってもっとも重要な日だからね。
インさんはそう言った。
訊いてみると、普段はこのようにはなっていないそう。
今日は大晦日。
もう春節は始まっている。

日本よりも広い高速道路に走る車はまばらで、インさんは快適に車を飛ばした。
速度は120㎞。
「中国はみんな車を飛ばすよね」
ゆっくり走っている車の方が珍しいくらい。
「違うよ、この車線は120㎞だからこれくらい出さなきゃ却って危ないよ」
日本とは速度制限の設定が違うよう。
日本では120㎞出せばけっこう痛い点数と罰金になってしまう。
「車線?」
言葉間違えてるんじゃない?
「この車線は120㎞、隣は110㎞、その向こうは90㎞。そのうち標識出てくるから見てごらんよ」
車線ごとに最高速度が違うんだ~。
片側四車線の道路を、インさんは一番左側を走っている。
中国は右側走行の左ハンドル。
左車線が一番早い速度設定になっているもよう。
中国でも免許を取って車を運転するつもりの私だから、まったく違う交通ルールもこれから勉強しなければならない。

空港からのびる空港大道はまっすぐに続いている。
「この道まっすぐにいくとそのまま家に着くよ」
じゃあまるで、この道路は私たちのためにあるみたいだね。
それにこの国旗も、私を歓迎するために掲げられているみたいだよ。
ようこそ、天津へ~。
それは冗談としても、便利であることは間違いない。

1802154.jpg

天津料金所を過ぎて、やがて濱海料金所へ。
「今日は特別な日だから、無料なんだよ」
中国らしいな、とも思う。
けれど、もし日本で高速無料になれば、道路機能が完全に麻痺してしまうことは想像に難くない。
無料なのにガラガラ、中国らしい。
今日は新年を控え、みんなおとなしく家にいるのかも。

高速道路を下りて、市街地に入ったところでインさんが訊いた。
「まゆちゃん、前に見せた赤いところ行ってみたい?」
数日前にインさんから送られてきた微信には、私の大好きな真っ赤なお正月飾りや縁起物を売る様子が写っていた。
「今はこういうものがいっぱい売られていて賑やかだよ」
でも残念、まゆちゃんが来る頃にはみんななくなってしまうよ。
インさんはそう言った。
お正月飾りだから、大晦日にそれを買い求める人はもう少ないだろう。
確かにお正月がやってきたら、しめ縄なんかも売らないもんな。
そんな会話をしていたから、
「まだ、あるの?」 と訊いてみた。
「まだあるよ、行ってみよう」
車は市街地を走り角を曲がりまた曲がった。
人も車も少ないし、ぜんぜん賑やかではない。
街灯に並ぶ国旗以外に、春節を感じさせるものがない静けさは私にとって予想外だった。
もっとイベントのような雰囲気で浮足立っていると思っていた。
「今日は除夕だからね、みんな家でゆっくりする日だよ」
この静けさこそが、これから新年を迎えることの象徴なんだろう。

1802155.jpg

なんでもないような道端に、それはあった。
路上にそのまま縁起物が並べられている、その素朴さが好き。
すさまじくゴミが散らばっていたけれど、それを除いて。

さっそく車を降りて近寄ってみると、今まで見てきた縁起物、対聯(二対になった吉祥の文字)だとか花窓(中国式切り絵)だとか、提灯や縁起結びの飾りなど…そんなのに紛れて見慣れない雰囲気の切り絵があった。

1802156.jpg

赤い切り絵はどこにでもあるけれど、このように黒地に色彩がついたものは見慣れない気がした。
なんだか、子供の頃に見た影絵のよう。

「これはね、“肥猪”といんだよ」
インさんが横から覗き込んで教えてくれた。
題材ではなくてその影絵のような色彩に惹かれたのだけど、ここで着目すべきは題材の方だったよう。
肥猪、つまり太った豚。
「うーん、日本人の女性が嫌がる二文字だね」
そう言うとインさんは笑った。
「肥猪はね、裕福さと実りの象徴なんだ」
肥猪の中には背中に「元宝」つまりお金を背負っているものもあり、お金も呼び込む意味もあるのだとか。
けれど、豚の切り絵はどれもいかにも“悪役顔”だ。
目つきはとてつもなく悪く、豊かさを呼ぶよりも悪を払うといった方がまだ納得できる。
ここにはこの肥猪の切り絵が数多く売られていて、このように影絵風のものから金色のものまで様々だった。
後から知ったことだけれど、この肥猪は天津や河北の伝統のよう。
「犬は貧困を呼び、豚は富を呼ぶ」ということわざがあり、天津人はこの肥猪を好んで飾るのだという。

せっかくの出合いだから一枚買っていこうと迷った末、結局この肥猪ではなく馬と鳥の切り絵を購入していくことにした。
板に張り付けられた見本には、みな番号が振られている。
「この**番と**番が欲しい」
そう言うと、インさんがお店のおじさんに訊ねてくれた。
「なんだ、ここから自分で探してだって」
溜息まじりに指さすのは。

1802157.jpg

切り絵がばさばさに放り込まれた混沌の中から、目当ての一枚を探す。
「本当にそれこの中にあるの?」
そう訊ねるも、「ある」と断言する店主。
壁の見本には確かにいくつか、「売り切れ」の文字がマジックで書きこまれたものもある。
ということは、ちゃんと在庫が把握できてるってことだよね?
けど結局見つからなかったので、手に取ったものの中からそれに近いものを選んで購入することにした。
おじさんが言うには、「二枚で20元」。
そこからインさんが値引いてくれて、15元に。
今日は大晦日。もう売れないだろう。
「もう最後じゃないか、安くしてよ」
しぶしぶの15元に。
けれど家に着いてからインさんのお父さんが言うことには、
「なんで15元もするんだ、2元かそこらのものだろう」
「まゆちゃんの服装で外国人とわかるだよ、それで高く吹っ掛けられた」
インさんはそういうけれども。

18021510.jpg

これらの縁起切り絵は、中国なら年中どこにでも見かけるものだ。
これを「窓花」と呼ぶ。
簡単なものからかなり複雑で大きなものまで多種多様。
「切り絵なんだからあまり安かったら作った人の苦労に見合わないよね」
私がそう言うと、
「これみんな、マシンで作るんだよ、手作りじゃない」
インさんはそう言う。
機械でガシャンと裁断すれば、複雑な窓花が一瞬で大量に制作できる。
味気ない気もするけれど、確かに大量生産しないとこの国の需要にはとてもではないが追いつかない。
そんなにたくさんの切り絵職人がいるとも思えなかった。
たしかに、売られているこれらの赤い窓花は少しの角も歪みもない正確さを持っていて、これは人の手によるものではないと一目でわかる。
「でもね、さっきのあっちのはきっと手作りだよ」
私はそう言った。
先ほど見た肥猪や馬や鳥の切り絵は、まるで折り紙を折って切り取ったような“味”があり、それが気に入った。
「あれも、マシン、手作りじゃない」
高くなったとしても、手作りの方がご利益ありそうだと、私は思うんだけどな。

窓花や縁起結びの飾り物に混じって、段ボール箱に入った小物が目に入った。

1802158.jpg

こういってはなんだけど、お遊戯会で子供が頭につけるものみたい。
これはやはり髪飾りで、お正月につけるのだそう。
「みんなつけるの?」
「みんなじゃない、お年寄りとか子供がつけるんだよ」
蝶や花をかたどったものは年配の女性が、ピンクの派手なものは女の子が。
「お年寄りかぁ、私がつけてインさんち行ったら変?」
「え~それはかなり変なひとだよ」
都会の若者がそういうことをしないだろうことはわかってるけど、でも外国人だしお正月だし、そういう遊びもいいかなと本気で思ったのだ。
観光地では、物売りが売る髪飾りを買っては喜んで頭にのせる中国人をたくさん見る。
そういう国民性だからいいかな、と。
インさんの容赦ない一言に、「わかってるよ、冗談だよ~」と返してみる。

1802159.jpg

時刻はもう夕方で、あと数時間もしたら年越しを迎える。
新年を迎えるための飾り物も、もう売り物にならないだろう。
見ているそばで、店じまいを始める人たち。
ばりばりと音を立てて窓花の見本が板から剥がされ、地面に散らばるそれらや対聯はまるでゴミのように踏まれてしまっている。
彼らもこれから急いで家に帰って、年を迎えるのだ。


さぁ私たちもこれから家に、と思ったらインさんがまた提案。
「爆竹売るところに行ってみたい?」

中国の春節といったら、なんといっても爆竹。
それはそのまま、日本人が中国の春節に対し抱くイメージそのものでもある。
春節を迎えるときにあちらこちらで激しく爆竹が鳴らされることは、春節を体験したことがない日本人も知るところだ。
ところが。
「残念なことにね、今年は天津では爆竹が禁止された」

そうは言っても、北京でもそんな話を聞いたことがある。
理由は、「大気汚染になるから」 だそうだが、爆竹の煙を懸念するくらいなら、工場汚染の方を真っ先に、(工場臨時停止だとかそういうその場しのぎの政策ではなくて)なんとかすべきだろうに、おかしなものだと思う。
それとも、中国の大気に影響を及ぼしてしまうまでに、爆竹の量がすさまじいのか?
大気汚染よりも騒音どうこうならまだわかるが、そこは問題ではないらしい。
けれど、以前から「爆竹禁止令」は耳にしたことがあるが、結局みんなやっているではないか。
私がそう言うと、
「天津も前からそんな話はあったんだけど、今回は今までとは違うんだ」

「天津市第16回人民代表大会常務委員会は、39回もの会議を通して《爆竹花火禁止に関する決定》をし、2018年1月1日より天津外環線内の地区に於いて、爆竹花火の禁止を通告する。また禁止区域での爆竹花火の販売も禁止する」

禁止区内は、開発区、塘沽区、その他多数の区域で、つまりは中心区はほぼ全滅のよう。
今回は厳しい通達で、捕まると罰金が高いらしい。
「え~じゃあ、どうするの?」
「郊外に行けば、大丈夫かなと思うよ」
爆竹花火を売るには政府の許可が必要で、今年は上記の通達により市中心部でそれらを購入することが難しい。
「せっかく今年はまゆちゃんが来るのに…」
そうしてインさんは、郊外まで足を運び、事前に花火を買っておいてくれた。
まだ時間があるから、これからそこに連れて行ってくれるよう。


中国の春節といえば、激しい爆音と煙をまき散らす爆竹。
どうして中国人はこれほどまでに爆竹を好むのだろう。
まず、中国人の国民性に合う。
派手で、単純な楽しさで、みんなで盛り上がることができる。
やっぱりこれにつきるかな、とも思うけれど、実は根拠となる昔話があるのだ。

その一つ。
昔々、“夕”という怪物がいた。
“夕”は、普段は海の底にいるが、大晦日になると海から這い上がってきては陸の家畜やひいては人まで襲って食べた。
ある年、人々は困り天に願った。
すると、空から声が聞こえてくる。
「“夕”は紅い物、火花や大きな音を怖がるのだ」
それを聞いて、大晦日になり人々は、家に紅い紙を貼り紅い服を着て、夜通し明かりを絶やさず、銅鑼や太鼓を打ち鳴らした。
するとやって来た“夕”はこれらを怖がり、村から逃げていき再びやって来ることはなかった。
それ以降、毎年大晦日になると、村では対聯や窓花、福字を飾り、明かりを絶やさず爆竹を鳴らすようになったのだという。
“夕”を退治したことから、一年最後のその一日を「除夕」と呼ぶようになった。

また、こんな昔話も。
昔々、“年”という怪物がいた。
普段は海の底にいるが、毎年大晦日になると海から這い上がってきて陸の家畜やひいては人まで襲って食べた。
人々はその時を恐れ、その日になるといつも家畜を連れて山に避難した。
ある年、どこかから物乞いの老人がやってきた。
あるお婆さんはこの老人に食べ物を与え、山に逃げるように忠告した。
しかし老人は、「一晩ここで過ごして“年”を追い払ってみせよう」といい頑なに動こうとしない。
夜になり、とうとう“年”はやって来た。
ところが“年”は、村の様子が例年と違うことに気づいた。
家々には紅い紙が貼られ、明かりが灯っている。
ある家屋の扉は開いていて、中には紅い服に身を包んだあの老人が待っていた。
“年”がやってくると、老人は大笑いしながら爆竹を鳴らし始めた。
“年”は震え怯えながら大声をあげて逃げ去って行き、再び戻ることはなかった。
翌日の元旦になり、山から下りてきた村人たちは“年”がすでに逃げ去ったことを知った。
老人は“年”が紅い物を嫌い火花や大きな音を怖がることを知っていたのだった。
それ以来、毎年大晦日になると、村人たちは対聯、窓花、福字を飾り、明かりを絶やさず爆竹を鳴らすようになった。

またある昔話では。
ある老人が思いついて“年”に向かって爆竹を鳴らすと“年”は逃げていき、それ以降毎年大晦日、元旦になると、爆竹を鳴らして追い払うようになった。

また別の昔話では。
“年”が村に侵入した時、村には偶然にも紅い服を着て竹竿を燃やして暖を取っている者がいて、その炸裂音に“年”が逃げていくのを見て、それらを怖がることを知った。

