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2014-07-28

瀋陽旅行一日目~その一~

2014年7月19日、成田から瀋陽へ。二泊三日の一人旅です。

本日から夏休みの家族連れで、空港は大混雑。全日空で瀋陽桃仙空港に到着したのは、12時40分でした。
手元にあるガイド本にはまだ瀋陽市内の地下鉄は記載されていないものの、現在1号線・2号線が開通しています。そして、どうやら2号線が空港まで伸延したとの話を耳にしたのですが、実際はまだのようでした。
エアポートバスが非常に時間のかかるバスのようでして、迷わずタクシーへ。

前回の洛陽旅行では、ホテルで少しトラブルがありました。
それを受けて、今回は現地で宿泊場所を決めようと考えていました。本当は格安宿で探そうと思っていたのですが、中国語の先生がおすすめのホテルを教えてくれた。
中国語のQ先生の人脈はすごい。中国各地、日本含め。私が、どこへ行くよ~というとそこのお友達に現地情報を聞いてくれたりする。今回も、お友達が「じゃあ、ぜひうちへ泊って!」
彷徨う時間もなくなってきたので、結局おすすめホテルに向かってみることに。
瀋陽站前の繁華街、太原街近くにある大変便利な立地です。
前回は、三泊四日を「四天」と考えていたことが、トラブルの原因のひとつにあった。今回は二泊三日、「二天」で。そしてお昼には退室することをしっかり伝える。
空室はあり、押金(デポジット)は1000元。お財布があっという間に寂しくなった。

明日は、中朝国境・丹東へ列車で向かうため、その切符を買うべく瀋陽站へ。

201407191.jpg

中国東北地方には、近代の日本統治時代の面影が多く残るという。
駅前にはこのようなレトロな建物も多い。けれど、これらは皆新しくペンキが塗られ、まるで新築のようだった。
3年前に大連を訪れた時にも、そうした若干の「がっかり」はあったのだけれど、ここ瀋陽を訪れて、まだ大連の方が古さ残る街だったなぁと感じた。大連の方が大都市なのだけれど。

それにしても、この地に降り立ち体が反応したのは、この空気の悪さ。向うがすっかり霞んでいます。
中国旅が増えてきて初期は、空港に降り立ちすぐに体が反応したものだけれど、人のからだとはうまくできたもので、すっかり慣れてしまった。
しかし、慣れたこの体でさえ反応するのだから、さぞかし。喉がイガイガするのです。Q先生にラインを送ると「重工業の街だからね」と。そういえば、中国LINE不通・当局の関与は不明、のニュースはなんだったのだろうか。

201407192.jpg

これが瀋陽站。旧・満鉄奉天駅で、日本人の設計によるものだから日本人の郷愁感を誘う。
こうした日本式の駅は、中国では東北地方ならではですね。しかしながら、これも塗り替え間もない様子。
駅前には、このように抗日の歴史が刻まれています。

チケット売り場はたいへんに混み合っています。
「我要去丹东,明天20号 早上5点40出发」
「没有」
予め時刻を調べていました。朝5時40分発のチケットが欲しかったのですが、冷たく「ない」と。
他の便を聞くと、ひとつ前は4時。
ひとつ後は6時20分、正直日帰りで行くには厳しかったのですが、「それ下さい」。
電光掲示板には、明後日までの販売状況が掲示されていますが、それをみるとどれもあらかた売り切れているか残り僅か。甘くみていたみたい…。

無事に明日の乗車券を購入して、ようやく瀋陽の観光に向かうことができます。
向かうは‟瀋陽故宮”。
瀋陽站から地下鉄に乗ろうとするも、手元のガイド本の地図にはまだ路線図が描かれていない為、降りる駅がわかりません。
自動券売機の路線図と地図を照らし合わせ、多分ここ、と「中街」まで2元。
中街から地図を上下左右にしながら迷う…。こんな繁華街のどこに、あの広大な故宮がありえるというの!?
結果的に距離は近かったのですが、少しわかりにくいです。

201407193.jpg

突如現れた‟瀋陽故宮”。
あの有名な北京の紫禁城の先駆けのような存在です。
後金が瀋陽に遷都した際に造営され、清国となり後に北京に入城するまで王宮でした。17世紀、太祖ヌルハチ(弩爾哈赤)と清初代皇帝ホンタイジ(皇太極)がここに住み、そして北京入城後も、離宮として歴代皇帝が訪れたといいます。

