2017-05-31

喀什旅行六日目~その一~

2017年5月6日、とうとう今夜はウルムチに戻る。
明日は早朝にウルムチを出発し帰路につくので、実質楽しい気分は今日までだ。

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目覚めたのは9時。
行くはずだったタシュクルガン、そこに暮らすタジク族の女の子を事前に紹介してもらっていた。
ところが私がタシュクルガンに行くはずだった日程、彼女は留守にしているということで会えないことになった。
けれども私もタシュクルガンに行くことはできなかった。
私がアトシュに向かった昨日、彼女は用事を済ませカシュガルにいた。
ロンさんは朝ご飯さそってみなさいと言ってくれたが、彼女はすでにカシュガルを離れタシュクルガンへの帰路についていた。
今回は縁がなかったようだ。
彼女にもタシュクルガンの街にも。
けれど、縁自体がなかったというふうには思わない。
もともと行くべき会うべきタイミングがあり、それが今回ではなかったというだけだ。
あの場所を訪れるべき時機というのが訪れたら、きっとその時訪れることになるのだと思う。

ホテルのフロントに行きチェックアウトした時、もう間もなく外で行われている軍事演習が終わるというところだった。
私は荷物を抱えて、ヤオさんのお店に向かった。
軍事演習が終わる瞬間、交差点の隅々で住民が待機しているのが見え、終了とともに溢れ出てきた。
どんなものでも、慣れれば日常になるんだなと思った。

ヤオさんのお店に行き、今日ウルムチに帰るので荷物を置かせてほしいと頼んだ。
そして、残ったロンさんのお土産と、私が持ってきたお土産を渡した。
ヤオさんにはすでにロンさんのお土産を渡してあったが、用意してきたお土産が多く、そのすべてをウルムチに持って帰る必要はないからと、昨晩ロンさんは言った。
本来はタシュクルガンで会う人やタジク族の家族の為に持ってきたお土産の数々だった。
ところが予定が変わり、アトシュで会う人、もてなしてくれるウイグル族の家族、それからカシュガルのウイグルの家族にそれらのお土産を渡すことにした。
アトシュでウェイさんとパァハティさんにはお土産を渡したが、またまたトラブルにより多くのお土産を残したまま最終日を迎えてしまった。
そのお土産をヤオさんに受け取ってもらった。
予定が変わり、また変わり、今回の旅行はそんな旅行だった。
そして、いろんな人たちに助けてもらった旅行だった。

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ヤオさんは「ご飯食べた?」と訊いた。
食べていないというと、自分のお店で食べなよと言う。
私は蘭州拉麺が大好き。
最後はここの拉麺で締めたいと思っていた。
「どれが食べたい?辛いの?」
「辛くないの、清湯の」 と言うと、
「牛肉加えて」と厨房に頼んでくれた。

お店にはグリパイルがいた。
「今日はここをまわってから帰るけど、一緒に行かない?」
そう誘ってみると、
「老板がいいならいいよ」 とのこと。
ヤオさんにOKをもらい二人で出かけることにした。
行きたいのは、歩いてすぐのところにある、ユスフ・ハズ・ジャジェブ墓。
お店にはちょうどお客がいて、私の話を聞いて一緒に向かってくれることに。

すがすがしい天気だった。
日に焼ける日差しだったけれど、乾燥しているためそう不快感はない。
そのすがすがしさは気づかないうちに身体を攻撃する。
肌は日に焼け、唇はこの世の終わりのような状態になっていた。
リップクリーム持ってきていたんだけど。

三人並んで歩き、人民公園の横を抜け、その裏にあるマザールに到着した。
ものの5分。
男性はそのまま帰っていった。
辺りは閑静で落ち着いた場所だった。

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マザールの門は閉ざされ鎖と錠前でかたく施錠されている。
門には車止めの柵があり、正面をふさいでいた。
「閉まってる?」
心配になりそう言うと、グリパイルは門番に声をかけた。
門番は出てきて施錠を解いた。
面倒でも、安全のためにこうしていちいち開けるよう。

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両側に葡萄の蔓が絡まった屋根を持つ歩道があり、そのすぐ先にマザールの入り口はあった。

