2017-05-31

喀什旅行四日目~その三~

バザールの周囲は人混みでごった返していた。
人をかき分けかき分け進まなければならないほど。
人と暑さと砂埃でむせそうになる。

私たちはここで通りがかったタクシーを停めて次の目的地「アパク・ホージャ墓」に向かった。
アパク・ホージャ墓はカシュガル中心部から東北方面に数㎞ほど向かった場所にある。
今日はカシュガル中心部のエイティガール・モスクからスタートし、老街、高台民居、そしてバザールと西から東に移動してきた。
一日で一通りまわりことができる効率的なルートだ。
ちなみにこのバザールの近くには博物館もあり、時間に余裕があり興味があれば、そこに立ち寄るのもいいだろう。
アパク・ホージャ墓までは車だが、それ以外は徒歩で十分回ることができる。
カシュガルはそう広い都市ではない。
街の雰囲気を味わうならば、やはり自分の足でまわってみたい。

けっこう街の外れに来たな、なんて思っていると着いた。

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車を降りた先には、青い模様のタイルが一面に貼られた門。
アパク・ホージャ墓はずっと前からの憧れだったが、緑色が美しいタイルがイメージとして張り付いていたため、青いタイルを見てすぐにそれを連想することができなかった。
だから、「もう着いたの?」 なんて訊いた。

思ったより裏錆びれた感じで、観光客の姿は見えなかった。
街外れに静かに眠っている、そんな雰囲気に、備えつけられた金属探知機と治安維持を喚起する看板、それからやけに立派な監視カメラが浮いている。
ここに限らず新疆は街だろうとどこだろうと人の生活圏であればそこらじゅうがこんなふう。
けれど、少なくともここにはふさわしくないような気がした。

テロ撲滅、治安の安定ーそうスローガン掲げる先には、主にウイグル族の独立運動がある。
それに関連したあるいは関連していると推測される事件の多くには、イスラム原理主義者たちによる破壊行動という真相が用意され、うやむやのままに蓋をされている。あるいは強制的に蓋をされている。
かくいう私が真実を知らないのにわかったようなことを書いてはいけないが、そうしたことが推測できる。
しかし、そうした事件の背景が独立運動だろうとイスラム原理主義だろうと、その他であろうと、ウイグル族のほとんどが信仰するイスラム教が関わっている以上、こうした場所で危険行動を起こすなんてありえるのかな、と思ったのだ。

ここは聖なる墓地である。
中国風に「墓」と呼ぶ他に、もうひとつ呼び方がある。
「麻扎」、マザールだ。
マザールとは、聖者の墓所を意味する。
中央アジアでも、新疆ウイグルでも、マザールと呼ばれる場所はイスラム教の聖者が眠る場所である。
そうした場所に取り付けられた治安維持という名目の威圧は、破壊行動に対する“蓋”の矛盾を表しているような気がしてしまう。

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この美しい門、白地に青い模様が入ったタイルでできている。
一つひとつが非常に精緻でよく見ると様々な図柄が組み合わされている。
入り口の中央上部には、アラビア文字がぎっしりと埋まっている。

門をくぐる前から、その左手に清真寺ーモスクーがあるのが見えていた。
門に連結したかたちになっており、入り口がふたつ並んでいる。

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このモスクも非常に美しかった。
柱一本一本にとても凝った彫刻がされ、何よりも彩色が鮮やか。
厳しい気候にその色はほとんど失われかけているけれども、それでもそう感じた。
天井にも細かな模様が描かれ、特に目を引いたのは梁に描かれた風景画。
このモスク自体がひとつの絵画のようで、それはまるで天上の世界を表しているかのよう。
この乾いた砂漠にあって、人々の祈る先にはこのような豊かな風景があったのかも知れない。

とはいえ、私たちの目的はこのモスクではない。
入り口をくぐり左手にモスクを見、そして右手奥に広い敷地があるみたいだった。

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もったいぶるみたいになかなかその姿を見せてくれない。

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宝珠のアーチをくぐった先は広い敷地になっていて、その先に聖者の墓所ーマザールーはあった。

