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2018-05-15

◇◇ 華東地方 ◇◇

中国地方★華東地方

※各旅行記タイトルをクリックいただきますと、旅行記一番最初のページに飛びます。

済南旅行 2015年5月 〈山東省〉

❖観光地❖ 大明湖、千佛山、泉城広場、趵突泉
❖近郊都市❖ 
[泰安] 泰山、岱廟
[曲阜] 孔廟、孔府、孔林、顔廟


青島旅行 2018年5月 〈山東省〉

❖観光地❖ 青島山公園 [青島山砲台遺址]、青島桟橋、江蘇路基督教堂、ドイツ総督楼旧址、康有為旧居、五四広場、青島啤酒博物館、八大関 [花石楼]
❖郊外観光地❖ 崂山 [流清遊覧区、太清遊覧区(太清宮)、華厳遊覧区(華厳寺・那羅延窟)、仰口遊覧区]


南京旅行 2015年7月 〈江蘇省〉

❖観光地❖ 玄武湖、中華門、夫子廟、明孝陵、中山陵、雨花台風景区


上海旅行 2014年12月 〈上海市〉

❖観光地❖ 外灘カウントダウン、豫園、盧浦大橋


上海旅行 2009年7月 〈上海市〉

❖観光地❖ 豫園、外灘、上海動物園、泰康路


蘇州旅行 2014年2月 〈江蘇省〉

❖観光地❖ 拙政園、留園、虎丘、山塘街


杭州旅行 2011年1月 〈浙江省〉

❖観光地❖ 西湖、雷峰塔、河坊街、虎砲泉、三潭印月


黄山旅行 2017年1月 〈安徽省〉

❖観光地❖ 屯渓老街、黎陽老街
❖郊外観光地❖ 黄山(慈光閣→雲谷寺ルート)、安徽古村 [呈砍、霊山、唐模、宏村、南屏、西逓]、霊山棚田、徽商大宅院、徽州古城、棠樾牌楼群
❖他都市❖ [上海] 多倫路文化名人街、虹口旧日本人街、内山書店旧址、魯迅旧宅、魯迅墓
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2018-05-15

青島旅行一日目

2018年5月1日、山東省の海辺の都市・青島へ。
昨年の8月以降、久しぶりの一人旅だ。

ゴールデンウィークに中国へ一人旅に行くことが毎年の恒例のようになって数年。
私が勤める会社は、一年のうちもっとも大きな連休が年末年始の六日間。
お盆は四日間、そしてゴールデンウィークは暦通り。
この三つの連休は、いつのまにか私にとって一人旅に行くための貴重な時間になっていた。

8年勤めた職場だったが、このゴールデンウィークの旅、青島から戻り、私は退職することになっている。
もはや連休もなにもなく毎日が自由の身になるわけだが、ここ数年ゴールデンウィークにはいつも中国に渡っていたから、退職を決める前、行先も決まらないうちに北京までの航空券は押さえてしまっていた。

これから、私には自由にできる時間がたっぷりある。
しばらくは再就職せずに好きなことをやりながら過ごしてみようと思っている。
けれども当たり前のことだけど、お金はない。
今まで国内外の旅費にさんざんお金をまわしていたから、貯金なんていえたものではない僅かな預金しかなかった。
時間はあるけれどお金はない。
これからどうなるかはわからない。
不安でいっぱい。
しかしフィールドを失って、それはピンチであると同時にチャンスでもある。
そういうわけで、数年繰り返してきたゴールデンウィーク旅行だったが、今までとはまったく違った心持ちでのスタートとなった。


「青島」、という二文字を見て、まずどういうイメージが湧くだろう。
“あおしま”?
それとも、“チンタオ”?
青島みかん、それとも青島ビール?
誰かの名前かと思うかも知れないし、ドイツ建築の街並みを思い起こすかも知れない。

中国に慣れ親しんでいる私だけれど、実は中国の一都市「青島」は縁遠い存在だった。
正直にいうと、青島の二文字を見て、私には“チンタオ”という中国読みよりも“あおしま”の方がしっくりきてしまう。
青島は中国山東省沿岸部に位置し、日本からとても近い。
直行便も複数出ており、日本企業が多数進出している。
また、有名な青島ビールを知らない日本人は少数派だ。
数多くの中国都市のなかでも、青島は日本人にとってとても身近な場所だといえる。
けれどなぜかはわからない。中国あちこちに行ってみたい私だけれど、青島に対する興味は皆無に近かった。

ではなぜ、最後のゴールデンウィーク旅行にこの場所を選んだのかというと。
どこでもよかった、というのが本当のところだ。
ゴールデンウィークが間近になって、北京から先の行程についてまったくなんの計画もなかった。
色んなことがあって、バタバタの毎日だった。
そんな毎日のなかで、気づけば疲れて気力がなくなっていた。
この場所に行きたい、あの場所にも行ってみたい。
でも、念願の風景とこんな状態で出会いたくなかった。
できれば、何も考えずになんの思い入れもない場所を気楽に訪れてみたい。
期待することなく。
期待しなければがっかりもしないから、楽なのだ。
そういうわけで、青島にはたいへん申し訳ないが、なんの興味もなかったこの場所を選ばせてもらった。
こんな理由で行先を選んだ旅も、初めてのことだった。


