2017-05-31

喀什旅行三日目~その二~

カシュガルを出発して一時間ほどして、小さな村を通過した。
烏帕爾(ウパル)という村だ。
道路の両脇にはナンや果物やまた工具なんかを売るお店が軒を連ねている。
車はここで路上駐車し、うしろの夫婦は私に「ご飯食べない?」と訊いてきた。
私は、「食べない」と答えた。
どうやらここで休憩するよう。
5~6時間のドライブのうち、まだ一時間しか経っていない。
まだまだ先は長い。
私を待っているタシュクルガンとは、どんなところだろう。
期待は膨らんだ。

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こんな写真しか残っていないのにはわけがある。
この数十メートルほどの小さな商店街のすぐ先には、立派な公安が青と赤のランプを光らせながらでん、としていた。
小さなエリアでどうしてもそれが入りこんでしまう為、あまり全体の雰囲気を撮影することができなかった。

数度新疆旅行をしてきてやや書き飽きてきた感があり、もはや触れるのを忘れていたが、カシュガル空港に降り立ってから、公安、公安、公安…この繰り返しだ。
バスに乗り降りるまで、いったいいくつの公安が通り過ぎていったか。
内地の公安のように小さなな街角の派出所、なんてものではない。
かなり立派な公安の建物が、またかまたかというほど続いているのだ。
公安だけでなく装甲車も通過する。
そもそも新疆ウイグル自治区とは、そういうエリアである。
しかし、カシュガルはやっぱり私が今まで旅行してきた場所の比ではなかった。
そんなふうに、到着してそれを実感したところであった。

カシュガル市内を出て周囲の風景が文明的でなくなっても、今度は検問が続く。
検問は大規模なものから簡易なものから頻繁にあるので、もうすでにどこでいくつ経験したのか記憶にはっきりしないほど。
大規模なものは、運転手以外は車を降り施設内で検査を受ける。
簡易なものは、車に乗ったままフロントとトランクをチェックされたり、そのままパスポート、身分証を見せたり、運転手が口頭の質疑に答えたりするだけで怪しくなければ通過できる。
それらの武装警官はその通り武装しているので、慣れたつもりでもひやりとするものだ。

この烏帕爾の前だったか後だったかは忘れたが、比較的規模の大きい検問で初めて身体検査?を経験した。
身体検査というか、あの無人証明写真の機械みたいに、中に入って緑のランプがつけばOKというやつだ。
今までにもそれは見たことがあるが、入れと言われるのは少数民族ばかりで私はそれを経験したことがなかったが、とうとうここで「入れ」と言われた。
緑がつき安心したが、ほんとうに何が起こるのかわからないのが中国なので、怖い。
中国人は身分証で通過するが、私はパスポートのため横の窓口で審査を受ける。
やましいところはないのに、「北京から来たのか?」 なんて訊かれれば、
「一昨日日本から北京に入り、昨日ウルムチ入りしてからそのあと飛行機で今日カシュガルに来た」
なんて、訊かれてもいないことを並べ、「あ、旅行です」なんて付け加える。
饒舌はかえって怪しいぞ、自分で自分に警告し、焦って表情が強ばる。
現地の同行者がいればこうも動揺しないのだが、今は一人行動なのでいくぶん緊張している。

とにかく、中国でもっとも治安維持に力をいれているのが新疆ウイグル自治区であり、その中でももっとも厳しいのが新疆西南部である。
しかし、守られているというより危険な感覚すらするのだから、敵なのか味方なのかわからない。

こんな小さな村にすら、そのウイグルの情緒を完璧に壊してしまうあの立派な公安。
その対比はすさまじい。
おそらく最近できたものだろう。

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すぐそばには、ロバ車が通る。
荷台には布団みたいなものが乗っかり、赤ちゃんがそこに寄りかかっている。
母親かもしれないその女性は、ウイグルの伝統織物アトラスを身に纏い、スマホを使って電話をしていた。
並べられた焼きたてのナンの向こうには、ピカピカの公安がでん。110のマークをみて、「世界共通だ~」なんて思う。
なんて光景だ。
しかし、なかなかこれはこれで現代の新疆の姿を象徴していはいないだろうか。

あまり離れると置いていかれる可能性があったので狭いエリアでうろうろし、すぐに見るものやることはなくなった。
初めは買うつもりはなかったが、並ぶ色とりどりの果物にウイグルのおじさんたちが声をかけてくるので、心が動いた。
ここに来る前、新疆の友達が言っていた。
「そのシーズン果物はあんまりないよ」
ウルムチに着いて友達が言っていた。
「今は果物ないよ、売られてる西瓜は青海のだよ」
けれど、せっかく来たのだから買って食べてみようか。
私は中国を旅行するとき春~秋にかけては、水分補給はペットボトルの水よりも果物で補給することが少なくない。
ミネラルウォーターよりもうまい具合に調整ができるからだ。

