2017-02-27

鳳凰旅行一日目

2017年2月10日、湖南省の古鎮・鳳凰へ。今回は母を連れて。
鳳凰、その地名を耳にしただけでどんなところかと思ってしまう。
こんなめでたい名前をもつ場所が、本当にあるのだ。

湖南省は中国南部に位置する。
この辺りは山間部で、大都市を除いて交通の便が悪いので、どうやって鳳凰古鎮まで行こうかと考えた。
問題は私の日程で、職場を休んで用意できるのはこの時期土日をふくめて四日間。
この少ない時間でこのエリアを観光するのは難しい。
周辺の比較的大きな都市まで動き、長距離バスに乗るか。
鉄道を利用するか。
どれも私の日程にはうまくない。
結局、まず大都市・広州に入り、そこから空路で貴州省と湖南省の境目にある、銅仁鳳凰空港まで行き、そこから車に変えて鳳凰入りすることにした。
銅仁空港のフライトは少なく、広州との便は月・水・金・日の周四便。
そこで、金曜と月曜に有休をとり、三泊四日の日程としたのだった。

広州白雲空港へ到着したのは、午後1時。
銅仁へ向かうフライトは夜なので、ほんの僅かだけれど時間がある。
せっかくなので市内観光を取り入れてみた。

地下鉄3号線、2号線を乗り継いで、「公園前」まで。人民公園南に位置する地下鉄駅だ。
広州は立ち寄ったことが数度あるが、いまいち詳しくない。
初めて中国一人旅をしたのが広州で、あの時はガイドブックに載る主要な観光地を一巡りしたが、母を連れてどこに行こうと考えた時、どれもぱっとしなかった。
そこで地球の歩き方を参考にし、「古い街並み巡り」のテーマから、この人民公園付近に残るという古書院群を散策しに行くことにしたのだ。

地下鉄駅から地上に登ってみると、暑くも寒くもない気候。
日本で見慣れた冬枯れの景色はそこにはなく、街路樹は緑でいっぱいだった。

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ここは大通りが交差する都市部ど真ん中だ。
多くの人が行き交っている。
地図を頼りに、この大通りから一歩路地に入りこんでみる。

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「流水井」、そう呼ばれる細道を入っていく。
一歩足を踏み入れれば、繁華街の喧騒が嘘のよう。

このそう広くない一帯には、書院跡が残る。
書院とは学問を学ぶところの意であり、現在でいう学校の前身にあたる。
かつて広州城内には数百もの書院があり、清代に全盛を迎えたとき、その規模は中国全土で先頭をきっていたという。

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こんなふうに文字が彫られているので、ぶらぶら歩きでもひと目でそれとわかる。

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覗いてみれば、古い井戸。
汚れた白い猫が、こちらを警戒するように立ち止まり、素早く中に走り去っていった。

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建物は古いが、周囲はすっかり現代の風景だった。
大通りからの入り口は新しく整備され、輩出された偉人を紹介する看板や標識が点々とする。
書院群を目玉にして、観光客を呼びたいようだ。
しかしそうした意図とは裏腹に、路地裏は現代の生活風景となんら変わりないよう。
ぽつりぽつりと残る書院跡は、かつての名を示すその文字を除けば、どんな観光地要素も見出すことはできない。
横手には大々的な取り壊しが行われ、景観を損なっていた。
また見上げれば、現代の高層マンションが空高く伸び、防犯用の鉄柵が迫りくるよう。
あちらこちらには洗濯物が干され。
ここを観光地と呼ぶのにはかなり無理がある。
私のように、ただ中国の街並みを歩いているだけで楽しいという少数派を除いて、ここに足を運んで良かったという人は少ないかもしれない。
ガイドブックは参考にはなるが、実際とは異なるイメージを生みがちなので要注意だ。

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こちらは、何家祠道。またの名を、廬江書院という。
“何”とは“what”の意ではない、“何”という名の姓。つまり、何氏一族を祀る祠である。
ここにはこうした**姓の書院、**姓の建物、というのが点々と残る。
これこそがここの特性だ。

かつてこの一帯には、科挙を目指す者が集まった。
科挙とは、隋に始まり中国王朝歴史の幕が閉じた清朝末まで、1300年にもわたって採用されつづけた官吏登用制度である。
中国全土から幾度もの試験を重ねて選りすぐられて、エリートが選び抜かれる。
科挙に合格すれば天国、落ちれば地獄。
科挙の道は幼い頃からスタートし、年老いても未だ受験者というものも少なくなかったという。
その道を目指すものにとって、科挙とは人生のすべてであり、またその一族にとってもすべてだった。
科挙の合格者を出すということは、その一族の繁栄を意味し、運命そのものだった。
その重圧と難易度に、精神を壊すものもいたのだという。

