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2019-09-15

宜賓散歩~最初の散歩②~ 中秋節・前編

2019年9月13日、今日は中秋節。
中国では月餅を送り合い、一応建前としては中秋の名月をめでる一日となっている。
一般に中国では今日から三連休になり、それはわが校も同じである。
通常であれば連休は嬉しいもののはず。しかし連休に当たった分は振り替え授業しなければならない。休日=授業なしではないのだ。さらに私の大学では土日も授業があるため、この三連休三日間に入るはずだった授業すべてを振り替えなければならなくなる。
ただでさえ詰まった自分の授業スケジュールに学生の授業スケージュールを照らし合わせ調整し、空き時間を見つけ教室の空きを調べ申請し、大学の許可を待つ。こういうのは大学がやってほしいものだけれど、自分でやるから混乱する。一クラス一授業であればなんのこともないが、数がある。
さらに私の場合、月末の金土日にも重慶出張を予定し、その分の授業の振り替えもあったため、大混乱だった。
他の先生方と共通した意見は、祝日があろうとも結局その分振り替えなければいけないので、祝日なんて余計たいへんになるだけ。私もそう感じた。
さらに言えば、重慶出張から戻り10月1日から、今度は国慶節の大連休が始まる。もう混乱の極みで、授業準備が追い付かない。
そういうわけで、中秋節、といってもよい意味での感慨は少なかった。

9月10日、中秋節を目前としたこの日、四年生の講義授業を終えると、ある学生が私のもとに駆け寄った。

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そうして渡してくれたのはこの月餅と手紙だった。
この日は中国では教師節で、毎年この日になるとSNS上では「教师节快乐」なんて言葉が飛び交う。
「先生、教師節おめでとう!」なんて言葉をかけてくれる学生はいたが、月餅と手紙までくれたのはこの学生だけだったので驚いた。しかもけっこう長々とした文章を正しい日本語で書いていて、名前はなかった。
なにせ200人を超す学生を相手にしているので名前がわからず訊くと、これがなかなか教えてくれない。最後は訊き出したけれど、誠実な学生だと思った。

そうして今度は9月12日、その前日ある学生から連絡が入り、朝私の部屋に招くことになった。お昼から夜までは授業が詰まっていたから日を改めようかと提案するも、どうしても12日でないといけないのだという。
バスに乗り私のマンションまでわざわざやってきてくれた彼女は、私に広西チワン族自治区の辺りで食べられるというタニシの米麺を持参してごちそうしてくれた。

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「でも先生、本当にあげたいのはこれじゃないの」
そういって差し出したのは、ラッピング袋。
中から出てきたのはなんと、たくさんの、一つひとつ包装された月餅だった。
「中秋節を過ぎてから渡すと失礼になっちゃうから」
そういうことで今日にこだわっていたらしい。
一つひとつの月餅は、これまた一つひとつ丁寧に包まれていた。
日本人の知る月餅は小豆餡のものだが、本場中国では種類が豊富で、鴨の卵や肉類の月餅なんてものもあり、異色というよりはそれが王道として通っている。そういう月餅をいろいろ集めてくれて、開けるまでお楽しみなように、わざわざ包んでくれたそう。
「雲南のハムの月餅は有名みたいね」
私がそういうと、「そう!それも入ってるから!」と目を輝かせた。

そういうことがあり、ふと中秋節が楽しみに思えてきた。
明日は早く起きてまた、市街地の方に出掛けてみようか。
そんなふうに考えた、前日だったけれど。
昨晩は1時には寝室に入ったのに、目が覚めてみればなんともうお昼だった。
ここのところ深夜まで作業をする日々が続き寝不足が続いていた。
外を見れば怪しげな天気。
昨日一昨日と猛暑だったのに打って変わり、涼しいを通り越して寒いほど。
百度のニュース速報?では、「中秋節の三日間は四川を暴雨が襲う!残念ながら名月は眺められないだろう!」と見出しが出ていた。
四川に到着してから一度も、月も太陽も青空のかけらも、姿を見せてはくれなかったこの二週間と少し。
それがここ二日、突然太陽が現れた。そして淡いものの、青空も見えた。昨晩深夜には、少し疲れてベランダに出てみると、くっきりとした十四日月がマンション群の上に皓皓としていた。
思わず見とれた一瞬だったが、しばらくもすると、雲に飲み込まれてしまった。
四川はこれから暴雨に襲われるのか、それなら昨夜のつかのまのお月見は、もしかしたら天が与えてくれた中秋の名月だったのかもしれない。
十四日月とはいえ、日付でいえばすでに13日になってたし、中秋節に月をめでたと言ってもかまわないだろう。
では今日一日どうしようかな、一瞬そう迷ったけれど、やっぱり出かけてみることにした。
明日と明後日は学校は休みといえども、マンションで仕事をしなければならない。
今日は一日、仕事から解放されるぞ!と気持ちを切り替えた。