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そういうわけで、買ったのはこれだけ。
「これ、なんて名前?」
一つひとつ訊いてみるが、よくわからない。
知らない名称である可能性も高いので、「ちょっとここに書いて」 とお願いして見た。

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そうしたら、ウイグル語。読めない~。
「中国語で書いて」 そう言うと、
「中国語は書けない」 という。
他のおじさんもみな同じ。
そこで運転手さんにお願いしてみたら、運転手さんも話せるだけで書けないという。
やっぱり、会話するのと書くのは違うんだ。
漢字は難しいもんな、と納得した。

あとから友達になったウイグル族の女の子に訊いたら、
上から、桃子、瓜、芒果、と書いてあると教えてくれたが、ざっくりすぎる。
そのまた後から、ウルムチの友達が教えてくれた。
油桃、老漢瓜、芒果、果物の名称としてはこれが正解。
でもウイグル文字がそこまで限定して書いていたかはわからない。

桃の他、色濃い赤のはスモモだった。
桃とスモモとマンゴーは、皮ごとかぶりついてすぐ食べた。
マンゴーはカシュガルでも至る所で売られていたが、台湾とか中国南部とかの生産である可能性もある。
なんとなく砂漠の果物って感じはしない。
でも、とても甘くておいしかった。
これらすべてで28元。
老漢瓜は、さすがに素手では食べれないため持って帰った。
中身はメロンそのものだった。
大満足だ。

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いよいよ再出発。
風景は、今までの砂漠砂漠としたものから、険しい岩山に変わった。
気温もだいぶ下がった。いったい何度だろう。
猛暑の日本から、
冬のウルムチへ、
真夏のカシュガルへ、
そこからのこの寒さ。
カシュガルに着いて、何度か眩暈を起こした。
あの時には暑さにやられたのだと思ったが、もしかしたらこの気温差に身体がついていっていなかったのかもしれない。

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進行方向の先に遠く、鋭くとがった山々が見えた。
雪をかぶっている。
「今どの辺だろう…」
烏帕爾を出てから、地図がダウンロードできなくなってしまった。
ネットワークが非常に悪い。
この先には、最初の観光目的、卡拉庫里湖(カラクリ湖)が待っている。
もう近いのかな。

カラクリ湖は海抜3600mの高さにある湖。
もう近いならば、けっこう標高を上がってきたことになる。寒いのも納得だ。
湖の南側には、標高7546mで氷山の父と呼ばれる、慕士塔格峰(ムスタグ・アタ山)。
東側には、標高7649mでムスタグの子女と呼ばれる、公格爾山(コングール山)。
それらを見ることができるのだという。
コングール山は崑崙山脈の最高峰だ。
そんな高峰を見る機会も初めてなので、とても楽しみにしていた。

日本の最高峰が3776mの富士山なのに対し、中国には7000m、8000m級の高峰が数多くある。
世界最高峰8848mのエベレスト(チョモランマ)は、中国・チベットとネパールの国境に聳える。
世界第二位高峰8611mのK2は、これから向かうタシュクルガンのすぐ先カラコルム山脈にある。
これだけでも、中国の大地がどれだけの規模を持っているかを示している。
ひょっとしてクンジュラブを訪れた時にこのK2を望めるのではないかと興奮したが、それは叶わなくなった。

このK2、世界でもっとも登ることが難しい山として有名だ。
今まで数多くの登山死者を出している。
この奥地の奥地、その地理的要因から、長くその存在を知られてこなかったのだという。
K2という名称はカラコルム山脈につけられた測量番号がそのまま残ったものであり、つまりはもともと名称を持たないほど知られていなかった。
それはそのまま、この地がいかに外界から離れたものであるかを示している。
しかしそれに反比例して、その難関さ困難さは登山者を惹きつけた。

シルクロードに憧れて。
中央アジアの文化に魅せられて。
大自然を体感するために。
引き寄せられるのは旅人だけではなかった。
ここには、山に魅せられた人たちもはるばるやって来る。
そう考えたら、なんてすごい場所なんだ、ここは。

あの尖った高峰がなんの山なのかはわからないが、その山が見えている間中、そんなことを考えていた。

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一方で、左右に展開する山肌はそれはそれで険しさをもっていた。
むき出しの地層と尖った山肌は、クチャ旅行のときの天山ドライブを思い出させた。
あのときもこんな感じだったな~。

