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2019-09-15

宜賓散歩 ~最初の散歩①~

2019年8月26日、成田空港を出発し日付が変わった深夜、成都に到着した。
一年前の6月に8年間勤めていた会社を退職し、それから約一年続いていた無職期間。旅を繰り返しながら今年に入りいくつかアルバイトをこなし、ようやく決まった仕事は、中国四川省の地方都市、宜賓での教師職だった。人生はほんとうにわからないものである。
今まで中国旅行の度に旅行記を書いてきたが、旅行記以外の記事はほとんど載せることがなかった当サイト。基本的に今後もその姿勢は崩さず、旅行に行った時のみ、記事を掲載しようかとは思っている。仕事内容が仕事内容だけに、大学生活について具体的な事柄もほとんど書かないつもりでもある。
それはひとつ、教師職というのはいくら国境を跨いでいるとはいえ、その職についている限り公人という一面を持つこと。
それからもうひとつ、業務が忙しく書いたらきりがないこと。
そしてさらに言えば、やっぱりこの当旅行記ブログはあくまで旅行記ブログであって、日本語教師ブログでも中国生活ブログでもない、という変なこだわりがあったこと。
初めは中国入国のお知らせを兼ねて、到着した内容の記事を書こうと思っていたが、あまりにもバタバタ、トラブル続きで気が滅入り、そして時間的余裕もなく、放棄した。
気づけば二週間が経っていた、今日である。

成都に到着し、すぐに保健センターに行き健康診断を受けた。内臓のエコーでは「ベリーグッド」と医師のつぶやきが聞こえ、すべては順調かのように思えた。
それから今まで使っていた北京のSIMカードを解約し成都で新契約をするために成都で最も大きな中国移動へ。SIMカードの新契約は順調にできたが、日本でSIMロック解除してきたはずのエクスペリアがカードを受け付けず、その場で新しいスマホを購入するはめになった。
そして購入したのがアイフォン6。これを2000元切る価格で買ったのでお買い得ではあったけれど、私はずっとアンドロイドしか使ったことがなかったので、スマホのあれこれで発狂したくなった成都初日。二週間経った今現在も、入力にイライラしている。そして結果、今までのエクスペリアはWiFiで使えるので、アイフォンメインでエクスペリアを併用してなんとかバランスをとっている。

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大学側の要領の悪さ、不備、そしてマンションのトラブルはここで書くまでもない。しかしながら、一つ一つ解決、または妥協点を見出しながらようやく軌道に乗るためのスタート地点が見えてきたような気がする。
ここでポイントは、決して軌道に乗ったわけでもなく、そのためのスタート地点ですらそこに立ったわけでもなく、ただ向こうに見えてきただけということ。つまり、まだまだ先は長い。ついでに言えば、引っ越しの荷物もまだ揃ってはいない。

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心配していたマンション周囲の環境は悪くはなかった。
市街地からは離れているものの、開発が始まった区域でマンションが立ち並び、人も多く賑やかだ。
マンション下には商店や食堂が最低限並び、少し歩けばやや小規模だけれどモールもある。
15階のマンションの部屋には小さな小さなベランダがあり、涼みながらきれいな夜景を楽しむことができる。
多くの大学ではこのように住民生活区のマンションに暮らすことはできないから、この待遇に私は十分満足し、それどころかついているとさえ思った。

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9月に入り新年度が始まった。
中国は日本とは異なり、9月が新年度のスタートとなる。
とても不安だったけれど私の授業デビューも無事果たされ、ようやくひと心地ついた。
が、授業準備が追い付かず、学生の多さに対応できず、成績管理や学校のシステムへの順応、未だ完了していない就労許可証の発行と居留許可、まだまだ安定には程遠い。のんびり遊ぶ時間はなく、毎日深夜まで準備に追われていた。

