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2019-01-02

15日南方周遊〈3日目〉 九江

2018年12月13日、通路の簡易椅子で白酒を飲み、不覚にも酔っ払ってしまった。
乗務員が大きな音をたてドアを開け、掛布団をバンバンと激しく叩いた。
驚いて飛び起きると、二日酔いというほどでもないけれどわずかな頭の痛みと身体のだるさに、乗り過ごしてもいいからこのまま横になっていたいという誘惑がふと沸き起こる。
けれどもそんなわけにもいかない。

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定刻通りに列車が九江に到着したのは、まだ夜まっただ中の3時半。
肌を刺すような冷気が心地よくて、だるさが和らいだような気がした。

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九江で下車した乗客は少なくなかったようで、乗客目当てに待機していたタクシーの順番が回ってくるのに少し時間がかかった。
予約してあったホテルは観光に便利な湖のすぐ近くにある、百嘉洲際酒店。
小さな田舎街にあって高級感のある大きくてきれいなホテルだった。
フロントに訊ねると、チェックインを受け付けられるのは朝6時からということ。
そんなに早くから受け付けてくれるのは本当にありがたい。
それでもまだ一時間半もあるので、ロビーのソファーに倒れ込んだ。

暖房が効いているとはいえ眠りに落ちるには寒く、時計を見ては毎度、5分しかたっていないことにがっかりしながら、6時にようやくチェックインした。
部屋は広くて、小さな窓の向こうは真っ暗だったけれど、その暗がりにそこに長江が広がっていることがわかった。

九江という名前を知る日本人は少ないだろう。
中国に興味がなく、また関りがない人であればまず耳にしたことはないのではないだろうか。
九江の名は、その字のごとく多くの川が集まる場所という意味を持つ。
江西省の北のてっぺん、安徽省と湖北省の三省が交わる付近にあるこじんまりとした街だ。
北部には中国を代表する大河である長江が流れ、南部には中国最大の淡水湖、鄱陽湖を有する、かつて水運で栄えた街である。
観光の拠点となるもっとも賑やかな場所はというと、市区中心部に広がる湖、甘棠湖、南湖の北側、東側のエリアで、そのすぐ北側は長江だ。
市区には見どころは少なく、またそれらもこの周辺に集まっているので、私はこの甘棠湖と長江の間にあるホテルを選んだ。

あまりの身体のだるさに、午前中は観光を放棄することにした。
シャワーを浴びることも化粧を落とすこともせず、荷物を置き暖房を全開にかけて、ベッドに倒れた。
目覚ましは10時半にかけた。
目が覚めてまだ眠いわけでもないのに起き上がる気力がない。
それでもようやく起き上がりシャワーを浴び化粧をし支度が整ったのはちょうどお昼。

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窓の外は数時間前の暗闇の正体があった。
かすんで対岸がおぼろげな長江がどうどうとしている。
急におなかが空いてたまらなくなり、観光にというよりは早くなにか温かいものが食べたくてホテルを飛び出した。

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ホテルから長江と反対側に向かってみると、すぐそこには甘棠湖がかすんでいた。
すぐそこには、今日の観光目的の一つ煙水亭があるはずだったので、腹ごしらえの前に寄ってみることに。

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こちらがその煙水亭。
亭というよりは、湖に浮かぶ小島のよう。
ところが。

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今年の10月15日から来年の1月末まで改修工事により非公開になっているとの告知が。
私はそういう運を持っているのか、ちょうどのタイミングで改修中というのに出くわす確率が本当に高い。

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仕方ないけれど入り口までは行ってみようと渡しを進んでみると、閉ざされた門には手書きの閉館案内。
よくよく見ると、丁寧に輪郭の下書きまでされている、のにどうしてか完成度の低い文字たちである。

この煙水亭、もともとはかの呉の武将、周瑜が水軍の指揮台を置いた場所である。
その後唐代に白居易がこの地に左遷された際に亭を建てた。
白居易の琵琶文の一文「別時茫茫江浸月」から取り浸月亭と名付けられた。
北宋時代には理学家、周敦頤が九江で講義をしたときに別の亭を建て、「山頭水色薄篭煙」と詩を詠んだことから煙水亭の名がついた。その後二つとも破壊したが、明代に浸月亭の跡地に亭を再建し煙水亭の名を付けた。
亭がなんとかよりも、日本人にとっては周瑜の指揮台跡地ということの方が興味を引く話かもしれない。

煙水亭を諦めて、早くなにか食べることにした。
温かい汁ものがいいな、それだったら麺だ!そんなふうに思いながら歩いていると、ワンタンのお店を見つけた。
実は初日の上海で、食べようと思い悩みに悩んだあげく食べなかったワンタンだった。
牛肉麺を食べたあのお店は福建人のお店で、メニューにはワンタンもあったのだ。

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ここのお店は「老上海」と銘打っている。
上海から来たばかりだけど、そんなのは関係ない。
今回の旅は名物にこだわらず、食べたいものを食べたいときに食べたいだけ食べよう、と決めた。

