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2014-09-03

サハリン旅行三日目~その一~

2014年8月15日、昨晩はなぜか夜中の2時3時に部屋のチャイムが鳴りっぱなしだった。
何か緊急事態?と思ったけど、フロントであればチャイムではなく電話がかかってくるはず。怪しいのに部屋のドアを開けるわけがない。しかも無視しても相当しつこかった。あれはなんだったのだろう、…お化け?

本日は16時にターニャさんと待ち合わせをして別の街に出かけます。
それまでは市内をできるだけ回るつもりでした。
相変わらず、晩秋のような寒さ。私は秋生まれだから、この物悲しさが好き。

市街東側に位置する“ガガーリン記念文化公園”、朝一番にここに向かうことに。
旧豊原公園があった場所です。
ちなみに、ガガーリンが関係した公園なのかというとそういうわけではなくて、名前だけ。
レーニンとかガガーリンとか、とりあえずロシアと言ったらこれ、みたいなネーミングです。

入ると、鬱蒼とした緑ひろがる広い敷地。
途中、サッカースタジアムがあったけれど、ひどい廃墟に。私はこんなに荒れたスタジアムを見たことがない。
ピッチは背の高い雑草に埋め尽くされ観客席は壊れたり落書きされたりすごいありさまだった。
市民の憩いの公園がこんなふうでいいのかな。

奥に歩いて行くと広い池に出た。
豊原公園時代、王子ヶ池と呼ばれた池だそう。

201408151.jpg

ガガーリン公園の主役、「こども鉄道」、子供たちが運航する列車のようなのだけど、子供がいる気配はない。
運営をしていると思われる大人がいましたが、他にお客はなく、ちょっとこれに私ひとりが乗るのも気が引けたので諦めた。

公園にはあらゆるところに売店がある。
それぞれにお菓子や食べ物、ソフトドリンクの他に、ちゃんとビールも売っている。
ふと見ると、ベンチで瓶ビールをひとり飲んでいる男性も。もちろんラッパ飲みで。
いいな~と思ったけれど、トイレに困りそうだったので頑張って我慢…。
この街は観光客が気軽に利用できるトイレというものが、まったくないのです。こんな公園にさえ。

201408152.jpg

道を行くと、小さな遊園地があった。
こんな雰囲気は中国にそっくり。違うのは、中国よりは稼働率が高いこと、かな。

売店でロシアの雰囲気いっぱいのアイスを買ってみました。
100p、よくよく考えてみると少し高いけれど。
ここでも、横にいた男性が満点の笑顔で、さっと冷凍庫を開けて、そして閉めてくれた。
全然関係ない人なのに、このさりげない親切さには旅行中いくどもまみえた。

201408153.jpg

アイスを食べるような気候ではないのだけど、「ロシアと言ったらアイスがおいしい」とガイドブックに書いてあったから。
私は流されやすいのです。

やっぱりここでトイレを借りたくなりました。
掃除をしていた女性に訊ねてみると、近くの売店に連れていってくれた。

中国のトイレ事情はすごいという話は有名だ。そして、私自身、さまざまな中国トイレを経験し避けずに乗り越えてきた。
その私が、どうしようか迷ったくらい、すごかった…。
ここを乗り越えた私は、自分でもなかなかすごいな、と思った…。
おじさんに15pを支払う。
ロシアではトイレは有料であることが多いようなことがガイドブックに書かれていた。中国でもたまにありますが。

公園を出ると、その向かいにはロシアのお土産屋さんがあった。

201408154.jpg

やっぱりマトリョーシカ♪
こんなにいろんな種類があるなんて!なんと、こけしのマトリョーシカもありました。
同じデザインであっても、手作りであるから微妙に表情が違う。
一番美人を選びました☆
ここのおばちゃんはとっても親切でユニークで、おすすめのお店です。
そういえば、大連のロシア人街にもマトリョーシカが売っていたなぁ、なんて思い出した。

ここから市街北を東西に延びる大通り、サハリン通りを西に向かって歩いていきます。

201408155.jpg

こんな銅像、胸像は、街中あらゆるところにありました。
ロシア人は銅像が好きなのかな?
文字が読めないのでどんな偉人なのかはわからなかったのですが、頭のてっぺんでハトが…。

こうして、急ぐことなくのんびりのんびりできる旅行も楽しい。
街の景色すべてに癒される。いつもはパワフルな旅程なので、こうした時間の過ごし方もいいな、と思った。


地図を見ると、市街地から北に外れたところに「旧王子製紙工場」と書かれていた。

実は、今回のサハリン旅行の意義のひとつに「宮沢賢治」がありました。
今日の夕方からの旅程も、宮沢賢治に関ったものです。

賢治は、大正12年、1923年の8月に、旧南樺太、ここサハリンを訪れているのです。

その真意は、病で亡くした最愛の妹トシの魂を弔うものであったけれど、名目は教え子の就職先の斡旋だった。
その斡旋先というのが、王子製紙だったのです。
樺太にはここ豊原はじめ真岡など複数の王子製紙工場があったようだったけれど、ここ豊原にも滞在していた為、賢治が豊原の王子製紙工場を訪れたものだと考えた。
実際には、樺太に入島した大泊(現コルサコフ)にて、そこの王子製紙工場を訪れているため、それは早とちりだったのだけど。
大泊の王子製紙工場を訪れた旨は、どこかで読んだはずなのに、この時の私は「あれに違いない!」 と、うきうきした気持ちで旧豊原の王子製紙工場跡を目指した。

