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2020-03-28

◇◇ 周遊旅行・長期旅行 ◇◇

※各旅行記タイトルをクリックいただきますと、旅行記一番最初のページに飛びます。

20年18天

◆18日間周遊 成都ー安陽ー襄陽ー南寧ー徳天ー南寧ー昆明ー建水ー昆明ー貴陽ー成都 2020年1月
〈西南地方〉 四川省ー雲南省 〈華中地方〉 河南省ー湖北省 〈華南地方〉 広西チワン族自治区

❖観光地❖
[安陽] 殷墟宮殿宗廟遺址、安陽博物館、中国文字博物館
[湯陰] 岳飛廟、羑里城
[襄陽] 古隆中、襄陽城 
[南寧] 南湖公園、地王大廈展望室、揚美古鎮、中山美食街
[徳天] 徳天跨国大瀑布、ベトナム国境
[昆明] -
[建水] 建水古城、滇越鉄道建水站旧駅舎、箇碧石鉄道小火車、双龍橋、郷会橋站、団山村建築群、箇碧石鉄道建水站旧駅舎、箇碧石鉄道臨安站旧駅舎、朝陽楼
[箇旧] 箇碧臨屏鉄路公司旧本社屋、箇碧石鉄道箇旧站旧駅舎、金湖公園
[貴陽] -


●30日間成都滞在① 〈前編〉 2019年6月7月 〈西南地方〉四川省

❖観光地❖
[成都] 東郊記憶音楽公園
[新都] -
[彭州] 大坪村
[宜賓] -

●30日間成都滞在② 〈後編〉 2019年6月7月 〈西北地方〉新疆ウイグル自治区ー〈西南地方〉四川省

❖観光地❖
[成都] -
[ウルムチ] 烏西站、石人沟、南山板房沟、南山沙沟、新疆国際大バザール、新疆民街、二道橋バザール歩行街、新疆地質鉱産博物館
[トルファン] カレーズ園、火焔山、鄯善クムタグ砂漠


●14日間成都滞在 2019年2月3月 〈西南地方〉四川省
❖観光地❖ 
[成都] 成都動物園、龍泉山桃花古里、洛帯古鎮



18年冬15天周遊 表紙用

◇15日間南方周遊 上海―九江―貴陽―成都―峨眉山―眉山―雅安―成都―上海 2018年12月
〈華東地方〉上海市―江西省―貴州省 〈西南地方〉四川省

>❖観光地❖
[上海] 外灘、旧フランス租界地、孫中山旧居、周公館、復興公園
[九江] 煙水亭(周瑜点将台旧址)、潯陽楼、鎖江楼塔、能仁寺、廬山風景区
[貴陽] 青岩古鎮、甲秀楼
[成都] ―
[楽山] 楽山大仏
[峨眉山] 峨眉山風景区
[眉山] 柳江古鎮
[雅安] 望魚古鎮


●30日間成都滞在① 2018年9月10月 〈前編〉
〈西南地方〉四川省

❖郊外観光地❖ 東山展望台、三岔山湖、平楽古鎮、五風溪古鎮、賀麟故居、龍泉山

●30日間成都滞在② 2018年9月10月 〈後編〉
〈西南地方〉四川省

❖観光地❖ チベット街、錦繍天府塔
❖郊外観光地❖ 街子古鎮、新都・宝光寺、新場古鎮、白鹿古鎮、海窝子古鎮、葛仙山



18年夏38天周遊 表紙用

◆38日間周遊①北京ー合肥ー紹興 2018年6月~7月
〈華東地方〉北京市―安徽省―浙江省

❖観光地❖ 
[北京]-
[合肥] 李鴻章故居、明教寺(曹公教弩台跡)、蘆州府城隍廟、逍遥津公園(張遼墓)、周瑜墓、三河古鎮
[紹興] 黄酒博物館、大善塔、倉橋直街、周恩来故居、魯迅故里、書聖故里

◆38日間周遊②昆明ー河口 2018年7月
〈西南地方〉雲南省

❖観光地❖
[昆明] 雲南鉄道博物館、西寺塔、東寺塔、昆明老街、石林カルスト風景区
[河口] ベトナム国境越え

◆38日間周遊③成都ー漢中ー西安 2018年7月
〈西南地方〉〈西北地方〉四川省ー陝西省

❖観光地❖
[成都] 双流老茶館、建川博物館、中国酒村、安仁古鎮、平楽古鎮、上里古鎮、龍泉山、洛帯古鎮、四姑娘山、巴朗山、文殊院
[漢中] 武候祠
[西安] 永興坊美食街、回族街

◆38日間周遊④嘉峪関ー酒泉ー中衛 2018年7月
〈西北地方〉甘粛省ー寧夏回族自治区

❖観光地❖
[嘉峪関] 魏晋壁画墓、万里長城第一墩、懸壁長城、嘉峪関
[酒泉] 鐘鼓楼、夜光杯廠、丁家閘古墓、西漢酒泉勝跡
[中衛] 沙坡頭景区、高廟保安寺、鼓楼、石空大佛寺、通湖草原

◆38日間周遊⑤呼和浩特ー二連浩特 2018年7月
〈華北地方〉内蒙古自治区

❖観光地❖
[呼和浩特] 清真大寺、大召、王昭君陵墓、金剛座舎利宝塔
[二連浩特] モンゴル国境、二連浩特国家地質公園、恐竜館
[成都]-

◆38日間周遊⑥成都ー北京 2018年8月
〈西南地方〉四川省ー北京市
❖観光地❖
[成都] 青城山后山、泰安古鎮、都江堰、寛窄巷子
[北京]-


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2020-03-28

18日間周遊 〈まえがき〉 成都滞在

2019年12月27日、朝とり急ぎやっておくべき仕事だけを済ませて、宜賓を出発した。残りは来期が近づいたらまた考えようと、ほぼ放った状態だ。
こうして私の長い冬休みは始まった。
忙しい忙しいと書いておいて申し訳ないけれども、こちらの教員生活は一方で自由な時間をたくさん持つことができる。今年は春節の時期の関係で冬休みが特に長いが、通常は一カ月半、そして夏には二か月間の長期休暇がある。
給料は日本の最低賃金以下だが、こちらの現地給料水準でいえばよい待遇である。
日本では会社勤めが長かったが、しかしもうすっかり感覚は麻痺してしまった。

大学の冬休みは最後の試験が終わり次第となり、個人個人で異なる。
1月10日頃に多くの学生は冬休みを始めるようだが、私は27日に宜賓を後にした。
新学期ははっきりわからないけれども、おそらく予想では3月初めから。
結局はっきり知ることができなかったので、もういいや!と2月末に中国帰国になるように往復航空券を買ってしまった。
12月27日から1月4日まで成都に滞在し、1月4日から夜行列車の旅に出る。
そうして18日間中国を周遊したのち21日に成都へ戻り、春節の大みそかー夕除―を成都で過ごし、25日春節を迎えてから日本へ帰国する。

成都で比較的長い滞在ができるのは、元彼ジャオユーさんのおかげである。
成都で一週間も滞在すれば私の少ない持ち金はすぐに飛んでしまうが、彼がマンションに滞在していいと言ってくれた。
そうして新年をこちらで迎えることになったが、中国では新暦よりも旧暦を重視するために新年は単なる祝日にすぎず、たった一日お休みになるだけ。彼は毎日出勤するので、私は散歩したりお茶したり掃除したり、そんなごくごく普通の日々を過ごした。
この「まえがき」は、その成都での滞在について書いたものである。

1月4日から21日にわたった18日間周遊。
今回の旅行記はその旅路についてを書き残したものである。
その前書きとしてこのページを用意し旅行出発前の出来事について書いてみたが、スケジュール帳に書き込む日記のようにただ起きたことをメモ書きしただけになっている。
退屈なページになってしまったと自分でも思うが、そのまま残すことにした。
「まえがき」は12月27日から1月3日までの出来事を。
旅行記はこの次のページ「一日目」より始めることにする。


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マンションに着いてみると、ジャオユーさんの部屋は少しアレンジされていて、ライトや家具などが新しくなりレストランのようになっていた。
観葉植物もだいぶ新調され、ライトアップまでされている。
「クリスマスの雰囲気だろう」
そう自慢げに話す。

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初日の夕食は先日と同じ火鍋店。
スープ状になるとわかりにくいが、四川火鍋というのはもう脂と調味料の海だ。
毎日どれだけの唐辛子や花椒が消費されているのだろうかと想像するとおそろしくなる。
一度ジャガイモの投入に失敗してしまい、あたりにスープをまき散らしてしまった。すると瞬時に冷めたスープはべとべとの脂と化し、拭きとってもこれがなかなかとれない。これをゴマ油につけて食べるのだから、いったいどれだけのカロリーになるのだろう。
初日の晩はたくさん飲んで部屋でもまた飲みなおし、酔っ払いの一晩だった。

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翌日は土曜日で、私たちはあるイベントに参加した。
一時間ほどわざわざ歩いて少し遠めの地下鉄駅へ行き、そこから地下鉄で温江区へ。

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その途中で立ち寄った遅いお昼ご飯は、鲫魚雑醤麺。そのおともにはまるで焼き魚のようなお皿にのっかった小さな烤魚。

