2017-09-02

満洲里旅行四日目~その二~

辺防公路を走りながら依然天気はぱっとしなかったけれど、それでも時折晴れ間ものぞかせた。
「青空がでてきた、天気少しよくなってきたよ!」
そう言って喜ぶ私に対して、リュウ・チャオさんはそれでも残念そう。

170814031.jpg

車を依頼する観光客のほとんどが、この草原を巡ることだろう。
草原を巡る旅に、天候はもっとも重要な要素だ。
天候が悪い日の接客も、たいへんなことだろうなと想像する。
彼らはきっと、自分たちが知っている最高に美しい風景をお客さんに届けたいだろう。
でも天候なんてその時になってみないとわからないし、昨日のように一日の間でも場所が変わっただけでも、天気は大きく動くのだ。
「雨が降るのもまた雰囲気があるよね」
そう言ってみたしそれは嘘ではなかったが、それでも私はやっぱり青空を期待していた。
昨日は青空に白い雲を楽しめたし、今日も雨までは降っていない。
雷雨、雷雨、雷雨の予報を見てきたから、それを考えたら十分すぎる。
やっぱり私、運がある、そう思った。

170814032.jpg

向こうにはロシアの山々が見えた。
「ロシアに雨が降っているのにこっちは晴れている、そんな時があるんだ」
雨が降っているのは見てすぐわかるのだという。
そんなことが起こりえるのは、ここが大草原だからだ。
遮るものはなにもない。
高くそびえる山も、人家もなく、ここからロシアまでの間にはただ草が揺れるだけ。

また時々、すれ違う車や追い越す車を指しては、
「あれはロシアの車だよ」と教えてくれた。
「どうしてわかるの?」
「見ればわかる、ほら」
指さす先には、ロシアのナンバープレート。
たしかに、中国の車であれば「蒙」「吉」などの省を表す一文字がつく。
それを見て、例えば今回の草原ドライブでは「蒙」ナンバーであれば現地ドライバーなんだなとか、「京」ナンバーであれば北京からはるばる運転でやってきた観光客なんだなとか、そういうことが推測できる。
ちなみにリュウ・チャオさんのナンバーは「吉」ナンバー。
彼の家は遼寧省だが、実家は吉林省なのだという。
ここフルンボイルには「吉」ナンバーのドライバーがけっこう多かったのが印象的だった。
とにかくそういう訳で、ロシアの車は一目瞭然というわけだ。
「彼らはね、だいたい満洲里から入ってきて中国で買い物するんだ」
満洲里は本日の目的地であり、私にとって今回の旅行の起点となるはずだった街だ。
そこにはロシアと繋がる国際列車や国際バス、それから国際公路があり、両国の出入り口になっている。

170814033.jpg

黄色味がかった眩しい草原地帯を抜けて、車はロシア国境から逸れ、やがて中国側に進路を向けた。
それとともに、地面には土色が目立つようになり、乾いた風景を見せ始めた。
「新疆に似ているだろう?」
リュウ・チャオさんは言った。
新疆ウイグル自治区、中国最西の大砂漠地帯である。
「ここら一帯はね、雨が降らないからこうなったんだ」
雨が降らないとはどういうことだろう。
今日は出発して間もなく、水鳥が遊ぶ湿地を通過した。
同じフルンボイルであっても、同じ環境だというわけではないということか。
雨が降らないように願い続けている私だったが、やはり降るべくして降るものだ。
雨が鬱々とした様子の代名詞になったのはいつからなのだろう。
いにしえから人々は降雨を希って祈りを捧げてきた。
蒙古のオボーにもそうした祈りの儀式はあったかもしれない。
渇望された雨は、現代にあってはある時には疎まれるものに変わった。
そんなことを思いながら、土を剥き出しに見せた大地を眺めた。
こうした場所には、羊も少なかった。

