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2014-09-03

◇◇ 番外編 ◇◇

※各旅行記タイトルをクリックいただきますと、旅行記一番最初のページに飛びます。

香港旅行 2012年9月 〈特別行政区〉

❖観光地❖ 男人街、金魚街、天后廟、ヴィクトリアピーク、女人街


澳門旅行 2013年1月 〈特別行政区〉

❖観光地❖ セナド広場、聖ポール天主堂、モンテの砦、カテドラル、聖フランシスコ・ザビエル教会、聖ラザロ教会、ギア要塞


台湾旅行 2013年2月

❖観光地❖ 城隍廟、士林夜市、龍山寺、中正紀念堂、迪化街、故宮博物院
❖郊外観光地❖ 九份


シンガポール旅行 2012年1月 〈東南アジア〉

❖観光地❖ クンセン・ロード、チャイナタウン、セントーサ島、マーライオンタワー、マーライオンパーク、マリーナ・ベイ・サンズ、ラッフルズホテル


クアラルンプール旅行 2014年1月 〈東南アジア〉

❖観光地❖ ペトロナス・ツインタワー、スリアKLCC噴水公園、ブギッ・ビンタン、バトゥ洞窟、チャイナタウン、マスジット・ジャメ、ムルデカ・スクエア、スルタン・アブドゥル・サマド・ビル


サハリン旅行 2014年8月 〈ロシア〉

❖観光地❖ [ユジノサハリンスク(旧豊原)] 栄光広場、ロシア正教会、サハリン州立郷土博物館(旧樺太庁博物館)、旧北海道拓殖銀行豊原支店、鉄道歴史博物館、ガガーリン記念文化公園(旧豊原公園)、旧王子製紙豊原工場、日本人共同墓地、山の空気展望台
❖近隣観光地❖
[スタロドゥヴスコエ(旧栄浜)] 白鳥湖、旧栄浜駅跡地、宮沢賢治散策の海岸、
[ドリンスク(旧落合)] 旧王子製紙落合工場、ロシア教会

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2014-09-03

サハリン旅行一日目

2014年8月13日、新千歳空港よりロシア、サハリンへ3泊5日の一人旅です。

我ながら非常に忙しない日程ですが、今年は旅行を詰め込んでみました。6月に地元の友達と飲んだ時に、その友達も私に負けじ劣らず旅行をしていて、「こういうのもあり、だよね」と話し、勇気づけられ…。


本当に呼ばれていたとしか思えない。

サハリン、そこはかつて「樺太」と呼ばれていました。

私は樺太に特に何の思い入れもない。
それが今、サハリンという名になっていることすら、知らなかったほど。
あとから考えれば、私がこの地を訪れる意義というのは多々あり、けれども旅行を決めた時には何も考えずにまるでひらめきのように、それが浮かんだのでした。

午前の便で、羽田空港から新千歳空港へ。

日本から直接サハリンを訪れる場合、大きく三つの選択肢がある。
① 新千歳空港からのフライト
② 成田空港からのフライト
③ 稚内からのフェリー
いずれも便数が少なく、社会人には旅程を組むのが難しい。
①~③を組み合わせるやり方もあるし、ウラジオストクで乗り継ぐ方法もある。
私は往復ともに新千歳を利用することにしました。

オーロラ航空、HZ152便で13時10分発。

チェックインカウンターには数人のロシア人の他、ご高齢とみられる方を連れたご家族が2組ほど。それぞれ、お孫さんまで一緒だと思われる大人数。
きっと昔、樺太に居住されていて、思い出の地にご家族が連れて行ってあげるのかな、と思った。
ロシア極東は、どうしても旅費が高額になる。それでもなお、「みんなで行こう」というのだから、想像してとても温かい気持ちになった。
それにしてもお盆休みだというのに搭乗者が少ない。

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プロペラ機でした。狭い機内に旅の期待が高まった。
プロペラの騒音と揺れに、北海道からは「ちょっとそこまで」なんだな、と実感。静岡から札幌への方が、距離がある。


樺太、古くから日本人、ロシア人が移住し歴史を紡いできた島だ。

1875年、樺太千島交換条約により、樺太を放棄することによって日本は千島列島の領有権を得たが、日露戦争後ポーツマス条約により、北緯50度以南が日本領に。
多くの日本人が移住し生活していたけれども、第二次大戦後ソ連領となり、その多くが帰国した。

その後長い間、一般人の渡航は許可されなかったが、戦後50年を経て航路が復活し、訪れることが可能になった。
しかし、手段といい費用といい、手軽に訪れることができる行先ではない。
自由に旅行がしにくいロシアということもあり、未だに「近くて遠い」場所なのだと思った。