「楽しい気分、どこに行った?」
ふと、思った。
他の先生方とお話するのは楽しかった。
「まゆこ先生」と笑顔を見せてくれる学生や、指導を求めてくる学生は可愛かった。
会話系の授業は肌に合わないが、長文読解系の講義授業は楽しいと感じた。
マンション区域で他の人々の生活風景を見るのはまたおもしろいことでもあった。
部屋からの眺めは最高だった。
けれども欲を言えば、何かが足りなく、そしていつも「日本恋しいな」と考えている自分に気づいた。
職業柄、大学内で中国語を話すことはほぼない。
学生から中国語を話してほしいと言われることもあるが、私とは日本語でしかコミュケーションがとれない状態が学習には望ましいので、すべきではない。
それから、ここでは宜賓語が一般に使われているし、もちろんそれだけでなく自分の語学力のなさ。そんななか大学の先生方の日本語のレベルがほんとうに高くて、私ごときが中国語を話すのがなんだかとても恥ずかしく思え、どうしても日本語だけの会話になってしまう。
そうして、どこかに少しづつ澱が溜まるように何かが重なっていった。
せっかく中国に来たのに、ほとんど全く中国語を使うことがない日々。
このままでは、ただでさえレベルの低い私の中国語が、日本にいた時よりももっとどんどん退化していってしまう、そんな焦り。
同僚の皆さんは本当にいい人たちばかりで大好きだけれど、それとは別に中国語のみでやり取りできるプライベートの友達もまた欲しかった。
でもまるでひとつの城のように独立したマンション区で、ナンパでもしなければそれは叶わないようにも思われた。
そうして気づけばたった一二週間で、一人大好き人間だった私がひどい孤独感を覚えていた。
「楽しい気分、どこに行った?」

9月6日、この日は授業がなかったので、マンションで読解系授業の準備をしていた。
午後になり、もう一山こなしてしまおうか、そんなふうに思いながらもふと、気晴らしに宜賓の街を散策にでてみようかと思いついた。
宜賓に到着したものの、私が暮らすのは市区から離れた場所だった。
宜賓がどんな地理をしていて、どんな街並みをしているのか、いったいどのへんが一番おもしろそうで、どんなものがあるのか。
私はまだ、この都市のことをなんにも知らないのだった。

バス停へ向かってみると、四本ほどの路線が通っている。ひとつは大学へ通勤するのに使っている路線、他のものを見てみると、終着の手前に「人民公園」というバス停がある路線をみつけた。
人民公園と名の付く公園がある場所は、だいたい古くから街の中心部だった場所に違いないという推測である。

バスに乗り窓側の席に座ると、半分開いた窓から吹き込む風が気持ちよかった。
8月27日に四川省に到着して以来、一度も目にしてない青空、太陽。
この日も今まで同様に空一面まっしろで、もはやそれが雲なのかもともと白い空なのかそれも疑わしく思えてくるほどに、均一に張り付けられた白さだった。
私が暮らすようなマンション区―まるでひとつの城のようなーをいくつか通り過ぎて、その階下にたくさんの賑わいを見た。
日本とは異なる中国の風景のひとつでもある。
マンション群が群れをつくるが、人口の多さも半端ではなく、さらに‟城”を抜ければ不便な立地であったりする。だからその階下には生活に必要なお店がひと通り揃っていて、そこだけで最低限の生活はできるようになっていることが多い。例えば、飲食店に商店、宅急便、さらに理髪店、マッサージ店など、私の‟城”には小さなホテルまであるし、向かいの‟城”にはいくつかの不動産屋さんなんてのも見た。
そんないくつかの‟城”を流し見ながら、私のところよりもずっと色んな飲食店があることに気づき、これはバス停一つひとつ降りて散策してみるのも面白いな、なんて考えを巡らせた。
バスはいくつかの‟城”を抜け、くねくねとした道を行き、そしてやがてぱっと開けた先に見えたのは、巨大な川の両岸に広がる街並みと、巨大な橋と、そして低くなだらかに広がる深緑の山々だった。

宜賓は、かの有名な長江スタートの地である。
四川南部の省境界線付近にあるこの街には、二筋の川、岷江と金沙江が流れ、ここで合流する。
成都の都江堰から楽山を通り南下してきた岷江、それから雲南と四川の境界線をえんえん流れ南下ならぬ南上してきた金沙江。
この二筋の大河がここ宜賓の街ど真ん中で合流し、ここで初めて長江を名乗り始め重慶へと流れていく、壮大な水流の旅路である。
左側に頭を向けたY字を想像すればわかりやすい。
私が暮らす場所はもうすでに長江を名乗り始めたばかりの場所。マンションの裏手からは、夜景がまぶしい長江がすぐそこに見える。
一方で古くから街として賑わった場所は、Y字の頭、岷江と金沙江に挟まれたエリアである。
しかしこの時、私はそれを知らない。バスを下りて百度地図を開き、ようやくそこがY字の頭であることを知る、その少し前のこと。
開けた視界の先に見える、巨大で濁った川。
それを眺めながら、あれは岷江か金沙江か、それとも長江か、そんなことをぼんやりと考えた。
宜賓には地下鉄がない。大河が街を貫き、山々が頭を覗かせる。
地下鉄の建設が不可能な地形なのだという。
大きな川となだらかな小山、その間に住民の居住区が点在している。
小規模に見える街だったが、こんなにも巨大な都市を形成しているとは思いも寄らなかった。
宜賓のハイライトコース。
片道たった2元のドライブ。
やみつきになりそう、確信に近い予感が胸をくすぐった。

