2017-02-27

鳳凰旅行二日目~その一~

2017年2月11日、昨夜遅くにここ鳳凰古鎮に辿り着いた。
まだ空も明けきらない時間に、けたたましくあちらこちらで鳴くニワトリの鳴き声で目が覚めた。
目覚まし時計と違って止めることができないので、起きるしかない。
起きて、母はホテルの朝食を食べたいと言った。
ホテルの朝食はおいしくない、外でおいしいものを食べようと言っても聞かない。
しかし、体験してみてわかったようだ。
冷めたマントウやお粥を選んで食べた。
どうやら、北京や上海にある高級中級ホテルのような朝食を想像していたようで、だとしたらたいへんなカルチャーショックだ。

朝食を食べたあと、宅急便の手配などの用事を済ませ、ホテルを出たのは10時。
ホテルのすぐ近くには携帯ショップがあったので、先に立ち寄った。

私は中国の携帯を一台持っている。
現地では電話番号がないと困ることがあり、またできない手続きもある。
去年やっと手に入れた電話番号だったが、やっぱり一度手にしてみるともう手放せない。
SIMカードは北京空港で手続きしたものであり、スマホ自体は北京の人に譲ってもらったものだ。
今回、広州に到着して電源を入れてみると、ショートメールが入ってきた。
「残金が不足しています。チャージしてください」
今回は電話がないとちょっと困る雰囲気だったので、すぐにチャージしたかった。
しかし広州白雲空港のセブンイレブンでは
「北京で処理したものは広東ではチャージできません」 との店員さんの返事。
うそだ~と思い友人に訊いてみれば、「そんなはずない、どこでもできるよ」とのこと。
コンビニだったのがいけなかったのかな、と改めて鳳凰現地の携帯ショップへ行くことにしたのだ。

ところが、中国移動の店員さん。
「北京で処理した携帯は、ここではチャージできません」
北京空港の中国移動の店員さんは、チャージはどこでもできると話していた。
ただ、店員さんが自分の携帯を使って私の電話番号に入金することはできるそう。
そこで、ここで現金を彼女に手渡し、彼女の微信銭包で私の携帯番号に入金し、画面で確認もさせてもらった。
微信銭包とは、中国SNSを利用したスマホマネーだ。
これを使えばスマホを利用して色んな支払いや友達とのお金のやり取りも簡単にできる。
つまり携帯のチャージも、これがあれば簡単にできる。
私の微信銭包はお金の受け取りと支払いはできる状態だったし少額のお金も入っていたが、いまだ中国の銀行口座との連結を手続きしていなかったため不便で、現状使用していなかった。
銭包と銀行口座を連結するのにも中国の電話番号が必要で、まだそれをやっていなかった。
入金してもらったのは200元。
これでしばらくは安心だ。

ホテルすぐ横の角を曲がり、昨夜見た混沌とした道路を歩く。
未舗装の道路の左右には乱雑に停められた車がいっぱいで、道は機能していないに等しかった。
道路というより、車と車の隙間を進み、道が交差するところでふと左手を見ると、向こうには大きな古めかしい門があった。

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ここが鳳凰古城への入り口、「阜城門」だ。

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門をくぐる時、城壁の外側に流れる小さな川があった。
古城の向こうに流れる“沱江”に、いずれ合流するのだろう。

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鳳凰古城はこんな全体図をしている。
私たちが今いるのが、一番下の阜城門を越した文化広場。
その先に広がる城内はどこを進んでもよい。
歩いて行けば、いずれその先に横たわる沱江にぶつかる。
沱江沿いには左手(西側)から、南華門城楼、北門城楼、東門城楼と城門が三つ。
昨夜橋の上から見た夜景は、この沱江を挟んで両側に広がるものだった。

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門を越した広場には巨大な鳳凰のモニュメント。
とりあえず地名を象徴したものだし、ここで写真撮っておくか、そんな気分にさせるものではある。
しかしそれを狙ってか多くの客引きがおり、民族衣装を着て写真撮れるよとしつこく声をかけてくるおばちゃんがいっぱい。


