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2019-11-13

西寧旅行二日目〈市内観光〉~前編~

2019年10月1日、いよいよ中国全土盛り上がりの国慶節その日となった。今年が特に大盛り上がりなのは、中華人民共和国の成立を毛沢東があの天安門の上で宣言してから、ちょうど70周年目にあたるからである。
国家や政治うんぬんを抜きにしても、盛り上がるそのこと自体は国としての結束は強まるし経済効果もあり、また単に楽しい嬉しいというその感情は良いことだと思う。

では、中国を好きな日本人がいつも一言にいう「中国」、それがその70周年を迎える国家そのことかというとそれはまた別問題である。
中国が好きな、また中国に関心があり興味がある。
そんな風にいうとき、たいていそれは気の遠くなる歴史の中で、まるでアメーバのように分裂と結合、増長を繰り返してきた民族や文化や思想を超えた一定しない範囲、簡単にここからここまでですよ、どれですよ、さらにはいくつですよともいえないものを、便宜的に教科書的に「中国」と表しているに過ぎない。少なくとも、数としてはそうした場合が圧倒的多数だと想像している。
しかし正確な意味としての中国自体はやはり、70年前に生まれたものにちがいない。
だからそれをある人は中国と表さずに「中華圏」と表すこともあるだろう。しかし私はそれもまたしっくりこないのだ。
ベトナムやモンゴル国を中華圏と呼ぶことはできても、中国と呼ぶことはできない。なら歴史を振り返りあのアメーバのようなものたちをただ一言で呼びたいならば、中華圏でいいではないだろうか。でもそうすると、そこには「中華思想」つまりその真ん中にあるものが何かという前提ができてしまう。そうしたらやっぱり完全ではない気がする。
つまりは「中国」とは、それほど巨大で複雑で多様な要素を含んだ二文字、ということだと思う。
だから私は中国に強い関心があるけれども、この巨大で複雑で多様な要素を含んだ概念、というところから言えば、10月1日は単にその複雑さの過程の一出来事に過ぎないし、またその日に成立した現国家も分裂結合増長をしてきたアメーバのひとつの形状に過ぎない、といえる。
ならば、中国人ならともかくも外国人である私が国慶節がどうとか70周年記念だとかを、一緒になって喜ぶのはちょっとおかしい。
私が愛するのはそれ自体ではなく、もっと長くから連綿と続いてきたこの大地に存在し続ける「なにか」だからだ。
毎年いつもそう思うけれども、でも国慶節快楽も悪くない。
どんなときも思い切り喜びや祝福を態度や言葉に表すのは、日本人も見習ったっていい中国のよい性格だと思う。
何かを祝い盛り上がる、そのこと自体はとてもよいことだ。
祝日になんの祝日かもわからないでただ休みであることだけが大事な日本よりも、よほどいい。
そうして私も、せっかく中国に暮らし始めたのだから、一緒に「国慶節快楽」を楽しむことにした、その一日である。

長い夜が明けた。
寒いのと姿勢がきついのとで、眠れたのかもどうかよくわからない。身体は妙に覚醒していた。

中国地図を見れば四川省と青海省は接しており、お隣さんだ。連休といってもあまり遠くには行けないからそう遠くない場所を選んだつもりだったけれど、こうして移動してみるとやっぱりとても遠いことを実感する。
さらに鉄路はまっすぐ青海へ入境するのではなく、北上し一度甘粛省の蘭州を通過して甘粛から青海入りする。これは、ひとつは地形的要因であり、また四川以西が街の少ない自然地帯だということもあるだろう。

こうして見てみると、四川省というのは実に面白い位置にある。
東に重慶と接し、南に接する貴州や雲南へ出れば一気に南方民族色と出会う。
成都は大都市でありながら、四川地図を広げてみると西半分が真っ白に近いことがわかる。山岳地帯であり、また少数民族自治州、県が散らばる。ほとんど近代化を迎えていない地域である。その先はもうチベット。四川西部はもうすでにチベット地域ともいえる。一方で北、北部は甘粛、西安有する陝西省と接する。こちらはもうシルクロードの雰囲気満点なエリアである。
では青海省はというと、四川省の北西部、チベットと甘粛の間で接している。青海省といえばそのほとんどを自然地帯が占める省である。
四川省を拠点にすれば、中国のその実に多彩な表情に手を伸ばすことができるのだ。
それでいて四川自体も多彩で、三国志の蜀が険しい山間部に囲まれ天然の要塞に守られたように、そうした地理ゆえ四川は中原文化から過剰な影響を受けることなく独自の文化を守り現代に至るという。四川内には他の地域では体感できないような独特の雰囲気が散らばっているのはそれゆえだ。
四川省とはどうしてこうも魅力的なのかというと、そういうことなのかも知れない。

