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2019-11-13

西寧旅行六日目〈市内観光〉~後編~、七日目〈帰宅〉

そのまま歩いて行くと、百度地図はとうとう文廟に到着したことを示した。
でもそれらしきものがないなぁと見渡してみると、左手奥に、それらしきものを見つけた。
あの白い中国伝統様式の獅子、それから向こうに見える屋根、あれは文廟ではないだろうか。

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行ってみようと左に入っていくと、そこは二階建ての商業ビルの囲みのようだった。

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なんともレトロな雰囲気を感じた。ペンキがはがれかけた白い壁に架かるランプ、それとミスマッチな天井の中華式灯篭。
廃墟ではないが、昭和期の建物の名残のような印象を受ける。
ここはなんだろうと立ち止まっていると、一組の夫婦が私が眺めるこの建物の写真をスマホで撮り始めた。意外な反応だ。観光地ならともかく、こんな建物に反応するのは私ぐらいなものだと思っていた。

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廃墟だとすっかり思い込んでいたこのお店、よく見ると窓ガラスの向こうに灯りが見えた。
覗き込んでみると、真昼間にも関わらず真っ暗な店内に、魅惑の誘いのようにステンドグラス風のランプが明かりを灯している。
ソファーといいランプといい、この真っ暗さといい、まるで昭和の純喫茶のようだ。
私は昭和レトロが大好きで、また古き良き時代の喫茶店がたまらなく好きだ。中国へ引っ越すにあたりそれらとお別れしなければならない、それが寂しかった。中国には昭和レトロ風の雰囲気をもつ建物はあれど、昭和の喫茶店は存在しえないからだ。引っ越しにあたり持ち込んだ本の中には、純喫茶を扱った本も含まれている。せめてもの慰みだった。
しかしまさか、自然地帯でありチベット地域である青海省で純喫茶に出合うとは思ってもいなかった。
私は興奮した。
光が反射しないように手を当てながら覗き込むと、中に怖そうな男性店員がいて、こちらを不審そうに見た。
思わず一歩下がる。
覗いたところ、たくさんのビール瓶が見えた。昭和の喫茶店にも、時々コーヒーだけでなくウイスキーなどのお酒を置くところがある。ここはそのパターンなんだろうか。
喫茶店に入ってみようか迷う。ビールがあるなんて、最高すぎる。
宜賓にきて仕事一本でお酒をほとんど飲んでいない。西寧に来てからもいつもはやる昼から飲みをやっていない。最後の一日、飲みたい。

しかし怖そうな男性店員にひるみ、とりあえず奥まで進み文廟を見学してみることにした。
進んでみてわかったのは、この廃墟になりかけた二階建ての商業施設、すべて店舗は酒吧なのだった。酒吧、つまりバーだが、ここに並ぶ店はみな同様に、バーというよりはスナックみたいだった。他のお店も最初のお店のような昭和感を満々に放っていたが、半個室が設けられていたり、やっぱりちょっと喫茶店とは違う雰囲気だった。
酒吧とわかってもまだ迷う。
灯りがついていて人がいるんだから、営業しているのかな。ビールだけでも飲ませてくれるかな。
そんなふうに迷うも、もしここが日本だったらぼったくられそうな雰囲気に躊躇し、結局やめた。
西寧の繁華街にはこのような酒吧の並びの雰囲気は微塵もない。
なぜよりによってこんな閑静な住宅街に、いやそれよりも突っ込むべきは、なぜ孔子さまを祀る文廟の門前がこのような廃墟酒吧ビルなのだ。

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ここの主役であるはずの分廟は、酒吧に囲まれてまるでその一部のようにして、奥に建っていた。
しかし屋根も立派で、往時はきっと鮮やかな緑色を放っていただろう屋根瓦は、今ではくすみ、それが時代を感じさせる。

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左右にはこのように古い石碑が並ぶ。文字も読み取れないような古さ。
当時の面影をなにも残さない通りには一つひとつ歴史を説明する看板があるのに、ここにはこの石碑以外なにもない。
文廟(明代)、なかなか古いお堂である。
1957年に西寧市委員会にて文化財に指定され、1980年に石碑が建てられた、というふうに読み取れる。
文廟は閉じられていて中に入ることはできなかった。よくは覗いてはいないけれど、このお堂の背後にはまた他の寺院同様にまた別のお堂が続いていたと思われる。