ここ鳳凰を代表する民族、苗(ミャオ)族。
鳳凰は、湖南省湘西土家族苗族自治県に位置する。
土家(トゥチャ)族と苗(ミャオ)族が古くから暮らしてきた場所である。

中国には、ほとんどの人口を占める漢族と55の少数民族がいる、とされている。
されている、というのは、これは中華人民共和国成立後に政府が行った民族識別によるもので、あくまで行政的な意味合いがあるからだ。
少数民族の中でもっとも人口が多いのは、壮(チワン)族で、その人口1600万人にも上る。
もはや少数ではないが、漢族以外は少数なのである。
トゥチャ族は800万人、ミャオ族は900万人ほどが、現在中国に暮らしているといわれている。
鳳凰にはこの二つの民族が多く暮らしているが、とりわけミャオ族は衣装の美しさなどから、日本にも研究者やファンが多い。
こう言い表していいのかわからないが、ミャオ族はここの観光の目玉なのだ。

そういう訳で、ミャオ族の衣装や装飾(の偽物)を見せながら、商売をする人が多いというわけだが、これがしつこい。
きりがないので、振り切るようにして逃げていく。

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古い建物が並び、それらはみな店舗と化していた。
他で見るような決まり切ったような観光地化だ。
一昨年に訪れた雲南・麗江を思い出す。
秘境と謳われていたはずなのに、あそこもまたすっかり観光地だった。
しかし共通しているのは、その店舗化のおかげで器はみごとに残されているという点だ。
そのおかげで、輪郭はきれいに保存され、街並み自体はやはり美しい。
観光地化されなければ、失われていくだけだ。

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こんなふうに、ここではあちらこちらに漬物が売られていた。
彩りも鮮やか。

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沢ガニまるごと素揚げ。
鳳凰は川に寄り添った街、きっと沱江で獲れたカニなんだろう。
日本でもこんなふうに食べたりするけれど、なかなか立派なカニで、飲みこむ時に喉が痛そう。

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こんなカゴ専門店も。
今朝ホテルを出発してからも、もうそこらでこの籠は大活躍の様子だった。
頭にターバンを巻いたミャオ族のおばあちゃんは、みんなこの籠を背負って中に野菜やら何やらを入れて運んでいた。
ミャオ族だけではない、しつこい客引きもまた、みな商売道具はこの籠に。
さらによそから訪れたと思われる観光客のなかにも、この籠を背負って毛布などの荷物を入れている人もいた。

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こちらは田興恕の旧宅。
私はこの人を知らないが、どうやら著名な人のよう。

近代作家・沈従文。
中華民国初代総理・熊希齢。
近代画家・黄永玉。
かれらもまた、鳳凰が生みだした著名人だ。
沈従文と熊希齢の故居は、チケットも購入すれば内部を見学できる。
沈従文の故居においては今歩いている場所のすぐそばだったが、とうとう立ち寄ることはなかった。

「辺城」、沈従文が故郷・鳳凰の情景を描き、無名のひっそりとした集落を一躍全国的に有名にした小説だ。
鳳凰を訪れるにあたって必読だと思い、昨年末にわざわざ北京から本を取り寄せた。
黄永玉の絵も収録してあるものだ。
ところが、数ページで眠くなってしまった。
無理やり読むものでもないし、そんなふうに思ったところまではいいが、私は読書でもっともやってはいけないことをやってしまった。
最後の数ページを覗いてしまったのだ。
丁寧にすべて読まなくても、胸が痛くなった。なんとも哀しい気持ちになった。
最初と最後しか覗いていないわけで、そこからのイメージは正しいものではないだろう。
けれど、感傷的な気分は今回の旅行にはふさわしくないよな、と私は読書を放棄した。

そんないきさつがあったから、せっかくだから沈従文の故居には寄ってみようとは考えていた。
けれども、所詮は読書を放棄したのだ。
年始に立ち寄った魯迅故居もそうだったが、やはり最低限の理解と思い入れがないと、こういう場所を訪れる意義は少ない。
ちなみに、鳳凰古城を散策していると、時々「翠翠が~」なんて文面を目にする。
この翠翠とは、小説・辺城に登場する女の子の名だ。

