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2016-01-24

◇◇ 華南地方 ◇◇

中国地図★華南地方

※各旅行記タイトルをクリックいただきますと、旅行記一番最初のページに飛びます。

厦門旅行 2012年2月 〈福建省〉

❖観光地❖ コロンス島、南普陀寺、白鷺洲公園


桂林旅行 2012年5月 〈広西チワン族自治区〉

❖観光地❖ 両江四湖、蘆笛岩、独秀峰、畳彩山、七星公園、象鼻山、伏波山
❖近郊都市❖ [陽朔] 漓江川下り


広州旅行 2010年10月 〈広東省〉

❖観光地❖ 越秀公園、中山紀念堂、鎮海楼、六榕寺、陳氏書院、珠海


江門旅行 2016年1月 〈広東省〉

❖観光地❖ 中山紀念堂、茶庵寺、茶坑村、小鳥天堂、長堤風貌街
❖郊外観光地❖ [開平碉楼] 自力村碉楼群、錦江村碉楼群、赤坎古鎮、馬降龍古村落、南楼
❖他都市❖ [広州] 西関大屋
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2016-01-24

江門旅行一日目

2016年1月8日、今年初めの中国旅行は、広東省・江門。3泊4日、一人旅です。
8時50分発、JL087便。
羽田から5時間のフライトでまず辿り着いたのは、広州。

中国の世界への玄関口として、北京、上海と並ぶ国際都市。
しかしながら、今までこの広州を旅の起点として利用することはなかった。
昨年9月のコルラ旅行の際は、北京経由で旅程を組んでいたが、トラブルにより急遽広州を経由して帰国することになった。
その記憶はまだ新しくて、広州白雲空港に降り立った時、楽しかった旅の思い出と苦い思いが思い起こされた。

その計画外の利用を抜きにすれば、この空港を利用したのは、2010年の広州旅行、一回のみ。
初めての中国一人旅だった。

目的地は、この広州から南南西に下ったところに位置する、“江門”。
けれども、初めて一人旅をしたこの都市にもう一度立ち寄ってみたい気もして、地下鉄で寄り道していくことに。

江門へは市内の長距離バスターミナルを利用していく。
私が利用したいバスターミナルは、広州站すぐ近くだった為、まずそこへ。
空港バスを利用して広州站行き。
しかしながら、大都市。

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なかなか、すぐそこ、という感覚ではなかった。
やっと広州站を右手に過ぎると、「省站」、「市站」という看板が見えてくる。
省バスターミナルに市バスターミナルだ。
この巨大な列車站の近くには、向かい合ってこれまた巨大なバスターミナルが並んでいるのだ。
まったく巨大な都市だ。

今回、荷物の量が史上最多だった。
私自身の荷物は少ない。
中国の友人に送る荷物だ。梱包済の巨大な段ボールは両手でも持つことが不可能な為、キャリーカートに固定し持ってきた。
キャリーバックの中身はずっしり。それに、大きなボストンはファスナーが閉まらず開けたまま持ってきた。
右手に、段ボール箱にボストンを載せたキャリーカート。
左手に、重いキャリーバック。
肩からはこれもまた閉まらない斜め掛けバック。
これでこの人混みを歩いていくのは、それはもう本当に大変だった。

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必死の形相で利用予定の省バスターミナルへ辿り着いたのは、観光の前に荷物を預けたかったからだ。
荷物預け所があるかどうかは知らなかったが、きっとあるだろうとの目論見だ。
けれど、係員に尋ねてみると、「エスカレーターを一階に降りて右にしばらく歩いていったところ」
中国のエスカレーターは狭くて速くて危ない。
とてもじゃないけど無理なので、一つひとつ運ぶ。
こんなんで江門へ辿り着けるのだろうか?

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荷物を無事預けたものの、係の人は私のすごい荷物を持て余し、苦労して向こうに運んで行った。

すっきりしたところで地下鉄を利用し向かうは“西关大屋”。
広州の主な観光地は5年前に観光済で、それ以外にと気まぐれにガイド本を見て決めたのがここだった。
地下鉄2号線と1号線を乗り継いで簡単に行ける。

“西关大屋”とは、荔湾区に広がる古い邸宅や住居が今も残る地域。
すぐ北には“陳氏書院”、すぐ南には“沙面”があり、すぐそこには枝分れした珠江が流れ込んでいる。
5年前に歩き回って観光したエリアだったが、その時は西关大屋を知らなかった。
あの時はこの辺りで道に迷って苦労したのだった。

地下鉄駅「长寿路」を降りると、その辺りは生活感いっぱいの古い街並みが広がっていた。

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縦長の住居やお店が隙間なく窮屈に肩を並べている。
それぞれが違ったデザインをしていて、よくみると美しい模様を持っている。

ここには「到達点」がない。
お寺だとか大きなお屋敷だとか、目的にすべき一カ所がない。
いわばこの街並み風景そのものが観光対象で、ここ一帯を総じて「西关大屋」と呼ぶ。
だから決まった順路があるわけではなく、どこまで行けば終わりというものもない。
博物館があるようだったがすでに夕方だったし、かつては大きなお屋敷も残っていたそうだが今ではほとんど失われてしまっているのだとか。
街並みに興味がなければ、なんの面白みもないかも知れない。

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ふと足を止めてみると、古い住居にはこのように保護文化財である旨の表示があるものもあった。
そして所々にこのようにお札やお線香や小さな小さな廟などを見ると、華南地方に来たなと実感する。

歩いているのは宝源路。
地下鉄駅からこの通りをまっすぐ歩いてきた。
目的地がないので、気の向くまま歩いてぐるりと一周回って戻って来よう。

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広東省は中国南部にある為、一年中温暖だ。湿度もあり、一年中豊かな緑や花々を見ることができる。
まるで森の中にいるような感覚になる街路樹。
5年前の広州旅行の時にも何度も目にした濃いピンクの花が咲いていた。

宝源路を突き当たると、住居の並びから打って変って賑やかな繁華街に出た。
ここを左に曲がっていく。

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建築様式の一つの特色は、このように二階がせり出しているところ。
屋根が伸びているのではなく、一階部分の表側が穿たれているかのような形をしている。

さらに、ステンドグラスが多用されていること。
5年前に広州の街中でそれらを見た時、なんとも言えないノスタルジックな感覚になったのを思い出した。
一階部分はお店になっているものも多く、結果的に二階三階部分にそれを見ることが多かった。

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純中国建築でもない。
かといって西洋建築そのものでもない。
単に西洋と中国を足して割ったものでもない。
この独特の世界観は、かつて日本にあったものにも似ている。

私は色ガラスが大好きなので、その一つひとつに見とれていく。
西洋の教会に見るような荘厳なステンドグラスではないし、これらはどれも古びて汚れていた。灯りの灯っていない閉じられた窓には何の輝きもなかった。
ここに暮らす人は私がどうしてこれらにカメラを向けているのか訝しんでいるようにも見えた。

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よく見るとこのように細かな模様がある。
どれも同じ模様を持っているようで、同じガラスを使ったものだろうか。

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けれどもここは近づいて見るよりも、遠めに全体を眺めた方がいい。
花模様や幾何学模様が浮き出たコンクリートの建築群は、日本人にも郷愁を感じさせるものかも知れない。
けれどもこんなにも肩を寄せ合っているところはやっぱり中国ならではだ。

