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2020-05-31

宜賓散歩~春のおとずれ~①

2020年3月19日、中国へ帰国してから三週間と少し、隔離施設から自宅へ戻り六日目がたったある日のこと。
天気予報を見るとこの数日は好天が続くようで、18日19日と宜賓では珍しい晴れマークが並んでいた。もう数日前から決めていた外出だった。

宜賓はもともと曇りや小雨が多く、青空のかけらも雲間の星も、なかなか目にすることができない。
冬には乾燥した空気が南アルプスを越えやってきて快晴の毎日があたりまえだった静岡に暮らしてきて、この宜賓の真っ白な空はときおり私を激しいホームシックにさせる。
しかしそれでもどうしたタイミングか、突然に青空が広がり始めたり、また晴天が続くことがある。
そうした時には、もうどうしても手放したくないような一日を得た気になり、それだけで今晩はごちそうを食べよう、なんて気持ちになったりする。
空に現れるその色彩は、私にとって現実に見ることのできる夢だった。

宜賓の冬は早いそうで、昨年の9月、中秋節を迎える頃にはもうすでに夏服では出かけられないような寒さが、日に日に頻度を増してやってくるようになった。
その一方で春もまた早いのだろうか。
3月半ばになりもうすっかり春の陽気で、コートなんてとんでもない。
開発が始まったばかりの味気ないマンション周辺であるけれども、そんな中にもあちらこちらに鮮やかな色彩が花開き、蝶が舞い、鳥がさえずる。
それはなんだか突然差し込んだ希望の光のようにきらきらとしていて、そのために天が采配した晴れの日みたいだった。
封鎖された街、閉じ込められた日々。
それらと戦う人々。
静かにじわりじわりと忍び寄り、そして一気に飛びかかった、未知の病。
宜賓はもともと感染者が少なかったこともあるだろう。
私がマンションに戻ったときには、すでに人々の緊張感は解け、生活も解放されていた。ただあちらこちらに掲げられたスローガンの横断幕と、壁を埋め尽くすように重ねて貼られた市政府の通知文書。各所の検温に人々のマスク。それらだけが、まだ完全に解放されたわけではないんだよ、と教えてくれる。
それでもやはり宜賓は成都よりも開放が進んでいるようで、朝から外に出て、やることがあろうともなかろうとも、一日外で春のおとずれを味わう人々の姿はもう、にぎわいといってもいいほどだった。
「もういいだろう?」
人々のこころの声が聞こえる。
川辺の芝生や公園のベンチで、ただなにをするでもなくのんびりするその表情は、平和そのものに見えた。
あの山の向こうでは、今もまだ防護服を来た人がウイルスの再来を防いでいる。
あの建物の陰には、失敗がゆるされない厳しさの中で人々の健康を守っている人がいる。
けれどもそうした英雄たちのすがたは、意識しなければ一見するともう役目を終えたみたいにも見えた。

中国では後期授業は3月から始まる。
だから2月25日に中国帰国する成都直行のフライトをとっていたけれども、1月末から2月上旬にかけて数日おきに日程順延の連絡がきた。2月25日から27日へ。27日から3月1日へ。そんななか全国的に大学の新学期開始が時期未定になるという情報が入り、私の大学ももれなくそうなるだろうと予想し、そのままフライト順延を受けいれていくことにしていた。
ところがある日大学から連絡が入り、「それで間に合うの?」という。
そうか、私も無責任だったか、ととっていた四川航空便を捨て25日に成都へ到着する上海経由便を重ねて購入した。その後四川航空の東京―成都間の直行便は最終的に当面欠航となり、全日空も欠航していたから、2月25日に成都に入る日本からの直行便は私がみたところ実質皆無、経由便しか手段はなかった。
中国便は軒並み欠航していたから、この25日の上海経由便も当日まで飛ぶかわからない。上海へ入境後どうなるかもわからない。
そう大学の上司に連絡すると、「特別な状況だからやむを得ない」そう返事をくれたものの、できるだけ予定通りに戻ることを望まれている雰囲気があった。
しかしこうして25日の帰国を決めると、しばらくし大学から連絡が入った。
「新学期開始は延期で時期未定、しばらく帰ってこなくていい」
早くても4月になるだろう、という。
さらに後にジャオユーさんから聞いたところによると、四川省の教育局は、1月末だか2月上旬、私が初め大学と連絡をとっていた頃にはすでに、省内の教育機関へ新学期開始延期を通達していたという。ではなぜ大学、というか大学の人間は私に予定通りの帰国を求めたのだろう。
こうした要領の悪さはいまに始まったことではない。
上海経由便はキャンセル不可だったし、また重ねてチケットを取るほど私には金銭的余裕がなかった。
もっともよいのは日本の自宅でのんびりと新学期開始を待つことだっただろう。一人で宜賓のマンションに閉じこもっていたって時間の無駄遣いだし、精神的にも悪いだろう。延期したぶん夏休みが削られるだけなので、これは非常につまらない時間の消費だった。けれども、もういいや、帰ろう、そう決めた。
ひとつは、中国便がどんどん欠航を決めているので、戻らなければならなくなった時にフライトが見つからないことや、その時の価格がどのようになっているのか不安に思ったこと。
もうひとつは、中国国内の管理状況は激しく変動しており、戻らなければいけない時にどのような対応になるかわからなかったことがある。中国は厳しい管理によりウイルス終息へと向かっていたが、日本ではこれから感染者が増えていくことは目に見えていたし、中国がそれに対し甘い対応をすると思えない。日中間が事実上封鎖されることも予想できた。
そして実際、25日に上海へ入り、26日に成都へ入り、毎日のように通知は更新された。成都での自主隔離ができそうなところ目の前でそれを不可とする通知を得、宜賓へ戻ることになり、そのまま隔離施設で医学観察隔離を行うことになった。これは前記事の通りである。
上海へ入るのがあと二日遅ければ、上海の時点で隔離、四川へ入り隔離、という大変面倒なことにもなっていた可能性もある。
だから結果的に、中国現地の人たちには少なくない面倒をかけてしまうことにはなったけれど、自分の生活としてはこれでよかったのかなとも思う。

そういうわけで迎えることになった、現在の日々である。
いまだ学校開始時期はわからず、遅れれば遅れるほど夏休みに食い込むので、夏休みの長期旅行を生きる糧のようにしていた私は、少しずつこころの準備をしている。
話題のオンライン授業はというと、私の授業へは指示がなかった。
自分から聞いてみると、もうすでに他の先生はオンライン授業を始めているのだという。しかしそれは本人が決めていいようで、学校開始を待つことにした先生もいるとのことだった。
私には選択肢はなく、新学期開始を待ち夏休みを使って教室授業をすることになった。
これが急に湧いた連休ならば、旅行に出たりと楽しいだろう。
けれども、いくら解放されたような宜賓であっても、旅行に出るのはまずいし他地域へ出るのも難しいし、いまだ終息宣言は出ていないのに不謹慎だ。
かといって授業準備も気が乗らなくて、つくづく自分がだらけ症だということを思い知る日々。

前学期はほとんどといってよいほど晴天を見なかったので、天気予報に現れた晴れ続きは突然与えられたプレゼントみたいに感じられた。
ターゲットは晴れマークが二つ並んだ、18日と19日。
18日はレンタル電動自転車に乗り三カ月ぶりの老城区へ行き、散策を楽しんだあとに金沙江沿いの歩道に座り、半日なにもせずぼーっと過ごした。

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こちらは金沙江、岷江、長江の合流地点を長江側から。自転車を停めたのは、その名も三江路。
長江のスタート地点である。
左手が金沙江で、右手が、都江堰や楽山から流れてきた岷江。
青空を下に深々とした緑がうつくしいけれども、あんなにも遠くから流れてきた水流はさぞかし汚れているのではないかと、つまらない想像をする。

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長江挟んで向こう、長江左岸には、夜になるとライトアップが美しい白塔山。
白塔はいつも、あの高みから宜賓の街を見守っている。

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こちらはこの日の夜に撮った、ライトアップの変化。
私が以前の旅行記で、「かき氷の終わり」と表したものだ。
三秒か四秒ほどの間隔で、ふわりふわりと色を変える。
何度も何度も目にしながら、いまだに見とれてしまうライトアップだ。
なにかのタイミングと角度で複数の色が混ざる時には、中国ライトアップの最優秀賞を与えてあげたくなるほどに、圧巻。

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金沙江側の右岸から南門大橋を渡る。
青空の下には、深い緑を称えた川が、重たく流れてゆく。

この日の老城区散策では少なくない収穫あったが、ここには残さない。
牛肉麺を食べ、タピオカミルクティーを飲み、街は以前にも増して多くの人で溢れていた。
人混みは避けるべきだろうが、人と距離をとっておけば問題ないだろう。
金沙江の歩道に座り込み、数時間。
わずかにかすんだ青空は涼し気だったけれども、夏の始まりかと思うような陽気だった。
辺りには私と同じように、なにをするでもなく、スマホ見るにしてもとりあえず外がいいんだ、というように座り込む人たちがここにもあそこにもたくさんいた。
おじいさんがミネラルウォーター片手に雑談し、若者はスマホでドラマを見、リードのない犬たちは興奮を抑えきれずにはしゃぎまわる。
この風景になにか言葉をあたえるならば、やっぱり「解放」しか浮かばない。
夜には少し足を延ばして、昨年見つけた北京式火鍋のお店へ行ってみた。
屋外にはテーブルがひとつしかなく店員が座っていたけれども、「ここ使ってもいい?」と訊くと、こころよく準備してくれた。
「前に来たことあるでしょう?覚えているよ」
こてこての宜賓語でそういうおばちゃん店員。みんなこころよく接してくれて、火鍋に夢中になる私の背後で、いつまでも‟日本のよい話”をして盛り上がっていた。

こうして翌日の19日。
のんびり起床してマンションを出たのはお昼前だった。
マンション付近でレンタル電動自転車が見つからなかったので、しばらく散歩をして電力がある自転車を探した。
行先は決めていなかったが、気ままにサイクリングするつもりでとりあえず適当に老城区方面へ向かってみた。
昨日はあっちの道を走ったから今日はむこうの道で。そう思い北側の大きな道路を走ってみた。
その向こうはもう工事中の整地地帯だったり、丘になっていて向こうに何があるのか見えないようになっている。
少なくとも想像できるのは、“街”ではないことだ。
ふと好奇心が沸き上がり、タイミングよく目に入ってきた坂道を上ってみることにした。

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こうした坂道にもためらわないのは、これが電動自転車だから。右手のハンドルをひねるだけですいすい上っていってくれる。
崩れかけた民家を見ながらも、その中にはたしかに生活の匂いがした。
畑があり、小さな花々が咲き、おだやかな幸福感に包まれる。

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そうしてカーブを曲がっていくと、突然ほかの民家とは違う雰囲気の建物が現れた。
あの薄くて細かに重ねられた瓦屋根は、四川を旅していて何度も目にするものだ。四川以外でももちろん目にするけれど、とくに四川の風土にあった建築だと私は思っている。
宜賓は開発区を除いてそれほど近代化が進んでいない印象がある。老城区を散策してみれば、街のど真ん中だというのにこうした古い瓦建築があちらこちらに残っている。
しかしこの建物はどうもなんとなく、そうした民家とは異なる雰囲気をもっていた。

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それはひとつ、この大きさだったのだけれど。

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建物はずっと左手にのびていて、他の建築物に連結している。
これはもう、個人の住宅ではないだろう。
古い建築物や廃墟、それもとびきり古い物というよりは1900年代建築にときめいてしまう私は、もうここで引き返すことなんてできるわけなく、表へ回り込んでみた。

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それは、廃工場だった。
瓦屋根から工場への発想ができなかったけれど、このレンガ造りは工場かあるいは公的な施設に間違いない。
閉ざされた金属製の門に近づいてみてようやく、ここが三河液という白酒の廃工場であることがわかった。

中国を代表する蒸留酒である白酒だが、日本人は白酒と聞いてどこを思い浮かべるだろうか。
黄酒であれば、紹興を思い浮かべる人がもっとも多いのではないかと思う。
一方で、白酒は具体的な地名があまり出てこないのではないかと私は想像するのだけれど、実際はどうだろうか。
日本人の多くが知るのは、貴州の銘酒、茅台酒。
そしてもうひとつ、五粮液。
この五粮液は宜賓の銘酒である。
白酒は中国各地で生産されているが、四川省はその工場数として抜きんでている。四川省には銘酒が多いがまた、白酒メーカーも多いのだ。
辛い物を食べる時には(中国の)ビールが口の痛みを軽減してくれる、なんて言うが、私は四川の麻辣には白酒がよく合うと思っている。余計に口の中が痛くなりそうなイメージもあるが、そして実際そんな気もするが、それでも四川の辛さに白酒の辛さは痛快の極みだ。そう考える私にとって、四川が白酒の一大産地であるという事実はとても腑に落ちる。
そしてその四川の中でも特に産地として有名なのが宜賓であり、宜賓は中国の酒都と呼ばれている。
こちらに来てどこかで説明を読んだが、古くから酒の名産地であった宜賓には、時代が変わり廃工場となりそのままにされたものが多数残るのだという。
廃墟好き、工場好きの私にとって、それはすぐ近くにありながらも見つけることのできない、隠された宝物のようだった。

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思いがけなく出合った白酒の廃工場。
施錠された金属製の門には隙間があり、そこから覗くと内部がよく見えた。
数年前に、新疆ウイグル自治区の北西部、新源の白酒工場を見学したことがある。新疆でもっとも古い白酒工場だ。
あの時、工場の中は蒸気でいっぱいで、その中で作業員がコーリャンなどの穀物を発酵させる作業を行っていた。
ああした手作業は伝統的なやりかたで、現代の大型工場ではもっと機械を駆使するんだろうと思う。
扉から覗きながら、作業員が汗を流しながらこの床に穀物を広げて器具で均したりするようすを想像した。壁際にはそうした作業の時に使ったと思われる用具が幾本も立てかけられている。向こうにみえるシートのふくらみは、もしかしたらそうした穀物の残骸かもしれない。
工場の内部はとても簡素で、ところどころから光が漏れている。
頼りない梁からはまた頼りない電球が下がっていて、その電球のすがたに数十年前の空気を感じた。
しかしその向こうには、色彩が鮮やかななにかの告知が貼られている。
どうやらあれは五年も経っていないような新しさだ。
遠目ではなんともいえないけれど、この工場は数年前までは稼働していたのではないだろうか。

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この工場の付近には、三つか四つほどの関連した建物が残っていた。

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工場を背にして右手にあったのは、貯蔵庫。
扉は閉まっていたが、裏に回ると中に入っていけそうだった。
けれどもあまりに物が散乱し、またその混沌の中から蛇やら虫やらが出てきそうだったので、断念。

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左手には比較的整った建物が残っていたが、こちらは木製の扉がしっかり閉ざされていたのでここも断念。
工場で働く人が休憩する場所だったのかもしれないし、また食堂だったかもしれない。
なぜか、そういう建物のような気がした。

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これら三つの建物を過ぎてもっと向こう、畑が広がる方へ回りこんでみた。
そこにもまた小さな建物があったが、こちらは崩壊寸前だった。

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それでも足を進めていくと、ゴミが散乱した汚い部屋が続いた。
ゴミも汚いが辟易したのは、ここがトイレ状態になっていたことだった。
中国の僻地でこれは珍しいことではなく、私も僻地では青空トイレをすることも少なくない。そういう経験から、あの裏はきっとトイレになっているに違いない、などと変な勘が働くようになってしまい、悲しいことにそうした勘はほぼ当たる。
今回の建物はたしかにトイレに最適な条件を備えてはいたが、いくら農村部とはいえ、しかし自転車で三分の距離には高層マンションが立ち並ぶこの場所である。私の勘が働く前に、それと遭遇してしまった。
写真を撮ったが、悲しいことにトイレである証拠が映り込んでおり破棄。しかもそこには、とても新しいものが。さきほどすれ違った人かと思うと、とても複雑な気持ちになった。

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なぜか悲しい気持ちになったが、そのまま奥へ進んでみた。
するとその先はゴミもトイレもなく、ただがらりとした空間が残るのみ。
人が暮らしていたのか、それとも何かの作業場だったのか想像もできないが、部屋の構造が特殊だったので、おそらく後者だろう。

廃墟は悲しいものである。
かつてそこには人の喜怒哀楽があったはずで、それはまた誰ともわからない人たちの人生の痕跡だ。
楽しければ笑い、嬉しければここちよい。
悲しさや苦しさや痛み、それを喜ぶ人などいない。
人とはそういうもので、また廃墟とはそうした生命の痕跡だ。
それはまた人だとか生命だとかが美しいのだという証のようにいわれるけれど、私はなぜか悲しくなるのだ。
それはきっと、すべての生には死があり、すべての始まりには終わりがあり、だからこそ生も始まりも素晴らしいのだというのに、わたしはきっと、死だとか終わりだとかそちらの方を考えてしまうからなのだろう。
そして私が廃墟に惹かれるのは、もしかしたらそうした終わりばかりに考えがいってしまう私の、輝かしい時の流れに対する未練と執着なのかもしれない。

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工場の向こうを見ると、畑の向こうにはなだらかで低い山が広がっていた。
気温は27度にも及び、日に焼けるほどの暑さ。
けれどもうっすらとした霞んだ青空に寂し気な枯れ木が、暦を教えてくれる。
足元に咲く小さな小さな色彩だけが、春の到来に急いで追いつこうとしているみたい。

スマホが鳴った。
この農村部に入り、これで三度目の着信である。
大きな通りから坂道を登り切った辺りから、電話が鳴り始めた。
電話の先は、哈啰出行。私がいつも利用しているレンタル電動自転車だ。
電話に出る必要はない。
以前にも何度かこのようなことがあり電話に出ていたが、どのみち自動音声が流れるだけだからだ。
用件もわかっている。
哈啰出行は、レンタル開始から50分を超したとき、停車したまま支払いせず時間が経過したとき、それから区域外へ出た時に注意を促す電話を飛ばしてくれるのだ。
これは親切なサービスだ。私は以前、どうしたことか支払いせずにマンションに戻ってしまった。電話が来たことで慌てて支払いをすることができたが、20分に1元ずつ加算されていくので、忘れてしまうと痛いことになる。
また哈啰出行には区域というものがある。
アプリを起動させれば一目瞭然に地図が表示されるが、基本的に区域は人が集まる市街地に限られる。この区域の中で自転車を使うことができ、区域外へ出て自転車を放置すると、大きく加算されてしまうのだ。
以前に区域外へ出てしまい電話が来たときには、その範囲が思いのほか狭いことを思い知った。
電話に出なければ、メールが来る。そしてアプリを開けば、「区域外へ出た!急いで戻ってください!」と警告が表示される。好き放題どこにでもサイクリングに行けるという訳ではないのだ。

今回の電話は、その区域外へ出たことを警告するものだった。
「わかってるよ、ちょっとここで遊んですぐに戻るよ」
そう思い電話を無視し続けたが、こうも立て続けに電話が鳴るとは。
けたたましく鳴り続けるスマホを放置したまま、私はもう少しだけ、あのなだらかな山の方へ向かってみることにした。

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砂が舞う未舗装道路。大型トラックが向こうに見えた。
なだらかに見えて、坂道になり。
そこで突然、ガクッときた。
初め、自転車が壊れてしまったのかと思った。
しかしそうではなかった。
どうやら、区域外へ出ると電動自転車の電力が停止してしまうようだ。
ハンドルを回しても、なんの反応もない。ただ、とてつもなく重いペダル。
この電動自転車は普通の自転車としてこいで使うこともできる。だから、電力切れになっても、こいで戻れば大丈夫なのだ。
ところが現在この状況、とてもそんなふうではない。負荷がいくつもかけられたような重さで、とてもではないが快適にこぐことなどできない。坂道なんてとんでもない。
戻るか、進むか。
悩むほどのペダルの重さだったが、この好天気と抑えられない好奇心に、私は強行を決めた。

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向こうに見えていた民家や廃墟の間を縫い道を進んでいくと、のどかな山道に出た。

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振り返ればこんな感じ。
山の中といってもすぐ向こうには建設中のビルが見える。
私が暮らすところは市街地から離れていて味気ないところだけれども、かといって農村風景というわけではない。私の好みという勝手な観点からいえば、実に中途半端なのだ。
それでも少し歩いてみれば、少し自転車を走らせてみれば、このような山間部の風景を味わうことができる。
その市街地と山間部の距離感と空気感が、私の故郷である静岡のそれとよく似ていて、ときどき強いノスタルジーを呼び起こす。

電話が鳴った。哈啰出行はどうやらとても焦っているようだ。もう10度目である。
私は自動音声の電話を取らず、けれどももしかしたらモニターか何かで管理している部署があるかもしれないと思い、(もしそうしたスタッフがいるならば)彼らを心配させないように、電動自転車を「一時ロック」した。支払いはまだしませんが、また戻ってきて乗りますよ、という意思表示のつもりも兼ねて。しかし今になり考えてみれば、一時ロックがなんの意思表示になるのだろう。
けれどもとりあえず、これにより電話は来なくなった。
自転車をそのままにして、すぐそばから上に続く、小さく細い山道を登ってみることにした。

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この辺りに人気はない。
人気はないが、このような道が続いているということは、農民などがここを登るのだろう。
なんだか子供の頃の遠足を思い出したような気分になって、一歩一歩足を進める。
すぐに汗が吹き出し、情けないことに息が上がった。

しばらく登ると、小さな小さな畑が現れた。
小道はこちらにあちらに枝分かれし、その先にはまた小さな小さな畑があった。
進んでいけば行き止まりになり、また別の小道を進んでいけばまた枝分かれしている。
そうやって迷路を楽しんでいくと、道はどんどんそのかたちを原始的なものにしていき、木々に埋もれるように隠れるようになっていった。

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それでもそれらには間違いなく人が通った形跡があり、私を導いた。
途中で山小屋を見つけ、また崩れた東屋も見つけた。
それはなんだか子供の冒険のようで、気づけば夢中になっていた。

木々の間をくぐっていけば、ときどき右手にさっと景色が広がった。
向こうの斜面にはお墓が見えた。
そんなに山奥ではないし、高さもないので危険もない。
唯一の心配は、蜘蛛だとか蛇だとか。発狂するほど苦手な二種である。
ただそれだけは心配で、出てくるなよ、出てくるなよ、と神に祈る。

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こうしてどれだけ散策してみただろう。
突然ぱっと視界が開けたかと思うと、その行き止まりの先には、先ほど見物していた白酒工場の方角が広がっていた。
どうやらぐるりと回ってきたらしい。
遠く向こうには、霞んだマンション群と長江第一大橋がうっすらと確認できる。

散策は無限にできそうだったが、ここであの道端に放置した自転車が気になり、戻ることにした。
もし通りがかる農家の車などがあり、邪魔になっていたらたいへんだ。
次回こうした山の散策に来るときには、ぜひ包子や飲み物なんかを持ってこよう。
日本だったらおにぎりといきたいが、マンション下で以前買った米が絶望的にまずかったために、どうもここで米を買おうという気分が起きなくなってしまった。ちなみに余談だが卵も同様で、買った卵が悲しいほどまずかったので、怖くて買えなくなってしまった。米はともかく、卵は安定のおいしさだと信じていただけに、とても残念なことだ。
そういうわけで、包子に加えてゆでたまごも持ちたいところだが、それもお店で出来合いのものを買って持ってくることにしよう。

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先ほどの自転車は無事そのままになっており、私は重いペダルを必死でこぎながら白酒工場へ戻り、また登ってきた坂道を下った。
大通りに出てしばらくすると、ピピッと音が鳴り、「ハロー!」と音声が鳴った。
電動自転車復活である。
それまでの重さが嘘のようにペダルが軽くなり、右手のハンドルをぐるりと回すと、元気よく加速を始めた。

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進むのは長江の左岸。
いつも老城区へ向かう時には、ほとんどこちらではなく長江の右岸を進む。
写真の対岸、左手の地域だ。
長江の右岸地域は宜賓の新繁華街といった雰囲気で栄え、市政府関連の建物や、またモールなどが多い地域。それに対し長江のスタート地点、金沙江と岷江に挟まれた地域が、古くから栄える老城区である。
今私は、いつもの右岸地域ではなく、山間部が占める左岸から老城区へ向かっている。
この左岸もかなしいことに哈啰出行の区域外のようで、必死に走りながらも電話が続き、私はふたたび重いペダルをこぐことになってしまった。

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左手に長江を見ながら、途中で白塔山を通り過ぎた。もうすぐそこに老城区という位置だ。
白塔山の由来はそのまま、山中に建つ真っ白な塔。
そのうちしっかり時間を用意して、と思いながらもいまだに登っていない、気になる場所。
今日もまた、そのまま通り過ぎる。

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すぐ目の前には、金沙江と岷江に挟まれ半島のようになった老城区が見える。
いつもは左手に見える金沙江にかかる真っ赤な橋を渡るが、今日は右手の岷江から。
金沙江、長江の右岸地域が賑やかなのに対し、岷江、長江の左岸地域はやや静かな地域。そういうこともあり、橋もそういくつもなく、ずっと向こう。

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白塔山を越えて向こうには催科山が見えた。
その斜面になにやらまた、工場のようなものが。
あれもまた、数十年前の古い工場ではないだろうか。
もはや病気のように、私は催科山の斜面を登り始めた。

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ぐるりとカーブを曲がり登ったところで、古い長屋のようなものに出合った。
あの、私が目を付けた工場のすぐ下にあたる。もしかしたら、工場で働く人のための住宅かもしれない。想像は膨らむ。
重いペダルの電動自転車を引きずって登るのは骨が折れ、私はここに自転車を置き、歩いて登ることにした。

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こちらが、目を付けた工場だ。
华宇夹芯板厂、とペンキで書かれている。いったいなんの工場だろう、板金かなにか?と想像してみる。
このモルタル造りにペンキ文字、年代の想像ができないときには、‟レトロ”という言葉がとても便利だ。
現代のものではないが、30年か、50年か、それ以上か、それはわからない。けれども近代の範囲。私はそれらをみんなレトロと呼んでしまうので、時には「それはレトロとは違うんじゃない?」と突っ込みを受けることもあるけれども。

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レトロな工場を裏手に回ってみるとそこには民家があり、工場の裏手は畑になっていた。
民家には住民がいたので、表情を伺いながら少しだけ足を踏み入れ、やっぱり不審者になりそうだったので、すぐに退散した。

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ふたたび工場の表へ回ってみた。

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左手には岷江が流れる。そしてその先には、金沙江の派手な橋とは対照的に地味な、岷江大橋が見えた。