当然、機内食が出るようなフライト時間ではないのだけれど、飲み物を尋ねられた時、恐る恐るビールと言ってみた。
どう見てもビールの用意はなかったのだけれど。
CAさん、「あるわけないじゃない」みたいな感じ。
隣りの席のロシア人美女も、こちらを見て「Beer…!?」 信じられない、というふうに目を丸くした。
ちなみに機内のアナウンスもCAさんも、「安全の案内」も、みなロシア語のみだった。英語が一切ないことに驚き、またわくわくした。
私はロシア語は全くわからない。
キリル文字もなんにも知らないし、数字も挨拶すらもわからない。スパスィーバ以外の言葉を一切知らない。
いくらなんでも…と思い、少しは勉強して行こうとも思ったけれど、それができるならば今頃私は中国語が堪能なはずなのだった。

飛行時間は1時間20分ほど。
やがて、窓の外にサハリンの街並みが見えてきた。
写真を撮っていたら、隣りの美女、「あっちの方がキレイだよ」という風に後ろの窓を教えてくれた。

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サハリンの広い大地の中で、今回私が訪れるのは州都ユジノサハリンスク。
Южно-Сахалинск。読めない~!
ユジノサハリンスク空港に到着したのは、16時30分。時差にして+2時間。
ちなみに中国は全土統一で-1時間。それに慣れているから、日本と経度がそう変わらないサハリンが+2時間であることに違和感がある。

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ユジノサハリンスク空港は、とても小さな空港。
到着ロビーに出ると、すぐに私の名前の紙を持った女性が目に入ってきた。

ロシアは短期の観光であっても、ビザが必要。
事前にパスポート原本や旅程、ロシアからの招待状、申請書を揃え大使館に出向かなければならない。つまり、私が個人でそれをこなすことは無理だった。
空バウチャーを使って裏技でビザを申請することはできないわけではないようだけれど、そういうことは旅慣れしロシア語が堪能でノウハウを持っている人がすべきことだ。
極力自分で旅を組み立てたい私だけれど、無理なので、ロシアに特化した旅行会社に代行を依頼しました。
そしてホテルー空港間の送迎と、15日に別の街を訪れる際に、ガイドさんをお願いしてありました。

ロシアは、旅行するのには少し特別な国かもしれない。
英語は通じないし、他国に比べ自由に制約がある。ちょっと厳しい雰囲気もある。個人自由旅行というのも、”基本的には”できないようだ。
けれど私にはそれもまた魅力に映った。

出迎えに来てくれていたのは、ターニャさんという若い女性。
すごく大人びているのでベテランさんかと思いきや、現在大学生でアルバイトでガイド役を引き受けているとのこと。日本語は勉強中のようですが、大学1年から初修してここまで会話ができれば素晴らしいものだと思います。
それにしてもロシア人はみな本当にキレイ。目が綺麗、髪が綺麗♪

「何か聞いておきたいことはありますか?」
そうだよね…と、レストランで気を付けるべきことや、バスについて聞いておく。
「そうそう、夜は危ないですか?」
夜歩き大好きな私なので聞いてみるも、日本であってもどこであっても「夜道は危険」以外の答えがあるだろうか、と思うけれども。
「うーん、どうでしょう!?」
大丈夫そうです。
地球の歩き方を読んでいたら、「爆発音がしたらただちに床に伏せ」だの、「早道で歩く」だの、「ネオナチに注意」だの書いてあるから、え~!?と思っていた。ネオナチって!けれど、実際はサハリンは治安の良い街でした。
中国であれば、どういうところに危険があるのか、どういう点に注意をすべきなのか、警戒すべきなのかを察知するアンテナはだいぶ精度が上がってきたと思う。まだまだですが。
どの国にもそれぞれに危険はあり、ようはその国に適した危険察知アンテナを持っているかどうかが、その国がどうとかよりも身を守るのに重要なことだと思う。

「それでは、明後日16時に待ち合わせしましょう」
ターニャさんにいったん別れを告げ、ホテルに荷物を置き、街歩きに出ることにした。

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ホテル前の大通りは工事中で、市場らしきところを迂回し進む。
カラフルな建物に英語が一切ないロシア語の並び、それがなんの建物なのかもわからない。わくわくでいっぱいになっていると、韓国人か朝鮮人と思われる男性が話しかけてきた。サハリンには韓国・朝鮮人も多いのだそう。
日本人だと答えたりしていると、突然抱き付いてきた。その密着度が普通ではない。窒息するかと思った。笑顔なので、何か理由があるのかとも思ったけれど、何かが変だった。
とりあえず逃げることにしたのですが、隠れたり巻いたり、20分以上。あまりのしつこさに「もう、やめてよ!」
私の危険アンテナは「?マーク」を示していた。