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夕方の賑わいで、ふと時間を見るともう18時を過ぎていた。
広州から江門まで、バスで二時間かからないくらいだということだった。
ここから地下鉄で広州站に戻って、バスに乗って…、このままでは江門に着くのが遅くなってしまう。バスの最終も気になるところだ。

地下鉄駅に戻る途中。

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新年ということで、たくさんのカレンダーが売られている。
去年の年越しは友人と上海で迎えた。そこで買った福の字がみごとなカレンダーを一年使ったもので、今年もぜひそうしたかったのだけれど、何しろ荷物を増やすことができなかった。
そこでお店のおばあちゃんがあれこれと出してくれた封筒、ポチ袋をいくつか購入してお店を出た。

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歩いて行くと、一番の繁華街、下九路が先に伸びていた。懐かしい。

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こんな風に現代の若者の界隈だ。急に風景が変わった感じ。

5年前の広州一人旅。
決して初めての中国ではなかったけれど、あれもこれもが珍しくて、ひたすら歩いていたら道に迷ってしまった。
この下九路の向こうに見える中国ネオンの下には、広州土産のお菓子がけばけばしくたくさん売られていたはずだ。
パッケージには煌びやかな珠江が描かれていて、こんな機会はないとたくさん買い込んで帰国したものの全然口に合わなくて困った。
あの時ならまだわかる。
たくさんの旅行を重ねた今、未だに「あれもこれもが珍しくて」 なのは不思議なことだ。


実は今回も江門で人と会う予定があった。
今回持ち寄った膨大な荷物のひとつ。大きな段ボール箱は新疆ウイグル自治区のウルムチへ送るものだった。
ところが出発数日前になり、ウルムチの友人が「江門にいる知人に渡して欲しい」 と言ってきた。
最終的に送ることには変わりないが、その友人を通して私をもてなしてくれるのだという。
そうした善意はとても嬉しかったが、おそらく私の一人旅は遂行されないであろうことを予期した。

中国人にはどうも「一人旅」というのを理解してもらえない。
同行する相手がいなくて止むを得ず一人で行くのではない。
一人だから寂しいというのでもない。寂しいならば一人では行かないだろう。
不便な道行きが嫌なら個人旅行はしていないだろう。
日本人にもなかなか理解してもらえる人は少ないが、日本人なら「なら、わかった」 というところが、中国人の場合、親切心が強いというかなかなか相当に「わかった」とはならない。絶望的なほどに。
この譲らない強さは、私が興味を持つ国民性であり、多少疲れる部分でもあり、半ば諦めている部分でもある。
だがこの彼らの強さのおかげで私が得たものもたくさんあるのだった。

出発数日前に微信を交換したインインは江門で茶業を営んでいるのだそう。
連絡を交してすぐに、優雅で品のある女性だということがわかり、そして彼女には小学生の息子さんがいるということを知った。
「今日、イタリア人の友人がうちに来てね、息子が“これ日本人の姐姐?”って訊いたの」
どうして日本人の姐姐がイタリア人の叔叔になっちゃうのか…
そんな微信の文章を見て、会うのが少し楽しみになった。
息子さんは私に会うのを楽しみにしてくれているのだそうで、それも初めての経験で嬉しかった。

広州省バスターミナルから19時25分発、52元(内2元保険料)。

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江門バスターミナルに到着したのは21時過ぎ。
薄手のニットのワンピースで気持ち涼しいかなという気候。

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バスを降りると案の定、タクシーの勧誘が声をかけてくる。ところが。
なんの漢字を言っているのか全然わからない。
「打车」でも「出租车」でもない。
彼らは広東語、またはその他の現地語を話しているのだった。中国標準語である“普通話”とは発音が全く違う、いわば外国語のようなものだ。

到着の報告を入れると、インインが迎えに来てくれた。
長い黒髪の彼女は美人で、直感で「あの人だ」とすぐにわかった。旦那さんの運転で来てくれた。
「私たち今、普通話を話しているから聞き取れるでしょ?」 そういう彼女。
普通話を話しているのはわかっているが、普段もうまったく勉強していない日々が続いているのでこれはこれでわからない私なのだった。

予約したホテルは昔ながらの繁華街にあるホテル。
「ずっと安い中国的なホテルがあるからそっちにする?」 と言ってくれたが、そのまま予定通りのホテルに。

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実は新疆ウイグル自治区・コルラの友人に私が欲しい物をこのホテルに送ってもらっていたのだ。
荷物が二つ無事に届いていることを確認し、夕食を求めに辺りを歩く。
私はおなかが空いていなかったし、もう23時になろうとしていたので「いらない」と言ったのだけれど、「だったら買ってホテルに持ち帰ればいいよ」という話になった。
インインは小さな食堂で牛肉汤面と咖哩鱼蛋を持ち帰りで買ってくれた。

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戻る途中の角にある小さな商店で。
サトウキビのジュース。圧縮した生ぬるい搾り汁は、自然を味わっているという感覚が楽しめた。
この商店、一坪かという驚くべき狭さだったが、三晩お世話になることになる。

インイン夫妻に段ボール箱を委託し、彼女たちは家に戻って行った。

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こちらは先ほどの牛肉汤面と咖喱鱼蛋。
咖喱鱼蛋とは字面通りカレーのスープに煮込まれた団子。
江門すぐそばにあるマカオを訪れた時にも、カレーおでんがあちこちにあったのを思い出した。

ミネラルウォーターが部屋になかったので、再び降りて行くと辺りはもう真っ暗だった。
気づけば日付はとうに変わっている。

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ネオンも電光もなく、あまりにも真っ暗な江門の夜だった。
先ほどの小さな商店でおじさんから水とビールを買い値段を訊くと、たかが数字なのに聞き間違えた。
私がとんまだったのか、おじさんの普通話の発音が独特だったのか、どちらなのかは今ではわからない。

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残念ながらアメリカのビールのよう。それから8月の平遥旅行で一度出合ったことのある健力寶というドリンク。

広東省は温暖な気候で冬でもそう気温は下がらない。
でもそうはいっても、深夜は肌寒かった。
部屋の窓は数センチ程空いていて、壊れているのか閉まらなかった。
部屋を替えてもらう気力もなく、防寒具もなく、肌寒さに耐えながら残りの友人への荷物の荷造りをした。
明日は朝早いのに、まだまだ眠れない。

⇒ 江門旅行二日目~開平碉楼・前編~ へ続く

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2016-01-24

江門旅行二日目~開平碉楼・前編~

2016年1月9日、本日はどう考えても時間が足りないので7時前には出発する予定だった。
けれども寝不足が続きこれではどうしようもないと、諦めて目覚ましを7時にセット。それでもなお寝不足は変わらない。

“開平楼閣と村落”
江門市から南西に位置する開平市には、世界遺産に登録された特徴的な建築群とそれを有する村落が点々としている。
一度はそこを訪れてみたくて、それが目的でこの江門旅行を計画した。
開平には広州から直接バスで行くことができる。所要時間もそう変わらない。
しかし訪れたことのない都市と出合ってみたくて、江門を基点にした。
今日はその開平に行く。

インインは滞在中できるだけ私に付き合ってくれると言っていたが、息子さんとの約束があり、何度かのやり取りのあと今日一日は私一人で開平に行き、明日一日はご夫婦と息子さんと四人で遊びに行くことになった。
今日か明日、いずれかにはお宅にお邪魔することに。
そして開平から戻り次第、インインに連絡をいれると伝えた。