170814034.jpg

真っ直ぐに続く道。
360度、見渡せる大地に、ただ一本つづく道。

ある時、道路わきに藁のようなものが積み上げられたのを見かけた。
米俵の山みたい。
「ほら、見て」
リュウ・チャオさんが促す。
それは、牛が冬に食べるための飼料なのだそう。
「冬は一面、雪だ。食べるものがないからね」
そう言うが、今回の草原ドライブで私がそれを目にしたのはたったこの一度きりだった。
フルンボイルに放牧された牛たちが冬の間に食べるものともなれば、相当な量が必要になるだろう。
いったいどうやってそれを用意しているのか気になった。
また、羊や馬は?
羊も雪の中は動けないから小屋の中だとそんな説明をしてくれたような気がするが、それではその餌はどうなるんだろう。
美しいが過酷な冬なのだと思った。

170814035.jpg

突然、なんだか西洋風の建物が見えてきた。
近づくうちに、そこに金色の「満洲里」の文字を見た。
反対側にはキリル文字。
ロシア語で満洲里を表していると思われる。
とうとう、フルンボイル大草原周遊の終着点だ。
もともとは出発点だったはずなんだけど。
三日間かけて回る予定を、二日で回った。
駆け足したつもりはないが、リュウ・チャオさんは私が今回の旅行で果たしたいことを全部かなえようとして、ところどころで「私が立ち寄りたいポイント」の確認をした。
「これは行った、これは行けなかった、これは行った、次はここだな」

ハイラル大橋を通り過ぎ、その先に今回の旅行初めての料金所を通過した。
橋の標識には、上に蒙古語、下にロシア語。
「今月8日にはここは立ち入り禁止になって、外部の人間は入れなくなったんだ」
「なんで?」
「“えらい人”が来たからね、日本はそういうことしないのか?」
とにかく今日が8日でなくてよかった。
観光客がそうした事情を事前に把握することは難しい。
以前に西安博物館が、“えらい人”により閉館し急遽入れなくなったことがあったのを思い出した。

その先には小さな小さな街があった。
ところどころに古い煙突が見えた。
「ここは満洲里?着いたの?」
「違うよ、ここは扎賚諾爾、工場の街だ」
扎賚諾爾、ジャライノールだ。
聞いたことがある。かつて炭鉱があった場所だ。

170814036.jpg

ここに来て、天候は一気に悪くなってきた。
今にも雨が振り出しそうだ。
「おなか空いていないか?」
時刻は13時をまわったところ。
昨日はお昼を食べなかったけど、今日は立ち寄るところがあるみたい。
「何が食べたい?」
そんな風に訊かれると、必ず「ここの地元料理」と答えることにしている。
「ここは魚が特徴だから、それにしよう」

170814037.jpg

辺りには古い建物がたくさん並んでいた。
どれも同じような建物がかたまって建ち並んでいる。
レンガ造りに煙突。
東北地方ならではの建築様式だ。
冬は雪の下に眠るのだろう。
「これらはみな、工場の従業員の宿舎だ」
だから、みんな同じ風なんだ。
でもどれもとても古くて、今にも崩れそうなものも。
「今も人が住んでいるの?」
「今ではとても少なくなった。多くの人は新しい場所に移動したんだ」
周囲はどれも、こうした工場の宿舎だった。
ここは本当に工場の街なのだった。

170814038.jpg

古い宿舎ばかりで、商店も食堂も見当たらない。
それどころか人もいない。
どこでご飯を食べるんだろう、と疑問に思っていると、車は突然停まった。
何もないと思いきや、そこは民家のように見えて食堂だったよう。
レンガ造りの門をくぐると、その先には厨房があり小さないけすがあり、奥には食堂があった。
看板もない。
知っている人じゃないとわからない。

他のテーブルにもお客が座っていた。
「あれは地元の人?」
「いや、みんな多分観光客だよ」
彼らが食べているのはやっぱりみな魚ー鯉料理だった。
それに川海老。
素揚げしたものがとてもおいしそう。
日本の居酒屋なんかでもおなじみのと似たような感じだ。
それを見て、煮魚と川海老の素揚げを選んだ。
リュウ・チャオさんは、魚を一番小さいものを選ぶように頼んでくれた。