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工場を覗こうと近づいてみると、スプレー描きで华宇彩钢瓦厂とある。
ここはもしかして、トタン屋根などそうしたものを作る工場だろうか。
すっかりここが廃工場だと思い込んでいたが、近づいてみると中に車が停まっているのが見える。
現在も稼働している工場ならば、下手に近づくことはできない。
そう思いながらも、人いるのかな?と中を覗き込むと、突然セントバーナードが飛び出し、激しく牙を剥き出しにして吠え始めた。
私は腰が抜けそうになり、間抜けにも一人で叫んでしまった。
しかし幸いなことに、巨大なセントバーナードは太い鎖で繋がれており、鎖はそれを引き留めた。
吠え続ける犬に内部の人が不審に思い出てきたらたいへんだ。
正直に工場を覗くのが好きで、と言ってみるのもいいが、下手をしたら怪しまれて困ったことになってしまう。
私は急いでその場を離れた。

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そうしてさらに奥に回りこんでみると、ここはやっぱり現役のトタン系工場だった。
ウイルス対策として検温登記の机があり、またウイルス関連の注意喚起もかかっている。
不審者というだけでなく、まだウイルスの終息宣言がされていない中で部外者が近づくのは、常識はずれ以外の何ものでもない。
ふと自分が恥ずかしくなり、急いで坂道を下りた。

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古い建物であることは間違いないが、それがそのまま生きていることは、余計なお世話ではあるけれども私にはとても嬉しいことだった。

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周辺にある建物はそのほとんどがすでに廃墟化し人の出入りを拒むような雰囲気を放っていたが、もともとはやはり工場で働く人々が暮らした宿舎だったのではないかと思う。
貧しさから抜けたくて、豊かになりたくて、必死に働き必死に物を生み出した時代があった。
私はその時代をほとんど知らない。
日本にも、中国にも、そうした時代はあったもので、中国においては今もその時代にあるともいえる。
物はすなわち豊かさで、しかしその結果多くの弊害を生みだし、私たちは豊かさどころかその害をこうむることになった。害どころか、とても大きな罪を負うことになった。
けれどもかつてのあの血と汗のがんばりは、決して悲しい未来のためにあったわけではない。
公害や過度な開発にあっては政府や人々の不誠実もあったことは事実だけれども、毎日を生きる人々一人ひとりは、ただ貧しさを恐れ、ただ安心して生活をしたかっただけなのだ。
私はあの時代をほとんど知らない。
けれども私のこころの中に見えるあのもくもくと上がる煙は、大気を汚しながらも人が誰しも持つ生きたいという強い本能そのものであり、悲しい矛盾をはらんでいる。
そしてそれは悲しい矛盾でありながら、私にはまた生命のきらめきにも思えるのだ。

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電動自転車まで戻ってみると、なかなか気持ちの良い景色だった。
走ってきたのは車通りの激しい道路で、その向こうに長江が見える。

ここからまたえんえんと走り、岷江大橋で電動車は区域内へ戻った。
電力が復活し、ふたたび気持ちのよいスピードで街を抜ける。
老城区へ入り、途中で通り過ぎる寺院や翠屏山公園はどれもいまだ封鎖されており、それだけがまだ完全収束ではないことを教える。

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翠屏山公園前で電動自転車を降りた。
レンタル時間は208分、料金は21元だった。
こうなると、自転車か電動自転車を買った方がいいのかも知れないと最近迷っている。

翠屏山入り口から金沙江方面へ向かっていくと、一帯古い住居が密集するエリアがある。
古い瓦屋根の真っ黒な木造建築、崩れかけ時代を感じさせるレンガ造りの住居に、住民の往来により磨かれた石階段。開放的な小さな食堂や八百屋に肉屋、ちょっと薄暗い庶民的マッサージ店に狭い狭い商店。
入り込んでいくとやがて車が一台なんとか通れるような狭い路地に入っていく。
この一帯は私のお気に入りで、昨日の散策ではまた新たな発見があったりした。ここはまた改めてレポートしよう、と写真はまだ残していない。
この日も同様にこのエリアを通り過ぎ、やがて金沙江に面した大通りに出た。
時刻は16時過ぎで、疲れたけれども夕ご飯にはまだ早い。
もう夕方だというのに日はまだ明るく、夕暮れを迎える気配もない。
電動自転車といえども、今日はなかなか運動した。
この記事には書き残していないけれども、無駄にえんえんと山に入っていき、収穫なしに断念し引き返した時間もあった。
そこで、少しここで休んでいくことにした。

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休憩場所に選んだのは、金沙江沿いの少し高台にある遊歩道。
昨日はここよりももう少し長江付近で休んだが、今日は少しだけ上流を選んだ。
向こうに見える黒い鉄橋は鉄道のものだが、歩道もあり歩いて渡れる。
昨日はこの橋を渡ってみて、その橋の‟レトロ感”とすぐ目の前に続く線路に、大興奮した。
レトロ好き、鉄道好きの私にはたまらない橋で、線路挟んで向こう側の歩道には三脚を立て座り込んでパンを食べる若い男性が見えた。どうしてかわからないが、その男性の存在が嬉しかった。
宜賓站を通る客運列車は今現在とても少ないようだ。確認はしていないが、一日に多くて2、3本ではないだろうか。もしかしたらもっと少ないかもしれない。先ほどは岷江左岸エリアで貨物列車の通過を見た。この男性の狙う列車は、次いつ通過するだろうか。
このロケーション、青空のここちよい気候に、この川沿いはなんとも贅沢な休憩場所だ。
なによりも開放的で、滔滔とした大河の流れに穏やかな街の風景、そうしたものを眺めるでもなくただここにいるだけで、こころが休まる。

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近くの商店で買ってきたのは、ビールとポテトチップ。
さっそくプシュッとやると、ようやくひと心地ついた。
ポテトチップはこちらでは楽事(アメリカのLay’s)と昆明ブランドの子弟にお世話になることが多い。いずれも塩味が好きで、それなのに宜賓一帯では売られているのがほとんど胡瓜味やトマト味などで、わざわざ塩味を取り寄せで買っている。胡瓜味もトマト味も中国では定番だが、これがまずくはないが特においしくはない。しかし仕入れは需要を反映しているだろうから、こちらでは私の方が異端なのだろう。
入った小さな商店には楽事も子弟もなかったので、売られていたこのメーカーのものを初めて食べてみることにした。見てみると、こちらも昆明のメーカーのようだ。
あいかわらず売られていたのは変な味ばかりで、ほこりを被っていた塩味ひとつを購入してみた。
本当にほこりだらけだったので、持っていた除菌シートで袋を拭く。それから、一日だれが使ってきたかわからない自転車のハンドルを握りしめてきたので、手も念入りに。それからビールも拭く。そしてスマホなども。
私はほんらい衛生観念が非常に緩く、コロナウイルスの件が始まっても、いい加減な毎日だった。
それでも除菌シートを携帯したり、ドアノブを毎日消毒液で除菌したりと、わずかに行動が変化した。
正直コロナにびくびくしているわけではなく、ちょっと対策している自分に自己満足しているだけである。しかしこの自己満足がなかなかに気持ちがいいので、ウイルスが完全収束したあとも、なにがしらかは続けていくだろうと思う。
潔癖症だったり、衛生が気になる人は、中国での生活にはあまり適さない。
しかし、だからあまり気にしないでいると、今回のようにどこでなんのウイルスやら菌やらを拾ってくるかはわからない。だから、不衛生を受け入れられるが最低限の衛生対策もできる人が、中国での生活にもっとも適しているのかもしれない。

初めて口にしてみたこのポテトチップもなかなかにおいしかった。昆明は高原地帯にあり、じゃがいもがおいしい。
もうすぐ長江となる金沙江の川辺には、たくさんの人が涼みに下りていた。
米粒のような人々、それでも楽しそうな様子がこちらにも伝わってくる。
そんな中で目を引いたのが、遊泳する人。
昨年秋にも目にしたが、ここには長江、金沙江で泳ぐ人がいるのだ。
今日はたしかに水に入ってもいいような汗ばむ陽気だったが、それでも金沙江の水流は勢いがあるし深さもある。それに青海省の高峰から3000㎞以上も流れ水量を増したその川水は、もう決して清らかではないだろう。
青空を映しうつくしい深緑色を見せるが、ここに流れ着くまでの旅路にどれほどの汚れを含んできたか想像もできない。
金沙江の名称からしても、もともとはその川水に土を含んだ色合いからそう名付けられたのだそうで、少なくとも口にできない水質である。
ところが宜賓の人々はおおらかで、そんなことまるで気にしないかのように、川に入っていく。
昨年の秋には子連れのお父さんも見かけたけれど、昨日今日と見かけるのはみな、親父さん。
そしておもしろいのは、みんながみんな、浮き輪か浮きを身につけていること。しかも浮き輪はそこに入るのではない。浮き輪に結わえたロープを腰に巻いて、浮きとして利用しているのだ。
泳ぐというよりかは川水に浸かり楽しんでいる親父さんたち。浮き輪や浮きをぷかりぷかりと浮かべて、水流がそう激しくない川岸で安全に遊んでいる。しかしもし万が一にも水流が激しい方に出てしまったらあんな浮きなどまるで役には立たないだろう。

やがて日は西に傾き、ひとつまたひとつと街に灯りがともりだし、夜を迎えた。
夕ご飯に考えていたよく行く回転火鍋のお店が満席だったので、うろうろと散歩し目に入った広場へ足を向けてみた。
昨年秋の散歩日記にも取り上げた、長江スタート地点を展望する公園、長江地標広場だ。
ライトアップとわずかな賑わいに引き寄せられたが、近づいてみるとここもロープが張られ進入禁止になっている。人民公園も同様に進入禁止になっていたが、街中がこれだけ人で溢れているなか、こうした公園の進入禁止はもうすでにあまり効力を持っていないだろう。
それでもそこには真面目な面持ちで立つ警備員がいて、人が入ってこないように仁王立ちしている。

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ここを少し北に移動すると、岷江の最後の最後にあたる水東門に出た。
ここへも前回は昼間に見学に来たが、夜のライトアップもなかなかに雰囲気がある。
こちらは封鎖されていないようで、門の先の広場にはたくさんの人が遊び、または涼んでいた。地標広場が封鎖されているなら、こちらも封鎖されているべきだとは思うけれど。

しかしそのおかげで、ここから催科山のライトアップを眺めることができた。
催科山と白塔山は二つ仲良く並んでいる。
白塔山のライトアップは見事で、帰る時にはいつも眺めながら帰り、電動自転車の運転が危うくなる。
しかしその時にはこの催科山のライトアップは白塔山のそれの背後に隠れるようになっているので、あまりよくは見えない。

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催科山のライトアップも同じように、ゆっくりと数秒ごとにその色彩を変える。
けれどもこちらは少しカラフルな様子で、稜線のみの小さなライトアップだけれども、白塔山とは異なる雰囲気が楽しめた。
岷江に反射する街灯もうつくしい。
白塔山、催科山、それから金沙江、長江に架かる橋のライトアップとビルの電飾は、それはもう見事なものだ。
私は中国を各地旅してきたが、それらを振り返ってみても、このライトアップはひとつの観光ポイントとして他の地域にもアピールすることができるものだと思っている。
中には、電力の無駄だとか人工的で趣がないとか、そんなふうに感じる人もいるだろう。
それでも、山全体の色彩の変化はほんとうにきれいで、意外と雰囲気はある。
色の変化の中で、夜桜のように見える瞬間はとくにきれいだ。

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こうしたライトアップはみな市政府が用意したものだろう。
ビルの電飾なんかが「共産党」だとか「牢记使命」だとかの文字を流したりと、それらはひとつの政治広告である。
それはたしかにそうだけれど、けれども老城区の古いビルに流れる電飾は、「長江第一城」なんて文字をくるくると流す。
四川ではなかなかの都市と認知されている宜賓だが、やはり地方都市には変わりない。「いい街だね」とはいわれるけれども、旅行者はそう多くなく、それはなんだか「いい人だね」といい人止まりで終わってしまう人みたいな無難さがある。
‟いい人”止まりの宜賓が、「ここすごいよ!かの有名な長江の出発点なんだよ!」と頑張ってアピールしているようなそんな感覚。あの「長江第一城」の文字をえんえん回転させながら映し出していくド派手なビルの電飾に、私はそんな可愛らしさすら感じてしまうのだ。
カラフルなライトアップの橋が金沙江に並び、催科山に白塔山は幻想的に色を変えていく。
毎日、毎日。
ここに暮らす人々はもうそんな風景は日常のことで見慣れてしまっているようでもある。
広場に出て、ライトアップにうっとりしている人よりも、バトミントンなどで遊んでいる人の方が多い。
けれども、そんな様子を目にして、この街は豊かだなと思うのだ。
人の目を楽しませるような演出を毎日あたりまえのように繰り返すこの街は、やはり豊かだと思う。

宜賓は地味な都市ではあるが、四川でも抜きんでた勢いを持った都市である。
山間部にあるために他の都市のような近代的な市街地が作りにくいこともあり、そこがひとつ、‟いい人”止まりの所以かもしれない。
しかし開発区は現在いちめん整地の真っ最中で、山が崩されてしまうことは悲しいことだけれども、そこら中が一帯工事中だ。建設中のマンションやビルがもうそこらじゅうにあり、そうでない土地は重機が大忙し。
今は作り始めだが、数年後には見違えるような都市風景になっていることだろう。
市政府は都市開発に全力をあげ、来たばかりの私にも並々ならぬ真剣さが伺えるほどだ。
しかし私はなにも、ビルやマンションが並び近代的なインフラが整うことが発展だと考えているわけではない。
むしろ、高度成長期後に起きた弊害と同様の問題や、また自然体系を壊す問題など、都市開発は矛盾した結末を伴うものだと思っている。
けれども、こうしたライトアップ初めこの街の様子を見ていると、「いい生活をしたい」という願いや目標を実行してきた、目に見えるかたちがあるように思う。
そして近代都市化していくことそれ自体よりも、そうした願いや思いこそが、発展を示すものなのだと私は思うのだ。

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遅い時間になってしまったが、いつもの回転火鍋屋さんに行き、白酒にビールを飲んだ。
ウイルスの完全収束をいまだ迎えず、このように剥き出しに流れるものは衛生的によくないだろうとは思ったけれども、ぐつぐつの鍋で熱を通すんだから問題ないじゃないか、と考え直した。
二本並ぶレーンの一本は稼働していない。
それでもお客さんは少なくないようで、活気を取り戻し平常に戻りつつある街の様子を感じる。
市街地のお店はほぼ通常通りに営業を再開しており、ときおり目にする閉じたお店は、もしかしたら封鎖期間に持ちこたえられなかった店舗だろうか。
しかしやっぱり、中国人はたくましい。
私がビールを飲み干しお会計をすると、「よし!もう終わりにしよう!」
お店の親父さんが元気よくそう言い、奥さんとともにてきぱきと片づけを始めた。

〈記 3月23日 宜賓にて〉

⇒ 宜賓散歩~春のおとずれ~② へ続く

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2020-05-31

宜賓散歩~春のおとずれ~②

2020年4月8日、午前中ぐだぐだとしながらお昼ごろ天気予報を覗いてみると、晴れ時々曇りが午後からは晴天になっている。
三月の半ばに隔離生活を終えてマンションに戻ってから、しばらく珍しい好天気が続いていた。
青空が広がり、日差しは暖かく、きらきらと輝くような緑、そこらで様々な色彩が花開き始め、それはながらく待ち望んだ春の訪れだった。
それでもそんな天気はそう長くは続かず、激しい雷がおそったある晩を境に、ぐずぐずした天候の日が続くようになった。
もとより宜賓は曇りや雨が多い地域である。
ああ、これが本来のすがたか。あの眩しいような明るさの日々はけっして当たり前に毎日続くものではなかったか。そんなふうに思い知る。
好天気に恵まれサイクリングをしたあの頃には、日中の気温は28度にも達する夏日が続いた。ある晩は夜になっても気温が下がらず冷房をかけたほどだった。
ところが天候が変わると気温も一転、今度は暖房をかける日々。
どんよりとし冷たい雨が降っては止み止んではまた降る。そんな日々に私はこれっぽっちも雨の情緒なんて感じない。次の晴れの日はいつ?そんなふうに毎日のように天気予報をチェックするのだった。

しかしここ数日、そう悪くない天気が続いた。
私は小さな川辺に賑わう公園に出掛けてはそこで本を読み、また長江のほとりに広がる丘に散歩してはそこに座り込みぼーっと景色を眺めた。
すると今度はやはり、また日に焼ける暑さ。
宜賓の秋はとても短いものだったが、どうやら春もまた同様に瞬間的に通り過ぎてしまうようだ。
ここに暮らして初めて迎える春の季節。
日差しの下でまどろんでしまうような心地よい日本の春を、遠くに思う。

天気予報をチェックしていると、雷雨マークと雨マークを挟みながらも晴れ時々曇りマークが続いていた。
4月8日、それはそんなある日のことだった。
雨の日が来る前にと午前中に洗濯をしぐだぐだしていた私は、午後が時々曇りから雲なしの晴れマークに変わったことに気づいた。
雲なしの晴れマークは私にとっては、祝日のような存在。
突然午後が祝日になり、もうこれは出掛けるしかないと決め、急いで支度を整えた。

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マンションを下りて先に向かったのは宅急便の代理店だった。
中国の郵便物や宅急便の受け取り方は日本とは異なる。
場所やマンションにもよるらしいけれども、私が知るところはみなマンション下の代理店が受け取りを代行してくれる。
荷物が届くと電話かメールで連絡が入り、そのあとその代理店に取りに行くシステム。たまに運送業者さんから連絡が来て「今着いたけど荷物どうしたらいい?」なんて訊かれることもあり、そんなときには「西門に中通快递があるからそこに届けて」とお願いする。
日本で面倒に思われている再配達問題なんかも、だからない。部屋まで運ぶのが大変なこともあるが、便利なシステムである。

この宅急便代理店、外国人ということもあり初日に覚えてもらい、それ以降お世話になっている。
ここは若い夫婦がやっており、10代くらいの女の子がお店を手伝っている。この母娘がとてもよくしてくれるのだ。
ある日のこと。
「日本語を勉強したいから教えて」
女の子がそんなことを言い出したのは昨年のことだった。
「どんな日本語を勉強したいの?」と訊くと、
「あなたが好きってなんていう?」
私はスマホに声を吹き込み音声メッセージで送ってあげた。
「他には?」そう訊くと、
「愛してるってなんていう?」
私がアルファベットと、発音を当てた中国語で送ると、
「これも音声で送って」と言う。
私が音声で送ると、「これ毎日くりかえし聞く」とはしゃいだ。

そんなことがありながらも、私はたいそうな人見知りなので、なかなか積極的なコミュニケーションができなかった。旅と生活では感覚がまったく違う。旅ではいろんな人との交流をはかれるのに、生活だとどうもそれがしんどくなってしまう。
それでも宜賓には、重慶の友達が紹介してくれた人ひとりくらいしか友達がおらず、寂しかった。仕事は日本語を扱った仕事であるから、普段ほんとうに中国語を使う機会がないことにも焦りがあった。
そんなわけだったからここで友好的にしてくれる彼女たちのことがとても嬉しくて、しかし人見知りの私は暇さえ合えば遊びに行く、なんてこともできない。
そこで昨年は何度かお店に差し入れをして、わずかわずかな挨拶程度の交流をしては、「じゃあね」とすぐにお店を去る、そんなことを繰り返していた。
日本のお菓子、友達が送ってくれた香梨に紅棗、その程度ではあるけれど。
ところが、隔離が明けてマンションに戻り頻繁にネットショッピングをするようになると、今度は女の子の方が私に物をくれるようになってしまった。
しかも、私の荷物があることは届いた時点でわかるので、どうやら「これ食べる?」というよりは、わざわざ私のために用意しておいたふうなのだ。

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ある時は、ポップコーンだった。そしてある時はチョコレート菓子だった。しかもこんなにたくさん。
私がお店に入ると、待っていましたというように、宅配荷物の方よりもお菓子の方を差し出してくれるのだった。

今日は宅急便の荷物はないけれど、お返しに日本から持ってきていたお菓子をいくつかあげようと思いお店を覗いてみた。
日本からは生活用品などの荷物が多くて、お土産をほとんど持つことができなかった。だから小さなチョコレートがいくつか、たったそれだけだけれど。
お店の中には女の子しかおらず、私がお菓子を渡すと、彼女はリンゴを二つ私の方に差し出した。
しかしこれではお返し合戦になってしまう。
「いいよいいよ、ひとつで」
そう言ってひとつだけ受け取ろうとするも、最後は私が折れてふたつともいただいた。
女の子が両親の仕事を手伝うなんて、立派だと思うと同時にいつも気になっていた。中学生くらいかな、学校は行っていないようだけど大丈夫かな?なんて思っていた。
「お父さんお母さんの仕事手伝うなんてえらいね」
私がそう言うと、彼女は小声で「お母さんじゃなくてお姉さんだよ、姉妹」
なんと!

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こうして宅急便を出て、いただいたリンゴをしまい、電動自転車に乗り出発した。
行先は決めていない。というより、どこを行先にしていいかわからないというのが本当のところ。
まだまだ行ったことのないところは限りないけれど、悲しいことにレンタル電動自転車の区域はとても狭く、人々の生活区を少しでも出れば電力が落とされこぐことすらままならなくなってしまう。
でもちょっと足を延ばして鄙びた方へ行きたいな。
そう思い頭に浮かんだのは長江の南岸エリア。

宜賓の中心部は、二つの大河が合流し長江となる、この横たわったY字の周辺にある。
Y字の頭部分、金沙江と岷江に挟まれた半島部分が古くから栄えた老城区で、また金沙江の南岸部分が、近年モールなどができて広い範囲で賑わう部分。市政府関連の建物はこの南岸エリアに集まっている。
一方で長江の南岸エリアには低い山々が広がり、住居も少なく一気に人口密度が下がる。古い民家や集落があるのみで、市街地に暮らす人はそうそう足を向けないだろうエリアである。
この長江南岸をずっと走っていくとやがて、宜賓の数少ない観光地でもある李庄古鎮へ辿り着く。
李庄古鎮は昨年の冬に初めて行き、長江南岸エリアを目にしたのはそのときが初めてだった。
あの鄙びた雰囲気がいいなあ。
宜賓市街地をサイクリングしていて出合わない空気があの地域にはあった。
しかし当然、レンタル電動自転車の区域外。
街からバスに乗り換えて適当に下りて散策してみようか。
そういうわけで、とりあえず金沙江南岸エリアまで走ることにした。

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長江第一大橋は、金沙江と岷江が交わり長江となった場所に架けられた長江一つ目の橋だ。
ここからの眺めはなかなか迫力があり、片側には宜賓の中心区である街の賑わいが臨め、また片側にはそれとは対照的な山の風景が重々しく広がる。

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この橋の下には、このような瓦礫の山と廃墟の残骸がわずかに残る。
私が宜賓に来た時には、ここら一帯はやはり廃墟であることは変わりなかったけれども、古い住宅やアパートが崩れる寸前のありさまで広がっていた。
それがあるとき見事に崩されていたものだからそれは驚いたけれど、こうやって街の風貌は、少しずつというよりもむしろ、見る間見る間に新しく変わっていくんだろう。
昨日まであったものが、明日もまだそこにあるとは限らない。
宜賓はいま、毎日毎日、めくるめくスピードで変化している最中だ。

金沙江南岸の東端に到着して、ここから試しにそのまま長江南岸エリアへ向かってみることにした。
レンタル電動自転車の哈啰出行は区域外へ出るとすぐに電話をかけてくるが、そういえば以前に酔っ払って道を間違え、深夜にこちらの方まで迷い込んでしまったことがあったんだった。けれどあの時には電話もなかったし電力も落ちなかった。

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金沙江南岸と長江南岸の隣接点は大きな道路が交差し、向かう方向により道路を選択しなければならないので、外部の人間はナビがないと少し難しい。私はもちろん道や方向がわからないだけでなく、車がびゅんびゅんと走る道を電動自転車で進むものだから、手には汗がべっとり。

私がここで書くまでもなく、中国は交通が危険。
日本のような思いやりのマナーは特に地方ではないに等しく、轢かれたら轢かれた方が悪い、とまでは言わないけれども自分の安全は自分で守ることが大前提。
中国では右折時には信号が赤でも進めるが、この時車はスピードを緩めるどころか猛スピードで曲がってくる。この時右折する先の道路側は信号が青なので歩行者や自転車は渡るが、自分の方が気をつけないと轢かれてしまう。
またこちらでは、バイクはほぼ交通法なし状態。信号無視もしょっちゅうだし、右側通行を無視したり歩道を走ることなんていうのもしょっちゅう。普通に走っているだけで事故に巻き込まれそうで、いつも神経を集中させて気を付けている。
交通が危険だといわれてきた中国も都会ではだいぶ交通の取り締まりが強化され改善されてきたが、見た様子宜賓は旧式のままのようだ。
電動自転車で車どおりの激しい道を走る時は毎度恐怖で、しつこいぐらいに頻繁に右左を確認する。

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右手を見れば、これから始まる鄙びた雰囲気の序章のように、うっそうとした緑のなかにぽつりぽつりとした民家が見え始めた。
石橋の向こうには、鉄道橋。
中国の鉄道は乗ることはあっても、それを外から眺める機会は実は少ない。
けれども宜賓は街中を線路が通り、人々の生活の中に埋もれるようにしてそれが存在している。その様子はなんだか、今も昔も線路や電車が身近にある日本の鉄道風景によく似ている。

ところがここで、やはりというか、哈啰出行から電話がかかってきてしまった。区域外である。
仕方なく方向を変え戻ろうとするが、間もなくして電力は落ちた。もう罰則かと思う程、ペダルが重い。さらにタイミングの悪いことに、このときちょうど上り坂だった。
私はもうこぐことができなくなり、とうとう自転車を下りて区域まで戻ったのだった。

するとここで盐坪行きのバスとすれ違った。
盐とは、日本の漢字で塩のこと。
長江南岸を李庄古鎮方面へ向かうと途中で盐坪という地名があるのはどこかでみてうっすらと記憶していた。
おそらく塩が産出される場所なのだろう。宜賓のすぐ近くの都市、自貢は塩の産地として有名だ。ここらでも塩が出るのかもしれない。
それはともかくとして、盐坪は私が行ってみようとしていた長江南岸エリアにあり、これはもう鄙びた地区であることは間違いない。
ではそのバスに乗ってみようか。

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そう思い電動自転車を降りて近づいてみたバス停は、宜賓海関だった。すぐそこには巨大な海関の建物がある。海関とは税関、つまりあれは税関機関だ。
しかし政府機関などに用事はない。
バス停の案内を覗き込んでみると、ここを通るのはたった三路線のみ。
五粮液行きの2路。
高速道路バスターミナルから李庄古鎮へ向かう39路。
それから高鉄駅から李庄古鎮へ向かう45路。
なんだか盐坪行きバスが通るバス停を探すのも面倒だったので、ここで李庄行きバスに乗って適当に向かってみることにした。
私の目標は、宜賓市街地に走るすべての路線に乗り、途中ぶらり下車をやってみることだ。今のところ電動自転車サイクリングやハイキングにはまりつつありなかなかバスの出番がやってこないだけで、ならば今日はいいチャンス。結局のところ、なんのバスでもいいのだ。