文廟を後にして、百度地図に現れた山陝会館に向かってみることにした。
**会館とは、中国を旅行してしばしば出合う名称である。
そしてこれはたいてい、異郷の地で同郷の人たちが出資し合い共同して建てられた建築だ。
会館ではないが、陳姓が出資し合い建てた広州の陳氏書院も有名だ。
出身地、姓を重視する中国ならではのことである。
そこからみると、この山陝会館、山西省と陝西省の出身者が共同して建物である可能性が高い。そしてこうした‟会館“はたいていその故郷のプライドをかけたかのように、華美である。
行ってみよう。

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山陝会館まではすぐだった。
落ち着いた住宅街の中に紛れるようにして建っていた。
ところが扉は閉まっている。
近づいて見てみると、電圧工事のためしばらく閉鎖します、という張り紙。見ればその期間とは9月30日から10月8日までと書いてある。
これもまた私にとってはよくあることだった。今日は10月5日、あと三日もすれば公開される。どうしてか私はちょうどよく見ることができないそんなタイミングにあたってしまうことが多い。雨女ならず、改修工事女だ。

この山陝会館、予想通り山西省と陝西省出身者が共同して作った建物だった。清光緒帝の1900年に、西寧城東門の外にあったものをここに移築したものなのだという。
山西商人、陝西商人、という言葉があるように、この二つの省は商業が盛んで富豪がたくさん生まれた。昨日は国内外多くの商人が駐在したという丹噶尔古城へ行った。あそこには北京、天津、山西、陝西の商人が駐屯したというから、そうした人々がこの会館を建てたのだろう。

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山陝会館を諦めて、滞在中毎日のように足を運んだ大十字へまた来てみた。
ここは古くからの繁華街のようで、大きな通りが交差する。山陝会館からは南下してすぐのところである。
中国の本屋として歴史ある新華書店、それから中国貯蓄郵政銀行、ともにレトロな雰囲気を醸し出している。

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ここからすぐのところにあるのは、青海の食や特産品があつまる莫家街という賑やかな通り。大十字から少し東に進み右手に曲がったところにある。

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これが、莫家街にある最大規模のフードコート、馬忠食府。
ここでは羊腸麺を食べたばかり。
今夜は西寧站から成都へ向かう夜行列車に乗る。最後になにか食べておきたくてやってきた。

さんざん悩んだあげく、大好きな手抓羊肉を食べようと思い訊いてみると、一斤(500g)からだという。
手抓とは手づかみで食べるという意味で、これはシンプルな骨付き羊肉だ。しかしたいていお皿にたくさん載ってくるので食べきれない。
ここではさすがフードコートだけあり、大きな鍋に入ったものを量り売りで売っていた。だからこれならと思い訊いてきたが、一斤では食べきれない。
一つだけでは売ってくれない?と訊いてみると「いい」と言ってもらえたので一番小さな、大きさで例えるならフライドチキンほどのを指さしてみると、これが60元ほどの価格を提示されてしまった。ひとつで60元はさすがに高すぎるので、泣く泣く諦めることになった。

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こうして最後に少し、串焼きを食べていくことにした。
羊の串焼きといっても種類が豊富で、内臓などもある。肉だけでも3元から10元くらいに様々に価格が分かれて売られていたように思う。
私は6元のものを三本頼んでみた。
焼き立てで、脂がのっていておいしい。柔らかい羊肉は、噛むとじゅわっと脂が染み出すのがおいしいのだ。

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脂っこいものを食べて次に食べたくなるのが、程よい酸味のヨーグルト。
中国西域にくるとやっぱりこれだ。
ヤク乳のヨーグルトは、どれも黄色い膜が張っている。ちょうどいい量で、4元から6元ほど。

ここで百度地図を開くと、近くに二つお寺の名前を見つけた。
一つは金塔寺。
まずはさきにそちらに向かってみた。

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金塔寺は大十字のすぐ近く、都市風景の中に溶け込んでいた。

