2017-09-02

満洲里旅行三日目~その二~

ところどころに羊の群れを見る。
青い空、白い雲、緑の大地、それに白い羊の群れ。
そのコントラストがまぶしい。

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この羊の群れの遠く向こうに、また別の群れ。
「いったいどれだけの羊がいると思う?」
リュウ・チャオさんが問いかけ、私は
「500?」 と答えた。
「これで千頭だよ」
そうして、ぼーっとしている私に、
「あまりにも人がいなくて、一体ここには何人の人がいるんだって思うだろう?」
羊はこんなにもたくさんいるのに、見渡す風景に生活の匂いは少しもしない。
人の気配もしない。
あるとすれば、時々すれ違う、私たちのような観光客を乗せた車だけ。

羊の群れを越えて、車は高度を上げていった。
緑の丘陵を登って、その先には車が数台停まっている。

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丘陵から見下ろしたのは額爾古納(アルグン)河。

アルグンは蒙古語で捧げるという意味を持つ。
河が途中で激しく角度を変えうねる様子が、まるで人が物を捧げるようであることから、そう呼ばれるようになったのだという。
大ヒンガン嶺山脈を源流として現れるハイラル河は西に流れ、満洲里にてフルン湖から流れ出る支流と合流し、そしてアルグン河と名を変える。
その後、南から北へ、そして東へと流れを変え、黒竜江省の最北部で黒竜江(アムール河)と名を変える。
つまりこのアルグン河は、あのアムール河の一部なのだ。
アムール河の延々とした流れは、地図を見れば一目瞭然、中ロ国境に忠実に沿ったものになっている。
というよりも、この河を国境としたという方が正しい。
そして国境線の川筋は、黒竜江省の東の先っぽでロシアに飲まれていく。
アルグン河の部分だけでも、長さ708㎞。
源流から含めてアムール河全長で、4368㎞。世界第8位の長さを持つ川だ。
今目の前をS字に蛇行して流れゆくこの穏やかな川の流れは、いずれロシアに流れ着くのだ。
そう考えると気が遠くなる。

「日本にも草原あるだろう?」
リュウ・チャオさんはそう言ったけれども、こんな風景は日本にはどこにもない。
「日本はとても小さいから、こういうのはないよ」
そう言ってみたものの、自分の言葉には足りない表現がたくさんあると感じた。
日本人にとって、草原という言葉はどこか異国情緒を含んでいる。
それはモンゴルかもしれないし、ヨーロッパかもしれない。
とにかくどこか遠い国を思い浮かべる。
小さな草原なら日本にもあるだろう。
けれども、なだらかな大地を何千㎞にもわたって流れる川なんてないし、こんな広範囲に形成された自然体系もない。

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川の中に点々と集まる黒いものは、水を飲みに集まった馬だった。
満足したのか、やがてその黒い集まりは川を移動した。
一緒に同じ行動することが決まっているかのよう。

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雲が落とす影は色濃くて、その場所は刻一刻と移動していく。
海や川や湖の色が空の色を映したもののように、この緑の大地もまた空の様子を忠実に表しているみたいだった。
陽の光や雲のかたちで、草原の色合いも表情もぜんぜん違うものになる。
今ある目の前の風景はしばらくすればもうどこにもない。
今日あるこの草原の姿は、明日はもうまったく違うそれになる。
リュウ・チャオさんは、何度も何度も、
「今日は天気が良くないけど、天気が良ければもっときれいなんだ」
そう言ったけれど。
私にとっては今日見たすべての風景が美景だった。
この時この場所にいたからこそ、出合えたもの。
雨が降ると思っていたから、余計にこの青空は嬉しかった。
本音を言えば雲ひとつない快晴を期待していたけれど、でもこうしてここにいると、白い雲がぷかぷかしその形を次々変えていく様子は、まるでフルンボイルの自然の力を目にしているようで、そしてこの大地の豊かさと激しさを目にしているようで、今日でよかったと思えた。
天候の悪状況で予定通りに動けなかった。
ルートのまわり方も変わった。
でもそれは、もしかしたら今日この場所でこの風景を見るためにそうなったのかも知れないとも思った。
旅の途中で起きたことはすべて、縁だ。