170814039.jpg

先に来たのは海老。
やっぱり美味しい。
それに小さな川魚もつけて。
こちらは少し日本人には慣れない。
リュウ・チャオさんは運転があるが、「悪いね」と言って私だけビールを飲ませてもらった。
「私、お酒が大好きで」
「何を飲むの?」と訊かれて、
「ワイン、ウイスキー、清酒、焼酎、なんでも飲むよ、あ、白酒も」
そう言うと、驚いて笑った。

170814040.jpg

メインがやってきた。
川魚は臭みがあるから、濃い味付けとショウガなどが効かされている。
ほろほろとした身は剥がしやすく食べやすい。
骨が多くそして太いので気を付けて食べないといけない。
こうした魚料理も、日本人には少し慣れないものだ。
二人でこれらの料理をつついたが、やはり食べきれずにけっこう残ってしまった。
料理に使われている魚や海老は、これから向かう湖で獲れたものなのだそう。

席を外し戻ってくると、リュウ・チャオさんが私が持っていたガイド本を見ていた。
地球の歩き方の中国東北版だ。
フルンボイルに関して情報はほぼ皆無に等しいが、地図が載っているので念のため持ってきていた。
「これ、ここが僕の故郷だよ」
彼が開いていたのは内モンゴルのページではなく、長春のページだった。
地図を指さしているのは長春から少し北に進んだ街で、私はその地名を知らなかった。
リュウ・チャオさんは、この長春近くの街で生まれ、家は遼寧省にあり、そして春から秋にかけては仕事のためにフルンボイル・ハイラルに暮らす。
本当に、東北部に生きる人なんだ。

ちなみに、私と別れたあとにも観光客が待つというので、「休みはいつなの?」と訊いてみると、
「休みはない」とのこと。
「じゃあいつ休むの?」
「冬はずっと休みだよ」
そうか、冬に仕事ができないからオンシーズンに頑張るんだ。
そんな彼には仕事を苦痛に感じる様子も、疲れた様子も、私には感じさせなかった。
彼の仕事は、8時ー17時ではない。
外国人が多数訪れるような都市の大きな旅行会社の手配する車はそんなふうに厳密かもしれないが、私と行動をともにしてくれたリュウ・チャオさんは、まるまる三日私に付き合って面倒見てくれたとって過言ではない。
そんな頑張りを、休みなしでやり続けるのは本当にすごいことだ。

食堂を出て向かうのは、呼倫(フルン)湖。
満洲里から南下した場所に位置する湖だ。
ここに立ち寄ってから、ようやく満洲里へ向かうことになる。

車は間もなく、フルン湖に到着した。
到着したとたん、大粒の雨。
雨じゃ仕方ないよな、と思いながらも行ってみる。
私にとって今まで目にした湖のなかでもっとも美しかったのは、新疆ウイグル自治区コルラ郊外にあるボステン湖だ。
秋のボステン湖は言葉では表せないほど美しかった。
私にとっては、あれ以上の湖を今後期待することはできない。
だから、これから訪れる湖にああだこうだと最初から言うつもりはないのだ。

駐車場に着いて、観光し終わったらどこに来てそこから電話するとか、雨がひどかったらあの屋根の下に行くんだぞ、傘は持ったか、とかそんな話をした。
おそらく私と歳はそうかわらないと思うのだが、私はまるで子供のようだ。
「うんうん、わかった」
聞き分けのいい子供のように答える。

170814041.jpg

見事な悪天候である。
風は強風に変わり、傘を差すことすらままならない。
墨を塗ったような雲の間からのぞく青空。
湖面はその光をあやしく反射している。
ぎらぎらとしたそれは、青空であればいったいどんな表情をしていたことだろう。
これは湖の表情ではない、そのまま空の表情だ。