こうして私は、今まで訪れる機会を持たなかった青海省へ初めて入境することになった。それは四川省との縁のおかげかもしれない。
どうして今まで訪れる機会を持たなかったかというと、青海省はほとんど拠点にする都市を持たず、観光客が飛びつくような手軽な観光地にも乏しいからだ。
青海省はその土地の広さに反して、人口がとても少ない。人口密度にしてみたらさらに少ない数字が出ることだろう。
その広大な面積のほとんどを占めるのが、人煙のない自然地帯である。
中国国家はこの地を絶対に手放すことはない。それはその自然地帯には豊富な天然資源が埋蔵されているからだ。レアアースに鉱物に天然エネルギー。巨大国家中国を支えているのはなにも発展目覚ましい大都市圏だけではない。それどころか、この豊富な資源を持つ大地がなかったら、中国国家だけでなく世界が影響を受ける、そんなとても重要な地域である。
しかし、「青海省?」そんなふうにピンとこない人も多いだろう。
遠いしあまり名を聞かないし、発展した地域でもないし。外国人がわざわざ訪れるにはたいそう不便な場所である。
けれども、最大とか、最長とか、そういう言葉を目にすれば印象が変わるのが人間というもの。
まず、世界で最も高く最も広い、青蔵高原(チベット高原)である。
この青蔵高原を、南部のチベット自治区と分かっている。
アジア最長、世界第三の長さを持つ長江は、この青蔵高原の青海省に源流を持つ。
また同じく中国を代表するもう一つの大河、黄河。この黄河の源流もまた、青海省にある星宿海である。
中国の南部と北部を代表する二筋の川がともに青海省に源流を持つとは、興味深い。
さらに青海省東部に位置する塩湖もまた、中国最大の湖である。
私が知っているだけでこれだけ出てくるのだから、他にも「最大」だの「最多」だのいろいろありそうだ。
また先ほど、四川から甘粛や陝西へ抜ければシルクロード、と印象を記したけれども、ここ青海もまたシルクロードの一つのルートである。
蘭州から武威、張掖方面へ抜ければ有名な河西回廊だが、蘭州から青海省の西寧へ抜けるルートも存在した。西寧からはまた、ラサへ抜ける道と、河西回廊と敦煌で合流する道とで分かれる。
シルクロードファンの多くは河西回廊の方へ視線が行くかもしれない。少なくとも、私はそうだった。
しかしこの青海省、なんて魅力的な場所なのだろう。そして、どうして今まで一度も足を向けなかったのだろう。
それは私にとって、青海省のイメージは本当にそのまま「真っ白」だったからだ。
その人口密度のように、青海省は私にとって、未知と未踏。頭の中の青海地図は、帰宅した今もいまだ真っ白のまま。
しかし出発前と異なり、その白さは不思議な魅力となって私の胸に残ったのだった。

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10時をしばらく過ぎた頃、列車は静かに西寧站へ停車した。
青海省の省都、そして唯一といっていいか、近代都市である。
列車を下りると、案の定空気は冷たかった。私は慌ててかついだボストンからパーカーを出す。

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すがすがしい青空は澄み渡っていた。
四川ではなかなか得られないこの空を見にここまで来たんだ。そう思った。
駅前には国家成立70周年を記念する飾りがあちらこちらに。

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これはここに限らずもう中国じゅうがそうだけれども、国旗だらけ。
人で賑わうも、せいぜいがこんな感じ。
人がすし詰め状態になる、国慶節。行先をここに選んだもう一つの正解だった。

駅の向こうには乾燥した低い山がどっしりとかまえている。
ずいぶん遠くに来たな、という興奮が私をおそう。
駅から広場を抜け、地下道に下りて大通りを越す。そしてそこからバスに乗り、予約した繁華街のホテルに向かおうと思った。

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しかし驚いたのが、このバス案内。
西寧は省都とはいえ、沿岸部に比べ発展から何歩も遅れたような小さな都市である。それでありながら、こんなふうにバスの近況をリアルタイムで教えてくれる。四川省でも見たことがない。

