FC2ブログ
2019-09-15

宜賓散歩 ~最初の散歩①~

2019年8月26日、成田空港を出発し日付が変わった深夜、成都に到着した。
一年前の6月に8年間勤めていた会社を退職し、それから約一年続いていた無職期間。旅を繰り返しながら今年に入りいくつかアルバイトをこなし、ようやく決まった仕事は、中国四川省の地方都市、宜賓での教師職だった。人生はほんとうにわからないものである。
今まで中国旅行の度に旅行記を書いてきたが、旅行記以外の記事はほとんど載せることがなかった当サイト。基本的に今後もその姿勢は崩さず、旅行に行った時のみ、記事を掲載しようかとは思っている。仕事内容が仕事内容だけに、大学生活について具体的な事柄もほとんど書かないつもりでもある。
それはひとつ、教師職というのはいくら国境を跨いでいるとはいえ、その職についている限り公人という一面を持つこと。
それからもうひとつ、業務が忙しく書いたらきりがないこと。
そしてさらに言えば、やっぱりこの当旅行記ブログはあくまで旅行記ブログであって、日本語教師ブログでも中国生活ブログでもない、という変なこだわりがあったこと。
初めは中国入国のお知らせを兼ねて、到着した内容の記事を書こうと思っていたが、あまりにもバタバタ、トラブル続きで気が滅入り、そして時間的余裕もなく、放棄した。
気づけば二週間が経っていた、今日である。

成都に到着し、すぐに保健センターに行き健康診断を受けた。内臓のエコーでは「ベリーグッド」と医師のつぶやきが聞こえ、すべては順調かのように思えた。
それから今まで使っていた北京のSIMカードを解約し成都で新契約をするために成都で最も大きな中国移動へ。SIMカードの新契約は順調にできたが、日本でSIMロック解除してきたはずのエクスペリアがカードを受け付けず、その場で新しいスマホを購入するはめになった。
そして購入したのがアイフォン6。これを2000元切る価格で買ったのでお買い得ではあったけれど、私はずっとアンドロイドしか使ったことがなかったので、スマホのあれこれで発狂したくなった成都初日。二週間経った今現在も、入力にイライラしている。そして結果、今までのエクスペリアはWiFiで使えるので、アイフォンメインでエクスペリアを併用してなんとかバランスをとっている。

1908281.jpg

1908282.jpg

大学側の要領の悪さ、不備、そしてマンションのトラブルはここで書くまでもない。しかしながら、一つ一つ解決、または妥協点を見出しながらようやく軌道に乗るためのスタート地点が見えてきたような気がする。
ここでポイントは、決して軌道に乗ったわけでもなく、そのためのスタート地点ですらそこに立ったわけでもなく、ただ向こうに見えてきただけということ。つまり、まだまだ先は長い。ついでに言えば、引っ越しの荷物もまだ揃ってはいない。

19090901.jpg

19090902.jpg

心配していたマンション周囲の環境は悪くはなかった。
市街地からは離れているものの、開発が始まった区域でマンションが立ち並び、人も多く賑やかだ。
マンション下には商店や食堂が最低限並び、少し歩けばやや小規模だけれどモールもある。
15階のマンションの部屋には小さな小さなベランダがあり、涼みながらきれいな夜景を楽しむことができる。
多くの大学ではこのように住民生活区のマンションに暮らすことはできないから、この待遇に私は十分満足し、それどころかついているとさえ思った。

19090903.jpg

19090904.jpg

9月に入り新年度が始まった。
中国は日本とは異なり、9月が新年度のスタートとなる。
とても不安だったけれど私の授業デビューも無事果たされ、ようやくひと心地ついた。
が、授業準備が追い付かず、学生の多さに対応できず、成績管理や学校のシステムへの順応、未だ完了していない就労許可証の発行と居留許可、まだまだ安定には程遠い。のんびり遊ぶ時間はなく、毎日深夜まで準備に追われていた。

「楽しい気分、どこに行った?」
ふと、思った。
他の先生方とお話するのは楽しかった。
「まゆこ先生」と笑顔を見せてくれる学生や、指導を求めてくる学生は可愛かった。
会話系の授業は肌に合わないが、長文読解系の講義授業は楽しいと感じた。
マンション区域で他の人々の生活風景を見るのはまたおもしろいことでもあった。
部屋からの眺めは最高だった。
けれども欲を言えば、何かが足りなく、そしていつも「日本恋しいな」と考えている自分に気づいた。
職業柄、大学内で中国語を話すことはほぼない。
学生から中国語を話してほしいと言われることもあるが、私とは日本語でしかコミュケーションがとれない状態が学習には望ましいので、すべきではない。
それから、ここでは宜賓語が一般に使われているし、もちろんそれだけでなく自分の語学力のなさ。そんななか大学の先生方の日本語のレベルがほんとうに高くて、私ごときが中国語を話すのがなんだかとても恥ずかしく思え、どうしても日本語だけの会話になってしまう。
そうして、どこかに少しづつ澱が溜まるように何かが重なっていった。
せっかく中国に来たのに、ほとんど全く中国語を使うことがない日々。
このままでは、ただでさえレベルの低い私の中国語が、日本にいた時よりももっとどんどん退化していってしまう、そんな焦り。
同僚の皆さんは本当にいい人たちばかりで大好きだけれど、それとは別に中国語のみでやり取りできるプライベートの友達もまた欲しかった。
でもまるでひとつの城のように独立したマンション区で、ナンパでもしなければそれは叶わないようにも思われた。
そうして気づけばたった一二週間で、一人大好き人間だった私がひどい孤独感を覚えていた。
「楽しい気分、どこに行った?」

9月6日、この日は授業がなかったので、マンションで読解系授業の準備をしていた。
午後になり、もう一山こなしてしまおうか、そんなふうに思いながらもふと、気晴らしに宜賓の街を散策にでてみようかと思いついた。
宜賓に到着したものの、私が暮らすのは市区から離れた場所だった。
宜賓がどんな地理をしていて、どんな街並みをしているのか、いったいどのへんが一番おもしろそうで、どんなものがあるのか。
私はまだ、この都市のことをなんにも知らないのだった。

バス停へ向かってみると、四本ほどの路線が通っている。ひとつは大学へ通勤するのに使っている路線、他のものを見てみると、終着の手前に「人民公園」というバス停がある路線をみつけた。
人民公園と名の付く公園がある場所は、だいたい古くから街の中心部だった場所に違いないという推測である。

バスに乗り窓側の席に座ると、半分開いた窓から吹き込む風が気持ちよかった。
8月27日に四川省に到着して以来、一度も目にしてない青空、太陽。
この日も今まで同様に空一面まっしろで、もはやそれが雲なのかもともと白い空なのかそれも疑わしく思えてくるほどに、均一に張り付けられた白さだった。
私が暮らすようなマンション区―まるでひとつの城のようなーをいくつか通り過ぎて、その階下にたくさんの賑わいを見た。
日本とは異なる中国の風景のひとつでもある。
マンション群が群れをつくるが、人口の多さも半端ではなく、さらに‟城”を抜ければ不便な立地であったりする。だからその階下には生活に必要なお店がひと通り揃っていて、そこだけで最低限の生活はできるようになっていることが多い。例えば、飲食店に商店、宅急便、さらに理髪店、マッサージ店など、私の‟城”には小さなホテルまであるし、向かいの‟城”にはいくつかの不動産屋さんなんてのも見た。
そんないくつかの‟城”を流し見ながら、私のところよりもずっと色んな飲食店があることに気づき、これはバス停一つひとつ降りて散策してみるのも面白いな、なんて考えを巡らせた。
バスはいくつかの‟城”を抜け、くねくねとした道を行き、そしてやがてぱっと開けた先に見えたのは、巨大な川の両岸に広がる街並みと、巨大な橋と、そして低くなだらかに広がる深緑の山々だった。

