2017-05-31

喀什旅行五日目~その二~

スリタン・マザールを後にして、さぁ次はどこへ行こうという話になった。
厳密にいうとなったかどうかは覚えていないが、私はそのつもりだった。
パァハティさんは警察の制服を着ていたから任務中だったのかもしれないが、私は遠慮もせずに、
「ウイグルの風俗が見たい」 と言った。
去年のイーニンみたいに、ウイグルの住居が集まったところだとか、あるいはバザールや市場なんかもいい。
「わかった、連れていってあげよう」
パァハティさんは嫌な顔ひとつせずに、快くそう答えてくれた。
「今度アトシュに来て時間があったら、うちに泊まるといい、奥さんと一緒に歓迎するよ」
そうも言ってくれた。

実は今夜アトシュのウイグルのお宅に泊まるような話が一度出たんだった。
けれど、手続きが面倒ということで日帰りでカシュガルに帰ることになった。
中国では、外国人は滞在する場所で公安に登記しなければならない。
しかし通常宿泊するホテルがそれを代行してくれるため、ほとんどの場合それを意識することはない。
チェックインの際にパスポートのコピーを取るのはその手続きのためだ。
中国のホテルには外国人が宿泊できるホテルと、それが許可されていないホテル・宿泊所が存在する。
外国人が宿泊できない宿泊施設で、つまり公安に届を出すことができない宿泊施設では、基本的には外国人は断られるが、頼み込んでとかホテル側の安易な判断でとかなんとかで泊まれる場合もあるだろう。
しかしその場合違法に宿泊していることになるので、それが発覚した際にどのような処罰を受けるのかは覚悟する必要がある。
また、公安に登記していないということになるので、何か事件が発生した際に自分の身が守られなくなるという可能性もある。
つまり認可されていない宿泊施設に泊まるとしても、相当場慣れした人に限られる。
ただ、外国人宿泊不可のホテルというのは案外多くて、けっこうこれが悩みの種だったりする。
それでも私がかならず正当に宿泊するのは、上記のような理由があるからだ。
今回ウイグルのお宅に泊まることはやめたが、届を出せば問題ないだろう。
しかし私はそれをやったことがないので、やはり面倒は面倒だ。

車はどこかに向かっていた。
私の超アバウトな、「ウイグルの雰囲気があるところ」というリクエストに答えるために。
そこに私はさらなるわがまま発言をした。
「やっぱり、あの遺跡に行ってみたい」
アトシュって何がある?と調べたときに出てきたふたつ。
ひとつは、先ほどのスリタン・マザール。
そのもうひとつ、カラハン王朝遺跡。
アトシュ市街から10㎞と書いてあったし、この機会をのがしたくなかったので、諦めきれずお願いしてみた。

「うーん、僕は場所がわからないけど、行ってみよう」
そういうことになった。
時刻はすでに17時をとうに過ぎ、18時にカシュガルへ戻る車に乗るのはほぼ不可能になった。
アトシュは、荒涼とした大地の中にぽつんと存在する、小さな街。
街を出たという自覚もないまま、気づけば辺りは土と砂の枯れた風景になっていた。
土丘を横目に見、枯れた川を越して、レンガ造りの家を通り過ぎ。
途中で道路標識を見た。
「库木萨克村 14㎞」
この村は百度によると、カラハン王朝遺跡がある場所だ。
パァハティさんはこの遺跡を知らないと言ったが、道行き人に尋ねながらなんとか辿り着けそうだ。
ちなみに、この村名もそうだし先ほどのマザールもそうだが、見るところによって漢字表記が違う。
例えばこの村、百度では库木克村となっていたし、先ほど訪れた苏里唐麻扎も百度では苏里麻扎と表記されていた。
これは、現地語に漢字の発音を当てているためだ。
ここは本来、中国語の場所ではない。

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途中、砂の大地にぽつりと建つ一軒の商店で飲み物を買った。
商店といっても、レンガが積み上がったような建物に砂をかぶった冷蔵庫だけがある、そんなお店だ。
その名も飲料商店。
ときおり通りがかるのは、岩石やら土砂やらを積んだトラック。
このレンガの商店にはトイレもなければ煙草もなければカップ麺もなく、飲み物が数種売られているだけ。
それでも、ひたすら続く砂埃の道、働く男たちの助けとなる。