お昼に退社し空港に向かった。
いつもであれば、空港に向かう道。
搭乗開始を待つ時間。
着陸を心待ちにする機内。
もっとも幸せなひとときである。
この幸せなひとときを、私はいつも大好きなお酒をお供にしながらいっぱいに味わう。
機内では、かならずワインをいただく。
持ち込んだものと機内サービスのものと、多ければ小瓶で4本ほどになるときもあり、少なくとも1本で終わるということはない。
ところが。
食事の際に白ワインを1本いただき一口二口。
少し口をつけたところで気分が悪くなり、結局着陸までの4時間ふたたび口にすることができなかった。
弱っている時には、無理をしない。
したいことをして、したくないことは無理にしない。
今回の旅行は頑張らないようにしよう、そう思った。

北京首都空港に到着したのは夜遅い時間だった。
今夜は北京で一泊し、明日早朝に出発し青島へ向かう。

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ホテルに着いたのは日付が変わった頃だった。
月明かりの夜だった。

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2018-05-15

青島旅行二日目~その一~

2018年5月2日、ホテルを出たのは7時半。
本来は6時に起きようと思っていたものの、昨夜は横になったのも遅く体調も悪かったので、目覚ましのアラームを変更しぎりぎりまで休んだ。
お化粧もしないでチェックアウト。
外に出てみると、砂埃舞う崩壊寸前の道路を、働く人々が往来している。

今日は、ここ北京から目的地である青島まで高速動車に乗って移動する。
青島行きの高鉄は、北京にいくつもある列車駅の中で北京南站から出発する。
そのため、ホテルは北京南站近くにとっていた。
地図で見てみるとしばらく歩きそう、なんて思って道を尋ねてみれば、なんのことはないすぐそこだった。

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購入してある切符は、9時35分発のもの。
駅の発券窓口は中国の鉄道駅では珍しく、駅構内に入場した中にあった。
窓口もすかすか。
ぎりぎりまで眠ったつもりが、予想と反して暇になってしまった。
まずはお化粧をして、朝ごはんは大好きな牛肉麺を食べて元気をつけ、いつもの旅気分を取り戻す。

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どこにでもある康師傳。
インスタントラーメンで有名な康師傳のチェーン店だ。
無難な牛肉麺の味は安心する。それに酸梅湯も注文し一気飲みすると、健康になった気がした。

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やがて検札が始まり、ホームへなだれ込む。
左の車両は上海虹橋行き。
右が私が乗る青島行き、G179次。
北京始発で青島が終着駅だ。
中国はやっぱり広い。
地図で見ると北京からそう離れているように見えないけれど、高速動車にしておよそ5時間かかる。
いつもは車窓から風景の移り変わりを楽しむけれど、今回はダウン。
いつもは5時間もあればビール2、3本は欲しいところだけれど、今回はこれもそのパワーなし。
せっかくの窓側席で、ぐったりとし沈没。
夢現をさまよいながら、うつつの方に行こうとすればまた夢の方に戻ろうとする自分を遠くに感じた。

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ようやくもうさすがに眠れない、となった頃。
外の風景ががらりと変わった。
車内放送が、間もなく青島に到着することを伝えている。

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緑の広がりから、いきなり工業地帯へ。
流れる川の先には、向こうにうっすら海が広がっているのが見えた。
終点を前にして、みな身支度をはじめ車両はざわつく。

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14時過ぎ、青島站に到着しホームに降り立ってみて、大きな誤算をしていたことに即気づいた。
すごく、寒い!
ゴールデンウィークに中国を訪れたのを思い返してみると、5月は絶好の旅行シーズンであるという結論が私の中で出ていた。
時々日差しに暑さを感じ、時々涼しい風が吹く。
からっとしてとても過ごしやすい時期である。
もちろん僻地は例外だ。
去年この時期に新疆ウイグル自治区を訪れたとき、到着したウルムチは真冬の寒さだった。
雹が降り、険しい山々はみな雪をかぶっていて神々しかった。
そこから飛行機に乗り、降り立った西の端カシュガルは灼熱の場所だったのだから、私は時空を越えてしまったのかと錯覚した。
中国は広大だから東西南北でそういうことももちろんあるけれど、中原地帯はだいたい同じように四季の移り変わりを迎える。
5月の青島がこんなに寒いとは思わなかった。
今回は「どこでもいい、期待しない、準備もしない」という頑張らない旅行だったが、さすがに天気予報くらい確認しておくべきだった。
頑張らない旅行のはずが、結果寒さに耐えて頑張る羽目になっている。
ホームを急ぐ人々の中にはコートを着ている人もいる。

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青島站は、赤い独特の瓦屋根に石とレンガのドイツ風建築だ。
寒いので急いでタクシーに乗り込み、ホテルに向かった。

予約したホテルは駅から30分ほどタクシーを走らせたところにある古い繁華街「台東歩行街」にあった。
駅は海からそう離れていない場所にあったが、この台東歩行街は海から少し離れたところに位置する。
青島の多くのホテルは、海のレジャーや景色を楽しむ観光客のために海沿いに立ち並んでいる。
海の街である青島に来てなぜわざわざ繁華街にホテルをとったのかというと、ひとつは古くから賑わう場所が好みであること。
もうひとつは、私は海のすぐそばで生まれ育ったため、はるばる中国まで来て海三昧でなくてもいいというのが本音だ。