阿帕克霍加墓(アパク・ホージャ墓)は、1640年頃に建築され始めた霊廟だ。
イスラム教布教者ムハンマド・ユースフと、その息子であり指導者となったアパク・ホージャおよびその一族が眠る。
ホージャとは、預言者ムハンマドに連なる人の意であり、よって、アパク・ホージャ墓は尊者の墓の意味を持つ。

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鮮やかな色彩をもつタイルもさることながら、入り口一面に配されたアラベスクの美しさ。

外観の精緻な美に対し、真っ暗な内部はほとんどの装飾がない。
天井は真っ白で球状になっていて、そのカーブに沿うように窓が並び、自然光をとり込んでいる。
静かで厳粛な空間だった。

その空間をぎっしりと埋めるのは、数にしてなんと72の棺。
ここには5代72人の棺が納められている。
中央にははっきりとそれとわかる大きな棺があり、それは訊かずともアパク・ホージャのものだとわかる。
ここにはアパクの父も眠るが、1693年にアパクが祀られその時に指導者の父としてユースフも一緒に祀られたため、この墓所はアパクの名を持つ。

72の棺がずらりと並んでいる様は言葉にどう表していいかわからない威圧感を持っていた。
宝珠の形をした円柱の棺。
イスラムの墓は一様にこうである。
アパクの墓はあまりにも大きく、遺体よりもずっと大きく造ったことがわかる。
しかし他の棺は大小さまざまで、中には1mにも満たないかなり小さな棺も複数見受けられた。
幼くして亡くなった子供のものに違いない。

このアパクホージャ墓、別名を持つ。
「香妃墓」
別名というか通称だ。
実はこの墓所を有名にしたのは、かの有名な香妃伝説だった。
ここに清朝乾隆帝のウイグル妃、香妃が祀られているという誤伝から香妃墓の呼び名を持つことになった。
実際には香妃がここに祀られたことは一度もない。
また香妃は実在の人物ではなく伝説上の人物だ。
実際に乾隆帝に嫁ぎ寵愛されたカシュガルの公主、容妃がモデルとなっているといわれているが、容妃の墓は北京郊外の東陵にあるため、やはりここアパク・ホージャ墓に香妃の名があるのはおかしい。
カシュガル市内の標識や観光案内には香妃墓の名が堂々と記され、アパクの名よりもそちらが通用している感じがあった。
しかしもし仮にここに香妃が祀られていたとしても、ここはアパクの墓所であるから、やはりおかしい。
東陵へは去年の2月北京旅行の際に訪れたが、あそこもまた容妃の墓であるのに香妃の名で堂々と通用していた。
香妃は乾隆帝の求愛を拒み続け悲運の死を遂げたウイグルの王女だ。
この伝説はまた、西域を支配下に収めた乾隆帝の勢力と、支配された側の哀しい運命をも象徴している。
そこには偶然にも現在の民族問題につながるものがある。
しかし、香妃伝説は人生を狂わされたウイグル王女に多くの人が共感同情するものだが、現在の民族問題は単なる悲劇のストーリーではない。どちらか一方に感情を寄せてあれこれ言えるものではない、その点は大きな違いだ。

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このアパク・ホージャ墓に来てみたかったのは、そうした背景とともに、この美しい建築だった。
一面に貼られたタイルはどれもみな素晴らしい。
そのすべてが違う色彩を持っている。
緑というひとつの色が、これだけの色彩を持つとは思わなかった。

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カシュガルー喀什噶爾ー、カシュガルの地名にはいくつかのルーツが語られている。
ウイグル語で喀什は“各色”、噶爾は“レンガ”を意味する。
つまりウイグル語ではカシュガルは、様々な色のレンガの建物、を意味する地名なのだという。
先ほど散策してきた、土と砂の街を思い出す。
この街はまさしくレンガによってできていた。遥かいにしえから。