バスに乗りこの前と同じく、片道2元のドライブへ。
バスの中で、さっそく一つ持ってきていた月餅を開けてみた。

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するとこんな紙が入っていた。
「マンゴー味のホンコン式月餅だ!」
もしかして、一つひとつ、包装の中にはこんなメッセージが入っているのだろうか。
彼女は以前、本当は日本語を学びたくて日本語科に入ったのではないのだと話していたことがあった。
戦争のこともあるし、日本が好きではなかった。
希望した学科は英語だったのに、成績の問題で日本語科に入ることになってしまった。これは中国の進学方式で、希望しない学科に振り当てられてしまうことがあるのだ。
でも勉強し始めて、日本が好きになったのだという。
なんて素直なんだろう、と思う。
「先生が日本に帰国している時、静岡に遊びに行ってもいい?」
きらきらした瞳を思い出しながら、ホンコン式月餅を一口。
お餅タイプの現代版月餅は、なんともいえずおいしかった。

初め私は、前回と同じく終点の翠屏山でバスを下りようと考えていた。けれども市街地に入り、バスが曲がった道の向こうに何やら中華式門を見つけ思いつきで下車。

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門に向かって歩いて行くと、案の定、見どころを匂わせる雰囲気。
巨大な門をくぐってみれば、そこは大きな広場になっていた。

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降り返れば「水東門」の文字。
観光地のような雰囲気を出しながらも、しかし人は少ない。
今にも雨が降り出しそうな天候と相まって、寂しげな印象があった。

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ではここはどういうところかというと、水東門をくぐれば一目瞭然。
広場の先には、巨大な一条の流れ、岷江があった。そしてそのすぐ先でもう一条の大河、金沙江と合流し左手に流れている。
かの有名な「長江」の始まりである。
長江といえば、日本人でも知らない者はいない。
全長6300㎞、中国でもっとも長く、そして世界でも第三位に数えられる大河である。
しかしそうした場合の長江とは、チベット高原に始まりをもつ源流から上海に流れ出る揚子江までの全域を指す。
あまりにも巨大過ぎて、いくつもの名をもつ中国数々の大河。
細かくいえば、長江という名はこの岷江が金沙江に合流する地点から始まる名称である。
そういうわけで、宜賓は‟万里長江第一城”の別名をもつ。
私はまさしく今、そこにいるというわけだ。
空に近いような高峰から流れ出る、細い細い清らかな水流。
それはやがて巨大なエネルギーをもち始め成長する。
様々なものを飲み込み、混濁した巨大な流れは、いくつものそうした同様の水流を飲み込み、肥大していく。
長江という名のスタートもまた、その一連の肥大化の一つに過ぎない。
これはそのまま、中国大地の巨大さである。
そしてそれどころか、地球そのものの規模を目にしているような気さえする。

しかしそれは置いておいても、長江スタートの地なんて、中国であれば観光地になっていてもおかしくない。
なにせ、中国で最長、世界で三番目の大河である。
「〇〇第一位」とか「天下〇〇」というのが大好きな中国。
そういう場所で石碑とともに(自分の)写真を撮るのが大好きな中国人。
「万里長江第一城」なんて石碑が立っていれば、みな喜んで集まるのではないか。
それがどうしてこんなに寂しげな様子なのだ?
しかしここはまだ岷江最後の地点。
それなら本当の本当に合流するあちらには、何かあるのだろうか。
そう思って向かってみることにした。