タクシーの中で、運転手さんは「韓国人か?」と訊いてきた。
このあと、ここ青島でいたるところで何度も繰り返されることになる質問第一回目だ。
「青島は日本人観光客多くないの?」
そう訊くと、「多くない、韓国人が多い」と言う。
日本人観光客も少なくないはずだけれど。
「ああ、韓国は向かいで近いからね」
青島は朝鮮半島と向かい合わせの山東半島の南に位置する。
海を介してとても近い。
韓国からの直行便もあるし、船もある。

そんな話をしていると、標識が見えた。
「青島ビール博物館」
これは説明するまでもない。
その近くにまた標識。
「葡萄酒博物館」
ワイン博物館があるようだ。
青島といえばビール。ワインなんて聞いたことない。
ワインといえば、山東半島の北側にある煙台である。
「青島はワインも有名なの?」
「有名じゃないよ」
中国ではなんでも「博物館」の名がついてしまうので、観光の際は期待しずぎないことが大事だ。

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ホテルの部屋からは素朴な街並みが一望できて、やっぱりこのホテルにしてよかったと思った。
低い住居の並びの遠く向こうには高層ビルが建ち並ぶ。
そのほとんどはオフィスビルではなく、住民が生活するマンションだ。
きれいな街だな、と心が洗われるような気持ちになった。
少し視線をずらすと、東の向こうには遠く、崂山の険しい山々が確認できた。
都市風景の背景に棘を剥き出しにしたような険しい山肌が見えるなんて、日本ではあり得ない感覚だ。
ウルムチのビルの合間から覗き見える天山や、敦煌の街の向こうに堂々とする砂丘を思い出した。

時刻は16時で、もうあちこち観光する時間はないので、周辺を目的なく散歩しに行くことにした。
ホテルのすぐ裏は、万達広場という庶民的なショッピングセンターだった。
寒くてこの先が思いやられるので、何か羽織るものを探しに入ってみることに。
そうしたら思いもかけず目についたものを、店員さんの言葉にも乗せられて、試着までして買ってしまった。

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派手な色のぶつかり合いと不思議な柄。
レトロ柄のカットソー。
よく見ると、様々な姿勢のパンダが隠れている。
普段は中国で服を買うことなんてないけれど、このお店にはパンダ柄の服が他にもあり、迷ったすえに買ってしまった。

その後、別のお店で薄手の羽織物を80元で購入。
それでも万達広場を出ると身震い。
青い空に明るい陽射し、風もそう強いわけではないのに、なんなんだろうこの寒さは。

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台東歩行街は古くて小さな繁華街。
ガラクタ市あり、小吃ありの、この賑やかさが好き。
範囲はそう大きくなく、この広い歩行街をまっすぐ歩いてみた。

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繁華街のど真ん中だというのに、刺青(紋身)のお店もちらほら。
中国には日本では考えられないほど身近に刺青のお店がそこらにあるけれど、行動パターンの変化か最近は出合うことが少なくなった。
こうした刺青のお店は近代的に開発された場所には見ることはない。
庶民的な街だとか、古くから賑わってきたような場所にお店を構えていることが多い。
刺青も刺青のお店も嫌だけれど、こういうお店がある場所というのは大抵私好みの雰囲気を持っている。
それにしても、刺青、刺青、刺青…、この階段怖くて登れない。

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この繁華街は他の都市にはない独特の雰囲気を持っていた。
それは、取り囲む建物がみなペイントされていること。
学校の何かの活動?と思うほど、様々な独創的デザインが建物全体をキャンパスのようにして描かれている。
中々手が込んでいるが、かといって芸術的といえるほど上手でもない、微妙なレベル。

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でもとにかく、関心する細かさ。
そのデザインに統一性がなかったので、誰がどういうふうにしてデザインしペイントしたのか。

ここで歩行街は終わり、ぐるりと回って西へ進んでみた。
なんの変哲もないごく普通の平和な大通りを行く。
すると、突然。

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不思議な形状のビールサーバーだった。
青島といえば、青島ビール。
世界でもっとも有名なビールのひとつである。
そして青島ビールといえば、青島のイメージを代表する存在だ。
よく見ると、辺りにはビールを売るお店がたくさん軒を並べている。
青啤、啤酒の文字がそこかしこに散らばっている。
「打包帯走」 持ち帰れます、の文字も。
持ち帰る?
するとふと横を、ビニール袋にタプタプ黄色い液体を入れて歩く人がいた。
あれ、ビールなんだ!

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こんな風に。
私が青島に来たことを知ったある中国人の友人は、袋に入れて持ち帰ってストローで飲むといいよ、と勧めてくれた。
勧めてくれたが、とてもそんな気にはならない。
ビールとは、グラスや瓶や缶で飲んでこそ美味しいものなのだ。
ビニール袋で飲むなんて不便だし、ストローだなんて…。
そんなことをするぐらいなら、マイジョッキを持ち歩きたい。

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その先には、ずらーっと海鮮系の飲食店やビールを売るお店がぎっしりと肩を並べていた。
まだ明かりを灯さない眠った電飾看板が、主張し合って賑やか。
「青島啤酒街」
ここはその名も、ビール街だったのだ。
そしてこれら飲食店の向かいには、青島ビール博物館がでんと建っていた。
この博物館てっぺんに青島ビールの缶がデザインされており、遠くからも目立っているのが見えていた。