呼倫(フルン)湖、周囲447㎞、長さ90㎞、幅30㎞。
中国で5番目に大きな淡水湖である。
モンゴル東部から中国内蒙古側へ流れ出るヘルレン河、それから付近にあるもう一つの湖・ボイル湖からフルン湖に流れ込む水流がある。
水量が多い年には湿地帯から湖水が溢れ出し、昨日観光したあのアルグン河に合流するのだそう。
このフルン湖となりにある、貝爾(ボイル)湖。
フルンとボイルで、フルンボイル。姉妹湖だ。
これらの湖の名前が、フルンボイル大草原の名の由来になった。
フルンは蒙古語でカワウソを、ボイルは雄のカワウソを意味する。
実際にここにはたくさんのカワウソが生息しているのだそう。
となると、勇敢な男女、フルンとボイルの愛の伝説はどうなる?

このフルン湖、もう一つの名前を持つ。
達賚(ダライ)湖だ。
実はこちらの名の方が古いもの。
蒙古語で、海のような、という意味を持つ。
標識などはフルン湖の呼び名を採用していたが、リュウ・チャオさんは終始ダライ湖の方だった。
こういうのは、外国人観光客にとっては少しややこしい。

170814042.jpg

右手、西側には、真っ暗な雲が影を落としていた。
あちらは大雨である。

あの方角には、かつてチンギスハンが馬を繋いだという言い伝えのある場所がある。
「成吉汗拴馬桩」だ。
チンギスハンはかつてそこで馬と兵の訓練をし、一日千里を走るという愛馬8頭をその石柱に留めた。

チンギスハン、モンゴルの遊牧民族を統一し、一代で世界帝国を築き上げた超人。
ここでは、チンギスハンはまるで神様のよう。
先ほどの食堂でも、蒙古部落でも、そして街中にも、いたるところにチンギスハンの名前や肖像画を見つけることができた。
確かに、人が人生の限られた時間の中でそんなことを成し遂げられるのか?
そんなふうに疑ってしまうような、モンゴル帝国の版図である。
ここフルンボイルは、その超人の出生地であり、ターニングポイントでもあった。

当時チンギスハン率いる部落は着実に勢いを増していったが、それとともに反発する部落も増していた。
他部落との戦いは熾烈をきわめ、その戦いの中、馬は戦友であり手足であり自らの命だった。
連日連夜戦いの続いたある時、タタール部族との戦いに苦戦を強いられ、チンギスハン部落は壊滅寸前やむなく撤退し、その石柱の場所に辿り着き休んだ。
そうしてその場所で兵馬を養い、訓練し、気持ちを新たにした。
そこを立ち去ったのち、チンギスハンは間もなくして統一の偉業を成し遂げたのだという。

その場所は、ただ単に馬を留めたというだけでなく、チンギスハンの興したモンゴル帝国の原点であり、馬と命を共にしたその象徴のような場所だといっていいかと思う。
だからぜひその場所にも足を運んでみたかったが、地図でみるよりも遠いようで、今回それはかなわなかった。

170814043.jpg

天が感情を持っているかのようだった。
激しい雨が降り出し、強風が舞いあらゆるものを吹き飛ばしたかと思えば、突然それは収まった。
向こうから不吉な真っ黒な雲のかたまりが押し寄せたかと思えば、別の方角には青空が見えた。
雲はものすごい速さで移動しており、形を変えながらあちらに流れていった。
向こうに激しい降雨の影を見たかと思えば、今度はこちらがまた雨風の急襲を受けた。

フルン湖を退却することを決意し、リュウ・チャオさんを電話で呼んで出発した。
次の目的地は、本日の終着点、満洲里だ。

風力発電が立ち並ぶ道を進み、気づけばそこは街中だった。
どうやら私は眠ってしまっていたよう。
実は明日にも私たちはこの道を通り出かけたのだが、その時にも私はこの道で爆睡してしまった。
そのため、どんな道から満洲里入りしたのか記憶がない。
まるで、睡魔の襲う道である。