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舗装道路は続けど、人の気配は一切ない。
もちろん人家もない。
ここで立ち往生するということは、死を意味するような気がした。
シルクロードの時代、行き来した人たちがいたことが未だに信じられない。
ただ今と昔が違うのは、この舗装道路と、ここを通過する車があることだ。
それから通信手段も。
もし私がここで置いてけぼりになっても、バッテリーとネットワークが生きる限り助けを求めることができるし、また通りがかる車に停まってもらうこともできるだろう。

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途中で簡易な検問を通過した。
その警官の瞳は薄く、肌はとても白かった。
塔吉克族(タジク族)だ。
私にとって、中国を訪れて目の前にいるのが何族なのかをあてることはなかなか簡単ではない。
しかも、私はおそらく今までタジク族に出会ったことがない。
それなのになぜわかったのかというと、タジク族は中国少数民族のなかで唯一のイラン系民族だからだ。
顔でひと目でそれとわかる。
その遠いまなざしを見て、中国はなんて多彩な国なんだろうと思った。

顔でひと目でそれとわかるが、もうひとつ。
タシュクルガン・タジク自治県ーの名が示すように、タシュクルガンはタジク族の地だ。
中国に暮らすタジク族のほとんどがこのカシュガル地区タシュクルガン・タジク自治県に暮らしている。
そういうわけで、私は彼をタジク族だと確信できたのだ。
新疆の他の地にもタジク族は暮らすそうだが、タジク語を話すのはタシュクルガンに暮らすタジク族のみで、他の地に暮らすタジク族はウイグル語を話す。
だからやっぱり、タジク族に会いたければタシュクルガンに行くしかない。
中国領土にいながらも、遥か遠方の国々の文化を感じることができる。
これが中国の魅力のひとつであり、またそういう点では新疆ウイグル自治区は別格だ。

検問を抜ける間にほんの一瞬みたタジク族の薄い瞳に、シルクロードの永遠のような遠さを感じたような気がした。

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雪をかぶった鋭い稜線を描く山。
カシュガル市内を抜けてえんえん乾いた砂漠だったのが嘘のように、風景はこの2、3時間でがらりと姿を変えた。
地図はいっさいダウンロードできなくなっていたので現在地ははっきりしないが、険しい山岳にまちがいなく目的地に近づいていることを知る。しかしまだカラクリ湖にも到達していないということは、半分にも達していないということだ。

現在北京時間で18時過ぎ。
カシュガルを出発して3時間が経過したころ、ひとつの検問に車は停車した。
険しい山々に囲まれ、突如としてその建物は姿をみせる。
実は事前にこの検問所を通過することは知っていた。
ロンさんがくれた地図ファイルの通過点の中に、蓋孜検査站、というのがあったからだ。
カラクリ湖の少し手前だった。
あと少しだ、と胸が躍った。

いつものように、運転手さん以外の乗客、つまり私と後ろの夫婦は車を降りて検査所を通過した。
空気は冷たく、澄んでいた。
私は外国人の為、窓口側へ。
ガラス張りの向こうで警官はパスポートを受け取り、長いことページをめくってはまた戻しまためくった。
時間がかかるのには慣れている。
ウイグルの夫婦はとっくに外に抜けて、私を待っている。
「日本人?」
「そうです」
「ビザは?」
「二週間以内の旅行だから必要ない」
その他、ごく一般的な質疑応答。
警官はだまってパスポートを返してきた。
検査所を外に一歩出て、やっと通り抜けた、そう安堵した瞬間。
建物の奥から親父が出てきた。
「外国人か?」
そうだ、と対応した警官が答えた。
「旅行書はどこだ?」 親父は今度は私に訊いた。
私は状況が理解できず、旅行書(旅行証明書)を、旅行箱(旅行かばん)と聞き間違えた。
「旅行箱は車のなか」
「車はどこだ」
「向こうだよ」 検問を抜けて向こうで待つ彼らの方を指差した。
「あの車は自分で手配したのか?」
「そう、カシュガルで手配した」
そうして、親父は宣告した。
「だめだ、通せない」
え!?
耳を疑った。
他数名の警官がいたが、「通せない」という態度をとったのはその親父のみだった。
どうやらこの親父、えらい立場のよう。

「なんで?」
頭がまっしろになりながらできたのは、こう質問を返すことのみだった。
クンジュラブ口岸に行けないのはわかる。
事前に確認してわかったことだ。
しかし、タシュクルガンに行けないなんて話は聞いていないよ!?
今更いわれても。
行程の半分、3時間ドライブした後で言われても。
しかも車で3時間、人の生活の気配がしないこの大自然、山岳ど真ん中で、そう言われても!

