2017-07-28

重慶旅行二日目~その一~

2017年7月15日、重慶は郊外含め見どころが多いが、今回許された時間はたった二日間。
初めて訪れる私は、重慶観光のハイライトをこの二日に詰め込んだ。

7時に起きて、一階にて宅急便の依頼をし、ホテルを出た。
ホテルのすぐ前にある地下鉄駅・臨江門から1号線に乗り、ひとつ先の較場口駅で2号線に乗り換える。
そうしてあとはひたすら待ち、14先の駅・磁器口で下車。

そこには磁器口古鎮がある。
古き良き重慶の風情が残り、「小重慶」の別名をもつのだという。
重慶きっての観光地のようで、磁器口駅では多くの観光客が一緒に下車した。
地下鉄駅は新しいもので、古鎮のすぐ近くにあり便利だ。
古き良き重慶の風情、それがどれほどの形で残っているか、少し心配になった。

駅を出てすぐのところには、大門。

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この門の周辺には、付近の観光地へ向かう乗り合い型の車の勧誘が多く、次々と声をかけてくる。
これからこの磁器口古鎮を回るのだというのに。

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大門を越え、信号がある。その信号を渡った先には緑がこんもりとした古鎮への入り口があった。


重慶は、河の流れとともにある都市だ。

中国を代表する大河「長江」上流に位置する。
長江とその支流「嘉陵江」が合流する地点は、二つの河に挟まれ、まるで半島が突き出たような地形を作り出している。
それはその通り「渝中半島」と呼ばれ、高層ビルが林立する重慶の中心部だ。
私が宿泊しているホテルがある解放碑は、その渝中半島のど真ん中に位置する。

渝中半島を挟む二つの河のうち、北側を流れ東部で南側の長江に合流するのが「嘉陵江」。
その嘉陵江沿いに西側へ進んでいくと、そこにこの「磁器口古鎮」がある。
始まりは宋で、明清代に水陸交通の要所として栄えた。
古来、嘉陵江の水運を利用して多くの物資が集まり発展した港町だ。

地下鉄駅を降りて見えた磁器口の入り口は、少し高台にある。
その向こうには嘉陵江があり、高台から嘉陵江に向かって降りていくのが磁器口観光の一般的なルートになるよう。
中国に古鎮は数多くあれど、斜面を登っていくのではなく降りていくというのはなかなか新鮮な感覚だ。

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小道を入って行ってすぐに納得。
明清の住居がそのまま残る風情ある小重慶は、中国のほかの古鎮と同じように、すっかり観光地として飲食店やお土産屋さんに変身していた。

お土産としてもっとも多く、それはもうそこら中に売られていたのは、「火鍋底料」。

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重慶といえば火鍋。
その火鍋のスープを作る調味料がお土産として売られている。
袋状になったものから、この写真のように真空パックされあとは鍋にかけるだけ、というものまで。
唐辛子がすごい量で、見るからに辛そう。
四川、重慶、こちらの地方は辛い料理(麻辣)が有名。重慶火鍋も燃えるような赤いスープが見るだけで辛そうな一品だ。
中国語のQ先生は昔四川に暮らしたことがある。
お土産に調味料や火鍋底料が欲しいと言っていたけれど、ここまであちこちに売られていると、いったいどれを買っていいかわからない。
本場の味を知る人には、観光客が買うおみやげ物より現地人におすすめを訊いた方がいいだろうと、ここで買うのをやめワン・ヤンに頼むことにした。

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陶器を売るお店もいくつか。
この古鎮の名前の由来である。
清代に陶器業が発展し、そこから瓷器口(陶瓷tao ci =陶器の意味)の地名がおこり、その後同音の磁器口(磁器ci qi)へと改名された。
古い陶器のお店が残ったものではなく、どれも現代のおしゃれな雰囲気のお店。
売られているものも、ここの伝統のものとは限らない。
それでもなかなかいいなと思わせるデザインのものが多く、荷物にならなければお土産に買って帰りたかった。

一見、中国どこにでもあるような観光地化した古鎮に見える。
けれどもその器となっている古い建物や集落のつくりは確かに昔から受け継がれ今に残るものだし、食べ物にせよお土産にせよ、そこに売られているものにはその土地ならではのものが見受けられ、特色を見つけることができる。
そういうのもまた、観光の楽しみのひとつだ。

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ここから斜面を下っていく。
向こうには嘉陵江の流れが観光客の訪れを待つ。
そうしてそのさらに向こうに見えるのは、うっすらとかすんだ重慶の近代風景。
古い建物の並びのあいだには色濃い緑。その色濃さが余計に暑さを感じさせる。
じっとりとした湿気に、下り道にも汗だくになる。