パァハティさんが買ってくれたのは、ウイグル文字が入った缶ジュースだった。
炭酸が乾いた喉をうるおす。
冷たい飲み物をあまり飲まない中国において、意外にもこんな簡素なレンガ商店に売られていたのは、水滴がいっぱいについたキンキンに冷えたサイダーだった。
冷えたというかむしろ少し凍っていた。

このお店でもパァハティさんはカラハン王朝遺跡の場所を訊き、なんらかの返事をもらっていた。
とはいえ、新疆の大自然の中で、道はそう複雑にあるわけではない。
ずっと長い一本の道があり、ときどきそれが分かれたりするだけ。
しかし、これが怖いといえば怖い。
乾いた砂の大地で、風景はほぼ変わらないに等しい。
この地平線を見渡せる大地は、すべてのものが見渡せる代わりに、人を惑わす。
一本岐路を間違えそれに気づかなかったならば、たいへんなことになってしまう。

「兄弟は何人いるの?何歳なの?」
「結婚しているの?彼氏はいるの?」
パァハティさんは車中、私にたくさんの質問をした。
「こんなに質問ばかりして、日本人にとっては気分よくないでしょう?」
「そんなことないよ」
私はぜんぜん気にしなかったからそれは本心だったけれど、確かに日本人の習慣としてはそういう部分がある。
初対面で個人的なことを次々と質問するのは、日本では少し失礼。
中国滞在中は気にしないし、それどころか会話ができるのでこうした質問は歓迎だけれど、もしこれが日本で相手が日本人だったら、もしかしたら私もちょっと気分よくないかも知れない。
そう考えると、状況が感覚に与える影響って大きい。
「中国ではね、こうやって人と仲良くなるんだ」
中国人は友達を作るのが好き、そう言った誰かの言葉を思い出した。

車は砂埃の道を行き、レンガが積み上がった土の建物ー住居とは呼べないようなーが数棟か並んだ場所を通った。
そこはT字になっており私たちはまっすぐに進んだが、左に曲がる道はえんえんまっすぐどこかに続いていた。
そのT字路には小さな簡易検問があり、といってもほとんど建物の体を成しておらず、そこに数人の警官が待機しているだけ。
横には建設中の公安の建物があり、建設作業をしている人がいた。
こんな何もない場所に、建設中とはいえ公安の建物は明らかに異常だった。

そこを通過すると、景色はぱっと開けた。
目の前に広がっていたのは、コンクリートでできた巨大で細長いもの。
その細長い何かが数え切れない程、並んでいる。
何かの貯蔵庫?と思っていると、
「唐辛子とかそういうものが保存されているんだ」と教えてくれた。
何から何まで、中国は規模が大きい。
一面に広がる貯蔵庫。
一体どれくらいのものが、そこに貯蔵されているんだろう。

この貯蔵庫エリアを越えてしばらく走ると、遠くに見えてきた。

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「あれがそうだよ」 と言う。
「…なんか違うよな?」
私が行きたかったのは、カラハン王朝遺跡だ。
百度で見た写真はあんな単体ではなかった。

喀拉汗王朝王廷遗址
(百度より拝借、カラハン王朝王廷遺跡)

携帯で写真を見せる。
「ここ?違うみたい」
しかし、「ここだよ」とのこと。
もともと彼はカラハン王朝遺跡を知らないみたいだったので、まぁ違う場所に行ってしまうこともあるだろう。
途中しっかり、カラハン王朝遺跡がある庫木薩克村を示す標識を見たんだけど。


私がなぜやっぱりそこに行きたかったかというと、新疆ウイグルのエリアは、カラハン王朝の征服によりイスラム化したからだった。
中国西域のイスラム化は、歴史を振り返ってみてもたいへん重大な出来事である。
このエリアがイスラム化しなかったならば、歴史は180度違う経過を辿ったはずであり、現代中国もまったく違う姿になっていたことは間違いない。
新疆には数々の仏教遺跡が残る。
かつてここは、仏教王国だった。
しかし、残る遺跡のすべてはわずかな痕跡のようなものにすぎない。
そこを訪れて私たちは、かすかな仏教の形跡からいにしえの姿をかろうじて想像することができるのみだ。
ここは、仏教がすでに失われてしまった場所。