「現在、外国人は単独でタシュクルガンに立ち入ることはできない」
今年からだよ、と付け加えた。
明瞭な回答であった。
「タシュクルガンに入るには、旅行社の車に乗り、旅行社が発行する旅行証明書を持たなければならない」
明瞭な回答であった。

去年8月のクチャ旅行を思い出した。
ウイグルのガイドと車を手配したら、めちゃくちゃ高かったうえに仕事がぜんぜんダメで、悲しい思いで帰路についたんだった。
あの時には紹介してくれたロンさんに、さんざん不満を垂れた。
ロンさんはけっして私に同情しなかったが、あの時の私の愚痴を覚えていてくれたんだと思う。
その後の旅行の度に、私が余分なお金をかけないように気を使ってくれている雰囲気があった。
今回も、おそらくクチャのことを配慮して旅行会社やガイドを介さないで、段取りを組んでくれたのだと思う。
あのクチャのガイド、ガイド許可証を胸に掛け、私の旅程等を記しガイド、運転手、私の情報を載せた旅行証明書を持っていた。
あれはやっぱり、必要なものだったんだ。

「現在、外国人は単独では立ち入ることができない」
親父は、はっきりした口調で繰り返した。
「タシュクルガンでは人が待ってる、すごく困る、私は行かなければならないよ」
困った態度を全面に出し、お願いした。
それが、絶対に無意味なことはわかってはいたけれど。
「だめだ」
「じゃあ、私はどうすればいいの!?」
「カシュガルに帰るしかない」
「どうやって帰るの!?」
「どのみち、あなたはタシュクルガンには行けないのだ」
ウイグルの運転手と夫婦は、タシュクルガンに行かなければならない。
私のみ、ここに残されてしまう。
あたり一面えんえん険しい山々しかないこの場所に。
人家どころか生き物の気配さえないこの場所に。
こんなところで独りぼっちになって、どうすればいいんだ?
携帯のネットワークは非常に悪く、地図のダウンロードも微信も使えなくなっていた。
使えるのは中国用の携帯電話のみ。
電話で助けを求めるしかないのか。

こうしたやりとりをずっと繰り返した。
運転手たちは少し離れた場所で、心配そうにこちらを見ている。
待たせて悪いけど…。
諦めない私に、親父たちはとうとうどこかに電話をかけた。
「カシュガルに日本語が話せるガイドがいる。その人と電話で話なさい」 そう言って携帯を寄こした。
「もしもし、カシュガルで旅行社をやっているものです」
思いのほか、しっかりした日本語だった。
こんな僻地で日本語を使うことになろうとは。
「明日で良ければ、私のところで車を手配できますよ、多分400元くらいでいけると思います」
「それはぜひ、お願いしたいです、タシュクルガンに行かなければならないんです」
それよりも先に、問題があった。
「でも、どうやってカシュガルに戻ればいいかわかりません、車はこのままタシュクルガンに向かいますから」
「たぶん、タシュクルガンからカシュガルに向かう車があると思うんです、探してみますよ」
親父の携帯を一度切って、その着信履歴を見てふたたび私の中国携帯でそこに電話をかけた。
私の携帯にその人の番号を残し、彼の携帯にも私の番号を残す為だ。
「大丈夫です、必ずやりますから、信じてください」
そのガイドは断言した。
名前を訊いたら、アクバルさんというそう。
しかし、ここで旅行会社の名前を確認しなかったのは、抜けているにもほどがあった。

ウイグルの運転手たちには、これ以上迷惑をかけることはできなかった。
「私は問題ない、先に行って」
それでも躊躇うような表情をみせ、なかなか向こうに行かなかった運転手と夫婦だったが、
「大丈夫、大丈夫」 と言って、先に行ってもらった。
躊躇うのもわかる。
こんな辺境の山岳地帯に外国人の女性をひとり残すことになるのだから。

検問所でひとり、正しくは検問の親父たちと私ひとり、になった。
目の前には高くそびえる尖った岩山があった。雪をまとっていた。
なんてすがすがしい山の姿だ。
目の前に聳えているので迫力ある写真が撮れそうだったが、検問所でカメラはタブー。
検問所とは反対方向だし、とは思ったが、カメラに触る行為自体も怖かったのでやめた。
やることもなく、ぼーっと立ち尽くす。
隣りの親父たちは建物の中に入っていかない。
私を心配してくれているのか、私を監視しているのか、いや、通過する車がないから検問の仕事がないのだろう。

しばらくぼーっとしていると、タシュクルガン方面から来た一台の車がこの検問所を通過した。
中には漢族の男性一人と、女性が二人。旅行者のよう。
なんとタイミングのいいことに、彼らはこれからカシュガルに向かうという。
そういうわけで、彼らの車に乗せていってもらうことにした。
私はついている。
しかし、3時間かけてきた道をまた3時間かけて戻るのか…。かなしい。

