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2019-01-02

15日南方周遊〈2日目〉 上海

2018年12月12日、本来は上海に到着したらそのまま夜行列車に乗って次の街に移動するつもりだった。
けれども列車の時刻が合わず上海に一晩泊まることにしたのだった。
二日目、ゆっくり起きてお昼頃ホテルをチェックアウトし、フロントに荷物を預けて出発した。
今日は18時前の列車で、上海南站から次の目的地である江西省の九江へ向けて出発する。
それまでの半日の時間は、上海を軽く観光してみる。
上海は多くの観光客が訪れる中国一番の観光地でありながら、私は無知に等しい。
昨晩もこれしか知らないというように、何度か来たことのある外灘へ行ってみた。
そして今日、どこを観光しようと考えた時にどこも思いつかない。
ガイドブックを開いてみてもいまいちやる気が起きず、それでも行ったことのない旧フランス租界地区へ行ってみることにした。

ホテルは地下鉄1号線の新閘路站すぐ近くで便利。
ここから1号線に乗って陝西南路站で下車。
この陝西南路からデパートが建ち並ぶ淮南中路を東に向かって歩いていくと、やがて右手に街路樹が建ち並び少しひっそりとした思南路が見えてくる。
思南路へ曲がっていくと、その先には洋館が建ち並ぶかつてのフランス租界地が広がっている。

上海自体が西洋と中華の融合のような都市だけれど、ここはひときわ西洋色が濃い。
おしゃれなお店なんかもちらほらして、そんな中で目を引いたのは。

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「一時的な愛は 一世の付き添いには及ばない」
なんだかぐさりとくるような不思議なメッセージでどきりとした。
それでいて、よくわかるようなわからないような。
実はここはペットショップなのだった。

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ちょっとレトロな雰囲気のレストランが二軒並び、気になって足を止めた。
ちょうどお昼でおなかも空いている。
どちらにしようかなと、手前のお店を選んでみた。

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お店の中はとても込み合っていて、順番を待っているお客さんも少なくなかった。
なんだか有名店みたい。
これでは一人客は敬遠されるかなと思いきや、店員さんは快く招き入れてくれた。
それで導かれたのは、すでにお客さんのいるテーブル。
相席だ。
これはますます人気店の匂いがする。

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メニューはたくさんありすぎて選べなかった。
他のテーブルを見てみると、これがほんとうにどれもおいしそう。
でもそれがメニューのどれなのかさっぱりわからない。
中国でメニューを見る時、私はいまだに困る。
材料や、炒めるとか焼くとかそこらへんまでしか想像できないので、出てきてようやくどんな料理かわかるといったことも多い。
けれども今日はいつもよりも、もっとわからない。
なんでだろう、と思い気が付いてみると、店内の中国語はすべて繁体字なのだった。

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漢字には、簡体字と繁体字と、それから日本人が使用する漢字がある。
簡体字は、近代中国が人民の識字率を上げるために考案した画数の少ない簡略化された漢字で、現在中国大陸で用いられている文字のこと。
これに対して、もともと使用されていた画数の多い漢字が繁体字で、現在も香港では使用されている。
日本人が使用する漢字は、画数の複雑さでいえば、簡体字と繁体字の中間くらい。
多くの日本人からしてみたら、繁体字の方がなんの漢字かわかりやすく親しみやすいかも知れない。
けれども私は違うのだ。
繁体字は肌に合わず、中国語が繁体字で表されるとさっぱりわからなくなってしまう。
メニューはすべてこの画数の複雑な繁体字で書かれていたため、ただでさえわからないメニューがもう完全にわからない。
繁体字は簡体字が生まれる前の文字であるため、それだけでレトロ感がある。
このお店はレトロさを演出したようだったので、そういうことで繁体字を使っているのだろう。
このメニューには英語表記もあったため、それを必死に読み、鴛鴦炒飯というのを選んでみた。
英語表記には、チキンのクリームソースとトマトソースの炒めたライスと書かれている。
炒飯にソースとはいったいどんなものだろう。

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出てきたのはこちら。
見た目はまるでドリアのようだけれど、焼いてはおらず、定番タイプのチャーハンの上に半分半分でクリームソースと、天津飯にかかっているような餡ソースがかかっている。
中国では、たとえば火鍋のように、赤白の二色を鴛鴦と表す。
なるほど、こういうことか。
クリームソースにはチキンではなく海老が代用され、赤いソースの方はメニューに書かれたトマトソースではなく中華餡だった。
これが意外にもとてもおいしい。
相席相手が変わり新しく同じテーブルに座った老夫婦もまたメニューがわからないようで、「わからないね」なんて試行錯誤しながら私に「それはどれのこと?」と訊いてくる。
一緒に頼んだミルクティーは、食事には合わないながらもおいしい。