博物館はもう閉まっているので後日にまわし、その先を進むことにした。
気が向くままに道を曲がっていくと、やがて右手に小さな山が姿を現した。
あの上に登ればどんな景色が見えるんだろう。
そんなふうに考えていると、どうやら登っていけそうだ。
ためしに右手に登っていくと、左手には向こうにここよりも大きな山が見えた。

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あの塔を見て、ようやくおおよその位置関係がわかった。
手元の地図を見てみると、台東歩行街の南側には太平山という低い山が広がっていて、そこに電視観光塔の名前があった。
あの塔はきっとそれだ。
そのすぐ南側は広がる海。
そしてこの太平山のすぐ東側には道を一本はさんで小さな山があった。
「青島山公園」
青島にあり青島の名前を持つ山だった。

⇒ 青島旅行二日目~その二~ へ続く

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2018-05-15

青島旅行二日目~その二~

不安定な土の斜面を慎重に登っていくと、きちんとした歩道に出た。
階段があり、とりあえず一番上を目指して進んでみる。
そこに来てちらほらと人の姿が見え始めた。
私が登り始めた不安定な斜面はどうやらちょっとしたショートカットだったよう。

青島山公園は大した大きさでも高さでもない。
散歩気分でちょっと登っていけば、あっという間にてっぺんに。

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階段からちょっとした広場にでた。
そこには平和を祈念するような石碑。
「青島徳国建築群、青島砲台遺跡」
徳国とは、ドイツ。
ここ青島はかつてドイツの植民地だった。
現代になりドイツ建築の名残は、青島の一番の観光資源となっている。
街全体にひろがる赤い屋根は、そのまま青島のイメージだ。
今でこそ美しいイメージそのものになったドイツ色だが、言うまでもなくその背景には戦争、侵略がある。
ここ青島山公園はどうやら、当時、ドイツの砲台があった場所のよう。

左手の階段を登っていくと、この石碑の裏は整備されたごくごく普通の公園だ。
砲台遺跡といっても、もう跡形もなく名前だけ?と思っていると、説明版があった。

青島山公園にはもともとドイツ占領時、ドイツ軍により建設された砲台があった。
砲台は南北につくられ、この南側の砲台をビスマルク南砲台といった。
大砲は口径280㎜のクルップ製榴弾砲で、360度回転し攻撃することができた。
射程距離にして5.7~9.2㎞。
ここにはこの大砲が四門並んでいた。
第一次大戦期に日本軍が青島を占領した際にこれらの大砲は撤去されたが、設置されていた場所は塞がれて別の用途に利用されたのだという。
現代になりこの山は公園として整備され、この四門の大砲跡は石畳の模様によりかつての位置を示す。

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なんの変哲もない公園かと思えば、確かに大きな丸がひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。
けれども想像しようとも、かつてここから強烈な破壊力をもつ大砲が街にも海にも放たれた様子を、少しも想像できない。
現代の青島はあまりにうつくしく、そのうつくしさの背景にはかつての侵略があるとはわかっていても、それでもそんな命の奪い合いや土地や物の奪い合いが行われたことが想像できない。
それは、そうした出来事がすっかり過去になり歴史になったことの証明だ。
平和になったからだ、といえばそれは素晴らしいことだしそういう感じ方もできるだろう。
しかしその素晴らしさは危うさと紙一重でもある。
ただの円形の石畳がよっつ。
それでも、意義をしっかりと持っているのだ。
たとえ多くの人がそれに気づかず、または気にも留めなくても。

この四門の大砲跡の正面にはまたこんもりと木々が並び、その向こうには海があるみたいだった。
そちらに行ってみると、木々のすぐ裏手には不思議な形状をした鉄塊があった。

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これはいったいなんだろう?
もちろん砲台関連の遺物であることは間違いない。

「第一次世界大戦 遠東唯一の戦争遺跡」
石碑にはそう刻まれている。
ここは第一次大戦時、1914年8月から11月にかけて日本とドイツが交戦した場所であり、この鉄塊はその際に使用された攻撃能力をもつ監視塔のよう。
ここから目の前に広がる膠州湾に出入りする船を監視したのだという。

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その監視塔の前には、建物はみな西日を受けながらもいまだ青さを失わない海と空があった。
あちらこちらに赤い屋根が群れをつくっている。
思わず見とれて、上部にたどり着いた安堵とで、溜息がもれた。
今では絶好の展望台となった、かつての要塞。
強大な破壊力を持った、鉄塊。
その砲口が向けられた先にあったのは、真っ青な海と空。
かつてここで役目を果たしていた兵士たちに、それらをうつくしいと感じるこころの隙間はあったのだろうか。

この監視塔、ここから頭をのぞかせているが、その地下部分がある。

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このように入り口を二か所ほど確認でき、そこには「青島山砲台遺跡」の文字とともに観光案内の看板があるが、入り口はともに塞がれている。
かつては公開されていたのかもしれないが、今は非公開のよう。

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内部はこのような構造になっている。
よっつ並んだ円形は、先ほど石畳にみた四門の榴弾砲だ。
それを取り囲むようにして、弾薬庫、器材修理室、休憩室、ボイラー室、更衣室、発電室、トイレ、などが配置されている。
一番上にひとつ飛び出ているのが、先ほど海に向けられた鉄塊の監視塔だ。
面積にして1600㎡、三層の構造になっていた。
1899年に建設された、ドイツ軍にとって重要な砦跡地だ。

