2017-01-19

黄山旅行四日目~その三~

徽商大宅院を出ると、入り口ではチョンさんが管理人とおしゃべりをして待っていた。
再び車に乗り込んで、徽州古城まではすぐそこだった。
あまりにも街中にあるから戸惑ったほどだ。
車のなかから向こうに城壁が見えた。
「墙壁だ!」
そう私が興奮すると、
「あれは改修したものだよ」

城壁を周りこんで、裏道に入って路地裏に車を停めた。
土地勘がある人でないと、こう要領よくはいかない。
「外国人はチケットを買うけど、買っちゃだめだよ」 とチョンさん。
ただで入れるんだから。

ついていくとやがて城門が見えてきた。

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この徽州古城、東西南北にこのような城門がある。
この門は宋代、1150年に建造されたもの。
門をくぐってすぐに見えてきたのが、立派な牌楼。
徽州古城にあまり乗り気でなかったチョンさんだったが、私はこれを見たいんだと伝えたから、牌楼がある門から入場してくれたのだと思う。

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“許国石坊”。
科挙に合格した許国氏が明代1584年に建立したものだ。
東方の凱旋門といわれているらしい。
東洋のヴィーナス(大同・華厳寺の塑像)とか、東洋のピラミッド(銀川・西夏王陵)とか、外国の有名なものに「東洋」と冠つけることですごさを謳うのが好きなようだ。
けれども、ちょっと無理やりかなと思ったりもする。
そもそも大きさが全然違うし。
凱旋門なんて言わなくてもこれだけで十分素晴らしいのに、そう言うことでかえってイメージが損なわれてしまうと個人的には思う。

この許国石坊、素晴らしいのは少し角度を変えて見てみるとわかる。

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牌楼というと、通常足は4本だ。そして、「側面」はない。
この石坊には側面があり、足が8本。
立体的な造りになっている。
足が8本あるから、“八脚牌楼”の別名がある。
徽州古城はたいして良くないよ、と言っていたチョンさんだったが、この牌楼に関しては頷いていた。

石坊を越えて向こうを見たら、チョンさんが話していた意味がわかった。
まっすぐに続く道は、すっかり現代の繁華街のようだった。
これは古城が観光地化したのとはちょっと違う。そのまんま、繁華街だ。
これでは古城の情緒はない。
結果私はこの徽州古城のごく一部しか覗くことはなかったので簡単なことは言えないが、平遥や麗江と並べて中国四大古城の肩書をもつのは厳しいかなと感じた。
徽州文化の偉大さを加味してのことかもしれない。

私は足早に進むチョンさんについていく。
突然、「***って知ってる?」 と訊かれたが、なんのことを言っているかわからない。
なんのことだ?
すると、チョンさんはすたすた進んでいたのを突然左に曲がりある建物に入った。
なんだ?中には白い人物像があった。
中国によくある偉人像だ。

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「これ、誰?」
字が達筆で読めなかった。
こちら、陶行知の像だった。
「孫文、知ってる?彼は孫文の先生だったんだ」
「あ、中山公園の孫文だね」
チョンさんは笑った。
私は複雑な中国語を聞き取ることができないため、チョンさんはわかりやすい言葉で説明してくれた。
「孫文は中国の先生だ。だからね、陶行知はすべての先生だといえるんだよ」
像がある部屋の入り口には、立派な額があった。
「萬世師表」
宋慶齢の筆である。
「孫文の夫人だからこれを書いたんだ」
「ああ、北京に家があるね」
「そうそう」
「彼はここの人なの?」
「そうなんだ」
今回私が訪れたところはみなすごい偉人を数多く輩出しているようだ。

チョンさんは曲がるべきところをわかっていて、私はついていくだけだった。
私たちが向かったのは“斗山街”。
明清代の古い建物が保存状態よく残るとされている通りだ。

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先ほどの繁華街があれほど賑わっていたのに、ひっそりと静まり返っている。
通るのはここに暮らす人だけだ。

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白い壁に黒い瓦。
日本にはこのように壁の表面に瓦を装飾としてつける文化は少ない。
日本であれば、たいてい独立した門とか屋根になる。
こうしたスタイルもまた徽派建築の特徴だ。
周ったすべての村もそうだったが、路地が非常に狭いのでこのようなかたちになったのだろう。
飾り屋根の下には、筆を使って絵や模様が描かれていて、その題材もさまざまで素晴らしい。
扉の周りに貼られた赤い縁起札も色褪せ具合が建物の古さと相まって絵になるようだ。

