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2019-12-18

宜賓散歩~冬のはじまり①~

2019年11月16日、今日は久々の休みだった。

国慶節に青海省の西寧を旅行してから、叫びたいほどの忙しさが続いた。もう、無理だ。やる気はあるんだ、でも時間と力が足りない。
私の大学は外国人に経費はいっさい出さないという。教科書も自己負担だし出張も自己負担だし、諸手続きももちろん。それにあれやれこれやれあそこ行けと言われても、それもみんな自己負担。ひいては授業資料を印刷するにしてもお金がかかり、教員室の小さな印刷機を使う場合も、置いてあるコピー用紙は中国人先生のために大学が支給したものなので、私は自分で紙を持参している。
お給料の未払いも依然。それなのに、要求だけは高い。まだ要求するのか?さらに要求するのか?与えないのに、要求に際限はない。
できることはやる。不平等や理不尽があることは覚悟できたし、できることはできるだけやろう、そう思って来た。
でも人間には能力の限界というものがあるし、体力もそう。一日の時間はみな平等に24時間と決まっている。
もう限界だ、と思った。
そうして、ちょっと理不尽な依頼を受けて、初めて断った。

次にやってきた山場は試験の準備だった。
通常の業務をぎりぎりに回していた私にとってはしんどい山場だった。試験問題の提出そのほかには大学の規定や書式があるものの、そうした説明がほとんどされず聞いても解決されない状況それ自体が山場だった。
しかも、不眠続きで作った問題用紙を一瞬で白紙にしてしまうというトラブルもあり、人にはほんとうに全部を投げ出してしまいたい時があるのだと思い知らされた。
しかし無事それらを終え、とりあえず山を越えた。初年だからたいへんだっただけで、来年度からはもう少し回せるだろうという期待もある。
そんなある日、それはつい数日前の11月12日の火曜日のことだった。
この日は朝一から授業があり、夕方最後の授業は授業態度が非常に悪い四年生の授業だった。他の学年の授業には感じないストレスが四年生の授業にはあり、夕方の6時、なんだかこの疲れを発散したくなり、校門を出てふと思い立ち、私はレンタル電動自転車に乗り気まぐれドライブに出掛けたのだった。

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レンタル電動自転車は、モバイクのように市内あちこちに配置され、けっこう便利だ。20分2元で、20分を超すと10分ごとに1元加算されていく。
最近ではバスに乗らずにこの電動自転車でマンションまで戻ることも多い。便利なこと以上に、気持ちがいいのだ。
こうして軽くそのへんをドライブするつもりが、気が付けばもっと遠くに、そしてさらに遠くへ、というふうに、結局一時間以上もかけて老城区まで行ってしまった。
老城区は、金沙江と岷江に挟まれ半島のようになった部分で、古くから賑わう地区だ。合流した二条の大河はここから長江を名乗り始める。
老城区へ着いた時、初め霧雨だった雨はやがて小雨になり、私はとうとう傘を差した。雨に濡れた街の雑踏は、まるで小さな頃に集めたビーズやボタンのようにカラフルで、魅惑的だった。
そうして雨を持て余しひとり回転火鍋に白酒を飲みビールを飲み、雨が止んだ深夜、もう日付も変わろうという時刻にふたたび電動自転車でマンションまで戻ったのだった。帰宅したのは深夜1時半、私が暮らす‟城”はひっそりと寝静まっていた。

あの時の解放感がやみつきになってしまった、のだと思う。
今まで自由な時間はほとんどなかった反動もあるだろうと思う。
仕事やもろもろの疲れやもやもやが溜まり、でも仕事の山を越え、そうした安堵があり自分へのご褒美のつもりだった。
しかし自分への慰めが大得意の私はこれに味をしめ、さらにご褒美を要求した。
久々の休日だった。
そうした特別感と解放感があり、昨晩はお酒を飲んだ上に夜更けごろマンション下のマッサージ店に初めて行ってみた。1日水含め20元と決めた予算を大きく超えた行動である。
そうして今日、目覚めたのはなんとお昼前。
ゆっくりと支度し14時頃、マンション前からレンタル電動自転車に乗り、ふたたび自転車ドライブに出発したのだった。

雨が多い宜賓にあり、たとえ曇りでも雨が降っていないだけで‟まあまあ”の天気といえる。もちろん青空があれば申し分ないけれども、それを望めばいつまでたっても出かけられない。
最近ときどきひどく冷え込むようになってきたので、そんなに寒くないことも好天気といえる一因だった。

