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2018-08-23

38日間周遊 〈4日目〉 紹興

2018年7月3日、昨夜合肥を出発した夜行列車。
下段ベッドだったので、ベッドに座りながらビールを飲んで、遅い時間まで暗闇の中流れる風景を眺めていた。
乗務員が起こしに来たのは5時半頃だった。
眠くて二度寝したくなる誘惑に耐えながら起き上がって荷物をまとめた。
次の目的地「紹興」に到着するのは6時14分を予定している。

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起きてみると部屋の中は隣のベッドの女性と二人だった。
上段の二人はすでにどこかの駅で下車していたみたい。
隣の女性は、「まだ時間あるから寝てもいいよ、声かけるから」と言ってくれた。
昨日はどろどろに汗をかき、服も下着もそのままだったから身体はひどい状態で、女性二人になったのをいいことに着替えさせてもらうことにした。
髪の毛が洗えないのはつらいけれど、身体を軽く拭くだけでだいぶ楽になった。

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紹興站に到着したのは定刻通りだった。
時刻は6時過ぎで、今夜はここに泊まらずまた夜行列車で出発してしまう。
その為、観光スタートまで休む場所もないし暇になる。
先にここで今夜の列車券を引き替えて、駅前の広場で化粧をしたり荷物を整理したり旅行記を書いたりすることにした。

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早朝にも関わらず、駅前にはすでにたくさんの人が集まり休んでいる。

紹興は浙江省の北部、日本人にも観光先として有名な杭州のすぐ隣。
もともとは臥薪嘗胆で有名な越の都があった場所である。

実はここ紹興で人に会うことになっていた。
今回の旅行は一人で一カ所一カ所奮闘していきたくそれが旅の目的だったが、中国人の友達たちはそれを許さない。
いつも化粧品を送ってあげているチャンイーの姪っ子さんは大学生で、今寧波にいる。
私はよくこの寧波にも日本の商品を送っているので彼女のことは知っていたが会ったことはなかった。
寧波は紹興のすぐ隣の都市だ。
大人たちの指令で彼女はわざわざ私のためにやってきてくれることになった。
急な話で昨夜のことである。
連絡先を交換して直接やりとりをしたのは真夜中だった。
私たちはお昼の12時に紹興で待ち合わせをして、彼女はそれに合わせて紹興行きの高鉄をとった。
私は朝自分のことをしたのち、黄酒博物館に立ち寄ってから彼女と会うことにした。

紹興といえば、どんな日本人でも知っている「紹興酒」である。
紹興酒があるからこの土地の名前を知っているといっても過言ではない。
逆にいえば紹興酒のほかには?といった感じになるかも知れない。

紹興酒は酒の分類としては‟黄酒”になる。
黄酒とは米を原料にして醸造される酒で、そのうち紹興周辺で醸造されるものを紹興酒と呼ぶ。
つまり紹興酒は黄酒の一種なのだ。
また黄酒のうち長い年月のあいだ熟成したものを‟老酒”と呼ぶ。
ただし日本人がもっとも身近なのは、紹興酒という呼び名だろう。
そういうわけで、ここ紹興に来て紹興酒や黄酒に触れないわけにはいかない。

黄酒博物館は紹興站から歩いてすぐのところにあった。
駅前の商店にキャリーバックを預けたあと、博物館に向かった。

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博物館の周辺には、古い生活スタイルをそのまま残す街並み。
平凡な表現だけれど、タイムスリップしてしまったかと思ったほど。
観光地として残しているのではなく、人々の営みとともに歳を重ねてきたような、そんな穏やかさがここにはあった。
水とともに生活する人々。
年代もわからないような古い橋が、そこかしこに残っている。

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「黄酒博物館」、入場は30元で、その中には試飲二杯分の料金も含まれている。

