2017-07-28

重慶旅行三日目~その一~

2017年7月16日、8時過ぎにホテルを出発した。
友人から送られてくるはずの荷物がまだ届いていなかったので、昨夜その友人に問い合わせをお願いすると、「もうすでに重慶に到着しているから明日届くでしょう」ということだった。
明日は午前早い時間帯にチェックアウトし帰国してしまうので、今日受け取らなければならない。
「今日荷物が届くから受け取ってね」
ホテル入り口に待機しているおじさんにお願いする。

今日まず向かうのは、“紅岩村”。
そこもまた共産党にかかわる史跡だ。
紅岩村は、渝州半島北側の嘉陵江沿い半島根元あたりに位置する。
昨日の磁器口古鎮より少し手前だ。

事前にバスの路線を調べたところ、解放碑から紅岩村に向かうには、長江側にあるバス停 金紫支路から503路バスがあることがわかった。
現在のところ紅岩村付近に地下鉄は通っていない。
けれど気力が失われていたため、ホテル前からタクシーに乗車。

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さぼるような気持ちでタクシーに乗車した私だったが、これが正解だった。
タクシーは嘉陵江沿いに進んだ。
その風景の解放的なこと。
青い空に、緑の合間ににょきにょきと伸びるようなビル群。
右側の助手席に座る私は、右手前方に広がる重慶の街並みを独り占めしているような気分だった。

香港、シンガポール、それらを旅行したときの感覚に近いものを感じる。
昨日もずっとそんなふうに思っていたのだけれど、それがなんでなのかわからなかった。
国際的港湾だから?
けれど、今少しわかったような気がした。
目の前にはおおらかな大海。
経済的発展度に比較して、とても狭い土地。
その狭い狭い範囲に高層ビルが密集している。
摩天楼のような大都会には、意外にも緑が見え隠れしている。
その緑は街路樹ではなくて、まるで森のような深い緑。
あらゆるものの密度が高い。
今ドライブしている風景は、香港島の裏側に出かけたときののどかな風景をどこか思い出させた。
とはいえ、この渝州半島周辺だけが重慶ではない。
もっと足を延ばしてみれば、新たな感じ方もあるだろうと思う。

タクシーのおじさんが、突然はげしく私の肩を揺さぶった。
「あれ、あれ写真撮りなよ!」
その勢いに、どんな珍しいものがあるのかと、必死に探した。
「何!?」
「あれ、あの赤いの、見える?」
運転手さんの指す先には、高所を走る地下鉄だった。
地下鉄はその通り地下を走るものだが、昨日も磁器口手前で地上に出たのを思い出した。
線路は私たちが走る道路より一段高い位置を走っており、赤い車体はあっという間に通り過ぎて行った。
「地下鉄?」
「そう、地下鉄だ」
なんにも珍しいことはないが、運転手さんは私が外国人観光客だと知って好意で教えてくれたものだ。

「もうすぐ着くよ」
そう教えてくれた先には、村なんかどこにあるのかと思った。
確かに都会というよりはちょっと落ち着いた雰囲気だけれど、なんて考えていると、タクシーは停まった。
「このままここを登ってもいいし、向こうの道を登っても一緒だよ。100mもない」
おじさんはそう教えてくれた。

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これが、紅岩村景区の入り口だ。


“紅岩村”、そこはかつてただの農村にすぎなかった。
赤い色の岩が多いので、そういう名になったのだという。
もともとは紅岩村ではなく、紅岩嘴と呼ばれていた。

日中戦争時、南京を追われ重慶に首都機能を移した国民党と同じく、共産党もこちらに本拠地を移した。
中共中央南方局、共産党の代表機関である。
最初、南方局は重慶城内(渝州半島)機房街と綿花街に置かれていたが、日本軍による爆撃で破壊され、その後この紅岩嘴へと移った。
この場所は、当時の共産党における活動の中枢であり、現在の共産党においては原点である。

そういうわけで、ここも愛国教育施設であるため、チケット代の徴収はない。
昨日の歌楽山景区は、ゴールデンウィークかというほどの激混みだった。
あれはタダだからなのではと思っていたが、こうしてみるとそういうわけでもなかったよう。
日曜にも関わらず、紅岩村はひっそりとしていた。

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いきなり長い階段。
偉大なる革命者たちの命惜しまない戦いによって我が国の現在はあるのだ、きついとかだるいとか言わずに登りたまえ。
と、そんな風に言われているような気になる。
遠く向こうにはためく赤い国旗と、でんとした建物。
あれは、紅岩革命紀念館だ。

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展示館とか博物館とか、そういう箱ものよりも実際の史跡を見たかったが、蒸し暑さでついつい建物に入りたくなる。
というわけで、引き込まれるように入館。