そろそろ陽が傾いてきて、山を下りようと思った。
道がわからなくて見つけた方に進むと、カササギががちゃがちゃと鳴いた。
あちらこちらで人を恐れることなく堂々と舞っている鳥だ。
カササギがふわりと舞って止まった場所には簡易な鉄塔があった。
簡素な鉄組にアンテナがいくつもついている。
その鉄組の上に、カササギは小枝を集めて大きな巣をつくっていた。
鉄条網に囲まれたその鉄塔に思わずカメラを向けた。
真っ青な空の色と、暮れかけて帯びてきた黄味との淡い境界線がそこにあった。
そうして気づいたのは、「軍事区域につき立ち入り禁止」の文字。
このアンテナは軍事的な意味を持つのかもしれないが、とてもそんなふうには見えなかった。
けれど、“そんなふうには見えない軍事関連”は中国には多数あり、それにカメラを向けることはそれが何でありどのような理由があろうとも、タブーだ。
あわてて周囲を見渡すも、暮れかけた山は閑散としていて、だれもいない。

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そのまま下りていくと、一門の大砲が青島の市街に砲口を向けていた。
この青島山はかつてドイツ占領時にはビスマルク山と呼ばれていた。
ビスマルク山には南北に大砲が設置されていた。
南は、先ほど跡地を見た四門のクルップ社製榴弾砲。
北には当時、やはりこれもクルップ社製のキャノン砲が二門あった。
1914年11月、ドイツ軍が日本に降伏した際に破壊され、これは復元したものなのだそう。
巨大な大砲である。
口径210㎜のキャノン砲は、その重さ39.9トン、射程距離12㎞。

うつくしい青島の街並みにまっすぐ向けられたそれは、なんとも異質だった。
その機能を発揮することはないとわかってはいても、なんとも落ち着かない気分になる。

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日が暮れかけた街並みは、きれいだった。
中国を旅していて心が洗われる瞬間は、こんなふうに少し離れた場所から、少し高い場所から、街全体を見渡すときだ。
少し離れてみないと、街の全貌を感じることはできない。
こうして街を見下ろしてみて、その中にあの青島ビール博物館の異様な外観を見つけた。
見つけたといっても、その存在感は際立っていて、探さなくとも視界に入ってくる。

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右手東側に顔を向けてみると、建ち並ぶビルの向こうにでこぼこと岩が飛びだしたような崂山が見えた。

そのまま山を下りていくと、どうやら登ってきたのとは違うルートのよう。
不安定な下りに差し掛かった時、突然背後から数頭の犬が楽しそうに駆け下りてきて私の横を抜けた。
私は犬が好きだけれど、苦手だ。
子供の頃から犬にはよく吠えられ追いかけられ、普段人に襲い掛からないというペット犬にもなぜか激しく敵視される。
噛まれたこともある。
犬は私の恐怖心をよく見抜き、だからそんなふうになるのだという。
駆け下りてきた数頭の犬のうち、一頭が私の目の前で止まり振り向き、こちらを向いた。
「まずい!」
私の心理を見抜いたかのように、そいつは一歩、また一歩近づき、激しく吠え始めた。
牙をむき、喉を震わせている。
今にもとびかかってきそうだ。
今回青島での最大のピンチだった。
「狂犬病のワクチンは接種しているから、大丈夫だよね…」
中国は狂犬病大国だから、まずそれを考えた。狂犬病の死亡率はおそるべき100%だ。
「それでも現地で噛まれたらただちに適切に洗浄し、すぐに病院に行きワクチンを接種するように」
お医者さんはそう話していた。
「でもそれ以前に噛まれたらぐちゃぐちゃになっちゃうよな…」
犬の興奮は尋常ではない。
「それならいっそ、戦うか」
襲われる瞬間に殴るとか、持っていたカメラを凶器にするとか、いろんなアイデアが頭を駆け巡った。
行くか行かないかそれでも迷っていると、犬はくるりと向きを変え、向こうで遊んでいる仲間の方に走っていった。
「助かった…」
今のうちにと、震える足で全力で今下りてきた斜面を駆けあがり、結局最初の南側の砲台まで戻った。
旅の危険とは、何も人と人との間だけに起こるものではないし、また治安が悪い場所や僻地にのみあるものではない。
身に染みた一瞬だった。

青島山公園を無事に下りてきて、道なりに戻った。
山のすぐ目の前の道は来るときにも通ってきたけれど、帰りにそこを通過しようとすると、入り口にアーチがかかっていた。
見てみると「中国国際葡萄酒街」の文字。
さっきは青島ビール街、今度はワイン街。
タクシーからワイン博物館の標識を見つけたのを思い出して注意してみると、その道なりにすでに閉館したワイン博物館があった。
しかし博物館といってもなんのことはない、ごくごく普通の建物。ただの住居と大差ない様子。
その付近にはワインを専門に売るお店があったものの、それ以外にワインを感じさせるものはない。
青島はワインが有名なの?と訊いて、別に有名じゃないと答えたタクシーの運転手さんだったが、こんな様子ではどうしてワイン博物館がありワイン街を名乗るのか謎は深まるばかり。