8時半、ホテルを出て古い街並みを抜けて大通りへ向かう。

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古い建物の一階部分は、その多くが今時のお店になっていた。
小吃や飲み物や、靴だったりスマホグッズだったり。
それもこの時間まだどれもシャッターが下りて閑散としている。
よく見ると、古い建物を壊して改築しているというよりは、もともとのものに覆いかぶさるようにお店を作っているように見えた。
だから不思議と景観に違和感を感じなかった。
古さと今がうまく混じり合っているかのよう。

大通りに出てタクシーを拾い、昨日広州からのバスを降りた江門総合バスターミナルへ。

日本人で一人旅だということがわかると、タクシーのおじさん、普通話を使ってゆっくりと短い言葉で会話をしてくれた。
「みんな普通話を使ってないからわからないでしょ~?」
でもおじさんは、普通話を話してる。
「普通話、みんな話せるの?」
すると、「広東語を話しているけれど普通話も話せる」 とのこと。みんなバイリンガルみたいなもので、すごい~。
バスターミナルは市内に他にもあるのか、どこのバスターミナルか確認してくるので、「開平に行く」と伝えた。
「開平まで250元で行くよ~」
断っても笑顔で、そんなにしつこくしない。
「江門には開平に行く日本人が多いよ」 でもみんな中国語を話せない、とも言った。
世界遺産に登録されて以降、開平の知名度はぐんぐん上がり、決してマイナーな観光地ではなくなったということだ。
おそらくそれはここ10年以内の話だろう。

バスターミナルで開平行きのチケットを購入。
窓口では「開平のどこ?」 と訊かれてしまった。…一つじゃないの?
どうやら、開平には「长沙」、「义祠」という二カ所のバスターミナルがあるみたい。
どちらかわからないので「開平碉楼に行く」 と伝えると、9時45分発の义祠行きのチケットを発券してくれた。30元(内保険料2元)。

時間がまだあったので、売店をうろうろしてみた。
華南地方ならではのチマキにエッグタルト、それから包子など。朝ご飯はどれにしよう。
エッグタルトといえば、マカオが絶品だった。
3年前、友人と香港で食べたエッグタルトが美味しく、「本場はマカオなんだって!いつ行く?」 とその場でマカオ旅行が決定した。
エッグタルトを食べる為に行ったマカオ旅行。
売店には澳门鸡蛋挞(マカオエッグタルト)の文字。
飛行機の移動だと実感が少ないが、実はここからマカオまでは「すぐそこ」の距離だ。
このタルト、購入してみたけれど、やっぱりマカオのには程遠かった…。

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それからチマキも購入。
蒸されたもち米はねっとりとし、なかなか食べるのが大変だった。
卵が入ったものを選んでみたが、個人的には卵なしで良かったな、と少し後悔。

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現地のビールを飲みたかったので、「珠江ビール」を購入。
売店のお兄さんは、「すごいね~」 と呆れるように笑う。朝からビール2本。

バスに乗りすぐに爆睡して目を覚ますと、もうそこは開平市だった。
南国を思わせるような木々に、川の流れ。
近代的なビルはなく、湿気を含んだ雑多な町並みがそこにはあった。
市内に点在する農村に向かう前に、すでに点…点…、と碉楼が街の風景の中にわずか入り混じって建っている。
まさかこんなにすぐ目にするとは思っていなかったため、フライングしてしまった気分だ。
けれどこんなところがまさしく中国のすごさと魅力だ。

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开平义祠バスターミナルに到着したのは、江門から1時間半後。
薄手のワンピースだけでは少し寒かった。

タクシーの勧誘をかき分けて、私はぼろぼろのリヤカータクシーを選んだ。
開平の風を浴びながら移動を楽しみたかったからだ。
観光地として旅行客を受け入れる農村は点在しており、市内バスを利用して回るのは相当不便で時間がかかると思われたので、このリヤカータクシーで全部まわってもらう。
「全部まわっていくら?」 訊いてみると、
「500元」
「高い、高すぎるよ…ちょっと考えさせて…」
そう言って離れようとすると、おじさんは慌てて「400元」と訂正してきた。
それでも高いけど一日かかるのだから仕方ないか、そうしてOKした。

観光客がまわる主な碉楼と村はだいたい決まっている。
というのは、複数まわれるセットのチケットを購入できるからだ。
そのチケットに含まれるのは、日园、自力村碉楼群、马降龙古村落、赤坎古镇、锦江里碉楼群、南楼纪念公园、开元塔。
これで180元。
現在もうすでに12時を過ぎている。
全てをまわるのは時間的に不可能なため、興味が薄い日园と开元塔は諦めて、それ以外をこの順番で回って、とおじさんに伝えた。

まずは、自力村碉楼群へ向かう。

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すぐに風景はこうした長閑な農村に。
畑、水田、家畜、次から次へと古く小さな村々が通り過ぎて行った。
その風景の中に、ぽつん、ぽつんと、異質に伸びる楼閣がすでに幾棟も姿を現している。出し惜しみなんてする気はさらさらないらしい。
「日园は行かなくていいの?」
おじさんが訊いてきた。ちょうど日园への分岐点だった。
日园はアメリカ華僑によって建てられた楼閣建築群だそうで、私は個人的な好みアメリカに興味がないので「必要ない」と即答した。


開平碉楼とは、かつてアメリカ・カナダなどに渡った華僑が帰郷して建てた、この地域独特の建築群だ。

始まりは明代にも遡るのだそうだが、今残る楼閣のほとんどが19世紀末、清代のものだ。
当時アメリカでは大陸横断鉄道の建造で労働力を必要としていた。
そこで多くの中国人、特に華南地方の中国人が、華僑としてアメリカ大陸へ移住し、働いた。
ところが1880年代、アメリカ・カナダの排華政策によりその大多数が帰国。
その後、現地で稼いだお金により、中華、西洋、多様な文化が融合した独特の建築物をここ開平一帯に築いたのだという。
これらを、「開平碉楼」または「開平楼閣」と呼ぶ。
その数3000棟以上にもわたり、現在でも1833棟もの碉楼がここに残る。

初めて開平碉楼を知ったのはいつのことかわからない。
10年前か、それ以上か、とにかく随分前にテレビ番組でそれを見た。

緑が広がる文明とは程遠い田舎風景の中、ビルのようにそびえるコンクリート造りの楼閣が、ぽつん、ぽつんと、“生えて”いた。
そのビルのような一棟一棟の楼閣は、中国風なのか西洋風なのかよくわからず、それでいてどこか懐かしいようなデザインをしていた。
美しい装飾がありながらも、そのシンプルさはとても違和感があり、人を寄せ付けない迫力を持っていた。
それは、私が持つ中国のイメージから大きく外れており、信じることができなかったのを覚えている。きっと国境ぎりぎりの南方に違いないなんて思ったりした。
「盗賊から財産や身を守る為に、このように堅固な楼閣を築く必要があったのです」
テレビの中で、リポーターはそう言った。
まったくもって私の知らない世界だった。
いつか行ってみたい、とも思わなかった。
その時には、行く機会がいつか訪れるなんてこれっぽっちも思っていなかったし、それにその時は驚きこそすれ、とくに魅力を感じたわけではなかったからだ。
しかし今になり、ふとそこを訪れてみたくなった。
私の持つ中国イメージを裏切ったあの建築群、けれども旅行を重ねてみて今、なんだかあの異質さに納得できるような気がしてきた。
今までの旅行とは違うのは、そこに何があるのかを知っていることだ。
もちろん、編集されテレビ画面に切り取られたものと実物は違うものだろう。
けれども今回の開平行きは、あの時みたあの特異な風景をこの目で確かめに行くという、再確認という意味で他の旅行とは色合いが若干違う。