またまた。
“年”は山の密林に潜む怪物で、人々は恐れその晩になると家畜小屋を堅く施錠し、家の中にこもり食事をし外出することなく怯えながら夜明かしをして年を迎えた。
そうして“年”による被害が発生することなく数年が過ぎ、人々の“年”に対する警戒心が薄れたある年の暮れ、“年”はふたたび現れてしまった。
村の人々はことごとく襲われ喰われたが、ある一軒の家だけが難を逃れた。
その家は結婚したばかりの夫婦のもので、二人は新婚の紅い衣装を身に着け、部屋には明かりが灯っていた。
灯りとなっていた竹は燃えて火花を放ちぱちぱちと音を立てていた。
“年”がこれを見て恐れ逃げ去ったことから、人々は“年”がそれらを恐れることを知った。

と所説さまざまだ。

日本の伝承がそうであるように、まるで一つのお話として認識されているものも、地域によって細かなまたは大幅な差異が見られ、一方でたいへん類似している。
それらが地域の特性を反映したものなのか、時間の経過とともに変化したり合わさったりしたものなのか、また人の移動により他地域に伝播し変化したものなのか、それを知ることは難しい。
しかし、この“年”と“夕”の伝承も、そうした背景を少なからず持ち、中国各地に普遍的でかつ多彩な側面を持つ代表的な「お話」のよう。

「この“年”と“夕”、同じ怪物なの?それとも類似した怪物に過ぎないの?」
そんな話をしてみると、「ただ単に、人によって呼び方が違う。色んなストーリーがあるからね」
「中国の怪物はみんな海に潜んでいて紅色や爆竹や火花を怖がるんだね」
じゃあ、私が中国で見知らぬ怪物に出合ったら、まず最初にそれを試してみることにしよう。
そんなことを言うと、
「ダメだよ、まゆちゃん。もしその怪物がそれを怖がるタイプじゃなかったらどうするの」

ともかくこの伝承上では、春節に爆竹を鳴らすのも花火を打ち上げるのも紅いものあれこれも、みな怪物を撃退するためだということになっている。
「爆竹禁止になってしまって、そこに暮らす人が怪物に食べられてもいいっていうの?」
「せっかくまゆちゃんが来るのに、爆竹がないなんて春節の雰囲気が全然ないよ」
二人は、全然違うことを言いながら爆竹禁止令を嘆いた。

市街地からしばらく車を走らせて、道端で爆竹を売る場所に着いた。

18021511.jpg

簡易なテントだけど、きちんと政府の許可を取ったものだ。
爆竹禁止になり、売る場所は激減した。
こういう場所を知っていればいいけど、知らなければ買う手段がないよ、インさんはそう言った。

18021515.jpg

テントの内部には爆竹、外には花火が並んでいる。
花火はどれも大きな形をしていて、日本のような筒型は見えない。
「花火の形が変わるもの、時間が長いもの、タイプが違うものを選んで買っておいたよ」
インさんは事前にここで三つの花火を購入しておいてくれた。
その一つはたったひとつで4000円もするのだそうで、大勢でやるならそれもいいけど、二人でやるにはちょっと贅沢だ。

テント内部の爆竹にも様々なパッケージがある。
「数もいろいろあってね、1000とか2000とか」
私が気に入ったのは「啄木鳥炮」と書かれたもの。
やけに鮮やかな色彩のキツツキが描かれている。
昔懐かしい雰囲気のデザインだ。
キツツキの激しい嘴連打と爆竹を重ねたイメージのよう。

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お店のおじさんは気前よく色々爆竹を見せて説明してくれたが調子のいい人で、私とインさんのやり取りを見てガイドと客だと思ったのか、
「彼女外国人なんだろう?たくさん買って高く売りつけてやればいいよ」
私の目の前でインさんにこそこそ声で耳打ちした。
高く売りつけられるのは勘弁だが、実をいうとたくさん買って帰りたかったのは事実だ。
でも残念なことに、火薬類は飛行機内に持ち込むことも預けることもできない。

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「この丸いのは何?」
これも爆竹で、なんと一万発を巻いたものなのだそう。
何発式の爆竹を買うかをどういう基準で選ぶものなのか訊いてみると、単なる時間の問題で好みなのだという。
「じゃあ、この一万発のはどれくらいの時間なの?」
インさんも即答できず、お店のおじさんに訊ねた。
「1~2分だな」
一万発の爆竹もあっという間。

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「これは手作りのだぞ」
おじさんが一つ、他のものとは趣の違う爆竹を取り出し、広げて見せてくれた。
太くねじった紙紐に、一つひとつのカラフルな紙で作られた爆竹が糸で絡められている。
糸は簡単に外せるようになっており、おじさんはそれをほどいていくつかばらして見せてくれた。
確かに昔ながらの手作りの手法だ。
爆竹の筒の中は空洞になっている。
「ほら見て、機械で作ったものは土が詰められているからこんな風にはなっていないんだよ」

「まゆちゃん、ここで買ってやってみる?」
もちろん、やるに決まっている。
どれを買うかという話になり、本音を言うと先ほどの一万発の大型を体験してみたかったがきっと高いにきまっているので、遠慮して言うのをやめた。
やっぱり私は初心者なので、入門としては一番小さいサイズを。
私は断然手作り派だけど、手作りと機械製を比べてみたかったので、機械製のキツツキパッケージと今のカラフル手作りのものを買うことにした。

購入してすぐそばの道路わきに爆竹を広げる。
「もっとあっちでやって」 とお店の人に注意され、20mほど離れた。
「火気厳禁」
当たり前の話だった。20mでも近いかなと思う。

18021516.jpg

まずは手作りのから。
インさんが手慣れたように、筒を立てて導火線をのばす。

18021517.jpg

火をつけるのは私。
「危ないから火をつけたらすぐ離れるんだよ」
ドキドキの瞬間。
ライターの火はスムーズに点火した。

18021518.jpg

色鮮やかな紙にくるまれた手作りの爆竹は、すさまじい勢いで炸裂し爆音をあげる。
一つひとつは、まるで生き物のように細かく跳ね上がって散った。
ここで気づいたのは、爆竹をカメラに収めることは難しいということだ。
爆竹は写真に撮るものではないな、と思った。
写真では伝えにくいけれど、初めて爆竹を経験してわかったのは、意外と火花が美しいことだった。
爆竹は音に特化したものだと思っていたけれど、見ても楽しい。

もしかしたら10秒もなかったかもしれない。
文字のごとく本当にあっという間だった。
呆然として立つ私の目の前には、10秒前の姿を微塵も残していない残骸。
散らばる赤や青の紙。
痛快、という言葉がふと浮かんだ。

18021519.jpg

次は機械製のキツツキ爆竹。
先ほどのものと違い、薄い紙に包まれた1000発の爆竹だ。
インさんはやはり慣れたように紙をめくり、導火線を引き出した。
ハート形にセッティングしたのはインさんで、やっぱり怖いのでこのあとまっすぐに直してリトライ。

18021520.jpg

以前に中国のある田舎町で、突然銃撃音が聞こえ一瞬覚悟したことがあった。
もちろん銃撃戦なんか起こるはずはなく、その正体はどこかの爆竹だったのだけど。
「春節以外にも好きな時に爆竹やるの?」
そう訊くと、
「春節以外にはやらないなぁ~あとは結婚式ぐらいかなぁ」
ということは、あの銃撃戦は春節でないとなると、結婚式でもあったのかな。
こんなに爆竹が好きな中国人も、「やるべき時」にしかやらないというのが意外でありおもしろくも感じられた。
爆竹は、春節に鳴らすものなのだ。
「今日、鳴らしたい気分だな~よし、一万発やってくるか」
と、こんな風にはならないというわけだ。

ものの10秒かそこらで、キツツキ爆竹も散った。
路上には残骸が派手に散らばり、「これどうしよう」なんて思っていると、なんの遠慮もなくその上を車が踏みつぶしていった。
こんなに短い爆竹の炸裂で、怪物は目論見通り逃げかえってくれるんだろうか。
ふと沸き上がった疑問に答えがあるはずもない。



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2018-03-01

天津訪問一日目~除夕・後編~

初めての爆竹体験に興奮を残したまま、ふたたび車に乗り込んでいよいよインさんの家に。
その前にマンションに立ち寄り、荷物を置いてくる。

18021521.jpg

年明けに初めてここを訪れただけなのに、不思議なことにもう見慣れた感覚がする。
あの時と違うのは街灯に取り付けられた国旗。
正面にそびえるあの超高層タワーは、中国の某宝石メーカーが建築しているビルだ。
現在建設中で、下から表面を仕上げている。
「前回よりも上にきてる気がするよ、違う?」
およそ一カ月の時間が経ってきっと建設も進んだことだろう。
次にここを訪れる時には、きっとてっぺんまで積みあがっているはずだ。
「中身はまだなんでしょ?」
「そうだね~」
まだまだ完成には時間がかかりそうだけれど、これが完成すれば、新しい天津濱海区のシンボルになること間違いなしだ。

ようやくマンションに到着し、15階の部屋まで上った。

18021522.jpg

中に入ると、さっそくお正月飾りが目に入ってきた。
「どの家もこれ、やるの?」
「そう、どの家もこれやるよ。春節だからね」
インさんは現在このマンションに生活していない。
車で5分ほどのところに実家があり、そこでご両親と同居している。
生活していないけれど、私が来るからこんなふうにお正月の準備をしてくれたみたい。

ちなみに上から垂れ下がるこの文字。

招財進宝

「招財進宝」
この四文字が一文字に合体したもので、吊銭や窓花によく見る。
このような考え方の文字は実は中国には非常に多くておもしろい。
みなさんはこの文字の中に隠れた、招・財・進・宝を見出すことができたでしょうか?

「まゆちゃんも、飾るのやってみたい?」
日本を発つ前にそんなふうに訊かれて、けれどそれは実家の話だと思っていた。
「全部もう飾られちゃってるよ、私がやるとこないよ」
マンションの部屋にあがってそう言うと、
「向こうの部屋が残ってるよ」
覗いてみると寝室の小さな窓がさびしげにしている。
さっそく飾り付けてみることにした。

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私は、準備していてくれたこれらにセロハンテープで窓の上に貼り付けるだけ。
「届かない~!」
踏み台に乗りながらもあと少し足りない高さに、かろうじて貼り付けに成功。

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窓ガラスには、透明セロファンと一体化した窓花を貼る。
どうやって貼るのかと思えば、セロファンに水を軽く塗ればぴたりと貼りつく。
現代ならではだ。

窓の上から下がるように貼り付けたのは、「吊銭」。
掛銭など、地域により呼び方が色々あるのだという。
「天津では吊銭というんだよ」
日本に帰って中国語のQ先生に吊銭と言ってみたが、知らないと言っていた。
インさんも、「地域によって色んな言い方があるんだよ」と言いつつその他の言い方がわからずスマホへ向かったが、納得のいく答えはそこになかったみたい。

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マンションを下りると、夜はもう始まっていた。
時刻は18時、あと数時間で旧暦の新年を迎えることになる。
灯りだした部屋の明かり。
よく見ると、その一つひとつにきちんと、さきほどやったみたいな赤い正月飾りがかかっている。
静けさに包まれたような一帯。
けれど家の中は、きっと新年を迎えるための準備で賑やかなんだろうな。

車を走らせすぐ近くのインさんの実家へ向かった。
インさんの実家は六階建のマンションが建ち並ぶところで、先ほどの高層マンション群とは趣がすこし異なる。
一棟に240もの部屋(1フロアに6部屋で40階あるのでこんなものかな?)が入る高層マンションが十数棟建ち並ぶあの場所と、六階建マンションが十棟ほど肩を寄せ合っているこの場所とでは、人と人との距離も違う。
先ほどのマンションではたまにエレベーターで他の住人に出会うものの、同じ階にどんな人が暮らしているのかもわからない。
15階の部屋から見下ろすと、下を歩く人は蟻みたいに小さく見えた。
古いものがすべて取り払われ、その更地に新しいものがぽつりぽつりと建設されたあの場所は、近代的風景の中私にとってはとても寂し気に感じられた。
マンションとマンションの間を吹く風がひどく冷たく感じられたのは、きっと冬の寒さのせいだけではない。

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古いように見えたマンションも、実はそんなに築年数がたっていないみたいだった。
古く感じたのはきっと、そこに暮らす人々の生活の歴史が、あちらこちらに刻まれていたからなのだと思う。
外からは各部屋に飾られたお正月飾りが暗がりのなか鮮やかに浮かびあがって、中から賑やかな声が聞こえてきたような気がした。
もちろんそれは錯覚だったのだけど。
いったいいくつの家族、家庭、人がこの国に存在するのか知るわけもないが、そのそれぞれが、そのやり方に違いはあっても同じように今、新しい一年を迎えようとしている。

このマンションにはエレベーターが設置されていないため、五階まで階段を登っていかなければならない。
三階くらいのところで疲れて休みたくなるが、インさんは「え?疲れちゃったの?」とそれがわからない感じ。
「インさんは疲れないの?」
「全然」
ジグザグに階段を登っていき、二階、三階、とそれぞれ二軒ずつお宅のドアを見ながら登っていく。
そのすべてのドアには立派な対聯、吊銭、福字などが貼られているが、それぞれ微妙にデザインや文字が違いおもしろい。
それぞれの家庭に、それぞれの春節があるんだ。