ところが李庄へ向かう39路も45路も、いつまでたってもやってこない。
五粮液というこれもまた私がいつか乗るべきバスは頻繁にやってくるのに、どうしてこの二路線は来ないのだろう。私のマンションもバスに乗るのにかなり待ち時間があるが、でも…。
ふと思いついて百度地図を開いてみると、李庄古鎮へ向かう道の途中になにやら通行止めマークがしるされている。
これかぁ、と納得するも、でもここが通行止めでもその手前のエリアに向かう人もいるだろうに、それならバスはやっぱりあるんじゃないか、と考えてみたり。
しかしやはり、いつまでたってもバスは来ない。
暇つぶしに百度地図をスクロールさせておもしろそうな場所がないか見ていると、南岸坝站という駅が現れた。
ここで普通列車の駅といえば、宜賓站。もうひとつ駅があったなんて。
李庄方面はまたにして、気ままにそちらに向かってみることにした。

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向かってみると私が普段よく出没するエリアすぐそばだったということに気づいた。
ここには大通りがあり、若干傾斜した一帯にはワンダーだとか新しいモールだとか市政府機関が建ち並ぶ。
私がよく利用するスターバックスはこのワンダーにあり、そこからよく、大通り挟んで向こうに見える山を眺めたものだ。しかしその大通りの向こうはなんだか人を寄せ付けない雰囲気があり、また誰もそちらに入っていかないようなので覗いてみたことがなかった。

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しかし近づいてみると、奥に続く小さな道が向こうに下っている。
すぐそばには、「重慶鉄路分局 宜珙支線管理中心」と文字が残る建物。すごく歴史があるような雰囲気ではないけれど、私が好きな4、50年前の雰囲気が香る。

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歩いていくと、そのまま線路に出てしまった。
駅といっても随分開放的な駅である。通常の駅はふつう自由には出入りできない。しかし駅の入り口も見当たらなかったし降車した旅客が抜ける出口もないよう。

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駅舎はとても小さくて、こちらは待合室と書かれているが、封鎖され中に何かの機械の残骸が見えた。
この外観、なんだか昭和から平成初期に賑わった海水浴場のトイレみたいで懐かしい、そんなふさわしくない表現が頭の中に浮かぶ。

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こちらは今もスタッフが働く駅舎。といっても銀行の窓口に似たようなものが中に見え、こちらもやはり普段利用する一般的な駅舎とは異なる雰囲気。
ここはどうやら一般の人が乗り降りする駅ではなく、どうやら貨物専用の駅のようだ。

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駅舎のすぐ近くには、古い商店があった。
おじいさんがいて、お孫さんのような小さな女の子が近くで遊んでいる。
覗いてみようかな、と悩みながらも通り過ぎる。
この線路を取り囲むように密集するのは古いレンガ造りの建物たち。少し先にある車通りの激しい道路やマクドナルドやケンタッキーが入るモールがまるで嘘みたいに、ずっとずっと前からの生活がここには残っていた。それはまるで別世界のようで、道路向こうの大きな変化を、ここに暮らす人たちはいったいどんな気持ちで見守ってきたのだろうか。

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線路に立ち入ってはいけない。
これは中国だろうと日本だろうと、常識である。
特に中国の少なくとも宜賓の街中は、線路沿いに古い住居が並ぶために線路もまた生活空間の一部のようになっている。
線路を道のように歩き、街へ出るために線路を横断し、そんなことが日常的になっているので、いたるところに「横断禁止、歩行禁止」そんな注意書きが看板だったりスプレー書きだったりと、目にすることが多い。
私なんかは特に、別にここで生活しているわけではないのだから、なお線路に侵入すべきではない。
また中国では鉄道もまた国家機密のひとつであり、むやみに撮影するとまずい場合もある。
それを承知のうえできょろきょろと警戒しながら、私を見ても無反応な職員に不気味な笑顔を向け、線路を道代わりにする住民にくっつくようにして線路を歩いてみる。

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逆光から逃れるように東へ向かってみると、駅舎のすぐ向こうには小さなホームのようなものが見えてきた。
近づいて見てみると、貨物列車の貨物部分が停まっている。
やはりここは貨物専用の駅のようだ。ここは荷揚げしたり荷下ろししたりするホームだと思われる。

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ホーム側に回ってみると、大量の雀が這いまわっていた。
コンクリートの地面にはなにか食べれるものでもあるのか、頭をつんつんと上下させながら群がるそれらは、私がひょいと覗くとぶわーっと舞い上がり砂埃をあげた。

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列車の側面にはたくさんのチョーク書きが、なんだか人の温かみのように感じられた。
人身安全、保護自身、こんなのはわかるけれども。
歌唱祖国、緑水青山、そんなのを見るとやっぱりただのいたずら書きか。

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その向こうは線路がカーブになっており、列車が来た時の逃げ場も狭まってきたので深追いはしないことにした。
駅舎まで戻ろうと枕木をまたいでいくと、大通りとは反対側、元から住民が暮らしていた側は私が思っている以上に民家が密集していることが伺えた。
伺えた、というのは道がなくいきなり住居で、住居を入っていかなければその先がはっきりとは確認できなかったからだ。しかしどうやら住居の先には住居が続いているようで、またある古い建物には老人が集まり、みなでお茶会やらトランプなどをやり賑わっていた。

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こちらはその集落側から駅舎とモール方面を見渡したところ。
あのマンション下に見える街路樹の先には車通りが激しい大通りがあり、あの通りをいく度も歩いたことがあるのに、その先にこんな線路や集落があるとは思ってもいなかった。
そんなことを考えていると、駅舎から放送が入った。
「間もなく列車が通ります。注意してください。間もなく列車が通ります」
放送は何度も何度も繰り返される。
線路を住民が自由に行き来しているし、線路から1メートルのところに住居が並ぶ。こういった放送は大事だろう。
そうはいいつつも放送ばかりが繰り返され、列車はなかなかやってこない。
斜面に登り待機していた私はまだかまだかと待ち、場所を変えようかなんて思い始めたところに、汽笛が鳴った。

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列車は先ほどのホーム方面からやってきた。
予想とはまったく違い、ゆっくりゆっくり、まるで徐行運転のようにスピードを落としカーブを曲がり、やがて私の目の前を。

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そうして、もうすぐで駅舎だというのに駅舎へ到着することなく、貨物列車は私の目の前で停車した。
レトロな先頭車両には、1989年の年号が見えた。およそ30年前から働く車両だろうか。
貨物列車をこんなに身近に眺めることもなかなかないのでしばらく夢中になっていたものの、いつまでもここにいるわけにもいかないので車体の横を抜けて数歩進んでみた。
そこにはまた小さな集落があり住居が並んでいて、数人の親父さんたちが腰かけて列車を見守っていた。

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そこで、興味深いものをみつけた。
これを興味深いと感じるのは私だけだろうか。
「黑塔由此去」
黒塔へはここから行けます。
とてつもない力を持った勧誘である。少なくとも私にとっては。
黒塔がなんなのかなんて私は知らないし、宜賓に来て耳にも目にもしたことがない。
しかし、「ここから行けます」ときたら、行ってみるしかないではないか。
ポイントはこの石碑。
これが現代版の看板だったらこれほどまでに吸引力を持つことはないだろう。石碑ということは、少なからず年代を経たものに違いない。

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この強い勧誘力を持った石碑の下には、またもう一つのいざないがあった。
「将军箭指路碑 黑塔」
将軍が誰のことを指すのかはわからないが、かつての将軍が軍行したルートに建てられた塔かなにかだろうか。
この石碑に刻まれた文字の手書き感もまた魅惑的だ。

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そういうわけで、進入してみることにした。
中に入ってみると、古い住居の中にも現代建築があり「24時間監視カメラ作動中」なんて文字も見えた。
10か20、その程度の家族が暮らす規模か。
私が入ると同時に奥からは若い男女が手を繋ぎながら出てきて、出入口をふさぐ列車にあたふたとした。
若い人もいるんだと驚いたが、ここに暮らすのはどうやらほとんどが高齢者のようで、建物の中からは賑やかなおしゃべりの声が漏れてくる。

干されたたくさんの洗濯物に、汚れを重ねた壁。
乱れて並んだ桶に籠、覗き見える調理器具に食器。
そんなものに、長い年月ここで築かれてきた生活の積み重ねを見るよう。

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私は部外者、少し気後れしながらも進んでいくと、視界がぱっと開けた。
小さな畑、小さな池、その向こうにまた民家。
暖かさを超してもはや暑いほどの陽気に、まぶしい緑。

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そのまま道なりに進んでいくと、集落を抜けて山の中に入っていった。
小さな道の脇には、また枝分かれして森の中に入っていく道がある。作られた道というよりも、人が歩き自然にできたような道。
その道の入り口には、きらきらとした飾り物が風に揺れている。
七夕に飾るような、昔懐かしい飾り物。あれにとてもよく似ている。
枝から下がり、それはなんだか道しるべのように、私の目を引きつけた。

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私はそうした分かれ道を選ぶことなく道なりに進み、すぐ先に見えた橋を渡った。
橋というよりは、コンクリートの板を一枚向こうへ渡しただけのようなとても簡素なもの。けれども橋は橋である。
それを渡ると草むらには一枚の石碑が建ち、刻まれているはずの文字はもうすっかり消えて数文字も読み取れない。かろうじて上部に、着人橋という文字がうっすら読み取れた。
こんな橋にもりっぱに名前があり、また由来を刻むような歴史があるんだ。

金沙江に岷江、それに長江、名の知れた大河を中心に発展した宜賓の街だが、こうした地理にあって橋は生命線である。
どこに行くにもなにがしかの巨大な建造物である大橋を渡るけれども、それを造るのには文明の力が必要だった。橋の完成はそこに暮らす人々の生活を変え、またもし橋が不能になったならば死活問題にもなる。まさしく生命線。
だから私は、都会にあるような電視塔よりも、林立するオフィスビルよりも、また賑わうショッピングモールよりも、その街に架かる橋に文明と発展を見る。そしてそこに言葉にできないような美を感じるのだ。
大河と山が大部分を占める宜賓で生活を始めて深まった感慨である。
しかし橋とはなにも、ああした現代的な大橋だけではない。
もとはといえば、橋はとても小さなものだった。巨大な橋などなかった。
川なり谷なり、向こう側へ行きたい。少し何かすれば、行けそうなのだけれど。
そうしたときに橋が生まれる。
だから橋とは本来はとても小さなものだった。
あのうねるような長江を見て、古代の人々は橋を渡そうなどとは発想しなかっただろう。現代の技術があってこそ、橋は巨大建造物となりえたのだから。
もともとは、橋とは人々の生活のごくごく内側にあるもので、地域性の高いものだった。“内”と“外”を繋ぐものでありながら、もともとはとても“内”的要素の強いものだったのではないかと、私は考えている。古鎮の古い石橋や木橋に私が惹かれるのは、そうしたところにそこに暮らしてきた人々の“内”的な背景と、見えないストーリーを感じるからだ。
装飾的工夫のいっさいない大層シンプルなこの橋にも名前があるのを見て、私は自分がどうして橋に魅力を感じるのか、そのことを思い出した。名前が存在することそれ自体が、すでにこの集落の歴史の一場面である。

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しかし橋を渡ると、先ほどまではあった生活感は遠くに遠のいた。
川は濁りお世辞にも清流とか風雅なんてはいえないけれど、さすが四川で竹がみごとに雰囲気を作る。
鳥たちも日差しを待ち望んでいたのか、たくさんの種類を異にする野鳥たちが、代わりばんこに水を飲みに舞い降りたり水浴びをしたりしている。
日本ではバーダーが山に入ってもなかなか思うように鳥は姿を現してくれないというが、中国の鳥はやっぱり中国の性格を持っているのだろうか。こちらではこれでもかこれでもかというほど、人を恐れることなく姿を現す。

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そのまま進んでいくと、線路脇で見つけた石碑と同じものをここにも見つけた。
「黑塔由此去」 黒塔へはこちらから。
そうだ、私はそもそもこの黒塔とやらに行ってみようと思い足を踏み込んだのだった。
けれど兎にも角にもルートは正しいようだ。
ところがこの階段を少し登り、そこで道は終わっていた。大きな岩やらたくさん葉を茂らせた木枝が意図的に山積みされており、その先は土の山。そこからは見えなかったが、越えたところ一帯が崩され整地されているようだ。これでは、この岩と木枝の山を無理やり越えたとしても、どのみちすでに道はない。
どうしようか迷ったが、ここから左手にまた別の道が続いていたので、来たからにはそのままそちらに進んでみることにした。

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ここから数分も登らず振り返ると、絶景とか見晴らしとかそんなものには及ばないけれど、なかなか気分のいい眺めがあった。
ここまで朱色の花をつけた木々をくぐってきた。
こうして眺めてみると、一帯その朱色の木々だったようで、なんだか私一人でその花を独占したような贅沢な気持ちになった。戻ればすぐそこには先ほどの集落があるとはいえ、小さな道を歩いてきたとはいえ、向こうにはマンションが建ち並ぶとはいえ、それでもここまでくると人の気配は一切せず、かなり大袈裟だけれどもなんだか小さな秘境を見つけたような気分。

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この朱色の花は宜賓のあちらこちらで目にしていて、でも日本では見たことがない。こちらではこの季節に花開く有名なものかもしれない、今度だれかに訊いてみよう。

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あとはもうえんえんと山道を登っていくだけ。
これがなかなかにきつくて、汗がだらだらと流れ落ちる。明日は筋肉痛間違いなしだ。初めは黒塔を目指して進入したけれど、もうまるでトレーニングをしているような気分で、塔を見つけたいというよりは目の前の山道に負けたくないという意地。
黄山に泰山、そういった中国の名山にまた登りたいなんて考えているけれど、この情けない体力と有様をみれば、もう無理かもしれない。

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目の前の斜面を見上げるたびに、ここを登り切れば視界が開けて見晴らしを望めるだろうと期待するのに、登り切ればまたその先に山道が続くだけ。
それでもあるときわずか開けたところに出て、ほんのわずかに眺望が望めた。
木々に隠れて確認できないが、手前に長江が流れる。
長江の向こう、正面に低い丘が横たわるが、それを越したところが開発区方面だ。
左手には小さく長江第一大橋が見える。木々に隠れ見えないが、あの左方面が金沙江と岷江が合流する老城区。
今私は宜賓の街並みを長江の南側から眺めている。

ここからはひたすら黙々と山を登るのみ。
途中はよく注意した。
何を注意するのかというと、野外トイレだ。
人気がないとはいえ、ここには山道が通る。ところどころにミカンの皮やお菓子の袋なんかが捨てられていた。人はやはり通るのだ。
こうした人的なゴミに紛れ、時々ティッシュを見つける。これが要注意なのだ。
私には野外トイレを察知する経験値があるが、この道は終始私に警告を与えた。道から逸れたところにあるのならまだいいが、ここは道も注意。通常は野外トイレというのは岩の裏だったり植物の影だったりするものだが、人が滅多に通らない山道というのはそうした物陰を探す必要がないのか、危うかった。観光地である山の登山道は問題ないだろうがこのような山道は要注意。私は図らずもまた新たな経験値を積んでしまったのだった。

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こうして黒塔を見つけるか稜線に出るかいずれかは達成したいと登ってきたが、とうとう行き止まりに出てしまった。
一軒の廃墟を見つけた。
崩れた土壁にまた崩れた瓦屋根。
人の生活が失われて少なくない年月が経過した廃墟。
近づき覗くと、壊れ戸を失った入り口から、崩れた厨房が見えた。
そうとうに古い家だと思われる。
こういうものを覗きたくなる私だが、侵入を強く拒む雰囲気がそこにはあった。
こんな山の中に、こんな人気のない場所に、ここに暮らしたかつての人はどんな生活をしていたのだろうか。
一人だったのだろうか、家族がいたのだろうか。
電気も水も通らないだろうこの場所に、寂しくはなかったのだろうか。
それとも生活があったその時代とは、そもそもそんなもの望むような時代ではなかったか。
どんな笑顔や、どんな悲しみがあったのだろうか。
いろんなことを想像してみるけれども、人の温かみを痕跡としてはいっさい失ったこの廃墟からは、なんの答えも返ってはこない。

とこんなふうに感傷に浸っていたものの、このすぐ先にはなんと現代の住居があった。
ぴかぴかの、中国によく見るごく普通の家だ。見てみれば洗濯物も干してある。
もしかして、廃墟の住人が住処を替えたものだろうか。
しかしここで道は行き止まり。もしかしたらこの現代建築の先には道がのびていたのかもしれないけれど、住居侵入になってしまうので、ここまで。

こうして黒塔は諦めて来た道を下ることにした。
線路脇に見つけた石碑の入り口から、およそ一時間が経過していた。なんだたった一時間かと思う。気分としては二三時間は登ってきたような感覚だ。

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百度地図にはもう道も地名も出てこない。山の名さえないようだ。
ただ、先ほどの廃墟の住所ラベルで南広鎮という地名が確認できた。
現在地を示す三角マークは、なんだか混乱したかのようにふらふらと迷いここに落ち着いた、であるからこの位置なのだろう。
西側に七星山森林公園というこれもまた興味をそそる地帯があるようだ。現在時刻は17時。こちらでは今の季節19時半頃に陽が落ちるのでまだまだ明るい。けれども今から森林公園に散策に向かう時間はないかな、そんなことを考えながら急いで下る。

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急いで下るが、膝がガクガク。たった一時間でこんなふうになってしまうなんてこれはまずい。時々はまたここに来てトレーニング代わりにしようか。
そうして下っていくと、ところどころに、橋の手前で見かけたあの“きらきら”を見つけた。
七夕の飾りにあるような、きらきらと光り、色彩があざやかで、風が吹けばひらひらと舞うような。
変なことをいうようだけれど私はあれが好きで、学生の頃文房具屋で見つけたのを50円とかそんな値段で買っては、飾るところがなくてそのままになっていた。七夕の懐かしい記憶、というのもあるだろうけれども、ようは私はきらきらしたものが大好きなカラスみたいな人間なのだ。
そんな私だから、そのきらきらを見つけては立ち止まった。
どうしてこんな山の中に、あちらこちらにこの七夕飾りがあるんだろう。
けれどもふと気づいた。
これはみんな、お墓だ。
きらきら飾りの下はこんもりと山になっており、よく見ると石などが重ねられている。それらが落ち葉をかぶり草を生やしていたからお墓だとは気づかなかったけれど、よく見ればお線香を燃やした跡もあった。
ああそうか、先日4月4日は清明節だった。
清明節、中国ではお墓参りをしたり故人を送ったりして先祖や故人を偲ぶ。日本でいうお盆のような節句だ。
見てみれば、どのお墓の“きらきら”も、まだきれいなまま。きっとこの前の清明節に飾ったものなのだろう。
あちらこちらに点々とする、石を積み上げただけのお墓。墓標もなく名前もわからない。
昨年の授業で、お墓にかかわる文章があった時に日本の埋葬、中国の埋葬について少し話した。
「中国ではどんなお墓で弔うの?」
そんなふうに訊くと、霊園もあるし山に自由にお墓作ったり、いろいろ、と。家族で一緒に入るお墓もあるし、個人のお墓もあるし。
春節にはジャオユーさんたちのお墓参りに同行させてもらったけれど、それは私が初めて目にした中国の霊園で、やっぱり日本とは少し違うなと驚いたものだった。中国は日本よりも埋葬のかたちが幅広いよう。
しかし実際は、旅をしていて山や草原にたくさん散らばるお墓を目にする。
霊園はあれども、やっぱりこうした自由な埋葬はいまも多いのだろう。
そういえば、先日のサイクリングでたまたま近づいてみた古い工場、あそこには「ここに自由にお墓をつくるべからず」といった看板が建っていた。中国の各地都市化が進むにつれ、今はまだ多く残るこうした自由埋葬もやがて形を変えていくのかもしれない。
陽の光を受けてきらりきらりと舞う飾りを眺めながら、このきらめきはここに眠る人の表情か、それとも見送る人の願いか、人の思いはいつどの時代どの場所も変わることはないよなぁと思いを巡らす。

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こうして途中、景色の良い場所を探しさまよいながら、着人橋まで戻り、集落を抜け線路に出た。

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時刻はもう18時。それでもまだ陽は明るく、四川がかなり内陸にあることを教える。
線路に出て、初めに見た商店とは別の小さな小さな商店を見つけた。
こちらは小さな男の子が店番をし、なんだか日本に昔みたような煙草屋のような雰囲気。
窓から覗くとカップ麺や飲み物、それからビスケットやらスナック菓子やらまた鶏の足なんかがバラバラに広げられている。私がいままで見たことのある商店の中で一番小規模な商店だと思う。
なんだか嬉しくなり、窓から手をのばして物色した。

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そうして買ったのはこのふたつ。
宜賓でとても珍しいポテトチップの塩味、の小袋。それからジュース。これで4元。
男の子はゲームに夢中で、私が支払いしてスマホ画面を見せても、ちらりともしない。店番大丈夫かなと少し心配になるけれども、昔ながらの煙草屋型なので、きっと万引きなんてものもないんだろう。

18時半、もう日没まであと一時間という時刻になって、最後に少し七星山の入り口の下見だけでもしてみようと思い立った。
七星山は先ほどぐるぐる回った山道のすぐ西側に広がる山で、百度地図を覗くと観光地マークが出てくる。地図を拡大して見てみると、市街地側からこの七星山に入るにはたった一本のルートしかないようで、次回散策に来るときのために様子を確認しておきたかった。

南岸坝站から大通りに出て西に進むと、それはすぐに見つかった。
とても観光地の入り口とはいえないローカルな雰囲気だが、それは願ってもいない。

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道を入っていくとすぐに線路が見えた。
この道を下り、線路の下に通る狭く小さなトンネルを抜ける。

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のどかな雰囲気で、ここも少し先にはモールや市政府機関が建ち並ぶ現代的な市街地があるなんて、しっくりこない。
小さく古い商店があり、その前で老人たちがおしゃべりに花を咲かせている。
ここには老人ホームを示す看板があり、その先に進むと大きな現代建築に出た。

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これがその老人ホーム。立派だけれど、なんだか寂しげ。
窓はすべて防犯用の柵で囲まれていて、とても閉塞的に感じられた。
今日はたくさんの、元気に暮らすお年寄りを目にした。それでもこんなところにも、老人ホームはやっぱり求められるんだろうか。
そう思ったけれど、こうした老人ホームに入居するのはきっと、今日目にしたような古い民居に暮らす人々ではなくて、市街地だとかの現代的生活を送る人たちなのだろう。

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ここで気づいたことがある。
七星山区域に向かい正面の稜線を眺めてみると、鬱蒼とした緑のなかに突起を見つけた。
あれはなんと、仏塔ではないか。
仏塔はとても古びた様子で、さらに黒ずんで見えた。黒ずんでいたために濃い緑にまぎれてそう認識しなかったのだ。
黒い塔、ということはあれこそ私が今日求めて辿り着かなかった黒塔では。
であれば、あの位置。
今日私がさまよった辺りはあれよりもずっと東側で、「黒塔へはこちらから」の石碑に導かれたものの、あれではあの行き止まりのあとまだまだ長い距離があったに違いない。どのみち無理だったか。
しかし一度見つけてしまえば、もう気になって仕方がない。
たしかに遠くに小さく見えるそれだったが、けれどもすぐ手の届きそうな距離な気もした。
この時間、また山道を探しあの場所を目指しまた戻ってくることはもう難しいだろう。
山中で日が暮れてしまえば危険だし、それに私の足は運動靴ではなく、すでに足の裏はがちがちに固まっていた。

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とりあえずもう少し気ままに進んでみて、途中で引き返すことにした。
老人ホームを抜けると、高度を少し上げ受ける西日のまぶしさと見晴らしに、農村風景もずっと明るくなった。
カーブを繰り返す上り坂に、右に左に農家があり、おじいさんが腰をかがめて野菜に手を掛けたり、畑に鍬を打ち込んだり。
おんぶ紐で赤ちゃんを背中に負ぶったお母さんに、少し大きくなった女の子が構って構ってとだだをこねる。
土壁に細かな瓦をのせた古い住居が並んだかと思えば、山の斜面に現代のタイル建築。

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もう間もなく19時という時間に、これ以上進むのを諦めて下ることにした。
百度地図を見てみると、なるほど今私がいるここが、七星山森林公園だ。
しかし観光地マークがあるものの、観光地色はいっさいない。観光地化されれていないということではなく、そもそも観光するポイントがない。
とても広い範囲のようなので、山の向こう側に行けば色々と寺院や何かなどがあるのだろうか。
もちろん、このなんでもないごく普通の風景が、とても魅力的で好奇心をくすぐるのだけれど。

試しに百度地図で「黒塔」と検索してみた。
宜賓のシンボルとして有名な白塔がある。
私が宜賓散策をするときに毎回必ず眺めることになる、宜賓市街地でもっとも有名な、そして唯一といってもかまわない、この街を代表する観光ポイントだ。
白塔はこの街では誰でも知っているけれど、今のところ私の場合、黒塔なんて耳にしたこともない。
しかし、白塔に黒塔、対称的でおもしろい。
「黒塔」と検索し、なんとルートは出てきた。
今日歩き回った山道はとても地図に表されるようなものではない。
百度地図に勧められたルートは、車で七星山公園の南側、つまりこちらからすると山の向こう側から車で登ってくるものだった。
なんと、車で行くルートがあるのか。
たしかに地図を見ると、七星山の南側にも山道が通っているようだ。
後日あらためて、タクシーかなにかで行ってみるのが一番楽かな。
そう思いながらも、やっぱり冒険的で楽しいのは今日みたいな山登り。

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迷いながら百度地図のナビを車から徒歩に変えてみた。
すると、徒歩でもしっかりルートがある。今日はどうやらかなりマイナーな道を進んでしまったよう。
では今いるこの七星山の北側から歩いて登るとして、ナビが示す道は七星山森林公園を抜けそのままかなり向こう側までのびていた。
もうすぐそこに見えても、実際はかなり歩くようだ。
直線距離は1400m弱。
徒歩で7.5㎞、所要時間は1時間40分。
行くだけならいいが、帰りがある。
近いうちに気合を入れて行ってみよう。

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来た道を下り、老人ホームを過ぎ、また線路下の小さなトンネルまで戻ってきた。
そこには地名を示す看板があり、村長だとか鎮長だとかの名前や、つまりは行政的な説明書きがあった。

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この地図がとても手作り感があり、そして大雑把だ。
これを見てみると、右上から左下に流れる赤い線が川。今日、着人橋で越えたあの茶色く濁った小さな川だ。この川の流域を一帯、鳳凰溪と呼ぶ。
また黄緑色が七星山で、真ん中の矢印が現在戻ってきた場所、互相村。
そしてこれらの一帯が南広鎮だという。

