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2019-01-02

15日南方周遊〈1日目〉 上海

2018年12月11日、いろいろなことがあった2018年、予定外に今年最後の旅行に出掛けることになった。
本来は10月に一カ月滞在した成都から帰り、それが今年最後の中国になるはずだった。
その成都滞在は夏の38日間中国ぐるり旅の途中で出会った彼と、将来を見越して生活してみようということで計画したもので実際すばらしい思い出でいっぱいだったが、喧嘩の頻度が多く、あろうことか帰国前日に致命的にもめてしまい、帰国とともに別れることになってしまった。
前日の夕方まではいままで同様に将来の話をしていた彼、喧嘩の瞬間以外は仲が良かったこともあり、正直信じられなかったというのが本当のところ。
つらくてつらくて、こういう時は旅に出るしかない!ということでとりあえずノービザで滞在できる15日間の日程で上海行きの航空券を手配したのだった。

行先はまったく考えていなかった。
正直にいえば、どこでもよかったというのが本当のところ。
けれどもここ近年どこへ向かうにも利用することの多かった北京ではなく上海行きの航空券を買ったのは、やっぱり私の未練がましい思いがあったからに違いない。
この航空券を手配したのは11月に入りすぐのことだった。
帰国した直後で、私こんなつらくてどうなっちゃうんだろうと本気で苦しんでいたところだったけれど、友人は、
「まゆはいつも死にそうっていうけどいつものことだから心配してないよ、顔色もすごくいいし」と心配する様子もない。
前職の先輩も、
「つらいのはわかるよ…でもまゆちゃんはいつも、しばらくするとけろっとしてるよね」
確かにそうなのだった。
なにはともあれ、酸欠状態で航空券を手配してから一カ月以上が経った。
いよいよ出発の日となり、確かに失恋のダメージは立ち直りつつある。
ジャオユーさんとはいい友達として交流が続いており、若干ぎこちないふうはあるけども、良好な関係になったかなと思う。
それよりも、退職し収入がない中、旅行へ行き様々な出費が重なり、私の預金残高と就職活動の問題の方を早急に解決すべきだった。自業自得とはいえ。
彼に対する未練は消えていないわけではないけれど、正直そうした現実問題の方が今は重くのしかかってきている。

今年は変化の激しい一年だった。
ある中国人と婚約し結婚の話が進み、来年から中国で生活することになった。ところが相手の異常な部分に気づき、すんでのところで回避した。
でも会社は辞めてしまったばかり。
年金、健康保険、市県民税、こんなに払うのか!?とパニックに。
そしてまたまた結婚しようなんて言ってくれ大事にしてくれる人と出会ったのに、こちらの方は自ら迷路に迷い込み自ら失うようなことをしてしまった。
またまたパニックに。
そうして職探し、将来設計でも現在おおいに迷走中。

せっかく手配してしまった航空券だ。
しばらく悩みを忘れて、気分転換に楽しんでこよう。

今回は上海を出発し、夏の38日間旅行のように、夜行列車を乗り継いでいくつかの街を回ることにした。
けれども15日間と日数が短いのと、冬休みに重なり列車券がうまく確保できなかったことから、周遊というには寂しいルートになってしまった。

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成田からJAL便で上海浦東空港に到着したのは、空が徐々に暗くなり始め、少しずつ明かりが灯りだす時間帯だった。
日本では12月なのが信じられないような暖かい日が続いていて感覚が狂いそうになっていたけれど、夜の到来の早さは狂うことなく私たちに冬を教える。

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地下鉄に乗り、1号線の新閘路站すぐ近くの如家酒店にチェックイン。

上海は何度も訪れたことがある。
そのほとんどは目的地が他にあり、その経由で通過したものだった。
上海を目的に訪れたのは二度。
一度目は、私にとって二度目の中国で、親友との二人旅行だった。
猛暑の上海を歩き倒した。
出発の空港行き早朝バスから飛行機機内、しゃべりすぎて到着した時にはすでに喉が枯れていた。
けれどもしゃべりは止まることなく、上海市内を歩き回りながら、細い歩道を縦になって歩くときでさえも黙ることがなかった。帰りはついにエネルギーが尽き、一言もしゃべらなかったんだった。
あれは9年前のことだった。
あの時から二人とも色々あり状況も変わった。
ちょうど三日前に彼女の結婚式に参加したばかりだ。
二度目は四年前の年末、地元の男友達とカウントダウンをしようと上海へやってきた。
でもあまりにもすごい人混みで楽しむどころではなく、友達は疲れホテルに帰ってしまい、肝心の年越しの瞬間は、大勢の観光客はいたけれど一人だったんだった。
しかも上海の計画は任せて!なんて豪語しておいて、外灘と豫園以外行くところが思いつかなくて、自分が上海無知だということを再認識した。

上海は何度も訪れたことがあるけれど、私は今だに上海の素人だ。
都会過ぎて手に負えないということもあるし、やっぱりどこか肌に合わないのだとも思う。
これだけの大都市、多くの観光客が世界中から訪れる観光都市でもあるのに、私は外灘、豫園、それぐらいしか行くところが思いつかないし、ガイドブックを開いてみてもどうも足を延ばしてみようという積極的な気分も湧かない。
そういうわけで、ホテルにチェックインし、向かったのはまたまたの外灘。
地下鉄1号線から人民広場で2号線に乗り換えて南京東路站で下車。

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南京東路は上海市区の古くからの繁華街。
私がこの通りを比較的好きなのは、おそらく意識的に演出したものではあるだろうけども、いかにも中国といったネオン式の看板が並ぶから。
近代化した都市からこうした懐かしの看板はどんどん姿を消している。

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この南京東路を東に向かうと、その先に外灘がある。
この交差点は、カウントダウンの時には圧死するかと思う程の人混み大混雑だった。
平日の今日であっても、多くの観光客でいっぱいなのはさすが。

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ここから歩いていくと間もなく、風景はぱっと開ける。
左右には中山東路沿いに黄金にライトアップされた古い西洋建築が建ち並ぶ、これこそが外灘だ。
外灘は英名でバンド。
浦東空港のある方面、浦東エリアから黄浦江挟んで西側に広がる西洋建築群だ。

これらは19世紀後半から20世紀前半にかけて建てられた。
当時上海には各国の租界が集まっていたが、このエリアは港湾地区として各国が商社や銀行を建築し共同租界地として発展した。
現在はレストランなど高級路線のお店にリニューアルされて多くの観光客を呼んでいる。

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中山東路を渡ると、その正面には高台になった歩道が整備され展望台のようになっている。
階段を上るとたくさんの観光客が写真撮影に夢中。
その国籍もさまざまだ。

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外灘の西洋建築群が顔を向けているその対岸には、黄浦江挟んで近代ビル群が密集する夜景がこちらを向いている。
上海で一番定番の写真スポットだ。
左手にのびる球体をもつタワーは、上海の象徴でもある東方明珠塔。
日本でいう東京タワーみたいに、少し古い存在になっても、上海のイメージといったら誰もがこのタワーを思い起こす。
右手にはさらなる高層ビルがそびえるが、雨上がりの煙った空に、その姿ははっきりしない。

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私はバカの一つ覚えみたいに、毎回同じアングルの写真を撮る。
北京に来たら毎回天安門の写真を撮ってしまうみたいに。

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黄浦江挟んで、こちら側が古い西洋建築群。
向こう側が近代ビル群。
いわゆるオールド上海と現代上海が向かい合うさまは、まさしく上海の象徴。
過去と現代が向き合った姿、ともいえるが、実はそうではなくこれこそ現代上海を表しているのだとも思う。
かつての建築群は残るものの、それらはすでに過去のものではなくみな現代上海の一部だからだ。
私が成都で感じたのは、いにしえの形跡、それから古き良き時代のありさまが今も残り息づきながらも、最先端の現代生活があることだった。
かつてのものも、今のものも、ともにありながら完全に溶け込むことなく、けれども混じり合ってはいる。
それが私にとっての成都の魅力だった。
それでは上海はというと対照的に、古と新が混じり合っている、というか古いものを新しいものが飲みこんでいるようなそんな感覚が私にはある。
ノスタルジックな雰囲気を演出したり、古い建築をリニューアルしたり、それもまたおもしろいけれども、それはすでに現代生まれ変わった別物のようだ。