ニラが入っているのやキノコが入っているものなどがある中で、シンプルに肉餡のワンタンを。
サイズは大中小とあるけれど、中を選んだ。
ワンタンをゆでる男性がとても愛想がよかったのも、このお店を選んだ決めてになった。

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熱々をほおばった口からは湯気が漏れる。
至福を味わいながらも、四川で大好きになった抄手を思い出した。
ワンタンと抄手とではどこが違うのか説明を忘れたけれど、違うことは違う。
そして私はそのどちらも大好きだ。
今回の旅では途中、ふたたび成都に立ち寄る。
成都に着いたら朝ご飯は絶対に抄手を食べようと決めた。

おなかが落ち着き、今度は長江側に出て、次の目的地へ向かうことにした。
長江のほとりに建つ楼閣、潯陽楼だ。
路線バスの5路で行けることがわかったけれど、どうやら今日は時間を持て余しそうだったので、のんびり歩いて向かってみることにした。

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長江沿いに伸びる濱江路をひたすら歩く。
長江はすぐそこだけれど、若干高めに造られた歩道によって、道路からは確認することができない。
途中からはその歩道に上って長江を眺めながら歩いてみた。

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対岸はかすみ、向こうの街がなんだか国境を隔てた異国のように感じられた。
とうとうとした流れに、巨大な貨物船が重々しく行き来する。

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あの白い建物には、「長江公安」と文字がかかれ、公安のマークがでんとしている。
川に浮かんだ公安なんて初めて目にしたけれど、どんな業務をする公安なのだろう。

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こうして長江沿岸を歩き到着した潯陽楼。
赤い建物が目を引く。
入場は20元で、門をくぐるとすぐにその建物はある。非常に狭い感じ。
私はつい潯陽楼を通り過ぎてしまうと、行き止まり。

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それを見てチケット窓口の女性が、「建物の中に入って上がれるよ」と教えてくれ、確かに中に入れるみたいだった。

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一階はくらがりの中にたくさんの人物像が展示されている。
水滸伝をイメージしたものだろうか。

この潯陽楼、もともと唐代の酒場だったところで、宋代に再建され現在のすがたは1986年再建のもの。
再建の際には、武漢の黄鶴楼を設計した向欣然が宋代の清明上河図を参考に設計したものだという。
再建を重ね姿は違ったものに変化しているだろうけど、この楼閣自体は1200年もの歴史を持つ。
白居易の題潯陽楼の中にも描写されているが、この潯陽楼を有名にしたのは水滸伝だ。
水滸伝の中で、宋江が酔っ払って潯陽楼の壁に歌を書きつけた場面が登場するのだ。

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二階へ上がってみると、こんな感じ。
置かれたテーブルは酒場の雰囲気を演出したものだろうか。

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壁の片側には、宋江が歌を書いている姿。

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その対面には書かれた歌と思われるものを再現した額。
けれども独特な字体に、さっぱり読めない。
水滸伝は津本陽のものを遥か昔に目を通したことがあるけれど、三国志と同様に戦いものが肌に馴染まないのか、おもしろいと思っても読後にはすっかり抜けてしまっている。
というわけで、この宋江のくだりについても感慨は薄く、そこの部分だけでも読み直して来ればよかったと少し後悔した。

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三階まで上がることができ、外の景色を眺めることもできる。
高さがないので街の景色はそう楽しめない。
一方長江側は気分がいいだろうが、寒さにばてそうだった私は早々に退散した。

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こちらは出口を出て外側から。

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潯陽楼の扁額は、あの蘇東坡の筆なのだそう。
ちなみに、この潯陽は九江の古い呼び名だ。

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ふたたび長江沿岸を歩き始め、向こうにうっすらとしていた九江長江大橋が徐々にはっきりし始めてきた。
二層式の大型鉄橋は、上が自動車用、下には線路が通っていて、時折列車が通過する。

潯陽楼から間もなく到着したのは、鎖江楼塔。

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チケット20元を購入して入場し、すぐ目の前にあったのは鎖江楼。
ここは楼閣である鎖江楼と、仏塔である文峰塔からなる。
とりあえず鎖江楼を通り過ぎて先に、文峰塔を見にいくことに。

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25m少しと、高さはそうないものの、石レンガが積み上げられたみごとな仏塔だ。
塔の創建は明の1586年で、清代に重建されているがその後太平天国の乱で破壊され、また再建された。

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長江のすぐほとりにあって、水害を治めることを願って建てられたのだそう。
塔は封鎖されていて、内部には入れないようになっていた。

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長江を眺めながら鎖江楼の方に戻っていくと、いろんな貨物船が行き交うすがたに、日本にはない風景を見る。
砂や土を運ぶ貨物船も。

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ふたたび鎖江楼へ戻ってきて、中に入ってみた。
三階まで上がれたけれど、内部には中国各地の仏塔を紹介する説明書きなどが貼られているだけで、特にこれといったものはない。