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市街地側の大通りから七星山へ入っていく入り口はこちら。
電飾が目立つ自動車販売の横には、控えめながらも「互相村へようこそ」と色あせた看板が迎える。
次はいつ晴れるだろうか。

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人気のない山道や農村や古くからある民家の集落、それらとはまったく別世界の市街地に戻るのに、そう時間はかからない。
一本大通りを渡れば、もうそこはショッピングモールや巨大な政府機関が並び、多くのお店で人が賑わう。
この辺りはもう散々歩いていて、けれどもそう惹きつけてくるような飲食店がないのだった。
おいしい新疆料理屋もあるし、モールの中には気に入った日式焼肉店や食べ放題火鍋もある。近くにはちょっと気になっている西洋料理店もある。
けれども今はどうもそれらの気分ではない。
そういうわけでうろうろ散歩をしながら、もう食事よりもこのがちがちの足を癒したくなった。

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入ってみたのは、金沙江に架かる戎州大橋の手前に見つけた小さな個人経営のマッサージ、その名も过足瘾。过瘾は堪能するという意味で、お店のレトロな雰囲気とともに、気になった。

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中国での楽しみとして欠かせないのが足マッサージだが、中国に慣れない人がなかなか入りにくいローカルな個人店から、ちょっとおしゃれな店構えのもの、さらにいろんなサービスをメニューとして持つちょっと大型のものまである。
傾向としてだいたいは、個人店は安くただ少し衛生的でない、おしゃれな店構えのものは少し高いけれど部屋が個室だったり少しきれいだったりと無難さがある。
しかし足マッサージの良さがその価格や雰囲気に比例しているかといえば、私の個人的な感覚でいうと、そうではないのだ。
なんとなく少し高いお店や雰囲気の良い店に期待しがちだが、足マッサージに少しうるさい私の経験からすると、衛生的でなく安くても腕や内容がよかったり、またその逆も、そんなことはよくある。だからもう、入ってみないとわからないのだ。
宜賓へ来てからマッサージに行く機会がなかなかなく、二度だけやってみた。
しかしそのどちらも、私の中ではいまいち。
ここに暮らしているからにはぜひ、お気に入りのお店を見つけたいと思っていた。

結果的に、このお店は大正解だった。
60代くらいの夫婦がやっており、親父さんがマッサージをしてくれたが、力がありツボをよく心得ている。
ほかのマッサージ店では刺激しないような場所もまんべんなくやってくれ、足裏に関して理想的。足だけでなく、肩に首に。最後は土踏まずに吸い玉を当ててくれた。
時間は一時間ほどだったと思うが、それで40元。これは安い。
「また来てね」
そう見送ってくれた夫婦に、「かならず常連になる」と心の中で予感した。

電動自転車でマンションまで戻ったのは22時半。
今夜はマンション下の烧烤を遅い夕食にすることにした。
マンション下には飲食店の選択肢は少なく、麵屋さんなどは夕方には閉店してしまう。
烧烤店は夜半まで営業しているので、もう常連となっていた。
私の行きつけは二軒あり、そのどちらのお店も私を認識している。
楽なのは、わかっているのに話しかけてこないこと。烧烤を食べお酒を飲むときは、たいがい自分の世界に入りたい時。
けれども私が行くと、どの席が好きでとか、かならずお酒を飲むだとかを知っているので居心地もよい。

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今夜選んだのは、50代60代くらいの夫婦がやる、屋外席があるお店。
このお店には猫がいて、ときどきちょっかいを出したり出されたり。
お店に入ると、トレーに好きに串をのっける。

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私の場合は毎回だいたい決まっていて、一回目はこんなふう。
左から、麺筋、お餅、小ジャガイモ、マッシュルーム、パプリカ、カリフラワー、こりこり軟骨の牛肉。
好きに選んで老板に渡す。
お酒を棚から取り出し「持っていくよ」と一声かけ、焼きあがるのを待ちながら先に飲む。
このお店のよさは、サービスでヒマワリの種を出してくれること。これをつまめば、待ち時間など気にならない。

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見上げれば、マンションとマンションの間には大きな大きな月。
そういえば今夜はスーパームーンだ。
皓皓と照らす月。
今夜はお酒が進んでしまいそう。

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焼きあがった串を老板が持ってきてくれた。
ちょっと食べて飲みたいなというときに入る焼き鳥屋さん。
私にとってよく行く二軒の烧烤は、そんな存在だ。
一本は1元から3元程度で、少しだけ食べたい時にも重宝する。
しかし日本の焼き鳥と中国の烧烤は似ているようだけれど、けれども似て非なるもの。
味付けはもう別もので、基本は辛くて脂っこい。けれどもこの辛いスパイスはなかなかくせになるのだ。
始めてお店に入った時には「唐辛子いる?」と訊かれたが、もう今ではなにも訊かれない。もし唐辛子が嫌ならば、スパイスなしで焼いてもらうことも可能だ。

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それから特徴は、このピーナッツの粉。
去年だっただろうか、初めて中国の烧烤を食べたのは成都だった。そのお店でこれが出てきた時、粉チーズ?なんて思ったけれどこれはピーナッツ。これが今でははまってしまって、辛くて油っこい烧烤にこのピーナッツの粉がとても合う。これをつけていただくのだ。
一回目を食べて白酒が一本飲み終わる。そこでいつもたいてい二回目にいく。
またトレーに好きなものを選んで焼いてもらい、白酒をもう一本。我慢するときにはビールだけの時もあるし、飲みたい時には白酒の二本目にいく。この晩は二本目の白酒のあとにビールも飲んだ。

お会計をしたとき、時刻はすでに深夜1時をまわっていた。
いつもであればこのままマンションに戻るけれど少し酔いがまわり気分がよくなっていた私は、そのままこの烧烤のお店があるマンションの裏手に回った。
3月、隔離を終えて戻ってきてから見つけた場所だった。
このマンションの裏手には低い丘が東西にのびており、普段の生活ではその向こうはいっさい見えないから、どうなっているのかもわからなかった。
ここらのマンションに暮らす人もそちらには行かないので、人気のない謎のエリアだった。
3月、ふと思いついてそちらを散策してみると、丘はいちめん畑だった。
農家の人が作業しているのが見え、そこに進入していくわけにもいかない。
けれど一カ所通れる場所があり、それは丘の向こうに続いているようだ。
こうしてそこを渡って丘の向こう側に出てみると、そこには雄大な長江がとうとうと流れている。私は思わず息をのんだ。
その一帯は野放しの荒れた丘のようで、けれど一部は公園のように遊歩道が整備されていた。
それでも、あの畑の丘がまるで境界を作るかのように、賑やかなマンション群とは世界を分かち、まるで山奥に入っていったような人気のなさと静けさで、私は圧倒されてしまったのだった。
こんなにすぐ近くにこんなにも雄大な長江の流れがあったのに、私は今までその存在すらも感じたことはなかった。地理は頭に入っているから、その存在は知ってはいた。でも、まさかこんな近くにあり、それなのにその気配すら感じていなかったなんて。

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月が地球に大接近している今夜、私は真っ暗な丘をつまづきながら滑りながら、長江の丘にでた。
真上を見上げると、空一番てっぺんにお月さま。
少し前まではくっきりとした輪郭をもち皓皓と大地を照らしていた月は、いつのまにこんなに変貌したのだろう、空一面に黒いまだら模様をつくり不気味に光を洩らしていた。
こんなに不吉な夜空はみたことがない。
するどい月光は存在を潜め、おぼろな光がそれでも一面を照らしている。
私はなんだか月でも夜空でもなく、なにか巨大な未知の物体を目にしているような錯覚を起こした。

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長江の対岸には工場があった。
昨年通った時の記憶がある。
長江南岸は山と古い民家しかない鄙びた地域だったが、一カ所工場があり急に一時にぎわいが生まれたような場所があった。
工場は眠らない。
ごーっという重低音が途切れることなく続きこちらにもその振動が伝わってくるようだ。
時折、なにか重たい金属がどこかに当たったり落ちたりするような音が響く。
あれは何を生み出す工場だろう。
長江のほとりにあり、深い山を背後に、その巨大なエネルギーはまるでひとつの生命体のようだ。
私たちが眠っている間も、あの巨大な生命体は眠ることを知らずに動き続ける。毎日、毎日、えんえんと。
不気味なおぼろ月に導かれたような気がして、私はなんだかあの輝く巨大な生命体のきらめきをしっかり知らなければいけないような気がして、そこから動けなかった。

〈記 4月11日 宜賓にて〉

⇒ 宜賓散歩~春のおとずれ~③ へ続く

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2020-05-31

宜賓散歩~春のおとずれ~③

2020年4月14日、この日は黒塔リベンジと数日前から決めていた。
先日8日に金沙江南岸エリアにある貨物駅、南岸坝站周辺の線路を散策していたところ「黒塔へはこちらから」と書かれた石碑を見つけ、そのまま山中をさまよった。しかしとうとう、それに出合うことはなかった。
それが私が黒塔の存在を知った初めである。

宜賓には街のシンボルのような存在である白塔というものがある。
金沙江が岷江と合流し長江を名乗り始める、その長江スタート地点の岷江側、つまり長江の北岸の一番初めの山にそれはいつも目立ち、宜賓の街並みを見守っている。
市政府機関やショッピングモールが並ぶ賑やかな金沙江南岸にいても、金沙江と岷江に挟まれた老城区にいても、川べりに立てばやはり白塔は特別な存在感を放ち、それでいてすっかり風景に溶け込み、人々はひときわ目立つそれを当たり前のようにしている。
その白塔の存在を私はここに越してくる前から知っていたし、市街地に遊びに出れば毎回のようにそれを眺めてはうっとりとした。

宜賓といえば、やっぱり白塔だった。
白塔に対して、黒塔。
黒塔の方はまったくその存在を知らなかったし、名前を目にも耳にもしたことはなかった。
線路わきに私をいざなう「黒塔へはこちらから」という石碑は私を大いに驚かせたし、また期待させた。
まだまだ知らないものがたくさんあるんだよ、見つけてもらうのを待っているよ、と。まるで誰も知らない遺跡を私ひとり発見してしまったような、ときめきを味わった。
けれどそうして山に進入し山道を一時間歩き回ったけれども、結果失敗。
百度地図で検索してみると、反対方面からきちんと公道が通っているようだ。地図に出てくる道ならば、距離はあれど迷うことはないだろう。
そうしてリベンジを近い、晴天を待ったのだった。
天気予報を見れば、晴天まではもう数日待つのみ。私はその快晴予報の日を、リベンジの日に決めた。

百度地図でルートを検索するとかなり歩くことになりそうだった。
そのために午前中早いうちには出発するつもりだったのに、かなりの夜型生活になっていた私、お昼にようやく出発となった。
黒塔へは、金沙江南岸にあるショッピングモール、ワンダーから少し歩いたところにある南広鎮互相村入り口から入っていく。
私は路線バスに乗りまずワンダー付近の市立図書館まで行き、そこから歩き始めた。
市街地はもうすでにすっかり解放され、どの食堂も大忙しにお客の対応をしている。

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この時点で13時。
ワンダーの前にあるパンダがかわいいチェーン店パン屋、麦加楽でお昼ご飯にサンドイッチを買い、近くの商店で水を買い、南広鎮へ面する大通り七星路へ。

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街路樹が立ち並び、この向こうに線路やら村やらが広がっているなんて少しも知らなかった。
「互相村へようこそ」
色あせた看板をくぐり、村へ進入した。

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8日の夕方に下見をしたときと同じように、線路下をくぐり向こうへ。
もうすでに春とはいえない夏の暑さ。
宜賓には秋も春も存在しないのだ、きっとそうに違いない。
春の訪れ、その瞬間に夏の到来。
晴天を待ち望んでこの日を迎えたというのに、あの青空がほんのわずかだけ、憎い。

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南広鎮に入りしばらくして、百度地図を起動させてみた。
黒塔を検索すると、先日と同じルートが表示された。
おすすめされているのは、七星山を突っ切るルートで、所要時間1時間53分、距離8.4㎞となっている。
けっこう歩く。しかもこれは片道で、行けばまた帰ってこなければならない。
現在13時半で、15時半に着くとしてまた二時間、18時前に帰ってこれればまだ陽は明るい。避けなければならないのは、山中で日没を迎えてしまうことだ。
時間に余裕はないけれど、よほど仕損じなければまあまあいけそうだった。

線路をくぐり、茶色く濁った小さな川を横目に、記憶に新しい小さな商店が現れた。
老人が腰かけ、その子供夫婦に孫だろうか、男性が小さな男の子とおもちゃのヘリコプターを飛ばしておおはしゃぎしている。
なんとも幸せな風景。
そう思いながら商店を過ぎようとすると、原始的なトイレがドアを開けていて中が覗き見えた。
コンクリートに長方形の穴が開いただけのトイレで、その下はというとあの小さな川が流れている。
中国の農村部や僻地ではこのような原始的トイレは当たり前のように今も存在する。都市部と農村部の格差は大きく、これはもう個人でどうこうできる問題ではない。
旅行者の身分としては、こうした格差は日本ではけっして経験できない喜びでもある。
けれども環境問題として考えると、深刻な問題でもある。
中国はこの巨大な大地にあるから、川もまた気の遠くなる距離を流れる。その川がどれだけ汚れているのかといえば、想像するのも恐ろしい。
もちろんトイレだけではなく、生活用水もある。
都市部の下水施設が整おうと、農村部の汚水は免れない。
数年前に桂林の川を遊覧したときには、厨房を持つ遊覧船から汚水をそのまま川に流しているのを目にした記憶もある。
そんなことを考えながら、先日向こう側の着人橋で川水に触れなくてよかったなぁと思い出す。しかし汚れた川もどの川も、最後はみな同じ大海に流れ出るんだよなあ。
それにしても私の旅行記は、どうしてこうもトイレ話が多いのか。

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また同じように老人ホームを抜け、民家を越え。しばらく、8日に下見済みの山道を登る。
舗装された道は眩しく、向こうに見える街並みが徐々に遠ざかっていく。

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中国の愛すべき風景は、椅子。
民家の前には、道端には、そこに腰かける人を待つ椅子がぽつり。
こんなところに三つ並ぶ籐椅子は、いったい誰が腰かけるものだろうか。
野菜を背負ったおばあちゃんがここで休憩したり、農作業に疲れたおじいちゃんたちが、ここで煙草をふかしながらおしゃべりしたり。
一つでも二つでもなく、三つというところが、なんとも想像をふくらませる。

ここら一帯は、斜面に農家が建ち並ぶ。
あるところは数軒がまとまり、あるところは一軒がぽつり、またぽつり。
いずれにしても街中の人間にしてみれば寂しい人口である。
いったいどれだけの年月を重ねてきたんだろうなんて思わせる、崩れそうなレンガ造りに古い瓦屋根。土壁から覗く藁。
かと思えば、タイル作りの現代一軒家も。
街中の高層マンションを何十万元もかけて購入するよりは、こうした山中に部屋をいくつも持つ一軒家を建てた方が、ここに暮らす人には過ごしやすい生活に違いない。

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古い民家と現代建築を交互に見ながら、ふと気づいた。
そのうちのいくつかは、古い建築にくっつくようにして現代建築が建っているのだ。
こちらのお宅は、左の古い住居はすでに崩壊していた。

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こちらのお宅は、古い住居の前に現代建築が建ち、またそれらは繋がり行き来ができるようになっていた。
そういえばいつの列車旅だったか、農村部を走りながらこうした風景をよく目にしたのだった。
おそらく古い住居の住人がそれを壊すことなく隣接して新しい住居を並べて建てたものだろう。古い建物もいずれはすっかり崩れるだろうけれども、もうしばらくは持ちこたえそうだ。

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山道は傾斜をゆるくし、その先に小さな小さな、ターゲットである黒塔を遠くに見つけた。
あんなに遠くにありながらもまたすぐ手の届きそうな距離にも思えるけれど、指し示すルートはここからさらに方向を変え迂回していく。

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古い民家のカーブを曲がると、心臓が凍りつくかと思った。
民家に入っていったところに見えたのは、たいそう狂暴そうな、茶に黒が混ざった犬。
それはいち早く私に気づき、立ち上がり低く唸った。

中国には犬が多い。市街地でも農村でも犬はもうそこら中にいて、それはもう日本の比ではない。さらに、そのほとんどがリードなしの放し飼い。
私は犬が大の苦手で、苦手というよりはとても怖いのだ。
しかしどうやら、この恐怖がいけないらしい。
お客に吠えるなんてありえない、なんていう犬がなぜか私には攻撃的になるのは、聞いたところによると犬には私が怖がっていることがわかるからだとか。
そんな私だけれど、市街地ではまあまあ落ち着いてはいる。
それは、市街地で買われたペット犬は人に慣れており、いつも楽しそうにしていること。それから、市街地で出合う犬のそばにはたいてい飼い主がいるからだ。

本当に怖いのは、農村部や山中で犬と出合ったとき。
思い出して今も怖いのは、一昨年の青島旅行だ。
青島のちょっとした山に入り、たった一人のところで犬数匹に出合った。その犬はとても興奮しており唸り、歯を剥き出しにしていた。私は膝をがくがくさせながらも、「背を向けて逃げてはいけない」と理性をキープし、なんとかやり過ごした。しかしあれは私の人生を振り返っても、いまだ上位にあがる大ピンチ恐怖だ。
山中の犬はそもそも野犬である可能性があるし、また農村部の犬の近くには飼い主どころか人がいないことが多い。なにかあっても、その犬を制御してくれる人がいなかったり、襲われても助けてくれる人もいない。これは、怖い。
8日に互相村を下見したときに、散歩記には記していないけれども、帰り際に犬に恐怖を覚えた出来事があった。
そこで気づいたのが、農村の犬と市街地のペット犬はそもそも根本が違うということ。それは日本も同様だろう。農村の犬は家畜や家を守る番犬としての役割を持っている。
人と犬は長い歴史をともに寄り添いパートナー同然のようにしてきたから、単なる道具ではなく、ペット犬のような愛情の結びつきもきっとあることだろう。でも、番犬は番犬。
どうりで、農村には街で見るような可愛らしい愛玩犬はあまり見ないわけだ。
だから、性質もどうやら、市街地で出合う犬たちとは違うよう。
街の犬はボールを加え走り、遊び。私なんぞがびくびく近くを通っても、そんなものよりもボールの方が大事である。
一方で農村の犬は、部外者を見れば威嚇し様子を探る。
それは違うわけだ。当たり前のことではないか。
そのことに気づいたのが、先日。
宜賓は山や農村が多くて楽しいなあなんて思っていたけど、要注意だ。はっと目が覚めるような思いだった。

私がここで犬にびくびくしているのは、なにも単に犬が怖いからという理由だけではない。
それは、狂犬病。
日本はワクチンが徹底しほぼ消滅したといってもよい狂犬病だが、他国はそうはいかない。その中でも中国は世界のトップに立つ狂犬病多発国なのだから、中国に渡航する人はどうであろうともそれは意識するべきである。
狂犬病は発症すれば100%の死。しかも、狂い死ぬのだ。
こんなにも恐ろしい病気なのに中国で狂犬病による被害があとを絶たず、また犬へのワクチン接種も期待できないのは、ひとつはやはり飼い主や行政の危機意識と対策の問題で、もうひとつは恐ろしくも偽ワクチンの存在だそうだ。偽ワクチンについて私はそれが今も変わらぬ状況なのかどうかそれは知らないが、少なくとも数年前はそうした話を聞いたものだ。
つまり、市街地だろうと農村だろうと、犬に出合えばワクチン未接種で狂犬病保有である可能性は十分にあるだろうという認識を持った方がいい。可愛いからと迂闊に触れるのは、絶対にダメ。
それならば、自分がワクチンを接種すればいい。
その通りである。
このブログにも渡航ワクチン接種記録なるページがあるけれども、私も以前は時間とお金をかけて接種したことがあった。
しかしその期限もとうに切れてしまった。悲しいかな、永久有効ではないのだ。
もう一度接種する時間とお金がないとそのままこちらへ来たけれど、命には代えられない。中国で接種ができないものかと、最近ときどき悩んでいる。

そういうわけで、犬が得意だろうとなかろうと中国で犬には近づくべきではない。
しかし山に進入し、放たれた犬の多いこと。
鎖につながれたとても怖そうな犬もたくさんいたけれど、野放しになった犬もたくさんいる。勘弁してもらいたい。
けれども今日、今のところ道中出合う犬たちは、みた鎖で繋がれたものだった。
私を見ては激しく吠え鎖をぴんと張るけれども、鎖があれば大丈夫。
ところが民家のカーブを曲がり、私に気づき吠え始めた犬は、なんと鎖をつけていない!
私は心臓が凍りつくかと思った。
逃げれば追うのが動物の習性。
犬は一歩、一歩とこちらに近づいてくる。まっすぐにこちらを見つめて。
がくがくと震える足。一歩一歩後ずさる。
犬の吠え方は、もう私を襲うことを決めたみたいな興奮状態だ。
私は近くの木の陰に隠れ犬の視界から外れたところで、全力疾走で道を戻った。
道はたった一本。ここを通らなければ他に道はない。
黒塔、諦めるか…。そんな考えが頭を巡る。
しかしやっぱり飽きられられず、ふたたび木の陰まで近づきそっと覗くも、なんとあの犬はまだこちらを見ているではないか。

しばらくの時間どうしようかああしようか悩んでいると、バイクのおばちゃんが犬の方面から走ってきた。
私は急いでおばちゃんを止め、
「あそこに犬がいる。私のことを不審がリとても怒っている。線がないから咬まれるかもしれない。でもあちらに行きたいんだ」と不審者まるだしで話しかけた。
「この辺の犬はみんなあんなふうに吠えるよ、大丈夫、咬まないよ」
明るくそう話すおばちゃん。
「でもとても怒っているよ。申し訳ないんだけど、あの100mを一緒に歩いてくれませんか」
たいそうずうずうしいことを言うものだが、私はお願いした。
ところがおばちゃんは、「あの先にもずっとたくさん犬がいるよ、ならずっとついていかなきゃいけないの?」なんて言う。
「え?まだたくさん犬いるの?」
「いるよ~!」
おばちゃんは元気よく断言した。
これは一つの通過儀礼だ。“びびり”が過ぎるとよく人から言われる。きっと、それを克服すべきひとつの試練だ。
私は、「…わかった。ちょっと試してみる」そう答え一人になった。
結果、膝をがくがくさせながら私はその道を曲がり、通過した。犬を見ない。犬を見ない。私はあなたとは無関係だよ。
それでも犬は相変わらず興奮していたが、なんと見えていなかっただけできちんと鎖につながれていた。
恐怖に惑わされ、きちんと見えていなかったのだ。
他のあらゆる恐怖や感情も、あんがいこんなものかもしれない。
おばちゃんを引き留めずうずうしいお願いをしてしまった結末がこれでどうもバツが悪いが仕方ない。
けれどもこのあとも、民家を通るたびに毎度毎度、犬に怯えるのだった。

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段々畑に、ぴよぴよと鳴き声をあげながら群れるアヒルの雛たち。
宜賓の山風景は日本のそれに似ているなと思うけれど、そうした光景にやっぱりここは中国だなと実感する。

道端にはサクランボの木が果樹園を作っており、きらきらと輝くような果実に思わず手をのばしたくなる。
段々畑、ぴよぴよの雛、さくらんぼ、ウシガエルの鳴き声。
ここを遅いお昼休憩の場所にすることにした。

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除菌シートで手を拭き、買ってきたサンドイッチを取り出す。
卵にハムにキュウリ。
日本でもおなじみの、おいしいサンドイッチのはずだった。
けれどこれがどうして甘い。

中国には近年現代的でおいしいパン屋さんが増えた。
宜賓もその例外ではなく、もうあちらこちらに現代パン屋さんが並ぶ。その中でもこの麦加楽は全国チェーンなのか四川チェーンなのかは知らないが、もうコンビニかと思う程市場を占めている。パンダがイメージキャラクターなので四川チェーンかも知れない。
しかし、やっぱり日本の現代的パン屋さんとは少し味わいが違うのだ。
ひとつは、ほとんどが甘いお菓子パンであること。
肉松(ふわふわの繊維状になった甘い干肉)が多用されていること。
それからもうひとつは、おかずパンであっても甘いこと。
以前にピーマンやサラミがのったピザパンを買ってみたら、パン生地が甘ければかかっているマヨネーズも甘く、とても残念な気持ちになった。甘いウインナーパンも悲しかった。
そういうわけだから、このサンドイッチも甘いであろうことは想定している。
まずくはないし、十分おいしいだろう。
しかし私はやっぱりサンドイッチといえば、マーガリンをぬったパン生地だろうと卵マヨネーズだろうとしょっぱくあって欲しいし、少なくとも甘さを求めたものではないのだ。

中国でマヨネーズといえば、たこやき。そういえばたこやきにかかるあれも、甘い。それから、以前にサービスでフルーツサラダをいただいたときに、「これつけて」とまるでクリームのように添えてくれたのも甘いマヨネーズで、メロンやイチゴやバナナなどを甘いマヨネーズにつけて食べ続けるのはなかなかに根気のいることだった。
どうやらポイントは、マヨネーズの甘さのようだ。中国のマヨネーズは基本的に甘いものであり、私たちが一般に口にするあれではないのだ。
私が暮らす場所にはスーパーにもマヨネーズなど売ってはおらず、少し遠出しなければならない。けれどもそこに売られるキューピーもまた、甘いのだ。
ある人が教えてくれた。
「キューピーにも二種類あるんだ。パッケージの色が違うからちゃんと見るんだ」
宜賓にはそもそもまず、甘いマヨネーズですらなかなか売っていない。正統マヨネーズならなおのこと。そこでその人は、成都ならあるよとわざわざ甘くないキューピーを買ってきてくれたのだった。キューピーの正規品、しかしこれでさえも完全なしょっぱさを持っていなかった。
異国で暮らすとはこういうことかと、予想外のところで実感したのだった。

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甘いサンドイッチをたいらげ、そのままもう一つ買っておいたチキンバーガーを食べてしまうことにした。
こちらのパン屋さんでは定番のようにある、チキンバーガー。しかしこれも予想外だった。
こちらは甘くはなかった。
しかし、想像するフライドチキンではなかったのだ。
フライではあるけれど、なんというか、つくねのような感じ。ならばチキンつくねバーガー?
おいしいは、おいしい。奥からはサンドイッチと同じ卵マヨが現れたが、チキンつくねの主張によって甘さはどこかに隠れている。しかし、複雑な気分は否めない。

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そのまま道なりにえんえん歩き、15時半。
空間が突然に開き、草むらの中に牛を見た。
15時半といえば、ナビが示していた到着予想時刻である。
けれどももう一度百度地図を見てみれば、目指す黒塔まではまだまだ。あと二時間くらいはかかりそうだ。
途中でサンドイッチ休憩があったとはいえ、私の歩くペースはそう遅いものでもなく、時間を延ばすようなものでもなかった。
そうやらこのナビは、山道の傾斜などは計算に入れていないようだ。
舗装道路が通っているとはいえ、陽が落ちたらそうとうにやっかいだ。それこそ野犬が出てくる。
帰りが少し心配になり、足を速めた。

