2017-05-31

喀什旅行五日目~その一~

2017年5月5日、目覚ましのアラームが何度も鳴るも、なかなか起き上がることができなかった。
昨日は石榴酒を一本空けたが、飲み過ぎとまではいえない。単に疲労だ。
4月は忙しくて不眠続きだった。
その不眠のまま今回の旅行に突入し、その旅行中も毎度のことながら超寝不足で、非常にストイックな状態だ。

本日はカシュガル近郊の小さな街・阿图什(アトシュ)へ行く。
昨夜の打ち合わせでは、軍事演習が始まる10時までにはヤオさんのお店に行っていなさいよ、という話だった。

ところが起きたのは間もなくそれが始まるというような時間。
支度をしているうちに、ホテル横の人民広場には軍事車両やら軍人やらが集まり出し、目の前の人民路には軍事装甲車が通過し始めた。
街からは一般市民が消えうせ、公安や特警がうろうろしている。
昨夜と同じように、道端には黄色い路線バスが臨時停車し、中身の人間たちはどこかに避難しているよう。
支度が完了して、「あぁせっかくの今日が出遅れたよ。これでしばらく動けない」 
なんてがっかりしていると、ふと目に飛び込んできたものがあった。

ホテルの窓の下には突き出た屋上のようなものがあった。
私の部屋は11階であり、その屋上もまあまあ高い位置にある。
その屋上から、黒づくめの男二人がライフルを構えているではないか。
そのライフルの先には、すでに始まっている軍事演習。戦車に軍人に公安。
こ、これは、よく映画で見るような暗殺シーンではないか!
私は彼らのちょうど背後その上部におり、彼らは私に気づいていない。
結局、二本のライフルのいずれも発砲されることはなかったため、真相は謎のままだ。
というか、発砲される前に私は部屋をでてしまったため、見届けていないといったほうが正しい。
しかし、本当の暗殺であるならホテルの窓が背後に並ぶような場所で決行することはない。
ウイグル族が人民解放軍に牙をむいた、というような話ではなく、その黒づくめの男たちはどちらかといえば軍事演習側の人間に見えた。
つまり、これも何かの警備の一環なんだろう、と思われる。
しかし、あの場所で何に向けてライフルが準備されていたのかは、今でもわからない。
日本ではありえないシチュエーションだったため、想像をめぐらせた私だった。

階下に下り、昨日と同じ場所ー人民広場と人民路が見渡せるガラス張りの席ーに座り、軍事演習が終わるのを待つ。
ロビーには同じように時間を持て余している人が何人も。
これでは、18時にカシュガル行きのバスに乗るのは難しそうだ。

軍事演習が終わると、徐々に、ではなく瞬時に街に活気が戻る。
人があふれ出して車が動き出す。数十秒もかからない。
私もヤオさんのお店に向かった。

歩いて10分程、ヤオさんのお店に着いて、彼に言った。
「寝坊しちゃったよ、ごめんなさい」
昨日のロンさんの指示を聞き、私はてっきり今日の行動計画をすでにヤオさんが知っていると思った。
ヤオさんのところでお茶を飲み、その後ウイグルの女の子を連れてアトシュに行きなさい。
そんな彼の言い方から、ロンさんの方でヤオさんに頼んでくれていると。ヤオさんは彼の友達なわけだし。
そういうわけでの、「ごめんなさい」だった。
ところが。
「今日はどういう予定なの?」
ヤオさんは私のごめんなさいには答えず、そう言った。
「今日はアトシュに行くよ、ウイグルのあの子も一緒に行くよ」
そう伝えると、「アトシュは遠くないよ、時間は問題ないよ」とのこと。
「ウイグルの女の子、連れて行っていい?北大橋で車乗るのに、彼女が知ってるってロンさんは言ってる」
すると、「彼女は今日は不在だよ、行けない」
どうやら、話は伝わっていなかったよう。
そこで、しばらくお茶をごちそうになったあと、彼の息子さんが私を連れてバス乗り場に連れて行ってくれることになった。