博物館は閑散としていて人もいないし、広い館内に展示もまばらでどこに向かっていいかわからない。
まず最初に入ってみたのは、酒の歴史。

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この辺りでは5000年も前には農耕生活の発達にともない酒の醸造が始まった。
しかしまた酒による問題も増え、周代には酒の醸造を規制するようになった。
酒池肉林、という言葉で有名なのは商(殷)の紂王。
伝説や史実の上では、酒に溺れ国を滅ぼしたことになっている。
その紂王を倒して周王朝建設に貢献したのが、釣りの神様で有名な太公望である。
ここには商、周、隋、唐、宋、明、清など各時代の酒器が展示されており、その違いは明確で視覚的に時代を感じることができる。
商、周の時代には、酒は儀式的な意味合いが強く、酒杯も三本足の鼎。
それが徐々に庶民にも広がり、日常的に楽しむものに変化していった。

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こちらは各地の黄酒について。
こうして見ると、紹興だけでなく各地に黄酒の産地があることがわかる。
紹興はその中心地で、ここには800を超す紹興酒のメーカーがあるのだそう。

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紹興酒のラベルの展示。
会稽山の名のものも。歴史にたびたび登場するこの山、紹興の郊外にあるけれど、残念ながら今回は立ち寄る時間がない。

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こちらは‟酒票”。
1960~80年初期、他の物資同様に酒も配給制だった。
この酒票と引き換えに酒を手に入れることができた。

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こちらはようやく黄酒の製造についての展示に。
米を水に浸しそして蒸す、その後発酵の過程に入り、圧搾し濾過したものを火入れして貯蔵する。

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米を蒸すところ。

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前発酵をしているところ。

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圧搾しているところ。

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火入れしているところ。

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こちらは現代の設備。

5月に青島のビール博物館を見学したばかり。
全然種類の違うお酒だけれど、使用する器具にも共通点があるなと思った。

このような基本的な製法の中でも、黄酒は四つのタイプに分別される。
一つは、「干黄酒」。
もっともベーシックな製法であり、中国でもっとも愛好されるタイプ。発酵を完全に行うので酒中の糖分が少なく、これが‟干”と名がつく由来。代表的なのは元紅酒。
二つ目は、「半干黄酒」。
発酵を完全に行わないため、酒中に糖分が残る。代表的なのが加飯酒で、米と麹を少し増して作られる。
三つ目は、「半甜黄酒」。
水を加える過程で、水の代わりに元紅酒を加えて作る。そのためアルコール度数は高めになる。代表的なのは、善醸酒。
四つ目は、「甜黄酒」。
水を加える過程で、水の代わりに麹と酒粕由来の焼酎を加えて作る。代表的なのが、香雪酒。

私は日本で飲んだ安い紹興酒がおいしくなくて、それ以来紹興酒が苦手になってしまった。
だからあまり興味を持ったことがなかったけれど、一言に紹興酒といっても色々な種類、代表酒があるのだと知った。

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こちらは、中国に残るもっとも古い黄酒。
1928年に醸造されたもので、紹興酒のある工場の増設の際に壁の中から発見されたのだそう。
実に90年前のお酒になる。
お酒は本来、口にするためにあるものだけれど、このお酒が飲まれることはないだろう。
いったいどんな味がするのか。
どれだけ味が芳醇で人を魅了させるものであったとしても、人の口に入ることがなければ役にたたない、そんなことも思うけれど。

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地下には貯蔵された土壺がたくさんあった。
暗くてジメジメした中で、少し不気味な感覚になる。

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貯蔵室から再び地上にあがってくると、手作り酒工房があった。
現代には工場の近代的設備で製造されるようになった黄酒だが、ここではおじいさんが昔ながらに醸造していた。
壺の中からくみ取り、味見させてもくれた。

その先にようやく、正式な試飲コーナーがあった。
青島のビール博物館はそうとうな盛り上がりだった試飲コーナーだが、ここは観光客もなく閑散としたようす。

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四つのタイプの中から二種類味見させてもらえる。
私が選んだのは、干型黄酒の元紅酒と甜型の香雪酒。