ここには、科挙を目指すものやその同族が、勉強したり宿泊したりする建物が建ち並んでいた。
つまり、書院といっても単なる学習の場なのではなく、それぞれの一族にまつわる建築群だった。
よって、これらを「姓氏書院」と呼ぶ。
書院は各地に存在するが、ここに建ち並んでいた書院はそれらとは色合いが違う。
院長がいるわけでも授業があるわけでもない。
学校的要素というよりも、私的なものである。
しかし、学習にまつわることに変わりはないから、一般の書院と区別して「姓氏書院」というわけだ。

ちなみに、ここからそう遠くない場所には、有名な“陳氏書院”がある。
これもまたその一例であり、陳姓の一族が出資して建築した豪勢な書院だ。
数年前に訪れたが、一面怖くなるほどの精巧な細工に、落ち着かない思いがした。
今から思えば、あれは一族の迫るような期待ではなかったか。
一族の期待とは、応援ではない。まるで脅迫だ。
科挙によって人生を苦しみで終えたかつての人々。
栄光を手にできた人は、ほんのひとつまみ。
これら書院群は、その過酷さを伝えるかのようだ。
現代の中国もその歴史を受け継いでいるようだけれど。

いくつもの書院が残ると聞いていたが、周り方が悪いのかいくつも見つけることができなかった。
けれどもただのなんの変哲もない街並みそのものが好きな私にとっては、それでも構わない。
家々の軒先に小さく佇む祠、縁起札、そんなものが中国南部をあらわしている。

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これは郵便受け?チラシ受け?かどうかはわからないけど、生活味がある。

そういえば、年末年始の黄山旅行では安徽の古村から中国の友人数人に絵葉書を送ってみたんだった。
数日たっても「届いたよ」と連絡がないので、聞いてみた。
すると、「郵便局から電話きてないよ」と。
ハガキに電話番号が必要とは知らず、私は記載していなかった。
「現在は手紙は直接届かないんだよ、宅急便とは違って」 友人はそう教えてくれた。
局から連絡が入り、やっと受け取りにいくことができるのだという。
それだったら、善意で送った手紙もただ面倒させてしまうだけなのでは。

そんな中、ハガキを送ったことを知らせていない、ある友人から連絡が入った。
偶然に郵便物を引き取りに行く機会があり、たまたま受け取ったものだろうか。
絵葉書をとても喜んでくれて、私にも送ってくれるという。
この鳳凰旅行から帰国した翌日の2月14日、帰宅してみると二通の絵葉書が届いていた。
消印は1月22日だった。
きれいな絵葉書の裏には、ていねいできれいな筆跡でうつくしい中国語がまるで詩のように並んでいた。
うれしくて胸がいっぱいになった。
現代はパソコンに携帯電話に、インターネット、SNSと便利にコミュニケーションがとれる時代になった。
その恩恵を受けているけれども、代わりに失ったものもある。
自らの手で書いた文字には気持ちがこもる。
選んでつづった言葉には思いがある。
書き損じないようにと気を付けて書き並べるあいだには、相手への思いやりがある。
そうして、相手のことを思いながらかけた時間だ。
届くまでには時間も手間もかかる。
けれど、それこそが人と人の絆ではないだろうか。

散策しながら何度も目にした、今はどのように使われているのかわからない郵便受けを見ながらそんなことを考えた。
配達しないシステムも、もしかしたら地域によるものなのだろうか。

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順路を決めかね路地をうろうろして、何度も同じところを通った。
そんな風にしていると、“対聯”を今まさにかけようとしている人たちがいた。
二対になった紙札や木札で、縁起の良い言葉が並べられたものだ。
明日は元宵節、そんなことも関係していただろうか。
外国人旅行者にはなかなかお目にかかる機会はない瞬間だ。
なかなか手間取っているようで、うろうろして再びここを通りがかった時にも、まだ同じことをしていた。

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辺りの住宅街の風景の中に、他と変わらず住宅そのもののような建物がある。
近寄ってみると、史跡を示す標識が。
「葉剣英商議討逆旧址」
なんの変哲もないごく普通の建物だが、ここは1922年に、のちの中国全人代常務委員長、中国共産党の要職を務める葉剣英が孫文に対立することになった陳炯明を討つ密談を重ねた場所なのだそう。
知っていてここを通りがかったわけではないけれど、中国南部にはこうした革命の痕跡が多々残る。