バスは1元で、大都市でも中級都市でも走るのは大概2元バスであるから、たった1元の違いとはいえ、嬉しい。
無事ホテルに着いて、チェックインをすることに。
しかしここでも、パスポート代わりの紙切れで時間を食う。
「申し訳ないけど処理の仕方がわからないから、待って」
フロントの女性はそう言って誰かに電話でヘルプを呼び、また違う女性は私にミネラルウォーターを差し出してくれた。
そうしているとパッと明かりが落ちた。停電である。
フロントの機能も停止し、エレベーターも動かない。服務員は電話でどこかに掛けようとするも、停電しているから電話もつながらない。
私の街も大学もマンションも、すでに何度か謎の停電を起こしている。田舎ゆえの面倒かもしれない。
停電のせいもありだいぶ待ち、ようやく部屋に向かうことができた。
ところが動き出したエレベーターはどうも様子がおかしい。
開くボタンを押しても階ボタンを押しても、ものすごい勢いでドアが閉まってしまい、どうしても人が挟まれてしまう。けっこうなパワーで挟んでくるので皆悲鳴を上げてなんとか乗り込む。
すると今度は、20数階まである階ボタンのいくつかの特定の階は押しても反応しないということがわかった。その階に該当する宿泊客はイライラしている。それも当然だ。違う階で降りて階段で行くしかない。
このホテルは百貨店の一部であり、細かく各階で止まりたくさんお客を乗せ収拾がつかない。それで今度は、早く閉まってほしいのに閉まるボタンを押しても閉じたい時に閉じないということがわかった。見てみれば、ずいぶん前からこのようで、閉まるボタンが押され過ぎてすり減っている。
大丈夫だろうか。
私のマンションも含め、中国では怪しいエレベーターとの遭遇率が高いが、エレベーター事故にだけは遭いたくない。
結局ホテルを去るまでこんな様子だった。この旅行記を書いているということは、無事だったということだ。
中国では一般に、内陸に入れば入るほど、インフラや生活基準が下がる。
不便なことも多いが、それは仕方のないことでもある。

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選んだホテルはビルが林立する、西寧の中心部で一番都会的な場所にあった。
高級でもなく、かといって安宿でもなく、私にとってちょうどいいレベルだ。
なんといっても眺望がすばらしく、私は満足した。

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今日から五日間、ここに滞在する。
この五日間、ほとんど空白といってもよかった。どこに行くとか、何をするとか、まったくこれっぽっちも考えていない。これは私の旅ではとても珍しいことだった。それは、私にとって旅の醍醐味というのは、計画をし旅を想像している時間それこそだったからだ。
なにも考えずにその時の気分その時の状況で行先を決めていくのもたしかにおもしろいと思う。けれどもやっぱりそれだと、私の大切な楽しい過程がカットされてしまう。だから今回だって、本当はちゃんと計画してくる予定だったのだ。ところがあまりの忙しさに、ボストンに放り込んだ地球の歩き方を一度も開いてすらいない。
時間は限られているし、授業が毎日詰まっている現状では、もう冬休みまで旅行はできないだろう。そう考えると、この五日間を無駄にはできなかった。

地球の歩き方の西域版を開いてみた。2011年版なのでもう役に立たないかもしれないガイドブックだ。
開いてみると、青海省は西寧のみ。そして西寧も数ページ軽く触れられているのみだ。
これしか観光地ないのかな。
日本で最大手の海外ガイドブックが、青海省をそんなに‟売れる”地域ではないと見ているのがわかる。
駅前で配られた旅行会社のチラシと見比べながら、考え込んだ。
必ず行きたいのは、中国最大の湖、青海湖だ。しかしここは自然地帯に向かうことになるため、個人で行くのは要領が悪い。以前であれば車チャーターを考えたが、貧乏の今はそんなことできない。
よし、これは一日ツアーに参加しよう。
けれどもツアーはトラブルも多い。いいとこに当たるか悪いとこに当たるか、それで大きく旅の気分も変わってしまう。外したくなかった。
そこでホテルのフロントに相談してみると、このビルに、提携している旅行会社との窓口があると教えてくれた。
指示された11階のある部屋に行ってみると、そこはオフィスではなく、ホテルの服務員が清掃員に電話で指示を与えたりしているそんな部屋だった。
事情を話すと、服務員は一枚のチラシを見せてくれた。
青海湖一日ツアーで、270元。悪くない。
気になったのは、他の旅行会社のチラシには付近の茶卡湖という塩湖が含まれていたが、これには含まれていなかったことだ。
茶卡湖は、青海湖のようにただ塩分を含む湖水ではなく、ウユニ湖のように本当に真っ白な塩で覆われた湖のようだった。
しばらく迷ったけれども、結局安全と無難を買い、ここで決めることにした。
日程は明後日の3日に決めた。
私の電話番号を伝え、明日の夜までにガイドから電話がくることになった。

