2017-01-19

黄山旅行二日目~その二~

黄山には「四絶」があるのだという。
怪石、雲海、奇松、温泉、この四つをもって、四絶という。
温泉は登山口に向かう途中に温泉街を通過したように、この地は温泉を有する。
雲海は、今日のように快晴では出合うべくもないが、一年のうち250日以上雲に覆われて霧になるという黄山ではぜひ出合いたい風景のひとつだ。
あと残る怪石と奇松、このふたつは切っても切り離せない。

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黄山を主に構成するのは、花崗岩だ。
この花崗岩が1億2億、もしくはそれ以上の地球的規模の時間をかけ浸食されて、今の黄山風景はつくり上げられた。
この黄山の岩肌からのびる松の姿は、まさに奇景といえるだろう。
その大半は400年以上の樹齢をもち、黄山松と呼ばれている。
そしてその松の姿は、強い生命力の象徴だ。
実はこの黄山松が生育するのに必要なのが、花崗岩に浸み込んだ水分なのだ。
だから、怪石と奇松は切っても切り離せないというわけだ。

ミンさんはこう話していた。
黄山松はわれわれの民族精神そのものだ。
力強く根を張り、風雪に耐え、多くの松と共生し、広がる風景に溶け込み。
一層の努力と闘争と向上と、それから団結と貢献、私たちにこうした民族精神を教えてくれる。
黄山松から学ぶことは多いのだと。

そうしたことを考えながら登ってみれば、感慨もひとしおだ。
怪石と奇松、黄山を登っている間にこれらが視界にはいっていない時はないほどだが、そのどれもが本当に美しく、けれどもそこにあるのは決して美しさだけではないのだ。

それにしても青い空。
ほんとうに雲ひとつ、ない。
後ろを登っていた男性二人が、ちょうど私が考えていたことと同じことを話していた。

黄山の美しさを代表するものとして、煙るような霧で霞んだ風景がある。
それこそが、水墨画の題材として古来文化人から求められた所以だ。
清代には、黄山を題材とする黄山派なる流派も起こったのだとか。
だからここを訪れるなら、やはりそうした風景を求めるべきだ。
一年の大半が雲に覆われていて降水量も多い。
比較的出合い易いといえるだろう。

しかし実は、心の奥ではうらはらに、私はからっと晴れた晴天をどこかで望んでいた。
本当は雪化粧の黄山を登ってみたかった。
煙るような水墨画の風景に、中国の美を感じてみたかった。
それでもどこかで、真っ青な空を期待していた。
そして、結果みごとに晴れ渡ったのだった。
次回はぜひ違う表情に出合ってみたい。

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ひと一人がやっと通れるくらいに狭まった階段、その名も“一線天”。
屈まなくても頭はぶつけないけれど、一人しか通れないので譲り合いしなければならない。

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一線天を越してほどなくして姿を現したのが、“蓬莱三島”。
神仙が住むと言われている蓬莱山にちなんだ名称だ。
雲海があれば、さぞ幻想的だと思う。

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ここはどちらに進むか困った。
どちらを行ってもいつかは合流すると思われたが、1mも無駄に進みたくなかった。
最短距離を行きたい。
結果選んだのは、右。

ところどころで絶景が癒してくれたが、未だにロープウェイ到着点である玉屏楼にすら辿り着いていないのが不安だった。
体力と気力も心配だったが、この二日ぐらいは乗り越えられるだろう。
問題は時間だった。
昨日重い荷物をどうしようもなくなったように、気持ちがあっても体が付いてくるとは限らない。
急階段を1分で駆けあがって。
そう言われたとして私が心からそうしたいと思ったとしても、絶対にできないのと同じように。

日没は17時19分。
山の日暮れは早い。早ければ早いだけいいけれど、現在もう14時になるという時刻だった。
あと3時間か…。
ミンさんが提供してくれたルート図にはおおむねの所要時間が記されている。
このあと玉屏楼を越して、二番目の高峰“光明頂”までが120分。
そこから宿泊する排雲楼まで、80分。
そう記されているが、これはミンさんが当初私に勧めてきた、今私が行くルートの逆バージョンだ。
排雲楼から下山、つまり、この所要時間は下りを意味している。
下りルートで玉屏楼から排雲楼まで200分。けっこう厳しい。
暗くなれば移動は難しい。
日没が見れなくなるということよりも、そのことを心配した。