五階のインさん宅に到着しあがってみると、お父さんお母さんは料理の準備に奔走しているところだった。
「新年快楽!」
そう挨拶してくつろがしてもらう。

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四季平安、万事如意、そんなおめでたい言葉が並ぶ。
前に来た時ともちろん同じ部屋だけど、春節を迎えるにあたってきれいに片付けられていた。
台所にあった食卓はリビングに運び出され、そこにはすでに料理が盛り付けられたお皿がぎっしりと並びすきまがない。
壁際に置かれた大型テレビは位置を斜めにずらし、そのテーブルの方に向けられていた。
それを見ただけで、春節が中国人にとって一大イベントであることがよく伝わってくるようだった。

本来であれば「何か手伝うことがありますか」なんて言って手伝うものだと思うけれど、おそらく私の出番はないだろう。
かたちだけ伺いに行き、「いいよ、ゆっくり休んでて」という言葉をもらい、お言葉に甘えてどうどうと寛ぐ。

インさんの家にはぬいぐるみが多い。
「これ子供の頃のでしょ」
そうわかったのは、毛並み。
私の家にある子供の頃に愛用していたぬいぐるみも30年が経過し、毛がぼさぼさに。
そのぼさぼさ加減がそっくりそのままだったので、そんなふうに言ってみた。
それはかわいいパンダのぬいぐるみだった。
「ドイツのだよ」
インさんはちょっと自慢気に言った。
「え?パンダは中国のものでしょ?」
私たちが子供の頃、パンダはまだ世界にそれほど知られていなかったはずだ。
「展示されていたのを気に入って買ったんだ」
うーん、なんだか答えになってないよ。

裏にひっくり返してみた。

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「し、しっぽがない!!」
やっぱりドイツ人はパンダのこと何もわかってない、しっぽがないと思っている。
私がそう言うと、
「え?パンダってしっぽあるの?」
インさんは本当に中国人?中国はパンダの王国なのに。
「あるに決まってるよ、じゃあそのしっぽ、白と黒どっちだと思う?」
白と黒、どっち?
そんなクイズは日本でもよくやるけど、それは日本人がみんな、パンダにしっぽがあることを知っているからこそ生まれるクイズなのだ。
「え~もしあるとしたら、白かなぁ…」
インさんはまだ疑い深げだったのでスマホで調べさせると、画像が山ほど出てきた。
「あ、ほんとだ!しっぽあるね!」
「そうだよ、あるんだよ」
写真の中のパンダには、どれもこぶし大の丸いしっぽがついている。
色は、白。
なかなか新鮮な驚きだったようで、インさんは台所から顔を覗かせたお父さんに得意げに訊いた。
「お父さん、パンダにしっぽはある?」
「パンダにしっぽはない」
お父さんは、少しのためらいもなく断言した。
「ほんとに、ない?」
「ないない」
爆笑しながらスマホ画面を見せると、
「ちょーっとだけ小さいのがあるな」
私はてっきり、お父さんは冗談で「ない」と言ったのかと思っていた。
しかし帰国してから中国語のQ先生にこの話をしてみると、
「え~パンダにしっぽないでしょ?」
あろうことか中国人の先生もこんなふうに言う。

そんなふうにしていると、料理がどんどん運ばれて、やがてそろった。

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前回ごちそうしてくれたのと同じお皿もあり、やっぱり日本の食卓とは雰囲気が全然違う。
これだけの料理をそろえるのは大変な準備だと思う。
日本人にはこういうのを負担に思う人も多いと思うけれど、中国ではみんな楽しんでいるみたい。
テーブルにぎっしり並んだ料理を写真に撮り、親戚に送るお母さん。
「お互いの料理を見せあっているんだよ」
そう言って見せてくれた微信には、同じようにぎっしり並んだ料理皿の写真。
家の方が多いよ、そんなふうに競い合っているみたい。

「四人しかいないのに、絶対食べきれないよ」
私がそう言うと、
「今日はそれが重要なんだよ」 インさんは言った。
食べきれなくて余ることが大事。
そうしてこれから始まる一年の生活にゆとりがありますように、と願う。
だから、人数に見合わないほどのこれだけたくさんの料理を用意するのだ。
単に、お正月を贅沢して楽しもうというだけではないんだ。

これからさあ席につこう、という時、テレビは各地の現在を写していた。生中継だ。

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北京の天安門は厳かで、いつもとは雰囲気が違う。
その厳かな様子とは対照的に、次々と画面を変える各地の様子はこれ以上ないぐらいに特別な一日を写していた。
上海、広州、いろんな都市が大規模にライトアップされテレビに映し出される。
みんなこれを見に出てきて、ごった返しているに違いない。
そう思って、「人でいっぱいになっているだろうね」そう言ってみると、
「人はいないよ、みんな除夕は家でご飯食べるから」
そんなわけないよ、絶対人でいっぱいだよ。
そう言っても、「みんな家にいるからここには人はいないよ」お父さんもそう言う。
日本の大晦日も家でゆっくり過ごすのが伝統だけど、外に出かける人もたくさんいる。
それにこれだけ大規模なライトアップを見にくる人がいないのはもったいないような気がした。
「これはテレビで放送するためにやっていることなんだ」
確かによくみると、ちらりほらりとしか人影は見えない。

じゃあテレビ見ながらごちそう始めようかという話になって、インさんがテレビをテーブルに近づけたとき、何かの配線が抜けてテレビがぷつりと消えてしまった。
「信号がありません」 の空しい文字だけが浮かんでいる画面。
長いこと四苦八苦してようやくのようやく、テレビが復活したとき、もう「中国版紅白歌合戦」が始まるところだった。
時刻は20時。
間に合ってよかった。
ド派手な演出で始まったのは、「春節聯歓晩会」。
紅白歌合戦みたいとは言うけれど、共通するのは大晦日にみんなで見る国民的年越し番組、という点ぐらい。
派手に始まった開幕から、しばらくしたらスタジオにセットされたコントに変わった。
「歌だけじゃないんだね」
「そうそう、こんなお笑いもやるよ」

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乾杯したのは、私がリクエストしたスパークリングワインロゼ。
あっという間にそれらはなくなり、お父さんたちはウイスキーを飲み始めた。
夜は長い。
私は酔っ払うことを恐れ、ペースを慎重に守った。

この年越しを「守歳」というが、これは眠らないで新年を迎えるというものだ。
先ほどの“夕”や“年”の怪物の伝承でいうなら、怪物に襲われないために夜通し明かりを絶やさず起きているということになる。
みんな夜更かしをするので、今夜も帰りはかなり遅くなるだろう。
0時になったら餃子を作る。その後は麻雀をやりにいく。
多くの人がこんなふうに年越しをするのだそう。
「それまでずっとお酒を飲むんだ」
お父さんはこれ以上ないようなご機嫌でそう言った。
0時まであと四時間ある。今酔っ払っていたのでは、その頃きっと餃子なんか作れない状態になっている。
そう思っておとなしく飲む。

「你想喝ma酒?」
お父さんはそう声をかけてくれる。
「“ma酒”ってなんだっけ?馬(ma)酒?」
少し考えこんで、ようやく思い出した。
これは天津の方言で、“吗(ma)”は“什么(何)”の意味を持つというのを、以前にインさんが教えてくれたのだった。
通常であれば、“吗”は語尾につく疑問詞で、例えば
「你想喝酒吗?」
なんて言えば、「お酒が飲みたい?」となる。
一方、「なんのお酒が飲みたいの?」と言いたければ、
「你想喝什么酒?」
“什么”は疑問詞で重複するため、この場合語尾に“吗”はつかない。
しかし天津では同じ疑問詞でもこの“吗”は“什么(何)”の代わりに用いることができるというのだ。
お父さんは私に、
「你想喝吗酒?」 なんのお酒が飲みたい?
と訊いてくれたのだった。
インさんは私が教えた静岡弁をすぐに吸収し使っているけれど、私の方は進歩が遅い。

スパークリングワインを飲んだ後、中国産一番搾りを飲み、ウイスキーをいただき、そしてお父さんお手製の赤ワインを飲んだ。
テレビを見ると春聯晩会は相当盛り上がっており、ステージには衣装を着た人や着ぐるみの動物がたくさん裾から出てきた。
「あ、パンダいるよ!」
さきほど、しっぽがあるかないかで論争を呼んだパンダである。
着ぐるみパンダは正直なところ、あまりかわいいビジュアルをしていなかった。
パンダ王国の中国ではあるが、かわいいパンダ製品に出合うことは実際のパンダに出合うことよりもずっと難しい。
「しっぽ、ある?」
注目すべきは、そこである。
ステージ上で着ぐるみパンダは動き回り、やがてこちらに背を向けた。
「あ、ない!!」

やがて、ステージ上には色んな民族衣装を着た人たちがパフォーマンスを始めた。
ダンスも衣装もかなり本格的で、この日のためにそうとう準備したんだろうなと思った。
「この衣装はなに?」
「インドみたいだね」
そんな話から、インドの話になった。
インさんのお父さんは昔世界中をまわる仕事をしていて、色んな国に行ったことがある。
「インドは衛生が良くないよ」
例えば、トイレでは紙を使わないんだ。ホースがあってその水ですませる。
そしてその手を使って食事するんだ。
インドはたいへんだったな~。
お父さんはそう言った。「おすすめしないよ」
「でも私、一度行きたいと思っている」
これはずっと考えていることだった。
インドは人生を変える、なんていう人もいる。
また人生の転機に行くのがいい、なんていう人もいる。
濁ったガンジス河には水を浴びる人がいて、野菜を洗う人がいて、またそこには亡骸も流れるのだと。
現代がどんな風なのかは私は訪れたことがないからわからないけど、そんなガンジス川を見て人生観ががらりと変わるのだという話はよく聞く。
生きるとは。死ぬとは。
幸せとは。不幸とは。
毎日を生きるとは、どういうことなのか。
そんな問いに対する答えを与えてくれる場所なのかもしれないし、また答えを与えるのではなくて問い自体を消してくれる場所なのかもしれない。
また、もしかしたら新たな問いを与えてくれる場所なのかもしれない。
「なんでインドに行きたいんだね?」
お父さんは訊いた。
「インドは人生を変える場所だから」
でも衛生がよくないよ、おすすめしないな~。
お父さんはつぶやき続ける。
そして突然、顔をあげて言った。
「***あるけど、食べるか?」
タンドゥーァ、と聞こえ、結果私の頭に浮かんだのはタンドールチキンだった。
「え?烤鶏肉?インドの」
私が言った意味は誰にも通じなかったもよう。
冷蔵庫から取り出したのは、糖堆儿だった。
サンザシの実を串に刺し飴をかけたサンザシ飴、一般に糖葫芦というが天津ではこれを糖堆儿と呼ぶ。
そうは言ってもおなかいっぱいで、二三口しか口にすることができず再び糖堆儿は冷蔵庫行きとなった。
お母さんはたくさんの料理を用意してくれたが、実際のところすべてのお皿にはお箸をつけることができなかった。
このあと、0時になれば餃子を作って食べなければいけないが、おなかには少しの余裕もない。

「今夜は片づけをしないんだ」
お父さんはそう言った。
食事をしたお皿も洗わないし、部屋も片付けずそのままにして眠る。
「運を洗い流してしまわないように、全部残しておくんだ」
「そういうことか~年越しくらい片付けしないで休みましょうってことかと思った」
「違う、違う」
そういうそばで、お父さんはモップで床をはいている。
「ダメだよ、掃除しちゃ!」
慌ててそう言うと、
「大丈夫、捨てないでそこに置いておくから」
確かに、掃いただけで捨ててはいない。
国変われば習慣もいろいろあるようでおもしろい。

「いつもであれば、爆竹の音がうるさくてテレビの音なんて聞こえないものなんだ」
三人は揃ってそう言った。
しかし外は静まり返っている。
30分に一度ほど、条例違反を犯して短い爆竹が聞こえてくることはあるだけ。
ほとんどの人が、厳しくなった爆竹禁止令を遵守しているようだ。
「まゆちゃん、花火やりにいく?」
インさんは事前に花火を購入しておいてくれた。
0時を迎える前にやろうということで、二人で下におりていく。
ちなみに花火も条例違反ではある。
「やったらすぐに逃げないと」

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三つあった花火のうち、一番大きなものを残して二つやってみた。
興味深かったのは、この花火も爆竹のような炸裂音を立てたことだった。
日本の花火にも、このような細かな火花をぱちぱちとさせるようなものはあるけれど、大きな音は立てない。
やっぱり中国人は迫力があるものが好きなのかな。
それとも、怪物を撃退するには火花と炸裂音が有効であるという伝承が、ここにも生きているのだろうか。

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花火は大きな音を立てたが、警察が来る様子はない。
「日本では大晦日やお正月は警察が気合を入れて出勤する日だよ」
人が多く、また通常とは違う心理状態を呼ぶこの時期は、事件が起こりやすい。
私がそう言うと、
「中国では、警察もちょっとさぼりたいみたいな感じの日だよ」
インさんはこう言った。
もし政府が本気で爆竹を許さないならば、本気で罰金の徴収に取り組みたいならば、パトロールを念入りにやるはずだ。
ぐるぐる回っていれば、条例違反を見つけることは簡単なことだろう。
しかしこの様子では、ちょっとやって逃げるくらいであれば、おそらく問題ない。
除夜の鐘は騒音になるのでイヤホンで聞こう、そんな馬鹿な話が起こる日本であれば騒音問題も発生するだろうが、爆竹の音がないなんてつまらない~なんて不満がいっぱいの中国では問題もないだろう。
今回の検挙率がどうだったのか私は知らないが、この様子ではまた来年は(条例違反のうえで)爆竹が復活するかもしれない。