車に乗り、大事なことを思い出した。
まず、タシュクルガンで待っている二人のうち、ワンさんに電話をした。
「今日タシュクルガンに行けなくなったが、明日手配をしてまた行くのでそのとき連絡します」
今夜はタジク族の家におじゃまして、タジクの料理をごちそうしてもらう予定だった。
それから、ウルムチのロンさん、カシュガルのヤオさんにも連絡した。
「たまたま通りがかった漢族の旅行客が乗っけてってくれるよ」
それから、先ほどのアクバルさんにもカシュガルに戻る車は問題ないことを伝えた。
そして、明日の手配についてはカシュガルについてから携帯に連絡を入れることを約束した。

やるべきことを終え携帯を置くと、彼女たちが話しかけてきた。
運転手の男性は、新疆で旅行関係の仕事をやっているのだそう。
色んな場所の話をしたあとで、「楼蘭には興味ないか?」と言ってきた。
「楼蘭って行けるものなの?」
「行けるよ、俺に言えば連れていってあげるよ」
助手席の女性は西安人、私の隣の女性は南京人なのだそう。
三人とも人柄がとてもよくて、常に私を気にして会話をしてくれた。

男性が窓の外を指して言った。
「ほら見て、あれは南疆の火焔山だよ。トルファンの火焔山があるだろう?」

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陽の光に照らされた目が覚めるようなオレンジ色は、先ほどまでの凍るような冬山とは対照的だった。
紅山、と呼ばれているのだそう。
みんなで写真を撮る。

「タシュクルガンで二泊するつもりが、彼らは許可しなくて行けなくなったんだ」
本当は国境にも行ってみたかったけど、行けないんでしょ?
うんうん、と彼らはうなずいた。
「タシュクルガンは天気どうだった?」
そう訊いてみると、「風がすごかったよ、でも私たちはタシュクルガンに行ってきたわけではないから」と言う。
あの道を来たから、そうなのだと思っていた。
「私たちは今日カシュガルに行き、明日にはホータンに行くよ」
「ホータンは危険じゃないの?」
「大丈夫、大丈夫」
「そうだね、公安公安公安…あんなにも公安と検問がたくさんあったら、かえって…」
「安全!」
四人の声がきれいにそろった。

「一日、無駄にしてしまったね」
そう気遣うように言う彼女たち。
「でも、それでこその旅行だから」 
トラブルあってこその旅路。
そういうと、「あなた、すごいね」
でも、あなたたちが私を拾ってくれて親切にしてくれたから、こんなふうに思えるんだよ。

カシュガル市内に到着したのは21時を過ぎていた。
車は彼らが宿泊するホテルに入っていった。
車を降りて、「じゃあ、私はもう行くよ」というと、彼女たちは引き留めた。
ご飯を一緒に食べるとか、それか私の目的地に連れて行ってくれるとか、そこまで考えていてくれたかもしれない。
でも、私は時間が遅いことに焦っていたし、ヤオさんのところに行かなければならなかった。
彼らにガソリン代を渡そうとしたが、受け取らなかった。
そこで持っていたロンさんのお土産ー干アンズとかカザフのチョコレートーをお礼に渡そうとしたが、受け取らなかった。
親切に感謝し、四人で写真を撮り別れた。

一人になり、さてここはどこだろう、と困った。
私はカシュガルの地理をまだまったく把握していないし、地図も持っていなかった。
さらに言えば、どこに行ったらいいかも明確ではなかった。
ヤオさんのお店しかないが、通りの名も住所も付近に何があるのかもわからない。
かといって、ヤオさんに電話して現在地を説明することも難しそうだった。
そこで、最初に降りたバス停をターゲットにすることに。
ところが停めるタクシーはみな、わからないと言う。
「2路の一番最初のバス亭、農業銀行分行」
そういっても、ダメ。運転手はすべてウイグル族だった。言葉の問題もあったかもしれない。
そこで道々ひとに尋ねながら。
上記のようにたずねるも、「この辺は2路のバスはないよ」とのこと。
「でもその農業銀行なら歩いていける」
「一番大きな農業銀行分行ね」
教えられたとおりに行くと確かに農業銀行はあったが、私が言うものとは全く別の支店だった。
バス停の名前って案外、通用しない?