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青島ビール街へ戻ってきたのは、もう19時という時刻だった。
それなのにまだ空には明るさが残り、夜はこれからといった様子。
日はだいぶ短い。
それでも建ち並ぶ海鮮料理店はみな電飾を灯しだし、すでに多くのお客でにぎわっている。
青島で半年仕事をしたことがあるという友人に、
「なにか美味しいものある?」 と訊いていると、
「やっぱり海鮮だな」
青島は海の街である。
そういうことで、今夜はこの中のお店から選ぶことに。

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どのお店も、店先にビールサーバーを置き、魚や蟹海老、貝類など、さまざまな魚介類が入れられた水槽がある。
それらを自由に選んで調理方法を指定して作ってもらうシステムだ。
お店の前にテーブルが並べられ、屋外で食事を楽しむことができる。
どれもこのような形態のために、却って選ぶことができない。
何度も何度もビール街を往復し、何度も何度も客引きに声をかけられる。
一人客とはいえ、絶好のカモである。

また客引きに声をかけられた。
「ほら、入って見てみて」
立ち止まり、店に飾られた調理例の写真を見る。
そして水槽の中の魚を見る。
立ち止まればもう負けだ。
店員さんの言うなりになり、水槽から魚介類を選ぶことになった。

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迷う。おなかはひとつしかないので、選ぶべきものを選びたい。
先ほどの友人は「花甲」が有名と言っていた。
花甲ってなんだ?
彼は貝の一種だという。
「青島では“ga la”と呼ぶんだ」
なんのことだろう?
生け簀を眺めると、「蛤蜊」 ge li。
「これだ~」と思い店員さんに彼との微信の会話を見せ、「これはこれのこと?」と訊いてみると、
「そうだ」とのこと。
蛤蜊、アサリだ。

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まずアサリが決まって次はどれにしよう、と思い隣りにあった巨大な貝に目がいった。
じっと見ていると、店員さんが「これも美味しいよ」と言う。
「澳带」
もうひとつはこれに決めた。

もう一品欲しいな、と今度は魚を物色してみるけれど、どれが美味しそうなのかもわからない。
できれば日本では出合わない魚がいいな~と思い、
「ここの特産のはどれ?」 と訊ねてみた。
「これ」
店員さんは即答した。

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「これ、美味しいよ」
私は魚に関して常識の範囲すら持ち合わせていないので定かではないけれど、日本にはいない魚のように思った。
名前を見てみると、「大黄魚」。

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水槽にはすべて、例えば500gいくら、ひとつでいくら、といったふうに金額が明示してある。
目の前で水槽から魚をとりだし、秤の上へ。
かなり汚れた、いや年季の入った秤だ。

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生け簀の他にもさまざまな食材がテーブルに並ぶ。
大好きな牡蠣もあるけれど、日本で目にする新鮮に管理された牡蠣に慣れている私には、ちょっと手が出ない。
中には、おどろおどろしい姿をした虫も。
「蚕蛹」 字のとおり、蚕のさなぎだ。
今回は頑張らない旅行なので、これにもチャレンジしない。

席は室内もあったが、屋外のテーブルにしてもらった。
ビールは立派なサーバーがあり、ピッチャーしかないというので、黒ビールなど四種類から普通の生ビールを頼んだ。

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まず出てきたのはアサリ。
辛味の味付けは、アサリをよく食べる日本でも出合うことのない味覚だ。
ビールのおつまみとしては最適。

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アサリをつまみながら待っていると、次に出てきたのは澳带。
身を細かく切ってあるので食べやすい。
日本で貝を食べるとしたら、刺身や酒蒸しや焼いたもの。
薬味の風味が効いていて、この味覚も中国ならではだと思う。

最後の大黄魚はなかなか出てこなかった。
私は屋外でお酒を飲むのが大好きで、心地よい夜風、暮れていく空、行き交う人、灯りだす明かり。
そんなものを眺めながら飲むとき、心から幸せだな~と感じる。
中国では屋外にテーブルを並べるお店が少なくないので、暖かい季節であれば外で食べれるお店を選ぶことも多い。
だから今回もどのお店も屋外にテーブルを並べているのを見て、わくわくした。
けれども、魚の出来上がりを待つ間。
「寒い!」
予想外の寒さに参ってしまった今日だったが、羽織物も購入し、それでもまだ寒かったけれどまあまあ大丈夫だった。
ところが食事しビールを飲みながら、徐々に寒さが増してきた気がした。

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やっと出てきた大黄魚。
ネギや唐辛子を用いて蒸しあげたもので、身はやわらかく箸をいれるとほろほろと崩れた。
中国では鯉類などの川魚をこうした調理法で食べる機会が多かったが、日本人である私にとっては海の魚の方が受け付けやすい。
骨も細かくなく食べやすく、味も安心する美味しさ。
ピッチャーのビールも軽く飲み終わり、お店を出た。

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ホテルの窓からは穏やかな青島の夜景が見渡せた。
左手には台東歩行街が、遠くにはマンション群が、まだ眠らないでいる。

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商店で買ってきた青島ビール。
中国どこにでもある青島ビールだけど、さすが本場。
お店にも数え切れない種類やパッケージが並んでいて、どれを選んでいいかわからないほど。

飲みながら青島の夜を眺めていると、いつの間にか下に見えていた歩行街はみな明かりを落とし、歩く人もいない。
この部屋には四泊する。
あちこち移動する旅行も刺激があるけれど、同じところでゆっくりするのもいいな、と思った。