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電動自転車のRQコードをスキャンすると、バッテリーの具合から稼働距離が計算され表示される。
私の基準としては、15㎞以上あればなかなかだ。20㎞というのはそうそう出合わない。この時えらんだものも、たしか15㎞やそこらだった。
マンションは少し前まで建物がもう全くなかったようなところに建っているので、散策するようなところもほとんどない。
西へ向かえばお気に入りの老城区方面。
東へ向かえばいまだ未踏の謎エリア。
この謎エリアをぜひ開拓してみたかった。
見るからに人気のない雰囲気だが、しかし自然地帯というわけではない。でっかい道路が二本果てまで続いているんじゃないかと思う程、果てしなく伸びており、その両脇にはでっかい現代建築がどかんどかんと並んでいる。
それなのに、人気がまったくない。
人気がないくせに高級そうなホテルがあり、何やら高級そうな施設もある。
しかし繰り返すが、人気がない。
こうした雰囲気は何も中国でここだけではなく、今までいくども出合ってきたものだった。私にとって、‟中国七不思議“のひとつだ。

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この道路のあの先には、いったいどんな街や村があるんだろう、どんな風景があるんだろう。
そんなふうにして出発してみたが、30分もしないうちにUターンをすることにした。
これはきりがない、収穫なし、と早めの見切りである。
でっかい道路には両脇に、えんえんと巨大な企業の建物が並んでいた。
しかしその割にやはり人気がまったくないのだ。
これだけの企業ビルやあるいは工場があれば、周辺はそうした人々が必要とするお店などでにぎわうはずである。
しかし、ひとつの商店がなければ、ひとつの食堂もない。
そして一人の人間も見ない。
通行人もいない。
ただ、行き交うトラック。
ただ、気の遠くなるような長い道路が通っているのみ。
今までときどきこんな疑問を中国人に投げかけてみたが、別におかしなことでもないだろうとでもいうように、「中には人がいる」と返事が返ってくるだけだった。無人なように見えて、ここには一帯、実は大勢の人がいるの?

電動自転車をUターンして、並行して走るもう一本の道路へ出た。
ここから西へ、老城区方面へ、気の向くままドライブしてみる。
こちらの道路は先ほどの無人道路よりはマシで、少しは人気があった。道路を清掃する人がいて、またバス停もあった。

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やがて見えてきた観覧車。
観覧車なんて人気がない企業ビル地帯にはあるべきではない代物だが、しかしあった。
こんなとこにあって、誰か来るのか?
そう思いながら通りがかってみると、それは見事な廃墟遊園地だった。

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孫悟空の塗装があざやかなので、もしかしたら閉園し間もないのかもしれない。
それにしてもおどろおどろしいセンスの入場門。上には恐ろしい顔をした子供が乗っかっており、とてもお客を歓迎しているようには見えない。この子供の呪いで倒産したのではないかと、そんな疑いもありえなくはない。

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ふらふらと寄り道をしながらも諦め、そんなふうにしながら開発区のマンション群に入った。
ものすごいスピードで今もたくさんの建設が進むエリアである。
ここに来て、ちょっと遅いけれど軽くお昼ご飯をとり、それから老城区へ向かってみることにした。
マンション群はそれぞれ島のようになっており、私は勝手にそれを‟城”と呼んでいる。
その中で少し前に見つけた、小さな‟城”だった。

覗いた麵屋さんにはたくさんのメニューが書かれていて、それが目を引いた。
宜賓に来て、麺といえば燃麺、紅湯牛肉麺、姜鴨麺、紹子麺、口蘑麺、ほんとうにバリエーションがなく飽き飽きしていた。だから、このメニューの多さはちょっと珍しい。
とはいえ、たくさん種類があるように見えても実はベースは同じため、メニューがたくさんあるように見えても味はそう変わらないことはすぐにわかった。
しかしそんな中で気になったのが、土豆泥醤牛肉麺。
お店のオススメマークがついている。
土豆はジャガイモ、土豆泥は、「泥?」とびっくりする字面だけれど、いわゆるマッシュポテト。大のポテト好きとしては見逃せない一品だ。
お店の人に訊くと、汁なし麺だという。

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さっそく頼んでみると、牛肉ってあの通常牛肉麺にのっているようなあれではなく、牛肉コロッケそのものだった。
これにパクチーがたっぷりかかり、辛味のついた麺と混ぜながら食べる。
麺の下には辣油と唐辛子が隠れていて、混ぜながら辛さを調節して食べることができた。
コロッケの中身と四川の辛い麺、それにパクチー。ありふれた材料と味覚でありながら斬新に感じたのは、それだけ毎日の食に飽きていたからだろうか。
辣油としっかり絡めながら食べたが、コロッケの中身の存在感が大きくほとんど辛く感じない。それが確かに辛いことを教えてくれたのは、額に浮かんだ汗だった。