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外灘と浦東エリアを上空からみるとこんな感じ。
ふたつのエリアを分かつ黄浦江には、実は観光のための通路が通っていて行き来ができる。

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展望台の下には、共同租界時代の写真があった。
石造りの建築物の土台は今も残るけれども、やっぱりまったくの別物だ。
まぶしいほどに黄金にライトアップされた外灘に、この写真に写る当時を想像することも難しい。
黄金ライトアップ、個人的に好きは好きだけれど、もう少し照明を落とし影を生かせば、よりクラシカルな雰囲気が出るのではないかなと思うのだけれど。

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このように中国を代表する銀行が入店し並ぶ。
中国銀行、中国工商銀行、中国農業銀行。

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こうしたかつての西洋建築の一つひとつには、てっぺんに赤い中国国旗がはためいている。
これらは今では中国のものだ、ここは中国なんだ、と主張するかのように。

寒さに手がかじかんできたので、ふたたび南京東路へ戻り、地下鉄に乗りホテルまで戻ってきた。

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遅い夕ご飯は、寒いから麺がいいと決めていた。
小さな食堂に入ると、福建人のお店のようで聞こえてくる言葉はみなまるで外国語のよう。
メニューを見ればワンタンがメインのようで、迷いに迷い、迷った挙句に普通に牛肉麺を。
やっぱり中国にきたら、まずこれなのだ。
温かいスープが身体にしみる。

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今まで、数え切れないくらい中国旅行を重ねてきた。
それでも長期の旅行ができるようになったのは、会社を辞めた今年になってから。
5月のGWに青島旅行したあと、続けざまに14日間新疆ウイグル自治区へ。
そして一生忘れることのない38日間のぐるり旅。
それから30日間の成都滞在。
そして今回。
仕事が決まらない中、預金残高は厳しい。
この次はいつ旅行ができるのかは、正直わからない。
けれども、今までの旅行すべてにいえることは、すべて「予想外」であったこと。
計画通りにならないことは当たり前、こうなるだろうなという旅行前の想定は「想定したことは必ずその通りにはならない」というひとつの逆予想になるくらい、外れた。
思いもよらない収穫もたくさんあった。
収穫だなと実感したものはすべて予想外のものだった。
私がつらいときに、お金もないくせにそれを惜しむこともなく旅を選ぶのは、もしかしたら、こうした予想外に出合いたいからなのかもしれない。
15日間のプチぐるり旅は、今始まったばかり。
きっと嬉しい予想外があると信じて。
楽しみなことだけ、今は考えようと思う。

〈記 12月11日 上海にて〉

参考:
宿泊費 313元
夕食(牛肉麺) 20元

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2019-01-02

15日南方周遊〈2日目〉 上海

2018年12月12日、本来は上海に到着したらそのまま夜行列車に乗って次の街に移動するつもりだった。
けれども列車の時刻が合わず上海に一晩泊まることにしたのだった。
二日目、ゆっくり起きてお昼頃ホテルをチェックアウトし、フロントに荷物を預けて出発した。
今日は18時前の列車で、上海南站から次の目的地である江西省の九江へ向けて出発する。
それまでの半日の時間は、上海を軽く観光してみる。
上海は多くの観光客が訪れる中国一番の観光地でありながら、私は無知に等しい。
昨晩もこれしか知らないというように、何度か来たことのある外灘へ行ってみた。
そして今日、どこを観光しようと考えた時にどこも思いつかない。
ガイドブックを開いてみてもいまいちやる気が起きず、それでも行ったことのない旧フランス租界地区へ行ってみることにした。

ホテルは地下鉄1号線の新閘路站すぐ近くで便利。
ここから1号線に乗って陝西南路站で下車。
この陝西南路からデパートが建ち並ぶ淮南中路を東に向かって歩いていくと、やがて右手に街路樹が建ち並び少しひっそりとした思南路が見えてくる。
思南路へ曲がっていくと、その先には洋館が建ち並ぶかつてのフランス租界地が広がっている。

上海自体が西洋と中華の融合のような都市だけれど、ここはひときわ西洋色が濃い。
おしゃれなお店なんかもちらほらして、そんな中で目を引いたのは。

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「一時的な愛は 一世の付き添いには及ばない」
なんだかぐさりとくるような不思議なメッセージでどきりとした。
それでいて、よくわかるようなわからないような。
実はここはペットショップなのだった。

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ちょっとレトロな雰囲気のレストランが二軒並び、気になって足を止めた。
ちょうどお昼でおなかも空いている。
どちらにしようかなと、手前のお店を選んでみた。

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お店の中はとても込み合っていて、順番を待っているお客さんも少なくなかった。
なんだか有名店みたい。
これでは一人客は敬遠されるかなと思いきや、店員さんは快く招き入れてくれた。
それで導かれたのは、すでにお客さんのいるテーブル。
相席だ。
これはますます人気店の匂いがする。

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メニューはたくさんありすぎて選べなかった。
他のテーブルを見てみると、これがほんとうにどれもおいしそう。
でもそれがメニューのどれなのかさっぱりわからない。
中国でメニューを見る時、私はいまだに困る。
材料や、炒めるとか焼くとかそこらへんまでしか想像できないので、出てきてようやくどんな料理かわかるといったことも多い。
けれども今日はいつもよりも、もっとわからない。
なんでだろう、と思い気が付いてみると、店内の中国語はすべて繁体字なのだった。

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漢字には、簡体字と繁体字と、それから日本人が使用する漢字がある。
簡体字は、近代中国が人民の識字率を上げるために考案した画数の少ない簡略化された漢字で、現在中国大陸で用いられている文字のこと。
これに対して、もともと使用されていた画数の多い漢字が繁体字で、現在も香港では使用されている。
日本人が使用する漢字は、画数の複雑さでいえば、簡体字と繁体字の中間くらい。
多くの日本人からしてみたら、繁体字の方がなんの漢字かわかりやすく親しみやすいかも知れない。
けれども私は違うのだ。
繁体字は肌に合わず、中国語が繁体字で表されるとさっぱりわからなくなってしまう。
メニューはすべてこの画数の複雑な繁体字で書かれていたため、ただでさえわからないメニューがもう完全にわからない。
繁体字は簡体字が生まれる前の文字であるため、それだけでレトロ感がある。
このお店はレトロさを演出したようだったので、そういうことで繁体字を使っているのだろう。
このメニューには英語表記もあったため、それを必死に読み、鴛鴦炒飯というのを選んでみた。
英語表記には、チキンのクリームソースとトマトソースの炒めたライスと書かれている。
炒飯にソースとはいったいどんなものだろう。

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出てきたのはこちら。
見た目はまるでドリアのようだけれど、焼いてはおらず、定番タイプのチャーハンの上に半分半分でクリームソースと、天津飯にかかっているような餡ソースがかかっている。
中国では、たとえば火鍋のように、赤白の二色を鴛鴦と表す。
なるほど、こういうことか。
クリームソースにはチキンではなく海老が代用され、赤いソースの方はメニューに書かれたトマトソースではなく中華餡だった。
これが意外にもとてもおいしい。
相席相手が変わり新しく同じテーブルに座った老夫婦もまたメニューがわからないようで、「わからないね」なんて試行錯誤しながら私に「それはどれのこと?」と訊いてくる。
一緒に頼んだミルクティーは、食事には合わないながらもおいしい。

他のテーブルを覗くと、パン系の料理を頼んでいるお客さんも多い。
ここはどうやら、中華風洋食屋さんみたいだ。
日本にある昔ながらの洋食屋さんみたいに、中国で独自に発展した洋食みたいなふう。
サンドイッチやカレーなんかのメニューもある。

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厨房には輸入品の缶詰が積まれ、なぜか出前一丁も。
CHA‘S RESTAURANT、あまり肌に馴染まない上海で、思いがけずまた立ち寄ってみたいと思えるお店に出合った。
ソースがけチャーハンはグラム数にして400gもあったため、おなかは苦しくて夕飯は食べれないだろうなと覚悟した。

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隣のお店も繁体字のお店。
やっぱり複雑な繁体字は抵抗感がある。

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思南路を進んでいくと、徐々に洋館が増えてきた。
1900年代前半に建築されたかつてのフランス高級住宅街だ。
中国の他の租界地でも思うのだけれど、この歴史建築に今は普通に住民が暮らしているからすごい。
それではさぞやお金持ちがと思えば、そうではなくてごく普通の一般市民が入居し、普通に洗濯物が干されている。