また古代ペルシア語やチュルク語では、カシュガルは“玉の市”という意味を持つのだそう。
ここはシルクロードの要所。民族と文化の交差路。
すぐそばには玉の産地ホータンがあり、このカシュガルを通過し玉は運ばれていった。

そしてモンゴル語では、カシュガルは“緑色の屋根を持つ建物”という意味を持つのだという。
それはまさしくこのマザールを示してはいないだろうか。
それぞれのタイルがどれも美しいながらすべて違った色彩を持ち、それらがひとつの建物になりまたひとつの美しい緑をつくり上げている。
すぐ隣りのアフガニスタン・マザーリシャリーフのブルーモスクを思い起こした。
あそこも聖者の墓所だ。
規模は違えど、この緑の美しさ、カシュガルのグリーンモスク。あるいはグリーンマザール。香妃墓という通称よりもよほどしっくりくると思うけれど。

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新疆は古来様々な民族が暮らし歴史上その支配図を目まぐるしく変えてきた土地だ。
土地名はウイグル語だけでなくモンゴル語、ペルシャ語などにも由来を持つ。
そのため同じ地名から言語によって異なる意味を汲むことができる。

墓所を散策していると、ロンさんから電話が入った。
「今、どこにいる?」
「今、香妃墓にいるよ」
「マーヨーズ、物は買っちゃだめだぞ」
「…すでに買ったよ」 先ほどバザールでいくつか買い物をしていた。
「何を買ったんだ」 やれやれと言ったふうにロンさんは訊いた。
「さっきバザールで、ストールや絨毯買ったよ」
「あぁ、買ってしまったなら仕方ない。食べるものはいい。でも物は買っちゃだめだぞ」
なんの用事かと思いきや、そういう電話だった。
初めてロンさんと知り合ったのは、ウルムチ旅行の時だった。
私の希望を聞いてウルムチのバザールへ連れて入っていってくれたが、そこでも「買っちゃダメだ」の連発だったのを思い出した。
「買っちゃダメだ」といつも言うが、旅行客にとってはこういうところでの買い物は楽しみの一つだ。
高いとか騙されるとか、心配してくれるのはわかるけど、それも旅行のひとつ。
私が買う買わない答える前に、売り場のウイグルおじさんに「彼女は買わない」ときっぱり言ってしまう彼の表情を思い出した。

有名な観光地であるにも関わらず、観光客の姿は見えなく閑散としていた。
それをいいことに自由に歩き回っていると、二組の中年の男女が墓所の建物の中に入ってきた。
初めは夫婦かと思ったけれど、どうやら違うみたい。
男性は何族かはわからないが漢族ではないような気がした。女性は漢族のようだった。
私は彼女に、グリパイルと二人で写真を撮って欲しいとお願いした。
日本人であることや一人旅で来ていることを伝えると、より歓迎ムードになり、一緒に市中心部まで乗っけていってくれるという。
そうしてふたたび市街地まで戻り、彼らはどこに行こうかと話しながら、私たちの戻る場所が人民公園付近だということを伝えると、
「人民公園もいいね、そこに行ってみよう」
そういうことになったらしい。
「一緒に行こうよ」 と誘ってくれたが、私たちはご飯を食べにいくことにした。

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入ったのは人民公園近くの通り沿いにあるお店。
「薄包子って食べたことある?」
グリパイルが私にそう訊いたとき、ちょうどこのお店がそこにあったためそのまま入店。

中は豪華なしつらえだけれど、料理の値段はそう高くない。
烤羊肉串が一本数元。
ここにはそういうお店が多い。
薄包子を食べたかっただけなので、「持ち帰りで」と彼女は頼んだけれど、お店の男性は「座ってきなよ」と。
奥にはステージがありウイグルの音楽が演奏されていて、お客のウイグル女性がダンスを踊っていた。
せっかくなので観賞しながら。
「さっきの人、私たち姉妹みたいだねって。あなたのことウイグルだと思ったって」
グリパイルは嬉しそうにそう言った。
彼女は今21歳なので、姉妹みたいだなんて恐縮だ。
私がウイグルのアトラス織のスカートを穿いていたからそう思ったんだろう。