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ただの丘陵で特に展望台や案内板などがあるわけではなかったが、ここは定番の観光スポットのようで、多くの人がここで風景を楽しんでいた。
リュウ・チャオさんのドライバー仲間ともここで再会する。
丸くなだらかな丘陵は、その気になればどこまでも歩いていくことができたし、自分の責任で少し下まで降りていくことも可能だった。
木が生えているわけでもないし、斜面はなだらかだったからだ。
けれどもそれなりの高さにあり、私は足がすくんでしまった。
吹きすさぶ風は激しかったが、自然のエネルギーを体中で浴びているような気がして、心地いい。
私はただそこに立って風景を楽しんだ。

横にはドローンを操る人がいた。
そういう時代になったんだな~と思うと同時に、そのドローンはどんな映像を収めたのだろうと気になった。
人間は鳥のようには飛べない。
小型飛行機などに乗ったとしても、目に映るものや感覚はまったく違うものだろうと思う。
鳥になったように。
ドローンはそんな夢のような体験をさせてくれるものなのかもしれない。
でもそれは、たとえその場で自分が操作し撮影したものだったとしても、結局は仮想体験にしかすぎない。
カメラのレンズを通して映したそれは、けっして実体験ではないのだ。
でも、もし自分もそれを持っていたら、私もきっと楽しんでやったと思うけど。

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向こうの丘には車が通った道。
かつて馬に乗った人たちが駆けたこの場所。
今では毎日多くの車がここを駆ける。
車が通る場所は草が生えず、地面がむき出しになっている。
ところどころに保護のための鉄条網はあったけれど、そうでないところも多い。
楽しくて素晴らしくてつい忘れそうになってしまうけど、ただ来るだけでも自然を壊している部分もある。

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草原のドライブは続く。
時刻はもう14時になろうとしていた。
「馬に乗りたい?黒山頭に着く前に乗れるけど、雨が降ったらできない」
乗馬できる場所はもうそこら中にあったけれど、リュウ・チャオさんはもう場所を決めているみたい。
私は馬に乗ったことがない。
中国でも馬に乗るチャンスは今まで何度かあったけれど、前に敦煌でラクダに乗った時かなり怖かったので、馬は乗れないだろうと避けていた。
でも、せっかくここに来たのだから乗ってみようと思い、
「乗りたい」 と答えた。
「雨が降らなければね」
彼はそう言ったが、この青空で雨は想像ができない。

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途中で薄紫のリンドウが咲き乱れる道を行き、そしてやがて自然道の草原を抜けて舗装された公道に出た。
そこに出て突然、簡易な建物が立ち並ぶ小さな小さな村のようなもので出合ったが、それが人が暮らすものなのかそうではないのかはわからない。

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そうして朝ハイラルを出て二度目の街に入った。
額爾古納(アルグン)だ。
街の名称はもちろん、先ほど眺めたアルグン河からきている。
この街は、フルンボイル大草原の北、アルグン河の右岸に位置し、アルグン河の支流である根河、アルグン河、得爾布干河、哈烏爾河が交わる場所にある。
モンゴル民族発祥の地、といえるのだそう。

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街はとても小さくただ車で通り抜けただけだったが、街並みはロシア建築がうつくしかった。
モンゴル民族発祥でも、ここはまるでロシアみたいだ。
これらはみな、ホテルなのだという。
この街を訪れるのも楽しみのひとつだったが、リュウ・チャオさんはそのまま立ち寄ることなく通り過ぎた。
朝ごはんを食べていないのは私自身の意思だったが、今日はお昼も食べていない。
私はそういうのも慣れているけれど、リュウ・チャオさんはけっこう体格の立派な男性だったので、絶対おなかすいていると思う。
すでに昼食の時間帯はとうに通り越していたけれど、ここでどこか立ち寄るのだと思っていた。
ただ、結果的には時間ぎりぎりで宿泊する黒山頭に着くことになったので、彼は時間を見て急いでいたのかもしれない。