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溶け込んでいたが、その名称だけあってとても派手。
寺入り口の左右には、チベット仏教関連のものを売るお店が並んでいる。
ここはチベット仏教の寺院のようだ。

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入ると都会風景の中で別世界のようにひっそりとしている。
焚かれたお香がもくもくとして、四角く囲まれた空間にこもっている。
寺院の管理人のような女性が出てきて、「中の仏像は撮らないで」と声をかけた。ということは、建物自体は撮っていいのかな。そう思ってカメラを向けたが、女性は何も言わなかった。

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小さな寺院だったが立派なようすだった。
お堂の前には「監視カメラがあるから笑顔で」なんてユーモアも。
内部には金ぴかで巨大な立像が三体あり、五色を重ねた布をその三体で共同して手にしている。周囲には金のうえから鮮やかな色彩がのった八大菩薩像が祀られている。
この金塔寺、創建は明代1612年で、清代にはタール寺の属寺となり、タール寺から僧の往来があった。この金塔寺という名はタール寺の大金塔からとったものだという。
しかし1958年、これは想像だが宗教改革だろうか、この寺に住む僧はいなくなった。1985年になりふたたびタール寺の管理下になり補修が行われ、現在に至るのだそうだ。

この金塔寺、弘覚寺街という通りにある。
通りの名の由来になった弘覚寺は金塔寺の斜め向かいあたり、すぐ近くにある寺院であり、先ほど百度地図でみつけた二つの寺院のもう一つである。
金塔寺を出て探してみた。
しかしこれもまた、地図はすでに到着を示しているのに、寺なんかない。

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よく見てみると、先ほどの城隍廟のように石碑だけみつけた。
「宏覚寺」宏と弘の字の違いはあるが、これで間違いない。
これは先ほどと同じように、この内部に入っていくパターンだろうか。
金属製の扉の向こうに入ってみた。

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すると建物の向こうに金ぴかの屋根が見えた。あれは明らかに寺院だ。
それにしても、こんなに現代建築に埋もれたお寺なんて初めて目にした。

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内部はその先に続いていて、目の前の古びた建物にも、弘覚寺を示す石碑があった。
今度は「洪覚寺」と刻印されている。宏、弘、洪、ともに発音は同音でhongだ。
いつの時代のものだろうと思うような古い石レンガの建物のあしもとには小さな檻があり、中で犬が小さく丸まっていた。

この古い建物には「宏覚寺へは直進」と紙が貼ってあり、ルートが正しいことと観光客が入ってもいいということを知り、安心して進む。

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そうして入っていくと、また古い建物。
屋根瓦は少し歪み、その上に大量の雑草を生やしている。
そしてそこにもまた、「大殿へはこちらからどうぞ」と右方向に矢印。

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こうして右に入っていくと、また矢印。
その矢印が指す先には、人ひとりがかろうじて入っていけるほどの隙間しかない。
これが順路か?ほんとうにこれでいいのか?
ここには宏覚寺の説明が書かれており、一人の女性がそれを読んでいた。明らかに観光客の様子だった。彼女はその人ひとりの隙間に入っていった。
私もそれに続く。

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その隙間の先がこれである。
右手にはこの宏覚寺のすぐ正面にあるビルというか建物の壁があり、それに面するように寺院が建っていた。

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見上げるとこんなふう。
こんな立地ではさぞ息苦しかろうと思っていれば、あの煌びやか金ぴかな寺院上部はしっかり‟呼吸“ができているみたいだった。

唐代、吐蕃王に嫁ぐために文成公主はこの地を通りがかった。
たくさんの仏像をかかえての旅路だったという。
文成公主はここで一カ月以上滞在し吐蕃へ向かった。そしてその場所に後世建てた寺院というのが、この宏覚寺だった。
創建は明の洪武帝の時代、1390年。元の名を弘覚寺といったが、清代乾隆帝の時代に、皇帝の名前の愛新覚羅弘暦の弘字を避けて、同音の宏覚寺に改名した。

