2017-05-31

喀什旅行六日目~その二~

アリ・アスランハーン・マザールを諦めて、通りを北上した。
この街歩きは私にとって、いわばカシュガル旅行のクールダウンであり、この街へのさよならの挨拶だった。

状況にもよるけれど、私の中国一人旅にはだいたいのパターンがある。
到着した日には、それが夜遅くとも、状況が許す限り周辺を少しでも歩いてみる。
それは、初日のうちに少しでも地理を把握するためだ。
私の旅行は基本的には一カ所の基点を決めてそこからどこかに移動してみるかたちをとっている。
その街の雰囲気を体感せずして、地理も把握せずして、そこを旅行してきたとは言いたくないのだ。

そしてその街を去る時には、状況にもよるが、観光というよりかはただ街を歩いてみる。
すでに何度も歩いた道であってもいい、どんな場所かわからない場所でもいい。
観光欲を抑え、ただ街の空気を吸うために、出掛けてみる。短時間でも。
この街にまたやって来ることはできるだろうか。
次に来る時には街並みは変わってしまっているに違いない。
そんなことを考えながら、最後の空気を吸う。
そして、見納めをする。

このふたつが、私式の、旅先への「你好」と「再見」なのだ。

グリパイルは、初めて会った時から何度も「あなたのこと好きだよ~」と言ってくれた。
それがお愛想でも、明るい彼女は居心地が良かったし、適度にほったらかしてくれるので楽だった。
私より一回り若い彼女は、それでもそんなに子供子供していなくて、大人びて見えた。
「結婚してるの?」
あと少しでお別れという今になって、その質問が来た。
「してないよ」
「じゃあ、彼氏はいるの?」
「いないよ」
「なんで?」
このやり取りは中国に来る度にいつも誰かと交される内容なのだが、未だに答えに困る。
「うーん、機会がないかな、それと望んでないかな」
うそだ~というふうに、彼女は明るく笑った。
今度は私が聞く。
「じゃあ、あなたは子供いる?」
「いないよ」
「まだ若いからね」
「私、結婚してないから」
あれ?彼女には旦那さんがいるはずでは?
会って最初に私の方から質問していたし。
それに、最初の夜に私は彼女に中国携帯を貸したんだった。
彼女はしばらくそれで誰かとウイグル語でおしゃべりしていて、そのあとその相手の番号から私のとこに電話やショートメールが来るようになってしまったんだった。
中国語のとウイグル語の。相手は男性だった。
それで訊ねたら、「彼は私の老公(旦那さん)だよ」と答えていなかったっけ?
「あなた結婚してるって言ってたじゃない」
「離婚した」
「あの電話の男性は旦那さんじゃないの?」
「あれはただの普通の友達」
「前の旦那さんは?」
「知らない、もう連絡とってない」
そうか、そういうことならわかった。
「結婚一生しないの?」
今度は彼女が私に訊いてきた。
「わからない、するかもしれないし、しないかもしれない」 私は答えた。
「一生子供産まなくていいの?」
「寂しいかもしれないね」
日本ではこういう話題は親しい間柄でないとしないけど、私は中国人からけっこう遠慮なく訊かれる。
遠慮なく言ってくれるので、むしろかえって楽なくらい。
「じゃあ、あなたは再婚しないの?」
私はグリパイルに訊いた。
「しないよ~したくないよ~」 彼女はとびきり明るく断言した。
「結婚したら自由がないからね~」
非常に語弊がある言い方だとは思うけれど。
「そう、自由がない」
グリパイルは、その通りだというふうに大きな声で返した。
「日本には女性は男性の言うことを聞かないといけない習慣がまだある」
これもまた非常に語弊がある言い方だけれど。
そういう人もい、そうでない人もいる。
そういう状況もあり、そうでない状況もある。
一言に言ってはいけないと思うけど、彼女はそんなに深く聞いていない感じだったのでいいかと思った。
「ウイグルもそうだよ~」
結婚したら旦那の親がいる、これが嫌だ。
家の中のこと、みんな嫌いだ。
彼女はそう言った。
「だから、もう結婚しない」
「ほんとにしないの?」
「いやだよ、絶対結婚なんかしたくない」
彼女は大声で言った。
一見、私たちは結婚に対して積極的ではないという点で共通し意見が合っているように見えたが、実はとても違和感を覚えていた。
イスラム教徒である彼女と、無宗教である私が、男女問題について同じラインで話ができるわけがない。
ウイグル族としてここで暮らす彼女と、日本で暮らす私の状況が同じなはずがない。
同じ話題について会話をし通じてるのに、もしかしたら私たちは、全く違う話をしているのではないか。お互いに。