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これが薄包子、シュウマイみたいにみえるけどちょっと違う。
中身は烤包子の中身みたいに数ミリ大のごろごろした羊肉で食感はかなりしっかりしている。
大きさはシュウマイよりずっと大きい。
この薄包子の他にも烤羊肉串と炒麺も注文していて、私ひとりでは食べきれないのでグリパイルに「あなたも食べるよね」と念を押していた。
それなのに、「私は一個だけでいい、あとのものはあなたが全部食べて」という。食べきれない!

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炒麺は食べる前に撮影するのを忘れてしまい、これはもう最後の方。
きしめんを短く切ったような麺に、昨日も食べた過油肉拌面と似たトマトベースのソースが絡まっている。
具材は同じくピーマンなどで、これには羊の肉だけでなく肝などの内臓も合わさっていた。
薄包子も炒麺も、ウイグル料理だ。

おなかいっぱいになり、このお店のすぐ向かいにある人民公園に行ってみることにした。
私は単なる散歩のつもりだったけど、彼女はしきりにこう訊ねる。
「**って日本の公園にはある?」
「何?わからない」
「游戏ー遊べるところだよ」

私の中国語は勉強していないだけあって非常に拙い。
しかし、彼女と会話していて難しかったのは、私が聞きとれていないのか、それとも私が知らない単語を彼女が使っているのか、まずそこがわからないことが多かったことだ。
というのは、彼女の中国語は強いウイグル語の癖があった。
そのため、何度聞き返してもわからないことや、数度繰り返し聞き返しやっとわかることが少なくなかった。
そもそも、それが中国語なのかウイグル語なのか、それすらわからないこともあったのだから。
話す相手が中国人(ウイグル族も中国人だけど)であれば、わからなかったとしても自分にとってはそう不思議ではないので、私の中国語能力低いなぁと聞き流すところ。
けれども彼女はそんなに難しい中国語を話さないので、けっこう聞き返してみた。
繰り返し聞き返したり、あるいは文脈などであとからやっと理解してみると、意外にも簡単な単語だったりする。
そうすると、やはり発音にかなり癖がある。
例えば先ほど、「公園行こう」 と彼女が言った。
この公園、gong1 yuan2 と発音する。
四声(中国語がもつ四つのイントネーション)は、公が1声で園が2声。
ところが彼女は、gong1 yuan4 と発音する。
中国語において四声は意味を決定する要素なので、ここが違うと通じない。
四声だけでなく、発音も強いウイグル訛りがあるので、難しい。
新疆を訪れたのはまだたった五度目だけれど、それでも、ガイドなどが流暢な中国語を話すのに対し、一般のウイグル族の中にはウイグル訛りが強い人も多いなと感じている。
ウイグル訛りが強いと、「好」といったレベルから聞き取りにくいこともある。
訛りで聞き取れないというのはここだけでなく中国全体によくある話だけれど、ここのは方言とかそんなレベルではなくて、まったく違う言語を使用する民族の話だから、なおのこと。

人民公園は広々としていて、芝生がありベンチがあり体操器具があり、そこで体操する人がいて。
そんな中国どこにでもあるような普通の公園だった。
その奥には遊園地コーナーがあり、先ほどグリパイルはこのことを言ったのだった。
日本の公園にはないが、中国では珍しいものではない。
公園に遊園地が併設されているのだ。
「乗りたい?」 と訊いてくれるが、その勇気はなかった。

奥には人口の岩山があり滝が落ちていた。
小さな小さな偽物の岩山だ。
そこには楼蘭古城の文字があり、入場30元と書いてある。
「入ってみたい?」 彼女がまた訊いた。
「中には何があるの?」 そう訊き返してみると、
「歴史のだよ」
楼蘭の紹介とかされてるのかなぁ、そんなふうに考え「入る」と返事。

