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2016-01-24

江門旅行二日目~開平碉楼・前編~

2016年1月9日、本日はどう考えても時間が足りないので7時前には出発する予定だった。
けれども寝不足が続きこれではどうしようもないと、諦めて目覚ましを7時にセット。それでもなお寝不足は変わらない。

“開平楼閣と村落”
江門市から南西に位置する開平市には、世界遺産に登録された特徴的な建築群とそれを有する村落が点々としている。
一度はそこを訪れてみたくて、それが目的でこの江門旅行を計画した。
開平には広州から直接バスで行くことができる。所要時間もそう変わらない。
しかし訪れたことのない都市と出合ってみたくて、江門を基点にした。
今日はその開平に行く。

インインは滞在中できるだけ私に付き合ってくれると言っていたが、息子さんとの約束があり、何度かのやり取りのあと今日一日は私一人で開平に行き、明日一日はご夫婦と息子さんと四人で遊びに行くことになった。
今日か明日、いずれかにはお宅にお邪魔することに。
そして開平から戻り次第、インインに連絡をいれると伝えた。

8時半、ホテルを出て古い街並みを抜けて大通りへ向かう。

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古い建物の一階部分は、その多くが今時のお店になっていた。
小吃や飲み物や、靴だったりスマホグッズだったり。
それもこの時間まだどれもシャッターが下りて閑散としている。
よく見ると、古い建物を壊して改築しているというよりは、もともとのものに覆いかぶさるようにお店を作っているように見えた。
だから不思議と景観に違和感を感じなかった。
古さと今がうまく混じり合っているかのよう。

大通りに出てタクシーを拾い、昨日広州からのバスを降りた江門総合バスターミナルへ。

日本人で一人旅だということがわかると、タクシーのおじさん、普通話を使ってゆっくりと短い言葉で会話をしてくれた。
「みんな普通話を使ってないからわからないでしょ~?」
でもおじさんは、普通話を話してる。
「普通話、みんな話せるの?」
すると、「広東語を話しているけれど普通話も話せる」 とのこと。みんなバイリンガルみたいなもので、すごい~。
バスターミナルは市内に他にもあるのか、どこのバスターミナルか確認してくるので、「開平に行く」と伝えた。
「開平まで250元で行くよ~」
断っても笑顔で、そんなにしつこくしない。
「江門には開平に行く日本人が多いよ」 でもみんな中国語を話せない、とも言った。
世界遺産に登録されて以降、開平の知名度はぐんぐん上がり、決してマイナーな観光地ではなくなったということだ。
おそらくそれはここ10年以内の話だろう。

バスターミナルで開平行きのチケットを購入。
窓口では「開平のどこ?」 と訊かれてしまった。…一つじゃないの?
どうやら、開平には「长沙」、「义祠」という二カ所のバスターミナルがあるみたい。
どちらかわからないので「開平碉楼に行く」 と伝えると、9時45分発の义祠行きのチケットを発券してくれた。30元(内保険料2元)。

時間がまだあったので、売店をうろうろしてみた。
華南地方ならではのチマキにエッグタルト、それから包子など。朝ご飯はどれにしよう。
エッグタルトといえば、マカオが絶品だった。
3年前、友人と香港で食べたエッグタルトが美味しく、「本場はマカオなんだって!いつ行く?」 とその場でマカオ旅行が決定した。
エッグタルトを食べる為に行ったマカオ旅行。
売店には澳门鸡蛋挞(マカオエッグタルト)の文字。
飛行機の移動だと実感が少ないが、実はここからマカオまでは「すぐそこ」の距離だ。
このタルト、購入してみたけれど、やっぱりマカオのには程遠かった…。

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それからチマキも購入。
蒸されたもち米はねっとりとし、なかなか食べるのが大変だった。
卵が入ったものを選んでみたが、個人的には卵なしで良かったな、と少し後悔。

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現地のビールを飲みたかったので、「珠江ビール」を購入。
売店のお兄さんは、「すごいね~」 と呆れるように笑う。朝からビール2本。

バスに乗りすぐに爆睡して目を覚ますと、もうそこは開平市だった。
南国を思わせるような木々に、川の流れ。
近代的なビルはなく、湿気を含んだ雑多な町並みがそこにはあった。
市内に点在する農村に向かう前に、すでに点…点…、と碉楼が街の風景の中にわずか入り混じって建っている。
まさかこんなにすぐ目にするとは思っていなかったため、フライングしてしまった気分だ。
けれどこんなところがまさしく中国のすごさと魅力だ。