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私たちはやがて人民東路に行きつき、そこを左折した。
左折した先にあったのは、吐曼河に架かる橋。
この吐曼河、カシュガルをずっと昔から見守り時には攻撃し、そしてずっと共にあり続けた一条の川だ。
けれどもここからの風景は、橋も、向こうに建ち並ぶ建築も、橋の向こうの街並みも、明るい現代の風景そのものだった。
昔々した雰囲気はなく、そしてここが中国最西の辺境の街であることも忘れてしまうような、中国にはありふれた風景だった。
右手に見える高台民居を除けば。

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その先には大きな観覧車があった。
観覧車なんて珍しいものではないけれど、ここに…?
砂漠のオアシス都市にはたいへん似つかわしくない。
この街はもう、いにしえの情緒を捨てている。

「乗りたい?」 グリパイルはそう訊いてくれたが、時間が心配だった。
そんなにゆっくりしている時間はもうない。
現在15時半、あと30分ほどで空港に向かわなければならない。
グリパイルが所要時間を訊いてくれた。
一周15分。
彼女も乗ったことがないというので、乗ってみることにした。

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こちらが、ここまで歩いてきた方面。近代的だ。

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こちらは、これから戻っていく方角、中心部だ。
この道の向こうには人民公園や市政府や、私が宿泊したホテル、それからあのウイグルの屋台街や老街がある。
この写真右手奥に広がるのはウイグルの住居だ。
すっかり近代と書いたけれども、それでもやっぱり古き良き雰囲気は残る。
あれは現代風景に溶け込まない沈殿物だ。
塊となって生き残る、侵されない聖域。
それが失われたとき、この街はカシュガルの名をも失うのだろう。

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観覧車に他のお客は皆無で、いったい一日にどれくらいのチケット収入があるんだろうと思った。
最初は雰囲気合わないと否定的だった私だったけれど、カシュガルの新旧を俯瞰できるのはなかなか気持ちがよかった。

ヤオさんのお店に戻り、最後のお茶をごちそうになった。
そしてヤオさん夫婦と彼女と四人で写真を撮りたいと頼んだ。
外に出て誰に頼もうかなと迷っていると、すぐそこには公安の車両があり、向こうから数名の公安がやって来た。
別に今日だけではなく、ここに来るたびに公安がここを通るのを目撃していた。
だから、それが珍しかったわけではない。
私の目を引いたのは、彼らが連行している人たちだった。
服装は一般庶民の服装をしていたが、両手は縛られ、顔には真っ黒な布の袋をかぶせられていた。
日本でも逮捕するときにはジャンパーとかで顔を隠すけど…。
けれどこの明るい日差しの下で、犯人が犯行予告で被るみたいな黒くて大きな袋を被っているのは、とても違和感があった。
いったいどんな容疑をかけられたのだろう。
ほんとうに何か罪があった人たちなのだろうか。
いろいろ推測してしまうのは、私の勝手な色眼鏡が働いているだろう。
そしてそんな勝手な推測は、ほんとうに余計なお世話だ。

私はヤオさんたちにお礼を言い、2路のバスに乗って空港に向かうことにした。
グリパイルがバス停まで荷物を転がしてくれた。
私はこのカシュガルで長距離車代と買い物代くらいしか払っていない。
何から何まで出費してもらってしまった。
彼女には長い時間付き合ってもらった。
それから何より、彼らの存在は旅先の安心を私に与えてくれた。

2路のバスはやがて空港へ。
行きには検問を通過したが、帰りにはない。
どの検問も、出るは簡単、入るは厳しい。

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18時15分発、南方航空 CZ6806便にて空路二時間。
あっという間に、ウルムチに到着した。
ウルムチ空港では、みんなが出迎えてくれた。
ロンさんは仕事ですでにウルムチを離れており、面と向かってお礼をすることができなかった。