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この時代のフランス建築には、壁面に小石を埋め込んだものが多かったのかな。
こうした壁を持つ洋館が多かった。

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クラシカルな雰囲気のおしゃれなカフェも。
クリスマスをもうすぐに控え、さらに雰囲気を演出している。

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そうして歩いていくと、思南路と香山路がぶつかる交差点左手に「上海孫中山故居紀念館」という標識が目に入ってきた。
ここはあらかじめ立ち寄ってみたいと思っていた場所だった。
ここから立ち入ろうとすると、門番が「あちらから」と右手の建物を指した。

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ここからチケットを購入し、展示室へと進む。

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入館すると、こちらの洋館へ。
入り口には孫文の像。
洋館の内部は孫文にまつわる様々なものを展示した展示館となっていた。

孫文は日本でも知らない人はいない中国を代表する歴史人物。
革命の父として、現代中国にあっては英雄的な存在で愛国の象徴でもある。
ここはその孫文と夫人の宋慶齢が晩年1918年から24年にかけて暮らした場所である。

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こちらは当時の上海の地図。
S字に流れる黄浦江を境に、左側が外灘があるこちら側。右側が東方明珠塔はじめ巨大ビル群が有名な夜景を作り出す浦東エリア。
もちろんのこと当時にはそんなものはないが、昨日見た外灘の石造り西洋建築はこの当時のものだ。
よく見ると、公共租界、法租界などと書かれ色分けされている。
現在いるこの場所は、この法租界のなかだ。

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こちらは並べられた不平等条約。
イギリス、アメリカと並んで、日本のものも。
清末期、王朝内部は崩壊寸前、諸国はずかずかと足を踏み入れてくる、混乱と破滅の真っただ中にいた。

現代中国の礎を築いた孫文。
ここには孫文の私物や書簡、孫文を報じた新聞記事などが展示されている。

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こちらは孫文が実際に使用していた医療器具。
孫文はもともと医者だった。
この医療器具は、孫文がマカオと広州で医療を行っていた時に使われたものなのだそう。

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孫文は、1918年当時勤めていた大元帥の職務を辞してここで暮らし始めた。
洋館の玄関には、青天白日の旗が確認できる。

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1925年3月12日、孫文は癌で亡くなった。
これは孫文の死去を報じた当時の新聞。
とても大きく報じられているのがわかる。

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こちらは孫文を埋葬した時のもの。
南京の紫金山に陵墓を建設し、そこに遺体を移したときのものだ。
この陵墓は数年前に訪れたが、地中に埋められた棺の姿は別映像で見ることができた。
とても巨大な陵墓で、登り切るだけでたいへんだったのを思い出す。
現代にあっては南京を代表する観光地で、もともとがこんなに開けた場所だとは思いもよらなかった。
それにしても、埋め尽くすような人の数だ。

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孫文が死去し、その後も宋慶齢はこの屋敷に暮らしたが日中戦争が勃発し、彼女はここを離れ香港、重慶に移り、そしてこの屋敷は国民政府に寄贈された。
この書簡は、45年末に宋慶齢の秘書がこの屋敷の管理について代筆し送ったものだ。

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こちらは毛沢東の文言。
一部の反発分子を除いては、すべて孫文の革命事業の継承者である。前置きが現代中国を表しているなと思い、思わず立ち止まる。

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展示は階上にも続く。
二階には宋慶齢にまつわる展示が多かった。
孫文は一度親の決めた結婚をしたが、そののち離婚しすぐに宋慶齢と結婚した。
孫文が日本に暮らしていた時のことだった。
お互いに高め合う関係だったことが伝わってくる。

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こちらは、上海と友好都市関係にある長崎県の知事が2016年に寄贈した孫文夫妻を描いた壺。
実は数日前に、運転で静岡から九州長崎まで行き帰ってくるという一週間旅行をしたばかりだった。
長崎では現地で落ち合った友人がトルコライスを食べたいということで向かった先に、九州でもっとも古いという喫茶店があった。
そこには思いがけず孫文記念碑が。
どうやらこの喫茶店は、かつて孫文を指示した新聞社があった場所のようで、孫文は長崎を九度訪れているのだそう。
そういう背景があってのこの壺ではないかと思う。

ちなみに、日本では孫文の名が一般的だが、中国では孫中山の呼称が使われる。
中国にはどの都市にもあるのではないかというほど、どこにでも中山公園だとか中山広場だとか、中山路なんてのがあり、公園であればたいていそこには孫文像がどうどうとしているが、この中山は孫文を意味するものだ。
中山なんて、なんだか日本の中山さんみたいだね、なんて思うけれど、実を言うと本当に日本の中山さんだ。
孫文が東京に滞在していたとき、ある時ある表札を見つけたという。
それは、中山さんのお宅の表札だった。
孫文はそれを見て「いい名前だ」と気に入り、それから中山を名乗るようになったのだという。
私は中山広場の中山を、日本語読みの時には「ちゅうざん」と読むけれど、時々「なかやまこうえん」なんて読む人に出会うと、違うよ「ちゅうざん」だよ、なんて思ったりもする。けれども由来を考えれば「なかやま」の方が正しいのである。

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この展示館を抜けると、その隣に孫文夫妻が暮らした洋館につながり、見学することができる。
当時の生活を再現した展示となっており見ごたえがあったけれど、残念ながら撮影はだめ。
寝室、書斎、友人と語らった部屋、応接室なんかが展示され、いかにも洋館といった部屋の数々は、孫文の国際性を表しているみたいだと感じた。

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こちらは館外に出て、背面から撮影したもの。
ここが出口となり、門番のいる門から思南路へ戻った。

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ここから先は、観光地としてきれいに整備された洋館エリアが広がる。
その一つひとつはスタバなどのお店が入店しているようだけど、閑散としている。
総称して思南公館と名付けられている。

洋館が建ち並ぶ道を進んでいくと、観光バスが停まり大量の観光客が下りてきた。
ここは周公館、かつて周恩来が上海滞在時に利用していた場所である。

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愛国施設だからか、入場は無料。
観光客とともに私も入場する。
時間をおけばよかったと激しく後悔しながら。

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こちらは撮影OK。
入り口入ってすぐ左手には応接室。
共産党幹部などがたびたびここに集まって会を開いた。

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周恩来の寝室。
ベッドの横に置かれた古い革製のかばんは、周恩来が20年以上にもわたって実際に使用したもの。

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陽射しが差し込む明るい廊下の先には、思南路の街並みが見える。
実はこの思南路はさんで対面には、かつて病院だった洋館があった。
見える洋館のどれがそうだったかはっきりはしなかったけれど、それは当時病院で、その実そこには共産党と対立する国民党の特務機関が設置した監視場所だった。
監視の対象はいうまでもなく、この屋敷。
すぐ目の前でどうどうと監視していたのはすごい。
昨年の夏には重慶を訪れ、周恩来の故居や共産党の事務所棟など国共内戦の激しさを伝える史跡をいろいろと見学した。
山の中に建つ事務所棟の向かいの山にはまたそこにも、国民党の監視拠点があったのを思い出した。
他にも監視拠点は多々あり、そういう時代だったんだなと改めて感じたものだった。
現代もさまざまな問題はあるけれども、当時のような戦争がないだけ平和な時代になったのかなと思う。
目に見えない戦争はすがたを変えて現在も存在するだろうけども、それでも銃の乱射が絶えなかった時代はすでに歴史の出来事になったし、この先もきっとそうだと信じている。

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階上には、共産党の工作員が寝起きする寝室兼事務所が三部屋ほど。

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その中には、幹部である董必武の部屋も。
室内に洗面台があったりなどと、他の部屋よりも設備が整っている。
しかしこの部屋、北を向き部屋もそう広くなく、当時工作員たちは董必武に部屋を移るよう提案したが、彼はそれを断りここを利用し続けたのだという。

ここから先はもう見るものがないなと、思南路を陝西南路站まで戻ることにした。
その途中で右手に見えたのは、復興公園。

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覗いてみるとごく普通の公園だが、バラ園などがあり若干西洋風の趣がある。
ここはもともと、1909年一帯を租界としていたフランスによって造られたフランス人のための公園だったのだそう。
当時はフランス人以外の立ち入りが禁止されていたのだとか。
季節が違えば、バラが花開きあざやかなのだろうな。

