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2019-07-14

30日間成都滞在〈成都へ〉

2019年6月28日、昨晩ウルムチを出発し、今日は一日寝台車の中。
のんびり起きてみれば、列車はもうすでに人気のない荒涼とした大地の上だった。
寝台列車の朝はにぎやかだ。
トイレは一人がやたら長いうえに待つ人がいるので、なかなか空かない。
洗面台では歯を磨く人、顔を洗う人。
デッキでは煙草を吸う人。
「朝ご飯いりませんか~?」と大声を上げながら通路を転がすカート。
早朝からカップラーメンにお湯を注いでいる人も。
中国の寝台列車が心地いいのは、一人の世界に浸ることができながら、独りぼっちではないこと。

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10時頃、乾いた大地に突然鮮やかなお花畑が現れ始めた。
ピンクの花、黄色の花。
黄色の花はおそらく菜の花だろう。
次々に流れていく鮮やかな色彩に、目が覚めるようだった。
青い空、白い雲、褐色の大地、それに混じるわずかな深緑。
ただそれだけの色しかない。えんえんと。
ピンクや黄色はここにあるはずのない色彩だった。
思いもよらない色彩の登場にしばらく見とれ、ふと思い出してカメラを取りに行ったものの、時すでに遅し。その後、お花畑がふたたび現れることはなかった。

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砂と土の風景の中に、見覚えのあるような低い土壁のようなものが現れ、続いた。
今にも崩れそうな何かわからないような土のかたまり。
まるで、西域に残るいにしえの長城のようだ。
そんなことを思っていると、本当に見覚えのある、そして本当に長城だった。
その先ずっと向こうには、あの嘉峪関がとおく見えた。
長城の西の果て、最後の、いや最初の烽火台が残る場所だ。
去年の夏にここを訪れて一年。
この一年いろいろなことがあったけれど、記憶は鮮明でまだつい最近のことのようにも思える。
あの38日旅行、一生忘れることのない思い出。
私にとって旅とは、蓄積された記憶のさらなる蓄積。

15時過ぎ、甘粛省の張掖を通過した。
この張掖、昨年の38日旅行では一度行先に決まり、その後変更になり旅先から外れた。
今回の滞在でも10日の甘粛旅行を計画し、今度こそ訪れる予定だったが、旅行自体をキャンセルした。
二度キャンセルをくらったあるホテルは、もしかしたらこの日本人キャンセル連続要注意なんて思っているかもしれない。
それはともかくとして、この地には縁がないのだろうか。
けれどもあのトルファンとは違い、むしろ私はこの地にこそ縁を感じるのだ。
昨年も今年もただ、行くべき時ではなかっただけ。
私はきっとその行くべき時に、必ず行くことになると思うのだ。

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列車旅をしていて私が好きなのが、このレトロ駅看板。
通常旅行して利用するような大きな駅にもうすでにこうした看板はないし、小さな駅にはこうしたものがまだ残るけれど、ホームのずっと端っこにあるので、撮影することは難しい。
撮影しにわざわざ歩いていっても、撮影するなと注意されたこともある。
だから、長距離列車で移動中にこんなふうに車窓から眺め、レトロ感に浸ることが多い。
どうしてかこういう看板には、ずっと昔からそこで繰り返されてきた星の数ほどの出会いと別れと、その旅路を見守ってきたような感慨を得る。

時々、名もなき史跡が、ぽつりぽつりと通り過ぎていく。
あるものは烽火台跡のようで、あるものは新疆に残る故城跡のように建物の痕跡を残している。
また土のふくらみに、以前嘉峪関の郊外で地下墓の地上部に見たような通気口のようなものを見た。そんなものがたまに通り過ぎる。あれがもし本当に地下墓だったらロマンだ。
時々、土の大地に穴がありテープで囲まれていた。それらにもまたロマンを想像する。あの穴の下には発掘途中の何かがあるのでは?
想像はやまない。
あるものは明らかな史跡であり、あるものは想像の範囲を出なかった。
中国の魅力は、これである。
まだまだ未発見の史跡が、無限の可能性のように埋もれている。
埋もれているどころか、放置されている。
兵馬俑のそれが、ベンチのように、花壇のプランターのように使われていたみたいに。
日本人に人気の武将の墓が、畑の真ん中で草を生やしていたり。
私がいま車窓から眺めるあの土の塊も、もしかしたら誰も気に留めないだけの‟何か”かもしれない。