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この牛がいる場所で、道は二手に分かれた。
一度は間違えそのまま進んでしまったけれど、引き返してこの七星山四季農場なる看板が示す方に進み直した。
ここからしばらく、なかなかにきつい坂道が続く。
この間違えた道の方はどうやら百度地図が初めに示した第二候補ルートで、ここから別方面に出て市街地に戻ることができるよう。帰りはここを使ってみようか。それならば先ほどの犬たちも回避できる。
この分岐点にはなにかの保管庫のようなものがあり、高い鉄条網に囲まれていた。
「爆発場所につき火気厳禁」なんて文字。
爆発物じゃなくて?
急斜面を登りながら見下ろしてみると、中には小さな建物を土嚢で囲む作業をしている人がいる。
そしてこんな場所にもまた狂暴そうな番犬が。

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このあとはひたすら道なりに登った。
そしてしばらく孤独に登っていくと、石レンガの建物を目印のようにして、その先に開けた景色に民家が散らばっているのが見えた。
その民家の先の真上、稜線上には、深い木々に囲まれた黒塔が見えた。
あの民家の中を突っ切っていけば最短距離にみえるが、どうやら道が通っていないのか、百度地図が指示するのはそのまま集落には近づかずまっすぐ進み、さらに黒塔から西に離れ迂回するようなルート。

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やがて、安心感をもたらすような黒塔が描かれた看板。
矢印は右を差すが、それは黒塔ではなく別の施設かなにかを示すもの。
私はナビに従い左へ進んだ。

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するとここからまた民家が姿を現し始め、小さな集落になっていた。
あちらこちらで家畜のアヒルや鶏が賑やかに声を上げている。
民家はそのほとんどが家畜を持っていて、それを守る番犬がいた。
彼らは私を警戒しどれも激しく吠えたけれど、鎖さえ確認できれば大丈夫。

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こちらが現在の位置。まだまだあって気が遠くなりそう。
なおナビはスタートさせておらず、現在地を確認するためだけにルート画面を保持している。

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真っ青な晴天に真っ白な道。
右は山、左は開けた景色で、遠くに街を見渡せた。
見下ろせば斜面には畑が広がっていたけれども、人の気配はない。
それなのにぽつりとした椅子が私には愛嬌に感じられた。

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椅子の対面には、筍にさくらんぼの実。
さくらんぼには麦わら帽子がかぶせられ、この主はどこにいるんだろう、その姿はどこにも見えない。

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しばらく歩けば今度はこんなものが。
中国で初めて見た、路上の無人販売。
筍が一斤(250g)たったの2元。
丁寧にも横には使い古された天秤棒に、さすが中国、電子マネー決済のQRコード。
こんなに人気のない場所で、だれがこれを見つけるだろう。
「あ、筍があるよ、買っていこう」
なんて言って、天秤棒に載せてきちんと決済していく人を想像してみるも、どうもしっくりこない。
まずは人が通るといいね。そして売れるといいね。
この段ボールには「桃花5元」とも書かれているけれど花の方は見当たらないから、もしかしたらすでに売れたのかもしれない。
たしかに中国には悪い人も多いけれど、きっとみんなきちんと支払っていくのだと、信じている。

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こうしてとうとう、クライマックスを告げるかのような、少し大きな道に出た。
二つに分かれた道は、右が黒塔へ向かう道、左はそのまま下り、えんえん行くとどうやら長江南岸、私が鄙びた地域だと認識しているエリアに繋がる模様。

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もう少しだよ、そう励ましてくれるような黒塔の文字をのっけた農家楽。
農家楽とは、農家版民宿といったらいいだろうか。
民宿といっても観光地に見るようなお客を迎えるために整えられたものではなく、農家の人々が生活しているそのままに泊まれる感じ。きれいな旅がしたい人にはちょっと衛生的にも心理的にも抵抗があるかもしれないし、法律的には外国人の宿泊は許可されていない。が、たぶん頼めば泊まれる。
また農家楽の特徴として、単なる宿泊というよりは街からここまで休暇にくるような存在で、だから四川では麻雀台やお茶台があったりして。そして羊や豚や鶏の丸焼きなんかを提供するところも多い。そんな享楽の場所で、中国ならではの雰囲気がある。
農民が自由気ままに開くものなので、田舎感も満載。
こうして見てみると、電球にペットボトルやボトルウォーターのボトルがかぶせられ、手作りの電灯になっている。まるで小学生の工作のようで微笑ましくもあり、またきれいなホテルにはない素朴さも感じる。

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あとはひたすら歩く歩く。
山をぐるりと回りこんで、地図は黒塔が目の前に待つことを示す。
この分岐点で、右は公道が続き、左は農家が並ぶ集落に入っていく。ルートは左のこちら。

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山の南側に回り込んだようだ。
左に山頂の気配を感じ、右手には眺望があった。
長江の南側はもうこうした一帯緑が広がる地帯で、やはり都市的部分は金沙江、岷江、長江が交わる部分に集中しているようだ。
深い緑に囲まれながらも煙を上げる工場を遠くに見ながら、私は宜賓の、まだほんのわずかな欠片ほどしか目にしていないことを知る。

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右に左に、ぽつりぽつりと民家を通り過ぎていく。
あちらこちらに家畜のアヒル。となれば、番犬がいるに違いない。
警戒して歩いていくと、道には無数の犬の足跡が。
乾く前に歩いてしまったんだね、というやつだが、ここではそんなふうに笑えない。
もう無数に足跡は途切れることなく続き、しかも交わり。これはどうも一頭や二頭どころではない。
いてもいいし吠えてもいいが、必ず鎖が繋げられていることをこころから願う。

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ようやく向こうに、黒塔が現れた。
この達成感、どれほどか。この達成感にあの吠えまくる犬たちも貢献していることを考えると、よくよく味わいたいものだ。

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なんて考えていると、最後まで油断できない。
「犬に注意」そんな紙切れにおおいにびびるものの、けれどもそこにいたのはなんとも頼りない小型犬。
あれなら勝てる、そう信じるけれど、過去にシーズーに見事に指をかまれ血を流した過去を思い出す。

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とうとう黒塔につながる石階段を見つけ、勢いよく登った。

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こちらがゴールの黒塔。
見上げればあちらこちらに草を生やし、ここが長いこと放置されていたことを伺わせる。
南広鎮互相村に入ってから三時間と少しが経っていた。

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七星山山頂である。
しかし塔をぐるりと一周できるほどのスペースしかなく、しかし周囲はそうとうに荒れていた。
こんな忘れ去られたような様子でありながらも人は訪れるのか、一面が食べ物とティッシュのゴミで散らかり、ひどい有様だった。ティッシュは危険だ。塔の周囲は木々に囲まれ人もそうそう来ないだろう、絶好の野外トイレスポットの条件を備えている。ひとつその条件を外すものといえば、「仏塔の下」という本来強い効果を示すはずの倫理観。しかしこの朽ち果てた塔に、そうした効力はもはや失われてしまったか。

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七星山黒塔は、南広鎮七星村七星山山頂に位置し、明の嘉靖帝の時代、1522年から1566年の間に建造されたもの。
高さ30.7m、八角形七層の石レンガ仏塔で、内部は上部まで筒抜けになっており、内壁に沿って118段におよぶ螺旋階段が上部まで続いている。
一層の上部と四層目にうつくしい彫刻が施されているとのこと。
石レンガには塗装が施されておらず、もともとの石質の色味と風化による変色により黒ずみ、その外観から黒塔と呼ばれるようになった。1987年に改修の手が加えられている。
とのことだ。
頂部は崩壊し現存するのは七層、との説明があるので、当時は違った風貌をしていたのだろう。
いずれにしても、これだけの古い仏塔が残るのは素晴らしいことだ。

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入り口は施錠されており、内部には入れない。
しかし覗いてみると上に続く階段がわずか伺えた。
内部はどうなっているんだろう、上層はどうなっているんだろう。
好奇心は止まないが、史跡を守ると同時にこうした古い仏塔はまた危険でもあるので、仕方ない。

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ちなみにこの正面には仏さまが祀られている。
祀られていると表現していいのか迷うが、やはり祀られているのだから祀られていると表現すべきだろう。
というのも、ほんらい仏像がおわすべき場所にあったのは、鮮やかな現代ポスターだったからだ。
みごとに馬蹄形に切り取られ、仏龕のへこみにはまっている。
それは仏さまのポスターだった。
あざやかぴかぴかの仏像のポスターには、南無阿弥陀仏と文字まで印刷され、そこにNAMOAMITABHAとルビが振ってある。
たいへん不敬ではあるが、古く朽ちたような仏塔にこれ以上ないほどのミスマッチを演出しているその様子に、驚いてしまった。
もともとあった仏さまは悲しくも失われてしまったんだろう。
けれども、またここに新しい仏像を置くこともできよう。ポスター以外にも手はあろう。いや、ポスターにするにしてももう少し雰囲気を出すこともできよう。
そうは思ったけれども。でも、これは私がいままで中国を旅してきて近年になりようやく得た、その新しい感覚そのものであることに気づいた。
仏さまに祈るその本質は、いかにも年月を重ねてきましたという骨董的価値ではなく、またどんな人をも魅了してしまうような美しい装飾でもなく、そこに熱心に祈りを捧げひれ伏すその人でありその心である。それ以外のなにものでもない。
そうした心の前にあり、仏堂が朽ちれば新しくし、仏さまが失われたならば新しい形を与える、そのことになんの矛盾もない。なぜならば、仏堂も仏像も仏さまの器ではあるけれども祈るはその形それ自体ではなく、向こうにある本物の仏さまであり、またそれはどうであろうとも失われることはないからだ。
中国を訪れて「改修して新しくなり雰囲気がなくなったね」と残念がるのは、往々にして私のような無信心の旅行客であり、また中国人であっても信仰がそう深くないか、あるいはそれを信仰の対象として見ているのではなく観光の対象として見ている場合である。
ならば、ぴかぴかのポスターでも、それを馬蹄形に切り取りはめ込んだその人の真剣な思いを思えば、それは十分に仏さまでありえるのだ。
こんな荒れた山頂にありながらこの施錠を外し詣でる人がいるようで、鮮やかな仏さまの前にはたくさんの供え物が並んでいる。
お茶に、お菓子に、少し干からびたリンゴ。
この仏塔はいまも、生きている。

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黒塔はまっすぐ北側を向いている。
正面はあいにく木々に覆われて期待したような眺望は望めなかったけれど、塔のてっぺんからは西から東にとうとうと流れる長江が見渡せるはずだ。
そして長江のすぐ向こうには白塔が、遠く遠くに同じようにこちらを向いていることだろう。
黒塔の正面には人が歩いてできたようなわずかな登山道が下に下りていた。
これはいったいどこに繋がる道だろう。
先日失敗した南岸坝站からの山道もこのようなものだったから、えんえんと下っていけばあちらに繋がっているのかもしれない。
ここを下りてどこに出るのか確認してみたい気もしたけれど、時刻はすでに17時をまわっている。
最近はだいたい19時半に日没を迎えるので、もう時間はない。山中は日暮れも早いことだし、地図にも出てこない不確かな山道で暗くなってしまったら危険だ。それに今日登ってきたような舗装道路にしても、街灯ひとつない人少なな道、犬も多い。やはり急いで下山すべきだった。

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登ってきた石階段とは別に他の石階段を見つけ、そちらも先ほどの階段といずれは同じところに出そうな様子だったので、そちらから下ってみることにした。
すると黒塔の方へ向かい歩いていくおばあちゃん。籠を背負っている。
おばあちゃんは笑顔で私に話しかけてくれたが、わからなかった。
「聞き取れない」と伝えるとなおも私に話しかけてきたが、
「ああ、聞き取れないんだっけね~」と笑いながら階段を登っていった。

こうして元の公道に出て、同じ道を下った。
途中の分岐点で方向を間違えてしまったが無事に修正し、無人販売のあった見晴らしのよい集落へ戻ってきた。
ここにはレンガ造りの建物が数頭密集していて、そのほとんどが家畜小屋のようだった。
中からはたくさんの低い豚の鳴き声が漏れてくる。
南広鎮一帯には豚小屋が多いようだ。
私は旅に出る方面柄、家畜といえば羊に馬に牛に鶏にアヒルに鴨に、そんなのにはたくさん出合ってきたが、食肉として定番である豚に遭遇したことがほとんどない。だからなんだか新鮮に感じられた。

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急いでいたが、ここからの眺望には思わず立ち止まってしまう。
私がいつもうろうろしている市街地があんなに遠く。
ああ随分と、歩いてきたなぁ。
左手が老城区、右手は遠くに開発区、手前にわずか長江が姿をみせる。
知り合ったあの人も、入ったことのあるあの店も、記憶に残るあの建物も、あの場所も、ぜんぶぜんぶ、この中にあるんだよなぁ。この中にいるんだよなぁ。
なんて広くて、なんて狭いんだろう。
高いと思っていた山々も、こうして見渡してみればそう高いふうにも思われない。
ずっと向こうは霞んで見えないけれど、いったいどこまで続いているんだろう。
いったいどこまでが宜賓なんだろう。
大地はもうあの先にも、ずっとずっと向こうまで続いているんだろうけども、私にはもうこれ以上の想像ができない。
この先もこの街に居続けるのか、それともどこかまた違う場所に向かうのか、今はまったくわからない。
もしかしたらあの霞んだ先のずっと先、そのまた先に、私のこれからの人生が待っているのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
それは遠く遠く霞んでいて、私になにも教えてはくれない。

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中国南方の段々畑の美しさは、世界中の人々を誘う。
たとえば雲南省の少数民族が暮らす山中だとかそういった僻地に足を運び、人々はそれを秘境と呼ぶ。
夕日を受けて黄金に反射する段々畑の水田は、言葉に表せないほど美しいのだという。
しかしさすがに秘境とはいえまいが、四川省を巡っていて山中にぽつりぽつりと見つける段々畑も、それはみごとなものだ。
私はその美しさのひとつの素は、俗っぽさではないかと思っている。
奥地の段々畑が秘境たる所以は、俗世から遠く離れたまるで天界のような感覚である。
どれだけ美しかろうとも、それは街から車30分のところにあってはいけないわけで、そうなるとしたら美しくともすでに秘境ではない。秘境はけっして俗っぽくあってはいけないのだ。
“秘境の美”を生み出しているのは、実はその場所自体ではなく、内地から遥々訪れる人の感覚。そこに暮らしそこに生きる人々は、その場所を秘境だとは感じてはいない。

これに対し、私がいう俗っぽい段々畑の美とは。
四川省のおもしろさは、実はこの俗っぽさだと私は考えている。
四川にはいわゆる秘境と呼ばれるような地域が多いのは確かだ。地図を見てみれば一目瞭然、色んな線や文字や記号が書き込まれた地域と、一方で真っ白な地域ときれいに半分に分かれている。この真っ白な地帯はもうまさしく秘境地帯だ。
しかしもう半分の色々書き込まれた地域、ここがでは都会的かというと実はそうではない。
もちろん都市はいくつもあるが、私の印象だと沿岸部の地方都市に比べずっと田舎のような感覚がある。
そのひとつとして山々や大河により断絶された地域が多く点在し、地形的にも交通的にも都市的発展が困難だということがあるだろう。宜賓はそのよい典型だ。
つまり、都市部でありながら都会的ではなく、また都市部でありながらすぐそばには山あり川あり、山あり川ありであるから、農村もすぐそばにあり。
今日初めに出合ったような、ショッピングモールのすぐ近くに存在する原始的トイレ、なんてものがあり得る。
マンションの向こうには鬱蒼と緑に囲まれた長江、なんて風景があり得る。
都会的な大都市に暮らせば車でずいぶん走らなければ出会えない風景が、こちらでは比較的身近に存在するのだ。
街と山が近い。簡単に表せばそうなる。
その分なかなか秘境たりえるには難しいけれど、俗世、人がたくさん集まり文化を共有するようなそんな世界のすぐそばに美しい風景が添い、自然風景と人間世界が分離していない。ここは天界ではなくまぎれもなく人の世。
私はこれこそが四川のひとつの魅力だと感じている。
人の生活感や世俗を含んだ田舎風景、自然風景は、それはいとおしいものだ。
ド田舎にあると想像させるこうした段々畑が、都市風景すぐそばにあるのだから、それを目にするのもまたひとつの感慨に違いない。

となかなか清々しい気分に浸っていたが、甘かった。
この無人販売の見晴らしの先には、数軒の民家があった。
ところがここで、なんとまた犬に遭遇してしまったのだ。
犬はなんと三頭もいた。
放されていて紐も鎖もつけていない。
自由なかれらは軽やかな足取りで私に近づき、あろうことか私に興味を持ってしまった。
走れば追いかける。
怖がれば反応する。
また犬の恐怖と警戒を呼べば、私は終わる。
周囲に人は見当たらない。
私は気持ちを強く持ち、無視して進んだ。
膝はがくがく、手は汗で湿る。
犬などいない。犬などいない。
おまえらなど、眼中にないんだよ。
二頭は畑の中に消えた。
ところが残った一頭が私にまだこだわりを見せている。
吠えてはいないし、歯も出していない。
ただ、ときおり私に向けて身構えた姿勢をとる。
私は危険を感じ、同じように無視を決め込みながらも、道を進むのをやめ進路を民家にかえた。このまま進めば民家すらもなくなり、逃げ場もなくなる。
民家に入っていくと、幸いなことに女性がいた。
「あの犬はあなたたちのですか?」
そう訊ねると、そうだという。
「私犬が怖くて、あの犬が私に興味をもって困っています」
行きに出会ったバイクのおばちゃんとは違う。犬の飼い主ならば面倒をみてもらいたい。
ところがその女性は、「そうなの?」そういって、終了。取り付く島もない。
困り果てた私はこのまま日が暮れることをさらに恐れ、気を強く持ち突破することにした。
民家から離れ、下り坂を下る。
犬に気づかれないようにさりげなく背後を伺うと、そいつはまだついてくる。
これが小型犬ならまだかわいげもあるが、なかなか立派な体格をした犬である。
もし狂暴に転じたら、殴るか石を投げつけるか。
けれども周囲を見渡してみるも、悲しいことに一帯土質で石がない。
膝のがくがくはひどいことになっており、もう勘弁だった。
カーブを見つけ、曲がったところで全力疾走し、次のカーブまで。
最後はこうして犬を巻くことに成功したのだった。
サメに襲われたら鼻面を殴るとか、クマに襲われたら喰われる瞬間に片腕を捨てて舌を引っこ抜くとか、最後の手段を耳にする。
けれども犬ですらこの有様の私には、とうてい無理だよなと、そんなことを考えながらも膝は落ち着きを戻した。

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やがてあの牛を見た分岐点に戻り、元来た道を帰るのではなく、一度間違えて進んでしまったもう一方のルートで戻ることにした。
というのも、地図を見てみるとどうやらこちらの方が、距離はあれども街に出るのがかえって早いと見たからだ。
間もなく日も暗くなる。暗くなる場所は村よりも街の方が安全だ。

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この分岐点を過ぎ、すぐ目に見えてきたのは農家。
その農家の向かいには真っ赤な花が咲き乱れていた。
思わず近寄り、西日に透かされたまるでルビーのような深い輝きに、ここを離れがたくなる。

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こうして街はずれのマンション地帯に出たとき、街は明かりを灯しだしたところだった。

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大通りを東に進むと、街は夕食時で賑わっていた。

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黒塔路に出た。
中国の通りに付けられた名前にはどこにも共通した傾向がある。
ひとつは、人民解放路、中山路、といった全国的にみられるネーミング。
また、北京路、上海路、蘇州路、なんてその土地には全然関係ない全国の都市名がつけられている場合。
それからこのように、その土地を代表するものがネーミングに使われている場合。
だいたいこれらのどれかだ。
宜賓市街地はというと、黒塔路があればもちろん白塔路もある。
五粮液路や酒都路、金沙江大道、三江路、長江路、宜賓ならではのなかなか面白い名前をもった道が多い。

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とうとうショッピングモールが集まるエリアに出、それを越して飲食店が並ぶ賑やかな通りに出た。
ここは深夜までにぎやかで、屋外にテーブルを並べる烧烤店も多い。

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私が選んだのは、ここから曲がったところにある烏魚府。
魚府というのは中国でよく見かける店名で、ようは魚をメインにしたお店。魚王国、みたいな感じだろうか。
烏魚というのは宜賓で愛されている魚で、この魚を売りにしたお店は多いようだ。
私は以前食べた烏魚の火鍋が忘れられず、検索してこのお店を選んでみた。
この外観、正直に言えばいかにもおいしくなさそうな安っぽさである。
鍾乳洞をイメージし、なんだかお化け屋敷みたいな雰囲気だ。真にこだわりうまい店というのは、こうした店のパフォーマンスに頼らないだろう。
わかってはいたけれど、前からこのお店の派手さが気になっていたので、入ってみることにした。

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お店は大きかったが、お客はいなかった。
私は店員さんと話しながら注文をしたが、考えが少し甘かったことを知った。
まず火鍋なので、火鍋スープで40元前後。それにタレや食器類の代金が数元。
これに具材を何にするかだが、烏魚は一斤(250g)39元となっている。魚は個体により大きさも異なるから、どこのお店もこうした量り売りで料理をする。
私はもちろん烏魚を頼んだが、一番小さなものでも二斤になるという。
となると、もうこの時点で100元を軽く越してしまっていることになる。
他の具材は頼まず烏魚だけにして、私は出費を覚悟した。

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烏魚鍋の特徴はこの、アフタヌーンティー式。
かどうかは知らないが、以前に食べたものもこうやって出てきたものだ。

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そしてこのような、美しい薄切り。
中国内陸の魚でこのような切り方をして食べれる魚を、私は他に知らない。
烏魚の特徴はこの肉質で、骨が細かくなく肉質もしっかりしているため、このような食べ方ができるのだという。
一般に魚火鍋といえば、まるごと投入か、またはぶつ切りにして投入だが、この烏魚はこうした特徴からこのように薄切りをしゃぶしゃぶして味わうことができるのだ。
味は美味。とてもおいしい。
日本のぶりしゃぶに感覚は似ているような。

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選んだスープはこちら。浮かんでいるのは宜賓の名産で、疎い私は説明ができないのだけれど、竹関係の食材だ。乾物として街中あちらこちらに売っている。
筒状のスポンジのようなかたちをしていて、けれど恥ずかしいけれど竹のなんなのか私は知らない。日本でも食べるのかな。

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この烏魚、まるごと食べる。
こちらは頭。頭も投入する。

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またこちらは皮。皮単体で火鍋の具材になる魚を私は他に知らない。
食感としては鮭の塩焼きの皮みたいで、好きな人は好きだし、おいしく感じない人もいるだろう。

こうして烏魚をたいらげ、白酒にビールを飲んだ。
お店の女の子が二人とても好意的にしてくれて、連絡先を交換しようと何度も何度も言ってくれた。
しかし私は断った。
宜賓に来て、食事をするたび、タクシーに乗るたび、道で声をかけられるたびに連絡先を交換していたら、本当にきりがないし、日本よりも連絡先交換へのハードルがずっと低いとはいえ、私はむやみやたらに人に連絡先を教えるのが嫌いだったからだ。
そんなに訊かれるのと思う人もいるかもしれないが、外国人だとわかった時点で訊かれると想像すれば、大差ない。もううんざりしてしまう。嬉しくはない。
お店へはご飯を食べに入ったのであって友達を作るためではない。それに店員として出会うとやっぱり、友達と感覚は違う。
しかも、一人に伝えればその店の他の従業員からあとから友達申請が来る始末。勝手に教えられた時点で、プライベートな交流をする気が遠のく。
変な連絡が来たり、会おう会おうと誘うのが男性であれば、どうも気が乗らない。
だから私は慣れたお店ばかりに行く。
ある時は道端で声をかけてきたセールスにしつこく連絡先を訊かれた。断る理由に外国人で言葉がわからないから、と言ったのが悪かったのだ。この人はほんとうにしつこくて、私は最後走って逃げた。
中国では連絡先を訊く感覚が日本よりもずっと軽いのと同時に、断ってもしつこくする感覚も軽いと思う。
習慣の違いはあれども、断っているのにしつこくするのは中国人同士でも嫌がられるのではないだろうか。
それでも入ったお店で何人かに私は連絡先を教えたことがある。
「この人は良さそうだな」そんな場合には教えてしまうこともある。
結果、この人にはまた会いに行こう、はわずか。
ほとんどが、教えなければよかったな、という後悔。
そんな中で、私が「いいお店だな」「いい人だな」と思った人はみな、男だろうが女だろうが、年配だろうが若かろうが、真っ先に連絡先を訊いてこなかった人。
でありながら親切に接してくれ、また私のことを覚えて迎えてくれる。
そんなふうに距離感を測れる人。
ここでつくづく思うのは、旅と生活では感覚も状況もまったく違うことだ。
旅先であれば、連絡先交換のハードルはぐっと下がる。
そこには相手云々以前に、私側の心境が大きく影響しているのだろう。
それに、旅の道中で知り合う人とはなんらかの交流をしている。
やっぱり宜賓は、生活の場なんだよなぁと思う。
けれども旅だろうが生活だろうが、やっぱり人と人との人間関係には最低限のコミュニケーションと時間やなにかの事柄の共有が必要だと思う。注文をとってもらっただけで連絡先交換は、やっぱりちょっと早い。せめて何度か来店してからであればいいのに。
しかし結果的に、私はこのお店のスタッフに連絡先を教えてしまった。
最後は折れたに等しい。
優しくて明るい女の子だったからいいかな、と。そうしたらまた別の女の子から友達申請が。
そして翌日立て続けにきた連絡は、化粧品を買わない?というお誘い。
こういった些細なことでもう行かなくなってしまうお店があることを、寂しく思う。

なんとなく複雑な気持ちの帰路、レンタル電動自転車をこぎ、マンションについたのは深夜の2時だった。
黒塔リベンジは果たされた。
狙っていた二日連続快晴予報の時。
天気予報を見てみれば、明日もかわらず晴れ予報。

〈記 4月17日 宜賓にて〉

⇒ 宜賓散歩~春のおとずれ~④ へ続く

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2020-05-31

宜賓散歩~春のおとずれ~④

2020年4月15日、昨日に引き続きの好天である。
のんびり起き上がってみればすでにお昼。天気予報通りに空には青空が広がっていた。
この晴天を逃すと、しばらくはまたぐずぐずした天気が続きそうだった。
曇り、雨、雨、雨、曇り、雨。
試しに成都の予報を見てみると、曇り、曇り、晴れ、晴れ、曇り。
四川はどんよりした天気が多いというけれど、宜賓はまた格別のようだ。
そういうわけで、この晴天を逃すわけにはいかない。