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それぞれの家が、新しい一年を心待ちに一家団らんしていることだろう。
それぞれの窓がそれぞれの色合いを持って、優しい光が夜の中に浮かび上がっている。
「明かりがない部屋もけっこうあるね」
「実家がある場合はそこで過ごすからね」
それに最近では、この連休を利用して旅行に出る人も増えているらしい。

花火を終えてまた部屋に戻ると、餃子づくりの準備が整っていた。
テーブルの上に新聞紙が敷かれ、まな板の上に粉がふってある。
餡をいれたボールに、餃子の皮を作る生地に、餡と合わせるエビ。

まずお母さんが棒状にのばした生地を飴玉サイズにちぎっていく。
その飴玉生地を、お父さんが麺棒を使ってすばやく伸ばしていく。
その生地にまた、お母さんが餡を包み仕上げていく。
素晴らしいチームワークだ。

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私もやってみる。
餃子くらい作ったことがあるだろう、と多くの人は思うだろうが、残念ながら私にはそういった記憶はないようだ。

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このように餡をのせたあと、エビをひとつ。
餡は日本の餃子とは違い、様々な種類を用意することができる。

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包むのは不格好だけれどそれも愛嬌。
お父さんからバトンタッチして、皮作りも体験してみた。
飴玉生地を手のひらで押し潰して、麺棒でさらに薄くする。
左手で素早く皮を回しながら麺棒で引き延して広げていく。
「上手、上手」
褒めてもらって嬉しいし、自分でも初めてにしてはなかなかだとは思った。
でも時間がかかる。
お父さんは数秒で一枚。
私は20秒くらいかかってしまう。

「まゆちゃん、来て!」
鳩時計を見ると、短針と長針が重なって、まっすぐ天を向いていた。
「新年だ!!」

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テレビは時計に変化していた。
日本のテレビ番組はこういうことしないな~。
あと数秒で新年だ。

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「新年快楽!!」

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歓声があがり、花火が次々とあがる。
もちろんこれはテレビの中の話で、家の外は相変わらずひっそりとしている。
一方テレビの中はものすごい盛り上がりで、次々と各地の中継を写した。
この春聯晩会、中国全国に現地中継の会場を用意しているが、その規模がすごい。
さすが中国、巨大な国だなと思う。

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花火も、花火大会かと思う程打ちあがる。

日本人も春節のことは知っているけれど旧暦を意識することはほとんどないし、伝統行事も現代の暦で行うことがほとんどだ。
だからやっぱり年越しといえば、現代の暦の12月31日の夜だし、1月1日が元旦。
その瞬間こそ特別な気持ちになる。
ハルビンで現代の暦で年越しをし「新年快楽」を言い合った。
そしてその一カ月半後、旧暦の正月である春節を迎えまた「新年快楽」を。
やっぱり私は日本人だなと思ったけれど、ふたつの新年はそれぞれでいい経験になった。

新年快楽!!と大盛り上がりで、叫んで踊って花火を打ち上げていたテレビは、突然先ほどのコントに戻った。
「あれ?またコントになっちゃった?さっきの盛り上がりは?」
先ほどの年越しの瞬間が嘘だったみたいな変わりよう。
「うん、あれはさっきだけ。年越しはあの瞬間だけだから」
日本ではいつまでも、「年が明けましたね~」 なんてやっているものだけど。

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そんなことを言っていると、先ほどの餃子が茹で上がってきた。
ここからが第二幕。
私が作った餃子は形が悪いのですぐわかる。
「これ、まゆちゃんが作ったのだよ」
形は悪いけど、味には関わっていないので美味しく仕上がっている。
しかし餃子を食べながらだんだん眠くなってきた。
さりげなくそろそろ帰りたいアピールをするが、なかなか伝わらない。
「みんな本当に寝ないの?」
「そうだね~これから麻雀やったりカラオケに出かけたりする人が多いよ」

インさんはお酒を飲んでいたので、車はここに置いたままにして配車サービスを呼んだ。
「除夕にもタクシーや配車サービスに対応する人いるの?」
「うん、さっきまではみんな家にいてタクシー使う人もいないけど、この時間になれば需要がある」
お酒飲んでも高くない金額で移動できるのは中国ならではの便利さだ。
ところが呼んだ車に乗り込んで、
「お酒の匂いするな~」 インさんが反応する。
私たちの匂いならいいけど、運転手さんの匂いだったなら困るところ。

インさんのマンションに到着したのは、午前2時をまわっていた。
色々飲ませてもらったけれど、さすがにお酒で失敗するわけにいかないので控えていた。
思う存分飲むならば、今頃泥酔しているはずだ。
私の人生において欠かすことのできない要素は、旅にお酒に煙草、この三つ。
賛否両論言われるけども、やっぱり好きなものはしょうがない。
インさんからは、「一人旅はダメ、お酒も煙草も結婚したらダメ」そんなことを言われ度々ケンカしてきたが、最終的にOKをもらっている。
お酒に関しても、最初はダメと言っていたが、今ではインさんの方から飲もうと言ってくれる。
「まゆちゃんの幸せが僕の幸せだから」
のろけを書くつもりはないけど、ありがたいことだと思っている。
ひとつ小さな心配が残るとしたら、インさんは私の泥酔した姿を見たことがないという点が残るのだけど…。

そういうわけで白ワインを一本持ってきて一緒に飲み直そうとしていたが、オープナーが壊れてしまった。
普段生活していないマンションには物が少なく、代わりに飲めるようなものもない。

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色んなことを経験した一日だった。
花束を受け取ったのがまるで随分前のことのようだけど、それはわずか半日前の話だ。
束を崩して、瓶に入れ替えた。二通の手紙が隠されていた花束だった。
すると、インさんが何やらまた手渡してくる。
見てみると、それはまたまたの手紙だった。
今度はなんと、三通ある。
封筒のシールには今度は()がなく、1、2、3、と数字が振られている。
「書ききれなくて三つになっちゃった」
中を開いてみると、「明けましておめでとう」から始まっている。
「一緒に春節を経験できて楽しかったよ」
「インさん、この手紙を書いた時にはまだ春節やってないよね?」
「きっと楽しいだと思ってそう想像して書いたんだ」

時刻は3時、4時と過ぎていき、窓の外を見るとまだちらほらと部屋の明かりがついている。
新年が明けて、もう初一(お正月一日目)は始まっている。
私たちもそろそろ、“今日”を終わらせないと。


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2018-03-01

天津訪問二日目~初一・前編~

2018年2月16日、昨日は旧暦の大晦日「除夕」で、かなりの夜更かしをした。
結局眠ったのは朝5時頃。
夜更かしをすることはわかっていたので、あらかじめ、二日目は遅くまで寝ようと話していた。
話していたけれど疲れも溜まっていて、起きたのはやっぱりお昼。

支度をしながらテレビをつけると、昨日見た春聯晩会だった。
「あれ、これ昨日見たのだよね?」
重播(再放送)の文字と、今度は中国語の字幕がついている。
「昨日やって、もう再放送やってるの?」
そもそも何時間にも及ぶ年越し番組を再放送するのがすごい。
字幕を準備した人は今夜は徹夜だったに違いない。
私はテーブルでテレビに背を向けた席だったので、春聯晩会も一部しか見ていなかった。
改めて見てみると、ちょうどステージにアフリカ人が並びコントのようなことをしている。
そして司会者と会話するアフリカ人の女性は中国語がとても上手。
「中国はアフリカに鉄道を作った」とかそういうことを繰り返し言っている。
どうやら中国はアフリカの鉄道建設を行ったらしい。
それでアフリカをテーマにしたことばかりやっていたんだとようやくわかった。
こんなところも中国らしいなと思うけれど、インさんは「どこが?」といった感じ。

マンションを下りると空は青空で良い天気だった。
以前に2月に北京を訪れたときの寒さがとてもきつかったので心配していたけれど、そこまでは寒くない。
最高気温で5度くらいというけれど、おそらく風がないことが大きいかなと思う。

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今日は郊外に出掛ける予定だったが、その前にインさんの実家で朝ごはんをいただく。
もちろん、餃子である。
もしそういうものがあるならば、中国北方の餃子消費量を数値化して見てみたい。
日本の餃子消費量ナンバーワンがどこになったここになった、なんて話になったりするけども、もし数値化したならば足元にも及ばないだろう。
もちろん、水餃子、焼餃子の違いはあるけども。

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餃子を待つ間、お母さんが台所から出てきて差し出したもの。
「紅包だ~!」
中国式お年玉だ。
一つはインさんに、一つは私に。
「受け取って大丈夫だよ」
インさんの言葉を聞いて、そのまま「謝謝」とちょうだいした。
「大人ももらうの?」
「うーん、本当は子供なんだけど」
働くようになったらもらわなくなるし、あとは結婚するまでとか、色々かな。
インさんも私も35歳まで独身できてしまった。
親にとっては何歳になっても子供は子供とはいえ、大きな子供だ。
「まゆちゃん、中いくら入ってる?開けてごらんよ」
日本ではいただいたそばから中身を確認するのは抵抗がある。
けれど見てほしいみたいなので、遠慮なく封を開けてみると。
開けてみると、紅包の中にはぴかぴかの100元札が6枚も入っていた。
こんなにたくさん、もらっていいのかな。
「6はね、“六六大順”と言って、“順利”という意味があるんだ」
あらゆるものごとが順調にうまく運びますように。
今回私が事前に親戚巡りはちょっと…と話していたので、そういうことはなかったが、次回そういうことになれば私も紅包を用意することになるんだろう。

横を見れば、インさんはスマホでなにやら忙しそう。
「何やってるの?」
見てみるとインさんはインさんで微信で紅包を受け取るのに大忙し。
職場のグループで紅包の送り合いをしているみたい。
でも一人一人は数元でとても少額。
インさんも、「こんなものでいいかな」と少額な紅包を発信している。
「そんなに少額の紅包で、お互い送り合ってプラスマイナスゼロでも意味あるの?」
「うーん、まぁそうなんだけど職場だから一応やらなきゃいけないんだよ」

餃子が出来上がり、台所でいただくことに。

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「これは素餡餃子だよ、肉が入ってない餃子」
たしかに中には肉がなく、ニラにエビに卵に春雨とシンプルな餃子だった。
昨晩作って今朝も作ったんだ。
いやいやであればこんなに作ることはできない。
中国では餃子はおかずではなくて主食なんていうけど、本当に好きなんだな、と思った。
「日本人は五個食べればもう十分」
あとは、餃子だけ、というのもありえない。
ラーメン食べて餃子食べて、とか。どうしてかこの組み合わせが全国定番だ。

素餡餃子の後には、昨晩私たちが作った餃子の残りを出してくれた。
「熱い方を食べて」
形の悪いのが混ざっていて、「これまゆちゃんが作ったのだよ」
好意でそう教えてくれる三人だったが、なんとも複雑な気分でもある。

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また、つけるのはお醤油ではなくて黒酢。
でも今日付けるお酢はどうやら昨日までとは少し違うみたい。
瓶の中には黒酢にニンニクがたくさん浮かんでいる。
「臘八醋」というのだそう。
「これはね、今日使うためのお酢なんだ」
旧暦12月8日に、このお酢を作っておくのだという。
大粒のニンニクをたくさん、漬け込んでおく。しかしこのお酢はすぐに使わない。
それは初二(お正月二日目)に素餡餃子を食べる際にこれを使うという習慣があるからだ。

臘八醋をつけて素餡餃子を食べる。
でも普段のお酢とあまり味覚は変わらないような気もする。
そんなことを言っているとインさんが向こうから、ビニール袋に入った飴を持ってきた。
「これ、この前に見せてくれたのだね」
この飴、「小年」に食べる習慣がある飴なのだと教えてくれたのだ。

旧暦12月23日を「小年」という。
小年は竈神を祀る日で、また春節の準備が始まる日でもある。
12月23日が小年で、お正月が大年。
今年の小年は2月8日だった。
この日、インさんは私に飴の写真を送ってくれた。
「今日はね、この飴を食べる日」
昔懐かしい白い飴だった。
この飴、もともとは竈神に供えるものだった。
竈神といえば、その家の人々のいいこと悪いことを玉皇大帝に伝える神様だ。
だから人間は、悪いことを報告されないようにお願いしたり苦心するのだ。
竈神が天に昇る日、人々は竈神に飴を食べさせ悪いことを報告できないようにする。
それが起源となって、小年の日には飴を食べるようになったのだという。
自分が食べてしまったら意味ないとも思うけれど、そんなものだ。
日本の庚申講も同類で、あれは体内に寄生する三尸虫が天帝にその報告をする晩、眠らないことでその虫を天に昇らせないというものだ。
悪いことを報告されないようにする前に、報告されたら困るようなことをしないようにすればいいのだけど、人間なのだから仕方ない。