入場60元、敷地内に入り、目にするのは‟崇政殿”。
政務や使節の接見をここで行いました。

201407194.jpg

扁額には、左に満州文字、右に漢字。
清朝の皇族、愛新覚羅は満州族です。かれらは、漢文化との融和を図りながらも、満州の誇りを失わず胸に秘め続けた。

この崇政殿、かなりの見応えです。細部まで見事な装飾が施されている。
そして奥の「明光正大」、黄金が輝いて際立って見えますよね。
これ、不思議なことにどこから見てもこの文字だけ光が反射して輝いて見えた。とても神秘的でした。

201407195.jpg

こちらは玉座。
ところどころにあしらわれた龍は、立体的に彫られていて、今にも飛び出してきそう。爪はどれも5本です。龍は皇帝のしるし。そして爪5本は本物の証。

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崇政殿を過ぎ、階段を登り楼閣を越す。
北京の天壇などの史跡は瑠璃色の瓦が鮮やかでしたが、こちらは皇帝の色、黄色を主体として緑が風格を表している。

楼閣をくぐると、広い敷地に左右、対称に建築物が。

まず‟永福宮”。
ホンタイジの庄妃の宮殿です。寝台の色合いがなんとも艶かしい。

201407197.jpg

説明書きによると、庄妃はたいへん聡明で、清朝初期の王朝安定に貢献したのだという。1638年に、後の順治帝はここで生まれた。
となるとさぞかし寵愛されたに違いない。しかし、その割にとても簡素な宮でした。他の妃の宮殿と同じ。

続いて‟清寧宮”。

201407198.jpg

ホンタイジと皇后が居住した建物です。
天井は鮮やかな彩色ですが、やはり簡素。
この宮の東の部屋が生活空間で、西の部屋は薩満祭儀を行う神宮として使用された。こちらの写真は後者です。

それにしても、各建物にある説明書き。中国語と英語と日本語が書かれているのだけれども、この日本語がめちゃくちゃでまるで意味がわからない。翻訳ソフトを使ったみたいに。
それにしても、どの説明書きも北京、「ペッキン」って…。

ちなみにホンタイジ、長男ではありません。
騎馬民族である満族には、長兄が継ぐ、という決まりがない。優れた者、勇ましい者が後継として指名される。民族が生き残っていく中で必然の考え方かも知れない。
浅田次郎「中原の虹」では、そうしたひとつの民族が王朝を起こすまでを鮮やかに描いており、その中で「勇者」という言葉は繰り返し登場する。
この「中原の虹」、張作霖を主軸として書かれた作品ですが、そこにこの愛新覚羅氏が王朝を起こす前までの流れが並行して一定の間隔で織り込まれている。
一見まるで飛躍した構成に見えますが、これはとても緻密に計算されていて、張作霖とダイシャンにヌルハチにホンタイジ、無関係に見えながらこれらは底辺で繋がっている。
その底辺にあるもの。勇ましさに価値がある一方で、臆病、弱さ、躊躇いは万死に値する。無残なほどにそれは貫かれている。
「中原の虹」のラストは、愛新覚羅氏の北京侵攻を、張作霖のそれと重ねて、劇的に描いている。


清寧宮をあとにして、‟関雎宮”へ。

宸妃、海蘭珠の宮殿だという。
部屋の構成は同じなのだけれど、他に比べ派手さがある。
説明書きによると、宸妃はホンタイジの一番の寵妃で、皇子が生まれた時には大赦を行ったほどだという。そして、先ほど覗いた永福宮の庄妃の姉であると。
姉妹抜きにしても、妃の宮がお隣さんみたいな感じで並んでいるの、トラブルはなかったのだろうか。

どの宮にも、部屋の一番奥にこのように祭壇があった。

201407199.jpg

満族は、祖先を大事にする民族だったという。

瀋陽故宮はそんなに広い宮城ではないけれど、ゆっくり見ていたらきりがなさそうだった。

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紫禁城の屋根がみな圧巻に黄色だったのに対し、こちらは黄色を地にして輪郭のように緑の瓦が使われている。どの宮殿もそうだった。
ふと振り返ると、いくつもの建物の屋根が重なり、その甍の連なりは歴史の重みのように感じられた。

一番奥まで行ったところで裏手に階段を見つけ、それを降り東側へ。

2014071911.jpg

瀋陽故宮ってそんなに大きくないなーなんて思っていたけど、まだまだこんなものがあったんだ。
これは‟大政殿”。ヌルハチが瀋陽に遷都する際に最初に建てられたものだと書かれている。
皇帝が式典を行う場所で、ホンタイジによる清国建国の式典や、順治帝の即位式などがここで行われたのだという。
しかしながら、修理中。

2014071912.jpg

解体された遺物は横にどかされている。修理に携わっているのは皆おじいさんくらいの年齢で非常に頼りない。重い重い石造りをみんなで抱えながらセットしていた。「置くだけ!?」
うまい位置に乗らないらしく、やいのやいの言いながら微調整している。