3、40分ほど走り、やがて点在していた‟城”はなくなり、完全な都市部に入った。
近代化の波に飲まれずマイペースに発展してきたような、そんな素朴な都市だった。
立派な都市である。巨大な建物が建ち並び、人で溢れている。
しかしそれでいて、古い様相を残し隠さない。
中国では新しいものが古いものを侵食するような勢いを各地で見るが、その波はここにはまだないみたいだった。
結局「人民公園」を通り過ぎ、とはいってもほぼ同位置にある終点「翠屏山」で下車した。
「楽しい気分、どこへ行った?」
そんな自分への問いかけを思い出す。
「ここにあったじゃないか」
最後にこの感覚を得たのはいつだったか、それは明白な記憶で、実に一年ぶりのことだった。
この一年迷走し、ようやく当たり前に持っていたあの時の感覚を取り戻したみたいな嬉しさがこみ上げた。

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バスの終点にはバス停名そのまま、「翠屏山」という低い山があった。
誰に訊いても「観光地はない」と返事をもらう、この宜賓。
そこにあって、ここはどうやら観光地と呼んでよさそうだ。
登っていくと山門があり、何年も使用されていないようなチケット売り場があった。
そこには景区の地図もあり、見てみると山の上には寺院もあるようだ。
下からは建設中のネットが見えたが、あれがそれだろうか。
寺院方面へは行かずに逸れると、その先には古い建築群とかなんとか書かれているエリアがある。
結局この時には登らずに少し休憩しただけで階段を下りたが、次回はしっかり時間を用意して散策してみよう、そう決めた。

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こちらは翠屏山の入り口から街方面を眺めて。
右手の少し大きな建物の裏手に人民公園がある。
人民公園周辺は賑わっていて、小さな飲食店が所狭しと肩を並べている。

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引き寄せられるようにその迷路の中に入ってみると、串串香のお店が数店舗並び、次々と割引券を寄こしてくる。
バス停で最終を確認してみると、マンション方面の路線の最終は10時10分。今夜はここで夕ご飯を食べていこうと決めた。

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人民公園から足の向くままにどこへともなく歩いて行くと、そこは夢のようなエリアだった。
よくぞ残っていてくれた、と声をかけてあげたくなるような古い古い建築がそこかしこ。
そこにうまい具合に現代の店舗が店を構えている。
建物の形状、煤をかぶったような木造、今にも崩れそうな瓦屋根。
日本のそれによく似ている。

迷路のように入り組んだ道のどこにも、何年も中国旅行を繰り返してきた私にまるで初めての旅のような興奮を与えてくれる“ごく普通のものたち”が散らばっている。

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こちらは丸太を裁断したまな板。
ダンッダンッとためらいのかけらもなく叩きつけられる中華包丁が目に浮かぶよう。

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こちらは、今そこかしこで売られている月餅。
日本人からすれば驚くような餡と、そして種類。肉類とか、鴨の卵なんか、私の口にはとても合わない。
定番の餡子でさえくどいなと敬遠してしまうのだから、ましてやそんなの、巨大な一つを完食できるわけない。
中秋節はもうすぐそこ、9月13日のことである。
大学は金土日と三連休になるが、私は日曜に授業が三つ入っているため、それをどこかに振り替えなければならない。
祝日でラッキー、ではなく、もう煩雑で面倒なことこのうえない。
もう秋の夜長、どころではないのだ。

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日本を思い出してしまう瓦建築。けれども、やっぱりここは中国。
ここは鶏屋さん。
元気な鶏がかわいそうなほどぎゅうぎゅうに詰められた檻には、鶏以外にも鳩など。覗き込んだ私を親父さんがいぶかしげにこちらを見た。

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昔懐かしい路地を行き、突然豪華絢爛な建物に目が覚めた。
最初は寺院かと思ったけれど、ここはどうやら書院のよう。
広州で見た陳氏書院、あれを思い出した。
次回じっくりと中を覗いてみよう。

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いったいいつの時代の建築が今に残ったものだろう。
想像ではおそらく清代のものではないだろうか。
崩れそうな建物には、ずらりとひと並びに小さなお店が共存している。
よくもこう、うまく店が入ったものだ。
明るいうちからおいしそうな料理を囲み、話に盛り上がっている親父さんたち。

