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2016-01-24

江門旅行二日目~開平碉楼・中編~

自力村を出て、ふたたびガタゴトの農道を走る。
薄着で出てきてしまったために肌寒いけれど、風を浴びながら移動するのはとても気持ちがいい。

次は“马降龙古村落”へ向かってもらった。
村落間がこんなに離れているとは思っていなかった。予想以上に時間がかかっている。
タクシーで移動すればもっと早いだろう。
でもやっぱりこれがいい。

ところが、马降龙まであと少しというところで、リヤカータクシーは停まった。
「だめだ、行けない」
見てみると、马降龙へと続く道が工事され、これ以上進むことができない。
「行けないの?」
「どうしようもない」
開平バスターミナルで客待ちをしていたおじさん、この情報はなかったのか。
すると、「向こうを通れば行けるよ。でも10㎞ある」
川の対岸をぐるりとするように、指さした。「どうする?」
うーん…。
「私、やっぱり行きたい。10㎞でもいい」
時間はもう少ししたら夕方という時刻だった。それだけが気がかりだったけど。
「あと100元だけどいい?500元」
結局、もとの金額に戻ってしまった。…でも10㎞増えただけで100元追加って絶対高い!
交渉能力が今後の課題だけれど、きっとこれからもぼったくられ続けるのだと思う。

ルートが変わったので、先に“锦江里碉楼群”へ向かうことに。
開平市内から22㎞とのことで、锦江里は出発地点からもっとも離れた位置にある。

長閑で爽やかな緑と深い鬱蒼とした緑。
曇って白い空はぱっとしなかったけれど、明るい風景だった。
いくつもいくつもの村を通り過ぎ、そこに見つける名もないかも知れない碉楼はどれも観光地のものに負けず劣らずたいへん立派だった。

锦江里に到着してみると、先ほどとは打って変って、小さな村落だった。

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きちんと区画整理されているかのような整列した住居。
その向こうに碉楼が三つ並んでいるのが見えた。
路地とも呼べないような、住居間の細い隙間を覗くと、まっすぐ向こうに伸びている。

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碉楼の手前に広がる住居の密集は、みな今ここに暮らす人々のものだ。
郵便を出せば、こういうところにもちゃんと届くかな。たいへん失礼ながらそんなことも考える。

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こちらは電気メーターか何か?
古い建物は現在に受け継がれ現役だ。
中国のさまざまな都市で崩壊寸前の古い住居をたくさん見る。というよりも、それを見ない旅行は絶対にないくらいだ。
けれどもこの辺りの住居は古くともしっかりしていて、今も立派だな、と思った。

住居の合間合間にはたくさんの家畜が飼われていた。
鶏、ガチョウ、アヒル。
グレーでふわふわの毛を持つガチョウの赤ちゃんが数羽いた。
私が横を通りがかったら、ピーピー細い声を出しながらみんな焦って一斉に向こうに逃げて行く。「集団行動」みたいに動きが揃っていておかしい。
黄色いヒヨコはピヨピヨ鳴きながら、温まる為に次々と親鳥のおなかの下に入って行った。

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南国の植物もいっぱい。
これは旅行中なんども見たが、なんだろう。熟したらおいしそうだ。
バナナの木なんかも見つけた。

三つの碉楼は最奥部に並んでいる。

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一番左は「升峰楼」。
锦江里に入村する際、チケットを確認する人に「この二つの碉楼は入れるけど、もう一つは入れない」と言われていた。
けれど残りのひとつもお金を支払えば入れるのだと言っていた。
升峰楼へは無料で入れる。
しかし、写真お断りの表示が。
ダメ元で外にいたおばちゃんに確認してみるもやっぱり撮影ダメだった。なんでダメなんだろう…。

升峰楼は1919年にアメリカ華僑、黄峰秀が建てたもの。設計はフランスの建築士だそう。
高さ七層でなかなかの高さ。

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最上部に登って行くと、外に出ることができた。
外はいいよね、と勝手に解釈し写真を撮ってしまう。

私は建築に疎いのでどこの国の建築様式がどこに採用されているのかわからない。
ここにあるのはここにしかない建築美、そう感じた。
まるでお伽の世界に迷い込んでしまったかのような世界観だ。

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横を覗けば、残り二つの碉楼を側面から見ることができる。

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正面には今歩いてきた家々。
こうして見るとそう大きな村ではない。
碉楼の下にはチケットを確認する女性がいたが、ここに来るまで人の気配はなくひっそりとしていた。
働きに出ているのだろうか、それとも屋内には村人たちがいるのだろうか。
オフシーズンなのかもともとこんなものなのか、観光客もまったくいなかった。
とっても静かだった。家畜の鳴き声を覗けば。