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一面青い模様がはいったタイル。
細かい細かい模様はよく見るとみな違う。
カシュガルには白地に青い模様が入ったタイルが多いのかなと思う。
それはまるで、真っ青な空に浮かぶ雲。天上の聖なる色だ。
それにタイルを使用したモスク自体が多い。
色彩に欠けたこの砂と土の大地にあって、タイルのつややかな輝きと釉薬の色鮮やかさは、とても映える。
そしてその輝きは時を越えて往時の姿を伝えていく。
聖者の墓所にふさわしい。

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門をくぐると、内部はとても広かった。
私たちの他に、誰もいない。

ここは、玉素甫・哈斯・哈吉甫麻扎(ユスフ・ハズ・ジャジェブ・マザール)

ユスフ・ハズ・ジャジェブの墓所だ。
先ほどくぐった門の内部にも彼の大きな胸像があった。

ユスフ・ハズ・ジャジェブ、11世紀中ごろに生きた人だ。
この地をイスラム国家としたカラハン王朝の首都・ベラサグンに生まれ、当時同王朝の副都であったカシュガルにて文学活動を行った。
有名なのは、「クタドゥグ・ビリク」(幸福の知識)という書物。
君主のあるべき姿や教訓などが詩として書かれた内容で、これは世界で初めてアラビア文字を用いてトュルク語を表したイスラム文学の書物だという。
この書が評価されて、ユスフはカシュガルで大侍従の位に就いた。
このマザールは、そのユスフを祀った墓所だ。
以前は吐曼河近くに埋葬されていたが河の氾濫に備え、ヤルカンドハン国の時代に現在の場所に移された。

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内部には宝珠の円柱形の棺があった。
上を見上げれば、球形の天井に並べられた窓。

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棺の周囲には、このように「クタドゥグ・ビリク」の内容が壁に書かれている。
内容は読めないが、文章には5172などの数字が振られていた。
それぞれ、アルファベットを用いたものとアラビア文字を用いたものがある。
「これ、読める?」
グリパイルに訊いてみると、
「もちろん読めるよ~ウイグル語なんだから」

クタドゥグ・ビリクは、13290行もの大作で、18ヶ月をかけて完成したものなのだという。
王と家臣の対話を通して、道徳などが書き表されている。
棺の部屋の外には本のレプリカが飾られていたが、私に読む術はなく、その内容も知らないまま。

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墓所の周囲には真っ白い回廊が囲んでいた。
宝珠型に象られた回廊。
日差しを受けて、真っ白な壁面はくっきりとその聖なる形をあらわしている。

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中国のイスラム建築を見るとき、いつも感じる。
イスラムの美学は、空白を恐れたのではないか。
空白を許さない一面埋め尽くされたイスラミックカリグラフィー。
隙間なく象られたアラベスク。
細かく細かく精巧に彫り込まれた彫刻。
精緻な模様を表したタイル。

一方で、墓所内部やこのような回廊など、対極に感じるほどシンプルで真っ白な白い壁。
その差があまりにも激し過ぎて、お互いがお互いを際立たせているよう。
ここには、その中間がない。
これ以上手がかけられないほどの細かさか、潔いほどの純白。

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こちらは回廊をまわって墓所を裏側から見たところ。
他の場所の青い釉薬を使ったタイルもそうだったが、青いタイルはこのように模様を施したものが多かった。
アパク・ホージャ・マザールのあの緑色のタイルのように、すべて青く塗りつぶしたタイルで覆っても美しいと思う。
このユスフ・ハズ・ジャジェフ・マザールも、屋根には塗りつぶしタイルが使われていた。
また、アパク・ホージャ・マザールには塗りつぶした美しい緑色のタイルが一面を覆っていたけれど、今回の旅行中一度も、この青いタイルのように模様を施した緑色のタイルを見ることがなかった。
なぜだろう。

ユスフ・ハズ・ジャジェフ・マザールを出た時、まだ出発まで二時間ほど時間があった。
もう少し観光できるな、とホテルで入手した地図を見てみる。
すると、すぐ近くにもうひとつマザールの名を見つけた。
行ってみることに。

地図を見ながら、健康路へ。
そこからまっすぐに進むとやがて東湖公園という湖のある公園を通過する。
それを越えて次の角を左折したところ。

グリパイルと歩いていくと、検問があった。
車での移動中の検問なら何度も経験があったが、このように徒歩でも検問があったのは初めてだ。
警察官はパスポートをチェックして通常あるような型通りの質問をした。
「***」
警官は何かを言って私にパスポートを返した。
「何て言ったの?」 グリパイルに訊いてみると、
「謝謝って言ったんだよ」
警官もそう嫌な態度ではなかった。

