2017-07-28

重慶旅行二日目~その二~

磁器口を嘉陵江まで降りてきて、そのまま道なりに左(上流)方面に進んでみた。
相変わらずの観光客で、道幅は狭くなりだんだん進みにくくなってきた。
ふと右手を見てみると、河へ向かう下り階段。
上から見下ろすと、重なった瓦が趣あるふう。

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古いレンガの壁、苔むした瓦。
古びた色彩の中に輝くような緑。

各地の古鎮がなぜ観光地化するのか。
それは、多くの人がそこに魅力を感じ訪れるから。
では、その魅力とは。
いにしえより連綿と受け継がれてきた人々の暮らしに、現代生活に慣れた人たちが癒しを求めるから。
自分たちの生活から失われた古き良き懐かしい暮らしを疑似体験したいから。
あるいは純粋に歴史だとか建築様式だとか風俗だとかを体感し学びたいから。
いろいろあると思うけれど。
でも、観光地化が徹底された古鎮に、いまだそれらが状態よく残っているとはいいがたい。
人が大勢押し寄せることで、人々が求めるものが失われているはずなのに、それでも押し合い圧し合いの観光客の多くはそれになんとも思わないふうで、現代化した店舗に夢中になっている。
店舗化されていない裏道には興味もないよう。
たまにそんな場所にもカメラを構えた人を見かけるけれど、多いわけではない。
私が考える人々がこうした場所に感じる魅力というのが、ただ単に勝手にそう考えているだけのものなのかもしれない。

嘉陵江の脇を上流に進む小道に入り、すでに先ほどたくさん見たような火鍋底料や重慶特産品を売る土産物屋や重慶料理店は姿を消した。
道幅は狭くなり、一つひとつの小さな店舗にはカフェや若者が好きそうな小物を売るお店がほとんどになった。

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植物がからまったのはもしかしたら演出かもしれないけれど、どこか洋風に感じた。
観光地化によって本来あった情緒は失われてしまったと思うけど、この雰囲気嫌いじゃない。
かつてあった古き良き街並みが失われてしまったと思えば残念にも感じるけれど、もともとこういう場所だったと思えばこれはこれで魅力的に感じる。
赤ちょうちんはあっても、なんだか中国ではないみたい。
一瞬、重慶にいることを忘れてしまった。

この小道を抜けると、古鎮を抜けた。

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地下鉄を降りたあの入り口から、磁器口を通り抜けて反対側まで出てきてしまった。
こちら側は喧騒のない静かな雰囲気。

磁器口を抜けてしまって、まだ毛血旺を食べていないことを思い出した。
夜は重慶火鍋を食べたかった。
私は火鍋が大好きなので、明日も火鍋を食べようと思っていた。
「今回の旅行で火鍋三回食べる」 友人にそう公言した私。
だから、毛血旺を食べるとしたらやっぱり今しかない。
もう一度入り口まで戻り、磁器口古鎮のすぐ外にある一軒のお店に。
小さい器のがないか訊いてみたけどできないようで、そのままそれを頼んだ。

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これがその毛血旺と、重慶ビール。
名前からして、まったくもって日本人には食欲が湧かないネーミングだ。
安徽で食べた毛豆腐といい、まず毛の文字は料理に似つかわしくない。
さらに、その名の通りこれは血の料理だが、血を料理として食べるのも抵抗がある。
アヒルの血を豆腐のように固めたもので、これと様々な内臓が、真っ赤なスープに沈んでいる辛味の煮込み料理だ。
アヒルの血だけではなく豚の血で代用することもあるのだそうだけど、私が食べたものはアヒルの方。

まず血のかたまりを食べてみた。
軽い弾力のあるかたまりは、あまり味がしなかったかと思う。
アヒルの血のかたまりは南京で食べたことがあったが、あのときはこんなに大きな塊ではなかった。
味はあまりしなかったが、やっぱり血だという意識が働いておいしく食べることができなかった。
内臓なんかはおいしく食べることができたので、問題はこれだった。
食感も味も特別強い主張があるわけではなかったので、これは私の意識の問題だと思われる。