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この建物に埋もれた宏覚寺、そのお堂自体は扉が閉まっていて、中の様子をうかがうことができなかった。
僧侶が出入りしていたので、開ければ中に入ることはできたと思うが、やめた。先ほどの道案内には5時まで開放していることが書いてあったが、時刻はすでにもう5時をまわろうとしていた。もっと早い時間であれは、扉は開いていたかもしれない。
ふたたびあの人ひとり通れるかという狭い通路を抜けて戻って見上げると、寺院の上部が一部見えた。姿は確認できるのに、なかなかそこに辿り着けない、不思議な寺院。この寺の全貌を見ることは、誰であってもかなわない。
弘覚寺路に出てみると、先ほど中で見かけた観光客の女性がいた。
「中に入ってみた?」と訊くので、
「閉まっていたので入らなかった」と答えると。、「やっぱり、そうか」と彼女は去っていった。中国でも一人旅はめずらしくはないが、それでもそう多いわけでもない。

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ここからホテルに戻り、バスで西寧站に向かった。
着いた時にはさわやかな青空が広がっていた西寧站も、今日は曇天。
青空に会いに来たようなものだった、この場所。
晴れたのはほんの二三日だけだったが、それでもうれしかった。
あまりに簡単な表現だけれど、でも、楽しい数日間だった。

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西寧站を19時15分に出発し、成都站は明日の10時28分に到着するK2634次。15時間と少しの夜行列車の旅である。

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行きはチケットがとれず硬座だったが、帰りは硬臥ではあるけれど一応は寝台車がとれた。しかし理想の下段はとれず、身動きのとりにくい中断だ。
夜といっても早い時間だし、明日の到着も早くない。
列車の中で楽しむ機会だと、駅構内で急いで食料品を買い込んだ。

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お菓子、おつまみに、ヤクのヨーグルト、それから青稞酒にヤクのカップ麺。
青稞酒は昨晩飲んだ廉価品ではなく、もう少し価格がするもの。長距離列車の旅に、ビールでは物足りない。

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こちらは、西寧站で見つけて買ってみたヤク肉のカップ麺。牦牛雑、つまり肉というよりは内臓が入ったカップ麺だ。
中国には様々なカップ麺があるが、でもヤクのカップ麺はここだけだろう。

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列車はゆっくり進み、都市部を離れた。
夜はまだ始まったばかり。
しかし一部屋に六つのベッドがある硬臥だから、廊下の簡易椅子は埋まってしまっている。なにしろ、人数が多い。
下段ベッドが理想だというのはこのことで、座ってゆっくり食事したり飲んだりする場所は限られている。人数に対して人の方がずっと多いので、誰かが寝る体制になってもらわないと、席は空かない。

こうして辛抱強く待っていると、席がひとつ空いた。
そこを急いでキープし、青稞酒を飲もうと思ったけれど、どうも人の目が気になる。後から思えば何を気にするのかとも思うけれど、列車で白酒なんて度数の高いお酒を一人小瓶に口をつけて飲むような女性なんて、中国にはいない。ビールでさえ、ない。
だから私みたいなのは、変人なのだ。日本でもそうかも知れないけれど。
そこで最初は駅に着く前に買ってあったビールを取り出し飲んでいた。
しかし列車旅でお酒に求めるのは、味そのものよりも、適度な酩酊感だ。
でもビールでは全く酔わない。

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青稞酒に手を付けないまま、夕ご飯を食べることにした。あのヤク肉のカップ麺だ。
開けてみると、中は春雨だった。今日お昼に食べたものも春雨だったから、ヤク肉には春雨と決まっているのかもしれない。
驚いたのは真空パックになったヤク肉(の内臓)で、けっこう大ぶりなものがたくさん入っている。カップ麺の具材というのはパッケージよりも少ないのが常だが、これはなかなかサービスがいい。
中国で嬉しいのは、駅にも列車内にもお湯が完備されていること。これは中国人がお茶を好み、また駅や列車でカップラーメンを食べるからだが、これには助かる。
ヤク肉カップ麺にお湯を注いで席に戻ると、その辺の乗客たちがそれを見て次々と、「牦牛雑だ!」と小さな声で囁き合うのが聞こえた。
味は大満足、脂っこい普通のカップ麺と違いさっぱりし、温かくて安心する味だった。