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ロシアは初めて。
ただの何気ない道なのに美しく見える。

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サハリンにはこのようにカラフルにペイントされた建物がたくさんたくさんありました。

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地図とにらめっこしながら、ユジノサハリンスク駅前の広場に出ました。とにかく道路が広い。
遠くに見えるのはレーニン像。小さく見えますが、近寄るとものすごい大きさ!
駅までのどかな雰囲気の公園が続いており、地元民がくつろいでいました。

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噴水あり緑あり花があり、その向こうには駅舎が。
ユジノサハリンスクの街にはどの通りにもベンチがたくさんあり、人々がいつも休み、その風景はとても和やかなものでした。そして街歩きに優しい♪

再び地図を片手に駅前の大通り、レーニン通りを歩いていると、ロシア人の男性が笑顔で声をかけてくれました。
「どうしたいの?」といったふう。
「今、この地図のどのへんですか?ここのスーパーに行きたいんですけど…」
一緒に来てくれました。
今回の旅行を通して感じたことですが、サハリンの男性は女性に優しいですね。自分が女なのでそう感じるのかもしれませんが、ちょっとしたシーンでとっさの気遣いがあったりして、そしてとびきりの笑顔つき。
一方、女性はこちらから頼めば嫌な顔せずに面倒みてくれる。
サハリンの人の優しさには、4日間、本当に感動でした。

レーニン通りを駅から南に歩いていくと、0時までやっているスーパーがあり、ここは品揃えも豊富で便利でした。なんといってもお惣菜コーナーが本当にどれもおいしそうで!おなかぺこぺこだったから、我慢するのが大変でした。
豊富だったのは、チーズなどの乳製品やサーモンやニシンの燻製や酢漬け。専門店かと思うほど。
それから、何といっても、お酒コーナーの充実。ウォッカがずらり!!

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やはり、ここまでくるとトラウト系の魚ですね。トラウト大好き♪

初日にも関わらず、すでに大量の商品が買い物カゴに。
お菓子なんかはパッケージがどれもかわいくて迷ってしまう。

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たくさん買い込んでしまう理由のひとつ。
このように手持ちの部分が長く伸び、引きずりながら買い物をすることができる。カゴの下にはローラーが付いている。
楽ちんだから、たくさん商品を買い込んでしまう。カートより動きやすいし、日本でも採用したらどうだろうか。

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スーパーを出ると、少し日が暮れてきた模様。
けれどこれでも、なんと20時半を過ぎているのです。+2時間に悩まされる。
明るいけれど、ぐずぐずしていると食事をするお店が閉店してしまうため、近くのカフェレストランへ。ターニャさんおすすめ。

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ここのお店がいいのは、出来上がったものを見てトレーに載せていけること。学食みたい♪
どれもロシア料理。ロシア語が全くわからない私にとって、目で見て選べるのはありがたい。
パンに前菜にサラダにスープ、メインにデザート、飲み物…、ついついたくさん。

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ロシアに来たらやっぱり黒パン。
メインは、ポークの串焼きに左がサーモンとトマトのチーズ焼き、右が鶏のつくねみたいなものを焼いたもの。
どれも、香草がかなり効いていました。
それからロシアビール♪
瓶をみな豪快にラッパ飲みしているので、私もそれに倣う。

ロシアではブリヌイと呼ばれるクレープが名物なのだそうで、ぜひ食べてみたかった。
ちゃんとデザートコーナーから選んだのに、わくわくして食べてみたら、中からは炒めたキャベツが…なんで!?

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ホテルでは缶ビールを。
大きく記された数字は度数のランクを表すようで、先ほどは‟3”でした。‟3”で4.5くらいだったような。
こちらの‟7”は5.5くらいだったかな。

それにしても、もうすぐそこまで冬が訪れてきているような、寒さ。

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2014-09-03

サハリン旅行二日目~その一~

2014年8月14日、8時に起床とはいっても日本時間では朝6時ということになります。
今日もまた、涼しいを通り越して寒い。
道行く人は、ダウンやレザーのジャケットを着こんでいた、のに私は…。
一方、ノースリーブでミニスカートのワンピースにハイヒールという女性もいたから様々。

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工事を避け、昨日と同じく市場を抜ける。
同じような業種のお店が並ぶところは少し中国と似ていて、社会主義の名残を見たような気がした。