「あれ、ここどこ?」 というと、もうそこは満洲里だった。
「ホテルは予約していないだろう?どうする?」
そうだ、苦いことを思い出した。
飛行機のキャンセル、遅延、行先変更などがあり、一日目と二日目のぜいたく満洲里大飯店をキャンセルすることになった。
二泊で1980元を持っていかれた。
ほんとうに痛い金額だ。
高層から優雅に眺める夜景を楽しみにしていた。
普段泊まることのない、私にとってはぜいたくホテルだ。
その捨ててしまったお金があったから極力安いところがよかったけれど、でも格安の泊まるだけホテルにするのも満洲里大飯店に対してしゃくだった。
明日の宿泊は当初からの予定通りで、日本にいる段階で満洲里国際飯店に予約していた。
そこもそこそこのホテルだ。
予約していた金額は、一泊580元。
繁華街だからまぁ、仕方ない。

「満洲里国際飯店に今日も泊まるよ」
移動するのも面倒なので、そう言った。
リュウ・チャオさんは携帯で調べて電話してくれたが、本日の空き部屋は一泊780元。
高い!
じゃあ他のところにする。
そうして付近の別のホテルを見てもらったが、やっぱりどれも700~800元。
高い…。
これより価格を落とすとなると、民宿のようなレベルになる。
そういうのも時にはいいんだけど、今回の旅行はロシア文化の街ということもあって、少ししゃれた気分になっていた。
「今はオンシーズンだからどこも高いな」
リュウ・チャオさんは、困ったふうに呟いた。
これ以上、彼を煩わせるのも嫌だったし時間ももったいなかったので、結局国際飯店を選んだ。
それにしても、彼の車代(人件費諸費用含む)は一日500元だ。
一日これだけめんどう見てもらって500元、不泊ホテルに1980元払い、今夜のホテルに780元払い、あの草ソリは一回100元で、あの馬は600元。
なんだか割に合わない。

車が停まっていたのは、国際飯店のすぐ前だった。
今夜の宿泊手続きと、明日もともと予約を入れていることを伝えると、今夜と明日と部屋のランクが違うのでどのみち明日朝に部屋を替えなければいけないという。
今夜の方が高い部屋なので、正面に面した部屋をリクエストした。

170814044.jpg

こちらが部屋から見える街並み。
まあまあ、だ。

このまま、リュウ・チャオさんに買い物に付き合ってもらい、夕食の場所も相談させてもらうことにした。
車の中で、お土産に何を買ったらいいかわからない、品物を見る目がないから、とそんな話をしていたからだ。
「帰りがハイラルなら、自分があらかじめ用意して空港に届けてあげられるんだけど」
そうも言ってくれた。

170814045.jpg

周囲にはロシア製品を売るお店がずらり。
みごとなほどに。
雨は相変わらずで、私たちは傘を差して表に出た。
並ぶネオンは中国風だったけれど、みなキリル文字が並記されていて、まるで中国ではないみたい。

すぐそこにあるお土産屋さんに入ってみた。
日本の友人がマトリョーシカのお土産をリクエストしており、このようなお土産リクエストは中国旅行において初の出来事だったため、私は意欲満々だった。

170814046.jpg

お土産屋さんにはロシアの工芸品もたくさん売られていた。
タマゴ型のつまようじ入れ、テッシュケース、アクセサリーケース…。
煌びやかな豪華な装飾。
去年のイーニン旅行にてカザフスタン国境を訪れた際、さんざん目にした物たちで、新疆ウイグル自治区でもそこらで見かけるものだった。
すでに見慣れた感すらある。

それからずらりと並ぶマトリョーシカ。
周辺にはマトリョーシカを売るお店が数え切れないほどだったため、もっと他を見たいというと。
「他も大差ないよ」
とお店の女性、それにリュウ・チャオさんもうなずく。
違うよ、マトリョーシカはみんな表情が違うんだよ、私はそう思った。
デザインも星の数で、マトリョーシカであればどれでもいいというならともかく、私は「出合うべきひとつ」に出合いたいのだ。
それに、買い物というのは悩んで買うのが楽しいのだ。
そう思って違うお店を見ることを伝えると、
「すみません、なんて言う必要はないから」
彼はそう言った。

