2016-09-06

庫車旅行三日目~その一~

2016年8月13日、ほとんど寝た気もしないまま、目覚ましが鳴った。
窓の外は真っ暗で、昨夜遠くに見えた観覧車の灯りも消えていた。

もう一度目を閉じたい誘惑にこらえながら、6時、一階ロビーへ下りた。
チャン・イーとは6時にここで待ち合わせをしていたが、彼女は待っても来ない。
「いる?」
携帯で送ってみるけど返事はない。
昨日はすごく朝が早かったし、夜も遅かった。
起きれなくても当然だと思っていたから、想定内、ではあったのだけど。

駅へ行くのはタクシーを呼んで行けばいい。これはそう問題ではない。
私が困ったのは、チェックアウトと彼女が私に渡す予定の荷物だった。
チェックインはチャン・イーが代行していたから、私がチェックアウトをしたら外国人料金をごまかしていたことがばれてしまう。
荷物も、今ここで受け取らなかったら、私はもうこの街には寄らずに帰国してしまうから受け取れない。
…どうしよう、困ったな。

乗る列車は6時59分発。
ここから駅まで15分として、駅に着いたらセキュリティーチェックなんかで時間がかかるとして。
考えながら、6時20分、もう間に合わないと、フロントへ。
案の定、デポジットの控えを求められた。
デポジットを支払ったのは彼女だし、控えも彼女が持っている。
「友達が持っていて、まだ来ない」
そう言いながら、フロントの女性が怪しまないか心配になった。
どうしよう、時間がもうない…。
「友達が来ない、列車に間に合わないよ…」
そう言って、チケットを見せた。
フロントの女性と隣にいたおじさんが覗き込む。緊迫感が伝わったようだ。
「OK!乗ってけ、急ぐぞ!」
…と言ったわけではないが、おじさんはそんな感じで手招きした。
おじさんの正体はタクシーの運転手さんだった。
早朝というより、まだ真夜中である。
周辺は人通りも少ないエリアだった。
この時すんなり車に乗れていなかったら間に合わなかっただろう。
デポジットはチャン・イーにお任せし、荷物もあとから考えよう。

コルラ站に到着した時、すでに検札は開始されていた。

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乗るのは、宝鸡発ー喀什(カシュガル)行きの長距離列車、K1661次。
途中駅乗車の途中駅下車。
ここから庫車(クチャ)までは約3時間だ。
たった3時間だが、睡眠不足での乗車は想定内で、座席ではなく寝台の切符を購入していた。
乗り込んだらすぐ寝るぞ!

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二度目のコルラ、再见。

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送り迎えも荷物も大した問題ではない、ただ、最後にチャン・イーに会えなかったことがとても残念だった。
今のところ度々新疆旅行を実現できているが、今後何があるかわからない。
もしかしたらこれが最後の新疆行き、なんてことも、絶対考えたくはないけど、可能性としてありえないとは言えないのだ。

列車に乗り込んですぐ横になろう、と頑張って上段のベッドに登っていると、
「姑娘」
後ろからおじさんの声。
どうやら、知り合いがみんなこの部屋なのに自分だけ別車両なので交換してほしいとのこと。
寝台列車は、車掌が切符を回収に来て下車する前にそれを渡しにくる仕組み。
私が移動してしまったら面倒だ。
面倒だけど、車掌さんのところで色々やってようやく落ち着いた。
同室のメンバーをチェックする。
今回はいびきなしだ。

2時間爆睡し、10時過ぎ、無事に庫車(クチャ)站で下車した。

今回、ウルムチの友人ロンさんに、クチャの車とガイドを手配お願いしていた。
旅行前に私の要望を伝え、しかし旅行の詳細は直前になるまでわからないままだった。
ロンさんは仕事でたいへん忙しい時期で、連絡がほとんどとれなかったのだ。
泊まるホテル、ガイド・車代、ガイドの連絡先、それさえもわからないまま昨日コルラへ。
昨日の夜、ようやくガイドの連絡先を教えてもらった。

ところが、クチャに着いてさっそく戸惑う。
携帯がまともに使えないのだ。
電波状態はいいはずなのに、私の微信は、ほとんどが「繋がりません」の表示。
今までの旅行でこんなことは一度もなかった。
QQも繋がらない。

庫車(クチャ)は、新疆ウイグル自治区中央より若干西寄りの街だ。
地区としては阿克苏(アクス)地区に分類され、アクス地区一番の街アクスの東に位置する。

以前、アクス地区は今外国人が立ち入れないようになっているとか、厳しくなってるとか、そんな会話を耳にしたことがある。
記憶もあいまいだし、何気ない会話なので実情はわからないが、実際中央アジアとの国境に近い地理なので、少なからず厳しい地区ではあるのかも知れない。
それを思い出した。