宜賓は、かの有名な長江スタートの地である。
四川南部の省境界線付近にあるこの街には、二筋の川、岷江と金沙江が流れ、ここで合流する。
成都の都江堰から楽山を通り南下してきた岷江、それから雲南と四川の境界線をえんえん流れ南下ならぬ南上してきた金沙江。
この二筋の大河がここ宜賓の街ど真ん中で合流し、ここで初めて長江を名乗り始め重慶へと流れていく、壮大な水流の旅路である。
左側に頭を向けたY字を想像すればわかりやすい。
私が暮らす場所はもうすでに長江を名乗り始めたばかりの場所。マンションの裏手からは、夜景がまぶしい長江がすぐそこに見える。
一方で古くから街として賑わった場所は、Y字の頭、岷江と金沙江に挟まれたエリアである。
しかしこの時、私はそれを知らない。バスを下りて百度地図を開き、ようやくそこがY字の頭であることを知る、その少し前のこと。
開けた視界の先に見える、巨大で濁った川。
それを眺めながら、あれは岷江か金沙江か、それとも長江か、そんなことをぼんやりと考えた。
宜賓には地下鉄がない。大河が街を貫き、山々が頭を覗かせる。
地下鉄の建設が不可能な地形なのだという。
大きな川となだらかな小山、その間に住民の居住区が点在している。
小規模に見える街だったが、こんなにも巨大な都市を形成しているとは思いも寄らなかった。
宜賓のハイライトコース。
片道たった2元のドライブ。
やみつきになりそう、確信に近い予感が胸をくすぐった。

3、40分ほど走り、やがて点在していた‟城”はなくなり、完全な都市部に入った。
近代化の波に飲まれずマイペースに発展してきたような、そんな素朴な都市だった。
立派な都市である。巨大な建物が建ち並び、人で溢れている。
しかしそれでいて、古い様相を残し隠さない。
中国では新しいものが古いものを侵食するような勢いを各地で見るが、その波はここにはまだないみたいだった。
結局「人民公園」を通り過ぎ、とはいってもほぼ同位置にある終点「翠屏山」で下車した。
「楽しい気分、どこへ行った?」
そんな自分への問いかけを思い出す。
「ここにあったじゃないか」
最後にこの感覚を得たのはいつだったか、それは明白な記憶で、実に一年ぶりのことだった。
この一年迷走し、ようやく当たり前に持っていたあの時の感覚を取り戻したみたいな嬉しさがこみ上げた。

19090905.jpg

バスの終点にはバス停名そのまま、「翠屏山」という低い山があった。
誰に訊いても「観光地はない」と返事をもらう、この宜賓。
そこにあって、ここはどうやら観光地と呼んでよさそうだ。
登っていくと山門があり、何年も使用されていないようなチケット売り場があった。
そこには景区の地図もあり、見てみると山の上には寺院もあるようだ。
下からは建設中のネットが見えたが、あれがそれだろうか。
寺院方面へは行かずに逸れると、その先には古い建築群とかなんとか書かれているエリアがある。
結局この時には登らずに少し休憩しただけで階段を下りたが、次回はしっかり時間を用意して散策してみよう、そう決めた。

19090906.jpg

19090907.jpg

こちらは翠屏山の入り口から街方面を眺めて。
右手の少し大きな建物の裏手に人民公園がある。
人民公園周辺は賑わっていて、小さな飲食店が所狭しと肩を並べている。

19090908.jpg

引き寄せられるようにその迷路の中に入ってみると、串串香のお店が数店舗並び、次々と割引券を寄こしてくる。
バス停で最終を確認してみると、マンション方面の路線の最終は10時10分。今夜はここで夕ご飯を食べていこうと決めた。

19090909.jpg

人民公園から足の向くままにどこへともなく歩いて行くと、そこは夢のようなエリアだった。
よくぞ残っていてくれた、と声をかけてあげたくなるような古い古い建築がそこかしこ。
そこにうまい具合に現代の店舗が店を構えている。
建物の形状、煤をかぶったような木造、今にも崩れそうな瓦屋根。
日本のそれによく似ている。

迷路のように入り組んだ道のどこにも、何年も中国旅行を繰り返してきた私にまるで初めての旅のような興奮を与えてくれる“ごく普通のものたち”が散らばっている。

19090910.jpg

こちらは丸太を裁断したまな板。
ダンッダンッとためらいのかけらもなく叩きつけられる中華包丁が目に浮かぶよう。

19090911.jpg

こちらは、今そこかしこで売られている月餅。
日本人からすれば驚くような餡と、そして種類。肉類とか、鴨の卵なんか、私の口にはとても合わない。
定番の餡子でさえくどいなと敬遠してしまうのだから、ましてやそんなの、巨大な一つを完食できるわけない。
中秋節はもうすぐそこ、9月13日のことである。
大学は金土日と三連休になるが、私は日曜に授業が三つ入っているため、それをどこかに振り替えなければならない。
祝日でラッキー、ではなく、もう煩雑で面倒なことこのうえない。
もう秋の夜長、どころではないのだ。

19090913.jpg

19090912.jpg

日本を思い出してしまう瓦建築。けれども、やっぱりここは中国。
ここは鶏屋さん。
元気な鶏がかわいそうなほどぎゅうぎゅうに詰められた檻には、鶏以外にも鳩など。覗き込んだ私を親父さんがいぶかしげにこちらを見た。

19090914.jpg

昔懐かしい路地を行き、突然豪華絢爛な建物に目が覚めた。
最初は寺院かと思ったけれど、ここはどうやら書院のよう。
広州で見た陳氏書院、あれを思い出した。
次回じっくりと中を覗いてみよう。

19090915.jpg

19090916.jpg

19090917.jpg

いったいいつの時代の建築が今に残ったものだろう。
想像ではおそらく清代のものではないだろうか。
崩れそうな建物には、ずらりとひと並びに小さなお店が共存している。
よくもこう、うまく店が入ったものだ。
明るいうちからおいしそうな料理を囲み、話に盛り上がっている親父さんたち。

19090918.jpg

19090919.jpg

ここから歩いて行けば、すぐそこには大きな鉄橋があった。
この時は認識がなかったけれど、これはもうすぐそこで岷江との合流を控えた金沙江である。
架かっているのは、南門大橋。
こうして見てみるとどうやら構造的には、なんと橋のアーチを登っていけるみたいだ。しかし出入口は封鎖されていた。

19090920.jpg

南門大橋の上から金沙江の上流方面を見て。右手が、先ほどまでいた市街地だ。
次第に暮れようとしている逆光に、悠久の歴史を具現化して見た気がした。
このゆったりとした金沙江は、四川省と雲南省の境界線を形成している。
この時の私は、まさかこの大河が、‟南へ逆上っていく”なんて思ってもいない。
この広大な中国にあって、河川が東西南北へ向きを変えまた向きを変え、複雑に変化を繰り返しているなんて、もう不思議なことでもなんでもないはずなのに。

19090921.jpg

南門大橋を市街地方面に戻り高みから下を見下ろすと、先ほど私が散策した方面には車がずらり。
これ路上駐車ではなく、れっきとした駐車場なのだった。
こんな小さなこと一つひとつに気分が舞い上がってしまう。

19090922.jpg

ここからそれほども歩かないところには、古都のシンボルとして中国各地にみられる鐘楼があった。
鐘楼というのは私が勝手に想像しただけで、中に鐘があるあの鐘楼かどうかは知らない。
名前は大観楼というようで、確かに今まで大観楼行きの市バスを見た記憶があり、それはどうやらこれのことだったようだ。
こちらも内部に入れるようだったので、次回見学に来てみよう。

日が暮れ、徐々に灯りだした街の明かりが、やがて本格的な夜の風景になった。
裏へ裏へと入っていけども、しかしその賑わいは失われない。
それどころかむしろ活気を増しているみたいにも思えた。

19090923.jpg

建物の隙間からは、ここが確かに都市であることを教えるまぶしい電飾。
そのすぐ真下には、今すぐにでもかぶりつきたくなるようなきらきらとした野菜が、この時刻にもなりながら地面にずらりと並べられていた。
心得たもので、どの野菜も水をかぶっている。
これが意図的なものかはわからないけれど、たとえば観光地に売られているメノウのように、濡れたそれは二倍にも三倍にも良く見えるから不思議だ。
このように水滴をまとって売られている路上の野菜を見たのは、初めてだった。
しかしいつもの旅行中とは違い写真は残っていない。