玉屏楼ロープウェイに辿り着いたのは、この二股の階段からすぐそこだった。
突然の人の賑わい。
売店が並び、近くにある石刻の前では多くの登山客がこぞって写真を撮っている。

登山開始からここまで、だいたい3時間かかった。
今来た方面を指して、「ここから慈光閣まで8.5㎞あります。体がすぐれない人は徒歩での下山を控えてください」というような看板も見られた。
8.5㎞もの階段を登ってきたんだ。

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ロープウェイ駅のすぐ向こうにはさらなる人だかり。
そこにあったのは、この“迎客松”。
黄山奇松の中でもっとも有名な松で、黄山に来たならば必ず写真を撮る撮影スポットでもある。
枝の動きがまるで客を招いているかのようで、そこから名付けられた。
北京の人民大会堂の安徽庁にはこの迎客松の巨大な鉄画が、大広間にも絵画が飾れており、中国の友誼を象徴する存在となっている。
黄山のシンボルであり、安徽省のシンボルであり、さらにそれだけでなく中国のシンボルともいえるのだ。
樹齢にして800年以上と言われているのだそう。

そんな一番の目玉を前にして、急がなければならなかった。
目指していた最初の中継点に辿り着いたものの、その先どこへ進んだらいいかわからず、人に訊きながら。

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右手に見える岩から伸びて腕を広げているようなのが、“送客松”だ。
先ほどのは客を迎え、こちらは客を送る。
けれどもこちらは迎客松に比べ地味な様子だ。

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ここからしばらくは、絶景が続いた。
柵はあるものの、すぐ下は断崖絶壁で落ちたらまず助からない。

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広がる黄山の峰々、遠く向こうに広がる街がかすかに見えた。
次に目指す光明頂まで、3.5㎞。
これまで8.5㎞登って来たのだから、その半分以下だ。

絶景から一転、木々に覆われた風景に変わってすぐ、向こうで人が騒いでいる。
近寄ってみると、そこには野生の猿がいた。
「猿だ!猿だ!!」
子供よりも大人が喜んではしゃいでいる。
こういうときの無邪気さは、中国人は日本人の比ではない。
ほんとうはいけないけれど、お菓子を投げて猿を呼ぼうとする登山客も。
けれども猿は怖がっていて、それ以上近づこうとはしない。
そのうち、管理人がやってきて追い払い始めた。
向こうの崖まで逃げていく猿たち。
それとともに、そんな方まで下りて行く管理人すごい。
動物好きな私も、実は猿は好きではない。
けれど太ってまるまるとしてふわふわの猿はかわいかった。
ああ、申年ももう間もなく終わりだ、ふとそう思った。

玉屏楼を過ぎて、登山客の様相が一変した。
それまではしっかり山登りの準備をした人が多かったが、ここにきて登山客は一気に増え、子供や軽装の人が増えた。
例えば、3歳くらいの子供まで。
例えば、ワンピースにショルダーバックの女の子など。
みなロープウェイを使ってやってきたものと思われる。

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私がいやだったのは、こういうところ。
柵があるとはいえ簡易で、ちょっと押せば落ちる。
その下は断崖絶壁。
そんなところをけっこうな傾斜で下りて行く。
危ないのに小さい子供がはしゃいでいたり。
私は大きなザックを背負って身動きがとりづらかったから、それこそ子供が私に体当たりしたらバランスを崩して落ちてしまう。
なにより、子供が危ない。
小さいのだから、柵の隙間から落ちてしまうかもしれない。
子供に対する危機感は日本と中国とでは全然違うなといつも思う。
日本は過剰なのかもしれないし、中国は気にしなさすぎるのかもしれない。

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高所恐怖症の私にとって、すべての絶景ポイントは恐怖をともなうものだった。

ところで、中国人はなぜ山に登りたがるのかという疑問に対し、「執念だ」と言った。
しかし一つ挙げるならば、「神仙思想」がある。
こうした険しい山々には神仙が住まうと古来考えられてきた。
こんなところ、神力をもったものでなければ、住まうことはできない。
空中を飛べる人間でなければ、移動することはできない。
そうしたところから、険しい山々への信仰が強まったと考えられる。
神仙しか住まうことができない山々に近づくことで、自らもそれに近づくのだ。