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歩いて行けば、こんな案内が。
やっぱりここが観光地でないはずがない。

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歩いて間もないところに、案内の通り「百二河山古牌坊」というものがあった。
しかし時代が経過し崩壊の危険があるため立ち入り禁止、となっていた。
石材でできた牌坊で、長年の風雪を乗り越えてきたような風化のようすがあった。かすかに文字が確認できたが、読み取れないほど摩耗している。石材も今にも崩れそうだ。

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これを越していくと、やがて開けた歩道に出た。
そこにあったモニュメントは、長江の稀少な魚類を保護する区域であることを示すもの。
これだけの長距離を流れるこれだけの規模の川ならば、それは稀少な生物や、もしかしたら未だ発見されていないものもあるかもしれない。
しかしこのモニュメント、なんだかカジキみたいにも見えるけれど、本当にこんな魚類が長江にいるんだろうか。けれども揚子江ワニなんてのもいるから、こんな魚もいるのかも知れない。

宜賓長江地標広場というのに、出た。
ここが長江スタートを記念する公園である。
広々とした公園には、先ほどよりは少しはたくさんの人たちが、川など見飽きたというように遊んでいる。

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そしてその先には、長江スタート地点を見渡す展望台のようなもの。
なぜだか少し、安心した。
左側から先ほど眺めた岷江が、右側を真っ直ぐ流れる金沙江に合流する。
そしてこの先が長江だ。
こうして目の前で眺めてみると、川の流れが思った以上に速いことに驚いた。水量の多い巨大な川であるだけに、日本の渓流とは違い、遠くからは水流をなかなか実感できない。まるでのんびりした流れのようにも思っていた。
しかしそんなはずはないのである。
毎秒何トンになるのかは知らないが、ものすごい水量がその前千㎞かそんな距離を押し流されてきているのである。
落ちたらひとたまりもないな、そう思った。
そんな巨大な川の流れがぶつかるところは、目で見てすぐわかる。
両江に色の差はないけれど、流れがぶつかる地点には小さな波や渦ができ、うなっては消え渦巻いては潜り、そんなことを繰り返しながら抵抗できずに向こうへ流されていく。

この両江の合流地点には、三角形の停滞地帯があった。
二つの激しい水流がぶつかり、余った力がそこで暇をもてあそぶようだ。
そこは不思議な静けさを持っており、そしてあろうことか、人々の遊び場になっていた。
数人の男性が裸になり泳いでいる。
浮き輪ではなく、オレンジの浮き具を紐で吊り浮かせている。救命具のつもりなのだろうが、意味があるのかどうかはわからない。
また一組の親子がいて、お父さんが小さな女の子を遊ばせていた。女の子はビート版を持っている。
まず一つ、コーヒー牛乳のように濁った川水である。
もう一つ、本日は天候が悪く、涼しいどころか寒いといってよかった。
しかしそんな疑問をもつのは、この広場でもどうやら私ただ一人のようだった。

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こちらが、先ほど歩いてきた岷江方面。

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こちらが、合流を待つ金沙江方面。

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この合流地点の展望台には、コンクリートに描かれた巨大な絵があった。
宜賓の名は見えず、近隣都市である瀘州の名前から始まっている。
瀘州、重慶、万州、宜昌、荊州、武漢、九江、銅陵、蕪州、南京、そんなふうに続いて、最後には上海に辿り着く。
これだけ長距離の水流の旅、それは川水も汚れるわけだと納得する。

今日は中秋節である。
中国ではこうした祝日連休にはどの観光地も人でごった返す。
しかしここで見たのは、一組のグループが「ここが長江の始まりかぁ」なんて会話しながら集団で自撮りしていたのを目にしたのみ。
観光地はないと言われる宜賓であるが、ここは休日出かける選択肢のひとつにも選ばれない地のようだ。

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広場を少し外れてみると、そこには城壁を示す看板があった。叙州城遺址と書かれている。
宜賓の歴史はなかなか古いようで、この両江に挟まれた部分には昔から城が置かれ幾度か名を変えてきたようである。
当時はこの長江へ面した川岸に城壁が築かれ、天然の要塞として発展した。