お店を出て、地下鉄駅に向かう途中に立ち並ぶお店。

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これは「陳麻花」。磁器口の名物だ。
いろいろな味のものがあり、その中でプレーンのものを試食してみた。

麻花と初めて出合ったのは天津だった。
麻花とは、小麦粉を練った生地を揚げたお菓子で、そのねじった形状と大きさと何よりもその硬さが有名だ。
初めて口にした時には、あまりの硬さに顎が外れ歯が折れるかと思った。
中国ではあちこちでこれに出合う。
九州にも似たようなものがあるが、これは中国からこの麻花が伝わったものだ。
本来の麻花は巨大で硬いが、この陳麻花は一口サイズで食べやすい。
味も素朴でおいしかった。

磁器口を去るとき、すでに12時を過ぎていた。
本来の予定であれば、時間が押しているとまではいかない。
けれど、急いでいた。
今回三人の友達を紹介してもらっていたが、この二日の時間の中で要領よく三人と会う自信がなかった。
ワン・ヤンは今日明日と火鍋に連れて行ってくれると言っていたし、タンさんジアさんもコーヒーをご馳走してくれると話しているそうだった。
どうやって三人と会おう、と迷いながらの行動だった。
「19時くらいには戻るけど、順調にいくかわからない」 そう伝えていた。
そういうわけで、急いでいた。


これからどこに向かうのかというと、“白公館”。
この磁器口から西に進んだところに、“歌楽山”と呼ばれる山がある。
その歌楽山には、国民党、共産党にまつわる遺跡が点在している。

先ほど磁器口で観光した鑫記雑貨店には、白公館、渣滓洞に投獄されたことがある韓子棟に関する展示があった。
白公館、渣滓洞、ともに国民党が共産党を主とする政治犯を投獄し処刑した監獄だ。

磁器口観光のあとは、この白公館と渣滓洞を回ろうと思っていた。
この磁器口から、それから地下鉄駅ひとつ手前の烈士墓駅前から、それぞれ白公館に向かうバスが出ている。
渣滓洞へバスは直接向かわないので、現地で移動する必要がある。
私はここ磁器口からではなく、烈士墓からバスに乗ることを決め、地下鉄で一駅戻った。

烈士墓駅を出て、大通りを向こうに渡ったところにバス停はあった。
このバス停を通過する路線は複数あったが、私が乗りたい210路がぜんぜん、来ない。
バスは頻繁に通過するも、また違うまた違う。
午前中の行動ですでにばてていた私は、ここで眩暈を起こしそうになった。
気温が今何度かはわからない、でもきついのは気温ではなくて湿度。
朝からちゃんと水分をとっていなかったので水がほしかったけれど、周りに買う場所もないし駅まで戻る気力もない。
結果、烈士墓駅から白公館に向かう210路が来たのは30分以上待ったあとだった。

バスはやがて山道を進んだ。
すごかったのは、渋滞だ。
白公館の前には広い停車場があったが、一面バスやら乗用車やらで収集がつかなくなっていた。
今日はゴールデンウィークか?と思うほど。
前方を見ると、渋滞の中には210路のバスが数台つまっている。
待てども待てども来なかったのは、台数が少ないこともあったかもしれないが、おそらくこの渋滞によって車が回っていなかったのだと思う。

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これが、“白公館”の入り口。
通常であればここでチケットを購入し入場するが、ここにはチケット売り場がない。
中国では、愛国教育施設は無料なのだ。
ここは「共産党が国民党に打ち勝ち現代中国の礎を築いた象徴の場所」であるから、チケット代を徴収しない。
白公館から渣滓洞へ徒歩で行くのは難しいので、景区内を走るバスチケットを先に購入しておいた。
10元を支払い、チケット代わりのシールを受け取る。
渣滓洞だけでなく、展示館などほかの観光地も回るバスだ。

入場すると、目の前には木々のなか石階段が上へと伸びていた。
木漏れ日が不思議なことにかえって暑さを倍増させるような気がした。
人、人、人。
それから、階段、階段、階段。
暑くてたまらない。
周囲には、中国では改革だとか抗日だとか、そういう種類の石像に見るようなタイプと同様な雰囲気の現代風人物像があちらこちらに点々としている。
それらはすべて、犠牲になった共産党員のもので、それぞれに名前と生没年が刻まれている。