ガタガタと車体を揺らしながら農村風景の中を縫って行き、やがて最初の目的地“自力村碉楼群”へ着いた。
なぜここを一番最初に決めたのかというと、碉楼群の中で一番の観光地だからだ。
もしかしたら風情がないかも知れないと思い、最初に持ってきた。

ここでセットのチケットを180元で購入し、リヤカータクシーに待ってもらい入場していく。

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さっそく民芸品や農産物を売る簡素なお土産屋さんが並び、その中にはこのように卵もあった。
鹅蛋、双黄蛋、初生蛋。
鹅蛋はガチョウの卵。双黄蛋はまさか黄味が二つあるのだろうか。一番高い値がついている。
これらはこの村落で飼われている家畜のものだ。

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進んで行くと石造りの広場があり、周囲には碉楼ではなく今を暮らす人々の民家が建ち並んでいた。
この広場には竹で仕切られた囲いの中にガチョウが騒ぎ、その横にはこのように白菜が干されていた。スープなどに使うのだそうで、この後どの村落でもこれを見つけることができた。

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民家一つひとつもそれぞれに趣があって見ていて飽きない。
玄関口には見上げると各々違った装飾と絵が描かれていて、どれもが素晴らしい。中国人の美意識を見ることができる。
けれども、このようにポストや住所をみると、ここが生活の場であることにはっとさせられる。
観光気分で、お邪魔していることを忘れてしまいそうな自分。

民家の集まりをくぐっていくと、水田と畑がぱっと開けた場所にでた。
適度な間隔を開けて、碉楼が点々と広がっている。そして各所に観光客がぱらぱらと散らばっているのが見える。

順路という順路もないようなので、目についたところから。

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「叶生居庐」
中心の建物と周囲には附属的な建物も。
一本のビルが塀もない野原のような場所にそれだけ建っている。
そんな姿を記憶していた為、なんだかイメージと少し違う。
1930年に建てられたものだそう。
中心の楼閣は四階建てで、高さもそうあるわけではない。
碉楼というよりは立派なお屋敷のようだ。

入り口をくぐってみると、おばちゃんがいてチケットを確認した。
碉楼群の中には、建物内に入れるものとそうでないものがあるようだったが、ここは入れる模様。

中心の広間の周りを取り囲むようにして、寝室、厨房などが位置している。

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こちらは洗面台。
この部屋には中国式ベッドと化粧台もあった。

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二階三階と上がっていくも、同じような構造に変わりない。
このように中心の大きな部屋に、左右に三つずつ小部屋が配置されている。
建物内部自体に装飾は少なく、いたってシンプル。
壁には楼閣を建てた華僑やその家族の写真、あるいは絵画、それから中国式、西洋式の調度品などによって美が演出されていた。

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四階は開けていて、バルコニーに出られるようになっていた。
その外の風景を見せるかのように、祖先を祀る廟。
今までの中国旅行でこのような一般家庭の先祖を祀る廟を見たことはない。

これら開平碉楼は、海外に進出して華僑が稼いだお金を故郷に持ち帰り、あるいは送金し建てられたものだ。
いわば一族の為の、子孫へ繋いでいく為の、そうした思い行いの結晶だ。
またここは清朝末期、はびこる匪賊馬賊、動乱から一族を守るための要塞でもあった。
各階が同じような構造を持ち、それぞれに寝室や厨房を持つのは、親、子供、兄弟など、一族がそれぞれの階で生活していた為だったのだという。
また有事の際に、一階を襲われても二階三階に逃げ籠城する為に、それぞれに生活機能を持たせた。
その最上階に先祖を祀るのは、一族の結束が固くその意識が高いことを表し、それはごく自然なことのように感じられた。

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こちらは廟を抜けてバルコニー。
鉄格子が架けられているのは、観光客への安全の為ではない。
盗賊の侵入を防ぐ為のものだ。
ここからてっぺんにも登れる階段が続いていたが、塞がれていた。

ここを降りて隣に並ぶ碉楼。
「铭石楼」
1925年、アメリカ華僑の方润文が帰郷して建てたもの。
ここもなかなかの規模で、チケット確認のあと入場できた。
奥の主楼と手前の附属楼。
附属楼には厨房や農機具の部屋があった。

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一見シンプルに見える建物も、細やかなところにこのような美が隠れている。
鳥と花の絵はほんとうに見つける頻度が高い。

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附属楼は質素な感じ。

ここを抜けて主楼へ。

薄暗い建物内へ入っていくと、中心の部屋。
まず目に飛び込んでくるのは正面に方润文とその両親か、と思われる大きな写真が並び、祀られていた。
その左右にはそれぞれ一部屋ずつ。

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右手に写るのは観音開きになる棚。鏡が一面に張られている。
このあと様々な碉楼を見て鏡が多用されていることに気づいたが、もしかしたら背後に誰かいたらわかるようにと防衛の意味もあったのかなと思ったが、それは単なる私の想像。
美意識が高かったのかもしれないし、魔除けの意味があるのかも知れないし、単にそういう意匠だったというだけかもしれない。

上層に上がっていくと、ここも同じように中心部屋の左右に小部屋が三つずつ。
その小部屋の一つは必ず厨房だ。
ある部屋のガラスケースには、かつての酒瓶などが飾られていた。

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骨董美術は見る機会はあるけども、こういう懐かしものを見る機会は意外と多くはない。

こちらはある階で階段側を振り返って。

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あらゆる碉楼でその基本構造は共通していた。
長方形で塔のようにそびえる碉楼。
一階には客人をもてなすような壮麗な部屋があり、その左右には中くらいの部屋がひとつずつ、あるいは複数。
階段は一番奥に隠れるように存在し、一度切り返して上層へ。ジグザグに最上層まで続く。
各層に中央に一部屋、左右に各三部屋ずつが配置され、その一つは必ず厨房と寝室だった。
最上層は祖先を祀る廟で、そこからバルコニーに続く。
バルコニーから屋上へ続く碉楼も多数だった。

この铭石楼、防衛と生活の両方を備えた開平碉楼の中でも早期のものなのだという。
いくつかの碉楼の構造を一帯がまねたのか、あるいは倣うべきマニュアルのようなものがどこかにあったのか、これがここに共通した文化形式だったのか、それとも防衛の意識のもと生み出された形は必然的に共通するものだったのか。

開平碉楼は清朝末期、1900~1930年代にそのほとんどが建設されている。時系列的に非常に密集した出来事で、そのこと自体もかなり特異なことだ。
中国の長い歴史の中では一瞬よりも短い。
その一瞬より短い瞬間に、広大な中国文化領域の中で、ただこの限られた地域に、これだけたくさんの、これだけ共通した特徴を持つ建築物が、次々造られた。
そしてそれが、他の地域に伝播していくことはなかった。

開平碉楼のもっとも重要な特徴は、それが要塞の意味を持っていることだ。

そもそもこうした碉楼がなぜ生まれたのかというと、先にも触れた通り、
1、海外で手に入れた資金を故郷に持ち帰る、あるいは送金する華僑が、中国華南部には多かった。
2、清朝末期、中国華南部には匪賊馬賊が横行し、財産を守る必要があった。
3、清朝末期、中国華南部は動乱の渦中だった。
こうした背景がある。
しかし、「広東碉楼」ではなくて「開平碉楼」となったのはなぜだろう。
この辺り一帯は水害も多かったのだそう。そうした地域特性もあったと言える。
それでもまだ様々な背景は隠れていそうだ。

