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2018-08-23

38日間周遊 〈2日目〉 合肥

2018年7月1日、昨夜北京を出発して最初の目的地「合肥」へ向かう寝台車。
終着である合肥站に到着するのは朝の7時40分の予定だったため、目覚ましのアラームは6時半にかけていた。
ところがそれよりも早く乗務員が起こしに来た。

中国の寝台車は、乗車すると乗務員がチケットを受け取りに来て、それと交換に部屋番号の入ったカードを受け取るシステムになっている。
乗務員が受け取ったチケットはファイルに整理され、それぞれの乗客に対し下車少し前になると起こしに来てくれるのだ。
寝過ごしがない一方でそれを当てにしていると、時間がなくてけっこう下車まで支度に焦るので、私はいつも早めに起きるように心がけている。

「まもなく着きますよ」
そう言って乗務員が起こしに来たのは6時半前。
ちょっと起こしにくるのいつものタイミングよりも早くないか?と焦って時計を確認した。
一時間後は‟まもなく”ではない。
寝ぼけ眼で乗務員からチケットを返してもらうと、
「合肥站到着は7時頃です」とのこと。
だいぶ早まったんだ。
遅延が起きても何も不思議なことはないが、早まるのは珍しい。
化粧もせずに荷物だけまとめて、到着を待った。

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食堂車に行ってみると、みな突っ伏して寝ている。
昨夜は廊下の簡易椅子で寝ている人もいた。
寝台車両と座席車両の行き来はできないので、寝台車両にいる乗客はみなベッドを確保した人ということになるが、みんなベッドでちゃんと寝たんだろうか、なんて余計なお世話で考える。
私は私で昨日は初日でもう疲労困憊だったはずなのに寝つきが悪くてなかなか眠れなかった。

合肥站はおそらく建て替えられたのだろう。近代的な站だった。
タクシーに乗り繁華街近くのホテルへと向かった。

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周囲はごく普通のどこにでもあるような中国の街並み。
都会というわけでもなく、小さな都市である。
三国志が好きな人ならば合肥の戦いでその名を知る人もいるだろうが、中国に興味がない人は位置どころかその地名も耳にしたことがないかもしれない。
しかしここはこれでも安徽省の省都、政治経済の中心部。
位置でいうと、上海からちょうどそのまま西に500㎞ほどのところにある。
省都とはいえ、観光客にしてみたら安徽省では黄山の名前の方が知られていて人気だろう。その黄山は昨年の年越しに訪れたばかり。
あの時に、確か黄山を去るときに合肥を通過して、やっぱり省都だし合肥にも行ってみたいな、なんて思ったのがきっかけだった。
この合肥、黄山からは長江を挟んで北に位置する。

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ホテルに到着したのは、7時半。宿泊するのは阜陽路にある合肥古井君莱酒店。
さすがにまだチェックインできないかなとは思ったけれど、尋ねてみた。
昨日から汗で体中が気持ち悪いし、寝不足と疲れでへとへとだった。
早くシャワーを浴びて横になりたい。
するとフロントの女性は、
「9時までは部屋が空きません」
翻せば9時になれば部屋に入れてもらえるということだ。
日本の宿泊施設ではこういう対応はありえないから嬉しい。
ロビーで休ませてもらっていると、8時半には、
「もう入室できますよ」と案内してくれた。
親切なフロント対応だった。

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部屋に入り、即行でクーラーをかけ、汗にまみれた服を脱ぎ捨てた。
一昨日のも含めまとめて洗面所で手洗いし、干す。
シャワーを浴びてお昼まで眠りに落ちた。

午後になって周辺を観光するために外に出た。
おそろしいほどの湿気と暑さだった。
気温は32度となっていたが、湿気により不快感はかなりのもの。
街並みもどんよりとしてそして霞んでいる。
予報を見ると暴雨警報の文字。
この湿度はその前兆だろうか。

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まず行ってみたかったのは、「李鴻章故居」。
李鴻章は合肥の生まれなのだ。
用意してきた地図を片手に進んでいくもその気配はなく、掃除のおじさんに訊ねてみると逆方向に進んでいたことがわかった。
おじさんが教えてくれた通りに進んでみると、大賑わいの繁華街にでた。
デパートや洋服、靴などのお店が建ち並ぶ近代的繁華街。
その中に、李鴻章故居は埋もれていた。