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がらがら荷物を転がし歩いて行けば、そこらにこのような土壁。
これらはきっと、いにしえの城址だ。
そんなのが街の風景に、当たり前のように混じっている。

そんなふうに楽しんで歩くも、時間はどんどん過ぎていきとうとう日が陰ってきた。
もうすぐ22時になろうとしている。
焦ってとうとう、ヤオさんに電話した。
「今、****の前にいるけど、どうやって行ったらいいかわからない」
目の前にある建物の名前を言ったら、ヤオさんはわかると言った。
「歩いてくるのは無理だから、タクシーに乗りな」
ヤオさんはあるホテル名を指定したが、私には発音だけではどのホテルかわからなかった。
これを、私が間違った発音でタクシーに伝えても辿り着けない。
そこで、捕まえたタクシーに電話で指示してもらい、無事ホテルへ。
本来は明後日の夜に宿泊するはずだったホテル。
急遽、今夜と明後日の二泊、というかたちに変更してくれていた。

ホテルは、人民広場、人民公園すぐ横の天縁酒店。
ウルムチ空港の真ん前にも同じホテルがあるのを思い出した。

部屋は11階で、窓からの景色はとても良かった。

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こちらは人民広場方面。
道路挟んで向かいには市政府があり、巨大な毛沢東像がライトアップされている。

部屋に落ち着きロンさんに連絡をとり、カシュガルのガイドの話を伝えた。
アクバルさんと明日の詳細を話したいのだが電話に出ないため、ショートメールを中国語で送った。
明日は極力早く出発したいけれど、必要な手続きがあるなら教えてください。
「彼の名前と電話番号を教えなさい、私も連絡するから」
ロンさんにそれらを伝え、もう安心だと夜のカシュガルに繰り出すことにした。

ホテルのロビーまで来てくれたのは、今日カシュガルについてごちそうになった蘭州拉麺のお店のウイグルの女の子だった。
ヤオさんが遣わしてくれたよう。
彼女の名前は、グリパイルというそう。

彼女の導くままに進んでいくと、ウイグルの賑わいがあってほっとした。
ホテルの周辺は現代都市といった感じで、その風景自体は好きだったが、新疆旅行としては味気なかった。
クチャ旅行の時にはあたりになんにもない高級ホテルで少しつまらない思いをしたので、ロンさんに、
「今回は賑やかな場所がいい」 とリクエストしていた。
「ダメだ、賑やかな場所は危ない」
そんなふうに言いつつも、このホテルは私にとってベストな結果となった。
まず、ヤオさんのお店に近く、つまり空港へ向かうバスに近い。
人民広場・人民公園の横にあり、場所としてわかりやすい。
斜め向かいには市政府があり、警備が厳しい、よって安全。
それでいてウイグル族の賑わいや観光地、老街にも近い。
何よりも、残りの日程で私は、カシュガルが現状どういう街かをこのホテルで体感することになるのである。

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イスラム建築に施された電飾は昨年の銀川を思い出させた。
カラフルな色彩とイスラム建築は、まるでお伽の国のような非現実的な空間を演出していた。

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そんな煌びやかな大通りを一歩曲がったところには、たくさんのイスラム料理店が建ち並び、屋台が軒を連ねる小吃街があった。
あちこちで羊が焼かれ、もくもくとした煙が、漂うというよりあたり一面に充満している。

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「食べたい?」
グリパイルはもう食事が済んでいるということで、私ひとりが食事した。

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ウイグル語は読めないが、中国語の並記やルビがある。
烤羊肉串、过油肉拌面、抓饭、大盘鸡、烩面…新疆料理の有名どころはけっこうもう経験してきたので新しい発見をしたかったが、頼んだのは烤羊肉串と过油肉拌面。

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外のテーブルをお願いした。
雰囲気が断然違う。
グリパイルに普段眠る時間を訊くと、けっこう早寝なようだった。
本来であればもうすぐ眠る時間。
私のカシュガル到着が夜になり、夜更かしに付き合わせてしまった。

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こちらは頼んだ过油肉拌面。
私はこの呼び名に慣れているが、カシュガルでは过油肉拉面の名称が一般的なようで、「拉麺」といえばこれのようだった。
私はこの料理がとても好きなのだ。
羊肉がごろごろ入っており、食べきれなくて残そうとすると、
「野菜はいいからお肉食べな」 と勧めてくれた。
しかし実を言うと、私はこの料理においては肉よりも野菜がおいしいと思っている。
砂漠の過酷な環境は、野菜をおいしく育てる。
トマトソースのからまったピーマンなんかが、とても美味しいのだ。