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さてこんなものも。
黒大理石で扉を象ったもの。
取っ手のところなんか本物みたいだが、これは描かれたものだ。
押してみたが、もちろん開くことはない。
「強く叩かないで」
そんな注意書きがしてある。
なんのためにこんな偽扉があるんだろう。
残念なのは、現代の手によるつまらない傷がたくさんつけられていたことだ。

この斗山街は、かつての安徽商人の富豪が建てた邸宅が今に残るものだ。
しかしその中には近代中国が混沌としていた時期の形跡が残るものも多い。

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黄色と赤のペンキで定規で引いたような無機質な文字。
「毛主席万岁」 毛主席万歳
「团结人民」 団結人民
「共产党」 共産党
そんな文字がかすれかすれも読み取れる。
違う言葉の上に何度も上書きされている形跡も。
文革時の名残である。
実はここで取り上げるまでもない。
今日明日といくつかの村を周ったが、すべての村に、いや思い出してみると一つの村を除いて、どこにも「これ」はあった。
しかも、一カ所二カ所なんてものではない。もう至る所に。
このように比較的文字が判別できるものから、黄色や赤色のペンキの形跡しかわからないものまで。
しかしそれらはすべて同じ目的のもとに手を加えられたものだ。

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こんなふうに共産党員を示す札はあちこちに見た。
だから何という話ではあるけれど、こんなにも共産党の名前ばかりみた旅行は初めてだ。

チョンさんは、こんな写真を撮っている私を、まるで「そんなものよりも」とでも言うように促した。
「こっち、来てごらん」

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古い井戸、“蛤蟆井”の名が石碑に書かれている。
古いもので文化財に指定されているよう。
覗けば井戸の底に水面を確認できた。

やがて、人少ない静かな通りから、賑やかな通りに出た。
しかし最初の繁華街の賑わいとは違い、それはここに暮らす人々の賑わいだ。
途中、そうとう古い牌楼も見た。
住居の中に突然それはあり、何事もなかったかのようにそばに車が停まったりしていた。
日常風景に溶け込んでいる。
題字の上には、「勅命」の二文字。この文字のなんて威力のあることか。

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古城といっても、そこは昔から今も変わらず人々が暮らす場所だった。
そう考えてみれば時代の変移とともにあんな繁華街ができたって、おかしくないどころか当たり前のことかもしれない。
暮らす人にしてみたら、生まれた時からここに暮らすのだから古建築だろうがなんだろうが、普通のことだ。
変わったのは周りだ。
文化財に指定したのも、ガイドブックに紹介されるようになったのも、四大古城に名を連ねたのも、観光客が訪れるのだって、みんなここを取り囲む城壁の外で起きたことだった。
古城の情緒がないなんて私も思ったが、そんなのもここに暮らす人々にとっては余計なお世話に違いなかった。

振り返ると、チョンさんは何かを携帯カメラで撮っていた。
狭い幅の木造建築。
それはなんだか日本のそれを彷彿とさせるようだった。
その中では、椅子に座ったおばあちゃん、その髪を切る人。
ここは古くからある床屋さんみたい。
とても人情味ある一コマだ。

と思ったら、その隣りに気づいた。

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一階は閉じられているが普通の建物。
二階部分が牌楼だ。
「これ、何?」
「牌楼があったけど、古くなったから下に建物を造ったんだ。でも今では下の建物も古くなってしまったけどね」
取り壊してしまうのではなく、残してく。
こんなやり方もあるのか。

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こんなY字路も、日本にもありそうだ。
角にある建物には時計。時刻は16時半を指していた。

今朝、呈砍では羅氏の餅を食べたが、ここにも同じような餅を売るお店があった。
カメラを向けると、おばちゃんは「ほら、こうやって作るんだから」と焼き石を乗せてくれた。
真っ黒焦げで年季が入った焼き石だ。

