2017-01-19

黄山旅行四日目~その一~

2017年1月2日、8時に目が覚めた時、やっぱり部屋はまだ寒いままだった。
外はどんよりとした天気。
青空はかけらもない。
31日と1日、この二日があんなにも快晴だったのは奇跡だ。

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支度をして部屋を出て、廊下を進み一階へ下り、建物の外に出てまた長い階段を下りて行く。
そうして本館へ辿り着くとまた五階から一階へ。
そうしてやっとフロントへ着き、ちょっと訊ねてみる。

実はまた宅急便を必要としていた。
昨日ロンさんが私に送ってくれた荷物が多すぎて重すぎて、やむを得ず一部を長春へ一時送ることにした。
長春には中国語のQ先生の身内がいるので荷物を受けてもらうことに。
まだ手元に住所が来ていなかったので、明日の朝、チェックアウトの際に宅急便を呼んでもらうことにした。

もうひとつ。
「タクシーを呼んでもらえませんか?」
今日は周辺の古い村々を周る予定だったが、公共交通機関をつかって効率よく回るのは難しかった。
各々の場所にはバスがあったとしても、周ることができない。
そのため、一日チャーターすることに。
「ここと、ここと、ここに周りたいんです」
そう説明すると、フロントは電話をしてくれた。
フロントを介せば安全性も増すし、お金のやりとりも安心だ。
「ここでお待ちください」
そう言って、ロビーのちょっとした茶館のような席に案内してくれ、ただでお茶を飲ませてくれた。
お茶は、昨日見た黄山毛峰。
中国では一般的な飲み方だが、グラスやボトルに茶葉を直接入れ、茶葉が浮いたままに飲む。
口の中に茶葉が入って来るので、私には慣れない飲み方だ。
こうやって待つこと30分。
やってきたのはチョンさんという男性。
この席で今日の相談をする。

「今日は、呈砍、宏村、西逓、南屏へ行きたい」
私は行こうと考えていた村の名前を挙げた。
この安徽省南部・黄山市には、古民居が今も残る農村が無数に点在している。
そのうちの二つ、“西逓”と“宏村”は、黄山市北部に位置する黄山と合わせ世界複合遺産に登録されている。

ところが。
「西逓と宏村は、今日は人が多い。明日行くことをお勧めする」 チョンさんはそう言った。
「明日は、徽州古城と唐模と、棠樾牌坊群へ行くつもり」
「今日は呈砍、宏村、西逓、南屏、この四つは回れない。時間が足りない」
この四つのうち、呈砍は方向が逆だから。
私も予め地図を見て決めた日程だったが、チョンさんの話には一理あった。
「なら、あなたの提案を聞くよ」
そういうことにした。
今日、徽州古城、唐模、棠樾牌坊群、呈砍に。
明日、宏村、西逓、南屏に。
「二日一緒に行ってもらっていくら?」
結果、二日1000元で周ってもらうことになった。

車に乗り込み出発すると、チョンさんは言った。
「もう一台大きい車も持ってるけど、今回はあなた一人だから小さい方にしたんだ」
とはいっても、立派できれいな車だった。
フロントは、タクシー会社のタクシーではなくたぶん一般の車を呼んでくれたよう。
しばらく進んで、景色が落ち着いたものになった時、チョンさんは車を停めた。

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古い仏塔。荒れ寺みたいに草が生えた屋根。
時代は南宋、800年もの歴史がある。
名前を聞くと、「潜口塔」、またの名を「下尖塔」というのだそう。

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またこちらには古い牌楼。
手前の石碑によると、奥の建物は「黄山太極書院」のよう。
しかしチョンさんはこの牌楼にしか興味を示さなかったので、奥の建物に歴史的価値はそうないのかもしれない。

11時までもう少しという時、ようやく最初の目的地“呈砍”に着いた。

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まずすぐに目に飛び込んできたのは、大きな池。
“永興湖”。
その向こうにはずらりと古い建築が並んでいてさっそく圧巻。
入場料は107元、けっこう高い。

