2017-05-31

喀什旅行三日目~その一~

2017年5月3日、目覚めて外を見るともう明るかった。
今日はいよいよ、今回の旅の拠点・喀什(カシュガル)へ。

ウルムチ空港の上空は晴天だった。
10時45分発、南方航空 CZ6805便で空路カシュガルへと飛び立った。
空港や機内での放送が中国語とウイグル語になると、あぁ、新疆へ来たんだなと実感し旅情を誘う。

1705031.jpg

窓の外を覗くと、真下には険しい山々が一面に広がっていた。
こんな光景もこちらならではだ。
平地や集落など、飛行機からは一切確認できない。
山はどれも雪をかぶっていて、山肌は青く見えた。
それを見て、昨日の冬の寒さのウルムチを思い出した。

ウルムチからカシュガルまでは、空路2時間である。
寝台列車や長距離バスを利用すれば、最低でまる一日24時間がかかる。
本当は列車に乗り時間をかけてその移動を体感したい。
それこそが、この広大な大地を経験するということだと思うからだ。
でも、それは時間的にかなわない。
それでも、こんな空からの風景を見れば、これも悪くないかなとも、思う。

飛行機の中で、ザックから油にまみれたビニール袋を取り出した。
昨日みんなが買ってくれた回族のお菓子を、ここで朝ご飯代わりにするためだ。

それから、今日一日に備えるため、睡眠をとった。
誰に起こされるでもなく目を開けると、もう間もなくカシュガルというときだった。

1705032.jpg

外を見れば、先ほどの雪山の青い風景が嘘みたいな、一面の砂漠だった。
今まで砂漠地帯は数度経験しているが、飛行機からの光景がこれほどまでだったことはない。
これから降り立つ場所は今までとは違うんだぞ、と言われているみたいだった。


喀什(カシュガル)は、中国最西端の都市である。
西側にキルギス、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタンと国境を接する、まさしく中央アジアとの境に位置する。
中国と中央アジアを結ぶ要所であり、中国側から辿れば、遥かなシルクロードの中国最後のエリアということになる。
いってみれば、カシュガルは中央アジアへの扉だ。

シルクロードは周知の通り、けっして一本の道なわけではない。
途中で枝分かれし、また合流し、こうしていくつかのルートが存在した。
天山南路(西域北道)ータクラマカン砂漠を挟んで北部、クチャを通るルート。
西域南道ータクラマカン砂漠を挟んで南部、ホータンを通るルート。
この二つのシルクロードは、中国から西域に向かう途中、中央アジアに入る直前にカシュガルで合流する。
それだけみても、シルクロード交易において重要な拠点だったことが想像できる。

昨年の8月には、上に挙げた天山南路のクチャへ旅行した。
三蔵法師として有名な玄奘が滞在した仏教遺跡や、大唐西域記に記載がある湖などを観光した。
その玄奘、もちろんカシュガルにも立ち寄っている。
大唐西域記にはカシュガルは佉沙国としてその名があり、仏教が盛んな国だと記されている。
玄奘は天竺からの帰途、ふたたびクチャ方面を目指し佉沙国ーカシュガルーを通過した。
クチャの先にある、高昌国ー現在のトルファンー。
天竺へ向かう往路に、その高昌国にて帰路にも再び立ち寄ることを約束していたからだ。
しかし佉沙国ーカシュガルーで、すでにその高昌国が滅んでいることを知り、玄奘はルートをホータン方面ー西域北道から西域南道にー変えることを決めたのだ。

つまりカシュガルは、中国ー中央アジアの境界地点として。
それから、シルクロードの要所として。
また、仏教東漸の一通過点として。
さまざまな側面から重要な地点だといって間違いない。

しかし、現在カシュガルについて語るとき、一番に話題に上がってくるのはそれらとは言い難い。
ここ近年、カシュガルの名が挙がるのは治安問題についてだ。

「カシュガルに行きたい」
そうロンさんに相談してみたのは、今年に入ってからだっただろうか。
「行かないことを、強く勧める」
彼の返事ははっきりしたものだった。
「何故かはここでは、言わない。ただ、行かない方がいいだろう」
そういう言い回しをしたのは、公共電波を利用してナイーブな話はできないからだと思う。
「じゃあ、ホータンに行きたい」
「それはダメだ、君は行けない。墨玉事件を知らないのか?」
2016年年末、ホータンすぐそばの墨玉(カラカシュ)の県共産党庁舎にて暴徒による起爆襲撃事件があった。
その後も連続して、ホータン周辺で襲撃事件が起きている。
日本ではほとんど報道されないが、南疆エリアは特にこうした事件が頻発している。
中国国内でも厳しい報道規制が行われているので、言ってしまえばほとんどの人間がその詳細を知ることができない。
当然のことながら、私は知らないに等しい。
ただわかるのは、治安状況は決してよくない、ということだけである。

