2017-05-31

喀什旅行四日目~その二~

高台にある老街を抜けて下に下りてきた。
そこに至ってようやく、ここがカシュガルに着いて2路のバスから眺めた景色だったということに気づいた。
バスの中から見るカシュガルの風景は、目に飛び込んでくるものすべてが珍しくて、窓を開けてシャッターを切った。

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先ほどの老街を下から見上げるとこのようだった。
この高さが、吐曼河の水害から人々を守った。
それはなんだか、要塞のようにも見える。

その昔ながらの町並みの周囲には、現代の風景が広がる。
カシュガルは、新旧が同居している、ということもできるかもしれない。
でも私は少しだけ、その表現に違和感を覚える。
カシュガルは、ウルムチに続く新疆ウイグル自治区第二の都市。
現代都市である。
その現代風景の中に、土色の住居のかたまりがひとつ、ふたつ、みっつ。
それらはまるで、異物のように、浮いた存在なのだ。
例えてみるならば、水にかき混ぜても溶けないでかたまりを成す沈殿物のように。
けっして現代の風景に紛れたり溶け込んだりしているわけではない。
ただ、溶けない沈殿物であるから、失われもしないのだ。
分散して細かい粒子になっていたら、きっと失われていただろう。
この老城は、高台にあって侵されない。
その沈殿物は、侵されることのない聖域のようにどうどうとしていた。

私は当初、3日から6日までずっとカシュガルに滞在するつもりでいた。
観光地だけでなく、街をひたすら歩き回ってみるのもいいと思った。
そうしたらロンさんが、「カシュガルは四日費やすほど見所はないぞ」という。
「外国人にとっては、ただ普通の道を歩いているだけでも楽しいんだよ」
そんなふうに反発したこともあったが、今回はロンさんが正解。
今振り返ってみても、二日で十分かな、という感じはする。
ひとつは都市開発が進み、また治安維持の徹底からウイグルの雑踏が失われつつあること。
観光地以外の楽しみというのが、新疆の他の街に比べて少ないように感じた。これはあくまで私の感想だけれど。
市内の観光地もそう多くないので、やはり二日で十分かな。

見所としては、前頁で挙げたように、
中国最大のモスク、エイティガール・モスク。
カシュガル独特の住居を体感できる、老街。
新疆地場のものを買うなら、バザール。
誰でも知っている香妃伝説を想起させる、アパク・ホージャ墓。
それから、老街を抜けてこれから行こうとしている、「高台民居」だ。
あとは、まるで人々の眼中にないかのように街の景色に埋もれた土塊の城址だとか、小さなモスク、マザールなんかもあるが、興味がある人に限られる。

この少ない見所の中で、ロンさんが行ってみるといいと言っていたのがこの「高台民居」。
ムスリムでもないのに清真寺(モスク)行ってどうするんだ?
マザールなんて行って、墓を見てなんの意味がある?
買い物?しちゃダメだ。
仏塔遺跡は行ってもいいがわざわざ行ったところで土の塊が残るだけだぞ。
いつも私にそう言うロンさん。
となると、私がカシュガルでできる観光はなくなってしまう。
そんな彼が、高台民居に対しては特に否定しなかった。

これは名の通り、小高い丘に造られた昔からの住宅街だ。
言ってみれば、先ほどの老街とカテゴリーは変わらない。
ではなぜはっきりと区別されているのか、少し疑問に思ったものだ。

老街を抜けて道路渡ってすぐ向こうに見える、「かたまり」。
そこに向かおうとすると、抜けたばかりの老街の入り口付近にこんなものがあった。

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陶器を飾りに利用した壁。
その隣には山のような壺が並べられていたが、売り物だったのかどうかはわからない。

高台民居をご紹介する前に説明してしまうと、800年前に陶土として適した上質の土が見つかったのが、高台民居の始まりなのだという。
そういうわけで、このように陶器をアピールした造りになっている。
この辺りの説明は現地にも地球の歩き方にもなかったので、知らなければそのまま通り過ぎてしまう。

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こちらは入り口と呼んでいいかと思う。
坂の上からウイグルの女性が下りてきた。

先ほどの老街と違うのは、まず坂があることだ。
坂を上がり上っていき、人々の生活空間に入り込んで行く。
左右は土の壁、足元も砂をかぶった道。

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最初に驚いたのは、これ。
これは商店だ。
なんと、土壁の中に穿たれた正方形の中にお菓子や飲み物が並べられている。
今まで様々な“ぼろ商店”を見てきたが、さすがに土の窪みの中というのは経験がない。