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調度品の多くは中国近代のものだったが、このように西洋家具も。
蓄音機も見られた。
この開平の異質さは水田、畑、小さな農村が点々とする中にこうした楼閣があり、それらがこうした西洋文化や優美さをもっていることだ。
けれども、ガチョウの鳴き声けたたましい田園風景の中、その蓄音機はどんなメロディを奏でたのだろうと想像すると、なんだかそう異質でもない気もしてくるから不思議だ。
たとえば上海の煩雑混沌とした外灘よりも、この田舎風景の方がその優美なメロディは似合うかもしれない。
蓄音機に載せられたレコードがどんなものかも知らないけども、そんなことを思った。

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こちらはバルコニーに出て。
こう見るともう明らかに西洋建築だ。
アメリカ華僑とのことだが、柱なんかはローマ遺跡の一部みたいに華やかだ。
けれども、ローマの遺跡にはこんな背景はありえないだろう。

この铭石楼はバルコニーから屋上へ上がっていくことができた。

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こんな優雅さは中国農村部とは思えない程。

結果的に、この铭石楼の屋上から眺める風景が、開平を巡る中で一番美しくてその特徴を捉えていた。
時間がない旅行者でも抑えるべきポイントの一つとして勧めたい。

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建物一つひとつをじっくり見るのも楽しいけれど、こうして俯瞰するように一帯を眺めることができるのが開平観光の魅力だ。
田園風景の中、点々とそびえる楼閣。それは確かに異様だけれども。
けれども、中国全土に近代化の波が広がっている今、歴史遺産である楼閣の周囲にほとんど変わらない長閑な風景が広がっていることの方が不思議ではないか。
確かに、開平で一番の観光地となっているこの自力村は最低限整備されている。
チケットが販売され、田園の合間を歩道が整備され、各所に観光案内看板が置かれ、トイレもきちんと作られている。
でもそれでもなお風景は変わらないように思えた。
いつのことかも思い出せないテレビ番組の中の開平碉楼の風景は、私の記憶の中でけっして正しいとは言えない。
けれどやっぱりそんな風に感じた。

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こちらは铭石楼という名が掲げられていた楼閣最上部の裏側に出たことになる。

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表側はこんな風。
下から銃撃された際に身を隠すのにも使えそうだ。

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点々と碉楼が広がるなか、このようにくっついて並んで建てられているものもある。
中の良い二家だったのか、縁戚だったのか、それとも後の片方が一方的に隣に建てたのか。
この広い敷地の中でこんな風にくっついていると目を惹く。
「もうちょっとそっちに離れてくれない?」
そんな声が聞こえた気がした。

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時間がないので階下に降りて行く。
白壁には爽やかに模様がシンプルに描かれている。
なんだか地中海の建物みたいだと思った。

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再び一階へ。
中国風ステンドグラスがとってもきれい。
切り子のようにガラスを削って繊細な図柄や文字が刻まれている。
楼閣内は防衛のため密封性が高い。そのため扉を閉めてしまえば真っ暗。
ステンドグラスは光があってこそ輝きを持つ。
暗い室内に光が差し込めばその輝きはひときわ際立ち、また天井からぶら下がる洋風のランプに火が灯ればきっと幻想的な空間を作り出すに違いない。
アンティークの時計は正しく今の時刻を指している。

自力村には15座もの碉楼が現存している。
この铭石楼、その中でもっとも美しいと言われているのだという。
全部ゆっくり回っていたらここで一日が終わってしまう為、名残惜しいのを我慢して速足で行く。

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「龙胜楼」
1917年に、自力村でもっとも早く築かれた碉楼。
三層とそう高くはなく、装飾も少なくシンプル。
方文龙、方文胜、この兄弟によって建てられたため、この名があるのだそう。

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自力村に順路はない。
村内は広く見渡せ、開けているため迷うこともない。一帯に貯水田が広がり、その合間に歩道があちらこちらに繋がっていてどの方面にも行きやすい。
遠目遠目に残りの碉楼を見て、先ほど入場してきた広場の方へ向かう。

ここは観光地である以前に村民の生活の場だ。

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家畜がいたるところに。
鶏やガチョウがいっぱいで、どこに行ってもガーガーと鳴き声で賑やかだった。

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碉楼だけでなく民家も見ていて楽しい。
建物の造りに違いはあっても、玄関口だけ切り取ってみると、中国どこに行っても同じようなのだから面白い。
縁起の良い絵が描かれ、縁起の良い文字が書かれ、赤地に金の縁起札や福の字が貼られている。

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固く閉ざされた窓。
楼閣や村内の住居の窓には、すべてこのように鉄製の扉がついている。
扉の内側もまた全ての窓に鉄格子。
防衛のためだ。
いたって平面な鉄製の扉には一切のとっかかりがなく、無理に開け進入することは不可能だ。
これらの建築物は、まさしく要塞なのだった。

リヤカータクシーのおじさんが待ちぼうけているだろうと、小走りで入り口まで戻った。
「お待たせしました」 そう言うと、
「その服目立つからちょうどいいよ」 と笑った。
この田舎風景の中を今日一日いっしょに回るのだ。
これも旅の縁というものだな、と思った。

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2016-01-24

江門旅行二日目~開平碉楼・中編~

自力村を出て、ふたたびガタゴトの農道を走る。
薄着で出てきてしまったために肌寒いけれど、風を浴びながら移動するのはとても気持ちがいい。

次は“马降龙古村落”へ向かってもらった。
村落間がこんなに離れているとは思っていなかった。予想以上に時間がかかっている。
タクシーで移動すればもっと早いだろう。
でもやっぱりこれがいい。

ところが、马降龙まであと少しというところで、リヤカータクシーは停まった。
「だめだ、行けない」
見てみると、马降龙へと続く道が工事され、これ以上進むことができない。
「行けないの?」
「どうしようもない」
開平バスターミナルで客待ちをしていたおじさん、この情報はなかったのか。
すると、「向こうを通れば行けるよ。でも10㎞ある」
川の対岸をぐるりとするように、指さした。「どうする?」
うーん…。
「私、やっぱり行きたい。10㎞でもいい」
時間はもう少ししたら夕方という時刻だった。それだけが気がかりだったけど。
「あと100元だけどいい?500元」
結局、もとの金額に戻ってしまった。…でも10㎞増えただけで100元追加って絶対高い!
交渉能力が今後の課題だけれど、きっとこれからもぼったくられ続けるのだと思う。

ルートが変わったので、先に“锦江里碉楼群”へ向かうことに。
開平市内から22㎞とのことで、锦江里は出発地点からもっとも離れた位置にある。

長閑で爽やかな緑と深い鬱蒼とした緑。
曇って白い空はぱっとしなかったけれど、明るい風景だった。
いくつもいくつもの村を通り過ぎ、そこに見つける名もないかも知れない碉楼はどれも観光地のものに負けず劣らずたいへん立派だった。

锦江里に到着してみると、先ほどとは打って変って、小さな村落だった。

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きちんと区画整理されているかのような整列した住居。
その向こうに碉楼が三つ並んでいるのが見えた。
路地とも呼べないような、住居間の細い隙間を覗くと、まっすぐ向こうに伸びている。

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碉楼の手前に広がる住居の密集は、みな今ここに暮らす人々のものだ。
郵便を出せば、こういうところにもちゃんと届くかな。たいへん失礼ながらそんなことも考える。