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内部はこのような展示が続いている。
共産党の歴史に関するものから、愛国心を高めることを目的として作られたとみられる大がかりな絵画など。
どれも底辺にあるのは、抗日の歴史だ。
日本軍が重慶を空爆する映像など、日中戦争にまつわる資料も多く展示されている。
重慶は、特に激しく日本軍の攻撃を受けた過去のある場所だ。

この紅岩村を代表する事柄は、「中共中央南方局」が置かれていたことだ。
1939年1月、国共合作を通して日本軍に対抗すべく、周恩来を書記におき設置された共産党の代表機関である。

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これは、南方局の管轄。
南方の名の通り、南半分。安徽省と浙江省をとばして江蘇省なのはなんでだろう。
とにかく、この管轄内で重慶はちょうど、ど真ん中に位置する。

また、「新華日報」に関する展示コーナーもあった。

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「新華日報」と週刊「群衆」は、日中戦争時、共産党が国民党統治区において発行出版した唯一の大型党機関誌であり、政治理論誌である。
南方局の直接管理下にあり、抗日の推進と愛国民主運動を進め、文化思想の普及と発展を通して国民統一の実現を求めたものだった。-展示物より

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こちらは実際に使用された印刷機。時代を感じる。
現代では毎日膨大な量の出版物が発行されるけれども、当時の印刷技術と今とでは、ひとつの印刷物の重みはぜんぜん違ったにちがいない。
文字一つひとつ、文章の重み。
選ばれた言葉のみが人々のもとに届けられる。
情報伝達の手段が今とは比較にならないほど限られていた当時、こうした出版物は良くも悪くも大きな影響力を持っていたことだろう。

重慶にはこの新華日報に関する史跡が残っているのだそうで、例えば本社跡は、記憶が確かなら解放碑近い場所にあるようだった。

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この地図はおもしろかった。
毛沢東がどこで何をしたかを教えてくれる地図。
現在地は、中央の赤い旗印、「紅岩村」、毛沢東はここに滞在し周恩来と会談した。
半島中央下部にある紫の旗印は、国民党軍事委員会があったところ。毛沢東と蒋介石がたびたび会談し、歓迎会も行われた。
どこでパーティーがあっただの、誰とどこで会談しただの、そういうことが書き込まれている。

紅岩革命紀念館を出て、ふたたびうだるような暑さの中に。
ここからどう進んでいいかわからない。
ここには南方局の建物やそれにかかわる史跡が残るようで、それを示す地図が立てかけられていたが、雰囲気としては入り口から階段を登り紀念館があり、それで終わりといったふう。
これだけ?
左手に回り込んでみてようやく、その奥に続く道を見つけた。
もう少し主張してもいいと思う。
奥のものに気づかないで帰ってしまう人もいるのではないか。

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記念館の左手にあったのはこの建物。
その名も「憲兵楼」。
国民党重慶憲兵第三団がここ紅岩嘴区においた活動場所のひとつで、共産党がここに南方局を置いたのちに設立された。
表向きは、南方局の安全を守るためという名目だったが、実際には共産党の動きを監視するものだった。

山の木漏れ日の中を歩いていくと、すぐに門が見えてきた。

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「大有農場」の文字が見える。
もともとここは、女性共産党員・饒国模が買い取り農場にしていた村だった。

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こちらは当時の様子。
形が若干異なるので、今のは作り直されたものかな。

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門のすぐそばにあるのは、「草房」。
この質素な小屋はもともとは農民が生活していた場所だったが、南方局が紅岩嘴に移ってきてからは党員の養成所になった。
政策や理念を学んだり、活動について討論をしたり。
周恩来などの指導者がここで講義を行ったのだという。

草房のすぐ隣り向こうは、「饒国模故居」。

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先ほどの大有農場門の古い写真にも写っている建物。
饒国模のかつての住居だ。
彼女はもともと女性実業家で、1930年にこの紅岩嘴一帯を買い取り農場を開いた。
のちに当時城内にあった南方局が日本軍の空爆を受けたのを受け、土地と建物を提供、南方局と八路軍の事務局はこちらに移ることになった。
彼女がこの土地を提供しなければその後の南方局はなかった、そのため大きな貢献者とされている。

その奥を進んでいき、ようやく私の目的の建物が姿を現した。

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「中共中央南方局、八路軍駐重慶办事处」
日中戦争当時、共産党の中枢だった場所だ。

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こちらはかつての上空写真。
外観は二階建てだが、実際は三階建てになっている。

中央の入り口をくぐると、左右に伸びる一本の廊下があった。
非常にシンプルな作りで、一本の廊下に向かい合わせで部屋が並んでいるだけ。
廊下をまず右手に曲がってみると、小さな小さな窓がついているだけの扉があった。