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アルグンをあっけなく通り抜けると、また再びの大自然。
私は持ってきた地図を見ながら、
「根河湿地は?」 と訊いた。
伝えていた立ち寄りたいポイントのひとつで、そろそろそこを通過するはずだった。
「根河湿地は広すぎて入れない。道々あっちの方に見れるから」
車を降りて立ち寄るのではなく、車窓から眺めることになった。

根河湿地は、アジア第一湿といわれる規模なのだそうで、自然保護区に指定されている。
404種の野生植物、268種の野生動物が生息し、それは生物の宝庫だ。
そこで野鳥はじめ珍しい動物に遭遇するかも、と期待していたけれど、そううまくはいかなかった。

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やがて向こうに深い緑のラインが姿を現した。
「あれが根河湿地だ」
そう教えてくれたが、いかんせん遠い。
車窓からでは、一続きの森にしか見えない。
けれども、これがほんとうに延々と続くので、「広すぎる」といった彼の言葉はその通りだった。
ここで自然観察をしたいならば、しっかりと許可をとり、何日もここに腰をすえる覚悟がなければだめだ。
そしてそんなことをするのはきっと研究者とかそういう人たちなのだろう。
ふらっとちょっとだけ立ち寄って珍しい動物に遭遇する、そんな話は甘い。
「珍しい鳥を見てきます」
そんな言葉を残して日本を出発した自分はほんとうに軽いなと思う。

「弘吉喇布蒙古大営、行きたい?」
根河湿地に見入っていた私に、そう言った。
今日一番に立ち寄った、モンゴル部落を再現したものと思われる。
「行きたい」と答えた。
「弘吉喇布には、昔美女がたくさんいて、モンゴル人たちはここに来て奥さんを探したんだ」
リュウ・チャオさんはそう説明した。
蒙古人は遊牧民だから移動しながら生活していたと思うけど、ここには定住していた人がいたのかな。
そのあたりはよくわからない。

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弘吉喇布蒙古大営の正面は、根河湿地がどうどうと広がっていた。
車窓で見たのよりも近い。
けれども、鉄条網が張り巡らされているため、みだりに侵入することはできない。

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これが弘吉喇布大営の配置図。
モンゴルゲルがいっぱい。
ここは何があるとかいうよりも、このゲルが主役のよう。

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現代版ゲルが並ぶ。
観光客がキャリーバックを転がして入っていくのが見えた。

旅行出発前、車を取りまとめるリュウ・ウェイさんと行程について話し合った。
三日間草原をまわるにあたって、モンゴルゲルに二泊しようということになった。
代わりに予約しておいてくれる?とお願いし、一泊260元で泊まることになった。
行動がゼロからスタートすることになったのでその予約もなしになったけど、そのゲルはこういうのだったのかな?

「こういうゲル、一泊いくらだと思う?」
リュウ・チャオさんは訊いてきた。
「うーん、500くらい?」
「一千元!」
高い!1000元とは今のレートでだいたい16500円くらい。
260元との差はなに?
こういった部落を再現したような観光客が立ち寄るようなところのゲルは、特に高いのだそう。
「伝統的なゲルは、電気もないし水もないしトイレもない。でもこういうのはそれらがあるし、空調まであるから」
なんてことだ。
そういうのをゲルと呼んでいいのかわからないが、少なくとも見た目の雰囲気はあるから、観光旅行であればそれもいいかもしれない。
一方私が望んでいたのは、伝統的ゲルの方。
不便だけど、一生に一度の旅行だと思えばとてもいい経験になるはず。
「1000元は高いけど、みんなで泊まれば高くない」
私はいつも一人だから高くつくというのもある。