現代日本の基礎となった大きな転換期というのは、一つは明治維新、もう一つは第二次大戦敗戦だといえるだろう。
前者は、異なる志を持った者たちが各々の真理のために命をかけた。
革命的ではあるけれどすでに150年も前の話であり、すでに生きた証人も存在しない。すっかり、昔の話である。
一方後者は、近代の話でまだおじいさん、おばあさんの時代の話だけれど、外的要因によって転換を迎えたというところから、革命的とはいえない。
日本人にとって、革命というのは感覚として身近ではなく、別の国のお話のようだ。あるいは歴史の本の中で読むものだ。

中国は革命の大国である。
各地を旅行していれば、ところどころで「革命」というワードを目にし耳にする。
清朝崩壊、辛亥革命、国共合作、国共内戦、文化大革命、天安門事件…。
激動の歴史の中、常にそれらは自発的、時には激流に流されながらも少なくとも自らの手足で、行われてきた改革の歴史である。
それらは未だ色褪せることなく、各地に史跡として、資料として、また現代の生活の中にさえも残っている。
私は時々、それらは単に近年の話だからなのではなく、現代もまた革命の時代だからなのではないかと感じることがある。
事実上の中国共産党独裁の中、様々な国内問題を抱える中国。
革命の火種自体はそこら中にくすぶっている。
現代中国を生み出したのは偉大なる革命ーそう宣伝する国家。
しかし一方で、国家にとって脅威となっているのもまた革命のちからだ。
国家の正当性を示す概念として。
国民の切望の象徴として。
中国はいまだ革命の大国であり、各地で出合うその言葉、史跡は、まるでそのことを伝えているかのようだ。

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こんな地図もあった。
城壁に囲まれたこの広州城内に集まる黒い点々が書院だ。
真ん中に一本横にまっすぐ通るのが、地下鉄駅を降りた大通り。
そこを境目にして上下に書院が集合しているのがわかる。
私たちが今散策してきたのが、下の集まり。
その中にひときわ大きく「粤秀書院」と書かれている場所がある。
姓氏書院が集まるこの場所にも、かつて朝廷の許可のもと公的に造られた書院もあったらしい。
この粤秀書院がそれだ。
先ほど覗いてみた何家祠道のすぐ近くだけれど、見つけることができなかった。
実はあまり時間がなくて急いでいたというのもある。

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再び大通りに出て。
街路樹には赤い提灯が、実がなるようにしてたくさん吊り下がっている。
普段はこのようではないと思うので、やはり明日の元宵節のためなのだと思う。

元宵節は、旧暦1月15日に迎えられる。
提灯を灯したり、獅子舞したり、賑やかで重要な祭日だそう。
けれども、私は今までそれを体験したことがない。
明日2月11日は、今年の元宵節だ。

再び地下鉄に乗って、約1時間をかけて空港へ。

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広州白雲空港は近代的だ。
初めて広州を訪れた時はこんな空港だった記憶がいっさいない。
まるでディズニーランドのトゥモローランドのようだ。

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近代空港の姿の一方、こんな自販機も。
中にオレンジが入っていて、お金を入れると生ジュースが搾りたてで出てくる。
さすが中国の発想だ。

19時半発、南方航空 CZ3921にて銅仁鳳凰空港へ。
空路1時間半で、到着したのは21時。

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銅仁空港はとても小さな空港で、飛行機から滑走路に降りてみると、周囲は真っ暗で建物ひとつ視界に入ってこない。

実は日本にいる段階で、この空港から鳳凰までどうやって車を確保しようか悩んでいた。
中国を旅行する上で注意したいのが、列車駅や空港によっては、そこから先の足が確保できないような状況があり得ること。
小さな駅や空港にはバスもタクシーもないような場合もある。
小さな空港であることはわかっていたので、事前に中国人の口コミなどを覗いてみると、やっぱり交通の便は悪そうだ。
バスもタクシーもないから、車を手配するべき、だと。
そこで、友人から事前に紹介してもらっていた鳳凰で民宿を開いている現地人に相談してみた。
「夜は車ないよ、車を手配しなければならないけど、銅仁の運転手は鳳凰に詳しくないから…」
そう言うので、鳳凰から車を手配してもらえないか、頼んでみた。
さあいよいよ鳳凰に、という今日になっても状況が不確かだったので確認してみると、車が手配できなかったので、彼女の旦那さんが来てくれることになった。
銅仁空港から鳳凰古鎮までは、約40㎞。
近いように感じるが、数字が示す距離のわりに、交通は便利ではない。