明らかに浮いた存在となっている古建築。

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李鴻章一族の住宅は、一本の通りである淮河路の中間あたりまでも占めていたため、当時‟李府半条街”と呼ばれるまでだったのだそう。
その中で李鴻章の住居はほんの一角にあり、面積にして3500㎢。
それが今、目の前にある建物である。

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内部はこのようなシンプルな構造。
寺院や宮殿に見るような、一直線に建物が並んでいる。

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横から見てみるとこんなふう。

さっそく入場してみた。
最初にあるのは前庁。
賓客がここで休んだり、また来客に対し接見した。

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内部は李鴻章の生涯を紹介した展示室になっている。

李鴻章は、清末の政治家であり将軍として現代に名を残している。
外交に尽力したが、日清戦争敗戦、それによる不平等条約の調印。
さらに欧州に対し中国各地の租借を許すなど、国内から強い批判を受けた。
中国を各国の植民地化させた本人として、有名だ。
しかし日本、欧米諸国から圧力を受け、一方で清朝という王朝自体内部に火種を抱えていた当時、どこに進路を見出していいのかわからないような混乱期の八方ふさがりという言葉がぴったりな状況下で、この李鴻章の外交手腕がなかったらもっと早く清朝は崩壊していたかも知れないし、また現代中国の姿も変わっていただろう。
私が李鴻章に対して興味を持つのはそういう点だ。

中国各地が諸外国に奪われていくことを国として許す。
その姿勢が譲歩という言葉の範囲なのかはわからないが、しかしそうした方向性をとったことで損失は最小限にとどまり、各国との関係性もぎりぎり保たれたのだ。
どのみち各国を相手に勝ち目はなかった。その中で選べる選択肢は、この譲歩か破滅かどちらかだっただろう。
97年の香港返還はまだそれほど昔のことにはなっていない出来事だ。
香港もまた、李鴻章によりイギリスに割譲された地域のひとつである。
当時締結された租借条約が期を迎えイギリスから中国の手元に戻ったのが、あの香港返還だった。
当初イギリスは、永久の租借を要求した。
しかし李鴻章は、「九十九という中国では永遠を意味する数字をもって租借を受け入れよう」と言葉巧みに申し出、その通りになり、99年後のあの年に返還を果たした。
5月に旅行したばかりの青島もまた、ドイツに租借を許した場所だ。
その租借もまた言うまでもなく李鴻章により締結されたものだった。
そしてあそこにあった桟橋はもともと、李鴻章が軍事的必要性を光緒帝に奏上し建設されたものだった。
各地が他国に自由にされるのは屈辱だっただろう。
けれども結果的に、各国が都市基盤を整え経済的にも発展したところで中国の手に戻ることになり、現代の生活に少なからず恩恵を与えることになったのである。
そういう意味で、李鴻章は後世の人々の生活を守ったともいえ、売国奴とまで評された評価は英雄に変わった。

つまり、李鴻章について重要なポイントというのは、租借を許すがそれにより国を守ったという点にある。
ところがこの展示には、李姓についてから始まり科挙に進み、なんてことは詳細に展示されているのに、肝心な日清戦争の敗戦や諸外国の割譲、不平等条約の締結、なんてことには触れていない。
まともに展示を見ていないのでもしかしたらどこかに触れられていたのかも知れないが、要は英雄的部分だけを主張した展示であり、中国では不思議なことではないけれど少し違和感を覚えた。

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前庁の先には福寿堂。
応接間としても、そして家族が儀礼を行う時に使われたそう。

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一番奥にあったのは、走馬楼。
構造がここだけ特殊で、壁が「回」の字をつくっている。
二階建てで、中央の空間を通路と部屋がぐるりと囲んでいる形になっている。
一族の女性が暮らした場所で、そのため小姐楼の名があるそう。

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部屋を覗くと、木の彫刻が細かくてみごと。

こうして李鴻章故居を抜けて、繁華街のその先には大きなお寺があった。

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ここもまた若者でにぎわう現代風景の中で浮いている。
その大きさがかなりのものだったので、気になって入ってみることにした。

ここは「明教寺」という寺院。
創建は南北朝の梁の武帝の時代。すでに1500年の歴史があるというが、現在のものは改修を経た姿。
ここで興味深いと思ったのは、この寺院がある高台。
もともとは魏の曹操が兵士に弓を指導した‟杏教弩台”で、そこに後世寺院を建設したものなのだという。
ここは三国志ゆかりの史跡も多い。