ここの高いゲルに宿泊する人々は、すでに夕方になりつつある時間帯、各々くつろいでいた。
ゲルの前にある椅子に座ったり。
正面には根河湿地が広がっているから、この上ないぜいたくな立地だ。
草原のど真ん中ではないけれど。

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湿地を右手に見ながらまた進んだ。
雲の合間に見えていた真っ青な空は次第にかすみ、真っ黒な雲がどこかから湧いてきた。
それとともに、周囲の風景も明るさを失っていく。

やがて車は湿地から離れ、広い大地の真ん中を通る一本の道をまっすぐ進み、そうして左手に見えてきた乗馬場で停まった。
屋根の下にはたくさんの馬が繋がれ、草原には馬に乗った観光客が散らばっている。
もう乗ることは決まっていたので、リュウ・チャオさんは乗馬場の女性にお願いした。
「馬に乗って湿地まで行くことができる。行って帰ってくるまでに1時間半だ」
けっこう長い時間だ。
湿地は遥か向こうにかろうじて見えた。
あんな遠くまで行けるものだろうか。
まず価格を訊いてみると、女性は
「600元」と答えた。
高すぎる!
リュウ・チャオさんの一日の車代(人件費諸費用含む)が、500元なのだ。
それなのに、馬に乗っただけで600元とは。
でも1時間半馬に乗れば、日本でもそれくらいするだろうなと思い、受けることにした。
「今はオンシーズンだからあらゆるものが値上がりしているよ」
リュウ・チャオさんはそう言った。

革製の膝まである足のガードと、ライフジャケットみたいなの、それからヘルメットを装着。
完全防備になってなんとも居心地が悪い。
初めての経験なのだ。
「馬はなるべく小さいのにしてくれ」
リュウ・チャオさんは女性に頼んだ。
選ばれた馬はこちら。

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これでも乗るのに一苦労だった。
手伝ってもらいながら、やっと馬上の人になった。
私には一人の中学生くらいの男の子がついてくれた。
彼は向こうから馬に乗って戻ってきたばかりで、
「疲れたよー」 と文句のように言うのが子供らしかった。
私の馬の手綱を持って先導してくれる。

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ところが、予想以上の恐怖だった。
まず一歩進んだ段階で私は叫んだ。
「ゆっくり!急がないで!!」
私は高所恐怖症でもあるのだ。
馬の背中はは予想以上に高かった。
手に持つのは、馬に取り付けられた金属製のU字。
これが持ちにくくて、手綱の方がまだ怖くなかったかもしれない。
馬は動きが大きくて、ゆっくり進んでも私は上下にバウンドしてしまい舌を噛みそうになる。
草原は草原で実際に行ってみると思った以上にでこぼこがあり、それを通過するたびに馬は大きく動いて私は叫んだ。
「ダメ!ゆっくり!ちょっと止まって!」
怒鳴る私に、ため息をつくように男の子。
「怖くないって、こんなんじゃいつたどり着けるんだ」
「あなた今日はどれくらい観光客の相手したの?」
「たくさんだよ」
「落ちる人いないの?」
「いないよ」
いるわけないじゃん、と呆れるように返す。
男の子は蒙古族で、お兄さんが日本にいるとか日本語を勉強してるとかそんなことを言った。
が、私は緊張の真っただ中でそのどちらだったかよく覚えていない。
「日本人を相手したのは初めてだよ」
男の子は笑った。
いたずらだったか痺れをきらしたか、男の子は隙があれば馬のスピードを上げようとし、私が油断したときに馬を小走りさせた。
歩いているだけでこれだけ怖いのだから、小走りされたらたまらない。
私は怒鳴って怒った。
「ダメ!ゆっくり行こう!!」
「怖くないよ」
男の子はめんどくさそうに言った。

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写真なんか撮る余裕はなかったが、それでも体験記として残しておきたくて必死で片手を離しシャッターを押した。
そのすべては見事におかしな写真になっていて、これはその中でかろうじて風景を映したもの。