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色も違えば風味もまったく違う。まるで違う種類のお酒のようだ。
おつまみにつけてくれたのは、こちらの名物である茴香豆。硬い豆のお菓子。

お昼が近づいてきたので、寧波から来てくれるジューチーユーと待ち合わせに決めた倉橋直街へ向かうことにした。

途中、城市広場で古い塔を見つける。

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「大善塔」というそうで、南朝梁の504年創建とのこと。
急いでいたので通りがかっただけだけど、現代の風景の中で際立った存在感を放っている。

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やがて、昔ながらの雰囲気を残した倉橋直街へ到着し、ジューチーユーと合流した。
今まで会ったことがないと思っていた彼女だったが、実は4年前にコルラを旅行した時に顔を合わせていたことがわかった。あの時は名前もなにも知らず、大人たちの中でおとなしくしていたので、ほとんど会話もしなかったのだ。

大学三年生である彼女は若々しくて、一緒に行動するのがとても新鮮だった。
彼女はすでに夏休みに入っており、明後日帰郷するのだという。
お昼ご飯は、ここで彼女が決めておいてくれたお店にいくことに。
暑さもさることながら、ものすごい湿気で耐えられない。
冷房の効いたお店に入って、
「涼しい!」と二人思わず声を上げた。

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メニューはこのあたりの特色のものを三つ選んだ。
単包黄魚、黴干菜焖肉配夾饃、紹興酥魚。
少しだけ口に合わなかったけれど、せっかくの長旅、好きなものや食べたことがあるものよりも、新しい味に出合ってみたいと思い心掛けている。

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お店を出て大振りの雨にあたったが、雨はすぐに止み青空が見えるまでになった。
気温は30度を少し超すくらい。
けれど暑さを決めるのは温度よりも湿度。
40度近くなる新疆よりも、この不快感はとびぬけている。
冷房の場所から出て、一分も経たないうちに、全身水をかぶったようになる。
昨日もそんな一日だったのにシャワーも浴びていない。
汗をかけばかくほど、今夜も明日もシャワーを浴びることができないことに不安を感じるが、この日程を組んだのは他でもないこの自分自身だ。

歩いて向かったのは、「周恩来故居」。

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かの周恩来は江蘇省淮安の生まれで、父方の実家がここ紹興にあり、幼少期をここで過ごした。

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周恩来といえば、昨年の7月に訪れた重慶がまだ記憶に新しい。
あそこにもまた周恩来が暮らした建物や、政務を行った場所が残されている。
重慶には国共内戦や日中戦争の跡があちこちに残されており、私が見学した場所もみな、国民党との激しい争いや、日本と戦った、命を削るような厳しい時代を感じさせるものだった。
重慶の住宅は、周恩来にとってもっとも過酷な日々を送った場所だっただろう。
それに対してこの場所は、彼を豊かに育んだ場所。
ただ生活した場所というだけではなくて、人生の中で大切な意味を持つ場所だったに違いない。
それにしてもすごい部屋数で、「そうとうお金あったんだね~」なんて二人で話しては笑った。

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ここでは、1939年3月に帰郷した際に、30日ここで親戚や友人の一部と朝食をとったのだという。ずいぶん細かい情報だ。
私はなにより、こんな蒸し暑いところに生活してばてなかったのだろうかと、そんなことをずっと思っていた。
それは私自身がもうすぐにでもばてそうだったからだ。
重慶もすごい蒸し暑さで、あの時にもおんなじことを考えたものだった。
冷暖房など、恵まれた環境の中でそれに慣れてきた私は弱く、またそれらにすでに依存していることに気が付く。
展示物もほぼまともには見学しておらず、「暑くて死にそう」「こっちは少し涼しいよ」なんてそんなことばかり二人で交わす。