こうして再び地下鉄でホテルまで戻り、フロントに預けていた荷物を受け取り、またまた同じ地下鉄2号線で、次の目的地に向かう夜行列車に乗るべく上海南站へ。

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引き換えた切符は、江西省の小さな街、九江へ向かう夜行列車。
17時43分に出発し、およそ10時間かけてなんと深夜の3時半に到着する。
困った時間帯だが、仕方ない。

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上海の駅は大きくて近代的で新しくてきれい。
好みかどうかは別として、快適であることは間違いない。
けれどもそんな最新の駅が、待合席にあったコンセントに充電コンセントを差し込むと、反応なし。
他のお客もそこにコンセントを指しては、悪態をつき抜く。
それを見て、近くにいた人が、「使えないだろう」と言って笑い話しかけてきた。

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待ち時間に商店で購入したのは、お酒。
日本系列の、朝日とサントリーの中国版と、何度も飲んだことのあるこの白酒は四川のものだ。少し大きめサイズ。
朝はめちゃくちゃ早いが、夜は長いのでお酒はかかせない。

まずは先にビールを飲んでいると、うっかり、もう改札が始まっていた。

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乗車するのは上海南站発の、襄陽東行き。
深い緑色の車体に、大好きな列車旅が始まったな~と嬉しくなる。
私が人生において一番たのしかった旅行は何かと問われれば、ためらうことなく今年の夏に行った38日間の列車旅をあげるだろう。
今回の旅は楽しみだけど、思い入れや準備、状況を含め、あの時の旅とは比較にならない。
おそらく今後も、あの38日間を超える旅行はできないのではないかという予感がある。
あの時の旅を思い出し、今回の旅の出発がすこし萎んだ。
一つひとつの旅がかけがえのなかった私。
それはいったい、どこへ行ってしまったんだろう。

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今回手配した夜行列車は、残念ながらすべて上のベッドになってしまった。
これは運みたいなものだから仕方ないけれど、上と下とでは、快適さやできること、楽しみが全然ちがう。
下のベッドであればテーブルがあるから、流れていく景色を見ながら旅行記も書けるし他の作業もできるし、食事もできる。
通路を見ると、簡易椅子の前には車両によっては備えがある小テーブルもなかったから、私は旅行記を書くのを諦め、通路の椅子で酒飲みを始めることにした。
お昼に400gのソース炒飯を食べおなかが空かなかった私は夕食をとっていなかった。
それでも夜が更けて口が寂しくなり、車内販売でカップラーメンを買い食べた。
流れていく景色を見ようと窓を覗きながら、けれども明るい車内の照明が反射して、よく見えなかった。
夏の、あの時の、夜行列車での高揚感がない。
私、どうしてしまったのだろう。
どんな旅でもわくわくでいっぱいだったのに。
失恋旅行として始まった今回の旅は、それを迎える頃になり立ち直り、目的が少し変わったみたいだった。
でも始まって気づく。
やっぱり立ち直ってはいないのか、私。
飲むしかない。
そうして一口を若干多めに白酒を飲み続け、たぶん日付が変わる頃にベッドに上がり何度が目が覚めた記憶の次は、軽い痛みをともなう飲み過ぎた感覚と、間もない到着を告げに来た乗務員の叩き起こしだった。

〈記 12月13日 九江にて〉

参考:
昼食(ソースがけ炒飯、ミルクティー) 72元
孫中山故居紀念館 20元
周公館 無料
上海南 → 九江行き列車券 274元


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2019-01-02

15日南方周遊〈3日目〉 九江

2018年12月13日、通路の簡易椅子で白酒を飲み、不覚にも酔っ払ってしまった。
乗務員が大きな音をたてドアを開け、掛布団をバンバンと激しく叩いた。
驚いて飛び起きると、二日酔いというほどでもないけれどわずかな頭の痛みと身体のだるさに、乗り過ごしてもいいからこのまま横になっていたいという誘惑がふと沸き起こる。
けれどもそんなわけにもいかない。

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定刻通りに列車が九江に到着したのは、まだ夜まっただ中の3時半。
肌を刺すような冷気が心地よくて、だるさが和らいだような気がした。

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九江で下車した乗客は少なくなかったようで、乗客目当てに待機していたタクシーの順番が回ってくるのに少し時間がかかった。
予約してあったホテルは観光に便利な湖のすぐ近くにある、百嘉洲際酒店。
小さな田舎街にあって高級感のある大きくてきれいなホテルだった。
フロントに訊ねると、チェックインを受け付けられるのは朝6時からということ。
そんなに早くから受け付けてくれるのは本当にありがたい。
それでもまだ一時間半もあるので、ロビーのソファーに倒れ込んだ。

暖房が効いているとはいえ眠りに落ちるには寒く、時計を見ては毎度、5分しかたっていないことにがっかりしながら、6時にようやくチェックインした。
部屋は広くて、小さな窓の向こうは真っ暗だったけれど、その暗がりにそこに長江が広がっていることがわかった。

九江という名前を知る日本人は少ないだろう。
中国に興味がなく、また関りがない人であればまず耳にしたことはないのではないだろうか。
九江の名は、その字のごとく多くの川が集まる場所という意味を持つ。
江西省の北のてっぺん、安徽省と湖北省の三省が交わる付近にあるこじんまりとした街だ。
北部には中国を代表する大河である長江が流れ、南部には中国最大の淡水湖、鄱陽湖を有する、かつて水運で栄えた街である。
観光の拠点となるもっとも賑やかな場所はというと、市区中心部に広がる湖、甘棠湖、南湖の北側、東側のエリアで、そのすぐ北側は長江だ。
市区には見どころは少なく、またそれらもこの周辺に集まっているので、私はこの甘棠湖と長江の間にあるホテルを選んだ。

あまりの身体のだるさに、午前中は観光を放棄することにした。
シャワーを浴びることも化粧を落とすこともせず、荷物を置き暖房を全開にかけて、ベッドに倒れた。
目覚ましは10時半にかけた。
目が覚めてまだ眠いわけでもないのに起き上がる気力がない。
それでもようやく起き上がりシャワーを浴び化粧をし支度が整ったのはちょうどお昼。

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窓の外は数時間前の暗闇の正体があった。
かすんで対岸がおぼろげな長江がどうどうとしている。
急におなかが空いてたまらなくなり、観光にというよりは早くなにか温かいものが食べたくてホテルを飛び出した。

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ホテルから長江と反対側に向かってみると、すぐそこには甘棠湖がかすんでいた。
すぐそこには、今日の観光目的の一つ煙水亭があるはずだったので、腹ごしらえの前に寄ってみることに。

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こちらがその煙水亭。
亭というよりは、湖に浮かぶ小島のよう。
ところが。

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今年の10月15日から来年の1月末まで改修工事により非公開になっているとの告知が。
私はそういう運を持っているのか、ちょうどのタイミングで改修中というのに出くわす確率が本当に高い。

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仕方ないけれど入り口までは行ってみようと渡しを進んでみると、閉ざされた門には手書きの閉館案内。
よくよく見ると、丁寧に輪郭の下書きまでされている、のにどうしてか完成度の低い文字たちである。

この煙水亭、もともとはかの呉の武将、周瑜が水軍の指揮台を置いた場所である。
その後唐代に白居易がこの地に左遷された際に亭を建てた。
白居易の琵琶文の一文「別時茫茫江浸月」から取り浸月亭と名付けられた。
北宋時代には理学家、周敦頤が九江で講義をしたときに別の亭を建て、「山頭水色薄篭煙」と詩を詠んだことから煙水亭の名がついた。その後二つとも破壊したが、明代に浸月亭の跡地に亭を再建し煙水亭の名を付けた。
亭がなんとかよりも、日本人にとっては周瑜の指揮台跡地ということの方が興味を引く話かもしれない。

煙水亭を諦めて、早くなにか食べることにした。
温かい汁ものがいいな、それだったら麺だ!そんなふうに思いながら歩いていると、ワンタンのお店を見つけた。
実は初日の上海で、食べようと思い悩みに悩んだあげく食べなかったワンタンだった。
牛肉麺を食べたあのお店は福建人のお店で、メニューにはワンタンもあったのだ。