しかしその、出合うべきひとつには、意外にも早く次のお店で出合ってしまった。
そこでロシアのワインやら、ブルーベリー製品も一緒に購入した。
ブルーベリーは大ヒンガン嶺山脈の名産で、いたるところに売られている。
私はここで、ドライブルーベリーとブルーベリージャムを購入した。

170814047.jpg

マトリョーシカは、友達のイメージにぴったりだった。
あとからその友人にも話したが、
「イメージぴったりのと、マジなやつと、インパクト大のと、ギャグのと、迷ったあげくこれにした」
それってどんなの、と思うかもしれないが、とにかく色んな種類のマトリョーシカがそこかしこにあったのだ。

黄昏時になり、徐々に建物の明かりがともりだした。
雨に濡れた道にそれらが反射して、幻想的な街の風景を作り出している。

「夕食は、ロシア料理がいい」
そうリクエストし、お店を探してもらうことにした。
ロシア語がわからないので、どれが正統なロシア料理店なのかわからないからだ。
満洲里は、ロシア国境の街。
中国旅行ではあるが、ぜひロシア料理を食べたい。

私は以前に、一度だけロシア一人旅をしたことがある。
本土ではなく、サハリン島ではあったけれど。
そこで食べた食事はどれもとても美味しく、今でも記憶に残っている。

リュウ・チャオさんは、どこかに電話をして予約してくれたみたい。
「7時に開いて9時に閉まるから、9時にまた迎えにくる」 という。
そんなに時間って決まってるもの?
少し疑問に感じたけれど。
雨の中お店に行ってみて納得。
そこは会場になっていて、中央に大きなステージがあった。
そのステージを囲むように埋め尽くされてテーブルには、すでに食事が載っていた。
どうやら、ロシアのショーを観劇する場所のよう。
ツアー旅行でよくあるあれだ。
テーブルの上に載っている食事は、なんだか給食みたいだった。
これもロシア料理だと説明を受けたけど。
「私、自由に注文したいよ」
そう言うと、リュウ・チャオさんはお店の人に頼んで、そうできるようにしてくれた。
が、やっぱり普通の飲食店がよくて、結局ごめんなさいすることにした。
「せっかく予約してくれたのに、ごめんね」
そう言うと、
「大丈夫大丈夫、人が多いところが嫌なんだろう?」
うーん、少し違うんだけど。

決めたお店は、ホテル近くのロシア料理店だった。
お店の前でリュウ・チャオさんと別れ、明日朝は8時にホテルの朝食会場で待ち合わせることになった。

「一本こう通るのが中蘇路、それに交わるのが向こうから一道街、二道街、三道街、わかるだろう?」
宿泊する国際飯店があるのは、二道街。
この道の決まりさえ把握しておけば、似たような街並みでも迷わない。
中蘇路の、中は中国、蘇はソ連(蘇聯)を意味する。

170814048.jpg

小さなお店だったが、このお店が良かった。
内装もロシア風だったし、店員さんもロシア系民族のようだった。
メニューはロシア語でわからなかったけれど、簡易な中国語が並記されていた。
簡易すぎてわからなかったので、お店の女性を呼んで、どれがロシア料理でおすすめなのか訊いて決めることにした。

相談して決めたのは、ボルシチ(蘇伯湯)。
それから、メンチカツみたいなの(肉餅)にマッシュポテト(土豆泥)、デザートにクレープ(奶餅)。
どれもサハリンで食べて美味しかったもので、冒険はせず好きなものを注文することにした。