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开平义祠バスターミナルに到着したのは、江門から1時間半後。
薄手のワンピースだけでは少し寒かった。

タクシーの勧誘をかき分けて、私はぼろぼろのリヤカータクシーを選んだ。
開平の風を浴びながら移動を楽しみたかったからだ。
観光地として旅行客を受け入れる農村は点在しており、市内バスを利用して回るのは相当不便で時間がかかると思われたので、このリヤカータクシーで全部まわってもらう。
「全部まわっていくら?」 訊いてみると、
「500元」
「高い、高すぎるよ…ちょっと考えさせて…」
そう言って離れようとすると、おじさんは慌てて「400元」と訂正してきた。
それでも高いけど一日かかるのだから仕方ないか、そうしてOKした。

観光客がまわる主な碉楼と村はだいたい決まっている。
というのは、複数まわれるセットのチケットを購入できるからだ。
そのチケットに含まれるのは、日园、自力村碉楼群、马降龙古村落、赤坎古镇、锦江里碉楼群、南楼纪念公园、开元塔。
これで180元。
現在もうすでに12時を過ぎている。
全てをまわるのは時間的に不可能なため、興味が薄い日园と开元塔は諦めて、それ以外をこの順番で回って、とおじさんに伝えた。

まずは、自力村碉楼群へ向かう。

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すぐに風景はこうした長閑な農村に。
畑、水田、家畜、次から次へと古く小さな村々が通り過ぎて行った。
その風景の中に、ぽつん、ぽつんと、異質に伸びる楼閣がすでに幾棟も姿を現している。出し惜しみなんてする気はさらさらないらしい。
「日园は行かなくていいの?」
おじさんが訊いてきた。ちょうど日园への分岐点だった。
日园はアメリカ華僑によって建てられた楼閣建築群だそうで、私は個人的な好みアメリカに興味がないので「必要ない」と即答した。


開平碉楼とは、かつてアメリカ・カナダなどに渡った華僑が帰郷して建てた、この地域独特の建築群だ。

始まりは明代にも遡るのだそうだが、今残る楼閣のほとんどが19世紀末、清代のものだ。
当時アメリカでは大陸横断鉄道の建造で労働力を必要としていた。
そこで多くの中国人、特に華南地方の中国人が、華僑としてアメリカ大陸へ移住し、働いた。
ところが1880年代、アメリカ・カナダの排華政策によりその大多数が帰国。
その後、現地で稼いだお金により、中華、西洋、多様な文化が融合した独特の建築物をここ開平一帯に築いたのだという。
これらを、「開平碉楼」または「開平楼閣」と呼ぶ。
その数3000棟以上にもわたり、現在でも1833棟もの碉楼がここに残る。

初めて開平碉楼を知ったのはいつのことかわからない。
10年前か、それ以上か、とにかく随分前にテレビ番組でそれを見た。

緑が広がる文明とは程遠い田舎風景の中、ビルのようにそびえるコンクリート造りの楼閣が、ぽつん、ぽつんと、“生えて”いた。
そのビルのような一棟一棟の楼閣は、中国風なのか西洋風なのかよくわからず、それでいてどこか懐かしいようなデザインをしていた。
美しい装飾がありながらも、そのシンプルさはとても違和感があり、人を寄せ付けない迫力を持っていた。
それは、私が持つ中国のイメージから大きく外れており、信じることができなかったのを覚えている。きっと国境ぎりぎりの南方に違いないなんて思ったりした。
「盗賊から財産や身を守る為に、このように堅固な楼閣を築く必要があったのです」
テレビの中で、リポーターはそう言った。
まったくもって私の知らない世界だった。
いつか行ってみたい、とも思わなかった。
その時には、行く機会がいつか訪れるなんてこれっぽっちも思っていなかったし、それにその時は驚きこそすれ、とくに魅力を感じたわけではなかったからだ。
しかし今になり、ふとそこを訪れてみたくなった。
私の持つ中国イメージを裏切ったあの建築群、けれども旅行を重ねてみて今、なんだかあの異質さに納得できるような気がしてきた。
今までの旅行とは違うのは、そこに何があるのかを知っていることだ。
もちろん、編集されテレビ画面に切り取られたものと実物は違うものだろう。
けれども今回の開平行きは、あの時みたあの特異な風景をこの目で確かめに行くという、再確認という意味で他の旅行とは色合いが若干違う。