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チョンさんは「食べる?」と訊いてくれたが、「もう今日食べたから」と私は言った。
けれど、自分が買った一枚を半分に分けてくれた。
今朝食べたのとは違う。
今朝食べたのには菜っ葉が混ぜてあったが、これは混ぜてあるというより具みたいな感じでニラがいっぱい入っていた。
美味しい。
油がいっぱい。この油はきっとあの菜の花の油だ。
こうした餅は中国にはどこでも見つけることができる小吃だが、場所によっても人によっても様々。
私はこれが大好きなのだ。

車を停めた城外の路地まで戻り、車に乗った。
次の目的地、“棠樾牌楼群”に向かい出発したとき、太陽はすでに西低くに落ちていた。

「牌楼群はお勧めしないよ」
実は最初にもチョンさんはそう話していた。
すでに数多くの牌楼を見てきたわけだが、ここにはどかんどかんとそんな牌楼が7基も連続して並ぶ場所がある。
それはたいそう奇怪な風景だろう。
棠樾村に暮らす鮑氏の功績を称えて、建てられたものなのだそう。
ぜひ、それを見てみたかった。
けれど。
「チケット100元かかるから、入ることを勧めないよ」
そんなかかるんだ!
さすがに、ちょっと牌楼だけ見に入るのに100元はきつい。
「なら、外から見れないかな?」
「チケット買うところからは見れない、でも見えるところがあるよ」
そう言ってチョンさんは、向かってくれた。

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道路に車を停めて、降りてみた。
肉眼でも二基だけ確認できたが、カメラをズームしてみてもこれが限度だった。
この牌楼群の見所は7基がずらりと並ぶ様子だとは思うが、それを伺うことはできなかった。
画像が不鮮明でほぼわからなくなってしまっているが、中央左の枯れ木のすぐ右手に一基が、そうして右手に広がる茂みの上にもう一基の上部だけ見えていた。

ホテルに送り届けてもらったのは18時前だった。
明日は極力早めに出た方がいいというチョンさんの提案を受けて、ロビーでの待ち合わせは8時半にすることに。
私はその前に宅急便を呼んで荷物を送るのと、チェックアウトをしてしまいたいので、8時頃フロントに下りようと決めた。

ホテルの部屋には戻らず、そのまま散策へ出掛けることに。
老街はそう広いエリアではなかったし昨日もうすでに見尽くしてしまっただろう。
けど、歩いてるだけでその空気感が心地よかった。
それでもせっかくあの広い豪華部屋なのだから、今日はいつもより少し早めに部屋に戻ってゆっくり過ごそうと思った。

今日のドライブで、チョンさんが話していた。
「リーヤンってわかる?」
「…それ何?多分知らない」 なんとなく地名かなとは思ったけど。
「リーヤンは老街の向かいでとてもきれいなところだよ」
それでわかった。
黎陽、それは昨夜に石橋を渡って見に行ったエリアだ。
「知ってる、昨日行ったけどもうみな閉まってた」
「あそこは夜がきれいなんだ」
私が行ったのはかなり遅い時間だった。
それを思い出して、今日は早めに行ってみようと思った。

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石橋からの夜景。
中国の川辺はどこも煌びやかできれい。
私はそれを見るのが好きで、日本でどこどこのイルミネーションなんてのよりも中国の夜景の方がわくわくする。
静かな水面にど派手な電光が反射して、まるで万華鏡のようだ。

石橋の上は相変わらず多くの人が行き交っている。
きっと昔からこの橋は要所だったに違いない。
橋を渡り終えて少し歩くと、昨日りっぱなお屋敷跡を見たエリアに。
そこはちょっとした歩行街になっていて、真ん中を小さな水路が通っていた。
みな現代風に整備されていて、街路樹、街灯、ベンチなどが整い、周辺のお店もみな小ぎれいで今風だった。
若者でにぎわっていて、「老街」の文字が添えられていたが、どう見ても今風歩行街。

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黎陽、ここも元々は古い街だった。
説明書きがあり、ここには「明清の屯渓、宋唐の黎陽」という言葉があるのだそう。
横江に架かるあの古い石橋は、二つの古鎮・屯渓と黎陽を結ぶものだった。

屯渓の老街は古き良き街並み、黎陽の歩行街は古い雰囲気を利用し今時歩行街に。
とても対照的だ。
黎陽の歩行街には今時の飲食店が建ち並び、ちょうど夕食時で若者でにぎわっていた。
さらに(偽)ディズニーキャラクターまでもが。
ミッキーにミニーに、七人の小人が、通行人を歓迎している。
小人の顔がなんだかあくどい。
目の前の石造りの建物の前には開演を待つ行列で、これから(偽)白雪姫ショーをやるみたいだ。