そういうわけで、私は南疆行きをいったん諦めた。
「タクラマカン砂漠から車で敦煌まで走破してみるのもおもしろいぞ」
ロンさんは、そう言った。
「人煙一切なし、植物すらもない、岩がころがってるだけの砂漠、ひたすらひたすら…」
四日もあれば、敦煌まで到達できるだろう、そう言った。
冗談だったかも知れないが、私は本気にしてそれもおもしろいな、と思った。
その話題を忘れた頃。
いろいろ話の流れがあり、やっぱりカシュガルへ行くことになったのである。

そういうわけで、カシュガルについて書くならば、治安状況について触れないわけにはいかない。
それについて考えないならば、現在のカシュガルについて何も考えていないに等しい。そう言ってもいいと思う。
つまり、私がカシュガル旅行を決めたのはそういう場所だと認識してのうえだし、それを踏まえたうえで現在の姿を見てみたいと考えたのだ。

1705033.jpg

カシュガル空港に降り立ったのは、12時半。
新疆時間でいえば10時半ということになるが、実際の感覚はどうだろう。
地図を見ればわかるように、新疆ウイグル自治区だけでひとつの国かというほど大きいのだ。
新疆最東のハミと最西のカシュガルとでは、実質三時間ほどの時差があると言われている。
それを踏まえると、新疆時間からマイナス二時間くらいした感じだろうか。
となると、だいたい8時半くらいの感覚?
ただ、公式には12時半であり、現地時間でも新疆統一して10時半である。

空港の周囲は荒涼とした砂漠の山々だった。
島国日本では絶対に味わえない感覚だ。
まず、その熱気にやられた。
昨日のウルムチは気温6度だった。
冬から一気に春を飛び越して夏になってしまったみたいだ。いったい今何度なんだ?

荷物を受け取り空港をでると、多くの人が客待ちをしていた。
そのすべてがウイグル族だ。
正面には小型バスが停まっており、空港線と書かれていた。
ロンさんの指示はこうだった。
「空港から2路のバスに乗り、カシュガル市内へ行く」
これは、2路のバスじゃないよなぁ…。
こういう形の車が2路3路といった路線バスのこともあるけど、空港線って書いてあるし。
そこで、客待ちのウイグル族に訊いてみた。
「2路のバスってどこ?」
「2路のバスは外だよ、向こう」
驚いた。
今までの経験では、こうした場合その多くが「そのバスはない、俺の方に乗れ、行ってやるぞ」なんて感じだからだ。
親切に感謝しながら、ガラガラと荷物を転がしながら空港の外に出た。
空港の前には一本の道路が通っており、左向こうに数台の路線バスが停まっていた。

1705034.jpg

「あれ、カシュガル市内に行く?」
心配で数人に訊いてみたが、「そうだよ」との返事。
けれど数台のすべてが無人。
「いつ出発するの?」
なんてその辺にいたウイグルのおじいさんに訊いていると、運転手に訊いて「5分後だよ」と教えてくれた。
うろうろしていると、出発する際に声をかけてくれた。
ちなみに、写真の方角が進行方向。
反対方面はすぐ一面荒涼としていて、文明外だ。

ロンさんの指示はこの通り。
「バスに乗ったらヤオさんに電話をしなさい。それから、橋を越えたらもう一度電話しなさい」
ヤオさんは、カシュガルで私を出迎えてくれるロンさんの友達。
電話番号のみを教えてもらっていた。
1元を支払ってバスに乗り込み、私はヤオさんに電話をしてカシュガルに着きバスに乗ったことを伝えた。
この2路のバスで、農業銀行バス亭で下車する。

バスが発車して間もなくして、停車した。
運転手は私に、「10分停車するから降りなさい、荷物はそのままでいいから」と言った。
見れば、そこは簡易検問所だった。
数名の乗客は降り検問に向かい、数名は降りなかった。この違いはなんだろう。
とりあえず私は指名されたので検問を受ける。

こうしてバスは再び出発し、砂と土の街、カシュガルへ入った。
暑い。いったい何度だ?と思っていると、バスの電光表示に気温らしきものが表示された。
「35℃」
うそ!
おととい日本は全国的に猛暑日だった。
かと思えば、昨日到着したウルムチは冬の6度だった。
かと思えば、今度は35度?
どうかしている。
結論からいえば、おそらくこの35度はなにかの間違いだった。
あとから確認したら、その日のカシュガルの気温は27度だったからだ。