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満足しお店を出て、出発するべく電力が豊富な電動自転車を物色していると、見慣れた銀色の容器が目に入った。
「あ、あんた!」とでも言うように声をかけてきたのは、お餅売りのおばちゃんだった。
そのおばちゃんはいつもは少し離れた別のもっと大きな‟城”で、同じように銀色の容器を載せたリヤカーをひっぱり商売をしている。
私は何度かそこでお餅を買ったことがあるが、二度目の時におばちゃんは私を覚えた。
こってり宜賓語でさっぱり通じないが、おばちゃんは私が日本人だと知り「日本人は給料が高いだろう」なんてそんなおしゃべりはしていた。
一つ買えば「もう一つ買ってよ」、二つ買えば「三つ買ってよ」、毎回そんなやり取りがあり、私が「日本の味を思い出すよ」なんて言えば「毎日来てよ」なんて調子よく話すおばちゃんだった。
しかし私はおばちゃんが少し‟盛って”いることを知っている。
最初にお餅を一つ買ったとき、5元だった。
二度目に行き私が日本人だとわかったとき、おばちゃんは数秒考えたのち「15元」と答えた。そのとき中国人の男の子が買おうと値段を聞いたが、歯切れ悪い返事で私の目の前では価格を言わなかった。
私はおばちゃんが価格を少し盛っていることを確信しているけれども、何も言わず毎回15元で買っている。
今日も夜になればあのいつもの大きな‟城”に行くんだという。

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「ねぇ、買っていきなよ」おばちゃんは笑顔いっぱいに言う。
「じゃあ一つちょうだい」
私がそう言うと、「三つ買いなよ」いつもの応酬だ。
「ごめん、今日はひとつでいいよ」
おばちゃんいくらと言うかなと待ってみると、ちょっと考えているようす。
「7元」
考えている時点であやしいのだけど、8元と言えばいいものを7元。二つで買うよりもほんのちょっとだけ安くなってしまった。なんだか憎めないおばちゃんだ。
おばちゃんのきな粉餅はけっこう大きくて7元でもかまわない。
内側にザラメのきな粉を挟んで折り畳み、外側に細かいきな粉をまぶしてくれる。これがおいしいのだ。
おばちゃんが作っている間に支払いをしてしまおうとQRコードにスマホをかざしていると、道端に公安の車が停まりいかめしい雰囲気の人たちが二三人降りてきてあたりはざわついた。
路上での商売を取り締まる時々目にするあれだ。
お店の外からちょっとはみ出ている看板なんかにも厳しい指導が飛び、なにもそんなに厳しくしなくても、と思う。
おばちゃんは焦った。
怖い顔をして近づいてくる警察から逃げるようにしてリヤカーを転がし、ちょっと逃げては私のお餅を作り、またちょっと逃げてはお餅に手をのばし。
「これだけ最後にやらせてよ、すぐに片付けるから!」
容赦ない警察の圧力におばちゃんは必死に抵抗した。
なんとか私にお餅を渡し、おばちゃんはすごいスピードで逃げて行った。

18㎞ほどの電力がある電動自転車を見つけ、それで再出発することにした。
自転車に乗り、向こうでおばちゃんがまたリヤカーを引っ張り出してきて商売を始めたのを見た。いかめしいあの警察はもういない。

ここからしばらく‟城”を越え橋を越え、そうしてやがて、古くからの住居や店舗がたくさん並ぶ市街地へ出た。
右手には長江が流れ、やがてそれは金沙江と名を変えた。
私は今、川を逆行している。

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右手に金沙江最後の端、金沙江戎州大橋が表れた。
こちらは先日の思いつきドライブでその金沙江戎州大橋を渡った時のものだ。
端の向こうには金沙江と岷江に挟まれた‟半島”、つまり老城区があり、都会さながらに派手な電光演出を披露している。
くるくるとその映像を変え、ビルが建ち並ぶ夜景のようなデザインから、ぱっと「長江第一城」なんて文字を映し出す。
好みはぞれぞれだが、なかなか壮観でうつくしい夜景だと私は思う。

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こちらは同じく先日のもの。
この金沙江戎州大橋を渡るとすぐそこはもう、半島の先っぽだ。
そこから岷江側の対岸には緑が鬱蒼とした山があり、そこには宜賓のシンボルともいえるような古い白塔がある。
この山全体が、夜には煌びやかにライトアップされるのだ。
この日はあいにくの雨で霞んでしまっているが、空気が澄んでいればかなり鮮やかに見える。
このライトアップは刻々と色彩を変え、青、緑、ピンク、紫、と目を離すことができない。
私はいつもそれを見て、なんだかかき氷の最後を思い出すのだ。
カッティングが美しいガラスの器に盛られたかき氷。
急いで食べても、最後は少し溶けて残ってしまう。そのきらきらとした反射の中に浮かんだまだ溶けきれない細かに残り浮かぶ氷。
私は幼い頃からあの人工的な色彩のきらめきが好きだった。