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観光地化した石畳の道を行くと、ふと横目に、ひっそりとした細い道を見つける。
思いついて足を踏み入れてみると、そこには観光客向けに用意されたのではない本来あるような人々の暮らしが感じられた。
明清の古民居とはいわずとも、私たちにもどこか昔懐かしさを感じさせるレンガ造りの建物。
洗いかけの器に、干された洗濯物。
こういうのが好きなんだ~と思って進んでいくと、そこには観光客の為に開放されたトイレ。
そういうパターンが多くなんとも複雑な心境になる。
ここに暮らす人々の生活は、かつては嘉陵江の水運とともに、そして今では訪れる観光客とともにあるんだな、と思った。

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お土産屋さんの並びの中に突然現れたのは、「鑫記雑貨店」。
雑貨店とはいっても、なんだか展示室のよう。


重慶は近代、歴史のひとときこの国の中心だった。
清朝が崩壊し、中華民国が成立。
その時首都が置かれていた南京が日中戦争により陥落すると、蒋介石率いる国民党政府は重慶に臨時政府を置き首都機能を移した。
国民党、共産党の両党が激しく対立し、また日本に対抗するために協力体制をとり一時休戦、日本敗戦後ふたたび内戦は再開。
ここは世界的混乱期に国家の中心部だった。
また中華人民共和国が成立するまで、その激動と混乱の中枢であった場所である。
その為、抗日であるとか、国民党、共産党にまつわる場所が多い。

この鑫記雑貨店もまた、そうした歴史の一コマを示すもののよう。
内部には当時の写真や手紙のようなものが多数展示されていた。

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これは、「盧兆春が書いた韓子棟が危険から逃れた様子」。

この磁器口古鎮から少し離れた山間部には、“白公館”と“渣滓洞”と呼ばれる、当時の監獄遺跡がある。
ともに、当時国民党が捕えた政治犯などを収容したもので、そのほとんどが共産党員だった。
共産党の勝利に伴い、そこでは国民党員による大量処刑が行われた歴史がある。

この手紙に書かれた「危険」とは、まさしくその処刑のことである。
盧兆春は当時白公館の看守であり、韓子棟は共産党員として投獄されていた。
韓子棟は1933年に共産党に入党し地下活動に参加、翌34年に国民党に逮捕された。
北京、南京、武漢、湖南、貴州、そして最後に重慶、白公館に渣滓洞。
14年にも及ぶ拘束だった。
最後に投獄されたここ重慶にある時。
看守であった盧兆春は、囚人である韓子棟を連れて磁器口まで買い物に来た。
計画的行動である。
この買い物時、その混乱に乗じて彼は韓子棟を逃した。
1947年8月18日のことだった。
韓子棟逃亡後、盧兆春は国民党当局によりもともと看守をしていた白公館に捕えられることになった。

この鑫記雑貨店、当時表向きは雑貨店だったが、実は共産党側が秘密裏に情報交換をする窓口だったのだという。
今では展示室となり、若干の演出はしているものの建物自体は新しく当時の面影があるわけではない。

その隣には、小さな骨董屋さん。
古びた建物に誇りをかぶった品の数々。
中国の古鎮には必ずと言っていいほどこうした骨董屋さんはあり、珍しいものではない。
けれど今どきの店舗に変貌したお店が続く中で、ここでは私はこの一店舗しか見かけなかった。

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積み上げられた古書はどれも近代のもの。
なんとなく日本の近代と共通する色合いがある。
私はなんとなくこのへんの色合いが苦手だ。

そう思いながら振り返ってみると、今度はそこに現代の色鮮やかさを見た。

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さまざまなバリエーション、これは何かというと。

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なんと、綿菓子。
コック帽をかぶったおじさんに、「民間工芸」の文字が誇らしげ。
前から中国旅行をすると、綿菓子を売るおじさんなんか、道端でよく出会ったもの。
けれど、2~3年前くらいからこんなカラフルな綿菓子に出合うようになった。
ちょうど小さな子供が注文していたので制作過程を見てみると、器用に割り箸を動かしながら形を作っていく。
一番派手なのを注文してみたかったが、今日は本当に時間がない。
諦めて先を急ぐことにした。