黄山とその周辺の安徽古民居群として、村々のうち西逓と宏村が世界遺産となっている。
しかしその周辺には明清代の古建築が随所に残り、魅力は限りない。
数にして3600棟余りの古民居が残っているのだという。
有名無名の農村が点在し、今回はその中で有名なものを選んで周る。

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池に近づいてみると、こんな八卦図があった。

この“呈砍”、別名「八卦村」とも呼ばれ、中国風水第一村とされる。
旅行を終えて振り返ってみれば、ここら一帯どこも風水を重要視していることが感じられたが、その中でもここはその筆頭になっている。
この一帯というだけでなく、中国一番の風水村である。

起源は後漢、1800年以上の歴史があり、100余りの明清建築が残る。
もともとは龍渓という地名だったが、易経に基づいて「呈砍」という村名に改名した。
「呈」は陽の要素を持ち、「砍」は陰の要素を持つ文字。
この村名は陰陽に基づき、二気統合、天と地が一体になる、という思想の基に建設されている。
なんだか訪れただけで運気がアップしそうだ。

チョンさんとは入り口で別れた。
「何時に車で待ち合わせする?」 と訊くと、
「見終わったら連絡くれればいいよ」 とのこと。
というわけですっかり一人の世界に入っていた。

けれどもどこをどう周っていいか全然わからない。
とりあえず池を越して、向こうに広がる古民居群に入ってみた。

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覗いてみると、ひっそりと「餅」を売っている。
「餅」とは、日本のそれとは違い、生地を焼き石だとか鉄板だとか釜で焼いたもの。
写真に写るのは、伸ばし途中の生地だ。
観光客は多いわけではなく、これでは一日いくつ売れたものかわかったものではない。
おじいさんは控えめに言った。
「向こうを見ておいで。戻ってきたら食べてみて」
向こうを周ってくれば、向こうで何か買うだろう。
また、再びこの道を通ることはないだろう。
この控えめさがいいなと思った。
私はこの餅が好きなので、さっそく買って歩きながら食べてみることにした。
一枚10元。菜っ葉が練り込まれていて、小腹を満たすのにちょうどいい。

ところで、看板には「羅氏三兄弟」と書かれている、
実はここがポイントで、この村は、「羅姓」の村である。
現在ではこの村の人口のうち75%が羅姓なのだそう。

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黒い瓦、白い壁、レンガ造り。
この三拍子が徽派建築の特徴だ。
どれもが絵になりそうな雰囲気なのは、そこに長い時間の経過をみるからだ。

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チケットを購入することからしても、この村は観光地になっている。
しかし、その内部は今も羅氏はじめ多くの村民が生活する現役の村だ。
決して「跡地」を公開しているのでも、村の体裁をとりながら観光テーマパーク化したものでもない。
入り込んでみれば、私ひとり。
先ほどまで近くを歩いていた他の観光客は姿を消した。
ふと横を見れば、家畜が放たれていたり、農具があったり。
確かにここに暮らす人々の日常があったが、私にとっては完全に非日常だった。
路地は狭く、塀は高く、空は狭かった。
しだいにどこを歩いてどこに向かっているのかまるでわからなくなった。

今も昔も一見変わらぬ風に生活している風景に見えたが、そのうちのいくつかは観光客向けに公開されている。
入り口に建物の名を示す看板などがかかっているので、入っていい建物は見ればすぐわかる。
「罗润坤宅」と書かれたお宅の入り口をくぐってみた。
明代1507年の建築というから、かなり古い。

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背負うのから手荷物のまで、野菜籠がいっぱい。
おばあちゃんが一人立っていて、何か声をかけてくれたがよく聞き取れなかった。
このお宅はかつて徽商(徽州の商人)をやっていた羅潤坤のお宅だということだ。
上部は天井が四角くくり抜かれたようになっていて、空から光が入りこんでいる。
この建物の構造は「日」の文字を象っているようで、商売が陽の光のように栄えるようにという願いが込められているのだそう。