預け荷物を受け取り出口をうろうろしていると、広州空港の搭乗口で話しかけられた男性二人がいた。
実は飛行機に乗り込む時、「日本人ですか?」と突然話しかけてくる男性がいた。
こんなところで日本語を理解する人がいるとは思っておらず、驚いた。
男性の話す日本語は上手だったが日本人のものではなかった。
もう一人の男性がミャオ族の村を頻繁に訪れる日本人のようで、通訳のようだ。
彼らもこれから鳳凰へ向かうようで、おそらく私たちを案じて待っていてくれたのだと思う。
「これからどうやって鳳凰へ行きますか」
「友人が迎えに来てくれます、ここはバスもタクシーもないですよね」 私がそう答えると、
「タクシーはありますよ、いつもは車を手配しますが、今回はタクシーに乗ります」
通訳(らしき)男性はそういって、私たちは別れた。
仕事かプライベートかはわからないが、こちらの少数民族であるミャオ族は、日本人にとっても有名で人気ある民族だ。

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こちらは空港の出口。
空港を出ると、とても整備されているとは言えない状況だ。
列車駅の方がよほど整備されているのでは?
それでも、小さなリムジンバスが2、3台。
銅仁市内行きのものが見えた。
あとから現地人が教えてくれたが、鳳凰のバスターミナルから銅仁空港行きのバスがあるのだという。
よく確かめていないが、もしかしたらこの中の1台は鳳凰行きだったかもしれない。

微信を使って、現地人の旦那さんと落ち合った。
「車で中まで入ってくることができないから、向こうに停めてあるんだ」
そういって、ずっと向こうまで整備が及んでいない悪路を歩いて進む。
そんなふうにして進んでいくと、確かに先ほどの通訳さんが教えてくれたようにタクシーはいた。
しかし数台程度で、運転手も不在だった。
うまくいけば捕まるし、しかし下手したら逃すだろう。
やはり、心配なら事前に車を手配するべきだと思う。

車は真っ暗で辺鄙な道を進む。
距離のわりに時間はかかり、到着したときはすっかり深夜だった。
真っ暗な道からふと坂道に飲食店が建ち並ぶ明るい場所に出た。
鳳凰を象った街灯が明るく、賑やか。
もうここは鳳凰なのだと、彼は教えてくれた。
「ホテルはあっちだけど、明日行きやすいように車で古城までまわってあげるよ」
と回り道してくれた。
賑やかな道から大きな橋に周り込み、橋の左右を見てみれば、そこは宝石のような夜景。
鳳凰古鎮は煌びやかに演出されたライトアップが有名だ。
こんな遅い時間でありながら、眩しいほど。
名残惜しいけれど、ホテルへ。

今回私たちが宿泊するのは、古城エリアのすぐ外に位置する鳳凰凰天大酒店。
古城内には雰囲気あり景観を楽しめる客桟(民宿)が数多いが、母の「離れてても普通のホテルがいい」という強い希望により、このホテルを予約した。
以前に蘇州の民宿で快適ではない思いをしたことがトラウマになっているようだ。
このことにより、大変だった。
中国の友人は、「今後はホテルを予約する前に必ず教えるように。君が手配するホテルはよくない」
一度ならず何度もそう繰り返した。
ホテルまで送ってくれた旦那さんも、「古城から離れているしよくないよ」と。
しかし事情を説明すると、「凰天大酒店は、古城外のホテルでは一番近いしいいホテルだよ」と言った。

旦那さんに車代150元を支払い、別れた。
遅い時間だったが、周辺をうろうろしてみると、そこには混沌があった。

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ホテル前の大通りから左折しまっすぐに進めば、この先は古城エリアだ。
しかし周囲はまるで工事中のような雰囲気で、しかし実は工事中ではなくそのまま放置されたものなのだが、悪路だった。
都市部ではない小さな街にすぎない鳳凰だが、それでもこの辺りはその中心部にあたる。
中国では有名な観光地ということもあり、もっと整備されていてもおかしくない。
けれどそんな気さらさらないというふうに、めちゃくちゃだった。
ゴミは大量に散乱し、道路は舗装されてないも同然。
明日はこの道を通って古城へ向かうけれど、本当にこの先に「中国一美しい古城」があるんだろうか。
先ほど橋の上から眺めた夜景が嘘のように感じられた。


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まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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