振り返ると、広がる空間に左右に‟十王亭”がずらりと並んでいる。

2014071913.jpg

これらは清朝の軍事組織の形態である「八旗制度」を表しているそう。

故宮を出ると大好きな果物売り♪

2014071914.jpg

今回の旅行ではいたる所に、桃、ぶどうが売られていました。

太陽は西に傾き始めている。
故宮の建物が霞んだ空気の中、逆光で不鮮明になってきました。
次の目的地まで、急がなければ…。

⇒ 瀋陽旅行記一日目~その二~ へ続く


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はじめまして、

はじめまして和と申します。大連には、よく行くのですが瀋陽には行った事ないので行ってみたいです^^紫北京の紫禁城は数年前に行った事ありますがスケールの大きさに感動でした、行く前にラストエンペラーのDVD見たので尚更かな(笑)中国は広大なので行きたい所は沢山ありますが、なかなか難しいです・・・
また訪問させて頂きますね^^

Re: はじめまして、

和さん、ご覧いただきありがとうございます。
大連によく行かれるんですね。大連は本当に日本との繋がりが深い都市ですね。
労働公園のリフトの写真、私も撮られましたよー!かなりの高所恐怖症なので、半分泣いていました。そして頑張った記念に買いました…。怯えた表情に、それを見た妹に「この写真、ギャグ?」と突っ込まれました。

日本人街は見つけることはできませんでしたが、コメント読ませていただくと、中山広場近くにもあったのですね。そうした古い建物はどんどん消えていっているのでしょうね。
旅順にも行けなかったし、大連には未練があります。また行きたくなりました。次はぜひアカシアのきれいな季節に訪れてみたいです。

すごいペースで訪中してますね。羨ましいです。
次はどこへ行きますか?

Re:

shantianさん、はい、今年はがんばりました!
来月も一人旅に行きますが、中国ではないんです。次の中国は10月、新疆・ウルムチに行こうと思っています。
…たしかに旅行ばっかりですね…。

新疆…

はじめまして(^^) 僕は中国全省制覇を目論んでここ数年は年に二度程、一回10日~14日かけて中国を旅しています。先年、家内と9月に敦煌から吐魯番経由烏魯木斉を列車とバスで旅行をしました。僕は昨今の状況を鑑みて中国西域への旅は今後難しくなると読んでの旅でした。烏魯木斉以降はカシュガルとホ-タンどちらかの移動を目論んだのですが、家内(中国人)の友人が漢族の往来は危険で、武警の検問も厳しいので今回は止めるように諭され中止しまた。ちなみにその人はカシュガルの公安関係の職員です。今年の10月以降とのコメを見たのですがウイグル系住民は普通話が出来ない人も多く、文化や宗教の違いもあって、最低限、自分自身が中国語に不安があるのであれば今は見送るべき旅先だと思います。まして、女性の一人旅は外の省や自治区と違い相当な危険がつきまといます。雰囲気は中国であって中国ではなく、敢えて云うなら中東そのものです。僕は家内と二人故に危険を回避するため今回は烏魯木斉以西への旅を中断しました…余計なお世話ですが参考までに…

Re: 新疆…

toripagonさん、ご親切にコメントありがとうございました。非常に参考になります。

私もカシュガルやホータンは今はちょっと行く勇気がありませんが、新疆の中でも烏魯木斉なら大丈夫かな、と考えたのです。(実はトルファンも迷っていました)
昨年に敦煌を旅行した際は、烏魯木斉を訪れた観光客にも会いました。
日本で得られる情報には限りがあり、過剰に警戒し過ぎているのか、それとも甘いのか判断に困るところもあります。事実、toripagonさんのコメントを読んで、また迷いました。

中国語の先生が現地の知り合いに連絡をとってくれたのですが、人によって意見はまちまち…。ウルムチ在住の人がもしかしたら現地で一緒に行動してくれるかも知れません。
まだ時間があるので慎重に考えて決めたいと思います。
今後中国の情勢がどうなっていくのかわかりません、私自身の問題でも、今行かなければ再びチャンスはやってこないかもしれません。
私、どんくさいくせに無茶をするので、なんだかんだ言って実行してしまう気がするんですが、それでも安全策について考えたいと思います。
もし何かあった場合、周囲の人だけでなく、日本の皆さんにまで迷惑かけてしまいます。
具体的なアドバイス、ありがとうございました。