入って5秒でわかった。
ここは歴史展示ではなく、お化け屋敷だったのだった。

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ゾンビ、刑場、幽霊、蛇、ありとあらゆる脅かしネタが続き、なんとファラオまで。
このお化け屋敷には統一性っていうものがないのか。
しかし、関心するくらい長くて内容が多い。

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ここ中国で、ゾンビやファラオがいてキョンシーがいないのはおかしい。
この部屋に入ると、両側から一斉にキョンシーが襲い掛かってくる。

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さんざん歩いたあとでやっと、「楼蘭古城」の文字が入った城門みたいな作り物。
ただし、かろうじてそれがタイトルに触れたもの。
あとのものは全然、楼蘭と関係ない。

さすが中国のお化け屋敷だなと思うのは、女性係員が懐中電灯をもって先を歩いて案内してくれるところ。
真っ暗で長いので案内役は必要だったけれど、行く先々で彼女が先に部屋に入ってくれるので、どこで何が飛び出してくるのかわかる。
彼女は慣れたようにめんどくさそうに、ところどころでお化けを直したり、蛇の位置が悪いと置き直したり。
最初は呆れていたけれど、次第にそれがおもしろくなってきたくらい。

途中で一組のカップルが後から入場してきた。
ゆっくり進む私たちに追いついたよう。彼らは案内人をもっていなかった。
私たちの案内人は人差し指を立て、私たちに静かにするよう合図した。
壁際にかくれ、カップルが通過したのを見計らって飛び出して驚かす。
半ばギャグのようなお化けより、こちらの方が効果あったよう。
そのあと彼らは私たちを抜かした。
しばらくして私が歩いて行くと、彼らは腰かけて休んでいた。
私はそれを見て驚き、「びっくりした!!」と思わず日本語で叫んだ。
私たちは大笑いして、最後はみんなで出口に向かった。

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このお化け屋敷、予期せず入ることになったけれど、意外にもけっこう楽しかった。

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周囲にある遊戯はどれもけっこう怖いものだった。
振り回し系の遊戯があり、二人の男性が挑戦していた。
遊戯の正面には小さな小屋があり、おじさんがそこから手動で動かす。
昭和の遊園地もこうだったのでは。
「乗ってみる?」
「無理!」
見物しているとこれがけっこう長い。日本のどの遊園地の遊戯よりも長いのではないか。
「こんなに長いんだね」 私がそう言うと、
「30元も払うんだから、短かったら満足しないからね」
さっきのお化け屋敷も随分長かったことを思い出す。

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人民公園を出てすぐ近くのヤオさんのお店に戻り、グリパイルと別れた。
人民路を歩きホテルに戻ったのは22時。

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それでもようやく暗くなり始めたばかり。
明日は阿图什(アトシュ)に行き、そこで一泊することになっていた。
カシュガルでの滞在もどんどん残り少なくなっていく。

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私にとってベストなロケーションだった天縁酒店の11階のこの部屋。
北京時間で22時半を示すも、空にはかすかに明るさが残り、街の賑わいはこれからといったふう。
そんなこの大通りを、けたたましいサイレンの音を鳴らしながら公安の車両が何台も連なり、交差点を曲がっていく。
この写真でいうと、交差点の左奥に写る赤と青のランプがそう。
だいたい10台くらいが連なってものものしく、ゆっくりと。
こんなのが、頻繁に通る。
地上を歩いていても目にするし、この部屋からは非常によく見渡せる。

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こちらはそのアップ。
こんな光景も新疆ならでは。
機関銃を伸ばした装甲車もときおり見かけるので、それよりかはこちらの方が気分はましだ。

おなかは空いていなかったけれど、昨日のウイグルの雑踏にもう一度足を踏み入れてみることにした。
大通りを渡り、今日一番最初に観光した、エイティガール・モスク方面へ向かう。
モスクはすでに閉まっており、暗がりになっていた。
目の前の広場には和んでいる人たちがたくさんいるものの、モスク横に並ぶお店はみな閉まっている。
中国によくあるように、夜には派手なライトアップなんかされるのかなと期待していたが、予想に反して真っ暗。
やっぱり聖地はこうでなくては、とも思う。