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ここのお店は「老上海」と銘打っている。
上海から来たばかりだけど、そんなのは関係ない。
今回の旅は名物にこだわらず、食べたいものを食べたいときに食べたいだけ食べよう、と決めた。

ニラが入っているのやキノコが入っているものなどがある中で、シンプルに肉餡のワンタンを。
サイズは大中小とあるけれど、中を選んだ。
ワンタンをゆでる男性がとても愛想がよかったのも、このお店を選んだ決めてになった。

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熱々をほおばった口からは湯気が漏れる。
至福を味わいながらも、四川で大好きになった抄手を思い出した。
ワンタンと抄手とではどこが違うのか説明を忘れたけれど、違うことは違う。
そして私はそのどちらも大好きだ。
今回の旅では途中、ふたたび成都に立ち寄る。
成都に着いたら朝ご飯は絶対に抄手を食べようと決めた。

おなかが落ち着き、今度は長江側に出て、次の目的地へ向かうことにした。
長江のほとりに建つ楼閣、潯陽楼だ。
路線バスの5路で行けることがわかったけれど、どうやら今日は時間を持て余しそうだったので、のんびり歩いて向かってみることにした。

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長江沿いに伸びる濱江路をひたすら歩く。
長江はすぐそこだけれど、若干高めに造られた歩道によって、道路からは確認することができない。
途中からはその歩道に上って長江を眺めながら歩いてみた。

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対岸はかすみ、向こうの街がなんだか国境を隔てた異国のように感じられた。
とうとうとした流れに、巨大な貨物船が重々しく行き来する。

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あの白い建物には、「長江公安」と文字がかかれ、公安のマークがでんとしている。
川に浮かんだ公安なんて初めて目にしたけれど、どんな業務をする公安なのだろう。

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こうして長江沿岸を歩き到着した潯陽楼。
赤い建物が目を引く。
入場は20元で、門をくぐるとすぐにその建物はある。非常に狭い感じ。
私はつい潯陽楼を通り過ぎてしまうと、行き止まり。

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それを見てチケット窓口の女性が、「建物の中に入って上がれるよ」と教えてくれ、確かに中に入れるみたいだった。

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一階はくらがりの中にたくさんの人物像が展示されている。
水滸伝をイメージしたものだろうか。

この潯陽楼、もともと唐代の酒場だったところで、宋代に再建され現在のすがたは1986年再建のもの。
再建の際には、武漢の黄鶴楼を設計した向欣然が宋代の清明上河図を参考に設計したものだという。
再建を重ね姿は違ったものに変化しているだろうけど、この楼閣自体は1200年もの歴史を持つ。
白居易の題潯陽楼の中にも描写されているが、この潯陽楼を有名にしたのは水滸伝だ。
水滸伝の中で、宋江が酔っ払って潯陽楼の壁に歌を書きつけた場面が登場するのだ。

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二階へ上がってみると、こんな感じ。
置かれたテーブルは酒場の雰囲気を演出したものだろうか。

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壁の片側には、宋江が歌を書いている姿。

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その対面には書かれた歌と思われるものを再現した額。
けれども独特な字体に、さっぱり読めない。
水滸伝は津本陽のものを遥か昔に目を通したことがあるけれど、三国志と同様に戦いものが肌に馴染まないのか、おもしろいと思っても読後にはすっかり抜けてしまっている。
というわけで、この宋江のくだりについても感慨は薄く、そこの部分だけでも読み直して来ればよかったと少し後悔した。

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三階まで上がることができ、外の景色を眺めることもできる。
高さがないので街の景色はそう楽しめない。
一方長江側は気分がいいだろうが、寒さにばてそうだった私は早々に退散した。

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こちらは出口を出て外側から。

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潯陽楼の扁額は、あの蘇東坡の筆なのだそう。
ちなみに、この潯陽は九江の古い呼び名だ。

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ふたたび長江沿岸を歩き始め、向こうにうっすらとしていた九江長江大橋が徐々にはっきりし始めてきた。
二層式の大型鉄橋は、上が自動車用、下には線路が通っていて、時折列車が通過する。

潯陽楼から間もなく到着したのは、鎖江楼塔。

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チケット20元を購入して入場し、すぐ目の前にあったのは鎖江楼。
ここは楼閣である鎖江楼と、仏塔である文峰塔からなる。
とりあえず鎖江楼を通り過ぎて先に、文峰塔を見にいくことに。

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25m少しと、高さはそうないものの、石レンガが積み上げられたみごとな仏塔だ。
塔の創建は明の1586年で、清代に重建されているがその後太平天国の乱で破壊され、また再建された。

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長江のすぐほとりにあって、水害を治めることを願って建てられたのだそう。
塔は封鎖されていて、内部には入れないようになっていた。

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長江を眺めながら鎖江楼の方に戻っていくと、いろんな貨物船が行き交うすがたに、日本にはない風景を見る。
砂や土を運ぶ貨物船も。

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ふたたび鎖江楼へ戻ってきて、中に入ってみた。
三階まで上がれたけれど、内部には中国各地の仏塔を紹介する説明書きなどが貼られているだけで、特にこれといったものはない。

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先ほどの文峰塔と九江のマンションが、影になってみえた。

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鎖江楼塔を出て、私はなんだか楽しむどころではなかった。
寒くて寒くて、足の裏から冷えていく。
まだ時刻は14時を過ぎたばかり。
けれども私はすでにいつものような活動意欲を失っていた。
それは寒さのせいだっただろうか、それとも私自身の気持ちの持ちようだっただろうか。
あれだけ一人旅が大好きだった私が、あろうことかふと寂しくなっていることに気づき、驚きとともに悲しくなった。
私、ぜんぜん立ち直ってないじゃないか。

九江は小さな田舎街である。
小さなお店が建ち並ぶ通りを突っ切りやがて甘棠湖に出た。
次の目的地は、この湖のすぐ近くにある能仁寺だ。
少し行き過ぎて近くの人に道を訊いてみると、一つ前の角まで戻り曲がったところだという。

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黄色い壁が鮮やかに目を引き、すぐにそれとわかった。

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どうやら無料のようで、そのまま門をくぐっていく。
お決まりの仁王像に、奥のお堂には金ぴかの仏さま。

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一番奥のお堂では、ちょうど読経を行っているところだった。
お坊さんがマイクを使ってお経を読み、それに続いてたくさんの信者も読み上げる。

この能仁寺、もとの名は承天院という。
梁の武帝の時代502年~549年の間に創建し、元代に戦火に遭い明代に再建、その時に現在の名称である能仁寺に改名し、清同治帝の時代にほぼ現在の姿になった。

お堂から右手に逸れたところに、仏塔がある。

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大勝宝塔というもので、明代1379年に建てられ清代に修建された。
高さ42mで先ほどの文峰塔よりもずっと高い。

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もともとは内部も公開されていたのだろうか。
上部につづく階段は封鎖されていたが、その手前の石階段は新しく現代に整えられたものだった。

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中国の仏塔が、ただの観光客にとってもおもしろいのは、それぞれがまったく違った風貌をしているところにある。
シンプルだったり細工が細やかだったり、それはもう仏塔の数ほど仏塔のタイプがあるといっても過言ではない。
材料や作りだけでなく、シルエットまでもまったく違う。
これに知識まで加わったならば、中国各地をまわり仏塔を探すのもとても意義深いだろうが、残念ながら私にはその知識もなければ学んでみようという意欲も乏しい。
けれどもそれでも、ただ訪れてそれを見上げるだけで、楽しいのだ。
ガイドブックに見つけることができる仏塔は、ごくほんのわずか。
中国には今も、有名無名の仏塔が、あるものは保護され、あるものは放置されたままになっている。
この方面にはまってしまうと、たいへんなことになりそうだ。

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ふたたび歩いて、ホテル周辺の繁華街まで戻ってきた。
こちらはファッションのお店が建ち並ぶ歩行街の中心部にあったブロンズ像。
それに米市の文字。
九江はかつて、米の売買によって栄えた街なのだそう。

まだ夕方という時間で夕食には少し早かった。
いつもの私であれば、時間がもったいなくて、少しでも街の景色を眺めていたくて、まだ見つけていない街の風景を探しに歩き回るだろう。
けれども、もう寒くて寒くてたまらない。
ついに心折れ、ホテルの部屋へ戻った。
暖房を全開にかけ、ビールを開け、上海二日目の旅行記の作業に。