かつてカシュガルこの一帯には、疏勒国と呼ばれる国があった。
疏勒国は匈奴、漢などに従属し、吐蕃、唐、回鶻(ウイグル)などの支配下になった。
それは中国王朝や周辺の勢力に左右され続けた翻弄の歴史である。
もともとは仏教国であったが、10世紀末イスラム王朝であるカラハン朝の征服によりイスラム国家へ変貌することとなる。
イスラム教を国教として布教したカラハン王朝第三代王スリタンの墓所は、先ほど覗いたばかりだ。
このイスラム化は、信仰だけでなく言語体系にも影響を与えた。
当時タリム盆地広域で使用されていたトカラ系言語から、トュルク系言語へ変化ーつまりトルコ化ーした。
これは影響を受けたとかそういうレベルではなく、いわば転換といっていい。
中国西域においてその後、イスラム化はその勢いを止めることがなかった。
カラハン王朝の征服は、各地が次々とイスラム化し広がっていった、その最初の火種である。

中国西域に魅せられたきっかけがシルクロードだという人は多い。
シルクロードとは単なる交易路のことを指すのではなく、文化、芸術、信仰、そうした精神世界の往来を包括する言葉でもあった。
その中のひとつが、仏教の東漸だ。
玄奘が記した大唐西域記。
それをモチーフにした西遊記。
法顕の仏国記。
それゆえに、かつての探検隊から現代の旅行者まで、仏教のルーツを探るためにあるいはそれをテーマに、シルクロードを訪れる人は後を絶たない。
天竺から中国西域を通り、朝鮮半島を経てはるばる日本まで伝わった仏教。
中国西域はほんらい仏教の聖地といっていい。
この地は、仏教伝来という点でも、仏教がいかに変化していったかという点でも、もっとも重要なエリアである。

ところが、これだけの仏教王国がイスラム化によって完全に消滅してしまったのだ。
信仰は時の勢力とともにある。
ある宗教がある宗教を否定し、排他する。
それは歴史上あらゆる場所で行われてきた事実であり、現代もまた例外ではない。
けれど、これだけの広域において、排他というレベルを超えて完全に消滅させてしまうその力とは。
文化や風俗や言語まで変えてしまうその影響力とは。

新疆に残る仏教遺跡は、あるものは過酷な自然条件のもと朽ちるがままに。
あるものは歴史の流れの中で、イスラム勢力によって破壊された無残な形跡を残すのみ。

中国においてイスラム大国となった、新疆ウイグル自治区。
そのイスラム化を肯定するか否定するかは置いておいて、確かにあった歴史上の事実として、知りたい。
私はそういうわけで、その最初の場所を訪れてみたかったのだ。


ところが、私たちがやって来たのは、おそらく違う場所だった。
しかも私はこの場所に心当たりがあった。
「モール仏塔」
実はもともと、カシュガルから行ってみたいと思っていた場所だった。
けれどちょっと時間がないということで、予定をみて行けそうなら行ってみようと思っていた。
まさか、アトシュから来ることになろうとは。
結果的にカシュガルからは遠いので、こちらからの方が行きやすかったのだけど。
いずれにしても、私が知っている場所なのだから、これはもうカラハン王朝遺跡でないことは間違いない。
土塊、という点では似たようなものかも知れないが、イスラム王朝遺跡と仏教遺跡とでは、上記に書き並べたようにこれはもう天と地の差がある違いである。

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近づくと仏塔は鉄条網で覆われていて、入り口には壊れた鉄の扉が設置されていた。
その向こうには壊れた小屋。
かつてはきちんと管理されていたのかもしれないが、現在は放置同然。
保護文化財、そんな文字だけが立派に見える。
車が一台停まっていて、向こうから二人の男性がちょうど戻るところだった。
「中には入れるのか?」
パァハティさんが訊ねると、
「自由に入れるよ」 と壊れた鉄扉を指して、何事もないようにそこを通り抜けた。
確かに、出入り自由も同然だった。