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老成都の味覚だからとここを選んでくれたのだそう。
食の選択肢が悲しいほど少ない宜賓で生活していて、成都に来るとほんとうにたくさんのものがあるなぁと、まるで初めて都会に来たみたいな驚きを感じる。
この麺、味はどうかというと「普通においしい」。
四川特色でとても脂濃く、そこに麻辣、特に花椒がよく効いている。魚の身が見つからなかったが、どことなく麻辣以外の風味を感じたので、それがおそらく鲫魚だろうと思われる。
「普通に」と評したのは、おそらく二度目はないだろうからだ。おいしくないわけではないが、飢えた時に選択肢の一つとしてこれが思い浮かぶかというと、多分思い浮かばないだろう。

温江区へは地下鉄で行けるがけっこう時間がかかった。
地下鉄を下りてから地上で客待ちをしているおんぼろ電動車に乗り込み、そこからまた数㎞離れた、農家が経営する広い野外式烤肉店などの並びから一つのお店へ入った。

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中国には、人が住む気配がないような広い大地に、また人の気配が感じられないような野外式のお店が並ぶのをよく見る。
烤肉あり、お茶あり、麻雀でもいい。しかし大丈夫かと心配になるような寂れ具合をみることがほとんどだ。
私たちが入ったのはそれでも立派な中華式建築の大型レストランで、こうして大勢が集まりイベントを行うのに利用されるお店のようだ。
すでに多くの人が到着している。

私たちが参加したのは成野連盟という、中国の大自然地帯で四駆車を走らせるのが好きな人たちが集まるグループの忘年会だった。
こんなところ走れるの?というようなところに挑戦したり、砂漠地帯、草原地帯、山岳地帯などを走破する、そうしたアウトドアを「越野」といい近年この愛好者が中国では増えている。
いかつい車の後ろを覗いてみれば、「越野」だとかそれに似た言葉のステッカーが貼ってあったり、走破した路線がシールで書き込まれていたりするので、一目で「ああ越野の人だな」とわかる。
昨年の5月に新疆ウルムチで私が参加した野外活動も、こうした愛好者のグループで行われたもので、四駆車同士が無線で連絡を取り合いながら目的地を目指すものだった。
この成野連盟は、成都の越野愛好者のグループで、この日の忘年会だけでも参加者は300人ほど。
成都はチベット、青海、新疆、シルクロード地域と接し、また四川省内にも秘境と呼ばれるような未開発地帯がたくさんある。そのため、特に越野愛好者は多い。
ジャオユーさんはこのグループに登録しているけれども、大勢で騒ぐような方向性が少し合わず、イベントに参加したことはないのだという。今回は初めての参加になり、私も同行することになった。

お店の前にはいかつい車がたくさん停まっている。
私たちはお酒を飲むのでわざわざ地下鉄で来たが、車でやって来た人も多いよう。
どんな車があるかなと覗いてみると、一番多く見られたのはトヨタ。ジャオユーさんと同じランドクルーズだった。他にも三菱やベンツやジープなど。
「越野の人はお金持ちが多いんだね」
私がそういうと、「違う、逆で、お金を持っていないとこういう趣味はできないんだ」
日本にもこうした車が好きな人はたくさんいるだろう。
しかし小さな島国であり、なかなかその能力を発揮するような場は少ない。
越野というひとつの流行は、中国の広大な大地があってこそ成り立つものなのだ。
中国に来るとほんとうにそれを実感する。

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会場に入り、まず名前を記入したりチケットを受け取ったり。
広場にはたくさんの景品が並べられている。
今夜のメインはこの抽選のようで、「これはいらないね」などと勝手に物色する。
私の目当ては、豪華な箱に入ったワインだ。

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ここでサインを書き込む。
「マーヨーズ」の名前の後に小さく「ジャオユー」と私が代筆すると、「わざと小さく書いたな」ジャオユーさんがこちらを睨みつけた。

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成野連盟の紹介を眺めてみると、すごい規模だなと驚く。
「雪山で花火を鑑賞するだけでなく…麻雀もするのが我々成野連盟」
そんな文面と写真に、さすが四川だなと思わず笑う。

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だいぶ時間があったので、お茶をしたり散策をしたりしながら二人とも昼寝した。
すると気が付けばもう忘年会は始まっていて、私たちは慌てて空いた座席を探した。

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さすがこうした愛好家グループだけあり、なかなかワイルドな人たちが揃っている。
色んな交流があるかと期待したが、あまりにも人数が多すぎたのとメインが長時間におよぶ抽選会だったので、ジャオユーさんは少し退屈気味。
彼が仕事の電話で席を外したその時、「058!」なんと私のチケット番号が呼ばれた。
前のステージに並び記念撮影をして受け取ったのは、888元相当の理療店の体験チケット。しかし残念ながら男性対象のもの。

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しばらくしジャオユーさんが戻ってくると、今度は彼のチケットが当たり、私はまたステージに。
次に当たったのは露営用のライトだった。

外では焚火が焚かれ後は花火大会を待つだけだったが、退屈を極めたジャオユーさんの意見で私たちは先に失礼したのだった。


翌日は日曜日だったが、ジャオユーさんは年末行事の関係で深夜まで休日出勤だという。

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私は一日ぶらぶらし夜は他の友人と日式焼肉を堪能し、10時過ぎに彼の職場に立ち寄り仕事を手伝った。
深夜に物品の搬入があったが、「費用を支払っているんだ。手伝わなくていい」そういう彼を無視しトラックの荷台に乗り込んで男さながらに荷下ろしをすると、その画像が職場に配信され、結果このあと職場の皆さんから三度にも渡りごちそうしてもらえることになったのだった。
すでに彼の職場の多くの人たちと面識があったが、「日本人の彼女」というのはみなの好奇心をそそるようで、面識がない人たちからも声がかかる。
彼は面倒だという理由でいまだに私と別れたことをみなさんに伝えていないそうで、その度に‟偽カップル”を演じなければならないのは、嬉しいような悲しいような。
荷下ろしを終えて彼が私に渡してくれたのは、「美しい水」。ボトルはエヴィアン、中身は白酒。なかなか飲みごたえのある美しい水だった。

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こうしてその後の数日は、自転車に乗りながら成都を回ったり、お気に入りのチベット料理店で昼間からお酒を飲んだり、ショッピングをしたりして過ごした。

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こちらはある日食べた泡椒牛蛙、つまりウシガエル。こちらではカエルを好むけれども、カエルといっても色んなカエルを食べる。

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こちらはチベット料理店で食べたお気に入りのヤク肉パイに青稞咂酒。青稞はチベットで主食として食されるハダカムギで、10月に旅行した際にはその白酒を体験した。
てっきり白酒かと頼んでみれば、運ばれてきたまるで島焼酎を思い起こさせるような外観とは反して、白酒を薄めた酸っぱくて薄いお酒。度数は6%だった。

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そうしてお酒のにおいを発しながら入ったのは、すでに何度もこちらの旅行記でも紹介している、少数民族支援を目的とした雑貨屋さん。
何度も来店していて、店員さんともすでに顔見知りになってしまった。


こんなふうにして、いよいよ迎えた12月31日。
旧暦を重視する中国では、年越しといえば春節。元旦は単なる休日にすぎないという。
しかしそうはいっても、イベント好きな中国であるから、やっぱり新年の雰囲気があるといえばあった。
街中には恭賀新年といった文字や元旦、新年を題したセールなども見かける。
しかしやっぱりそれよりも目を引くのはクリスマスムードだった。
こちらに来てから行っていた文珠院あたりの雑貨屋さんには、年賀状と並んで一緒にまだクリスマスカードが売られていた。
街のあちこちに目立つクリスマスツリーにクリスマスの飾り。
「西洋の行事は行うべからず」そんなふうにクリスマス禁止令を発するに至った中国だが、これでも控え目にクリスマスを迎えたというから面白い。
国慶節にせよなんにせよ、過ぎてもだらだらと飾られ続けるムード。
そんなふうにしていまだ残るクリスマスの雰囲気と、これから迎える新年と春節の雰囲気、それらが混じり合い、どことなく浮かれ気味な街の空気が、いったいそのどれからもたらされているものなのかもうわからない。

テーブルを片付けて待っていると、4時半にジャオユーさんは退社して戻ってきた。
今日は烤羊肉をやると約束していたが、寒くて屋上は少しきついということで予定を変更し、室内で炒羊肉を作ることに。

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またいつものように、野菜の細切りを「しっかり見るんだ」と呼ぶ彼。
これに花椒や砂糖や塩やごま油や辣油などを加え、いろどりに唐辛子をのっける。

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炒めた羊肉は新疆風味。これをフライパンごとテーブルに乗せ、これらをつまみながら、時を待った。

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話題の中心は、2月の日本旅行。
今まで何度も「日本に遊びに行きたい」と話していた彼だったが、とうとう実現させるようだ。
すでにビザの手配もし、キャンセル不可の航空券も購入した。帰りの飛行機は同便にし、一緒に成都に帰ってくることになった。
そうしておもむろに取り出したのは10万円分の福沢諭吉。
これは一昨年の10月に私が一カ月成都に滞在したさいに、彼がわざわざ両替して無職の私にくれたものだ。しかし大金だったので受け取らなかった。
「これを旅行の費用にあてよう」
私がスケッチブックに描いた旅の計画を、彼は何度も撮影し、みなに送り自慢した。
そんな彼の楽しそうな様子を見て、私もなんだか幸せな気持ちになる。