ガタガタと車体を揺らしながら農村風景の中を縫って行き、やがて最初の目的地“自力村碉楼群”へ着いた。
なぜここを一番最初に決めたのかというと、碉楼群の中で一番の観光地だからだ。
もしかしたら風情がないかも知れないと思い、最初に持ってきた。

ここでセットのチケットを180元で購入し、リヤカータクシーに待ってもらい入場していく。

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さっそく民芸品や農産物を売る簡素なお土産屋さんが並び、その中にはこのように卵もあった。
鹅蛋、双黄蛋、初生蛋。
鹅蛋はガチョウの卵。双黄蛋はまさか黄味が二つあるのだろうか。一番高い値がついている。
これらはこの村落で飼われている家畜のものだ。

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進んで行くと石造りの広場があり、周囲には碉楼ではなく今を暮らす人々の民家が建ち並んでいた。
この広場には竹で仕切られた囲いの中にガチョウが騒ぎ、その横にはこのように白菜が干されていた。スープなどに使うのだそうで、この後どの村落でもこれを見つけることができた。

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民家一つひとつもそれぞれに趣があって見ていて飽きない。
玄関口には見上げると各々違った装飾と絵が描かれていて、どれもが素晴らしい。中国人の美意識を見ることができる。
けれども、このようにポストや住所をみると、ここが生活の場であることにはっとさせられる。
観光気分で、お邪魔していることを忘れてしまいそうな自分。

民家の集まりをくぐっていくと、水田と畑がぱっと開けた場所にでた。
適度な間隔を開けて、碉楼が点々と広がっている。そして各所に観光客がぱらぱらと散らばっているのが見える。

順路という順路もないようなので、目についたところから。

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「叶生居庐」
中心の建物と周囲には附属的な建物も。
一本のビルが塀もない野原のような場所にそれだけ建っている。
そんな姿を記憶していた為、なんだかイメージと少し違う。
1930年に建てられたものだそう。
中心の楼閣は四階建てで、高さもそうあるわけではない。
碉楼というよりは立派なお屋敷のようだ。

入り口をくぐってみると、おばちゃんがいてチケットを確認した。
碉楼群の中には、建物内に入れるものとそうでないものがあるようだったが、ここは入れる模様。

中心の広間の周りを取り囲むようにして、寝室、厨房などが位置している。

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こちらは洗面台。
この部屋には中国式ベッドと化粧台もあった。

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二階三階と上がっていくも、同じような構造に変わりない。
このように中心の大きな部屋に、左右に三つずつ小部屋が配置されている。
建物内部自体に装飾は少なく、いたってシンプル。
壁には楼閣を建てた華僑やその家族の写真、あるいは絵画、それから中国式、西洋式の調度品などによって美が演出されていた。

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四階は開けていて、バルコニーに出られるようになっていた。
その外の風景を見せるかのように、祖先を祀る廟。
今までの中国旅行でこのような一般家庭の先祖を祀る廟を見たことはない。

これら開平碉楼は、海外に進出して華僑が稼いだお金を故郷に持ち帰り、あるいは送金し建てられたものだ。
いわば一族の為の、子孫へ繋いでいく為の、そうした思い行いの結晶だ。
またここは清朝末期、はびこる匪賊馬賊、動乱から一族を守るための要塞でもあった。
各階が同じような構造を持ち、それぞれに寝室や厨房を持つのは、親、子供、兄弟など、一族がそれぞれの階で生活していた為だったのだという。
また有事の際に、一階を襲われても二階三階に逃げ籠城する為に、それぞれに生活機能を持たせた。
その最上階に先祖を祀るのは、一族の結束が固くその意識が高いことを表し、それはごく自然なことのように感じられた。

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こちらは廟を抜けてバルコニー。
鉄格子が架けられているのは、観光客への安全の為ではない。
盗賊の侵入を防ぐ為のものだ。
ここからてっぺんにも登れる階段が続いていたが、塞がれていた。

ここを降りて隣に並ぶ碉楼。
「铭石楼」
1925年、アメリカ華僑の方润文が帰郷して建てたもの。
ここもなかなかの規模で、チケット確認のあと入場できた。
奥の主楼と手前の附属楼。
附属楼には厨房や農機具の部屋があった。