この高台民居、奥へ行けば迷路のように路地が続いている。
カーブを描いたり、行き止まりがあったり。
そう大きな範囲ではないし、道も実はそう複雑ではない。
なのにどうして迷路になってしまうかというと、すべてが土でできているからだ。
目に入る建物がみな同じように見えるので、迷ってしまう。
土の家には、外観にほとんど、いや一切装飾要素がなかった。

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念のため説明すると、ここは観光地である。
しかし、「ここは歴史ある建築物だよ」という前説明がなければ、観光地たりえないかもしれない。
そこはまるで廃墟のような、つまらない言い方をしてしまえば崩れかけた住居、ただそれだけとも言えた。
私はこういう散策が好きだから楽しいけれど、自分のこうした嗜好に対して他人が共感しうるかいつも疑問に感じている。
だからこのように高台民居を紹介して、他人がどう感じるのか正直よくわからない。

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このように木材を利用した二階も。
今にも崩れそうだ。
下を通過する時、今はやめてよ、と念じた。

800年前、良質な土が見つかり多くの陶芸職人がここに移り住んだのがはじまりだ。
もちろん当時そのままというわけではないが、この中には400~500年の歴史をもつ住居も残るのだという。
そして驚くべきは、ここは今も現役の住宅街だということだ。
今にも崩れ落ちそうなあまりの様子に、
「住んでいる人いるの?」 と訊いてみた。
「いるよ、あそこもここも人が住んでるよ」 グリパイルは当たり前だよ、といった風に言った。
「たくさん?」
「たくさんいるよ~」
百度によると、現在残るのは603戸、2450人以上がここに暮らすのだという。
しかし古い情報だと思われるため、実際はこれより少ないだろう。

路地を歩きまた歩き、人と遭遇することがまったくなかった。無人だ。
だからそんな質問をしたわけだが、2450人もの人が今も暮らすという百度の情報が胡散臭く感じられる。
たしかに、入り口の坂道では上から下りてくるウイグルの女性と行き違ったんだった。
そのすぐ先にあった土壁の商店は、人が暮らすからこその商売だろう。
ウイグル語の張り紙や、壁に落書きされたゲームの跡もあった。
やっぱり、人は暮らしている。
なら、どうしてこんなに人の気配がないんだ。
あるのはその痕跡ばかりだ。

そうこうしていると、トイレに行きたくなった。
さすがにこの土の山に公衆トイレはあるまい。
グリパイルに相談してみると、「ないから借りよう」 といった感じ。
どこで借りるの?
と思ったら、曲がり角の向こうからニワトリが飛び出してきて、その先にはウイグルの女性がいた。
トイレを借りることができる安堵感よりも、人がいて生活感を持っていたことに安心する。

その女性は、住居のトイレを貸してくれた。
扉を開けてすぐ左手前にトイレはあったが、モップ入れかと思う程狭い。
見てわかるが水洗の設備はない。
トイレに関してはかなり経験豊富な私だが、こういう場合時々、バケツの水から手で水をすくって流したりすることがあるので訊いてみた。
「水、ない?」
「水ないよ、そのままでいい」
グリパイルがウイグル語を通訳してくれた。
そのままでいい、か。そして当然、手を洗う水もないわけだ。
貸してもらっておいて人様のお宅のトイレをどうこういうのは大変失礼だが、日本人の感覚としてはかなり厳しいトイレである。
狭くてとても汚いので、服が壁などに触れないように、物を落とさないように、とても注意する。


話はかなり脱線するが、ついでに中国のトイレについて書いてみようと思う。
中国のトイレについてはさまざまな話が語られ有名なことだけど、私はあえて旅行記でそれに触れてこなかった。
人を不快な気分にさせるのではと思ったのと、自分に対するイメージを損なわないかと心配したためだ。

有名なのは二―ハオトイレ。
ドアがない壁や敷居がない、なんてのが珍しくない。都市部では減ったが、今でも珍しくはない。
友達と農村地帯で車を停めて入った、コンクリ壁のトイレ。
そこはひとつの部屋しかなく、敷居がひとつもないところに穴が三つほど並んでいる。
友達と並んで用をたしたが、日本人女性でこれはきついだろう。