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これが、階段を登って姿を現した白公館の入り口。
陰惨な歴史とは縁のなさそうな明るいクリーム色は塗り替えられたものだが、おそらく当時もこのようだったかと思う。

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こちらは当時の写真。
一見なにも知らなければ、山間に建つ洋館のようにも見える門。
しかしそれは、門だけだ。
この門と内部は、印象がぜんぜん異なる。

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門をくぐると、目の前には二階建てのシンプルな建物。
これが牢獄だ。

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その下には、国民党の象徴、「青天白日」のマーク。


この白公館、かつての国民党の監獄だ。

1938年、国民党特務機関により軍統局重慶看守所として設立。政治犯、共産党員を収容した。
その後1943年、一帯に中美特殊技術合作所(アメリカと共同して抗日の名の下に設けられた軍事情報機関)成立後は、監獄としての機能は渣滓洞へ移り、白公館は中美合作所第三招待所と名を変え、アメリカ工作員などの宿舎となった。
大戦後、中美合作所は解散し再び国防部保密局看守所に。
1949年、中華人民共和国が成立する前後に、収容された共産党員に対する大規模な処刑が行われ、監獄としての歴史は幕を閉じた。

クリーム色の門をくぐって、右手にある建物は看守所の所長室。
内部は展示室になっていた。

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大量処刑の被害にあった共産党員たちの顔写真。
写真がない人もいる。女性や小さな子供までいる。

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所長室のすぐ横には、地下室へつづく扉。
もともとは貯蔵室だったが、のちに特別に重い罪状の政治犯を閉じ込める牢獄として使われたそう。
開放されていなかったので、内部の様子はわからなかった。

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こちらは牢獄の建物の中心部。
国民党が掲げる守るべき十か条が壁に記されている。
その手前には、山になって資料や本が売られていた。
本は子供に歴史を教えるような、絵が描かれたもの。
どれも、共産党の正義と国民党の悪を描いたものと思われる。それから、犠牲になった人々の悲劇。
一見、抗日のものかと思うような絵柄だった。
美しく凛々しく描かれた共産党員、その背後で凶悪な笑みを浮かべる国民党員は悪そのもの。
同じ人間が対立することによって、多くの悲劇が生まれ多くの犠牲が出た。
非人道的な行いもあった。
そのことは歴史として語り継がれていくべきことだと思う。
しかし、この極端な描き方は何を信じていいのかわからなくさせる。

この本の横にはテレビが一台置かれ、ある映画の映像が繰り返し流されていた。
それは、ここで行われた最後の大量処刑の映像だった。
1949年11月、敗北が決定した国民党が、逃亡直前に収容された共産党員の虐殺を行った。
その現場はまさに私が今立つこの建物だ。
映画の収録もここで行われたようで、まったく同じだった。
逃げ惑う囚人、裸同然の囚人に対し無差別に発砲する国民党員。
地獄絵図のような修羅場。
先ほどの本には感情操作があったかと思うが、この映像はおそらくそのままこの通りだったのではないかと思う。
生きたい、死にたくないという、人として最も強い感覚に対し、命を奪うことの簡単さ、あっけなさとは。

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それぞれの牢獄の内部は回収され展示室になっていた。
これは、かつて投獄されていた共産党員が書き残したもの。
「失敗膏黄土、成功済蒼生」

神州嗟浩劫、四族勝狼群
民生号飢寒、民権何処尋
興亡匹夫志、仗剣虎山行
失敗膏黄土、成功済蒼生

我が国は今大きな惨禍に見舞われている。
周囲諸国はまるで狼虎のように野心をこちらに向け、
国民は飢えに寒さに苦しみを訴え、
人々の権利はいったいどこに探せばいい?
天下の興亡は我々一人ひとりの志にかかっている。
剣を手にし、戦おう。
たとえ失敗したとしても、我が身を犠牲にして土となろう。
もし成功するならば、天下を救済しよう。