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見上げると二階。
二階からは肉が吊るされている。

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横を見れば、その向こうにはまた別の空間があり、誘惑する。

おばあちゃんにお礼を言ってもとの路地に戻っても、目に入るすべてのものが刺激的で新鮮でわくわくした。
最初の村だからこうなって当然だ。
これから明日も、まだまだ村をまわるのだからこんなにじっくり見ていては持たない。
それはわかっているんだけど、それでも少し歩いては止まり、また少し歩いては止まり。
地図なんていらなかった。
考えなんてなかった。
曲がり角が見えれば曲がり、気になる道があればそちらを進んだ。
今どこにいるか、どこに向かっているかなんて、関係なかった。
そんな風に思うままに歩いていると、ぱっと開けた場所に出た。

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村の一番奥には、川があった。
その川の向こうには少しだけ建物が並んでいたけれど、その先は広々とした畑だった。
遠く向こうには山々。
畑まで出てみると、そこには牛が数頭。
何か芋のような野菜がほしてあり、畑の合間にはえんえん向こうまでのびる道。
この川は村の最奥だ。

実はこの川も、八卦を象る一部だ。

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こちらは村の全体図。
川がS字型に流れるのがわかる。
このS字こそ、陰陽の境界線を表している。
白黒の勾玉がくっついたあの陰陽図をつくりだしているのだ。
そして、村の周囲には八つの山。これも八卦だ。
この村は、人工の八卦と自然の八卦が融合したみごとな八卦村なのだ。
左手にあるのが最初に通った永興湖。
そこから村をつっきって川に出た。

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川に出ると急に人の気配が増えた。
周囲には古い建物がたくさん。

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下半分が変色し、上半分が白い。
この線は、2013年6月30日に起きた暴風雨による水害の跡なのだという。
その高さ約2mにもおよぶ。
ここまで水位が上昇し、人的被害も深刻だったそう。

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真ん中に堂々と架かるのは、環秀橋。
元代の1303年に羅氏17代の羅環秀の妻、程氏の寄付によって建てられた。
当時、交通の要所として活躍したそう。
かなり古い橋だ。
しっかりした石造りの基礎に、木造建築が乗っかっている。
そこには村民お手製のソーセージが吊るされていた。

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こんな風に馬も。
よくある観光客向けの馬ではなく、村民が利用している馬だ。

川面は古い民家を映し出してとてもきれいだった…と言いたいが、実はとても汚れていた。
生活用水として利用されていて、見ている目の前でもこの川で洗い物をする姿も。
野菜を洗う分にはいいが、生活のゴミなども散乱しており、遠目に見れば美しいが、近くで見れば生活感満載だ。

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いつまでも見てしまいキリがないので、この川を北に進んでみると、その先に「観光客見るべし」といった雰囲気があらわれた。
周辺の人も向こうへ行くように勧めてくる。
たいそう大きな建物で、入り口は木造の柵でできている。

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ここで入場時のチケットをチェックし、入場。
「羅東舒祠」
明代の創建で、羅氏13代・羅東舒を祀った祠だ。
入り口にはこんな古い古い絵が描かれているが、もうぼろぼろ。
よく見ると剥がれた下から違う絵が見えているようにも見える。
もしかしたら上書きされたものかもしれない。

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中は広々としている。
堂々としつつも質素な雰囲気は、かえって厳粛な気分になる。

羅東祠を出てうろうろした。
先ほどまでは気の向くままに迷路を楽しんだ私だったが、この間入り口でチョンさんを待たせているかと思うとちょっと気になったのだ。
最初からゆっくりしすぎて、他の見所を逃す。
そんな私のいつものパターンも心配だった。