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11時頃になり、私たちはバイクに乗り出発した。
向かった先は成都一番の繁華街、春熙路。
たくさんの飲食店や高級ブランドのお店が立ち並ぶエリアだ。
着いてみると、すでにたくさんの人でごった返し、お店はどこも列ができている。
中国は旧暦の春節が本当の年越しだから、新年は祝わないなんていうけれど、それでもそれなりの特別感は感じる。
街のあちらこちらに新年や元旦の文字が配され、日本のような飾りはないけれど新年を待ち望む雰囲気があった。

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春熙路にはデパートが並び、その中には伊勢丹やイトーヨーカドーもある。
イトーヨーカドーはちょうど「鼠不勝鼠」だとか「新年好運」などの新年の飾りつけをしているところ。あと一時間もしないうちに新年なのに遅いなと思うけれど。

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ジャオユーさんのスマホのバッテリーが切れたため、レンタル充電器を借りるためにファーストフード店に入店した。
すると大行列の先に見えたのは、クリスマスの特別セット。いつまでこのセットやるんだろう。とりあえず新年セットはないということのようだ。
外にはきらきらしたクリスマスツリー。
クリスマスツリーはもう、成都のいたるところにどうどうとしている。
いったいいつまでクリスマスムードが続くのかも気になる。

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プラダやディオールなどのお店が並ぶ春熙路の中心部へやってきた。
ここには大きなパンダが建物にしがみつくようにしたオブジェがあり、シンボルのようになっている。私とジャオユーさんはこのパンダのことをいつも‟很难看的熊猫”(醜いパンダ)と呼んでいた。
ここが、若者たちがカウントダウンをする場所のようだ。

ひとごみに混ざり0時を待ち、やがてカウントが始まった。
「3、2、1!」
集まった若者たちが声を上げる。
が、「1!」まで言った後、何も起きない。
しーんとして、周囲のビルはなんの反応もない。
普通であれば、「3、2、1!」の後は「おめでとう!」なんて言って歓声を上げそうだけれど、しーんとしたところを見ると、みな私と同じように新年を祝った電飾や花火を期待していたようだ。
数年前にカウントダウンした上海はものすごい新年イベントだった。
「え…!?」
そんなとまどいのざわめきが起きる。
しばらく硬直したのちに、私とジャオユーさんは「なんにも起きない~!」と笑い合った。
ここでは何も起きないことを知った若者たちは、散らばり始めた。

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その後、ジャオユーさんは物売りのおばちゃんから‟光る耳”を買ってくれた。
いつもであれば、「それは子供のすることだ」と叱る彼だが、今日はいつもよりも気前がいい。

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そのままバイクに乗り、今度は電視塔の方へ。
ここもたいそうな賑わいで、11時くらいにはいつも電気が落ちるタワーはまだ浩々としている。
周囲の飲食店も賑やかで、「どこかでお酒飲んでいくか」そんなジャオユーさんのつぶやきを耳にし期待するも、そのままマンションに戻ってきてしまった。


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翌1月1日は元旦で、こうして新年を迎えた。
この日はひどい二日酔いながらも、この前と同じように台湾のリさんとウイグル族のグーリーを呼び、マンションで食事会を行った。
食べ終わったあとは四人でぐーぐーと大いびきをかいて本格的な居眠り会を開催した。新暦の新年を迎え、みな睡眠不足や疲れがたまっていたようだ。

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2日はジャオユーさんの職場のジョーさんと三人で、新しくできたばかりの日本料理店ですき焼きなどを楽しんだ。この日本料理店はなかなかよくて、お店のこだわりを見た気がした。
私はジャオユーさんの職場の多くの人とすでに面識があり、職場の飲み会などにも参加している。私と面識がない人たちもみな‟マーヨーズ”の存在は知っており、ジャオユーさんに日本人の彼女がいることは周知のことになっていた。
最初の別れ話からもう一年と数カ月が経った。
それでもまだ、職場には別れたことを伝えていないのだそう。それなのに職場のみなさんとは交流があるから、いつも毎度のことのように、「偽カップル」を演じる。
しかもラブラブなのを演じるから、もう切ないものだ。

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3日は、旅行出発の前日。
昼間は彼の職場のみなさんと円卓を囲んで食事をし、夜もまた、彼の同僚とそのご家族と食事会をした。

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品のあるお父さんお母さんでさらになんと日本語がとてもじょうずだった。昔ご夫婦で日本の大学にいたのだそう。
「素晴らしい出会いだわ、運命ね」「子どもが楽しみね」「早く結婚しないとね」と祝福をいただき、また「彼、とてもハンサムね。しかもとっても優秀で素敵だわ」と小説で読むような上品な褒め言葉をいただいた。そのたびに合わせていたのだが次第につらくなり、「本当は別れたんです」と喉まで出かけた。
お店を出るまで、彼は私のバッグを持ってくれた。「いつもそんなふうじゃないくせに」なんて思っていると、みなさんと別れた途端に「自分で持て」とバッグは返却された。少しづつ募る寂しさ。
成都最後の夜だったが、マンションに戻ると彼は「もう寝る」と早々と寝室に入ってしまった。
しかし0時頃。
寝室の中から「マーヨーズ」と何度も私を呼ぶ声がする。初めは気のせいかと思った。
しばらくし呼ばれていることに気づいて寝室を覗くと、
「おやすみ、それを言いたかっただけ」


初めての土地で初めての仕事、初めストレスはなかったが、やがていろんな壁がにょきにょきと現れた、この四か月間。
この冬休みの旅行がずっと楽しみで、気持ちの支えだった。
それから12月にジャオユーさんと友好を再開し、成都滞在も楽しみになった。
成都滞在し新年を迎え、ずっと楽しみにしていた夜行列車の旅に出る。
戻ってきたらまた成都に滞在し、彼や彼の家族と春節を迎える。
そうして久しぶりの日本へ一時帰国。
楽しみなことだらけ、楽しいことだけ、なはずだった。
けれどもそれは、‟やっぱり”なのかもしれない。
そうはうまくいかなかったのだ。


〈記 1月のある日〉

⇒ 18日間周遊 〈1日目〉 成都出発 へ続く

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2020-03-28

18日間周遊 〈1日目〉 成都出発

2020年1月4日、いよいよ楽しみにしていた18日間の長期旅行が始まった。
成都を出発し夜行列車を乗り継いでいくつかの都市を回る旅。
いつものごとく、行先はどこでもよかったというのが本当かもしれない。
ろくに行先を考慮することもなく、ひどく簡単にここと、ここ、なんて決まってしまったルートだった。
とにかく、行ったところのないところへ。見たことのない風景を。
どこか、遠い場所へ。

とても楽しみにしていた今回の旅行だったが、しかしそのスタートは実はひどいものになってしまった。
27日からジャオユーさんのマンションに滞在したが、友達としてよくもてなしてくれたとは思う。
しかしどうも前回、前々回の友好ムードと違う何か違和感を感じた。
彼がときどき見せるきつい態度に徐々に憂鬱な気分が浮上して、でもそんな気分をセーブさせたのは、「友達なんだから」という自分への言い聞かせだった。
すでに終わった恋人関係であり、一度はもう関わらないことを決めたから、もとより喧嘩しようなんて思っていない。もめごと、というのはそれをなんとか解決させたいから起こることなのであって、彼に対しさまざまな意味で諦めたことで、何かを求めても訴えても無意味な争いを生むだけだと、私はすでに捨てていた。
だから、どれもすべて流した。
彼の琴線に触れる言葉や態度はわかっていたから、そんな言動もしない。それは彼を得るためにというよりは諦めたから。無意味な苦痛はもうごめんだった。だまって「好」と答え、私は静かに引いたのだった。
ときどきそんなことがあったけれど、マンションを使わせてくれて、夜は一緒に食事をしてくれる。それはやっぱり彼の言う通り、「友達としての十分なもてなし」に違いない。けれども、なにかあるごとに「部屋を使ってるんだからどんな態度されても文句言うな」という彼の言葉と態度には、虚しさと寂しさがふつふつと湧き上がってくるのだった。

1月4日、この日は14時35分に成都站を出発する列車券をとっていた。
朝起きた時、私たちの関係はごく普通だったと思う。
ジャオユーさんは料理を作ってくれて、ご機嫌もまあまあだったと思う。
こうしてごく普通に成都を出発し、楽しみにしていた旅行を終えたらまた成都に帰り、そうして日本へ帰国するつもりだった。
私の日本滞在に合わせてジャオユーさんはすでにビザを手配し、そしてキャンセル不可の航空券も購入していた。
2月の半ばから二人で日本を旅行し、一緒に成都へ戻る計画も立った。
しかし「だったと思う」を繰り返したのは、実際はそううまくはいかなかったからだ。