19090924.jpg

19090925.jpg

その先にもっと細い裏路地が続いていた。
突然チリンチリンと昔懐かしい鈴の音が聞こえたかと思うと、それは古く年季の入った輪タクだった。
お客を乗せている。
三輪自転車はお客さんを乗せたまま、涼し気な音色を響かせながら向こうへ走っていきやがて角を曲がり見えなくなった。
電動タクシーでさえも街によっては失われてきている中国の変化の中で、まさか10数年前に見たような古めかしい輪タクをまだ見るとは思ってもいなかった。
昔懐かしい鈴の音を聞いたのはこの時だけだったが、輪タク自体は現役で街中を走り回っていた。
今度これに乗り目的地を告げず、宜賓の街中を走り回ってほしい、なんて頼んでみようか。そんなことを考えては胸が躍った。
この路地裏は本当に素晴らしくて、「時間が止まったような」というありきたりな表現を本気で使いたくなる空気感があった。
暗がりの中に賑やかに並ぶ裸電球は、別に懐かしさを演出しているわけではない。
私が興味深そうに一歩一歩立ち止まり覗く理由をもし彼らが知ったとしても、きっと理解できないに違いない。
なぜならば、それはここでまだ生きている現風景だから。
ノスタルジーというものは、それを失った者にだけ感じ得る、叶うことのない願望だ。
私はただ、来訪者としてそれを疑似体験することだけ、許されている。

19090926.jpg

ふたたび都会の風景に出るも、そう数分も歩く距離ではない。
通りには街灯がまるで昭和の商店街のように建ち並んでいる。
その街灯に、昔の書体でわかりにくいけれども、これは長江を描いたもの。
長江第一城の冠をかぶった宜賓。
その宜賓をてっぺんにして、左に金沙江、右に岷江、合流して下に長く長く伸びる長江。
この先には、かつて旅した重慶や武漢や九江、それに南京や上海が待つ。

せっかく楽しい思いをして、まるで旅に来たような感覚を持った。
小さな煙草屋さんで煙草を買った。
成都で好んでいた錦綉成都がこちらに来て皆無で、男性的と言われるけれども娇子の青を買っていた。
マンション下の小さなスーパーでは、多分蓝娇と言うべきところを、私はいつも「青色のパンダください」と買っている。よくもここまでというほどの、可愛くないパンダが描かれた四川定番の煙草である。
「青色のパンダ」を頻繁に買っていく女性外国人はそうとう目立つことだろうと思う。
ここ市街地に来てちょうど煙草がなくなったので覗いてみると、こちらに来て初めて錦綉成都を見つけた。
なんだか得をしたような気分になり、錦綉成都と青色のパンダを購入すると、煙草屋の親父さんが自分が吸っている煙草を分けてくれた。
「実は外国人でこちらに来たばかりなんだ」そんな世間話をしながら、ここ二週間ずっとなかった自由な感覚を思い出したような気分だった。

この煙草屋の近くに見つけた小さな食堂に入ってみた。
野草炒めのようなものが食べたくて、「何か野菜を炒めてもらえる?」と聞くもどうも通じず、お店の親父さんおばちゃんが話していることもさっぱりわからなかった。もう完全な宜賓語だった。
最後には厨房を覗き、置かれた野菜を指さして炒めてもらうことになったけれど、結果定番の空心菜。

19090927.jpg

日本人も大好きな中華料理の定番である。
こちらへ来たばかりの頃、節約も兼ねて自炊しようと試みた。
あちらこちらで見かける赤い色が混じる菜っ葉があり、スーパーのおばちゃんに尋ねてみると、「血皮菜」というのだという。
ところどころに混じる赤い色が名前の由来だろう。
とにかくこの野菜を購入し、炒めてもおいしいというので、菜種油とニンニクと塩で炒めてみた。
それから同じくスーパーで買った量り売りの米。
ところがこれが非常にまずかった。
血皮菜もまずければ、ただ炊いただけの米ももう全部捨てたいほどまずかった。農家さんにはとても申し訳ないけれど、これは味覚習慣の違いだろう。
葉っぱ、そして塩にニンニク、これでまずいってことあるのか?
出会う人すべてが「まずい」「ひどい」という学食を美味しいと感じる味覚音痴の私。けっこうなんでも美味しいと思えるこの私が、「これを食べるくらいなら一日飢えた方がましだ」と感じたあの晩の自炊。
翌日大学で別の先生にこのことを話してみると、その先生も血皮菜は受け付けないのだという。
聞いてみるとその先生は東北出身で、この血皮菜は四川など南方の野草なのだそう。やっぱり習慣の違いか。
とにかくそういうことがあったので、美味しい菜っ葉炒めを食べたかった。
この空心菜、間違いがない美味しさでこれで10元。
悲しいかな、私のマンション周辺にはこういうものを食べるお店がないのだ。
焼烤と燃麺のお店は多いのだけれど。
空心菜の美味しさにすっかり旅に来たような感覚になり、重慶ビールを二本開けた。
酒好きの私が、酒都の別名をもつこの宜賓に来てからほとんどまるでお酒を口にしていなかった。
たった一度、ビールを飲んだだけ。アルコールが入った状態で仕事をしたくなかったというのと、飲む暇もないくらい忙しかったというのと、あとは節約だ。
白酒のメッカに来て、白酒はいまだ一度も口にしていない。信じがたいが、これで私がアルコール依存症でないことを知り安心した一面もある。
今夜は仕事やめよう、そう思って瓶を空けた。

終バスは結局ギリギリになり、真っ暗な中に浮かび上がる幻想的な夜景を眺めながら、マンションに戻った。
今までは、月に一度は時間を用意して成都に遊びに行こうと考えていた。
給料は低く、そんな費用もばかにならない。それでも大好きな成都だったから。
けれども今日一日で状況は一転した。
しばらく成都は後回しでいい。こんなに魅力的でまだまだ見知らぬこの街を放っておくわけにはいかない。
この街が好きだな、それはまるで新しい恋を見つけたような感覚だった。

ある旅の終わりはまた次の旅の始まりであり、それは点と点というよりは、鎖のように連なった連続である。
私にとっては、この宜賓もまたひとつの旅のようなもの。
今まで連なり組み合わさってきた鎖に、また新たな鎖が加わっただけのことだ。
この鎖の大きさは見えない。
この後にいったいどんな鎖が重なってくるのかも見えない。
旅なのだから、今までとどんな違いがあるだろうか。
ときめくようなわくわくがあり、うんざりするようなあれこれがあり、しかしそのどれもが旅の魅力だったではないか。
旅行記しか書かないぞ、そう決めていたけれど、これもまた旅なのだからちょっと書き留めてみよう。
こうして書いてみた、一日の記録である。

〈記 9月10日 教師の日  宜賓にて〉

⇒ 宜賓散歩~最初の散歩②~ 中秋節・前編 へ続く


クリックしていただけると励みになります☆
↓↓↓
にほんブログ村 旅行ブログ 中国旅行(チャイナ)へ
にほんブログ村
スポンサーサイト



2019-09-15

宜賓散歩~最初の散歩②~ 中秋節・前編

2019年9月13日、今日は中秋節。
中国では月餅を送り合い、一応建前としては中秋の名月をめでる一日となっている。
一般に中国では今日から三連休になり、それはわが校も同じである。
通常であれば連休は嬉しいもののはず。しかし連休に当たった分は振り替え授業しなければならない。休日=授業なしではないのだ。さらに私の大学では土日も授業があるため、この三連休三日間に入るはずだった授業すべてを振り替えなければならなくなる。
ただでさえ詰まった自分の授業スケジュールに学生の授業スケージュールを照らし合わせ調整し、空き時間を見つけ教室の空きを調べ申請し、大学の許可を待つ。こういうのは大学がやってほしいものだけれど、自分でやるから混乱する。一クラス一授業であればなんのこともないが、数がある。
さらに私の場合、月末の金土日にも重慶出張を予定し、その分の授業の振り替えもあったため、大混乱だった。
他の先生方と共通した意見は、祝日があろうとも結局その分振り替えなければいけないので、祝日なんて余計たいへんになるだけ。私もそう感じた。
さらに言えば、重慶出張から戻り10月1日から、今度は国慶節の大連休が始まる。もう混乱の極みで、授業準備が追い付かない。
そういうわけで、中秋節、といってもよい意味での感慨は少なかった。