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周恩来の写真が、これでもか!という程展示されていたのは展示室に改装された二階。

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こちらは日本留学時代に撮影されたもの。

写真を見ながら、これだけの写真がありながら、周恩来の表情がどれも同じようであることに気が付いた。
穏やかな微笑。そこに激しい喜怒哀楽を読み取ることはできない。
歴史に残っている彼の行ったことや功績は、けっして穏やかなものではなく、相当な意思と情熱がなければこんな人生は歩めないなと思う。
けれども思うのは、内面もまたこの穏やかな微笑そのままだったからこそ、激動の時代の中を貫くことができたのではないかということ。
もしも内面が激しく燃え滾っていたならば、こうはいかなかったかもしれない。
周恩来が奇跡的なのは、実力を持ち重要な地位にいるにもかかわらず、排除されることなく最後まで生き残ったことだ。
生き残ることができた要因は、そこにあるのではないかと思う。
しかしまた、こうも思う。
穏やかな微笑は仮面で、熱情も怒りも悲しみも苦しみも決意も余りあり、それをその仮面で隠すしかすべはなかった。
朦朧とした意識の中、数え切れないほどの写真を流し見ながら、ぼーっと考えた単なる妄想だ。

周恩来はこのおじいさんの家に、1909年11歳の時にやってきてしばらく過ごし、育ち学んだ。
1946年アメリカの記者に対し、「自分の祖先は紹興にあり、自分もまた紹興人なのだ」と言葉を残している。


周恩来故居を出て、またしばらく歩いたところに今度は「魯迅故居」がある。
そこには魯迅故居や魯迅にまつわる史跡が集まるため、まとめて「魯迅故里」として観光客に開放している。

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魯迅はいうまでもなく、中国近代文学の先駆者であり思想家。
「ちょっと読んだことがあるけどね、難しくてやめちゃった」
私がそう言うと、
「多くの中国人にとっても難しいよ、私も簡単なのしか読んだことない」
ジューチーユーが言った。
「教科書には載っているけど、載るのは簡単な文章」
魯迅に対してそんな態度の私だが、上海の魯迅故居には行ったことがある。
あの時には、やっぱり来るからには多少は理解してから来ないと、なんて思って読んでみることを一度は決めたが、結局忙しいという口実にもとに放棄されたままだ。
この流れのままこの魯迅故里にくることになってしまった。

私がチケットを買おうとすると、
「身分証を提示すれば無料だよ」とジューチーユーが教えてくれた。
パスポートを提示してチケットを受け取る。
先ほどの周恩来故居も、ジューチーユーは学生証で無料だった。
愛国的な施設は観光客のふところに優しい。

まず入場したのは、「魯迅祖居」。
魯迅の祖先が暮らしたお宅。

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こちらは香火堂で、祖先を祀る。

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書斎はさすがで、本棚はこんなふう。
歴史が主だったのかな、時代ごとに引き出しがあるよう。

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こちらは浴室。
こんな蒸し暑さでお風呂がなければ川に飛び込むしかない。
「お風呂があるなんてお金持ちだね」
そんな話をしながら。
魯迅はもともとお金持ちのお宅だったのだな、と実感するお屋敷だった。
「私たち外国人は、こうやって観光して‟なるほど、中国人はこんなふうに生活しているんだ~”なんて思ってしまうけど、これは一部の人だよね」
「そうそう、お金持ちだけ」
「しかも、すごくすごくお金がある人!」

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魯迅祖居を抜けて次に向かったのは、「三昧書屋」。
魯迅の先生が暮らした家だ。

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こちらは教室。
魯迅の席は左の奥、壁際。

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「あのガラスがかぶせてあるところには、見えないけど字が書いてあるんだよ」
ジューチーユーが教えてくれた。
魯迅があるとき遅刻して先生に注意されたとき、遅刻はもうしないぞ、という意味で「早」という字を刻んだのだという。
もともとこの座席は入り口付近にあったが、生徒の出入りがあり勉強に集中できないといい、先生にお願いしてこの壁際に移動したのだという。
勉強熱心だった魯迅の逸話である。
魯迅は12歳から17歳までここで学んだ。