余計なお世話…

烏魯木斉が安全であるか否かは、決して安全ではないと断言できます。その意はウイグル族に対する危険ではなく、それを取り巻く環境が非常にセンシティヴになっているからです。例えば市内のバザ-ルは、多数の武警が動員され、市内のあちらこちらにいます。僕たちは、二人だけでの行動を諦め、現地の中国人ツア-に紛れて天山天池に観光をしました。吐魯番は、見所満載ですがここは、ご存じのとおり天安門に突入したウイグル族の村から数キロの街である故に公安、警察の眼が厳しく、ネット可と書かれたホテルでさえ、使用が儘なりません。とにかく異様な雰囲気でした。烏魯木斉から日帰りバスツア-があるので一人旅ならそれをお勧めします。とにかく、仮に現地の知り合い連絡を取ってくれても、あの状況であれば最後は自分です。とにかく、妻は中国人で公安関係の友人や軍にも友人がいるので、出がけに色々と情報を取ると皆、口をそろえて今は行くべきではないと云います(昨年、今年は更に事情が悪化していると思われます)。あれだけの公安や警察の多いところは初めてでした。最近は新疆駅でのテロの記憶は新しく、バザ-ルでのテロもあり、その最中の危険の伴う旅行となるのは間違いありません。余計なお世話ですが、今は暫く自重して避けるべきと思いますが…ただ、そんな時でもなんなく旅する人がいるのも事実なんで、どうすべきかは自分次第でしょうけどね(^^) 何か聞きたいことがあれば、答えられる範疇でお答えしますよ

Re: 余計なお世話…

いえ、余計なお世話ではありません。
当然の意見だと思います。そして親切なご意見だと思います。
今日、中国語の授業で先生と話しまして、とりあえず今はフライトはまだキャンセルしないでおくことにしました。
危険があることは承知しています。
しかし、私の個人的な問題でいうと、「今」行くということに意味があり、それが数か月後であっては意味がないのです。
何か問題が起きた時には皆さんに迷惑がかかることになるので、わがままな考えというのも承知しています。

烏魯木斉以外の都市には行きません。
短期旅行なので、実質動けるのは中二日です。一日は現地ツアーで天地へ、もう一日は現地の人と都合がつけば砂漠の自然を見に行きたいと考えています。
そして空いた時間で市内を歩ければ、と思っています。
もともと一人で行動したい人間なのですが、今回に限っては現地の人と一緒に行動し、極力一人でいないようにしようとも思っています。
いずれも「予定」であり決定ではありませんが、もう少し考えようと思います。

やんです。

まゆさん
 御丁寧な返信ありがとうございました。ウルムチへは、90年代前半に2回ほど行きました。当時からも、ウイグル族とのトラブルも多く、暴動も多かったです。当時は、インターネットなどが普及されてなく、情報は海外には出なかったようです。今は、ネットなどが発達して情報統制が出来ないのでしょう!ウイグル族の人からすると、日本人も中国人も外見からは判断できないと思います。中国人に間違われて日本人が殴られた話をよく聞きました。最終判断は、御自身です。私からすると、なんとなく大丈夫の気がしますが、行った場合、くれぐれも個人行動は、しないほうが良いと思います。もし行った場合、観光地は「天池」、食べ物は「拌麺(ラグ麺(マン)」を是非。
 11月後半に、家族に会いにアメリカに行く予定です。一人暮らしなので、とても楽しみにしています。
 落ち込んだとき、さだまさしの「主人公」を聞きます。(古いけど知ってますか?元気を貰います。)
 私は、ホッサマグマの日本海側の県に住んでいます。 再見!!

Re: やんです。

やんさん、
90年代に烏魯木斉とは、すごいです。今でこそ新疆ウイグル自治区の省都で都市ですが、当時はまだ混沌とした街だったのではないでしょうか。私もその風景を見てみたい。
少しずつ普通話も浸透してきていると聞きますが、当時は中国語は通じなかったのでは…。すごいですね。

新疆の問題は、確かに情報化が進んできたことで状況が変化した面があると思います。
独立問題自体が悪化した面、そしてその問題が世界に露呈するようになったという面。
そして、この問題が解決をみることは少なくとも近い将来ではないだろうと。悪化の一途です。

けれど、今春の市場でのテロのように、ウイグル人はまた被害者でもあるんですよね。
現地のウイグル住民と公安が一致団結して武装勢力の一掃のために協力しているという話も聞きました。

先日コメントをいただいた方のおっしゃるように、神経質になった街の雰囲気の方に不安を感じています。
旅行を実行するなら、余計なことや調子に乗ったことをしないように、気をつけたいと思います。

ご家族に会いにいかれるんですね!
アメリカとは、中国よりもずっと遠い外国。本当に楽しみですね。
離れていても、気持ちが繋がっているって素晴らしいことだな、と思います。

音楽好きです。「主人公」今度聴いてみて私も元気を貰ってみますね♪
プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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