そんなこんなで長い時間をかけてやっと湿地の近くまでやってきた。

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湿地へはちょっとした斜面を下りなければならなくて、それは私には無理だった。
そこであの木に男の子の馬を留め、彼が私のうしろに乗って二人乗りでそこを下りるらしい。
男の子が自分の馬を木に結び私のうしろに乗った瞬間、馬は突然動き出した。
私は大声をあげた。
というのも、顔の前には細かい枝がたくさん突き出た枝が伸びており、それは簡単に折れるような太さではなかったからだ。
避けることも、枝を振り切ることもできずに、枝は私の顔を攻撃した。
男の子は急いで馬を制止にかかり、「吁」と声をかけたが、馬は急に止まれない。

私の馬を木に繋いで降りたとき、口の左半分はじんじんと麻痺し痛さよりも熱さがあった。
「大丈夫?」
男の子は心配してくれたが、正直ぜんぜん大丈夫ではなかった。
感覚が変になっているけど、これは絶対切れている。
確認するのが怖かったが、触ってみるとなんだか腫れているようだ。
カメラの液晶画面に反射させてみてみると、吸血鬼みたいに顎まで血が垂れている。
あとから分かったことだけど、血が垂れているだけではなくて、これは唇から下に少し切れたものだった。
頬っぺたも少しかすり傷ができていて、口の中も切れていた。
私がまず思ったことは、
「これからまだ蒙古料理やロシア料理を食べたいのに、口が切れたら楽しめない!」
ということだった。
男の子の心配の問いに対し、
「大丈夫、じゃない」 と答え、しかしやはりこれは大人げないと思い、
急ぎ「大丈夫」と訂正した。

※後日談
この旅行記を書き終えた9月現在、まだ私の唇左下には数cmの傷跡が残っていて消えない。

こうして馬に乗るのがさらに怖くなり、馬ではなくて歩きで下まで下りてみることにした。

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下には、日本にあるような小さな川が流れていた。
そこでなんと男の子は突然服を脱ぎ、川に飛び込んだ。
なんて自由なんだ。
泳いだりして楽しんでいる。
「手を洗いなよ」
そう言うので手を洗ってみたら川の水は冷たくて、さっきのパニックが少し収まった気がした。

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もう夕方だ。
低い山は影になり、水面も色を失っている。
天気が心配だな、そう思っているとかすかに雨の気配を感じた。
一粒雨が落ちてきた気がする。
「雨が降りそうだから帰ろう」 私は声をかけた。

再び馬の繋がれた木まで戻ってきて、ここからがまた大変だった。
また同じことが起きてはいけないので、男の子は馬を先に木から離し、自分が手綱を持っている状態で私を馬に乗せた。
このあと彼は自分の馬に乗らなければならないので、いったん私にその手綱を預けた。
「動かないで」
手綱をピンと張った状態で動かないように指示する。
縄の動き方で馬は動き出してしまうからだ。
ここで勝手に動き出したら恐怖だ。
そう思ってじっとしていると、男の子が背を向けた瞬間、馬は急に動き出した。
パニックでまた叫ぶ私。
「綱を引いて」
他にもいろいろ指示されたが私にはわからない。
馬は小走りになり、走っていこうとし、私はさらにパニックになり大声を出した。
男の子は急いで走り寄り綱をつかんだ。
セーフだ。
このあとどうしようもなく、男の子は器用にも、私の手綱を手に持ったまま、連れてきた自分の馬に乗った。
本当に迷惑のかかる客だったことだろう。
「怖がるから馬が動くんだ」
男の子はそう言った。