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まずはタクシーに乗り、街を抜けていく。
けっこう車で走ったので、このタクシーでアトシュまで行くのかと思ったほど。
タクシーが停まったのは、街外れののバスターミナルだった。

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カシュガルバスターミナル。
窓口でアトシュ行きのチケットを買う。17元だ。

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乗り場や出発時間なんかを確認するためにチケットを見ると、出発時間12時50分。
その下にはチケット発行時刻が印字されているが、現在の時刻は13時45分。
チケットがその矛盾を証明している。
「過ぎてるよね?」
男の子に訊いてみると、彼は改札のおじさんたちに訊いてくれた。
男の子の返事を待つまでもなく、おじさんたちが、
「アトシュ行きあるよ、入りな」 というのが聞こえた。
「入ってけば大丈夫」
男の子はそう私に教えてくれて、そのまま帰っていった。

改札をくぐったらくぐったで、目の前に並ぶバスはみなアトシュ行きではなかった。
ウルムチやホータンなど、新疆各方面のバスが並ぶ。
ウルムチなんて丸一日かかる超長距離バスだ。
その辺のおじさんたちは、「裏だよ、裏にあるよ」と教えてくれたため、その後ろの敷地内に入っていくも、あちらにバスは見当たらない。
「バス、ないよな…」 と再び訊いてみると、
「あれだよ」
その先には数台の普通乗用車が並んでいた。
アトシュ行きはバスではなくて、数人集まって出発する乗合型だったのだった。
だから時間も不定期で、チケットの時間も関係なかったというわけ。
人数はすぐに集まり、三人の男性と一緒にアトシュに向かうことになった。

車が出発した時、すでにもう14時という時だった。
もはや18時に向こうを出るのも難しくなった。
車はあっという間に荒涼とした風景に出て、ただ一昨日のタシュクルガン行きと違うのはそれが高速道路だということだった。
地層が露出した乾いた土山を向こうに見ながら、順調に飛ばす。

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途中で料金所を通過。
このウイグル語が示す地名は、庫曲湾。

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珍しくて写真を撮る私を、他の乗客は不思議そうに見る。
向こうの山には、カーテンのひだのようにウェーブができていた。

新疆の風景が楽しいのは、人が作り出したものよりも大地が作り出したものの方が圧倒的に多いことだ。
遠くまで出かける必要はない。
街からも遠くに望めるし、街を一歩出れば辺り一面がそうした風景だ。
そうした状況下で、人が大自然を前にして成せること成せないこと、そういうものを感じる。
人間は不可能を可能に変える力を持っている。
人間はどんなことでも実現する能力と智慧を持っている。
そんなふうに思っていたら大間違いだぞ。
結局はお前たちも大自然の一部であり、自然の絶対的法則のもとにすべてのことを行っているのだ。
勘違いしているようなら、そのうち痛い目に遭うだろう。
そんなふうに言われているような気がした。
ここに暮らす人々は、きっと領分を弁えているに違いない。
発展という名のもとに私たちが失ったのは、かけがえのない自然環境、だけではなく、そうした人間が本来弁えるべき立ち位置ではないだろうか。

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ときどき、道路標識を通り過ぎる。
そこには四つの言語。
阿图什は中国語。
その上はウイグル語。
左の二つはなんだろう。左下は英語表記と見ていいかな。
ではその上は?ロシア語に関係がありそうでタジク語かな。

荒涼とした風景から突然小さな街が現れた。
とうとうアトシュである。
アトシュに入る時にはやはり検問があり、私たちは車を降りて検問を受けた。
外国人である私は少し時間がかかり、他の三人と同様に身体検査を受けた。
ひとりだけ遅れをとっているので置いていかれたら嫌だと、一人の乗客に「そこで待ってて」と頼む。