今はまだ16時半を少し回ったところで、‟かき氷の最後”を眺めることはできない。
金沙江戎州大橋を過ぎ、そこで思いついたように横道に入ってみた。

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古い住居、小さな商店、金沙江に向かいながらでこぼこ道路は下った。
そこで見つけたのは、小さな自動車学校だった。
中国をバカにするなよと言われそうだが、日本では自動車学校は大きな施設でまた高くもあるため、こんな素朴な雰囲気が珍しく思えたのだ。
しっかり教習中で、中では三台の教習車が縦列駐車などの練習をしている。
散策をしていて一番楽しいのが、こんな意味もないような発見。
特別な何かではなく、ごく普通にありふれたものたち。
そういうものを発見していくのが楽しい。

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こうしてうろうろし、金沙江へ下りてきた。
向こうに見えるのは、先ほど通り過ぎた金沙江戎州大橋。
左手に見えるのは、9月の散策で少し渡ってみた南門大橋。
ともに真っ赤なアーチが目立つ大きな橋だ。

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正面には、夜になると電飾が派手な夜景をつくりだすビル群。昼間にこうして見てみると、ごくありふれた古びたビルたちだ。
ゆったりと見えて実は結構速い水流を持つ金沙江。深い緑をたたえている。
9月の中秋節に見た時には茶色く濁っていたから、本来はこんな色をしているのだと少し驚いた。
今日は灰色の空。
稀に現れる真っ青な空の日には、いったいどんな表情をするのだろう。

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きな粉餅を買った“城”から乗ってきた電動自転車、実はブレーキが壊れていた。非常に危ないのでここで別の電動自転車に乗り換えて出発することにした。
ここからしばらくも行かないうちに、鉄橋が見えてきた。
よく見ると人が歩いて渡っているので、ここから半島側へ渡ってみることにした。
しかし鉄橋の入り口がわからないのでそれを目指して急斜面を登っていくと、気づけばあの鉄橋をすっかり越してしまっている。重慶がそうだったが、急斜面にある街というのは難しい。
また、急も急、下手したら転げ落ちると怖くなり、慌てて電動自転車を降りた。
こうして諦めてそのまま西へと進むと、今度は別の橋に出合った。
中坝大橋という橋だった。

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ここから‟半島”へ渡ろうと、車両用の道路ではなく歩行者用の通路を走り始めた。
さすが長江の前身だけあって、この橋もかなりの長さ。
見下ろす景色はなかなかのもので、こうやってどんどん向こうの橋まで知ってみたい、そんなふうにも思った。
ところがいけなかった。
私の高所恐怖症が突然ここで発症し、もうどうしようもなくなった。
この橋、かなりの高度を持っていた。
さらに、電動自転車に乗ると歩行者よりも視点が高くなる。そんなわけないのに柵を越えて落ちてしまうような錯覚に陥った。
車両用の方を走ればよかった、激しく後悔するももう橋の半ばに来ており、行くも戻るも変わらない。
パニックになった私は必死でハンドルを握り、極力内側を走るものだから今度は車両側にあるあれこれにぶつかりそうになる。
これはこれで、その反動で左によろけ川へ落ちたらどうしようと、恐怖の想像は膨らみに膨らむ。
こうして泣きそうになりながらようやく対岸に到着してみれば、なんとその先にあるのは長い階段だった。
見てみれば随分前に私を抜かした同様の電動自転車の男性が、四苦八苦して自転車を下ろしている。
しかしこんなの、高所恐怖症を発症している私にできる技ではない。
結局、しばらく通行人があるのを待ち、その人たちにヘルプをお願いし車両用の道路まで電動自転車を担いで下ろしてもらったのだった。

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こうして山場は乗り越えた。
ようやく‟半島”、金沙江と岷江に挟まれた区域に入った。
さてどこに向かってみようと顔を上げると、向こうの小さな山の中に、小さな建物を見た。
叙府酒業。
淡いブルーが暗い風景の中で違和感を放っている。
あれは、昭和の廃墟ではないだろうか。
あの色彩、あの雰囲気は昭和期のそれを想像させた。
中国で昭和とはなんだとはなるが、日本で昭和の香りが次々と消えていくのに反して、中国でそれに似た香りを感じることが多い。私が中国に郷愁を感じるのは、ひとつそういうことなのではないかとも思っている。しかしあくまで似ているだけで、それは確かに昭和のそれではない。けれども、それを見つけるととても嬉しいのだ。