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食事を済ませたあとは屋台を一巡りし、ここの名産であるザクロの生ジュースを飲んだ。
100%ザクロは、酸味と渋みでいっぱい。
もちろん常温だ。
中国では道端でもお店でも、果物生搾りジュースを見かけることは多い。
ミキサーを使うわけではない、本当に果物をぐしゃりとした搾り汁でしかも常温なので、日本人には慣れないかも知れない。
けれどこれこそ果物そのものだなと感じる素の味わいだ。
新疆を訪れるたびに私はこのザクロジュースを飲む。
身体に染み渡って、元気が湧いてくるような気がしてくるのだ。
美容と健康にいいこと間違いなし。
その真っ赤な色合いも、まるで宝石のよう。
それでいてなみなみグラスに注がれて一杯5元とかなのだから。

賑やかな屋台街も、そう広いわけではない。
少し奥に行けば、その先には閑散とした空き屋台が向こうまで続き、真っ暗でなんだか物悲しい。
その空き屋台を見て、以前はもしかしたらもっと大規模だったのかも知れないと思った。
もしかしたら、公安の取り締まりに寄って規模が縮小したのかも知れない。
実際のところはわからないけれど。

その空き屋台周辺のお店は客もあまり立ち寄らず、場所が悪いみたいだった。
そんなところに、一台のバイク。

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それには荷台が色々取り付けてあって、その金属製のケースの中には、なにやら鉱物結晶の群生のようなものが入っている。
その結晶は琥珀色をしていて、きらきらと輝いている。
私は石が好きなので、近寄って見てみた。
いったいなんの結晶だろう。
その結晶をビニール袋にいっぱい買っていくお客さん。
それは鉱物ではなく、糖の結晶だった。

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後ろには、その糖を使って作られた飴が懐かしいオレンジ色のセロファンに一つひとつ包まれて売られている。
このセロファン、懐かしい!
今ではこんなのも見かけることはなくなってしまった。
飴はぶかっこうだった。不揃いできれいな形をしていなかった。
それが、なんともいえない魅力に感じられた。
それにやっぱり、飴をそのままこの金属ケースで売ればいいものを、それらがセロファンで包まれているというのが、私の胸を掴んだ。
たくさんは食べきれないから、「少しでもいい?」と訊いてみると、
「いいよいいよ」 とビーニール袋を差し出した。
これに好きな量だけ入れればいい。
私は両手で軽くすくった分だけを袋にいれた。
価格は忘れたが、安かったのは間違いない。
お金を払った後でおじさんは、私がすくったのよりも多い分を両手ですくい、ビニール袋に入れてくれた。
サービスしすぎだ。
あまりきれいな見た目ではない、このセロファンの飴。
味は日本のべっ甲飴で、とても美味しかった。
この甘さは、日本人のノスタルジーを掻き立てる甘さだ。

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屋台の中でもっともたくさんあったのは、果物の屋台だった。
現在は果物のシーズンではないようで、売られているのはどれも同じようなもの。
西瓜、マンゴー、メロン…。
それらはおそらく、新疆のものではない。
新疆は果物の王国だ。
こんなラインナップでは物足りない。
やっぱり夏、秋に行かなくては。
けれど、そんなことを考えるのは私が旅行者だから。
現地の人にはそれがどこ産だろうと構わない。
並べられた西瓜の切り売りは飛ぶように売れて、ウイグルのおじさんたちの喉をうるおす。
ここでは、果物はけっしてぜいたくなデザートではなく、ちょっとした水分補給みたいなものだ。

ホテルへ戻り、グリパイリと別れた。
「明日はね、もう一度タシュクルガンに行ってみる。帰ってきたらまた会おう」 そう言って。

ホテルの警備は厳重だった。
新疆ではホテルやバザールやショッピングモールや、そんなものみんなにセキュリティーチェックが設けられ、時には有人のチェックがある。
でもホテルのなんて形だけみたいなものも多く、これほんとに作動してる?なんて思ったものだ。

ところが、カシュガルはやはり違った。
このホテルも、空港のセキュリティーチェックとほぼ同じレベル。
ポシェットなど含めすべての荷物はX線検査機に通し、自分は金属探知機を通る。
その後で、検査員による身体検査を受け、OK。
ここの検査員も常時2~3人が待機していた。
そういえば、カシュガルに着いてヤオさんのお店の近くの小さな病院でトイレを借りたときも同じ感じだった。
早くトイレに行きたいから、これが煩わしかった記憶がある。
パスポートチェックまであったのだから。
しかしホテルの出入りがこうだと、非常にめんどうだった。
大きな入り口は封鎖され、その横のドアを抜けてセキュリティーチェックを受けてフロントに入るが、入ったあとで売店でビールを買うのを忘れたことに気づいた。
売店はホテル内部からのドアは封鎖されていて、わざわざ外に出て買いに行かなければならなかった。
そんなささいなことの度に、いちいちこのセキュリティーチェックを受けないとホテルに入れない。
売店は売店で、勘定台には分厚い鉄格子がついていて、かなりびっくりした。
物を買うのもお金のやりとりもたいへんだった。
太い鉄格子の隙間に手を通し、やり取りする。
買ったらまたセキュリティーチェックを受けてホテルに入り、部屋へ。