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現代には三国志を思わせるようなものは何もなく、人々のお参りの場所になっている。
中央のお堂の中は仏さまが塗り替え中で、そんな姿を目にするのも珍しい。
鮮やかなオレンジ色をしていて、最後には黄金がまぶしい姿になるのだろう。
その脇にある小さなお堂には見事な涅槃像が横たわっていた。

ここから繁華街を西に移動し、だいぶ歩いた。

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途中で古そうな建物に出合った。
見てみると保護建築を示す標識。
「江淮大劇院」といい、1954年に落成した徽派建築の大型劇場で、多くの著名人が訪れたことがあるのだという。

向かっているのは、「盧州府城隍廟」。
徽派建築が建ち並びなんとも雰囲気があるようで、その中身はみな生活用品を売るお店。
観光客向けというよりは地元の人の商店街のような感じ。
その先に塔を見つけた。

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現代建築ではあるけれど、その正面には骨董が並べられている。

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その向かいには、娘娘廟。
こちらは外から覗くだけ。

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歩いていくと、城隍廟はあった。入場は無料。
もともとは北宋の時代1051年に創建したが、清代1854年太平天国の乱による太平軍により破壊され焼失。
再建に取り掛かったが資金不足により度々中止され、1879年に李鴻章らの出資によりようやく再建された。
中国の民間信仰の中には土地を守る神様というものがあって、その神様のうち最高位に位置する都を守護するといわれる城隍神を祀る廟なのだそう。

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そろそろまた繁華街に戻ろうかなんて考えていると、最奥の廟の向かいにある演劇台でなにやらイベントが始まった。

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中国の古典歌謡のよう。
私はこの方面に疎くて説明ができないのがもどかしいが、甲高い声は多くの日本人が想像する中国伝統歌謡の特徴の通りだと思う。

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歌を挟みながら小劇のような形態で、徽劇というものだろうか。
多くの人が見入っている。

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小劇の中、北宋時代の古い井戸の存在に気付く。
干ばつの時にも枯れることがなく甘い水が湧いたのだという。

通り雨のように雨が通り、すぐに止んだ。
傘を差してまた閉じて、また振り出したらいやだなと去ることにした。

帰り路でまた思わぬものに出合った。

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「李公祠」、李鴻章を祀った祠の跡地だった。
説明を読んでみると、1901年に彼が死去したあと、功績を讃えて中国各地、北京をはじめ10カ所に李鴻章を祀る祠が建てられ、ここはその一つなのだという。
しかし1986年、都市建設に伴った必要性からここのものは取り壊されることになり、現在は壁が一枚残るのみなのだとか。

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また途中には、合肥の思い出とタイトルがつき、古い写真を紹介した壁?があった。
その中には古い合肥站のすがたも。
おそらく数年前十年前まではこんな小さな駅だったのだと思う。

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ふたたび李鴻章故居があったところまで戻り、その裏にある公園に向かった。
「逍遥津公園」である。

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中はごく普通の公園で、中国の公園によく見るように、小さな遊園地と化している。
ここに来たのは、ここが三国志ゆかりの場所だといわれているからだった。
合肥は三国時代、魏と呉がたびたび攻防を繰り返した場所で、それらは合肥の戦いと呼ばれている。
215年、呉の孫権が10万もの兵を率いて張遼率いる魏軍を攻撃したが、魏軍はわずか7000の軍勢で呉軍を撃退した。
ここはその時の古戦場跡につくられた公園で、この公園の三国志方面での主役は張遼のよう。
張遼の墓があるということで探しに来てみた。

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公園はかなり広くて、歩き疲れたところにひっそりとあった。
来てみれば、お墓を目的にしているからそれだとわかるものの、何の説明もなく知らなければただの土のふくらみ。

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けれども私のルートが逆なのだった。
お墓の裏-本当は正面―には古い石碑があり、字は読めないが張遼の墓だと記されているみたい。

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その裏-本当は正面-には、立派な門もそしてお決まりの珍獣の像も並んでいた。
珍獣の像の前では、親父さんがずっと鞭を振り回しており、怖くて近づくことができず。

付近には、孫権が馬で飛び越えて撤退したという飛騎橋というのがあるみたいだったが、胡散臭いなと思い結局行かなかった。
また三国歴史文化館なるものもあったが、開いていなかった。

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こうして公園でしばらく休み気づけば日は落ち、夕ご飯はどこで食べようなんてふらふら歩いて戻ってきたら、すっかり夜で、ホテルまで戻ってきてしまった。

