2017-05-31

喀什旅行七日目

2017年5月7日、起きたのは5時すぎ。
ほとんど寝た気はしなかったが、ここで頑張らないと帰国できない。
何歳までこれができるかな、と思う。

フライトは8時10分発のもの。
ホテルからは空港への送迎車があり、予約していた。
出発は6時だ。

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ここは北京時間と二時間の感覚的時差があるから、4時といったところ。
あたりはまだ夜中。

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ウルムチ空港から見るうすぼんやりとしてきた空は、どこまでも深かった。
その繊細なグラデーションは、どんなに素晴らしい画家でも表現することはできないのではないかと思う。
まるで、深海のように。
まるで、青い宝石の底を覗き込んでいるかのように。
宇宙の神秘を感じる。
これから夜が始まろうとしている時。
それから、夜が終わろうとしている時。
そのほんの一瞬の微妙な色合いに、私たちはたしかに宇宙の中に存在していることを知る。
中国旅行に来るたびに、そうしたことを考える。
旅の途中は感覚がいつもより敏感になっているからかもしれない。
それとも単に、空港を利用する時間が早い、ただそれだけなのかもしれない。
一日でウルムチから日本に帰るには、この時間に出発しないと間に合わないのだ。
ただそのおかげで、毎度美しい夜の終わりと一日の始まりを感じることができる。

北京首都空港に着いたのはお昼。
北京では出国審査時に、搭乗時刻まであと10分なのにどの窓口も激混みで焦った。
VIP用窓口に行き、「時間がない」とお願いしてみるも、「時間はある」と突き返される。
あとあと気づいて情けなくなったのは、私が見ていたのは日本時間だった。
つまりあと一時間残されているのに、間に合わないと騒いでいたわけだ。
何度も中国へは渡航しているのに、未だにこれをやってしまう。
疲労と焦り、そういう時こそ落ち着かなくては。

時間が一時間できたのでなんだか得した気分になり、ドイツビールを二本とワインを二杯。
夕方の便で無事日本へ帰国。

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帰国して数日経ったある日。
ロンさんが用事でカシュガルに行くというので、お願いをした。
ずっと付き合ってくれたウイグルの女の子グリパイル。
微信を教えてというので名刺を渡したのだけれど、未だに申請がなかった。
実はパァハティさんから、「微信の友達申請をしたいのだけれどできない」と電話とショートメールが入ってきていた。
今までもそれに近い謎のトラブルが中国現地で発生したことがあったので、それかと思い、ロンさんに彼女の連絡先を教えてもらように頼んだのだ。

「それは簡単なことだけど、その前にわかっておいた方がいい」 ロンさんは言った。

ウイグル族は、他の少数民族とは少し違う。
もし君の存在が自分にとって都合がいいと思ったならば、その人はどこまでもどこまでも君を追うようになるだろう。
もちろん、彼女がそうだとは言っていないし、すべてのウイグル族がそうとも言っていない。
ただ、比較的そういう人間が多く、そういう可能性があるということだ。
もし彼女と関係を続けていきたいならば、予め心の準備をしておくことは必要だろう。

大事なことは、日常的な文化や習慣が違うということを理解することだ。
彼らはムスリムだ。
イスラム教徒にとって、すべては唯一の神に帰属するんだ。
彼にとって良いことは一切すべて、外界の要因なのではなくて、神が彼に与えたもうたものなのだ。
例えば、ある政府機関の人間が、貧しい地域に援助をするとする。
そこに住むムスリムは、その人間が帰ったあとにメッカに向かって神に感謝するだろう。
そんな彼らにとって、イスラム教徒でない君は神を信じることができないただの哀れな人間でしかない。
煉獄に落ちるだろう哀れな人間、それは神が神を信じない人間に対し用意した煉獄だ。
そういう点では真の友達になるのは難しいだろう。
もし君が真の意味で彼らと交友したいならば、イスラム教徒になるしかない。

「ウイグル族はすべてムスリムなの?」
私は訊いた。ムスリムでないウイグル族もいるような様子だからだ。

「ムスリムでないウイグルもいるだろう、ただし表面上それを表すことはない」
なぜなら、イスラムを信仰していないことを知られれば、周囲から異端視されるからだ。
だから表面上だけでも、信仰の体をとるんだ。
ウイグルは、他の少数民族とは少し違う。
ウイグル族はもともと農業を行う民族だった。
放牧を行う、例えばハザク族、タジク族とは違うんだ。
放牧民族はその生活の過程で、他人に助けを求めお互いに助け合っていく習慣があった。
一方で農業を営むウイグル族は、宗教的な場面を除いて、他人に助けを求めたりあるいは他人と物質的なやり取りをする必要が少なかった。
そのためウイグル族は基本的に、自分の家族内にのみ意識が行き、あまり家族外に意識がいかない、そんなふうになった。
だから同じイスラム教民族でも、農業型であるウイグル族と放牧型であるその他の民族は区別して捉える必要があるんだ。
そうしたことからも、彼らは他人に対して感謝の気持ちを持つという習慣が少ない。けっしてないとは言っていない、ただ新疆この場所で私たちを取り巻く環境下、比較的少ない傾向があると言っているんだ。