次はいよいよ魯迅故居。
清代に建設されたもので、のちに人の手に渡った際に大部分が改築されてしまったが、魯迅が生活した部分は手付かずに残っていた。
ここは改築されてしまった部分を復元して開放したものだ。

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魯迅は1881年9月25日にここで生まれた。
18歳に南京の学校に行くまでにはここで学び、またその後帰郷したあともここに暮らした。
思想的文学者で有名な魯迅だが、人間形成に重要な時期をこの場所で過ごしたという点で、魯迅ファンはぜひ訪れたい場所だろう。

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こちらが、改築されることなく残っていた魯迅の生活空間。

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この魯迅故居の裏には「百草園」がある。
家の裏に広がる農園というか畑で、幼い魯迅はよくここで遊んだという。
この百草園は作品中でも描かれているようだが、私は読んでいない。
読んでいないのだから語る資格はなく、写真撮影に励む中国人観光客をただ眺めるのみだ。

魯迅故里を後にして抜けてみると、また新しい観光バスが到着したことろだった。
次から次へと同じ色帽子をかぶった学生が下りてきて賑やかに騒ぐ。
先ほどの周恩来故居もそうだった。
ここは子供の学習の場所としても活用されている。

紹興は地味な街かもしれないが、実はすごい街だ。
周恩来故居と魯迅故里は歩いてそう遠くない距離にある。
また女性革命家として有名な秋瑾の故居もとても近い。
三人とも日本留学の経験があり日本との関係も深い。秋瑾は日本から帰国後に紹興に戻り、ここで処刑された。
中国激動期を生きその歴史に名を遺した彼らにとって需要な意味をもつ場所だった紹興。
三人が持っていたノスタルジーは重なる。
中国はこんなに巨大なのに、なんとも不思議だな、と思う。
彼ら以外にも有名人物を複数輩出しており、ここに来ればそれらの故居を訪ねることができる。

時刻は17時少し前で、目の前の銀行に電話番号変更の手続きをするために立ち寄った。
雨が降り止んではまた振り出した。
「この傘は中国で買ったものだけど、10元!」
私がそういうと、「寧波はしょっちゅう雨が降るから、安い傘じゃないとダメなの」
ジューチーユーもそう言った。
私がこのあと昆明に向かうことを伝えると、
「南方は湿気があるけど昆明はなくて過ごしやすいよ」
場所によって民族も習慣も違えば、気候も全然違う。
ぐるり旅の目的は、それを体感することにある。
不愉快な暑さに湿気だが、不愉快さも含めて旅の醍醐味であると思う。
これが西域に入ると今度は乾燥と格闘するに違いない。そんなのも楽しみだ。

ジューチーユーは21時の高鉄をとっていた。
市区から彼女が利用する紹興北站まではバスで一時間ほどかかるため、19時半にはお別れしようね、と話していた。
それまで少し時間があったので、歩き回って見つけたスタバに入り涼みがてらに休んだ。
汗をかくからなのか、喉が異常に乾いていたので最大サイズ。
まるでシャワーを浴びたようにびしゃびしゃな身体。
次から次へとしたたり流れ落ちてくる大粒の汗。
最大サイズのコーヒーでも補いきれないな、とそんなことを考えながらも。
ジューチーユーと過ごした一日はとても楽しくて、彼女は控え目でそんなに自分から話をするタイプではなかったが、私が話題をふると楽しそうによくしゃべった。
私は若い人が苦手で、友達も少し離れた年上が多い。
ジューチーユーは若さ溢れる今どきの女の子だったけど、なぜか苦手な感じがすることなく、居心地がとてもよかった。
「阿姨、阿姨、」(おばさん)
そんな風に呼びかけれれるのはあまりない経験で、友達の姪っ子だけれど本当の姪っ子と一緒にいるような感覚だった。
彼女は来年の6月に大学を卒業したあと、就職することなくまた学校に入るのだという。
日本は中国ほど勉強に対するプレッシャーがないんだよ、そんな話題でおしゃべりしながら、素直でまっすぐに育ち、いやいやではなく自ら進んで勉強に励む彼女は素晴らしいなと思った。