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こうして、いくらなんでもそろそろご飯食べに行こうとなった時、時刻は20時をまわり外はすっかり夜になっていた。

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寒かったので、今日はぜったいに火鍋を食べたい!と思っていた。
ちょうどホテルの近くに老北京火鍋の文字を見つけ入ってみた。

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成都では麻辣の火鍋に香油のタレばかりだったので、ゴマダレにつけて食べるまろやかさっぱりな火鍋は久しぶり。
安心するおいしさだ。
肉と白菜のみ頼み、肉は羊と牛のセットにした。
成都のジャオユーさんから「順調?」と連絡が入ったので、「あまりに寒くて火鍋食べた」と送ると、
「火鍋だったら成都だ、成都に来たらおごってあげるから。それにお酒も」
嬉しさと同時に不安になった。
五日後に私は成都に到着し、四日間滞在する。
もともと彼とは別の用事で成都滞在を四日も確保したけれど、用事は実現しなかった。
これについてはまたのちほど書こうかなと思う。
とにかく四日間成都に滞在し、昼間はもちろん一人行動だけれど、夜はどれかで一緒にご飯を食べようという話になっていた。
思い出がたくさん詰まった成都をもう一度見たかったし、彼と会うのも楽しみには違いなかった。
なぜなら帰国する時私はそのあと別れることになるとは思ってもいなくて、かなり混乱したまま、ひいては別れ話すらもせずに終わってしまったから。
もう二度と会うことはないと思っていたから。
でもどの道さよならなのだから、それだったら会えばさらにつらくなるんじゃないの?
そうも思ったけれど。
楽しみだけど不安で、今は哀しい予感でいっぱい。

〈記 12月15日 貴陽行き夜行列車にて〉

参考:
九江站 → ホテル タクシー代 15元
宿泊費 280元
朝食(老上海ワンタン) 6元 
潯陽楼 20元
鎖江楼塔 20元
能仁寺 無料
夕食(老北京火鍋) 95元


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2019-01-02

15日南方周遊〈4日目〉 九江

2018年12月14日、身体が重くて目覚めてからもなかなか起き上がることができなかった。
本来は早朝に出発し、本日は九江の南郊外に位置する名山、廬山に向かう予定だった。
昨日はこの平地でもあれだけ寒かったから、山の中はさぞ寒いだろうなと、厚手の服にヒートテックを下に着こみ、発熱素材のタイツに起毛靴下を重ね着し、お昼前にようやく長距離バスターミナルに到着した。

九江バスターミナルからは各地へ向かうバスが出ていて、それなのにどこにも廬山の行き先を示す文字を見つけることができない。
チケットは購入できたのだからバスはあるだろうけども、不安になり訊ねてみると、「12番で待って、まだバス来てないから」とのこと。
チケットには検札口14番と書いてるけれど。
どうやら時間は決まっていなくて、準備でき次第出発するよう。

近くに食堂があったので、何か温かいものが食べたいなと覗いてみた。
昨日はワンタンを食べたので、今度は餃子にしてみることに。

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10元の餃子はおいしくて、スープまで飲み干してしまった。
おなかが落ち着いて改札12番まで戻ると、その向こうにはちょうど廬山行きのバスが来ていた。
あやうく逃すところだった。

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バスと言っても、小型。
ここから一時間ちょっとの道のりだという。
「帰りは何時が最終?」
乗客のだれかが訊ねると、「4時半」
「なんでそんなに早いんだ」と言い返す乗客。

バスの中には案内表示が。
「盧山風景区までに途中山門で停車します。そこでチケットを買い二階へ上りそこでまた乗車してください。10分待つので乗り遅れないように」
バスはこのままこれで廬山まで行くかと思いきや、出発して5分ほどで別の場所で停まった。
そこにもまたまったく同じ外観の小型バスが。
どうやらここでこれに乗り換えていくよう。
大同でも同様の乗り換えをしたことがあるけれど、なんでわざわざこんなシステムになっているのかわからない。
乗客は乗り換え、先の座席と同じ場所に座った。

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バスが出発してほどなくして、廬山のチケット売り場に到着した。
送れないようにみなについていく。
チケットは160元。高いけれど仕方ない。
ガイドブックによると、12月15日からオフシーズンに入りチケットが無料になるようで、今日は14日、痛い出費である。

チケット売り場を二階にあがり、待機していた先ほどのバスに乗車。
山門というからにはここからすぐと思いきや、ここからが長かった。
バスは山道に入り、くねくねと曲がる山道をどんどん高度を上げていく。
車窓の風景はいつしか雪景色に。

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雪景色かと思えば、木々の一つひとつは、雪が積もったものではなかった。
すべて、凍りついているのである。
積もった雪が解けて水になったものが凍りついた、氷の枝。
私が暮らすところは雪が降らないので、こうした風景は珍しくまるでもう絶景を目にしたかのような気分。

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運転手さんの言った通り、出発から一時間以上して廬山の麓街、牯嶺鎮へ到着した。
「帰りはここから出発するの?」
時々、バスを降りた場所と出発する場所が異なることがあるので確認してみると、「ここから」という。
少し先には商店などの並びがあり、そこに「汽车站(バスターミナル)」と名が小さく見えた。わかりにくいけれどそこでチケットを買えばいいよう。

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バスを降りたすぐ先には、公園があった。

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そこからは真下に広がる別荘やホテルの屋根が見下ろせて、どれも雪をかぶって壮観だった。
みなここでこぞって写真を撮っている。
空はみごとに晴れ渡り、雲ひとつない。
真っ青な空はまた、雪景色をまぶしく際立たせていた。

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公園の木々もまた一つひとつの枝が凍りついて、遠くから見ればそれはまるでそれ自体が白い木のようにも見えたし、私はどこか、神社のおみくじが大量に結びつけられたご神木を思い出した。
近づいてみれば、よくもこううまく枝に凍りついたなというようにみごとに樹氷となっている。
日の光に照らされてきらきらと細やかに輝いて、繊細な芸術作品のようだと感じるそばで、大きな音を立ててぼたぼたと落ちてくる氷の塊。

お店の並びを歩いていくとトイレに行きたくなり、けれども公衆トイレが全くないので、軽く食事をしようと一つのお店に入ってみた。

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頼んだのは、清湯麺。
シンプルな麺が食べたいと思い頼んでみると、思いのほか強い味がついていてスープも濃厚で、でもおいしかった。
肝心のトイレは故障中ということで撃沈。なんてことだ。

廬山の最高峰は漢陽峰で高さ1474m。そう高くない印象だ。
一方ここ牯嶺鎮はすでに標高1150mの高さにある。
夏場には有名な避暑地なようで、毛沢東はじめ共産党幹部も別荘をかまえ避暑に利用していたのだそう。
盧山の麓に暮らした陶淵明も盧山を歌にしるし、五度ここを訪れた李白も廬山草堂という庵を建てた。そのほか多くの詩人が廬山を題材にしている。
廬山の観光の目玉といったら、瀑布など山中の風景なのだそうで、九江市内でもたびたびそうした観光の広告を見かけた。
ここ牯嶺鎮からはいくつかのルートや観光ポイントがあるようで、順路があり行き方が決まっているものではなく、それぞれを車で回るかたちになるもよう。
バスでここを訪れた観光客に、車の足はない。
ガイドブックによると、風景区を二方面に向かう観光バスが出ているようだったが、乗り場やルート、停車先などに関する詳しい情報が一切なかった。
見渡してもそれらしい車もそれらしい乗り場もそれらしいチケット売り場もない。
訊いてみようかとも思ったけれど、ガイドブックの簡易な地図があったので、歩いて向かってみることにした。

どの方面に向かうか迷ったけれど、共産党がかつて会議を行った施設とやらの史跡の先には湖があるようで、そちらに向かってみることにした。

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けれども歩き始めてしばらくして、後悔。
あるけどもあるけども、地図上の‟ちょっと先“にも辿り着かない。
けれどもすでに引き返すのもだるい距離を歩いてきたので、そのまま強行する。
先ほどまであんなにいた観光客はすっかりいなくなくなり、歩いているのは私だけ。
ただひっきりなしに、頭上から溶け出した氷の塊がぼたぼたと落下する音だけが響く。
氷の塊はなかなか大きく、当たったら気絶するかもしれないな、と用心しながら。