9月10日、中秋節を目前としたこの日、四年生の講義授業を終えると、ある学生が私のもとに駆け寄った。

19091363.jpg

そうして渡してくれたのはこの月餅と手紙だった。
この日は中国では教師節で、毎年この日になるとSNS上では「教师节快乐」なんて言葉が飛び交う。
「先生、教師節おめでとう!」なんて言葉をかけてくれる学生はいたが、月餅と手紙までくれたのはこの学生だけだったので驚いた。しかもけっこう長々とした文章を正しい日本語で書いていて、名前はなかった。
なにせ200人を超す学生を相手にしているので名前がわからず訊くと、これがなかなか教えてくれない。最後は訊き出したけれど、誠実な学生だと思った。

そうして今度は9月12日、その前日ある学生から連絡が入り、朝私の部屋に招くことになった。お昼から夜までは授業が詰まっていたから日を改めようかと提案するも、どうしても12日でないといけないのだという。
バスに乗り私のマンションまでわざわざやってきてくれた彼女は、私に広西チワン族自治区の辺りで食べられるというタニシの米麺を持参してごちそうしてくれた。

19091301.jpg

「でも先生、本当にあげたいのはこれじゃないの」
そういって差し出したのは、ラッピング袋。
中から出てきたのはなんと、たくさんの、一つひとつ包装された月餅だった。
「中秋節を過ぎてから渡すと失礼になっちゃうから」
そういうことで今日にこだわっていたらしい。
一つひとつの月餅は、これまた一つひとつ丁寧に包まれていた。
日本人の知る月餅は小豆餡のものだが、本場中国では種類が豊富で、鴨の卵や肉類の月餅なんてものもあり、異色というよりはそれが王道として通っている。そういう月餅をいろいろ集めてくれて、開けるまでお楽しみなように、わざわざ包んでくれたそう。
「雲南のハムの月餅は有名みたいね」
私がそういうと、「そう!それも入ってるから!」と目を輝かせた。

そういうことがあり、ふと中秋節が楽しみに思えてきた。
明日は早く起きてまた、市街地の方に出掛けてみようか。
そんなふうに考えた、前日だったけれど。
昨晩は1時には寝室に入ったのに、目が覚めてみればなんともうお昼だった。
ここのところ深夜まで作業をする日々が続き寝不足が続いていた。
外を見れば怪しげな天気。
昨日一昨日と猛暑だったのに打って変わり、涼しいを通り越して寒いほど。
百度のニュース速報?では、「中秋節の三日間は四川を暴雨が襲う!残念ながら名月は眺められないだろう!」と見出しが出ていた。
四川に到着してから一度も、月も太陽も青空のかけらも、姿を見せてはくれなかったこの二週間と少し。
それがここ二日、突然太陽が現れた。そして淡いものの、青空も見えた。昨晩深夜には、少し疲れてベランダに出てみると、くっきりとした十四日月がマンション群の上に皓皓としていた。
思わず見とれた一瞬だったが、しばらくもすると、雲に飲み込まれてしまった。
四川はこれから暴雨に襲われるのか、それなら昨夜のつかのまのお月見は、もしかしたら天が与えてくれた中秋の名月だったのかもしれない。
十四日月とはいえ、日付でいえばすでに13日になってたし、中秋節に月をめでたと言ってもかまわないだろう。
では今日一日どうしようかな、一瞬そう迷ったけれど、やっぱり出かけてみることにした。
明日と明後日は学校は休みといえども、マンションで仕事をしなければならない。
今日は一日、仕事から解放されるぞ!と気持ちを切り替えた。

バスに乗りこの前と同じく、片道2元のドライブへ。
バスの中で、さっそく一つ持ってきていた月餅を開けてみた。

19091302.jpg

するとこんな紙が入っていた。
「マンゴー味のホンコン式月餅だ!」
もしかして、一つひとつ、包装の中にはこんなメッセージが入っているのだろうか。
彼女は以前、本当は日本語を学びたくて日本語科に入ったのではないのだと話していたことがあった。
戦争のこともあるし、日本が好きではなかった。
希望した学科は英語だったのに、成績の問題で日本語科に入ることになってしまった。これは中国の進学方式で、希望しない学科に振り当てられてしまうことがあるのだ。
でも勉強し始めて、日本が好きになったのだという。
なんて素直なんだろう、と思う。
「先生が日本に帰国している時、静岡に遊びに行ってもいい?」
きらきらした瞳を思い出しながら、ホンコン式月餅を一口。
お餅タイプの現代版月餅は、なんともいえずおいしかった。

初め私は、前回と同じく終点の翠屏山でバスを下りようと考えていた。けれども市街地に入り、バスが曲がった道の向こうに何やら中華式門を見つけ思いつきで下車。

19091303.jpg

門に向かって歩いて行くと、案の定、見どころを匂わせる雰囲気。
巨大な門をくぐってみれば、そこは大きな広場になっていた。

19091305.jpg

降り返れば「水東門」の文字。
観光地のような雰囲気を出しながらも、しかし人は少ない。
今にも雨が降り出しそうな天候と相まって、寂しげな印象があった。

19091304.jpg

ではここはどういうところかというと、水東門をくぐれば一目瞭然。
広場の先には、巨大な一条の流れ、岷江があった。そしてそのすぐ先でもう一条の大河、金沙江と合流し左手に流れている。
かの有名な「長江」の始まりである。
長江といえば、日本人でも知らない者はいない。
全長6300㎞、中国でもっとも長く、そして世界でも第三位に数えられる大河である。
しかしそうした場合の長江とは、チベット高原に始まりをもつ源流から上海に流れ出る揚子江までの全域を指す。
あまりにも巨大過ぎて、いくつもの名をもつ中国数々の大河。
細かくいえば、長江という名はこの岷江が金沙江に合流する地点から始まる名称である。
そういうわけで、宜賓は‟万里長江第一城”の別名をもつ。
私はまさしく今、そこにいるというわけだ。
空に近いような高峰から流れ出る、細い細い清らかな水流。
それはやがて巨大なエネルギーをもち始め成長する。
様々なものを飲み込み、混濁した巨大な流れは、いくつものそうした同様の水流を飲み込み、肥大していく。
長江という名のスタートもまた、その一連の肥大化の一つに過ぎない。
これはそのまま、中国大地の巨大さである。
そしてそれどころか、地球そのものの規模を目にしているような気さえする。

しかしそれは置いておいても、長江スタートの地なんて、中国であれば観光地になっていてもおかしくない。
なにせ、中国で最長、世界で三番目の大河である。
「〇〇第一位」とか「天下〇〇」というのが大好きな中国。
そういう場所で石碑とともに(自分の)写真を撮るのが大好きな中国人。
「万里長江第一城」なんて石碑が立っていれば、みな喜んで集まるのではないか。
それがどうしてこんなに寂しげな様子なのだ?
しかしここはまだ岷江最後の地点。
それなら本当の本当に合流するあちらには、何かあるのだろうか。
そう思って向かってみることにした。

19091306.jpg

歩いて行けば、こんな案内が。
やっぱりここが観光地でないはずがない。

19091307.jpg

歩いて間もないところに、案内の通り「百二河山古牌坊」というものがあった。
しかし時代が経過し崩壊の危険があるため立ち入り禁止、となっていた。
石材でできた牌坊で、長年の風雪を乗り越えてきたような風化のようすがあった。かすかに文字が確認できたが、読み取れないほど摩耗している。石材も今にも崩れそうだ。

