2016-09-06

庫車旅行五日目~その一~

2016年8月15日、北京時間12時にヌアーたちは私の部屋にやって来た。
部屋にやって来たのは、精算をするためだ。
車代、人件費、食費、道路料金、等。
食費に関しては、初日のみヌアーが立て替え、昨日は私が立て替えた。
おそらくロンさんが話してくれたのだろう、これがあれでと紙に書きだしながら計算していってくれる。
けれども、お互い立て替えた食費の金額が違う。
それに割りかんだけども、それもフェアではなかった。
レシートがあるわけでもなく、「**元だったよね」なんてそんな感じで、小さい金額であれこれ言うまいと私は言わないことにした。
言ってみれば、すべて口頭で交された金額での精算だ。
日本ではありえない適当さだ。
それにしても、随分高い人件費となった。
私は分厚い100元札の束を渡し、「しっかり確認してね」と言ったが、
ヌアーは、「確認しなくても間違ってないはずだから大丈夫」と笑顔を見せた。
こんな大金を確認しないなんて、不気味だ。
やっぱり、ロンさんが何か言ってくれたのかも知れない。
金額明細を書きこんだメモを、彼に見せなければいけない、と言っていた。

色々と残念なこと(の一部)を書き並べてきたが、かといって私が彼らのことを嫌だったかというとそうとも言いきれなかった。
文化が違う他民族ということもあるし、好感を持つ部分もあったし、興味深い部分もあった。
それにやっぱり、人と人で、一緒に時間を過ごしていれば情も湧いてくる。
日本ではガイド失格であろう、お客にサービスせずに自分たちの旅行のようにふるまう姿も、矛盾するようだけどだから私も楽に過ごせた部分もあった。
気遣いがまったくなかったわけでもなかった。
ただ、高額な人件費を考えると釣り合わないと思うだけだ。
なにはともあれ、彼らと過ごすのも今日で最後なのだ。
笑顔で別れられれば、それでいい。そう思った。

ホテルをチェックアウトして、荷物をすべて車に積み込んだ。
こうしてこれから向かうのは、クチャ市街の西の外れ。
いわゆる旧市街だ。

クチャは小さい街なので、あっという間に辿り着いた。
周辺はウイグル族で雑多としていて、飲食店や香辛料や漢方を売るお店などが建ち並んでいた。
どの建物もペンキで鮮やかに色付けされ、カラフル。
ちょっとしたところに模様がつけられ凝っていた。
5月のイーニンでもウイグルの居住区はどれも美しくて、見ているだけで楽しかったのを思い出した。
同じようでどこか違うな、と思った。
色彩の組み合わせが向こうよりは派手だったかも知れない。
また細工もより凝っていたかも知れない。

1608151.jpg

賑やかエリアを過ぎ、すこし落ち着いた雰囲気になったかと思ったら、道路から少し逸れて横に入っていった。
ひと目見てわかった。

1608152.jpg

清代にここに城壁があったのだ。
中国西域の遺跡はみなこのように土塊と化している。
だから面白くないよと言う人もいれば、だから面白いよと言う人もいる。
私は後者だ。
なぜならそこには、「空想の空白」があるからだ。

おととい入って見ることができなかった、キジルガハ烽火台。
あれもまた、今ではこの城壁と様子は大差ない。
「見れなくて悔しい」 とコルラのリュウ・レイに言うと、
「今ではただの土塊だよ」
だから悔しがることはないよ、とおそらくそう励ましてくれたのだと思う。
けれども。
もしあそこに再建された立派な姿があったとしたら、私はきっとそれ以上の想像はしない、いやできないだろう。
しかしそこに、想像の手助けにもならないような僅かな形跡しかなかったのなら、「いったいこれはどんなものだったんだ?」
考えても答えがでないから、よけい気になって想像をめぐらしてしまうだろう。
そうして散々思いをめぐらした挙句、答えは出ぬままそこを去ることになるだろう。
それは土塊遺跡の呪縛だ。
もしあそこが再建された立派な姿をしていたら、あのいかにもな伝説は「ありそうな話」で終わるだろう。
しかしそこにはなんなのかわからないようなものしか残っていないから、ありそうな話もなんだか不思議と神秘さをともなってその一方真実味を帯びてくるのだ。