インさんは飴を「食べる?」と持ってきてくれたが、餃子で口がいっぱいだった私は首を振った。
中国は広く、大きく分けて北方南方で習慣の違いが大きいが、その中でも各地で違いがある。
それをすべて知ることは難しく、生活している中国人もそれが習慣化しているだけに意識しきれないかなと思う。
「これって北方だけなの?天津だけなの?それとも中国全部こうなの?」
そんなふうに訊いても、「考えたことないからわからないな~」となるのは当然かもしれない。
ただ少なくとも、日本よりはずっと伝統的習慣が生活に残っていると感じる。
そしてそれらはみな旧暦に基づいたものだ。
そんな中国も、二三十年後はどうかわからない。
重要なのは現在の子供世代だと思う。ぜひ受け継がれていってほしい、伝統の数々だ。

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雑談しながら時間はどんどん過ぎていき、けっきょく出発したのは14時。

車に乗って向かうのは、天津郊外にある古鎮。
「楊柳青古鎮」。
インさんの家付近からだいたい65㎞、天津市内(和平区)からは16㎞のところに位置する。

これは私のリクエストだった。
昨年11月私たちは一緒に河南省開封へ旅行した。
あそこには中国の伝統絵画「年画」で有名な朱仙鎮があり、年画制作の様子を見学したのだった。
本で読んだことはあっても実際の年画に触れることは初めてで、ぜひ各地の年画を見てみたくなった。

楊柳青は、その年画で全国的に有名な場所である。
年画とはもともと春節に飾り一年の平安を願うものだ。
折よく今回、春節に天津を訪れる。
ならば、ぜひ楊柳青に足を運んでみたい、そうお願いしたのだった。

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出発し、都市風景の中を走る。
途中で遠くに「天塔」を見た。
7年前に私が一人旅で歩きまわったエリアだ。
遠くから、「久しぶり」と胸の中で挨拶した。
すぐそこには何かの近代的なスタジアムが通り過ぎた。
「あれは北京オリンピックの会場になったところだよ」
サッカーをやったのだそう。
当たり前のことだけど「鳥の巣」だけではないんだ。
寄ろうか?と言ってくれたけどあまり興味がなかったため、そのままスルー。
平昌オリンピックが閉幕したばかりだが、次回冬季オリンピックは北京開催が決まっている。
四年後には、もしかしたらまた、ここ天津も会場として使われることになるのかも知れない。

古鎮といえば周りは村ばかりと思いきや文明から離れることなく、都市から街へ、街から町へ。
そうしてその小さな町の中に「楊柳青」の文字を見つけた。
近くのスーパーの地下駐車場に車を停めて、さっそく行ってみる。

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「楊柳青古鎮」はすでにかつての生活風景を失っていて、小さな街の中にいわゆる古文化街としてかたちを残しているのみだった。
中国によくある観光地である。
しかも、規模としてはとても小さい。
百度によると、中国四大名古鎮のひとつとされているが実際はどうだろう。
中国四大名古鎮がいくつもあるか、あるいは年画の存在がポイント獲得に大きく貢献しているか、そのどちらではないだろうか。
「楊柳」は、日本人にとっても美しい語感であり情景である。
しかしその二文字が呼び起こす、おそらく日本人と中国人しか共有しえないであろうその情緒は、すでにそこにはないようだった。

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門をくぐりまっすぐ向こうに続く露店。
光を受けてきらきらと反射する色鮮やかな風車。
残念ながら行き交うのはみな大人ばかり。

さっそく出合ったのは天津名物のひとつ。

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「茶湯」というのだそう。
粉(おそらくコーリャンなどの穀物類を粉にしたもの)を入れた椀が数種。
それに味を加える調味料の椀が数種。

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その横には、これ。
「龍嘴大茶壺」、その字のまま、傾けると龍の口から熱湯が注ぎ出る。
材料にこの熱湯を加えて、インさんの言葉を借りるなら「お粥みたい」にして食べる。
あちこちでこれを食べながら歩いている人がいて、インさんも「食べたい?」と訊いてくれたが、今朝の餃子で夜ご飯もいらないくらい。いったい、いくつ食べただろうか。
「おなかいっぱいで入らないから、いい」

空腹はもっとも有効な調味料である。
ちょっと口に合わないものも美味になりえるし、逆にいえばおなかいっぱいであればどんな美味もおいしくならない。
旅行において、こうした小吃食べ歩きは旅先について学ぶ最高の機会であり、また最高の楽しみの一つでもある。
海外旅行では、初めて出合うそれになかなか手を伸ばす勇気が湧かないものもあるが、そこに手を貸してくれるのが空腹の力でもある。
だから、街歩きの前は空腹が必須。
だから、私は朝ごはんをいつも食べないのだ。
インさんはそれを私に許してくれないが、次回はせめて量を減らして出発したいものだと思っている。
インさん宅の餃子はさながらわんこそばのように次から次へと出てくるので、自分の意思が必要だ。
餃子はたしかにおいしいので、食べれる限り食べてしまう。

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昔は本物の笹の葉で作っただろう。
売られているのはプラスチック製。
それでも木の棒に刺さって売られるそれらは昔懐かしい気分にさせる。
けれど悲しいことに、食べ物に集まる観光客も、こうしたところには立ち止まる人も少ない様子。

露店売りが並ぶ一本道はそう長くない。
普段はこんなにお店も出ていないんだろうな、と想像する。
突き当りに出ると、開けた対面には一本の川が流れていた。
そこには巨大な金色の像。

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年画の題材として定番の、魚を抱えた子供と蓮の花。
そのまま楊柳青のイメージでもある。

この像の向かいにはちょうど、「石家大院」があった。
一言でいえば、昔の富豪の大邸宅だ。
それは清末に天津八大名家に数えられた石氏の四男・石元士の旧宅である。
大院といえば、山西省平遥を旅行した記憶が新しい。
あの時には郊外に出向いて、喬家大院、王家大院を見学した。
また一年前には安徽省黄山で徽商大宅院に立ち寄った。
お金持ちのお屋敷跡というのは、共通するところあり特徴もありで興味深いし、寺院や宮城にはない趣がある。
だからこの石家大院にも入ってみたいとインさんにリクエストしていた。
「まだ時間があるから、あっちを散策してみようか」
私たちは石家大院の横を通り過ぎ、ふたたび露店が建ち並ぶ通りを抜けて、途中の石門から古鎮内部に入っていった。

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この青遠路をまっすぐ戻れば左手に石門、この伝統風建物を右手に曲がれば年画のお店が建ち並ぶエリア。

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石門を左手に曲がり入っていくと、そこは如意大街。
なんともめでたい名前である。
めでたい名称とはうらはらに、ひっそりとした石畳に骨董品や古本を広げ売る人がいるだけ。
歴史本や人民手帳や易経本や小説。
スマホもパソコンもなかった時代のものたちだ。
かつて、文字から情報を得る唯一の手段だった、活字、書物。

その先にはこじんまりとした胡同の入り口があった。
かつて楊柳青にも胡同がたくさんあったようだけれど、今ではその一部が気持ち程度ここに残るのみ。

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入り口には、「喬家疙瘩胡同」の名前。
歴史は明代に遡るのだそうで、初め喬家がここに暮らしていたことからこの名があるのだそう。
疙瘩といえば、“できもの”とか“ぶつぶつ”の意味。
「なんでこんな名前なの?」
曲がり角も角や出っ張りも多く、道もでこぼこしていたから。
そんな説明書きが書かれているけれど、見るとものすごく“まっすぐ”で“平”だけど?
「うーん、ちょっと待って、今調べるから」
インさんはすぐさまスマホに向かう。
「いいよいいよ」
おそらく現代の姿は改修が加えられたもので、当時はもっとぼこぼこしていたんだと思われる。

ふと顔をあげると、その胡同の壁には石がはめ込まれていた。

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「太公在此」
太公、ここにあり。みたいな感じ。
太公といえば、太公望のことだろうか。
「これ、何?」
中国では一般的なものなのかと思い、またまたインさんに訊いてみた。
しかしインさんも知らないよう。
中国でよく見かける「石敢当」に似たものなのかと思ったが、名前をど忘れし出てこない。
「あれ、なんだっけ、泰山のあれ。突き当りに置いて魔除けにするあれ」
「え、なんのこと?」
インさんの同僚がここ楊柳青の出身のようで、インさんはその人に電話をして訊き始めた。
「え、いいよいいよ、軽い気持ちで聞いただけだから」
しかしその同僚も知らなかったよう。
インさんはスマホに向かいさらに調べてくれる。
「ほんとにいいんだってば、軽い気持ちで訊いただけだから」
しばらくしてインさんが私に見せたスマホ画面には、「姜氏」の文字。
姜は太公望の姓である。
太公望は商を倒し周王朝設立に貢献した偉人として有名であり、現代では話が転び釣りの神様になってしまった。
しかしもとは羊の群れを引き連れた遊牧民の姓である。
どうやら、「太公在此」には、えらい神様がここにいることを示して他の神様よりもこの場所に優位性を持たそう、という意図があるみたいだった。
うーん、すぐ横には関帝廟があるけど、どっちに優位性があるんだ?
太公望は頭脳、関羽は武力、かぶらないといえばかぶらないけど。

胡同から古鎮内部に細い道を進んでいった。

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正面に見える伝統風建築は現代のもの。
中はすべてがらがらで、なにやら教室かなにかで物を教える場所のよう。

そこを曲がるとすぐ、古い民家のようなものに出合った。
しかし入り口に63号院と建物を示す看板があったため、入ってみることに。

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内部は特に観光客向けというわけではなく、建物の中にはここに暮らす人がいた。
お正月飾りに、使ったまま置かれた工具、それらが人の匂いを感じさせる。
お正月飾りにはあの目つきの悪い肥猪のすがたも。

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奥の建物にお邪魔したインさんが出てきて言うことには、
「まゆちゃん、びっくり!ここには暖房がないんだって!」
インさんはやっぱり都会人だ。
空調や壁床暖房はなくても、おそらくストーブなどで冬を越すのかな。

ここを抜けると、すぐ先にさきほどの石家大院があった。

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「あ、まゆちゃん!閉まってるよ」
現在16時半。
つい先ほどまでは開いていたが、16時に閉まってしまったよう。
普通に考えれば閉まって当然の時間なのだけど、時計をぜんぜん気にしていなかった。
「残念だけど、これからいつでも来れるから」
横を見ると出口は開いている。
内部には16時までに入場した観光客の姿が見え、残念な気持ちをさらにあおる。

入り損ねたこの石家大院から露店が並ぶ青遠路側に出れば、すぐそこには年画エリアへ続く入り口がある。

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赤ちょうちんがかかるものの、建物のほとんどが扉を閉めているような。
「年画のお店、春節でやってないんじゃない?」
そういうも、
「ううん、事前に調べたらやってるって」
わずか、怪しい空気が私たちの間に流れた気がした。

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このあたり一帯、みな年画のお店のよう。
近くの階段に登り、見下ろしてみる。

年画とは、春節に飾り一年の平安と福の到来を願う伝統的習慣である。
言ってみれば対聯や窓花、福字と同じようなもの。
ならば、年が明けてからではタイミングとしては合わない。
むしろお店が忙しさを終えて休み始める日なのでは?

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「ここ出身の同僚に訊いたらね、このお店が一番有名なんだって」
そう教えてくれたが、案の定しまっている。
「一番有名なお店、覗きたかったな~」
そう言うと、「電話すれば開けてくれるかもしれないよ」
入り口には連絡先の電話番号が貼られている。
「いいよいいよ、ほんとに!」
お正月休みをしているところを邪魔なんかしたくない。
スマホを手に今にもかけようとしているインさんを急いで止める。

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3軒ほど開いているお店があったので覗かせてもらうことにした。
入り口にはこのような年画。

年画の起源はもともと唐代にあった「門神」にあると言われている。
門神は、たとえば寺院の入り口左右に見るような、邪気を払う一対の神をいう。
これがそののち、一般の住宅には絵画や版画として普及した。
この写真のように、観音開きの左右の扉に貼り悪を払うものだ。

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たとえばこんなものもそれ。
ポイントは対になっていること。関羽と張飛なんかもよく題材になるのだとか。

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店内には様々な年画。
私の年画体験は、開封の朱仙鎮に続いてまだたった二度目。
たった二度であの時に目にしたものとは印象がまったく異なる。

朱仙鎮の年画が単純に版画だったのに対して、ここのものは版画工程のあとに絵筆で絵と色彩を加えるのだ。
これはもう分野が違っているといってもいい違いだ。
木版印絵、半印半画、などというのだそう。
まず木版画で輪郭を写し、そこに顔料を二三度刷る。
そしてその後に絵筆を用いて彩色し描いていく。
楊柳青の年画が、繊細で複雑な色彩をもつのはそうした工程からだ。

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題材は様々だ。
もっとも多いのは子供を題材にしたものでないかと思うが、歴史だったり門神だったり、美人画だったり、いろいろ。
ただお店を覗いてみて感じたのは、8割子供かな。
こちらの絵は、左が雪だるまを作る子供。
右は羽子板の羽根のようなものを蹴って遊ぶ子供。

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こちらは西瓜を割る子供と、左手にはリアリティー抜群のザクロに桃。
ザクロも桃も縁起がいい果物だと思うけれど、割れた西瓜にどんな意味があるんだろう。
皮一枚繋がっているような西瓜に、私はちょっとすっきりしないような感覚を持った。
けれど翌日インさんのお父さんがスマホでたくさんの年画を見せてくれた時、これと同じ割れかけた西瓜のものがあった。
ということは何か意味を持つ題材なのだろうか。