昨日は黒塔への到達に成功した。
到達へ成功したなんてさもすごいことをやってのけたみたいだけれど、なんのことはない、ごく普通のなだらかな低山に登ったにすぎない。しかも舗装道路を。
けれども少なくとも私にとっては、自分で自分を褒めたいような達成感で胸いっぱいだ。
知らなかった史跡を偶然みつけ、それに辿り着く。
念願の旅先への旅路をかなえるのとはまた違った、新たな喜びを知った一日だった。

黒塔は、長江南岸に広がる七星山の頂上に静かに建つ仏塔で、宜賓に暮らしてから一度も知ることがなかった。
4月8日に線路を散策していて偶然その存在を知り、昨日14日、犬の苦難に出遭いながらも無事、三時間と少しをかけて辿り着いた。
一方でこの街には白塔という有名な観光地がある。
それは名の通り白い壁肌が人目を引くような、うつくしい仏塔だ。
長江の始まる場所から、金沙江、岷江、長江が交わる街の中心部に向かうようにして、宜賓の街並みを見守っている。
白塔も白塔が建つ白塔山も、夜にはそれはそれは煌びやかなライトアップに飾られて、それはまるで街の主役みたいだ。
白塔は宜賓のシンボルとして、確かな存在感を放っている。
白塔に対し、黒塔。
なんとも不思議な、でありながら必然さすら感じるこの組み合わせ。
この二基の仏塔にどのような因果があるのかは知らないが、黒塔へ行ったならば白塔へ行かない手はない。
そうして決めた、本日の散策先だった。

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白塔は市街地からすぐのところにあるので、そう焦らずのんびり出発した。
出発したのは14時。
今日も予報通りの夏日だ。
私の肌はすっかり日に焼け始め、真っ黒というわけではないが、少なくともすでに冬の白さは残っていない。それに3月からほとんど化粧をしていないため、顔も同様。
四川美人という言葉はひとつ、肌にあるのだという。
陽の光をあまり見ない四川で、女性の肌は白くまた乾燥を知らないと。
本当か?
白い肌の女性は決まって若い女性。いくら四川だって、肌がきれいな女性はちゃんと手入れをしているに決まっている。

私が暮らすところは市街地から離れているが、マンション群がぽつりぽつりとしているので、人はいるところにはけっこういる。
そして高級なマンションが並ぶ中で私が暮らすところは一番安いものであるため、年齢層も高い。
おじいちゃん、おばあちゃんがそこらに腰かけておしゃべりしたり、トランプをやったり、野菜を地面に並べたり。
けれどももうすでに、ほとんどの人がマスクをしていない。
お年寄りなだけに、少し心配になる。
中国はすでに各都市の封鎖を解き、お店も開き、一部の施設がいまだ封鎖されているものの街の様子はもうすでに以前と同様なまでに回復した。
マンション入り口やお店の入り口での検温もなくなり、またマスクなしでの入店禁止も、いつのまにかなくなった。
マンションの様子はなかなか興味深く、3月、気づけば幾枚も幾枚も掲げられていた打倒ウイルスの横断幕がいつのまにかなくなり、マンション入り口の検温は徐々にフェードアウトしていった。検温係の人が、測るけれどもきちんと確認しなくなり、そのうち待機しているけど測らなくなり、そのうちしょっちゅう不在になり、やがて検温台のみ係員不在になり、そしていつのまにか検温台のテントが撤去され、最後は検温台もなくなった。
四川では連日、「本日新規感染者ゼロ」の通知が上がる。
もう大丈夫だよね、という安心感が街を包み、そして今に至ってはその安心感すらもなくなり、すでにこれが当たり前の状態になった。
けれども政府はまだ終息を宣言してはいないし、大学はいまだ開始時期未定状態。海外からの帰国者に感染者が出ていることもあり、おそらく省外へ出ればまた隔離措置となる。私の場合、宜賓を離れることを大学から止められていて四川省内の移動もままならない。
長い忍耐の時間を越えて解放感でいっぱいなのはわかるが、まだ終息していないことを忘れてはいけない。
それなのに私が暮らすエリアは、もうほとんどの人がマスクをしていない。
今回のコロナウイルスを通して、中国も衛生意識が高まるだろう、なんて話を聞く。
しかしこれも、少なくとも宜賓は無縁のようだ。
すでにマスクを捨て毎日集まり麻雀やおしゃべりに花咲かせる人々は、以前と同じようにそこらで痰を吐くし、もう平気で口を覆うこともなくくしゃみも咳もする。酔っ払い道端やお店の中でそのまま吐く人もいる。食事の前に手を拭く人を見たこともない。
コロナウイルスの出来事はまだ渦中なのに、もう忘れてしまったのだろうか。
ああした時間を経験しておきながら未だにそこらで「かー!ッぺ!!」が日常であることを、恐ろしく思う。
おそらく都市部はこうではないだろうから、これもまた地方格差のひとつだろうか。

そんなことをぐるぐる考え待っていたのはバス。
バス停でも「かー!ッぺ!!」合戦が繰り広げられており、私の頭の中はぐるぐるとする。
白塔があるのは長江北岸、先日工場散策でうろうろした方面で、一帯山のエリアだ。
長江を隔てて市街地からすぐそこなのに、そこもまたレンタル電動自転車の区域外なので、サイクリングで向かうことができない。
そこで仕方なく乗ったバス。

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バスは山の下に一本通る大きな道路を走る。
この道路は先日電動自転車で走ったが、車通りが激しいのでちょっと危険。
大型トラックやダンプカーなんかがびゅんびゅん走る。
開けた景色の向こうに霞んでいるのは、市街地。
左が長江第一大橋で、右手がショッピングモールや市政府が並ぶ繁華街への入り口。
そして進行方向正面には金沙江と岷江の合流点と、それに挟まれた老城区が向こうに確認できた。

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バスを降りたのは、そんな場所。
白塔のある白塔山は観光地だが、その入り口はこのトラックがびゅんびゅん走る道路沿いにある。
バスが不便ならタクシーを使うしかない。自転車や徒歩はかなり厳しい場所にある。

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こちらが白塔山の入り口。
ここには、私が今日ターゲットにしている白塔だけでなく、他いくつかの見どころがある模様。
白塔山風景区は、宜賓市区の東、岷江北岸に位置する登高山またの名を東山といい、金沙江、岷江、長江の合流地点にある。
東に営盤山、南に長江、西に岷江、北に催科山に接し、一般に東山白塔と呼ばれている。
とのこと。

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この門をくぐり坂道を上がっていくと、南側の斜面にはいくつものライトが設置してある。
これはきっと、毎夜カラフルに山を彩るあのライトアップの正体だ。

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カーブを曲がると道は二手に分かれた。
見てみると、左右どちらにも見どころがあるようだ。
私の目的は白塔であるため、左へ進む。

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「食事は油少な目、塩少な目、味は薄目で」
一帯は公園のようになっていて、その芝にはこんなアドバイスがあちらこちらに。
政治のプロパガンダならよく目にするので、またそういうものかと思いきや。人に優しいアドバイスでこころが和む。
そう、四川って本当に脂っこいものが多いのだ。時に宜賓。
私は宜賓に来てから、脂っこくないさっぱりした麺に出合ったことがない。清淡な麺でさえも、油がぎっとり。
火鍋のタレは油だし、烧烤の串には油をたっぷり塗って焼くし、食べ物を食べているというよりは半分油を食べているような気持ちになる。
美味しいからついつい食べてしまうけれど、このままだと体重や内臓脂肪が怖いなぁ、なんて思いながらも外食ばかりしてしまう。

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この公園には池が広がり、向こうの屋根の下ではお年寄りが集まって演奏会を開いていた。息ぴったりな二胡のゆるやかな音色に、気分が一気に時代を遡っていく。
また向こうに広がる芝の上では、幾組もの家族や集まりが、木陰にシートを敷いたり椅子を並べたりして、のんびりと過ごしている。
寝転がって、持ってきた食べ物を食べて、お茶を飲んで。
青空がうつくしくて、木漏れ日がまぶしくて。木陰に流れる風は涼しくて。
これこそ、幸せな生活だよなぁと心から思う。
独り身の私は寂しいけれど、近くの公園や長江の丘で、“独り芝生ごろり”をやるようになってしまった。ちくちくするからシート買ってこなければ、なんて思っていたところだ。
でもやっぱり、気の置けない人たちとそういう時間を過ごせる環境には憧れる。

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山側を見上げると、すぐそこに白塔はあった。
黒塔の困難さに比べ、なんて楽勝なのだ。もうターゲットは手に入ったも同然。
重要なのは、ここには犬がいない。もうゴールは目の前だった。

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白塔がすぐそこに見え安心し、見つけた売店で腹ごしらえをすることにした。
キラキラ風車に、子供用の凧に、おもちゃ。
派手な色が混ざり合い、子どもでもないのに嬉しくなった。
食べ物は、と見てみると、中国ではおなじみの鶏の足、カボチャの種。
それから凍冰粉の文字を見つけ、思わず頼んでみた。

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冰粉は四川の夏の味覚で、四川版蜜豆のような感じ。
しかし寒天のように硬さはなく、ゆるいゼリーのようにほろほろしたものに、黒蜜やフルーツ、ドライフルーツなどを加えて楽しむ。
基本的に冷たいものだが、こちらにきて冬、熱冰粉というものを見つけ食べてみたら意外にもおいしかった。熱、温かい冰粉である。
ここで、凍冰粉。凍らせたシャーベット状になった冰粉かなとも思ったが、冷たく冷やされたものだった。
今日の暑さ、冷たいものがとても嬉しい。
黒蜜だけのシンプルなもので昔懐かしい素朴さがあるし、まるで水晶のような冰粉のきらめきは見た目にも涼し気で、幸せなひと時だった。
夏に四川を訪れたならば、ぜひ味わいたい一品だ。

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お腹が安心してまた坂道を登り始めた。
カーブを曲がったところに現れたのは、迫力あるお寺の門。
石に施された彫刻はそう古いものには見えなかったが、それは精緻で豪華だった。
東山寺、白塔の持ち主である。

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しかし鉄の扉は堅く閉ざされている。
貼られた告知を読んでみると、ウイルス措置のため春節期間は封鎖するという内容。春節からずっとこの扉は閉ざされたままなのだろう。
横から覗けば、それは立派なお寺であることが伺える。
お寺を参観できないということは、白塔にも近づけないのでは。
ふと不安がよぎる。
さきほど白塔のどうどうとした様子を見上げることができたが、そうだ、封鎖されていれば近づけない。先ほど早まって達成を確信してしまったことを後悔する。

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東山寺の外側をぐるりと回っていくと、また別の門が現れた。
こちらもずいぶん立派で、また細工に特色がある。斜めに線が切り込まれ幾何学模様をつくりだす石壁は、なかなかに斬新ではないか。
屋根の細かな細工と激しい軒ぞりも、すばらしい。
しかしこの扉も閉ざされていて、白塔への到達が遠のいていく。

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東山寺の門を越すと、急に現れた集落に驚いた。
並ぶのは飲食店といっても街中に見るような麺屋さんだとか回鍋肉が食べれるような食堂ではなく、農家楽のように丸焼きを提供するようだ。
看板に書かれているのは、羊、鶏、鴨、兎、豚。
それらを丸焼きにする機械がならんでいる。
日本人は、「丸焼き」といったら何を想像するだろうか。
やっぱり豚だとか鶏なのではないだろうか。
私も初めて北京を訪れたとき、買ったガイドブックには北京料理の代表として豚の丸焼きの写真が載っていた記憶がある。見栄えもよくさらに盛り付けられた豚の目にはミニトマトがあしらえてあり、中国人のセンス最強だなんて思ったものだった。
けれども今私が丸焼きといって想像するのは豚でも鶏でもなく、羊。
中国を旅したり滞在したり、出合ってきた丸焼きの対象はどれも羊だったからだ。
だから昨日の農家楽もそうだけれど、豚の丸焼きなんて言葉を見ると珍しく感じる。けれども四川にいれば、豚よりも羊の方がずっと珍しかろうに。
動物一頭一羽の命をまるごといただく丸焼きはごちそうの極致だ。
豚や羊は一人では無理だけれど、兎の丸焼きだったら食べてみたいなぁ。想像しておなかが空いてくる。

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手前には丸焼きのお店が並び声がかかったが、ここから一歩入るとそこは観光とはほぼ無縁の、人々の生活空間だった。
商店も飲食店も民宿もほとんどなく、ただ普通の住居が向こうまで続く。
けれどもコロナウイルスが関係しているのか元々そうなのか、それとも住む人が失われたのか。
並ぶ住居のほとんどは扉を堅く閉ざし、人の気配を失っていた。

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ただ覗けばそこに小さな子供が遊んでいたり、お年寄りが腰かけていたり。
そんな生活の一場面を目にすることもあったけれど、どうもこの集落には不思議な、どこか人工的なにおいがした。
住居も集落もそもそも人工的なものなのに、人工的なにおいとはおかしな表現だ。それは言い換えてみれば、わずかな不自然さ。
全体的に古びていたし暮らすのはみなお年寄りばかりだったし、ベンチがあり椅子があり、洗濯物が干され、車も停まり、そんな生活感は見えるのに、人々がここに暮らしてきた歴史と生活の積み重ねがあまり感じられない。
ほとんどの家屋に人が済む気配が感じられなかったことも、不自然さの一つだった。
ぱっと見てみれば一見古い雰囲気の集落である。
黒ずんだ白壁に、黒い瓦屋根、それからインパクトがあったのは“うだつ”のようなもの。
でも、もしかしたらここはそう古い歴史を持っていないのではないか。そんな気がした。
ただ想像に過ぎないけれど、もしかしたらここは、政府が一斉に建設した住宅区で、これらの建物はみな一括で建てられたものではないだろうか。
本当のところは何も知らない。
ただもしこの想像がその通りなら、逆説的にではあるけれど、様々なところで出会う長く積み重ねられてきた生活の感覚だったり、透けて見えるそこに暮らす人々の歴史というのは、やっぱり気のせいや単なる旅気分ではなく、確かにそこに存在するのだということだ。

道はいくつかの方面にのびていたが、奥に行こうとすると犬が出てきたので私は慌てて引き返した。
集落の奥の方には家畜を放した場所があり、山羊や豚や鶏でにぎやかだった。
丸焼きの文字を思い出す。

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犬に出合ってしまったので道を引き返し、東山寺の後ろにまわってみた。
お寺の背後から見下ろしてみると、やはりずいぶんと立派なお寺のようだ。
お寺のずっと向こうには、金沙江に架かるアーチ橋や繁華街の街並みが見えた。

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このとき白塔は半ば諦めていたが、なんと予想外に塔へ続く階段を見つけた。
階段の下にはおばあちゃんが、お菓子や飲み物やカップ麺などを並べて売っている。
ということは、白塔が開放されているということではないか。

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階段を登ってみるとその先にはとうとうあの白塔が建ち、その足元には大勢がテーブルを囲みお茶を飲みながらおしゃべりをしている。
白塔の足元にはなんと、野外お茶館があった。
ウイルスの蔓延も落ち着きを見せ、しばらく前には大衆的なお店の営業再開許可も発布された。「麻雀店も営業できます」の文字にさすが四川と笑ってしまったものだが、営業をしていいのともうすっかり安全だから人が集まっても問題ない、というのはまた別問題だと思うのだけど。
けれどみんな開放的におしゃべりを楽しみ、すべてのテーブルが埋まり、その上は山ほどの種の殻で隙間がない。

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白塔は立派なものだった。
さすが白塔と呼ばれるもので、しっくいを思わせる真っ白な壁に黒い層の部分の対比がくっきりとし、印象深い。
壁はシンプルで必要以上の装飾や彫刻がないのも、特徴的だ

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入り口左右には龍があしらわれ、また足元には頑張って塔を支える動物なのか人なのかわからない何かがかわいらしい。
入り口の中を覗くと、黒塔と同様に左手から上部に螺旋階段が続いているようだ。色彩の違いはあれど、黒塔と構造がとても似ているように思えた。
ただあちらと違うのは、白塔にはほんらいの仏像とおぼしきものが残されていたこと。摩耗した石像で、かなりの年代を感じさせる。

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東山白塔は古く東雁塔とも呼ばれ、宜賓城東、岷江北岸、登高山(東山)山頂に位置する。
塔身が白いことから白塔と呼ばれるようになり、南岸にある黒塔と対峙している。
仏道の学士が経典を収めるために明代穆宗の時代1569年に建造された、35.8mの高さをもつ六角八層の仏塔である。
といった石碑があった。
ということは、1522年から1566年の間に建造されたといわれる黒塔よりもわずか後に建てられたことになる。黒塔の方が先だったのか。
石碑には黒塔と対峙という記述があり、偶然に白黒というよりは対照的なものとして意識されたふうだ。
白塔は有名で黒塔は無名という私の見方も少し怪しくなった。
というのは、百度で検索してみると、「白塔と黒塔」「白塔と黒塔の言い伝え」などそうした検索ワードが出てきたからだ。
黒塔はただ単に簡単に行くことができないから観光地化されなかったに過ぎないのかもしれない。

頂部は火災により失われているそうだ。黒塔と同じように避雷針が設置してあったから、雷による崩壊かもしれない。黒塔も上部は崩壊して失われていた。
こちらに来てから、雷が多い。この文章を書いている昨日も空は一晩ずっとぴかぴかとしていた。最近たまたまなのか、この地方には雷が多いのか、どうなのだろう。

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この白塔からの見晴らしは絶景といってもよいほどで、しばらくここから動くことができなかった。
幾組かの観光客もここで夢中になって写真を撮っている。

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金沙江と岷江が交わり、長江となる。
街が栄えるのは右手の老城区と左手の南岸。
戎州大橋、南門大橋、鉄道橋、中坝大橋…。
金沙江に架かる橋の重なりに、このエリアの賑わいが伝わってくる。
半島状になった老城区の先端に見える金属質の球体は、長江地標公園のモニュメント。

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一方でこちらは左手を見て。
長江第一大橋を渡り左手の方面は開発区だ。
開発区のみならず、宜賓全体がいま猛スピードでビルやマンションを建設しているのがわかる。

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こちらが正面、ショッピングモールや市政府の立ち並ぶ南岸エリア。
あのマンションの並びの向こうに南広鎮が広がる。
そして七星山。
あの山のてっぺんに小さく見える突起、あれが黒塔だ。

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どれかというと、ここ。
本当に小さく見える。
対峙する兄弟塔といっても、ずいぶん遠くに向かい合っているものだ。
すでに、塔の形状も確認できなければ、黒か白かなんてのもわからない。
それにしても、あそこまで歩いて登った私はすごい。しかも直線距離で登ったのではない。
あの辺から入って、村を突っ切りあの辺で犬に怯え。
ぐるりと西側から迂回し山の向こう側へ出、向こう側から階段を登って黒塔へ至った。
そんなことを思い浮かべながら山肌にルートを想像してみた。

百度に出てきた「白塔と黒塔の言い伝え」という検索ワードが気になり、開いてみた。たくさんの人がそう検索するからそのような検索ワードが候補に並ぶのだろう。
「多くの宜賓人は知らないけれど」といった見出しも見た。
言い伝えが正統なものかは知らないが、適当に拾い上げたものをいくつか並べてみよう。

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言い伝え~その1~
遥か昔この大地にまだ宜賓という街が存在していなかった頃、そこにはただ金沙江、岷江、それから長江と、それを取り囲む青々とした山だけがあった。
長江を挟んで山頂に建つ白塔と黒塔は向かい合い、両者の仲はとてもよかった。
白塔は白い帽子をかぶり、黒塔は黒い帽子をかぶっていた。
しかしある時だんだんと、白塔は思うようになった。黒塔のかぶる黒い帽子の方がかっこいいんじゃないか。それに黒い帽子に自分の白さも引き立つだろう。
そして黒塔も思うようになった。白塔のかぶる白い帽子の方がかっこいい。黒塔は自分のまるで烏のような黒さが好きではなく、白さに憧れていた。白塔の白い帽子をかぶれば、この烏の黒さも高貴な風貌に変わるのではないか。
こうして兄弟は相談し、お互いの帽子をとり替えてみることにしたのだった。
白塔は黒塔が渡した黒い帽子をかぶってみた。なるほど、とてもよく似合って素敵な様子。
一方黒塔は気持ちがはやっていた。白塔が渡した白い帽子をかぶろうとしたその時、興奮のあまり手元を誤り、なんと帽子は風に舞い長江に沈んでしまったではないか。
黒塔はあたまを晒したまま、ただ長江に沈む帽子を眺めるしかなかった。
ところがどうしたことか、沈んだ白い帽子は少しずつ巨大化し固まり広がっていき、やがて肥沃な大地となった。
こうして、青々とした山に囲まれ緑々しい水を湛えたうつくしい城、宜賓が生まれたのだった。

言い伝え~その2~
遥か昔のこと、白塔と黒塔は仲の良い兄弟だった。黒塔は深い山の上にたち、寂しさに耐えられなかった。そこで毎晩のように三江が交わる場所にある岩場に出ては、白塔と将棋をして遊ぶようになった。
しかしこれは天の掟に背くこと。夜の間だけに許された楽しみだった。
ある晩、夢中になりすぎて夜明けに気づかず、朝を告げる鶏の鳴き声に大慌て。太陽が昇れば二人はもとの場所に戻れなくなってしまう。
大急ぎで戻ろうと焦った二人。将棋をしている間とって傍に置いておいた帽子を拾い上げ、急いで戻ろうとした。
ところが白塔は気づいた。黒塔が自分の白い帽子を間違えて持っていってしまった。
白塔は声を上げ黒塔を呼び止めたが、黒塔はもうすでに金沙江を渡り切ったところだった。
空はもうすでに明るみ始めている。
黒塔は慌て、白塔の帽子を思い切り白塔に向けて投げた。ところが悲しいことに、その瞬間一陣の強風が吹き。白塔の帽子は水の中に沈んでしまった。
沈んだ帽子はやがて岩となり暗礁となり。
一方白塔が持つ黒塔の黒い帽子はというと。白塔ももともとは黒塔に投げ返そうとは思ったものの、空はすでに日が昇り時はすでに遅かった。
間違えたものは仕方ない。そうして黒塔の黒い帽子は白塔のものになったが、意外にもこれがよく似合ったということだ。

言い伝え~その3~
白塔も黒塔も、かの有名な魯班(春秋戦国時代、木工による細工や仕掛け、武器の匠として有名)が一晩のうちに作り上げたものだそうだ。
しかしもうあと塔頂に手を入れるだけどいうそのとき、鶏は声を上げ朝を告げた。
慌てた魯班はついうっかりと、白塔と黒塔の帽子を間違えて逆にかぶせてしまったということだ。

言い伝え~その4~
白塔と黒塔は血のつながる兄弟でありながらいつも喧嘩が絶えなかった。
黒塔はたくましく健康的で、一方教養豊かで色白で知性的な白塔とどうも馴染まない。
白塔はというと、自分の洒脱さを持ち上げては、黒塔に対し無学無教養だと言う。
黒塔はある晩、提案した。もう喧嘩なんかしてはいけない。お互いの欠点を補うためにも、ここで思い切って帽子を交換してみないか?
白塔は少し考えたのち、応じることにした。
夜が明けて二日目、人々は驚いた。長江を隔てて向かい合う二基の仏塔の塔頂が対称的に入れ替わっているではないか。
この話は人づてに広まり、遠くからわざわざ眺めにやってくる人まで現れた。
人々が自分たちを観賞し楽しんでいることを知った白塔と黒塔は、内心喜んだ。
こんなにみなが気に入ったなら、すぐに戻す必要もない。このままお互いの帽子をかぶり続けよう。
気づけば二人はもう、喧嘩することもなくなっていた。

どの言い伝えも、「帽子」で共通している。
黒塔の“帽子”は白かったかなぁ、そう思い写真を確認してみたが、塔身と同じ黒みがかった色に見える。
確かに拾い上げた四つの言い伝えのうち二つは、黒塔が手にした白い帽子が長江に沈んでしまうというもの。白い帽子を手に入れることができなかったから?
黒塔、かわいそうだけど、なんだかかわいい。
塔が人格をもち、これらの塔で注目を浴びるのが、内部でも仏龕でもなく頂部であることが、とても興味深い。
しかしいずれにせよ、やはり白塔と黒塔は対称的にとらえられる存在だったのだ。
しかしこの白塔、黒塔という呼称は外観からそう呼ばれるようになり定着した俗称だという。
黒塔に関してはもともと塗装がされなかったものが時代を経て黒ずみそう呼ばれるようになったというから、両塔の建造が1500年代中頃ということを考えると、そこからさらに時代を経て「塔が古いもの」になってから生まれた言い伝えだと考えられる。
言い伝え①は宜賓ができる遥か昔のお話だという設定だから、塔ができて数十年くらいではただ胡散臭いお話になってしまう。
やはり建造からかなり時代が経過してからのものだと考えていいだろう。
ところでこの両塔、ともに塔頂が失われ補修の手が加えられている。
黒塔の塔頂が失われた時期を私は見つけることができなかったが、早い段階で崩れたと説明があった。1987年に大きな補修を行い、当時の民族的資料を基に塔頂を補ったという。
白塔の塔頂が失われたのは1970年代だった。火災で崩れたあとに現地の農民がセメントなどを用い塔頂部に展望台のようなものを作ったが、それは時間の経過とともに黒ずんでしまったのだという。建造当初いったいどのような塔頂があったのかは知る術がなく、現在は当時の資料や類似した建造物からの調査が進められているのだそう。
言い伝えが広まったのは、いったいどの段階だったのだろうか。
黒塔は長く塔頂が失われていたらしい。
白塔の塔頂が失われたのは比較的近代の70年代だが、ここで気になるのは、農民が好きなように再建した塔頂部の展望台が黒ずんだという話。
言い伝えで黒塔が帽子を手に入れることができなかったのは、塔頂が失われていたからなのか。
白塔の帽子が黒いのは、近代農民が自由に建造した塔頂部が黒ずんだからなのか。
それとも、言い伝え上の帽子はともに、建造当時の塔頂を指すものなのか。

言い伝え③を除き、①②④は兄弟として人格が与えられ塔自身の手によって帽子が入れ替わった点が共通している。
また①と②は長江が関わっており、①は宜賓の始まり、②は現在の長江の原型ができる話になっている。
①②は両塔の関係はよく、④は関係が悪いが本質的には友好な話。
共通点が多いことから、まずいずれかの言い伝えがあったのちに、他が別バージョンとして創作されたか、また地域によりそれぞれ存在していたものが部分的に混じり合い変化したか、そんなところだろうか。
百度には多数これらの言い伝えが出てきたけれど、ネット社会である現代、それを鵜のみにすることもできない。
いくつかのページや発信者が紹介する文章は、だいたい同様の文体をしていたから、誰かがネットで上げたものがそのまま拡散されているということもあり得る。
だからこうした伝承に興味をもったならば、せっかくここに暮らすのだから、本を探してみるとか、七星山とかあのあたりに暮らすおばあちゃんたちに話を訊いてみるというのも面白いだろう。
そんなことを思うけれども、おそらく私にそのような身軽さはない。
しかし少し気になったけれども、この地で特筆すべきは仏塔よりも、金沙江、岷江という大河が交わり長江という一大文明発展の源となった超大河が生まれる点である。
この三江が交わることに関した伝承というのはないのだろうか。