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こちら三つの碉楼の真ん中に位置する「锦江楼」。
この村から出た複数の海外華僑の出資により1918年に建てられた。
共同で建てられたものだから、村の名前が付けられたというわけだ。
この碉楼は住居ではなく、村の防衛の為に建てられたものだ。

多くの碉楼が四方各々三列の窓を持っていたのに対し、この锦江楼はとても簡素で二列しか窓を持っていなかった。
中に入ってみると、ここも写真禁止。
内部は非常に簡素で、というか装飾一つないシンプルな部屋に特に何があるわけでもない。
しいて言えば、台のようなものがあるだけで。
こんなに何にもないのに写真不可も変だなと思った。撮るべきものは何一つなかったからだ。
部屋も、各階正方形の一部屋のみ。

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一番左にあるのは「瑞石楼」。
こちらは锦江楼最上階から見た姿。

まるで子供の頃に絵本で見たような、お城のよう。
様々な幾何学模様が隠れ、その中に色彩を持っているのが見ていて楽しい。鮮やかだったので、もしかしたら現代に塗り替えられたものかも知れないけれど。
今まで、いくつかの場所で清朝時代の石造西洋建築を見てきた。
そのどれもはたいへん繊細で優美だったけれど、それとも全然違う。
まず、あれらはこんな色彩を持っていなかった。
中国、西洋、ローマ、イスラム文化、それらの意匠が合わさり溶け込み、そのどれでもない世界観を創り出した、そんな感じだ。

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このように窓一つひとつをとっても皆デザインが違う。
この瑞石楼、開平碉楼の中で最も美しいものだと称されているらしい。

扉は固く閉ざされていて錠がかかっていた。
周囲に人はおらず、お金を払えば入れてもらえると言っていたが、その前にまず支払うことができなさそうだった。
観光客がまったくいないのだから、それも納得だ。
しかししばらく座って休憩していると、どこからか女性がやって来て、「登る?」 と声をかけてきた。
価格を訊いてみると、「20元」
開平一の美しい楼閣ならば高くはない。

女性は鍵をどこかに取りに行き、また戻って来た。
鍵を開けながら、「どうやって来たの?」と。
「“車”に乗って来たよ」
あいまいに答えてみた。
「いくらかかった?」
「全部まわって500元、高い~」
「ああ、一日ね。…300元ちょっとから400元ちょっとがいいとこだよ」
そうか、やっぱり値切ってちょうどいい具合だったんだ。

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瑞石楼は内部も凝った意匠だった。
ここは写真を撮ってもいいと言ってくれていたので次々撮る。

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他の碉楼と同じように、背面に隠れるようにして階段が上へ続いている。
その階段へ続く一角に、このような神さまを祀るようなものが。
実は今までの碉楼にもすべてこのようなものがそれぞれあった。階段の下同じ位置にもあったし、そこだけでなく至る所に見つけることができた。
廟があるのではなくこのように壁に文字が描かれ、手前にお線香なんかが置かれているのみ。
他の碉楼のものはもっと簡素だったが、ここのは建物同様に色彩豊かに描かれていた。

どの部屋も扉にステンドグラスが使われていたり、天井に色で線が引かれていたり、今まで見た碉楼より豪勢な感じを受ける。

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天井から吊り下がるランプも、なかなか凝っている。

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ある部屋にはこのように(多分)子供用の椅子。
この部屋には中国式ベッドと乳母車もあった。

今まで碉楼を巡ってきて、数々の中国式ベッドを見てきたが、どのベッドも長さがとても短かった。
これでは足を伸ばせないのでは?なんて思うほど。
それから階段を登る際、天井の低さ。
当時の中国人はとても背が低かったのではないかと思います。
同じ東洋人の日本人がそうであったように。

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今まで建物の最上階には先祖を祀る廟があったのに対し、ここのものはこのように建てた一族の写真が祀られていた。

この瑞石楼は、香港の商人になった黄壁秀が帰郷して1923年に建てたものだそう。
3万香港ドル、二年の歳月をかけて完成した。
香港の華僑であればこの豪勢さ、仮想世界のような独特の空間というのが理解できる気がする。
香港は1997年までイギリスに統治されていた。

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ベランダに出てみると、とても気持ちがいい。とうとうお城の上に登ってきたみたいな気分。
こんな風景、いままで見たことがない。