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男の子は行きよりも慎重に私の馬を引いていたが、馬はともすれば自分の意思で小走りを始めた。
「この馬、怒ってるの?」 そう訊くと、
「怒ってるわけじゃない、雨が降りそうだから早く家に帰りたいんだ」
そうすると、また急に馬はいなないた。
乗馬場はまだまだ点に見えるくらい遠かったが、天気は確実に悪くなっていった。
右手には遠く街が見えたが、そこには雲がかかりその暗がりは下に落ちていた。
向こうは雨が降っている。
そう思った瞬間、稲妻が走った。

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強風が吹きだし、怖いとかなんとか言ってられなくなった。
あの雨がこちらに来る前に戻らなければならない。
そうしてやっとこさ乗り場まで戻ってきた私を見て、リュウ・チャオさんも女性も、
「どうしたの?」と驚き、女性は薬を持ってくると言いだした。
私は大丈夫大丈夫と繰り返し、身に着けていたものを返したら体が軽くなった。

車に戻り、今夜の宿泊場所である黒山頭へ向かうかと思ったら、その街はすぐそこだった。
「もうすでに着いていたんだね」

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車に乗り込んだ時、雨は降りだした。
あと少しでも遅かったら雨に濡れていたところだった。

黒山頭はとても小さな街で、街という機能も有していないように見えた。
左右には小さなホテルが並び、そのホテルに併設されたレストランが明かりをつけている。
ホテル以外の食堂や、商店みたいなものも見当たらない。
宿泊施設以外のものがないように見えた。

リュウ・チャオさんはある現代版モンゴルゲルを持つところに行き、チェックインを進めてくれた。
価格を訊くと500元ちょっと。
高いと思い、「リュウ・ウェイさんが言ってたのは260元だったよ」というと、
「それは伝統的ゲルだからだ。でも天気も悪い、伝統的ゲルは電気もないし水もないしトイレもない」
携帯充電できないし、あれは布をかぶせたものだから、雨が降っていれば水が入り込んでくるかもしれない、とも言った。
「伝統的ゲルは近くにあるの?」
そう訊いてみると、「けっこう遠い、でも見に行ってもいいよ、見てから決めてもいい」そう言ってくれた。
迷うところだ。
せっかく来たのに現代版ゲルは、もったいない気がする。
でも、問題は天気だ。
確かに天候は悪かった。

本当は、今回の旅行、ひとつの目論見があった。
草原の大自然の真っただ中で眠ることができる。
人家もない草原にいて、広がる夜空。
おそらく今まで経験したことがある環境のなかで、もっとも素晴らしい星空に出合うことができるだろう。
それなら、それを撮影してみたい。
私は不器用だけれど、日本でほんの少しだけ練習して、三脚やレリーズなどもわざわざ持ってきた。
今回、想定外のことが起こり行程が変わり、草原では一泊しかできなくなった。
それでも天気さえよければ。
雲があったとしても、その隙間から星空は覗けないだろうか。
そんな期待をしていたけれど、それは見事に裏切られてしまった。
この天候では星空は叶わない。
そういうあれこれを考えたあげく、伝統的ゲルをあきらめ、ちょっと高いけれど現代版ゲルを選んだ。
「今はオンシーズンだから、なにもかもが高いよ」
リュウ・チャオさんはそう言った。

時刻は18時を過ぎたところで、こんな天気だけれど外には金色に輝く西日の反射が見えた。
そこで、リュウ・チャオさんに夕日が見える場所まで連れて行ってもらうことに。

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今まで見たことのあるどの街とも印象が異なり、なんだか異国に来ているかのよう。
中国も私にとっては異国には異国なんだけど。

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街はとても小さくて、ものの数分で抜けてしまった。
その先にあったのは小高い丘。
その丘は今日まわってきた丘陵のように、道といえば車が通ってできた自然道だけだった。
その草が剥げた道を登っていくと、丘の上にはすでにたくさんの人が夕日を見に集まっていた。
この小さな街にこれだけの観光客がいたことも驚きだった。

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丘に登ってみると、その向こうには湿原が広がっていた。
ずっと向こうまで人の生活の気配がない。
こういうのって、テレビの中でしか見れないと思っていた。