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電話室だ。中には黒電話がひとつ。
人が一人ちょうど入れるくらいの広さしかない。
これは当時この建物にあった唯一の電話で、電話番号は6542だったのだという。
短い電話番号はそのまま電話の数自体が少なかった時代を示す。
当時この電話は、外部と連絡をとるための重要なツールだった。

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こちらは「電合室」、無線室かな。
国民党政府の許可のもと設置されたものだが、両党間の緊張が高まっていた時期に国民党による理不尽な調査が行われた、と書かれていた。
党中央や各地と連絡を保持するために利用された。
電台、といえばやはりドラマ「暗算」を思い出す。
内戦時、情報を制することが、情勢を制することだった。
暗号や電波は、命だった。

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建物入って右側を見てきたが、反対の左側には医務室があった。
当時医師と看護婦が一名常駐していた。
ここで活動する党員たちは、病気や怪我でもそうそう外部の病院に行くことなんてできなかった。
戦時は医療品も欠乏し、医師は自ら薬を調合したのだという。
またこの部屋で、簡単な手術をすることも。

ここから二階へ登った。

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二階に上がり右手奥にあったのは、毛沢東の部屋。
1945年8月から10月の間、毛沢東は蒋介石と会談するために重慶を訪れた。
その期間中、ここ紅岩嘴にも滞在し、この建物で周恩来などの幹部と重要な相談や決定をしたのだという。
この部屋は紅岩嘴滞在時に居住した部屋である。

当時の雰囲気が再現されていて想像しやすい。
扇風機なんかを見て、暑かっただろうなぁと変な感想を持つ。
なぜなら、一部屋一部屋見学しているこの今、蒸し暑くて蒸し暑くてたまらなかったからだ。
後から、この日の最高気温は37度であったことを知ったが、実をいうと気温の高さはそう感じなかった。
ただただ、じっとりとした湿気が体感温度と不快感を高めていた。
今すぐシャワーを浴びたい。

それから、共産党幹部だった葉剣英、呉玉章が使用した事務室があり、その隣にあったのが周恩来の事務室だった。

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周恩来は南方局の書記を務めていた。
この部屋が他の部屋と違うのは、階段があること。
階段の下には、妻の鄧穎超との寝室がある。やっぱりちょっと特別な作りの部屋だ。

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名だたる共産党幹部の部屋に面しているのは、図書室。
図書室まであったんだ。

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一本、向こうまでまっすぐのびる廊下。
当時の中国はここで動かされていたんだと思うと不思議な感覚がする。
こんなに暑くてたまらないのに、この廊下の薄暗さはどこかひんやりと感じさせるものがあった。

この建物は外観は二階に見えるが、実際は三階建て構造になっている。
階段も、三階まで続いていた。
三階には办事处の幹部の事務所や宿舎があり、そのほかに延安と直接連絡を取ることができる秘密電話があるのだという。
この秘密電話ぜひ見てみたかったが、三階に続く扉は施錠されて未開放だった。

ふたたび一階に降り、外に出た。

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先ほどは気づかなかったが、左手隣に小さな部屋があった。
「伝達室」とある。
南方局は対外と連絡をとることが多く、来訪者もまた多かった。
来訪者を装って国民党の党員が急襲を仕掛けないように、この伝達室の机の下には踏込式のベルが設置されていたそう。
異常事態が発生したときにこのベルを鳴らし、二階三階に緊急を知らせることができた。

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中に入って覗いてみたが、ベルは残されていなくて残念。
実際にその非常ベルが踏まれることがあったのか、あったならばどれくらいそれが使用されたのか気になるが、実のところはわからない。

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内側に開いた扉を戻してみると、その裏には隠し通路があった。
この隠し通路は二階に繋がっている。
当時、秘密裏に行動する党員がここにきて活動するときに、対面の山頂から監視する国民党の目から逃れるために、この隠し通路を利用したのだという。
ただ、この伝達室の横は入り口なので、どのみちこの伝達室を出入りするのならたとえ隠し通路を使ったとしても見えてしまうのではないかと思うから、実際どんなふうに使われたのか具体的に想像できなかった。

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向こうが、この南方局办事处の対面にある山。
あの山から、国民党はここを監視していたのだという。
表面では抗日の為手を結び、でも水面下ではしっかり敵対している。
おそろしい時代だ。
毎日に安息の時間なんてなかったかもしれない。

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入り口横には、古い住所を示す表札。
ここは「紅岩村13号」。
その住所はただそれだけで、南方局このことを示し、また共産党の原点を象徴する。
まるでひとつのコードネームのようだ。
そのコードネームは、どれだけ言葉を費やしても表しきれない事柄がそこに内包されていることを表す。
また、説明などつけなくても誰もがそれで何かを理解する、そういうものであることを示している。
ただその記号的名称に対しおのおの何を頭の中に描いているかと言えば、それはまったくばらばらかもしれないけれど。


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まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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