私にとってはね、君は、対象に対してまだまったく理解ができていない状況下、ただ珍しいものを見たがって飛び込んでいく子供みたいだよ。
今まだ文化上の差異が小さいように見えても、イスラム教徒との間には実際にはとても大きな隔たりがあるんだ。

「お互いに同じものを見ていると思っていても、もしかしたら見えているものは全然違うのかも知れないね」
私はそう返した。
「その通りだ」


このあと数日経っても、グリパイルの連絡先は送られてこなかったため、もう一度訊いた。
「彼女の連絡先、どうなった?」
「連絡先は向こうに伝えたぞ」 ロンさんは言う。

「でも、先に言わなければならないことがある」
彼女、離婚はしてない。
マーヨーズ、君が彼女から聞いた話と事実は違っていたぞ。

その話の続きは、私を悲しい気持ちにさせるものだった。
未だに、彼女のほんとうがなんだったのかは、わからないまま。
そもそも、そんなものはなからないのかも知れない。
「あなたが好きだよ~」と笑った彼女の明るさ。
時々無表情を見せながらも、終始私を楽しませるために気遣い続けた彼女。
「二度と結婚したくない」と大きな声を上げたあの表情。
あれが嘘とは思えない。
あの笑顔には、もしかしたら深い深い闇があったのかもしれないし、それこそ何にも意味はなかったのかもしれない。
けれど。

旅先のなにが素晴らしかった、人が素晴らしかった、そんなふうにすべていつも思えたらいい。
例えば今の話でいうと、ウイグル族はどうだこうだなんて、気分が冷めるかもしれない。
けれど、もし本当に理解したいならば、それはいつかは越えなければいけない一線だ。
ロンさんの言う、信仰が異なるならば真に近づくことは不可能だ、というのは正しいと思う。
きっと、真の意味でお互いに歩み寄ることは難しいだろう。
けれども、自分の中で折り合いをつけることは、可能だ。
ならば、どの段階をもって理解と言えるだろう。
それは自己満足といえるかもしれないが、理解したという感覚の上書きの繰り返しだと思う。
理解しようともしないよりは、たとえ上書きによって以前の自分を否定することになったとしても、その行為自体は無意味ではないはずだ。
そうして結局最後まで答えはでないかもしれないが、その一つひとつがまた、そのとき答えとなりえるのだから。



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あなたはそれを白といい私もそれを白というが、同じものを白と呼んでいるとは限らない



〈5月1日〉
成田北京  [北京泊]

〈5月2日〉
北京ウルムチ昌吉 回族小吃名街 ー ウルムチ  [ウルムチ泊]

〈5月3日〉
ウルムチカシュガル ー カラコルムハイウェイ ー タシュクルガン入境不可 ー カシュガル  [カシュガル泊]

〈5月4日〉
エイティガール・モスク ー 老街 ー 高台民居 ー バザール ー アパクホージャ・マザール ー 人民公園  [カシュガル泊]

〈5月5日〉
カシュガルアトシュ スリタン・マザール ー モール仏塔 ー カシュガル  [カシュガル泊]

〈5月6日〉
ユスフ・ハズ・ジャジェブ・マザール ー アリ・アスランハーン・マザール ー ウルムチ  [ウルムチ泊]

〈5月7日〉
ウルムチ北京羽田


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いつも興味深く読ませていただいてます。最近、中国には、観光ツアーで静岡空港から、3回ほど行きましたが、沿岸部のみで、あなたの旅行のように、観光客が踏み込めない奥地まで、一人で行かれてる行動力は、素晴らしいです。宗教絡みのことは、触ってはならないと思いますが。。。30年前の若いころの旅行では、携帯もない時代、旅先の情報も、本とガイドブック位で、今は、携帯で拾え、モバイル決済もできる時代、我々世代には無理かな。。。旅先で、最終的には、相手の目をみて、善人か、悪人か判断するしかないと当時思っていましたが、どうなんでしょう。
これからも、寄らさせてもらいます。。。。。虎24

Re:

猛虎過江さん、ありがとうございます。
静岡空港ご利用ということはお住まいは近いかも知れないですね。
ところで、この10年だけを見ても旅行のあれこれ(手段だったり現地状況だったり)は随分と様子が変わったはずですよね。
旅行スタイルも変わり、昔は旅行客を拒んでいたような場所にも簡単に訪れることができるようになって、便利になった一方で失われた旅の醍醐味というのはあるかと思います。
さらに外国人が気軽に異国を旅行できるようになり、便利になった代わりにトラブルに出合うケースも増えてきた…私こそがそのパターンかと思います。