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こちらは電気メーターか何か?
古い建物は現在に受け継がれ現役だ。
中国のさまざまな都市で崩壊寸前の古い住居をたくさん見る。というよりも、それを見ない旅行は絶対にないくらいだ。
けれどもこの辺りの住居は古くともしっかりしていて、今も立派だな、と思った。

住居の合間合間にはたくさんの家畜が飼われていた。
鶏、ガチョウ、アヒル。
グレーでふわふわの毛を持つガチョウの赤ちゃんが数羽いた。
私が横を通りがかったら、ピーピー細い声を出しながらみんな焦って一斉に向こうに逃げて行く。「集団行動」みたいに動きが揃っていておかしい。
黄色いヒヨコはピヨピヨ鳴きながら、温まる為に次々と親鳥のおなかの下に入って行った。

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南国の植物もいっぱい。
これは旅行中なんども見たが、なんだろう。熟したらおいしそうだ。
バナナの木なんかも見つけた。

三つの碉楼は最奥部に並んでいる。

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一番左は「升峰楼」。
锦江里に入村する際、チケットを確認する人に「この二つの碉楼は入れるけど、もう一つは入れない」と言われていた。
けれど残りのひとつもお金を支払えば入れるのだと言っていた。
升峰楼へは無料で入れる。
しかし、写真お断りの表示が。
ダメ元で外にいたおばちゃんに確認してみるもやっぱり撮影ダメだった。なんでダメなんだろう…。

升峰楼は1919年にアメリカ華僑、黄峰秀が建てたもの。設計はフランスの建築士だそう。
高さ七層でなかなかの高さ。

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最上部に登って行くと、外に出ることができた。
外はいいよね、と勝手に解釈し写真を撮ってしまう。

私は建築に疎いのでどこの国の建築様式がどこに採用されているのかわからない。
ここにあるのはここにしかない建築美、そう感じた。
まるでお伽の世界に迷い込んでしまったかのような世界観だ。

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横を覗けば、残り二つの碉楼を側面から見ることができる。

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正面には今歩いてきた家々。
こうして見るとそう大きな村ではない。
碉楼の下にはチケットを確認する女性がいたが、ここに来るまで人の気配はなくひっそりとしていた。
働きに出ているのだろうか、それとも屋内には村人たちがいるのだろうか。
オフシーズンなのかもともとこんなものなのか、観光客もまったくいなかった。
とっても静かだった。家畜の鳴き声を覗けば。

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こちら三つの碉楼の真ん中に位置する「锦江楼」。
この村から出た複数の海外華僑の出資により1918年に建てられた。
共同で建てられたものだから、村の名前が付けられたというわけだ。
この碉楼は住居ではなく、村の防衛の為に建てられたものだ。

多くの碉楼が四方各々三列の窓を持っていたのに対し、この锦江楼はとても簡素で二列しか窓を持っていなかった。
中に入ってみると、ここも写真禁止。
内部は非常に簡素で、というか装飾一つないシンプルな部屋に特に何があるわけでもない。
しいて言えば、台のようなものがあるだけで。
こんなに何にもないのに写真不可も変だなと思った。撮るべきものは何一つなかったからだ。
部屋も、各階正方形の一部屋のみ。

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一番左にあるのは「瑞石楼」。
こちらは锦江楼最上階から見た姿。

まるで子供の頃に絵本で見たような、お城のよう。
様々な幾何学模様が隠れ、その中に色彩を持っているのが見ていて楽しい。鮮やかだったので、もしかしたら現代に塗り替えられたものかも知れないけれど。
今まで、いくつかの場所で清朝時代の石造西洋建築を見てきた。
そのどれもはたいへん繊細で優美だったけれど、それとも全然違う。
まず、あれらはこんな色彩を持っていなかった。
中国、西洋、ローマ、イスラム文化、それらの意匠が合わさり溶け込み、そのどれでもない世界観を創り出した、そんな感じだ。

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このように窓一つひとつをとっても皆デザインが違う。
この瑞石楼、開平碉楼の中で最も美しいものだと称されているらしい。

扉は固く閉ざされていて錠がかかっていた。
周囲に人はおらず、お金を払えば入れてもらえると言っていたが、その前にまず支払うことができなさそうだった。
観光客がまったくいないのだから、それも納得だ。
しかししばらく座って休憩していると、どこからか女性がやって来て、「登る?」 と声をかけてきた。
価格を訊いてみると、「20元」
開平一の美しい楼閣ならば高くはない。

女性は鍵をどこかに取りに行き、また戻って来た。
鍵を開けながら、「どうやって来たの?」と。
「“車”に乗って来たよ」
あいまいに答えてみた。
「いくらかかった?」
「全部まわって500元、高い~」
「ああ、一日ね。…300元ちょっとから400元ちょっとがいいとこだよ」
そうか、やっぱり値切ってちょうどいい具合だったんだ。

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瑞石楼は内部も凝った意匠だった。
ここは写真を撮ってもいいと言ってくれていたので次々撮る。

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他の碉楼と同じように、背面に隠れるようにして階段が上へ続いている。
その階段へ続く一角に、このような神さまを祀るようなものが。
実は今までの碉楼にもすべてこのようなものがそれぞれあった。階段の下同じ位置にもあったし、そこだけでなく至る所に見つけることができた。
廟があるのではなくこのように壁に文字が描かれ、手前にお線香なんかが置かれているのみ。
他の碉楼のものはもっと簡素だったが、ここのは建物同様に色彩豊かに描かれていた。

どの部屋も扉にステンドグラスが使われていたり、天井に色で線が引かれていたり、今まで見た碉楼より豪勢な感じを受ける。

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天井から吊り下がるランプも、なかなか凝っている。

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ある部屋にはこのように(多分)子供用の椅子。
この部屋には中国式ベッドと乳母車もあった。

今まで碉楼を巡ってきて、数々の中国式ベッドを見てきたが、どのベッドも長さがとても短かった。
これでは足を伸ばせないのでは?なんて思うほど。
それから階段を登る際、天井の低さ。
当時の中国人はとても背が低かったのではないかと思います。
同じ東洋人の日本人がそうであったように。

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今まで建物の最上階には先祖を祀る廟があったのに対し、ここのものはこのように建てた一族の写真が祀られていた。

この瑞石楼は、香港の商人になった黄壁秀が帰郷して1923年に建てたものだそう。
3万香港ドル、二年の歳月をかけて完成した。
香港の華僑であればこの豪勢さ、仮想世界のような独特の空間というのが理解できる気がする。
香港は1997年までイギリスに統治されていた。

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ベランダに出てみると、とても気持ちがいい。とうとうお城の上に登ってきたみたいな気分。
こんな風景、いままで見たことがない。

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ベランダの角には、円形のでっぱりがある。
景色を見るためなのかなとか、建物の意匠なのかな、と思っていたけれど、見てみるとこのように穴が開いている。
これは、ここから下の敵に対し銃撃するためのものだ。
いわゆる銃眼で、ここだけでなく、あらゆる碉楼に多数これを見ることができる。
この碉楼の外観を思い出してみれば、これらの銃眼なんて外から少しも気づかなかった。
というのは、そこには美しい装飾が施されていたからだ。ただ綺麗に見せたいわけじゃない、そういう訳もあるのかも知れなかった。