さて下山しよう、そう思ったら。
近くにいた放し飼いにされた二頭のマルチーズのうち、一頭が私にかけより激しく吠えた。
私は何もしていない。
まわりにはもっと他に観光客はいるのに。
どうして犬は私を見つけ、怒るのだろう。
私は飼い主になんとかしてもらおうと呼ぶも、飼い主の若い女性は余裕な様子で「ほら、おいで」なんて笑っている。
「おいで」ではない。
すぐに強制的に回収すべきだ。
日本ではリードなしの放し飼いは迷惑防止条例違反だし、通行人に威嚇するのを放置するなんてマナー違反だ。
そう思うけれど、悲しいかなここは中国で、そんな条例は存在しない。
しかしマルチーズにとって飼い主の声はとても有効なようで、私に未練を残し何度も振り返りつつも、最後は女性のもとに戻っていった。

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白塔から下っていくと、やがて初めの登り口に合流した。
すぐそこは、芝生でピクニックをしたり、二胡の演奏会をする老人たちが集まる公園だ。
演奏会をしていた老人たちはちょうど撤収するところだったようで、二胡を収めたケースを肩にかけ、車に荷物を運んでいた。

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私はここから出口に向かうのではなく、また東山寺横の集落を目指した。
その手前に、「古城壁」という標識を見たからだ。
こんなところに城壁があるとは、思ってもみなかった。
集落を右方面に見て、少し危うい歩道を進んでいくと、その先に廃墟のようなコンクリートの建物が現れた。

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これだな、というのは分かったのだけど、四角いコンクリートとしか言いようがない。
内部には何もなく、日本だったら心霊スポットになりそうな雰囲気。
ここはどうやら、古城壁が残るのではなく、それを再現したところのようだ。

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四角いコンクリートの上に上がると、そこから北に山肌に沿って、再現された城壁が続いていた。
イメージとしては、新しく再現された長城のような雰囲気。
歴史的価値といえば、「城壁があった場所にいる」という感覚くらいだろうか。
「古代から宜賓は河を挟んでお城を移っていてね」
そんな話をしながら子供に宜賓の歴史を教えるのには、よい場所だと思う。
また歴史感覚とは別に、ここからの見晴らしはたいそう迫力があったから、古城壁うんぬんなしにもここへ来る価値はある。

城壁にはいくつかの“コンクリートの箱”があった。
その上部は展望台のように、宜賓の街並みを眺めるのには絶好のポイントとなっている。

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こちらは、金沙江方面を見て。
金沙江の南岸、写真の右手ずっと先に、高鉄駅の宜賓西站がある。

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こちらは、岷江方面を見て。
金沙江の南岸に比べ鄙びた印象で、岷江に近いエリアはまだマンションなども建ち並ぶが、奥に行けば少し古びた印象で住居も減る。
岷江北岸を入っていけば、その先には高速道路長距離バスターミナルがある。成都や重慶などの他都市に行きたければこの高速道路長距離バスターミナルが便利。

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こちらは、目の前を見て。金沙江と岷江に挟まれた老城区だ。
下に流れるのは、あと少しで金沙江と合流する岷江。
対岸にはこちらと同じように古城壁を再建した広場がある。東水門だ。
半島のような形状をした老城区を守るように城壁があった。あそこを金沙江側に向かい少し歩いていけば、明代建造の城壁がわずかに残る。
あそこには前漢時代にはすでに土質の城壁が築かれていたが、時代を経て明代の石レンガ式の城壁が最後の姿となった。
一方でこちらにあるこの城壁。
東山古城、または登高山城と呼ばれるもので、南宋、度宗治世の1267年に元軍の南侵に応じて、叙州府がここに都を移し築いたものだそうだ。
この城壁の守りは堅く、八年もの間、元軍の猛攻に耐え抜いた。ところがその後、恭帝に治世が替わり徳祐元年1274年、とうとう元軍は城壁を突破した。
翌年1275年、叙州府および宜賓県は元軍に降り、元軍が城を破壊したのにともない、この東山から三江口(現代の市政府が集まるエリア)に城を戻したのだという。

街を俯瞰してみると、見知ったいつもの街だとは思えない不思議な感覚に落ちる。
足が痛くなるまで歩いて、道に迷って、散策して、何度も通る道があり、未だ見つけていない路地があり。あの中にはたくさんの“いつも”があり、またたくさんの“いつか”が待つ。
それなのにこうして眺めてみると、なんて小さな街だろう。
これはひとつの箱庭だ。
あらゆる喜怒哀楽と数知れない人の人生があの中に詰まっている。
この箱の外があることを知った者は、それを知ってみたいと考えるだろう。
外にはきっと、この小さな世界の中にはない新しい喜びがあると信じるし、またこの小さな世界の中に生まれた悲しみは、きっと外にはないのだと信じる。
けれども、世の中というのはすべてただそれぞれの箱庭に過ぎないのだ。
箱から箱へ移ってみたところで、そこにはそれまでとはほんの少し違った刺激と未知があるだけで、結局はひとつの箱の中で右往左往しているに過ぎない。
それをまるで広い世界に出たような感覚になって。
その広い世界は所詮まぼろしだったと、やがて気づく。
私たちは箱から箱へ移り、また別の箱の存在を知る。
ところがそれら小さな箱たちはそもそも皆すべて、遥かに大きなもう一つの箱の中にあることを知らない。
箱から外に出て。
けれども結局、箱の中。

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かなり長い時間、この城壁上に立っていた。
かすんだ宜賓の街並みを眺め、この先の人生はまったく見えないままだけれど、まずはこの街と向かい合いたいなと思った。
時刻は17時半をまわり、日没が遅いこちらとはいえ陽は徐々に西に傾いてきた。
日差しを全身に浴び、今日も肌の色は一段濃くなったに違いない。
身体中が汗でいっぱい、ハンカチを忘れた私はティッシュで顔中をぐしゃぐしゃと拭いた。

昨日の黒塔への山道といい、今日の白塔といい、この城壁上といい、絶好の見晴らしスポットを見つけてしまった。
冬も夏もそれぞれの感慨はあるだろうけど、やっぱり気持ちがいいのは春秋だろう。
暖かい日差しの下、または涼しい風を受けて、高みから遠くまで見渡したならば、どれだけ気持ちがいいことだろう。
それに、夜景なんか抜群にうつくしいと思う。
いつも眺める地上からの夜景もうつくしいけれど、このように俯瞰したような夜景は一体どんなふうだろう。
黒塔への山道も、白塔も、この城壁も。日本だったら間違いなく夜景デートスポットになる。
だろうに、想像するにおそらくそうはなっていないような気がする。白塔くらいだったら見に来るカップルはいるかもしれない。
黒塔への山道は夜は危険だが、車で行けるのであれば問題ない。けれど私には無理。
この白塔山風景区は閉じるような門がなかったので、夜間も出入りはできるだろう。安全ではないけれど、試してみるのもいい。
城壁の下にはたくさんのライトが設置されていた。
老城区から眺めたあのうつくしいライトアップはこれだったか。まさか城壁だったとは。
山のライトアップを下から眺めるだけでなく、ライトアップされた山に入ってみるものおもしろい。

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黒い帽子をかぶった白塔を最後に下から拝んで、白塔山を下りた。
車通りの激しい道に出て、あのレンタル電動自転車が一台停まっているのを見つけた。
ここは区域外だから本来停まっているはずがない。誰かが区域外料金覚悟で停めたものだろうか。ラッキーと思い、さっそくQRコードをスキャンして起動させようとした。
ところが、「区域外なので乗ることはできません」の表示。
区域外に停めたら罰金はわかるけど、乗る分にはいいじゃないかと思う。停めるときにはちゃんと指定場所に停車するし、だとすれば哈啰出行にとっても回収する手間が省けていいだろうに。
そんなことを考えていると、バスが来た。どうやら最後は老城区へ入るバスみたいだ。これに乗ることにして、停車したバスの入り口に立つ。
バス中央にある降車口は開き、乗客を降ろしてまた閉まった。
あれ?どうして乗車口を開けてくれないんだろう。
私がジェスチャーで求めると、運転手は口元を指した。城壁を一人で歩きマスクを外していた私は、マスクの存在をすっかり忘れていたのだ。
慌ててマスクをつけるとドアを開けてくれ、無事に乗車した。入り口には「マスクしていなければ乗車できません」の文字。
随分と解放された雰囲気の宜賓だが、まだ終息宣言はされていない。

バスはやがて、岷江を渡り賑やかな老城区へ入った。
終点は金沙江の南門大橋のようだが、思い付きで二医院で下りてみた。レトロな電飾が目を引く、市第二病院だ。
バス停を見ると私がまだ知らない路線がたくさん。
想像を掻き立てられるバス停名に、もう今すぐ乗ってみたい誘惑に駆られる。

この辺りは古くて小さな食堂が集まりにぎやかだった。
私の住むマンション付近ではマスク率がほんとうに低くなったが、さすが市街地、こちらではほとんどの人がまだきちんとマスクをしている。

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角を曲がってみると、以前になんども通ったことのある路上市場だった。
野菜に、肉に、魚に、調味料に、果物に。
そんなものが雑多に見えながらも、とても几帳面に並べて売られていたのが印象的だった。
久し振りにここにやってきて、コロナウイルスによる封鎖があったことを思わせない、以前と変わらぬ姿を見せてくれた。

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四川といえば豆腐だが、こんなふうに板に並べて売られている。
こんな市場がすぐそばにあったら、買い物も自炊も楽しくなるのになぁ。

こうして市場を抜け歩いていくと、見覚えのある路地に出た。
昨年に散策したとき、翠屏山の前から東にのびる大通りから北に入ったところにある路地だった。
宜賓特産を売るお店や小さな食堂が並んでいて、次回改めて散策してみたいと思っていた場所だった。
まさか何度も好んで通っていたあの市場のすぐそばだったとは。こうして徐々に地理が頭の中で整理されていく。

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ここで目立っていたのは、教会。
教会の隣に建つのは、福音ホテル。

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四川にキリスト教が広まったのは、清末期光緒帝の時代だった。
1888年にイギリスの布教団体が、1889年にはアメリカの布教団体が、宜賓を訪れ布教活動を行った。
日中戦争期にはスウェーデンの団体が宜賓で布教活動を行い、1916年ここに魯家園新教堂を建設した。
1999年に改修され、現在のこの教堂は2000年に完成したものだそう。

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教会の横には飲食店が並び、教会の側面一階部分は現代式の茶館になっていた。

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少しずつ明かりが灯りだした街を歩く。
老城区には色あせたビルが多いのも、私好み。

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こちらは金沙江に架かる南門大橋を見て。
あの大橋を登らずに下道を右に曲がると、以前に出会った烤魚店など、古い建築や書院が並ぶ界隈に続く。

大観楼から東にのびる東街へ出てみると、ちょうど夜市が始まる時刻だった。
もう19時半だが、まだこれだけの明るさ。
地面に売り物を並べ、準備をする人たち。

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この夜市のおもしろさは、旅行客にはなんのおもしろみもないというところ。
この写真の右上にかろうじて端が写るのは、ポケットティッシュのみを売るお店。
地面いっぱいに隙間なくぎっしりと、ポケットティッシュのみが並べられている。
またティッシュ屋さんの左は、ジーンズ屋さん。これはちょっと、夜市にあっても悪くないもの。
それからその先には、シャンプーと歯磨き粉だけを売るお店。
その先には、箒、プラスチック製の桶を売るお店。
靴下だけを売るお店。
こういうものが、地面いっぱいに並べられ、または小さなテーブルにのせられて売られている。
それらを眺めながら、これみんな、マンション下の商店で買えるものだよなぁとつまらないことを考える。
私が思い描く夜市というのは、台湾のそれや日本のお祭りみたいに、普段とは異なる雰囲気を楽しみながら、ちょっとおいしいものだったり小物だったりを眺めて回るもの。
中国、この街だってそれはできるはずなのだ。
タコ焼きだっていいし、果物の切り売りだっていいし、おもしろおもちゃだっていいし、焼餅だって串焼きだっていいし。
だけど、商店でいつでも買える歯磨き粉だとか爪切りだとか桶だとかを、こうしていっぱいに広げてお客を待つ、この普通さ。
この「もう少し工夫してみたらどうか」という雰囲気がまた、中国によく見るひとつの魅力、おもしろさなのだと感じる、矛盾した自分がいるのだった。

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東街に来たのは夜市のためではなかった。
私のお気に入りのミルクティー屋、茶百道の店舗がここにあるのだ。宜賓にはもう一軒、私がよく行く茶百道があるが、老城区にあるのはここ。
タピオカミルクティーと芋圓ミルクティーとオレオミルクティーしか飲んだことはないが、他のミルクティー屋と一線を引くようなおいしさがあると私は信じている。私はなんでもおいしいと感じるのでそうあてにはならないけれど。
この茶百道は成都にもあり、昨年12月にも成都の太古里付近で飲んだこともある。
店舗に流されている映像が成都のロケーションであることと、イメージキャラクターがパンダであることを考えると、成都を中心に展開するお店かもしれない。

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かわいいパンダの招き猫ならぬ招き熊猫。
この機械はカップを密封するもの。

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この日頼んだのはオレオミルクティー。中サイズと大サイズがあり、中サイズで14元。
大きく砕いたオレオクッキーと、上層にクリームチーズが味の決め手。
中国のこうしたミルクティー店舗は、色々とリクエストができる。
常温か、温かいのか、冷たいのか。
氷はありかなしか。
甘さを加えるか、控えめにするか。
トッピングするか。
これでけっこうなボリュームがあり日本のペットボトル飲料とそう変わらない値段なので、うれしい。

こうして老城区から電動自転車に乗り、金沙江南岸エリアに渡った。
ここで夕食に悩みながらドライブをし、風を楽しんだ。
自転車では得られないこの気持ちよさ。
そうしてやって来たのは、ショッピングモールが集まるエリア。

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入ってみたのは賑やかな道を曲がり、また曲がったところにある李庄白肉のお店。
今夜はさっぱりとしたお肉が食べたくて李庄白肉と検索し、付近にこのお店をみつけやってきた。

お店の人に李庄白肉が食べたいというと、小サイズで十分だよと言う。
これにおかずをもう一品悩んでいると、「空心菜はどう?」
メニューにはないけど15元だというのでお願いしてみた。
これに白酒。今夜飲むのは五粮液が売り出す廉価型白酒、歪嘴。度数は56度で、いつも飲む江小白よりも少し強い。

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李庄は、宜賓郊外、長江を少し下った南岸にある古鎮である。
この白肉が有名で、宜賓を代表する味覚のひとつでもある。
とてもさっぱりした豚肉の薄切りで、油を食べて飲んでいるような感覚になる他の料理とは世界が違う。
では日本でいう豚しゃぶみたいな感じかというと、これもまた違う。
豚しゃぶは薄切り肉に湯通しするが、白肉はまず巨大な肉塊を茹で上げ、それを氷水で締め、食べるときに薄切りにする。
豚から3㎏ほどしか取れないという二刀肉という部位を使ったもので、どこの部位でもいいというわけでなないそう。

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この料理のポイントは、薄切りの技術。
李庄に行けば、いたるところで店の前に丸太のまな板を出し、肉塊に中華包丁を入れて薄切りにする様子をパフォーマンスのようにしているのを目にすることができる。
肉塊に水平に包丁を入れていく。

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薄ければ薄いほどよく、分厚くなってしまったそれはもう李庄白肉ではない。
この技術は競われているようで、李庄では「金賞受賞」なんてお店も見た。
薄切りしたそれには、肉の断面が地層のようにはっきりと見てとれる。皮下の少しこりこりした部分、分厚い皮下脂肪、それから肉部分。
これをお箸で一枚すくい上げ、醤油ダレにつけていただく。醤油ダレはしょっぱさの中に辛さや酸味もあり、これはやっぱり四川ならではの風味。

小サイズでは絶対足りないよ、初めはそう思った。お皿が運ばれてきたときにもそう思った。
見た目はとても少量に見える。けれども食べ終わる頃にはおなかいっぱいでもう入らない。
老板の「足りなかったらその時にまた頼めばいいよ」というアドバイスは正解だった。
このお店はアットホームで雰囲気もよく、老板は歓迎してくれ時々煙草を差し出しに来てくれた。
市街地に来てまた李庄白肉が食べたくなったら、今後はこのお店で決まりだ。小さなお店なのに、白肉以外にもさまざまな宜賓料理がメニューにあるのも魅力。

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電動自転車を飛ばし、マンションまで戻ってきた。
くたくたの足をのばして、ギアを入れる。
一晩中あかりを灯し巨大な音をあげる工事地帯。
それらがなんだか正体の知れないお化けのように思える。
私のマンションは、たくさんのお化けを通り越さないと辿り着かないのだ。
すでに静まり返ったマンション区、大通り挟んで向こう側に、こんな深夜でも元気に煙を上げる烧烤のお店が見える。
ちらりと見えたおばちゃんの姿に、足元にはきっとあの太った猫がいるんだろうなと想像する。
まぶしい照明と白く照らし出された煙に安心しながら、私はそれに背を向けて重たい扉を開けた。

〈記 4月19日 宜賓にて〉

⇒ 宜賓散歩〈8日間周遊〉1日目・南溪 へ続く

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2020-05-31

宜賓散歩〈8日間周遊〉1日目・南溪

2020年4月27日、通常であれば間もなくゴールデンウィークを迎えるこの頃。今年の私には無縁だった。
コロナウイルスの蔓延が落ち着きを見せながらも国内では海外からの帰国者に感染者が出ており、終息宣言はいまだ発せられていない。
私の職場である大学も開校を見合わせていて、しかし再開ももう間もなくではないかという予感がしていたこの頃、ゴールデンウィークもなにも毎日が休日だった。
人々の生活はほとんど以前と変わらぬ様子に戻り、それでもぽつりぽつりとマスクをする人がいることと、学校が始まっていないこと、それくらいがまだ完全なあるべき姿の日常ではないことを示しているが。
けれどもそれでも、一部の人間を除きほとんどが通常の仕事に戻っていたし、多くの人にとっては待ちに待った楽しみな労働節連休だった。
毎日が休日の私にとってはゴールデンウィークなどそもそも関係がなかったし、もしも出かけるならば人混みを回避するためにもこの連休を外した方がいい。
しかしここでまた、天気。
毎日のように天気予報をチェックしていると、27日から晴天が一週間以上続く予報が気になっていた。
曇りや雨が多い宜賓。4月にも晴天は何日もあったが、それらはなかなか二日三日と連続してはくれなかった。
ぐずぐずとした天気の中、まるで狙ったかのように労働節の連休に晴天予報が続いている。そして連休の終わりとともに数日の雷雨予報。
これを逃したらいつになるか。
学校が間もなく始まるかもしれない予感に加えて、今年は夏休みがなくなる可能性が高い。となると、次の旅行のチャンスは国慶節連休まで待たなければならなくなる。
こうして、27日に予報通りに晴れたならばちょっと数日出かけてみようと、考え始めたのだった。

では、どこに行こう。
もともとはこの労働節連休には省外旅行を考えていた。
ところがコロナウイルスの発生により状況が大きく変わり、それも危うくなってしまった。
けれど中国へ戻ったときにはこちらはだいぶ落ち着きを取り戻し、4月にもなれば大学は開校しそうな気もしていた。そうなれば、やっぱり連休にはどこかへ出かけてみたい。
そうして雲南省辺りを考え始め、キャンセル覚悟で鉄道のチケットだけは押さえておくことにした。
キャンセル覚悟というのはもちろん、ウイルスに対する警戒と対策がこの先どう変化するかまったく予測できず、そのときが来て状況がどんなふうになっているのかまるでわからなかったからだ。
もう安全となっているか、また状況変わらずか、それとも感染の波が再来するか。
すでに安全モードの街の雰囲気だが、政府のウイルス対策や管理というものに緩みはない。
例えば私たちの生活に一番影響がある部分でいえば、移動がまだ制限されていること。
省外へ出ることは難しく、場合によっては出先で隔離、戻って隔離、という状況が十分にありえる。北京はその先頭を切っていて、北京外からの来訪者に隔離対策を求めることを発表した。
だから雲南省への鉄道券を確保しておいたのは、もしかしたら移動制限が解除されるかもしれないという僅かな可能性にかけた保険だった。

しかし案の定、移動制限が緩まることも、学校が再開し労働節連休が自分に与えられることもなかった。
4月半ばになり諦めた私は、往復六度乗車分の高鉄チケットをキャンセルした。キャンセル料金はバカにならない金額だったけれど、それだけ状況の回復を願っていたのだ。
キャンセル覚悟だったのでこれは仕方ない。
では、この私をいざなうかのような連続晴天予報をどうしよう。
ここでぼんやりと考え始めたのが、4月27日からの宜賓市内の周遊だった。
省内の移動自体は、問題ない。
宜賓から成都へ行ったとして隔離とはならないだろう。
しかし問題は、私が日本人であること。
これは私が合法に滞在していても、隔離や検査を経て現在に至るといっても、日本は今とても危ないという認識が共通しているなか、間違いなく問題になることだった。
それから、学校が始まってもいないのに遠出は気が引けたこと。
外出はすでに許可されていて、遊びに出掛けることも問題ない。密が高レベルの麻雀OKが発表された四川省である。
けれども派手な遠出は不安だった。
感染の可能性で言えば、落ち着いた現状ではどこへ行こうともそこらへんのスーパーへ行こうとも大して変わらない。マンションの下では毎日「かーっ!ッぺ!」が繰り返されている。
だからこれはどちらかというと、感染がどうとかよりも気持ちの問題だった。
他の先生も市内観光はしているようだったので、私も市内でどこかへ出かけてみることを考え始めた。

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こうして迎えた27日、のんびり起きてみれば窓の外はたいそう気持ちの良い晴天だった。
しかしこの時まで出発を決めていたわけではなかったから、午後までゆっくり考えた。考えたのち、一抹の不安を抱きながらも、出掛ける準備を始めたのだった。
こんな様子だったので、予定はまったく立てていない。
どのみち宜賓を出ることはないから、どこに行こうともその気になれば1日で戻ってくることも可能だ。
何日間遊んで帰ってこようか。考えるのはやめた。
その時の状況と気分で、帰りたくなったら帰ろう。そんなのもたまにはいい。
いつものような、遠くへ旅するのとは違う感覚がある。
そんなわけだから、荷物も最小限に。
二着の着替えに化粧品、それにスマホの充電器。あと現金200元に、銀行カード一枚。
洗顔料も歯ブラシもタオルも、カメラも持たない。

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身軽な恰好でマンションを出て、バス停まで歩いた。
初めの行先に決めたのは、宜賓中心部から長江を30㎞ほど東に下ったところにある隣街、南溪。
まずは近場へ行ってみることに。
滞在日数は決めていないが、出発前にホテルを決め二晩予約しておいた。そこから滞在を延ばしたっていい。

南溪までどうやっていくのだろうと百度地図で検索してみると、路線バスが出ている。
市街地をまわる1路だとか40路だとかとは違う特別な路線のようで、301路と302路が、宜賓市街地と南溪との間を繋いでいる。
市中心部からだとだいたい二時間ほどで南溪へ着くようだ。

やがて来たバスは301路だった。
乗り込むと5元、4元、3元の表示。通常市街地をまわるバスは2元。
この宜賓―南溪線は移動距離で料金が変わるもののようだが、私はいつもの癖で交通カードをタッチ、すると自動で5元が落ちた。4元、3元で支払いたい場合は、現金かバスのQRコードをスキャンして支払う模様。
持ってきた宜賓の交通カード、市街地を離れても使えるだろうか。
私は交通カードの他にスマホにも登録をしていて、自分のQRコードを表示させて支払うこともできる。
これらが使えなければ少しやっかい、現金は100元札二枚しか持っていない。

バスは長江を右手に見ながら東へ進む。
宜賓港を越え、いくつもの農村地帯を越え。
これら一つひとつのバス停で下りてみるのもおもしろいと、新しい発見をしたような感覚だった。
商店一つないような風景、水と食べ物を持って散策したっていい。すぐそこには風光明媚な長江がとうとうとしている。なんて贅沢な散策だろう。
バスの中は席がなくて立つ人が一人か二人いるくらい。
そんな人たちもやがて各所で降り、また老人が乗り込んでは、5元札を見せながら乗客にだれか両替できないか頼む。

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市街地に入りいくつかのバス停を過ぎ、私は最終駅のバスターミナル一駅前の、钻石站で下車した。ダイアモンドスクエア、名前も見た目もいかにも田舎のショッピングモールという感じがしていい。

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予約したのは、ここから少しまた離れた九龍迎賓大酒店。
百度地図で検索すると付近のバス停から3路で行ける様子だったが、どうもおかしくてしばらくしようやく気が付いたのは、3路ではなく8路だったこと。百度地図のナビは便利だけれど、こんなこともあるんだ。3と8が似ているから間違えた?