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先ほどの文峰塔と九江のマンションが、影になってみえた。

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鎖江楼塔を出て、私はなんだか楽しむどころではなかった。
寒くて寒くて、足の裏から冷えていく。
まだ時刻は14時を過ぎたばかり。
けれども私はすでにいつものような活動意欲を失っていた。
それは寒さのせいだっただろうか、それとも私自身の気持ちの持ちようだっただろうか。
あれだけ一人旅が大好きだった私が、あろうことかふと寂しくなっていることに気づき、驚きとともに悲しくなった。
私、ぜんぜん立ち直ってないじゃないか。

九江は小さな田舎街である。
小さなお店が建ち並ぶ通りを突っ切りやがて甘棠湖に出た。
次の目的地は、この湖のすぐ近くにある能仁寺だ。
少し行き過ぎて近くの人に道を訊いてみると、一つ前の角まで戻り曲がったところだという。

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黄色い壁が鮮やかに目を引き、すぐにそれとわかった。

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どうやら無料のようで、そのまま門をくぐっていく。
お決まりの仁王像に、奥のお堂には金ぴかの仏さま。

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一番奥のお堂では、ちょうど読経を行っているところだった。
お坊さんがマイクを使ってお経を読み、それに続いてたくさんの信者も読み上げる。

この能仁寺、もとの名は承天院という。
梁の武帝の時代502年~549年の間に創建し、元代に戦火に遭い明代に再建、その時に現在の名称である能仁寺に改名し、清同治帝の時代にほぼ現在の姿になった。

お堂から右手に逸れたところに、仏塔がある。

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大勝宝塔というもので、明代1379年に建てられ清代に修建された。
高さ42mで先ほどの文峰塔よりもずっと高い。

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もともとは内部も公開されていたのだろうか。
上部につづく階段は封鎖されていたが、その手前の石階段は新しく現代に整えられたものだった。

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中国の仏塔が、ただの観光客にとってもおもしろいのは、それぞれがまったく違った風貌をしているところにある。
シンプルだったり細工が細やかだったり、それはもう仏塔の数ほど仏塔のタイプがあるといっても過言ではない。
材料や作りだけでなく、シルエットまでもまったく違う。
これに知識まで加わったならば、中国各地をまわり仏塔を探すのもとても意義深いだろうが、残念ながら私にはその知識もなければ学んでみようという意欲も乏しい。
けれどもそれでも、ただ訪れてそれを見上げるだけで、楽しいのだ。
ガイドブックに見つけることができる仏塔は、ごくほんのわずか。
中国には今も、有名無名の仏塔が、あるものは保護され、あるものは放置されたままになっている。
この方面にはまってしまうと、たいへんなことになりそうだ。

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ふたたび歩いて、ホテル周辺の繁華街まで戻ってきた。
こちらはファッションのお店が建ち並ぶ歩行街の中心部にあったブロンズ像。
それに米市の文字。
九江はかつて、米の売買によって栄えた街なのだそう。

まだ夕方という時間で夕食には少し早かった。
いつもの私であれば、時間がもったいなくて、少しでも街の景色を眺めていたくて、まだ見つけていない街の風景を探しに歩き回るだろう。
けれども、もう寒くて寒くてたまらない。
ついに心折れ、ホテルの部屋へ戻った。
暖房を全開にかけ、ビールを開け、上海二日目の旅行記の作業に。

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こうして、いくらなんでもそろそろご飯食べに行こうとなった時、時刻は20時をまわり外はすっかり夜になっていた。

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寒かったので、今日はぜったいに火鍋を食べたい!と思っていた。
ちょうどホテルの近くに老北京火鍋の文字を見つけ入ってみた。

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成都では麻辣の火鍋に香油のタレばかりだったので、ゴマダレにつけて食べるまろやかさっぱりな火鍋は久しぶり。
安心するおいしさだ。
肉と白菜のみ頼み、肉は羊と牛のセットにした。
成都のジャオユーさんから「順調?」と連絡が入ったので、「あまりに寒くて火鍋食べた」と送ると、
「火鍋だったら成都だ、成都に来たらおごってあげるから。それにお酒も」
嬉しさと同時に不安になった。
五日後に私は成都に到着し、四日間滞在する。
もともと彼とは別の用事で成都滞在を四日も確保したけれど、用事は実現しなかった。
これについてはまたのちほど書こうかなと思う。
とにかく四日間成都に滞在し、昼間はもちろん一人行動だけれど、夜はどれかで一緒にご飯を食べようという話になっていた。
思い出がたくさん詰まった成都をもう一度見たかったし、彼と会うのも楽しみには違いなかった。
なぜなら帰国する時私はそのあと別れることになるとは思ってもいなくて、かなり混乱したまま、ひいては別れ話すらもせずに終わってしまったから。
もう二度と会うことはないと思っていたから。
でもどの道さよならなのだから、それだったら会えばさらにつらくなるんじゃないの?
そうも思ったけれど。
楽しみだけど不安で、今は哀しい予感でいっぱい。

〈記 12月15日 貴陽行き夜行列車にて〉

参考:
九江站 → ホテル タクシー代 15元
宿泊費 280元
朝食(老上海ワンタン) 6元 
潯陽楼 20元
鎖江楼塔 20元
能仁寺 無料
夕食(老北京火鍋) 95元


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Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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