⇒ 青島旅行三日目~その一~ へ続く

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2018-05-15

青島旅行三日目~その一~

2018年5月3日、何度も繰り返し恐縮ですが、今回は頑張らない旅行。
という訳で、朝目が覚めたものの起き上がる気力がないままベッドの中。
どれだけの時間そうしていただろう、時計を確認することもなく、だるくてたまらない身体は脳からの指令をいっさい受け付けなくなったみたいだった。
ようやく起き上がって支度が済んだ時、時刻はすでに11時をまわっていた。

もともと今日は、青島郊外にある「崂山」という山に一日かけて行ってみるつもりだった。
崂山に行くならば出発は早ければ早いほどいい。
もう崂山へ行くのは明日にしよう、今日はのんびり近場を観光しよう、だるさに負けてそう決めた。
外はたいそういい天気で、相変わらずの寒さではあったけれど、青空が広がっていた。

タクシーを拾って、まず向かったのは「青島桟橋」。
北京から青島に到着したあの青島站のすぐ付近にある。
もうすぐそこに海というところにきて、タクシーを降りた。
道路を挟んで向こうが桟橋で、地下道があったので下りていくと、意外にも意外、その地下は混沌としたちょっとしたフードコートになっていた。
麺から焼き餃子からご飯ものまで、一通りのものがそろっている。
「やっぱり麺がいいな~」
と牛肉麺と書かれたお店に近づいてみると、テーブルで美味しそうなワンタンを食べているお客さんが多数。
牛肉麺にするかワンタンにするか、迷いに迷ったあげく、選んだのはワンタン。

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これで10元。
熱いワンタンにやけどしそうになりながら、スープも飲み干してしまった。
身体が温まり、ようやく一日が始まったような気がした。

地下道をあがるとすぐそこは海だった。
海には遊覧船やボートもあり、それを受け付けるテーブルがあった。
見てみると、遊覧船は青島湾をぐるりと一周しかなり向こうの岸にも近づくよう。
乗ってみたいな、と思いその気になり価格を見てみるとたしか一人400元くらいだった。
日本の遊覧船はそんなにしないから、これはちょっと高いなと思い諦める。

海辺には多くの観光客がいて、中にはアジア系外国人観光客の団体もいた。

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まっすぐ伸びるのが、本日最初の目的「青島桟橋」だ。

この桟橋、清末1892年に、軍用物資を運搬することを目的に建設された青島最初の軍用埠頭である。
現在この長さは440mほどあるが、建設当初は200mほどだったそう。
ドイツ占領後も増築され続け、中国へ返還されたのちも改修をかさね、今の姿になった。

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ちょうど干潮の時刻で、潮が引いて現れた海底には蟹などがいるようで、そこらで夢中になって潮干狩りをしている人たちがいる。
砂浜には座り込んでのんびり海を眺めている人たちも。

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桟橋を渡ってみると、その先には「回瀾閣」がある。
回瀾閣は、この場所がふたたび中国の手元に戻ったのち、1930年代の改修を経て建設された。


青島もまた、他国に翻弄された歴史を持つ。

三国干渉により遼東半島を日本から返還させたドイツは、ロシアがそれを武器にして中国東北部の鉄道敷設権を得たように、同様に中国沿岸部の不凍港を狙った。
そうした折山東で起きた宣教師殺害事件を口実にして、1898年、青島をドイツの租借地としてしまった。
その後、第一次大戦時に日本軍とドイツ軍は青島で衝突する。
その時に活躍したという砲台遺跡を、昨日青島山で見つけたばかりだ。
“翻弄”という言葉がしっくりくるのは、中国というこの大国は、特に19世紀から20世紀にかけて、欧米諸国、日本など、他国の野望や思惑に国の運命を握られてしまい、そこに自国の意思は意味を持たなかったからだ。
中国を舞台にして、日本とロシアが戦った。また日本とドイツが戦った。
それはまるで中国もまたひとつの国であるということを無視しているかのよう。

1914年、日本は青島におけるドイツ要塞を落とし占領した。
その後、中国に返還。
しかし日中戦争勃発により、ふたたび日本の占領下に。
日本は第一次大戦期と日中戦争時の、二度青島を支配したことになる。
しかしながら、現代の街並みが日本の要素を残さずドイツ一色と言ってもいいほどなのは、この街の基盤をつくったのがドイツだからである。
ドイツ占領前、青島は小さな漁村でほとんどなにもないような場所だった。
そこに建物を築き、街道を整備し、鉄道を建設し、上下水道を整えたのはドイツだ。
ドイツがもたらしたものは現代の青島にとって恩恵ということになるのかもしれない。
それもまた翻弄された歴史のひとつの姿である。

この「青島桟橋」は、こうした翻弄された歴史の口なき証言者だ。
中国によって作られた軍用埠頭は、ドイツ軍の手に渡り姿を変えた。
ドイツ軍は青島に上陸するとき、この桟橋から青島入りしたのだという。
また第一次大戦時に日本がドイツを落としたときには、日本軍はこの桟橋で式典を行った。
いわば、桟橋は他国に占領され支配された負の象徴ともいえる。
しかし再び中国の手に戻った際には、この桟橋にて閲兵式が行われた。
そしてこの回瀾閣が建設され、また中国を代表する青島ビールのラベルマークにもなった。
現代には、青島を代表する場所となった。
そういう意味で、青島桟橋とその先っぽの中国式楼閣・回瀾閣は、侵略の歴史を背負うとともにまた、現代中国のアイデンティティと愛国心を象徴する存在である。
複数の国に翻弄されながらも他国に干渉されない一つの国を築き上げた中国。
数え切れないそうした歴史の足跡は今もなお現代生活の中、中国各所に溶け込んでいる。