チャン弟が運転をし、私は助手席へ。
後部座席にはチャン・イー、フェイフェイ、彼女の旦那チャン兄。
チャン・イーは、「私はマーヨーズが今考えていることがわかる」と言って、すっと煙草を後ろから差しだしてきた。
それを見てフェイフェイが笑う。
私はてっきりこの辺りでご飯かと思いきや、車は随分時間をかけてウルムチ市内に入った。
ご飯に妥協はできない、といった感じだ。
カシュガル空港に着いた時、チャン・イーは私に、
「过油肉拌面、抓飯、烤肉、韮菜鶏蛋餃子、どれが食べたい?」
と訊いてくれていた。
餃子以外、新疆料理だ。
大好きな羊肉と野菜のまぜ麺。羊肉とドライフルーツを使ったウイグルピラフ。羊の焼肉。ニラとタマゴの餃子。
正直に言うと、羊肉ばかり食べていたので餃子が食べたかった。
でももう、新疆ともさよならだ。
ということで、私は过油肉拌面をリクエストした。

お店に着いたのはもうすぐ22時という頃だった。
すでに空は青から藍色にそして紺色に変わろうとしていた。
お店は羊を焼く煙でもくもく。
外も中も煙でいっぱい。

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結局、羊肉も食べさせてくれる。
下に敷かれたナンは、みんなでちぎって分け合って食べる。
串に刺さった羊肉をナンに挟んで食べるのだけど、上手にいかない。
ちぎったナンを内側から広げそこに肉を挟む。
こうやってやるんだよ、とチャン弟が教えてくれた。

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过油肉拌面はソースと麺がふたつのお皿に分かれて出てくる。
それをばさっとかける。
これをリクエストしたんだけど、烤羊肉串ですでにおなかいっぱい。
新疆の料理、中国の料理って、美味しいんだけどボリュームがある。
「日本は中国に比べて太っている人が少ないよね」
チャン・イーはそう言った。
「日本の食事は価格が高いから」 そう言っていたけど、私は思った。
一皿がこれだけボリュームあるのだから、いやでも太るかも…。
こんなに食べれないときには、もう包子とか果物しかない。
それに、ここは脂っこい食事が多い。肉も多い。
価格よりもそちらだ。
「ウイグルの女性にはこんな感じのが多いよね」
私は両手で大きな体を表した。

さて、去年のこのGW。
やはり帰国の際に、ここウルムチでロンさんにごちそうになり、おみやげをたくさん持たせてもらった。
これは干ナツメ、これは干アンズ…あまりのお土産の量に、そしてあまりの疲労に、ちゃんと聞いていなかった。
日本に帰国して一週間、夏日が続いたある日。
「マーヨーズ、烤羊腿食べたか?」
烤羊腿、羊の脚を焼いたものだ。
「そんなのあった?」
アルミのパウチにそれは入っていた。
不透明だったし、葡萄干のラベルが貼ってあったから、それだと思わなかった。
すでに一週間が経過し暑い中そのままだったので、それはもう食べられる状態ではなかった。
「せっかくお母さんに食べさせてあげようと思ったのに、君は好意を無駄にした」
そんなことが一年前にあった。
そして今回。
「今回はかならずお母さんに食べさせるんだぞ、帰りに持たせるから」
ウルムチに着いてその夜、ホテルに向かう道すがら、彼は私にそう言った。今度は失敗は許さないぞ、といったふうに。
リベンジだ。
日本の検疫は一切の肉類持ち込みを禁止しているんだけど。
ロンさんは日本には羊肉を食べる習慣がほとんどないことを聞いて、私の母にそれを食べさせたいのだ。