私には想像もできない、それぞれの胸にあった信念、苦痛、悔しさ、哀しみ。
こうした歴史のメッセージを目にすると、どちらが正しくどちらが正しくないだとか、そういうことを考えること自体がしんどく感じる。
平安とした生活を望み、守りたい人がいて、貫きたい道があった。
それはだれしも同じなはずなのに、やり方や方向性が違い、そうしていつしか、こちら側でないものは正義に非ず、という極端な対立構造にはまり、やがて抜け出せなくなり悲劇の悪循環を生む。
日本も同じだったし、それは過去の話だけではなく、現代私たちの日常にも潜むことだ。

この牢獄の建物の裏手には、隠れるようにして小さな洞窟があった。

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「尋問洞」、つまり拷問をする洞窟だ。
しかし、すごい観光客。
狭い洞窟に人が押し寄せて収集がつかなくなっている。
一方通行になっていればいいのだけど、「早くしろ」と押し寄せたあげく内部の人が出てこれないのでどうしようもない。
この洞窟ほんらいは涼しいのだろうけど、こんな様子なのでめちゃくちゃ暑くて苦しい。
私はどうしても内部を覗きたかったので、時間をかけて前に進んだ。

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この拷問部屋、作り物だと思いたいが、本物だ。
囚人を縛り付ける椅子に、鎖。
指を挟む木の棒に、棘がいっぱいについたこん棒、鞭、そのほか用途を想像もしたくないもの。
もともと映画の中だけのものだとは思っていない。
でも、こうして「ここで実際にこれらが使われました」と目の当たりにすると、いやな汗が流れた。
そしてそれはそう古い歴史の話ではない。
今でもこういうものが使われる地域がある。
旅行としてこういう場所を訪れ、歴史に学ぶ、なんて言えるのは、私がこういう世界とは無縁の場所に暮らすからだ。
平和に感謝しながら、それでも自分の身にもこういうことが起こらない絶対的な保証はない。
そんなふうには言っても、やっぱり無縁だと思っているからだ。

観光地化し、観光客は押し寄せる。
そんなこの状況であっても、この洞窟はおそろしかった。
当時、ここに連れてこられ拷問を受けようとするとき、その被害者はどのような精神状態であっただろう。
また、拷問を与える側も、いったいどのような感覚だったのだろう。
どれだけ想像しわかったような気になっても、絶対に理解することはできない。

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白公館をでて、石階段の分岐まで戻ってきた。
それは、そこにその先にも史跡があることを示す標識があったからだ。
階段を上りながら、汗がだらだらと流れ落ちる。

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左手に先ほどの白公館を見ながら。
陰鬱として見えるのは、その歴史背景を無意識に感じているからだろうか、それとも倒れそうになる酷暑がもたらした感覚だろうか。

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振り返れば、遠くに重慶の街並みが見えた。

この階段の先にあったのは、小萝卜头と楊虎城が殺害された場所。
小萝卜头は被害にあった小さな子供で、本にもなり売られている。
楊虎城は張学良とともに国共合作に導いた国民党員で、西安事件のあと監禁され1949年重慶陥落前にこの地で殺害され埋められた。
両方とも、もともとは開放されていたと思われるが、現在は高い壁などが建てられ立ち入り禁止になっていた。
そのちょうど中心にあたる位置にある建物に、楊虎城や張学良に関わる展示がしてあった。
そこには、二人が並ぶ写真や遺品など。
瀋陽で張学良に関わる史跡や、父親の張作霖が爆殺された現場を訪れたことは記憶に新しい。
私は張学良がこの場所に監禁されていたことを知らなかったが、南京から各地を転々とし、最後にここに幽閉されたのだという。
ここ重慶を最後に、台湾へ。
その後、ふたたび中国大陸の地を踏むことはなかった。

張学良、楊虎城、両将軍が中華民族の歴史上においてあげた功績は、歴史に永遠に名を残すだろう。
この展示はこの言葉に始まり、この言葉に終わる。
なぜなら、彼らの行動なくして抗日は成り立たなかったからだ。


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まゆ

Author:まゆ
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中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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