長距離列車のトイレ。
そこには一斗缶が置かれている。列車が出発したあとしばらくは水が入っている為、一斗缶を倒すなりして水をこぼして流す。
しかしすぐに水はなくなるため流せなくなる。
ときどき途中駅で水が補充されるので、そのタイミングを待つ。
ある列車では、トイレの下はそのまま線路だった。
昔は日本の列車もそうだったみたいだけど、私はその時代を知らないから驚いた。

土を掘っただけのトイレ。
何度か借りたことがある農村のトイレは、土を掘っただけだった。深さもいろいろ。
穴の上に板を置いたものやそれすらもないもの。

公共の場のトイレ。
とても書きにくいが、思い切って書いてしまう。
キャリーバックなどの荷物を大量に持っている時、私はドアを閉めない。
荷物で押さえドアを開けたまま。
荷物が盗まれるのを防ぐためだ。

そのへん、のトイレ。
大自然を移動しているうちに、そのへん、というのが当たり前になってきた。
最初の経験は、「トイレ行きたい?」と訊かれて一緒に行ったら、草叢だったとき。もちろん並んで用を足す。
自然地帯や郊外を移動していると、これは仕方ないことでもある。
背の高い草叢、岩の裏、ちょうどいいところを探す。

中国のトイレには紙がないのは当たり前、水が出ないのも珍しいことではない。
逆に紙があるとかなりびっくりする。
流す水もないことも多く、ホースを引っ張ってきて流したこともあった。
バケツに貼られた水を手ですくって掛けて流すシステムだったところもあった。
当然のことながら、手を洗う水がないことも頻繁だ。
だからウェットティッシュの携帯が必要になってくるが、私はミネラルウォーターを使うこともある。

何より汚いというのが一番の特徴だが、これは説明が難しいし、誰もその説明を必要としていないと思うのでやめる。
ただ数々のトイレをクリアしている私でも、耐えがたかったトイレがひとつある。
それは意外にも中国ではなく、ロシア・サハリンの公園のトイレだった。今でも思い出すときついが、あれが有料だったからすごい。
汚いトイレよりも、そのへんのトイレ、の方がよっぽどいいと思ってしまう私。自然地帯に限るが。

日本人の中にはウォシュレットがないと不満に思う観光客もいるようだが、それを海外に求めるのはおかしい。
日本のサービスエリアのトイレなんて、最近のはまるでホテルの一室かと思う程、内装や設備にこだわったものもある。
友達の家におじゃますれば、トイレには花が飾られたり写真が掛けられたり。
世界のトイレに詳しくないのでここでは中国人、と言わせてもらうが、中国人がトイレにこだわらなさすぎなのか、日本人がこだわりすぎなのか、どちらだろうか。
おそらくその両方だろう。
ただきれいにして悪いことは決してないので、やや日本人に分があるか。
どちらにせよ、上記に挙げたようなトイレが無理な人は、高級ホテルに泊まりそこですべてを済ますことだ。

話はかなり脱線したけれど、私には借りたトイレが汚いなんて言う権利はない。
じっさい、貸してくれてとても助かったのだ。

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この高台民居、高さにして40数mあるのだそうだが、先ほどの老街と同じく実感がない。
それはぎっしりと建物が密集しているためだ。
土でできた家々には隙間もなく、それぞれが繋がっていた。

もともとは陶芸職人が集まったものだから、今もその姿を見ることができるかと期待していた。
しかし人の気配もほとんどしないのだから、それが叶わなかったことは言うまでもない。
現代にもここに残っているのかいないのかは、訊ねていないのでわからない。
けれど、私が散策した感じでは、陶芸の“と”の字も見当たらなかった。
さらに言えば、市内やバザールを巡り様々な伝統工芸品を目にしたが、銅の器や木製の用具などは売られていても、陶器が売られているのを一度も目にしなかった。
ということは、失われてしまったということだろうか。

陶芸職人には出会えなかったけれど、こんなおじいさんたちに出会った。

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帽子職人のおじいさん二人。
入ってきた坂道を折り返し下りていく時に、角で帽子を売っていた。
立ち止まると、にこにこと人懐っこい笑顔。

白いふわふわの生地を丸い木の型にあてて裁断し、それを縫っていく。
おじいさんは、被ってみなよというふうに、売られていた帽子を私にかぶせた。
ぽんぽん、とはたいてから被せてくれたのだが、それがすっごい砂埃。
もわんもわんと立ち上がる。
そして、次々と違うのをかぶせてくる。
私は帽子をかぶらないので買うつもりがなくて、なんだか申し訳ない気になって「もういいよ」と言った。
おじいさんは売りつけるという感じではなかったけれど。
それにしてもおじいさんの笑顔を見て、笑顔は人種とか国とか関係なく共通だな、と思った。