このあと徐々に廊下の簡易椅子に座る乗客が減り、とうとう三人ほどになった。乗務員さんが「もう寝る時間」と言ってすべての窓のカーテンを閉めに回ってきたので、私は簡易椅子に座りながらカーテンにもぐりこんだ。
そうしてカーテンの中で青稞酒を飲み、真っ暗な中にたまに走り流れていく何かの灯りを眺めた。
それはとても奇怪なすがただったろう。
西寧を出発してしばらくは、通り過ぎる駅にはやっぱりレトロな駅名の立て看板があり、そこには標高が記されていた。しばらくは2000mちょっとを走っていたと思う。
それがいつしか標高の表示はなくなり、百度地図を眺めればどんどん青海省を離れ、蘭州を過ぎ、やがて四川省に入った。
もうすぐ着きそうにも思えるのに、不思議だ。
西寧から成都まで、15時間と少し。
この時間は少しも違うことなくちゃんと時間をかけて列車は到着する。

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翌日、10月6日の10時28分、成都站へ到着した。
ここから成都東站へ移動し、そこから高速鉄道で宜賓へ、帰宅したのは18時頃だった。
国慶節連休は明日までで、8日から授業が始まる。怒涛の毎日の再開だ。

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青海省、青い海とはなんてうつくしい地名だろう。
あんなに海から離れた場所に「海」の名を持つ地名があることを、今まで一度も疑問に感じたことはなかった。
あれだけ巨大なのに、知ろうとしたこともなかった。
それを不思議だと思うのは、今だからこそだ。
中国であればどんなところでも、行って見てみたい。
そんな私であるがそうは言ってもやはり、選ぶ旅先に傾向はあり‟贔屓”もあった。
自分の中でまっしろな場所に行ってみたい。
そうして初めて旅候補として頭に浮かび上がってきた青海省。
呼ばれていた、という表現はありきたりだろうか。
今はまだ、どこかから私を呼ぶ声が聞こえない。
もうしばらくして戦いの毎日に区切りがついたら、耳をすませてみようと思う。
かならずどこかが私を呼んでいる。
そんな確信を持てることは、実はきっと、とても幸せなことにちがいない。

〈記 10月29日 宜賓にて〉

[了]

参考:
青唐城遺址 無料
城隍廟 無料
文廟 無料
金塔寺 無料
宏覚寺 無料
西寧 → 成都 寝台列車 240元
成都 → 宜賓 高速鉄道 110元
牦牛湯 16元
羊肉串 18元
ヤク乳ヨーグルト 6元


◆西寧旅行◆

〈1日目〉
宜賓ー成都ー 寝台列車   [寝台列車泊]

〈2日目〉
ー西寧 東関清真寺、北禅寺(北山土楼観)、莫家街、回転火鍋  [西寧泊]

〈3日目〉
西寧ー湟中:チベット料理、タール寺(八大如来宝塔ー護法塔ー祈祷塔ー大経殿ー辯経仏事ー酥油花館ー蔵経楼) ー西寧 古城台、東関清真寺、莫家街、羊腸麺   [西寧泊]

〈4日目〉
青海湖一日ツアー 克素尔藏寨ー青海湖二郎剣景区ー金沙湾砂漠ー金銀灘草原ー達玉部落ー原子城(核兵器開発基地)、玉帯橋清真寺、東関清真寺、回転火鍋  [西寧泊]

〈5日目〉
擀面皮、西寧ー湟源 丹噶尔古城(城隍廟、仁記商行、丹噶尔庁署、文廟)、北極山廟宇群、-西寧 火鍋  [西寧泊]

〈6日目〉
青唐城遺址、城隍廟、ヤク肉スープ、拱辰門、文廟、山陝会館、莫家街、金塔寺、宏覚寺、 西寧ー  [寝台列車泊]