どう行くべきか迷いながら、あっち行ってはやっぱりこっちと戻ったりしていると、ある民家で毛豆腐を売っていた。
毛豆腐といえばこちらを代表する料理、いわゆるB級グルメだ。
その民家の方へ細く狭い路地を進んでみると、突然中からチョンさんが出てきてぶつかりそうになった。
この迷路の中でこのタイミングはすごい偶然だ。
なんだ、ここにいたのか。
「マーヨーズ、ここにいたのか」
私が思ったことと同じことをチョンさんは言った。
「毛豆腐食べる?ここのは有名なんだ」 そう言う。
チョンさんはちょうど今食べたところのよう。

さて、毛豆腐といって「なんだそれは?」という人も少なくないだろう。
何しろ、「毛」という文字は日本人の感覚からしたら料理にふさわしいものではない。
臭豆腐の方はさらに有名だが、あれもまた強烈な匂いで嫌いな日本人は多いだろう。
私は臭豆腐からの連想と毛の一文字で、いくらご当地グルメといっても、実は少し怖気づいていた。
昨日も老街でいくどもこれを目にしたけど。
新疆のチャン・イーは、「正統のは美味しいんだよ!」 と言った。
下手なのを選ぶとダメらしい。そこが旅行客にとっては難しいところなのだ。
「食べきれないし」 と逃げてみれば、
「小さいのが5個で10元!」

「食べたい?」 チョンさんが訊く。
「…食べる勇気ない…」
昨日カエルを食べた私がたかが豆腐で怖気づいている。
そばではお店のおじさんの笑顔。
チョンさんの後押しとお店のおじさんの笑顔で、私は食べてみることにした。
チョンさんは、私がなぜためらっているのかわからなかっただろう。

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豆腐といえば、日本人にとって魂といってもよいソウルフードだ。
けれど、中国の豆腐と日本のそれとでは、大豆でできているということくらいしか共通点はないだろう。

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こんなふうにしてたくさんの油で炒める。
10個で10元でした。
一個はライターくらいの大きさで、タレをつけて串でさして食べる。
「甘いのと辛いのがあるよ」
二種類のとろっとした濃厚なタレがある。
甘いのはオイスターソースみたいな風味だった。

ひとくち食べる。
多分、思い込みも影響しているだろうが、少し口に合わなかった。
ねっとりとして濃厚で、チャン・イーはしょっぱいと言っていたけど、そんなにしょっぱさは感じなかった。
「美味しい?」
チョンさんは何度も聞いてくる。
外国人なのだから、美味しくないとか口に合わないとか正直に言うのもありだろう。
もし私だったらむしろ、そんな風に言ってもらった方が、「そうか、外国人にはこの味覚はわからないんだ」なんてわかっておもしろい。
けど、横で様子を伺うお店のおじさんは、「羅氏の毛豆腐すごいだろう?」といった空気感を醸し出していて、なんだか気が引けた。
とりあえず、表情で伝えようと顔をゆがめてみるも、チョンさんには伝わらない。
「どうした?おいしいのか?」
「あなたも食べる?」
「いいよ、食べな食べな、ほらこっちが辛いソース」
お店のおじさんが先に空気を察し、
「豆乳とお湯、どっち飲む?」 と飲み物をくれた。
温かい豆乳はおいしかった。

おじさんは奥の扉を開けて見せてくれた。
これが毛豆腐の名前の由来だ。

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これ、炒める前の豆腐の姿。
まるで綿菓子のように、ぬいぐるみの毛のように、繊細でふわふわ。
毛豆腐とは、豆腐を発酵させてこのようなすがたにした後に炒めて食べる料理なのだ。
ちょうど他の観光客がお店を覗き、私の小型LEDライトを持ってくれた。
交替で私も照らしてあげて、彼らも写真を撮る。

お店を出てチョンさんと一緒に周り始める。
次に立ち寄ったのは、“燕翼堂”。
チョンさんは見るべきところがわかっているので、リードするようにすたすた進み、迷わず入る。