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ここに残る城壁は110mほど。
前漢の紀元前182年に城壁が建築されたのが始まりで、当時は土の城壁だった。現代のような石レンガの城壁になったのは明代1373年のこと。
ただし今残る姿は現代の手を加えられたもので、どれだけ当時の姿そのものかはわからない。

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この城壁沿いに歩いて行くと、何やら目を引く石レンガの建物に出た。
「川紅非遺館」と書かれている。
私はなぜかなんとなく戦争関係のものかなと想像してしまったけれど、ぐるりと回ってみるとそこはお茶館だった。

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ここはもともと王爺廟というもので、清代に建築されたものなのだという。
王爺といえば、かつてここを統治した人を祀った廟だったものだろうか。
説明がなくわからないが、二つのとがった屋根が並んだ、少し変わったふうの石造り中国伝統建築だ。
非遺とは無形文化財のことのようで、お茶などのことを指しているみたいだった。この建物の中でお茶を買ったりここで飲んだりできるということらしい。

こうして両江合流地点から市街地側に入っていくことにした。
まずはお昼ご飯と思うものの、しかし軒並みシャッターを下ろしている。これには参った。
こんなの春節ぐらいだと考えていたからだ。
どうやら宜賓の人々はみな、祝日はしっかり休むようだ。
それでも商店や薬局、通常通り営業している店も少なくない。ただ、私が今どうしても食べたい麺のお店は、壊滅状態。

麺といっても、何を食べたいかははっきりしていない。
牛肉麺か、燃麺か、紹子麺か、それとも抄手か。
貧乏性というのは恐ろしいものである。こちら宜賓に来て、前よりももっとケチな人間になってしまった。
以前は安いといわれていた中国の食べ物も、都市部ではどんどん値上がりしている。それでも四川はその波から一歩出遅れていて、幸いなことに安い飲食はまだたくさんある。麺なんか高くて10元を越す程度で、だいたい5元から10元未満で食べることができる。
それなのに、その10元を渋るようになってしまったのだ。
今の私にとって、数元の温かな麺はぜいたくの一つだった。では火鍋や焼烤はといえば、超ぜいたく。たまにはそんな超ぜいたくをしたいので、プチぜいたくを我慢するようになってしまった。
今日は中秋節、私得意の「自分への慰め」「自分へのごほうび」である。
今日はお昼にプチぜいたくの麺を食べて、夜は火鍋などの超ぜいたくをして、こちらに来て初の白酒を飲んで、足マッサージして、そんなプランを立てていた。
ところが、軒並み休業。
歩いても歩いても、シャッター街。
もともと執念深い私であるから、どうしても温かい麺を食べるべく探索に向かった。

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そうして歩き回ってみると面白いもので、宜賓というのは繁華街のすぐ裏には古い建物がごろごろしているのだ。
キャッチした電波はたいがい間違うことはないようだ。
‟匂い”を感じ入り込んでみると、こんないつの時代かわからない建物がかならずある。
この建物はなにかわからないけれど、日本の塔を彷彿とさせた。まるで三重の塔のようである。
どうして日本のそれを彷彿とさせるかというと、それはその色彩だろう。
中国にももちろんこうした建築はたくさんあるが、私が今まで目にしたその多くは、派手な色彩をもっていた。
色彩がないこのような建築でも、そのかわり派手で精緻な飾りをたくさんもっていた。
まるで室町期の建築のように、素を追求した機能美、とでもいえようか。でしゃばらない美というのはなんとも日本的だと思う。

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こうしてうろうろしていると、やがて金沙江の方に出た。歩き回るも営業した麺屋さんを見つけられないまま時間はどんどん過ぎていく。
あの橋は金沙江最後の鉄橋である。
その向こうにはもう、さきほど眺めた長江が見える。