〈7日目〉
ー成都ー宜賓 
  
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青い海、青い空、また会う日まで
 
《中国旅のあしあと》 ☆地域別の足跡はこちら☆

《旅のあしあと》 ☆時系列編の足跡はこちら☆


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こんにちは、お久しぶりです。中国での教員生活大変そうですね。
宜賓の散策記と西寧旅行記拝見させていただきました。
宜賓も派手な観光地は無いのでしょうけど、なかなか見所あるし、私も行ってみたくなりました。確か李庄古鎮も宜賓から近いですよね?名物の白肉や本場の燃麺など興味あります、宜賓て長江の出発点だったのですね…西寧もまだ穴場感のある観光地という感じですね。塩湖とか南米まで行かずとも素晴らしいものが!チベット寺院も見ごたえありそうで、お忙しいなかでも旅行出来て良かったですね。
私事ですが、今月27日に成都入りしまして12月4日帰国で成都と楽山にグルメ旅行に行きます。
まゆさんの勤務している宜賓までは今回は時間無さそうです、まゆさんに日本のポテチを届けてあげたかったですね。
本場の四川で四川料理食べ放題うらやましい~と思うけど、日本の味や日本で当たり前のスイーツの味から遠ざかるのは辛いですよね…年末年始は日本に一時帰国とか出来るのでしょうか?色々と教員生活大変そうですけど、陰ながら応援しています。
私たちも四川旅行楽しんできたいと思います。

Re:

kyubeyさん、こんにちは!
宜賓は地味なところですが、魅力も少なくないところです。李庄は宜賓にありますがまだ行ったことがないんです。まだまだ見ていない風景がたくさんあり、もどかしいです。
青海も楽しかったですよ。昨日学生が見せてくれたのですが、イモトさんの番組で青海湖となりの茶卡湖が扱われたそうで、「あれ、私が行かなかったところだ!」と今になり惜しく思いました。千と千尋の最後のシーンにそっくりなのだとかで、とても魅力的な場所でした。

kyubeyさんはもう間もなく、四川グルメ旅ですか!私が言うのもなんですが、うらやましいです。
ここにいて四川料理食べ放題なんて状態ではないんです。お金もそうだけど、毎日牛肉麺くらいしか食べるものがないんですよ…。日本のポテチいただきたかったですね(^^)
楽山もまたおいしいものがたくさんあると、学生とのおしゃべりでも話題が出ます。昨年私が行った時には大仏は補修中でしたが、もう終わってるのではないかな。
こちらは時々すごく寒くなりますが、まだ本格的な冬は迎えていませんからいい時期だと思います。ぜひ楽しんで行ってきてください!
私は年が明けたら中国をぐるり旅行してから日本に帰ろうかなと思っています。

こんにちは、まゆさんもイモトさんが行った中国の番組をご覧になっていたんですね。
私も最近観まして、チャカ湖にまゆさんも行っていたもんだと勘違いしてました…まゆさんの旅行記を読んで、中国人の宗教感の所をなるほどね~と納得しちゃいました。
綺麗なピカピカな仏像にピカピカのお寺には歴史的には価値は無いかもしれないけど、その後ろに控えている信仰の対象のほうが大事なんだと!私はあまり宗教とか気にしないほうなので、お寺や歴史建造物など断然古いオリジナルが好きなんですけどね。
四川旅行は私たち2度めでして、楽山の大仏ももう見たんですけど、楽山のグルメを楽しみたくて再訪することにしました。
1週間くらいの旅行だと食べ物も全て味わえないですよ…妻と二人だと料理も厳選しないと食べきれないですしね。もしも宜賓に行けたら、まゆさんとお食事できたら楽しそうだったんですけどね~
まゆさんも中国回ってのご帰国、また旅行記等楽しみにしています。
私もまもなく成都に出発を楽しみにして、たくさんグルメ楽しんで参ります。
まゆさんお忙しくて食事も大変みたいですけど、寒くなりますのでお体お気をつけください。

辛苦了!

お疲れ様、無事帰宅されて、何よりです。肉体的には、疲れたことと思いますが、心の洗濯になっていれば良いかと思います。

西寧の酒吧、良い雰囲気ですね。上海や広州におしゃれな酒吧があるのは不思議ではないですが、西寧のような内陸部に何店舗もあるとは驚きです。

まゆさんの日記、ほんとうに読みごたえあります、相当のエネルギーを注がれているのだと思います。ボリュームだけではなく、引き込まれてしまうある種の魔力みたいなものがあります。読んでいる内に西寧に行きたくなり、気がつけばチケットの値段やフライト時刻を確認している始末です。来年のGWは、ラマダン中なのでイスラム圏への旅行は控えざるをえないので、じゃぁ冬に行くか?などと考えてしまっています。

