2017-07-28

重慶旅行四日目

2017年7月17日、とうとう帰国日。
予定通りに起床したのになぜだか時間はずれこみ、時間が怪しくなってきた。

昨日火鍋のときに、ワン・ヤンの旦那さんは空港への行き方をいろいろ提案してくれた。
「やっぱり地下鉄がいいいよ」
「その時間は渋滞する、バスだと時間がかかる」
ワン・ヤンも同意した。
「バスだとどれくらいかかるかな?」
「1時間でつくかもしれないし、2時間かもしれない、わからない」
来た時には空港バスで40分ほどだった。
すでに出発時間はぎりぎりだったが、それでもバスがよくて、不安に感じながらも宿泊した大世界酒店の裏道のバス出発地点に向かった。
バスはすでにそこに待機し、中には一人の男性が乗車し出発を待っていたが、いつまで経っても出発しない。
結果、けっこう危ないことになったのだった。

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重慶江北空港を出発するのは、11時。
二時間前には到着していたいところだったが、ターミナルに到着したのは一時間を切っていた。
必死になってキャリーバックを転がしカウンターへ、そして保安検査へ。
駆け込み乗車の重慶との別れだった。

その後北京首都空港で乗り継ぎ、無事日本へ帰国。

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帰国して数日たったある日、中国語のQ先生と会い、旅行中に撮った写真をたくさん見せた。
恒例のことだった。
写真を見せながら、良かったこと悪かったこと、学んだこと、そんなことを話す。
けれど今回はどうしようかな、と思った。
火鍋や人との出会いの話はいいとして、観光のほとんどは中国において暗黒の時代を伝えるものである。
そこには当然ながら日本も深くかかわっている。
人がたくさん、命を落とした。
多くの人が、苦しみ傷ついた。
その中で必死になって志を貫いた人がいた。
そういう歴史や事柄に対し、旅行の感想などと、どんなことを言う資格があるだろう。
私はなにを知っているというんだろう。
少なくとも笑って話す話ではない。

中国人、日本人、共産党、国民党。
私はそのどれにも偏った感情で、それらの史跡を巡ったつもりはない。
でも、どうしてもきっとどこかで、その場所それぞれで、“誰か”側に立って、それを見ていた。そんなふうにも思う。
あるときは中国人、あるときは日本人、あるときは共産党員、そしてまたあるときは国民党員の方に思いを寄せて。
たとえば、日本軍の攻撃を示す史跡を見れば、日本軍を残虐に思うし、
また文革時に迫害を受けた人のことを考えれば、
また歌楽山で起きたことを考えれば、
そんなふうに。
それは当たり前のことだとも思うけれど、それでも私自身、正義か非正義かという対立構造に無意識にはまり迷い込み、答えを見失っているということなのかもしれない。
しかし、現代中国において正義はたったひとつである。
そもそも初めから私はなにをいう権利も持ち合わせていないのだ。



17071580.jpg




〈7月14日〉
羽田北京重慶  [重慶泊]

〈7月15日〉
磁器口古鎮ー〔歌楽山景区〕 白公館監獄遺址・渣滓洞監獄遺址 ー朝天門広場  [重慶泊]

〈7月16日〉
〔紅岩村景区〕 紅岩革命紀念館・中共中央南方局办事处 ー周公館ー人民大礼堂ー三峡博物館ー洪崖洞ー南山  [重慶泊]

〈7月17日〉
重慶北京羽田



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重慶旅遊、ご苦労様でした。中国、新嘉坡、馬來西亜の方々との出会いがあって、興味深く読ませてもらいました。小生は、西安事変関係の本は、学生のころかなり探して乱読し蔵書してありますが、特に、張学良、蒋介石に関するゆかりの地をこだわって、旅行をしてきました(国民党側)
張学良については、上海、瀋陽を旅して、西安で終わりにしようと思いましたが、あなたの旅行記を見て、重慶にも行きたくなりました。
小生は、学生時代、ゼミで、マスコミ論をとり”報道の中立”などという事を真剣に考えていたことがあったが、文中、共産党、国民党、日本人の立ち位置、目線で、見学されていた場面は、考えさせられました。。。


Re:

猛虎過江さん、ありがとうございます。
中国近代史、色々本を読まれているんですね。私はこのあたりの歴史はなんとなく避けていた感じがあって、旅行を通してようやく最近触れるようになりました。
旅行の場で新たな興味が湧いてくることも少なくないので、やはり興味を持ったら実際に足を運んでみると違いますね。

今回の行動の中で張学良関連の展示を見たのは、渣滓洞監獄の裏を登ったところにある「戴公祠」(蒋介石が改修したものらしいです)でした。
建物も展示室として改修したもので当時の姿を残すものではありませんでしたが、おもしろいと思います。