まずは徒歩で、市街地を東に進み、“栄光広場”へ向かいます。
ユジノサハリンスクは州都とはいっても小さな街。
市街地には大通りが碁盤状に交差し、それらを把握していればどの行先に向かうにも役立ちました。

駅前からまっすぐ延びる大きな通り、コミュニスト通りを東へ。

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この街で面白かったのは、交差点はこのように大きいのに、その道路標識はこんなふうに簡素であったこと。
電線にぶら下がっているような感じ。
また、車の運転は比較的荒く、時々映画で見るようなカーチェイスのような運転をする車にどきりとする。
音を立てて走り過ぎる車にひやりとするけれども、どの車も歩行者が横断歩道で渡ろうとしていれば、すぐに停まってくれる。
日本だって譲り合いの文化だけれど、ここユジノサハリンスクにはとてもかなわないと思った。とても優しい街だ。

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こちらはバス停。
こんなふうにしっかりしたバス停から何にもないバスマークのみのものも。

徐々に街から外れていくと、通りの突当りに戦勝記念碑が見えてきた。“栄光広場”です。

大きな司令官の像の横には、銃で撃たれた瞬間の兵士と出撃する瞬間の兵士の像。
撃たれた瞬間の像って、日本では考えられないですよね…。

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その後ろには、戦争に身を捧げた人の名前が文字順に。
平和を祈る炎の後ろで揺らめいていた。明日は終戦記念日だな、と思った。

この栄光広場が何かというと、ここはかつて“樺太神社”でした。
ここユジノサハリンスクが「豊原」と呼ばれ、日本領だった時の話です。

この戦勝記念碑のすぐ横に、旧参道が奥に続いていました。

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こちらが、当時の参道。

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今ではすっかり違う風景ですが、同じ場所であることがわかる。

今日は、朝食もお昼も摂らずに「行動食」でいくつもりです。
昨日スーパーで購入したもの。

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パンみたいなものかな、と思いきや、歯が折れそうなくらいに硬い。奥歯で砕きながら。
この街にはハトが多い。すぐさまハトがこれを目当てに集まってくるけど、この硬さでは無理です。

こうして少し力をつけたところで、この旧参道をまっすぐ進み、階段を登ってゆくと、ふたたび戦争記念碑が姿を現した。

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その横には本物の戦車が並んでいる。

ここが行き止まりで、写真では見にくいけれどこの先には、今では神社とはまったく関係のない洋館が建っていた。
よじ登っていけばその洋館までは行けるのだけど、さすがに戦争記念碑の裏をよじ登る気にはなれなかった。

下に降りていき、横の遊歩道に逸れていくと、悲痛な表情に顔を歪めた女性像があった。戦争の苦しみを表す像だ。その手はきつく衣服を握りしめ、全身で訴えていた。
その後ろには、先ほどの記念碑の横に並んでいた戦車が遠くに見えた。

栄光広場をあとにして、ふたたびコミュニスト通りを西へ戻る。
すると右手に美しい教会が見えてきた。“ロシア正教会”だ。

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天気は怪しく、少し霧雨になってきた。
うろうろしていると、近くにいたおじさんが「あっちから入りな」というふうに指さしてくれた。

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とても厳粛で美しい教会だった。
私はこのような本格的な教会を訪れたことがない。
言ってみれば、マカオを旅行した時の教会の数々がそうだったかもしれないが、それらは中に入ることができなかったし、入ることができても写真撮影ができなかった。ミサをしていた為だった。それに、観光地色が強かったから。

お勤めの女性に「写真撮ってもいいですか?」と聞いてみた。
どうぞ~といった感じ。真剣にお祈りにきている人たちがいる中で、ありがとうございました。

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飾られている美しい宗教画の数々。イエスにマリアに…。
それらの前にはきらめくようなロウソク台が吊り下がり、訪れた人が真剣に祈りを捧げていた。

宗教に美術はついてくるものだ。それは、人々がいにしえより何かを祈ったり信じたりするその源泉が美しいものだったからなのだと思うし、またその信仰を貫くためにはそれを主張し誇示する必要があったからなのだとも思う。そして、信仰の先にあるものは、美しいものでなければならなかったのだとも思う。
それなのに、というか、それだからこそ、今も昔も宗教の周りには血が絶えなかった、ということを考えた。

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教会をいったん外に出て、回りこんで横手の扉から地下に降りてみると、売店があった。
イエスやマリアの荘厳な宗教画やイコンは、金や宝石で煌びやかだった。
ロザリオもたくさん売られていて、それらはどれもイエスを象っていて、お土産というよりは信仰の為の売店だった。
この青い十字架、なんてきれいなの!と思い一目惚れして値札を見てみたら、130000p(1ルーブル=約3.5円)という驚くべき価格だった。ゴールドも宝石も本物に違いなかった。