西域の自然環境は、当時の絢爛な建築物の姿を後世に伝えていくにはあまりに過酷なものだった。
だからそのほとんどが形を成していないわけだが、一方でこうした自然環境だからこそ今も痕跡を残しているという一面もある。

1608153.jpg

この清代城壁、その先でL字に左に折れていた。
その向こうには清真寺のスライム型の屋根とミナレットが見えた。

ここを去って、すぐそばに次の目的地がある。
“庫車王府”だ。
入るのは私一人で、1時間後に入り口で待ち合わせることになった。
チケットは55元。

1608154.jpg

王府とは、中国の呼び方だ。
その土地を治める人だとか、高貴な人が住む場所のことだ。
ここはかつての王府を復元した場所で、当時の姿を覗き見ることができる。
王府の呼び方の半面、入り口を入ると右手はこのようにイスラム色。
すぐ先にはモスクもある。行ってみよう。

1608155.jpg

ここは、王府の住人、つまり王族が利用した礼拝堂だ。
本来であれば、女性である私は礼拝堂に入ることはできないし、近づくことも厳しい。
イスラム教においての禁忌だからだ。
けれどもここは現在生きているモスクではないので、見学することができる。いい機会だった。
1828年に建てられ、1937年と2004年に修復されている。

1608156.jpg

内部はとても華やかだった。
装飾も細やかで美しいし、色彩も少女的な感じだ。
女の子が好きそう、なんて思ったけど、ここで祈りを捧げたのは男性のみだったはず、なんて不釣り合いな絵だろう。

1608157.jpg

左手の壁にはくぼみがあり、コーランが置かれていた。
右手にはミナレットへ登るための階段が架かっていた。

モスクを出ると、ちょうど入り口の正面にはいよいよ王族の居住区への入り口がある。
その入り口の横には。

1608158.jpg

ちょっと見にくいが、なんだかおもしろい言葉が並んでいる。
今天事今天办 今日のことは今日やろう 
游客是上帝 旅行客は皇帝だ
客人永远是对的 お客さまは永遠に正しい
100-1=0 …これはなんだ?ひとつでも欠けたらないに等しい、とか?

1608159.jpg

この庫車王府、色とりどりの花が飾られていて、観光地云々なしでも歩いているだけで心が和んだ。
入り口をくぐってすぐ、右手に中国の伝統的様式を採用した建物があった。
新疆ウイグル自治区に中国的建築物をみると、かなりびっくりする。
千仏洞に残された漢字のように、この地で中華文化を見るとき、そこにはかならず「理由」がある。

その中国様式の建物の内部は、正面入ると左右に部屋がそれぞれある。
クチャ王族の系譜が長々と紹介されていて、それぞれの部屋には各代王の油絵の肖像画が掛けられている。
1代目、2代目…
それぞれの肖像画を順にみていくだけで、時代の経過を感じることができる。
ターバンを巻いた西域の雰囲気いっぱいの王様は、次第に近代風になっていく。
たしか、軍服を着た肖像もあった。

時は乾隆帝の時代、西域の反乱平定に大きな貢献をしたということで、この一族は賞された。
そこで、ウイグルを統治する王としてここに王府を築くことになった。
この庫車王府、清朝道光帝のとき、1828年に建設が始まっている。
内地から漢族が派遣され、王城は建設されたという。
先ほど見た清代の城壁も、この中華式建築もそれによるものだ。
ウイグル王として清に認められてから、12代にもわたって王族はここに暮らした。

この中華式建物を出ると、目の前にはイスラム風の展望台兼休憩所、のようなものがあり上ってみた。
この庫車王府の特徴は、西域文化と中原文化が同居、または混ざり合っているということだ。

16081510.jpg

この王府は果樹園そのものだった。
目の前には豊かな果樹林が広がっていて、よく見るとそれぞれが違った種類の木だった。
ここに暮らした王族の生活は、さぞかし豊かだったに違いない。

ここを降りると、先ほどの肖像画が展示された建物はそのまま横につながっていることがわかった。

16081511.jpg

繋がっているけれども、こちらは西域風。
中華風と西域風がくっついて並んでいる。
ここは王様が生活したところだそう。
内部は開放されていないので、外から見るのみだ。