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車を降りたのはなんの変哲もない場所。
カシュガルで車に乗ったら、アトシュで私を待つウェイさんに電話をする。
ロンさんの指示だったが、実は電話が通じなかった。
これは困ったと何度もかけたが通じない。
そこでロンさんに微信でメッセージを送るも返事が一向にないので、一緒にいるであろうチャン・イーに、
「微信見るようにロンさんに言って」 と車中で頼んでいた。

アトシュに着いて、待つ人がいる以上勝手に動くわけにもいかず困っていると、ロンさんから微信が入った。
「早くウェイさんに電話しなさいよ」
「何度かけても電話つながらないよ、番号あってる?」 そう言うと、
「******にかけなさい」
見てみると、番号がひとつ違う。
なんだ、教えてくれた番号違うじゃんか…。でも、番号違いで繋がらなかったかな。
しかしふたたびかけるも繋がらない。
「電話つながらない」 そう微信を送ると、
「最初に教えたのは間違いだぞ、さっき教えた番号だぞ」
やっぱ、間違いだったんだ。
「でもやっぱり、つながらない」
すると、微信がつぎつぎ送られてくる。
「なんで電話に出ないんだ」
あれ?電話あった?中国携帯を見るも、着信なし。
「電話に出なさいよ」  続けざまに微信がくる。
「今、ウェイさんが君に電話をかけてる。出なさいよ」と、こうも言う。
しかし、着信はない。
どうやら残金がなくなり使えなくなってしまったよう。
でもたくさん残高はあったはずだし、残金が少ないというお知らせメッセージも入ってはいなかった。
とりあえず、日本携帯の微信を使って、微信マネーで中国携帯にチャージしてみた。
そうしてふたたびウェイさんにかけてみると、ようやくのこと繋がったのだった。

とにかく、無事ウェイさんと連絡がついた。
「今どこにいる?」
この単純な質問が旅行者には難しい。
「もうアトシュについて車を降りた」
そう言って見渡してみると、背後には病院があった。
「新疆开心中医医院、が目の前にある。天山路の新疆开心中医医院」
ウェイさんはわかったよう。
ウェイさんはすぐにやって来た。
「你好!」
そう声がする方を見ると、二人のおじさん。
満面の笑顔で迎えてくれた。
なんとも人の良さそうなお二人だ。

ウェイさんは、「今日は仕事が入ってしまって付き合えないけど、彼が付き合うよ」と言った。
ウェイさんの隣には警察の制服を来た男性。
「おなか空いてる?」
ウェイさんはそう言って、すぐそばにあるお店に向かった。

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お店という表現が正しいかわからない。
薪をくべた巨大な鍋とまな板兼ねたテーブルがあるだけ。
お店の看板もなければ、もちろんお客が座るテーブルや椅子もなく、価格や料理を示す文字もない。
鍋の中には、大胆に羊の内臓がまるごとごろごろ入っている。
おばちゃんは鍋から内臓を引っ張り上げ、出刃包丁で大胆に切り取りビニール袋に放り込んだ。
鍋の上に乗っかっている巨大なものは、真っ白な肺だ。
羊の肺は何度も出合い食べているのでそれとわかるが、どうしてこんなふうなのかよくわからない。
人間の肺も実はこうなっているのか?
肺って風船みたいなのじゃないの?中に肺胞があるんじゃないの?
この白い羊肺、食感も味も白はんぺんみたいな感じ。
昔母がお汁粉を作る時に、貧しくてお餅が買えなくて…というわけではないが、小麦粉をこねて代用していた。
あれにそっくりな食感だといつも思うが、人がそれを理解するのかはわからない。

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「羊雑砕」 というらしい。
メインは腸。腸の中に、ぎっしりチキンなしチキンライスが詰まっている。
ウェイさんはこれを私に買ってくれて、
「熱いうちに食べなさい、冷めたら美味しくないから」と言って、笑顔いっぱいで職場に戻っていった。
良さそうな人に見えて本当は何か企んでいる人もいるけれど、この人の笑顔は絶対ほんものだ。
会ってすぐにそう確信した。