食事をしながら、彼は「24日に成都に戻ってくるんだろう?荷物はこのマンションへ置いて行けよ」そう言った。
「え?ジャオユーさんが20日に戻ってこいっていうから、21日に成都へ戻る予定になってるよ?言ったじゃん」
前回成都を訪れた時、彼は20日から春節休みが始まるので、旅行を早めに切り上げて20日には成都へ戻っておいで、一緒に遊びに行こうと声をかけてくれたのだ。そして21日に成都へ戻ることも伝えていた。
ところが、私がこう返したところから彼の機嫌が悪くなり始めた。
しかしただの普通の会話だったはずだ。
「なんで?20日から用事があるの?」
私がそう訊いたところで、彼は爆発した。私にはまるで意味がわからなかった。
でも、もう言い返さない。
だまって去ることにした。
「わかった、ホテルとるからいいよ」
もう友達もしない、縁を切ろう、こころの中ではそんなことを考えていた。もう今までの苦痛に戻りたくない一心で。
ジャオユーさんはそれでも私を成都站まで送ってくれるようで、でも私への侮蔑ははっきりと態度に表れていた。それはひどいものだった。

苦い記憶。6月を思い出した。
「この状況でも日本へ行く必要はあるか?」
一緒に計画した日本旅行。
彼が挑発的な態度でそう訊くので、「もともとあなたが決めたこと。自分で決めればいい」私は静かに答えた。
私から日本へ誘った覚えはない。
彼から誘われた覚えもない。
彼が一方的に「行く」といい、一方的に私のガイドが決定し、私はそれを嬉しくもあったからただ応じただけだ。
私のガイドがなくても行きたいなら行き、別の人を当たったり自分で按排すればいい。
私のガイドでなければ面倒ならば行かなければいい。
キャンセル不可の航空券。手配済みのビザ。職場の人も家族も友達も、みんなに大声で日本行きを話してしまっている。どれだけ面倒かはわかる。でも、彼が今まで私にそうしてきたように、私もまたそんなことにまで責任は持てない。
「マーヨーズがいたからこそ生まれた日本旅行だ!どうしてくれる!」
「私は関係ない、あなたが自分で行きたいといい決めたことでしょう?」
私は静かに答えた。
彼は、「キャンセルする!」大声でどなり、「もう二度とここへは来るな!」と吐き捨てた。
私はもうこれ以上無理をしたくなかったから、きつくなりそうだったら縁を切る、という逃げ道をいつも片手に握っていた。
だから、激昂する彼とは対照的に静かに答えることができたのだと思う。
駅に着き、私が荷物を下ろすのを冷たく見下ろすジャオユーさん。
「ありがとう、さようなら」
そう伝えたけれども、彼の私を見下したような表情は変わらない。
もう、どうしてこうなるのか、まるでさっぱり意味がわからなかった。
私がいったい、何をしたというの?

きつくなりそうだったら縁を切る。
そうはいっても、私のこころはどんより沈んでいた。
楽しみにしていた旅行が一瞬で悪夢に変わってしまったかのように感じられた。
こころひとつで、目に映る景色の色彩がこんなにも変わるなんて。しかも一瞬で。
すぐそこにさきほどまで目の前に見えていたきらきらしたものも、まるでまぼろしのように、まるでろうそくの炎にふっと息を吹きかけたみたいに、あっけなく消えてしまう。

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今回の旅行には五度の夜行列車を組み込んだ。
初めの夜行列車、ここ成都から河南省の安陽を目指す。
14時35分に出発し、28時間後の翌日18時30分に到着する。
最近列車券の確保に難儀することが多い。
事前に予約をかけていても、売り切れで購入に失敗することが少なくないのだ。
そんななか、この28時間という長時間移動で軟臥の下段ベッドを確保できたことは大きな収穫に思えた。

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ところが、乗り込んでみると、乗客が非常に少ない。
私の車両で4人ほど。
こんな経験はいまだかつてしたことがない。
乗客が少ない中、私は60を越した親父さんと二人で同室になった。
この親父さんは話好きで、次から次へと話しかけてくる。
普段の私であれば、そんなおしゃべりも楽しかっただろうと思う。
けれどもジャオユーさんとのことがあり、こころが痛くてたまらない。
とてもおしゃべりする気分になれない。
訊かれては答え、話しかけられては相槌をうち、そんなふうに数時間を過ごした。

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おなかがすいて、食堂車を探しに出てみた。すると私の車両より少し安い、硬臥の車両に出た。
見てみてびっくり。なんと、一人の乗客もいないのだ。
これは異常なことである。
その異常ついでに、初めて障がい者用ベッドを見つけた。
古い車両にはこのようなものはないはずなので、これは新しい車両なのかもしれない。
そんないろいろが、いつもと違う列車旅の感覚だった。

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食堂車に行くと、乗客が少ないからかメニューはこれしかない、ということで頼んだ団子定食。
これで45元は痛いが、仕方ない。
それでもビールを買って定食を食べていると、髪の毛が数本出てきて、なんだかもういろんなことが悲しくなって食べるのをやめた。

部屋に戻ると、ジャオユーさんからメッセージが入った。
「態度に問題があって申し訳なかった。成都に戻ってきたらまた家に泊まってください」
彼は決して謝らない人である。
「对不起」も「抱歉」も、彼がそんなこと言うなんてありえなかった。彼自身も冗談ながらも「いままで对不起なんて言ったこともないし、今後の人生でも言うことはない」と豪語していた。
その彼が、初めて私にその両方を使った。
やがてしばらくして、夜景の写真が送られてきた。
「マーヨーズが戻ってきたらここに連れて行ってあげるよ」
同時に彼のSNSがアップされた。
そこには私に送ってくれた夜景の写真とともに、「一つひとつの車や窓の明かりは、みな暖かなストーリーを持っているーーー麻某某」
それ、私じゃない。
沈んでいた私のこころはぱっと明るくなり、なんだか泣きたいような気分になった。
それでもふと気づくと、まだ変わらず片手には「きつくなったら縁を切る」という逃げ道がしっかりと握られている。
明るくなったこころはしばらくもしないうちに、なんだか悲しい予感をはらんで陰るのだった。

夜も更けて、私はビールに続いて二本の白酒を空けた。
楽しいはずの、軟臥ベッドの下段。
腰かけながら、また寝そべりながら、流れゆく風景を眺めることができる。
ところがもし旅の神様がいるならば、今回は私に楽しく快適な旅をさせたくないようだ。
それは、予想外の暑さ。
前回の青海旅行のように寒くてもつらいが、暑いのもまたつらい。
暖房が強すぎて、つらさを感じるほどの暑さだった。

真っ暗な車窓を反射越しに覗き見れば、ときどき煌びやかな光を映す河が通り過ぎる。
かと思えば、えんえんと明かりのない山中を列車はごとごとと低い音を立てて進んだ。
11時ころ、漢中を過ぎた。
ようやく四川省を抜けて陝西省に入ったようだ。
この列車は成都を出発し終着駅である天津を目指す。
同じく陝西省の都市である安康站に停車したのは、真夜中の3時だった。
二本目の白酒はもう空いた。
おなかが空いたな。そんなことを考えながら、もう寝ないと、もう一人の私が私を責める。
お酒が入り少しぼうっとした頭。
真っ暗な車内を、線路脇のまぶしい照明がさっと照らし、一瞬で消えた。

〈記 1月5日 成都発安陽行き列車にて〉

参考:
成都→安陽列車券 582元+手数料30元
食堂車団子定食 45元

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2020-03-28

18日間周遊 〈2日目〉 成都→安陽

2020年1月5日、睡眠を妨害するような暖房の暑さのなかで、ふとおかしな感触を得て目が覚めた。
そうしてまた、また。また。
初めは何か理由があるのだろう、と自分の感覚と目を疑い信じなかった。
しかし度々と起こるそれは徐々にエスカレートし、とうとう私の「何か理由があるかもしれない」という本来すべきではなかった判断を、蹴っ飛ばすようなことが起きた。
書きたくないが、同室の親父さんの堂々過ぎる痴漢行為である。
私の部屋は相変わらず私と親父さんの二人だけで、親父さんはうるさいのが嫌だからとずっとドアを閉めていた。完全な密室状態で起きたそれらだった。
痴漢行為というのは本来こっそり行われるものだろうが、密室であるためにそれは堂々と何度もやってきた。
最後に痴漢行為の範囲を超えてものすごく不快なことをされたので、私は「不行!」と怒鳴った。何が起きたかは書きたくない。
怖くなったのは、それでも罪悪感がないのか、笑顔の交流をされたことである。笑顔で普通に会話をしてくる。
初めは、とても常識人で親切な人だと思った。信用できる人かなと思った。
この日起きたことを信じることができない。