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やがて、「周恩来紀念館」という文字が見えた。
周恩来もここに別荘を構えていたとか、そういうことだろうか。
けれども門は閉ざされ、雪や氷による害により安全の為に閉鎖、と案内が出ていた。
普段は公開されているよう。

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鉄門の向こうを覗くと、立派なお屋敷が並んでいる。
あのどれだろう。

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昨日の九江は寒さでぐったりした。
山中はさぞ寒いだろうと警戒し、備えてきた。
厚手のニットのワンピースの下にはヒートテック、発熱素材のタイツの上には昨日急遽歩行街で購入した起毛素材の靴下を重ね履きし、そしてコートの上からファーのマフラー。
これがなんてことだ、失敗だったよう。
雲一つない空に、ぼたぼたと落ちてくる氷の塊が物語るように、今日は日差しがあり気温が上がっているよう。
下り坂を歩く私でも、暑さでコートを脱ぎたくなったほど。
それでも息は真っ白だったから、私が歩き疲れただけなのだろうか。

どれだけ歩いたかうんざりしたころ、ようやく目的地に設定していた共産党の会議史跡に到着した。

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ここのところ、共産党の史跡ばかり訪れている気がする。
これではまるでそちら方面のようではないかと思われそうで心配にもなる。
でも正直に言うと、たまたまなだけ。
こんなところまできて会議史跡を見るよりも、自然景区を見に行くべきだ。
本来はそのつもりだった。
けれども行動意欲を失っていた私は、ここで引き返してしまうのだった。

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共産党会議はここで三度行われており、そのうち1959年に行われた廬山会議が有名なのだそう。
ひっそりとした山中に、急に趣異なる石造りの建物は、とても異質だった。
当時ここに毛沢東はじめ多くの共産党幹部、共産党員が集まって会議を開いたその様子を想像すると、なんだかただごとではない。
愛国施設なので無料、ということで入ってみた。
一階は資料展示のようだったので飛ばし、そのまま二階へ。

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会場が再現されている。
一つひとつの座席には、当時を再現して名前が正確に割り振られている。
正面の壇上には、毛沢東、周恩来、林彪など。
座席を見ると、それぞれにお茶と灰皿が丁寧にも置かれている。

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ここから自然景区に向かうことを諦め、もう帰ろう、ということになった。
来た時は下り坂。
戻る時は上り坂。
途中でどこかのホテルに向かうのか、ワゴンがお客を乗せて小道を曲がった。
小道は上り坂になっており、凍りついた路面にワゴンは四苦八苦し、助走かけて勢いよく登っては、あともう少しのところで無残にもお尻から滑り落ち戻ってくる。
数度のリベンジを見守ったあと、私は去った。
あの後そのワゴンがどうなったかは、わからない。

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枝に凍りついた氷の塊は、ひっきりなしに落下してくる。
座って休憩していたら、私の膝にも落ちてきた。
あまりの痛さに思わず叫んだ。
膝には痣ができてしまった。
大きさにして、ペットボトルのような氷の塊まであるのである。
あたり一面、そうして落下した氷の塊がごろごろしている。
雪だと思っていたのは実はそうではなく、みな氷の塊だったのだ。
頭に落ちてきたらひとたまりもないな。
そう思い足早に歩くも、「落石注意」の注意のしようがないように、足早に歩いた先にも落下してくるので意味がない。

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ふたたび商店や飲食店で賑わうエリアに戻ってくれば、今度は解けた雪が完全に氷化し、まるでスケートリンクのようになっている。
つるつると滑っては、「大丈夫?」とお店の中から心配そうなまなざしを受け、とうとう最初の公園まで戻ってきた。

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まるで時が止まったかのよう。
なぜかそう思った。
生きているのか死んでいるかわからない。
ただ、静止している。
静止しているのならば、そこに生も死もない。
この木も、氷が解けて落ち始めたら時が動き始めるのだろうか。

到着した時に見つけた小さなバスターミナルの名がついた建物に向かっていると、外で女性が声を上げていた。
「九江へ帰る人はここで!」
チケットを買うと、22元。
行きは16.5元だったので少し高い。
ここからバスを降りたバスの集まりの方へ向かおうとすると、「そっちじゃなくてそこを右に曲がって」と言う。
右に曲がるとそこにはトンネルがあり、トンネルを越した先にはバスターミナルがありたくさんの小型バスが停車していた。
見てみると、観光ポイントへ向かう景区内バスも。
ここに来れば、あんなに歩かなくても観光ポイントに行けたんだ。

指定された小型のバスに乗り、人がいっぱいになるのを待った。
結局、最終と告知されていた16時半になりようやくの出発。

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雪景色に見える実は氷景色を眺めながら、バスはどんどん高度を下げていった。
練乳がかかったかき氷みたいでおいしそう、そんなことを考えながら、気づけば爆睡。

九江市内にバスが着き、寝ぼけ眼で下車すると、もうすっかり夜だった。
中国の長距離バスでよくあること。
下りた場所がなんにもない街のどこかで、どこにいるのかさっぱりわからない。
ただ、「着いたよ」と言われ下りる。
タクシーが捕まればそう問題はないけれど、そうでない場合は非常に困る。
この時もなかなかタクシーが見つからず、それでもようやく捕まえて荷物を預けていたホテルに戻った。

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食事は悩んだけれど、近くの真新しい中華系のファーストフード店へ。
注文したものが売り切れだったので、店員さんのお勧めで台湾卤肉を。

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牛肉が入った甘めソースにゆで卵。
中国に来て台湾は少し不本意だったけれど、おいしい。
セットでついたのは茶碗蒸しみたいなもので、これもおいしい。
ビールを二本頼み、それがインパクトあったのか、店員さんたちから声をかけられるとき「ビールの人」と呼ばれるようになってしまった。

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こうして時間を見て、タクシーに乗り九江站へ向かった。

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今夜は23時44分発の夜行列車に乗って、次は貴州省の貴陽へ向かう。
19時間20分の道のりである。
出発は遅いけれど、明日は到着が19時になるので色々買い出しをした。
カップ麺に水にビールにお菓子にパン。

ベッドはまた上段。残念だけど仕方ない。
途中駅からの乗車なので、乗り込んだ時すでに車内は寝静まっていた。
悪いけれどドアを開けて部屋に入ると、下の段は夫婦と赤ちゃんを卒業したくらいの小さな子供だった。
彼らはまだ起きていて、部屋のカーテンも空いていたので、私は姿勢がきついながらも上段ベッドからかろうじて流れる風景を眺めしばらく時間を過ごした。
真っ暗な中にも、途中で流れていく眩しいどこかの灯り。
それは住居だったり、派手な電飾のビルだったり、また街灯だったりなにかの工場だったりした。
いずれにしても、眩しい明かりは通り過ぎれども、人の気配はいっさいない。
外はたいそう寒いだろうな。
なぜかそんなことをずっと考えた。
今、私はいったいどこを走っているだろう。
思いをめぐらしながらも、ようやく眠ろうと決心し身体の向きを変えた。
けれども、ここからが大変だったのだ、ほんとうに。またもや。

〈記 12月15日 貴陽にて〉

参考:
ホテル → 九江長距離バスターミナル タクシー代 15元
九江 → 廬山 長距離バス代 16.5元
盧山 → 九江 長距離バス代 22元
朝食(餃子) 10元
廬山入山料 160元
昼食(清湯麺) 12元
共産党会議遺址 無料
九江バスターミナル → ホテル タクシー代 16元
夕食(台湾卤肉定食、ビール) 25元
ホテル → 九江站 タクシー代 15元
九江 → 貴陽行き列車券 450元