19091308.jpg

これを越していくと、やがて開けた歩道に出た。
そこにあったモニュメントは、長江の稀少な魚類を保護する区域であることを示すもの。
これだけの長距離を流れるこれだけの規模の川ならば、それは稀少な生物や、もしかしたら未だ発見されていないものもあるかもしれない。
しかしこのモニュメント、なんだかカジキみたいにも見えるけれど、本当にこんな魚類が長江にいるんだろうか。けれども揚子江ワニなんてのもいるから、こんな魚もいるのかも知れない。

宜賓長江地標広場というのに、出た。
ここが長江スタートを記念する公園である。
広々とした公園には、先ほどよりは少しはたくさんの人たちが、川など見飽きたというように遊んでいる。

19091309.jpg

そしてその先には、長江スタート地点を見渡す展望台のようなもの。
なぜだか少し、安心した。
左側から先ほど眺めた岷江が、右側を真っ直ぐ流れる金沙江に合流する。
そしてこの先が長江だ。
こうして目の前で眺めてみると、川の流れが思った以上に速いことに驚いた。水量の多い巨大な川であるだけに、日本の渓流とは違い、遠くからは水流をなかなか実感できない。まるでのんびりした流れのようにも思っていた。
しかしそんなはずはないのである。
毎秒何トンになるのかは知らないが、ものすごい水量がその前千㎞かそんな距離を押し流されてきているのである。
落ちたらひとたまりもないな、そう思った。
そんな巨大な川の流れがぶつかるところは、目で見てすぐわかる。
両江に色の差はないけれど、流れがぶつかる地点には小さな波や渦ができ、うなっては消え渦巻いては潜り、そんなことを繰り返しながら抵抗できずに向こうへ流されていく。

この両江の合流地点には、三角形の停滞地帯があった。
二つの激しい水流がぶつかり、余った力がそこで暇をもてあそぶようだ。
そこは不思議な静けさを持っており、そしてあろうことか、人々の遊び場になっていた。
数人の男性が裸になり泳いでいる。
浮き輪ではなく、オレンジの浮き具を紐で吊り浮かせている。救命具のつもりなのだろうが、意味があるのかどうかはわからない。
また一組の親子がいて、お父さんが小さな女の子を遊ばせていた。女の子はビート版を持っている。
まず一つ、コーヒー牛乳のように濁った川水である。
もう一つ、本日は天候が悪く、涼しいどころか寒いといってよかった。
しかしそんな疑問をもつのは、この広場でもどうやら私ただ一人のようだった。

19091310.jpg

こちらが、先ほど歩いてきた岷江方面。

19091311.jpg

こちらが、合流を待つ金沙江方面。

19091361.jpg

この合流地点の展望台には、コンクリートに描かれた巨大な絵があった。
宜賓の名は見えず、近隣都市である瀘州の名前から始まっている。
瀘州、重慶、万州、宜昌、荊州、武漢、九江、銅陵、蕪州、南京、そんなふうに続いて、最後には上海に辿り着く。
これだけ長距離の水流の旅、それは川水も汚れるわけだと納得する。

今日は中秋節である。
中国ではこうした祝日連休にはどの観光地も人でごった返す。
しかしここで見たのは、一組のグループが「ここが長江の始まりかぁ」なんて会話しながら集団で自撮りしていたのを目にしたのみ。
観光地はないと言われる宜賓であるが、ここは休日出かける選択肢のひとつにも選ばれない地のようだ。

19091312.jpg

広場を少し外れてみると、そこには城壁を示す看板があった。叙州城遺址と書かれている。
宜賓の歴史はなかなか古いようで、この両江に挟まれた部分には昔から城が置かれ幾度か名を変えてきたようである。
当時はこの長江へ面した川岸に城壁が築かれ、天然の要塞として発展した。

19091313.jpg

ここに残る城壁は110mほど。
前漢の紀元前182年に城壁が建築されたのが始まりで、当時は土の城壁だった。現代のような石レンガの城壁になったのは明代1373年のこと。
ただし今残る姿は現代の手を加えられたもので、どれだけ当時の姿そのものかはわからない。

19091314.jpg

この城壁沿いに歩いて行くと、何やら目を引く石レンガの建物に出た。
「川紅非遺館」と書かれている。
私はなぜかなんとなく戦争関係のものかなと想像してしまったけれど、ぐるりと回ってみるとそこはお茶館だった。

19091315.jpg

ここはもともと王爺廟というもので、清代に建築されたものなのだという。
王爺といえば、かつてここを統治した人を祀った廟だったものだろうか。
説明がなくわからないが、二つのとがった屋根が並んだ、少し変わったふうの石造り中国伝統建築だ。
非遺とは無形文化財のことのようで、お茶などのことを指しているみたいだった。この建物の中でお茶を買ったりここで飲んだりできるということらしい。

こうして両江合流地点から市街地側に入っていくことにした。
まずはお昼ご飯と思うものの、しかし軒並みシャッターを下ろしている。これには参った。
こんなの春節ぐらいだと考えていたからだ。
どうやら宜賓の人々はみな、祝日はしっかり休むようだ。
それでも商店や薬局、通常通り営業している店も少なくない。ただ、私が今どうしても食べたい麺のお店は、壊滅状態。

麺といっても、何を食べたいかははっきりしていない。
牛肉麺か、燃麺か、紹子麺か、それとも抄手か。
貧乏性というのは恐ろしいものである。こちら宜賓に来て、前よりももっとケチな人間になってしまった。
以前は安いといわれていた中国の食べ物も、都市部ではどんどん値上がりしている。それでも四川はその波から一歩出遅れていて、幸いなことに安い飲食はまだたくさんある。麺なんか高くて10元を越す程度で、だいたい5元から10元未満で食べることができる。
それなのに、その10元を渋るようになってしまったのだ。
今の私にとって、数元の温かな麺はぜいたくの一つだった。では火鍋や焼烤はといえば、超ぜいたく。たまにはそんな超ぜいたくをしたいので、プチぜいたくを我慢するようになってしまった。
今日は中秋節、私得意の「自分への慰め」「自分へのごほうび」である。
今日はお昼にプチぜいたくの麺を食べて、夜は火鍋などの超ぜいたくをして、こちらに来て初の白酒を飲んで、足マッサージして、そんなプランを立てていた。
ところが、軒並み休業。
歩いても歩いても、シャッター街。
もともと執念深い私であるから、どうしても温かい麺を食べるべく探索に向かった。

19091362.jpg

そうして歩き回ってみると面白いもので、宜賓というのは繁華街のすぐ裏には古い建物がごろごろしているのだ。
キャッチした電波はたいがい間違うことはないようだ。
‟匂い”を感じ入り込んでみると、こんないつの時代かわからない建物がかならずある。
この建物はなにかわからないけれど、日本の塔を彷彿とさせた。まるで三重の塔のようである。
どうして日本のそれを彷彿とさせるかというと、それはその色彩だろう。
中国にももちろんこうした建築はたくさんあるが、私が今まで目にしたその多くは、派手な色彩をもっていた。
色彩がないこのような建築でも、そのかわり派手で精緻な飾りをたくさんもっていた。
まるで室町期の建築のように、素を追求した機能美、とでもいえようか。でしゃばらない美というのはなんとも日本的だと思う。

19091316.jpg

こうしてうろうろしていると、やがて金沙江の方に出た。歩き回るも営業した麺屋さんを見つけられないまま時間はどんどん過ぎていく。
あの橋は金沙江最後の鉄橋である。
その向こうにはもう、さきほど眺めた長江が見える。

19091317.jpg

「金沙江戎州大橋」というらしい。
この巨大な鉄橋にもまた、先日見た南門大橋のようにアーチ部に階段が設置されている。
宜賓はこうした大河とともにある街である。
大きな川と山が、居住区を分断している。
両江と長江にはいくつもの橋が架かり人々の往来を助けているが、昔の人々はさぞ不便だったことだろう。特にこの両江に挟まれた旧城区。天然の要塞である利点をもちながらも、一方で孤立という側面をもつ。
豚の皮を風船のように膨らましいかだにして黄河を往来する、甘粛地方を思い起こす。こちらでは、どのようにして川を行き来したのだろうか。