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ベランダの角には、円形のでっぱりがある。
景色を見るためなのかなとか、建物の意匠なのかな、と思っていたけれど、見てみるとこのように穴が開いている。
これは、ここから下の敵に対し銃撃するためのものだ。
いわゆる銃眼で、ここだけでなく、あらゆる碉楼に多数これを見ることができる。
この碉楼の外観を思い出してみれば、これらの銃眼なんて外から少しも気づかなかった。
というのは、そこには美しい装飾が施されていたからだ。ただ綺麗に見せたいわけじゃない、そういう訳もあるのかも知れなかった。

美しいお城も、実は要塞だということを思い出す。
清朝末期の動乱も匪賊の横行も、平和な今を生きる私には想像ができない。
だから建造物を見ても、きれいだなとか、素敵だなとか、そんな感想になってしまう。
けれども、住居にこれだけ防衛の意識を見ると、無事に生きていることが当たり前ではなかった時代を思わずにはいられない。わからなくとも。
例えば、籠城を前提にした構造。あまりにも今の平和な生活からかけ離れている。
身の安全と生活は、自ら守らなければすぐさま失ってもおかしくないものだった。
実際に、開平ではそういう襲撃事件が起き、これら要塞は実際に活かされたのだそう。
美しさにばかり目が行ってしまうが、いつも危険にさらされていて未来の保証なんてどこにもない、そんな状況だからこそ、様々な衣装を凝らして美を追求したのかも知れない。

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先ほどの二棟を今度はこちらから。
九層もの高さを持つこの瑞石楼。

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このバルコニーの上にはさらに小さな部屋が最上部にあるようだったが、そこへ繋がる小さな階段は塞がって登れないようになっていた。

再び階段を下りて行く。
各階ごとに、第六層、第五層、といった風に書かれていて、それぞれデザインを異にしている。
色彩も鮮やかでステンドグラスと相まってわくわくした気分にさせてくれる。

まだまだ回るところがあるにも係わらず、時刻はもう16時だった。
それでもまだ私は、あと回りたい場所と日没までの時間が厳しいことに気づいていなかった。

下に下りると、先ほどの女性がまたふたたびやって来て鍵を閉めた。

16010954.jpg

住居の合間を抜け、リヤカータクシーの待つ場所へ戻りながら振り返ると、まだ先ほどの碉楼の壮麗な一部が見えた。
観光客は他におらず、村民もほとんどおらず、まるで本当に不思議な世界に迷い込んでしまったような気がした。

入り口へ戻り、リヤカータクシーを含めた一帯の写真を撮ってから戻ると、
「気づいてたけど写真撮ってたから気づかないふりしたよ」
とおじさんは笑った。

⇒ 江門旅行二日目~開平碉楼・後編~ へ続く

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緑の果物

あれはパパイヤだと思います。果物として食べるほかに、熟す前の物をスライスし、更に千切りにして炒め物として使用します。野菜と同じ扱いです。家内の両親が東莞にいるので、おかずの具材として使用しているのを見ました。当然、食べましたが熟した物から想像できない程の普通の野菜でした(^^) 僕は食は広州に有りと言われる広東料理は雲呑や豆腐料理は好きですが、基本的に味付けが余り好きではなく好みません…湖南料理の湘菜と四川の川菜料理が好きで広東料理が苦手なのは長粒米が主食のせいもあります。今回の訪れた地は今は観光化されていますが十数年前までは治安も悪く訪れる際に気を付ける様にと随分と注意された事を思い出します。旅行記を見ていると街も綺麗になって、舗装もされていて驚きました。

言葉の話がありましたが、家内は湖南省南部出身で普通語の他に湖南省南部の方言と広東語を話します。たぶん、方言は5つ位使えるらしく、義父と義母も同様に話しをしていました。僕は多少の湖南省の長沙話と衝陽話は解るようになりましたが、6声とも8声とも言われる湖南南部話や広東話は難しくてわかりません(^^)

Re: 緑の果物

toripagonさん、こんにちは!