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鉄扉を抜けたその先には、たったふたつの土塊があるだけ。
そのひとつがこちら。
小さなピラミッドのような形をしていて、それが明らかに人工物であることがひと目でわかる。

莫爾仏塔(モール仏塔)。
唐代のものであると推測されている。
モールとはウイグル語で煙突の意味。
かつては仏塔ではなく烽火台と考えられていた。

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このピラミッド型土塊には下部に小さな穴が開いている。
覗いてみるもその穴はそう深くはなく、内部には観光客が放り込んだゴミが見えた。
西面は形が崩れている。これは盗掘の跡なのだという。
上部にはレンガを積み上げたような内部の造りが一部露出している。

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わずかに階段の跡も確認できる。
三層の基壇の上に乗っかった釣鐘型の塔身。
専門家であればここから具体的な建築様式を想像できるのだろうが、私にはさっぱり。
去年に訪れたクチャ郊外の仏教遺跡を思い出せば、あそこに残る仏塔もこんなふうだった。

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一方、その隣りには寺院跡とみられる遺跡。

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こちらも形をなしてはいないが、近づいて見れば明らかに人工物であることがわかる。
人工物であることはわかるが、かといってあらかじめそうと知らなければ寺院に見ることは難しい。
かつてはここにたくさんの仏像が並べられていたのだそう。

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この寺院跡、実はけっこう大きい。
その前には台座のようなものが残り、それがなんなのか形もなしてはいなかったが、その上にはバナナとリンゴがのせられ変色していた。
観光客が残していったお供え物だろうか。
土塊の遺跡はところどころ激しい乾燥でヒビが入っていた。
これらの遺跡があとどれくらいの年月持ちこたえることができるのかはわからないが、時の流れに任せていくほかないだろう。
敦煌を旅行した時にガイドが言っていたのを思い出す。
「ここがもし南部のように雨が降る場所であれば、これらの遺跡は残っていなかったでしょう」
激しい乾燥による劣化はあるのだろうが、乾燥地帯だからこそ残り得た。
それからこうも言える。
ここが人々の生活圏から離れ、また訪れることが容易ではないことから、保護もされなかったが破壊もされなかった。
もし仮にここが内地であれば、再建されていただろう。
当時の姿を再現した美しい仏塔が建ち、観光客が訪れただろう。
そのどちらがいいかは、とても難しい問題ではある。
しかし、いずれにしても形あるものはかならずいつかは失われるのであり、それがどのような形で失われていくかその末路が違うだけだ。

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モール仏塔の向こうには、土の層のようなものがいくつも並んで見えた。
「この辺りは昔、街ー城市ーだったんだ」
パァハティさんはそう言ったが、彼はこの場所を知らなかったはずだけど。
けれど確かに言われたように、かつての街の名残のように見えた。
それが自然物なのか人工物なのかは、本当のところはわからないまま。

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周囲は一面遥か遠くまで見渡せる。
地平線というのはくっきりしたラインなのではなく、うすぼんやりと霞んだものなのだと知った。

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ふたたび車まで戻ってきた。
壊れた鉄の扉は、ここが放棄された場所かのように見える。

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一面荒涼とした大地。
そこに一本の道が通っている。
道なんかないように見えるけれども。

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「それじゃあ次は別のところに連れていってあげよう」
パァハティさんはそう言って、車を走らせた。
私たちは元来た道を戻り、やがてあの貯蔵庫が一面に建ち並ぶ場所を通りそこを曲がった。
曲がった先には、来た時にも通過したあの建設中の公安がある。
その横には簡易検問。

中国の車は右側通行。
私は右側の助手席に座っていて、簡易検問は道路の右側にあったため、検問時に警官は私を引き留めた。
私は窓を開けてパスポートを警官に手渡した。
警官は4人程いて、彫りの深い顔立ちは西の雰囲気を持っていた。
「車を降りよう」
パァハティさんがそう言って私を促した。
私は聞き取れなかったが、そう指示されたよう。
私たちはそのままそこに車を停め、建物とも言えないようなその屋根の下に行った。

壊れかけたコンクリートの基礎が残り、それを椅子替わり、テーブル替わりにして警官たちは待機していた。
屋根は木材を渡して作ってあり、強い日差しを避けるためにその下で休んでいる。
彼らは、私に「そこは暑いから」と言うように、日陰に誘った。

