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2018-08-23

38日間周遊 〈24日目〉 嘉峪関

2018年7月23日、ゆっくりと朝起きてホテルを出たのはお昼近くだった。

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遅い朝ごはんを探しに歩いて、小さな食堂が数軒並ぶ場所を見つけた。
せっかくだからこの辺りの特色料理がいいなとうろうろしてみると、天水小吃と書かれたお店。
天水は同じ甘粛省の地名、ということでここに入ってみた。

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お店は夫婦でやっているもので、ここの特色はなにかと訊いてみた。
すると食堂の中にいたお客さんの女性はこのお店のなじみのようで、会話に入ってきた。
「酸っぱいのは大丈夫?」と訊かれ、大丈夫と答えると、「漿水麺」をすすめてくれた。

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それにおかずもつけて。
麺はさっぱりとしていて、かすかな酸味はあったもののそんなに邪魔にならない。
どちらかというと淡泊な風味だった。

お店を出て、大通りでタクシーを拾った。
今日の予定はみな郊外にあるので、自力で行く手段はない。
今日の目的地を示して、一通りで400元ということになった。
若干高い感はあるけれど時間がもったいないのでそのままOKした。

嘉峪関は小さな街で、すぐに街の外に出た。
道路の両脇に防砂林が続き、その外は荒涼とした大地がひろがる。

まず最初に向かったのは、「魏晋壁画墓」。
市内から北東へ20㎞ほど走ったところにある。
1972年から79年の間に、この一帯に13基の墓が発掘された。
13基のうち8基が壁画墓でその中で6号墓が開放されている。

車はある建物で停まった。
「ここでチケットを買っておいで」と言うので、チケット31元を購入した。
さて壁画墓はどこだろうと歩いていこうとすると、
「車に乗って、まだ遠いから送っていく」とのこと。
その通りで、ここから枯れたようなゴビ灘の道を走り、その中に小さな建物を見つけた。

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この建物が墓の内部に入っていく入り口で、その横にはこんもりとした山がある。
内部は撮影が禁止なので、写真はここまで。

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階段を下りていくと、冷房でもかかっているかのように急にひんやりとした空気に変わった。

内部は思ったより狭かった。
部屋は縦一列の三部屋の構造になっていて、先の二つの部屋は正方形の部屋で天井が中央に向けて少し高くなっていて、一番奥の部屋は手前の二室よりも小さく馬蹄形をしていた。
一番奥の部屋が棺が埋葬された部屋だろう。
部屋から部屋へ移動する時には、かなりかがまないと通れない。

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(展示室写真より、墓室内部出入口)

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(展示室レプリカより、墓室天井部)

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(展示室レプリカより、墓室壁面)

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(展示物より、天井部、床面に使用されていたタイル)

この墓室の特徴はなんといっても壁画だが、私が目を引いたのはレンガの組み立て方だった。
部屋の内部はすべてレンガが積み上げられてできており、手前の正方形の部屋の天井は少しずつ斜めにずらすようなかたちに積みあがっている。
また三室に入る前の入り口の空間は天井の高い馬蹄形になっており、そこに配されたレンガは立体的に彫り込まれ形をつくっている。
まるでレンガの配置自体が装飾のようだった。

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(展示室レプリカより、墓室壁面)

これらレンガには一つひとつ絵が描かれている。
これがこの墓のみどころだが、その一つひとつはたいへん簡易なもの。
色彩は白地に輪郭は黒、そこに茶褐色で色が加えられているが、茶褐色はおそらくもう少し違った色だったものが酸化などで変色したものではないだろうか。

壁画の題材は、牛を曳く人だったり、豚を屠るところだったり、また何かの生活をしている様子だった。
人が描かれたものがほとんどだったが、あまりに簡素なのでそれが何をしているところなのかわからない。
鳥や駱駝を描いたものもあった。
これらは手前の二室で、最奥の一室は少し印象が異なった。
人や動物を描いたものはなく、ただ縦横に線が引かれたものや、丸が三つ四つ、それからカマボコみたいな模様や、はたまた米印みたいなものもあった。
丸の数は対称には描かれていなくて、こっちのは三つ、こっちのは四つと言った感じ。
これらが何を意味するのかはわからないが、適当に描いてるんじゃないかと私は直感で思った。