石橋を渡り屯渓老街へ。

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こうした老街は多くの人で賑わっていた方がふさわしいだろう。
お店の人たちからしても、お客さんは多い方がいい。
でも人少なな石畳の老街はなんだかノスタルジックで、今西暦何年なのかわからなくなる。

昨日すでに一通り巡ったが、ここは文房四宝を専門に扱うお店の多い、書の街だ。
筆、紙、墨、硯。
私は書道に疎いので、筆や紙の良し悪しは一見ではわからない。
きっと高いに違いないと値段を訊いてみると「10元」だったり。
だから、ひと目でただものではないとわかるような硯は見ていて楽しかった。

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硯店は非常に多かったが、どの店にもこのような「目玉」がある。
両手を広げたくらいに、大きい。
すでに売り物ではない。

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その細工は細やかでみごと。芸術の域。
このように硯の体裁をしているものならまだわかり易いが、もはや硯ではなく、龍の口から水が流れ出ていたり全く別ものも多々。
中には、巨大硯の上に茶器を置いたものもあり、お茶台として使うものもあるのだろうか。

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こちらは削る前。
これがこうなる。

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私たちに身近なのはこのサイズ。
せっかく来たのだから買って帰りたいのだけど、こればかりは仕方なかった。
私は書道をやらないし、よって墨をする機会もない。
昨日は黄山デザインの墨を購入したけれど。
周囲にも書道をやる人は思い浮かばなかった。
学生の頃、シンプルな四角い硯を使い、ボトルの墨を使っていた。
こんな硯と墨があれば、心持ちも変わり書道を楽しんでいたかも知れない。
私は書道をやらないけれど、ここで売られていたさまざまな道具は、どれも本当に素晴らしかったのだから。

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こちらは筆。
学校のお習字で使うような10元のから、書家が使うような化粧筆のようなものまで。
大きさも毛質も色も形もさまざまで、素人である私にはさっぱりわからない。
姪っ子がそのうち使うかもと何か買ってみようかとも考えたけれど、あまりに種類がありすぎて選べない。
紙も同様。
さまざまな紙が売られ、質もサイズも様々。
紐で製本されたタイプのものも。

ここで有名なものがもうひとつある。
篆刻だ。
この篆刻は徽州文化の一つで、中国どこにもある篆刻だが、ここにはかつて徽派篆刻という一派まであった。
老街をあるけば、いくつかの篆刻屋さんを見つけることができる。
中国でハンコウをつくってもらったことは数度あり、杭州で作ったものはそれなりの値段がした代わりに一級品だったが、なくしてしまった。
その後、上海でひとつ作ってもらったけれど、ここに来るならばひとつ欲しいと思っていた。

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こんな風に印材もさまざま、石の種類から形・大きさ、自分が彫りたい文字の数、内容などを考慮し適切なものも選ぶ。
これはもう、石との出合いだ。

私は大きな勘違いをしていた。
ハンコウと篆刻は違う。
中国各地で観光客向けにある、「ハンコウ作りますよ」というのと篆刻はそもそものものが違う。
篆刻は、印材そのものから芸術であり、文字、彫り、含めそのもので芸術だ。
それなのに、「認め印にするのにどんなのがいいかな~」と考えていた私はまぬけだ。
「丸いのない?もっと細いの、こういうの」
そんな風に訊ねてみても、「うーん…、ないなぁ」

さんざん印材を迷ったあげく、ひとつ選んだ。
白くてオーソドックスな石だ。
かたちは自然の石の形をしているため、少しいびつな形をしていて、これが良い。
価格は忘れたが、百数十元だったかと思う。
文字は、自分の下の名前。
よくある観光客向けのハンコウ屋さんでは、様々な字体を選べるが、ここでは何も訊ねられなかった。

私の相談に乗ってくれていたのは息子だったようで、字と石が決定すると息子は奥のおじさんのところに石を持っていった。
おじさんは黙って石を受け取り、カオスのように散らかった机の上に印材を固定する器具を置いた。
くわえ煙草で、挟んだ印材の断面に赤い塗料を塗る。
そうして、鉛筆で真ん中に一本中心線をひくと、ためらうことなく私の名前(の鏡文字)を書き込んだ。
ものの10秒だ。