他のテーブルを覗くと、パン系の料理を頼んでいるお客さんも多い。
ここはどうやら、中華風洋食屋さんみたいだ。
日本にある昔ながらの洋食屋さんみたいに、中国で独自に発展した洋食みたいなふう。
サンドイッチやカレーなんかのメニューもある。

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厨房には輸入品の缶詰が積まれ、なぜか出前一丁も。
CHA‘S RESTAURANT、あまり肌に馴染まない上海で、思いがけずまた立ち寄ってみたいと思えるお店に出合った。
ソースがけチャーハンはグラム数にして400gもあったため、おなかは苦しくて夕飯は食べれないだろうなと覚悟した。

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隣のお店も繁体字のお店。
やっぱり複雑な繁体字は抵抗感がある。

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思南路を進んでいくと、徐々に洋館が増えてきた。
1900年代前半に建築されたかつてのフランス高級住宅街だ。
中国の他の租界地でも思うのだけれど、この歴史建築に今は普通に住民が暮らしているからすごい。
それではさぞやお金持ちがと思えば、そうではなくてごく普通の一般市民が入居し、普通に洗濯物が干されている。

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この時代のフランス建築には、壁面に小石を埋め込んだものが多かったのかな。
こうした壁を持つ洋館が多かった。

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クラシカルな雰囲気のおしゃれなカフェも。
クリスマスをもうすぐに控え、さらに雰囲気を演出している。

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そうして歩いていくと、思南路と香山路がぶつかる交差点左手に「上海孫中山故居紀念館」という標識が目に入ってきた。
ここはあらかじめ立ち寄ってみたいと思っていた場所だった。
ここから立ち入ろうとすると、門番が「あちらから」と右手の建物を指した。

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ここからチケットを購入し、展示室へと進む。

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入館すると、こちらの洋館へ。
入り口には孫文の像。
洋館の内部は孫文にまつわる様々なものを展示した展示館となっていた。

孫文は日本でも知らない人はいない中国を代表する歴史人物。
革命の父として、現代中国にあっては英雄的な存在で愛国の象徴でもある。
ここはその孫文と夫人の宋慶齢が晩年1918年から24年にかけて暮らした場所である。

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こちらは当時の上海の地図。
S字に流れる黄浦江を境に、左側が外灘があるこちら側。右側が東方明珠塔はじめ巨大ビル群が有名な夜景を作り出す浦東エリア。
もちろんのこと当時にはそんなものはないが、昨日見た外灘の石造り西洋建築はこの当時のものだ。
よく見ると、公共租界、法租界などと書かれ色分けされている。
現在いるこの場所は、この法租界のなかだ。

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こちらは並べられた不平等条約。
イギリス、アメリカと並んで、日本のものも。
清末期、王朝内部は崩壊寸前、諸国はずかずかと足を踏み入れてくる、混乱と破滅の真っただ中にいた。

現代中国の礎を築いた孫文。
ここには孫文の私物や書簡、孫文を報じた新聞記事などが展示されている。

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こちらは孫文が実際に使用していた医療器具。
孫文はもともと医者だった。
この医療器具は、孫文がマカオと広州で医療を行っていた時に使われたものなのだそう。

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孫文は、1918年当時勤めていた大元帥の職務を辞してここで暮らし始めた。
洋館の玄関には、青天白日の旗が確認できる。

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1925年3月12日、孫文は癌で亡くなった。
これは孫文の死去を報じた当時の新聞。
とても大きく報じられているのがわかる。

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こちらは孫文を埋葬した時のもの。
南京の紫金山に陵墓を建設し、そこに遺体を移したときのものだ。
この陵墓は数年前に訪れたが、地中に埋められた棺の姿は別映像で見ることができた。
とても巨大な陵墓で、登り切るだけでたいへんだったのを思い出す。
現代にあっては南京を代表する観光地で、もともとがこんなに開けた場所だとは思いもよらなかった。
それにしても、埋め尽くすような人の数だ。

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孫文が死去し、その後も宋慶齢はこの屋敷に暮らしたが日中戦争が勃発し、彼女はここを離れ香港、重慶に移り、そしてこの屋敷は国民政府に寄贈された。
この書簡は、45年末に宋慶齢の秘書がこの屋敷の管理について代筆し送ったものだ。

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こちらは毛沢東の文言。
一部の反発分子を除いては、すべて孫文の革命事業の継承者である。前置きが現代中国を表しているなと思い、思わず立ち止まる。