健康路を歩いていくと、まだ先ほどのからそう歩いていないのに、また検問があった。
今度はテントにテーブルとイス、そこに腰かけた警官が二名。
通行する人は順番に身分証を提示し、警官は帳簿に通行人の氏名、身分証番号、住所、それから携帯電話の番号を書き込んでいく。
通行する人はたくさんいるので、帳簿は人の名前でいっぱいだった。
私はパスポートを提出。
警官は戸惑ったようだったが、それを記入していく。私は中国携帯の番号を教えた。

「新疆、特にカシュガルは検問と公安が多いね、公安、公安、公安…緊張する」
「安全のためにね」
「面倒じゃない?」
「慣れてるよ」
ここではこれが普通の日常なんだ。
「日本にはないの?」
「検問ないよ」
「公安はないの?」
「あるけど、数が少ない。住んでいるところにひとつくらいだよ」
そう答えると、グリパイルは信じられないというふうに目を丸くした。
「それに日本と新疆では公安は少し違う。こんなに厳しくない」
お財布や自転車をなくしたとき、道に迷った時、私たちは公安にいくよ、語弊はあるかもしれないが私はそう説明した。
公安っていうか、おまわりさん。
日本は平和だから、あまり事件が起きない。
グリパイルはおかしそうに笑った。

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健康路から東湖を通り過ぎるとき。
乾燥の街にも、豊かな水と緑があった。

その先の角を曲がったところに、目的のマザールはあった。
マザールというか、そこにはモスクがあり、その中にマザールがあるとみられる。
みられる、というのは、結果的に中に入ることができなかったからだ。
モスクは開放されていたが、ムスリムがたくさんおり、私が近づいただけで怒られた。
あるムスリムに入れないか訊ねてみたが、やはりダメとのこと。

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こちらがそのモスク。
この中には、阿里・阿爾斯蘭汗・麻扎(アリ・アスランハーン・マザール)があるはずだった。
資料がないから詳しいことはわからないが、地図によるとここがそうだ。
アリ・アスランハーンは、10世紀カラハン王朝第六代王で、イスラム教で征服するための戦争で于阗国、つまり現在のホータンにて仏教徒の軍隊と戦い戦死したのだという。
これもまた仏教が失われイスラム化が進んだ歴史の一幕といえる。

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入り口にはウイグル語。
それを見ているだけで怒られたのだから、このように写真を撮ってさらに怒られたのは言うまでもない。
しかしここは信仰の場所。
悪いのは私の方であることもまた間違いない。

グリパイルは、「指導者が来るのを待って頼んでみれば入れてくれるかもしれない」と言った。
信者がたくさんいたので、指導者もそのうち来るかもしれないと、その辺で待ってみることにした。
日差しは強くて、待たせている彼女に悪かった。
彼女はカシュガル滞在中ずっと私に付き合ってくれた。
そこで、近くの商店に飲み物を買いに行くことに。

商店から戻る途中、モスクの横には小さなホテルがあり、駐車場があることに気づいた。
横から覗ける。
信仰に対して不謹慎極まりないが、横から見せてもらうことにした。

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かろうじてモスクの入り口。
それからこの駐車場から柵のすぐ向こうには、簡素な墓があるのがわかった。
地図にはマザールの名ととのも何かの墓名が記されていた。
マザールは墓所の意味なので、なんで墓がもうひとつあるんだろう、なんて疑問に思っていたものだ。

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帰国の際にこのカシュガルの地図をなくしてしまったため、地図にどのような記載があったのか定かではない。
誰の墓なんだろう、と百度で調べてみた。
それによると、おそらく、これはアスランハーンの母親の墓だった。
これは女性の墓なので、女性ムスリムのみ訪れることができるのだそう。

いつまでたっても指導者が来る様子はなく、また信者の邪魔をしてまでも中を覗くのはどうかと思い、私はグリパイルに「行こう」と言った。
この道をまっすぐ行けば、私たちが戻るべきヤオさんのお店のある人民東路にぶつかる。


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まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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