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このような繊細な作品ができるのは、絵筆の工程があるからだ。
色彩は細かく、その細かさの中にもよく見るとグラデーションを持っている。
そしてそこには、作者の感性と技術が反映される。

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囍と寿のおめでたい二文字に群がる子供。
どこまでが半画でどこからが手で描き加えたものなのか、もはやわからない。


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2018-03-01

天津訪問二日目~初一・後編~

この年画のお店を出て、もう一軒くらい見てみたかった。
「年画を作っているところを見れたらよかったな」
言うはタダであるから、言いたいことを言う私。
どのみち、あいにくなことにほとんどのお店が扉を閉ざしているから、それが叶うことはないとわかっていての一言である。
ところがインさんはそれを聞いて俊敏に反応し、先ほどの楊柳青出身の同僚に電話をし始めた。
「一階が売るところで二階が制作するところだって」
建物を見るとたしかにそんなふうではある。

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春節前後ではなくて普通の時に来てみて交渉してみれば、見学させてもらうこともできるかもしれない。
朱仙鎮の時には、たまたま入ったところが売り場と工房が一緒になったところで、ご主人もちょうど作業をしているところだったので見学させてもらうことができた。

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次にもう一軒入ってみた。
こちらもまた、入り口には一対の門神。
扉を開いた時に左右になるように、門神は左右の扉のそれぞれ内側に貼られている。

「制作過程が見たい」
そんなことを言ったのが届いたのか、このお店は奥が簡易な作業場になっていた。
そこにあったのは、木版。

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これは定番のデザイン、魚を抱えた子供と蓮の花だ。
どうやら、下絵を描いた紙を木板に張り付けて、その下絵に合わせて紙の上から削り取っていくよう。
朱仙鎮で見たものは、木板に直接下絵を書き込んでいた。
それが場所により決まったやり方なのか、作者によるやり方なのかはわからない。
細かく書き込まれた線は、うっかり削り取ったり手を滑らせてしまったら、すべて水の泡。
根気のいる作業であり、単にセンスだけではできないものだな、と思った。

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奥には、たくさんの絵筆と絵具。
絵筆には大きさや形状がさまざまあり、それらを使い分けているよう。

ここ楊柳青年画の起源は、元末明初に遡る。
ある一人の彫刻師が楊柳青へやってきたところから彫刻技術がここに定着し、その後運河を通して南方から質の良い紙や絵具が運ばれ発展した。
宋・元の絵画を受け継いで、明の木版技術と合わさり形成された、それが楊柳青年画だといえる。

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ちょうど製作途中の作品が数枚重ねられていた。
版画による輪郭が刷られ、その後色彩が重ねられる。
なぜか横になっていて、ご主人が筆を加えている時も、横にしたままそこに色をのせていた。

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こちらは画像を回転させたもの。

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できれば筆を加えているところを間近で見てみたかったけれど、ウインドーケースの向こうでの作業だったので背中越しにしか見ることができなかった。

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店内には子供を中心とした年画がたくさん。

楊柳青年画が色鮮やかに際立っていて目を惹くのは、白を生かしているからだと思った。
細やかで細い線の輪郭。
目が覚めるように鮮やかで大胆な色彩。
消えてしまいそうに淡いグラデーション。
そしてもっとも広い面積を占めるのが、白。
この手つかずの白、筆を加えない紙質のままの部分があるからこそ、繊細な輪郭も大胆な色彩も柔らかな濃淡も、生きるのだと思う。

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このように巻物のように長いものも。
他のものよりも、こちらにはストーリー性がある。
何かを象徴したり縁起を担いだりした作品よりも、描かれた子供たちに動きがあり、生き生きとしたものを感じる。
思い思いに遊び楽しむ子供たち。

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奥のウインドーケースの上で何かが始まった。
実は店内にいたお客さんが一枚の年画の購入を決めたようで、その最後の筆入れを始めたようだった。

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狭いスペースにみんな覗き込んでいて、隙間からカメラをのばしてなんとか一枚写させてもらう。
売却が決まったのは、定番の魚を抱えた子供と蓮の花。
ほぼ出来上がっているところに、最後に下の方に絵筆で模様を描き加えている。

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これは売られたものではないが、同じデザインのもの。
これはどのお店どの場所でも出合うことができる定番デザインだ。
子供は福の象徴だし、魚は「余」と発音が同じなために、ゆとりある生活への願いが込められる。

実は私も、なにも見るだけ見て、撮影するだけ撮影して去ろうと思っていたわけではなかった。
いい機会なので、出会いがあれば何か購入していきたいとは思っていた。
しかし結局購入に至らなかったのは、デザインが好みでなかったというよりは、目と表情だった。
あくまで私の個人的な感想である。
子供の目がとても子供のものとは思えなくて、なんだか人生の酸いも甘いも知り尽くした目のように感じられてしまったのだ。
子供って、もっと純粋無垢じゃないの?と。
どの子供の目も、大人のものみたい。
まるですべてを見透かされてるみたい。

帰国してから、中国語のQ先生にこれらの写真を見せると。
「そうそう、これが楊柳青の年画なんですよ~」
と喜んで見始めた先生だったが、
「あれ?私が知ってるのと顔が違いますよ、もっとかわいらしい子供だったはずなのに」
と、こんな感じだった。
実際のところ、表情が変わったのか、それとも製作者によって違うのか、それとも昔からずっとこうなのか、それはわからないけれど。
そういうわけで、購入までは至らなかった。
もし人物画ではない楊柳青年画があればきっと購入していたと思うけれど、それに出合うことはなかった。
あくまで個人的な好みの問題だった。

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年画が一番の目的でこの楊柳青までやってきた。
露店が並ぶ青遠路に出てみると、もう日が暮れ始めている。

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お客さんも減ってお店も片付けを始めている。
私たちも駐車場に戻って、次は「市内」に向かうことにした。
「市内」というのはインさんの呼び方で、租界時代の建築物が残り古文化街などがある天津の昔からの中心部だ。
天津旅行といえば、ほぼそのエリアを訪れることになる。

市内に向かう途中に、すっかり夜になった。
途中にはところどころに春節を祝うイルミネーションと電飾が街を彩る。

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黄色と赤の電飾は中国らしい。街灯には中国結び。

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「不忘初心 牢记使命」
初心を忘れず使命を心に刻む。
共産党のスローガンがあちこちに。
初心を忘れずに、なんてドライブ中だから交通安全用語かと思った。

やがて天津市内に入った。
天津は美しい街だ。
イルミネーションまぶしい夜景に、7年前の記憶をたぐる。

天津を一人旅したのは7年前の5月だった。
あの時目にしたものをもう一度目にしたい。
あの時の風景が今どうなっているのか、もう一度訪れて自分の目で見てみたい。
前回は時間がなかったので市内行きを諦めた。
今回はそのリベンジである。

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夜景の美しい川沿いに走り、いくつかの橋を横目に通りすぎ、やがて欧風の大きな橋にたどり着いた。
この川は「海河」。
天津を象徴する一筋の川である。
海河は1月始めに濱海区から眺めた。
天津の海を見たいと言ったら、インさんが「見れるよ」と言ってこの川を見せてくれた。
海河はくねくねと天津市内を流れ、最後は濱海区から海に流れ出る。
あの時の海河は海少し手前の海河だった。
7年前にもこの川に出合っていた。
自転車タクシーのおじさんは、私が行きたい場所に向かうのにこの海河沿いを走ってくれたのだった。
あの時の川が海河という名だということも、天津を貫いているのだということも、あの時は知らなかった。
1月に凍えるような寒さの中で見たときにも、あれが7年前に出合ったそれと同じものだという認識がなかった。
今ようやくそれらが繋がり、不思議な感覚になる。

懐かしい天津探しは置いておいて、まずはインさんおすすめの場所へ行くことに。
「イタリアの建物が集まったところがあるんだ」
天津は各国租界が集まる。
イタリアだけでなくいろいろな国の建築が残るはずだ。
「イタリア村、みたいな感じ?」
志摩スペイン村みたいな観光地かと思った。

「意大利風情区」 イタリア風情区。
海河からすぐそばにそれはあった。
車を停めてさっそく入場してみる。

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マルコポーロ広場というらしい。
マルコポーロは天津を訪れていないが、イタリア繋がりだ。
背景には天津の都会風景。
派手な高層ビルがどかんどかんと建ち並んでいる。

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さっそくイタリア風情区内部へ。
「イタリアン スタイル タウン」
なはずなんだけど、「タウン スタイル イタリアン」になっている場所も。
古いイタリア建築に囲まれて、小物だったり天津小吃だったりが売られている。
だったらベネチアガラスとかイタリアの何かが売られていたら嬉しいんだけどそういうのはない。
そういうところが中国らしい。
「あ、これ天津名物だよ」
インさんが指さしたのは「煎餅果子」。天津の小吃だ。
「食べたいな~」
インさんはそう言ったし、実は私もおなかが空いていたから食べてみたかった。
しかしこのあとのご飯にとっておきたかったため我慢することにし、インさんには悪いが聞こえない振りをした。

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イタリアとパラソルの関係は不明だけど、夜景はきれいで歩いているだけで楽しい。
イタリア建築はみな何かの飲食店になっていた。
イタリアンレストランはもちろん、ドイツ、フランス、それから上海料理のお店もあって、それらはみなとても雰囲気があってわくわくした。

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いかにも高級そうなレストラン。

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こちらはイタリアンレストラン。

夜ご飯はどうしようかという話になった。
せっかく中国来たのに洋食も残念な気はするし、天津に来て上海料理も悪くはないんだけど、どうしよう。
「狗不理包子に行こうと思うんだけど、どうかな?」
インさんはそう提案した。
実はここにも、イタリア建築を利用した狗不理包子のお店があったのだ。
狗不理包子は天津を代表する有名な包子のお店だ。
かつてかの西太后が好んだことで有名になった。
しかし、当時はどうだったかわからないが、現代には名前の割にあまり美味しくないお店という評判で有名になってしまった。
「狗不理包子は7年前に行ったし、美味しくないよ」
私は言った。
食べたのは包子だった。
「包子以外にも“野菜”があるよ」
…野菜?
その時にはわからなかったが、インさんはおかず料理のことを“野菜”と言ったのだった。
そこで、せっかくなのでここイタリア風情区の狗不理包子で包子以外の料理を食べてみることに。

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古いイタリア建築、内部は狗不理包子。
内部も当時の雰囲気を残したものになっていて、悪くなかった。

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選んだ料理は、まず杏鮑菇杭椒柳というもの。
エリンギと牛肉とパプリカを甘辛く炒めたもの。
味付け自体は北京かどこかで食べたことがあるような味付け。
比較的好きな味覚だった。

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それから、老爆三というものに、疙瘩湯というスープ。
老爆三は、豚肉にレバーに腎臓の三種をまたこれも甘辛く炒めたもの。
疙瘩湯はトマトベースのスープに小粒の麺のようなものが入っている。
この粒粒が名称の由来だ。今日、楊柳青古鎮で疙瘩胡同を見たばかり。
このスープ、頼むものを間違えて頼んでしまったものだったが、温かくておいしかった。
杏鮑菇杭椒柳も老爆三も、ともに天津料理なのだそう。
どれも日本人の味覚に合うと感じた。
また、7年前にも飲んだ狗不理ビール。ひさびさの再会だ。
インさんは運転をしてあちこち回ってくれているので、お酒は飲めない。
悪いなと思ったけど、注文させてもらった。

おなかいっぱいになって、イタリア風情区から車をそのままに、海河沿いの夜景を見に出かけてみることにした。
インさんのプランだ。

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海河へ出るまでも夜景がきれい。
天津は他の都市とはちょっと雰囲気が違うなと思わせる。
「あの時計はね、ここから見ると一番きれいだよ」
インさんおすすめの角度から撮影してみる。

ここから海河沿いに出て、天津站方面に歩いて行く。
川のこちら側も対面も、近代的ビルが建ち並ぶ。

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巨大な四角形の真ん中が空洞に吹き抜けている。
あれはホテルなのだというが、きっと高級ホテルに違いない。
「真ん中の空洞、損してない?」
真ん中にも部屋があったらもっとお客さん泊めれるし、建てるのも大変だっただろうに、どうしてわざわざあんな設計にしたんだろう。
「うーん、そうだねぇ」
そういえば、香港を旅行した時に、やっぱり空洞のあるマンションか何かがあって、「運気を通す」という風水の意味があるのだとガイドブックに書いてあったのを思い出した。
「あ、香港にもあったよ、きっとあれ風水だよ」
本当はどうか、わからない。

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正面のビルは電飾が模様を映し出し、くるくるとその映像を変える。
時々青い水の中を金魚が泳いでは消えていった。
「おかしいな~夏はもっと夜景がきれいなんだけど」
インさんはそう言うけれど、十分すごい夜景だ。

海河は分厚く凍りついていて、その上を歩いている人もいた。
「歩いてみようか」
そう言ってインさんを命綱に手をつないでもらい、私だけ川の上に降りてみた。
氷はびくともしないが、割れて落ちたら命はないので、渡ることを諦めてすぐに上陸した。