猛虎過江さんは国民党関連の史跡を巡っているんですね。
重慶は国民党にとって重要拠点でありいろいろ興味深いものも多いと思うのですが、そのどれもが「共産党の歴史上においての国民党」といった感じを受けました。
ある意味当然かもしれませんが前提がそうなので、中立目線で物事を考えるのは案外難しいと思いました。
けれどそれはそれで色々考えさせられることもありいい経験になりました。

Re:

訂正:張学良の展示があったのは、渣滓洞ではなくて「白公館」の方でした。

国民党…

国民党の残党が台湾に逃れ今の台湾政府、そして共産党が現中国政府となり、戦時下では、中共合作で手を結ぶも戦後は分裂、共に治めた地で住民弾圧を行い多くの血を流しました。白色テロや文革は、日本でそれを正確に報道した例は少なく、ともすると歪曲するが如く、日中戦争が根源であると自虐史観の植え付けの道具に饗されうんざりします。

中立や正義は、人の世にあり得ぬものでユ-トピア思想の様な痴人の夢の様に思っています。宗教やイデオロギ-に支配された人間は、その反対側にいる人間の価値観を理解しないのではなく、理解できないだと思っています。イスラム国や中東紛争でイスラム原理主義を悪と断罪する欧米も自由、民主の前にキリスト教があり、原理主義者に関わらず傲慢なまでの価値観の押し付けで自由と民主のためと称し殺戮を繰り返しています。仏教は比較的、寛容性のある宗教とされていますが、ミャンマ-のロヒャンギの弾圧、虐殺は首謀者は仏教徒です。

救い難いのは互いの「正義」のぶつかり合いで決して相容れぬ事の無い価値観の衝突がそこにあることです。私は甘粛と新疆でその境界を見た気がします。相容れぬ文化の成れの果てが破壊尽くされた仏教遺跡で我々、東アジアの人々の根底にある仏教的価値観とは異なる異文化の脅威がそこにあり、それがいつしか恐怖となり、些細な出来事が取り返しの付かぬ争いに繋がると思いました。

人は個々には、性善であると信じたいと思っています。当然、例外はありますが家族を慈しむのに宗教やイデオロギ-は関わりないと考えます。しかしながら、集団となりコミニュティの範囲が拡大するにつれ、生まれる負の感情は救い難いものがあります。それは、人間の性であり、治癒が不可能なものだとすら思っています。それを如実に物語っている史実で中国の古代史からそれは厭と言うほど読み取れます。

結局、中立や正義は置かれた環境で異なります。こんな話は救いがありませんが、私は中立や正義がなくても唯一、共通する価値観があるのでは考えています。それは互いに自ら命を奪われたくないという生物の根源的な本能です。互いに奪うことを止めれば平和が訪れます。それがどの様な形で成し得るかは、解りません。宗教はそれを為そうとして失敗したのだと思います。契約も同様で成功したとはいえません。故に更なる知恵が求められているように思っています。

さて、変な話をしましたが、9月のシルバ-ウィ-クに中国に帰省することになりました。私、独り昆明経由でミャマ-に抜け前回、見れなかったインレ-湖と首長族を見に同国中部を訪れる予定です。訪れる時は雨季で東南アジアのこの鬱陶しい時期を味わいたいと思っています。雨季にしか見れない風景があると聞いているので楽しみです。まゆさんは、9月に訪中する予定はあるのでしょうか?
先日のビジネスの記事を読んで、今回は帰国はビジネス帰ることにしました。家内と娘は1ケ月の里帰りで一人の帰国となります。半島情世は心配でifが現実になれば中止になるのですが、なんとか平和裏に解決せぬものかと思っています。

Re: 国民党…

toripagonさん、願わくばたとえ対立した正義であっても、ただ少なくともそれぞれに志というものが確かにあったと信じたい気持ちがあります。
宗教であろうと、政党派閥であろうと、そのほかであろうと、最初の最初はそうした志から始まったものだったのではないかと。
けれど相いれない向かい合う正義は、やがて集団化し、集団化するとともに個が失われていく。
個が失われていくとともにそうした個々の志もまた埋もれていき、集団が生み出した巨大な価値観に支配されていく。
その絶対的な価値観のもとに、それぞれのいつしかの志はいつの間にかすり替えられていることに気づかない。
こんなふうに言えるのは私がその場にいないからであって、私もまただから現代身近に存在するこうした対立構造の中にいて気づかないのです。
おっしゃるように、これは人間の性であり、永遠に逃れられないものとも思います。
逃れられないからこそ、過去の過ちに学ぶことが必要なのだとも。
私たち日本人は戦争教育を、「敵はだれか」で学ぶのではなく、「自らの過ち」として学んできました。
それはとても恵まれたことだと思います。
正義という言葉の裏に存在する、自己正当と対立するものに対しての否定、その罠にはまりつつも留まるチャンスを、こうした教育は与えてくれるものだと思います。
しかしまた、「私たちは平和を愛し過ちを犯さない」という共通の願いのもと、過信し過ぎてはいけないとも。
なぜなら、やはり「人間の性」である以上、人は人としての罪をみな抱えているからだと思うからです。
なんか、おっしゃることとずれてしまっていったらすみません。