砂まみれで壊れかけたコンクリートの基礎には、お茶が入った椀がいくつかと煙草がのっていた。
蝿がまっていて、それを見て、ここでの任務も大変だろうなと思った。
警官たちは談笑していて、パァハティさんもそれに加わっている。
「今は何をしている時間なんだろう?」
私のパスポートは彼らが持ったまま。
通常の検問であれば、パスポートを見せ質問に答え、車に危険なものが載せられていないかチェックを受け、私にも問題がないとわかればすぐに解放される。
たとえ時間が多少はかかったとしても。
「日本人なのか?」
屋根の下に入り彼らの横に座り、最初にそう訊かれたが、それは質疑というよりも談笑のような雰囲気だった。
彼らはときおり私に対して中国語を使い話しかけてきたが、それ以外すべてウイグル語で会話していたため私には状況が掴めていなかった。
パァハティさんも一緒になってウイグル語で談笑している。
彼らはリラックスしていて、常に笑顔でいて厳しい表情を見せることはなかった。
通常では検問は武装しているもので、大型の検問所建物内部の検査官などを除き、皆いつでも発砲できるように銃を肩にかけている。
新疆で検問時に少しでも問題行動を見せれば、即座に撃たれるだろう。
ところが、ここの警官たちは武器を携帯せず、それを屋根の外の壁に立てかけていた。
これは稀というか、正常ではないことだった。
検問で警官が笑顔を見せるということも、今まで経験したことがない、おかしなことだった。
今から考えれば。
ところがこの時私はパァハティさんという、現地人でウイグル族で警察官である彼がいることに安心し、談笑の和やかな雰囲気に安心し、そう深刻には考えていなかった。
屋根の下で私もリラックスし、「結婚しているの?彼氏いるの?」そんな彼らの笑顔の質問にこちらも笑顔で答えたりしていた。
この壊れたような建物の向かいには、レンガ造りの簡易で小さな建物があった。
そこにはウイグルのおじいさんがいて、飲み物を売っていた。
パァハティさんはそこで飲み物を人数分買い、彼らに配り私にもくれた。
しかし時間にして一時間近くが経過していた。

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こちらは検問所からアトシュ方面に続く道。
検問時、写真はタブーだ。
しかし彼らの雰囲気が緩いのを見て、少し離れてさりげなく撮ってみた。

一度ウルムチのロンさんから電話がかかってきた。
電話を受けると、
「今どこにいる?」
「ウェイさんが仕事で、彼の友達と外まで遊びに出ているよ」
今、検問で処理を待っている、ということも伝えた。
打ち合わせたように早い時間にはカシュガルに戻れないことは、すでに彼とカシュガルのウイグル族パァハティさん二人に伝えてあった。
「ガソリンも使うし彼の一日も使ってしまったんだから、感謝を伝えるべきではないか、ガソリン満タンにしてお礼言うんだぞ」
ロンさんはそう言った。
私が電話を切りそのことを伝えると、「いいよ、いいよ」とパァハティさんは笑った。

そんなことがあったが車を停めてから一時間後、パァハティさんは私に、
「行こう」 と言った。
もう解放されたんだ、長かったけどよかった、そう思った。
パスポートも受け取った。
ところが車に乗ると、彼はUターンさせ、先ほど通ってきたばかりのモール仏塔方面に向かいだした。

「彼らは許可しなかった、道の通過を許可しなかった」
先ほどの笑顔を捨て、渋い表情でそう言った。
「え?どういうこと?」
あの検問の道は、アトシュへ戻る一本道である。
「彼らはあなたを“坏人”だと判断し、アトシュへ入ることを許さなかった」
“坏人”、つまり危険人物である可能性がある、と見なされたわけだ。
ただし危険人物だと判断されれば拘束されるはずなので、言ってみれば危険人物ではないとは確信が得られなかった、という状況のようだった。

「あの道を通らなければ、アトシュへは戻れない。だからなんとかして他に道がないか探してみるよ」
もし道がみつからなければ、どうしようもない。
そう、付け加えた。



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Author:まゆ
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