19091318.jpg

こちらは金沙江最後の位置から長江を眺めて。
左手から岷江が合流している。

19091319.jpg

こうして再び麺屋探しに。
住宅地を散策するのはおもしろい。
どこか日本のそれのように感じる瞬間もあるマンションたち。
そこらで麻雀やトランプなどのカードゲームに盛り上がる老人たち。
茶館や麻雀を見ればやっぱり同じ四川だなと感じるけれども、それでも街の雰囲気は現在の成都とは全然ちがう。
日本語科のH先生が言っていたことを思い出す。
彼女は成都の大都市ど真ん中が実家で、そして私と同年齢、誕生日も近かった。
「宜賓は私が子供のころの成都にとてもよく似ている」
彼女はよくこう言った。
近代化の発展を迎える前の成都に似ているのだという。
散策をしながら想像する。
2、30年前の成都はこんなふうだったのかな。
私が成都を特別ひいきして好きなのは、新と旧の同居である。
あの都市は近代的な大都市でありながら、それに混じって古き良き生活が現在も生きている。
新と旧は、共存するのが難しい。しかしそれをうまく形にできているのが、成都だと思っている。
しかし、‟新”も‟旧”も、ともに絶対的な概念ではない。
さらにいえば、時間とともに変化していく捉えどころのない、まるで手で水をすくうような感覚にも近い。
何が新でなにが旧なのかは、実はあいまいで主観的な問題なのかもしれない。
宜賓に今ある風景は、成都の旧ではない。
似ているが、似ていて非なるものだ。
今ここにある風景は、宜賓の今、宜賓の新でありまた旧である。そしてそれも、瞬く間に変化していく概念だ。
ただ歩き眺めながら、その今を自分の目で記憶に焼き付けることができることを、嬉しく思う。

19091320.jpg

左手の建物は年代を感じさせる石レンガ。門には豆電球が架けられている。
内部にはまた古い住居が続いている。
この周辺にもときおり小さな食堂を見つけた。
「麺あった!営業している!」
そう思って、牛肉麺にしょうか他の麺にしようか覗くと、
「麺はなくなったよ!」
このときどれだけ残念な気持ちになったか、誰もわかるまい。

しかし運は私を見放さなかった。
この先に二軒、麺屋さんを見つけたのだ。
悩んだあげく、結局普通の牛肉麺を。
それから麺屋さんを見つけた気分の高揚で、デザートまで注文した。

19091321.jpg

こちらは牛肉麺。
中国どこにでもある麺の定番である牛肉麺だが、地域によってそしてお店によっても異なる。
四川ではこのように激辛の油いっぱいスープであることが多いように思う。
辛いのはいいが、油はちょっときついものがある。
しかし、おいしい。
油そのもののようなスープは温かいを通り越して熱く、また真っ赤なそれはとても辛くて口が痛くなる。それをつらいつらいと思いながら食べるのがおいしいのだ。

19091322.jpg

デザートに頼んだのは、醪糟粑粑。
粑粑とつくデザートを去年の12月に楽山かどこかで食べておいしかったので、これにした。
注文時、黒糖にするか白糖にするか訊かれ、また砂糖増やすかも訊かれた。好きなように甘くすることがでいるよう。
私が頼んだのは、黒糖のもの。
醪糟とは甘酒のことだが、やっぱりそういう風味がした。甘い汁の中に、ちぎった餅が、ほろほろの糯米とともに沈んでいる。
私は激辛麺を食べてはこれを食べて口を休める、を繰り返しながら食べた。
好みかというとそうではないけれども、おもしろいデザートだった。

〈記 9月14日 宜賓にて〉

⇒ 宜賓散歩~最初の散歩③~ 中秋節・後編 へ続く


クリックしていただけると励みになります☆
↓↓↓
にほんブログ村 旅行ブログ 中国旅行(チャイナ)へ
にほんブログ村
2019-09-15

宜賓散歩~最初の散歩③~ 中秋節・後編

執念で探した牛肉麺を食べることができて、大満足だった。
このあとどうしようかと考えて、金沙江から市街地を横断して、反対側の岷江へ出てみようと思いついた。

19091323.jpg

思いつくまま歩いていると、少し静かな道に出た。
この道はカーブになっており、岷江までは少し遠回りのルートになってしまった。しかしそこで出合ったのは、美しい教会だった。
教会は閉ざされていて内部はわからなかったけれど、外観だけで私の足を止めるには十分だった。

19091324.jpg

よく見るとこのように、なんと一つひとつは割れた陶器の欠片で装飾されている。
さまざまな陶器の模様が集合し、また違った複雑な色彩を生み出している。

19091325.jpg

そして興味深かったのは、絵の題材。
山中にある中国の伝統建築を表している。
内モンゴルの呼和浩特で見たモスクを思い出した。中国的題材をあつかったモスクは、西と東の文化が折衷した不思議な世界感をもっていた。
ここにもまたそんなような、不思議な美がある。
純欧州建築も美しいけれど、こうしたその地ならではの美にはその地に暮らす人が感じる美がそのまま反映されているようで、これもまた素晴らしいものだと思う。

19091326.jpg

ここからずっとカーブを歩いて行くと、やがて目的の岷江へ出た。
金沙江方面とは異なり、少し寂しい殺風景な印象だ。
道路には車しか通らず、川沿いには歩道があるものの歩行者はいない。
天候は悪く、風も徐々に強まってきて、寒さも増してきた。

岷江酒店が見え、そこが数日前に来た時にもさまよった場所だということに気づいた。とすれば、この道から入っていけば市街地はもうすぐそこだ。
右手に橋を見ながら、正面には「真武山」という名を掲げた中華式門が見えた。なんだかあそこも面白そうだ。
あとからわかったことだけれど、この真武山は数日前に途中まで登った翠屏山と繋がっており、あの時地図で見た古建築群というのはこの真武山にあるもののようだ。しかも、本当に古い建築が残っているそう。これは次回、行かない手はない。

19091327.jpg

この真武山の正面、岷江大橋のふもとには、小さな広場があり親子が犬を連れて遊んでいた。
広場の地面には一面、様々な字体の「酒」。
そして広場の奥には、また「酒」。地面に大きな酒の字と、正面のモニュメントにも。

宜賓は「酒都」という別名をもつ。地味な割にけっこういろんな別名をもち、しかもなかなか中国を代表する規模の別名である。
酒都というのは、字の通り、酒の都。
日本人にとっては中国の酒といえば紹興酒で、しかしその紹興でさえ酒都ではない。
また昨年は甘粛省の酒泉を訪れ、「酒好きの私が酒の街に来た」なんていって浮かれていたが、あれはあくまで泉が酒と化した伝説である。こちらも酒都ではない。
宜賓はかつて城、つまり古都であり酒の代表地だった。
酒の都を名乗れるのは、中国広しといえども、ここ宜賓だけなのである。
宜賓といえば五粮液の産地ということで有名だ。
五粮液は白酒の代表格で、白酒の材料が米、トウモロコシ、コーリャン、小麦、糯米の五種類の穀物であったことからその名が起きた。
しかし白酒は、実はそう歴史がある酒類ではない。
中国でもっとも古い酒類は果実酒、それは製法が簡単だったからだ。その後、黄酒などの醸造酒が一般化し、蒸留酒である白酒が広まったのはそれよりもずっと後世の元代のことだった。そして白酒が庶民の嗜好となるには、近代を待たなければならない。近代の貧困期、廉価で悪質な白酒が広まり、多くの庶民が酒本来の美味ではなく、てっとり早く酔うための手段として廉価な白酒を飲むようになったのが、現代ある白酒文化の始まりである。
では宜賓は古都であっても酒の古都とはいえないのではないか?
実は宜賓には、白酒の以前から歴史上さまざまな酒を生み出してきた背景があるのだ。市内には、過去酒を醸造していたというその遺跡、遺物がいくつも残るのだそう。
そうした歴史があったうえで、五粮液が生まれ、超有名メーカーが誕生した。
五粮液の誕生は、宜賓の未来を決めたといっても過言ではない。
すでに市内バス5号線の行先が「五粮液」であることは知っている。もう気になって仕方がないバスである。
その先にはきっと、五粮液の工場があることだろう。
行っても追い返されるかもしれないし、何も見るところはないかもしれない。
しかしそのうち、必ず乗ってみようと決めているバスである。