日々の生活に余裕ができたら、宣賓散歩の日記を楽しみにしています。

Re:

kyubeyさん、チャカ湖、行きたかったです。実は多くの青海湖ツアーはそのチャカ湖を含めたものでした。でも私が参加したものには含まれていなかったんですよ。
‟古いオリジナル”、私もそうですよ、古びたものが好きですし無宗教の人間なので再建されたものよりそのまま残っていてほしいなと思う。でもだからこそ、中国で見る熱心な信仰の姿に関心してしまいます。ピカピカの仏像に対する見方もちょっと変わってきた最近です。

楽山大仏はもうご覧になったんですね。では本当にグルメ一本で!
一週間では足りない、それもよくわかります。二人だと選べる品数というのもそうですし、奥さんの好みもありますもんね。
おなかはひとつ、時間は限られている。だから外したくないし悩むところです。
私は以前は、料理の失敗も旅の楽しみなんて思っていましたが、今はちょっと変わりました。
宜賓へも機会があればぜひお越しください。こちらの先生と話しているとみな四川人ですから、「成都はなんでもあるけど、宜賓料理は宜賓、自貢料理は自貢、楽山料理は楽山がおいしい」といいます。ただ、宜賓って何がおいしいんだ?と考えるとあんまり思い浮かばないんですけどね(^^;)

もう間もなくご出発ですね、kyubeyさんたちもお気をつけて!祝你们旅途愉快!

Re: 辛苦了!

Zhenさん、一つひとつご丁寧にたくさんコメント、本当にありがとうございます。
この旅行、十分に心の洗濯になりましたよ。でも旅行記にこんなに時間がかかってしまった。エネルギーは確かにいりますね(^^;)
でもこれが楽しみでもあるので、仕事はたしかにかなり忙しかったのですが、どうしても書きたかったです。

酒吧はけっこう地方都市にも見るようになりました。宜賓にもありますよ。上海のようなおしゃれなものではなく、西寧で見かけたそれらは廃墟的な雰囲気でしたが、私は廃墟好きなのでそれが嬉しかったです。飲めなかったのは残念でしたが…。

冬の西寧はどんなふうなんでしょうね。湖は凍っているのかな。
私の旅行記をご覧になって行きたいと思ってくださる、とても嬉しいです。
年内に一度宜賓散歩記を更新したいなと思っています。今年も早いものであと一カ月を残すだけとなりました。早いなぁ…。

中国はどう変わっていくのか

まゆさんこんにちは。 今回の旅行先は私にとっても「真っ白な地域」だったので興味深く読みました。それにしても観光客が少ないということには少し驚きました。私もゴールデンウィークの中国旅行では人の波に圧倒されましたが、南京の友人が「中国でも辺境の地に行けばそれほど混んでいない」と言っていたのを思い出しました。
私は今回も百度地図で場所を確認しながらまゆさんの旅行記を読みました。それで気がついたのが、地図を見ながらだと文章だけを読んだのとは違って印象がとても深く残るということです。その土地の印象というのは、点ではなくその場所に行く過程や距離感といったものも含まれているのかなと思いました。
 寺院のプロパガンダや観光地化についてのまゆさんの思いが綴られていました。私は、矛盾した言い方かもしれませんが、古さや生活感を残してリニューアルされていればと思います。ヨーロッパのドイツやポーランドなどは戦災で壊滅した街がそのまま復元されていて、新しいけれども歴史が感じられるものでした。
 ただ最近の中国は、リニューアルではなく「再開発」として古い町並みの取り壊しが加速しているように感じられます。旅行者の思いとしては不安であり残念でもあります。
寺院のプロパガンダは現代の中国らしいといえばそうですが、私はやはり違和感がありますね。でも40年前の中国は、商品の広告は皆無で「社会主義建設前進」とか「団結起来」などと書かれた真っ赤な看板しかありませんでした。今その写真を見ると当時の中国がなつかしく感じられると共に、現在の中国の変わりようも感じられるということもありますね。
 「平等」とか「和偕」は今の中国でよく見かける言葉ですね。私も違和感を感じる言葉です。30年ぐらい前はたしか豊かになれる者が先に豊かになろうというようなスローガンが掲げられていたと思います。そして今の中国は豊かになった人が増えてはいると思いますが、取り残されている人もまた多いはずです。都市と農村、漢民族と少数民族、外資と国営企業、学歴など、いろいろな落差が日本でも報道されています。でも、「平等」や「和偕」が実現するための営みがどのようになされているのか、私にはよく見えません。
 私の中国人の友人たちは、おそらく豊かになった階層だと思います。しかし、特に日本に在住の友人達は若いときに相当な苦労をしてきているのを聞いています。今度、中国人の友人達に「平等」や「和偕」について問いかけてみようと思います。