そこは清代の画家・羅聘の家だったところだった。
もともとは明の1383年に建てられた建物。
羅聘はここ呈砍に生まれたあと、父とともに揚州へ行き、のちに「揚州八怪」(清代揚州を中心に現れた文人画家)の一人に数えられた。
建物内部には、彼の生い立ちや絵画が紹介されている。

入り口をくぐると、天井部に四角く空が覗き半屋外のようになっている。
小さな四角い空から光が差し込み、室内に灯りはいらない。

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「これこそがこの辺りの建物の特徴なんだ」
チョンさんは言った。
「雨や雪が降ったらどうなるの?」
「降ったら下に流れてく」 そう言って下を指す。

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四角い空の下には、石造りの床があり、水が流れていく穴がある。
豪雨豪雪の時はどうするんだろう。

この四角い空、どこに行ってもこの通りだった。
財産を守る為に強固に造られたお屋敷。
塀は高く、窓もなく、密閉された空間。
だから、この空が必要だったのだ。

「この構造は消火の役割があるんだよ」
今度はそう言って指さす先には。
入り口をくぐって半屋外のその先は応接間?といっていいのか、掛け軸が架かりテーブルと椅子が並ぶ典型的な部屋がある。
その横や先にはさらに部屋があったりする。
この応接間の上にはさらに二階がある。
チョンさんはその応接間と二階の間を指している。

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実はここに防火の為の工夫がなされている。
一階と二階の間は三層構造になっており、下に木板、中間に砂、三層目がレンガとなっていて、仮に一階で火事が起きても二階には回らず自動的に消火する仕組みになっている。

この入ってすぐ四角い空の半屋外。
半屋外から見上げれば防火構造の二階。
掛け軸・時計・飾り物・テーブルに椅子の応接間。扉なし。
その奥にはまたさらに部屋。
これが徽派建築の特徴である。
今日明日と二日に亘り村々を周ったが、覗いた建物すべてが皆倣ったようにこの構造を基本としていた。

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こちらは入り口の扉。
普通のお宅の家がこんなに分厚くて重い扉を持っていることにおどろきだ。
動かさせてもらったが、力がいる。
扉の横にはこのようにU字型の太い金具があり、動かすことができる。
扉を横に開いている時は寝かせ、閉めている時には起こし、そのU字に杭を差し込み錠とする。

チョンさんは行く先々で説明してくれた。
本来、こういう場所は一人で浸りたい私だけど、なんだかそう悪い気がしない。
先ほど十分一人で周り、こうして見るとひとりでは得られなかった知識や、辿り着かなかった場所があった。

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「ここ、見て」
ここを曲がる時に曲がりやすいように角がとってある。
その上は。

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途中から角が復活している。
路地を歩けば、端には水路があり水が流れていた。
この水はやがて先ほどの川に流れ出るのだという。
「こうすれば、川まで行かなくても水が使えるから」
生活の知恵だ。

まだまだ周らなければ行けないところがあるのに、時刻はすでに13時。
少し焦る気持ちが湧きながら、呈砍を後あとにした。


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中国の豆腐文化は凄い

中国東北部や西域にない食文化が豆腐の発酵食品だと思います。中原から華南にかけて臭豆腐だけでも色々な種類があって、老婆の故郷である湖南では黒臭豆腐が有名です。毛豆腐は雲南で食べましたが、カビの部分を包丁でこそげ落として油で十分に加熱した後に野菜と一緒に炒めたのを食べました。臭豆腐は、口に入れるまで勇気がいりますが、食感は揚げそのもので僕はファストフードと思って食べています。臭いは広東の方がキツかった感じがあります。発酵食品は、伝統臭とも言える地域や国の文化に根付いているので、他地域や他国から来ると馴染めないものが沢山あります。臭魚は長沙に有名な料理が有り、食べる機会があったのですが相当、キツくて駄目でした(>_<) 鮒寿が食べれるので大丈夫と思っていたのですが誤算でした。蛙は老婆家族の好物なんですが僕は苦手です。蛙である先入観以上に調理の全てを見たので尚更、駄目で肉質より間接の軟骨の食感が気持ち悪く感じてしまいます。でも、家族で食べる時は一応、勧められるので箸を付けますが苦手です。既に遭遇しているかもしれませんが、毛蛋maodanは絶対に食べられない茹で卵でいつかレポ-トしてくれると嬉しいです。