19091328.jpg

やがてふらふらと市街地へ入っていくと、また市場状の路地を見つけた。
道端に野菜、果物、肉、魚、調味料、ありとあらゆるものが並べられ売られている。

19091329.jpg

可愛そうだけれど、兔や鶏や鳩が、生きたまま籠に入れて売られている。
ペットではない。もちろん食べるのだ。
四川では兔を好んで食べるが、宜賓よりも少し成都よりの、激辛料理で有名な自貢では特に兔を好むらしい。
私は兔は一度は火鍋で、一度は自貢料理で口にしたことがある。

19091330.jpg

この三色のパラソル、なぜだかわからないけどとても懐かしい気持ちになる。
それから18時を過ぎてまだ明るいものの、少しずつ灯りだしてきた電球。
宜賓語がわからないが、立ち止まれば次々と元気よく声がかかる、活気ある路地。

19091331.jpg

足元には几帳面に揃えられた野菜。
どの野菜もきれいに洗ってあり、ジャガイモでさえ土がほとんどついていない。
そしてどの野菜も、先日見たみたいに水滴をかぶり、つやつやと輝いている。

19091332.jpg

中国をいろいろ旅してきたが、こんなに几帳面な市場は見たことがない。
それがこのお店だけではなく、ここに売られているもの全部がこんなふうなのだ。
日本のスーパーでさえ、ここまできれいに土を洗い落としているだろうか。
初めはこの店主が几帳面でこんなに野菜をきれいに並べているのだと思った。しかし、ここではみんながこうなのだ。

19091333.jpg

こちらはカエル。四川ではカエルを好んで食べる。大きさや種類もさまざま。
私はカエルを食べるのは慣れたけれど、調理はちょっと、できないなぁと思う。
網の中でぴょこぴょこ跳ねるのを見ながら、確信する。

19091334.jpg

こちらは魚。水は流しぱなしで、清潔に売られていると思う。
日本にはない食材がたくさん。野菜に魚。
せっかくこちらに来たのだから、名前をおぼえてみたい。けれどもそれも、もう少し生活に慣れてから。

19091335.jpg

向こうを振り返ってようやく気付いた。
ここは先日、迷い込んだ市場の路地だった。向こうに現代的な電光ビルを見たんだった。
そうしてここで、古めかしい輪タクとすれ違った。懐かしい鈴の音を鳴らした自転車タクシー。
そう思っていると、また通った。
そして、またまた通った。

19091336.jpg

そしてどれもがお客を乗せている。どうやらここでは、輪タクは住民の重要な足のひとつのようだ。
こうした細い路地にタクシーは通れない。輪タクならば、すいすいと走り、小回りもよい。
大通りには見ないから、路地裏専門の足だろう。

ところで路地裏市場を抜けて道を曲がり、一人のおばちゃんが掃除をしているのを見て、気づいた。
この市場、とてもきれいなのだ。
通常、市場にはたくさんのゴミが散らばっている。
それは売るものが売るもので、例えば野菜のカスだったり、魚の内臓だったり、ゴミだったり、それにお客も来るから色んなゴミが散らばる。そしてその混沌こそが市場の魅力の一つでもあった。
中国の市場で、ゴミが落ちていない市場なんて私は見たことがない。
道端を箒で掃きちりとりに収める。おばちゃんはゴミ一つ残すことなく、止まってじっと見る私をいぶかしげに見上げて、奥に入っていった。
このおばちゃんといい、野菜の売り方といい、魚の売り方といい、おそらくみんなでそういう共通認識で清潔にしているようで、私にとってそれは感動に近い発見だった。

19091337.jpg

この路地を抜けて角を曲がると、そこにはお餅を売っている人がいた。
一度通り過ぎ、やっぱり気になって一歩下がり振り返ると、若い男性がこちらに声をかけた。
「これってそのまま食べれるの?」
細かく丸めたお餅の横には小袋に分けられたきな粉があった。
搗き立てかどうかは知らないが、きっと搗き立てに違いないおいしそうなお餅である。
話を聞いてみると、このまま食べるのではなく、焼いたり揚げたりして食べるだという。
冷蔵庫に入れれば数日もつというので、15個買ってみた。きな粉もつけてそれで8元。
私が外国人で宜賓で働き始めたばかりだというと、
「いったいなんの企業で?」不思議そうに尋ね返す。
宜賓には外国人が働くような企業はないだろう。
どこどこの大学で、と説明するとようやく納得がいったよう。
教師をしているというと、その男性、自分も高校の教師だという。
それでこちらも納得。どうりでここ宜賓にいて標準語での会話がスムーズだったわけだ。

19091338.jpg

こうして歩き大通りに出てみると、またあの大観楼に出た。
さすがにもう入場はできないなと思うも人影が見えたので近づいてみると、なんとまだ開いているよう。しかも、無料とある。さっそく入ってみることにした。

この大観楼、先日は鐘楼かと思ったが、鐘楼ではなく楼閣だった。
明代1522年に建設されたもので、しかし明末に戦火に遭いその時には城台だけしか残らなかった。その後清代に再建されたが再度焼失、乾隆帝の時代に再建しその時に大観楼の名がつけられ、今に残るのだという。

19091339.jpg

上がってみると、なかなかいい雰囲気だ。先を行く若いカップルも二人して長いこと屋根を見上げて何か言っている。
私は次第に、楼閣や灯り始めた夜景よりも、その若いカップルのほのぼのとした様子の方が気になり始めた。なかなか勉強熱心な様子で、微笑ましい。

19091340.jpg

まずは二階へ。そこから順路を示す看板に従って内部に入ると、中はちょっとした博物館のようになっていた。

19091341.jpg

このように宜賓で出土した発掘品や宜賓の歴史について紹介されている。
広さがないので限りがあるが、非常に面白い展示物の数々だった。

宜賓の歴史は石器時代に始まるが、都市としての文明の歴史は、前漢の紀元前182年を記録の最初とする。すでに2200年の歴史を数えることになる。
かつてこの地はさまざまに名を変えてきた。
まず最初にもった地名は、「僰道」。
その後唐代には義賓県の名がついた。これは、‟慕義来賓”(義を重んじて客をもてなす、といった意味だろうか)に由来するものだという。
その後北宋時代、宋の太宗趙光義の名前と重なるのを避け宜賓と改名し、ここで初めて現在の名称が生まれて今に至る。
魏晋南北朝時代から宋元明清の時代にかけては、現在ひとくくりに宜賓市とされている地域の中で、戎州や叙州、また僰道県と名前を別ったという。
金沙江、岷江、長江に分けられた地形である。

19091364.jpg

こうした地図が展示されていた。
「南方のシルクロード」の地図である。
一般にシルクロードとは、長安から甘粛省や青海省、それから新疆ウイグル自治区を数筋に分かれ中央アジアに向かうルートをそう呼ぶ。
雲南とチベットを結んだ茶馬古道ならよく聞くが、では南方のシルクロードとは。

古代中国西南部には、五尺道という名をもつ道があった。
この五尺とはそのまま幅を示す表現で、実際1.15mほどの幅しか持たない狭い道であったそうだ。
五尺道の名は、史記や漢書など多数の史書に「五尺の僰地古道」として記載が見られる。どうやら秦の時代にはそれはすでにあり、漢代になり修繕を繰り返していったものらしい。
当時非常に重要な道だったが、狭さゆえに車が通れず、人馬のみしか通行できなかった。それほどまでに、道を切り開くのが困難な地形だったということだ。
この古道、すでに二千年の時を経て、現在はそのほとんどが形をとどめておらず、研究と調査により推測されるのみなのだという。
そして「五尺の僰地古道」とは、すなわち宜賓の古い呼び名、僰道の由来である。
五尺道はここ宜賓を出発点とし、雲南の昭通、曲靖、そして昆明を通り、大理を通り、そしてミャンマーへ、最後にインドに到達する。
いったいどんな物資が行き来したのか、それについては触れられていない。
そして、それだけ困難な道を抜けながら、どうして宜賓からその先成都や重慶の方面へ抜けることなく終わったのか、それも不思議ではある。