城内に入りすぐに地図を購入していたが、大きくて不便なので見ないで適当に歩いていた。
すると程なくして一つの城門が見えてきた。
鳳凰はそう広くはない。

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「東門城楼」だ。

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内部は見学できるようだが、それにはチケットが必要だった。
有料の場所を見学しないのであれば、チケットを買う必要はない。タダでまわることができる。
一方、チケットを購入すれば複数の観光スポットに入場できる。
近くのおばちゃんに売り場まで案内してもらった。

チケットは148元。
今日は2月11日、有効期限は14日と書かれているので四日間有効ということだ。
入場できるのは、以下の九か所。
熊希齢故居
沈従文故居
古城博物館
東門城楼
楊家祠堂
崇徳堂
万寿宮
虹橋(一階は無料で通行でき、チケットで二階の休憩所に登ることができる)
沱江泛舟(舟に乗り沱江を下ることができる)

東門城楼に登りたくて購入したチケットだったが、とうとう内部に入ることはなかった。
東門から左手には長い城壁が向こうに続いていて、上に登って歩いて行くことができる。

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この城壁の向こうには、鳳凰のシンボルでもある沱江が流れている。
ここを歩きながら向こうに行こうと思っていたけれど、チケット売り場を案内してもらったおばちゃんは下ルートを速足で進んでいく為、その風景を見ることなく隣りの北門城楼に出てしまった。
そういうわけで戻るのも面倒で、東門城楼の内部には入場しなかった。

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こちらは、沱江側から見上げた北門城楼。
明代の1556年に、もともと土城だったのをレンガ造りに改築し、清代の1715年にレンガから石造りに改築したもの。
銃眼が各層に四つずつ。
楽し気な古城散策に忘れてしまうそうだが、城とはもともとそれ自体が防衛である。
この沱江に沿って伸びる城壁に城門、ここは城内を守る砦だ。
軍事防衛としての意味合いはもちろん、ここには川の氾濫による災害から城内を守る役割もあったのだそう。
ここから川の向こう側は、もう外部だ。

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沱江の両岸には古い建築物が建ち並び、壮観だ。
川の至る所には、大きくて立派な橋から、小さな渡しまで架かっている。
木製のものと、飛び石のように点々としたもの。
そのどちらもが狭くて危ういものだけれど、観光客は競うようにして次々と渡っている。
この木製の渡しは、かつては城から外部にでる唯一の道だったのだという。

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昔は、内側から外側へ出るために。
今は、ふたつの観光エリアを行き来するために。

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こんなに危ういのに、川はなかなか深くて水流もある。
よく平気で渡るものだ。
跳岩、その字の通り、みな軽く飛び越すようにして渡っていく。

飛び石は怖いので、木製の渡しを渡ってみた。
それでも人とすれ違うのは怖かった。
渡り切って古城方面を見てみれば、ずらりと民宿が並んでいる。

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これらは古い木造家屋を利用した民宿だ。
ベランダにはまるでブランコのような椅子が並び、そこから眺める景色はさぞ楽しいことだろう。
冬季は寒いけれど、春から秋にかけては最高だと思う。

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水辺には頻繁にこの野鳥を見た。
日本には見ない鳥だ。
黒に近い紺色に、オレンジの尻尾が上下に揺れる。

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こちら側にも、飲食店やお土産屋さんが建ち並ぶ。
狭い傾斜にひしめき合うようだ。
そんななか、道端でものを売る物売りも。
こちらは、乾燥させた豚肉だ。
まるで木材のように見える。

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これは、小エビの揚げ物。
この沱江で獲れるものなんだろう。
エビに魚に、川で獲れるものがたくさん売られている。
エビはまだ生きたものを笊にあげて新鮮な状態で揚げているお店もあった。

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こちらは、田氏宗祠。
先ほど城内で通りかかった田興恕の田氏。
内部は典型的な祭祀的な建物だった。明清代に改修されている。
欽差大臣の文字も。これは田興恕が賜った役職のよう。

ここでいい時間だったので、お昼をとった。
川に面していて、景観のいい小さなお店だ。

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小籠包と、牛肉粉、それから酸辣肉絲粉を頼んだ。それからハルピンビール。

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“粉”は、ライスヌードル。
日本人にとっては“麺”だけれど、中国ではそう呼ばない。
きしめんのような平たい生地で、さっぱりしたスープと合ってとてもおいしい。