私は怖くなり、却って通報できなくなった。
通報するタイミングは、最後の「不行!」の時だったと思うが、親父さんの笑顔交流に恐怖を感じ、対応できなくなってしまった。
以前に、男性から怖い行動をされ北京空港で大声で助けを求めたことがあったが、誰も助けてくれなかった。
その時は警察にも助けを求めたけれど、「自分の仕事ではない」と冷たくあしらわれたことがあった。
そういうことがあったから、車両のスタッフに中国語で頑張って説明したところで、味方になってくれる保証もないと思ったこともある。日本であれば間違いなく通報しただろう。しかし、今この車内で何か動くことで、もっと面倒な状況になることを想像してしまった。
私が部屋のドアを開けても親父さんは閉めてしまうので、密室になるのが嫌で部屋を出た。
そうして、やっぱり一番相談できるのはジャオユーさんだなと思い連絡してみると。
「冤罪で通報してはいけない。マーヨーズが夢を見たのかも知れないし勘違いしたのかも知れない」
返ってきたのはそんなメッセージだった。
夢とは?
こんなの間違ってる、おかしい。
そう思う私がおかしいのか?
「中国ではああいうこと、こういうこと、犯罪じゃないの?」
私がそういうと、中国でももちろん犯罪だという。
「私のこと信じてくれないんだ」
たまりかねて思わずそう送ってしまった。
すると、「物事には可能性というものがある。それを言っているだけだ」
でも、心配ってしてくれないの?
不快で気持ち悪い思いをした、そのことをわかってくれないの?
虚しさと怒りが混じった哀しみが、胸いっぱいに広がった。
「私が言ったこと、本当のことだよ」
「じゃあこんなふうに論争していないでさっさと通報すればいいじゃないか」
返ってきたのはそんな言葉だった。哀しかった。
「通報しないなら、そういう(痴漢)行為に困惑するなよ」
どうしてそんなこと言うの?
続いてメッセージが入る。
「ただ、手助けとして分析してあげているだけだ」
だから私が勘違いしたり夢を見ていたりと決めつけたわけではないという。
「彼氏がいるならそれは彼氏の役目だけど、もしいないなら頼って欲しい」
「いつでも助けてあげるから」
11月12月に彼が私にかけてくれた温かい言葉を思い出す。
でもあの時想像した助けというのはこういうことじゃなかった。
大学が経費を落としてくれなかったり給料を支払ってくれないことを話した時も、「マーヨーズが勘違いしている可能性がある。中国人がそんなことするはずないから、きっとマーヨーズの中国語コミュニケーションの問題で支払われないんだろう」
そんなふうに言われた時にも私は哀しくなったんだった。
私が言い返すと、「手助けとして分析してあげているだけだ」
そう、今と同じことを言ったんだった。
分析なんて、いらない。
私が返信しないでいると、数時間後、「解決した?」そんなメッセージが入った。
他の女友達がもし同じ目に遭ったら、彼はまったく違う言葉をかけることを私は知っているから、ただ哀しくて、あの片手を握りしめた。

列車はそんなことおかまいなしにごとりごとりと進む。
いつもは楽しみな車窓も、見えているはずなのに全然こころに響いてこない。
長時間移動であればあるほど楽しいと思い、安陽へ行く理由の半分はその移動だったはすだ。けれども、ただ苦痛の乗車時間になってしまった。
しかし私は痴漢なんかで傷つく人間ではない。
それ自体よりも、こういうことがまかり通り嫌な思いをする女性が、日本だけでなく中国にもいるという、考えてみれば当たり前の話だけれども、大好きな中国なだけにそれが不快だった。
それからやっぱり、ジャオユーさんの反応だった。あんなこと言うジャオユーさんは痴漢の犯人と同じようなものだ。
日本には痴漢の冤罪被害もあることは知っている。
もちろんそれはあってはならないことだけれど、私の場合は確実に起きたことなのに。
不快で不快で不快で。
気づけばすでに河南省に入り、辺りは雨から雪景色になった。
そういえば、明日から北方は雪が降るぞとニュースがあった。
いつから雪に変わったのだろう。
こころが曇り、まったく気づかなかった。
目に映る景色はこころの鏡。

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私は居心地が悪くて、何度も部屋を出て通路やデッキをうろうろした。
そうして、やっぱりこんなの間違ってると、ジャオユーさんを紹介してくれた共通の友人ロンさんに連絡してみた。
すると、速攻でメッセージが入り、「列車内には警察が必ずいるから、服務員でもいいからすぐに通報するんだ」「なんですぐに電話してくれなかったんだ!」
私が、「大事になったり、うまく事が進まないことが不安」とメッセージを打とうとすると、今度は着信が入った。
電話で大事なやり取りをする自信がないので、着信音が鳴り止むのを待って続きを打とうとすると、「すぐに出ろ」とメッセージが入りすぐにまた立て続けに電話がきた。そしてまた、「すぐに出ろ!」
私は場所を少し移動して電話に出ると、こちらの話も聞かずに「あってはならないことだ!今すぐに通報するんだ!聞き取れてるか?今行け!」
ロンさんはとても怒っていた。
私が「でも」と口を挟むと、「今行け!この電話を持っていけ!何も言うな!今すぐ行ってこの電話を渡せ!」
私がまた「でも」と話そうとするも、「それは犯罪だ!今後の被害を防ぐためにも通報するべきことだ!立案される内容だ」
私はロンさんがここまで激昂するとは思っていなかったので、言葉がつまった。
簡単に、「通報すればいい」と返事がくるだけだと思っていた。
ロンさんがあまりにも怒るので、私は自分自身のことなのに一瞬思考回路が停止してしまった。
こうして、デッキに移動し、ちょうどいた女性スタッフに「私日本人なんですが問題が起こり、中国語があまりできないので友達の説明を代わりに聞いてもらえませんか」とスマホを渡した。
女性スタッフは電話を受け取るとすぐに内容を理解したようで、「安心して」とこちらに目配せをした。
彼女はスピーカーにして話を聞いていたので、ロンさんの興奮具合はこちらにも伝わってきた。
「すぐに通報しますから、そう慌てないでください」
スマホ片手に彼女は器用に無線で連絡をとり、電話を切らないうちに警察が二名やってきた。
私が彼らにどんなことがあったか具体的に説明すると、女性スタッフは顔をしかめた。
警察はとても親切で、まずは食堂車に移動して、そのあと部屋を変えましょう、といってくれた。
正直部屋に入る時にはあの親父さんと顔を合わせることになるので嫌だったが、そんなことも言ってられない。
警察が付き添ってくれたので、急いで荷物をまとめて空き部屋に移動した。
空き部屋では一人の警官が残り、私が「今混乱しているので中国語の聞き取りがうまくできない」と言うとスマホに文字を打ってくれた。
「中国にもこうした行為を罰する法律がある。けれど規定があって向こうにも事情を聞かないといけない」
私はもちろん構わない、と答えた。
しかしその結果ははなからわかっている。
おそらくこの警官もわかっていただろう。
しばらくして戻ってきた彼は、「彼は認めなかった」と文字を見せた。
痴漢行為に証拠があるわけでもなく、あの親父さんが認めるなんてとうていありえない。
私は、「わかっていたことです。大丈夫です」と答えた。
「証拠がなければ認めるわけありません。私は何も要求していません。ただ、あなたたちがこういうことがあったと知っていてくれればそれで充分です」
警官は、「それでも私たちはあなたの言うことを信じますよ」と優しく言ってくれた。
「あのお友達が話していましたが、あなたは中国にとてもよい印象をもっているそうですね」
こういう経験をしてしまいましたが、中国にもあのような悪い人ばかりではない、いい人もたくさんいるのだということをわかってほしいです。申し訳ありませんでした。
そんなふうに言ってくれた。
安陽到着までもう三時間を切った。
警官はこのあと時間が来たら見送ってくれるということと、きちんと施錠するように私に伝え、部屋を出ていった。

乗客のいない未使用の部屋があることも、通常なかなかないことだった。
今回の列車は異常に乗客が少なかったが、それに救われた。
真っ暗な部屋で、流れる景色を、ようやく落ち着いて眺めることができた。
ロンさんの温かさと優しさに感動し、ジャオユーさんとの間には友情すらも成立していない哀しみ、一方でそんなことも思った。
安陽到着までの二時間半、ロンさんはずっと私と連絡をとってくれた。
単にチャットが続いただけかもしれないし、私を気遣ってくれたのかもしれない。
「列車を降りる時、かならずもう一度電話するんだぞ、警官にお礼を言うから」
彼は何度も念押しした。
チャットの途中で私は一度眠りに落ちた。
昨晩は寝たのが遅く、それで朝一番にあんなことがあった。眠るとかならず何かされるので眠れなくなり、その眠気がどっと出た。
途中でこの空き部屋にも一人男性が乗車してきた。
その時女性スタッフとともに部屋にやってき、彼は荷物をベッドに乗せるとすぐに出てどこかへ行き、安陽站到着前に私が部屋を出ると、部屋に入った。スタッフが配慮してくれたのかもしれないと考えるのは、考え過ぎだっただろうか。

18時半、列車はようやく雪が降りしきる安陽站に停車し、警官が下車を手伝ってくれた。
私はロンさんの電話を回し、そうこうしている間に出発の時間となった。
うわべや職務だけでない、人としての温かみのある親切心を感じた数時間だった。
ロンさんは、「重要なのは、今後のためにも通報する必要があったということだ」と話す。
今回は、あの親父さんは罪に問われることはなかった。
しかし電子上にその記録が残る。
次にもし同様の通報があれば、彼がまた否定したとしても問答無用に逮捕されるだろう。
だから、今後の被害を防ぐためにもかならず通報しなければならないんだ、と。
もっともな話だった。