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夕ご飯はホテル近くの、数席しかない小さなお店。
利発な感じの女性で、お客みんなに「どんな辛さがいい?」と訊いていたが、私は「どんな辛さって?」とわからず、辛い物は食べれると答えた。
頼んだのは香辣蟹、そして米麺とビール。

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その結果、激辛の蟹がやってきた。
しかしこの蟹、とても美味しかった。美味しいがすごく辛い。
辛いがうまい。
汗だくになり完食した。これで25元なのだから安い。

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ホテルの五階にはマッサージがあり、節約旅行を心に誓いながらも二日目にしてさっそく浪費してしまった。
90分で168元。浪費だ。
けれどもこのマッサージがとても腕がよかった。
とてもきれいな女性で、私が日本人だとわかると片言の日本語を話した。
十年前に三年間だけ仕事で日本に暮らしたことがあるのだという。
「私、日本人、好き」
数字の‟四”を日本語でどういうかわからなくて、「ヨン」だと教えると、そう言いながらふと気になった。
「ヨン」だけど、四つ、四個、四時、四十、四人、場合によって発音が違うことに気づいたのだ。当たり前のことなのだけど。
中国語を学習し始めたとき、一(yi、yao)や、二(er、liang)なんて発音の違いに戸惑ったけれど、日本語の方が複雑じゃないかと思った。
「日本語、難しい」
全然できないという彼女だったけれど、中国に帰って以来10年間日本人と出会う機会もなく日本語を使う機会もなかったのだという。
それなのにこうして単語が出てくるのはすごいなと思う。
「じゃあ、日本人のお客さんはここにはこない?」
そう訊くと、一人も来たことがないのだという。
「あなたが初めての日本人のお客さんだよ」
合肥を訪れる日本人は少ないだろう。
あるとすれば、三国志が好きな人や、私のような旅行者なのだと思う。
旅行していて、日本に思い出がある人と出会うことがある。
そんな時にもまた、旅の不思議な縁を感じるものだ。

〈記 7月1日 合肥にて〉

参考:
宿泊費 190元
李鴻章故居 20元
明教寺(曹公教弩台跡) 10元

18年38天旅行◇北京ー合肥 
北京ー合肥



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はじめまして

いつも楽しく拝見させtげいただいています。

会社の事業所が合肥に在るので出張に行き、合肥が好きになってしまいプライベートでも旅行へ行きました。
上海や広州のような大都市に馴染めなくて中級都市が大好きな私にとってはピッタリな街です。

夏休みに4日間で上海~武漢~长沙へ行ってきました。
私も1ヶ月くらいのんびり旅行してみたいです・・・。

Re: はじめまして

Kenさん、はじめまして!
合肥はたしかに大都市にはない素朴な雰囲気がありますね、かといって田舎でもなく、私もこの中級都市の感覚が好きです。
夏の武漢は暑かったのではないでしょうか、長沙はまだ行ったことがないですが、行きたい場所のひとつです。
今回の旅行記は長いですが、タイトルで回った場所がわかるようになっていますので、もしご興味がある場所がありましたらぜひ覗いてみてください(^^)

自分ル-ル♪

列車とバスの旅は慣れてしまうと以外と快適で時期(9月)と会話にある程度の神経を使えば最高の旅となるので禁断の領域に足を踏み入れたかなぁ~と思っています(^^) 自身も40日近く中国を放浪しましたが、失う物より得た物の方が圧倒的に多かったと思います。何より自分を見つめ直すギリギリの年齢だったせいか人生の転機点になったのは間違いがありません。

日本に帰ると夢の続きをいつか見たいと現実に向き合った頃を思い出します。その後の老婆との結婚、娘の誕生と人生が大きく変わりました。雲南で大里へ続く山岳地帯を下るバスは雨に煙る幽谷を下り続け、曇る車窓を手で拭いて眺めていると、ふと涙が零れました。翌日の大里は早秋の様な雲、一つ無い青空で蒼山とer海を望むと心の中にあった澱が霧散して行くようでした。あんな気持を経験することは二度無いだろうと思います。ブログにコメントを頂いた時、そんな気持で帰国していたならなぁとの思いがありましたが、その様であったと思われるので、ゆっくりと旅行記を読ませて貰います(^^)