部屋に着くと、それがまるでわかったみたいなタイミングでロンさんから電話がかかってきた。
出ると、
「あのガイド、あれから何度電話しても出ない」 と言う。
タシュクルガンへ向かう検問にて、電話で「明日タシュクルガンへ向かう用意をしてくれる」と言ってくれたアクバルさんだ。
私の数度の着信にもショートメールにも、いまだ返事がないままだった。
ロンさんは続けた。
「私がカシュガルの旅行会社を取り仕切ってる女性に頼んで調べさせたところ、明日カシュガルからタシュクルガンに動かせる旅行会社の車はない。カシュガルにあるすべての旅行会社が、だ」
つまり、マーヨーズ、君は明日タシュクルガンに行くことはできない。
明後日なら車はある。しかし、その翌日早朝に出発しカシュガルに戻り、すぐに飛行機でウルムチに戻ることになるから、時間はとても厳しいだろう。
おそらくあのガイドは車が出せないからこうなったんだろう。
少数民族はある部分ではこういうところがあるんだ。

私は、「信じてください、必ずやりますから」
そう電話で言った、あのアクバルさんの言葉を思い出した。
アクバルさんがそうであるとは思いたくなかったが、結局二日たっても三日たっても、彼からいっさいの応答はなかったのである。

「マーヨーズ、二つ提案しよう」
明日はタシュクルガンに行けない。
だから一日あのウイグルの女の子とカシュガルを遊べばいい。
ひとつは明後日、タシュクルガンに向かい明々後日帰ってきてすぐ飛行機に乗る。しかし時間は厳しいだろう。
もうひとつは明後日、阿图什(アトシュ)に行ってみるのもいい。
アトシュはカシュガルから近い。泊まって明々後日カシュガルに帰ってくればいい。

急な提案で混乱した。
アトシュは知っている地名だったが、この時電話で言われてそれだと思わなかった。
「待って、“アトシュ”って何?」
地名だと気づいたあとにも、旅行に来て何日何曜日であと何日あっていつ帰国するのかよくわからなくなっていた私は、この電話で結論を出すことができなくなっていた。
「待って、今日は何日だっけ、私いつウルムチに帰るんだっけ?あと何日あるんだっけ?」
そもそも、アトシュってどんなおもしろいものがある?
以前にクチャで買った新疆ガイドブックには色々載っていた気がするけれど…。
「アトシュでおいしいものをごちそうしてもらいなさい、あそこには友達がいるから」
うーん、食べ物じゃなくて遺跡や風俗なんかが見たいんだ…。
でも明後日タシュクルガンに行ってその次の日カシュガルに帰ってくるって、飛行機に間に合わなくなる可能性あるよな。
タシュクルガンにはとても未練があるけど、ほとんど時間がないならもったいないかも。
そればらば、機会を改めて挑戦した方がいい。
「待って、考えたいから10分後に返事させて」
「いいよ、ゆっくり考えなさい」
そういって電話を切って、結論が出たのは結局10分後ではなく40分後だった。

こうして私は、計画を改めた。
明日一日カシュガルを観光し、
明後日、アトシュに行く。
そしてアトシュで一泊し、明々後日にカシュガルに戻り空路ウルムチに帰る。

ロンさんに結論を伝え、私はさっそくフロントに行き、
「明日チェックアウトし明後日ふたたび泊まる予定だったが、明日も泊まり明後日チェックアウトして、それで明後日の宿泊をキャンセルしたい」 と伝えた。
ややこしい。
ややこしいが、これはその序章に過ぎなかった。

17050336.jpg

部屋に戻り、窓際でビールを飲んだ。
開けた窓から入り込む冷気が心地いい。
感覚としていうならば、日本との時差は5時間くらい。
日本時間では深夜4時、北京時間では深夜3時、新疆時間では深夜1時、それくらいまでビールを飲んでいたが、いつまでも街は眠らないようだった。
どこかで笛の音がメロディーを奏でている。

今はいったい何時なのだ?
地球の自転とともに時間自体はどこも平等に流れていくけれど、北京時間とか、新疆時間とか、それぞれに数字を当てはめ、同じ時を共有しているつもりになる。
けれどそれはそれ自体、もしかしたらまぼろしではないだろうか。
人によって違う時間軸を使うこの場所で、そんなことを思いながら、気づけばいつの間にか笛の音は止み、街の灯りもいくぶん減っていた。


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まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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