四川省は白酒の代表地である。
そしてここ宜賓はその中でも秀でていて、他産地を差し置いて中国の「酒都」を名乗っている。
もっとも有名なのは五粮液で、ここには五粮液の本拠地がある。
詳しくは知らないけれど、ここにはたくさんの白酒工場があり、また古い工場遺跡や廃工場も多数残るようだ。
そういう訳だからより目を引いた、「酒業」の文字。
現在も稼働しているものか、あるいはすでに廃工場か、いずれにせよ古いもののように思い期待した。
鬱蒼とした木々に囲まれているその立地も興味を引く。
どうせ他に行くところを考えているわけではない、あの工場を探してみよう。

こうして近づいてみると、辺りは生活感あふれる市街地だった。
たくさんの車が行き交い、たくさんの人が往来する。

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見上げればすぐそこに例の酒工場が見え、すぐにでも手が届きそうだった。
ところがこれが難しくて、どこにもあそこに上っていく道が見当たらない。

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あれこれ探していると、通路に並んだ小さな市場を見つけた。
この生活感と温かい豆電球が好き。
しかし、この先は行き止まりで、ここもまた山に入っていく道ではなかった。

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今度は再び大通りに出て、小さな階段を登ってみた。石階段はかなりの古さを感じさせ、それはそれで好きだったけれど、ここも行き止まりは古い住居だった。人のお宅に勝手に入るわけにはいかないので、慌てて戻る。

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そうして三度目の正直、もう一本の古そうな小道に入ってみた。
すると道は二手に分かれ、右は地下道になっていたが完全に水没していた。
そこで左手に進んでみると。

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そこはなんと、線路だった。
古い住宅の向こうには、確かに私が狙っている叙州酒業が見える。
もうあと少しだ!
時刻はもう18時を迎え、間もなく暗くなり始める。


中国を旅行していて、なかなか線路に出る機会というのはない。
都市部なら絶対に無理だし、これも田舎ならではのことだ。

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スタンドバイミーをやってみようか。線路というのは、背徳感を背負った不思議な吸引力がある。
街から街へ、駅から駅へ。
この線路の先にはかならず何かがある。
それは一種のみちしるべだ。
ただそれを知ってみたくて歩いてみると、どうしてか、普段とはまるで違う世界にいるような気分になる。
それはきっと、そこがほんらい人の足で踏むべきではない場所だからだろう。
高校のとき、英語の課題図書でスタンドバイミーを指示されたことがあった。指示されたというのは、買った記憶はあるけれど読んだ記憶がないからで
、さぼったのかもしれない。しかし覚えているのは、原文のタイトルが「スタンドバイミー」ではなく、「ザ・ボディ」だったこと。あれは死体探しの小説であり、映画だった。

市街地にいると、ひっきりなしに汽笛が聞こえてくる。
列車が来たらどうしようとふと不安になるも、何人もの住民がここを横断し、また道代わりにして当たり前のようにして歩いている。
市街地を背にして山側を見てみると、狭い範囲に古い住宅が身を寄せ合っている。そこにはごく普通の生活風景があったが、背後は山でそこには一切の道がない。すぐ目の前は線路。
そういうわけで住民はここを平気で横断するわけだけれど、いったいどんな気分だろう。
どんな環境もそれがそこにあれば当たり前になる、それは当然のことであり不思議なことでもあるようにも思えた。

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ここに来た目的は線路ではなくあの古びた酒工場だった。
近づいてみると確かにすぐそこにそれはあったけれど、どうやらこちら方面から道はないということがわかった。

西の先には向こうに宜賓站らしきものが見え、列車がまぶしい光を放っている。
あの列車がこちらに来るかもしれないと、それを待ってみることにした。

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鉄道の上を歩いたり寝そべったりすること厳禁。
私は今それを破っている。

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その横には、「命を大切に、列車に注意」。
これだけ開放的な線路なのだから、事故が起きない方が不思議だ。

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やがてむこう宜賓站に停まっていた列車は灯りを落とした。どうやらこちらには来ないもよう。
しかししばらくして激しい汽笛の連続が聞こえたかと思うと、ものの20秒ほどで反対方向のカーブから貨物列車が姿を現した。
私は線路の上にいたため、慌てて線路の石ころをがらがら崩しながら下りた。
こんなに間近に列車の通過を目にしたのは初めてだった。
列車はここが危ない区間であることを知っているようで、これでもかこれでもかというほど、激しい汽笛を連打する。

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くだらないことかもしれないけれど、車輪の隙間から向こうが覗け、それがなんだか特別なもののような気がした。