201408156.jpg

高い煙突は、サハリン通りからだったらどこからでも遠くに見えた。
だから、道がよくわからなくてもそこを目指すことはそんなに大変なことではなかった。

もうここまでくると、街外れ、といった感じ。
砂ぼこりの中、むせながら目薬差しながら。

ふと道端に目をやると、アザミにりんどうの花。
当然のことながら、ここは北海道の最北、宗谷岬より北。日本では高地に見るような植物を何気ない道端で目にする。名前はわからないけれど、植物の本で見たような花々。
そして、秋のにおいがした。

ようやく煙突付近に近づくと、周囲には古い建物が点々。
あまりに古いから、これも日本時代の建物の名残なのかな…とも考えたけれど、塗膜の剥がれたピンクの家は、やっぱりロシアの雰囲気だった。

うろうろしていると、「マーダインジャポン!ジャポン!」 と、背後から。
振り返ると、強そうなたくましいおじさんたちが。煙突を指さしている。
打ち捨てられたような廃墟に見えながら、地元では日本時代のものだという認識があるのですね。

201408157.jpg

近づいてみると、このようにここは現役の工場でした。
ちゃんと守衛室があり、トラックが開いたゲートをくぐっていく。
日本ではできないけれど、海外に出ると少しずうずうしくなる私。
「写真撮りたいのですが入ってもいいですか?」
守衛室に入ってみると、守衛さんがOKを出さないと通れないようにゲートがある。警備員さんも一緒になって、守衛さんに話してくれる。しかし、ロシア語いっさいわからない。
赤いランプが緑に点灯した。「ありがとうございます!」

201408158.jpg

一番右の煙突が「マーダインジャポン」の旧王子製紙工場の煙突。
奥にある建物がどうやら工場として現在稼働しているらしい。
写真ではわかりにくいけれど、それはいかにも廃墟だった。私が映画監督だったら、ここを「潜伏場所」にして陰謀を企てたいところだ。わくわくするような工場♪

それにしても砂埃をあげながら、強そうなおじさんたちがトラックで行き来している。
まるでバカンス♪の派手なロングワンピースの私は、明らかにここで異質だった…のだけれど。

201408159.jpg

簡素過ぎる錆びたはしご。
この煙突、相当に高いのです。ここを登るなんて、考えられない。
それにしても、100年も前…ということになるのだろうか。そんな昔に、この煙突が造られたことが信じられなかった。

私は、日本でも高度成長期を支えてきたような古い工場や重工業などの工場が好き。
無我夢中になって生み出すことだけを考えてきた。働けば働くほど、前に進んだ。
それによるしわ寄せとか問題、というのはあとから出てくるわけだけれども。
けれど、かつて現代のように経済が複雑ではなかったころの、シンプルな頑張り、現代日本の礎を築いた時代、工場というのはその象徴のように、私の目には映るのです。だから、そしてまた昭和という時代が好きなのです。

100年前というのは高度成長期ではないけれども、明治~大正は幕末を迎えたのち、同じく大きく激しく日本が変化した時代だ。煙突とは、そこから吐き出される煙とは、日本の頑張りの汗のように思えた。
煙突を見上げながら、そんなことを考えた。

この煙突、工場本体とはもう繋がっていない。
今では独立した単なる遺物だ。

2014081510.jpg

回り込んでみると、こんなふう。かつてはレンガ造りでこの煙突と工場は繋がっていたのですね。
土管やパイプの上を、おそるおそるバランスをとりながら近づいてみた。
中はゴミで散乱していたけれど、入ることができた。
見上げると、遥か高みに空が眩しくくり抜かれていた。

工場をあとにすることにして、ふたたび守衛室を通った。
本当にお邪魔しました…そして、ありがとうございました。

そして、この工場をさらに市街地から離れていくと、「日本時代の橋」があった。
車が行き交う道路からわずか外れたところに残り、この橋を利用するのはこの付近に住む人くらいのよう。

2014081511.jpg

橋の名前は外されてもう残っていない。
石像かなにかが上に乗っていたような形跡も窺えるけれども、何も残っていない。そこにはスプレーで落書きまでされている。
いかにも、忘れられた遺物だ。かつては日本の人々の往来で賑わっていたのだろうか。

⇒ サハリン旅行三日目~旧栄浜へ・前編~ へ続く

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プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国四川省宜賓市にて生活を始めました。
旅行記に絞ったブログ、一つひとつは旅のあしあとです。

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