この黄山も、天の都で神仙が集まる山、仙境だと考えられた。
かの黄帝(紀元前2500年に存在したとされる神話上の帝)が、ここで修行をし仙術を習い、やがて不老不死の仙薬を飲み仙人になったという伝説がある。
実は、黄山はもともとそのようには呼ばれていなかった。
もともとは黟山という名をもっていた。
道教を信仰していた唐の玄宗皇帝が、この黄帝にちなみそのように改名したものだったのだ。

つまりここは神仙が住まう山なのだから、高ければ高いほど、危なければ危ないほど、その神性が増すともいえる。
しかしやはり一番すごいのは、こんなところに柵やら階段をつくった人々だろう。
空を飛べる神仙よりも彼らの方が能力としては上ではないだろうか。
一方、柵があっても怖くて近寄れない私は、結局どこまでも俗世の人間にすぎないのだ。

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「光明頂までどのくらい?」
途中で篭屋さんに訊いてみた。
「あそこまで行けばその向こうだよ」
岩山のてっぺんを指差した。

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振り返れば、今まで進んできた登山道がうねうねと見える。
この岩に貼りついたような一直線の急降下は、今振り返っても記憶にない。
けれども、通ってきたということなのだろう。
今歩いている道、それがどんな道なのか歩いているときにはまるでわからない。
あとから振り返ってみて、「ああ、こんな道を進んでいたんだ」 とようやくわかることがある。
けれどもその時には、どんなふうにして歩いていたのかも覚えていないこともある。
ならば、今目の前に伸びる道をひたすら進み、振り返ってはただその道を進んでこれたことだけを信じればいい。

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ざらざらとして丸みをもった黄山の岩肌のうえは、しっかりとした靴ならば移動しやすく、随所でぎりぎりのところまで行く登山客が見られた。
石階段から岩肌に逸れてこその絶景だ。
それこそ、日常の生活では絶対に感じ得ない感覚で、休日にわざわざここまで足を運ぶ意義は十分にあるというものだ。

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岩のてっぺんまで来て、急に向こうの景色が開けた。
先ほどの篭屋が教えてくれたように、遠く光明頂に建つ気象台が見える。
おそらく、きついルートはすでに過ぎた。
慈光閣から玉屏楼、この途切れない急階段がもっともきつかった。
玉屏楼からここまでは急峻な部分はあるにせよ、下りが出始めたし、傾斜もなだらかになりはじめた。
こうして光明頂方面を望んでみれば、ひたすら延々急階段、というのはもうなさそうで安心した。
これならば、急ぐこともできるし日没までに排雲楼に到着できるだろう。
これから進むべき道がどういう道なのか、それが見えるか見えないかということが、こうまで違うとは。
でも、あの気象台はまだゴールではない。

16時を目の前にして、ようやく黄山第二の高峰“光明頂”へ到着した。
玉屏楼から4㎞を進んだ。
すでに登山道は日陰がほとんどで、道中うんざりした暑さはどこかへ行ってしまった。
光明頂は標高1860m、他の峰々とは違い比較的なだらかで開けた頂上をもつ峰だ。
日光を遮るものはなく、明るく照らされた岩肌が、名前の由来である。

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丸みを帯びた岩肌を自由に動き回り、360度とりまく風景を楽しむことができる。

黄山に来ていまさらながらごく当たり前のことに気づいた。
ある峰に登ってみれば、もうその峰の姿を見ることはできない。
光明頂に辿り着き、ここってこういう峰だよと、全貌を紹介したい。
けれどもそれは無理なのだ。
もしその全体像を見たいならば、遠く離れてみるしかない。
そういうわけで、この先待っている怪石のひとつを、離れているうちにここから撮っておくことにした。

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ひときわ目立っているあの怪石は、“飛来石”。
その名の通り、どこかから飛んできたような風貌をしている。
実はこの飛来石という名称は、他の山でも目にしたことがある。
つまり発想としては比較的ありきたりな発想なわけだけれど、やはり黄山のは違う。
これこそが、飛来石だと思う。

慈光閣からえんえん登ってきて、程度の差はあれど幾度もこうした怪石をみつけた。
不自然なのだ、どれも。
天都峰の近くでは、はるかてっぺんに、飛び込み台のような板状の石が飛び出ているのを見つけた。
とがった山のでっぱりに、うまいバランスで乗っかっている丸い岩もあった。
滑らかで垂直な岩肌にまるで抱き付くように寄り添う巨石があった。
挙げたらほんとうに枚挙にいとまがない。
ほんとうにそんなのばっかりなのだ。
そしてそれを一言で表すならば、「不自然」なのだ。
自然にこうなったとは想像しがたく、どれも人為的に見えた。
しかし人為的であるわけはなく、間違いなく自然に発生した形状だ。
神仙が造りたもうた。
そう説明すれば、納得する。
黄山が仙境だと考えられてきたことは当然だといえよう。
何億年もかけて花崗岩が浸食してできた形状、というよりも。
仙人が飛ばしてここに落とした。
そう説明した方がずっとしっくりくる。