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貨物列車が通り過ぎ、静寂ではないのに、静寂が訪れたような錯覚を得た。
ふと気づけば、こちら側の住民のための‟道”がある。
ここではああした列車の通過は、たとえば太陽が昇りやがて沈むように、そして毎日食事を摂ることのように、何度もかならず繰り返される日常なのだ。

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18時半、徐々に暗くなり灯りがともりだした。
足元がまったく見えず危ないので市街地側に戻ろうとすると、もれた灯りから人々の生活が覗き見えた。

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電信柱に電球がともる。
細かく点滅するその灯りにまた、昔懐かしい気持ちが湧く。

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賑やかな通りに出て歩いていくと、やがて向こうに翠屏山が見え、高架下に出た。
先ほどの列車はこの上の線路を通って走り去っていったものだ。
高架下には器用にお店が並び、その多くは向こう側と筒抜けになっていた。

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あちらが翠屏山、向こうには賑やかな街が広がるはずだ。
9月に来た時には登らなかった山の上には、塔が光っている。
手前には静かな川が流れ、落ち着いた雰囲気。

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ここは人民公園。
人民公園の池の上をなんとあの線路が通る。
ここから見上げる列車というのも面白いかもしれない。
しかし公園の上を通る線路なんて、初めて見た。

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こうして人民公園を抜け夕食時で賑わう街を抜け、古びた建物が多いなと思っていたら、9月にたまたま見つけた書院らしき建築がある通りに出た。

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この辺りは相当古い建築が残り、それらはみな食堂だったり小さな商店だったり。
このような塔のような石造りの建物は奇妙で、どうしてこんな形状をしているのかわからない。

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こちらは伝統風の建築をしているけれども、現代建築。
前は広場になっていて、温かければここにテーブルが並び屋外で食事やお茶を楽しむ人が集まる。
しかしあの内部は何かというと、どうやらみなカラオケ店のようだ。

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このように一部屋二部屋しか持たないだろう小さなカラオケ店が外にもずらりと並ぶ。
私は先日初めて中国のカラオケに行きデビューしたが、その派手さ豪華さに驚いた。店内はトイレに至るまで濃厚な香水のような匂いが充満し、むせるかと思った。
カラオケに来た目的は、小規模な学園祭のようなものがあり私はもう一人の先生と歌を歌うことになっており、その練習という名目だった。しかし結局練習にはならなかったのだけれど、そこで中国人先生が口にしたのは、「日本のカラオケは質素でつまらない。あれじゃ家で歌ってるのと変わらない」だった。
たしかにこんな小規模なカラオケにいたるまでこんなにド派手なのだから。

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こんなド派手カラオケの対面は古びた飲食店や商店たちである。
その対比といったら、まるで別世界のよう。

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そうそう、このお店だった。
以前に来たときに気に入った場所。
屋根の上には少し西洋を思わせる石造建築があり、清代のものではないかと想像したのだった。

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ここにある泡椒烤魚。
ここがどうしても気になり、声をかけてみた。
「まだやってる?」
「うん?なんだ?」
「まだやってる?」
「なんだ?宜賓語わからないのか?」
スキンヘッドの親父さんは、「やってるやってる」と招き入れてくれた。

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テーブルが二つほどの狭い店内だ。私の好みど真ん中のお店である。
「メニューは?」と訊こうとして、やめた。メニューは明らかにない様子で、冷蔵庫の中を覗くと魚と鶏の脚のトレーだけが入っている。
ここはどうやら烤魚一本のようだ。
だいたい烤魚のお店には他におつまみのようなものやちょっとした料理などもあるから、これはけっこう珍しい。
「烤魚おねがい」
そう頼むと、親父さんは目の前のコンロで作り始めた。
「辛いのは大丈夫かい?お酒でも飲んで、待ってるといいよ」
女一人の行動でお店の人からお酒を勧められたのは初めてのことだった。
私が酒好きなの、知っているのか?

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「谢绝外卖」の文字に親父さんのこだわりを見た気がした。
デリバリーお断り。
現代では多くのお店がデリバリー対応している。
「この魚、長江の?」と訊くと、「違う、そこの金沙江のだ」と即答。
「もう百メートルほどで長江だよ」