青海湖の日程が決まり、今日は市内観光をするつもりだ。
市内の見どころとして紹介されているのは、「東関清真寺」と街はずれにある「北禅寺」。今日はここに行きたい。
青海省といえば、私はずっとチベットのイメージが強かったが、ここはイスラムの地域でもある。漢族、チベット族のほかに回族が多く、やっぱりモスクは訪れたい。

ホテル付近からバスに乗り、運転手さんにどこで降りたらいいか訊ねると、「東稍門」で降りればいいと教えてくれた。
百貨店や大きな銀行のビルが並ぶホテル周辺から離れて、街並みはすぐに庶民的な賑わいに変わった。
バスは清真寺を通り過ぎたところで東稍門に停まり、下車すると。

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小さな庶民的なケーキ屋さんがあった。回族のお店だった。
イスラムはスイーツ文化を持つ。
中国のそれも同様で、ウイグル族も回族もスイーツを愛し、そういうお店も多い。やはり漢族のそれとは雰囲気が異なり、ポイントはド派手。そして見るからに甘そう。
着色料を思い切り使ったようなケーキは、昭和レトロを愛する私としては誘惑のかたまりだ。
けれどもどれだけ甘いんだろうという想像が、今まで私の手を止めてきた。
回族の揚げ菓子もまた有名で、私はよく現地の友人から買ってもらい食べたことがあるけれど、こってり。
そんなことを思いながらショーケースを覗くと、回族の奥さんが近寄ってきた。

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これは昭和レトロの色彩だ。今の日本からは失われつつある色味。

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それからこちらはパンダケーキ。
奥を見れば、不機嫌そうな回族の親父さんが、生クリームを塗ったりしている。
このパンダ、あの親父さんが作ったのか?
そう思うと、不思議となぜかパンダが愛らしく思えてきた。

宜賓へ来てから、食傷気味だった。
私がもとめてやまない味覚がいくつもある。その中の一つが「スイーツ」だった。商店にはあまりおいしくないチョコレートやオレオならあったが、日本でコンビニで手軽に手に入った、ケーキだとかシュークリームだとかクレープだとか、そういうものが遠い存在になった。
マンションの近くにあるモールにはなかなかいいケーキ屋さんがあり、時々大学の先生とそこでパンを買った。日本のようにはいかないが、おいしいパンである。そこはケーキ屋さんなのでもちろんケーキもあるが、パンもケーキも私の今の生活レベルからすると少し高価なものなので、未だにケーキには手が出ていない。
甘いものが食べたい、甘いものが食べたい、甘いものが食べたい…。
こうして食欲に負け、回族の奥さんに訊いてみた。
「一個一個でも大丈夫?」
たとえば何百グラムとかそういう単位で買うことはできない。
すると、「一個でも大丈夫」だという。

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悩みに悩んで、パンダケーキは諦めた。
選んだのはこれら。
左が素朴すぎるシュークリームで、上がエッグタルト、右が巨大なチョコパンで、中には着色料たっぷりのメロンクリームが挟んで塗ってある。触るとべたべたになるチョココーティングの上にはカラースプレーが非常に不器用にかかっていた。
巨大なうえにチョコがほんとうにべたべたなので、おしゃれには食べれない。
パンは硬くてぼそぼそで、一口食べればぼろぼろとこぼれる。
これではまるで貶しているようだが、すべて私なりの褒め言葉である。
このチョコパンははまってしまい、今でも食べたくて仕方ない。
「ふわふわ」だの「しっとり」だのが流行している現代。
私が求めるのはこうした昭和時代のぼそぼそしたケーキなのだ。
ミニシュークリームは駄菓子みたいな雰囲気のシュークリームだった。体積のほとんどを空気が占めるようなシュークリームが世の中には多々存在するが、これはほとんどがクリーム。これもおいしかった。
これだけ買っても10元ほど。嬉しいおやつだった。

このお店のすぐ隣りには、ハラルの食堂が並んでいた。
モスクが多い街に行く場合、大きなモスクに行けばその周辺はイスラム関係のお店で賑わっていることが多い。
ここもまた同様で、周辺には宗教関連の商品を売るお店、衣料品を売るお店、飲食店がずらりと並んでいる。
ここに来てハラル料理ときたら、羊肉や牛肉麺である。
豚は当然皆無だが、その代わり羊、牛、鶏は豊富。
ケースを覗きながら烤羊肉串に行こうか迷っていると、親父さんが声をかけてきた。
串は一皿何本なのかというと、10本か20本なのだという。
牛肉麺も食べたいから5本で焼いてくれない?と訊くと快く「いいよ」と答えてくれたので、それで即決。