この王様の住居の目の前には、またひとつの中華式建物が。

16081514.jpg

先ほどの建物と瓜二つ。
入口入ってみると正面には、中国ではお決まり。

16081513.jpg

二つの椅子が並んでいる。
こんなシルクロード真っ只中で、こんな中原様式を見るのはなんだか違和感がある。
これは、第6代の時に清朝道光帝から下賜されたものだそう。

左右に広がる部屋には、先ほどと同じようにさまざまな展示がされている。
入って左側には、王様が使用したものが寂しく数点そのまま置かれている。

16081512.jpg

この羊毛絨毯は1856年、第7代王様が使用したもの。
デザインが今この地に見るものとは少し違っていて面白い。

こことは反対側の部屋には、現代の写真パネルが隙間なく並べられている。
ウイグルのおじさまと、中国の偉い感じの人とが一緒に写っているものばかりだ。
一つひとつ見てみると、それはすべて、第12代・达吾提・买合苏提のものだった。
この王府最後の王様であり、中国においても最後の“王爷”だ。
新疆の党委書記や主席、中国共産党の党員や幹部など、あらゆる「偉い人」と肩を並べたり、笑顔で握手を交わしている写真は、なんだか用意されたものみたいで、「新疆とそれを統括する中国は、そして少数民族とすべての国民は、仲良く団結しておりますよ」そんなアピールをしたい中国の思惑が感じられて複雑な気持ちになった。
よくよく読んでみると、このおじいさま自身もクチャ県の副主席をしていたよう。

果樹園へ出て、うろうろしていると向こうの端に、何やら通路を見つけた。
うっかりしたら気づかない通路だ。
なんだか気になって行ってみた。
するとそこにはまたもや、土塊の城壁が。

16081515.jpg

人はだれもいない。
左には向こうにずっと続く城壁、右にはザクロの木が並んでいる。
どれもタコウインナーを膨らましたような朱色の実をつけている。
この300mにも亘る城壁、これもまた清代のものだ。
先ほどのものに比べ、比較的かたちを残している。

この城壁にはさらに向こうへ続く通路があった。
ここには二重に通路が並んでいるようだ。

16081517.jpg

今度は、左にウイグルの風俗を描いた絵画を見て、右に先ほどの清代城壁を見て。
そのずっと先には何やら、扉が見えた。
傷んだ木製の扉は閉まっていて、スライド式の鍵がかかっていた。
扉は誘惑だ。
このスライド式の鍵、スライドすれば簡単に開いてしまう。
鍵はかかっているが、開けることができる。
これは何かに試されているのだろうか。
私はためらうことなく、鍵をスライドさせて扉を開けた。

16081516.jpg

結論から言えば、この扉、開けて入って全然問題ない。
「清城墙游览区」と書かれた門まであるのだから。
しかしおそらく多くの人はここに気付かず庫車王府をあとにするだろう。

門をくぐって目の前にはまたもや土塊の城壁がそびえていた。
清代乾隆帝の時、西域各地で反乱が起きていた。
これを鎮圧した功績を賞し、ここに内地の漢族を多数派遣し、王府と県城を建設させた。
そのため、「漢城」の別名を持つのだそう。
おそらく中国の一般的城郭と同様に四角い形をしていたと思われるが、今ではその一部が土塊として残るのみ。
ここに立ち寄る前に見たあの清代城壁もその一部なのだろう。

16081518.jpg

城壁の端はこんなふうに。
柵で囲まれて入れないようになっているが、ここには人ひとりが辛うじてすり抜けられるかどうかくらいの人工的な隙間があった。
中は真っ暗でどこに通じているのかはわからない。
ここは城壁の角、楼閣か何かがあったのだろうか。

ここにあったのは、城壁だけではなかった。
まず一番に目に飛び込んでくるもの。
イスラム式の巨大な建築物だった。
はじめ見たとき、私はそれをモスクだと思った。
清城墙游览区の門を抜けてここに足を踏み入れてみると、すぐにこの建物が目に入るが、そこに入り口はなかった。

16081519.jpg

こちらは広場から見た様子で、こちらからは建物内部に入れない。
ぐるりと回りこんでみて、この左側に入り口を見つけた。
入り口のすぐ前には壁があり、おかしな方向を向いているなというのが、第一印象。
イスラムの聖地の方角か、はたまた東西南北はわからないが特定の方角を向いたものか。