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高台民居を抜け、そこからぐるりとすぐ北側を通る道路を歩いた。
そのすぐ先にバザールがあるのだ。

その道路からは、向こうに先ほど散策した高台民居が全体として見渡せる。
まるで要塞のようであり、ひとつの城のようであった。
しかし、いかんせん崩壊寸前だった。
都市開発が進むカシュガルでも、この民居の保存は決定しているそう。
バザールに向かって歩く道、新品の看板が三つ四つ地面に並べられていた。
まだ設置すらされていないものだ。
その看板に書かれていたのは、この高台民居の観光地としての開発についてだった。
近代的な地下駐車場ができ、高台民居の前に広がる更地は近代的に整備され、大都市の近代的公園のよう。
それと、今目の前に見える風景を見比べるが、違和感極まりない。
もし仮にこんなふうになってしまうのなら、非常に残念だ。
中国の考える観光地化と、私が考える観光地として望ましい姿は、あまりにかけ離れている。
たしかに崩壊寸前だ。
しかしその姿を残すにしても、それが本来の情緒を失ってしまうような形であるならば、それはまたある種の崩壊といえるのではないだろうか。
一度失われたものは、二度と蘇らない。
それは決して、物質的な話だけのことではないのだ。

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バザールが近づいて、ようやくウイグルの雑踏を感じることができた。
私はこの混沌とした雰囲気が好きだ。
目の前には砂埃をかぶった古いネオンの建物があった。
これも私が好きなもののひとつだ。

この先にあるのがバザール、さまざまな新疆ならではの物が手に入る巨大市場「カシュガル中西亜国際貿易市場」だ。

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中に入ってみると、さっそくさまざまな漢方だとかスパイスだとかそういったものが雑多に売られている。
新疆旅行では毎度目にするが、未だになんなのかわからないものばかり。
私も好んで飲んでいる、肉従容ー通称・大芸ーもたくさん。

日本では高価なこの漢方、私は惜しげなく塊を煮て飲んでいるが、ある番組を見て胸が痛んだ。
南疆のある砂漠の貧しい村で、視力を失ったウイグルのおじさんが一日砂を掘ってこの漢方を収穫するのだ。
一日ひたすら掘って、なんと数角、つまり一元にも満たない。
それがどのくらいの量につき数角だったかは忘れたが、途方もないくらいに、悲しいほどに少ない収入だった。
しかしおじさんは話す。
「目が見えないのに収入が得られるのはありがたいことだ」と。
おじさんの娘さんはウルムチの大学に通っていた。優秀な娘さんである。
中国語を話せないと仕事につけない。勉強してお金を稼ぎたい。彼女はそう話した。
おじさんはウルムチで勉学に励む娘さんに、200元を送った。
200元は、私にとっては軽い気持ちで使い切ってしまう額である。
けれども、一日砂を掘ってそうして貯めた200元がどれだけたいへんなことであるかを想像すると、人は平等ではないと思った。
そのおじさんはかなりの高齢に見えたが、実は私の両親よりも若かった。
それ以降、大芸をお茶にして飲むたびに、私はこのおじさんを思い出すようになった。

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バラに茶葉にスパイス、添えられているウイグル文字の意味はわからない。
わからないものはわからないものなりの不思議な魅力があり、もし仮に私がウイグル語あるいはアラビア文字だとかを勉強してこれらの意味を理解するようになってしまったら、それらの魔法は一気に解けてしまう。
理解するようになったらなったで、新しい魅力に出合うのだろうけど。

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このバザール、エリアごとに商品項目が決まっている。
あちらはドライフルーツ、こちらは伝統工芸品、向こうは絨毯、といったふうに。

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このストールエリアは、私が好きな場所。
イスラムの女性が身に纏う美しい布が限りないほど。
ここで私は自分のストールと、母へのお土産を買った。
ストールと肩掛け、少しだけ値切って二枚で200元。

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西域を象徴するのはこうした薄いヴェール。
透き通るような紗には金糸が織り込まれていたりラインストーンが散りばめられていたり、その色彩も模様も様々で見ているだけで華やかな気分になる。