今回の黄山、計算外だったのは気温だ。
10℃は下回っていたが、動いているのでずっと暑かった。
登山を開始してすぐに服装を調整したが、ここまで暑いとは。
けれども、あちらこちらで雪のなごりや岩肌から染み出たまま貼りついた氷を見た。
光明頂を越してからはほとんど日陰を進むこととなり、周辺は雪を撒いたようになっている。

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真っ青に澄み渡っていた空も徐々に霞んで、はっきりしていた岩肌も色彩をうしない始めてきた。
黄山は四季折々の美しさがあるというが、一日を通しても刻一刻とその表情を変える。

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こちらが先ほど光明頂から遠めに見た、“飛来石”。標高にして1730m。
すぐ下まで行くことができるが、人でごった返していたのでそのまま通り過ぎることに。
同じ怪石でも、見る角度、位置により、その印象はがらりと変わる。
ここから見上げるよりも、先ほどの方が飛んで来た感があるように思う。

宿泊する排雲楼賓館に到着したのは、16時半だった。
慈光閣から登山を開始してから、約6時間が経過していた。

黄山山中にはいくつものホテル、山荘がある。
ここで日の出を見たいとか、自分の予定に合わせて選ぶことができる。

実は元旦の日の出を逃したくなかったので、サイト上で10月のうちに獅林大酒店を予約していた。
冬季だからか安く、標準の一人部屋で500元前後(日本円で8000円ちょっと)だった。
夏場には日本円にして2万~3万の価格を見た部屋だ。
山頂だからもともと高いのはいいとして、500元という価格に満足、翌日には予約確定のメールも来てカードで支払いも済んだ。
ところが、年末も差し迫った頃。
仕事を終えて携帯を見ると、国際電話の着信履歴が。
メールを確認すると、「予約を確定していましたが、部屋がなくなったのでキャンセルします」と。
いまさら言われても。
ミンさんに相談して見ると、「そりゃひどいね」なんてふうに同調してくれるのを期待してみれば、
「元旦に500元はありえないよ。それに10月に年末の部屋が予約できるわけない」
だって、確定のメールきたよ?
急いで自分で色んなホテルの部屋を探してみたけど、ツインもシングルも独立した部屋はみな1600元~1800元という恐ろしい価格。日本円にして3万円ほどになる。一泊が。
快適に過ごしたい。
けれどもそんなお金を出す勇気はなく、結局7人部屋のドミトリーを選択した。
ミンさんに「日の出見るのにどこがいいかな?」と相談してみると、
「白雲賓館が一番よくて、その次が排雲楼賓館」 とのこと。
「予約してあげるよ、自分が予約すれば部屋なくなったなんてありえないから」
そういうわけで、予約をお願いした。
ミンさんが予約してくれたのは、排雲楼のほう。
ドミトリーで330元。
慈光閣からもっとも遠いホテルを選ぶことになったが、なんとかぎりぎり陽が落ちる前にチェックインすることができた。

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私は上のベッド。
相部屋になったのは、二人組の20歳すぎくらいの若い女の子たち3グループ。
「急いだ方がいいよ、先行くね」
ある女の子がそう私に声かけてくれた。

ミンさんが“丹霞峰”から日没を見るといい、と勧めてくれた。
付近の人に訊いてみると、ホテルのすぐ裏手のよう。

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急ぎたいけど、きつい。
もう階段はこりごりだという気分だったけど、急がないと日が暮れてしまう。

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時々、松のあいだから落ちていく太陽が見える。
もう今にも沈んでしまいそうで焦る。
ところどころで上に行くのを諦めたのか場所を決めている人も。

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なんとか上まで行けた。
すでに大勢の人でいっぱい。
そんな方まで行ったの?というような危ないところに腰かけている人たちも。

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私がようやく場所を決めた時、もう日は落ちかけていた。
一斉に歓声があがり、ところどころで、
「バイバイ!」 と叫び出す。
再見、ではないところが今風。