19091342.jpg

南方のシルクロードの展示の先には、突然世界が変わったように不思議な展示物があった。
それは少数民族の棺だった。
「悬棺」といって、古代南方民族に見られる特殊な埋葬方法なのだという。
悬とは、宙に架けるとかぶら下がるというような意味をもつ。悬棺とは、高い岩壁に直接置かれた埋葬方法のようだ。
なんとも奇抜だが、宜賓には現在だけでも312もの悬棺が発見されており、それは中国国内に見られる悬棺の中ではもっとも数が多く集中したものだという。
宜賓の中でももっとも悬棺が集中して発見されているのが、珙県。
珙県一帯には宋代、都掌蛮と呼ばれる少数民族がいた。この民族は文字をもたず、農耕や牧畜をして生活をし、男女ともに12、3歳になると左右の前歯を抜くことを成人儀礼としていたそうだ。
明代には朝廷から大規模な出兵が何度もありようやく民族を制圧したというから、力をもった少数民族だったのだろう。
この都掌蛮人が、この悬棺を風習としてもっていたというのだ。

19091343.jpg

悬棺には三つのパターンがあり、こちらが岩壁に杭を打ち込み棺を乗せるもの。

19091344.jpg

こちらは岩壁に穴を穿ち、その中に棺を納めるもの。

19091345.jpg

こちらは岩壁のでっぱりに棺を乗せるもの。

19091346.jpg

こうした岩壁には、主に朱色を用いた壁画が多数発見されているのだという。
文字をもたない民族であり、しかし絵は描いていた。
岩壁は非常に危険であり、またそこに棺を納めるなんて困難を極める。死者を弔うのに生者が死者になってしまう。
しかし彼らは、あえてそんな危険な場所に死者を弔った。
それだけアニミズム信仰が真剣に行われていたということだろう。
現代においては、親しい人が亡くなれば、できれば死してなお身近にい続けて欲しいという願いがある。
それはひとつ、仏壇なんかもそうだし、遺影なんかもそうだし、お寺さんに弔うのもそうだろう。
しかしこの悬棺はその真逆をいくようだ。その心理や願い、信仰を想像してみたかったがまだはっきりしない。
宜賓にはこうした遺跡が多数あるようなので、可能であればぜひこの目で見てみたい。

19091347.jpg

この大観楼の展示はなかなかのもので下手な博物館よりもよほどおもしろかった。
二階から三階へ展示が続き、最後はこのように映像と写真を並べてエピローグとする。
時刻はもう19時半をまわっていたが、見学者も少なくなく、そのどれもが熱心に展示を見学していた。

19091348.jpg

こちらが宜賓を上空から俯瞰した写真。
私が今いるのが、④の老城区。右手に長江が流れている。

19091349.jpg

現代宜賓。歴史ありながら現代都市として着実に発展している。
今は古き良き風景を多数残しているけれども、これから数年先、どんな発展を遂げ変貌するかわからない。

19091350.jpg

19091351.jpg

19091352.jpg

19091353.jpg

19091354.jpg

こちらは展示されていたかつての宜賓風景。無断借用である。
この街をもっと好きにさせてくれる、そんな写真の数々。

19091355.jpg

19091356.jpg

この展示の窓の向こうには、まぶしくて賑やかな今の宜賓の街並みがあった。
充実した展示を見て、この地から「欢迎来宜宾(ようこそ、宜賓へ)」と挨拶された気がした。
誰に訊いても「很不错的城市」つまり、なかなかいいとこだよ、と言われるも、「ではどんな観光地があるの?」と尋ね返せば「観光地はない」という返事が来る。
しかしここで展示を見てみると、見どころが多すぎて長期滞在しないと追いつかなさそうなほどではないか。
観光地と見どころは違うだろう。
しかし中国においては、それは一つの強い魅力ではないだろうか。
観光地はないが、見どころは豊富、そう表現すればいいのかもしれない。

19091357.jpg

壮麗で迫力をもった大観楼、見上げると圧倒されそうだった。
見上げていると、一人の男性から写真撮影を頼まれた。
観光地がない宜賓、でも観光客はいるようだ。
この大観楼の展示は素晴らしくて、無料なうえに朝9時から夜8時半まで開放しているのだという。
この街に来たら、ぜひ一度立ち寄りたい場所だ。

19091358.jpg

このまま市街地をうろうろして、夕食を求めた。
昼は麺でプチぜいたくをして、夜は火鍋で超ぜいたくをする。そう決めていたが火鍋は諦めた方が良さそうだ。
繁華街には中秋節でも営業しているお店は多少はあったけれども、それでも早く店じまいをしたいようで、20時の時刻で次々とシャッターを下ろしていく。
この辺りには昼あれほど見つけることができなかった麺のお店もいくつかあった。けれども、夜は白酒を飲みながらじっくり食べたいんだ。そう思いながらも串串香みたいなお店ないかなとうろうろしていると、一軒もう椅子を片付けたお店を見つけた。
「串串、成都冷火鍋」というような文字。
冷の文字は冷たいという意味ではなく、火にかけながら食べる火鍋ではないということを示す。つまり、冷火鍋でも温かいのだ。
これにしようと「まだやってる?」と声をかけると、もう今すぐ店を閉めたいんだというように、「早く、早く、早く食べて!」
串を選んでいるそばから、「早く早く!それはダメだ!こっちから選んで!まだか?早くしろ!」と催促がかかる。

19091359.jpg

慌てていくつかの串をトレーに乗せた。
すると出てきたのが、串から外されて辛い汁に沈んだ具。なのだが、冷たい。
ジャガイモにいたっては、加熱していないため、しゃきしゃきだ。
これって、こういうもの?
親父さんが早く店を閉めたくてそのまま出したのか、もともと加熱しないものなのかはわからない。
少なくとも私の知る串串香ではない。
冷たい串串はなんとも複雑な味覚と食感だった。
急いで飲もうとした、引っ越し後初の白酒も、非常に微妙なものになってしまった。白酒というのは急いで飲むものではない。
親父さんの「早く店閉めたいな」視線が気になるので、詰め込むようにして完食し、白酒は半分残し持ち帰ることにした。
「遅い時間にごめんね」そういうと「気にするな!」と上機嫌な様子。

こうして、最終の22時10分のバスにはまだ時間があったが、足マッサージをするほどの時間も残っていなかったので、このままマンションへ戻ることにした。

19091360.jpg

帰りのバスからは、白塔山の夜景がうつくしい。
両江に挟まれた老城区から合流地点の対岸を眺めると、長江の北岸には白塔がうつくしいなだらかな山がある。
そこが夜になるとライトアップされ、まるで夜桜のように幻想的なのだ。
人によっては人工的な光など品がないと言うだろう。しかし私はなぜか、こうした人工的な不自然な色彩が好きなのだ。
しばらくバスは走り、やがてライトアップの山は後方へ。
降り返ると向こうには、電飾まぶしい現代都市の夜景が広がっていた。
重慶出張があり、そのあと国慶節の大型連休がある。
次に宜賓散歩にやってくるのはきっと、誕生日を迎え新しい年齢になったあとだろう。

〈記 9月14日 宜賓にて〉

[了]


《中国旅のあしあと》 ☆地域別の足跡はこちら☆

《旅のあしあと》 ☆時系列編の足跡はこちら☆


クリックしていただけると励みになります☆
↓↓↓
にほんブログ村 旅行ブログ 中国旅行(チャイナ)へ
にほんブログ村
プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国四川省宜賓市にて生活を始めました。
旅行記に絞ったブログ、一つひとつは旅のあしあとです。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
最新トラックバック
クリックしていただけると励みになります↲