中に入ってみると、柱状のスペードが三つ並んで横たわったような形をしていた。
中央の大きなスペードの断面は黒く、左右の小さなスペードは赤く塗られている。
この空間にはこれしかない。
これは、第12代、最後の王様・达吾提・买合苏提の棺、ここは墓所なのだった。
1927年にここに生まれ、2014年にここに没した、真のクチャの人だ。

さて図らずもイスラムの人のお墓を訪れてしまった私だが、ここクチャにはもう一つ、観光地として有名なイスラム教徒の墓所がある。
“默拉纳额什丁麻扎”(モラナ・エシディン・マザール)だ。
「モラナ」は、聖者の末裔。「マザール」は、聖者の墓所を意味する。
そこは、聖者・エシディンを祀った聖なる墓所、というわけだ。
この庫車王府からもそう遠くない場所にそれはある。
エシディンは、14世紀半ば、クチャで初めてイスラム教を布教したとされる伝道師だ。
東チャガタイ・ハン国のハン、トゥグルク・ティムールをイスラム教に改宗させた人でもある。
トゥグルク・ティムール云々もすごいが、かつて仏教の聖地だったこの地をイスラム化させた人物とは。
今、この地で仏教は生きてはいない。すでに失われていると言っていいだろう。
それがいいか悪いかは別として、この地の運命を大きく変えた人物とはただ者ではあるまい。

クチャ旅行を決めた時、私はウルムチのロンさんに「行きたい場所」を箇条書きでリストアップして伝えていた。
しかし旅行直前になって伝えられた観光計画の中に、このマザールの名前がない。
「この日は、庫車王府と清真寺に行く」
「默拉纳额什丁麻扎は?行かないの?」
「あそこは墓所だ。行かない」
「絶対、行きたい!」

「ガイドブックのでたらめばっかり見るんじゃない」
私たちは仏教徒(…じゃないけど)、彼らはイスラム教徒。
イスラム教には輪廻転生の概念はない。
一生は一度だけだ。私たちとは概念が違うのだ。
それでも君は彼らの墓に行って見てみたいと思うのか?
イスラムの地で事件に巻き込まれる、それは独りよがりの幻想を抱いて、自分の思う通りだと思い込んだ結果だ。
それはただの馬鹿だ。
君がイスラムの地で彼らに好意を抱いたとして、彼らもまた自分に好意を抱くとでも?
もし彼が君に好意を抱いたとしたら、それは彼らの教義においては魔の誘惑。そしてそれは重罪だ。
なぜなら、イスラム教においてすべての非ムスリムは、異端者、邪悪者だからだ。
言っていることわかるか?
それでも行きたいと思うのなら行けばいい。行くのは問題ない。
ただし、なんの面白みもないぞ。
何度かそういう場所には行ったことがあるが、なんにも興味をそそるものはなかった。

私には「わかった、理解できるよ」しか言葉を挟むことができなかった。
ただ、私の旅行はそう考えてみれば独りよがりそのものなのだ。
実を言えば、イスラム教どころか、仏教、キリスト教などに対してですら理解がない。
私は無信心なので、ありていに言ってしまえばすべての観光は単なる興味本位と好奇心でしかない。
ロンさんとの会話はなかなか私の心に刺さるものがあり、考えさせられるところがあった。
なにはともあれ、私は結局、このマザールには行かないことにした。

思い出してみれば、今年5月にカザフスタンとの国境・コルガスを訪れた際。
あの地域はチャガタイ・ハン国の中心都市・アルマリクがあった場所だった。
そしてそこには、トゥグルク・ティムールの霊廟があったのだった。
あの時にも、あらかじめロンさんに「コルガスではあの霊廟に行きたい」と伝えてあったのだけれど、何事もなかったかのようにそれはなかったことになっていたのだった。
どうやら、私はトゥグルク・ティムールには縁がないらしい。

16081520.jpg

時間は約束の1時間を迎えようとしていた。
キウイフルーツや梨やリンゴのようなものから、見たこともない果樹の間を抜けて、ふたたび先ほどチケットを購入し入場した場所に戻って来た。


クリックしていただけると励みになります☆
↓↓↓
にほんブログ村 旅行ブログ 中国旅行(チャイナ)へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
最新トラックバック
クリックしていただけると励みになります↲