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展示は階上にも続く。
二階には宋慶齢にまつわる展示が多かった。
孫文は一度親の決めた結婚をしたが、そののち離婚しすぐに宋慶齢と結婚した。
孫文が日本に暮らしていた時のことだった。
お互いに高め合う関係だったことが伝わってくる。

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こちらは、上海と友好都市関係にある長崎県の知事が2016年に寄贈した孫文夫妻を描いた壺。
実は数日前に、運転で静岡から九州長崎まで行き帰ってくるという一週間旅行をしたばかりだった。
長崎では現地で落ち合った友人がトルコライスを食べたいということで向かった先に、九州でもっとも古いという喫茶店があった。
そこには思いがけず孫文記念碑が。
どうやらこの喫茶店は、かつて孫文を指示した新聞社があった場所のようで、孫文は長崎を九度訪れているのだそう。
そういう背景があってのこの壺ではないかと思う。

ちなみに、日本では孫文の名が一般的だが、中国では孫中山の呼称が使われる。
中国にはどの都市にもあるのではないかというほど、どこにでも中山公園だとか中山広場だとか、中山路なんてのがあり、公園であればたいていそこには孫文像がどうどうとしているが、この中山は孫文を意味するものだ。
中山なんて、なんだか日本の中山さんみたいだね、なんて思うけれど、実を言うと本当に日本の中山さんだ。
孫文が東京に滞在していたとき、ある時ある表札を見つけたという。
それは、中山さんのお宅の表札だった。
孫文はそれを見て「いい名前だ」と気に入り、それから中山を名乗るようになったのだという。
私は中山広場の中山を、日本語読みの時には「ちゅうざん」と読むけれど、時々「なかやまこうえん」なんて読む人に出会うと、違うよ「ちゅうざん」だよ、なんて思ったりもする。けれども由来を考えれば「なかやま」の方が正しいのである。

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この展示館を抜けると、その隣に孫文夫妻が暮らした洋館につながり、見学することができる。
当時の生活を再現した展示となっており見ごたえがあったけれど、残念ながら撮影はだめ。
寝室、書斎、友人と語らった部屋、応接室なんかが展示され、いかにも洋館といった部屋の数々は、孫文の国際性を表しているみたいだと感じた。

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こちらは館外に出て、背面から撮影したもの。
ここが出口となり、門番のいる門から思南路へ戻った。

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ここから先は、観光地としてきれいに整備された洋館エリアが広がる。
その一つひとつはスタバなどのお店が入店しているようだけど、閑散としている。
総称して思南公館と名付けられている。

洋館が建ち並ぶ道を進んでいくと、観光バスが停まり大量の観光客が下りてきた。
ここは周公館、かつて周恩来が上海滞在時に利用していた場所である。

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愛国施設だからか、入場は無料。
観光客とともに私も入場する。
時間をおけばよかったと激しく後悔しながら。

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こちらは撮影OK。
入り口入ってすぐ左手には応接室。
共産党幹部などがたびたびここに集まって会を開いた。

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周恩来の寝室。
ベッドの横に置かれた古い革製のかばんは、周恩来が20年以上にもわたって実際に使用したもの。

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陽射しが差し込む明るい廊下の先には、思南路の街並みが見える。
実はこの思南路はさんで対面には、かつて病院だった洋館があった。
見える洋館のどれがそうだったかはっきりはしなかったけれど、それは当時病院で、その実そこには共産党と対立する国民党の特務機関が設置した監視場所だった。
監視の対象はいうまでもなく、この屋敷。
すぐ目の前でどうどうと監視していたのはすごい。
昨年の夏には重慶を訪れ、周恩来の故居や共産党の事務所棟など国共内戦の激しさを伝える史跡をいろいろと見学した。
山の中に建つ事務所棟の向かいの山にはまたそこにも、国民党の監視拠点があったのを思い出した。
他にも監視拠点は多々あり、そういう時代だったんだなと改めて感じたものだった。
現代もさまざまな問題はあるけれども、当時のような戦争がないだけ平和な時代になったのかなと思う。
目に見えない戦争はすがたを変えて現在も存在するだろうけども、それでも銃の乱射が絶えなかった時代はすでに歴史の出来事になったし、この先もきっとそうだと信じている。

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階上には、共産党の工作員が寝起きする寝室兼事務所が三部屋ほど。

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その中には、幹部である董必武の部屋も。
室内に洗面台があったりなどと、他の部屋よりも設備が整っている。
しかしこの部屋、北を向き部屋もそう広くなく、当時工作員たちは董必武に部屋を移るよう提案したが、彼はそれを断りここを利用し続けたのだという。