もう一人の警察官が一人残り、私を車に乗せてどこかに出発した。
どこに行くかはわからなかったがお任せし、私はビニール袋の羊雑砕をどうしようかと考えた。
包子やなんかではない。
お箸はない。どうやって食べよう。
ウェイさんは「熱いうちに」と言っていた。
これは到底、手で掴んで食べるような代物ではなかったが、冷める前に食べるにはこれしかないと、私は素手で食べ始めることにした。
しかしこれが思いのほか、美味しかった。
チキンなしチキンライスがぎっしり詰まった腸。
それにキムチが絡まっている。だからこれはキムチのオレンジかな。
ポイントは、きつきつに詰まっていること。それから脂っぽいこと。
私の手はあっという間に脂まみれになってしまった。
日本にこれがないのが不思議だ。
ウインナーがあるのだから腸を調理に使うという発想はある。
チキンライスも昭和の味だ。
この腸の中身が本当にチキンなしチキンライスかはわからないが、いやキムチライスなのだろうけど、やってみたら美味しいと思う。

「美味しい?」
警察官のおじさんはそう訊いてきた。
初めて会った人の車の助手席で、手と口を脂まみれにしてビニール袋の料理を素手で食べている。
異様な光景かも知れないが、私は中国ではあまり細かいことを気にしない。
「うん、美味しい!」
「僕はウイグル族だよ、わかった?」
名前はパァハティといって、カシュガルで今夜私をごちそうしてくれるウイグル族と同じ名前だった。
年齢は37歳で、おじさんと思ってしまったが私より少し上くらい。
まぁ私ももうおばさん年齢だから、おじさんで間違いない。
「わからなかった」
確かに、目のあたりがなんとなく漢族とは思わなかった。
けれどウイグルとは思わなかった。
中国語もネイティブだったし、振る舞いや言葉なんかもウイグルを感じさせなかった。


現代中国に公式に認められている少数民族は、国が定めたものである。
それはかならずしも実体と一致するわけではなく、本来はもっと細かく民族区分されるべきところも、ざっくりひとまとめにウイグル族、といったふうに区分されてしまっている部分がある。

例えば、タシュクルガンに暮らすタジク族は、アフガニスタンやタジキスタンにも存在する民族だが、それらはイコールではない。
中国のタジク族は、“中国がタジク族に区分した民族”のことをいうのであって、民族学的視点で指すタジク族とは明確に区別する必要がある。
また、今年2月に訪れた湖南・鳳凰古鎮には有名なミャオ族がいる。
ミャオ族は歴史上中国王朝と対立し、その抵抗の跡を長城遺跡に見ることができるが、現在ミャオ族とされている民族と、歴史の上で語られるミャオ族はまたイコールではない。これも上記と同様である。
では違う民族なのかというと、タジク族はやはりタジク族だし、ミャオ族もしかりなんだけれども、それぞれ前提が違うということだ。
民族学者ではないんだから、限りなく同じようにとらえても問題ない。
しかし、なぜその名称で呼ぶのかその前提が同じではないのだ。

新疆において前提とすべきなのは、ここが新疆ウイグル自治区だということだ。
ひとつの国かという程のこの広大な土地で、集落と集落、街と街、その間が大自然によって隔離されているかのような距離感がある。
ある場所とある場所とでは、歴史上言語体系が全く違った。
ある場所とある場所とでは、信仰も違えば生活体系も違った。
また生活する街から外に出るということは、命を懸けることと同義だった。
そんなこの領域に暮らす民族のほとんどが「ウイグル族」だなんて、やっぱりおかしい。
本来は様々な民族なのだろうが、ひとまとめにウイグル族、そしてウイグル自治区になってしまった。