教会の敷地を出ると、霧雨は止んでいました。

⇒ サハリン旅行二日目~その二~ へ続く

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2014-09-03

サハリン旅行二日目~その二~

ロシア正教会を出ると、そのすぐ先には“サハリン州立郷土博物館”がありました。
かつてこの街が「豊原」と呼ばれていた日本時代、樺太庁博物館だった建物をそのまま利用しているものです。

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サハリンを訪れた人が必ず立ち寄る場所だといえます。
お城みたいな堂々とした建物。重厚な銅製の扉には菊の御紋が象られていた。

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入り口に配されているのは、旧樺太神社の狛犬。こんなところに引っ越していたのですね。

入場70p、ところが写真撮影をしたい人は追加で100p払わなければいけない。
そんなやり取りをしていると、一人旅の日本人男性が入ってきた。実は先ほどの栄光広場でも見かけていました。
サハリンは、一人旅が合う。

入り口からすぐ右手には、サハリンの自然を紹介した数々のはく製の展示室。
鳥類はフクロウから渡り鳥から、それから雀まで。
そしてオホーツク海に生息するカニや深海魚から鮭。トナカイ、雪ウサギ…。サハリンはとても自然豊か。

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中央には巨大なヒグマ!
右に写るヒグマは体長3mに及ぶのではないかと思われた。

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そのすぐ脇にはヒグマの分布図。
熊の絵はなんだかかわいらしい。
私はヒグマが好きで本も読むのだけれど、ヒグマはツキノワグマなどとはまるで比較にならないほどの凶暴性を持っている。地上で最強の哺乳類動物だ。しかしその生態は窮地に追い詰められ、頭数はどんどん減っている。
このサハリンのどこかにも、ヒグマはいるんだ。

ところでこうしたサハリンの周辺図には、合わせて北方領土が記載されている。
新千歳空港で流れていたニュースでは、北方領土でロシアが軍事演習を行い始めたことを報道していた。

実は今年の5月、友人との旅行候補地に、私は北方領土を提案していました。
ところが調べていくうちに、ちょっと行くのが大変だなということで、案は立ち消えた。時間的な問題と金銭的な問題があった他に、ロシアのビザを取得して渡航するのには、どうも外務省に盾つくようでバツが悪かった。

ここサハリンに来て、当然と言えば当然かも知れないけれど、北方領土はロシア以外の何でもない、といったふう。
そして新千歳空港には、「北方領土は日本の領土です」 と明示したポスターが貼ってあった。

はく製の展示室を出て、反対側へ。
そこはアイヌに関する展示室。

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狩猟に使った道具から衣類。
衣類はどれも毛皮を多用していて、それらを見るだけでここがどれだけ厳しい冬を迎えるのかを感じた。
そして驚くべきは、それらの展示にはそれぞれ実際のアイヌ民族の写真も合わせて展示されていたということ。
これらのことは、けっして大昔の話ではないんだ。

アイヌの展示室を回っていくと、最後に熊狩猟の展示があった。
狩猟に使った道具、熊を捕えておく太い首輪。熊狩猟の儀式を表した小さな模型。

8年ほど前に、アイヌの熊狩猟、最後の継承者である方の談話を活字化した本を読んだ。
アイヌにとって熊は神と同義であったこと。
狩猟には儀式があったこと。
熊狩猟の技術の難しさと厳しさ、孤独さ。
その方の人生から得た知識と経験。
それから、ヒグマの恐怖。
夢中になって読んだその本を思い出した。

博物館を二階に上がると、そこには、戦争の歴史と樺太時代の展示がされていた。

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左は日本領だった南樺太の地図、右は旧豊原(現ユジノサハリンスク)の当時の地図。「西山靴鞄店」の広告なんかも見え、本当に昭和の日本だった。
手元のユジノサハリンスクの地図と比べてみると、符合して面白い。
樺太神社もあるし、駅舎も同じ場所にある。なんと、刑務所の場所も現在のものと同じだった。
中央にある標石は、かつてのロシアと日本の国境、北緯50度線上に置かれていた4つのうちのひとつ。
「大日本帝國 境界」の文字。

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ヤマハのオルガン、とってもレトロな文字。静岡、浜松市はピアノの生産量1位です。
本当にここはかつて日本だったのですね。