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牛肉麺は中国各地に存在するが、地方によってタイプが全然異なる。
中国西域でいえばほぼ「蘭州拉麺」であり、ここで四川の牛肉麺や他省のものに出合うことは難しいだろう。
では蘭州拉麺はどんな牛肉麺かと言うと、牛骨ダシのあっさりしたスープ、細い手延べ麺、添えられたやわらかい薄切り肉、パクチーに葱、それから浮かんだ大根に好みで調節してもらえるラー油。これが蘭州拉麺だ。
私はこれが大好きで、しかし好きゆえに食べ過ぎて少し飽きてしまった。
それでもこちらに来たら外すことはできない。

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5本で焼いてもらった羊の串が出てきた。
羊はぜったい、産地で食べるのがおいしい。柔らかさと脂の甘みで新鮮さを知る。
「もう5本焼こうか?」
親父さんが声をかけてきた。
「ううん、もういいよ」そう言うと、
「おいしくなかった?」
けっしてそんなことはない。とてもおいしかった。おなかがいっぱいになっただけだよ、と返した。

おなかが落ち着いて、すぐそばの東関清真寺へ。
中国にはたくさんのムスリムがいるが、その中でもムスリム人口を分っているのが、ウイグル族と回族である。
ウイグル族は新疆ウイグル自治区を中心に中国西域で暮らすトルコ系民族で、そのほとんどがイスラム教徒である。
回族もまた、中国西北部を中心に中国全土に暮らす、アラビア、ペルシャより中国へ渡ってきたイスラム教徒が由来となる民族である。甘粛省と内モンゴル自治区に挟まれた位置には、小さくはあるが寧夏回族自治区がある。
数年前には、この寧夏回族自治区の銀川を旅行した。モスクやアラビアの雰囲気が非常に美しい街だった。
その思い出もあり、東関清真寺付近の様子はなんとなく銀川のそれを彷彿とさせた。

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こちらが東関清真寺の正面。
周囲には政府のプロパガンダが多数あるが、幸いなことに景観を邪魔しないような配置にはなっている。
入り口には注意書きがあり、金曜日の午後3時前は礼拝のために参観が禁止であること。
肌を露出した服装での入場を禁止すること。
これは書くまでもないが、禁酒禁煙であること。
12時から午後1時、また午後6時以降は、女性は清真寺が無料貸し出しするヒジャブを着用し入場すること。
無料のガイドがいること。
などが説明されている。

アラビア式門の中に入ると、この清真寺の由来などが書かれていた。
それを読んでいると、警察の男性とムスリムの女性が私に声をかけてきた。
私は長めのワンピースを着ていたが、丈がひざ下ほどで少し足が露出しているのが問題で、それを隠さないと入場できないとのことだった。
今までいろんなモスクへ入場したが、頭髪を覆うこと以外は、足と腕はある程度覆われていればとあまり深く注意したことがなかった。
困ったなと思っていると、頭髪を覆うために持ってきていたストールを指し、これで足元を巻けばいいと言う。
ちょうど持っていた髪留めがあったので、ストールを足元に巻き、髪留めで仮止めし入場させてもらうことにした。
しかしそうなると、今度は頭部を覆うものがなくなってしまった。
すると、頭髪は露出していてもいいのだという。
私の足元は実はそんなに露出していたものではなかったので、髪よりこちらの方が問題なんだ、と以外にも思った。
警察の男性とムスリムの女性はとても友好的で、親切だった。
「一人で旅行して怖くないの?」そんなふうに言いながら笑顔で見送ってくれた。

この東関清真寺、中国でもっとも礼拝者が多いモスクなのだという。
創建は古く北宋の1038年で、明の1378に大規模な改修があったあと、明から清代にかけて戦乱による破壊を受け数度改修しているのだそう。現在の姿は1946年に重建したもの。
巨大な建築物で、清真寺の外壁となる巨大な建物には、男女それぞれのお清めのための浴槽、教室、厨房、宿舎などの設備が整っている。
平常時の礼拝でも毎回7000人余、グルバン節には12万人以上もの礼拝者が訪れるのだという。
時代を分けて一部一部を改修補修してきたため、中国伝統様式、ヨーロッパ調、アラビア式などの異なる風格が融合した美しいモスクである。
と、このような説明書きがあった。