9月はラオスに抜けるのだと思っていました。
うっとうしい雨季、楽しみですね。こういう言い方へんですけど、わかります。
首長族とはどんな民族なんだろう。
以前のように旅行記が拝見できなくなったのが残念です。
私はお盆休みに内モンゴルの呼伦贝尔草原に行ってきました。…が、天候が荒れて大変でした。
昨日も飛行機遅延の末にぎりぎり駆け込みで帰宅したばかりです。
ですので、9月は中国はなし、年内できればもう一度行きたいなぁなんて考えています。

希望…

歴史を学ぶと行き着く先に絶望せざるを得ないものがあると思わずにいられません。まゆさんの仰る意味はよくわかります。私は半世紀を生き自然の摂理には無い無情の死を見聞きしました。歴史を学ぶ意味は、はからずもまゆさんの仰る「同じ過ちを繰り返すことのない教訓」であると教わりました。しかしながら、人間は有史以来、他を殺める事を止めぬ種族で他の生物に見られぬ行動原理で実に不合理な行いをします。しかしながら、娘の未来を考えるとパンドラの説話にある「希望」だけが最後の灯火ではないかとも考えています。世界は有史以来無い程に世界が平準化してきています。二十世紀初頭以前と比べると世界は遥かに豊かに平等になりつつあります。しかしながら、何故かそれに反意を翻す、国家や人が台頭し、進むべき道を錯誤しよとしている様に見えます。

以前は、国境なき世界こそが平和にする道かと思ったことがありましたが、今は不文律の侵すべき事の無い線も必要なのではないのかと考えています。この線は、互いを隔てるものではなく、違いを知りともに許し合わなければならぬもので、今、社会や世界は寛容の精神をもって互い理解する努力がより必要になっているのではと思えてならないのです。国を出て世界を知れば、それを許容する寛容な心が無ければ理解ができません。異文化とは字の如く異なる文化でそれを理解するには寛容な心が必要でまゆさんならその意を理解されてると思います。

情報化の波で様々な境界線が取り払われたにも関わらずそれを再度、構築しようとする愚かな世界に辟易とします。朝鮮半島、中国、米国、中南米、アフリカ中央部はそれが先鋭化しつつあり寒々した感が否めません。

話は変わりますが内蒙古に行ってきたんですね、相変わらずアクティブで凄いです♪私は娘と老婆を義父母に深センの空港で預け、その足で昆明経由でヤンゴンに抜けます。但し、それ以降は現地で考えるつもりで青写真がインレ-湖と首長族です。もしかしたらラオスに抜けるかもしれません。1年以上渡航していないので、異国の地の空気に触れてから考えるつもりです。日程も12日間の休暇なのでなんとかなりそんうなんで雑駁に考えていました。旅行記は開店休業中のブログに掲載する予定です。たぶん…

Re: 希望…

世界が平準化されボーダーラインが薄まり、未ださまざまな格差はあっても、生活の為に安寧の為に国境を越えて協力しあうことができる今になった。
でもそれなのに平和を脅かすものも、そのボーダーを越えることができるようになってしまいました。
世界はひとつ、人はみな同じ、そんな言葉が美しい。
美しいけれど、違和感も感じる。
私は、不文律の侵すべきではないラインというのも必要だという考えに共感します。
同じになることが平和であるような考えがありますが、それはひとつの価値観の強要、つまりそれこそ正義の強要ではないかと。
異文化に触れることをおもしろく感じるのは、違うということを認めることで自らに対する理解をも得るからです。
同じになるのではなく、違いを尊重することが、結局お互いにも有益なのではないかと思っています。

私は旅行において国境、ボーダーラインに強いこだわりを持っています。
それはボーダーラインという感覚が身近でない日本では感じることができない、「こちら側とむこう側」という絶対的な支配を感じることを求めているからです。
その時の感覚というのは、いい意味合いも良くない意味合いも両方含んでいますが…。
近年の中国にどこか感じるところがあるとすれば、「それぞれの文化を認めよう」と大々的に宣伝しながらも、実態は全国統一化を目指しているかのようなところです。
だからどんどん、もっと奥へと旅の行先を探してみるも、境界線が侵されていない場所を探してみるも、もうそんなところはどこにもないことを知り、でもある場所ではまだそのラインは消え去ってはいないと安心もするんです。
toripagonさんが中国から足が遠ざかり他国へ抜けるのはもしかしたらそういうところもあるのではないかな、と想像もします。