そこから屋台街に向けてはものすごい人だかりで、昨日グリパイルが話していた言葉を思い出した。
「昼間が暑いから、みんな夜に動き出すんだ」
屋台街の入り口付近に、小さなウイグルおじいさんの集まりがあった。
覗いてみると、そこにはウイグル楽器を奏でるおじいさんが二人。それを取り囲む人々。
ひとつはドタールで、ひとつは太鼓だった記憶があるが、とにかくたったふたつの楽器だった。
たったふたつだったが、そのハーモニーはオリエンタルな雰囲気満点だった。
楽器の音色も、その旋律も、内地のものとは全く違う。もちろん日本のものとも。

あらゆる生命を容赦なく奪う、砂漠の厳しい気候。灼熱の太陽。
その過酷な状況にあって、誘惑するはオアシスの恵み。
安らぎを与えるは夜の涼み。
ウイグルの音色は、そのあいだを縫うように流れる人々の営みだ。

おじいさんたちの演奏を写真か動画に残したかったが、うろうろしていたらそれらを囲む人たちに不審な目で見られた。
何もここまで不審がらなくても、というくらい。
そういうわけであきらめたが、なんともうっとりする音楽だった。

そうしていると、通りの向こうから軽快なリズムを刻む太鼓の音。
この太鼓の音、実は昨晩もホテルの部屋に何度も届いたものだった。
その音は移動していたため、車の上から演奏していたと思われた。
その太鼓が向こうからやって来たのだ。
今度はラッパの音付きだ。
あのアラビアンな雰囲気のラッパ、ランプから煙が出てきそうなメロディー。
エキゾチックな雰囲気を放ちながら、ラッパと太鼓が通り過ぎた。
それらを奏でる男性たちは車の荷台に乗り演奏していた。
その車に続いたのは、花飾りをつけた車。
これ、結婚式の車だったんだ。

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異国情緒を体感しながら、ようやく屋台街へ。
この屋台街、そう広い範囲ではない。
数十mとかその程度だったかと思う。
そんなだから、向こうに行ってまた戻って、あっという間に見終わってしまう。
けれど私は何度も往復した。

ここはウイグルの雑踏。
そうした場所は、公安がもっとも注意して監視する場所である。
この短い数十mを、三人一組になった公安が何度も何度も往復している。
つまり、何度も往復する私と彼らは、やはり何度も行き違った。
私は楽しみでやっているが、彼らはいくら任務とはいえ退屈にならないのだろうか。
屋台街の入り口には公安の建物もあり、これだけ厳重に取り締まっているならば事件も起こるまい。
しかし一たび事件が起これば大問題の場所なので、やはり彼らの重責は重い。

ウイグルのアイスクリームは本当においしい。
ということで、新疆を訪れてそれを口にしなかった旅行はない。
そして一度の旅行で何度も食べる。
新疆は新疆でも土地々で味覚が違う。そんなのも、楽しい。
この屋台街にも2~3カ所、アイスクリームの屋台があり、食べた。
2元、3元、5元。
3元ので十分なサイズ。

そんなふうに楽しんで、ふと気になる屋台があった。

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こんなタマゴの屋台が三軒ほど並んでいる。
屋台の前に並べらた椅子はお客で満席。
タマゴは数種類あり、色や大きさも様々。
おじさんはなにやらタマゴに穴を開けて、その中にいろいろ調味料を入れてかき混ぜている。

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脇にはこんなふうに、加熱している雰囲気。
全工程を確認していないので、どういうふうに作りどういうものができ、どういうふうに食べるのかがいまだにちょっとよくわからない。
でも想像するに、タマゴの中に調味料を入れ殻のまま加熱し、開けた穴から中身を食べるのだと思う。
興味津々で見ていると、お店の人もお客さんもみな笑いかけ、食べてみる?という。が、やめておいた。