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これを読んで入場してみると、これがまた驚いた。
緑色のドームを有した典型的な西域式門の向こうには、それだけ見たらモスクとはわからないような中華式門がどうどうとしていたからだ。
中国は広く文化も多様なため、様々な様式のモスクを見る。
西安で有名な大清真寺は随所にイスラミックカリグラフィやイスラムの聖なる色である緑や青を配しているものの、完全な中華式建築である。
内モンゴルの呼和浩特の清真寺もそうだった。
一方で西安を越し西へ進むと、モスクは一気に西域色を増す。
基本的には中華式建築は見られなくなり、ドーム式モスクが増え、特に寧夏回族自治区のモスクはもう完全にアラビア調である。
しかし新疆ウイグルへ入るとそれがまた一転し、ウイグル族の清真寺はアラビア式であるが、回族のモスクには多々中華式のものが見られるようになる。
これは回族が時代を経て漢族と混血し、漢族文化と融合した民族であるからだ。
その新疆ウイグルも西の端カシュガルまで行けば、陶器レンガを散りばめた中央アジア色の濃いモスクを見ることになり、ここまでくればもうほとんど中華式モスクは目にしなくなる。
そういうわけではあるが、このようにアラビア式外観を持ったモスクの内部が中華式であった例を、私は目にした記憶がない。

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しかし一瞬どこかの仏教寺院かと思ったものの、両脇には信者に礼拝を呼びかける二つの塔ミナレットがあり、やはりイスラム建築だ。
そしてその石門の向こうにはまたどこかのお堂を想像させるような中華式建築が覗き見えた。

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こちらが礼拝堂。立派な中華式建築である。
中国にはアラビア式モスクも中華式モスクも多数あるが、アラビア式建築の中にこれほど純粋な中華式建築を見た記憶がない。
また逆に言えば、このような中華建築を取り囲むアラビア式建築をも見た記憶がない。
そういう意味でとても興味深い清真寺だ。

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そしてそれだけでなく、この礼拝堂、非常にうつくしい。
私は日本建築でも中国建築でも、屋根に魅力を感じる。
うつくしい建築というのは、屋根組もうつくしいし手を抜いていない。
また、屋根が質素な建築にも、質素な雰囲気なりの美を感じることもある。
建築様式も、またその建物が背負ってきた歴史も、みな屋根に現れているかのように感じることもある。
この清真寺の屋根はやはりモスクだけあり、緑と青の配色がうつくしい。
そしてよく見てみると一番下の垂木の断面は孔雀の羽を模している。どうやらこの屋根組は孔雀が羽を広げたような壮麗さを、イスラムの聖なる色である緑と青を使って表現しているようだ。

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振り返ってみると、みごとなアラビア式門が向こうに見える。
手前には先ほどくぐってきた中華式門が重なり、不思議にうまく融合しているみたいだ。

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こちらは礼拝堂入り口。
奥では、白い帽子をかぶった回族のムスリムが聖なる方角に頭を下げている。

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晴天が少ない四川省にいて、今日の澄み渡った青空はすがすがしく嬉しい。
中華式礼拝堂のガラス面には、背後のアラビア式門が写りこんでいる。

そうして見入っていると、背後の広場からマイクで人を集める声がした。
「解説するからみんな、集まって!集まって!」
振り返ると白い帽子をかぶったムスリムが人を集め、その声に呼ばれて観光客が吸い寄せられていく。
そのムスリムはこの清真寺のガイドを務めるようで、ムスリムの習慣、一日に五度どのように礼拝を行い、どのような祭礼があり、そしてこのモスクがどのような歴史を持ち、などの説明を始めた。観光客も熱心で、真剣に聞き入っている。興味深かったのは、このガイドさんがただ説明をするだけでなく、観光客がおもしろいようにユニークに話をしていたことだ。
今年の8月四川へ発つ前のこと、日本最大のモスク、東京ジャーミイを見学したときのことを思い出した。あのモスクはイスラム教の普及と理解への積極的な姿勢を持ち、私が見学した時も、たくさんの観光客へ向けて無料解説を行っていた。その解説ぶりはユーモアをもっており、私はついつい夢中になっていた。
私はそれを思い出しながら、この東関清真寺も、きっと同様に積極的な活動をしているんだろう、だからこそたくさんの信者が訪れる青海最大のモスクでありながら、このように非信者を受け入れているのだろう、と思った。
女性が入場どころか近づくことも許さないモスクも少なくない。
非信者を受け入れることができないムスリムもいる。
聖なる場所であるから、写真撮影を拒むところもある。
それなのに、ここはその逆を行く。しかしとても開放的でありながら、イスラムの教えを厳格に実行する。その姿勢を入り口の注意書きに見た気がした。

ガイドさんが説明を終えて、礼拝堂隣りにある建物に誘った。
私もつられて入っていくと、そこは小さな展示室になっていた。
ここはどうやら、回族のイスラム信仰と生活習慣について紹介した建物のようだ。