新疆でも治安が懸念される地区は通信規制が特に厳しい。
クチャが特に治安が悪いかどうかはわからないが、この原因不明の通信不能はそこから来ているものなのかどうなのか。
理由はわからないまま、結局クチャにいる間中、微信が使えないことが多かった。
たまに使えるようになりそれがまだ救いだったが、そんな時もひとつのメッセージを送信するのにやたら時間がかかった。
粘ったうえに、送信失敗というのも何度もあった。

というわけで、ガイドさんとの合流もうまくいかなかった。

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クチャ站からもう人はいなくなり、私ひとりになってしまった。
どうやって合流しよう?
結局、ガイドさんたちは私と合流できなかったので駐車場で待っていた。
微信の調子が悪いことを伝え、謝る。

車で待っていたのは、ガイドさんのヌアー、運転手さんのカイサイアー、ヌアーの後輩・グリミルの三人だった。
ヌアーとグリミルは女性、運転手さんは男性。
三人はウイグル族だった。
中国語が話せる。
「いつ勉強したの?子供の頃から話せたの?」 そう訊くと、
「学校は全部、中国語だったから。大学も中国語だった」 とヌアー。
ウイグル族にとって、中国語の習得はもはや必須だ。
それはイコール、将来だとか進路だとか、収入だとかに直結する。
日本で、英語くらい話せないとね、というのとはまるで比較にならない程、深刻に。

私はすでにふらふらで、ノーメイクで髪はぼさぼさだった。
今日は郊外に観光に行く予定だったが、「先にホテル行ってメイクしたい」とお願いした。

ロンさんが予約してくれたのは、庫車飯店だった。
中国ではホテルの呼称でだいたいのランクがわかる。
飯店ー大酒店ー酒店、宾馆
こんなふうに。中には大酒店とか言っておいて中身は宾馆なんてのもあるけれど。
飯店は最高級のホテル、歴史あるホテルに使われる呼称だ。
私は高級ホテルは肌に合わない為、**飯店なるものに泊まったことがないから今回が初めてだ。
宿泊料金は私の場合、今回一泊400元ほどだったが、ホテルの雰囲気からしたらこれはけっこう安い。

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ロビーはこんなにも広くて大きい。
しかし、ホテルの周辺は何もなく、繁華街からも随分離れているみたいだった。
私が高級ホテルを避けるのには、そういう立地の問題もある。

フロントの前には、ひとつの大きな地球儀があった。
近づいてみて回してみると、金ぴかに作られた地球儀には、中国語で各国各地名がぎっしり書き込まれている。
塔克拉玛干沙漠(タクラマカン砂漠)、塔里木河(タリム河)、天山山脉(天山山脈)
そんな言葉の並びに、クチャの文字までは書かれていなかったけれど、それを見て今自分がここにいるんだな、と不思議な感覚になった。

庫車(クチャ)は、新疆ウイグル自治区中央より少し西寄りの街。
タリム盆地の北に位置し、古来東西貿易の中継地として栄えた。
シルクロードのいくつかのルートのうち、「天山南路」(または西域北道)のちょうど真ん中にあたる。
南疆と北疆を結び、また東洋と西洋を繋ぐ、まさに交易の要衝だった。

かつての名は“亀茲国”。
亀茲国は前漢に誕生したオアシス都市国家で、当時の西域36国の中で最大の国家だった。
三蔵法師として日本でも有名な、あの玄奘が立ち寄った場所でもある。

シルクロードに魅せられた人ならば、一度は訪れたい場所のひとつだ。

東西文化の交流においても、また中国西域の歴史においても、亀茲国は重要な足跡を刻んでいる。
日本もまた部外者ではない。
ただ単に西域の中心部というだけでなく、世界文化史において重要な位置にあるこの地。
この金ぴか地球儀は、ここはそういうところだよ、と教えているみたいだった。

ホテルの部屋に落ち着いた時、時刻はすでに11時を回っていた。

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部屋からの景色。
このようになんにも目を惹くものがない。
私の強い旅のこだわりは、ホテルの窓から街の賑わいが少なからず見えること。
できれば窓を開けることができて、街の空気を風を肌に感じることができること。
ただ、これは来てみないとわからないから、毎度運次第だ。

賑わいはないが、外が建物の壁なんてことを考えたら、十分だ。
地図を見れば一目瞭然だが、クチャの街は旧市街、ウイグル族で賑わう繁華街のエリアと、開発がこれから進められていくであろう開発区とに二分される。
ここは開発区であり、つまらないが、賑わうエリアはその分危険性があり、極論を言えばテロの可能性もあるので、もしかしたら治安を考えてここを選んでくれたのかも知れなかった。