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褐色の風景は徐々に草原の色合いを持ち始めた。
18時頃、通路を行き来する配膳カートを止めた。
今日の夕食はこれにしよう。
中国の寝台列車では、お昼や夕食時にこうした配膳カートが何度も回ってくる。
一度逃しても何度も来るので大丈夫。
私はいい匂いにつられて、ついつい引き留めた。

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お弁当と違って、温かくてできたてなのがなによりも魅力。
勿体ぶったりせずに、四種のおかずを惜しみなくばさっと乗せてくれる。
その場でよそってくれるので、これ少な目とかこれ多目とか、そういう融通も効くかもしれない。

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これで25元だから、列車内ということを考えれば悪くない。
だいたいこういうおかずは脂濃くて身体に悪そうなものだけど、この日のおかずには冬瓜のあんかけがあり、こってり過ぎず、しかもとてもおいしかった。
夢中になって貪るように食べ、あっという間に完食した。

お昼ごろ、ジャオユーさんから「明日何時に駅に着くの?」と連絡がきていたが、結局返信しなかった。
ウルムチ滞在中、「今どんなふう?」とか、SNSのコメントでも最初の方は好意的なメッセージが入っていた。
でもコメントは返信せず、微信の連絡も素っ気なく返した。
成都站を出発してからは、一切こちらからは連絡しなかった。
これは私のけじめであり、彼へのメッセージでもあった。
ウルムチ出発前には「迎えに行く必要ある?」ときたが、私はもちろん「必要ない」とシンプルに返した。
一度そう返しているにも関わらずこういう連絡がくるのは、頼めば迎えに来てくれるということかも知れない。
しかし私はそれを必要としていなかったし、もしかしたら彼は何か理由があってマンションに私が戻る時間を知っておきたかったのかもしれない。例えば女性が来ているとか。
けれども私はマンションに戻るつもりはなかったし、ウルムチと成都を繋ぐ寝台車は一日一便なので、調べれば到着時間は一目でわかる。
私はこの質問にも、返信を返さなかった。

窓の外には星が散らばっていた。
目の前には大きなさそり座が横たわっていて、列車が間違いなく東に向かっていることを知った。



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翌日6月29日、朝9時半に列車は成都站に到着し、私の‟猶予期間”は終わりを迎えた。
この日は土曜日だった。
これは成都への戻りをいつにするか悩んでいた時、29日であれば土曜日で迎えにいけるからその日にしなさい、と彼が言ったからだった。
けれども結局、そういうことにはならなかった。
成都站の出口は、一年前彼と最初に出会った場所だった。
昆明から寝台列車に乗り成都に到着した私を、ここで出迎えてくれた。
その後別れたあと、12月の列車旅の時にも、貴陽から寝台列車に乗りこの成都站に到着した私を迎えに来てくれた。
そして三度目の成都站、今回はひとり。
けれども、寂しさはなかった。

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成都站前にしゃがみこんで、目星をつけていたホテルが外国人が宿泊できる渉外ホテルかどうかわからなかったので、電話をしその場で帰国する7月2日まで予約を入れた。

すると最近は姿が減ってきた物乞いが私の方に近づいてきた。
中国にはさまざまな物乞いがいて、身体的なことを訴える人、災害に遭ったことを訴える人、貧しさを訴える人、家族のことを訴える人、様々な事情があるけれど、そうした物乞いがかつてはこうした駅前には特に多かった。
しかし、最近は都市の大小に関わらずあまり見なくなった気がする。それは取り締まりが強化されたのかもしれない。
物乞いを見ると気の毒だけれど、中には悪質なものの少なくないからだ。
成都では、こうした広場での堂々とした物乞いではなくて、例えば露店で食事をしている時に席をまわるようなタイプが多いように思う。
以前は気の毒に思っていたけれど、ジャオユーさんの言うところによると、みな「偽物」だという。
言葉で四川人でないことがわかり、貧しさを装っているけれどおそらくけっこう‟儲けている”から、同情する必要はないと話していた。本当のところはどうか、わからない。
3月に一人でチベット街の奶茶館でお茶をしていたときには、一人の身なりの貧しいお婆さんが私の席にやってきてお金を求めた。
どうやらチベット族なのか、標準語が話せないようだった。
他のチベット族のお客には目もくれず私のところに来たから、後から考えればあやしかった。
けれどもその時、私はそのお婆さんに10元を渡した。
すると間もなくして、身なりの貧しい同様のおじいさんが私のところにやってきた。
私はおじいさんにまたお金をあげようとしたけれど、小銭が少なくなり今度は5元をあげた。
するとそうやって次々と同様の人がやってくる。
「小銭がなくなってしまった」と断ると、「これが欲しい」と私の煙草を指す。1本あげるともう少し欲しいというので3本あげた。
これがまた続き、私はあげるのをやめた。
おそらくそういうコミュニティーがあり情報網があったのだと思う。
話は脱線したけれど、成都站前でその物乞いは車いすに乗っていた。
おそらく身体のどこかが悪いのだろう。
しかし、お金を求めるその表情はとてもいきいきしていて、違和感を感じた。
その車いすには、二枚の紙がぶらさがって目立って揺れている。
それは、電子マネー決済の微信と支付宝のQRコードだった。
現金がなければこれでちょうだい、というわけだ。時代は変わったものだなと実感する。
目をそむけたくなるような大変な困難を抱える人が物乞いをするのを見ることがある。
しかしその一方で、それを商売のようにしてしまっている人がいるのも事実。
そのどちらも、目にして胸がとても痛む。