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暑いほどの列車内とは反対に、安陽は極寒だった。
乾いた雪が、はらはらと舞い落ちる。
足先指先はあっという間に感覚を失った。
ロンさんが、「雪道のタクシーはスピードを出して危険だから、かならずバスに乗るように」と何度も言うが、この雪道でバスを探し、待ち、重いキャリーバックを持ち運ぶのはたいへんなので、タクシーに乗ってしまおうと考えていた。
しかしそんな私の考えはお見通しだったのか、電話がかかり「いいか、かならずバスに乗るんだ!絶対にタクシーに乗るんじゃないぞ!」
そうは言っても降りしきる雪に身体はどんどん濡れていく。
手足はもうすでに感覚もないのに、どうしてか目当てのバスはどれもバス停に停まらず通り過ぎていく。
時間はどんどん過ぎていき、とうとう耐えられずにタクシーに乗ってしまった。

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宿泊するホテルは維也納酒店。
ホテルに着いて、さっそくそこで大転倒をやってのけた。
コントさながらの見事な転びようだったが、一人だったのでなんとも虚しい。

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こうして荷物もろくに整理せず、ぐちゃぐちゃの顔のまま、夕食探しに出た。
幸いなことに、都会にはまったく見えない人気の少ない雰囲気に、しかしホテル下には飲食店がいろいろと並んでいた。
初めは河南名物だとか烩麺を食べたいと考えていたが、あまりの寒さにもうどうでもよくなり、とりあえず温かいもの、そう火鍋がいい!と火鍋屋を探した。

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はらはらと舞い降りる雪。
向こうはかすんで、どんな建物がどれだけあるのかもわからない。
私が日本で暮らしていた地域は雪が降らない。
現在暮らす宜賓も、そして成都も雪は降らない。
街灯に照らされてきらきら光る無限の雪を見上げると、睫毛が濡れた。
ああ、遠くに来たんだな。
先ほどの車窓から眺め見た雪景色にはなにも心躍らなかったのに、急にどうしてか嬉しい気持ちになった。

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入店した火鍋屋さんは一人鍋ができるスタイルな上に、鍋がなんと5元という安さ。
しかも、羊肉もあり、香油ダレもゴマダレも両方ある。
私を慰めるためにここで営業してくれているのかと思いたくなるほど、理想的だった。
白酒を飲むとあっという間に温かくなる。
四川のお店と違い、さすがにこちらは店内もとても暖かい。
スマホを開き、しかし結局あれからジャオユーさんからはなんの連絡も入っていない。
胸が、ひやりと冷たくなった。
しかしもうすでに旅は始まった。
明日から、いいことがたくさんありますように。

〈記 1月5日 安陽にて〉

参考:
安陽站 → ホテルタクシー代 15元
宿泊費 178元
火鍋 106元

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2020-03-28

18日間周遊 〈3日目〉 安陽

2020年1月6日、今日は月曜日で日本では多くの人が新年初出勤をする日だろう。
しかし会社勤めを辞めて早一年半。こちら中国にいて、なんだかそうした世界が遠い遠い話のことのように思える。

昨晩は安陽に到着し、いろいろなことがあった疲れもあって、なのにかえって夜更かしをしてしまった。
8時半に目が覚めてもうどうしようもないほど身体はだるく、眠く、もう一時間、もう一時間と思い目をつぶってみるものの結局眠いまま二度寝には失敗した。

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今日は安陽観光一日目。
安陽は中国の古都が集まる河南省の小さな都市である。
中国の八大古都といえば、西安、洛陽、南京、北京、開封、杭州、鄭州、これに安陽。このうち洛陽、開封、鄭州も河南省だから、河南省は中国八大古都の半分を占めることになる。
古くから王朝が都をおいた地域であり、また沿岸部ほど近代化が進んでいないため、古めかしい雰囲気がよく残る河南省。
洛陽、鄭州、開封へは行ったことがあるので、ぜひ歴史ある安陽へ行ってみたい。そうして初めて旅先候補に挙げたのは、一昨年の38日間旅行のときだった。しかしビザ申請のための旅行計画書を作っていたら簡単に二か月を超してしまったために、いくつかの候補地を削った。その一つがこの安陽だった。
安陽は河北省の北のてっぺんに位置する。
すぐ上に河北省、東に山東省、西に山西省という省境にあるちいさな都市である。
日本からであれば、北京から高速鉄道でそう時間もかからないだろう。
しかし今回は成都から出発だったためにけっこうな遠出となった。
寝台列車で28時間。
「遠出」という感覚がいままでと異なるのも、中国で生活を始めておもしろい点だった。

今日は安陽観光のハイライトである、殷墟へ行く予定である。
安陽といえば殷、つまり商王朝。
商は紀元前17世紀から紀元前11世紀まで存在したとされる王朝だったが、以前その存在はずっと伝説や推測の域を出ていなかった。
しかしここ安陽で多数遺跡や文物が発掘され、とうとうその実在が証明された。
現代、商が滅ぼしたとされる夏も王宮遺跡とみられるものが発掘されているらしいが、それは未だ推測の域を出ず、現在実在がはっきりと確認される中国最古の王朝は商(殷)である。
つまり、王朝文明という視点でいうならば、河南省は、そして安陽は、中国で考古学上もっとも古い歴史をもつ場所だといえる。
しかし日本で安陽の名を知る人はそう多くはないだろう。
ほぼすべての日本人が中学校の歴史の授業で「殷は実在が確認される最古の王朝」「そこから発掘された甲骨文字は中国最古の文字」と習うのに、安陽の名は身近でないどころか知られてすらいない。
ここは、その都市名よりも歴史が特別に勝った場所。
ここに暮らす人々は、みな四千年近くの歴史を背負って生活しているのだ。

ようやく実現することになった安陽旅行だったが、今回はひさしぶりに現地で友人から人を紹介してもらうことになった。
その一人はなんと安陽博物館の館長ジョウさん。
私はここ安陽でほとんど時間をもっていない。
明後日の夕方には夜行列車に乗ってしまうから時間が少ない。
そういうわけで、今日は殷墟を観光する予定だったけれども、その前に博物館に挨拶に行くことにした。

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安陽博物館は私が宿泊するホテルからそう遠くなかったために、歩いて向かった。
安陽市政府のすぐ向かいにある。
今朝はもう雪はほとんど降っていなかったが、昨晩の雪が残る。
雪だるまなんかもちらほらと見え、「雪だるまって中国でもおんなじなんだ」なんて思いながらも、そういえばヨーロッパにもあるし、いったいどこが発祥なんだろうなんて無意味なことを考えた。

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安陽博物館は巨大でひっそりとしていた。
本日は月曜日で、博物館は休館。
しかしジョウさんは事務所に出勤するようで、「守衛には説明してあるから」とオフィスの場所を教えてくれた。

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守衛さんに入れてもらい、ひっそりとした館内を抜ける。
休館の博物館というのもなかなかできない体験だ。
教えてくれたオフィスに行き、ジョウさんと初対面。
お茶を飲みおしゃべりをしたり、旅程のアドバイスをもらったり。
パソコンを覗きながら、安陽の史跡をいろいろと見せてくれた。
「安陽を観光するのに、数日ではとても足りない」
ほんとうにその通りのようで、たくさんありすぎてきりがないので次々とスクロールしていくと、もう限りがないほどの古く貴重な史跡が通り過ぎていくのだった。
早口にそれぞれの説明をしてくれるが、一つは私の中国語能力がもう死んでいること。一つはジョウさんの中国語がもしかしたら河南なまりが若干あるかもしれないこと。もう一つは、専門的内容であること。で、実は全然わからなかった。
しかしどれも、観光地化はまったくされていないだろう、もしかしたらまだ研究途中なのではないかと思わせるような史跡。
再建や補修というかたちでまだ保護の手が過剰に加えられていない遺跡。
各地でよくみるようなものではなく、仏塔なり石窟なり墳墓なり、かなり特徴的なインパクトを与える風貌。
「これ、行きたい!」
「あ!これも!」
そう呟く私に、「また来ればいいよ」
「かならず行く!」と誓った。
安陽は考古学の聖地だ。ジョウさんも、考古学を通して日本人の専門家と交流があるようだ。
私はど素人だけど、でもこの地が特別興味深いことはわかる。
それぞれの遺跡は山中や僻地にありまた道が悪いため、今回ではなく次回しっかり時間を用意してきた方がいいとのことだった。
商の遺跡に関してもこれから向かう殷墟だけではない。
それにうっかりしていたが、明日行こうと思っている湯陰はあの岳飛の生家がある場所だった。
岳飛の故郷が河南省であることは知っていたが、そのどこかまでは覚えていなかった。明日はその湯陰へ行くが、岳飛の家も次回にした方がいいとのこと。
それに発見されたばかりの曹操の墓も気になるところ。
こうして興奮の時間を終え、ジョウさんってかっこいいなぁと驚き、そしてお昼の時間を迎えた。

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二人で向かったのは、博物館そばのお店。
この辺りは人気が少なく、飲食店もそう多くない。
ジョウさんが頼んでくれたのは、牛肉麺と肉夹馍。それに豆乳と牛乳を混ぜたドリンク。
牛肉麺は中国各地にあるが、地方によってぜんぜん違う。
四川のものはどこにいっても辛く脂濃いが、ここのはまるでそばつゆのような感じで新鮮。四川のじゃない牛肉麺が食べれるというだけで、省外を旅行する意味がある。