美しいお城も、実は要塞だということを思い出す。
清朝末期の動乱も匪賊の横行も、平和な今を生きる私には想像ができない。
だから建造物を見ても、きれいだなとか、素敵だなとか、そんな感想になってしまう。
けれども、住居にこれだけ防衛の意識を見ると、無事に生きていることが当たり前ではなかった時代を思わずにはいられない。わからなくとも。
例えば、籠城を前提にした構造。あまりにも今の平和な生活からかけ離れている。
身の安全と生活は、自ら守らなければすぐさま失ってもおかしくないものだった。
実際に、開平ではそういう襲撃事件が起き、これら要塞は実際に活かされたのだそう。
美しさにばかり目が行ってしまうが、いつも危険にさらされていて未来の保証なんてどこにもない、そんな状況だからこそ、様々な衣装を凝らして美を追求したのかも知れない。

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先ほどの二棟を今度はこちらから。
九層もの高さを持つこの瑞石楼。

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このバルコニーの上にはさらに小さな部屋が最上部にあるようだったが、そこへ繋がる小さな階段は塞がって登れないようになっていた。

再び階段を下りて行く。
各階ごとに、第六層、第五層、といった風に書かれていて、それぞれデザインを異にしている。
色彩も鮮やかでステンドグラスと相まってわくわくした気分にさせてくれる。

まだまだ回るところがあるにも係わらず、時刻はもう16時だった。
それでもまだ私は、あと回りたい場所と日没までの時間が厳しいことに気づいていなかった。

下に下りると、先ほどの女性がまたふたたびやって来て鍵を閉めた。

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住居の合間を抜け、リヤカータクシーの待つ場所へ戻りながら振り返ると、まだ先ほどの碉楼の壮麗な一部が見えた。
観光客は他におらず、村民もほとんどおらず、まるで本当に不思議な世界に迷い込んでしまったような気がした。

入り口へ戻り、リヤカータクシーを含めた一帯の写真を撮ってから戻ると、
「気づいてたけど写真撮ってたから気づかないふりしたよ」
とおじさんは笑った。

⇒ 江門旅行二日目~開平碉楼・後編~ へ続く

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2016-01-24

江門旅行二日目~開平碉楼・後編~

先ほど行けなかった马降龙はあとにして、先に“赤坎古镇”へ行くという。
地図を見ると行って戻る形になるので時間ロスになるが、工事で道が寸断されていたのだから仕方ない。

锦江里をあとにして30分後、赤坎古镇へ辿り着いた。
この赤坎古镇、今まで見てきた農村とは違う。
一帯は小さな街になっている。
緑広がる田舎風景から、急に一転して古い建物がひしめく旧市街のようになり、リヤカータクシーの中から見とれてしまった。
一帯は田舎なので、旧市街という言い方は少し違うかも知れない。
あとでこの街の裏側をたくさん散策しよう!とわくわくした。

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いよいよ一番賑わう場所に到着して。
さあこれから、という時、リヤカータクシーのおじさんは言った。
「時間がないからすぐ戻ってきて」
時計を見てみると、16時半を過ぎている。
このあと、先ほど行けなかった马降龙と南塔へも行かなければならない。確かに時間はかなり厳しい。
「どれくらい大丈夫?」
「向こうに行って戻って来るだけ!」

この赤坎古镇、潭江によって南北に分かれている。
北側が写真に写る城市、南側が村になっている。

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今回はこの潭江沿いにお土産屋さんが建ち並ぶ表側を軽く見るだけ。
広州の西关大屋や江門でも見た、二階が飛び出て一階を覆いアーケードのようになっている建築様式。
二階部分にはレトロな鈍い色彩を持つステンドグラス。
「騎楼」といいこの辺りの特徴なのだそう。
厦門を訪れた時にも、こうした建築様式があり目を惹いたけれど、あの時には騎楼という言葉を知らなかった。
厦門は広東省お隣の福建省。少し離れるけども、繋がる部分はあるのだろう。

こうして近くに寄ってみると確かに中国なんだけれど、遠目にこの城市を眺めてみると、まるでヨーロッパのどこか古くて小さな旧市街をみているようだった。
ここはよくテレビの撮影なんかにも利用されるようで、おそらくここ数年でこんなふうにお土産屋さんや飲食店が並ぶ観光地になったのではないかと思います。
けれども、建物自体にはほとんど手を入れておらず昔ながらの街並みを楽しむことができる。

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奥まで歩いて行くと、時計台。
と思ったら図書館だった。
時計は正しく今の時刻を指している。

この図書館のすぐ横にはチケットがないと入れないようになっているエリアが。
よく見ると、その先は映画撮影地でした。
時間がないのでもちろん入場はしなかったけれど、向こうには様々な建築物が並んでいるのが見えた。

潭江沿いに並ぶお土産屋さんに小吃。
見たことがない乾燥植物、漢方のようなものも。

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おなかが空いたので、買ってみた。
烧饼、5つで5元。
急いでリヤカータクシーまで戻り、おじさんに「食べる?」と訊いてみたが「ありがとう、大丈夫~」

急いで出発。
今回の移動、常にガタゴト。
道が悪かったり、整っていない細道だったり、それでもタクシーだったらそんなでもないんだろうけど、ぼろぼろのリヤカータクシーは頻繁にバウンドし、しゃべることはおろか呼吸をするのも大変だった。舌を噛みそうになる。
メンテナンスがかなり心配になる車体。
悲鳴を上げていそうなエンジンに、どこかネジでも外れて放り出されるんじゃないかという座席。

次に向かうは後回しになった马降龙古村落。
主要ルートが通行不可能だったため、回り道。
長閑な農道のような小道をガタガタと進む。
南方の植物を見ながら。全然見たこともない何かわからない巨大な木の実も見た。

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道が悪い為か、注意を促す道路標識が絶え間なく続く。
制限速度20㎞。
けれどこれらの標識、それらしく見えるが全て手書きだった。うまく作るものだ。なんだかまるで小学校の出し物みたい。

马降龙までもう少しという時、リヤカータクシーは再び停まり、「どうするんだ…」というおじさんのつぶやきが聞こえた。
見てみると、緑広がる風景の中道路がカーブを描いて向こうに続いている。
そのカーブを全面的に作り直しているではないか。道路は出来たてで立ち入ることができない。
このカーブを曲がって行けば、目的地、马降龙古村落があるようだった。

「行けないの?」
そう訊いてみると、「歩いて行けるからここで待っている」 とのこと。
リヤカータクシーを降りて、作り途中道路の脇を進みながら行く。
この工事現場のすぐそばには川が流れ、橋が架かり、対岸には家々が見えた。
夕日が薄ら雲の向こうに見え、日没はもうすぐだった。

カーブを抜け進んで行くと、のどかな農地。
畑が広がり、様々な野菜が植えられ、それらはどこかに売りに出すものではなくてこの村で消費する為のもののようだった。

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ところどころで何かを燃やす煙が立ち上がり、その向こうには緩やかな山々が見えた。
なんだかまるで、日本の山間風景みたいだった。相変わらず存在感の南方植物を覗けば。

しばらく歩いて行くと村が見えて来た。

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家々がきれいに整列している。
前の広場には洗濯物や薪などが干されていた。

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建物の間にはこのように細い通路。ここを進んで奥に行ってみる。
この马降龙、五つの村が合わさっている。
表札を見てみるとこれはそのひとつ、永安村のよう。
古い住居はどれも立派でその中にひときわ立派な装飾のお宅もあった。
村と言えば、貧しいイメージ。
けれど開平の村々は華僑をたくさん輩出しており、裕福な人もたくさんいたよう。