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川の氷は橋の下で水に変わっていた。
「インさんは私の知りたいことをみんな調べてくれるんだよね?」
「うん、調べるよ」
「この川の氷ね、向こうから歩いてきてどこまで来たら割れるか、知りたい」
私がそう言うと、
「まゆちゃんひどいだよ~!」

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やがて天津站が左手に見えてきた。

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この不思議な時計は、駅近くのロータリーのものだ。
7年前私は駅まで来ていないけれど、この時計は何かで見た記憶があった。
それをインさんに言おうとして再び時計を振りかえると、それは真っ暗闇になっていた。
「あれ?さっきまで明かりがあったのに」
時刻はちょうど22時だった。
夜景は22時まで。
時刻がまわっていきなりすべて落ちるのではなくて、徐々に徐々に消えていくよう。
周りのビルもそうやって気づかぬ間に、あれが、今度はこれが、とういうふうに少しずつ明かりを落としていく。

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こちらは天津站から海河の対岸を見て。

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目を離してふとまた目を戻すと、もう明かりが落ちていた。
22時を過ぎて、ここからインさんのマンションまで車で40分かかることを考えると、もうそろそろ帰らなければならない。

「駅前の夜景がきれいだから一緒に行きたいんだ」
去年からインさんが何度も言っていたことだった。
前回の天津旅行、確かに旅慣れていなかったし、ガイドブックにも2、3ページほどの簡単なものしかなくてほとんど情報がないまま行ったのだった。時間も二泊三日でまともな行動時間がなかった。
だけど、せっかく天津に来たならばこの海河沿いの夜景は必須観光ポイントのように思えた。
私がガイドブックを作る人だったなら、きっとここを記載する。
「ここからの夜景はおすすめ」と。
ぜひ海河沿いの歩道を歩いて散歩してみよう、と。
それなのに、前回はここを訪れずにうろうろ歩き回ったあげく、天塔の上から天津の夜景を見下ろしたんだった。
あれはあれでいい経験だったけれど。
あの時ここの夜景を見に来る機会を持たなかったのは、今回インさんと二人で来るためだったのかもしれない。

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イタリア風情区の駐車場に戻ってくると、その正面はまたイタリアの古い建築だった。
現在はホテルになっているもよう。
営業していないみたいで、春節休業かもしれない。
「こういうホテルに泊まるのもいいね」
私がそう言うと、
「え~怖いだよ、ここで何があったかわからないよ、そう思わない?」
古い洋館はいろいろ想像させるもの。

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ホテルのすぐそばにあったのは、日本式居酒屋。
日本式、と書いたのは、おそらく日本人経営ではないから。
店先に架けられた提灯には、せいしゅ、ソフトドリンクス、寿司巻き、冷たい飲み物、オードブル…。
なんとなく違和感を感じる。

「まゆちゃん、前に泊まったホテル行ってみたい?」
7年前に利用したのは、繁華街にあるホテルニッコーだった。
今回の入国カードの滞在住所欄には、思いつかなくて「HOTEL NIKKO TIANJIN」と記載してしまった。
ホテル名を記入するのが無難だからだ。
日航ホテルは高級ホテルだ。
当時はそんな高級ホテルに泊まっていたけど今は無理だし、それに好みも旅行スタイルの変化した。
7年の変化は様々な意味で大きい。

程なくして繁華街に着いた。
「あれ、覚えてる!名残惜しくて最後の最後まで歩いた場所!」
繁華街の横は工事中になっていたが、当時はそんなふうにはなっていなかった。
伊勢丹もあった。記憶はまだ新しいのだということに気づいた。
「吉利大廈」
「あれ、昔伊勢丹だったところだよね」
現・伊勢丹のすぐ近くにあるネオンを指して私はそう言った。
「まゆちゃん、なんでそんな情報知ってるの」
ほとんど情報がないガイドブックにも、多分そんなことは書いてあったんだと思う。
そしてその繁華街のすぐ裏には、懐かしい日航ホテルが今も健在だった。

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車を停めて下りると、二台の黄色いレンタサイクルが走って通り過ぎた。
乗っているのは二人とも男性で、あたりをきょろきょろ見渡しながら人通りの少ない住宅街の方に消えた。
「今の日本人観光客かな?」
勘だ。
言葉を話していたわけではなかった。
「僕もそう思ったよ、日本人みたいだったね」
やっぱり。

日航ホテルの一階は無人だった。フロントは二階だ。
「覚えてる?」
外観や周囲の風景は覚えていたけれど、内部はぜんぜん記憶に残っていない。
「部屋は覚えているよ、天塔が見えたからあっちの方かな」
大きなガラス張りの窓だったと思う。

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一階にはこんな広告があった。
「JAL天津線就航20周年記念 週末運賃特価2000元」
名古屋ー天津線が開通して今年で20周年になるのだそう。
今回私もこの便を利用してやってきた。

実はこの広告先日目にしたばかりだった。
インさんの友達がJALに勤めているということでこれを教えてくれたのだ。
条件を満たした場合、4月、5月、6月の往復運賃が2000元(税抜)で購入できる。
これはとても安い。
日本側で購入できないので、JAL天津支店かその代理店に問い合わせが必要。

以前私が“JAL派”というと、インさんはJALの友達に頼んで非売品グッズをいろいろプレゼントしてくれた。
サービスが好き、という意味なんだけどな~と思ったけど、ありがたくいただいた。
そして「まゆちゃんが好きなら」と、自分は普段利用することはないのに、マイレージ会員にもなってしまった。
きっとこれからもお世話になるだろう、JAL。

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あの建物もこのオブジェも見覚えがある。
私たしかにここに来たことがある。
たった二泊三日旅行しただけなのに、懐かしいと感じるのがとても不思議だ。
どの旅行もすべて、かならず「また訪れたい」と思って後にする。
それがたとえ、なかなか厳しいだろうことが予想できたとしても。
あの時そんなふうに後ろ髪惹かれるような思いでさよならした場所に、またこうしていることが不思議だ。
感動するような思いで流れていく天津の街並みを見ながら、「ちょっと大げさだな」と自分でも思った。
けれど、それだけ私にとって旅先の思い出というのは特別なものなのだ。
それが国外だろうと国内だろうと。
近い場所だろうと遠い場所だろうと。

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日航ホテルをあとにして、すぐに左手にクラシカルな建物を通り過ぎた。
「起士林だよ」
キースリンク、中国三大洋食レストランに数えられる老舗なのだという。
というのは、年末にハルビンに行った際、そこにはその三大洋食レストランのひとつ華梅西餐庁があった。
その時に中国三大西餐庁というのがあることを知り、なんだそのひとつは天津にあるじゃないか、となったのだった。
インさんにそのことを話すと、
「え~起士林はチョコレートのイメージしかないな~」とのこと。
実際、天津でこの起士林のチェーン店のようなかたちでチョコレートを売るお店を見つけたが、Q先生によると、
「昔は本当においしかったんですよ、今のは全然違います」 と話していた。
ぜひ今度、レストランを経験してみたい。

この起士林も7年前すでに目にしていて、記憶にはっきり残っていた。
同じ場所でも時間が違えば感慨も違ってくるのだと改めて実感する。

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インさんのマンションに戻ってきたのは、もう深夜1時を越した時刻だった。
なんてことだ。
昨日も夜更かしし、今日も夜更かしだ。
昨日はオープナーが壊れてワインを飲むことができなかった。
だから今夜こそは飲まなければならない。

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昨日買った窓花を眺めたりしながら。

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実をいうと、私は切り花よりも大地に根が付いた花の方が好き。
観賞用の華やかな百合やバラよりも、道端に咲くスミレやタンポポの方が好き。
それでも不思議とどこか華やかな気持ちになりながら、ワインはすぐに空になってしまった。


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2018-03-01

天津訪問三日目~初二・前編~

2018年2月17日、お正月二日目「初二」。
今日は、昨夜少し遊びに行った天津中心部ー市内ーに行く。
だから早めに出発したかったけれど、連続夜更かしがたたって、結局マンションを出たのはお昼前。
遅い朝ごはんはインさんの実家でということになっていたけれど、その前にひとつ用事があり、私たちは出掛けた。

実は、Q先生からのリクエストがあった。
「稲香村の京八件を買ってきてほしい」

先生が私にリクエストすることは実はそう多くない。
重慶の火鍋調味料。ハルビンの紅腸。
なにかを頼んでくるとき、それはたいてい、かつて暮らしたことがある場所の懐かしい味なのだった。
先生はそう頻繁に中国に帰ることができない。
やっぱりふるさとの味や慣れ親しんでいたものというのは、何より嬉しいみたいだった。

今回先生が私にリクエストした「稲香村」は、北京で昔から親しまれてきたお菓子のお店だ。
そして「京八件」はそのお店を代表する伝統菓子だ。
八件にもいろいろあり、大きくいえば、北京のものを京八件、天津のものを津八件。
また大八件、小八件などと、さまざまな言い方がある。
昨年11月の開封旅行の際に、インさんはその小八件をお土産にくれたばかりだった。

「お母さんに老北京の味を味合わせてあげたい」
先生はそう言った。
先生のお母さんは当然のこと中国人だが、東京に暮らして久しい。
生まれは東北だが北京に暮らしていた時期もあり、北京の味覚には慣れ親しんでいる。
しかしもう高齢で、故郷に帰ることも難しい。
北京の昔ながらの味、稲香村は喜ばれること間違いない。
そういう訳でのリクエストだった。

「もちろん天津にはあちこちに稲香村があるよ」
でも、天津で有名なのは「大橋道」というお店。
ここの八件は美味しくて稲香村よりも安いから、天津人はみんなこっちが好きなんだ。
インさんはそう言っていた。
「もし私が食べるならぜひ大橋道と言いたいけれど、お母さんは老北京の味を喜ぶと思うから」
そう言って先生が選んだのは稲香村。

この日、私たちはお昼前に出掛けた。
「春節で売り切れるのが心配だから先にこっち行こう」
そう言ってご飯よりも先に、稲香村に向かうことにした。

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「この辺は“旧区”だよ、昔からほとんど雰囲気は変わっていない」
小さなお店が肩を寄せ合って並んでいながらも、ちょっとした繁華街の賑わいがある。
インさんのマンション付近のあの無機質さとは打って変わっての雰囲気だ。

そんな中に稲香村はあった。
入ってみると、商品棚はがらがら。
「全部、売り切れたよ」
店員さんの容赦ない一言。
やっぱり甘かったか~と、近くのもう一軒に行くことにした。

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入ったのはこちらの稲香村。
入店してみると、やっぱりこちらもがらがら。
台の上には、散らばった空き箱。
「売り切れてもうないよ」
商品には、お土産用の箱詰めされたものと、種類ごとケースに入れられ自由に一つから選んでいくものとある。
売り切れたのはお土産用のもの。
中身は同じだし賞味期限も変わらないというので、一つひとつ選んで箱に入れて持ち帰ることにした。

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「北京の懐かしい味のを選んで、高齢の中国人が好むものを」
インさんが、選んでくれる店員さんにそうリクエストした。
店員さんは迷うことなく手慣れた動作で次々とお菓子を選んでいく。

「初二」は、奥さんが旦那さんや子供を連れて、新年の挨拶をするために実家に戻る日。
そのためみんなこぞって、奥さんの家にお土産を買っていくのだそう。
お菓子が軒並み売り切れているのは、どうやらそういった事情があるみたいだった。

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店員さんに選んでもらった二箱ぶんの八件。
それぞれ二段になっているので、ボリュームもかなりある。

八件というけれども、どう見ても種類は八つではない。
「何が八なの?」
と訊いてみるも、わかったようなわからないような。
代表的なタイプが八種類あるからだとか、八種類の材料により餡を作るとか。
もともとは宮廷において重要な祭典の時に出されるお菓子だったものが起源なのだそう。
寿だとか福だとか、おめでたい文字をかたどったものもあり、縁起のいいお菓子でもある。
というわけでお土産にも最適というわけだ。

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「まゆちゃん、これあったよ!」
インさんが指さしたのは、「油炒麺」。
これもまた、Q先生が欲しいと言っていたものだ。
甘いのと甘くないのがあり、両方買っていくことに。
インさんが店員さんに作り方を訊くと、沸騰したお湯を加えるとかそういうことを言っている。
なんだか、昨日楊柳青古鎮で見かけた、茶湯みたいな感じ?
「僕もこれよく知らないんだ、若い人はわからないと思うよ」
インさんはそう言い、帰国して後日このことを先生に話したら驚いていたが、「グラタンソースみたいな感じのもの」なのだそう。

二箱の大八件と二袋の油炒麺は、けっこうな重さになった。
「外国人のお土産だから紙袋をつけて」
インさんがそう要求すると、紙袋は一枚10元という。お金とるんだ~。
まぁいいか、と思いもらおうとするが、思いとどまった。
紙袋に入れるには、箱を縦にしなければならない。
でもそれではお菓子が崩れてしまう。
すると店員さんが、紐を持てばいいよ、と言う。
見ると、お菓子の箱は持ちやすいようにすでに紐でくるまれていた。

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この通り。
言われてみれば確かに、こんなふうにして物を運んでいる人が中国には多い。