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2019-01-02

15日南方周遊〈5日目〉 貴陽

2018年12月15日、九江から貴陽行きの夜行列車に乗り、間もなく日付が変わった。
随分と遅くまで上段のベッドから無理な姿勢で流れる暗がりの風景を眺めて、やがて寝ようと姿勢を変えたら。
対面下のベッドで寝ていた小さな子供が耳をつんざくような大声で泣き始めた。
若いお母さんは辛抱強くなだめるけれど、まったく効果なし。
これがどれだけ続いただろう。
時計を見るともう明け方の4時を回っている。
お母さんはたびたび部屋の灯りをつけ、そんなこんなで私は半ば眠るのを諦めた。
翌日が忙しい日程ならば焦るけども、到着は19時だし、昼間はすることもないからごろごろできる。
大人が大声を出していたら一言声もかけたくなるけども、子供なので仕方ない。
少し離れた部屋からも、どこかで子供の泣き声が漏れ聞こえてくる。
お母さんてたいへんだな、と思う。
一方、私の下のベッドで寝ているお父さんの方は、爆睡。
お母さんが必死で子供をあやしている一方で、お父さんはいい気なものだ。
いい気なものだけであればよかったけれど、ここに来て大いびきが始まった。
こんなに大いびきで本人は目覚めないのが不思議なくらいだ。
私は次第に、子供の泣き声よりもいびきの方が気になって、もうまったく眠れなくなった。
耳をふさいでも、侵入してくる大音量。
自分の子供がどれだけ泣いても目覚めない眠りの深さに感服する。
夏の38日間旅行を思い出した。
あの時も、たしか紹興から昆明に向かう夜行列車で、泣き叫ぶ孫を持て余すおじいさんおばあさんが同室だった。
あの時は子供が少し大きくて悪さができる年齢だったことと、それにそんなのが二人もいたので困り果てた。
それに比べれば、今回は悪さもないし、ただ泣き声といびきだけ。

はっと目を開けると、もう明るくなっていた。
時計を見ると朝の8時。
それでも少しは眠ったらしい。
斜め下のベッドを見下ろすと、お母さんと子供がすやすやと眠っているのが見えて安心した。

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窓の外はほとんどが山の景色で、たまに山中の民家が二つ三つかたまって通り過ぎた。
古い瓦屋根の木造に、すぐ隣には真新しい鉄筋の家が建っている。
古い家を取り壊さずに横に新しい家を建て、両方利用して生活しているようだ。
あっという間に流れていく風景の中にも、現代の中国を見た気がした。

午後になり、私は食堂車に移動して旅行記を書き始めた。
上段ベッドは動きが取りにくいしテーブルも使えないので、なにもできない。
夕方になり食堂車が仕事を終えるということだったので、私は勝手に乗客が下車し終わって空になった部屋へ侵入し、そこで旅行記の続きの作業をした。

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実を言うと、昨日からおなかの調子が悪かった。
胃なのか腸なのかよくわからなかったけれど、内臓が痛い。
悪いものでも食べたかなと思ったけれど、下痢も吐き気もない。
耐えられないつらさではなかったので、食事はできる。
けれども空腹がやってこない。
それでも食べておいた方がいいだろうという義務感で、ここで買っておいたカップラーメンを食べた。
旅先でおなかが空かないのは究極につまらないことだ。
中国を旅する楽しみのひとつは、たとえそれがなんのことはない小吃であっても、ひいてはカップラーメンであっても、やっぱり食だからだ。

19時、定刻通りに貴陽站に到着した。
同室の親子は終着駅の昆明まで行くよう。

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中国旅では駅を出て、タクシーが捉まえやすいところと、もう全然捉まらないところがある。
貴陽站はタクシーの待機もなく、私はたまたまいたタクシーにホテルを伝えたが、一度止まって行先を聞いた運転手さんは、そのまま何も言葉を発することなく過ぎ去ってしまった。
もう一台なんとか停めると、「バスで行けばいいよ」とこれも乗車拒否。
どうやら、近いので乗せたくないよう。
近くても荷物も多いし、土地勘もなくバス停から探すことになるから、加金してもいいからタクシーに乗りたかったんだけど。

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訊いてみると、1路バスも2路バスも、私の予約したホテルがある繁華街、中華中路を通るみたいだった。
そこで2路バスに乗って確認してみると、「1路バスが通る」とのこと。
1路バスに乗り換えて1元を投入したあと、運転手さんに、私のホテルはどのバス停で下りればいいか訊いてみた。
中華中路にはふたつのバス停があるということだったからだ。
「噴水池でおりればいいよ」
そう教えてくれた運転手さんに、「私外国人だから、近づいたら教えて」とお願いする。

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無事に噴水池で下りてみれば、貴陽の街は都会だった。
案の定ここから迷い、地図と住所片手に番地を見ながらうろうろし、ようやく見つけ出したときには20時をまわっていた。

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宿泊するのは繁華街のど真ん中にある、柒號花園酒店。
中華中路をひっそりとした道に曲ってすぐ、隠れ家のようにあった。
これは、わからない。
けれども内装は凝っていて品があり、フロントも親切だった。

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部屋は広くはないけれど、調度品がアンティーク調でおしゃれ。
窓には造花が飾られて、その先には貴陽の夜景。
カップルでも友達でもいいホテルだなと気に入った。

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そしてフロントに飾ってあった、貴州の美食を紹介するパンフレット。
絵もきれいだし、説明もていねい。

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フロントに置かれていた同じく貴州について紹介する冊子もいただいた。
お勧めの味覚、それがどのお店で食べられるのか。
それから貴州の方言の一部を紹介し、また市内の観光スポット、郊外の見どころまでも掲載している。
いかにもといった観光パンフレットではなく、若者が手作りで編集したような温かさと目線が感じられた。
ジャオユーさんと、こういうのを一緒に作ろうね、と10月に話したばかりだった。
私が提案しどういうものを作りたいか説明すると、ジャオユーさんは興奮して張り切ったんだった。
ふたりの鉛筆の跡は、まだあのスケッチブックに残っているはずだ。

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時間も遅いので、周辺に夕ご飯のお店を探しに出た。
中華中路を反対側へ渡ってうろうろすると、屋台が数店舗ならんでおり、誘惑されながらも寒いからな、と通り過ぎると、その先に老凯俚酸湯魚の文字が目立つお店が。

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さっそく入店してみると、女性も男性も苗族の衣装を演出している。
多分、「魚か羊か」と訊かれたのだと思う。
「魚羊鮮」と文字がでかでかと書かれたものが、あちこちに置かれている。
「私、外国人なんだけど、どちらがお勧め?」と訊いてみると、
「魚」と即答だったので、そちらへ。
メニューを見ることもなく、注文システムを確認する間もなく、いきなりの選択だったので焦った。

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ちなみにこちらは、私が選ばなかった方。
貴州黒山羊とあり、これもまたこちらの名物のよう。

席につくと、「魚をあちらで選ぶ」のだという。
行ってみると、複数の魚があり、どれを選んでいいかわからない。
大きな魚は食べきれないと思ったので、小さい魚から無難なものを勧めてもらった。

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選んだのは、黄腊丁という魚。
500gが60元。
これも目の前で上げて秤で測ってくれる。
「食べきれないので」と数を調整してもらい、5匹を調理してもらうことになった。

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やってきたお鍋。
この中にはすでに先ほどの魚が投入されており、店員さんのOKが出るまで加熱。
そのまま投入されているので、ちょっとグロテスクでびっくりする人もいるかもしれない。
黄色味のまだら模様の皮が剥がれかかりながらもくっつき、頭が取れてぐらりとなっている。
おたまですくって、私ははじめ、間違えてカエルが投入されているのではないかと本気で思った。

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それからお酒はせっかくなので、こちら名産の米酒を。
度数は18度で色はカラメル色、甘酸っぱいような風味。

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もう一品、ここ貴州の名物をと頼んだのは、洋芋粑。
ジャガイモをつぶして丸めて揚げたようなもので、これに孜然粉をつけて食べる。中はほくほく。

こうして店員さんのOKが出たので、いよいよメインの酸湯魚を。

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こちらがおたまで上げた一匹。
見るからに辛そうなタレにつけて食べてみると、これがとてもおいしい。
魚もおいしいけれど、タレが好みだった。
酸っぱ辛いタレの中にはレモングラスが入っているみたいだった。
中国でこういう風味に出合ったことがなかったので、ちょっと感動。
おいしくて、5匹骨を残してきれいにたいらげてしまった。

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ホテルに戻り、お酒の続きを飲む。
テーブルで旅行記の作業をし、ふと立ち上がって窓の外を見てみると、煌びやかだった貴州の夜景は、もうすっかり明かりを落としていた。

〈記 12月16日 貴陽にて〉

参考:
1路バス 1元
宿泊費 280元
夕食(酸湯魚、洋芋粑、米酒) 227元


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まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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