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一見シンプルに見える建物も、細やかなところにこのような美が隠れている。
鳥と花の絵はほんとうに見つける頻度が高い。

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附属楼は質素な感じ。

ここを抜けて主楼へ。

薄暗い建物内へ入っていくと、中心の部屋。
まず目に飛び込んでくるのは正面に方润文とその両親か、と思われる大きな写真が並び、祀られていた。
その左右にはそれぞれ一部屋ずつ。

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右手に写るのは観音開きになる棚。鏡が一面に張られている。
このあと様々な碉楼を見て鏡が多用されていることに気づいたが、もしかしたら背後に誰かいたらわかるようにと防衛の意味もあったのかなと思ったが、それは単なる私の想像。
美意識が高かったのかもしれないし、魔除けの意味があるのかも知れないし、単にそういう意匠だったというだけかもしれない。

上層に上がっていくと、ここも同じように中心部屋の左右に小部屋が三つずつ。
その小部屋の一つは必ず厨房だ。
ある部屋のガラスケースには、かつての酒瓶などが飾られていた。

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骨董美術は見る機会はあるけども、こういう懐かしものを見る機会は意外と多くはない。

こちらはある階で階段側を振り返って。

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あらゆる碉楼でその基本構造は共通していた。
長方形で塔のようにそびえる碉楼。
一階には客人をもてなすような壮麗な部屋があり、その左右には中くらいの部屋がひとつずつ、あるいは複数。
階段は一番奥に隠れるように存在し、一度切り返して上層へ。ジグザグに最上層まで続く。
各層に中央に一部屋、左右に各三部屋ずつが配置され、その一つは必ず厨房と寝室だった。
最上層は祖先を祀る廟で、そこからバルコニーに続く。
バルコニーから屋上へ続く碉楼も多数だった。

この铭石楼、防衛と生活の両方を備えた開平碉楼の中でも早期のものなのだという。
いくつかの碉楼の構造を一帯がまねたのか、あるいは倣うべきマニュアルのようなものがどこかにあったのか、これがここに共通した文化形式だったのか、それとも防衛の意識のもと生み出された形は必然的に共通するものだったのか。

開平碉楼は清朝末期、1900~1930年代にそのほとんどが建設されている。時系列的に非常に密集した出来事で、そのこと自体もかなり特異なことだ。
中国の長い歴史の中では一瞬よりも短い。
その一瞬より短い瞬間に、広大な中国文化領域の中で、ただこの限られた地域に、これだけたくさんの、これだけ共通した特徴を持つ建築物が、次々造られた。
そしてそれが、他の地域に伝播していくことはなかった。

開平碉楼のもっとも重要な特徴は、それが要塞の意味を持っていることだ。

そもそもこうした碉楼がなぜ生まれたのかというと、先にも触れた通り、
1、海外で手に入れた資金を故郷に持ち帰る、あるいは送金する華僑が、中国華南部には多かった。
2、清朝末期、中国華南部には匪賊馬賊が横行し、財産を守る必要があった。
3、清朝末期、中国華南部は動乱の渦中だった。
こうした背景がある。
しかし、「広東碉楼」ではなくて「開平碉楼」となったのはなぜだろう。
この辺り一帯は水害も多かったのだそう。そうした地域特性もあったと言える。
それでもまだ様々な背景は隠れていそうだ。

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調度品の多くは中国近代のものだったが、このように西洋家具も。
蓄音機も見られた。
この開平の異質さは水田、畑、小さな農村が点々とする中にこうした楼閣があり、それらがこうした西洋文化や優美さをもっていることだ。
けれども、ガチョウの鳴き声けたたましい田園風景の中、その蓄音機はどんなメロディを奏でたのだろうと想像すると、なんだかそう異質でもない気もしてくるから不思議だ。
たとえば上海の煩雑混沌とした外灘よりも、この田舎風景の方がその優美なメロディは似合うかもしれない。
蓄音機に載せられたレコードがどんなものかも知らないけども、そんなことを思った。

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こちらはバルコニーに出て。
こう見るともう明らかに西洋建築だ。
アメリカ華僑とのことだが、柱なんかはローマ遺跡の一部みたいに華やかだ。
けれども、ローマの遺跡にはこんな背景はありえないだろう。