そういうわけで、パァハティさんはウイグル族には見えなかったが、しかしウイグル族に違いなかった。
名前は間違いなくウイグルのもの。
そして言われてみれば、東よりかは西の雰囲気が目元に感じられた。
私に、「ウイグル族」以上のことを知る術はない。

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残したらもったいないので急いで羊雑砕を食べていると、街外れのお店にやって来た。
すぐそこには荒涼とした風景。砂漠の山々。
そのお店に車は一台も停まっていなかった。
「阿图什兄弟烤羊王」
中国語とウイグル語でそう書いてあり、羊肉がぶら下がっている。
あぁ、今から食事をごちそうしてくれるのか!
あんなに急いで羊雑砕をかき込むことはなかったのだ。

「今日は金曜日だから誰もいないよ」
パァハティさんはそう言った。
「あぁ!礼拝に行ってるんだね」
ウイグル族はそのほとんどがムスリムだ。
金曜には集団礼拝に出掛ける。

眩しい日差しと対照的に、屋根をくぐると内部は薄暗かった。
広い店内には座敷テーブルーこの地でこの表現が正しいのかは疑問だけれどーがずらりと並んでいて、それでいてお客は一人もいないので、かえってどこに座るべきか迷った。

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中国人は基本的に土足だ。
家の中も土足、あるいはスリッパ。床に直に腰かけはしない。
それに対してウイグルは絨毯の文化だから靴を脱ぐ。床に腰かけるし寝ころびもする。
低いテーブルの前に直に座る。
この点は日本に感覚が似ているなと思う。

ところでパァハティさん、車の中で話していた。
「僕が知っている日本人は三人だ」
「その三人って、誰?」
歴史上の人物?俳優?それとも、総理大臣とか?
「ナカムラ」
中国語読みではなく、ナカムラ、と言った。…誰のこと?
中村俊輔のことだった。
「彼は天才なんだ」 パァハティさんは熱く言った。
もう一人は。
「ホンダ」
本田圭佑だ。
セリエAとかACミランとか、欧州サッカー関連の言葉が次々と出てくる。
「じゃあ、もう一人は?」
「うーん…待って、あとで見せるから」
どうやら名前が出てこないよう。

そういう訳で、靴を脱いで座敷席に腰かけ、先ほどの話の続きになった。
「ちょっと待って」
パァハティさんが携帯で検索して見せてきたのは。
「香川」
「そう、カガワ」
「あなたはサッカーが好きなの?」
そう訊くと、「そう、すごく好きなんだ」 と、うなずいた。
「あれを見てごらん」
彼は私をお店の壁に描かれた絵のところまで連れていった。

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民族風のサッカー選手が欧州風の選手をかわしている。
「アトシュはね、みんなサッカーが好きなんだ」
パァハティさんが言うところによると、1909年にここのサッカーチームはイングランドのチームに勝利したことがあるらしい。
それは確かに、伝説になる。

「私が住む場所はサッカーが人気な場所だよ」
富士山があってね、東京と名古屋の真ん中。
地名を知らなくてもそれでだいたいみんな頷いてくれる。
「日本で一番はやくサッカーが始まった場所なんだ」
中国というより、新疆の最西、砂漠のこんな小さな街でこんな話題で繋がるとは思わなかった。
世界は広くて、狭い。そしてやはり、広い。

有名なサッカー選手はいっぱい輩出されているけれど、彼は誰ならわかるだろう。
知っている三人の名はすでに出そろっている。
「オノ、オノシンジ、ドイツにいたことがある」
私がそう言うと、彼はわかった。
「知っている、彼は天才だ、日本の代表選手だったね。今もやっているの?」
「うん、今もやってる。もちろん前ほどすごくはない、でも若くないからやっぱりすごいよ」
「そうだ、10年前はすごかった」
なんだ、三人ではなくてたくさん知っているじゃないか。
彼はつづけた。
「ナガトモ」
「うん、私も知ってる」
「それから、ナカタ」
中田英寿だ。
「彼は素晴らしい、日本のベッカムだ」
「今では世界を旅しているね」
私がそう言うと、「あなたもそうだね」と笑いながら言う。いや、私全然だから冗談でも比較できない。