日本時代の建物残る郷愁感、なんて言うけれども、現在ここサハリンはすっかりロシアだった。
個人的な感想だけど、日本時代の面影を見つけることの方がなかなか難しいように思えた。
空港に降り立ったとき、「おばあちゃん、懐かしい?」と訊ねるお孫さんの声が聞こえたのを思い出した。
「うーん、よくわかんないねぇ」 おばあちゃんはそう答えていた。

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二階に上がって中央にある部屋は、他の展示室と違って日本の雰囲気を残していた。
中には江戸時代の樺太の地図や間宮林蔵の絵などが。

この博物館はまるで、サハリンがロシアの領土になったということの象徴のようだった。

ここサハリンに縁がある日本人の他に、観光で訪れる外国人がどれだけいるのかわからない。
日本人であっても、サハリンを訪れたことがある人はかなり少ないのではないかと思う。ましてや他の外国人が訪れることはほとんどないのかもしれない。
けれど、一番の観光ポイントであるこの博物館にさえ、いっさい英語表記はなかった。まず、アルファベットを見つけることがない。まるで、英語を使わないというよりも、使うまいと固く誓っているかのようだった。
おかしなことを言うようだけれど、私にはそれがすごく嬉しかった。

博物館を出て、このあとどうしようかと、ふらふら適当に歩き始めた。
途中、軍服を着た人が多いなぁと思っていたら、大きな軍施設に出合った。こうした建物はもちろん撮影してはならない。
今朝、昔活躍した戦車を見たし、そうした古い戦車はところどころに「展示」されていたけれど、ここのは現役だ。
こうして適当歩きを繰り返し、市街地北の大通り、サハリン通りに出た。

ショッピングセンターのようなものがあったので、入ってアイスを食べたりお茶を飲んだりしてみた。
サハリンでは「Tea」というと「Green tea?」といつも聞き返された。日本にゆかりがあるから!?
そうしていると、日本語が聞こえてきた。
「ここで、こんなふうにアイスを食べたり買い物をしたりできます」
ロシア人ガイドだった。見ると、飛行機で一緒だったおじいさんを囲んだ大所帯の皆さんだった。
こんなふうにアイスを食べている私は日本人だよ~と心の中で。

ちなみにサハリンの商業施設のお店では、商品は皆どれもガラスケースで覆われていて、商品を手に取って見るには店員さんに出してもらわなければならない。
そんなところにも、ひとつ特徴がありました。

見上げると、さりげなく壁に掛けられた時計はマトリョーシカだった。カワイイ♪

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ふたたび大通りへ。

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サハリンにはペットショップがすごく多い。
ペットショップだけでなく、ペットフード専門の小さな売店なんかもちらほら。
しかもそれらが並んでいたり。

こうしてサハリン通りを西に進み、ユジノサハリンスク駅前のレーニン通りにぶつかった。
レーニン通りを南下すれば、昨日うろうろした辺りに行きつく。この街は小さな街だからこうして歩いて楽しむことができる。歩くのが苦痛でなければの話だけれど。

2014081423.jpg

こちらはレーニン通りにある“旧北海道拓殖銀行豊原支店”。
現在は、美術館になっています。ユジノサハリンスクに残る数少ない日本の史跡のひとつ。

やがて、ユジノサハリンスク駅に。

⇒ サハリン旅行二日目~その三~ へ続く

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2014-09-03

サハリン旅行二日目~その三~

駅の辺りに鉄道車両が展示されたところがあるということで、探してみた。

駅に対して右に曲がると、現在使われている線路のすぐ脇にありました。

2014081424.jpg

こちらは現役の車両。
日本にはないようなカラフルさ、そしてなんとなく懐かしいような車体。

見たことのない車両ばかりだな~と思いながら観察していると、ロシア人おじさんがどこからともなくやってきて話しかけてきた。

以下、おじさんは全てロシア語。私は日本語に加え、一部拙い英語、での会話になります。
よって、会話はまったく成立しておらず、それにも拘わらずこれから2時間にも亘って私たちはしゃべり続けました。それはなかなかすごいことでした。
何しろ、おじさんは構わずロシア語でマシンガントーク、一方私は単語ひとつ理解していないのですから。
ですので、以下の会話はすべて「推測」であり、正しい情報でないことを書いておきます。

2014081425.jpg

入ってすぐにあるのはこちら。
黒い車両は説明盤に1937年の説明が。このように一つひとつ説明盤が置かれていますが、ロシア語なので、数字以外いっさい理解できず。
このトンネルみたいのは何~??
「これはね、こう、ガッガッって。これで削ってトンネルを掘ってくんだよ」
おじさんが大きく手を動かしながら説明してくれた。「え~!!すごい!」
おじさん、一つひとつ、私の写真を撮ってくれる。「ほら、ここ登ってこっち向いて~」