二人ともおなかはすいていなかったけれど、時間が少し怪しくなってきたので軽く食べに行くことにした。
「ダイエットになるし食べなくてもいい」
そう言った彼女だけど、学生の身でありながらわざわざ高鉄に乗ってやってきてくれた女の子をご飯も食べさせずに帰すわけにはいかない。

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選んだのは近くにあった麺のお店。
その後彼女と別れ、紹興站まで歩いて戻ることにした。

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途中で道に迷い入り込んだのは、昔ながらの建物が残る美しい路地。
「書聖故里」と名が付き、どうやらここは観光客も訪れる場所のようで観光案内の看板もあったが、それでも古い住居に今も変わらず人々が暮らす素朴な雰囲気があった。
建物の中を覗くと、食事している家族。ドラマの音声が漏れ聞こえてくる家もあった。

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住宅の扉は細長い板を並べて立てたもの。
並べる順番が決まっているのか、1、2、3、と番号が振られている。

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偶然出合うことができたのも、歩いていたからだ。
道に迷うのも悪くないな、と思った。

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無事紹興站へたどり着き、その隣にはお風呂の施設があるみたいだったけれど、時間が心配だったのでやめた。
駅構内へ入場し、商店で食べ物などを買い占める。
これから昆明まで、およそ30時間の列車旅。
明日はまるまる列車での移動となり、明後日の早朝にようやく到着となる。
大事なのはお酒だったが、小さな商店には白酒はなく黄酒のみだった。
ビールだと度数が低くて足りなくなるため強いお酒が必要で、黄酒を買った。
せっかくの紹興、でも小瓶があったのはこの湖北省のもの。
度数は35度、成分を見ると肉従容やクコなど漢方が添加されている薬酒だ。
(※あとから気づいたがこれは黄酒ではなく白酒の薬酒だった)

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ようやく列車に乗り込んだ。
紹興発、昆明行きのZ290次。

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始発は寧波で、二番目の駅からの乗車となる。
今まで10時間以上はあったけれど、これほど長い列車に乗るのは初めてだ。
長い列車で下段ベッドを確保できたのは幸運だった。
けれどもとても賑やかな家族と同じ部屋。
家族はモンスターな子供二人を連れていて、四人部屋に六人が旅を共にすることになった。
小さなモンスターは暴れ放題で、これからの30時間が少し不安になった。

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買っておいた二瓶の薬酒のうち、一瓶を開けて飲んだ。
ごとりごとり、と静かに振動しながら進む列車。
時々通り過ぎる灯り。
少なくとも私にとっては心地よい狭いベッド。
これほど贅沢な酒のつまみはない、とほろ酔いのなか思う。
深夜を過ぎてもおさまらない小さなモンスターを除いては。