お酒は、と訊いてみると、最後のページ。
そこには中国のお酒が名前を並べている。
「中国のじゃなくて、ロシアのお酒はないの?」
そう訊くと、「ないよ、中国のしかない」と言う。
そうか~と悩んでいると、その様子を見てか女性はカウンターの裏に引っ込んだ。
そこから出してきたのは、いくつものロシアの酒瓶。
ウォッカだ。
一般にはお客に出していないもののよう。
ウォッカもいいけど、一本はとても飲めない。
飲めたとしても、酔い潰れてしまう。
店員さんはウォッカを取り出してみたものの脇に寄せて違う一本を取り出した。
それは何かの果実酒で、
「度数はワインと同じくらいだよ」と教えてくれた。
それに決まりだ。

170814049.jpg

至福の時間だった。
ボルシチもメンチもポテトも、とても美味しい。
特別に出してくれたお酒もとてもおいしくて、一本軽くあけてしまった。
ラベルがロシア語なのでなんのお酒だったのかいっさいわからなかったが、今まで飲んだことない果実のお酒のように思えた。
店内の雰囲気もよく、店員さんも親切で、くつろいだ。
壁に架けられた時計は、まったく違う時刻を示していた。
おそらくロシアの時間なのだと思う。
他のテーブルにはロシア語を話すお客。
それでもここは、中国だ。

170814050.jpg

お店を出たのは21時過ぎ。
街はすっかり、夜景になっていた。
見渡すかぎり、この目が覚めるような夜景である。

雨は止んでいて、傘をしまい歩いた。
どの道も多くの人でにぎわっていて、歩いているだけで楽しい。
衣装を着たロシア美女たちが、通行人たちと写真を撮っている。
どれもすごい美人だ。
でれでれしたおじさん中国人観光客は、嬉しそうに次々に順番を競う。
一人10元。
なにもサービスで笑顔を振りまいているわけではない。
10元とは微妙な金額ではある。
ただ写真を撮るのにお金を支払いたくはないけど、目の前には美女、10元はつい軽く出してしまう金額設定だ。

170814051.jpg

周囲のお店は、基本このように中国語、ロシア語、蒙古語のセットだった。
この三国の文化が混じった街、それがこの満洲里である。

170814052.jpg

歩けど歩けど、煌びやかな夜景は尽きない。
中国の夜景はもともと派手なものだけれど、このような色合いの夜景に出合ったのは今回の旅行が初めてだった。
異国情緒、という言葉がふさわしい。
まるで、欧州のどこかの街にいるかのような錯覚がする。

170814053.jpg

「満洲里の夜景はもっときれいだよ」
ハイラルの夜景に感動した私に、リュウ・チャオさんがそう言ったのを思い出した。

170814054.jpg

雨が降ったのは、この満洲里の夜景を美しくするために、天が気を利かせてくれたものかも知れない。

170814055.jpg

示し合わせたように、黄金に統一された夜景。
中には、うちは赤でいくよとか、青でいくよとか、そんなのが出てきそうな気もするが、この秩序を乱すものはいない。
この統一感こそ、中国を感じさせない要因だと思った。
カラフルと主張、が中国の夜景だから。

170814056.jpg

中国でありながら中国風ではない。
内蒙古でありながら、モンゴル的要素は皆無に近い。
ロシア国境の街でありながら、夜になればロシア風建築は色合いを変え、別の国のどこかの街になった。
それでも人々は中国語を話し、お店に入ればモンゴルの乾燥チーズが並び、店の看板はロシア語が並ぶ。
ここはいったい、どこなのだ?

そこかしこがロシア製品を売るお店だった。
勢いでいったら、三国のうちロシア色が優勢かもしれない。
でも、ここがロシアでないからこそ、このようにロシアのお土産屋さんが立ち並んでいるんだ。