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入り口にはコーラン。版画印刷が、時代の古さを感じる。

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同じイスラム教徒でも、回族とウイグル族とではだいたい外見で見分けることができる。
ウイグルの男性が深緑や黒い小さな帽子をかぶっているのに対し、回族の男性はそれより少し大きな白い帽子をかぶる。
ウイグルの女性が派手な柄のスカーフを器用に巻き結んでいるのに対し、ここ西寧の回族女性の多くは、頭巾のようにしっかり頭部と肩のあたりまでを覆う主に黒いヒジャブを着用していた。
しかし女性に関しては、新疆ウイグル自治区でも寧夏回族自治区でも、ここで見るようなヒジャブの統一感は見たことがないから、それが地域由来なのか単に私の行動範囲の問題なのかはわからない。

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回族の生活様式が、実物の展示と共に紹介されている。
回族の特性として、アラビア、ペルシャからの移民が漢族と混血を繰り返し漢族文化と融合した、という点がある。
回族が主に漢語を話し、身体的外見も生活様式も漢族とほぼ変わらないのは、このためである。そのため、白い帽子や頭髪を覆うスカーフやヒジャブがなければ、漢族と区別がつかない場合も少なくない。
古い写真も展示されていたが、なるほどその通り、衣装も住居も漢族とそう変わらない。

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こちらは青海省の回族のみの習慣かも知れないが、回族の女性はかつてこのような衣装を着て身体を覆った。これを着ないで外出することは非常に恥ずかしいことだったという。
イスラムの女性でこうした衣装を見たのは初めてだった。清代の女性の衣装に似ている。これもまた、イスラム教民族でありながら漢族文化と融合した回族ならではの様式なのだろう。
動きやすく仕事もしやすい衣装で、時代と共に変化してきたものなのだと説明されていた。中央アジアのムスリム女性の衣装は動きやすいとはいえないものだから、それを思い出しながら、この衣装は非常に合理的だなと興味深かった。

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最後にこちらは、八宝茶。
銀川であちらこちらに売っていて私もお土産に買ったものだった。枸杞や棗、桂圓などの八種類の植物由来の材料と角砂糖を合わせたお茶である。私は買ったけれども口に合わずに買った袋も残ってしまった。

イスラムは食にこだわった宗教文化を持つ。
それは、美食と清浄であること。
おいしいものを食べよと教えがある一方で、不浄なものを口にしてはいけないとも厳しく説いている。
だから暴飲暴食を戒め、自然死した動物、血液や豚肉を口にすることを禁忌としている。豚肉が禁忌なのは、コーランが定められた当時中東の砂漠地帯では豚肉は疫病の危険性が高かったからではないか、という話もちらりと耳にしたことがある。
そうした禁忌がある一方、中東イスラム圏でコーヒーが門外不出の美味として人々を虜にしたのに対し、中国で回族という民族になった人たちは、お茶を愛した。そのかたちのひとつが、この八宝茶である。

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四川でもおなじみの蓋と受け皿つきの飲み方だが、大量の材料を浸したお茶は、このように蓋がなければ飲めないだろう。

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展示室を出て、礼拝堂の左手にまわってみた。
回族といえば、このように石彫りの細工がうつくしい。
非常に精巧で、題材は中華建築だったり松だったりおよそイスラム的ではないが、さすが西域に広がる民族だけあって、けっこう葡萄の題材を目にする。

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礼拝堂の最奥部に行き当たると、中にずっと向こうまで続く絨毯が見えた。
この左手には聖なる方角に向けて作られたミフラーブがあるのだろう。
建物の陰に日を避けるようにして男性が三人ほど腰かけて、祈りを唱えていた。
不思議な抑揚を持ち、どうやらそれはアラビア語のようだ。なんだか練習しているかのようで、ときおりつっかえたり間違えたりしては歌い直していた。