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ここから歩いて行けば、すぐそこには大きな鉄橋があった。
この時は認識がなかったけれど、これはもうすぐそこで岷江との合流を控えた金沙江である。
架かっているのは、南門大橋。
こうして見てみるとどうやら構造的には、なんと橋のアーチを登っていけるみたいだ。しかし出入口は封鎖されていた。

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南門大橋の上から金沙江の上流方面を見て。右手が、先ほどまでいた市街地だ。
次第に暮れようとしている逆光に、悠久の歴史を具現化して見た気がした。
このゆったりとした金沙江は、四川省と雲南省の境界線を形成している。
この時の私は、まさかこの大河が、‟南へ逆上っていく”なんて思ってもいない。
この広大な中国にあって、河川が東西南北へ向きを変えまた向きを変え、複雑に変化を繰り返しているなんて、もう不思議なことでもなんでもないはずなのに。

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南門大橋を市街地方面に戻り高みから下を見下ろすと、先ほど私が散策した方面には車がずらり。
これ路上駐車ではなく、れっきとした駐車場なのだった。
こんな小さなこと一つひとつに気分が舞い上がってしまう。

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ここからそれほども歩かないところには、古都のシンボルとして中国各地にみられる鐘楼があった。
鐘楼というのは私が勝手に想像しただけで、中に鐘があるあの鐘楼かどうかは知らない。
名前は大観楼というようで、確かに今まで大観楼行きの市バスを見た記憶があり、それはどうやらこれのことだったようだ。
こちらも内部に入れるようだったので、次回見学に来てみよう。

日が暮れ、徐々に灯りだした街の明かりが、やがて本格的な夜の風景になった。
裏へ裏へと入っていけども、しかしその賑わいは失われない。
それどころかむしろ活気を増しているみたいにも思えた。

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建物の隙間からは、ここが確かに都市であることを教えるまぶしい電飾。
そのすぐ真下には、今すぐにでもかぶりつきたくなるようなきらきらとした野菜が、この時刻にもなりながら地面にずらりと並べられていた。
心得たもので、どの野菜も水をかぶっている。
これが意図的なものかはわからないけれど、たとえば観光地に売られているメノウのように、濡れたそれは二倍にも三倍にも良く見えるから不思議だ。
このように水滴をまとって売られている路上の野菜を見たのは、初めてだった。
しかしいつもの旅行中とは違い写真は残っていない。

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その先にもっと細い裏路地が続いていた。
突然チリンチリンと昔懐かしい鈴の音が聞こえたかと思うと、それは古く年季の入った輪タクだった。
お客を乗せている。
三輪自転車はお客さんを乗せたまま、涼し気な音色を響かせながら向こうへ走っていきやがて角を曲がり見えなくなった。
電動タクシーでさえも街によっては失われてきている中国の変化の中で、まさか10数年前に見たような古めかしい輪タクをまだ見るとは思ってもいなかった。
昔懐かしい鈴の音を聞いたのはこの時だけだったが、輪タク自体は現役で街中を走り回っていた。
今度これに乗り目的地を告げず、宜賓の街中を走り回ってほしい、なんて頼んでみようか。そんなことを考えては胸が躍った。
この路地裏は本当に素晴らしくて、「時間が止まったような」というありきたりな表現を本気で使いたくなる空気感があった。
暗がりの中に賑やかに並ぶ裸電球は、別に懐かしさを演出しているわけではない。
私が興味深そうに一歩一歩立ち止まり覗く理由をもし彼らが知ったとしても、きっと理解できないに違いない。
なぜならば、それはここでまだ生きている現風景だから。
ノスタルジーというものは、それを失った者にだけ感じ得る、叶うことのない願望だ。
私はただ、来訪者としてそれを疑似体験することだけ、許されている。

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ふたたび都会の風景に出るも、そう数分も歩く距離ではない。
通りには街灯がまるで昭和の商店街のように建ち並んでいる。
その街灯に、昔の書体でわかりにくいけれども、これは長江を描いたもの。
長江第一城の冠をかぶった宜賓。
その宜賓をてっぺんにして、左に金沙江、右に岷江、合流して下に長く長く伸びる長江。
この先には、かつて旅した重慶や武漢や九江、それに南京や上海が待つ。

せっかく楽しい思いをして、まるで旅に来たような感覚を持った。
小さな煙草屋さんで煙草を買った。
成都で好んでいた錦綉成都がこちらに来て皆無で、男性的と言われるけれども娇子の青を買っていた。
マンション下の小さなスーパーでは、多分蓝娇と言うべきところを、私はいつも「青色のパンダください」と買っている。よくもここまでというほどの、可愛くないパンダが描かれた四川定番の煙草である。
「青色のパンダ」を頻繁に買っていく女性外国人はそうとう目立つことだろうと思う。
ここ市街地に来てちょうど煙草がなくなったので覗いてみると、こちらに来て初めて錦綉成都を見つけた。
なんだか得をしたような気分になり、錦綉成都と青色のパンダを購入すると、煙草屋の親父さんが自分が吸っている煙草を分けてくれた。
「実は外国人でこちらに来たばかりなんだ」そんな世間話をしながら、ここ二週間ずっとなかった自由な感覚を思い出したような気分だった。