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烤魚はすぐに出来上がってきた。
私は冷蔵庫から白酒を一本出してきて、飲み始めることにした。
温かい出来立ての烤魚は美味しくて、酸味と辛さが混じった味は辛口の白酒によく合う。
「この店に来た初めての日本人だ、乾杯しよう」
親父さんはそう言いビールを出し、コンロの隣にある親父さん専用の椅子に座った。
「まさか日本人が来るとは思っていなかったから、韓国人だと思ったよ」
「韓国人はいるの?外国人いるの?」
私がそう言うと、
「もちろんいるさ!ここには五粮液があるだろう?あそこには日本人もイタリア人もいるんだぞ」
「え、日本人もいるの?ここに住んでるの私一人だけかと思った」
親父さんは五粮液関連の仕事でここにいる日本人を見たことがあると言った。
「でも、このお店に来た日本人はヨーマーズが初めてだ」
親父さんに訊ねられ私は自分の名前を「マーヨーズ」と名乗ったが、親父さんは頻繁に「ヨーマーズ」と呼んだ。
私の写真を撮りたいと言われ始めは断ったが、気が変わり「やっぱりいいよ」と伝えた。
「気分悪くしていないかい?この店に日本人が初めて来たから興奮しているんだ」
親父さんは本当にうれしそうな様子で、私に干渉しない微妙な位置で話をしながら、何度も乾杯をし自分のタバコを勧めてくれた。
「どうしてこの店を知ったんだ?」
そう訊かれ、以前にたまたま通りがかりこの界隈が好きになったのだと答えた。
「古い雰囲気が好きなの」

親父さんの弟さんの奥さん、つまり義理の妹は重慶で日本語関連の仕事をしているのだと言った。昔日本語を学び、留学したこともあるんだそう。
そういうことでテンションが上がった親父さんはその義妹さんに電話をし私と会話するよう勧めたが、「忙しい」と一言で断られていた。
9歳の姪っ子は母親の影響で日本語が少しできるんだそうで、「こんにちは、は早上好の意味なんだろう、姪っ子から教えてもらったんだ」と嬉しそうに話した。
「違うよ、你好の意味だよ」
「どうぞ、は请坐の意味なんだろう?」
「ちょっと違う、请の意味だよ」なんて話しては会話はなかなか盛り上がった。
そんなことをしてると、お店の前を別の男性が通った。
「おい、こっちに来て交流しよう、日本人がいるんだ」
親父さんによるとその男性も大学の時に日本語を学んだことがあるのだそう。
しかしこの男性からも「いいよ」と断られている。
「日本語を学ぶ人がこんなにいるとは思っていなかったよ」
私がそう言うと、「そりゃあいるに決まってるじゃないか」
日本は教育が素晴らしくていいところがたくさんある、それに比べ中国は…。
そんなことを話しながら、「必ず日本に旅行に行く」と熱烈に話した。
親父さんは旅行、それも団体ではなく個人旅行が好きで、色んなところに行ったことがあるから標準語がいけるのだと話した。確かに、宜賓では珍しい標準語だった。

親父さんは、「烤魚は冷めると美味しくないから」と再び火を通してくれた。
ビールを空けてまた次のビールを空けた。
そうして煙草が次々と差し出される。
一人でぼちぼち飲もうかと思っていたら思わぬ飲み友達ができてしまった。
私は飲みに行って知らない人と飲み友達になる、という酒好きによくあるパターンができない人間だ。今回は親父さんがきちんと開けてくれた微妙な距離感と話題がよかったのだと思う。
白酒が空き、私はビールを開けた。
「どうやらなかなか飲めそうだな」
親父さんはそう言いながら、自分は白酒の小瓶を三本飲めば酔っ払ってしまうと話す。
私も体調にもよるけど、二本でほろ酔い、三本目に行けばけっこう酔っ払ってしまうと思う。

そんなことを話していると、若い女の子が三人ほど「烤魚おねがい」と言って入ってきた。
そのうち一人の女の子は私と親父さんの会話を聞き、「日本人ですか?」と日本語で話しかけてきた。
彼女は大学で日本語を学び、現在は成都で日本人もいる職場で働いているのだという。
本当に日本語を学ぶ人が多いなぁと驚いた一日だった。
私は彼女と連絡先を交換し、今度なにかあったら成都でね、と約束し彼女たちはお店を出て行った。

ふらり電動自転車ドライブの一日で、まさかこんなに交流があろうとは思っていなかった。
烤魚の親父さんは私と知り合えたことをとても喜んでくれ、また多分人と話すことが大好きなんだろう、その様子に去りがたかったほどだ。
親父さんによると、私のところとは別の大学で英語を教えるイギリス人もこのお店に来るのだという。
標準語だけでなく、彼は宜賓に来て三年のうちに宜賓語も覚えた。
「この前は宜賓語で冗談を言ってたぞ」
私以外にもここに来た外国人がいたなんて。
地元民以外来ないような、ふらりとお客が入るような雰囲気ではない、そんな古くて古くて小さな烤魚のお店である。
しかし意外にもこのお店自体は古くない。古いのは建物だけだ。
親父さんは宜賓人だが、一時深圳へ行きお店を開いた。
しかし四川の味覚は広東料理が支持されるあちらでは全く受け入れられず半年で店を閉めこちらへ戻ってきたのだという。