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タクシーに乗り、ホテルへ。
選んだホテルは、彼のマンションから遠すぎず近すぎない場所。
近すぎないが、徒歩で行ける距離。
月曜日に彼が出勤している間に荷物を整理に行こうと思っていたので、この立地を選んだ。
ホテルは高層で、景色を見下ろすとやっぱりここはウルムチではなく成都だということを知る。そしてその距離を知る。
四川は湿度が高く陽射しが少ない。
このような湿気でくすんだコンクリートの住居は、新疆にはない。
窓を開けてみると、街の喧騒があった。
生ぬるい空気が肌に触れる。
ウルムチに行って清々しくなったこころに、墨がぽたり、とひとしずく垂れた。

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ホテルでシャワーを浴び休憩し、もう夕方だったけれど散策に出てみることにした。
思いつくままに歩いていると、おもしろい市場を見つけた。

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まるで迷路のように入り組んでいる市場。
豚、鶏、兎、生肉が吊るさり、野菜が雑多に並べられ、抄手や乾物が売られ、塩や山椒、唐辛子、生姜、卵、もう何かわからないもの。

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簡易な屋根がかけられ、豆電球がぶら下がる。もう何十年もここで商売をしてきた時間の蓄積を感じた。
今にも崩れそう、衛生状態も悪い。でも、とてもいとおしい。
私が物珍しそうにカメラを向けると、お店の親父さんやおばちゃんは、笑顔で「見てって」と声をかけた。
私は観光客で、見るだけで買わなくて申し訳ない。
これから宜賓で生活が始まったら、かならずこうした市場を見つけて、そこで買い物をしよう。

魚を売るお店も。「あ、これこのまえ食べた魚だ」
成都に着いてすぐ、ジャオユーさんのお母さんと食事したとき食べたちょっとウツボに似た魚が売られていた。古代から残る魚なのだと言っていた。

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と思ったら、ぎょっとした。
踏みそうになったのは、網にくるまれたカエル。網が同色で気づかず、危うく踏んでしまうところだった。
成都ではカエルの火鍋が人気で、きっと家でも調理されるんだろう。

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トマトの専門店もあった。
種類の違うトマトが並んでいて面白い。そしてとびきり安い。
覗き込んでいると、お店の女性がこちらに微笑んだ。

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この市場、私はすべてを見てはいない。
迷路のように、あちらにも続きこちらにも続き。まわり切れなくて諦めた。
中国どの街にも市場はあるし、路地に形成されたものもある。
しかし今まで、ここまでの規模で路地に形成された市場を見つけたことがない。
それは一つの区画のようになっていた。
しかしこれもまた数年後には、そして十年後には、間違いなく失われているだろうものである。
だから、今このときを大事にしたいのだ。
ジャオユーさんのマンションの徒歩圏内にこのような場所があることを知らなかった。
成都はなにも、彼と行ったあの場所、彼と通ったあの道、彼と見たあの風景、それだけではない。
これだけ大きな都市。
まだまだ、私が出会っていないものはたくさんあるのだ。
だからこの街は思い出ばかりの悲しい街ではない。
これからは、新たな‟私の成都”を見つけよう。

それでも夜は行きたいお店があり、それは彼との思い出の場所だった。
ウルムチへ出発の前夜に一人で行った、彼との思い出のお店である。
しかし繰り返すが、今回もまた、感傷に浸りに行くわけではない。
ただ単純に、露天で気持ちよく烤魚が食べたい。でもお店が思い浮かばなかっただけだ。