この煙草屋の近くに見つけた小さな食堂に入ってみた。
野草炒めのようなものが食べたくて、「何か野菜を炒めてもらえる?」と聞くもどうも通じず、お店の親父さんおばちゃんが話していることもさっぱりわからなかった。もう完全な宜賓語だった。
最後には厨房を覗き、置かれた野菜を指さして炒めてもらうことになったけれど、結果定番の空心菜。

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日本人も大好きな中華料理の定番である。
こちらへ来たばかりの頃、節約も兼ねて自炊しようと試みた。
あちらこちらで見かける赤い色が混じる菜っ葉があり、スーパーのおばちゃんに尋ねてみると、「血皮菜」というのだという。
ところどころに混じる赤い色が名前の由来だろう。
とにかくこの野菜を購入し、炒めてもおいしいというので、菜種油とニンニクと塩で炒めてみた。
それから同じくスーパーで買った量り売りの米。
ところがこれが非常にまずかった。
血皮菜もまずければ、ただ炊いただけの米ももう全部捨てたいほどまずかった。農家さんにはとても申し訳ないけれど、これは味覚習慣の違いだろう。
葉っぱ、そして塩にニンニク、これでまずいってことあるのか?
出会う人すべてが「まずい」「ひどい」という学食を美味しいと感じる味覚音痴の私。けっこうなんでも美味しいと思えるこの私が、「これを食べるくらいなら一日飢えた方がましだ」と感じたあの晩の自炊。
翌日大学で別の先生にこのことを話してみると、その先生も血皮菜は受け付けないのだという。
聞いてみるとその先生は東北出身で、この血皮菜は四川など南方の野草なのだそう。やっぱり習慣の違いか。
とにかくそういうことがあったので、美味しい菜っ葉炒めを食べたかった。
この空心菜、間違いがない美味しさでこれで10元。
悲しいかな、私のマンション周辺にはこういうものを食べるお店がないのだ。
焼烤と燃麺のお店は多いのだけれど。
空心菜の美味しさにすっかり旅に来たような感覚になり、重慶ビールを二本開けた。
酒好きの私が、酒都の別名をもつこの宜賓に来てからほとんどまるでお酒を口にしていなかった。
たった一度、ビールを飲んだだけ。アルコールが入った状態で仕事をしたくなかったというのと、飲む暇もないくらい忙しかったというのと、あとは節約だ。
白酒のメッカに来て、白酒はいまだ一度も口にしていない。信じがたいが、これで私がアルコール依存症でないことを知り安心した一面もある。
今夜は仕事やめよう、そう思って瓶を空けた。

終バスは結局ギリギリになり、真っ暗な中に浮かび上がる幻想的な夜景を眺めながら、マンションに戻った。
今までは、月に一度は時間を用意して成都に遊びに行こうと考えていた。
給料は低く、そんな費用もばかにならない。それでも大好きな成都だったから。
けれども今日一日で状況は一転した。
しばらく成都は後回しでいい。こんなに魅力的でまだまだ見知らぬこの街を放っておくわけにはいかない。
この街が好きだな、それはまるで新しい恋を見つけたような感覚だった。

ある旅の終わりはまた次の旅の始まりであり、それは点と点というよりは、鎖のように連なった連続である。
私にとっては、この宜賓もまたひとつの旅のようなもの。
今まで連なり組み合わさってきた鎖に、また新たな鎖が加わっただけのことだ。
この鎖の大きさは見えない。
この後にいったいどんな鎖が重なってくるのかも見えない。
旅なのだから、今までとどんな違いがあるだろうか。
ときめくようなわくわくがあり、うんざりするようなあれこれがあり、しかしそのどれもが旅の魅力だったではないか。
旅行記しか書かないぞ、そう決めていたけれど、これもまた旅なのだからちょっと書き留めてみよう。
こうして書いてみた、一日の記録である。

〈記 9月10日 教師の日  宜賓にて〉

⇒ 宜賓散歩~最初の散歩②~ 中秋節・前編 へ続く


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プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国四川省宜賓市にて生活を始めました。
旅行記に絞ったブログ、一つひとつは旅のあしあとです。

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