1705035.jpg

一面、茶色い家々。
今まで見たことのある新疆の雰囲気とぜんぜん違う。
感じ入っていると、途中のバス停で欧米人の男性が一人乗り込んできて私のすぐそばに座った。
男性は私と同じくらいの年齢だろうか。
麦わら帽子をかぶって、背中には砂まみれの大きなザック。
手には、マジックで簡体字が書かれた段ボールの切れ端を持っていた。
男性が乗車したバス停の名前だった。
ヒッチハイクでもして来たのだろうか。
私はまだ日本人だから簡体字も勉強しやすいが、欧米人にとっては漢字なんて真似して書くのも難しいと思う。
なんとなく同じ一人旅として親近感が湧くが、おそらく彼には私は中国人に見えているだろう。

橋を越えたら電話をしなければ、と思っていたがどうやらとっくに通り過ぎてしまったようだ。
というのも、新疆には水がない川というのがけっこうあるからだ。
雪解けシーズン以外は枯渇した川。
あぁ、多分あれだったかなぁと考えながら、農業銀行バス亭に到着してしまった。
到着してヤオさんに電話をすると、ヤオさんのお店はすぐ近くで迎えにきてくれた。

ヤオさんはカシュガルでお茶のお店を開いている。
お店に着くと、さっそく奥の茶台で次々とお茶をごちそうしてくれた。
ヤオさんは安徽出身なのだそう。
淹れてくれたのは龍井茶だったけど、なるほど、店内には安徽の銘茶がたくさん。
年末年始に訪れた黄山旅行を思い出した。

「昨日、沙塵暴があったんでしょ?」
ヤオさんに訊いてみた。
昨日ウルムチで、みんながカシュガルが今たいへんだと写真を見せてくれたのだ。
その写真は砂嵐で少し先の様子も見えないふうだった。まるで霧のなかみたいに。
じつは、出発数日前にカシュガルの天気予報をネットで見てみた。
沙尘、沙尘、沙尘。
こんな天気予報見たことないから、驚いた。
「景色見えない?」
みんなに訊いてみたら、「こうして話している距離で相手が見えないよ」
どうしよう~なんて思っていたら、今日到着していたらいい天気。暑いのをのぞけば。
「景色見えなかったんでしょ?」 とヤオさんに言ってみると、
「そんなでもないよ~」 と冷静な感じ。

「カシュガルは危険なの?」
今度は大事なことを訊いてみた。
「そんなでもないよ~」 とおんなじ感じ。
やっぱり、現地の人と外部の人とでは、色々感覚の差があるよう。

隣りのお店が便利だからご飯食べておいで、とヤオさんが勧めるので隣りの食堂に入ってみた。
隣りは蘭州拉麺のお店で、私はこれが大好きだった。

1705036.jpg

ウイグルの女の子が店員をやっていて、注文と一緒にお金を払おうとすると、
「先に食べて」 と言う。
外国人は安心されてるのかな~なんて思い、おいしい蘭州拉麺を味わいお金を払おうとすると。
「お金はいらない」 と言う。
なんと。そんなことが、あるのか?
外国人だから、サービス?

ヤオさんのお店に戻り、「おかしいんだ、お金要らないっていうんだ」 と言うと、
「あれは自分のお店だから」
なるほど、ヤオさんの奢りだったんだ。
世の中にそんなおかしな話があるわけないのだった。

しばらくここでゆっくりして、いよいよタシュクルガンへ出発することになった。

塔什庫爾干塔吉克自治県(タシュクルガン・タジク自治県)は、ここカシュガルから300㎞の距離に位置する辺境の街だ。
パミール高原の東南にあり、その標高4000m。
西にはタジキスタン、アフガニスタン、パキスタンが接し、険しい山々が国境を形成している。
まさしく、国境の街だ。
人口の多くが、中国少数民族唯一のイラン系民族・タジク族。
タシュクルガンでは二人の現地人が私を待っていてくれて、私はそこで二泊する。
夜にはタジク族の家にお邪魔してごちそうしてもらいなさい、とロンさんは言っていた。
本来はパキスタンとの国境まで行く予定だったが、それは現状不可能ということで、タシュクルガンでゆっくりすることになった。
中国、特に辺境や情勢が不安定なエリアでは、状況が変化することは十分に考えられることだ。