ここから先はもう見るものがないなと、思南路を陝西南路站まで戻ることにした。
その途中で右手に見えたのは、復興公園。

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覗いてみるとごく普通の公園だが、バラ園などがあり若干西洋風の趣がある。
ここはもともと、1909年一帯を租界としていたフランスによって造られたフランス人のための公園だったのだそう。
当時はフランス人以外の立ち入りが禁止されていたのだとか。
季節が違えば、バラが花開きあざやかなのだろうな。

こうして再び地下鉄でホテルまで戻り、フロントに預けていた荷物を受け取り、またまた同じ地下鉄2号線で、次の目的地に向かう夜行列車に乗るべく上海南站へ。

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引き換えた切符は、江西省の小さな街、九江へ向かう夜行列車。
17時43分に出発し、およそ10時間かけてなんと深夜の3時半に到着する。
困った時間帯だが、仕方ない。

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上海の駅は大きくて近代的で新しくてきれい。
好みかどうかは別として、快適であることは間違いない。
けれどもそんな最新の駅が、待合席にあったコンセントに充電コンセントを差し込むと、反応なし。
他のお客もそこにコンセントを指しては、悪態をつき抜く。
それを見て、近くにいた人が、「使えないだろう」と言って笑い話しかけてきた。

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待ち時間に商店で購入したのは、お酒。
日本系列の、朝日とサントリーの中国版と、何度も飲んだことのあるこの白酒は四川のものだ。少し大きめサイズ。
朝はめちゃくちゃ早いが、夜は長いのでお酒はかかせない。

まずは先にビールを飲んでいると、うっかり、もう改札が始まっていた。

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乗車するのは上海南站発の、襄陽東行き。
深い緑色の車体に、大好きな列車旅が始まったな~と嬉しくなる。
私が人生において一番たのしかった旅行は何かと問われれば、ためらうことなく今年の夏に行った38日間の列車旅をあげるだろう。
今回の旅は楽しみだけど、思い入れや準備、状況を含め、あの時の旅とは比較にならない。
おそらく今後も、あの38日間を超える旅行はできないのではないかという予感がある。
あの時の旅を思い出し、今回の旅の出発がすこし萎んだ。
一つひとつの旅がかけがえのなかった私。
それはいったい、どこへ行ってしまったんだろう。

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今回手配した夜行列車は、残念ながらすべて上のベッドになってしまった。
これは運みたいなものだから仕方ないけれど、上と下とでは、快適さやできること、楽しみが全然ちがう。
下のベッドであればテーブルがあるから、流れていく景色を見ながら旅行記も書けるし他の作業もできるし、食事もできる。
通路を見ると、簡易椅子の前には車両によっては備えがある小テーブルもなかったから、私は旅行記を書くのを諦め、通路の椅子で酒飲みを始めることにした。
お昼に400gのソース炒飯を食べおなかが空かなかった私は夕食をとっていなかった。
それでも夜が更けて口が寂しくなり、車内販売でカップラーメンを買い食べた。
流れていく景色を見ようと窓を覗きながら、けれども明るい車内の照明が反射して、よく見えなかった。
夏の、あの時の、夜行列車での高揚感がない。
私、どうしてしまったのだろう。
どんな旅でもわくわくでいっぱいだったのに。
失恋旅行として始まった今回の旅は、それを迎える頃になり立ち直り、目的が少し変わったみたいだった。
でも始まって気づく。
やっぱり立ち直ってはいないのか、私。
飲むしかない。
そうして一口を若干多めに白酒を飲み続け、たぶん日付が変わる頃にベッドに上がり何度が目が覚めた記憶の次は、軽い痛みをともなう飲み過ぎた感覚と、間もない到着を告げに来た乗務員の叩き起こしだった。

〈記 12月13日 九江にて〉

参考:
昼食(ソースがけ炒飯、ミルクティー) 72元
孫中山故居紀念館 20元
周公館 無料
上海南 → 九江行き列車券 274元


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ちょうど私も、乌镇に行ったついでに、12月4日に孫文故居行きました。偶然ですね。
周冬雨と金城武の映画「喜欢你」のロケでも使われた武康大楼と、その近くの上海プロパガンダポスターアートセンターも。
プロパガンダアートセンターは面白かったですよ。上海で時間余らせた時はぜひ行ってみてください。

Re:

shantianさん、烏鎮へ行かれたんですね、気になりつつも私はまだ行ったことがないです。
プロパガンダアートセンター、名前からしておもしろそうですね。
上海はどうも都会過ぎて肌に合わないのですが経由することが少なくないので、情報ありがとうございます。
まだ手続き中なので確定ではないですが、四川で働くことになりました。
今後は北京を利用することはほとんどなくなり、上海経由が多くなりそうです。
プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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