このあと再び川を渡り、古城側へ戻った。
北門城楼のすぐそこに渡し船乗り場があるので、ここから乗ってみることに。
チケットに含まれる九ヶ所のひとつだ。

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ゆったりとしたおおらかな流れの沱江。
のんびり進む舟から見上げる両岸の景色は新鮮だった。

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向こうに見えるのは、鳳凰を代表する歴史ある橋、“虹橋”。
もうすぐで虹橋をいうところで、舟は進むのをやめ、水流に任せておかしな動きをして岸に寄った。
なんだろうと思うと、後ろで舵をきっていた船頭さんが大声で電話で話している。
電話しているから今は舟を動かせないという中国ならではの理屈だ。
なかなかの長電話で、電話を終えたところで舟は元のルートに戻り、虹橋を越えた。

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深みを湛えた濃い緑。
その向こうに見える伝統的家屋。
「吊脚楼」と呼ばれる、高床式家屋だ。
この沱江沿いに建ち並ぶ建物はみなこうした吊脚楼。
上の階で居住し、下の階で家畜を買ったり物置とするのだそう。

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虹橋を越えたら、向こうにはまた違った賑わいがあった。
右手に見えるのは「万名塔」

ここで舟を降り、目の前にはチケット観光地の「万寿宮」がある。

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せっかくなので入ってみることに。

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立派な藍染が風に揺れている。
中国南部はこうした藍染の技術が伝統だ。

中には博物館となった建物があり入ってみたが、展示物がたくさんあるわけでもなく、簡易なものだった。

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こちらはミャオ族の首飾り。
シンプルなデザインの中に、細かな模様がうっすらと刻まれている。
ミャオ族の装飾品の特徴はこうした銀細工にある。
古城内には、衣装と装飾を着て写真を撮るように勧めてくる客引きがたいへん多く、もちろんそれらはおもちゃにもならない偽物なんだけれど、ミャオ族について詳しい知識を持たない観光客にもイメージを与えてくれる良さもある。
それらの装飾は非常に細かで派手で、見るものを驚かせる。
だから、こんなシンプルな首飾りは意外だった。
時代が書かれていたかどうかはわからないが、もちろんこれは本物で、銀製だ。

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これは髪飾り。
なんだか、日本の美意識に近しいものを感じる。和服に合いそう。

万寿宮にはこの簡易な博物館しかないみたいだったので、出ることにした。
そこらをうろうろしていると、暖かそうな湯気。

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葉っぱにくるまれているのは、お餅だ。
中国の「餅」ではなく、あの日本のお餅。紫色のと緑色のがある。
2個でたしか5元だった。
お餅の中に入っていたのは、きな粉だった。
日本人の味覚だ。

このお餅の隣りには、おにぎりのようなものも。
具が混ぜられた混ぜご飯のおにぎりだ。
米麺もそうだし、日本人の嗜好に近い感覚がある。
もちろんそういうものばかりではないけれど、中国の他の地域ではあまり出合わない感覚だったので、余計にそう感じてしまう。

中国では北に麺、南に米の文化がある。
稲作は南部に適していたためだ。
中国南部では稲作が盛んに行われ、棚田も数多い。
日本の食の基本は米だから、中国南部は北部西部よりも近しく感じる部分はあるかもしれない。

日本に稲作をもたらしたのは、中国だ。
それは弥生時代。日本に渡来したのは当時長江流域に暮らしていたミャオ族だという説があるのだという。
そして、渡来人となったミャオ族こそが日本に稲作をもたらしたのだと。
以前に、徐福が日本に渡来して稲作を伝えたのだという設定の小説を読んだことがある。
そしてかつて稲作を伝えた徐福の末裔が卑弥呼なのだという、卑弥呼が主軸のストーリーだった。
実際にそういう説はあるよう。
個人的にはミャオ族よりも徐福の方がおもしろいけれど、西北部にある秦の始皇帝の命を受けておそらく東北部沿岸から出向したとされる徐福よりも、ミャオ族の方が信憑性はあるような気もする。
実際のところはわからないけれど、そういう説からも、ミャオ族と日本人との共通点が多いというのは単なる感覚だけではなく、そこに根拠を認めればけっこう現実的な話だともいえる。



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まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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