Re: 中国はどう変わっていくのか

hirachanさん、こんにちは!
> 地図を見ながらだと文章だけを読んだのとは違って印象がとても深く残るということです。その土地の印象というのは、点ではなくその場所に行く過程や距離感といったものも含まれているのかなと思いました。
そうですね、私もそう思います。以前は列車旅の時には中国全国版の紙地図を持ち、「こんなに大移動しているんだなぁ」なんて感じながら旅をするのが好きでした。
アプリ地図は便利なために却って実はあまり使いたくないのですが、実際便利だから必須になってしまっています。
列車で移動しているとき、ふと地図を開いてみると、現在地マークが知らない地名の間を移動していく。それに今回の市街地散策も、地図を開きながら歩いてみると、東西南北どこに向かってどこを歩いているのかわからないで移動するよりも、実感があありました。

古い建築の再建や補修についてですが、ヨーロッパの技術は素晴らしいですよね。行ったことはありませんが、テレビなどでそう感じます。
その点、各国で価値観や方向性が異なるようです。以前テレビで、アンコールワットの修建について見たことがあるのですが、アンコールワットって各国の補修専門家が集まり共同で修建をしたそうなんです。ところが、中国の担当したところは一目瞭然、日本が修理したところは意図的に傷を演出し直したことがわからないのですが、中国はピカピカの新築で「いかにも直しました」という主張のようにも見えるほどだったんです。国の性格がはっきりしていておもしろいですが、私も、古さを残しながら自然な形でかたちが引き継がれていけば美しいな、と思います。
再開発が激しい中国ですけど、一度取り壊してゼロにして新しいものを作る、それも場合によってはいいですが、行き過ぎた感もあり確かに旅行者としては不安になりますね。

中国のプロパガンダはすでにそれ自体が「中国らしさ」を代表するものになっていますが、そのあたりの見方や感覚は、私たちが外国人だからこそ持ち得るものなのかもしれません。
40年前かぁ…かつてのスローガンの名残はよく古い住居の壁などに見ますが、真っ赤な看板が並ぶ中国の街並みはどんなものだったんだろう。そして、これから10年後20年後は、いったいどんな姿になっているんだろう、ともに全く想像もできません。
豊かさとか格差とか、そもそもそれが何を差すかが根本から違うように思い、それが旅行記中に並べた文章だったのですが、その豊かさの認識の違いが違和感を生んでいると思います。「豊かになった」「豊かになりたい」同じことを口にしていても、実はまったく違うことを頭に浮かべていたならば、ベクトルはどんどん離れていくばかり。
国家と国民の間での認識の違い、それが単なる認識の違いであればまだしも、国家のコントロールによって意図的に生み出されたそうした差異や打算を見ると、本当の豊かな未来は来るのだろうかと不安にもなります。
私が思う本当の平等というのは社会主義的理想ではなく、どんな環境、境遇の違いがあったとしても、それぞれがそれぞれの「豊かさ」を見つける選択肢と権利を持つこと、です。でも中国にあふれる言葉の意味はそうではない、そうした概念の差異、または意図的な意味のすり替えは恐ろしいです。

> 今度、中国人の友人達に「平等」や「和偕」について問いかけてみようと思います。
それってお互いにとても素晴らしい交流になると思います。現代の中国人、特に経済的に豊かさを得た人たちというのはこうした概念に対しても自分の考えや感覚を持っているのではないかな、と思います。そしてそのこと自体もまた、中国の発展を表すひとつであり、豊さそのものだと思うのです。
プロフィール

まゆ

Author:まゆ
中国四川省宜賓市にて生活を始めました。
旅行記に絞ったブログ、一つひとつは旅のあしあとです。

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