バスを降りてからしばらく歩き、ホテルへ到着。
南溪で探してみたところ、渉外ホテルは三軒しか見つからなかった。小規模の都市に外国人が宿泊できる渉外ホテルが少ないのは中国を旅行していて一番めんどうに感じる問題で、やっかいなことにはここ2、3年で、以前は宿泊できた渉外ホテルも不渉外になり泊まれなくなるケースも増えてきている。
渉外可というのはホテルが持つ外国人登記ができる権限だが、渉外ホテルが少ない、また減ってきている背景には政府の意図が絡んでいる。
傾向として渉外ホテルは大きくて高め。できれば極力安宿を探したいところだが、こうした状況下どうしても宿泊費にかかる負担が大きくなってしまう。
私が今回予約したこの九龍迎賓大酒店も、ここらでは目立って高層のきれいめホテルだった。一泊200元、出費が痛い。

フロントへ行き、私が抱えていた一抹の不安の瞬間。
チェックインをしようとすると案の定。
「外国人なら健康码と隔離証明書がないと宿泊できません」
フロントの女性は申し訳なさそうにそう答えた。
この状況は私も予想していたので、予想通りではあったのだけれど。

健康码とは、コロナウイルスに関し問題がありませんよと示してくれる、スマホ上で得られる機能。各省でも形態が異なるし、また支付宝などにも入っているが、このように全国統一された全員同一のものではないので私のような人間にはどうも難しい。
これがないと身動きが取れないので、隔離施設のスタッフ初めほか何人もに「欲しい」と助けを乞うたのだけれど、「あなたはない」とか「できない」とか「わからない」となってしまい今に至る。
隔離施設を離れる時にも、これに関わる証明が欲しいとスタッフに相談したが、隔離証明なるものも健康証明なるものも形としてはもともと存在せず、「隔離施設を出て生活が許されていること自体が証明。隔離したよと伝えれば問題ないよ」とそんな返答だった。
いくらなんでも、口頭で伝えれば問題ないなんて、そんなわけはない。
けれど専門機関には私が隔離し検査した記録も残っているだろうし、そうした記録の照合がすぐにできるシステムが何かあるのだろうか。

そういう訳で、隔離スタッフの返答のように「隔離はした」と答えてみた。
去年から宜賓で生活しているだの春節に一時帰国しただの、そうした経緯は一通り話した上である。
けれども案の定、不可。
「健康码と隔離証明がないと宿泊できません」
ここで例の隔離スタッフに連絡してみた。
しかしやはり同じ返答。
「隔離して生活している状態自体が隔離証明」
その返信をスタッフに見せ、また隔離時の隔離に関わるチャット履歴をすべて見せた。
この時点でフロントスタッフは私が話すことがその通りであると信じてくれてはいたが、しかし登記上どうしてもできないようだ。
「証明ができない」と隔離スタッフに繰り返し伝えると、「行程証明でずっと宜賓にいることを見せればいい」と今度はあらたな工程証明なる言葉が出てきたではないか。もう大混乱だ。

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「行程証明ってなに?」
フロントスタッフに訊いてみると、「これです」とキャリア別に並んだQRコードが出てきた。
私は中国移動なので移動のQRコードをスキャンすると携帯番号を入力する画面になり、そこでショートメールで認証番号を取得し進む。

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すると私がこの一カ月宜賓から出ていないことを証明してくれているではないか。
「隔離のスタッフがこれで証明になると言っている」と伝えると、これでようやく宿泊できることになった。
この画面や隔離スタッフの電話番号などをホテルは控え、またここで仕事をしている経緯、過去の出入国に関わる細かな日程などかなり詳細に記録を取った。
通常であれば、チェックインのあとにホテルが公安へ登記を提出し終了。
しかしウイルス終息前はそれができないようで、公安からの返答を受けるまでフロントで待つこととなった。

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かなり長い時間フロントの業務を邪魔してしまい申し訳なかったが、部屋は広くとてもきれいで、気分はすぐに明るくなった。
なによりも嬉しかったのは、大きな窓からの眺望。
街並みのすぐ向こうにはわずかしか見えないが長江が流れる。
対岸はこちら側とは対照的に建物が少なく、山のてっぺんに遠く仏塔を見つけた。そこから少し離れたところにも、もう一つ。
百度地図で見てみると、それぞれ老塔と新塔という名を持つようだ。白塔と黒塔を訪れた記憶が新しい。
今回は無理だけど、この老塔と新塔にもいずれ挑戦してみようか。

南溪は、実は宜賓の中心部を構成する三区のうちの一つ。
市政府がある叙州区、開発が進む翠屏区、それからこの南溪区。
しかし叙州区と翠屏区がすぐそばに接し繋がっているのに対し、この南渓は長江沿いにバスを走ったようにけっこう離れているイメージ。
だから私も今まで訪れることがなかった。
バスで二時間かかるが最終バスがそう遅くまでない。叙州区翠屏区の範囲であれば電動自転車などで行き来もできるが、南渓との間は電動自転車の区域が分断されているのでそうしたこともできない。やっぱり別の都市のような感覚だ。

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しかし初めて南溪の街並みを眺めてみて、そう大きな街ではないけれど、ここもまたなんて魅力あふれる街だろう。
市区中心部には数少くなってしまったこうした屋台。
臭豆腐に鉄板焼きに、冒菜に。果物荷車はパイナップルに串を刺してお客を待つ。

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面白かったのはこの露店回転火鍋。しかもここには三軒同様のお店が並んでいた。
屋外の火鍋店というだけでも珍しいが、さらにこれらは回転式。真昼間にも関わらず具材がいまもぐるぐる回っている。
初めて見るものでつい興味を示すと、お店から次々「食べる?」と声がかかった。

ようやくわかったのは、九龍迎賓ホテルは立地がいい。
ホテル下はこうした屋台や地面に物を広げて売る人が多く、混沌とした賑わいがあった。
どんな観光地どんな見どころがあるなんて一切調べてもいないので、今日も明日も予定はない。
行くところも決めていないし、それならばこの辺りを散策してみようか。
そう思い立ち、そのままホテルの裏側にまわってみた。

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なんだか日本の高度成長期を思い起こさせるようなアパートが向かい合い、ずっと向こうまで続いている。

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失礼ながら廃墟かと思えば、とんでもない。
古びているものの生活の匂いがこちらにもあちらにも。
この竹椅子は四川ならではだが、意外にも宜賓中心部にはあまり見ない。成都の大都市でさえ見かけるのに。私が普段見かけるのは、竹椅子よりもプラスチック製の椅子がほとんど。
やっと出会えた、この街で。

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二階三階が住居になっているスタイルで、石レンガに木製の扉と窓枠が昔懐かしい。
見られても全然気にしないよという雰囲気の洗濯物に、並んだ観葉植物、福の字。扉に塗られたペンキの色も緑に茶にさまざまで、集合住宅なのに一つひとつのお宅に個性を感じる。
錆びた古い文字で、文明楼という文字が見て取れた。
何十年もここで生活が営まれてきた証のようだ。

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昭和の雰囲気。こうした窓に貼るステンドグラスシールは、その不完全さがいい。ちょっと小さな街や古びた界隈に行ってみれば、色あせて剥がれかけたさまざまな模様が郷愁を誘う。

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ホテル前に戻り、通りを西に向かってみることにした。
街路樹が木陰をつくり、にぎやかに物を並べるお店を日差しから守っているみたい。
豊かな葉に隠れて初めは気づかなかったが、どうやらこの商店街もかなり古い建物のようだった。
私の印象としては、先ほどのアパートと同年代のようなものに見受けられた。
その古いアパートの下がみなお店になっており、これがまた空き店舗ひとつなく、ぎゅうぎゅうにくっつくようにして肩を並べている。

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生活用品を山のようにして売るお店、小さなテーブルが数個ほどの食堂。

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南溪土産を売るお店。
どこにも電球が下がり、その飾り気のなさが却って生活の温かみを演出しているかのよう。

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このぎゅうぎゅうの商店街はそう長い距離もなく、途中で曲がってみてもそのまま突っ切ってみても、やがて現代的な商店街に抜ける。
その時代感の差に驚くも、なんだかあの鬱蒼とした街路樹が守る特別な空間のように思えた。

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現代的商店街には学校があり、ここもまた屋台が並びたくさんの子供、多くのお客さんで賑わっていた。
もう大丈夫かなという雰囲気に包まれていても、一応人との距離はなるべくとるようにしている。この密集度には一瞬とまどった。

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私がついつい買ってしまうのは、ウズラの卵串。
出来上がったものは時間が経っているからと、新しく作ってくれた。これが一本3元で、子供のおやつにはちょうどいい。

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こうした古いタイプの屋台というか、三輪車のお店も、今後はなくなっていくのだろう。
黒ずんだ三輪車に、古びた看板、何度も継ぎ足されたであろう調味料を入れたペットボトル。
四川の夏の楽しみ、冰粉を頼もうかどうか迷いながらも、もう少し向こうを見てからとその場を離れ、またしばらくし後ろ髪を引かれて振り返る。
人混みの向こうに、数人の子供が三輪車を囲んでおやつを求めているのが見えた。

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南溪の散策はまだ始まったばかりだというのに、あちらにもこちらにも目移りがしてきりがない。
それらは本来なんということもないただ普通のものなんだけれど、その普通のものの中に見つけた小さなことを、まるで大発見のように誰かに伝えたくなる。
たとえば、ここに来てまず他の地域と違うなと感じたのは、自転車の多さ。
自転車なんてどこにでもあるだろうけども、通りを見れば右側も左側もびっしりと自転車が停められている。南溪の人はみな一人一台自分の自転車を持っているかと思ったほど。
中国が自転車大国と呼ばれていたのはどれほど前のことだっただろうか。
それは20年くらい前のことではなかっただろうか。
それから一気に経済が発展し、自家用車が普及し、盗難が深刻な中国にあり自家用自転車ではなく、移動の第二第三手段としてのレンタル自転車が一般化した。
都市部で見かけるのは私たち日本人が普段愛用するような自転車ではなく、黄色や水色のレンタル自転車。
普通の自転車やマウンテンバイクもないわけではないけれど、みなが当たり前に持っているわけではない。そういうわけだから、日本とは少し事情が違う。
けれども南溪へ来てこの自転車の多さ。ある通りだけならともかくもそこら中がこうだったのだから、やっぱりここでは自転車が主要な移動手段として活きているのだろう。
見ればマウンテンバイクも普通の自転車も、しっかり鍵がかかっている。これだけ数があれば、盗難なんかも却って起きないのかもしれない。
停められた自転車だけではない。
ちりんちりんとベルを鳴らしながら、何台も自転車が行き来する。
若い人に老人に。
錆にまみれた古い自転車がたくさん、行き来する。アンティークのように見えるがそれは単に古いだけで、自転車自体は私たち日本人が普段乗るようなごく普通のもの。
ただ日本ではこれほど錆びまみれの自転車に乗ることがないから、私の目にはもうアンティークも同然に映る。
そんなアンティーク自転車が行き来する様子を見ると、ここ数年で自転車利用が復活したのではなく、もうずっとここではこれが当たり前だったのだろう。
たかが自転車。
けれどその街独特の雰囲気を見つけたような気持ちになり、その場所に愛着が湧く。

ここで文明門と示された標識を見つけた。観光地などを示すときに使われる茶色の標識。
気になり行ってみると、その先になにかありそうな雰囲気を放つ中華門があった。

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ここには飲食店が並び、屋台なんかも出ていた。
朝からウズラの卵串しか口にしていなかったのでおなかが空いていた。
でももう少しで夕飯時だしなぁと、小腹にちょうどいい涼麺をここで買っていくことに。それから近くに見つけたミルクティー屋さんで氷入りミルクティー。
こういう小吃の屋台が好きなんだけれど、私が暮らす場所には数もバリエーションも少なく残念。都会では規制によって数も減っている。
だからこその、旅の楽しみの一つ。
涼麺にミルクティーを持って、向こうの文明門なるものを目指した。

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饅頭を売る三輪車の向こうに、それはあった。
門の向こうに眩しいのは、長江。

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そしてその先には、かつての埠頭跡があった。
下に下りる階段、河原に広がる石畳はみな当時のもので、人々の往来をかさね丸みを帯びている。

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ちょっとしたお菓子や飲み物、子供のおもちゃを売る老人。
パイナップルの串刺しを売るリヤカー。
その向こうには小さなテーブルで商売をする占い師が三人ほど、それから椅子に腰かけ雑談する老人たち。
ここはどうやら住民の憩いの場のよう。

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目の前を流れるのは長江。
向こうに見えるのは南溪長江大橋。あの先には、私が居住する宜賓中心部や、李庄古鎮がある。
ここは長江がスタートしてから、蛇行していることを考えればだいたい60㎞ほど下流といったところだろうか。
なんて最高なロケーションなのだ。そして雲があるものの清々しい青空。
文明門などの見学は後回しにして、まずはこの最高のロケーションでおなかを満たすことにした。

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涼麺は私の大好物だが、マンション付近にはないので出かけないと食べれない。
麺に昆布やもやしなどの具材、それから数種の調味料をふりかけボールで豪快に混ぜて手際よく作ってくれる。
シンプルでありながら、辛さや酸味が混ざり合いくせになる旨さ。
辛いのが苦手な人は辛くしないでと頼めば調整してくれるし、四川外の人だとわかるとお店の人から先に辛くしてもいいか訊いてくれることもある。
私はもちろん、辛くしてもらう。
涼なんて字面を見て、また夏の味覚だなんて聞くと、日本人であれば冷製麺を想像してしまうところだ。
けれどもこの涼という字はけっして冷やしてあるという意味ではなく、料理名においては単に加熱していない、または過熱状態ではないことを示す。
だから涼麺といえば、常温麺。涼火鍋といえば、常温かまたは、火から下ろした状態で食べる鍋を示す。
冷製麺ではないけれど冬になると姿を消してしまう小吃。四川の夏を代表する味覚、涼麺。唐辛子いっぱいで汗が噴き出した。


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こちらは長江を下流に見て。
長江に沿って一つひとつ街や集落を巡っていくのもおもしろいなと、旅の妄動はふくらんでやまない。

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しばらく長江でぼーっとしたのち、埠頭跡に出てみた。
古い石畳と石階段はけっこうな高低差をつくる。その先には学校を終えたばかりの子供が遊び、また犬が水浴びをしている。
この埠頭の石階段は1940年代に住民が資金を出し合って作ったものだそう。
かつてはここに舟がつき、物流を支えた。これだけの内陸にあり、水運は文明と発展のかなめだった。今は擦れた石畳にそれを想像するのみ。

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石階段を登っていくと、その最上部にわずかな文字の痕跡があった。
どうしても二つ目の文字が読み取れなかったが、推測してみるにおそらく封航水位、と彫られていたのではないか。

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こうしてみると、この階段もそれなりの高さを持っている。
これが、ここまで水位を上げてしまうことがあったなんて、想像ができない。

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こうした川沿いに発展した街に見られるのが、このような表示。
生活のかなめである水運、美しい風景を見せる川の流れ。
けれどもそれは危険もはらんでいる。
大河によって発展した地域はまた、水害にも悩まされてきた。
埠頭が役目を終えた現代も、その水害の危険だけは今も変わらない。

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文明門まで上がってみた。
この門は南溪の城壁中段にあり、長江第一門の呼び名を持つのだという。
清代1764年の創建で、1807年の改修時に、扁額の文明門の文字が刻まれた。

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下部が石レンガ式で、楼閣部は木造建築。
小規模だが保存状態もよく、非常に美しい城門だ。

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しかしこんな美しい門に刻まれた文字を見つけた。
「1991年8月10日 最高洪水位」と記されている。
埠頭の階段の高さを考えると、にわかには信じがたい。こんなところまで水位が上がることがあったのか?そうなったとしたらもう一帯海同様ではないか。

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しかしこの最高水位の上を行くラインを見つけた。
城門の反対側上部に記されたのは、「1966年9月1日」。
このラインはもう私の背丈をゆうに超え、見上げる高さ。当時は相当に被害が出てしまったことだろうなと思う。
この長江の遥か上流には世界遺産の都江堰があるが、大河流域に生きる人々にとって、それがもたらす恵は死と紙一重だった。だから治水は神の行為であり、また国を治めることと同義だった。

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この文明門周辺は現代的に賑わっているけれども、古い建物が多く残っている。古さあり、賑わいありで、歩いていて時間を忘れた。
この酒屋はバスが通るメイン通りにある。
黒ずんだレンガ造りの建物は、奥で醸造なども行っているのだろうか。
大きな酒瓶にはお酒の値段が書き込まれ、このような売り方は田舎に限らず都市部にもよく見るものだけれど、建物が古ければ雰囲気も増す。

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この数十メートルが美しかった。広福街という小さな路地。
道の両側には野菜、肉、果物、酒を売るお店が並んでいる。
建物はかなり古いものの店や住居として生きていて、またそれらを売る老人たちの表情はとても豊かだった。
私が立ち止まれば、おばあちゃんが笑顔で声をかける。
賑やかとまではいかず商売がどれだけうまくいっているものかわからない。
けれども、店を覗くとその中で家族がテーブルを囲んで食事をしているのを見た。幸せそうだな。
老人と小さな子供の笑顔がある場所は幸せがある場所だと思っている。
都市部に暮らし収入もある私たちのような現代的な生活をおくる人間からしてみると、古い建物や昔の生活方式は貧しく見え、それがまるで幸せではないことのように思えてしまうことがある。
けれども時々はっとするような美しい瞬間を目にし、幸せかどうかなんて問題はまったく別のところにあることを思い出す。

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こちらはおそらくお肉屋さん。
上部に打ち込まれた釘に生肉をぶら下げて肉塊で売るのは田舎も都市部も変わらないが、そうした売り方は衛生に敏感な日本人にはなかなか慣れない。
台には、長い年月を感じさせるおびただしい包丁の跡。
ここがお店を畳んでしまったのか、本日休業なのか、また売り切ってしまったのかはわからないが、私の感覚だとまだお店は生きているように感じる。

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こちらは先ほどと同様に壺でお酒を売る酒屋さん。
お店の看板部分には、大きく「57°高粱酒」と非常に合理的な看板だ。高粱酒とはつまり白酒で、白酒の度数は大体40数度から50数度が一般的。
壺に書かれた8元はおそらく1斤の価格。
四川は酒の都。商店で売られるような瓶のメーカー品ではなくて、ぜひ一度こういう壺で買ってみたいものだ。

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ふたたびメイン通りまで戻ってきて気づいた。
南溪この界隈に私が強いノスタルジーを感じるのは、何も古い建物ばかりではない。
それは、電柱だった。
長く日本に暮らしていてまったく気づかなかったが、外国人は日本に来てその電柱の多さに驚くのだという。それを知ったのはテレビ番組の街かどインタビューだった。
海外では景観を重視し電線を地中に埋めるが、日本では工事して新たに地中に埋めることが難しく電柱と電線が景観と化している、とかなんとか。
確かに日本は電柱が多く、電柱に**町*丁目、なんてかかっていたりもして今更電柱がない風景というのも奇妙に感じる。
けれども今までそれを意識したことがなかった。
なかったからはっきりはわからないけれど、そう言われてみれば中国の都市部には電柱をあまり見なかった気もする。見かけるが少ないような気もする。
けれど南溪へ来てはっきり感じるのは、他の地域がどうかは記憶が定かではないが、ここには電柱が多いこと。しかもそのどれもがいい具合に黒ずんでいて、長い間ここの人々の生活を支えてきた貫禄を見せている。

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このように四角い電柱も度々見かけた。

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こちらは広福街の入り口にあった、家畜を繋げてはいけないと注意する標識つき。
馬の絵柄があるから、昔はここを馬が通るのも日常の風景だったのだろう。

こうして目に映る一つひとつに新鮮な感覚を呼び起こされながら、南溪東部から西部へ向かい歩いてきた。
古き良き賑わいがあるのは東部で、西部は新しい建築やマンションが並ぶやや近代的風景。小さな街なので、徒歩で回ることができてしまいそうだ。

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長江へ出て、長く西にのびる遊歩道を進んでみた。
あの先に見える赤いモニュメントは、南溪の名産である豆腐干をイメージしたものだそうだが、言われなければ豆腐干デザインだとは誰もわからないだろう。
豆腐干は名前の通り豆腐を乾燥させて少し硬くしたもので、表現がよくないがゴムのような弾力をもった豆腐だ。
宜賓土産にこれを買っていく人を見るが、ここ南溪の名物だったとは初めて知った。

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中国の街角にはゴミ箱が多く、日本人はそれを便利に感じるだろう。
日本は公的なゴミ箱がとても少ないが、中国では少し歩けばゴミ箱を見つける。
あ、ゴミ箱あった!と思い投げ入れようとした私は思わず「あ!」と声を上げてしまった。
「使用済みマスク専用ゴミ箱(それ以外のゴミは捨てないでください)」
毒マークまで描いてある。
でも使用済みマスクって分別が必要なのだろうか。ウイルスが付着している可能性があるから別処理、ということなのだろう。

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これは、私は四川ならではの光景だと思っている。
テーブルも椅子も、それはもちろん四川以外にだってどこにでもある。公園や景観のよい場所には休む場所もあるだろう。
けれども四川の場合、その数が半端ではない。
この折り畳み式テーブルにプラスチック製の椅子は、野外お茶館にもよく見られる。
屋外にテーブルと椅子がとにかく多いのが四川。
四川人は麻雀やカードゲームを愛し、お茶を愛し煙草を愛し、おしゃべりを愛し。
老人に至っては一日中屋外の椅子に座り、みんなでおしゃべりをする。
長江を眺めながらここでお茶を飲んだら、それは気分がいいことだろう。
しかしもう間もなく日暮れ、テーブルはどこか寂し気だ。

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南溪長江大橋の少し手前は広場になっていて、たくさんの露店や屋台が店を出していた。
日本ではこういうのはお祭りの風景だけれど、中国の場合毎日がこれだからすごい。
でもやっぱり、売られているのは爪切りに桶に…。

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この辺りに架かる橋はあの南溪長江大橋のみで、対岸に行きたいならあの橋を渡るしかない。
ここ南溪は長江がちょうど蛇行しヘアピンカーブのようなかたちになったところで、あの対岸の向こうにはまたカーブし方向を変えた長江が下流へと流れる。

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西側は真新しく開発されたような地域で、それが却って少し寂しげ。
この明るさでもう間もなく20時を迎えようという時刻。

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探しにやってきたのは、バスの中で見つけた古街というエリア。
その入り口らしき当たりにまず初めに見たのは、豆腐干博物館なるもの。
閉まっていたが、表に説明書きがあった。
それを読んでみると、南溪は豆腐干に関する三つのギネス記録を持っているのだという。
世界最大の豆腐干。
万人が同時に豆腐干を食べる。
世界で最も巨大な豆腐干パズル。
だということだが、その意義はどうとしても、確かにすごいことには違いない。きっと永遠にこの記録は破られることもなく、破ろうとする他都市も現れないことだろう。

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この古街は到着したときにバスが通りがかったので気になっていた。
このように小さな川に沿うようにして古い建築を再現したもので、つまりは新しい建築だ。
ところがどうも裏道のような雰囲気で、どの建物も閉ざされている。
ここをしばらく歩いて道路に出た当たりから飲食店が現れだして、賑わいもここからだった。

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ディズニーランドの不思議の国のアリスエリアを思い起こすような、カラフルなイルミネーション。
けれども可愛いハートに近づいてみれば、政府標語で抜け目ない。

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古い建築を再現したものといっても、観光客がそう楽しめる場所のようでもない。
ここにあるのは飲食店とビールバーぐらいで、こういう雰囲気の中で食事をしたい場合はそれもいいだろう。

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ドライアイスを演出したお店もあり、ちょっとわざとらしい風情ではあるけれど、実はそう嫌いでもない。

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この飲食店の並びを過ぎると門があり、ここが南溪古街の入り口だった。私はどうやら裏から入り込んでしまったようだ。
ライトアップがとてもきれいなので、もっと色んなお店が入れば観光客も増えるかもしれない。

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こうしてまた歩いて、庶民的な賑わいの東部まで戻ってきた。
果物を売るトラックが夜遅くまで電球を灯しているのは、中国の好きな風景のひとつ。
寒い冬が過ぎ、暖かい春は一瞬で通り過ぎもう夏を迎えてしまったような暑さ。
夕涼みに散策をするのも楽しい。

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こうしてホテル出発時に出合った古い商店街に戻った。
改めて気づけばここにも四角い電柱。
ここには柵が設けられていて、この先の賑わいに車両は進入できないようになっている。

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暗闇に浮かぶ灯りはどうしてこうも温かく感じられるのか。どうしてこうも安心するのか。
灯りは暗闇から人を守る結界。
電球に集まる虫たちのように灯りのあるところに吸い寄せられていくのは、それはある種の本能だ。
灯りをみつければ、あそこにも人がいることを知り生活があることを知る。
そうして安心するものなのかもしれない。
だから私は、このような灯りの集合がたとえどんな形をしたものであっても、それがいとおしくてたまらない。
孤独でないことに安心し、また一方でうらはらに、自分が孤独であることを知る。
矛盾が孕む強い吸引力である。

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屋外にテーブルを出したこうした小さな食堂は私の大好物で、いつも散々うろうろし迷ったうえに、諦める。
それはたった一つ二つしかないテーブルを、一人の私が占領してしまったらお店の儲けが少なくなってしまうからだ。
申し訳ないな、でもあそこがいいな。そんなふうに迷ったのち、結局テーブルがいくつもあるお店を選んでしまうのはそういうわけだ。

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私のもうひとつの大好物は、このような煙草屋さん。
大都市ではあまり見ないが、田舎都市や小さな街にはこのように屋外でお客を待つ煙草屋さんを見る。
今日の印象では南溪はこの形態の煙草屋さんがとても多い様子。
だいたいが親父さんかおじいさんで、いつも暇そうにしている。写真には写っていないが、実はペットボトルの向こうにはおじいさんが退屈そうにお客を待っている。
残って欲しいものにはお金を落とすべき。だから私はときおりこうしたところで煙草や水を買う。たった3元の水、たった12元の煙草だけれど。
ガタがきた古いガラスケースの煙草台はかなりの年季だ。
日本の小さな煙草屋さんが絶滅寸前なのと同様に、こうした商売もそのうち見なくなってしまうのかもしれない。
滞在中いつも同じところで物を買うのは、私からの、大変余計なお世話ではあるけれども、ささやかなささやかなエール。
次回南溪に来た時にも、またこの煙草台を探してみよう。

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もうここはホテル手前。
昼間に賑やかだったこの場所は、夜はさらに賑やかだった。

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ここで遅い夕食に選んだのは、昼間に興味を持った屋外回転火鍋。
三軒並んだうちの一軒に近づくと、老板が歓迎してくれた。
回転火鍋は一人でも入りやすいのが魅力。四人テーブルを一人で占領することもないからだ。
私は一本20元から30元する白酒を1、2本飲みそこからビールに行くしよく食べるので、客単価も悪くないと思われる。だからそこに甘んじて少し長居もしてしまう。

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屋外火鍋屋さんにもセルフサービス式のタレコーナー。
私はいろいろ入れるのが嫌なので、大体が香油に葱に大量のニンニクみじん切り、それに味の素と塩と少量のオイスターソースと、いつも決まっている。
他にも、パクチーや落花生、唐辛子、山椒、辣油、と自由に加えることができるが、四川で特筆すべきはあとはドクダミだ。
他省の火鍋にもドクダミはあるかもしれないが、四川は特にドクダミを好むようで、烧烤の調味料としても使われる。しかし私はこれが苦手。お客がスプーンを使い回して葱にドクダミが混ざっていたこともあり、それだけでも強烈な風味を与える。

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屋外に火鍋、それに白酒。
暗闇に浮かぶ電球の灯り。
好きなものが揃ったひと時だった。
酔いがまわって気分が良くなった私は、ホテルへ戻る前に哈密瓜の切り売りを買い、小さな商店でビールを買った。
もう間もなく日付も変わろうとしているのに、一帯にはまだ賑わいが残る。
それでも広げた売り物を片付け始める人がいて、シャッターを下ろす音が空に響く。
生ぬるい夜に少し冷えた風が吹くと心地よく、それは待ちかねた季節の到来のようだった。

〈記 5月5日 宜賓にて〉

参考:
宜賓市区→南溪 路線バス 5元
南溪路線バス 1元
涼麺 5元
火鍋 59元
宿泊費 200元

⇒ 宜賓散歩〈8日間周遊〉2日目・南溪 へ続く

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プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国四川省宜賓市にて生活しています。
旅行記に絞ったブログ、一つひとつは旅のあしあとです。

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