パパイヤだったんですね!そこらじゅうにありました。
中国は広大なので行く先々で違う植物や果物を見つけることができて楽しいです。
時間があるならどこかで素朴な村の料理を食べてみたかったのですが、叶わなかったのが残念です。そうしたらこのパパイヤもあったかも。

開平の村々は、必要最低限、舗装されたり整備されていましたが、それでもぱっとみてそれらが出しゃばっていなくて、私としては雰囲気を楽しみやすい調度よさがありました。何よりも観光地化によって治安がよくなるのは嬉しいです。
お土産屋さんなんかも自力村にわずかあったくらいで、それさえも卵やそこで採れたような植物(漢方かな)をおばちゃんが道端に広げて売っている感じで。
季節的な問題かも知れませんが、観光客がほとんどいなかったので、それも雰囲気に浸るのに良かったかも知れません。

言葉に関しては「普通話」ではない、とわかるだけで、当然ながら全然わからない訳ですが、中国人でもわからないから当然のことだと励まされました。
それにしても、南方の地方語がしかも複数理解できるなんて、toripagonさん本当にすごいですね。

地方話

僕が多少理解できるのは湖南訛の長沙話でこれは中国では有名な地方話です。家内の実家付近は長沙市を更に南に行った衝陽市でここは、本当に地方話の坩堝で隣の村と言葉が通じないほどに言語が多様化しています。また、広東省に近く、人の往来やビジネスで義父や義母は常に広東人関わりがあるので自然と身についたそうです。僕は彼等の言葉が理解出来ずに常に不思議な言葉の意味を尋ねている内に少しずつその意味を理解できるようになりました。例えば「没問題」の発音は広東語では「モ-マンタイ」(広東語の発音記号を知りませんので…)と言いますが、衝陽話では「モ-ウエンティ」と発音します。普通話は「mei1wen4ti1」と比べると、そ中間では思い当たります。ただ、「好吃 hao3chi2」は「hao3チャ-」となるのでその意味を解するには、発音を知らなくては想像すら出来ない言葉もあります。更に貴州省や雲南省の少数民族は全く言語形態の異なる少数民族も多く、発音だけでは理解出来ぬ事が多々ありました。

しかしながら、中国の長い歴史では「官話」と呼ばれる統治者側が発音が違えど文語が同じという中国独特の言語を発達させてくれたおかげで筆談が可能なので、相当の田舎でも何とかなりました。しかしながら、東北地方や内モンゴルや西域で使われているアルタイ語系や中東言語にル-ツを持つ言葉は本格的に学ぶことなく理解するのは無理な言語だと知りました。文革以降は普通語の普及に努めていますが未だ言葉が正確に伝わらぬ地が中国には多々あります。

言葉は文化の核心であると僕は考えているので、これらが失われぬ事を願って止みません。言語の複雑は台湾も同様で台湾語と普通語は近縁語ですが最っとも近いのは福建省にあるミン南話系ですが台湾語はこれに近いとされていますが、合致はしません。言語は使うため学ぶのも大切ですが、言語学として学ぶと別な世界が広がって本当に奥が深いです。最近はビルマ語を少し囓っていますが、あの知恵の輪様な文字と独特の発音は本当に面白いです。中国語を学んで良かったのは、発声音の聞き分けそれなり出来るようになっているので不思議な音に敏感になれたことです。広東語や地方話を本格的に学ぶ必要はありませんが、学問として少し触れておくと別な中国の世界も広がると思います(^^)

Re: 地方話

そうですね、語学の基礎があれば言語学ってとてもおもしろいと思います。
私は普通話でさえ相当レベルが低いのでとてもそこまで余裕がないのですが…でも、一つ二つの単語でも知ってみると楽しいですね。
モーマンタイ、モーウェンティ、mei wen tiの比較、おもしろいです。本当に“中間”ですね。広東と普通話に交わる部分なんてないと思っていたので驚きです。

そう言えば、今回お世話になった江門人の友人が旅行中教えてくれたんですが、彼女の老家の言語、潮汕語は韓国語に似ているんだそうです。
你好だったか…何かの言葉をいくつか、普通話・広東語・潮汕語・韓国語で言い比べてくれたのですが、確かにそっくりだったんです。
ただ似ているだけなのか、関係があるのか、訊いてみると「関係がある」と言っていましたが、実際どうなのでしょうか。
中国南部と韓国と、地域を飛び越して繋がるところがあるのだとしたら、どういう背景があるのか。

toripagonさん、ミャンマーに嵌っていますね。
ビルマ語にも手を伸ばしているとは…すごい。私はそれがどんな文字かも、知らないです。
言語はイコール概念だと思います。つまり、言葉を知ることはその文化や価値観や歴史や、土地を知ること。知っただけじゃなくてその言語が持つ概念を得ることだと思うんです。
だから、ある言語が失われるということは、その言葉が持つ概念が失われることでもあると思うんです。
広東省周辺の地域で、広東語・普通話が普及しながら、地方語も未だともに話されるということは、そう考えるととても貴重なことですね。
プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国四川省宜賓市にて生活を始めました。
旅行記に絞ったブログ、一つひとつは旅のあしあとです。

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