12日間の日程は素晴らしいですね、無計画の旅こそ本来の旅だと思い憧れますが、自分にはかないません。
その時になってみないとわからない、なんてわくわくするんだろう。
旅行なんて、結局無事に帰ってこれればそれでいい、思わぬ収穫・発見や、なにもしない時間、ただ歩いている時間なんかもすべてその場所との縁だと思います。
それにしても、帰郷でありながら空港その足でとは、さすがですね。

中国人家族って…

ある絶対的な部分で見えない壁があります。その壁は日本人同士のものとは異なります。そして、その壁を乗り越える事ができるのは娘だけだと思います。この辺りは、国際結婚をしていない人には中々想像のしにくい部分だと思います。

中国の両親は、私にとって大切な人であり家族です。でも、長くいると互いに空気にはなれず気遣いがストレスになります。今回、wechatで義母に空港で乗り継いで第三国に抜けるても良いかと告げるとあっさりどうぞと言われました。要するに今回の帰省で大事は孫娘なんです。

しかも家内も長期滞在(1ケ月)故に私の第三国行きを留める事ができません。互いの気遣いの結果が空港で別れることになりました。義父母は仕事の関係で広東省东莞市に現在、在住で国慶節までは滞在するので私は深圳空港でお別れです。

それにはいくつかの理由があります。最大の問題は広東語が駄目なことです。国慶節には湖南省衝阳市に行くので最初からそこであれはせ逗留しました。それと奥菜はちょっと…湘菜であればなぁ…と趣向の問題もあります(^^)

Re: 中国人家族って…

なるほど、単にお父さんはいなくてもいいよ~という話なのではなく、そこには見えない壁があるんですね。
もともと旅に出たいtoripagonさんにとっては、へんなふうに馴れ合い気遣いすぎるよりはきっぱり割り切ったほうがいいのかもしれませんね。
国際結婚の感覚はほんとその当人にしかわからない感覚と思います。
当人同士、そのお互いの家族、その両者をつないでくれる存在はまさしくその子供なんですね。
結果奥さんとお母さんにとっては親子水入らずの時間、お孫さんとの時間、というわけで、遠慮なく旅行ができますね(^^)

重慶の旅 おもしろく読ませていただきました

 重慶の旅、とてもおもしろく読ませてもらいました。重慶についての予備知識がほとんどなかったのでとても参考になりました。特に中国共産党と国民党関連の施設がたくさんあることを知り、是非一度訪れてみたいと思いました。でも中国への関心が深くなるにつれて言ってみたいと思うところが多くなってきてうれしい悲鳴を上げています。古代から現代まで歴史をたどりながら旅行ができるのが中国のおもしろいところだと思います。
 中国共産党と国民党の対立の歴史について、私は中国共産党であれ国民党であれいかなる正義や志のもとであったとしても非人間的な行為は評価できません。そのような正義や志にも疑問を持ちます。
 そのことを考えるならばその時代にはもう一つ日本軍・日本人による加害行為も存在することも忘れてはならないと思います。
 来月中国旅行に行きますが南京にも一日滞在します。実は私の中国人の友人には、青年・中年・中高年の三世代の南京人がいるので、彼らとも歴史観について話ができればと思っています。
 

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Re: 重慶の旅 おもしろく読ませていただきました

hirachanさん、ありがとうございます。
そうですね、中国は古代から現代まで歴史の規模が大きくて、同じ場所でも色んな角度からアプローチできるのがおもしろいし、それこそきりがないので大変です。

夏はどうしても戦争だとかそういうことを考えてしまいます。だから私は夏にそういう場所を行先に選んでしまうのかもしれません。
私が思うのは、誰しもが、そうした非人間的な行為をしてしまう、あるいはそういう状況になってしまう可能性を少なからず持っているということです。
犯罪者は異常者のようにみえるし、そんなふうに言われます。
けれども、非人間的行為をした人間とそうでない人間にもともとの大きな差があるとは思わないのです。
今現在、自分は絶対そんなこと望んでいないしそんなことできないと思う。でも状況が違えば、その保証はないです。
私が思うのは、非人間的行為をした人々も、最初はそんなことを望む人間ではなかったとそう願いたいのです。
日本は先の戦争において加害者と被害者の両方を経験した国ですから、私たちはそれについて多角的に学ぶ機会、考える機会が与えられているという点で過去に救われていると思います。
そしてまた、人を傷つけることを望んでいなくともそれをしなければならない状況、また残虐な行為が普通になっていく状況、また一部ではそうした行為を進んで行うようになってしまう状況、それがあるということを私たちは知っているだけでも、日本の戦争教育は大きな意義があると思います。

南京に立ち寄られるんですね、三世代のご友人とそういう深い話ができるというのはとても貴重な機会ですね。
お気をつけて!
プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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