2014081426.jpg

何!?これ。
日本の地下鉄建設のドキュメンタリー映像を見たことがある。地下のトンネルを掘り進めるのは非常に困難なことだった。
あの時の、地下トンネルを掘る重機に似てる。

「ここが、こう回るんだよ。これでガッガッって掘ってくんだよ」
そうして車体の扉を開け、中に入れてくれた。
おじさんが先に上り、手を差し伸べてくれる。歴史ある展示物でしょ!?いいのかな…。
おじさんは、そんなこと構わず「えいっ!」とばかりに接合がうまくいっていない硬い扉を無理やり閉めた。
この時点で、おじさんはすっかり、私専属のカメラマンのようになっていた。

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これも何!?戦う車両だろうか。強そう。
「ここのレバーを動かすと、ここが開くんだ」 おじさんが両手を羽のように動かした。
どうやら左右に羽があり、それが開くようだった。
それにしても、ここに展示されている列車はみな“働く車両”系みたい。

「こことここに足をかけて。ここは動くからかけちゃダメだよ」
おじさんが先に上って引っ張ってくれる。最後には子供のように担ぎ上げられてしまった。
日本では初対面でこれはあり得ない。
しかし、私には強く伝わってきたものがあった。「このおじさんは、鉄道が好きで好きでたまらないんだ」
そして、大好きな列車を見に来てくれたお客さんに、楽しんでもらいたくてたまらないのだ。
ここにきて、このおじさんがただの通りすがりではなくて、ここの関係者であることがわかってきた。

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車両内部に登ってみると、こんな感じ。
ここでも運転手さながらなポーズで写真を撮ってもらう。
それにしても、どんなことをする“働く車両”なんだろう。

2014081429.jpg

こういうのはイメージ通りの車両。
他にもたくさんの列車が並んでいた。ショベルカーみたいのや、大きいクレーンみたいなの。タンクみたいなの。
ショベルカーにも乗せてもらえて、外から写真。まるで、車大好きな子供みたい。
よくよく考えてみるとこれらみな、車じゃなくて線路を進むものなんです。
年代はだいたいどれも戦中~60年代くらいのものだった気がする。それらを塗り替えて展示してあるのです。
中には「架線注意」と日本の表記が入った車両も。おじさんによると、日本から寄進されたものなのだそう。

一番奥まで進んでふたたび戻るとき、各展示車両の前に置かれた説明盤をおじさんは回収していく。
私も手伝わなきゃね、と持とうとすると、「ダメダメ!持たなくていいよ!」
そんなわけにいかないよ、私、力には自信があります。
けど、ひとつがかなり重い。二本が限界だったうえに20mも持たなくて降ろしてしまった。
おじさんはそれらを何本も抱えていく。
こうして閉店作業です。

こうして展示区域を出ると、おじさんは駅舎近くの建物に私を連れていった。
ジェスチャーで、ご飯食べるしぐさと寝るしぐさ。
???ここはおじさんが住んでるところ!?
「私、もう行かなければいけません」
けど、おじさん、どうしても入ってほしいというふう。
あとからわかったのですが、ここは鉄道資料館で、もう時間は過ぎているけど入れてあげるよ、ということだったのでした。
ご飯食べるしぐさと寝るしぐさは、休憩時間、つまり資料館がお休みしていることを伝えたかったらしい。わかんないよ~。

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鉄道好きにはたまらないと思います。
鉄道に特に興味がない私であっても、夢中になって見てしまうような資料や写真がたくさんありました。

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ここには、展示車両の往時の姿を映した写真も数々あり、それらを見てようやくわかったのでした。
あのドリルやトンネルを穿つような羽をもった車両は、みな激しい積雪をかき分けるためのものだったのです。
どんくさい私は、てっきり山肌を掘るものだと思っていましたが、車両は線路の上を進むのだから、そんなわけないのです。

展示物を一つひとつ説明してくれるおじさん。
「これはね、レールの幅を測るもの。ロシアはこのくらいで、日本はこれくらい」
日本の方が幅が狭い。
日本のレールをロシアの車両が走れるように、幅を変えているんだよ、とひとつの写真を示しながら教えてくれた。

おじさん、しきりに名前とか誕生日とか何しに来たとか、聞いてくる。
見てみると、ノートには過去たくさんの来訪者の名前が記帳されている。私の名前もその最後に。From JAPAN、SHIZUOKA の横に、富士山の絵を描いておきました♪