食事を終えて、ジョウさんは私を見送り博物館へ戻っていった。
殷墟へはバスで行こうと思っていたが、もう寒くてお金よりも便利さの方が勝った。というよりも、迷いすらしなかった。
バスだと1元で行けるが、配車サービス摘摘を使って20元だった。
殷墟は市街地から少し離れている。

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人気のない世界遺産観光地。
雪をかぶってひっそりとした様子。
チケット売り場の窓口の女性はつっぷして寝ていた。
ジョウさんがあらかじめチケットを手配してくれ、ジョウさんの名前とバーコードを見せるだけで半額の35元でチケットを買うことができた。現地人割引かもしれない。

殷墟は、大きく二か所に分かれる史跡だ。
ひとつは、今いる「殷墟宮殿宗廟」。
商はその後期にあたる盤庚の時代に安陽に遷都した。この殷墟宮殿宗廟というのは、その都の宮殿と祭祀場が発掘された場所であり、内部には数多くの史跡が残る。
もうひとつはここから数㎞離れた場所にある、「殷墟王陵遺址」。
王陵遺址へはここからチケット代に含まれる連絡バスで行き来することができる。
まずはこちらを一つひとつ見学してから王陵の方へ向かう算段だ。

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最初に入ったのは、商史跫音という展示室。
展示室は小さな博物館のよう。
商の歴史などをいろいろと紹介する。

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こちらは残酷な刑罰について。
写真は、手枷をされた陶俑と、祭祀でいけにえとして犠牲になった人たちの頭蓋骨の山。
ここ殷墟では、おびただしい数の生贄が発掘された。

商といえば残酷さがイメージとして強い。
それは、一般に商といって印象にあがるのが商王朝最後の王紂王だからだろう。
紂王は残虐で自分の欲に走り、そうして周の武王に滅ぼされた。太公望で有名な歴史の件である。酒池肉林、そんなことばも有名だ。
この紂王、とにかく残虐だったという。
その残虐さのひとつが、刑罰。
この時代さまざまな惨酷刑が生み出された。
紂王が好んだことで有名なのは、ぐつぐつ煮えたぎる湯の上に油を塗った鉄の棒をわたし、そこを歩かせる刑。当然、そんな鉄の棒の上を歩くことはできずに、受刑者は生きながら煮殺されることになる。そんな様子を、紂王はおもしろがって眺めたのだという。
紂王というのはおくり名で、あとからその支配者を表す文字を当てるもの。
「紂」という字は残酷、善を滅ぼすという意味を持っているそうだから、最低評価の王だったことがわかる。

しかし一方で、こうした紂王残虐エピソードを疑う見方もある。
中国の歴史は次の王朝が史書を編纂することによって後世に伝わってきたものだ。よって必然的に、自分の王朝を正当化した内容にならなければならず、紂王のみならず中国の残虐支配者たちはみな歴史によって生み出された創作が加わっているという。
つまり、商を倒し王朝を立てた周は、その王朝成立が正しかったことを記さなければならない。そのために紂王への描写には創作が加わっているのではないかというのだ。
商の紂王といえば、妲己。美女に溺れて国を滅ぼしたというエピソードが有名だ。
酒池肉林の毎日に、この紂王を討ったのは、賢人太公望の助けを借りた武王だった。
それとともに並び語られるのは、その商がはるか昔に滅ぼした夏の最期。
暴君桀王は末喜に溺れ国を乱した。肉山脯林の毎日に、その桀を討ったのは、賢人伊尹の助けを借りた商の湯王だった。
同じパターンではないかというつっこみである。
だから、紂王の残虐エピソードがどこまで本当だったかは誰にもわからない。
しかし、残虐な刑罰を示す遺物はここ商の宮殿から多数見つかっており、また同時におびただしい数の生贄がなまなましく発掘されているのも事実なのである。
だから、少なからず残虐性の強い王朝ではあったのだろう。

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こちらは、そうした残虐な刑罰をもとに生まれた文字たちである。
首を叩き切るとか、鼻をそぐとか、足を切るとか…。
死刑の是非がいまだ答えの出ない現代日本に生まれ、まるでその真逆をいくような生命の価値と尊厳完全無視の行いに、恐怖でいっぱいになった。

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こちらは当時の民居の模型。
あたりまえだけど、瓦でなく藁ぶきだったことに新鮮なイメージを持つ。

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こちらは貝。
貝は昔むかし、お金の代わりでした。
そんなことを習ったけれど、久々に思い出した。お金に関する文字も、この貝の形状から生まれたようだ。
ところで、商の人々のことを「商人」と呼ぶ。商売をする「商人」と同じではないかと思ってしまうが、実はそれで正しいのである。
なぜなら、商売という言葉の由来はこの商王朝の「商」にあるからだ。
商が王朝をおこす前、商以外の国々では物々交換によって交易がおこなわれていた。そんな中、初めて貨幣を用いたのが、商の国の人々だったのだ。だから、商人、商売、なのである。

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こちらは甲骨文字のもとになった、占卜。
商王朝は祭祀によって国を治めていた。亀の甲羅や動物の骨に、このように穴をあけ杭を打ち込み、そこに火のついた枝や金属の棒を当て、入った亀裂の形状で占いをしたという。

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展示室を出て奥に進むと、あちらこちらに赤い杭が建った不思議な場所がある。それらはみな、宮殿の一部や祭祀施設の跡だと思われるものだそうだ。

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その先をさらに進むと、棺桶のように見えるガラスケースが並んでいた。
ここは大量の生贄が発見された祭祀場遺跡なのだという。

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雪が積もり中が見えない。
それでも入り込んで覗いてみると、なんとその中には発掘されたかたちそのまんまの骨がすぐそこにあった。
ここでは大量の人骨、それに動物の骨が発掘され、そのままの形でガラスケース越しに見学することができる。
それらはみな、生贄だ。
周王朝が残虐だとされるゆえんである。

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人の骨。
祭祀やただ占いのために、人の命がもっとも苦しいやり方で奪われた、古い古いそれでも確かに行われた証である。

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雪に埋もれているため、ほとんどのガラスケースは覗くことができなかった。
しかし覗くことができた多数は、このように人が立った、あるいは座った形なのかもしれないが、そういう姿だった。
目の前にはなにやら鉾のようなものが立てられている。
三千年以上も前のものだから、私たちはどこか遠い話のように平気な顔して見学し、こんなふうに写真も撮ることができる。
しかし間違いなくそれは確かに自分と同じ人間なのであって、楽しいときには笑い、哀しいときには泣き、喜びも苦しみもあり、痛みもある。口を塞がれれば苦しいし、腕を切られれば血が出る。父母がいて、また子もいるかもしれない。生まれた時には大きな声を上げて生の祝福を天から受けた、尊い命だった。
戦いで命を落とした。それはそれ以上がない悲しみである。
病気で命を落とした。それもまたそれ以上がない悲しみだ。
しかし、生贄。占いをするために強制的に奪われた命、それはなんて耐えがたい苦しみだろう。
命を奪われただけではない。これ以上のない苦しみの中で、生きたまま祭祀行為が行われたのだから。

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このままずっと奥に進んでいくと、奥にはまたたくさんの史跡があった。
正直にいうと、寒くてもう全部見なくてもいいや、という感覚になっていたことは否めない。
足は感覚を失い、コートのポケットに突っ込んだ手も指先の感覚を失っていた。
カササギがギャーギャーと鳴いてはばさばさと飛び立った。
雪が解けて覗いた芝には雀が集まり、私が近くを通り過ぎると、ばさっと音を立てて舞い上がった。
そうしていると、目が覚める色彩と形状が、すぐ目の前を飛び近くの枝にとまった。なんと、とさかの美しいヤツガシラだった。
こんなに寒くても、鳥たちは寒いなんて態度は見せない。

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この後は連絡バスに乗り、王陵遺址の方まで行かなければならない。
そう思いもうここを出ようと入り口に向かった。
通ったのは甲骨碑廊という、甲骨文をあしらった石が飾られた回廊。

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一つひとつに漢字による翻訳がある。
しかし、すべての甲骨文字に対応した漢字があるものなのかな。

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入り口に戻り訊ねてみると、連絡バスは30分に一本で、ぴったり0分と30分に出るのだという。
まだ時間があるな、と見学を諦めた展示を見に再度入場することにした。
展示室外に丸まっていた太った猫が、こちらに牙を向けた。
しかし私が入場すると一緒に入ってきて、いつまでも足元にすりついて離れない。
ミャーミャーと、甘えてくる。
「マオマオ、餌はないよ」

こちらは、一番初めに見学した商史跫音の展示館の裏にある、甲骨窖穴。
YH127という番号が振られた甲骨文が大量に発見された穴だ。

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建物の内部、中央には大きな穴がある。
1936年6月12日、13回目の殷墟発掘調査を行っていた国立研究院の発掘団が、この穴を発見した。
そののちの調査で、ここから甲骨文をもつ甲羅17088と骨8片、合わせて17096片もの甲骨が発掘された。そのうちほぼ完全な形が残るものは300以上もあったのだという。
ここから発掘された甲骨は、一番最初に発見された甲骨として貴重な研究資料としての意義を果たしたのだそうだ。