支度を進めながら携帯の具合をチェックしていると、チャン・イーから微信が入っていた。
ありとあらゆる謝罪の言葉が並べられ、
「マーヨーズがどんな気持ちで私を待っていたかわからない…」
と書かれていた。
チャン・イーはいい加減なことがない女性なので、どの言葉も誠実に感じられた。
「渡すはずだった荷物は、長距離運送で運ぶから今夜には着く。明日朝、運送センターに引き取りに行って」
荷物のことも解決した。
「それから、ガイドには遠慮しないで」
あなたはお金を払い、彼女たちは仕事。雇用の関係なのだから。
それからこうも言った。
「ウイグル族のことを悪くいうつもりはない。けれど、私は新疆で生まれ新疆で育ってきた彼らについてよくわかっている」
“ロンさん”よりもね。
私の面倒をよく見てくれるロンさんは、チャン・イーの旦那さんだ。
この時は深く考えていなかったが、あとあと、私は彼女がこの時くれた助言を実感して苦い思いをするのだ。

支度を終えてみて、もうひとつトラブルが発生した。
私は旅行時、ふたつのモバイルバッテリーを携帯しているが、携帯の充電がいっさいできなくなっていることに気が付いた。
モバイルバッテリーではなく、コードを直接コンセントと携帯に繋げてもダメ。
携帯の充電は間もなくなくなりそうだった。
以前にもあったことだが、携帯の差込口に問題があるかも知れない。
クチャにいる間はいいとして、ウルムチに着いた時、向こうで連絡がとれなくなるのが怖い。
ウルムチのフェイフェイに、
「携帯がおかしい。何時に何便で到着することを教えておくけど、連絡つかなかったら私に構わないで帰ってね!」
急いで打ち込み、「電話番号教えて」と送信。
「大丈夫、1時間前から出口で待ってるから」 との温かい返事。
旅行開始から、なんだか嫌な空気でいっぱいなそんな重い気持ちになった。
今後は電源を切って、時々立ち上げるを繰り返すことになる。
部屋に迎えにきたガイドのヌアーにも、微信だけでは心もとなく電話番号を聞き控えた。

三人はまだ食事をとっていないということだったので、あるイスラム料理店へ向かった。

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ウルムチでもごちそうしてもらった、あのお店のように豪華な内装。

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こんなふうにコーヒー器機も。サイフォンだ。
中国では美味しいコーヒーに出合うことが難しい。
しかし、ここ新疆にはコーヒー愛好家がとても多い。
私は以前、知らなかった。
コーヒーはもともとイスラムの秘伝で、イスラム教徒によって世界に広まったのだそう。
ならば、イスラム料理店にこのようにコーヒー器機が並べられていることも納得だ。

三人は適当に何かを頼み、私もまたひとつ頼んだら。

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巨大な麺が出てきてしまった。
美味しいけれど食べきれない。

それから奶茶をリクエストした。
新疆に来るといつもこれを口にする機会があった。
とくに、5月のイーニン旅行では何度もこれを飲み、帰国する時には大ファンになってしまっていた。
温かいミルクティーをスパイシーにしたような風味。
「これが大好きで」と言うと、
「イリには行ったことがある?」とヌアー。
イリ・カザフ自治州はイーニン旅行の際、周遊したエリアで、非常にタイムリーな質問だ。
「5月に行ったことがあるよ」
「イリは奶茶が美味しいんだよ」

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入り口のステンドグラス。
何から何まで目移りしてしまう。

これから、郊外に観光に出掛ける。

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今朝の天気は悪かったけれど、こんなふうにきれいな青空になった。
曇れば涼しい、太陽が出れば鋭い日差し、新疆の気候は目まぐるしく変わる。

まっすぐ続く道路の向こうには砂漠の向こうの険しい山々が見えた。
「あれは天山?」
天山は新疆ウイグル自治区を東西2000㎞にもわたり横たわる山脈で、この地のシンボルだ。
「違うよ」
「ではなんて名前を持つの?」
「あれには名前がない」
ここクチャは山に囲まれているから、そんな山々にいちいち名前などないのだと、そう言った。
そんな訳はないとは思うけど、ここに暮らす人々にはどれも山は山でその区別などは関係ないのかもしれない。

新疆の街はどこもこうなのだろうなと思うけれど、車を走らせてすぐに辺り一面自然風景になる。
ここでは街はみな、“点”だ。
遥かな大地の中に、ぽつんぽつんと大小の都市、街が点在している。
そしてその街と街とを、ひたすらまっすぐに伸びる道が繋いでいるのだ。
だからここに来ると、郊外に出掛ける時にはいつも「街を出る」という実感が強くともなう。
街の外は荒涼とした大地が広がるのみ。