お店を去る時、親父さんは雲南のハム月餅をわざわざ買ってきてくれて、くれた。
雲南のハム月餅は有名で、中秋節には学生からもらい食べてみた。
「ここの月餅はいいから食べてみるといい」
そうしてお会計をしてみると、「80元」。
魚が一匹48元と書いてあり白酒一瓶にビール一瓶。でも親父さんは私に10本ほど煙草を差し出しており、月餅もくれたのだから、そう得はない。
それにしても、一日の飲食費を週五日20元/日、週二日50元/日という強硬な設定をしているが、とても守れたものではない。
きつい設定だが、こうでもしないと年に二度ある休暇に旅行には行けないし、また日本にも帰ってこれない。
そのくらい私の給料は低いのだ。

「また来るね」そう声をかけてお店を出た。
しばらく歩いて行ってみたのは、大観楼。
ここは老城区へ来るたびに通りがかるが、先日の思いつきドライブの時には雨の中やってきた。
あの日は雨が降り出してしまったが、ここから東にのびる大通りには毎夜、夜市が開かれているようで、そこを歩いたのだった。

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あの時はあいにくの雨だったが、今夜はそれもなく賑やかだった。
しかしもう22時半、一部の店舗は露店を片付け始めている。
中国旅行を始めたころから好きだった、こうした夜市見物。
台湾なんかの夜市とはまた少し異なり、物としての収穫はないに等しいから、いつも見るだけなんだけれど。
私は勝手に、ガラクタ夜市、と呼んでいる。
この日の大観楼の夜市も同様に、どこの中国いつの中国と変わらずに、どうしてかわからないけれど、靴下や爪切り、スリッパなどがやまほど並んでいる。
靴下はまあいいだろう、しかしどうしてどこもこんなに爪切りが売られているのか、いつも疑問に思う。しかも、その数。しかも、中国どこに行っても大概同じ様子。爪切り、そんなに需要があるのか?

そうした‟相変わらず”はあるけれど、時代と共に変化していくものもある。
ここ10年でスマホがほぼ完全に普及した中国、スマホ依存ともいえる中国にあり、夜市の大部分をスマホ関連が占めるようになった。
それは格安のスマホを並べて売るものだったり、また多いのはスマホ修理や保護フィルムを貼り換えてくれるもの。保護フィルムはだいたい10元の価格が並んでいるからやっぱり安い。
しかしこれは今に始まったことではなく、何年も前からこんなふうになり始めた。

私がこの日ここで驚いたのは、ネイルの出店の多さだった。
出店といっても、テーブルとイスとネイルセットがあればもう店になる。
ここで簡単なネイルからネイルアートまでしてくれる。
成都のネイルショップは日本ほどまでではないけれど、やっぱりそれに近い金額がするのだそう。けれども、こうした出店はきっと安いことだろう。
見てみればかなり本格的にネイルを揃えている。
このようなお店は以前はこうした夜市では見かけなかった。
中国、そしてこんな内陸の小都市の、変化を見た気がした。
中国の夜市はもう、爪切りと靴下だけではないのだ。

この夜市の外れには確か果物売りのリヤカーが数台停まっていたはずだ。
そう思い行ってみると、もう遅い時間にも関わらず二台のリヤカーがまだ営業していた。
私はそこでひさしぶりにメロンの切り売りと、それからサトウキビを買った。
サトウキビは中国各地でそれを見るが、適当な長さに切り皮を削いでくれ、裸になったそれにかぶりついて食べる。食べるというか、噛むと硬い繊維が残るので、ガムのように汁だけ飲む。これが素朴な甘さでおいしいので、好きなのだ。

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サトウキビを片手に、それにかぶりつきながら電動自転車を運転し帰ることにした。
明日は日曜日だが、一日授業がある。
最後の授業が終わるのは20時を過ぎるから、マンションに戻るのは21時を過ぎる。
今日一日楽しみ、充電は完了した。
私はバッテリーの持ちが悪いので、きっとまたすぐに充電作業が必要になることだろう。
静まり返った帰り道、早くももう次のドライブを想像する。
みずみずしいサトウキビ、その最後のひと塊を口に放り込んだころ、向こうにマンション群が見えてきた。

〈記 11月23日 宜賓にて〉

⇒宜賓散歩~冬のはじまり②~ へ続く

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まゆ

Author:まゆ
中国四川省宜賓市にて生活を始めました。
旅行記に絞ったブログ、一つひとつは旅のあしあとです。

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