もうすぐ日付が変わろうとしていたため、ホテルに戻った。
ホテルはこんな夜中でもセキュリティーチェックは万全の態勢だ。
つまり一度入ると出るのが面倒なので、入る前に横の売店に。

新疆のビールといえば、烏蘇ビール。これは何度も飲んだことがあるため、昨日は新疆ビールなるものを飲んでみた。
しかしいかんせん度数が低く、飲んでも先におなかの方が膨らんでしまう。
砂漠地帯に来たならば、やっぱりワインが飲みたい。
そこでワインを物色していると、石榴酒というのを見つけた。
ホータンのものだ。
度数はワインと同じくらい。
二種類あったので、一本は今から飲むために、もう一本はお土産用に買ってみた。
今から飲むものは、ここでコルクを開けてもらう。
この店主夫婦ともすでに顔見知り。
そうしてさあ、部屋に戻ろうという時。
日本語を話す男女がワイン棚の前にいてあれこれ相談していた。
実はさっきから気づいていたのだが、日本人がいるとは思っていない様子だったので、そのまま去ろうかなと思っていた。

「日本人の方ですか?」 そう話しかけてみると、女性はそれは飛び上がって驚いた。
それもそうだと思う。
「すみません、すみません」
女性は何度も謝った。謝ることは何一つない。ただ彼女はそれだけ驚いたのだった。
「日本語だれもわからないと思って、いろいろしゃべってしまっていたよ」
「旅行ですか?」と訊ねると、
「ウルムチに入った後、クチャからホータン、ヤルカンドを経由してカシュガルに入りました」
そうすらすら説明したのは、男性の方。
(クチャ、私去年行ったよ)いろいろ話したい衝動に駆られたが、話が展開してしまいそうだったので、
「素晴らしいですね」 なんて当たり障りない挨拶みたいな言葉を返した。
「でも、ほとんど移動でしたから」
「でもそれが楽しいんですよね」
今度は私の説明をした。
「カシュガルからタシュクルガンに向かいそこで二泊する予定だったんですが」
途中の検問で、現在外国人は単独でそのエリアに立ち入れないと戻ってくる羽目になりました。
本来はクンジュラブでパキスタンとの国境へ行きたかったんですが、それも現在は不可能のようです。
そう言うと、
「そうそう、前はパキスタンのアライバルビザなんかもあそこで取れたんですけど今はできないですからね」
男性は頷きながらそう言った。
アライバルビザの可否は中国側の問題ではなくパキスタン側の問題ではあったが、ようは旅行者にとってこのエリアでの障害が増してきているということだ。
「予定が変わったので、明日はアトシュに行ってみるつもりです」
そう説明をしめくくった。
彼らはワインを物色していたので、「私も今夜飲もうと買いに来ました。結局ザクロ酒を買いました」
そういうと、「私たちもそうですよ、良かったら一緒に飲みませんか?」
女性は誘ってくれた。
酒好き旅好き、この新疆の奥地での出会い。
願ってもいないことで、飲みながら旅の話をしたら終わることがなさそうだった。
人見知りが激しい私に対し、お二人はその人見知りを発症させなかったこともある。
しかし、私は即答してしまった。
「明日、朝早いんです」
たしかに、断るしかなかった。
私はロンさんと明日のアトシュ行きに関してまったく打ち合わせを行っておらず、部屋に戻りそれをしなければならなかった。
さらに準備も。
しかも時刻はもう日付を跨いでいた。
私は不器用なのだ。
本当はとても名残惜しかったのを、彼らは知らないと思う。
でも、せめて名刺だけでも渡せばよかった。名前も知らないまま。
こうした場所での出会いは、感慨深いものがある。
今でもとても後悔している。


先ほどのお誘いを断ったのは仕方なかった。
案の定、ロンさんとの打ち合わせはなかなか長くなった。

「明日は、軍事演習が行われる前にヤオさんのところに行きなさい」
軍事演習が始まれば外に出れないから、その前にお店に着きお茶でも飲んで終わるのを待てばいい。
北京時間10時前に行けばいいだろう。
ところで、明日はアトシュで一泊できなくなった。
アトシュのウイグル族の民家で一泊するはずだったが、手続きが面倒だ。
夕方にはカシュガルに帰ってきて、カシュガルのウイグル族の一家を紹介するから、そこでもてなしてもらいなさい。