無事に稲香村での買い物を終えて、ようやくインさんの実家に向かった。
あがってみると、食卓にはもう美味しそうなお皿が並んでいる。

除夕にはお酒を飲み、初一には餃子を食べる。
初二には麺を食べ、初三には合子を食べる。
これが、天津人のお正月の過ごし方なんだ、と聞いていた。
今日は初二、麺を食べる日だ。
私は麺が大好き。
特に、牛肉麺や蘭州拉麺などの、湯麺(スープタイプ)が好き。
麺を食べると聞いて勝手にこの湯麺を想像していたが、どうやら初二に食べる麺は麺であればなんでもいいわけではなくて、みな決まった種類の麺を食べるよう。
てっきり、長寿麺のようなものを食べるのだと想像していた。

「打滷面」
初二には、この打滷面をみんなで食べるのだそう。
これはこの日にしか口にしないものとは限らないようで、1月のある日にインさんが「今日のご飯」といって写真を送ってきてくれたことがあった。
こういうものなんだ~、というのが私に浮かんだ最初の感想。

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これらのお皿はみな打滷面。
うどんのようなもっちりした麺がお皿に運ばれてきて、これにまずベースとなるソースをかける。

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それがこちら。
エビ、タマゴ、キクラゲ、そんな具が入る。
とろみの強い、濃厚なソースだ。
このソースをかけたあとに、各々、別皿になった具材を加え思い切って混ぜて、いただく。
加える具材は、千切り胡瓜、千切りジャガイモ、千切り人参、菜っ葉、細かく切ったさやいんげん、大豆に落花生、それからパクチー。
好みでのせていく。
ソースをかけた時点で溢れそうな状態だったので、具材は抑えたかったが、お母さんが「これは食べれる?大丈夫?」と訊いてくれるのにすべて「うん」と答えていたら、こんなことになってしまった。

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麺が見えず、教えなければ誰も麺料理だとはわからない。
これを思い切って混ぜて食べていく。
味はというと、とても美味しい。
そもそも、このベースのソースは日本人に好まれやすい味かと思う。
私は正直このソースが美味しかったので、具材なしでこれだけが良かったくらい。
しかし野菜がたくさん摂れるから、食事としては具材をかけた方がいいだろう。
三人とも黙々と食べ、私が四分の一ほど食べたあたりでみなさん完食。
とうとう私はギブアップして、半分を残すことになってしまった。

「日本では、食事前には“いただきます”、食事後には“ごちそうさま”をいう習慣があるよ」
これは、ご飯を作ってくれたお母さんに対して“謝謝”の意味があるんだ。
でも中国には、この言葉がない。
言うとしたら、「吃饭了」(ご飯食べよう)、「吃饱了」(おなかいっぱいになった)くらい?
そう言うと、かしこまった表情で、
「谢谢」
突然、お母さんに向かって言うお父さん。

昨日行った、楊柳青年画の話になった。
「私がインさんに彼が知らないことを訊くと、インさんが答えられなくておもしろくない感じ」
私は笑い話のつもりで、そう言った。
でも私の質問連打が時々インさんのプライドを傷つけてしまうことがあるのは、事実だった。
「年画は対聯や吊銭に比べて飾るのに手間がかかるから、みなあまりやらなくなったんだよ」
だいたい30年くらい前から年画をやる人は減ったから、私たちでさえそういったことに対して詳しくないんだ。
この子たちが詳しくないのは当然のことなんだよ。
お母さんはそう言った。
お父さんお母さん世代でさえも、年画文化から離れていたことを知って驚いた。
私が伝統文化をあれこれ思うのは、外国人ならではの感じ方があるからだというのも、ひとつ間違いないかと思う。
外国人の日本文化に対する興味が、日本人のそれと異なる場合があるように。

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食卓の上に飾ってある、このハリネズミ。
今度はこのハリネズミが話題にあがった。
お母さんが包子の材料で作ったものなのだそう。
目としっぽは小豆、口は棗の皮でできている。
これも昔懐かしい遊びのひとつだろう。
「僕はこの技術をお母さんからしっかり受け継ぎたいと思う」
まゆちゃん、一緒に勉強しよう、インさんは決意するようにそう言った。
伝統なんて仰々しい言葉を使わなくても、昔のあれこれや、子供時代のあれこれ。
そんなものを守っていきたいと思うのは、いとおしく思うのは、それはもしかしたらある種の自己愛なのかもしれないと思うことがある。
なぜならそれらは、直積的にも間接的にも、現在の自分を作り上げてきた要素だから。
だから、私たちは私たち自身のために、そんなあれこれを守っていかなければならないのだ。

今日はこれから市内に行くというのに、家を出たときすでに14時半をまわっていた。
ここから中心部まで車で40分ほどかかってしまう。

まずインさんが連れて行ってくれたのは、ある橋だった。
7年前に天津旅行をしたときの写真を見せたことがあり、その中に、ひとつの橋があった。
黒い鉄橋で、海河の対岸にはうつくしい西洋建築が並んでいた。
乗った自転車タクシーのおじさんは、あの時うららかで輝くような海河沿いの道を走って、目的地まで連れて行ってくれた。
予想していなかった自転車ドライブにわくわくでいっぱいになったあの高揚感を、きっとこれからも忘れることはない。

到着したのは、7年前にも訪れた古文化街。
古文化街の入り口に立つと、そのすぐ向かいにあの橋があるのに気が付いた。
そうだ、古文化街に行こうと自転車タクシーに乗ったら、この橋まできたんだった。
記憶がどんどん、ふわりふわりと浮き上がって来るみたいに、よみがえる。

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多分、あの時もこの角度で写真撮った!
そんなふうにはしゃいで写真を撮る。
7年前と違うのは、川がかちこちに凍りついていること。

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「多分まゆちゃんが来た時、あのビルもあのビルもまだなかったと思うよ」
この数年で天津は大きく様変わりしたのだそう。
言われてみれば、あの時はもっと素朴な雰囲気だった気がする。

前回、開発区方面を散策したときのことだった。
インさんが子供の頃に生活していたというそのエリアは、現在古いものが何一つ残らない高層ビルが建ち並ぶ都市風景だった。
「そういえばね、数年前に天津にゴーストタウンがあるって報道番組でやっていたんだよ」
ふと思い出して、たまたまその話題を出した。
そうしたら、「それ、ここのことだよ!」とインさん。
当時、インさんは日本で生活していた。
テレビを見ていたら、「天津にこんなゴーストタウンができてどうなってしまうんでしょう」なんて番組がやっていたのだという。
「天津にそんなのができちゃったみたい、たいへんだよ~」って家に電話したら、それ僕が生まれたとこだったんだよ。
そんなことを言っていた。
そのゴーストタウンは今では立て直し、立派な都会の景観をつくるまでになった。
しかしながらインさんにとっては、日本にいる数年の間だけでも、天津はテレビで見てもわからないくらいに変貌してしまっていたことになる。

私が7年前に天津を訪れたとき、インさんはまだ日本に生活していた。
中国に帰国したのは四年前のことだ。
この間の変貌ぶりは、その経過を見ていない私でも、想像に難くない。

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古文化街は、春節の人出でとてもにぎわっていた。
そんな中にまた懐かしいもの。
べっこう飴で絵を描いてくれる。
懐かしいといっても、今でも中国あちこちに見かけることができる。
昨日の楊柳青にもあったものだ。
私はこれが大好き。

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絵の題材が豊富。
この絵が、芸術的ではないけどもかといってそこそこ上手なのがポイント。
鉛筆でていねいに描き込まれている。
なんとも温かい気持ちにさせる、手作り感だ。
ドラえもんやミッキーやパンダも。
これらがどんなふうに飴で描かれるのか興味が湧く。

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このまま、古文化街に入ってみることにする。
今年は戌年、黄色い犬が門の両脇から観光客を出迎えている。

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それにしてもすごい人。
私が来た時にも人は多かったけれど、ここまでではなかった。
それでも、日本の初詣なんかよりは全然ましではあるけれど。

工芸品や小吃に目移りしながら歩いて行くと、見慣れないものがあった。

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「桂花糕」の文字。
これも天津の名物だそう。
見た目はまるでカステラみたいだけど、大きなホールケーキのような形をしていて、それをさらに縦に切り込み、串に刺して一本ずつ売っている。
桂花は、キンモクセイのこと。この黄色い色合いがその名前の由来と思われる。

「まゆちゃん、食べてみたい?」
味が想像できなくて、なかなか食欲を呼ばない。
「インさんが買うなら、一口もらう」
美味しいならもう一本買う、ずるい手だ。
一口試してみると、それはもち米で、特に主張する味はない。
ただもち米を食べている感じ。
よってまずくはないが、感動するほどの美味しさもない。
先端の茶色い部分には、まるで缶詰のシロップのような人工的な甘さがしみ込んでいる。
無味のもち米に缶詰シロップ。
初めて味わう感覚だ。

感動するほどの美味しさはないとちょっと失礼なことを書いたが、でもこれこそが、昔なつかしというものではないかと思う。
数十年も前、甘いということ自体が贅沢だった時代があった。
私が子供の頃はそこまでではなかったけれど、100円の予算を使って駄菓子屋でどう買えば一番楽しめるか、真剣に悩んだ子供時代があった。
素朴な味わいが幸せだった。
濃厚だとかプレミアムとか、そういう売り文句が流行る現代にあっても、その裏で昔懐かしを求める人は少なくない。
それは、人間が本能として求める味覚のもっとも底にあるものが、それらにはあるからではないかと思う。

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そこらに売られていたのはこの飴。
「狗屎塘」 犬のフン飴。
中国の様々なものに対するネーミングは、料理名を含め日本人には理解できないものが少なくない。
でも、犬のフンはないんじゃないの?
確かに奈良にも、鹿のフンがあるけれど。
「これはね、“狗屎運”にあやかったものなんだよ」
インさんはそう教えてくれるけど、いまいち。
「狗屎運って?」
「うーん、犬のフンみたいな運、例えば大きな運じゃないんだけど、不幸中の幸いみたいな感じ」
インさんはスマホで検索し、見せてくれたところによると。
もともとは昔、犬や牛馬のフンは飼料になり売ることができたため、拾うとお金になるよ、というところからきているよう。
でもフン拾いはフン拾いに他ならないから、最高の運というよりはやっぱりちょっとマイナス要素がある。
清朝末期を描いた浅田次郎の「蒼穹の昴」の最初を思い出した。
主人公の春児はとても貧しくて、フン拾いをして僅かなお金を稼いでいたのだ。
やっぱり狗屎運、ちょっと切ない。
「今年は戌年だからね」
なるほど、それであちこちに狗屎糖があるんだ。
「狗年 旺旺旺!」
そんな言葉もあちらこちらに。
“旺”は栄えて勢いがある様子を表す文字。
発音は“wang”、つまり“ワン”。

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続いて「龍須酥」。
砂糖や小麦粉などの材料から作られる、こちらも懐かしの味。
細い細い糸が、まるで繭のようにくるまっている。
“龍須”は“龍の髭”の意味で、この細かな糸をそれに例えている。
7年前の天津で、私はこれに初めて出合った。
南市食品街には、これがたくさん売られていたのだった。

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龍須酥と並んでたくさん売られていたのは、こちら。
「軟糕」という名称から、これもお菓子であることがわかる。
着色されたそれは味も食感も材料も想像できず、よって美味しそうには感じられなかった。
お店の人が試食を差し出してきたので、おそるおそる食べてみる。
すると、ほろほろ崩れるガム、みたいな感じ。
インさんは美味しそうな様子。
私はまあまあ。
先ほどの桂花糕と同様、昔ながらの懐かしい素朴な味だなと思う。
「昔ながら」も「懐かし」も、ところ違えばそれもまた変わる。
日本と中国の間には、共通する「懐かし」があり、また共通しない部分もある。
これは私の懐かしの記憶の中にはない味覚と食感だった模様。
Q先生は、「これ美味しいんですよ~」と写真を見て喜んでいた。

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懐かしの味も現代は機械だより。
立派な裁断機が一定のリズムを刻んで、お客の目の前でこの軟糕をスライスしていく。
一方その隣では。

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「見ないでも薄くスライスできるよ」
わざと違う方向に顔を向けながら大きな包丁を動かす。

人混みを流れていくと、やがてちょっとした広場に出た。
この広場、記憶にある。
海の女神を祀る天后宮がある場所だ。
けれど、あまりの人混みに参拝を諦めた。
その人混みはみな小吃に集まったもので、天后宮はがらがらだったのだけど。

この広場には天津の伝統的な食べ物だったり工芸品だったりが屋台を並べている。
その記憶は今もあって、でもあの時にはこんなに人がいなかった。
ここで生姜飴を練って披露している人がいたんだった。
その生姜飴パフォーマンスはなかったけれど、懐かしいものがまたあった。

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「吹糖人」
日本の縁日にも飴細工はあるけれど、これは細い管から飴に息を吹き込んで膨らませたあとに、例えば動物なんかに成形する。
吹くのはお客さんがやって、形を作るのはお店の人がやってくれる。
「天津吹糖人」の文字を見て、私は思った。
「これって北京のだよね?」
老北京吹糖人なんて書かれたのをよく見る。
「どうせ近いし、天津のにしちゃおう、みたいな感じ?」
「そういうことじゃないだよ~」
インさんはしきりに、「写真撮ってあげるからやってみなよ」と勧めてくれたが、暖かくて人が少ない、この二つの条件が揃ったときにやりたいと、今回は諦めた。


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プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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