行ってみると今日は土曜日、満席だった。
そこで先に、彼のマンション下にある小さな個人のマッサージ屋さんに行くことに。
私は足マッサージが大好きで、中国に旅行に行けば必ず体験する。
けれども今、最後にマッサージしたのは一年前の合肥だった。
長期間にわたって彼のマンションに滞在しながら行く機会がなく、別れた今になっていくことになるなんて。
自分への慰めもあった。

マッサージの腕は良くて、苦手な肩や背中が意外にも、足の裏より気持ちが良かった。
マッサージ店を経営するのはここの奥さんで、私の話し相手をする男性は旦那さんのようだ。
彼は私に、ここに暮らしているのかと訊いた。
私が旅行客だと言うと、「この辺にはホテルがないから住人しかいない。観光客はいない場所だ」という。
「実はこの辺に友達がいるからちょっと詳しいんだ」
実は何度も何度も、毎日のようにここの前を通っていたよ、と心の中で。
この隣の隣のお店も、そのまた隣のお店も、私が誰だか知っているよ。
私が日本人だというと驚き、台湾か香港の人だと思ったという。
「実は宜賓で仕事が決まって」
話が盛り上がってそう教えると、宜賓へはしょっちゅう行くという。
「仕事でよく行くんだ、あの地震が起きた場所で、明日もまた行くぞ」
なら詳しいかなと思い、
「標準語、話す?」と訊くと、
「うーん、若い人はわかるけど普段は現地語だし、老人はみんな普通語できないな」
住んでればすぐにできるようになるよ、という人もいるけれど、私はそうは思わない。
成都でもマンションで時々おばあちゃんから話しかけられたが、もう何語かと思う程わからなかった。

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マッサージを終えて、もう時間も遅かったけれど、烤魚のお店に行ってみた。
まだ大混雑だったけれど、ちょうど一席空いた。

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烤魚は味付けを選べる。私は無難な香辣を。
巨大な烤魚はこれだけで数十元するので、一人では少し出費になる。
今後、私は低給料になる。食事ももう、今までのように火鍋食べたりおかず色々頼んだりはできない。
一日の食費は飲み物込みで20元で、なんて考えている。学食が2元なので、なんとかそれで回そうと考えている。
こんな烤魚は超ぜいたくだ。
でも今夜は自分を慰めるために、いいだろう。
ビールはピッチャーで。
自分を慰めるために。この言い訳をこの一年半、いったい何度使っただろう。
いつまでもこんなこと言っていたら大バカ者だ。
でも、もう少しだけ。

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ホテルに戻ったのは深夜1時過ぎ。
気づかないうちに疲れが溜まっていたようで、しばらくビールを飲みながら夜景を眺めていたけれど、ベッドに入れば心地いいと感じる間もなく眠りに落ちた。

〈記 7月8日 自宅にて〉

⇒ 30日間成都滞在〈日本人先生と面会〉 へ続く


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物乞いについて

2000年頃の上海には、大人、子供の物乞いがウジャウジャいて、ちょっと高級な店の前には、釣銭目あての子供の物乞いがいて、店を出ると、ワッと囲まれるってことが、日常のできごと。まだ、キャッシュレスでなく、現金で支払うのがあたりまえだったので、釣銭の小銭が存在しました。
今は、物乞いまでバーコードでキャッシュレスですか、呆れを通り越して笑ってしまいます。お恵みも課税対象になるのでしょうか 笑

Re: 物乞いについて

お店の前でつり銭目当ての子供ですか…それも今となっては懐かしの風景でしょうか。今の上海がどれだけ変わったかということですね…。何年か前ですが、トルファンは観光客が多いので日本語でたかってくる子供が多いと本かなにかで読みました。街はほとんど観光していないのでなんともですが、私の感覚だと、多分今はそういう子供はいないみたいでした。
時代が変わり「やり方」が変わったのかもしれないし、あとは生活が裕福になってそういう人が減ったのかも、それだったらいい変化です。

QRコード両刀使いにあの笑顔、深刻な気分で到着した成都站でしたが、笑わせてくれたのだからちょっとでもあげるべきだったかな(^^)
プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国が大好き。お酒も大好き。
中国へ行く度に、スケールの大きさに圧倒されます。各地を旅行し街歩きし、体感したことを綴っていきます。

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