170814057.jpg

目を引いたのは、ガラス製品。
模様が書き込まれた色ガラスの器はどれもすばらしくてお土産に買って帰りたくなったけれど、すべてセット販売でとても手がなかった。

170814058.jpg

様々な色、形、柄があったけれど、どこか日本の昭和を思い出す。

170814060.jpg

あちこちお店をまわって、「ソ連・ロシア流通硬貨」というのが、山積みで売られているのを見つけた。
お店の人が、これは昔の、これは今のと教えてくれる。
よくわからなくなって、厚紙にはめ込まれたものを二枚買ってみたが、あとから年代をみてみるとソ連のものはたった一枚で、他の硬貨はすべてソ連崩壊以降のものだった。
「ソ連の貨幣は解体後発行されなくなったので、稀少価値があります」
そんな文面も。
ちなみに、セットされている紙幣は、カラーコピー。

最後にホテル前の商店で、またまたロシアのワイン、ビールやらブルーベリーを購入した。
先ほど買ったばかりだけれど。
ワインは、今夜飲もうと思って買ってみた。
赤ワインと、ブルーベリー酒だ。

ホテルに戻ってコルク抜きがないか訊いてみると、「ない」という。
ロシアショーを行う大きなレストランを持つというのに。
そこで、ホテル内の売店に行って訊いてみたが、ここも「ない」という。
売店の商品の3分の1はワインだというのに。
このホテル、名前と外観と料金ばかり、一人前だ。
中国の他の地ならともかく、ここはそこらでワインが売られているような場所だというのに。

どうしても諦めきれずに、先ほどこれらを買った向かいの商店に行ってみた。
「ホテルにはないという。開けてくれませんか?」
お店のおじさんは、にこにこで、
「よし、開けてあげよう、ちょっと待ってなさい」
と奥に進んだ。
奥の売り場には、売り物のオープナーがあり、それを使って開けてくれるよう。
おじさんはやり方がわからないようで、試行錯誤してようやく開いた。

「どこの人なんだい?」
おじさんは、私に向かって訊いた。
「日本人だよ」
そう答えると、「日本人はみな賢い」 にこにこ顔でそう言った。
でも少なくとも、私は賢くない。

北京で知り合った天津人インさんの言葉を思い出した。
「満洲里には戦争の歴史があるから心配」と。
日本でも、満洲里へ行くと伝えると、そこは戦争の歴史を思い起こす、と話す友人がいた。
草原ドライブをスタートしたハイラルは、旧日本軍が要塞を築いていた。
その遺跡なども残る。
街を出るときに、戦争祈念公園の標識も見かけた。
また、モンゴル国境付近には、ノモンハン事件の跡地もある。
言うまでもなくここフルンボイル一帯は旧満洲国の一部であり、戦争の歴史を色濃く残す地帯である。
けれども、今回の旅行でそれら歴史の出来事に触れることはなかった。
次回はそういうテーマに絞って巡るのも意義があると思っている。
とにかくそういう歴史を持つ場所だから、インさんの言葉を思い出して、
「日本人だよ」
と言う時少し身構えた。
でも、おじさんはにこやかに、「日本人は賢い」と言っただけだった。
みんな親切で温かい、気にし過ぎなくても大丈夫かな、と思った。
でも今になって気づいたことは、私はフルンボイルのごく一部の人にしか出会っていないということ。
思い出してみれば、接したのはみな、観光客を受け入れるそういう立場の人たちだった。
つまり私は、この地の観光的側面しか目にしていないも同様だ。
そのことは、いつもの旅行と大きく異なることだった。
だから、このことでこの場所にそういう空気はなかったよと、言うことはできないのだ。

170814059.jpg

ホテルの部屋に戻り、開けたブルーベリー酒を飲んだ。
窓の外は、黄金に輝く向かいの建物。

170814061.jpg

酔いがまわるよりも先に甘さに疲れ、それでもようやく一本飲み終わるという時。
顔を上げてみると、先ほどまで眩しかった建物のすべては光を落としていた。
外は真っ暗。
時計を見ると、深夜0時をまわったところだった。
なんだか自分一人だけ取り残されてしまったような気になって、急いで酒瓶を片付けた。


クリックしていただけると励みになります☆
↓↓↓
にほんブログ村 旅行ブログ 中国旅行(チャイナ)へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
最新トラックバック
クリックしていただけると励みになります↲