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「金沙江戎州大橋」というらしい。
この巨大な鉄橋にもまた、先日見た南門大橋のようにアーチ部に階段が設置されている。
宜賓はこうした大河とともにある街である。
大きな川と山が、居住区を分断している。
両江と長江にはいくつもの橋が架かり人々の往来を助けているが、昔の人々はさぞ不便だったことだろう。特にこの両江に挟まれた旧城区。天然の要塞である利点をもちながらも、一方で孤立という側面をもつ。
豚の皮を風船のように膨らましいかだにして黄河を往来する、甘粛地方を思い起こす。こちらでは、どのようにして川を行き来したのだろうか。

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こちらは金沙江最後の位置から長江を眺めて。
左手から岷江が合流している。

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こうして再び麺屋探しに。
住宅地を散策するのはおもしろい。
どこか日本のそれのように感じる瞬間もあるマンションたち。
そこらで麻雀やトランプなどのカードゲームに盛り上がる老人たち。
茶館や麻雀を見ればやっぱり同じ四川だなと感じるけれども、それでも街の雰囲気は現在の成都とは全然ちがう。
日本語科のH先生が言っていたことを思い出す。
彼女は成都の大都市ど真ん中が実家で、そして私と同年齢、誕生日も近かった。
「宜賓は私が子供のころの成都にとてもよく似ている」
彼女はよくこう言った。
近代化の発展を迎える前の成都に似ているのだという。
散策をしながら想像する。
2、30年前の成都はこんなふうだったのかな。
私が成都を特別ひいきして好きなのは、新と旧の同居である。
あの都市は近代的な大都市でありながら、それに混じって古き良き生活が現在も生きている。
新と旧は、共存するのが難しい。しかしそれをうまく形にできているのが、成都だと思っている。
しかし、‟新”も‟旧”も、ともに絶対的な概念ではない。
さらにいえば、時間とともに変化していく捉えどころのない、まるで手で水をすくうような感覚にも近い。
何が新でなにが旧なのかは、実はあいまいで主観的な問題なのかもしれない。
宜賓に今ある風景は、成都の旧ではない。
似ているが、似ていて非なるものだ。
今ここにある風景は、宜賓の今、宜賓の新でありまた旧である。そしてそれも、瞬く間に変化していく概念だ。
ただ歩き眺めながら、その今を自分の目で記憶に焼き付けることができることを、嬉しく思う。

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左手の建物は年代を感じさせる石レンガ。門には豆電球が架けられている。
内部にはまた古い住居が続いている。
この周辺にもときおり小さな食堂を見つけた。
「麺あった!営業している!」
そう思って、牛肉麺にしょうか他の麺にしようか覗くと、
「麺はなくなったよ!」
このときどれだけ残念な気持ちになったか、誰もわかるまい。

しかし運は私を見放さなかった。
この先に二軒、麺屋さんを見つけたのだ。
悩んだあげく、結局普通の牛肉麺を。
それから麺屋さんを見つけた気分の高揚で、デザートまで注文した。

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こちらは牛肉麺。
中国どこにでもある麺の定番である牛肉麺だが、地域によってそしてお店によっても異なる。
四川ではこのように激辛の油いっぱいスープであることが多いように思う。
辛いのはいいが、油はちょっときついものがある。
しかし、おいしい。
油そのもののようなスープは温かいを通り越して熱く、また真っ赤なそれはとても辛くて口が痛くなる。それをつらいつらいと思いながら食べるのがおいしいのだ。

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デザートに頼んだのは、醪糟粑粑。
粑粑とつくデザートを去年の12月に楽山かどこかで食べておいしかったので、これにした。
注文時、黒糖にするか白糖にするか訊かれ、また砂糖増やすかも訊かれた。好きなように甘くすることがでいるよう。
私が頼んだのは、黒糖のもの。
醪糟とは甘酒のことだが、やっぱりそういう風味がした。甘い汁の中に、ちぎった餅が、ほろほろの糯米とともに沈んでいる。
私は激辛麺を食べてはこれを食べて口を休める、を繰り返しながら食べた。
好みかというとそうではないけれども、おもしろいデザートだった。

〈記 9月14日 宜賓にて〉

⇒ 宜賓散歩~最初の散歩③~ 中秋節・後編 へ続く


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プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国四川省宜賓市にて生活を始めました。
旅行記に絞ったブログ、一つひとつは旅のあしあとです。

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