他国の文化を知るには食事はとても適していますが、腰が引ける時があるのも事実です。なので、その先入観の無さに驚きながら読んでいました(^^)

Re: 中国の豆腐文化は凄い

発酵食品はやっぱりハードルが高いです。勇気がいる。
臭豆腐って口に入れるまでがきついんですね、私はあの匂いがダメで食べようとも思ったことがないんですが、今度挑戦してみようかな。
でも旅行客にとって難しいのは、同じ名前の食べ物でもどこでどれを食べるか、が重要なことです。
私は自分でどこに入ろうか迷うのが好きなのですが、いつも「正宗のじゃないよ」とか「他に美味しいとこあるよ」と言われます。
口に合わなかったとしても、他のお店のは合うかも知れない。
だから初めて訪れたところの感想とか評価っていうのはなかなか難しいものです。
実は、来月に湖南・鳳凰に行ってきます。以前toripagonさんも勧めてくださいました。
黒臭豆腐…臭豆腐もまだいけてないのに、ですが、機会がありなおかつ勇気が出たら挑戦してみます!
でも、発酵食品苦手なんだよな…変わった食肉とかは割と行けるんですが。。だから、やっぱり無理かも。
ご家族が湖南の方たちなので、toripagonさん深いところまで食文化経験されてますね。
やっぱり、食を理解しないでその地の理解はないと思います。私もまだまだだな、と思います。
ちなみに、ごめんなさい、毛蛋のレポートをすることはないと思います(>_<)

湖南の話

鳳凰に行くのですね、僕は二回訪れました。宿泊は、絶対に沱江沿岸の吊脚楼に泊まるべきで、それをしないだけで後悔することになります。鳳凰は小さな街ですが一カ所に凝縮てしいるので時間がなければ、周辺域に足を伸ばさず、ここをじっくり見るべきです。有名な虹橋を抜けると屋台が沢山あってレストランも良いですが、屋台にチャレンジすると良いです。沱江の川下りで苗族の酒蔵に連れて行かれますが、そこで作られている米酒は薄いどぶろくみたいで米文化を感じられます。たぶんシ-ズン・オフなのでいつもより幾分静かであると思います。ちなみに湖南料理は、四川を遙かに超える辛い料理が主体なんで、食事の時は気を付けて下さい。それと湖南の方言は独特な事も知っていて下さい。少数民族の土族のおばさんがいたり、苗族が民族衣装で生活をしています。ここから張家界や南方長城、遠鎮への基点ともなります。瓦屋根は卯建の原型も見れたはずです。ただ、内陸で交通の便がお世辞にも良い場所ではないので気を付けて行って下さい。何か知りたいことがあればお教えしますよ(^^)

Re: 湖南の話

吊脚楼、見てみたんですがロケーションすごくいいみたいですね!そこまで断言されましたら心も揺らぐのですが、すでにホテル手配済みでキャンセルできないんです。でも、素晴らしいですね、ここ!
実は今回は母を連れて行くんですよ。母は普通のホテルが希望でして、前に民宿で快適でない思いをしたので…。
とういうことで、一人では疲れ果てるまで行動してしまう私ですが、今回はいい機会なのであまり動かずのんびり過ごしたいと思っています。中二日しかないこともあり。お茶飲んだり景色見たり、という感じで…。
元宵節にかぶるので、そこが楽しみでもあり読めないところでもあります。
食べ物は挑戦もしてみたいですが、辛さには注意しますね。米酒は絶対に飲んできます!!
アドバイスありがとうございます(^_^)また何かあったらお尋ねします~!
プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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