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こちらは発掘作業のようす。
この大量の甲骨の塊は、南京に運ばれ調査された。

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こちらは、発掘された亀の甲羅。

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引き続いて向かったのは、殷墟入って右手奥にある、車馬坑。
葬られる主人と一緒に埋められた兵馬が多数発掘され、展示されている。
三千年以上も前に埋められたものが、よくこんな完全な形で発掘されたよな、と信じられない。
それぞれは安陽の各地の墓所から発掘されたもので、ここに移されて展示されている。

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どこかで、商は車輪も発明したのだと読んだ記憶がある。しかし記憶違いかもしれない。
形はシンプルで、大きな車輪に簡素な荷台があり、そこに人が乘る。
中国史上最古の車である。

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発掘品には、馬の骨がそのまま残る。

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その後ろには人の骨も。
これもまた殉死だ。

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こちらは、車が通った道の遺跡。
すごいものが残っているのものだ。数十年前の馬車の後ではない。三千年以上も前の道である。

こうして再び殷墟を出て、連絡バスを待った。
しばらく待つとバスが来て乗車してチケットを見せると「博物館に行ってないじゃないか」と運転手さんは言う。
博物館は明後日大きいのに行くからいいや、と思っていたので「行かなくていい。時間がないから王陵に行きたい」というも、許してくれない。
「王陵もいいけど、博物館に行った方がいいぞ」
そうして、そんなに勧めるならと、二度目の再入場でまたチケット改札をくぐり博物館を目指した。

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博物館は、入場して右手奥にある。
通路沿いにぐるりと回り地下に入っていき入場する。

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展示品は青銅器の鼎や武器、それから陶器などの出土品。
こうしたものは明後日大きな博物館で見学できるからと簡単に通り過ぎたが、さすが中国でもっとも古い歴史の跡を残す安陽。展示品はどれもすばらしいものだった。

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こちらは商の支配地域を示すもの。
赤線が前期、黄色線が中期、青線が後期だったと記憶する。この殷墟が宮城となったのは、青線の後期だ。想像していたよりも広範囲で驚いた。

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こちらはかつての宮城をイメージしたもの。
歴史ドラマではもっとあとの時代の宮殿が見慣れているから、藁葺の宮殿はなかなか当時の様子が想像できない。

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こちらは先ほど見学したものと同じ馬車。
馬には青銅の飾りがかけられている。
この後ろにはもちろん、殉死させられた人間の骨も。

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そして殉死とともに残虐な展示もあった。
この青銅の鼎の中には、何やら人の歯のようなものが見える。
しかしまともな形をしていないので、なんだろうと思って説明書きを読むと、これは人の頭を使った祭祀の遺物なのだという。
人の頭を切り落とし鼎で煮る。そういう祭祀なのだそうだ。
この為に頭を切り落とされた人の状況心境を、想像することすらできない。

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こちらも、大量に発掘された生贄になった人たちの骨。
たくさんの骨が重なり、数も知れない。

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特に多かったのは、青銅器の展示。
商は青銅の文明だった。
この写真は青銅器を作るための型枠。

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このようにして、青銅器の細かくて神秘的な不思議な模様を作り出す。

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ぐるぐると渦を巻くこの不思議な模様。
人物や動物などの模様はみなこのような線の組み合わせ。
青銅器は祭祀道具であったから、こうした模様に込められたものは天との交信だろうか。

この博物館には陶器の展示も多数あった。
商は青銅器の王朝である。
一方で陶器は南方の産物だった。
ここで発掘された陶器はみな、南方からもたらされたものなのだそう。
南方といえば私が愛する四川には、商の時代には古蜀文化が存在した。三星堆遺跡で有名な古代文明だ。その後には金沙遺跡で有名な金沙文化が生まれる。
それらは四川独特の地形や位置がよかったのか、商の属国とはならずに独立し存在し続けた。
非常に大きな考古学的史跡にもかかわらず、成都市区周辺にあるにもかかわらず、いまだに足を運んでいない。

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こちらは、2015年に発掘された鉛板のかたまりだという。
その総量にして3.3トン。
青銅を作るにあたって銅16に対し鉛は1の比率なのだそうで、そうするとこの鉛板は銅53トンもの量に対応する量になる。
いったいどれだけの青銅器が作られていたのか。
またそれだけの銅や鉛を集めることができた技術にも驚きだ。

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こちらは鉾。
ここの展示でおもしろかったのは、鉾がすべて青銅でできたものだけではなく、このように玉でできたものが多かったこと。
刃元は青銅でできていて、そこに玉の刃を固定するのだ。
玉が装飾や器だけでなく、このように武器になることを知らなかった。また、玉をそのような用途に使おうとした発想も興味深い。

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最後に甲骨の展示。
展示されたものは、はじめ占卜のものではなく甲骨文字が彫られたものが多かったが、こちらは占卜の跡だ。
穴を彫り杭を打ち、そこに火とつけた枝や金属の棒を指し亀裂を入れる。
穴には焦げた跡がみられる。

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その先には、占卜の内容についての展示があった。
これが一つひとつ見てみるとおもしろい。
翻訳文が載っているのだ。

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商王朝は占卜で政治を行っていた。現代に生きる私たちからしたら溜まったものではないが、王朝は長く続いたのだからそれでも成り立っていたのだろう。

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こういう祭祀をそこで行っていいかとか、商王はこういう命令を下していいかとか、女性を娶っていいかとか、また災難は起こらないか、など。
これに対し答えがあるものもあり、そういうのはたいてい大吉祥となっている。忖度はなかっただろうか。
不吉、というのもあったのかな。

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またおもしろかったのは、今夜雨は降るのかとか、そんな質問も多かったこと。しかも丁寧に、明後日まで降り続けるでしょう、なんて答えまである。
今夜明日の天気がどうなるかなんて、骨に穴を打って火を当てて、そんなことをするよりもちょっと待ってみた方が早い気もする。
この明後日まで降り続けるでしょう、が果たして当たったのかどうなのかとても気になるところだが、数千年経った今では知る由もない。

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最後に見学したのは、入場して今度は左手にある婦好墓。
ここは地下墓で、中には第22代武丁の后で女将軍の婦好が祀られていたのだという。
1976年に発掘、殷墟で唯一未盗掘で発見された墓で、青銅器、玉器、貝の貨幣など多数の副葬品が出土した。

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内部は階段を一階二階と下りていく。
地下7.5mの深さにある墓。
ガラスケースもなくそのまま露出しているけれど大丈夫だろうか、なんて思ったけれどどうやらレプリカだったようだ。
残る青銅器や人骨など、どれもレプリカには見えない再現度。

こうして婦好墓を出た時、すでにもうすぐ17時になろうとしていた。
残念だがもう一カ所の王陵遺址は諦め、摘摘で車を呼びホテルへ戻った。

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ホテル周辺は飲食店が並び嬉しいが、どれも新しいお店だった。
車に乗り車窓から見えたお店の方が、昔からある地元の食堂といった感じで惹かれたけれど、いかんせん寒い。
もう特色料理を探しに行くよりもこの辺でいいや、となってしまう。
それでも河南ならではのものを食べたいなと思い、今夜は烩麺を選んでみた。
検索してみると、この周辺では一軒だけ。

清真のお店だった。
メニューを見てみると老烩麺と新烩麺というものがあり、老の方がオリジナルで濃厚スープで、新の方はあっさりスープだというので、老の方にしてみた。
ところが大碗にしてみたらすごい量。おかずをつけたが、いらなかった。

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ポイントは平たい麺に白いスープ。ほのかにカレーのような風味がしたけれど、その正体はわからない。
具は盛りだくさんで、昆布に肉にキクラゲに、それに粉丝(デンプン麺)と豆腐丝。
四川の麺に比べてずっと栄養価が高く身体に良さそうな麺だ。
明日時間に余裕があれば、もっと違う場所で烩麺を探してみようか。
四川麺に飽きてきてしまった私。
今回の旅行では、食べたいものを食べる。探求にはこだわり過ぎない。
これをテーマにしている。

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ホテルに戻ったのは20時頃。
いつもの旅行であればこれから夜の散策が始まるところだ。
それなのに今夜はまっすぐホテルへ。一階の売店でミニッツメイドと、それから大いなる矛盾アイスクリームを買い部屋へ戻った。
宜賓のマンションはいつもいつも寒かった。
こちらの方がずっと気温は低いのに、かえって暖房はしっかりしていてどこも暖かい。
もう暖かいだけでもそこにいる価値を感じる。
ミニッツメイドをごくごく飲みながら、タブレットを開き今に至る。
今夜はいったい何週間ぶりだろう、ひさびさの休肝日とすることにした。

〈記 1月7日 安陽にて〉

参考:
宿泊費 178元
安陽市内↔殷墟 摘摘出行 各20元
殷墟 35元(半額)
烩麺+おかず 32元

⇒ 18日間周遊 〈4日目〉 安陽 へ続く

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プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国四川省宜賓市にて生活しています。
旅行記に絞ったブログ、一つひとつは旅のあしあとです。

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