そういうわけで、彼は不在だがみんなは承知している。
「今から烤羊腿、買いに行くよ」
お店を出て、近くのウイグルの賑わいがあるエリアに向かう。
このエリアに入るにもチェックが必要で、身分証を提示し回転扉を一人ひとりくぐっていく。
思い出した、去年もここへ来た。
あの時には、ちょろまかして紛れて入ったんだった。
どうやら、パスポートでここを通過するのは難しい?
またまた同じように、「マーヨーズ、しゃべっちゃダメだよ」
そう言って、誰かが「買い物しに来た」と身分証を提示し入場の理由を伝えているまに、回転扉をくぐる。
電車の定期券みたいに、身分証で緑ランプがついているときでないと扉が動かないので、誰かがやってくれている間に「早く早く」と、私は通り抜ける。
随分あまいけど、これでいいのか?
「面倒だね」
私がそう言うと、「安全の為にね」
そうしたらちょっと問題があるセキュリティーだ。

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ここを通り抜けても、以前に行ったことがある場所には出なかった。
ひっそりとした住宅街で暗い中、ウイグルの子供たちが遊んでいる。
どうやら入り口は複数あったよう。

ようやく見覚えのある場所に出た。
お店が数店舗、並んでいる。
みんなの考えていた烤羊腿が美味しいお店は閉まっていた。
その為、その辺の人に訊いて勧められたお店に。

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店の外には、切り分けられた羊の部位がボールに乗っけられてそのまま売られている。
ウイグルの女性たちが、ここの部分あの部分などと、そこから買っていく。

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中国では普通の光景だけど、日本人にとっては少し生々しく感じる部分はあるかも知れない。
市場では動物が生きたまま売られている。
皮を剥がれた牛や羊が吊る下がって売られている。
そんなこの国にあって、これらは命の恵みだ。
食べ物はみな、リアリティーを持っている。
けれども中国が特別そうだというわけではない。
本来、食とはそういうものであったはず。

チャン・イーたちは吟味して一本の烤羊腿を選んでくれた。
そのまま持ってく?それとも切り分けてもらう?
私はそのまま一本持ち帰ることにした。

このあとロンさんの部屋へ行き、また珈琲をごちそうしてもらったりした。
すでに23時だ。

私の日本携帯にダウンロードしている微信の微信マネー。
この微信銭包が中国の銀行口座と繋がっていなくて不便だった。
電話番号を登録するのにショートメールが受け取れる中国携帯でないといけなかったため、中国にいるうちに登録してしまおうと、みんなに見てもらいながらやろう、ということになった。
口座名義の名前の入力、銀行名に口座番号、それにパスポート番号、それから最後に携帯番号。
やっぱり登録できない。

「中国の携帯の方でもう一つ微信のアカウント作れば?」
だれかが言い出した。
「なるほど!」 みんなが賛成する。
「でも私の中国携帯、ネット契約してない」
「Wi-Fiがあるじゃない」
そうか~。
中国携帯の微信アカウントを、お金専用に使えばいいんだ。
そのあとは、日本携帯の微信とその微信同士は、お金の移動は簡単だ。
ところが、こういうのが苦手な私はもちろん、そこにいる誰もが私の中国携帯に微信をダウンロードできない。
「韓国の携帯、ちょっと違う」
北京で譲ってもらったサムスンのスマホだった。
でもどうしてもダウンロードできない。
「一つの携帯に四人、何やってるの」
離れた席からそれを見ていたチャン弟が笑う。

疲れ果てた頃、気づいた。
そうだ、私の口座はめんどくさいことに雲南・麗江で開設したものだった。
あの時には中国の携帯を持っていなかったため、日本の携帯番号で口座開設したんだった。
だから、ダメなんだ。
口座を開設した時に登録した電話番号でないと、一致しない。
だったらもう一つアカウント作ってもダメだ。
中国の銀行はとてもめんどくさくて、同じ銀行でも登録変更・手続きは、口座開設した支店でしか行うことはできない。
つまり、電話番号の変更なんかも、私の場合麗江支店でないとできない。
ということは、現状は私の微信に私の銀行口座は登録できないということになる。
銀行口座と連結しなくても友達に出金してもらったりすれば使えるし、お金のやり取りに微信はあまり使っていないので、当面はこれでもいいだろう。
しかし、色々と不便を感じている今の銀行口座。
近々、北京だとかウルムチだとかで、また新しい口座を開設しようと考え始めた。