カシュガルからタシュクルガンまでは、車で向かう。
喀什塔県办事処で車が手配できると聞いていた。
ヤオさんがタクシーを捕まえ、一緒にそこまで行ってくれた。

着いてみれば、なんでもない道路の真ん中。
近くには、晨光伊甸园バス停があった。

1705037.jpg

「办事処ってどこ?」 とヤオさんに訊いてみると、
「向こうだよ」 とすぐそこを指差した。
でも、このへんに並んでる車がタシュクルガンに向かってくれるらしい。
運転手はすぐに決まり、乗車した。

1705038.jpg

この看板が、白タクなんかではなくちゃんとした車であることを示している。

ヤオさんに手を振り、別れた。
「あさって、戻ってきたら連絡するね」
15時半、出発だ。

運転手はウイグル族、私は助手席に座り、後ろの座席にはウイグル族の夫婦。小さな赤ちゃんを抱いていた。
車が出発して以降、車内はウイグル語オンリーになった。
でも運転手は中国語が話せるようだ。
タシュクルガンまで5~6時間だということだが、運転手も後ろの夫婦も感じがよくて、別に大した会話をしたわけではないが、道中は気楽で楽しかった。
タシュクルガンへ向かう途中には有名なカラクリ湖を通過することがわかっていたので、頼んで立ち寄ってもらうことにもなっていた。

1705039.jpg

しばらく車を走らせて、こんなだだっ広くて人っ子ひとりいないような建物に入っていった。
運転手は私からパスポートを預かり中に入っていく。
カシュガル国際バスターミナル、のよう。
中を覗いてみたくて、車を降りて入ってみた。

17050310.jpg

たくさんの窓口があるが、中にはたった一人の窓口係員と手続きする運転手さんしかいない。
窓口にはさまざまな行先。
パキスタン、キルギスタン、タジキスタンの街の名。
アフガニスタンと中国との陸路国境は現在封鎖されているため、アフガニスタンの名はない。
パキスタン国境も立ち入れないという話で私は行けなくなったので、このバスも今はないかもしれない。

17050337.jpg

運転手さんはここでチケットを買って、うろうろしている私に寄こした。
カシュガルからタシュクルガンまで120元。
もう車に乗って出発しているのに後からチケットを買うなんて仕組みがよくわからない。
こういうのは初めてだ。

そとは真っ青な空。
スライム型のイスラム建築が通り過ぎていく。
そうかと思えば、風景はあっという間に人気のないものになっていく。

17050311.jpg

道路標識は、カーブを描いてその先に塔什庫爾干(タシュクルガン)と紅其拉甫(クンジュラブ)を示している。

今回行くことがかなわない国境・クンジュラブ。

そこには“クンジュラブ口岸”がある。
口岸とは出入国検査場のことで、つまりそこは国境がある場所だ。
ところが、クンジュラブ口岸がタシュクルガンからすぐの位置にあるのに対し、中パ国境はそこから130㎞も離れたところにある。
なぜそんなことになっているのか。
それは、国境があまりにも険しく自然環境も厳しいため、現実的にそこに検査場を設けることが難しいからだ。
中パ国境・クンジュラブ峠は標高4700m、陸路で越える国境としては世界でもっとも標高の高い位置にある国境で、気象条件の厳しさから死の谷ともいわれ、かつて多くの死者を出したのだという。
そのため、中国、パキスタン両国とも出入国検査場は国境からかなり離れた位置にある。
パキスタン側の検査場はススト、やはり国境から125㎞離れた位置にある。

この国境は、現代ではその険しさそのものが価値に変化し、多くの観光客を呼んだ。
中国・クンジュラブからパキスタン・スストへ、またはその逆。
国際バスに乗り込めばまる一日かかる行程だが、それ自体を目的に訪れる観光客は多かっただろう。
ビザの取得が比較的安易でないパキスタンの中で、スストでは以前はアライバルビザを取得することもできたのだそう。
つまり、ビザなしで出入国検査場へ弾丸で行き、その場で発行してもらう。そんなのも、旅の魅力だっただろう。
ところがそれもできなくなった。
情勢を考えれば当然のことだ。

私は今回、クンジュラブ口岸を通過し、標高4700mの国境まで行くつもりだった。
この国境、気象条件の厳しさから冬季は閉鎖されている。
5月1日~10月15日の間のみ、そこを訪れることができる…はずだった。
今回私は5月4日にそこを訪れようとしていた。
開放とともに行けるなんて、私やっぱりタイミングいい!なんて思っていたのに。
現在この国境は人を受け付けていないらしい。
 ※私が訪れた時点での話なので、興味がある方はご自身でご確認ください。