Re: 自分ル-ル♪

toripagonさん、そうですね、禁断の領域に足を踏み込んでしまいました…。
今回は移動自体が目的で、こういう旅は初めての経験でとても有意義でした。また季節とルートを変えて同じような旅をしてみたいです。
人生の転機…この先どのようになるかはさっぱりわかりませんが、私にとってもひとつの区切りになったかなと思います。
収入がない状態で長期旅行にいくことに不安はありましたが、やっぱり行ってよかったです。
移動の列車から、車から、歩きながら、目に映るものすべてが自分のこころに染み入ってくるようでした。
忘れられません。
ブログのコメント欄には字数の限りもありお伝えしたいことがお伝えしきれませんでしたが、色々とご心配をおかけしまして、今回の旅を通して少なからずよい変化があったことをお伝えしたいです。
これからもまだ問題は山積みですが、乗り越えてみせる!と思ったり、めげそうになったり、まだまだですけど(^^;)

中国のチェックインと李鴻章…

中国のチェックイン
 欧米や日本引いては東南アジアより便利なのがア-リ-・チェックインが容易なことです。特に部屋に空きがあれば、早朝でも入れてくれ当然、免費です。レイト・チェックアウトは、免費とはいきませんが部屋に空きがあれば時間貸しに簡単に応じてくれます。この辺りは中国独特ともいえます♪
 合肥は、中国三大釜程ではありませんが夏の気温と湿度は日本人には想像を絶する程であったと思います。まるでお風呂場を服を着て歩いている感じだったのでは(^^) 福建で湿度80%、気温38度を経験して逃げる様に拘置に避難したことを思い出します。

李鴻章…
 日清戦争史で日本との外交交渉で登場する人物で近代史では合肥で最も有名な人物の一人です。英国の非道は阿片戦争を始めた理由にあります。中国の交易で輸出するもがないため、ビルマに宣教師を派遣して現地で芥子栽培を行い、中国に阿片を輸出しました。それに抗議した清朝を軍事力でねじ伏せ領土を無理矢理租借させ、列強はそれに乗じて中国を都合よく分割しようとしました。香港、マカオ、アモイ、上海、北京、大連等がそれにあたります。
 これを中国人は意外と知りません。本来、日本憎しと教育するより欧米により追い詰められた中国の実態と誤った方法でアジアを解放しようとした日本の相関こそを検証してこそ未来に繋がると思っているのですが、今の中国の政治体制では望むべきには非ずで悲しくなります…

Re: 中国のチェックインと李鴻章…

朝チェックインができるのは本当に助かりますね。通常の旅行ではあまり関係ないかもしれませんが、今回本当に助かりました。
あとは人や場所次第、交渉次第という場合もあるので、中国の緩さは時に私にとって大きなメリットです。

合肥、紹興と、行く前から「暑そうだな~」という予感はしていたんです。
やっぱり暑かった、というかやっぱり湿度ですよね。
toripagonさんの表現そのままで、まるでお風呂を服着て一日歩いている感じ。
風があれば少しは違うんでしょうけど、憎らしいくらい風がない。
日本も猛暑はきついですが、去年の重慶に引き続きこのような不快な暑さを日本で経験したことはありません。
変なことを言うようですが、この暑さを経験できてよかったです、今から思い返せばですけど。

近代に中国各地が租借された話ですが、私も兼ねてから疑問に思っていたのです。
抗日にあれだけ意識がいくのに、この時代各国に翻弄された出来事に対しては話題にあがることがないどころか、そんな歴史の足跡である西洋建築は今や人気の観光地で、結婚写真のスポットと化している。
もちろん日中戦争時に日本が行ったこととそれらの歴史は内容が違うけれど。
中国人はあまりこの辺りのことを知らないんですね…李鴻章の展示が、私が思っていたものと趣旨が違ったのは、その辺りに訳があったのかもしれません。

明教寺行ったことがあります。
中国に赴任中は週末に国内をウロウロしていました。
懐かしいです。
帰任後10年以上たちますが、また旅行に行きたいです。

Re:

スナフキンさん、中国に赴任されたことがあるんですね。
明教寺はたまたま通りがかって入ってみたのですが、三国志繋がりで訪れる日本人は少なくないみたいですね、その時は知りませんでした。
10年以上前ですか…きっと変化も大きいと思います。今また旅行されたら、もしかしたら変わってしまってがっかりすることもあるかもしれませんが、その変化をみるのもおもしろいかもしれません。
プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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