この“点”は、砂漠のオアシスだ。
過酷な自然環境の下、古来豊かな水の恵みがある場所には人が集まった。
それは今に受け継がれている。
だから、新疆ウイグル自治区にある街は、どれも長い歴史を持つのだ。
そして遥か昔、街を出るということは、すなわち命の危険を意味した。

今の私たちに、かつての命の危険はない。
街を出る=楽しいドライブだ。
クチャの街を出てほどなくして、広がる風景の中にぽつんとガソリンスタンドがある。
このガソリンスタンドは滞在中必ず寄る必須ポイントだった。
そこには小さな小屋とでも言えそうな建物があり、果物を山にして積んだトラックが停まっていた。
その横のイチジクの葉の影では、ウイグルの女性が器に張った水にお椀を浸けて洗っていた。
この場所で、果物や水や、または卵なんかを買い込んでいよいよ出発となるわけだ。

このガソリンスタンドから5分もしないうちに、ここが間違いなくクチャだということを実感する。

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大地がむき出しになったかのような、荒々しい風景に。
まっすぐな道路に岐路はない。
ひたすらまっすぐ進むのみだ。
だから、私たち含め、どの車もスピードをかなり出す。
スピードメーターが120㎞を軽く超したとき、私はそれを見るのをやめた。
遥か向こうまで見渡せる風景のなか、延々まっすぐに続く道に、誰しもが麻痺する。

この道の左右には奇怪な地形が続き、私の目を惹きつけ放さなかった。
この奇怪な風景は、まさしくクチャのものだ。
ずっと昔、大学を卒業するまえくらいに読んだ、シルクロードの紀行文。
そこにこの風景の写真があった。
あんなところは、テレビ局にでも就職して取材班としてか、あるいは研究者にならなければ、肉眼で見ることなんでできないものだと思っていた。
大げさなと思うかもしれないが、「がいこくなんてこわい」と思っていた私の本音だ。
そういう手の届かない憧れの、写真のなかの、テレビのなかの、それだけの風景だった。
それが今すぐ目の前にあるのだから、感極まる。

ぼこぼこと隆起したところや、巨大な岩石のようなところ。
あちこちに中国らしく石碑が建てられ、景観に名称がついていた。
そこには車を降りて写真撮影を楽しむ人たちも。

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ここは地質学の標本のようだった。
あちこちに激しい角度を持つさまざまな地層。
もろい砂岩の山から、泥質のひび割れた地面。
真っ赤な色をした燃えるような山から、鋭利なトゲをいくつも生やした山。

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この道をかつて玄奘も通ったのだという。
現代はこのような道路であっという間だが、当時はこんな激しい地形のなか、どんな風に進んだのか。
熾烈きわまる。

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大地の凶暴さを見たかのような地形を抜けて、風景は一気に開けた。
真っ青な空に、点々と散らばる褪せた緑はラクダが食むというラクダ草だろうか。
「痛快」 という言葉が脳裏に浮かぶ。
道路の先は遠すぎて認識できない。ずっと向こうで点に見えるだけだ。
私はその感覚をカメラに収めたくて、何度も後部座席の窓から身を乗り出し構えた。
100数十㎞ものスピードは、私が思っている以上に強烈だった。
1秒も持たない。
わかっていても窒息しそうになる。
芸能人がよく人工的な強風を受けて~なんてやっているけど、あれは本当に苦しかったんだ、なんて今思う。

実は、私は助手席に座りたかった。
中国に来て自分一人じゃなくて、そんな状況で「前と後ろどっち座りたい?」と訊いてもらえれば、私は絶対前を選んでいる。
何故なら風景が全然ちがうから。
結論から言うと、滞在中私の席はずっと後部座席だった。
ヌアーと運転手さんはカップルのようで、終始驚くほどイチャイチャしていた。
私の席は「ここ」と強く決められていて、私に決定権はなかった。

今回、私はけっこうな人件費を彼らに払うことになった。
チャン・イーが言った通り、私たちは雇用の関係なのだから、遠慮は不要のはずだ。
しかししたたかだった。
私は要求の大半を不満足に終えることになったし、しかしこの時はそんなこと思いも寄らなかった。
たかが席、と最初は気にしていなかったが、これを端緒にしていろいろが積み重なってやがて私の心は沈んでいくのだ。

素晴らしい思い出になるはずだったクチャ旅行。
いいことだけ、きれいなものだけ記したい。
せっかくの思い出に水を差すようだけど、自分の要領の悪さも含めて、素直に書いていこうと思う。


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まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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