この铭石楼はバルコニーから屋上へ上がっていくことができた。

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こんな優雅さは中国農村部とは思えない程。

結果的に、この铭石楼の屋上から眺める風景が、開平を巡る中で一番美しくてその特徴を捉えていた。
時間がない旅行者でも抑えるべきポイントの一つとして勧めたい。

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建物一つひとつをじっくり見るのも楽しいけれど、こうして俯瞰するように一帯を眺めることができるのが開平観光の魅力だ。
田園風景の中、点々とそびえる楼閣。それは確かに異様だけれども。
けれども、中国全土に近代化の波が広がっている今、歴史遺産である楼閣の周囲にほとんど変わらない長閑な風景が広がっていることの方が不思議ではないか。
確かに、開平で一番の観光地となっているこの自力村は最低限整備されている。
チケットが販売され、田園の合間を歩道が整備され、各所に観光案内看板が置かれ、トイレもきちんと作られている。
でもそれでもなお風景は変わらないように思えた。
いつのことかも思い出せないテレビ番組の中の開平碉楼の風景は、私の記憶の中でけっして正しいとは言えない。
けれどやっぱりそんな風に感じた。

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こちらは铭石楼という名が掲げられていた楼閣最上部の裏側に出たことになる。

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表側はこんな風。
下から銃撃された際に身を隠すのにも使えそうだ。

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点々と碉楼が広がるなか、このようにくっついて並んで建てられているものもある。
中の良い二家だったのか、縁戚だったのか、それとも後の片方が一方的に隣に建てたのか。
この広い敷地の中でこんな風にくっついていると目を惹く。
「もうちょっとそっちに離れてくれない?」
そんな声が聞こえた気がした。

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時間がないので階下に降りて行く。
白壁には爽やかに模様がシンプルに描かれている。
なんだか地中海の建物みたいだと思った。

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再び一階へ。
中国風ステンドグラスがとってもきれい。
切り子のようにガラスを削って繊細な図柄や文字が刻まれている。
楼閣内は防衛のため密封性が高い。そのため扉を閉めてしまえば真っ暗。
ステンドグラスは光があってこそ輝きを持つ。
暗い室内に光が差し込めばその輝きはひときわ際立ち、また天井からぶら下がる洋風のランプに火が灯ればきっと幻想的な空間を作り出すに違いない。
アンティークの時計は正しく今の時刻を指している。

自力村には15座もの碉楼が現存している。
この铭石楼、その中でもっとも美しいと言われているのだという。
全部ゆっくり回っていたらここで一日が終わってしまう為、名残惜しいのを我慢して速足で行く。

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「龙胜楼」
1917年に、自力村でもっとも早く築かれた碉楼。
三層とそう高くはなく、装飾も少なくシンプル。
方文龙、方文胜、この兄弟によって建てられたため、この名があるのだそう。

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自力村に順路はない。
村内は広く見渡せ、開けているため迷うこともない。一帯に貯水田が広がり、その合間に歩道があちらこちらに繋がっていてどの方面にも行きやすい。
遠目遠目に残りの碉楼を見て、先ほど入場してきた広場の方へ向かう。

ここは観光地である以前に村民の生活の場だ。

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家畜がいたるところに。
鶏やガチョウがいっぱいで、どこに行ってもガーガーと鳴き声で賑やかだった。

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碉楼だけでなく民家も見ていて楽しい。
建物の造りに違いはあっても、玄関口だけ切り取ってみると、中国どこに行っても同じようなのだから面白い。
縁起の良い絵が描かれ、縁起の良い文字が書かれ、赤地に金の縁起札や福の字が貼られている。

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固く閉ざされた窓。
楼閣や村内の住居の窓には、すべてこのように鉄製の扉がついている。
扉の内側もまた全ての窓に鉄格子。
防衛のためだ。
いたって平面な鉄製の扉には一切のとっかかりがなく、無理に開け進入することは不可能だ。
これらの建築物は、まさしく要塞なのだった。

リヤカータクシーのおじさんが待ちぼうけているだろうと、小走りで入り口まで戻った。
「お待たせしました」 そう言うと、
「その服目立つからちょうどいいよ」 と笑った。
この田舎風景の中を今日一日いっしょに回るのだ。
これも旅の縁というものだな、と思った。

⇒ 江門旅行二日目~開平碉楼・中編~ へ続く

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プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国四川省宜賓市にて生活を始めました。
旅行記に絞ったブログ、一つひとつは旅のあしあとです。

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