おじさん、しきりに明日の予定を聞いてくる。そして、明日同じ時間に来てと。
どうやら、パソコンに収められている数々の写真のデータを私にあげたいとのこと。
明日は列車に乗って出かけるし、明後日には帰国してしまうんです。おじさん、困った、困ったー!というふう。
デジカメのSDカードは空きを残しておきたいし、スマホのSDカードはアダプターがないしな…と思っていると、テレパシーが通じたのか、「そうだ!」とひらめいた表情で、おじさんがアダプターを持ってきた。
SDカードに膨大な写真の一部を転送してくれる。
パソコンにはおじさんの息子さん三人の写真が壁紙になっていた。
「長男は結婚して子供がいてね、真ん中は独身、三人目はパイロットの学校に通っているよ」

おじさんがくれた写真の中から。

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雪の中を進む列車。

Nishiichijo dori Toyohara1946

戦後間もない豊原(現ユジノサハリンスク)の街並み。

真岡ループライン

真岡のループライン。
真岡は現在のホルムスクで、ユジノサハリンスクから西にある、大陸側に面した街。
このすごいところは、鉄橋から山の中に入っていきループして下のトンネル出口に出るところ。おじさんが説明してくれました。当時、そんな技術があったなんて。

おじさんはたくさんのことを教えてくれた。ロシア語がわからないのに、その内容はなかなかのものだった。
ここには書ききれないほどの会話ややり取りをした。
なんだかんだいって通じる部分があったのは、それはきっと、おじさんの鉄道への愛情が強かったからなのだと思う。
転送してくれた写真の中には、この車両展示場を作っている時の写真や、おじさんがテレビの取材を受けている写真、鉄道大好きなお客さんの写真もあった。

もし、鉄道大好きで、サハリンを訪れる機会があって、ロシア語がわかる、という三拍子揃った人がいたら、ここには是非訪れてほしい。
展示物や資料もさることながら、このおじさんに是非会ってほしいと思う。

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これが駅舎横にある、鉄道資料館。
知らなかったら、ここがまさか資料館だとは思わない。

おじさんと一緒に戸締りをして、資料館を後にした。
言葉がまったくわからないのに、一生懸命伝えてくれてありがとうございました。
ここまでのことをしてもらって、なんとここが無料なのだから驚きです。

ひとりになって、駅前の広場で休憩。

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今朝の栄光広場にもありましたが、いたるところにこのような錠前が架けられている。
「恋人の錠前」です。
さまざまな錠前が架けられていて、二人の名前や日付が刻印されている。見るとけっこうどれも最近。先週とか先月とか。何かの流行?

私がユジノサハリンスクの街並みが好きで、そして自分の好きなスタイルで旅行ができているのは、この街が巨大都市ではなくて、生活感溢れる素朴なところだからだと思う。

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高層ビルなんか一つもなくて、外資系のお店もほとんど見られない。
道行く風景はどれもこんなふうに、生活の風景だ。
年月を感じるこんな住宅に、温かい営みを感じた。
この街はまるで水彩画のような風合いを持っていると思った。

今夜の夕食は、あるレストランに決めていました。
地図で確認して探すも、みつからない。おかしいな…住所としてはこの辺りなんだけど…。
なんどもぐるぐるして、諦めて、犬の散歩をしていたきれいな人に尋ねてみた。サハリンの女性は本当にキレイ!
すると、一緒に探してくれるとのこと。
「ここがチェーホフ通りで、ここがポポーヴィチャ通り、ここなんですけど」
わからないわけで、団地の中に入った中にありました。

レストランに入ると、竹久夢二の妖艶な暖簾が。ロシア料理店なのですが。
なぜか雰囲気にとても合っている。

せっかくなのでロシア料理が良かった。ガイドブックのロシア料理のページを開き、「この料理はどれですか?」なんて聞きながら注文。

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黒パンはお決まり。前菜はニシンの酢漬け、でもまさかこんなに量があるなんて…。
スープは、アクローシカという冷製スープ。これもまたとっても香草が効いている。これに別添えのスメタナ(ヨーグルトみたいなの)を加えていただく。
メインはサーモンのメンチカツみたいなもの。
そして、昨日失敗したブリヌイをデザートに。何もつけない生地にクリームチーズを添えて。
シンプルなのは味に自信があるから。とってもおいしかったです♪
白ワインをお替わりしながら。

ホテルからは朧に上弦の月が見えた。
異国では同じ月も違った情緒があって、ビールのいい肴になる☆

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⇒ サハリン旅行三日目~その一~ へ続く

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プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国四川省宜賓市にて生活を始めました。
旅行記に絞ったブログ、一つひとつは旅のあしあとです。

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