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〈記 7月4日 昆明行き寝台車にて〉

参考:
荷物預かり 5元
黄酒博物館 30元
周恩来故居 18元
魯迅故里 無料
紹興―昆明行き列車 804元

18年38天旅行◇合肥ー紹興 
北京ー合肥ー紹興



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紹興酒…と昆明…

紹興酒…
 老婆の友人が杭州市でレストランを数店舗経営していて2年前に我が家ら遊びに来て以来、杭州に遊びに来てと熱烈にラブコ-ルされ去年、老婆と義母と娘が杭州を訪れ紹興市も訪れました。僕は第三国に抜けたのを知って旦那さんは随分と嘆いていて次回は必ず寄ってくれ言われています。
 僕は中国酒で圧倒的に好きなのが紹興酒です。昨今の中国人は料理酒として認知していますが、紹興酒は娘が生まれると仕込み、お嫁にでる時に開封する晴れのおめでたいお酒です。その製法は日本酒と同じですが、違うのは土中の亀で寝かせる古酒で日本には同種のものがありません。
 面白いのが土中に寝かせる事で色が琥珀色に変化し、黒糖に似た甘みと複雑な香りに変化し、酒精強化ワインの一つであるマディラ・ワインに似た風味に酒の奥深さを感ずる大好きなお酒の一つです。中国の古史に出てくる酒は、本来、米酒で蒸留されたものではなく寝かせたもので「老酒」となっています。日本の「清酒」と中国の「老酒(黄酒)」を比較して歴史同様に日本は若く、中国は老練で故に二日酔いも老酒が厳しいと書かれていました。老酒も白酒に押されて随分と廃れましたが中華に綿々と紡がれた文化の一つとして紹興酒や老酒があります。紹興市は未踏の地だけ今回の記事は旅心を刺激されます(^^)

昆明…
 紹興から昆明と羨まし限りです。北京から桂林までの長距離列車が最後で以後は高鉄ばかりで味気ない旅で本当に羨ましい限りです。テ-ブルのお酒が中々ワイルドで思わず笑みが溢れました。旅情をかきたてるのは風景と汽車の走る音、そしてお酒です。中国人女性は、一人でお酒を飲む人が多くないので驚きませんでしたか!?(^^)

Re: 紹興酒…と昆明…

toripagonさん、紹興酒お好きなんですか!
文章を読んでいるだけでもそれがよく伝わってきます。
私は最初に日本で飲んだのがダメだったので嫌いになってしまいましたが、その後中国語の先生の家で棗を漬けたものを少し飲ませてもらったらとても美味しくて。
一般にお酒は高ければ美味しいというわけではないですが、黄酒の場合は値段と味に少なからず相関性があるみたいですね。
今回博物館で、手作り工房のと試飲コーナーのと数種の紹興酒を飲み比べましたが、美味しいだけでなくその風味には複雑さがありました。
日本酒やワインもそうですけど、お酒の魅力がわかる人こそこうした複雑さに惹かれるのかもしれません。
一方で白酒は歴史が浅いうえに、とりあえず度数が高い酒が飲みたい!という人々の欲求のうえに普及したお酒かと思います。
それは歴史の混乱期や飢饉、貧困など、そうした歴史背景もあるため、一概に否定することはできませんが。
もちろんたいへん高価な白酒もありますし、鼻を抜ける芳香さにはよいお酒と悪いお酒とではまったく違う品があるとも思います。
しかし二锅头を始めとして非常に安くて手頃な白酒が、日常的には身近なところにあります。
私も安くて度数が高い白酒は便利でありがたいです。
一方で黄酒を飲みたい人は、本当に味の良いものを求めることが多いなという印象があります。
それはそのまま黄酒の魅力なのかもしれません。
今回残念だったのは、若い女の子と行動を共にしていたので、博物館の試飲しか楽しめなかったことです。
朝から夜までいろいろ味わい比べてみたかった思いもあります。

Re: 紹興酒…と昆明…

紹興から一気に昆明まで突っ切ってしまったのは、当初出来上がってしまった数カ月分もの旅行ルートを縮めるためでした。
そういう意味ではこの大移動はひとつの妥協でした。
でも30時間も列車に乗るのはそれでいい体験になりました。
これだけの長い移動にお酒はかかせません(^^)
おっしゃる通り、いつも様々な人に驚かれます。
二度見されたり、あなたが飲むの?なんて訊かれたりします。
ばつが悪い思いもありますが、そう、風景、列車の音、お酒、どれも旅にはかかせない重要な要素なので仕方ないのです…。
プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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