壁画を出て、再び車に戻った。
運転手さんはまた先ほどチケットを購入した建物まで戻り、ここに博物館があるから見ておいで、という。
チケット売り場の正面には確かに、博物館の名前がつきながらもそれはちょっと大げさなんじゃないかという、小さな展示室があった。

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墓内部は撮影ができなくて残念だったが、ここには内部の写真やまた現物の展示、レプリカがあったのでそれを撮影することができた。

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展示物を見て、墓の中には遺物が残されていたことがわかった。

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また木棺の展示も。
木棺にもまた絵が描かれていたよう。

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こちらの模様もなぞ。何を意味するんだろう。

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棺に描かれていた絵。

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こちらはそれを再現したもの。

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またこちらは墓室のようすを断面で再現した模型。

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こちらは墓の分布を示したもの。
茶色くぶつぶつしているのはすべて墳墓。
左下の四角い集まりは嘉峪関市区で、上部に黄色く山形の線になっているのが長城。
ここには荒涼としたゴビ灘の中におよそ1400以上もの墳墓が散らばっているのだそう。
見渡せばただ枯れた大地がえんえん続く。
けれどもその下にはいまだ知られることなく眠っているものがたくさんあるんだろう。

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ゴビ灘をまた走り、やがて線路を越した。
この線路の脇にはひとつの烽火台が残っていた。
「これは二つ目の烽火台だよ」
運転手さんは教えてくれた。
次に向かうのは、「万里長城第一墩」。
明代に築かれた長城の西の一番端っこだ。
つまりこれから向かうところが、一番最初の烽火台、または一番最後の烽火台といってもいい。

チケット売り場に到着し、運転手さんは単独のチケットではなく他の観光地とセットになったチケットを買うといいと勧めてくれた。
この万里長城第一墩、それから懸壁長城、嘉峪関、この三カ所を回れるチケットで120元。
それから内部を走る電動カート台、15元。
運転手さんと一時間後に待ち合わせをして入場した。

中に入ってみると確かに電動カートが必要だった。
歩いても行ける距離ではあるが時間がもったいない。

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まっすぐに伸びる道、右側にずーっと向こうまで続くのは長城だ。
万里の長城といえば、北京の八達嶺が有名だが、いうまでもなくそれはほんの一部に過ぎない。
北方民族に備えて建設された長い長い城壁は、秦の始皇帝が作りましたと学校では習うけどもそんなに簡単な話ではない。
始皇帝が建設を始めたけれども、長い長い歴史の中で修復増築を繰り返した。現在目にすることができるのは、ほぼ明代に建設されたものである。
この万里長城第一墩は、その明代に築かれた長城に一番西端にあたる。
このえんえん向こうまで続く長城は、最後(または最初)の烽火台へのラストスパートのように、私には思えた。

電動カートを降りてみると、そこには地下に建物があるみたいだった。
入ってみると、展示だったり売店だったりがあり、その奥に展望室があった。

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長城は、北大河と呼ばれる河に面した絶壁で途絶える。
ここはその絶壁につくられた展望室だ。
床がガラスになっていて、この絶壁がいかに高度を持っているかを体感することができる。

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右手にぼこりとしている土の塊が、目的地である最後の烽火台、万里長城第一墩である。

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こちらは展示されていた模型。
上部に見える四角い囲みが、嘉峪関。
そこから長城は手前にのびて、この絶壁で途絶える。

ここから歩いて間もなく、この最後の烽火台はあった。
今ではただの土塊だ。

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この烽火台から長城はえんえん続くが、通路により断絶されている。
こういうところが中国はすごいなと思う。

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ここから電動カートを走ってきた道に沿って、ずっと向こうまで長城はのびる。
写真を撮っていると一人のおじさんに声をかけられた。
私の写真を撮ってくるので、ついでに私のカメラでも撮ってもらった。
おじさんは東北人のようで、一人旅で車を運転してここまできたそう。
私はタクシーの運転手さんと待ち合わせた時間が差し迫っていたので「もう行くね」と先に戻ることにした。