予定がまた変わった。
この旅行記事にはすべてを書いていないが、すでに数度ホテルの予約を変更している。
こちらで三泊のうち、
三泊目のみカシュガルだったのが、
一泊目と三泊目の宿泊になり、
三泊すべての宿泊になり、
やっぱり一泊目と二泊目のみの宿泊になり、
そして今、やっぱり三泊すべての宿泊になった。
「もう何度もフロントで変更してる。問題ない?」
問題はなかろうが、言いにくい。
「お金払えば問題ないよ」 そういうロンさん。
私は急いでフロントに下り、何度もの変更を謝り予約の変更をした。

ふたたび打ち合わせ。
「アトシュには北大橋から向かえばいい。あのウイグルの女の子も連れてアトシュに行きなさい」
それから現地には友達がいるから、車に乗ったら彼に電話しなさい。
ウェイさんというから、この電話番号に掛けなさい。
「私電話苦手、微信教えて」 そう言うと、
「勉強のためになるべく電話を使いなさいよ」
そういうことになった。

「持たせたお土産、今どれくらい残ってる?」
ロンさんから預かったお土産、干アンズやカザフのチョコレート、それからキャンディーなんかがまるごと残っていたので、詳細を伝える。
それから私が用意してきたお土産も。
その振り分けが指示された。
カシュガルで出迎えてくれたヤオさん。
付き合って回ってくれたグリパイル。
アトシュで出迎えてくれるウェイさん。
アトシュでもてなしてくれるウイグル族の一家。
アトシュからカシュガルに帰り夜にもてなしてくれるウイグル、パァハティとその一家。
さらに、タシュクルガン在住タジク族のビビグリという女の子を事前に紹介してもらっておりその子とはすでに連絡を取っていたが、彼女は今たまたまカシュガルに来ているとのことで、合流しなさいよ、とのことだった。
もう訳がわからなくなる。
だれにどれをいくつ渡すなんて、混乱を極めたので、私は紙に書いて整理した。

「アトシュからカシュガルに戻るのには、できれば18時に車に乗るのがいい」
車に乗ったらパァハティに電話をするんだぞ。
明後日はちょっとゆっくり起きてもいい。
ビビグリを誘って朝ご飯でも食べなさい。
軍事演習が終わったらヤオさんのところに行き、荷物を置いてまたカシュガルで遊べばいい。
そしてそのあと空港に行けばいい。

アトシュ現地での行動がどのようなかたちになるのか具体的にわからないままだが、軍事演習が始まる10時前に出発し、18時には向こうからカシュガルに戻る車に乗り、夜はカシュガルで過ごす。
おおまかなタイムスケジュールは定まった。

打ち合わせというより指令だった。
私は一つひとつを都度自分の言葉で復唱し、都度「好的」と返した。
しかし問題なのは、私の頭の回転は鈍く、また記憶力も悪いということだ。

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部屋に戻ってから、石榴酒を飲み始めた。
飲みながら明日の予定を打ち合わせした。
砂糖が添加されており甘いが、嫌いな甘さではない。
その甘さのせいか、渋みはいっさいない。
個人的には赤ワインよりこちらの方がずっと好み。
一本開ければ、酔いはちょうどよく回り、カシュガルの夜景がますます魅惑的なものに見えた。

ホテルに戻った時、その前に腰かけ笛を吹くウイグルのおじいさんがいた。
なんとも悲し気なそのメロディーは、11階の私の部屋にまで届いた。
風に乗ってどこまでも流れていく音色。
あのおじいさんは、私がこの音色に耳を傾けていることを知らない。
石榴酒を空けたとき、いつのまにかその音色は止んでいた。
日本はもうすぐ、朝だ。


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まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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