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出来上がるまで5分、10分だった。
字体の名前はわからないが、古めかしくてかっこいい。大満足だ。
ただ、名前以外のアイデアが湧いてこなかったのだけ、残念。
おじさんは黙ってお金を受け取り、終始その声を聞くことはなかった。
接客は息子、やるのは親父、といった具合だ。
息子はいつかその技術を継承するんだろうか。

おなかが空いてきたので、老街奥に見つけた飲食店街へ向かった。

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ちょっと筆なんかを売るエリアとは違う雰囲気だが、これらは繋がっている。
その中で、大きなお店を選んで入ってみた。

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選んだのは、徽州三宝というのと、卵と石耳(イワタケ)の炒め物、それから飛来石のデザインの黄山ビール。
他の料理は「一人では食べきれないよ」と言われたから、相談してこれにした。

卵と石耳の炒め物は間違いない。安心する味。
一方、徽州三宝は辛みがある煮込み。
「三宝って何?」と訊いてみると、牛肉と牛の内臓のよう。
こちらも、日本にもホルモンの煮込みはあるので、日本人には受け入れやすい味だと思った。

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お店を出たのは21時。
この老街は21時に閉店するお店が多いようで、一斉に店じまいを始めていた。

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ちらほらと遅くまで開いているお店はあるものの、大半はすでに戸を閉めた。
暗くなった老街に、まだ開いているお店の灯り。石畳が照らされている。
眠りかけた老街も、情緒がある。

明日は朝のうちにチェックアウトし、夜は夜行列車で上海に戻る。
屯渓のホテルで過ごすのは今晩が最後だ。
せっかくいい部屋なのだし、部屋で飲もう。
そう思って帰りがてらお菓子とビールを買い込んだ。

本館から五階へあがり、そこから外に出て階段を登っていく。
一番奥の宿泊する離れの建物に到着したとき、ホテルマンをすれ違った。
少しこちらを見たのは気のせい、と思った。
建物に入ると、なんと真っ暗。停電か?
フロントは遠いので戻るのもおっくうで、私は携帯していた小型LEDライトを使って、自分の部屋まで行った。
こうした小型ライトは旅行では必須だが、こんなところで役に立つとは。
ルームキーを使って部屋を開けカードを差し込むも、部屋は真っ暗なままで灯りはつかない。
これではどうしようもないので、仕方なくフロントへ戻った。

「灯りがつかない」
そういうと、フロントは平然と言ってのけた。
「ああ、あの建物は今日は開放してません。部屋を替えてください」
なんと。
明日は月曜日で利用客が少ないから、閉館したと思われる。
私は?無視されてるの?
今朝、フロントとやり取りしているときにもそんな話一切でなかった。
部屋替えるなら、言ってよ。
ていうか、連泊って同じ部屋だからこそじゃないの?
荷物も化粧品もシャワー用品もコンセントも、衣服も、みんなそのまんまだ。
「荷物はどうするの?多くて持てない」
そう言うと、「え?運べないの?」 これまた平然とそう言う。
うそ!あの離れ、遠いし。エレベーターないし。
そのやり取りをみてボーイさんが、「自分が手伝うよ」と言ってくれた。
大きな「ガラガラ」を運んでいく。
そうしてもらったって、たいへんな引っ越しだった。
暗い部屋の中に、荷物はそのまんま。まったく、もう。

新しい部屋は昨日の豪華部屋よりずっとランクは下がるふうだった。
部屋は二部屋あったが、そのうち一部屋は麻雀部屋で私には無用だ。
シャワーも洗面台も通常ランクになった。
ちなみに、30日の夜も一泊ここを予約していた。
ここを拠点に黄山に向かうつもりだったが、トラブルにより宿泊することはできなかった。
予約済みだったためその分の宿泊料金もとられることになった。
仕方ないとはいえ、最初から普通の部屋にしておけばよかった。
「あのホテルはサービスダメだよ、あっちの国際ホテルの方がいい」
チョンさんがしきりに話していたのを思い出した。

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これまた迎客松ビール。気を取り直して飲む。
時間も体力も無駄にしたが、それでもこの引っ越しは意義があった。
暖房が効いたからだ。
暖かい。これにまさるものはない。



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まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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