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夕日はというと、雲がかかり日が落ちる瞬間を目にすることはできなかった。
絵になるような、ポストカードになるような、そんな夕日ではなかったけれど。
ごく普通の夕日だったかもしれないけれど。
それでも私には感動をくれるものだった。

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周りの人たちも、いつまでたってもその場所を離れない。

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帰り道、丘を下る途中、向こうに黒山頭の街並みが見えた。

ゲルに戻り、ようやく部屋の中に入った。
私は一番奥のゲル、というかゲル風建物だった。

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鍵を開けて中に入る。
きちんと網戸がついた窓があり、空調があり、ベッドがあり、テレビがあり、トイレにシャワーもついていた。
伝統的ゲルに泊まれなかったことは残念だけど、これはこれで楽しくないわけではない。
おそらく建てて新しいもので、とてもきれいだった。

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リュウ・チャオさんは、
「鍵はここに置いておくけど、出かけたい時には電話をするように。迎えに来るから」 そう言った。
危ないから、と言った。
それから、ご飯はできたら連絡か来るから、とも。
先ほど食堂で、私が羊肉を食べたいと言ったら、食堂の人は大きいのしかないからダメだと言ったのを、リュウ・チャオさんが交渉してくれたのだった。
渋る料理人に、厨房まで行って、「これがあるじゃないか」とやりあってくれた。
その羊肉が出来上がるのを部屋で待つ。

リュウ・チャオさんが帰ってしばらくして、女の子がゲルまで呼びにきた。

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羊肉の塊と、おそらくそれを煮たときのスープ。
それからハイラルビール。
朝からなにも食べていないのだ、これでは足りない。
「ほかにメニューない?」というと、ゲルの人は驚いた。
メニューを見せてもらい、麺を追加。

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シンプルの極みだけど、温かくておいしい。

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羊肉は骨付きのかたまり。
ナイフを使って肉をそぎ落として食べていく。
今まで新疆で何度も食べてきた羊肉とは雰囲気が全然違い、新鮮な気分。
料理というより、ゆでた羊肉をそのまま食べている感覚だ。

肉に食らいついていると、ゲルの女性が声をかけてきた。
「ここに今晩、あなた以外にも日本人が泊まっているよ」
彼女はそう話した。
ここのゲルは10棟くらいとそう多いわけではない。なんて奇遇だ。
友達と来てる、そういってその男性のパスポートの画像をスマホで見せてきた。
私はその男性の顔写真を名前を見てしまったが、いいのだろうか。
いつもの私であれば、旅先での縁によろこび、話しかけに行ったかもしれない。
人見知りだからやめたかもしれないけど。
でも少なくとのこの時の私は、頭の中が羊肉でいっぱいだったため、女性はつまらなそうにして向こうのテーブルに移動した。

会計の時に、部屋で飲むようにビールと水を購入し、ゲル風の部屋に戻った。
蒙古の白酒があり強く私を誘惑したが、寝るまでの時間に飲みきれなかったし、明日だるくなるのも心配だったので、頑張って諦めた。
出歩く場所もなく、することもなく、時間を持て余すかと思いきや、やっぱりなんだかんだ言って遅い時間になってしまう。

シャワーを浴びたあと、ゲルの外に出てみた。
外は真っ暗で、先ほどまでにぎやかな声が聞こえていた隣のゲルも、明かりを落として静かになっていた。
ここは大草原の真ん中ではなくて街の中だったが、それでも街明かりはほとんどなく、空は真っ暗だった。
ゲルの合間から狭い夜空を見上げた。
星ひとつ姿をみせない。
すでに雨は降ってはいなかったが、空は一面雲に覆われているに違いなかった。
私はもう西に傾いているだろう、夏の星座を想像した。
涼しげな風が一陣、吹いた。
どこかから犬の吠える声が聞こえる。
いつかのどこかの街を、私は思い出したような気がした。


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まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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