しかしそんなことを考えながらこの桟橋と海を観光している人なんて誰もいない。
たくさんの観光客でにぎわうけれど、きっと私だけだろうと思う。
みんな楽しそうにおしゃべりしながら、友達、カップル、家族で、おのおの休暇を満喫している。
深刻な表情なんて、この気持ちの良い海辺の風景には似合わない。

桟橋の先っぽ、回瀾閣の中には無料で入れるみたいだった。
ただ人数調整を行っており、入り口で係員からカードを受け取り入ってみる。

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内部は展示室になっていた。
中央には二階へ続く螺旋階段があり興味をそそるが、立ち入り禁止。

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入ってまず目を引いたのは、正面にある石碑だった。
螺旋階段の裏にあたる。
この石碑にはひとつの文字も刻印されていない。
いわゆる“無字碑”だ。
これがなんのために、そしていつ作られたもので、どうしてひとつの文字もないか、わかっていないのだという。

無字碑といえば、西安郊外にある則天武后の陵墓にある無字碑が有名だが、あれは彼女の功績は文字であらわすことができないといって文字を刻印させなかったといわれているものだ。(諸説あり)
文字で表せない説もありかもしれないが、中国は文字を使うのが大好きな国でありそんな歴史があり、そうそうないことだ。
また、文字を入れる前になんらかの事情で作業が中断されたのかもしれない。
しかし石碑はしっかり完成状態で建っているもので、順序としては刻印してから石碑の外観を完成させるものだと思うので、これもないだろう。
いずれにしても、あまりに完成度の高い無字碑である。
そのつるつるで真っ黒な表面には、どんな文字もふさわしくない。

中国は“ある”ことに意味があり、“ある”ことで表現する文化だと私は感じている。
日本は“ない”部分に意味があり、“ない”ことで表現する文化だとも思っている。
だから日本人の方が、無字碑を理解しやすいのではないかなとも思う。
それはさておき、これはそもそも石碑ではなく、まったく別の用途で作られたものなのかもしれない。
単なる想像のあそびである。

回瀾閣の展示にはこの桟橋についての歴史が順を追って展示されていた。
古い写真も多数あり、覗く価値があると思う。

もともと清朝末期にかの李鴻章が、青島一帯を防衛の拠点として強化するために軍用桟橋を建設するよう、光緒帝に上奏したことが始まりとなった。
そのため、この桟橋には李鴻章桟橋という別名もあるのだそう。
展示は、そこから始まる。

18050310 1

こちらは1909年前後に当時の桟橋周辺を描いたものだ。
当時はまだ、鉄碼頭という呼び名で呼ばれていた。
中央に突き出た鉄碼頭のすぐ横には、小さな島「青島」がある。
この埠頭のすぐ先には、小さな緑で青々とした小島があるのだ。
付近にある別の島が黄島というのに対し、この島が青々としているので青島と呼ばれるようになり、この青島が地名「青島市」のもとになったのだという。
いわば元祖「青島」だ。
現代では小青島と名前を変えている。
このように青島湾の歴史が古い地図や写真で紹介されている。
日本軍により作成された地図もあった。
それを見ると、この小島・青島は、「加藤島」となっている。
どういう背景があるのか知らないが、きっと加藤さんという人がかかわったのだろう。

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これが、回瀾閣を出て小青島を眺めたもの。
確かに青々とした、そして小さな島である。
白い灯台が見える。
1900年にドイツ人によって建設されたものなのだという。

回瀾閣はぐるりとその周囲を一周できる。
そのどこからも眺めは見事で、肌寒いのを抜きにすれば、青い空に青い海、白い雲に赤い屋根。
ここから動きたくなくなるほど。

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海越しに都会風景を眺めるのは不思議な感覚。

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潮が引き現れた海底面にくの人が散らばり、バケツを手にカニなどを集めている。
普段はここもみな海の下。

18050310 2

桟橋の下部には階段がついていて、干潮時にはそれを下りて海面ぎりぎりまでいくことができる。

1805036.jpg

遠くには赤い屋根の家々が、青い空、白い雲と対比してより際立ってみえる。
海面にはボートがおだやかに浮いている。
どこか西洋の港町を描いた絵画かと思ってしまう。

私はよく、「絵画みたい」という風景の美しさの表し方に疑問を感じる。
「ぬいぐるみみたい」と動物をかわいいというのもそう。
その逆であるべきだと思ってしまう。
実物の風景と見まごうほどに美しい絵画。
本物の動物みたいにかわいいぬいぐるみ。
でもこの時は、「絵画みたいに美しいな」とこころから思った。
それはこれがじっさい西洋の風景ではないからだ。
中国に、あらゆる背景によって西洋の要素が取り込まれることになった。
「まるで西洋みたい」
青島も、哈爾濱も、天津や上海の租界も、こんなふうに旅行者に称えられる。
けれどもいつも複雑に思う。
そんな私だったけれど、遠くに赤い屋根の連なりも見ながら、
「どこか西洋の港町を描いた絵画みたい」と思った。

⇒ 青島旅行三日目~その二~ へ続く

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まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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