携帯だとか微信銭包だとか、旅行に関係ないようなことを旅行記に毎度のようにだらだら書いてきた。
非常に要領が悪いこと丸出しだが、どアナログ人間の私にとってはたいへんなことなのだ。
この旅行記ブログは“初めてのお遣い”の記録でもあるため、これは仕方ない。

さすがにもう時間は遅かった。
私の脳は疲労で思考が停止寸前。
フェイフェイ夫妻とはここで別れ、チャン・イーとチャン弟が空港近くのホテルまで送ってくれることに。
部屋を出る時、彼らはたくさんの手土産を持たせてくれた。
たくさんのドライフルーツなど。
フェイフェイは内モンゴルの羊肉干の塊をくれた。
食べる分だけ切り取り、玉ねぎと一緒に煮るといい、そう言った。
それから、「明日朝ご飯に食べな」 と韮菜鶏蛋餃子。
見ると、ビニール袋に大きな餃子が20個ほど入っている。

「この烤羊肉腿は、傷まないようにホテルに着いたら窓際に置いておくんだよ」
窓際は比較的冷たいから。
時間も遅いのにロンさんの部屋に来てまったりしたのは、この羊の脚を真空処理するためだった。
ここにはその機械があるので、ナンと一緒に真空にしてくれた。
「この烤羊腿、どのくらいまで食べれる?」
明日は帰宅は日付が変わるくらいになるだろう。
となると、早くても口にするのは明後日になってしまう。
「三日」
チャン・イーが言った。「帰ったらすぐに冷蔵庫にいれてね」
それを受けて、
「三日以内」
チャン弟が付け加えた。
今日、明日、明後日、やっぱり明後日食べないとだ。

帰国し、その“明後日”。
私たちは真空を解き加熱し、その烤羊腿を食べた。
もともとは私の母へと持たせてくれたものだったが、実を言うと当の母はそんなにそれが食べたいわけではなかった。
理由はまぁ色々あるけれど、一言で言えば「勇気がない」。
けれど私は経緯を話し、友達がわざわざ持たせてくれたものだよ、ごちそうなんだよ、と言うと、
「一口だったったら食べてみてもいい」 となった。
食べやすいように、ナイフとフォークを使って脚から肉を、切り分けた。
これがけっこう大変な作業だったけれど。
そうしたら、「意外といける」という母の反応。
放牧されて育った羊の脚は引き締まっていて、余計な臭みや雑味、脂などがなかった。
それにしても一本の脚はかなりの量なので、途中で味を変えてみるため、ヒマラヤ岩塩をつけて食べてみた。
これがまた、いける。
この味覚、日本では手に入らないものであるから、ルール違反をして持ち帰ったものだけれど友達たちには感謝だ。

ホテルへ向かう道中、チャン・イーは私に訊いた。
「想像してたカシュガルと実際のカシュガル、同じだった?」
「違った」
私は即答した。
「カシュガルは新しい街だった」
うんうん、と頷くチャン・イー。
「私とロンさんはね、5年前にはカシュガルに住んでいたんだよ」
そうだったんだ、初耳だった。
「高台民居の近くだよ」
「その時には安全だったの?」
「うん、その時には安全だった」
ここ数年の変化は大きい。ここだけではない、あらゆることが、加速度的に変化している。
それは単に、街並みだとか治安だとか、そういうことだけではないだろう。
文化だとか習慣だとか、精神世界だとか、そこに暮らす人もまた変わっていくのだろうと思う。
けれど、どれだけ変貌したとしても、そこに暮らす人にとってはその場所はかけがえのない生活の場所だ。
もしそれが生まれ育った場所ーふるさとーなのだとしたら、なおさらだ。
変わらないものがあるとしたら、ただそのことだと思う。

このところ何度かウルムチで利用しているホテルは空港前のチェーンホテルだったが、部屋が満室だった。
その為、空いている別のホテルをとってくれた。
ホテルに着いたとき、もうけっこうな深夜。
寝る時間は3~4時間しかない。
ウルムチ市内から空港までけっこう距離がある。
チャン・イーたちはこれからまた戻っていかなければならない。
本当に至れり尽くせりで、感謝でいっぱいだ。


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まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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