今日はただの土曜日なのではないの?
中国の観光地はどこも休日はごった返しているものだけど、それにしても人が多い。
現在10時、もう少し早く来てみればよかったと後悔する人混み。
斜面を下る石階段から、なだらかで広い道に出た。
左右には相変わらずいろんなお店が並んでいたが、もはやすでにそれらを覗いていく元気はなかった。
時間を急いでいたこともあるし、それらのお店がそう変わり映えしないものだったこともある。
けれど何より、暑さでぐったりだった。
気温は30度は超していると思うが、きつかったのは湿度だ。
体はべとべとで、額から汗が流れ落ちる。
不快な暑さだ。
この不快な暑さにより、今日一日の行動は始まったばかりだというのに、もう疲れていた。

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脇にはまた趣ありそうな小道。
メインの通りよりも私の好みのものがありそうだったけれど、気持ちが疲れていたため、先を急ぐ。

時折、観光案内の地図があった。
それを見てみると、地下鉄駅方面の入り口から入り、そのまま真っ直ぐ降りていき、この広めの道を行き嘉陵江へ出るのが一般的な順路のよう。
つまり私が今行くルートだ。
そこから気分により横の道に入って行ってもいい。
本来であれば、この順路から逸れ地図に記載されていないような小道に入っていくのが楽しいかなと思うけど、それは次回だ。

人混みの中、まっすぐ進むとやがて最奥に出た。

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ようやくの嘉陵江だ。
最奥というが、それは観光客にとって。
もともとはここに暮らす人々にとって、この河は生活の中心であり、入り口だった。
先ほどの鑫記雑貨店の展示には、川辺に寄せられたたくさんの木舟の写真があった。
それはこの嘉陵江のものではなかっただろうか。

私はこの嘉陵江を目指して歩いてきたが、意外なことに川辺の木陰は賑やかさから一変して若干の静けさがあった。
多くの観光客はこの石階段を下りていくよりも、そこから左手に続くカフェなどが続くエリアに向かうよう。

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辺りは一帯建設中で、たしかに観光客にとって眺望のいいものではないかも知れなかった。
けれど私にとっては、なんとも感慨深いものがあった。
中国各地を旅行してみて、どこにも同じ風景なんてない。
それぞれにそれぞれの風土や歴史があり、そこに暮らす人々がいる。
この河は遥か昔も、激動の渦中も、ここにゆるやかに流れていた。
あの対岸はいつどの時もこの磁器口を見守ってきた、口なき歴史の証人である。
あちらこちらで大規模な工事が行われている今、風景も暮らしも瞬く間に変わりつつある。
どんなふうに時代が動こうとも変化しようともあり続けたこれらの歴史の目撃者たち、それらが今一気に失われてしまうことは一大事だ。

この磁器口古鎮にきてやりたいことがひとつあった。
それは「毛血旺」を食べること。
毛血旺は重慶料理の一つだけれど、この磁器口のものは特に有名なのだという。
磁器口に来てこれを食べなかったら磁器口に来ていないのと同じ、というほどおいしいのだというが。
友人の一人に「これっておいしい?」と訊いてみたら、
「まぁおいしいけど、特に好きってわけじゃないかな」
名の通りこれは一種の血の料理なので、たぶん私の口には合わないだろうなとも思った。
けれど、経験として一度食べてみたい。

この嘉陵江付近にも数店舗、この毛血旺を提供するお店があった。
毛血旺は大皿料理なので、私一人では到底食べきれない。
小さなサイズがあるお店をさがそうと店員さんに訊いてみるも、「大きいのしかないよ」
嘉陵江から、裏手に回ってみた。
観光客はほとんどいなくてひっそりとしている。
そこには上に登っていく石階段があり、古い昔ながらの食堂のようなものがあった。
石階段にはペンキで、毛血旺第一家、毛血旺発祥の地、の文字。
胡散臭い気もするけど、本当のような気もして、観光客向けに現代化していない素朴な雰囲気もよかったので、階段を上ってみた。
けれどどうやらやっていないよう。
諦めて次のお店を探すことに。

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再び回り込んで先ほど歩いた順路に戻ろうとすると、階段の向こうには寺院の屋根が見えた。
この磁器口には、明の第二代建文帝が退位後ここに隠居したのだという逸話があるのだそう。
建文帝はどこか寺院に籠ったというが、それはあの寺院だろうか。

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宝輪寺。寺院の門構えは、立派で歴史あるふうだなと思った。
いつもの私であれば、入場料がかかったとしても、せっかくの機会なので覗いてみただろう。
ところが、入り口中央に貼られた紙が目に入った。
「微信に登録して、いいね押してコメント入れてくれれば無料で入場できます」
QRコードがでかでかと貼られている。
観光客は誰一人見向きもしないで、ごった返す磁器口の中でここだけ妙な人気のなさ。
無料で入場はうれしいことだけれども、なんとなく胡散臭い気がして、私はこのお寺をスルーした。
時代は変わったものだ。



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まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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