イスラムの女性は美しい部分を隠さなければならない。
地域によって、身体を覆うものは黒でなければないとか青でなければならないとか。
またわずかに目の部分を残し手足先まで完璧に隠さなければならないとか。
厳格さは地域差があるけれど、中国のイスラム女性はそこまで厳格な規則に縛られているわけではない。
新疆を訪れれば、頭髪を色鮮やかなスカーフでおしゃれに巻き、もちろん肌の露出はしないようにはしているけども、アトラス織を代表として華やかな衣服で身を飾っている女性を、いくらでも目にする。
お化粧やアクセサリーなどもかなり派手。
新疆の女性ムスリムはかなり華やかなのだ。
だからこうした市場には、煌びやかな布地を売るお店がたくさんある。

しかしいくら厳格ではないとはいえ、イスラム教徒であることに変わりはない。
新疆の女性ムスリムは、頭髪を隠し手首足首まで覆うようなワンピースだとかスカートとジャケットなんかを着用する。
ところがみんな同じ服装しかできないのに、どうしてかそれぞれおしゃれで個性的なのだ。
それは、その色彩や柄だった。
スカーフ、ジャケット、ロングスカート、それぞれにぶつかるような色彩や柄。
日本ではまずありえないような大胆な組み合わせ。
それがこの地の風土に合っていて、とても美しい。
みな同じ輪郭しか与えられないなかで、おしゃれを楽しんでいるのだ。
それは年齢に関わらない。
若い女性も年配の女性も、みな当たり前のように色彩と柄をぶつけ、それぞれの美しさを放つ。
日本には数えきれない程のファッションがあり、店頭には各ブランドがアイデアを競ったような服飾が並ぶ。
けれども、流行を真似た女の子たちはどこか似ていて同じ風に見えることがある。
なんだか対照的だな、と思う。
自由な選択肢が与えられているのに、なぜか同じ風に見える女性たち。
とても限られた選択肢の中で、おしゃれは無限だと感じさせてくれる女性たち。

そんなわけで、私も彼女たちの美に感化されて、そんなふうなスカーフだとかが欲しくなるのだ。
日常的に使えるかどうかは置いておいて。
いろんなお店をまわり、どれもこれもきれいだと、真剣に迷う。
優柔不断な私は数件ものスカーフ屋さんをまわったあげく、今回はお預けとした。

ウイグル族は音楽を愛する民族だ。
ウイグルが愛する楽器の中で有名なのが、ドタール。
スマートなシルエットを持った二弦楽器だ。
このドタール、市場でもあちらこちらに売られている。

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あるドタール売り場に、ウイグル民謡の様子が絨毯に織られたものが飾られていた。
この構図、けっこう頻繁に見かける絵だ。
それだけ、ウイグルと音楽の繋がりが深いのだろう。
いつか、絵ではなくて本物をこの目でこの耳で体験してみたい。

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バザールを抜け、外に出た。
外にはひと並びに、絨毯を売るお店。
西域といえば、絨毯。ウイグルといえば、絨毯。
今までで一番内陸まできたということで、記念に買っていこうかなとふと思いついた。

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一言に絨毯といっても、様々。
ウイグルによく見るのは、赤いバラの絨毯。
それからモスクなど何かの題材を織り出したものや、細かいアラベスク模様など。
大広間に敷くような巨大なものから、人ひとり分くらいの小さなもの、四角いものに丸いもの。

絨毯は高い買い物なので、グリパイルに訊いてみた。
「絨毯って高いでしょ?」
「高いよ」
「いくらぐらいするの?」 大きさとか物にもよると思うけど。
「4千元くらい」
きっと一般的なサイズで数万といったところかな。
小さいサイズなら買えるだろう。

座布団くらいの大きさの絨毯を二枚指定して値段を訊いてみた。
グリパイルが通訳してウイグル族の店主に訊いてくれる。
「250元」
4千元はどこに行った?小さいサイズとはいえ。
「これ、本物?」
「本物だよ、ホータンのだよ」
「羊毛?」
「そうだよ、手織りだよ」
「…なんでこんな安いの?」
そう訊くと、戸惑ったような表情のグリパイル。
彼女が私の言葉を伝えると、店主も戸惑ったふう。
たしかに、安くしてよと言われることはあっても、なんで安いのかと言われることはないだろう。
「本物?」
「本物だよ」
偽物とはいうはずないけど。
物を気に入ったので結局私は購入したが、それならそれでいいとも思う。
それが本物なのか偽物なのかどうかは、審美眼を持たない私には大して重要でない気もするからだ。

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こちらが購入した絨毯二枚。とても気に入っている。
どこにどう使うかは決まっておらず、というか使える場所が思い浮かばず、現在検討中だ。


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まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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