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入り口はかなた。

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こうしてまた二番目の烽火台を通過し、次に向かうのは「懸壁長城」。
先ほど万里の長城の西の果てを見学したが、長城はそのまま、複雑な動きをしながらも中国東部へ向けてのびている。
懸壁長城はその一部だ。
嘉峪関を中心に見ると、長城はそこから西北と南に向けて数㎞のびている。
南へ進んだ先にあるのが、先ほどの万里長城第一墩。
西北に進んだ先にあるのが、この懸壁長城だ。

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二番目の烽火台のすぐそばには線路が通っている。
線路を越して進む。

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ひたすら見渡す限り荒涼とした風景を走っていくと、やがて前方に険しい山が見えてきた。
この山にかかるのが懸壁長城である。
休憩にビールを一本がぶ飲みしたあと、万里長城第一墩で購入したチケットを提示して入場した。

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長城がかかる山は黒山と呼ばれる。
それもなっとくの黒い山。植物はほとんど生えていない。
鉄壁懸空、空にかかった鉄の壁のような急斜面にかかることから、懸壁長城の名がついた。

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長城は北京の八達嶺などほかの長城と異なり、レンガと土でできている。
長城の幅もせまく、二人並んで歩ける程度の幅しかない。

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左手を見てみれば向こうにも長城が続いていた。
一番角度が急なところで45度ある。
それでもそんなに長い距離ではなかったので、ほどなくしててっぺんまでたどり着いた。

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てっぺんで、先ほど万里長城第一墩で出会ったおじさんにまた出くわした。
おじさんは長城の反対側からやってきて、これから今私が登ってきた長城を下りていくそう。
このてっぺんから先は、頂上から逸れて山道を下っていりていけるみたい。

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長城を下りてタクシーの運転手さんと合流し、次に向かったのは本日最後の目的地「嘉峪関」。
嘉峪関は、市中心部から西へ6㎞のところに位置する、西の果ての関所である。

嘉峪関に到着して、運転手さんは言った。
「ここは広いから見るのに時間がかかる。ここで清算して好きなだけ見て帰るといい」
嘉峪関入り口にはタクシーがたくさんいるし、市区まで10元で帰れる。
だから最初400元のタクシー代と言っていたが、380元でいいから。
そういうことになった。
運転手さんをお別れし、いよいよ嘉峪関に入場。
その前におなかがすいて入り口の食堂で食事をとった。

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頼んだのは、蔬菜臊子麺。麺には野菜が使用されていて緑色をしている。
それに新疆のビール、烏蘇ビール。
これを指定で頼むと、お店の人は「新疆から来たの?」
「違うよ、日本から来たよ」と返すと、
「このビールを知っていたから新疆から来たんだと思ったんだ」
私は基本、現地のビールを探すが、中国どこであってもこの烏蘇ビールを見つけた場合、これを飲む。

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いよいよ嘉峪関へ入場。
共通券を提示して入る。

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内部は二重構造のようになっていて、外側を大きな大きな土壁が多い、その中に立派な城壁と建物があった。
外側の壁は当時のものそのままだということは見てかわったが、たくさんの観光客がその前で写真を撮ったりしながら触れている。
傷つけないで…、そう思う。
こういうことがあるから、近づけないような鉄策がやがてできることになるのだ。
かつて訪れた敦煌の玉門関も昔は策なんかなかったのに、私が行った時には策ができ近づくことができなかった。
鉄策があるのとないのとでは、感じ方や意義は全く違う。

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万里の長城は、秦の始皇帝が北方民族の侵攻に備えて建設した巨大建造物として有名だが、現代目にする形になったのは明代であり、この嘉峪関もまた明代1372年に建設されたもの。