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本当のところをいうとおなかは全然すいていなかったのだけれど、料理をいろいろ頼んでくれた。
ヨーグルトにナンに、それからトマトとピーマンに玉ねぎ、キュウリを和えた冷たいサラダ風。
実はこのサラダとても美味しかった。
さっぱりした酸味と冷たさが、食欲がなくても進む。
砂漠の野菜はおいしい。
材料自体は日本でも揃うけど、再現はできない。

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最後に出てきたのは、立派な羊料理。
肉と内臓を焼いたもの。
これはもてなし料理だ。気持ちはとても嬉しかったけど、どうしよう、食べきれない…。
残った料理は袋に入れて持ち帰ることにした。

パァハティさんは言った。
「あなたにウイグル語を教えてあげよう」
そう言って書き並べてくれたのは。

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アルファベット表記のウイグル語。(ウイグル語は通常アラビア派生の文字を使用する)

1、yah shi musiz は、“你好”の意味、つまり“こんにちは”。
yah shi が“好”の意味があるので、友達同士ではこれだけ言ってもいい。

2、mining ismim *** は、“我叫**”、つまり“私の名前は**です”の意味。
米宁、と漢字を当てて読み方を示してくれた。

3、hayri hosh は、“再見”の意味、つまり“さようなら”。
海日火西、と漢字で読み方。

4、man yaponiya din kaldim は、“我是来自日本”の意味、つまり“私は日本から来ました”。
man が“私”、yaponiya が“日本”、kaldim が“来ました”。

「この四つは、ウイグル族、ハザク族、タジク族、ウズベク族の間で通じるよ」
いいものを教えてもらった。
今後、かならず使う時はやってくると思う。

「アリガトウゴザイマス」
パァハティさんは、「この日本語は知っているよ」 と、言った。
「正しいよ、でも友達の間ではそう言わない」
“ありがとう”って言えばいい。
先生とか初めて会った人とか、そういう人には“ありがとう”って言わないで“ありがとうございます”って言う。
そう説明すると、「なるほどね、先生にはこう言うんだね」
日本語って難しい。
相手の文化や言語を知る、知ろうとするって、同時に自国の文化、言語を知る、再認識することに繋がる。
また、自国の文化や言語をそれを全く知らない人に教えようと伝えようとするのって、同時に相手に対する理解が必要で、そして教えると同時に自分自身もまた自国の文化、言語を知る機会になる。
勉強や理解って、一方ではない。“互相”だな、といつも思う。


「アトシュでどこに行きたいの?」
パァハティさんは訊いてきた。
うーん、それが問題だったんだ。
アトシュ行きを勧めたのはロンさんだけど、彼は観光的なアドバイスを一切くれなかった。
「美味しいものをごちそうしてもらいなさい」
そう言ったのみ。
そこで私なりに見てみた。
大自然を体感できるようなスポットが多々あるみたいだったが、どれも遠くて今から向かうのは無理だった。
パァハティさんも、「いいところはみんな遠くて時間が足りないよ」という。

事前にネットで見て、目星をつけていた場所があった。
ひとつは、マザール。
「蘇里唐麻扎」 スリタン・マザール。
もうひとつは、郊外遺跡。
「喀喇汗王朝王庭遺址」 カラハン王朝遺跡。