写真では見にくいですがこの道路標識、タシュクルガン、クンジュラブ方面のカーブに赤いマークで「G314」と示されている。
国境を訪れることができない残念さは消えないけど、今回この旅行では、このG314を走ること自体にも意義があった。

17050324.jpg

私はドライブの中、携帯の地図アプリを開いた。
昨日ロンさんが私に旅程のファイルを送ってくれたものだ。
ピンクの点々が私に予定されている通過点。
一番上がカシュガル。
そこからG314、つまり中国国道314号線を走り、一番下のタシュクルガンに至る。
まだスタート地点から全然動いていないのがわかった。

このG314は、ウルムチからスタートしカシュガルを通過し、そのままクンジュラブ峠まで続く。
しかし、単なる国道ではない。
G314にはカシュガル以降、もうひとつの名前が加わる。
「カラコルム・ハイウェイ」
魅惑の響きである。
カラコルム・ハイウェイとは、中国・カシュガルとパキスタン・ギルギットを結ぶ道路ーそれがどの程度の舗装道路なのかはさておきーであり、カラコルム山脈を横断し両国を跨ぐ。
全長1224㎞のうち、三分の一が中国、三分の二がパキスタンだ。
この中国有する三分の一が、このカシュガルからクンジュラブ峠までのG314なのだ。

このカラコルム・ハイウェイ、なぜ多くの人々をこんなにも魅了するのか。
それは通過する人々を圧倒させる大自然か。
それとも、人を寄せ付けない厳しさ険しさの中に命奪われることありながらも道を切り開いた人智か。
このカラコルム・ハイウェイ、実はシルクロードにほぼ沿った形になっている。
遥かいにしえより、この道を通して西と東、人々の往来や文化・物資の行き来が行われてきた。
そうした背景は、このただでさえ冒険的なドライブを、いっそうロマン掻き立ててくれる。

しかしそうした一方で、このハイウェイは現代にあっても重要な役割を担っている。
中国、パキスタン、ともに軍事国家である。
このハイウェイは軍事的にも物資の往来からも重要なラインであり、また中パだけでなく中国ー中東、アフリカ方面とを繋ぐ。
このかつてのシルクロードは、古代から時は変わり現代となっても形や役割をかえて生きている重要なルートである。
国境へ行くことができないのは、観光客だけだろうか。
そうであればまだいいが、もしこれがアフガニスタンとの国境のように封鎖、ということにでもなるのならば、それが意味するものはあまりいいものではない。

17050312.jpg

時折、乾いたような緑がちらほらするも、一面砂漠の風景だった。
遠くには枯れた山々が低くつらなり、しばらくはこうした一様な風景が続いた。

初めて砂漠を経験したのは、敦煌だった。
そこには砂漠のオアシスがあり、オアシスには緑が溢れていた。
それは砂漠の中のうるおいだ。
そこには、気候がまったく違うことを考えなくても感じさせてくれる植物、木々がたくさんあった。
カラコルム・ハイウェイ前半のドライブの中で、通り過ぎていく緑はそれを思い起こすような、似たようなものだった。
砂漠に生きる植物には、きっとなにか共通するものがあるんだろう。
でも、なぜだか私はそれにうるおいを感じないのだ。
時々、背高く伸びる木々の間を通過することもあった。
それははるか遠くにそびえる山々の雪解けの恵みではないだろうか。
それなのに、そのうるおいをかき消してしまうほどの、強い乾きを感じた。
乾いた緑は、どれも共通して薄かった。
薄いというより、白がかって見える、と言った方がその感覚に近いかもしれない。
白がかった緑は、乾いた薄茶色の大地と一緒になって、白がかった風景を作り出していた。
それはまるで、直射日光によって白化した塗料のようだ、と思った。
もしかして、これら大地も緑ももともとは鮮やかなのに、あまりに厳しい日差しによって白化してしまったものなのではないだろうか。そんなふうにも思った。
ときおり、小鳥が舞った。
雀とか鳩とか、日本でもおなじみの何にも珍しくない鳥。
でもなんとなく、色が薄かった。
この白がかった風景に溶け込む為に、薄く変化したんじゃないか、なんて思った。
それとも日光に色素を奪われてしまったか。
ほんとうはどうかわからない。
単に身体が渇いていた私が見た錯覚だったかも知れない。


クリックしていただけると励みになります☆
↓↓↓
にほんブログ村 旅行ブログ 中国旅行(チャイナ)へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
最新トラックバック
クリックしていただけると励みになります↲