万里の長城といえば、北朝鮮との国境の街、丹東にある虎山長城を訪れたのは4年前。長城の東端にあたる。
また虎山長城が発見されるまでは東端だと考えられていた、渤海に突き出た山海関の老龍頭は、2年前に訪れた。
嘉峪関が明代の長城の西果てならば、もっと西には漢代長城の西端がある。
甘粛省の西端にある玉門関近くには、荒涼としたゴビ灘の中にかろうじて残る土塊が残っていた。こちらは5年前の敦煌旅行で訪れた。
漢の武帝は、衛青と霍去病の両将軍の活躍により匈奴討伐に成功し、漢は河西回廊を掌握しこの長城を建設した。
また万里の長城ではないけれど、南にも長城遺跡が残る。湖南省と貴州省の境にある南方長城で、苗族の氾濫に備えて明代に建設された。こちらは去年に訪れた。
中国各地に広がる長城の広大さ規模の大きさは、そのまま王朝支配の大きさを表す。

東端にある渤海に突き出した山海関からこの西端の嘉峪関までは、実に6000㎞もの長さがある。
この嘉峪関は、まさしく西の果てだ。
南の祁連山脈と北の砂漠に挟まれたルートである、河西回廊。
東西1000㎞にもわたる河西回廊の西にあり、山脈と砂漠の間に幅15㎞というところに建設された関所が、この嘉峪関だ。
当時ここには400人もの兵士が常駐していた。

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こちらは内部に入って、ある門の側面を写したものだ。
ここには一つの物語が紹介されていた。

昔ここにはとても仲の良い燕の夫婦がいて、いつも二羽で行動していた。
しかしある日、食べ物をとりに外に出て帰って来ようとする時、ちょうど閉門の時刻になり門は閉じられようとしていた。
急いで城内に入ろうとし、まず先にメスが扉を越した。
続いてオスが門を通過しようとしたとき、ちょうど門は閉じ、オスは激突して死んでしまった。
メスは悲しみのあまり毎日鳴き声をあげ、やがて死んだ。
それ以降、ここで燕の鳴き声がするようになった。
人々はここを出る時に壁を叩き、そのとき燕の鳴き声が聞こえたら無事に帰ってこれる、そんな伝説が生まれたのだという。
たしかにここにはたくさんの燕がいて、鳴き声を上げながらすいすいと飛んでいくのを見た。

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こちらはバリアフリー、ではなくて当時馬や戦車が城壁の上に登るためにつくられた道。
右側は観光客の為に用意された現代の階段だ。
この坂道はかなり急で、馬も戦車も登れたのかと思ってしまう。
敵が城内に入ってきた時には、上から武器を転がして攻撃することもできたのだそう。

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照りつく日差しはもう西日になりかけていた。
日差しの強さとは対照的に、遠く向こうには雪山がそびえている。

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いくつかの場所は補修中ということで閉鎖されていた。
そしていたるところで調査活動のようなことをしている若い人たち。
大学生ではないかと思う。
測量したり記録したりしながら真剣な表情で作業に取り組んでいるすがたに、史跡保存に問題を抱える中国も、このような若い人たちがいるならきっと大丈夫、そんなふうに思った。

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この嘉峪関、ある一人の技術師、易開占という人が設計したものなのだという。
設計は非常に精密に計算されたものだったが、彼が算出した数量のレンガで作り上げたところ、たった一つのレンガが余った。
人々は易開占の功労を称えるためこの一つだけ余ったレンガを保存して飾ったのだという。
しかし保存されていたとう門に行ってみたが、内部は荒れていて、レンガを見つけることはなかった。

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西日を受ける嘉峪関。
これでももうすぐ20時という時刻だ。
ここは21時過ぎてもまだ明るい場所。
先ほどの運転手さんも、ここは21時まで開いているからゆっくり遊んでおいで、と話していた。

こうして、長年のあこがれだった嘉峪関に後ろ髪ひかれながらも、帰ることにした。

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ホテルに着いて遅い夜がやってきた。
けれども嘉峪関で食べたのが効いておなかがすかないので、食べに出るのをやめた。
ジャオユーさんが持たせてくれたワインを飲みながら、やがて日付は変わり。
おなかがすいてどうしようとなった時、すでに市街は真っ暗で、食べ物を買いに行く場所もない。

〈記 7月29日 呼和浩特にて〉

参考:
宿泊費 348元
魏晋壁画墓 31元
嘉峪関・万里長城第一墩・懸壁長城 セット入場券 120元
タクシー代 380元

⇒ 38日間周遊 〈25日目〉 酒泉 へ続く

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Author:まゆ
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中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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