パァハティさんは、「マザールは知っているから行けるよ、でももう一つのは知らないな」と言う。
カラハン王朝は新疆において、つまり中国において最初にイスラム化をもたらした王朝だ。
先ほど彼は、「あそこは新疆でイスラムのもっとも古い場所なんだ」とアトシュの見所について話していた。
それがどのことを言っているのかはわからなかったけれど、このカラハン王朝遺跡のことではないの?
私は正しく伝えるために、百度の画面を彼に見せていた。
そこには、写真から説明から、アトシュから10㎞***村にある、なんてことまで書かれていた。
けれど、「知らない」という。
案外、現地ってそんなものかも知れない。

そこで私は「マザールに行きたい」といい、パァハティさんが連れて行ってくれることになった。
お店を出て車を走らせ、そんなにも行かないところにマザールはあった。
「アトシュは小さい街だよ」
パァハティさんはそう言った。
マザールがあったのはとてものどかな村で、ウイグルのおじいさんたちが門前で和んでいた。
車を停めて、「この服着てるから、みんな怖がってる」と、パァハティさんが警察の制服を指して言う。
木陰には小さなイチジクの実がなり、それを指して、
「アトシュはイチジクの街なんだ」 と教えてくれた。

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正面にはモスクがあった。
モスクとマザールが並んでいる。
「ダメだ、入れない。今日は金曜日だ」
そうだ、すっかり忘れていた。
旅行に出ると曜日の感覚は狂うものだけど、先ほども「金曜日だからみんないない」という話をしたばかりだった。
金曜は集団礼拝の日で、モスクは信者以外はいれない。
礼拝以外の時間は、お休みだ。

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モスクはとても大きくて、全体を写すのが難しかった。
門の前には街路樹がありその姿を覆い隠すかのよう。
「蘇吐克伯格拉主麻清真寺」
モスクの名前があった。長い。
ストゥクボグラジュマー・モスク、こんな感じ?

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モスクのすぐ横には目的のマザールがあったが、扉は鎖がかけられ閉ざされている。
入り口から覗けるかと思いきや、やはりここも木々に覆われて様子を伺うこともできない。
まるで、邪心がある人間には見せまいとしているかのように、まるで、両手で顔を覆い隠すみたいに。
マザールは聖者の墓所。

パァハティさんは、「管理人に開けてもらえるか頼んでみよう」といいどこかへ行った。
一番えらい人がOKを出しさえすれば、金曜日でも開けてもらえる。
期待したが、管理人が不在だったよう。
「来てごらん」
そう言って彼が連れていったのは、マザール横の敷地。
空き地のように荒れている、と思ったらそこは墓所だった。
宝珠の円柱型の墓が一面。
墓所とはいえ、けっこうな荒れようだった。
足元に転がっているものが人骨に見えたのは、見間違いではないだろう。動物のものではなかった。
そこから見えたのは。

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パァハティさんはここからマザールを覗かせてくれようとしたのだった。
門から覗けなくても、横からはその様子を少し伺うことができた。
そこで私は思いついた。
なんとあろうことか、墓所の塀の柵を登ったのだ。
塀に登りその上の柵に足をかけ、非常に不安定で危ういが、そこからマザールを見下ろした。
足元はパァハティさんが抑えていてくれる。
なんて不謹慎なんだとは思うが、その時私は深くは考えていない。
パァハティさんが協力的だったことに背中を押された、と言い訳しよう。

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こちらが、蘇里唐・薩図克・波格拉汗麻扎(スリタン・サトゥク・ポグラハン・マザール)。
スリタン・サトゥク・ポグラハンは、1000年前カラハン王朝第三代目の王で、もっとも古いイスラム教信者の一人なのだそう。
イスラム教を国教とし布教した。
つまり、新疆この地をイスラム化した第一人者である。
それを良しととるかそうでないととるかは、置いておく。
中国において、イスラムがスタートした場所。
とりあえず、アトシュはそういう場所なのだ。

柵に足をかけ、その時の私はそんなことはまったく頭にない。
ただ好奇心に打ち負け、かろうじて覗きみることができた、ラベンダー色のタイルが美しいあのマザールに息を飲んだ。


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まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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