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すぐに一つの碉楼を見つけた。
「天禄楼」
1925年にこの村の29戸の黄氏一族による共同出資で建てられたものなのだそう。
七層あり、一階から五階までに29の部屋があり、六階が共同部屋、七階が展望台。
夜間には各農民はここに上がり夜盗に供えたのだという。

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窓が閉められるとここを襲うものは登ることも進入することも不可能だ。
シンプルな壁面も、見上げてみると意外なところに装飾があったり。当時の村民の美意識を見ることができる。
1960年代には大規模な水害が三度発生しており、その際に農民はみなここへ避難し難を逃れたのだそう。

ここから進んで行くと竹林が続く。
鬱蒼とした林の中、いくつかの碉楼が姿を現すが、今まで訪れた村と違い、隠れるようにして存在した。
見つけては写真を撮るが、林の中に紛れている感じなので、なかなか全体を写すのも難しいくらいだった。

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こちらはその一つ、「昌庐」。
1936年に建てられたものだそうだが、どの国の華僑のものかはわからない。
その前に見つけた「骏庐」はカナダ華僑のものだったがどうだろう。
碉楼というよりは大きなお屋敷に見える。
これらにはもう人は住んではいない。

もう日は沈んでしまっただろうか。
残る目的地は南楼だったが、なかなか距離がありそうだった。
間に合わないかも知れないが急ごうとするも、竹林の中、道があちこちに続いているのですっかり迷ってしまった。
奥に続くいくつかの村を抜けて、少し開けた場所に出ると。

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「北门楼」
村の監視の為に建てられた簡素な建物。階段が上まで続き、銃眼もある。

急いで戻りたいのだが、各村とも似ているので迷う。

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整列した住居の壁面は、ほとんど剥がれているが赤く塗られていた…と思いよく見てみると、どれも愛国フレーズが書かれていた。
薄れてよく読めないが、「爱国家」とか「共产主义」とか。
文革時代に書かれたものだろうか。こんな場所にまで。

急いでリヤカータクシーに戻り、おじさんは猛スピードで駆け抜けたが、あと少しで開平市内という場所に位置する“南楼”へ辿り着いた時、すでに18時半、日は沈みだいぶ暗くなっていた。

それでも入れてはもらえたし、まだ完全には暗くなってはいなかったので、肉眼ではそれを見ることはできた。
ところが、私のカメラは光を一切感知してはくれず、何度シャッターを押しても意地でもカメラは作動してくれなかった。

この南楼、1912年に建設された七層もの高さを持つ碉楼。
開けた場所に目立つようにそれだけ建っている。
照射器などが設置された、防衛の為に築かれたもの。
日中戦争の際には、使徒7兄弟がここに立てこもり日本軍に応戦したのだそう。
8晩9日の抵抗の末、全員が戦死。想像を絶する。
その為に、ここはひとつの愛国施設、抗日の象徴になっている。
写真に写すことはできなかったけれど、壁面にはいくつもの銃弾の跡や破壊の跡を見ることができた。

「長距離バスターミナルへ行って」
最初に出発したところ、と伝えるもよく伝わっていないよう。
「江門へ戻りたい」 そう言うと、到着したのは行きとは違うバスターミナルの様子。そうやらもう一つ、长沙バスターミナルの方へ着いたみたい。
リヤカータクシーへ「500元だよね」 と値上がってしまった今日の料金を払おうとすると。
「違う、600元」
な、なんで。
疲れていたし、これ以上のやり取りをして嫌な気持ちで終わりたくなかったので、払う。なんてことだ。
でもあとから考えても、500元→600元についてはもう少し言い返しても良かったな、と思う。

バスターミナルで、自分が乗るバスのアナウンスがかかった。
すると、普通話のあとに広東語のアナウンスが。まるで現地語と英語、みたいな感じで。
19時40分発の江門行きのバスに乗り、ホテルに着いたのは22時。
インインに再び連絡を入れると、遅くなければそのままうちでお茶でもと思い息子さんと三人で起きて待っていてくれたのだそう。
…ごめんなさい。

さすがにもう行けないので、ホテルの部屋で昨日受け取った友人からの小包を開封したりしてから、一人周辺街歩きへ。

古い街並みはまだ人出も多く、賑わっていた。
この賑わった界隈からすぐ近くには、江門河が流れている。
その江門河に沿って提中路という道がある。
この辺りは、“长堤风貌街”と名付けられ、古い建築群が並び美しいのだそう。
ということで行ってみることに。

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確かに一直線に古い騎楼が並び、趣がある。
賑わった先ほどの界隈とは打って変り、人も少なく静か。
江門河沿いに飲食店なんかも少し並ぶ。
しかし、私は好きだけれど、「特に観光地」という感じでもなかった。
何故なら、このような趣、古さの建築群はこのあたり一帯にたくさんあったからだ。
一階に入るお店も、観光客に向けたものではなく、地元の人の必要品を売るお店。

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大きな橋が架かり、対岸はライトアップしてきれいだった。
日本人には「風情がない」と不評かも知れない。けれど、私は中国各地で見るこのわざとらしいライトアップが好きだ。
ちなみにここは「小広州」と呼ばれているのだそう。…自称、かも知れない。
私は、わざわざ広州の名を語らなくても、ここにはここの良さが十分にあると思う。

この长堤风貌街から、一歩裏に入って散策してみた。

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大好きな縁起物を売るお店。真っ赤だからすぐわかる。
都会ではあまり見ない。こうした古い街並みで出合うことが多い。
もう店じまいだ。

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賑わっているいくつかの通りを除いて、この辺りは真っ暗でほとんど人の気配がしなかった。
どこまでも続く騎楼建築は、なんだか終わりがないような気さえした。
オレンジ色にライトアップされるのも美しいけれど、こんな風に何も手を加えないそのままの姿も風情があるな、と思った。
こんな雰囲気もなかなか味わえるものではないなと思い、色々まわってみた。

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二階を支える「柱」には、一つひとつにこのように広告?が。
本日行ってみた赤坎古镇も、こんな風に現代版ではなかったけれど、柱には文字がたくさん書かれていた。
これがずーっと向こうに続く様はなかなか迫力がある。
何故かはわからないけれど、香港を思い出した。

夕食を食べていなかったので、繁華街に戻り、あろうことが重慶料理の小さな食堂に。

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そしてあろうことか、どこにでもある番茄鸡蛋面を。10元。
挑戦ではなく、とにかく間違いなく美味しいものが食べたかったのだ。
写真にはないけれど、食べたことのない鸭肠(アヒルの腸)も。食べきれないからと半分にしてもらった。こちらは15元から10元にしてくれた。
それから珠江ビールも。

ホテルに戻る前に、昨日もお世話になった一坪の商店に寄った。
「ミネラルウォーターと、ビールはどれ?」
おじさんは私のことを覚えているようだった。
「昨日はこれを買ったね。これはいらない?」
中国ではコンビニや商店で買い物をしても、頼まなければビニール袋に入れてもらえない。
それなのに、こんな小さな商店で、頼まなくてもおじさんはきれいな袋に入れてくれた。小さな驚きだった。

ホテルの窓の外は真っ暗で、ネオンも電飾もまったく見えない。
あるのはわずかにどこかの部屋の灯り。それさえも二つ三つしか数えることができなかった。

⇒ 江門旅行三日目~その一~ へ続く

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プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国四川省宜賓市にて生活を始めました。
旅行記に絞ったブログ、一つひとつは旅のあしあとです。

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