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ふたたび、最初にくぐってきた中華式門を抜けてアラビア式門から清真寺をあとにしようとしたところ。
入ってきた時には気づかなかったが、門の一部を改修している人たちに気づいた。
彫刻が施された粘土状に見える石材を載せて、水平を測っては、ああだこうだと言い合ってやり直している。
モスクでも仏教寺院でも、中国では惜しげもなく新しい姿に改修したり神様仏様が真新しい姿をしていたりする。
観光として訪れる私はよくそれを残念に思うけれども、しかしその一方で深く関心し尊敬の念を抱くことも多い。
信仰に大事なのは見た目よりもそれを祈るこころの方である。
建築美も仏像も神像も、それらはあくまで宗教真理の形代に過ぎない。
そのことを彼らは知っているのだ。
だから、ぴかぴかの仏像にこころから跪き頭を下げるのだ。
イスラムはさらにその向こうを行く。
イスラムにとって大切なのは聖なる方角。本来のことをいえば、礼拝堂もミフラーブもなくても構わない。
文化的価値を重視して、保存のために誰も立ち入れなくなった宗教施設。
それよりも、祈ることを優先し、古くなったら直したり換えていく、そうしながら人の祈りの場であり続けるその方が、信仰が生きているとはいえないだろうか。
まれに、寺院でカメラに手をかけていないのに「神様を撮らないでね」と先に注意されることがある。彼らには、ピカピカの神様仏様のその向こうに、ずっとずっと変わらない姿の尊い存在が見えているのだ。
時代を重ねて様々な個所の改修を繰り返してきたために、様々な様式が融合したモスクになった。
アラビア式門をくぐった時に読んだ説明書きを思い出す。
この東関清真寺のうつくしさは、実はその建築美自体ではなく、その背景にある、時を超え祈り続ける人々のこころなのだと知った。

〈記 10月8日 宜賓にて〉

⇒ 西寧旅行〈市内観光〉~後編~ へ続く

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西寧のイスラム

出発の日記では、教職の激務の日常をそのまま背負っているようで、読んでいても辛くなりましたが、西寧に到着してからの日記は、旅のワクワク感が伝わってきて、読んでる僕もホッとしたというか、このあとの日記が楽しみになりました。
僕も青海省というと、プレチベット的に捉えていましたが、回族の人が住み、イスラムが根付いていることも大きな発見です。
東関清真寺も魅力的で、僕も行きたくなりました。また、最近の中国の宗教施設として、日記に記されているように開放されていることはありがたいですね。イスラムに限らずキリスト教の宗教施設も軒並み閉鎖されていると、キリスト教徒の中国人の友人から聞きました。
西寧出身の漢族の友人が、チベット族の友達はいるが、回族に友達はいないと言っていました。なぜなら回族は、ちっともフレンドリーじゃないからと。
チベット族も漢族も広い意味の仏教徒。しかし、回族はイスラム教徒だすからフレンドリーに感じられないのではないかと思います。そのような観点からもイスラム教の理解を進めるための活動は、非常に良いことだと思います。


突然すみません

楽しく拝読しております!
ご存知でしたら本当に申し訳ないのですが、青海省については地球の歩き方・中国西北版(陝西省とかウイグル中心のもの)よりもチベット版(表紙には中国の記載なし)のほうが、西寧近郊の地方都市など遥かに詳しく書かれていたように思います。
すでに旅行を終えたまゆさんにお伝えしても詮無いことなのですが、つい気になってコメントしてしまいました(^o^;
重箱の隅をつつくようですみません。
続きもゆっくり読ませていただきますね。
私もいつか青海省に行ってみたいと思っています!あと宜賓燃面も食べたいし李庄古鎮も行ってみたいです!

Re: 西寧のイスラム

Zhenさん、ありがとうございます。無事に国慶節が休暇になり旅行に行くことができてよかったです。
中国には観光地として部外者にも開放された宗教施設とそうでないものとわかれますが(それは日本も同じですが)、そういう意味で非信者である私にとっては観光地化はありがたくもあります。信者でもないのに、見学させてもらえるわけですから。
日本では開放された寺院などは有料であることが多いですが、中国は無料で開放されたものが多く、観光地のチケット代が値上がりする中国で不思議でもあり、またありがたくも思います。
いずれにしても、宗教文化の理解を広めるという点ではとても有意義なことですね。

Re: 突然すみません

ぷるるさん、ありがとうございます!
チベット版には詳しい情報があったんですね。私は中国にいますので、新しいガイドブックを探しにいくことができなかったんです。ですから手元にある古いガイドブックしか材料がありませんでした。淘宝なんかでは地球の歩き方の最新版も買えるのかな、でもそういうのを探す時間もなかったです…。でも青海省はまたぜひ行きたいと思っているので、その時はぜひ参考にしてみます。
自分も行ってみたい、そんなふうにおっしゃってくださると嬉しいです。機会があれば宜賓へもぜひお越しください。休みがほとんどない現状で李庄古鎮はまだ私も行ったことがないんです。他にも目をつけているところは色々あるのですが、学生が「一緒に行きたい」と言ってくれて、でもそれでちょっと一人で行きにくくなったという一面もあります(^^;)
プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国四川省宜賓市にて生活を始めました。
旅行記に絞ったブログ、一つひとつは旅のあしあとです。

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