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こんなに感動した夕暮れはない。
それはまるで宇宙の神秘だ。
静かに、けれどあっという間に空は色を変えていく。そして夕闇に。
標高1700mから見る夕暮れ。
雲ひとつない空に、遮るもののないまっすぐな地平線。
まっすぐでありながら、霞んでぼやけた大地の中に、怖いくらい艶やかな太陽は落ちていった。

2016年最後の日没はあまりにみごとだった。
こんな晴天はそうそうないだろうと思う。
丹霞峰に登り着いた途端に日は落ちた。
どこかで何かが違っていたら、ホテルでトイレにでも行っていたら、間に合わなかっただろう。
大満足だ。

日が落ちきった途端、みな一斉に立ち上がり階段を下り始めた。
この美しさに余韻はないの?
しばらく浸るとか。
語らってみるとか。
そんなのはない。競って階段に押し寄せる。
かくいう私も大満足したら急におなかが空いてきて、ホテルのレストランで早く温かいものが食べたくなった。

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私はなぜか、「夜の帳」という言葉が好きだ。
けれども、日常「夜の帳がおりる」なんてことを言う機会はないし、また街の中に暮らしていて「夜の帳がおりる」という言葉にふさわしいような日暮れに出合うこともあまりない。
ただ単に気づかないだけかもしれない。
静かに、けれど確実に暗闇が訪れていく様は、まさしく帳がおりるようだと思った。
その帳の向こうには、こんなにも美しい宇宙の輝きがあったなんて。

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ホテルに戻ると、もう辺りは真っ暗だった。
フロントはチェックインする人で大混雑で、先に済ませておいて良かった。
食堂までいくとすでに多くの人でテーブルは埋まっていて、一人だった私は、回転式テーブルをカップル一組と親子三人組と相席した。
服務員もてんてこまいだったが、失敗したのは究極にイライラしている服務員のおばちゃんを捕まえてしまったことだった。
せっかくだから高くてもご当地のを食べたいなと、ちょっと相談してみようなんて考えてしまった。
「これとこれが食べたいんだけど、一人だから食べきれない?」
そう質問してみると、
「ああ!!」
これ以上ないという程のヒステリックな声を上げて、放棄された。
その後、何度呼びかけても来てくれなくて、最後は呼びに行った。
「これと、これ」
質問はやめて注文してみた。
「ダメ、これだけ」 そう言っておばちゃんは炒飯だけ指さす。
炒飯じゃつまんないよ。他のお客はみな色んなメニューを頼んでいる。
「これ」と指定するとまたヒステリックになりだしたので、炒飯にした。
ワインは中国産はじめいくつもの種類があり、中国産のを頼もうとしたが、一番高い400元くらいの外国のを指定された。
「高いから他のがいい」 と言うも、
「NO!!」
「中国のはないの?」 しかし、どうやら隣りの団体が大量に注文して、なくなってしまったようだ。
「これ!YES?NO?」
「あの…」
「ダメ!YES?NO?」
注文するのにこんなに怒鳴られたのは初めてだ。
結局青島ビール2缶を注文した。

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ただの炒飯でところどころ冷えていたが、味は美味しかった。
何よりも、これらの食材はすべて運び屋が担いで何時間もかけて運んできたものだ。
食材だけではない。
山頂で必要なあらゆるものは、みなすべてあの日焼けして真っ黒なおじさんたちが身体を張って運んできたものだ。
食べ物、飲み物の価値は下界よりもずっと大きい。
やっぱり二品頼んで食べきれないなんてそんなことやらなくてよかった。

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登山中に売店で購入した黄山の名がつく白酒(48度)と、ホテルの売店で購入した黄山泉ビール。
部屋で飲みながら年越ししようと思っていたが、相部屋なので行動を共にしなければならない。
みんながシャワーを浴び終えたあと、私もシャワーを浴び、中国の歌番組を見たあと、消灯した。
部屋を出れば、ふたたび入室する際に開けてもらわなければならないので、消灯以降は外出を控えた。

消灯する前に、少し外に出てみた。
外は昼間とはうって変わり、凍えるくらいに寒かった。
真っ暗でなにも見えないかと思いきや、目の前に広がる尾根にはその輪郭を見せるかのように灯りがぽつりぽつりとともっている。
それはあたかも星のようで、夜空に広がる冬の星座と一体になっているみたいだった。



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まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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