相手の目をみて…ですが、私も同じように考えています。
言語や文化の壁はあっても、接していればなんとなく、安心できる人か関わるべきでない人かくらいは第六感みたいのでわかるかなと思う。なんとなく、ですけど。
でも本当に怖いのは、いい人にしか見えないのに実は…というのなんですよね。
だから外国である以上、最低限の危機意識は保ちつつ、ですね。

今後ともよろしくお願いします。

友人になるということ

 今晩は。今回の旅行記もはらはらしながらも楽しく読ませていただきました。カシュガルの街は写真で見ると中国ではなく中東のどこかの国のようですね。
 七日目に紹介されていたロンさんの言葉にはとても考えさせられました。私も何度かの中国旅行をきっかけとして何人かの中国人の友人ができました。彼らとおつきあいをしてきて日本人との違いをいろいろ感じます。でもひとくくりに中国人はこうだといいがたいのも事実ですね。
 ひとつだけロンさんの「イスラム教徒にならないと友人になれない」という意味の話は、そうかなあ?と思いました。私は、イスラム教という宗教を知ること、その民族の歴史を知ることで、わかりあえるし友人になれるのではと思っています。私が中国の歴史や文化に関心を持つのも、単なる興味ではなくて、それを知ること通じて中国人の友人をより深く理解できると感じているからです。もちろん中国人であっても、だれもが中国の歴史や文化に詳しいとは限りません。しかし彼らは、その中で生きてきているわけですから。歴史や文化についての認識が共通であれば、そこからより意見を交わせると思うのです。少し踏み込んで言えば、語りたくない歴史もあるわけです。でも語りたくないということをわかったうえで話をするのは、そのことをわからず話すのとは違うと思うのです。共通の認識がなくて、そこが抜けおちたままの会話では、表面的なものにとどまってしまうのではないかと感じています。

Re: 友人になるということ

hirachanさん、ありがとうございます。
そのくだりは何かしら思われる方もいるだろうと思いながらも、悩みながら書きました。
かなり極端な言い回しですが、そうした言い方で彼は私を警告し心配しているのだと思っています。言葉自体は問題がありますが。
私がイスラム圏にばかり行きたがること、浅い理解で治安が安定しないエリアと文化に踏み込んでいくのに、甘いぞと警告してくれているだけなのです。
友達をたくさん作って交流すること自体はむしろ勧めてくれています。

ただ、数度の旅行でわかったことなんて言う資格はないのですが、確かにウイグル族にはある種独特の空気感があり、それは最初の新疆旅行時におぼろげながら感じたことでした。しかしその時は自分で自分の感覚を否定しました。
この感覚はもちろんすべてのウイグル族をああだこうだというものではありません、ただ、この民族に対し中途半端な接触でわかった気になることは危ないかな、と感じました。
そういう感覚にならないウイグルもたくさんいましたから、これもまた一括りには言えないわけですが…。
漢族等にウイグル族へのある種の偏見が一部あることも事実ですが、最初は疑問に感じていた彼らの言葉も、今では違ったように感じます。
少なくとも私の友人たちは、生まれた時からそこに暮らしていたり、長年暮らしていたり、私よりは遥かに理解しているのですから。
ロンさんは私に、わかったつもりになって本当に理解しているのか?と警告したいのかなと思います。
理解したつもりになって、表面ではそんなふうに見えて、そう思い込んでいて違ったときは怖いです。異文化交流では、時にはそれが身の危険に繋がることもあります。
でも、理解しようともしなかったら良いとも悪いとも言えないよ、そういい返したこともありました。否定するなら否定するで、知ろうとしてから根拠をもって否定したいです。
しかし今では彼の言うことはやはり経験ありきの言葉だなと思うようになりました。私は甘いかなと思います。
だから未知の領域に足を踏み入れるときには、私がわかったつもりになってること、本当に正しい?と心の片隅で自分自身に問いかけるようにしています。

実はhirachanさんがおっしゃることにほぼ私は同感なのです。
理解したいと思うのは、相手への思いがあるからです。思いがあるから、より本当の意味で近づきたいなと思う。
けっこう旅行を重ねてきましたが、それでもまだ全然わかってないなと、自分で思う。
理解に向けたこの繰り返しがずっと続くけれど、それが大事じゃないでしょうか。
理解しようという意識があるならば、たとえわずかでもそれに基づいた知識があれば、同じ話題も色合いが変わってくるはず。

旅先で人の笑顔を目にするのが好きです。
相手に好意を持つ、もし相手も好意を持ってくれたなら、それでもう友達だと思う。
本来はそんな簡単なことなんですよね。
でも、きれいごとだけではないかなとも思います。
プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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